History of the Sampo Dispute

「チビクロさんぽ」問題の経緯


日本の学会の体質を糾弾する「超」過激ページ


「チビクロさんぽ」問題とは

 守は、黒人差別に関わるとして絶版になった『ちびくろサンボ』の改作『チビクロさんぽ』を作り、幼稚園児を被験者にして、その面白さを原話と比較した。その結果、両者に差がないことが見出された。この結果は、日本の子どもたちが『ちびくろサンボ』をその差別性のために面白いと考えているのではないことを実証したことにもなる。この研究は『教育心理学研究』誌に投稿されたが、不採択となった。その理由は理不尽なものであり、守は審査者コメントへの反論および質問を編集委員会に提出したが、回答がなされていない。学会会員からの質問状にだんまりをきめこむという日本教育心理学会の体質はきわめて問題であり、守は学会相手の闘争を継続している。

(つまり、『ちびくろサンボ』が絶版になったという「ちびくろサンボ」問題のことではなく、『チビクロさんぽ(散歩)』についての論文が不当な理由で不採択になったという問題のことです。)


『教育心理学研究』編集委員会とのやりとりの経緯


1.1993年3月  
『教育心理学研究』への投稿
投稿論文テキスト(『心理学文献書庫』 登録論文#1)  
(1993年3月18日付け「原稿お預かり証」ハガキ

2.1993年4月22日
「不採択」という審査結果と審査者3名のコメント

3.1994年1月27日
審査結果への異議申し立て  
「審査委員が重大な事実誤認をしていたり、学会誌の審査委員の権限を逸脱する判断をしていたりすること」への異議申し立て

4.1994年3月19日
編集委員長(高橋恵子聖心女子大学教授)からの返事  
「「不採択」の理由が委員会側の事実誤認に基づくか否かを審議いたしました。」「「不採択」の根拠は、研究方法、並びに、結果の不十分さによるものとの判断が3審査者で一致しているとの結論を再確認いたしました。」

5.1994年3月28日
各審査者への反論を添えて、再投稿

6.1994年5月21日
編集委員長からの返事  
「(審査委員への)ご異議は当編集委員会への異議として受けとめ、慎重審議し、事実誤認がなかったことを再確認致しました。」

7.1994年6月15日
編集委員会への質問状送付
 
各審査者への反論を編集委員会がどう考えるのかなど18項目の質問を送付

8.1994年7月28日
編集委員長からの返事  
「「不採択」という結論には変わりがないことを再確認いたしました。」とあるだけで18項目の質問への回答なし

9.1994年8月1日 
18項目の質問に回答するよう督促

10.1994年8月3日 
1993年4月に審査者であった3名を含む当時の全編集委員にダイレクトメール送付

11.1994年8月  
横浜市立大学大西文行教授他数名から上記ダイレクトメールへの返答

12.1994年12月15日 
不採択論文とその経緯をまとめたものを『季刊窓』に公刊

13.1995年3月2日 
1994年11月までの経緯をまとめて紀要論文として公刊

14.1995年3月3日 
上記7への回答督促状を配達証明郵便で送付

15.1995年3月18日 
坂野登新編集委員長より「個々に応答致す必要があるとは考えておりません」という回答

16.1995年3月24日 
坂野委員長宛の督促状(回答期限1995年5月20日)

17.1995年5月15日 
坂野委員長より、「委員長個人からのもの」と断った上での回答

18.1995年5月23日 
坂野委員長回答への反論送付。
併せて、編集委員会としての回答の督促1999.6.17現在未回答

19.1995年9月28日 
第37回総会(茨城大学)にて「編集委員会はなぜ論争を忌避するのか」口頭発表
坂野委員長、発表を聞きには来たものの討論時間前に退席。

20.1995年9月29日 
編集委員会で話し合いの結果「これ以上議論はしない」。(第43巻第4号「広報」による)

21.1996年11月2日 
第38回総会(筑波大学)にて、自主シンポジウム「学会誌審査のあり方をめぐって」
出席者・弘前大学麓信義氏・福島大学佐藤達哉氏・早稲田大学坂野雄二氏・東京大学市川伸一氏

22.1997年3月17日 
坂野委員長宛の久しぶりの督促状(回答期限なし)

23.1997年3月  
上述のシンポジウム参加者の佐藤達哉氏シンポジウム発表を論文に公刊する。

24.1997年9月13日 
常任編集委員会からの苦しい回答。「質問状に回答するよう」督促したのに、「手続きに誤りはなかった。これ以上審議しない。」という内容の回答では回答したことになりませんよ。

25.1997年9月22日 
配達証明郵便にて、編集委員会に「謝罪要求書」を送信。(いよいよ戦いも大詰めです。)

26.1997年9月24-26日の日本教育心理学会で、『チビクロさんぽ』(北大路書房刊)展示。(発行予定は10月20日。1200円+税)
付録「『ちびくろ・さんぼ』の差別性をめぐって」

27.1997年9月28日ついに、『中日新聞』が学会との対立を記事に。

28.1998年5月7日 
三浦新委員長宛の督促状(回答期限なし)

29.1998年9月28日 
三浦新委員長からの回答状「常任編集委員会と編集委員会での検討の結果、前々委員会及び前委員会の行った審査結果及びその後の手続きには誤りがないと判断しました。」

30.1998年10月 
「謝罪はしない」ということは、まだ「質問状への回答の責任は残る」ということなので、新たな督促状を準備中です。

31.1998年11月28日 
『朝日新聞』(長野版)に学会との対立についての記事掲載。

32.1998年12月5日 
東大の市川伸一さん編集の『『チビクロさんぽ』出版は是か非か』出版される。この本の中でも、この問題が取り上げられています。

33.1998年12月23日 
東大の市川伸一さんが個人的に「7.の質問状」への回答をしてくれました。

この回答は、以下の点を明記することを条件にここに公開することの承諾をえています。

はい、ではご覧下さい。回答は2つのメールに分かれています。

ああ、かくして「論争」は足掛け7年目に突入です。

34.1999年1月26日 
東大の市川伸一さんが下さった「7.の質問状」への回答にお返事と質問を書きました。(1999.1.26)

35.1999年1月28日 
三浦編集委員長に督促状
高野理事長に裁定依頼状を書きました。(1999.1.28)

36.1999年1月30日 
上記督促状
早速、1999年1月30日の常任編集委員会で回覧され、
三浦委員長は「常任理事会の対応を待つ」と説明したそうです。
(1999.3.30発行の『教育心理学研究』第47巻第1号「広報」p.117の記載による。1999.6.17)

37.1999年2月20日 
しかし、常任理事会は裁定依頼状を無視することにしたらしく、
1999年2月20日の常任理事会の「会務報告」に何も記載がありません。
(1999.3.30発行の『教育心理学研究』第47巻第1号「広報」p.117の記載による。1999.6.17)

38.1999年12月8日 
高野理事長に裁定の督促状を書きました。(1999.12.8)

39.2000年1月13日 
高野理事長から回答状が届きました。(2000.1.17)
「残念ながら,新たに,ご要望に,お応えすることはないという結論に達しましたので,その旨ご通知いたします.尚,今後,この件につき,同様なご質問,ご要望がありましても,対応いたしませんので,ご承知おきくださるようお願いいたします.」

40.2000年9月17日
抗争を21世紀まで持ち越すのはイヤなので、東京大学で開催された日本教育心理学会の会務総会で高野理事長に直接質問をしてきました。予想通りのお答えしかいただけませんでしたので、今年度をもって日本教育心理学会とは決別することにしました。さようなら日本教育心理学会。(2000.9.19)
41.2005年5月24日NEW 
1の論文に実験をもう一つ付け加えたものをSocial Behavior & Personalityというジャーナルに公刊しました。PDFファイル(2005.5.24)
おしまい(めでたし・めでたし)

守ホームページへ戻る