審査者3名のコメント


(1.1)審査委員Aのコメント全文
 1.問題(改話と原作の面白さの比較)の意義について納得できない。
 2.納得がいかなくても充分な証拠が得られていれば、資料として採択に賛成するが、充分な証拠が出ていると思えない。

 1.問題について
 1)「ちびくろサンボ」は多くの子どもを楽しませたお話しだが、問題点が指摘され、消えてしまった。これの改作を子どもに与える必要はない。オリジナルで子どもの喜ぶお話しが沢山あるし、「ちびくろサンボ」で育った世代がどんどん新しいお話しを作るだろう。
 2)子どもたちは差別的な要素に基づいて面白がっているわけではないことを実証するというのが目的となっている。差別的な要素にもとづいて面白がっているのではないが、知らず知らずのうちに差別観を植え付けるものである(かもしれぬ)ことが懸念されているのであろう。たとえば、ダッコちゃん人形も差別を面白がって持って歩いていたわけではないが、差別的な扱いであると気づいた人からそのような指摘がなされ、多くの人がそれに気づくに至った。
 3)口調の良さは大切な要素の一つであることは認めるが、だからと言って、タイトルを語感のよく似た「チビクロさんぽ」とするのは反対。語感だけは似ているが、タイトルの具えるべき条件を満たしていない。この話しのタイトルとして、「チビクロさんぽ」が適しているとはいえないし、そうするとしても「チビクロのさんぽ」というのが、日本語での自然な表現であろう。

 2.証拠について
 1)表1を見ると、「サンボ」も「さんぽ」も「ぐりとぐら」も差がない。つまりこの年齢、このやり方ではどのお話しを聞かせても同じ様な結果がでるのではないか。
 2)おもしろさのとらえ方もおおざっぱに過ぎる。(村瀬孝雄氏は「ちびくろサンボ」の面白さを幾つか挙げて分析している。)少なくとも、繰り返し読んで欲しいとリクエストがあるかどうかなどは調べる必要があろう。


(2.1)審査委員Bのコメント全文
  斬新なテーマを取り上げた論文であり、教育心理学研究誌に新たな領域の内容を示すという意味での意義を認めます。ただし、研究の背景、実験そのものはあまりにも単純で、納得させる手続きで実施されたものとは思えません。以下の点をご検討下さい。
*「問題」部分で「ちびくろサンボ」をめぐる論争のみを取り上げているが、その背景として、言葉と差別・偏見などについての言語社会学的な研究、「おもしろさ」について取り上げた秋田喜代美氏の教育心理学研究誌論文など、参照すべき論文はあるにもかかわらず、それらを全く取り上げていない。少なくとも研究のキー概念である「面白さ」をどう定義づけるのかは明示すべきです。
*面白さを検討するのに「どちらが面白いか」のみを聞いただけというのは、あまりにもお粗末な研究と言わざるをえません。これでよいのなら、意欲を検討するのに「意欲がありますか?」、理解を検討するのに「理解してますか?」で済んでしまうことになります。そんな研究が認められないのはおわかりと思いますが。
*どちらが面白いかを比較する際に「ぐりとぐら」との比較で、双方とも大差ないから同程度の面白さだとしていますが、乱暴な議論ではないでしょうか。他の話と比較するのと、「サンボ」と「さんぽ」を直接比較した場合とで同じような結果が出る保証があるでしょうか?とてもそうとは思えないのですが。


(3.1)審査委員Cのコメント全文
 本研究の意義は十分に認めますが、以下の二つの理由により、内容的に教育心理学研究に掲載するのは不適当であると判断いたします。
(1)理論的にも方法論的にも、教育心理学ならではの切り口(専門性)が認められない。例えば「ユーモア感覚の発達」とか「愛他行動(人権意識)の発達」などのテーマと関連づけて研究が計画され、それ相応の専門的な分析と論議がなされていれば話は別ですが、この程度の素朴でシンプルな研究なら、教育心理学者でなくても(例えば短大か高校の児童文化研究会の学生が文化祭で発表していても不思議ではない)行なえるのではないでしょうか。
(2)とは言え、社会問題にもなったシリアスな問題にも関心を持ち、それについて教育心理学の立場からも発言しようとする積極的な姿勢には共感を覚えます。しかし、その場合のメッセージは、教育心理学会の外側に向けて発せられるべきではないでしょうか。だとすれば、「教育心理学研究」のような同業者の専門誌よりも、例えば「読書科学」のような学際的雑誌に発表されるほうが適切ではないかと考えます(本研究の一部は日本読書学会で報告されている、とのことでもあるし)。

   


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