ダイレクトメールへの数少ない反応


1994年8月20日
守先生

貴兄からの手紙拝読いたしました。

教育心理学研究の編集委員をしていたことから、貴兄から手紙を頂き恐縮しています。私 は直接貴兄の論文を査読していませんので、論文についてのコメントはできませんが、審 査委員についての貴兄の反論について、私の意見を述べることにします。

1990年から3年間主に人格について審査しましたが、審査委員には、過去の実績に固 執し、自己の研究、考えが最高のものと考え判断する人も多いようで(毎回不採用を出す 審査員もいました。その審査員の業績を熟知しています)、他の審査結果報告を見ると歴 然とします。審査委員B,Cのコメントにある「研究の意義を認めるが…」が、不採用に はならないのですが、この審査委員のなかに、研究の意義、公表の意義の矮小化が生じ、 不採用の結論に至っています。もし、研究の意義を認めるならば、問題点を指摘し、修正 を依頼するのが妥当であると考えます。

私は、可能な限り多くの研究立場で研究がなされるべきであることを念願し編集してきま した。問題意識よりも、数量化され得るもの、統計処理に乗る研究しか認めようとしない 編集員もたくさんいます。編集員の選挙制に問題があるかもしれません。

先行研究についての審査委員は言及すべきでないと考えます。従来の掲載論文でも、研究 の出発点となる論文について触れられることなく、あたかもオリジナルなもののように論 じ掲載された論文や心理学の歴史も知らずに、最近著者が読んだものを最新と述べる論文 もあり、以前から不信を募らせていました。酷いのは、二重投稿です。過去にもありまし たが、ワープロの発達で、置換操作で、複数の学会誌に投稿するものまででる始末です。 研究法も多様であってもよいと思います。どれが下級で、どれが上級かは、問題領域によ って規定されると考えるからです。

貴兄の審査委員に対する反論からは他に多くのことを言いたいが、貴兄のオリジナルをみ てからにします。

貴兄の意見に賛同しているように書きましたが、貴兄の反論で気になることは、審査委員 と同一のレベルで反論していることです。評価的判断語の使用です。

貴兄の行動が、日本の教育心理学の発展に寄与できることを祈念しております。
9月から3ヶ月の間海外に出かけますので、その後に送っていただければ幸いです。
例年にない猛暑ですが、どうぞお体には十分にお気をつけ下さい。

                          大西文行
                          (横浜市立大学)


                             1994・8・4

守 一雄先生

暑中お見舞い申し上げます。

『教育心理学研究』への投稿論文に関するお手紙と資料、受け取りました。早速、一読 いたしました。

私の(常任)編集委員としての任期は、今年の2月で終わっております。また、当該論 文の審査委員ではありませんでした。その前提で、もし投稿論文そのものをお送りいただ ければ、私なりに、論文の評価と、3委員のコメントおよび審査結果への《評価》を、試 みたいと思っております。正直なところ、ようやく編集委員の仕事から解放されたところ ですので、いささか気が重いのですが…

常任編集委員会での論文紹介のおりには、論文評価に本質的問題点が隠されている印象 を受けませんでした。その一因は、初回の審査で3委員の審査《結果》が一致することが 稀にしかなく、その場合は、ほとんど質疑応答に時間をとらないことにあるかと思います。 『ちびくろサンボ』絶版をめぐる諸問題については、その当時、駒澤大学教職課程のゼ ミで、数人の学生達と何回か討論をしたことがあります。様々な側面をもつ問題ですから、 そのある側面に関わるひとつの(心理学的)実験研究を、限られた紙面で読者にわかるよ うに位置付けて示すことの難しさも、今回の《審査》結果につながっているのではないか、 とも想像しています。

いずれにしても、論文を拝読した上で、感想・意見をお伝えできればと思います。また、 必要であると判断した場合には、個人的見解として現在の編集委員会あて、連絡をとるこ とも可能かと考えております。

                            とりいそぎ、お返事まで。
                               大浜幾久子

   


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