市川伸一さん@東大の回答(その2)


Date: Wed, 23 Dec 1998 22:01:17 +0900 (JST)
From: d32771
To: d32771@m-unix.cc.u-tokyo.ac.jp, debate@educhan.p.u-tokyo.ac.jp,kazmori@gipwc.shinshu-u.ac.jp
Subject: Re: Sampo Debate:17 Questions



守さん/さんぽ討論の皆様[長いです]:

>市川です.守さんの17項目に対する回答を,本日第9項目まで出します.
>なお,先日書きましたように,私の回答に対して質問や反論をされても,
>今はそれに答える余裕はありません.また,私の回答をたてにして,編集
>委員会にねじこむことは御遠慮願いますということも書きました.以上,
>確認のため.
>
>なお,この文章をどこかに転載したり引用したりする場合には,当方に連
>絡してください.無断掲載は御遠慮願います.

続きを書きます.(25日から5日までメールの読み書きはできません.)

貴編集委員会へ質問I:投稿論文には、「面白さが明示的に定義されていな
い」という理由で批判がなされているのに、その批判者が引用する秋田論文
にはおもしろさが定義されていないのは、審査者の判断の自己矛盾ではあり
ませんか? 貴編集委員会は、この矛盾に(慎重審議しても)気が付かない
のですか?

秋田論文においては,おもしろさの度合いは評定値として操作的に定義され
ているのだと考えられるが,それにとどまらず,おもしろい物語とはどうい
うものかを他文献を参照したり,おもしろさの中身をより細かな評定質問紙
によって探ろうとしている.これは,「おもしろさ」という概念をより明確
にしようという努力の現れであり,審査者がそうした努力を守論文に求めた
り,守論文が秋田論文を引用した考察を展開することを求めることは理解で
きる.(秋田論文の被験者は中学生であるから,同じ方法が幼児に使えない
としても,おもしろさに関するとらえ方は引用するに値すると考える.目的,
材料,対象年齢などが違うから引用するに値しないという議論は成り立たな
い.もしそのような考えをとれば,引用されるのは追試のようなときばかり
になってしまう.)


貴編集委員会へ質問J:投稿論文で「どちらが面白いか」のみを聞いただけ
とする審査者B氏の指摘は事実誤認ではありませんか?

確かに,守論文では、「どちらが面白いかのみを聞いたわけではなく、@ど
ちらがおもしろかったか,Aおもしろかった紙芝居で、一番おもしろかった
場面はどこか、の少なくとも2点を、幼児一人一人に聞いています」とのこ
とであり,論文中にも明記してあるので,B委員の表現は正確さに欠けるか,
事実誤認かである.


貴編集委員会へ質問K:幼児に「どちらがおもしろかったか」を尋ねること
は、教育心理学の研究方法として決定的に間違っているでしょうか?

決定的にとは思わないが,幼児にこの教示で判断可能なことを裏付ける根拠が
あることが望ましい.以下の質問Fへの回答を参照されたい.

>貴編集委員会へ質問F:「この年齢、このやり方ではどのお話を聞かせても
>同じ様な結果が出るのではないか。」という疑問が残される余地があること
>は、投稿論文を「不採択」とするような決定的な欠陥であると貴委員会も判
>断なさいますか?

>回答:これは判断が難しい.だからこそ,文献的にでも補足することを求め
>たい.私(市川)は当時から,自分なら「不採択」ではなく「修正再審査」
>にすると言ってきた.残される余地があることは確かだが,だめだというこ
>とがこの分野で確かめられていないなら,即不採択にはしない.


貴編集委員会へ質問L:αとβとを比較したいが、直接に比較することがで
きないというとき、第3のγとα・βをそれぞれ比較し、直接の比較に代え
るという研究方法は教育心理学では認められないのでしょうか?

この質問には,2つの側面から回答したい.まず,「幼児には原作と改作版
を直接比較することができない」という根拠はあるのだろうか.質問Kでは,
「幼児でも2つの別の話の比較は可能」と言っており,質問Lでは「タイト
ルと主人公のみが違う話を直接比較できない」と言っている.どちらにも,
根拠が書かれていないので,恣意的な線引きをしているように見える.まっ
たく異なる2つの話(ここでは「サンボ(さんぽ)」と「ぐりとぐら」)の
おもしろさを比較するほうが,相違点が絞られた2つの話(「サンボ」と
「さんぽ」)を比較するより難しいとは考えられないだろうか.そのような
とき,幼児はかなりいきあたりばったりのランダムな反応に近いことをして
しまうとは考えられないだろうか.審査者の疑義はまさにその点である.

第3の対象をもってきて間接的に比較することはありうると思うが,検定の
結果から,「αとγに有意差がなく,βとγの間に有意差がないから,αと
βの間に有意差がない」とはいえないので,注意が必要である.


貴編集委員会へ質問M:「実証性なデータを出して論じる」という視点を持
ち込んだことは「教育心理学ならではの切り口」であるとは言えないでしょ
うか?

確かに,他の分野ではデータをとって論じるということがまずなかったと思
われるので,

>「差別だ」「差別でない」という不毛な水掛け論だけが横行している中で、
>「実証性」を基礎に実験的にその差別性を検証しようとしたこの研究は、ま
>さに「教育心理学ならでは」のものではないでしょうか。

という主張は理解できるが,審査者は,単にデータをとればいいというのでは
なく,データのとり方や現象の解釈における専門性をさして「心理学ならでは」
と言っているのだと思う.「差別性を検証しようとした」と言うが,「タイト
ルと主人公を変えることで差別的要素を除去した」という「仮定」のもとで,
おもしろさが損われていないことを検証しようとした実験であり,誤解を招く
表現である.改作版で差別性が除去されていることを検証した(しようとして
いる)わけではない.


貴編集委員会へ質問N:研究の目的を読み違え、判断を押しつけている審査
者C氏は審査委員の権限を逸脱していないでしょうか?

審査者は「ちびくろサンボ」のおもしろさはどこにあるのかを解明すると
という広い意味でこの論文の目的をとらえているものと思う.差別的な意
味合いでおもしろがっているわけではないことを示すというのも,その一
つではあるが,もっと広くとらえて他の研究と関連づけるほうが研究の意
義が出てくるというアドバイスだと理解する.ただし,

>この研究の目的は、「『ちびくろサンボ』における差別性の無さの検
>証」であって、「「ユーモア感覚の発達」や「愛他行動(人権意識)
>の発達」ではないのです。

というのはやはりひっかかる(質問Mへの回答参照).これは,最後のコ
メントでもあらためて述べる.


貴編集委員会へ質問O:審査者が投稿論文に対して、証拠もなしにこのような
屈辱的な決め付けをすることを黙認するのですか?

これは,次の節に続く質問である.
>Bの指摘に関しては、はっきり言って怒りを覚えましたが、ここでは笑っ
>て「それはコロンブスの卵です」とお答えしておきます。「こんな研究な
>ら私にもできるさ」と思わせるような研究も、それを初めにやるのは、そ
>れなりの苦労と工夫が必要なのです。あまりバカにしないで下さい。「短
>大か高校の児童文化研究会の学生が文化祭で発表していても不思議ではな
>い」とのことですが、全国どこででもそうした発表はなされていないと、
>投稿者は確信しています。

この審査者のコメントは投稿者に対して失礼な表現であると思う.編集委員
会でチェックして表現を改めるよう促すべきであった.(実際,私はこの事
件があって以来,コメントの表現に関しては慎重にするべきであるというこ
とを常任編集委員会で発言してきたし,その後見る限りそうした配慮はゆき
わたっていると思う.)

ただ,あえてロジカルに言うなら,審査者は「不思議はない」と言っている
だけであり,「全国どこででもそうした発表はなされていない」という確信
も「証拠がある」わけではない.「礼儀」とか「品性」の問題である.


貴編集委員会へ質問P:「こうしたメッセージは教育心理学会の外側に向け
て発せられるべき」というこの審査者C氏の見解は、貴編集委員会の見解と
受け取っていいのですか? もしそうだとすれば、どういう理由でそう考え
るのですか?また、これは日本教育心理学会の機関誌の性格を決める重大な
発言でもありますので、そうした合意がいつ得られたのかについても照会い
たしたく存じます。

社会的な問題なので,外側に向けて発せられるのはいいことだが,学会誌が
そうした問題をまず掲載することはテクニカルな点をクリヤーしていること
を学術的に保証し,合わせて学会員の関心を高めることにもなるので,むし
ろ歓迎するべきであると思っている.編集委員会全体として,この点に関し
て共通見解を出したことはない.C氏の個人的なアドバイスのようなものと
して受け取っている.

--------------------------------------------------------------------

質問への回答は以上です.これらに関して,議論をするつもりは今はない
と言いましたが,このMLの中では引用可ですので,守さんなりどなたで
も意見を述べることは自由です.

最後に,まとめのコメントとして:

 守論文を教育心理学会編集委員会が不採択にしたのは,実験研究としての
テクニカルな問題を理由としたのであり,差別にからむ問題だから「臭いも
のにフタ」ということで避けたのではないことは明言されています.その点
は,守さんがマスコミ等に説明するときに注意を願います.

 また,「差別的(と言われた)要素を除去しても,おもしろさは変わらな
い.だから,原作も差別的な意味合いでおもしろがっているわけではない」
というのが論文の趣旨と見受けられますが,「差別性が除去された」という
ことが操作チェックとして行われていないので,よってたつ前提が危ぶまれ
ます.差別性が除去されていないので,「サンボ」も「さんぽ」も差別的な
意味合いで(同様に)おもしろがられているのかもしれないのです.

 以上のことは,あくまでも「論理的にはそうなる」ということで,実際に
は,
  (1)「サンボ」を差別的な意味でおもしろがっていた人が「さんぽ」
   を読めば,「サンボ」を連想して同じくらい(場合によってはもっと)
   おもしろがるだろう.
  (2)「サンボ」を差別的な意味でなくおもしろがっていた人や,「サ
   ンボ」をそもそも知らなかった人が「さんぽ」を読めば,差別とは無
   縁のものとして,「サンボ」と同じくらいおもしろがるだろう.
と思っています.そこで,この守論文の情報量や意義は私にとっては非常に
低いことになります.

 すると,やってほしいことは,目的をはっきりさせ(原作をそのまま出し
てかまわないと言いたいのか,守版改作なら出せると言いたいのか)をはっ
きりさせ,それに沿った実験計画の記述(あるいは,別の実験や調査の実施)
をしてほしいということになります.あとは,「是か非か」の本の中で,反
対派がいろいろ言ってきたことのくり返しになりますので,ここでは割愛い
たします.以上です.


****-- 東京大学教育学研究科  市川 伸一 ------****
****---- ichikawa@educhan.p.u-tokyo.ac.jp  ----****
****------ TEL & FAX 03-5802-8651 研究室直通 --****
市川さんの回答(その1)へ戻る

さんぽ問題の経緯へ戻る
ホームページへ戻る