市川さんの回答への返事と質問


Date: Tue, 26 Jan 1999 10:23:58 +0900
To: d32771 , debate@educhan.p.u-tokyo.ac.jp,kazmori@gipwc.shinshu-u.ac.jp
From: kazmori@gipwc.shinshu-u.ac.jp (守 一雄)
Subject: Re: Sampo Debate:17 Questions

市川さん・さんぽ討論MLのみなさん:守です。(すみません、すごく長いです。)

 忙しい市川さんに回答をお願いしていながら、いただいた回答への反応が遅くなり
ました。どうもすみません。

 まずは、お忙しい中を「質問状」に丁寧に、かつ真剣にお答え下さった市川さんに
心からお礼申し上げます。
(口調がやたら丁寧なのは、このまま私のホームページに掲載する予定だからです。)

 さて、いただいた回答を質問ごとに以下の3つに分類し、簡単なコメントを添えた
いと思います。

Y:基本的に「審査者に事実誤認または権限の逸脱あり」という守の主張が受け入れ
られたもの(両者の主張が基本的に同じもの)
X:守の主張が退けられたもの(主張が食い違ったもの)

 Xの中には「X-1:市川さんに誤解・曲解があり、回答がまちがっているもの」と
「X-2:守の主張が間違いであったもの」がありうるわけですが、X-2はなかったと
思います。そこで、私からの反論も主にX-1に対して行います。市川さんから再回答
や再反論がいただけると大変嬉しく思います。

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貴編集委員会へ質問@:編集委員会も「ちびくろサンボ」が絶版となった経
緯について、現状を無条件に肯定するのか?

市川回答:出版社がこぞって自主的に絶版にしたことに個人的には賛成する.た
だし,「絶版にすべきではなかった」という趣旨の研究が出ることは悪いこ
とではないと思う.

[Y]:「絶版に賛成」という部分は見解が分かれますが、研究の意義は認められて
いますので、特に反論はしません。

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貴編集委員会へ質問A:「改作を子どもに与える必要はない。」というA先
生の独断的な判断に貴編集委員会は賛成ですか?

市川回答:A氏がそう判断することは自由だが,改作して子どもに与えたいとい
う人が現れてもかまわないと思う.改作を与えることの意義を裏付ける研究
が行われることもよいと思う.むしろ,守論文は,改作を与えるべきだとい
うことを示す研究なのか,もとのままを与えてよいことを示す研究なのか目
的がはっきりしないのが当初から気になっていた.

[Y]:ここでも、研究の意義は認められていますので、特に反論はしません。
なお、守論文は「改作を与えるべきだということを示す研究」でも「もとのままを与
えてよいことを示す研究」でもありません。研究の目的は、目的の段落に「差別用語
を用いないで改話されたものが、原話同様のおもしろさを子どもたちに与えることが
できるかどうか」の実証的な検討と明記されています。

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貴編集委員会へ質問B:「他に良い話があるから、特定の話の存在意義を認
めない」というA先生の独断的な判断に貴編集委員会は賛成ですか?

市川回答:A氏の真意はわからないが,他によい話があっても,別のよい話が出
ることはあってよいと思う.A氏のこのコメントは,最終的に不採択判断の
根拠とされているわけではなく,研究の意義を再考してほしいというアドバ
イスとして理解している.

[Y]:審査者の真意も確かめないで常任編集委員会でいくら議論してもしょうがな
いのではないでしょうか?常任編集委員会がまずすべきだったことは、審査者に投稿
者からの反論を提示して、審査者の真意を確認することだったのではないでしょうか。

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貴編集委員会へ質問C:A先生の自己矛盾的な発言と、それを正した私の指
摘と貴編集委員会はどちらに賛成ですか?

市川回答:このA氏のコメントもアドバイス的なものであり,査読者コメントと
しては不要なものと考えられるが,その趣旨は,「チビクロサンボを読んで
育った世代が,(その後)サンボがなぜ問題なのか知った上で,新しい物語
をつくっていくだろう」と考えれば,自己矛盾ではない.

[Y]:査読者のこのコメントはまさに「不要」です。回答の後半部分の「(その後
)サンボがなぜ問題なのか知った上で」を補って考えれば自己矛盾ではないというの
はあまりに苦しい解釈だと思います。本気で「自己矛盾ではない」と回答しているの
だとすれば[X−1]です。

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貴編集委員会へ質問D:貴委員会も、根拠もなしに「ちびくろサンボ」が悪
書であるという立場を取るのですか?

市川回答:根拠なしにサンボが悪書であるという立場をとることはしない.サン
ボのいかなる点がまずく,いかなる点が良いかという両面的な評価をしてい
くべきで,悪書であるか,ないかといった二者択一的な判断はそもそもでき
ない.

[Y]:「悪書であるか,ないかといった二者択一的な判断はそもそもできない.」
にもかかわらず、審査者がそう決めつけ、それを「不採択」の理由の中に書いてきた
ことをどう考えるのか答えていただきたかったところです。

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貴編集委員会へ質問E:貴委員会も、「タイトルを語感のよく似た「チビク
ロさんぽ」とするのは反対」ですか? その理由は何ですか?

市川回答:反対する.サンボが差別語として使われた経緯があり,黒人の不快感
をあおる大きな原因になっていたというのに,あえてそれに良く似たタイト
ルをつけた改作本をつくるのはよくない.とりわけ,実験用ではなく出版し
て社会的に広く供給しようという場合には,断固反対である.
 ただ,ここでの「良く似た語感」というのは,「サンボ」と「さんぽ」の
類似ということよりも,「チビクロのさんぽ」ではなく「チビクロさんぽ」
として「チビクロさんぼ」に似せたという意味だとすれば,「わざわざ変な
日本語にしてまで似せたい」というダジャレ感覚をどう評価するかというこ
とであり,「誤読を招く」という難点はあるにせよ,単にセンスの問題であ
ると思う.

[X−1]:質問の意味を曲解しています。「チビクロさんぽ」というタイトルで提
示された改話について報告をしているのですから、事実を曲げて「チビクロのさんぽ
」とするわけにはいかないのです。実験で「チビクロさんぽ」という紙芝居を使った
ことと、それを出版する際にそうしたタイトルの絵本にすることとはまったく別の問
題です。「チビクロさんぽ」というタイトルの紙芝居で実験を行ったことが、実験の
手法として何か決定的な問題点があるのであれば「反対」する理由となりますが、こ
こで「センスの問題」を持ち出すこと自体がナンセンスだと思います。

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貴編集委員会へ質問F:「この年齢、このやり方ではどのお話を聞かせても
同じ様な結果が出るのではないか。」という疑問が残される余地があること
は、投稿論文を「不採択」とするような決定的な欠陥であると貴委員会も判
断なさいますか?

市川回答:これは判断が難しい.だからこそ,文献的にでも補足することを求め
たい.私(市川)は当時から,自分なら「不採択」ではなく「修正再審査」
にすると言ってきた.残される余地があることは確かだが,だめだというこ
とがこの分野で確かめられていないなら,即不採択にはしない.

[Y]:「決定的な欠陥であると判断することは難しい」ということですね。

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貴編集委員会へ質問G:あたらしいアイディアに基づく先駆的な研究も「素
朴でシンプル」であるという理由で「不採択」にするべきであるというのが
貴編集委員会の意見と考えていいのですか?

市川回答:「素朴でシンプル」というのは,相手が幼児なのだから,行動観察や
もっと意味の通じやすい教示方法を工夫するべきではなかったかという意見
だと解釈した.それに同意する.ただし,一般に,そうした点が不満足でも,
他のアイデア等にそれを上回る先駆性があれば,即不採択にするべきではな
い.

[Y]:「素朴でシンプル」というのは、即不採択の理由にはならないということで
すね。

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貴編集委員会へ質問H:投稿論文に「参照すべき論文が全く引用されていな
い」という審査者B氏の判断は事実誤認ではありませんか?

市川回答:B氏は,物語のおもしろさに関する論文のことを言っているものと思
う.言葉と差別に関する文献を引用しているとして反論するのは不適当であ
る.幼児における物語のおもしろさの測定や分析といった心理学的方法論に
関する文献を参照してほしい.

[X−1]:意図的に誤読をしています。審査者B氏の原文は以下の通りでした。

*「問題」部分で「ちびくろサンボ」をめぐる論争のみを取り上げているが、その背
景として、言葉と差別・偏見などについての言語社会学的な研究、「おもしろさ」に
ついて取り上げた秋田喜代美氏の教育心理学研究誌論文など、参照すべき論文はある
にもかかわらず、それらを全く取り上げていない。

 これから「B氏は,物語のおもしろさに関する論文のことを言っているものと思う
.」とするのは誤読です。「それらを全く取り上げていない。」の「それら」には、
「言語社会学的な研究、教育心理学研究誌論文など」のどちらも含まれるとしか読め
ません。

-------------------[守註:ここから後の回答は別メールになっていました。]
貴編集委員会へ質問I:投稿論文には、「面白さが明示的に定義されていな
い」という理由で批判がなされているのに、その批判者が引用する秋田論文
にはおもしろさが定義されていないのは、審査者の判断の自己矛盾ではあり
ませんか? 貴編集委員会は、この矛盾に(慎重審議しても)気が付かない
のですか?

市川回答:
秋田論文においては,おもしろさの度合いは評定値として操作的に定義され
ているのだと考えられるが,それにとどまらず,おもしろい物語とはどうい
うものかを他文献を参照したり,おもしろさの中身をより細かな評定質問紙
によって探ろうとしている.これは,「おもしろさ」という概念をより明確
にしようという努力の現れであり,審査者がそうした努力を守論文に求めた
り,守論文が秋田論文を引用した考察を展開することを求めることは理解で
きる.(秋田論文の被験者は中学生であるから,同じ方法が幼児に使えない
としても,おもしろさに関するとらえ方は引用するに値すると考える.目的,
材料,対象年齢などが違うから引用するに値しないという議論は成り立たな
い.もしそのような考えをとれば,引用されるのは追試のようなときばかり
になってしまう.)

[X−1]:論点がすりかえられています。秋田論文はその標題のとおり「物語の詳
しさがおもしろさに及ぼす効果」を調べようとした研究であり、「おもしろい物語と
はどういうものかを他文献を参照したり,おもしろさの中身をより細かな評定質問紙
によって探ろうとしている」のは当然です。秋田論文にそれがなかったら研究になり
ません。
 私の質問は、秋田論文のどこに「おもしろさが明示的に定義されているのか」とい
うことです。そんなものはありません。市川さんは秋田論文のp.136から「おもしろ
さの度合いは評定値として操作的に定義されているのだと考えられる」と判断したよ
うですが、これでいいのなら、私の論文だって「おもしろさの優劣は2者からの選択
として操作的に定義」されています。
 そもそも「おもしろさ」のような基本的な感情を明示的に定義することができるは
ずがないのです。そして、そうした基本的感情が明示的に定義されていないからとい
って論文を不採択にすることが間違っているのです。
 「秋田論文は引用に値する」という後半の論点も、的外れです。私は「引用が不可
欠か否か」を問題にしているのです。

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貴編集委員会へ質問J:投稿論文で「どちらが面白いか」のみを聞いただけ
とする審査者B氏の指摘は事実誤認ではありませんか?

市川回答:
確かに,守論文では、「どちらが面白いかのみを聞いたわけではなく、@ど
ちらがおもしろかったか,Aおもしろかった紙芝居で、一番おもしろかった
場面はどこか、の少なくとも2点を、幼児一人一人に聞いています」とのこ
とであり,論文中にも明記してあるので,B委員の表現は正確さに欠けるか,
事実誤認かである.

[Y]:おっしゃるとおりです。

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貴編集委員会へ質問K:幼児に「どちらがおもしろかったか」を尋ねること
は、教育心理学の研究方法として決定的に間違っているでしょうか?

市川回答:
決定的にとは思わないが,幼児にこの教示で判断可能なことを裏付ける根拠が
あることが望ましい.以下の質問Fへの回答を参照されたい.
>貴編集委員会へ質問F:「この年齢、このやり方ではどのお話を聞かせても
>同じ様な結果が出るのではないか。」という疑問が残される余地があること
>は、投稿論文を「不採択」とするような決定的な欠陥であると貴委員会も判
>断なさいますか?

>回答:これは判断が難しい.だからこそ,文献的にでも補足することを求め
>たい.私(市川)は当時から,自分なら「不採択」ではなく「修正再審査」
>にすると言ってきた.残される余地があることは確かだが,だめだというこ
>とがこの分野で確かめられていないなら,即不採択にはしない.

[Y]:これも決定的に間違っているとは言えないということですね。

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貴編集委員会へ質問L:αとβとを比較したいが、直接に比較することがで
きないというとき、第3のγとα・βをそれぞれ比較し、直接の比較に代え
るという研究方法は教育心理学では認められないのでしょうか?

市川回答:
この質問には,2つの側面から回答したい.まず,「幼児には原作と改作版
を直接比較することができない」という根拠はあるのだろうか.質問Kでは,
「幼児でも2つの別の話の比較は可能」と言っており,質問Lでは「タイト
ルと主人公のみが違う話を直接比較できない」と言っている.どちらにも,
根拠が書かれていないので,恣意的な線引きをしているように見える.まっ
たく異なる2つの話(ここでは「サンボ(さんぽ)」と「ぐりとぐら」)の
おもしろさを比較するほうが,相違点が絞られた2つの話(「サンボ」と
「さんぽ」)を比較するより難しいとは考えられないだろうか.そのような
とき,幼児はかなりいきあたりばったりのランダムな反応に近いことをして
しまうとは考えられないだろうか.審査者の疑義はまさにその点である.
 第3の対象をもってきて間接的に比較することはありうると思うが,検定の
結果から,「αとγに有意差がなく,βとγの間に有意差がないから,αと
βの間に有意差がない」とはいえないので,注意が必要である.

[X−1]:これは詭弁です。市川さんが本当に、「「サンボ(さんぽ)」と「ぐり
とぐら」のおもしろさを比較するほうが,「サンボ」と「さんぽ」を比較するより難
しい」とお考えなのだとしたら、感覚を疑います。
 それになにより「第3の対象をもってきて間接的に比較することはありうると思う
」では困ります。市川さんは研究室の学生にもこう教えているのでしょうか?「第3
の対象をもってきて間接的に比較すること」は正当な方法です。また、統計的検定の
話は筋違いの議論です。

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貴編集委員会へ質問M:「実証性なデータを出して論じる」という視点を持
ち込んだことは「教育心理学ならではの切り口」であるとは言えないでしょ
うか?

市川回答:
確かに,他の分野ではデータをとって論じるということがまずなかったと思
われるので,
>「差別だ」「差別でない」という不毛な水掛け論だけが横行している中で、
>「実証性」を基礎に実験的にその差別性を検証しようとしたこの研究は、ま
>さに「教育心理学ならでは」のものではないでしょうか。
という主張は理解できるが,審査者は,単にデータをとればいいというのでは
なく,データのとり方や現象の解釈における専門性をさして「心理学ならでは」
と言っているのだと思う.「差別性を検証しようとした」と言うが,「タイト
ルと主人公を変えることで差別的要素を除去した」という「仮定」のもとで,
おもしろさが損われていないことを検証しようとした実験であり,誤解を招く
表現である.改作版で差別性が除去されていることを検証した(しようとして
いる)わけではない.

[Y]:「データのとり方や現象の解釈における専門性」だけが「教育心理学ならで
はの切り口」でないことを理解していただけたようです。
 なお、「差別性を検証しようとした」以降の主張は理解不能です。(キーイン・ミ
スでしょうか?)「改作版で差別性が除去されていることを検証した(しようとして
いる)わけではない.」とのことですが、「改作版で差別性が除去されていることを
検証した(しようとしている)」と誤解させるような表現がどこにあったのでしょう?

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貴編集委員会へ質問N:研究の目的を読み違え、判断を押しつけている審査
者C氏は審査委員の権限を逸脱していないでしょうか?

市川回答:
審査者は「ちびくろサンボ」のおもしろさはどこにあるのかを解明すると
という広い意味でこの論文の目的をとらえているものと思う.差別的な意
味合いでおもしろがっているわけではないことを示すというのも,その一
つではあるが,もっと広くとらえて他の研究と関連づけるほうが研究の意
義が出てくるというアドバイスだと理解する.ただし,
>この研究の目的は、「『ちびくろサンボ』における差別性の無さの検
>証」であって、「「ユーモア感覚の発達」や「愛他行動(人権意識)
>の発達」ではないのです。
というのはやはりひっかかる(質問Mへの回答参照).これは,最後のコ
メントでもあらためて述べる.

[Y]:市川さんも「審査者は「ちびくろサンボ」のおもしろさはどこにあるのかを
解明するとという広い意味でこの論文の目的をとらえている」と判断するのですから
、まさにこの審査者は「研究の目的を読み違え」ていますね。もっとも、市川さん自
身もこの論文の目的を読み違えている可能性も否定できない感じで、だとすると[X
−1]ですね。

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貴編集委員会へ質問O:審査者が投稿論文に対して、証拠もなしにこのような
屈辱的な決め付けをすることを黙認するのですか?

市川回答:これは,次の節に続く質問である.
>Bの指摘に関しては、はっきり言って怒りを覚えましたが、ここでは笑っ
>て「それはコロンブスの卵です」とお答えしておきます。「こんな研究な
>ら私にもできるさ」と思わせるような研究も、それを初めにやるのは、そ
>れなりの苦労と工夫が必要なのです。あまりバカにしないで下さい。「短
>大か高校の児童文化研究会の学生が文化祭で発表していても不思議ではな
>い」とのことですが、全国どこででもそうした発表はなされていないと、
>投稿者は確信しています。
この審査者のコメントは投稿者に対して失礼な表現であると思う.編集委員
会でチェックして表現を改めるよう促すべきであった.(実際,私はこの事
件があって以来,コメントの表現に関しては慎重にするべきであるというこ
とを常任編集委員会で発言してきたし,その後見る限りそうした配慮はゆき
わたっていると思う.)

[Y]:まったく本当に失礼な話です。回答のここまでは明らかに[Y]です。ただ
、以下の「蛇足」が続きます。

市川回答(つづき):
ただ,あえてロジカルに言うなら,審査者は「不思議はない」と言っている
だけであり,「全国どこででもそうした発表はなされていない」という確信
も「証拠がある」わけではない.「礼儀」とか「品性」の問題である.

[X−1]:これはまさに「蛇足」でした。審査者は、「この失礼な表現」を「不採
択」の理由として述べているのですから、「礼儀」や「品性」の問題とされては困り
ます。「こんな研究は誰かが既にやっていても不思議ではない」という理由で投稿論
文を不採択にすることが許されるのか否かが問われているのです。少なくとも投稿者
は先例がない研究であるという確信のもとに投稿してくるのです。審査者が「先例が
あっても不思議ではない」と思うのは自由ですが、先例が実際に見つからない限りは
それを不採択の理由にするのは間違いです。市川さんの議論はちっともロジカルでは
ありません。

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貴編集委員会へ質問P:「こうしたメッセージは教育心理学会の外側に向け
て発せられるべき」というこの審査者C氏の見解は、貴編集委員会の見解と
受け取っていいのですか? もしそうだとすれば、どういう理由でそう考え
るのですか?また、これは日本教育心理学会の機関誌の性格を決める重大な
発言でもありますので、そうした合意がいつ得られたのかについても照会い
たしたく存じます。

市川回答:
社会的な問題なので,外側に向けて発せられるのはいいことだが,学会誌が
そうした問題をまず掲載することはテクニカルな点をクリヤーしていること
を学術的に保証し,合わせて学会員の関心を高めることにもなるので,むし
ろ歓迎するべきであると思っている.編集委員会全体として,この点に関し
て共通見解を出したことはない.C氏の個人的なアドバイスのようなものと
して受け取っている.

[Y]:審査者の「個人的なアドバイス」で不採択にされてはかないません。しかも
「編集委員会全体として,この点に関して共通見解を出したことはない.」にもかか
わらず、編集委員会からは慎重審議したが何の問題点もないというような返事しか返
ってこないのはどうしてなんでしょう?

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市川回答:
質問への回答は以上です.これらに関して,議論をするつもりは今はない
と言いましたが,このMLの中では引用可ですので,守さんなりどなたで
も意見を述べることは自由です.

守コメント:

というわけで、以上のようにほとんどの回答が[Y]でした。実はここまでの回答
は別に難しいことではありません。おそらく編集委員会だってこれだけを回答すれば
いいのだったら、回答してくれていたでしょう。編集委員会は、ここまでの回答と以
下の部分とを整合的に説明することができないから困っているのだと思います。

[質問状の最後にあった隠れた質問]
> 以上、17点に関して貴編集委員会のご見解を承りたく存じます。
>これらの17点に関して、貴委員会の見解が審査者ABC氏と同じで
>あるということであれば、私が「審査者に事実誤認や権限の逸脱があ
>る」と意義を申し立てたことは、まったくの間違いであったと納得い
>たします。しかし、上記17点の一点にでも、貴委員会と審査委員と
>の見解に相違があるようでしたら、私の異議申し立ては正しかったこ
>とになります。(前回のお返事では、「事実誤認はなかったことを再
>確認いたしました」と明言されているのですから…)

 質問Jへの回答のように市川さんも審査者の事実誤認を認めています。審査者に事
実誤認があるのに、どうして編集委員会は「事実誤認はなかったことを再確認いたし
ました」とシラを切り続けるのでしょう。
 また、上の質問Bへの回答や「さんぽ討論」の中で明らかにしてくれているように
、編集委員会はこれほどまでに「もめた審査」について、もともとの審査者の真意を
確認することをまったくやっていません。たまたま常任編集委員を兼ねている委員が
常任編集委員会に加わっていただけです。
 一部で顰蹙をかってまで私がこの問題にこだわっているのは、こうした審査のやり
方の問題点を改めていただきたいからです。これは第18番目の質問としても編集委員
会に問いかけています。

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最後に、もう一点、貴編集委員会に質問Q:「一度「不採択」になった論文をそのま
ま再投稿はできない」という5月21日のお手紙は事実に反します。今回の再投稿に
際して、審査委員B先生のご指摘を尊重して、杉尾・棚橋(1992)の引用を追加してい
ます。と、いってもこれは揚げ足をとるようなことですので、もっと本質的な疑問を
ぶつけます。審査者のコメントにたいして、逐一反論をして再投稿した論文を、「一
度「不採択」になった論文をそのまま再投稿」と考える編集委員会の見解は、あまり
に形式主義すぎると思います。再審査論文や修正論文には、審査者への反論が許され
るのに、不採択論文にはそれが許されないという理由をお示しいただきたいと思います。

 市川さんにお願いします。この18番目の質問にも回答を下さい。どうして、私の反
論を原審査者に読んでいただいて再検討するという手続きがとられなかったのでしょ
うか?

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最後に市川さんのまとめのコメントへの回答をします。

市川コメント:
最後に,まとめのコメントとして:
 守論文を教育心理学会編集委員会が不採択にしたのは,実験研究としての
テクニカルな問題を理由としたのであり,差別にからむ問題だから「臭いも
のにフタ」ということで避けたのではないことは明言されています.その点
は,守さんがマスコミ等に説明するときに注意を願います.

守回答:
 はい、注意をしています。ただ、『読書科学』の編集委員会も当初は『教育心理学
研究』の編集委員会と同じような理由でこの論文を不採択にしていました。その後の
編集委員長とのやりとりの中から、実は差別にからむ問題だから「臭いものにフタ」
ということで避けたのだということが明らかになりました。一方、『教育心理学研究
』編集委員会からは、内容のある回答がいただけないままですので、実際の理由も憶
測の域をでません。私はマスコミにはこうした事実のみをお話ししています。

市川コメント:
 また,「差別的(と言われた)要素を除去しても,おもしろさは変わらな
い.だから,原作も差別的な意味合いでおもしろがっているわけではない」
というのが論文の趣旨と見受けられますが,「差別性が除去された」という
ことが操作チェックとして行われていないので,よってたつ前提が危ぶまれ
ます.差別性が除去されていないので,「サンボ」も「さんぽ」も差別的な
意味合いで(同様に)おもしろがられているのかもしれないのです.
 以上のことは,あくまでも「論理的にはそうなる」ということで,実際に
は,
  (1)「サンボ」を差別的な意味でおもしろがっていた人が「さんぽ」
   を読めば,「サンボ」を連想して同じくらい(場合によってはもっと)
   おもしろがるだろう.
  (2)「サンボ」を差別的な意味でなくおもしろがっていた人や,「サ
   ンボ」をそもそも知らなかった人が「さんぽ」を読めば,差別とは無
   縁のものとして,「サンボ」と同じくらいおもしろがるだろう.
と思っています.そこで,この守論文の情報量や意義は私にとっては非常に
低いことになります.
 すると,やってほしいことは,目的をはっきりさせ(原作をそのまま出し
てかまわないと言いたいのか,守版改作なら出せると言いたいのか)をはっ
きりさせ,それに沿った実験計画の記述(あるいは,別の実験や調査の実施)
をしてほしいということになります.あとは,「是か非か」の本の中で,反
対派がいろいろ言ってきたことのくり返しになりますので,ここでは割愛い
たします.以上です.

守回答:
 やはり審査委員と同様に市川さんも研究目的を正しく理解していないようです。原
論文には、「目的」と見出しをつけた段落があり、そこに
−−−−−−−−−−−−−
こうした改話がなされることにより、『ちびくろサンボ』の差別的要素が取り除か
れ、また、原作との連続性がある程度保たれたとしても、原作の持っていたおもしろ
さが損なわれたのでは、意味がない。そこで、改話されたものが、原作と同様のおも
しろさを保持しているかどうかについて実験的に検証する必要が生じる。この検証は
、この絵本の読者である子どもを用いて調べるべきである。そこで、本研究は、「サ
ンボ」という差別用語を用いないで改話されたものが、原話同様のおもしろさを子ど
もたちに与えることができるかどうかを、心理学的な実験により実証的に検討するこ
とを直接的な目的とした。

 差別的な要素を持たない『チビクロさんぽ』が『ちびくろサンボ』同様のおもしろ
さを子どもたちに与えることができるとすると、子どもたちは『ちびくろサンボ』を
、指摘されているような差別的な要素に基づいておもしろがっているわけではないこ
との証明ともなる。それゆえ、本研究の目的は、差別的な要素を取り除いた改話との
比較を通して、『ちびくろサンボ』のおもしろさが差別に基づくものではないことを
実証的なデータによって示すことでもある。

−−−−−−−−−−−−−−
と明記してあります。「目的をはっきりさせ(原作をそのまま出してかまわないと言
いたいのか,守版改作なら出せると言いたいのか)」と言われても、「原作をそのま
ま出してかまわない」と言いたいわけでも、「守版改作なら出せる」と言いたいわけ
でもありません。そもそも、教育心理学の研究論文に「原作をそのまま出してかまわ
ない」というような目的がはっきり書けるでしょうか?

守からお願い:
 最後にもうひとつだけお伺いしたいことがあります。それは、市川さんの「私(市
川)は当時から,自分なら「不採択」ではなく「修正再審査」にすると言ってきた.
」という部分です。その昔、まだ編集委員会との関係が良かった頃(笑)、私も審査
委員を勤めたことがあります。その時の私の基準では「修正再審査」というのは、「
まず基本的には『採択』の方向、ただそのためには分析方法や文章を相当に修正する
必要があるもの」と考えていました。(つまり、今からでも修正が可能であれば「修
正再審査」とし、データをとり直したりしなければならないような、今からでは無理
な修正が必要な場合は「不採択」としました。)そして、修正点を具体的に指摘しま
した。「再審査」はその修正が十分になされたかどうかを確認するために必要となる
わけです。
 もっとも、「修正再審査」を別のケースで使ったこともあります。それは、「論文
が理解できなかった場合」です。この場合は「もうちょっとわかりやすく書き直して
もらってからもう一度審査します」という意味で「修正再審査」としました。この場
合は「『採択』『不採択』の判断も保留」ということでした。
 多くの審査者に「素朴でシンプル」と言われるほどですから、私の論文は後者のケ
ースにはあてはまらないと思います。そうすると、市川さんの言う「修正再審査」と
いうのは前者のような解釈であると考えたいのですが、それでいいでしょうか?そし
て、もしそうであるとすると、どこをどう修正すべきとお考えなのでしょう?具体的
にご指摘下さるとありがたく存じます。

 すみません、長くなりました。いろいろ書きましたが、基本的には好意的に回答を
してくださった市川さんに感謝しています。上記に対するお返事も特に急ぎません。
お時間の許すときに、部分的にだけでもお返事がもらえると大変嬉しく思います。ど
うぞよろしくお願いします。なお、冒頭にも触れましたように、このメールはこのま
まの形で私のホームページ上で公開します。

-------------------------------------------------------------------
守 一雄@380-8544信州大学教育学部学校教育講座(これだけで郵便が届きます。)
kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp 電話 026-232-8106 内線454
『DOHC』『KR』発行元      Fax 026-237-6131 直通
http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/hp-j.html
-------------------------------------------------------------------
丸1年が経過しましたが、お返事はいただけないままです。
市川さーん。お返事お願いしまーす。
(2000.2.10)
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