友好短信2023.1~4

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第26期日中連続市民講座⑥「コロナ禍によって変わる日中ビジネス」 (4/22)

 第26期第6回日中関係を考える連続市民講座が4月22日、日中友好センター教室において開かれ、松本大学大学院教授で中国経済や地域中小企業の研究が専門の兼村智也先生が「米中対立の中での日中ビジネスの現状」(コロナ禍の中での日系進出企業)と題して講演しました。講座には18人が出席し熱心に聴講しました。

 兼村先生は、次のように述べました。

①長野県の中国進出企業数の推移は、2022年6月で180社(香港除く)でピーク時2012年に比べ32.1%減となっている。その理由は、人件費の高騰、競合する中国企業の台頭があり、中国政府も競争力のない企業の撤退は歓迎している。

②コロナ禍による中国ビジネスの懸念材料(ゼロコロナ政策による影響)として、現地駐在員の帰国困難(日本から支援者が出向けない)、操業停止命令、日本に部品・材料が届かない→中国依存リスク軽減の必要性などがある。

③人の現地化をはかるメリットとして、意思疎通が図りやすくなる、現地従業員の労働インセンティブが高まり定着も進み業績向上につながる、駐在員コストを削減できる。現地化が進まない理由として、本社との意思疎通が図りにくい、優秀な人材が給与・処遇面で優位にある非日系企業に流れてしまいその結果人材育成が進まないなどがある。

④現地化について以下4つのパターンを紹介。
(イ)完全現地化が進んだ企業として、ミクロ発條(本社諏訪)を紹介し、日本留学・就業経験をもつ中国人を登用、現地で日本社長との共働経験があり意思疎通も良好である。
(ロ)一部現地化の企業の例として、南信精機製作所(本社飯島町)、ダイヤ精機(岡谷市)を紹介。財務管理は日本人、顧客管理などは日本留学経験のある者、現場管理は中国人などとしている。
(ハ)駐在員を減員した企業として、ミスズ工業(諏訪)を紹介。新事業立ち上げ製造担当スタッフを亡くし、社長と工機担当のみを残す。
(二)不変の企業も、先行き見通しに変化がみられる。日本留学・本社就業経験をもつ中国人を現地登用する、関連中国企業に資本を一部売却し技術系を派遣するが経営は現地に移譲する、完全売却などを近日中に考えているなど。

⑤中国ビジネスの新たな懸念材料。
(イ)米中対立による影響として、デカップリングにより輸出入はリスクが大きくなり、中国での受発注を中国国内で完結させる必要性が高まり現地営業が重要となる。
(ロ)政治的リスクをどうマネジメントしていくか。
(ハ)中国が欲しがる技術(半導体、液晶パネル、などの産業チェーンの脆弱な部分を重点的に補強するとの中国政府の方針)と日本政府の経済安全保障政策との板挟みで今後について難しい判断を迫られる。該当する企業が全国で4000社ほど。

 講演終了後、デカップリングなどにより経済交流がさまたげられることについて質問や意見が活発にだされました。

 第26期講座はこれで終了し、来期は11月からスタートする予定です。ご協力ありがとうございました。

 
 石家庄市視察団一行が来長、4年ぶりの対面交流(4/20)

 石家庄市外事弁公室副主任王秋生団長以下4名の皆様が、4月20・21日長野市を訪問し、市長との会見や長野市日中友好協会との交流のほか、エムウェーブ、戸隠スキー場などを視察しました。新型コロナの影響で4年ぶりの公式訪問となりました。

 20日、一行は荻原健司長野市長を表敬。市長が「友好関係がさらに深まることを期待しています」と述べると王団長も「40年間の友情を大切にして交流、協力を一層発展させていきましょう」と応じました。さらに人口減少など共通課題について意見交換しました。

 夕方から、長野市日中友好協会主催の歓迎会が長野市内のメトロポリタンホテルで開かれ、山根敏郎会長以下18名の市協会メンバーがあたたかく歓迎しました。山根会長から「石家庄市との堅い友好の誓いを称賛し、再会の祝杯を重ねましょう」との力強い歓迎あいさつの後、おみやげにいただいた白酒を味わいながら、懇談交流しました。

 その中で、4年前に発刊した『長野市日中創立40周年記念誌・友好の歩み』の文中に、今回同行された梁永さんのお嬢さんが2018年7月に石家庄市中学生友好代表団の一員として来長された際、たまたま金子繁三理事長宅にホームステイされたと掲載されていたのを発見し、奇遇に驚嘆。このハプニングもあり、次回の訪中の際の再会を約したところでした。一段と盛り上がった宴席で「北国の春」を合唱し、フィナーレとなりました。翌日、再会を約束して、18:19発の新幹線にて一行を見送りました。(吉岡弘海記)

   2023年度長野ラジオ孔子学堂中国語講座がスタート(4/5・6・7)

 
 23年度長野ラジオ孔子学堂中国語講座がスタートしました。4月5日、6日、7日の3回に分けて開講式が開かれました。

 入門、初級、中級、上級のそれぞれ昼の部・夜の部が開設され、中国語を学び始めた人が参加しやすいカリキュラムになっています。コロナ禍も落ち着いた中で、対面授業を主として一部オンラインで進めていくことになります。

 開講式では、安芸洋一学堂長、布施正幸・夏丹執行理事が「中国語を学び中国の文化を理解し、友好交流の手段として活用していってください。HSK中国語検定も長野で受けられるので、レベルアップを目指して頑張ってください」とあいさつ。受け持ちの範為為、顧淑鳳、呉劭昱、姚海玲老師(先生)から一緒に楽しく、真剣に学んでいきましょうと激励されました。

 戸井田靜男事務局長から、講座運営や孔子学堂の実施事業の紹介などが行われ、受講生の皆さんはそれぞれの教室に分かれて早速授業が行われました。
  第26期日中連続市民講座⑤「中国古典詩に見る自然へのまなざしー陶淵明、王維、李白、杜甫を中心に」(3/25)

 第26期第5回日中関係を考える連続市民講座が3月25日、日中友好センター教室において開かれ、中国文学専門で長野県立大学教授の谷口真由実先生が「中国古典詩にみる自然へのまなざしー陶淵明、王維、李白、杜甫を中心に」と題して講演しました。講座には24人が出席し熱心に聴講しました。

 谷口先生は、中国六朝時代から唐に至る古典詩の代表詩人の作品を取り上げ、「自然に対するまなざしには、詩人の生きた時代により、また境遇の違いにより差違があるが、自然への憧れ、畏怖など読み取ることができる」と述べ、各時代の代表的詩人の作品を紹介解説しました。

◇詩における「自然」とは、中国最古の詩集『詩経』や戦国時代の『楚辞』にも自然は描かれているが、その自然は人間にとって有用な存在として取り上げられていて、自然そのものをテーマとして詠じることはあまりなかった。晋末、北西の異民族の侵攻により、漢民族が南下し東晋王朝(都は健康=南京)をたてた。人々は江南の美しい「風景」に出会い自然を詠じるようになった。

◇六朝時代の陶淵明と謝霊運・謝朓の「自然」詠

◎陶淵明「帰園田居(園田の居に帰る)」、「飲酒二十首」
 軍閥政権下、官吏となるが自ら辞めて郷里に帰る。後半生を田園で生きた。田園詩人と呼ばれる。「桃花源」(桃源郷)のユートピアを記した文人でもある。「長い間、鳥かごの中でのような窮屈な生活をしていたが、またのびのびとした自由な境地に帰ることができた」。「山気 日夕に佳し、飛鳥 相ひともに還る、此の中に真意有り、弁ぜんと欲して已に言を忘る」と詠う。

◎謝霊運「過始寧墅」(始寧の墅=別荘を過る)
 上流貴族の家に生まれたが、権力闘争に巻き込まれ左遷された。後に謀反の嫌疑を受けて流謫、処刑された。この詩は故郷の別荘に立ち寄った時の自然を詠っている。アウトドア―派で山水詩人と呼ばれる。

◎謝朓「游東田」(東田に游ぶ)
 声律を重視した詩を創始し、繊細な風景描写にすぐれ、唐・李白が敬慕した南斉の詩人。自然の中に入って自分を取り戻す喜びを詠う。

◇唐詩における自然へのまなざし

◎王維「辛夷塢」(こぶしの植わっている土手)
 盛唐の詩人。9歳で詩を作り、宮廷の寵児となった。自然観照に優れ、自然詩人として知られる。「こずえの芙蓉の花 山中紅萼を発く 澗戸は寂として人無し 紛々として開き且つ落つ」

◎李白「山中答俗人」(山中で俗人に答う)
 盛唐の代表的詩人。西域(現在のキルギス共和国)に生まれ、5歳の時に裕福な商人であった父とともに青蓮郷(四川省)に移住した。科挙を受けた形跡がなく、遊侠を好み、道士となる修業をした。玄宗の時、翰林供奉(詩歌を作ったり詔勅を起草)となり、「詩仙」と称された。「桃花流水 窅然として去る 別に天地の人間に非ざる有り」(桃の花びらが川の水にのってはるか遠くに流れていく。世俗と異なる別世界がここにはある。)

◎杜甫「絶句二首其二」、「登高」
 20歳のころから天下を周遊し、李白とも親交を結んだ。30代半ば長安に出て士官を求めたがかなわず、苦節10年玄宗に認められて官職につくも、まもなく安禄山の乱が勃発、波乱の人生を歩む。後、官を辞し成都などを旅する。当時の社会事情をリアルに描き、社会詩人と称され、またその詩は“詩によって描かれた歴史”として「詩史」と称される。ダイナミックな自然のエネルギーを感じ、自然と人生を対比し思いめぐらして詠っている。自然からエネルギーをもらい悲しみを乗り越えようとしている。

 中国帰国者援護市町村担当者研修会を満蒙開拓平和記念館で開く(3/23)

 長野県健康福祉部地域福祉課と長野県日中友好協会中国帰国者交流センターは3月23日、満蒙開拓平和記念館並びに阿智村コミュニティ館で中国帰国者援護に係る市町村担当者研修会を開きました。県・市町村・友好協会の帰国者支援に携わる25人の担当者が参加しました

 はじめに、満蒙開拓記念館で三沢亜紀事務局長さんから、開拓団と中国残留孤児の歴史背景について展示資料に基づき説明を受けました。

また記念館のセミナールームで3月21~26日に行われていた特別企画“王希奇画伯の「一九四六」展”(主催:記念館・飯田日中友好協会)を鑑賞しました。この絵画は旧満州葫蘆島からの日本人の引き揚げを描いた縦3メートル、横20メートルという大作で、その圧倒的な迫力に強い印象を受けました。王画伯は、1960年葫蘆島の隣の錦州市の生まれ、「魯迅美術学院油絵学科の教授で、東洋的墨絵の伝統的要素を油絵に融合させた画風は高い評価を受けています。

 会場をコミュニティ館に移して講演会が行われました。オンラインで参加した県地域福祉課の伊東笑子課長補佐兼自立支援・援護係長に代わって、宮坂祥真主事と県日中友好協会の布施正幸副会長があいさつし県内の各市町村で帰国者援護の第一線で活躍されている担当者の日ごろの活動に感謝しました。

布施副会長は、帰国者日本語教室の運営協力に感謝した後、「“前事不忘、後事之師”と刻まれた「平和」の記念碑が記念館の一角に建てられているが、日中不再戦・平和友好は帰国者の皆さんの心からの願いだ。1世の皆さんが高齢化し介護が課題となり、2世の皆さんも定年を迎える年代に入っている。幸せな老後を送れるよう協会も担当者の皆さんとともに力を尽くしていきたい。また3世4世の皆さんがかかえているいじめなどの問題にも目をむけ、歴史を知って親に誇りをもって生きていける環境を作っていきたい。帰国者の皆さんが日中友好の架け橋として活躍させることを願っている」などとあいさつしました。

 満蒙開拓平和記念館の三沢亜紀事務局長が「満蒙開拓と中国残留邦人について」と題して講演しました。三沢事務局長は広島出身で記念館の立ち上げ準備から運営に情熱を傾けて携わってきました。広島の平和教育の体験をベースに国策の被害者であると同時に侵略の加害者でもあった満蒙開拓団の歴史に真摯に取り組んできた自らの体験に基づく有意義な内容は感動を与えました。講演の概略は下記の通りです。(文責編集部)

――満蒙開拓平和記念館は2013年4月開館以来10周年を迎えた。これを記念し「一九四六」展を開催し、3月21日には王希奇画伯を迎えてオープニングセレモニーと講演会が行われた。加藤登紀子さんも会場に見え、「当時私は2歳だった。母と一緒の幼子が描かれているがきっと自分だと思う。生き抜こうという力、生命の輝きを感じた」とかたっていた。王画伯によると描かれている人物は500人を下らないとのこと。点々は蛍を表しているという。

私は広島生まれ、広島原爆の地にあって平和学習の中で育った。飯田の人とご縁がありこちらにやって来た。当初、飯田下伊那には戦争の傷跡が残っていないように見えた。満蒙開拓団の歴史は知らなかった。開拓団を長野県が全国で最も多く送り出し、中でも飯田下伊那地域が県内で最も多く、悲惨な逃避行で大勢が犠牲になったことを知って自分も何かしなければと思うようになった。

この歴史を長野県でも知らない人が増えている。開拓団は当事者にとって向き合いにくい不都合な歴史でもある。当事者が語れない「満州」。送り出された側、送り出した側にとって語りたくない不都合な事情がある。しかし、不都合な歴史、加害の歴史に向き合っていく必要があると思う。原爆や大空襲など被害の歴史を語り継ぐだけでなく、加害の歴史も語り継いでいくことが、平和にとって大切と思う。

1931年の満州事変から「満州国」建国・開拓団送出と続いていくが、政府は500万人満州への移民計画を策定し、「20町歩の地主になれる」と宣伝し、開拓団を送り出した村には国の補助金を出すなどの方策を講じ、国策を推し進めた。結果として開拓団は27万人だったが、長野県は全国ダントツ1位の3.3万人を送り出した。青少年義勇軍として子供たちも大勢送り出した。教育会もこれに協力した。

昭和20年8月9日、ソ連の侵攻が始まった。働き手の男たちは現地徴兵されていて、開拓団には老人と女子供しか残されていなかった。悲惨な逃避行で大勢がなくなった。引き続いての厳冬の収容所で死亡者が相次いだ。長野県関係者も半数がなくなっている。三石忠勇さんの絵が記念館に飾られているが極限状態が象徴的に描かれていて胸に響く。

1946年から53年に「満州」からの引き揚げが行われたが、この時諸事情で帰国できなかった人々が残留孤児・残留婦人と言われる。

山本慈照・長岳寺住職は自らも開拓団の教師として家族とともに渡満し、その後シベリア抑留され家族が行方知れずとなった体験者で、「日中友好手をつなぐ会」を立ち上げ、残留孤児の肉親捜しに全力を傾けた方だ。映画「望郷の鐘」の主人公で「中国残留孤児の父」とよばれる。

歴史を学ぶことによってふたたび悲惨な戦争を繰り返さない、平和のメッセージを発信し続けていきたい。――

 講演終了後、宮坂主事から「中国残留邦人等の概況及び支援策について」などの報告が行われました。

 日中友好新春講演会・座談会を開催(2/28)
--平和友好条約45周年・河北省との友好提携40周年の交流再開に向けた取り組みなど語り合う

長野県日中友好協会は2月28日、52人が出席して日中友好新春講演会・座談会を長野市生涯学習センターで開きました。コロナ禍や尖閣問題、米中対立の激化など日中関係が困難を抱えている中でしたが、日中平和友好条約45周年と長野県河北省友好県省40周年の節目の年を迎え、友好交流の再開と相互信頼回復に努めていくことなどを語り合いました。座談会に先立って問題提起も兼ねた講演会が行われ有意義な会となりました。

◇会は大月良則理事長の司会で進行されました。
冒頭、高波謙二会長に代わって布施正幸副会長があいさつし、「コロナ禍で中止が続いていた新春座談会が3年ぶりに開催でき、対面で交流できることに感謝したい。 日中関係は新型コロナ禍によって、3年にわたり、人的交流が大きな制約を受け、さらに尖閣問題や激しい米中対立の影響を受け、国交正常化以来最大の危機を迎えていると危惧されている。一方で、困難な中にも、昨年11月、3年ぶりに首脳会談が開催され建設的な関係構築を確認し合った。また中国のゼロコロナ政策が転換され、交流再開の見通しが立ってきたなどの明るい兆しもある。激動する国際情勢の中で、日本は自主的立場に立って外交努力を重ね、日中間の不安定要因を克服し、「戦略的互恵関係」を前進させるため努めてほしい。日中平和友好条約45周年、河北省との友好提携40周年にあたり地方民間交流の再活性化に努めていきたい。県日中友好都市中学生卓球交流大会、知事訪中に合わせての友好訪中団の派遣、強制連行された中国人殉難者の慰霊祭開催などに取り組んでいきたい。座談会に先立って日中友好協会全国本部の専務理事として活躍されている西堀正司副会長に日中関係の課題について、また著名な書道家で驥山館館長の川村龍洲先生に中国文化と日本との縁(えにし)についてお話いただき、抱負を膨らませて有意義な座談会にしていただきたい」と述べました。

◇西堀副会長には「日中平和友好条約45周年を迎えての日中関係」と題してお話しいただきました。--平和友好条約の批准書交換のために鄧小平が1978年、来日してから45周年を迎える。中国はこの年から改革開放に舵を切り、以後驚異的な発展を遂げていく。昨年は国交正常化50周年の年であり、また明治維新から日本の敗戦までの77年、敗戦から昨年までの77年という2つ目の77年の年であった。第3の77年はどうなるのか?現在第3次世界大戦前夜という人もいる。日中戦争は中国側に3500万人の死傷者を出し、日本も310万人の死者を出した。日中友好は日本の未来にとって必要不可欠だ。米中は鋭く対立しているように見えるが、両国間の昨年の貿易額は6900億ドルで史上最高となった。日中貿易も43.8兆円で史上最高をを記録している。冷静に見れば運命共同体である。世界の人口は増え続け80億人を突破した。世界が抱えている貧困、環境、食糧問題を考えると、ウクライナ戦争に端を発した第3次世界大戦はどうしても防がなくてはならない。日中友好はそうした課題とも関連している。民間交流を再開し、相互信頼を回復し、日中不再戦のために努力を傾けていきたい。

◇川村氏には「中国の歴史文化と日本」と題してお話しいただきました。--(明治の元勲、西園寺公望の書=辛亥の年号が記されている=を披露しつつ)辛亥革命は1911年だが、孫文の辛亥革命に共鳴し支援した日本人は多い。日本ではこの年2・26事件が起きている。過去の歴史は現在とつながっていることを自覚したい。「温故知新」(古きを尋ねて新しきを知る)と言われるが、温には復習するという意味がある。中国は日本にとって明治まで師であり尊敬の対象であった。日清・日露の戦争に勝って、中国人、韓国人に対する偏見を持つようになり、満州事変、日中戦争へと進んで行ってしまった。現在の日本語は英語が氾濫し、漢字の力が衰えているように思う。日本語の7割は漢字と漢字を用いた熟語で構成されており、漢字かな交じり文の利点によって、1秒で15文字を判読できる。正しく日本語を習得していくことは重要だ。中国語、筆、書を心得ている政治家、財界人が少なくなっていることは嘆かわしい。「戦争と平和」と言われるが、「外交と平和」こそが大切と思う。外交に力を入れ、平和を守っていく。そのためにも言葉を鍛え、漢字を大切にし文化的素養を高めていくことが必要と思う。

◇続いて、中澤保範事務局長が昨年の事業実施状況と、第2回理事会(11/26)で決定された今年の主な事業計画を報告し、「県協会は、この1年、コロナ禍のもとでも、オンラインの活用、可能なところから対面交流を進める方針の下、努力した。2月の北京冬季五輪は現地での応援はできなかったが、新華社取材を通じて長野県と中国との40年余りにわたるスキー交流の歴史が紹介され、大きな反響を呼んだ。5月の定期大会は、書面決議で行った。10月には、日中国交正常化50周年記念講演会を西園寺一晃先生を講師に民間交流が友好の基礎であることを再確認した。また中国帰国者日本語教室、中国語講座と中国語スピーチコンテスト、日中連続市民講座等を実施した。各地区協会や女性委員会も、対策を講じながら定期総会や交流事業を実施した。本年は日中平和友好条約45周年、長野県と河北省友好県省40周年の節目の年にあたる。長野県日中友好都市中学生卓球交流大会や知事訪中に合わせての県友好訪中団、強制連行殉難中国人慰霊祭などに取り組んでいきたい」と述べました。また戸井田靜男長野ラジオ孔子学堂事務局長から中国語講座と中国語スピーチコンテスト、中国文化講座の取り組みなどが報告されました。

◇続いて地区活動報告や今後の取り組み・抱負が語られました。

◇最後に福島信行副会長が「皆さんのご協力で、有意義で熱心な座談会となった。難しい状況の中で皆さんが友好に努力されていることが共有できた。先ごろ、パンダのシャンシャンや永明が中国に返還され別れを惜しんだが、国交正常化の記念で上野動物園にカンカンとランランが贈られてきたとき、そのお返しに大町市の山岳博物館から天然記念物のニホンカモシカのつがいが北京動物園に贈られたことが地元の新聞に紹介された。忘れてはならない身近な日中友好のエピソードだ。語り継いでいきたい」と述べ座談会を終了しました。

 ありがとうシャンシャン、永明!深い思い出を残して中国へ(2/21・22)

 上野動物園のジャイアントパンダのシャンシャン(5歳♀)が2月21日、大勢の皆さんの見送りを受けながら、中国に旅立ちました。中国で良いパートナーとめぐり合い、元気な赤ちゃんが誕生するといいですね。
 
 ◇ シャンシャンの  旅立つ春の  涙かな  送る手待つ手  熱く繋いで (F)

 続いて、2月22日には和歌山県白浜町「アドベンチャーワールド」のパンダ・永明(30歳♂)とその子供の桜浜、桃浜(いずれも8歳♀)も中国に向かいました。永明は16頭もの子供を誕生させたスーパーぱぱです。中国でゆっくりと余生を過ごしてほしいですね。

 ◇永明や  16頭の  父となり  春の佳き日に   故郷(ふるさと)へ発つ (M)    



◎このイラストは、河北省の友人の紀こうさんのお嬢さんの作品です。大使館に採用されたそうです。

◎左の記事は信濃毎日新聞2/22より。

 第26期第4回日中連続市民講座、「清朝の海賊問題」(2/18)

 第26期第4回日中関係を考える連続市民講座が2月18日、日中友好センター教室において開かれ、信州大学人文学部准教授の豊岡康史先生が「清朝の海賊問題」と題して講演しました。講座には17人が出席し熱心に聴講しました。

 豊岡先生は、「国際関係と国内問題はどちらが優先されるのか?清朝政府のホンネとタテマエ、公式発表をどこまで信じるか?」と問題提起し、「清朝と海賊問題」の事例を紹介しながら解説しました。

1.1819世紀の海賊はどのような人々か。

アヘン戦争前夜の18-19世紀の清朝、浙江・福建・広東の各沿海域や南シナ海では海賊行為が急増し、大きな被害をもたらした。海賊は過剰人口による好調な国際・国内交易に寄生していた。海賊集団の収入源は打単=みかじめ料を柱としていた。清朝の貿易管理に禁輸は無く、明代(官が認めた交易以外は禁止)の”武装貿易集団”倭寇とは違った。海賊になる理由は自発的参加者40%、脅迫されての参加者60%で連鎖する人集め請負構造となっていた。越境しない海賊(浙江・福建・広東の各沿海域、方言話者内でおおむね完結する)と越境する海賊集団(南シナ海で活動、上中下の階層に別れ、上は安南=ベトナムの海軍に無理やり編入されていた)とに分かれる。

2.ベトナムから来る海賊

 1819世紀の南シナ海で海賊が横行する中で、清朝とベトナム関係における「海賊」の扱いは興味深い。清朝・安南(ベトナム)関係の中の「海賊」問題=1771年 西山(タイソン)阮氏が蜂起し、1788年 ハノイの安南国王が清へ亡命。1789年 清朝はベトナムへ軍事介入するが失敗し、西山阮氏の安南国成立。まもなく清朝と関係正常化。1789年にタイソン王朝が朝貢の地位を与えられた後、安南と海賊の関係は中国によって問題と見なされたが、緊張を高めないように、注意を引くことを避けた。1790年~1801年ベトナム国内の対立。広南(カンナム)阮氏サイゴンに建国。この間、清朝は軍事介入せず。(「西山阮氏の安南国は海賊問題の元凶だが、まもなく滅びるから介入しないでおこうと武力行使をしない(できない)ことを正当化する。)しかし1801年に西山阮氏の王朝が崩壊し広南(カンナム)阮氏を認めたときは、清朝政府はこれを正当化するために西山阮氏の王朝が海賊行為を扇動したと非難した。その後、1802年に新しい阮(グエン)王朝が朝貢の地位を申請したとき、中国は西山阮氏の安南が海賊との取引に協力していたという理由で新王朝を認めた。安南と海賊の間に存在した親密な関係に関する宣言は、清の朝廷内の外交政策を正当化する試みに他ならなかった。ここに清朝政府のホンネとタテマエを見て取ることができる。

 終了後現在の南シナ海の領有権をめぐる中国と周辺諸国の争いなどについて質問が出され、歴史的経緯や現状について解説された。

 第28回県日中友好都市交流会議、オンラインで開催(2/9)
「日中平和友好条約45周年、河北省との友好40周年、記念交流事業に向けて」


 第28回県日中友好都市交流会議が2月9日、オンラインで開かれました。県、県協会及び関係自治体の国際交流担当者と日中友好協会役員19名が参加してそれぞれの友好都市交流の現状を報告し、意見交換を行いました。

 冒頭のあいさつで、小林一洋・県国際交流課課長は「コロナ禍にあっても、リモートで国際交流に取り組んできた。本年は日中平和友好条約45周年、河北省との友好40周年にあたる。コロナ禍も段々落ち着いてきた中で、河北省との交流を柱に友好都市交流を進めていきたい」と述べました。

 また布施正幸・県日中友好協会副会長は、日頃の日中友好のご尽力に敬意を表し、県内では県及び6市3町1村が中国と友好都市或いは友好交流都市関係を締結していることに触れたのち、「コロナ禍や尖閣問題、米中対立激化など困難はあるが、3年ぶりの両国首脳会談の実現、中国のゼロコロナ政策の転換など交流再開へのステップとなると期待している。8月に関係友好都市から中学生卓球選手を招いての友好都市卓球交流大会開催、秋の友好訪中団の派遣などを柱に、地方民間交流を進めていきたい」とあいさつしました。

 大月良則県日中友好協会理事長の司会で進められ、参加者の自己紹介の後、担当者から報告が行われました。

◇県では、2022年度事業として国際交流員による活動、河北省の中高生と伊那北高生とのオンライン囲碁交流、河北大学と県立大学の学生同士のオンライン交流、ホストタウンAGANO大学生交流リーダー育成オンライン講座・研修ツアー、河北省日韓友好都市ポスト五輪経済発展フォーラムへの参加等を実施した。23年度は、国際交流員による学校や地域の国際交流イベントなどへの協力、河北省友好提携40周年を記念事業として10月知事訪中を計画、ホストタウンNAGANO大学生交流リーダー育成事業、長野県・河北省大学連携交流(河北省の大学生受け入れ、河北大学へ研修員派遣、河北大学インターンシップ生受入れ)を予定している。

◇県日中友好協会では、22年度北京冬季五輪記念イベント、日中国交正常化50周年記念講演会、日中友好春節コンサート、中国語講座とスピーチコンテスト、第26期日中関係を考える連続市民講座、中国帰国者日本語教室と帰国者援護に係る市町村担当者研修会などに取り組んだ。23年度日中平和友好条約45、河北省との友好40周年に当たり、関係友好都市から卓球選手を招いて日中友好都市中学生卓球交流大会開催、知事訪中に同行しての県日中友好訪中団派遣、強制連行殉難中国人慰霊祭、記念講演と祝賀のつどいの開催、北京冬季五輪の成果を踏まえ日中スキー交流の継続実施(県日中スキー交流委員会事業として実施)、連続市民講座、中国語講座とスピーチコンテスト、帰国者支援交流などに取り組む。

◇長野市では22年度石家庄市との友好都市締結40周年オンライン記念交流会議(4,7月)、市立長野高校と石家庄外国語学校とのオンライン交流会などを実施。23年度は石家庄市中学生友好代表団受け入れ、長野市中学生友好代表団派遣、世滑走し語学研修生受け入れ、長野市語学研修生派遣、日中友好都市中学生卓球交流大会を予定。長野市日中友好協会としては、日中友好マレット交流大会、ワールドフェスタin長野22、日中友好春節コンサートなどを実施した。

◇須坂市では、22年度、日中国交正常化0周年記念事業として須坂市・四平市高校生大学生オンライン交流会を持ち、コロナ禍の生活実態の紹介や学校での特色ある取り組み、学校生活・サークル活動の紹介を行った。四平市との市長メッセージ交換、「日本と中国」須坂市版に「四平市の今」や新年メッセージを四平市から寄稿。23年度は日中友好都市中学生卓球交流大会実施予定。

◇松本市では、22年度新年あいさつ交換。22年度は日中友好都市中学生卓球交流大会、選手団受入れ、交流大会実施。

◇上田市では、22年度、寧波市新市長就任祝賀メッセージ、担当者間オンライン交流、国交正常化50周年記念して寧波市と友好都市との友好交流写真展に上田市長のビデオメッセージと上田市のプロモーションビデオを送り参加。新年あいさつ市長メッセージ交換を実施。23年度は日中友好都市中学生卓球交流大会実施。

◇飯山市では、22年度はコロナのため交流は特になかった。23年度は、日中友好都市中学生卓球交流大会に参加。

◇伊那市では、長らく北京市通州区の交流が途絶えているが、民間交流等を通じて関係を修復していきたい。(伊那日中友好協会)

◇山ノ内町では22年度、密雲区との図書の交換、「一帯一路」文化観光プロモーション参加。23年度は代表団受入れは未定、図書の交換。

◇泰阜村では5年前に20周年記念事業を行って以来交流がとどこおってているが、方正県との関係を大切にして、帰国者支援などに取り組んでいきたい。

 コロナ禍の影響で、困難な中、各市町村ともオンライン交流等工夫して取り組まれていました。新年度は、日中双方に交流再開への期待が大きく、受入れや派遣計画を立てているところが見受けられました。特に県と5市は日中友好都市中学生卓球交流大会を予定しています。

 最後に西堀副会長(日中友好協会全国本部専務理事)から日中関係の現状と課題についてお話しいただきました。

 --コロナ禍、ロシアのウクライナ侵攻、米中対立の激化など世界的分断が危惧されているが、米中貿易額は昨年6900億ドルに達し史上最高額を記録している。グローバルな視点から平和と相互依存関係を大切にし分断を阻止していきたい。東京・北京と連続して開催された夏と冬の五輪は平和の祭典だった。世界平和を追求していく上でも日中友好の必要性を強く感じている。コロナ禍も峠を越えつつあり、中国もゼロコロナ政策を転換したので交流再開の条件が生まれてきた。地方民間交流が平和に大きく貢献することを自覚してお互いに頑張っていきましょう。--
 軽井沢日中設立10周年記念春節交流会にぎやかに開催(2/5)

  軽井沢日中友好協会の設立10周年記念春節交流会が2月5日40名が参加して新軽井沢会館において開かれました。

 第1部で、荒木武貴会長は、「2011年設立以来、10年余り、佐藤敬治初代会長はじめ役員会員の努力によって訪中団派遣や中国大使館との交流、アイスホッケーチームの受け入れ応援、餃子交流会など多彩な事業に取り組んできた。本年は日中平和友好条約45周年を迎えている。日中関係は困難を抱えているが民間交流が友好の基礎であるあることを確認し今後とも皆様のご協力のもと歩んでまいりたい」とあいさつしました。

 来賓として県日中友好協会の布施正幸副会長、軽井沢高校の下井一志校長、小諸市日中友好協会の清水清利副会長が祝辞を述べました。

 布施副会長は、10周年を祝った後、「佐藤初代会長、荒井会長はじめ皆様の熱意に敬意を表します。国交正常化から50年を経過して、日中関係は厳しい状況におかれているが、民間友好ボランティア団体である友好協会は両国の有意の皆さんと協力して、日中不再戦、平和友好の道を歩んでいきたい。平和友好条約45周年、長野県と河北省友好県省40周年の本年、知事の訪中や友好都市中学生卓球交流大会等も計画されている。交流再開の年にし友好増進に努めましょう」と呼びかけました。

 続いて佐藤敬治前会長へ感謝状と記念品が贈られました。

 第2部の交流会では、華やかな日本舞踊(竹本流舞鶴会の皆さん)、中国舞踊とベリーダンス(Yuana教室の皆さん)、歌唱(バリトン歌手崔宗宝さん夫妻)が次々と披露され、会場は華やかな雰囲気で大いに盛り上がりました。

 コロナ禍対策のため餃子作り交流会の代わりに、餃子入りお弁当がお土産に配られました。

第26期第3回日中連続市民講座、「米中のはざまにおける日本の立場と選択肢」(1/29)

 日中関係を考える連続市民講座第26期第3回は、上田女子短期大学学長の小池明先生が「米中のはざまにおける日本の立場と選択肢」と題して講演しました。20年間の商社マン勤務うち約半分を、イギリス、フランス、アメリカで過ごし、中国にも深い関心を寄せ留学生の受け入れなど行ってきた体験も踏まえ、米中対立が激化する中で両国と深いかかわりを持つ日本はどうあるべきかについて話し、26名が熱心に聴講しました。

 小池先生は中国、アメリカの現状と近未来、世界の今を解説した後、日本の選択肢について語りました。

――中国は1977年文化大革命終了時点では世界的プレゼンスがわずかなものであったが、改革開放への転換以来大きく発展し世界の重要なプレイヤーとなっている。「国家資本主義」的発展を遂げ、同じチームではなく1つの極を作った。中国は高度経済成長期を過ぎ、安定成長期に入っている。世界の工場(共通のルール)、巨大市場、一帯一路、大国志向、権力集中などに国際社会から今後の行方を注視されている。多民族国家で高齢化などかかえている問題も多い。経済発展が共産党統治の正当性だったがダウンした時、民族主義を掻き立てて乗り切ろうとしないか。

 一方のアメリカは格差と分断が深刻で大変な世になってきている。妥協なき分断、深刻な人種差別が存在し、産軍複合体で外国に過剰介入してきた。「遠くの戦争は蜜の味がする」。しかし、自由主義のチャンピオンとして創造エネルギーを持っている。米は、覇権国の一方の極としてあり続けるだろう。

 米から見て中国の成長はいいが価値観の違う対極を作ってもらっては困る。2020年以降、米の作った世界秩序を壊そうとしているとの疑念を深め中国の体質(体制)に批判が向けられるようになった。中国から見ると、米は旧体制維持のため価値観を押し付けていると反発している。米中対立、覇権争いの激化の中で日本の立ち位置は難しくなっている。日本は、対米関係を基軸としつつも、最大の貿易相手国である中国ともうまく付き合っていくべきであり、いろいろな分野のいろいろな人々との交流を深めていくべきだ。国と国の関係は一時的な対立、緊張はあるのが当然であり、それを永続させない努力が双方に不可欠。――

 講演終了後受講者からデカップリングや金融資本主義などについての質問が出されました。

 日中友好春節コンサート感動のひと時を過ごす、中国民族楽器演奏に大きな拍手(1/28)

日中友好春節コンサートが1月14日、長野市若里市民文化ホールで開催され、600人の市民が二胡や古筝演奏、バリトンとソプラノ歌唱、ピアノや金管アンサンブル演奏を楽しみました。2時間余りの演奏に観客の皆さんから盛んな拍手が送られました。

 出演者は、二胡奏者で日本二胡振興会会長の武楽群さん、古筝奏者の王敏さんと渡邊美姫さん母子、バリトン歌手の崔宗宝さんとソプラノ歌手の徐泙さん夫妻(軽井沢在住)、ピアノ伴奏の村上藍さんらとともに、地元から二胡奏者の久保里子さんと久保さんが主宰する長野二胡学友会の皆さんや長野ラジオ孔子学堂二胡教室の長谷川宗利さん(中阮)、鈴木正彦さん(笛子)、金管アンサンブルのシュムックの皆さんも加わりにぎやかな舞台となりました。

 武楽群さんは1988年に来日、音楽、美術、演劇、著作など、多方面で活躍。現在、NPO日本二胡振興会の会長として、日本における中国楽器二胡の普及振興に努めています。あいさつの中で、「30年ほど前来日した時は二胡を知っている方も少なかったが今や多くの方が二胡を愛好している。こんなにうれしいことはない」と語りました。また東日本大震災被災地に何度も足を運んだことやつなみで押し流された流木で二胡を作って演奏していること等も紹介されました。武さんに師事した久保里子さんとシュムックメンバーで元SBCアナウンサーの久保正彰さんの名司会で気持ちよく進行していきました。

 大月良則県日中友好協会理事長が、主催者を代表してあいさつし、「日中平和友好条約45周年の春節にあたり、素晴らしい中国民族楽器のしらべを味わってほしい。本日は中国帰国者の皆さんも大勢参加いただいている。日本と中国は、争えばともに傷つき、和すればともに益となる。末永い平和友好を願う」とあいさつしました。

  オープニングの合奏では春節にちなんで「喜洋洋」そして「紫竹調」、さらに美空ひばりの代表作「川の流れのように」が演奏されました。続いて古筝奏者の王敏さんが「嘎達梅林」(ガダ・メイリン)を、渡邊美姫さんも加わり古筝二重奏で「黄山流水」を披露しました。崔宗宝さんは宮沢賢治の「雨にも負けず」の歌を会場全体に響かせ、徐さんとともに石川啄木の「初恋」を歌って拍手を浴びました。武楽群さんと王敏さんの二胡と古筝の合奏「二泉映月」では”津波二胡”での演奏となり、不屈の精神、未来への憧れを表現していると言われ、聴衆に感動を与えました。シュムックの皆さんによる金管九重奏「トランペットチューン」「沖縄メドレー」は華やかな金管アンサンブルが鳴り響きました。「長相思」は武楽群さんと久保里子さんの二胡とシュムックの皆さんの金管九重奏の合奏という珍しい試みで披露されました。村上藍さんの「茉莉花」のピアノ演奏、武さんの「黄土恋歌」も深い感動を与えました。最後に、春節の大みそかに放送されたCCTVの番組「春節晩会」のエンディングテーマ曲「同一首歌」が二胡と古筝の演奏をバックに崔・徐さんカップルによって歌い上げられました。拍手が鳴りやまない中、アンコールに応えて出演者が勢ぞろいして、「ふるさと」が会場と一体となって演奏されました。2時間余りがあっという間に過ぎ、長野市日中友好協会から花束の贈呈が行われ終演となりました。

  「二胡や古筝をはじめ中国民族楽器の素晴らしい演奏、金管楽器演奏も加わりを楽しく聞かせていただきました。心に響き至福のひと時でした」と語りながら帰って行く観客の皆さんを、コロナ禍の中で、無事コンサートが実施できたことに感謝しながら、日中友好協会のスタッフも嬉しく見送りました。

 

年頭祝辞
--平和友好条約45周年、河北省との友好40周年、相互信頼を回復し平和友好の歩を進めよう!
                 
          長野県日中友好協会  会長 高波謙二



 明けましておめでとうございます。日ごろの日中友好のご尽力に敬意を表し、県協会の諸活動へのご支援、ご協力に厚く感謝申し上げます。

 昨年は日中国交正常化50周年の年に当たりました。改めて国交正常化の意義とこの50年間の日中関係の巨大な変化を認識した次第です。

 日中関係は新型コロナ禍によって、3年にわたり、人的交流が大きな制約を受け、経済・文化・スポーツ交流等も深刻な影響を受けました。さらに尖閣問題や激しい米中対立の影響を受け、日中関係は国交正常化以来最大の危機を迎えているとの指摘もあります。

こうした中、昨秋11月、3年ぶりの日中首脳会談が開催されたことは両国関係を正常な軌道に戻す上で、重要なステップであると期待されております。国際情勢が激動している中、日本は自主的立場に立って外交努力を重ね、日中間の不安定要因を克服し、「戦略的互恵関係」を前進させるため努めてほしいと存じます。

県協会は、コロナ禍の影響を受け、予定した活動の多くを、中止せざるを得なったことは残念ですが、オンラインの活用、可能なところから対面交流も進める方針の下、努力しました。

2月の北京冬季五輪応援と新華社取材を通じての長野県と中国との40年余りにわたるスキー交流の歴史紹介は大きな反響を呼びました。5月の定期大会はやむを得ず書面表決で行いましたが、新理事長選出など組織の若返りに一歩をしるすことができました。9月には日中友好交流会議にオンラインで参加し県協会の友好活動を発表しました。10月には、西園寺一晃先生を講師に日中国交正常化50周年記念講演会を開催し、民間交流が友好の基礎であることを再確認することができました。また中国帰国者日本語教室(オンライン)、中国語講座(オンライン併用)・中国語スピーチコンテスト、日中連続市民講座等を実施しました。各地区協会や女性委員会も、困難な中、対策を講じながら対面での定期総会や身近な交流事業を実施しました。

本年は日中平和友好条約45周年、長野県と河北省友好県省40周年の節目の年を迎えます。日中友好都市中学生卓球交流大会や知事訪中に合わせての県友好訪中団、強制連行殉難中国人慰霊祭などを計画しています。引き続き厳しい状況の中ですが、日中共同声明と平和友好条約の原点と精神に立ち返って、日中不再戦、平和友好を守り、交流の再開をはかっていきたいと存じます。両国の有意の人々とともに民間の立場から相互信頼の回復に努めていきましょう。引き続き組織の若返りを図り、日本の前途にとって大切な使命を負っている友好協会の活性化をはかっていきたいと思います。変わらぬご支援ご協力をお願い申し上げます。

 

初春を迎えて            

            長野県知事 阿部守一

 
 明けましておめでとうございます。皆様には、健やかに新春をお迎えのこととお慶び申し上げます。

 昨年は、日中国交正常化50周年を迎え、日中両国にとって大きな節目の年となりました。2月には、本県が長野冬季五輪の知識とノウハウにより協力してきた北京冬季五輪が開催され、世界中のアスリートが河北省と北京市に集い、成功裏に大会が開催されたことは、大変喜ばしいことでした。

 そして、11月には、実に約3年ぶりとなる日中首脳会談が実現し、3期目を迎えた習主席と岸田首相が対面で会談し、関係安定化に向け協力する方針で一致したことで、今後、明るく良好な関係で両国の対話が行われていくことが期待されます。

 本年は、いよいよ長野県と河北省の友好提携40周年を迎えます。北京冬季五輪を開催した中国では、ウィンタースポーツ人口が飛躍的に拡大しており、日本の水際対策の緩和によるインバウンド再開とともに、中国人旅行者の訪日が、本格的に再開されることが期待されています。今年こそ、パウダースノーをはじめとする冬の魅力あふれるスキーリゾートや、アルプスをはじめとした雄大で自然豊かな山岳高原リゾートがある長野県を楽しみにお越しいただけることを期待しています。

 また、東京・北京五輪で培ったホストタウン事業の青少年交流の実績を深化させ、今後は長野県立大学を拠点とした中国河北大学との交流など、本県と河北省の次代を担う若者の交流促進が図られるよう取り組んでまいります。

 両県省の大きな節目を、中国朋友と喜びを共に分かちあえるよう精一杯取り組んでまいりますので、皆様の変わらぬご支援ご協力をお願い申し上げ、新年のご挨拶とさせていただきます。

 
新年のあいさつ

                中華人民共和国駐日本国特命全権大使  孔鉉佑

新年にあたり、中国駐日本大使館を代表しまして、貴協会及び会員の方々にお祝い申し上げ、そして長期にわたって中日友好の信念を堅持し、対中交流と協力を根気よく展開し、両国関係の改善と発展をたゆまず推進してきた各界のご友人の皆様に心から敬意と感謝を表します。

過ぎ去った2022年を振り返り、中日両国は国交正常化50周年という重要なマイルストーンを迎え、双方は各レベルの対話・意思疎通と各分野の交流を積極的に展開し、多種多彩な記念行事を開催し、中日関係全体的な安定と好転を推進してきました。先般、習近平国家主席は岸田総理と対面での初会談を実現しました。両国の指導者は、新時代の要請に相応しい建設的かつ安定的な中日関係の構築において重要な共通認識を達成し、両国関係の発展に方向性を示しました。今年は『中日平和友好条約』締結45周年というもう一つの歴史的節目であり、両国各界がこれを機に、条約の政治的意義、法的義務及び現在における価値を共に再確認し、平和友好の初心と使命を堅持していくことが大事であります。われわれは日本側と共に、中日の4つの政治文書の各原則を厳守し、両国指導者の共通認識の精神を指針として、積極的な要素を引き続き拡大し、矛盾と意見の相違をマネージし、リスクや妨害要因を排除し、中日関係が正しい方向に沿って安定的な改善・発展させていきたい所存であります。

 新たな一年を展望し、中国国民は習近平同志を核心とする党中央のリーダーシップのもと、中国共産党第20回全国代表大会が打ち出した戦略に従い、社会主義現代化強国の全面的建設という新たな道のりにおいて練磨奮進し、中国式現代化によって中華民族の偉大な復興を全面的に推進すると同時に、自らの平和的発展で変革と混乱が絡み合う世界に力強いプラスエネルギーを注ぎ、より多くの新たなチャンスを提供してまいります。中日両国が手を携えて協力し、国際責任を果たし、世界の平和と安定を守り、世界経済の回復と発展を推し進め、連携してグローバルな課題に取り組むために建設的な役割を果たし、新たな、より大きな貢献をすることを期待申し上げます。

 中日友好の基盤は民間にあります。民間友好は一貫して中日関係の独特な強みとして、いつになっても手放してはならない宝物でもあります。「疾風に勁草を知る、烈火に真金を見る」と言われるように、両国関係も風雨にさらされてこそ、民間友好の価値と力が際立つ。両国の友人が積極的な行動で、友好と協力の旗を高く掲げ、プラスエネルギーを広げ、人的文化交流と民間地方往来を力強く推進し、両国民とりわけ青少年同士の交流を強化し、心のふれあい、通じ合いを促し、友情の絆を深め、民間友好の新ブームを盛り上げていただくことを心から願うところであります。

 末筆ながら、友人の皆様のご健勝ご多幸を心からお祈り申し上げ、新たな一年において中日関係のさらなる大きな改善と発展、中日平和友好、協力ウィンウィンの新たな一章が開かれることを祈念申し上げます。

 第26期第2回日中連続市民講座、中国残留孤児3世がかかえる課題を考える(12/18)

 日中関係を考える連続市民講座第26期第2回は、元中学校教諭の飯島春光さんが「中国残留孤児3世がかかえる課題」と題して講演しました。学校教育の現場での経験や取り組みを踏まえ、残留孤児の歴史的背景を学ぶ大切さを訴えました。

 飯島さんは勤務先の長野市内の中学校で、中国人への偏見から帰国者3世や4世の生徒へのいじめが深刻化したことを紹介。生徒の祖父母らから、戦時中に旧満州(中国東北部)で苦労した経験を聞き取り、授業で他の生徒と共有することで帰国者への理解を深めたとしました。「周囲だけでなく、当事者の3世ですら自分のルーツを知らないのが問題だった」と話しました。

 帰国者の問題が世代をまたいで続いている背景として、「学校教育で満蒙開拓の歴史が十分に教えられていない」と指摘しました。 講演終了後受講者から次々と質問や感想が出されました。

 第26期日中関係を考える連続市民講座スタート(11/26)

第26期日中関係を考える連続市民講座が11月27日からスタートしました。県内の大学と県日中友好協会などで作る県日中学術交流委員会主催で、毎月1回のペースで文化、歴史、経済関係などをテーマに計6回の講座が開かれます。

 第1回は長野大学の塚瀬進教授が「中国における満州族の歴史」と題して講演しました。当日は24名が熱心に受講しました

―中国の人口統計によると約1000万人の満族(満州族)がいるととされる。共通の宗教や言語は存在しない。マンチュリア(満州)における満州人の軌跡を見ると、①ヌルハチ・ホンタイジがジュシェン(女真)人(その後マンジュ=満州と呼ぶ)の各部族を統合し、八旗に編成して軍事力の動員を効率的にし、周辺のモンゴル人、漢人を取り込み勢力を拡大。②山海関から入関後は、漢人移住者を取り込み、旗人の人数は増加。旗人は、マンチュリア、北京、各地の駐防拠点に配置された。③20世紀以降、旗人の特権は廃止、さらには打倒の対象となる。④中華人民共和国により少数民族に指定され、民族として存在が認められる、などと―と語りました。講演終了後、出席者から活発な質問や意見が出されました。

 連続市民講座の開催趣旨は次の通りです。

 日中国交正常化から50年を経過しました。日中関係は新型コロナによる人的交流のストップ、米中対立の激化によって、経済、文化学術、スポーツなどの分野の交流においても困難が続いています。日中共同声明の原点に返って日中関係を破たんさせないため英知を集め、両国国民の相互信頼関係を醸成していくことが望まれます。歴史的に深いかかわりを持ち、日本の最大 の貿易相手国である中国はGDP第2位の経済大国となり巨大な変化を遂げています。14億人が住む隣国中国に対する理解を深めることは日本にとって一層重要となっています。長野県日中学術交流委員会では、中国を多面的に理解するために県内で活躍している大学・短大等の先生を講師に迎え、第26期連続市民講座を計画しました。多数ご参加ください。

 県日中女性委員会、田中角栄記念館を訪問(11/8)  

県日中友好協会女性委員会は11月8日、日中国交正常化50周年記念バスツアーで、柏崎市の田中角栄記念館を訪ねた。美しい紅葉を眺めながら、車中では西堀正司さん(県日中副会長)による恒例のレクチャーを受けた。第64代内閣総理大臣に任命された時は54歳の最年少で、就任直前の「日本列島改造論」で、大都市と地方の格差をなくすために高速道路や新幹線網の壮大な構想を発表。明晰な知識と実行力は「コンピューター付ブルドーザー」と呼ばれ、様々なエピソードを興味深々で伺った。

北陸高速道西山インターを降りて、すぐの記念館では、ビデオ鑑賞後、遺墨・遺品などの展示を見学。目白御殿と言われた東京の自宅応接間も再現されていた。等身大の角栄パネル前では各自、スマホでの記念撮影が人気だった。

昼食は「角さんの台所」で角さんが愛した具たくさんの郷土食・のっぺい汁と西山産コシヒカリのおにぎりをいただいた。帰路は門の表札に「田中」と記した生家をバスから確認。新井の鮮魚センターで買い物を楽しみ無事帰宅した。

新潟の寒村に生まれで、小学卒から総理まで上り詰めた角栄に賛否両論あるが、“人間・田中角栄”の魅力を感じた一日だった。( 事務局長 松原京子)

女性委員会研修旅行に感謝して!
          県日中友好協会理事長 大月良則

私の手元に一枚の写真があります。宮澤女性委員長、西堀さんを中心に30数名余の晴れやかな表情の写真、日中国交正常化50周年を記念した女性委員会主催の研修旅行の写真です。

 田中角栄記念館へ向かう車中では、全国日中西堀専務理事を講師に、日中国交正常化の講演をいただきました。豪雪地帯の新潟からお嫁さんを迎えた長野県の家は、忍耐強いお嫁さんのお陰で家が栄えた話からスタート、田中総理を支えた女性のお話しへと進み、クライマックスは、田中総理の訪中秘話。当時、田中総理が、信念をもって、米国より先に国交正常化をなしえたこと、1972年の国交正常化へ向けての訪中は、戦後賠償、台湾問題、日米安保の3つの重要案件が未解決の状態で、国交正常化が実現するかどうかは、大きなかけであったこと等々、改めて先人の皆さんの英知と勇気に感銘を受けての田中角栄記念館、生家訪問となりました。

日中友好交流の取組みは、新型コロナの感染拡大により、ここ3年、中国の友人の皆さんとの対面での交流が途絶えています。また、各支部におかれても制約が多い中での活動となっています。

いただいた記念写真を見て、参加者の笑顔に、改めて、友好交流が人と人との温もりのある交流が原点であることを感じたところです。来年の日中平和友好条約締結45周年、河北省との友好交流提携40周年へ向けて、友好交流推進への思いを強くした1日となりました。女性委員会の皆様、吉岡さんありがとうございました。 

 第40回中国語スピーチコンテスト長野県大会、20人が出場(10/29)

 1029日、長野県日中友好協会ラジオ孔子学堂の主催による第40回中国語スピーチコンテスト長野県大会が信濃教育会館講堂で開催され、高校生や大学生・一般社会人20人が出場しました。

朗読部門には高校生の部3人、大学生の部5人と一般の部5人が出場、それぞれ全国統一課題文を発表し発音や表現力、熟練度を競いました。

 スピーチ部門には高校生・大学生の部に3人、一般の部に4人が出場し、自作文で内容や表現力を競いました。多様なテーマを取り上げ、レベルの高い弁論発表となりました。

--「キングダム」に魅せられ、中国語を学び始めたが中国の歴史文化に興味を持った。中国語を学んできたが就職内定企業が中国と取引のある会社で中国語が活かせることになり新たな目標ができた。高校の教師時代漢詩を中国語で朗詠したいと思ったが未達成、いま中国語のレベルアップを日常生活の中で工夫し学んでいる。中国人画家が描く日本の祭りの水墨画に感動した。大学でグローバル化の部門を担当しているが中国語を通じて出会いがあり交流が始まった、等々。

スピーチ部門の学生の部で優勝したのは、小林美月さん。英語は高校まで学んできたが通り一遍なものだった。大学に入って中国語を学び始めてからたくさんの出会いがあった。今後の人生に活かしていきたい、と流暢な中国語で発表しました。一般の部で優勝したのは清水岳美さん。技能実習生の外国人に日本語を教える中で有意義な体験をしたことを力強い中国語で発表しました。

 審査委員長の夏丹さんは講評の中で、熱のこもった発表で日ごろの努力の成果が見られ素晴らしかったと述べるとともに、「自分も日本語を特訓中だが、正確な発音や流暢さ、イントネーションを意識することが大切と思う。スピーチ部門では中国人との交流や、中国語を学ぶ中での発見、今後の希望や夢・新たな決意も表明され、多くの方に共感と元気を与えた」と、評価しました。

 安芸洋一長野ラジオ孔子学堂長は冒頭の主催者あいさつで「今回は40回目であり、また国交正常化50周年にあたる。コロナ禍により、学習機会がリモートになるなど、困難な中、勇気をもってチャレンジした出場者に敬意を表いたい。日ごろの学習の成果を発揮してほしい。中国語の学習を通じて相互理解を深め、日中友好の輪が広がることを期待しています」と述べました。

 西堀正司県日中友好協会副会長は来賓あいさつの中で「日中国交正常化50周年、スピーチコンテストも40回を迎えたがこの間中国語の普及向上に貢献してきた。中国語を通じて現在の中国を理解し日中友好に貢献してほしい」とあいさつしました。

 入賞者は次のとおりです。
◇スピーチ部門 高校生・大学生の部 ①小林美月 ②根橋佑奈 ③宮澤 開

◇スピーチ部門 一般の部 ①清水岳美 ②依田光枝 ③原田健司 (奨励賞)千村美恵子
◇朗読部門 高校生の部 ①飯島健介 ②田中来愛 ③水澤優羽
◇朗読部門 大学生の部 ①長澤日向花 ②藤巻美新 ③中坪香菜 (奨励賞)松尾優風 (敢闘賞)太田侑月 
◇朗読部門 一般の部 ①宮坂光子 ②老月秀光 ③木下佐和子  (奨励賞)宮沢一三 (敢闘賞)深井克純

 入賞者にはトロフィーや楯が贈られました。成績優秀者は来年1月の全国大会に推薦されます。

日中国交正常化50周年記念し講演会、西園寺一晃氏を講師に開催(10/18)

 長野県日中友好協会・県日中経済交流促進協議会・県日中学術交流委員会は10月18日、日中国交正常化50周年記念講演会を長野市内のホテル犀北館で開きました。講演会には、各界来賓や県内各地から120名が出席。西園寺一晃先生(元朝日新聞総合研究センター主任研究員)を講師に迎え「米中対立激化の中での日中関係・その現状と展望」と題して記念講演が行われました。終了後、先生を囲んでパネルディスカッションがおこなわれました。中国研究、日中関係の第一線で活躍されている先生ならではのお話で、グローバルな視点から日中関係のおかれている現状と課題を考える有意義な機会となりました。

 布施正幸・県日中友好協会副会長が主催者を代表して、「日中国交正常化50周年を迎えたが、日中関係は経済交流が史上最高を記録している一方、コロナ禍や、尖閣問題、米中対立の激化など多くの困難にぶつかっている。とりわけ米中対立の激化の波に巻き込まれて両国関係が破たんするようなことの無いよう英知を集めて進んで行くことが大切と思う。先生を講師に迎え、グローバルな視点から日中関係のおかれている現状と課題を考えていきたい」とあいさつしました。

 阿部守一県知事の祝賀メッセージが小林一洋県国際交流課長から披露されました。知事は「日本と中国は一衣帯水の隣国同士であり、文化的、歴史的ばかりでなく、経済的にもお互いなくてはならない深い関係にある。来年は長野県と河北省との友好提携40周年の節目を迎える。これまで積み重ねてきた両県省の交流の更なる深化を図っていきたい。講演会が日中関係の理解を深める場となることを期待申し上げます」と述べています。

西園寺先生は、米中対立の現状を分かりやすく解説し、今後もこの対立は長く続くが米中戦争は起こらないと述べました。また1972年の日中国交正常化に至った経過を振り返り、他の国とは違って民間交流の積み重ねがありLT貿易など経済界の期待が大きかったと指摘しました。米中対立が激化する中、「日本は米中のはざまでどのようなスタンスをとるか。双方とバランスの取れた、いい関係を構築しないといけない」と述べました。

講演後、西園寺先生を囲んで西堀正司・県日中副会長がコーディネーター役をつとめ、土屋龍一郎氏(元日本青年会議所会頭)と大月良則氏(県日中理事長・元県国際担当部長)をパネラーに、パネルディスカッションが行われました。(概略下記参照)

≪西園寺先生の講演「米中対立激化の中での日中関係・その現状と展望」 ≫

この数年世界はコロナ禍と米中対立に翻弄されてきた。コロナ禍は終息しつつあるが、米中対立は長く続くだろう。しかし核の時代にあって大国同士の大きな戦争は核戦争となり、人類の滅亡につながる。ウクライナを見ても米ロ戦争にはならない。ポストコロナは米中対立で回っていく。対立は続いても、米中戦争は起こらないだろう。人類史上ローマ帝国など大国強国が表れたが永遠に続くことはない。近代に入って世界の覇権を握っていた大英帝国も2度の大戦を経てアメリカにとってかわられた。米国の覇権もいつまでも続くわけではない。

世界はポスト冷戦の大変革期にある。米ソ冷戦がおわり世界はかえって無秩序になって紛争が多発している。米中対立を軸に動いている。対立は主として経済、貿易、ハイテク分野で激化している。トランプ時代は一国主義で貿易赤字問題が中心だった。バイデン時代になると、親米国家をまとめて中国に対抗しようとしている。仲間を作って中国を封じ込める戦略。「自由と民主主義」の価値観を同じくする国、「自由で開かれたインド太平洋」を標榜しアメリカを中心とした旧秩序を守る。一方どの国も経済グローバル化が進む中で、GDPの1位と2位の国が争ってもなんの益もなく、「三方一両損」の状態。日中貿易ばかりでなく、米中貿易、EUの対中貿易はどんなに制限しようとしても昨年史上最高を記録している。グローバル化した世界経済では部品も国境を越えている。産業のコメと言われる半導体6割は中国が買っていた。中国産は1割。組み立て分業。米のデカップリング政策でハーウェイやテンセントなどが攻撃されたが、半導体の原料のリン酸は中国が世界の70%を産出している。またレアアースも中国が90%を産出しており、これがなければハイテク産業も成り立たないし、兵器も作れない。半導体が外部からの輸入がストップしたら中国は自国で開発する。短期的に見れば中国は困るが、長期的に見れば自国で作り米国からの輸入が減ることになる。かつての、日米経済摩擦を振り返ってみると、紡績から車そしてコンピューター、半導体へと分野は変化していったが、アメリカを追い越すことは許さない。三菱が国産の次期戦闘機を開発することも許さなかった。

 米中対立は貿易摩擦からハイテク分野の競争に移行してきている。米が中国を意識し始めたのは、中国製造2025戦略を打ち出したとき。産業のハイテク化(ハイテク化は軍事とも連動している)建国100周年の2049年には世界の先頭に立つとの目標をかかげた。「一帯一路」巨大経済圏構想、中国の宇宙開発計画(月面着陸)、中国版GPS(米のGPS覇権がくずれる)等々。イギリスの研究所の見込みでは2030年~33年に中国はアメリカを追い抜くと予測している。

 日本の報道を見ると中国は孤立していると思われがちだが、アフリカ、中南米、アジア諸国など幅広い関係を持っている。これからは、日本はアメリカ一辺倒でなく頭を柔らかくして付き合っていく必要がある。国力は貿易だけで推し量れないが、世界の主要国は中国との貿易がトップを占めている国が多い。オーストラリアを見ても輸出の35%が中国向けで、対米輸出は6.3%というのが現実だ。

 では中国は世界覇権を握ることができるのか?できないと思う。特定の強国が世界を牛耳ることはできない。核戦争に勝者はいない。露6.2千発、米5.5千発、中3.5百発--の核を持っているがこれを使ったら世界は破滅する。人類滅亡の可能性は、①核戦争、②強力なウイルス、③極端な気候変動、④環境と生態系の破壊の4つしかないだろう。

 日中関係発展の上でODAによる対中借款は3兆円を超え、これは日本のODAの69%を占めるが、中国の発展に貢献した。主として円借款で中国はこれで日本の製品を購入した。中国の発展に伴い日中貿易も増えた。50年間で350倍になった。米中が仲良くしてもらうのが日本にとって最も好ましい。日本は国益を考えれば米中対立は望まない。

日本の戦後の対中政策を見ると岸内閣は経済交流を露骨に妨害した。池田内閣は経済民生重視政策で有名だが、対中政策も政経分離政策をとり、LT貿易など民間取り決めが結ばれ、民間の経済交流は盛んになった。佐藤内閣はこの流れを抑えるために日中貿易に輸出入銀行の融資を使わせない措置をとった。(吉田書簡)安倍内閣の政策は新政経分離政策と言われ、外交安保は日米同盟強化を基礎に価値観を同じくする国と連合し、中国封じ込めをおこない、経済的には対中協力を促進するというものだ。

「台湾有事」問題。安倍氏は「台湾有事は日本有事」と言った。台湾を巡る歴史を振り返ってみると、第2次大戦終了→米ソ冷戦スタート→国共内戦が始まるがこの時の国民党は430万の軍隊と米国の支援する豊富で優秀な武器を有し、一方の共産党は130万の粟を食べぼろをまとった軍隊で、ゲリラ戦を展開。米国は蒋介石を支援したが敗れた。朝鮮戦争をきっかけに対ソ防波堤としての役割を日本に求め、日本の民主化政策を反転させ、再軍備化に進んで行った。

台湾で戦争は起きるのか?台湾が独立宣言をすれば戦争になる。あるいは偶発的な衝突が引き金になる可能性はあるが、中国はアメリカと戦争をしたくない。米中台いずれも戦争を望まない。ウクライナになぜ米は直接介入しないのか。核戦争になることを恐れている。日本は米中のはざまでどのようなスタンスをとるべきか。中国包囲網の先頭に立つのではなく、外交的努力を傾けるべきと思う。双方とバランスの取れた、いい関係を構築しないといけない。
(文責編集部)

≪西園寺先生を囲むパネルディスカッション≫

◎西堀正司コーディネーター:それぞれの立場から中国との関わり、友好の思いなどを語っていただきたい。

◎土屋龍一郎氏は日本青年会議所会頭を務めていた時の経験を振り返り、「教科書問題の最中に訪中したが、街頭で中国の人々と心通う交流ができた。政治的なギクシャクがあっても国民同士交流を深めていくことが大切と思う」と語りました。

◎大月良則氏は「“飲水思源”の言葉を大切に、友好の先達の思いを継いで県日中友好協会理事長の役割を果たしていきたい。2010年の阿部知事の訪中に秘書課長として同行したが、当時尖閣問題直後で難しい時期であったが、全国の知事に先駆けて訪中したことは、良かったと思っている」と語りました。

◎西堀氏は「官民挙げての日中交流が大切と思う。コロナ禍や様々な障害があるが、平和友好の継続は、政府の意志の問題でもあり、民間の意志の問題でもある」と述べました。

◎西園寺先生は、「日中関係は世界的に見ても特異なものがある。民間交流が先行し、その後、国交正常化が実現した。ニクソン大統領の訪中前後の動き、中国の国連復帰など外的要因も大きかったが、国交正常化には、内的要因があった。石橋湛山、松村謙三、高碕達之助氏ら多くの先達が民間交流の積み上げ方式で努力してきた。また財界の期待も大変大きかった。当時と現在の困難をと比べると当時の方がもっと厳しかった」と述べました。

◎土屋:両国関係発展のためには、地方民間交流の柱になるものが必要と思う。

◎大月:交流の柱の一つとして、長野県は中国と40年にわたるスキー交流をおこなってきた。本年2月の北京冬季五輪のスキー競技は河北省の張家口市で開催された。新華社が40年間の交流を詳しく紹介した。今後も交流を続けていきたいし、インバウンド事業にもつながっていくと思う。

◎西堀:明治維新から敗戦まで77年、敗戦から本年まで77年になる。未来に向けての77年は2099年で21世紀末となる。日本と中国の付き合いの過去・現在・未来を顧みて、今を生きる我々は日中両国の平和友好のために努力していきたい。(文責編集部)


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