友好短信2010.1月~12月


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日中友好協会60周年講演と祝賀のつどい、加藤千洋(ちひろ)氏が講演(12/3)

 長野県日中友好協会・県日中経済交流促進協議会・県日中学術交流委員会は12月3日、日中友好協会創立60周年を記念し講演と祝賀のつどいを長野市内のホテル犀北館で開きました。講演会には、200名が出席。朝日新聞中国総局長や編集委員、ニュースステーションのコメンテーターとして活躍された加藤千洋(ちひろ)・同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授が「激動する世界の中の日本と中国」と題して記念講演しました。講演終了後、先生を囲んでのパネルディスカッションと祝賀パーティーがおこなわれました。友好の意義を再確認し共有できた有意義な1日となりました。

激動する世界の中の日本と中国―3つの逆転と中国の行方そして日中関係--加藤千洋・同志社大学大学院教授

 内藤武男・県日中経済交流促進協議会会長の開会のあいさつに続き、井出正一・県日中友好協会会長が主催者を代表して「日中友好協会創立60周年にあたり、10月には北京の人民大会堂で日本から1200人、中国から宋健中日友好協会会長ら100人の友人も参加して祝賀会が行われた。席上加藤紘一日中全国会長に代わり代表してあいさつした。尖閣沖の漁船衝突事件以来一挙に日中関係が厳しくなり崩れそうになり、そんな中での祝賀会だったので一抹の不安もあったが、こんなときだからこそ民間友好団体のわれわれが頑張らねばとの思いをもった。新中国誕生の翌年友好協会はスタートし、多くの先達が数々の困難を乗り越えて国交回復や友好発展のために尽力してきた。戦略的互恵関係が言われているが、まだもろい面もあり、より確かなものに構築することが重要と思う。国情の違いを理解し、国民感情の改善に努めること、そのためには民間の努力が重要だ。日中両国の良好な関係はアジアと世界の平和と繁栄にとって必要不可欠。中国・アジア・世界の事情に詳しい加藤千洋先生を迎えて講演をお聞きし友好協会として何をなすべきか考えていきたい」とあいさつしました。

 加藤先生はまず、世界の何がどう激動しているかに触れ、激動の世界について3つの逆転現象を上げました。①米中の逆転(昨年の自動車販売台数の米中の逆転)②日中の逆転(GDP第2位の座の逆転)③東西の逆転(歴史的に見て1820年ごろまでGDPの33%を占めていた中国が産業革命やアヘン戦争を機に没落し世界経済の中心が西に移ったが、今再び東に移ってきた)3つの逆転の主役はいずれも中国であると述べました。

 この中国と付き合って行く上で①中国の台頭、経済発展はいつまで続くか②経済が豊かになった中国の民主化はあるのか③不透明ではあるがますます重要となっている中国とどうやって向き合えばよいかと話を進めました。

 ①特派員として中国に7年間滞在した経験から言うと少なくとも後10年は高度成長を続けるだろう。さらにアメリカに追いつき追い越すだろうとの予測もある。沿海部の経済発展地域、内陸の後発地域など中国は島国の均一な日本と違って3~4の経済モデルが同居しており奥行きが深い。中国共産党は統治能力をもっており、また財政にゆとりがある。(バブル崩壊の対応も可能。)目標として20年までに4倍増を打ち出し、全面的小康社会の実現を掲げているが、控えめに考えても7%成長を10年続けるとGDPは倍になる。さらに10年続けると4倍になる。現在5兆ドルだから2020年には10兆ドル、30年には20兆ドル、アメリカは現在15兆ドルほどなのでこちらも一定の成長を見込んで20兆ドルとすれば計算上並ぶことになる。歴史を見ると中国の台頭は100年スパンで続いて行くものといえる。

 マクロで見ると飛ぶ鳥を落とす勢いの中国だが、問題は山積みしている。先送りしてきた問題、急ぎすぎた結果発生している問題としてエネルギー効率の悪さ、環境破壊の問題、少子高齢化問題、少数民族問題、役人の汚職の問題、中でも格差問題がある。対策として西部大開発などのような内陸部への開発投資、三農問題の解決、徴税システムの強化などに取り組んでいこうとしている。

 ②一人当たりのGDPが3700ドルから4000ドルとなると中産階級も政治的主張を始める。中国も民主化する時期ではないかと世界から見られている。56の多民族国家である中国は複雑な国情で、同列には論じられないが中国式の政治的変革が進むだろう。

 ③超高齢化社会の日本と高齢化社会になりつつある中国とどのように向かい合っていったらよいか。 1人あたりのGDPが1万ドルを超えるところが上海、広州、北京、青島と広がり、それが日本と同じ規模となっており、自動車だけでなく高級消費財が爆発的に売れる状況にある。一方、尖閣問題での反日デモ、小泉時代の反日デモ、SARSなどがありチャイナプラスワン(中国が主だが安全弁として別に1つ持つ)がいわれている。リスクがあるからといって避けるわけにはいかない。魅力ある中国を有効に使って、向き合って行くべきだろう。

 中国の友人と話しているとGDPは2位になったといっても人口は10倍、日本には10年いや20年、25年は追いつきませんと言う。それは日本のソフトパワー、完備された水道・鉄道の正確さ・トイレの清潔さ・治安の良さ・きれいな街・社会の中にある何気ない人間関係と次々と日本の良さをあげる。中国やインドに対して量的拡大競争を挑んでも太刀打ちできない。日本のソフトパワー、省エネ、環境保全などを活かし質の高い国を目指し、それを活かして中国と友好的な協力関係をつくって行くべきだろうと結びました。

 講演後に、加藤先生を囲んで西堀正司・県日中友好協会理事長の司会でパネルディスカッションが行われました。県日中学術交流委員会会長の山沢清人・信州大学学長は中国留学生が留学生全体の6割を占めており大学院生が多く、優秀な人材が多い、中国が日本に質の面で追いつくまでに25年と言う話があったが、うらがえしていうと日本の質の高さを維持しなければならないという厳しい要求でもある。日本人として人間力を鍛えることが必要と思うと述べました。山根敏郎・県日中経済交流促進協議会副会長は昭和3年生まれの自分は小中学校時代を日中戦争・太平洋戦争の中で過ごし、軍国少年として育った。日本の敗戦で世は大きく変わり、隣国中国では国共内戦の後新中国が誕生した。贖罪意識もあり新中国の歩みに深い関心を寄せてきた。尖閣問題などが起き、困難もあるが、高度経済成長を続ける中国の行方に関心を持ち続け、後20年生きて中国や世界を見続けて行きたいと語りました。

 尖閣問題、北朝鮮問題、日米中正三角形論、中国の民主化と情報統制などについての質問に対して加藤先生から、率直な見解が示され、聴衆はうなずきながら耳を傾けました。

 尖閣問題への対応では両者とも失敗したなと思う。日本の失敗は船長をあとのことを考えず逮捕したこと、釈放タイミングの悪さ、ビデオ流失への対応など、脈絡のなさが目立った。一方中国の失敗も大きかった。問題を民間交流や経済の領域にまで広げてしまったこと、南西諸島への自衛隊配備強化などの状況を作り出してしまったこと、このような情景は中国側も見たくなかっただろう。中国のネット上にはこのような姿勢に批判的意見も見られることは救いだ。北朝鮮問題への中国の対応を考える場合、中国は複雑な国で、見る角度によって違う要素を持っていることをおさえておく必要がある。外交部は厳しく当たれと考えているが、国内の安定と経済の発展が至上命題の中国にとって隣国の不安定化を望まないと言うのが本音だ。中国の民主化については現政権の置き土産となるかはちょっと疑問で次期政権でも具体像は見えてこない。情報統制システムも一方でネット空間の広がりがあり、また知識人の言論自由の幅も広がってきている。三歩前進二歩後退、すり足のような変化ではあるが、「長江の流れは、よどみ・逆流はあるが、一貫して西から東へ流れている」(江沢民)ことも事実だろう。

 西堀理事長は、中国では毛沢東・周恩来・鄧小平時代と比べて指導者のカリスマ性がなくなっている中で日中関係・対外関係の処理も大胆で柔軟な決断を下すことが難しいかもしれない。正三角形理論は理想だが、国民感情もありアメリカ一辺倒的な日本政府の対中政策となっている。しかし政治は細っているが経済関係は太い。尖閣問題も小異を残して大同の精神で処理してほしい。民間交流を拡大して尖閣問題が小異になるくらいの関係を目指すべきと述べました。

 最後に加藤先生が青少年交流の大切さに触れ留学生など一人ひとり大切にして付き合って行くことが相互信頼・友好協力の基礎になると述べ締めくくっていただきました。
 
 第2部の祝賀パーティーでは、島田力夫・長野大学学長、王昌勝・県華僑総会会、阿部守一県知事から祝辞をいただいた後、塚田佐・前長野市長の音頭で乾杯しました。また篠原孝・衆院議員(代)、北沢俊美・参院議員(代)、小坂憲次・参院議員(代)、佐々木治夫・県医師会副会長、劉非・北京放送局日本語部副部長、岡田荘士・長野市日中議連会長、田中正治・松本歯科大学理事、穂苅甲子男・信州葫蘆島の会会長、小林佑一郎・前帰国者定着促進センター所長らからスピーチをいただきました。県会開会中のため寺島義幸・県会議長からは祝電をいただきました。女性委員会メンバーが加藤先生を囲んでふるさとを合唱。会場では和やかな交流が行なわれました。最後に窪田徳右衛門・白馬村副村長の音頭で万歳で締めくくりました。塚田剛義・県信用保証協会常勤理事、星沢重幸・部落解放同盟県連副委員長、三浦義正・信州大学副学長、高橋進・長野大学学部長など各界来賓が出席されました。
第14期日中関係を考える連続市民講座スタート(11/27)

 県日中学術交流委員会主催(県日中友好協会後援)の第14期日中関係を考える連続市民講座「中国の歴史・文化と日本」が11月27日スタートしました。会場は、バスターミナル斜向かいの森ビル新館4階の日中友好センターの教室です。

 立石昌広事務局長(県短大教授)が第14期講座の開講あいさつを行い講座がスタートしました。

 第一回目は、長野大学の塚瀬進教授が「日本人の考え方、中国人の考え方」と題して講義しました。歴史的に見た中国の特徴、中国人が歴史的に大切にしてきたもの、世界の中心としての自負、法律観の違い、日本人の陥りやすい傾向など歴史学研究をバックボーンとして中国人を理解する視点で解説され有意義でした。30名あまりの皆さんが熱心にメモを取りながら耳を傾けました。

 今後、毎月1回県内の大学・短大の先生の講義が明年4月まで6回行われます。中国に関するさまざまな面を学ぶために多義にわたる内容が盛り込まれています。お誘いあってご参加ください。
横浜中華学校を訪問交流-県日中女性委員会秋の日中友好バスツアー(11/16)

 長野県日中女性委員会(村山ひとみ委員長)は11月16日、本年で3回目となる秋のバスツアーを行い、横浜中華街と横浜山手中華学校を訪問交流しました。ツアーには県下各地区女性委員会メンバーら40名が参加しました。長野駅前を6時半に出発したバスは、赤や黄色に色づいた山の向こうに白銀の北アルプスを見ながら信濃路を進み、松本、諏訪で各地区の参加者を加えて目的地に向かいました。途中、富士山の雄姿を眺め、また西堀正司理事長から日中関係についての話を聞いたり、交流会用に中国語の歌の練習をしたりしながら首都高速経由で11時半には横浜中華街に到着しました。

 APECが無事終わり平穏を取り戻した横浜ですが、ここ中華街は大勢の観光客でにぎわっていました。翠香園で美味しい中華をいただいた後、中華街を散策、関帝廟にお参りしたり、名物のシューマイなどを買い終えて、午後2時いよいよ中華学校を訪問しました。

 玄関に潘民生校長がにこやかに出迎えていただきました。4月に新装成った学校は57億円をかけた7階建の立派なもので、中華街から徒歩で15分、JR石川町駅北口前に建っています。時間の関係でまず小学部の授業を参観しました。3階では小3の子供たちが、中国語文や日本語(国語)を熱心に学んでいる様子に感心しながらシャッターを切りました。窓には全員の課題文の書き取りなどが展示されていて、才能を積極的に伸ばす競争原理を取り入れている様子が伺えました。4階の中国文化室に案内いただき、潘校長の歓迎あいさつの後、映像を交えて学校の概況と歴史を紹介していただきました。

 小・中学部と幼稚園があり現在生徒数は526人(内幼稚園児106人)、先生と職員が41人だそうです。日本の制度上の規定で、学校法人としての認可が得られず、各種学校としての苦労もある中で、華僑・華人の子女を主な対象として能力開発教育を推進してきたと言います。「①中日2ヶ国語を流暢に話せ、②日本の学校と同等の学力を持ち、③総合的素質を向上させ競争力を備えた時代の要請に合致した中日友好と発展に貢献できる人材育成-これが本校の教育目標です」。自信に満ちた潘校長の姿が印象的でした。

 先生はまた1898年に孫文の提唱により横浜大同学院として創立されて以来の学校の歴史を紹介されました。100余年の歩みの中で、関東大震災、米軍大空襲、台湾当局からの干渉などさまざまな困難があった中で、多くの愛国華僑の支持と協力を得てそれを克服し、在日華僑華人の子弟に中華文化を伝え、中日両国の友好促進に努め、時代の要請に沿った人材養成に励んできたととのことです。会員からも次々と質問が出され、有意義な交流会となりました。放課後、体育館では卓球が行われていました。1階でかわいい盛りの幼稚園児に囲まれてカメラに収まり、皆さん感激でした。潘校長に感謝しながら学校を後にしました。

 帰りのバスの中では、感想をそれぞれが発表し、カラオケで交流しながら大いに盛り上がって、友好の1日を終えました。今回の訪問では長野県華僑総会の王昌勝会長に大変お世話になりました。
北京人民大会堂に1300人、盛大に協会創立60周年を祝う(10/15)
 <井出会長が代表あいさつ、長野県内から9団175人が参加>

 日中友好協会創立60周年を記念して、10・15北京大集会が北京・人民大会堂で盛大に行われました。全国各地から集まった会員ら1300人が60周年を祝賀し新たな60年に向けて活動を進めて行くことを誓い合いました。

 長野県からも長野県日中友好の翼訪中団、県経済交流団、中野友好協会訪中団、茅野友好訪中団、飯山・上田・飯田の各友好訪中団、日中高齢者大学、スワロースキーなど9団175人が参加しました。また病気で欠席した加藤紘一全国会長に代わって井出正一会長(全国副会長)が日本側代表としてあいさつしました。秋晴れの北京秋天のもと全国から集まった会員が次々と人民大会堂に入場し、式典は午後6時に開幕しました。

 中国側を代表して宋健中日友好協会会長が協会の活動に敬意を表し「国交正常化以来38年、両国関係は風雨や曲折を経てきたが、大きな発展を遂げ両国人民に実際的利益をもたらした。友好の任重くして道遠し。友好の旗印を高く掲げ、青少年間の交流を進め、子々孫々までの友好を深めるため貢献していこう」とあいさつ。 *ともに進み新しい貢献を--宋健・中日友好協会会長

 井出正一会長は「晴れ晴れしい祝賀のひと時を秋天の北京で迎えることが出来た」と感謝し、「初心に帰り新たな60年を始める決意で、両国の相互理解と国民感情の改善を図る交流を会員一丸となって続けたい」と決意を述べました。(写真) *新たな60年へ-会員一丸となって諸交流を--井出正一・(社)日中友好協会副会長(長野県日中友好協会会長

 続いて行われた表彰式では60人が表彰され、受賞者に宋健会長から賞状が手渡されました。長野県関係者では、堀内巳次(全国名誉副会長)・井出正一・内藤武男(県日中副会長)の三氏が受賞しました。丹羽宇一郎・日本大使の音頭で乾杯、華やかな雑技も披露され、会場は和やかな雰囲気に包まれました。広い会場のいたるところで名刺交換や記念撮影などほほえましい交流が行なわれました。

慶祝日中友好協会成立60周年紀念大会在京挙行(中日友好協会ホームページより)


1015日,由中国人民对外友好协会、中日友好协会和日中友好协会共同主办的庆祝日中友好协会成立60周年纪念大会在北京人民大会堂举行。这是中日友好协会会长宋健(右)和日本前厚生劳动大臣、日中友好协会副会长井出正一祝酒。 新华社记者兰红光摄

由中日友好协会、中国人民对外友好协会和日中友好协会共同主办的庆祝日中友好协会成立60周年纪念大会15日晚在人民大会堂举行。

中日友好协会会长宋健在致辞中对日中友好协会成立60周年表示诚挚的祝贺,向长期致力于中日友好事业的日本各界人士表示衷心感谢。

宋健高度评价了日中友好协会60年来为中日友好关系发展所作的贡献。他说,中日两国是一衣带水的邻邦,两国人民有两千多年友好交往的历史。发展中日睦邻友好合作关系不仅符合两国人民的根本利益,而且有利于亚洲和世界的和平、稳定与繁荣。邦交正常化38年来,两国关系虽历经风雨曲折,但总体取得了长足发展,为两国和两国人民带来了实实在在的利益。

宋健指出,20世纪的历史教训告诉我们,和平共处、世代友好、互利合作、共同发展是两国人民的根本和长远利益所在。今后,中日友好关系的发展仍然任重而道远,需要我们两国各界人士携起手来,为实现这一目标而继续共同奋斗。

宋健表示,两国友好团体将以日中友好协会成立60周年为新的起点,携手共进,高举和平友好的旗帜,深化两国各领域各阶层,特别是青少年之间的友好交流,为发展中日战略互惠关系,促进中日世代友好不断作出新的贡献。

日本前厚生劳动大臣、日中友好协会副会长井出正一在致辞中表示,日中关系已迎来进一步推动战略互惠关系深入发展的新局面。日中友好协会将以60周年为契机,不忘初衷,团结一致,为增进日中两国的相互理解和国民感情积极开展各领域的友好交流活动,努力为推动两国友好事业进一步发展作出更大的贡献。

为表彰日中友好协会长期以来为发展中日关系所作出的贡献,宋健向60名该协会代表颁发了“中日友好贡献奖”。

参加大会的还有中国有关部委、人民团体、长期从事中日友好的各界人士以及日本驻华大使丹羽宇一郎。

日中友好协会名誉顾问平山美知子,日本各地方日中友协会长及日中友好活动家1200余人专程来华参加这次庆祝活动

長野県日中友好協会代表団、北京放送を訪問(10/15)北京放送ホームページより

 10月15日の午前中、日本長野県日中友好協会の山根敏郎団長代行をはじめとする訪中団一行の40名が中国国際放送局を訪問し、中国国際放送局の張富生副局長と会談しました。(写真左:北京放送の正門にて、写真右:会談中の中国国際放送局の張富生副局長(右)と山根敏郎団長代行) 

 張局長は会談の際、代表団の来訪と長野県日中友好協会の長年に渡る北京放送の放送事業への支援と支持に対して歓迎と感謝の意を表し、中国国際放送局の最新事業について説明すると共に、「今後も中国国際放送局の事業に注目し、番組作りをはじめとする諸事業に貴重なご意見をお寄せいただけるようお願いします」と述べ、これに対し山根敏郎団長代行は、中国国際放送局の事業を高く評価した上で、「中国国際放送局のますますの発展を期待し、北京放送との連携をより深めていきたい」と語りました。(取材:トウ 徳花  馬 ゲツ)

中国サマージャンプ訓練隊白馬で1か月の訓練(9/25~10/21)

 中国スキー協会から派遣された中国サマージャンプ訓練隊の張桂珍・朴雪峰コーチをはじめとする一行10名は9月25日白馬村到着以来、白馬オリンピックジャンプ台でジャンプ訓練を熱心に行いました。今回の選手は、男子2名、女子6名で女子のジャンプ陣の育成に力点が置かれているとのことです。

 10月8日には一行は県表敬のため県スポーツ課を訪れ、県をはじめスキー関係者の支援協力に感謝の意を表しました。同日開かれた歓迎会で、朴雪峰コーチは、20年あまりの努力を通じて中国のジャンプの実力がアップしてきたことを報告し、この間これを支え続けてくれた皆様に心から感謝したいと述べました。また日中スキー交流の歴史や現況が県スキー連盟の太谷専務や西堀理事長らから報告されました。

 16歳前後の女子選手たちの今後の活躍を期待しながら全員で記念写真に納まりました。
中国語スピーチコンテスト、表現力など競う(9/23)

 第28回中国語スピーチコンテスト長野県大会が9月23日長野市の信濃教育会館で開かれました。主催は長野県日中友好協会ラジオ孔子学堂など。県内で中国語を学ぶ学生や主婦、会社員ら21人が出場し入門、初級、中級の3部門で表現力や発音の正確さを競いました。

 入門の部は与えられた課題文、、初級の一部と中級の部は出場者が考えた内容をそれぞれ5分以内で発表しました。審査員は大学講師ら5人。出場者は緊張した表情で登壇し、留学生活の様子などを元気に語りました。

 中級の部で1位となり、来年1月に都内で開かれる全国大会への出場を決めた長野市後町小6年大日方慶樹君(12)は「我的理想(僕の理想)」と題してスピーチ。将来は外交官になって核廃絶の訴えを外国に伝える仕事がしたい-との思いを話しました。「中国語は小学1年の時から学んできた。全国大会は発音の良さで勝負したい」と意気込んでいました。
長野で1300名が参加して第23回武術太極拳フェスティバル(9/23)

 県武術太極拳連盟は9月23日、第23回県日中友好武術太極拳フェスティバルを長野市若里のビッグハットで開きました。県内30団体から約1300人が参加し、日々の練習の成果を発表しました。

 古平幸司会長のあいさつに続いて西堀正司県日中友好協会理事長が太極拳の普及と発展のために一層の努力を望むとともに日中友好への協力をお願いしたいとあいさつ。

 十数人のグループから200人を超える大所帯までさまざまな団体が参加。それぞれ習熟度にあわせた「型」を披露しました。参加者は手足の先まで意識を集中させ、ゆっくりとした動きの中にも緊張感が漂っていました。
 茅野市や諏訪市の愛好家でつくる「茅野太極拳協会」の13人は、今年の諏訪大社の御柱祭にちなみ、法被姿で手におんべをもって演武。メンバーの津金勝さんは「発表はうまくいった」とほっとした様子でした。

 今回は、中国武術大会6位入賞の実績を持つ黄海光氏を招き、楊式太極扇や陳式太極剣の表演も行われ好評でした。
広東省江門市経済交流団来県、経済セミナー開く(9/22)

 県日中友好協会と県日中経済交流促進協議会の招きで広東省江門市から陳佳林・副市長一行14名が9月21~23日来県し、22日には県内経済人ら約90名が参加して、長野市内のホテル国際21で江門市経済懇談セミナーが行われました。

 主催者を代表して西堀正司・県日中友好協会理事長が、一行の来訪を歓迎し、両県市の経済人事の相互交流が一層発展するよう期待したいと述べました。陳副市長は「江門市は、広東省の珠江デルタの西に位置する華僑の故郷として有名な都市で省内で8番目の人口(410万人)を擁し、先進的製造業の重点的発展地区として注目されている。香港マカオに近く政府の行政効率が高く、投資環境がよい」と投資や経済協力を呼びかけました。

 席上、県日中友好協会と江門市対外貿易経済合作局との間で協力強化の覚書が調印取り交わされました。最後に江門市を3度訪れたことのある佐藤信行・県日中経済交流促進協議会理事(第一設計社長)が「江門市は美しい街で皆さんあたたかい。江門ドリームを実現しましょう」と呼びかけました。終了後和やかな懇親歓迎パーティーがおこなわれました。

 一行は県内滞在中、黒田・県商工部長や県経営者協会を表敬したほか、Mウエーブや善光寺などを参観しました。また陳副市長はSBCなどの取材に答え、「長野県は緑が豊かで、街は調和が取れており、人々はあたたかく、日本に対する印象は大きく変わりました。平和と発展は人類の共通した大きなテーマです。双方の知恵で、いろいろな問題を解決していきましょう」と語りました。
「周恩来と日本」写真展スタート、県日中友好協会新事務所展示ホールで(9/2~14)

日時 9月2日~14日 開催時間(平日)10:00~18:00
場所 県日中友好協会展示ホール(岡田町166-1森ビル新館4階) 
入場無料


 7月1日事務所が森ビル新館4階に移転し、新たに中国文化展示ホールが加わりました。日中友好協会創立60周年と長野ラジオ孔子学堂設立3周年を記念して9月2日~14日「周恩来と日本」写真展が開催されています。展示は4部構成となっており、周恩来と日本のかかわりの足跡をたどることが出来ます。

 青年時代に日本へ渡った周恩来は、日本で視野を広げ、新しい思想に接するなど大きく成長しました。新中国成立後は日本との関係を重視し、1972年の日中国交正常化に尽力、最も多くの日本人と会見し友情を交わした中国の指導者といわれています。卓越した外交手腕と高潔な人格は多くの日本人に強い印象を残しました。この写真展を通して日中の友愛の絆の大切さと素晴らしさに思いを馳せていただけるよう期待します。

 9月3日には折から長野県を訪問していた河北省友好代表団(王占明省外事弁公室副主任一行6名)も来場しました。中国で敬愛されていた周恩来総理ですが、日本でも人気が高く尊敬されていると聞いて深くうなづいていました。
第37回長野ラジオ孔子学堂・日中友好中国語夏期スクーリング(8/27~29)

 恒例の日中友好中国語夏期スクーリングが8月27日から29日志賀高原で開催されました。猛暑が続く里から離れて、涼しい快適な環境の中で、30名あまりの参加者は入門・初級・中級・上級クラスに別れ、中国人ベテラン教師の指導のもと2泊3日の中国語徹底学習に励みました。

 開校式で北沢久・孔子学堂長は「言葉は友好と文化の架け橋です。貴重な機会をフルに活かして中国語をより深くマスターして友好実践に役立てていきましょう」とあいさつしました。各クラスでは教師の事前に準備した教材を使って発音・会話・文法・応用と熱心に学ぶ姿が見受けられました。夜の交流懇親会では日中両国の歌が次々に披露され盛り上がりました。朝はラジオ体操、太極拳に汗を流し、気持ちを入れ替えて再び特訓が始まりました。中国国際放送局東京支局の謝宏宇支局長も多忙の中駆けつけていただき、「現代中国事情」と題して講演しました。

 参加者は、日ごろの学習では体得できなかった発音や語法上の疑問、学習のコツなどが理解でき大変有意義だったと喜んでいました。また県外から参加していただいた方は、来年も是非参加したいと語っていました。
「満蒙開拓歴史展」成功裡に 開催(8/21~29)


 8月21日から29日まで9日間にわたり阿智村中央公民館で開催されていた「満蒙開拓歴史展」は予想を遙かに上回る約1,800人の来場者があり、成功裡に終えることが出来ました。今回の歴史展成功により記念館建設実現に向けての大きな弾みと励みとすることが出来ました。 人々の中に、今こそ、戦争体験者の話を聞いておかなくては、との思いが少なからずあり、殊に語られることの少なかった満蒙開拓についての関心は高く、「語り部」たちの悲惨な話に耳を傾け、不戦の誓いを新たにする機会になったのではないかと思います。 戦後65年目の暑い夏はまもなく終わりますが、当準備会では今回の歴史展を契機に、満蒙開拓平和記念館建設の意義を広く訴え、その実現に向けて一層努力して行く所存です。今後とも皆様方の更なるご支援、ご協力をお願い申し上げます。 なお、今回の歴史展の開催結果概要と成果等を記録報告する報告書を事務局にて作成準備中です。
(写真左から)①オープンセレモニー、②・③写真展示、④リレー講義

*戦後65年に当たる今年の夏、念願の満蒙開拓平和記念館実現に向けて、「満蒙開拓歴史展」が開かれました。この歴史展は記念館事業準備会が主催し、長野県をはじめ阿智村、飯田日中友好協会、日中手をつなぐ会等多くの皆さまの協力の中で開かれたものです。その概要は、8月21日(土)、関係者によるオープンセレモニーから始まり、この日はNHKドラマ「遙かなる絆」の城戸久枝さんの基調講演。期間中は多彩な3つのイベントが行われました。 

〈企画Ⅰ…展示〉
  期間中、阿智村中央公民館に満洲開拓の歴史を時代背景とともに「写真、資料」等で展示。
〈企画Ⅱ…語り部〉8/22~28
  6日間に亘って、満蒙開拓「体験者」 による語り部のお話を連続して開催。
〈企画Ⅲ…リレー講義〉8/28
  上條宏之先生はじめ4人の講師を招きリレー講義。

日中友好協会創立60周年を記念して、中国雑技団長野公演(8/10)

 日中友好協会創立60周年・長野ラジオ孔子学堂設立3周年を記念し、日中友好協会とSBCの共催で、国立中国雑技団長野公演がホクト文化ホールで開かれました。約1200人の市民の皆さんが雑技を楽しみました。夏休みで子供連れの姿が目立ちました。

 世界中から驚きと賞賛の声を浴びるアクロバットの集大成、中国雑技。その最高峰に位置する国立の中国雑技団スタッフの息もつかせぬ技の数々。超絶の雑技と現代ステージアートを融合させた雑技の新境地「スーパーサプライズ」は大勢の雑技ファンを魅了しました。

 舞台は、「バーチャルなサーカス学校のある1日」の設定で斬新なコスチュームをまとった劇団員が大活躍。拍球、流星、蹬傘、、空竹、頂技、跳飛技、滾杯、車技など専門的な技もタイムリーな日本語解説で分かりやすく進行していきます。素晴らしい技が次々と繰り広げられると驚きの声とともに満場の拍手が送られました。

 最後に公演実行委員会から花束が贈られました。公演後のロビーでは「素晴らしい舞台に感激しました」と感動の面持ちで団員と握手する光景が見受けられました。
第20次中国留学生ホームステイ、30名の皆さんが来県(7/27~29)

 7月27~29日、(財)日中友好会館・後楽寮派遣の中国留学生30名を9地区で受け入れ、ホームステイや地区での歓迎交流がおこなわれました。日本の風俗習慣などに理解を深める良い機会と今年もおおぜいの皆さんが参加してくれました。

 27日長野駅頭では12名の中国留学生を長野市・飯山市・山ノ内町・中野などの日中友好協会のメンバーが出迎え、オリンピックエンブレムの前で歓迎対面式をおこないました。北島良一県日中副理事長はここ信州で思い出に残る楽しい3日間を過ごしてくださいと歓迎あいさつ。続いて、受け入れホスト家庭の皆さんの紹介がおこなわれ、留学生としっかり握手しました。留学生代表が、長野県の素晴らしい自然と日本の伝統文化を体験し皆さんとの友好を深めたいとあいさつしました。全員で記念撮影の後、各地区に出発していきました。

 留学生の皆さんは、小諸・大北・豊科・富士見・伊南の各地でも2泊3日でホームステイや市町村長表敬、地域の視察参観などを体験しました。

 29日、再び長野駅で再会した留学生の皆さんは、ホスト家庭の皆さんとすっかり打ち解けた様子で、「長野のお父さんお母さん」と写真に納まっていました。「本当に有意義な3日間でした。これからもよろしくお願いします。再見(サイチェン)」名残を惜しみながら、お別れしました。


中国留学生ホームステイ熱烈歓迎
                           大北日中友好協会  佐藤節子

大北日中友好協会は、希望溢れる留学生をお迎えする為、準備会議・表敬訪問の依頼などを進め、27日にホスト家庭のペンションに8名をご案内しました。夕刻からは、福島会長の要請で白馬村副村長・議会議長はじめ白馬村の元要職各位も歓迎会に参加され、焼き肉・もちつき大会・日本舞踊・歌と続く中、留学生も楽しく参加・協力。
 28日は白馬村太田村長さんを訪問。続けてオリンピックジャンプ台・五竜岳・NPO障害者作業所・村営施設そば打ち体験・白馬八方温泉巡りの1日コース。29日は大町市・松川村を表敬訪問。ちひろ美術館~道の駅で昼食、信濃松川駅で福島会長・事務局が見送り終了しました。
「素晴らしい山・美しい緑・優しい笑顔の皆様を忘れる事はないでしょう。きっともう一度来たいと思います。僕達の為に、本当に有難うございました」と感動の涙を浮かべて帰りました。彼らが日中友好の懸け橋として活躍してくれることを心より念じ報告と致します。

柏崎で第45回日中友好海キャンプ(7/18・19)

 長野県日中友好協会青年委員会と女性委員会の主催で第45回日中友好海キャンプが柏崎国民休養地キャンプ場で開かれました。留学生や帰国者、日中友好協会会員など90余人が参加しました。

 「友好王国」を建国宣言して、晴れ渡った夏空のもと元気に海水浴、バーベキュー、キャンプファイヤー、カレー作り、自由交流と有意義な2日間を過ごしました。海の家に移動、準備が終わって海にチャレンジ、海水浴は初めてという留学生、帰国者もいて、皆さん大喜びでした。心行くまで海を楽しんだ後は、キャンプ地に戻って、5班に分かれて食事の準備。炭火のバーベキュー、ビール片手に焼肉をほおばり会話が弾みました。キャンプファイヤーを囲んでヤンコー踊りやウララを踊り、最後は花火を楽しみました。

 翌朝は7時起床、ラジオ体操で体をほぐした後、カレー作りに励みました。各班それぞれの味自慢のカレーをおいしく食べ、元気な若者たちは再び海に向かいました。木陰でフリータイムを楽しむみなさんの脇で、女性委員会スタッフはせっせと残ったご飯をおむすびに。海グループが戻ったところでスイカ割りがおこなわれ、みんなで山形村の冷えた黄色いスイカを頬張りました。

 閉会式で、留学生代表は、「海水浴もバーベキューもキャンプファイヤーも、バンガローの固い床も忘れがたい思い出。本当に楽しかったです」と感謝していました。
河北省経済セミナー開く(7/13)

 長野県と友好提携している河北省から経済協力代表団(楊崇勇副省長一行19名)が7月13日来県し、河北省への企業進出を呼びかける経済セミナーを開きました。楊副省長は「高い経済成長を続ける中国にあって、河北省などの環渤海湾地域は第3の経済成長地域として注目を集めている。全土の10%以上の市場シェアを有する首都経済圏を形成している。河北省はGDP全国6位でコストが安く土地が広大、交通などの基盤整備も大きく進んだ。バイオ製薬、新型エネルギー電子工業などハイテク分野の業種も発展を見ている。長野県の優れた技術と河北省の豊富な資源、人材が協力提携できれば大変素晴らしい。今後の協力発展を願う」と述べました。

 また石家荘市の劉暁軍副市長(市ハイテク開発区書記)や孫金博・保定市ハイテク開発区主任、張召堂・滄州市臨港化工園区管理委員会主任がそれぞれの開発区の様子を紹介し、企業進出を呼びかけました。続いて河北省紹介のDVDが上映されました。また中国に生産拠点を持つオリオン機械(須坂市)の担当者も中国人幹部を育て現地企業の経営を全面的に任せていることや、主力製品の搾乳機の中国内市場での販路が拡大してきていること、広東省だけでなく上海周辺での労働者の賃金水準があがっている状況などを説明しました。

 セミナーには県内企業や経済団体、県や県日中経済交流促進協議会、県日中友好協会関係者ら7約70名が出席しました。セミナー終了後交流懇親会が開かれ、板倉敏和県副知事がセミナーの成功を祝い長野県と河北省の経済協力発展に努めていきたいとあいさつしました。最後に井出正一県日中友好協会会長が河北省側の積極姿勢に応え経済分野においても協力関係を促進していきたいと述べ一本締めをの音頭を取って有意義な会は終了しました。
河北省との経済交流推進を決定、日中経済交流促進協議会総会(6/15)

  長野県日中経済交流促進協議会は、6月15日、長野市内のホテル犀北館で第34回定期総会を開きました。

 総会で、内藤武男会長は、「世界的経済不況からの脱出の上で中国が牽引車的な役割を果たしている。県内企業も400社が中国に進出しており中国との経済協力関係はますます重要性を増している。本年4月友好提携している河北省との経済交流を促進するため県が呼びかけて県河北省経済交流推進協議会を立ち上げ、6月に経済調査団を派遣した。河北省との経済交流促進に当協議会としても力を入れて行きたい」と述べました。

 09年度の事業報告と決算を承認した後、河北省との経済交流推進を柱に訪中団の派遣、視察団の受け入れなど10年度の事業計画・予算を決めました。

 総会終了後、中国でのビジネスをテーマに座談会を開催。現地の事情に詳しい山根敏郎副会長(守谷商会相談役)、夏目潔理事長(夏目社長)、西堀正司常務理事(県日中友好協会理事長)が、新たな事業展開の可能性について意見交換しました。

 夏目理事長は、中国での自動車の急速な普及に伴い現地で急成長する日本の自動車教習所を紹介。「日本が先進的にすすめてきた事業モデルを発揮できるかがカギだ」と語りました。西堀常務理事は、世界最大の鉄鋼生産国になるなど重化学工業が成長する一方で「深刻化している環境問題を解決する事業にチャンスがある」と指摘しました。また山根副会長は工業地区として開発が進む河北省唐山市の現状を紹介し、「時間がたつと土地代の上昇で手が出なくなる。進出するなら早い段階ほど有効だ」と述べました。
 
中国へスキー、40名で積み込み作業(6/14)

 長野県日中スキー交流委員会は6月14日、長野運動公園・陸上競技場の南ゲートで中国に贈るスキー用具の積み込み作業を行いました。

 県スキー連盟傘下の各スキークラブや日中友好協会メンバー40人が2台の大型トラックに5月集約されたスキー板3000台、靴1800足、ストック2500組を次々と積み込んでいきました。すでに集約の過程で長野市スキークラブの皆さんがしっかり対にして紐で結わえ井桁に組んで整理してあり、8:30からスタートした作業は順調に進み11:30には終了しました。

 ボランティアで参加した皆さんは、「スキーの積み込みは年中行事のようになっており、このスキーが中国の皆さんの役に立ってくれればありがたい。要望がある限り、来年も続けたい」と語っていました。アジアのスキー振興のためにとの思いで故片桐匡先生(元県スキー連盟会長)が呼びかけはじめられたこの取り組みもすでに27年目を迎え、累計12万7千台に達しています。

 スキーは横浜港から40フィートコンテナ2台に分けて、大連港と秦皇島港に向けて送られ、月内にはそれぞれ、瀋陽体育学院と河北省側に受け取られる運びです。
中国高校生訪日団、交流し友情育む(6/10~13)

 「21世紀東アジア青少年大交流計画」の一環で6月10日から13日、中国高校生訪日団第2陣の一行49名が長野県を訪れました。河北省教育庁国際処の董郁倩さん(29歳)を団長に高校生42名、随行7名で構成されており、生徒は石家荘市第2中及び第9中、滄州市第2中、石油天然気管道局中(中国では中学が初級=中学と高級=高校に分かれている)などいずれも河北省内の優秀高校の皆さん。県日中友好協会が県・県教育委員会とともに受け入れました。

 長野駅頭で友好協会会員から横断幕で迎えられた一行は市内のホテルで早速、歓迎交流会に出席しました。山根敏郎県日中副会長や久保田篤県観光部長らが「親戚の長野県にようこそ」と熱烈歓迎のあいさつ。董団長も「我が家に帰ったようなあたたかさを感じました。長野県の素晴らしさを体感して帰りたい」。生徒代表の張旭彤さん(高2)も「長野訪問を通じて日本を知りたい。一緒に平和な世界を作りましょう」と語りました。続いて県国際課の糊倉さんから長野県が映像を交えて紹介されました。

 一行はこの日午後、みすずコーポレーションを参観、大連にも進出している企業だけあって、説明案内していただいた執行役員の田中雅美さんは流暢な中国語で生徒たちの拍手を受けていました。中国市場での販売も展望して、凍り豆腐や稲荷などの製品のアンケートを兼ねての試食は好評でした。

 続いて、石家荘市から1985年贈られた人気者のレサーパンダが活躍している茶臼山動物園では、須田哲園長さんが丁寧に案内してくれました。緑に囲まれた山腹にキリンやライオン、サルや象が気持ちよさそうに動き回っており、一番奥のレサーパンダの森には12頭ものかわいらしいレサーパンダが活発に動き回ってみんなを歓迎してくれました。特に、全国でも1匹だけという飼育員になついたパンダにじかに触ってみんな大喜びでした。

 一日の疲れを上山田温泉の宿で癒した一行は翌11日午前中戸隠の自然を満喫しました。神話伝説に耳を傾け、合格祈願の神様でもある中社を参拝、続いて戸隠流忍法館でからくり屋敷に感嘆の声を上げ、戸隠そば博物館「とんくるりん」でそば打ち体験をしました。自分たちで打ったそばはおいしかったですか?おいしいそば粉、冷たい清水。戸隠そばは日本一ですよ。

 午後はいよいよ高校生交流。長野南高校に到着すると、生徒会役員25人がソーラン節を踊って出迎えてくれました。歓迎会では茶鍋和統校長の歓迎あいさつに続いて、生徒会長の松本真美さん(17)が勉強や部活動に力を入れていることを紹介しました。ソーラン節の感想を尋ねると、中国の生徒たちからいっせいに「ハオ(良い)」の声が上がりました。

 2年生の保坂ひふみさん(16)は日本舞踊を披露。中国側も10人で合唱を発表したほか、1年の劉暁さん(16)が雲南省に伝わるひょうたん笛(フールースー)を演奏して盛り上げました。その後、3グループに分かれて茶道や折り紙の体験、弓道部の練習の見学をしました。

 松本さんは「言葉は通じないが、身振りや手振りで分かり合える。中国の高校生は積極的で、自分たちから交流したいという気持ちが伝わってきた」。中国の2年王夢琦さん(17)は「日本の礼について言葉では知っていたが、今回の訪日でよく分かった。みんな優しく、熱意があった」と話していました。別れのときがやってくると高校生同士、肩を抱き合いながら別れを惜しんでいました。

 一行は、この日は憧れと緊張のホームステイです。夕方、次々とホスト家庭の皆さんが迎えにやって来ました。長野市日中の風間俊宣・三井汎・寺島利光・榎田昭一・西沢正夫・瀧本清英・竹内勲・長澤保・本藤英松さん、須坂日中の荒井寿夫・永井毅・弓田忍・土屋貞夫・山崎始さん、小布施町日中の桜井英樹・島田一郎さん、千曲市日中の山岸和枝・高橋堅治・島田孝子・山口昌昭さんらのあたたかい笑顔に接して高校生たちも笑顔をうかべて「ニイハオ」。思い思いの歓迎と交流の24時間を過ごして翌日ホテルに集合したときはすっかり家族の一員のようなうちとけた雰囲気になっていました。涙を浮かべて手を握り合って写真に納まり分かれがたい雰囲気が漂っていました。董団長は高校生が大変お世話になり、素晴らしい体験ができたことに心からの感謝を述べていました。高校生からいただいた感想文に「日本が大好きになりました」と書かれていたのが本当にうれしく思いました。
諏訪に80名つどい県日中女性委員会総会(6/7)

 
県日中友好協会女性委員会は6月7日、第35回定期総会を開きました。恒例の持ち出し総会は今年は御柱祭りでにぎわった諏訪市内のホテル「紅や」でおこなわれ、県下から女性委員会の役員会員57人と山田勝久諏訪市長や井出正一県日中会長ら来賓20人あまりが参加しました。

 村山ひとみ委員長は地元諏訪市日中友好協会の行き届いた協力に感謝した後、「青年委員会と車の両輪で友好キャンプやスキー交流会を実施、また昨年11月には平山郁夫シルクロード美術館訪問ツアーを行い平山夫人のあたたかい歓迎をいただき有意義な交流ができた。新春女性のつどいでは開拓団の悲惨な逃避行の様子を三井寛先生からお聞きして平和の大切さを実感した。友好協会創立60周年の年に当たり日中友好や平和の思いを抱きながら日日友好にも力をいれともに力を合わせて友好活動を進めて行きたい」とあいさつしました。

 総会では09年度の活動報告や決算報告を承認した後、10年度の活動方針と予算が採択されました。友好キャンプやスキー交流会を通じて中国留学生・研修生・帰国者との交流を深めること、女性会員の拡大と相互の親睦を深める活動に取り組むこと、10月の協会創立60周年訪中団の参加などが盛られています。役員改選では、村山委員長などが再選されました。

 第2部では山田市長が「大連と諏訪市」と題して講演し、大連市に100名規模の大型訪中団を2度にわたって派遣し、交流を深めている様子が映像を交えて紹介されました。落研で鍛えた名調子に会場は大いにわきました。

 第3部の交流懇親会では八剣太鼓の演奏に始まり各地区の歌や踊りの出し物が次々と繰り出され、大変和やかな、楽しい会となりました。最後に、来年の開催予定の松本日中女性委員会に県女性委員会の旗が手渡されました。
河北省へ県経済調査団訪問(6/6~12)

 板倉敏和・副知事を団長とする、長野県河北省経済交流調査団一行22名が6月6日から12日、河北省の省都石家荘市をはじめ唐山市・廊坊市及び天津・北京を訪問し経済開発区や企業を視察するとともに関係者と懇談を行いました。商工・農政・観光などのグループに分かれての視察を通じて、今後の両県省の経済交流推進に貢献するものと期待されています。追って報告書が発表されることとなっています。

 長野県と河北省は1983年友好県省関係を結び、以来、人事・青年・農業・文化・スポーツ・医学など多方面の交流を進めてきました。25周年を機に村井仁・知事、胡春華・省長の相互訪問が行われ、両県省の経済交流推進を約束しました。

 昨年12月には河北省から48名の経済代表団が来県し県内経済関係者90人が参加して河北省経済セミナーが開かれました。4月14日には県や経済団体・県日中経済交流促進協議会・県日中友好協会などで構成される県河北省経済交流推進協議会(久保田篤会長)が設立されました。同協議会は「近年の中国は高い経済成長で発展しており、特に河北省・北京・天津を中心とする渤海湾経済圏は第3の成長エリアとして注目を浴びています。長野県と河北省の友好交流26年の実績をもとに、今後の人脈作り・経営戦略に活かすため県河北省経済交流調査団を派遣することになりました。
緑化協力・県友好協会訪中団、河北そして四川へ(5/30~6/5)

 緑化協力・河北四川の旅=長野県日中友好協会訪中団(山根敏郎団長)は5月30日から6月5日、河北省での緑化協力活動に参加し関係者との交流を深めた後、四川省の成都・楽山、さらに万博でにぎわう上海を訪れました。

 5月30日、一行は、中部国際空港から9時30分発のCA160便で中国に向かい、現地時間11時35分北京国際空港に到着しました。空港には河北省友好協会の紀竑さんと張丹さんが出迎えてくれました。天安門広場と故宮博物院を参観した後北京の伝統的な住まいの胡同が残る町並みを散策しました。近代化が街の雰囲気を大きく変えてしまった中で、今胡同は人々の人気を集めているそうです。大勢の人々が行きかい、観光名所の1つになっていました。全聚徳の北京ダックの交流宴会には日曜日でしたが中日友好協会の郭寧さんと山根団長の古き友人でもある丁民先生が出席していただき、日中関係や中国事情につき率直な意見交換が行われました。お二人とも流暢な日本語を話され、また日本事情にも精通されていて、楽しい有意義なひと時でした。

 翌31日は、バスで易県に向かいます。易県は、河北省保定市に属していて北京と石家荘とのほぼ中間に位置しています。高速道路の整備が進み2年前に村井知事とともに現地を訪れたときと比べるとはるかにスムースに現地入りすることができました。高速の出口で易県政府の案内の車が出迎えてくれました。早速、荊軻塔を参観、2200年以上もの昔、この易水のほとりで燕の太子丹らに見送られて秦王政(後の始皇帝)の暗殺に旅立っていった荊軻の姿を思い浮かべていました。「風飄々として易水寒し、壮士一度たってまた帰らず」日本でも多くの人々に愛唱された史記の一節です。塔の近くに荊軻の像が立てられていました。イメージに合ったなかなかのできばえでした。県城の中心地で昼食会、副県長がしゃぶしゃぶの料理でもてなしてくれました。昼食後緑化協力地に向かい、油松50本を田県林業局長や地元農民の皆さんとともに記念植樹しました。中国式の長い柄のスコップを使って一生懸命に植え、最後に水をくれました。易県の日中緑化協力プロジェクトは4年目を迎えましたが、年々緑が豊かになって行く姿を見てうれしく思います。一行はこの後、光緒帝の陵墓、崇陵を参観しました。変法自強の改革を目指し西太后に排斥された悲劇の皇帝の陵墓は辛亥革命を挟んで完成された数奇な経緯をたどります。紀竑さんが「ラストエンペラーの陵が隣にあります。ご案内しましょうか。一般の墓地の中にありますよ」といわれて、「是非行きたい」。訪ねた先は、立派な一大墓苑で孫文先生の中山陵の雰囲気に似たメインの中央階段があり「華龍皇家陵園」の門をくぐると区画整備された墓石が続いていました。夫婦の墓を子供たちが建てているケースが多く中には生前の写真が刻まれているものもあって、これは素敵だと皆さんに好評でした。目的のラストエンペラー宣統帝(溥儀)の陵墓は丘の上にあり、龍の門柱に守られ2人の皇后(妻)とともに3基並んでいました。近代の歴史の舞台に立っているのだと感慨を覚えました。望龍山荘に宿泊となりましたが、この山荘の周囲は湖水を中心に年毎にリゾート開発が進んでいるようです。田局長さんたちの熱烈歓迎夕食会は打ち解けて杯を重ね緑化の成功と易県の発展を何度も乾杯しました。ファーストエンペラーとラストエンペラーがこの易県の歴史の中で登場してくるのは、何と素敵なことではないですか、易県は歴史ロマンの地ですね、と会話が弾みました。

 6月1日、戦国時代の燕の下都遺跡を案内していただき易県の皆さんの見送りを受けて石家荘へ向かいました。市のハイテク経済開発区で劉暁軍副市長の親しみのこもった歓迎を受けました。歓迎昼食会の席上、劉氏は信州大学留学経験もあり、昨年まで河北省外事弁公室副主任として長野県との交流の責任者として活躍していたこと、昨年6月には当時の胡春華省長とともに長野県を訪問して歓迎されたことなど日本語を交えて自己紹介され、57km2に及ぶ開発区を紹介いただきました。開発区は、高速道路の専用のICもあり、着々と整備が進められていました。開発区の司令塔となっているセンターに案内いただき意欲的な発展計画を伺いました。山根団長は長野市日中友好協会会長の立場からも県内経済界の皆さんに開発区への投資を呼びかけたいと述べました。一行は隋代に起源をもつ隆興寺を参観しました。宋代に建立された銅製の千手観音像は27mの巨大なもので太祖趙匡胤が寄進したものだそうです。道すがら虖陀河(こだが)に差し掛かったときここに一大水上公園を作っており、まもなく完成の際には水がたたえられるとのこと、水一滴も流れなくなって久しいこの河に部分的とはいえ水が蓄えられ市民の憩いの場になることを知りうれしく思いました。また市庁舎など行政の中心がこの河よりに移転する計画であることも知りました。大規模な都市計画が次々と実行に移されているのです。夜、河北省外事弁公室主催の歓迎宴会がおこなわれ、王占明副主任はじめアジア処の梁国輝さんや劉梅海さん、李国方さんら懐かしい友人からあたたかい歓迎を受けました。

 6月2日は早朝ホテルを立ち、7時20分発のMU5439便に乗って四川省の省都・成都に向かいました。9時50分、成都空港につくと中国旅行社の雷鳴さんが出迎えてくれました。成都は三国時代の蜀の国の都があったところで物資が豊富で天賦の国と呼ばれてきたといいます。早速、武侯祠を訪ねました。武侯は諸葛孔明のこと。三国志の英雄、蜀の皇帝・劉備の先主廟に君臣合祭の考えに立って武侯祠をこの地に移したといわれます。劉備殿の脇殿には兄弟の契りを交わした関羽と張飛も祀られていました。大勢の観光客が訪れていました。2008年の四川大地震の際建物の一部が破損し修復中のところがありました。昼食の後、杜甫草堂を参観しました。「国敗れて山河あり、城春にして草木深し-ー」失意の杜甫が4年間過ごした往時を思い、苔むす草庵とやせほっそった杜甫の像を胸にたたみました。パンダのふるさとへ来てパンダ基地を訪ねてみたいとの思いで郊外にあるパンダ繁殖研究基地を訪問しました。「この先には赤ちゃんパンダが飼育されていますよ」。竹やぶの茂みの小道を進んで行くと森の中でじゃれあっているパンダの兄弟が目に入りました。あ、あちら側には何匹もいる。指差した方向には、ぺたりと座り込んで竹を食べているパンダ、カメラのポーズをとってくれているかのようなパンダもいました。もう一歩きしてやっと赤ちゃんパンダの飼育舎にたどり着きました。かわいらしい赤ちゃんパンダがミルクを飲んでいました。すくすく成長しているように見受けられました。このなかから上の動物園にやってくるパンダがいるのかな。

 6月3日はバスで楽山を訪問しました。200kmの道のりを高速道路で途中休憩して3時間ほどで楽山につきました。昼食の後、岷江の遊覧船に乗って楽山大仏を江上から眺め、カメラにおさめます。世界遺産のこの摩崖仏は71mの巨大弥勒仏で、凌雲山という岩山に彫られています。90年の歳月を要して完成したとのことで中国的なスケールを感じさせるものでした。船から下りて、いよいよ山を登って大仏の鎮座している陵雲寺へ向かいます。片道1.5km緩やかな階段を登って行くと、ついに仏塔の位置にたどり着きました。我が団の勇者5名が急な階段を上から足元まで降り、そして反対側の階段を上まで登ってくるコースに挑戦しました。30分足らずで元気に戻って来ました。素晴らしい体験でしたと茂木さん。息は上がっていませんでした。行き帰りのバスの中、雷さんは日本留学経験もあり熱心に中国事情を紹介してくれました。ホンダ(本田)のフィットに乗る親日家で日中友好の必要性を熱心に語りました。また仕事の関係でチベットに20数回も訪れていてチベットの人々の暮らしや宗教、親切な人柄などについて紹介してくれました。2008年の騒乱のときは漢民族の商店などが襲撃され大勢の死者やけが人が出たのはショックだったが一部僧侶の扇動によるもので、本来優しい人たちだと語っていました。熱心なチベット仏教信者が多く、生活に必要なものを残して、後はお寺に喜捨してしまう。坊さんは高級車に乗っていることなど、知られていない実情を話してくれました。団長と栗岩さんは紀竑さんとともに、四川大地震の被災地綿竹市を訪問しました。大震災から2年、巨大な資金をつぎ込んで復興工事が進められ、旧市街地は震災追悼記念公園として震災の爪あとをそのまま残し中心の時計台の針は震災発生の時間をさしたままとなっているそうです。再建不可能な地区は他の場所に新住宅を作って被災者はそこに住んで暮らしているそうです。栗岩さんは、かつて復興ボランティアとして当地に何度か足を運んでいた縁で綿竹市の周静・科学技術局長さんや省科技交流中心の明希さんらに親しく案内歓迎していただいたそうです。

 6月4日は早朝ホテルを立ち成都空港7時45分のCA4513便に乗って上海に向かいました。上海浦東空港に10時15分に到着すると、なじみになった中国旅行社の戴さんが出迎えてくれました。相変わらずの「吉本興業」ばりの話しぶりでバスの車内を沸かせてくれました。早お昼を済ませて早速万博会場に向かいました。約4時間半どれくらいの記念館を参観できるだろうかと思いながら入場ゲートを入りました。午前中の入場者は29万人と聞きました。万博会場は黄浦江を挟んでABCDEの各区に分かれており、総面積は1万2千平米にのぼり、参加国機関など約190、5月1日から10月31日まで「より良い都市、より良い生活」をテーマに開催されています。まずシンボル塔の立ち並ぶ中心軸へいき、中国館を外から眺め、日本館を目指しました。「紫蚕島」(かいこ島)との愛称を持つ日本館は4時間待ちとのことで、数班に分かれて思い思いの館を見学することになりました。有名館でないところは10分待ちぐらいで入れるところもあります。カザフスタン、モンゴル、朝鮮民主主義人民共和国、イランだんだんと数を稼ぎ万博の歴史館も見ました。大阪万博の写真が懐かしく目に留まりました。1970年熱気あふれる中で開催された万博でした。中国も今北京オリンピックについで隆盛発展の中で、「よりよい生活」人々が願い確信して、この上海万博を開催しているのです。一休みして、ソフトクリームを食べながら行きかう人々を眺めます。いったん全員集合して、アジアエリアを後に次はヨーロッパエリアにシャトルバスで向かいました。ベルギー館・EC館に紀竑さんの友人の配慮で待ち時間なしで入ることができました。1時間以上待ってようやく入場する人々を横目に、入場しました。万博会場の入口付近はすいた感じがして、これはしめた、希望の館が見れるぞと喜んだのはぬか喜びでした。人々は午前中早い時間から入場し熱心に参観していたのです。名だたる国や地域の館は人々でごった返していました。参観記念に上海万博のマスコット「海宝」(ハイパオ)を買いました。
 黄浦江のほとりの公園から見た上海の夜景は未来都市的なまばゆいものでした。人々は「より良い都市」をどのように思い描き創造して行くのでしょうか。13億の人々が暮らす中国は、今歴史的転換点に立っていて国作りに励んでいます。車社会、近代的文明社会とエコ社会をどのように両立させて行くのでしょうか、次々と生まれる矛盾に対し次々と打ち出される対策、世界の目が中国に注がれています。激龍中国の息吹を感じながら7日間の中国の旅を終えました。


四川大地震復興レポート
                                    飯山市日中 栗岩一幸

*6月3日、友好訪中団の皆さんと別れて、山根敏郎団長と河北省外事弁公室アジア処の紀竑さんとともに四川大地震の現地を訪れた栗岩さんにレポートを寄せていただいた。――

死者行方不明者約8万7千人を出した四川大地震から、5月12日で2年が過ぎた。激震地区で深刻な被害1万人以上の死傷者(内1千人は児童)が出た綿竹市(50万人)で惨状が特に酷かった漌旺へ再々に入る。1度目は震災の惨状、2回目は復興の現状と今回で3度目となる。現地は公安当局の管理下に置かれ外部者の立ち入る事の出来ない所で惨状をモ二メントとして残すとの事。

今回突然の訪問にも拘らず、四川省科学技術交流中心の計らいにより、王蘭さん同行で、約2時間程車で走り、綿竹市入口で、綿竹市科技局、周静局長の出迎えを受け被災地漌旺ヘ。現地にて四川省科技局、明希さんとも合流。地震時3メートル隆起し、町全体の建物が倒壊し全滅した5~10階建の残骸が、地震の凄まじさを残している。倒壊した漌旺の役所正面に半月程前2年目の犠牲者の追悼式の際手向けられ転んでいた花籠を起し、山根団長と供にご冥福を祈る。

昼食を四川料理と綿竹の白酒、剣南春にて歓待して戴き、午後は中国政府と四川省科技局による、復興モデル地区の一農村として所得向上を図る遵道鎮、棚花村へ。被災地復興再建現場を視察。美しい農民の家、集落が再建され、集落内には集会所や公園広場、そして道路には緑地帯を設け街路樹も植えられ道巾も5~6メートル、全てコンクリート舗装がされ、土地の無い人の為にユッタリとしたスペースでアパートが幾棟も美しく建てられていた。もちろん綿竹へ来る道路も高速道を下りても緑地帯を設け街路樹が植えられた4車線で新設されていた。また漌旺の町そのものと言って過言でない最大の企業、東方蒸気タービン工場も広大な敷地に新しく建てられ稼動しながら拡張工事も進められていた。

この綿竹の復興費用は中国政府が、1千億元と江蘇省による支援1千百億元が充てられたとの事。(約2兆8千6百億円)地震で職や農地を失った人も公共投資により就業の機会を得て被災住民の平均収入も回復しているとの事。また被災農村部へ、四川省並び各市科技局の招請による日本シニアボランテイアズ協会員が果実類、水稲、食用菌等の栽培技術指導の専門家として派遣され所得の向上、また生活環境面にも給排水処理専家を派遣し環境整備も進められている。被災地の長期的持続可能な発展のため、国を上げての取り組みに感銘した。
 

石家荘市の贊皇県孤山村直富希望小学校の児童、鬼無里小学校訪問(5/25)

 石家荘市の贊皇県から孤山村直富希望小学校の代表5人が同希望小学校を贈呈した直富商事(木下雅裕社長)の招きで5月22日から26日来日・来県しました。一行は長野市滞在中、鬼無里小学校や直富商事、市場、日中友好協会などを訪問し交流しました。また善光寺や茶臼山動物園などを参観しました。

 鬼無里小学校の訪問では、3年生の児童が「ニーハオ」と出迎え、けん玉やこまを披露。白静欣さん(11)と邱昊くん(13)もけん玉に挑戦しました。4年生の児童とは体育館でドッジボールなどをして楽しみました。6年生は和太鼓を演奏。2人もリズムに合わせて体験しました。白さんは「太鼓は難しかった」邱くんは「みんな、自然体で活発だった。日本の食事に出てくる刺身は苦手だが、また日本に来たい」と話していました。
中国へスキー用具を贈る取り組み、すでに2500台に(5/28)

 県日中スキー交流委員会では、5月20~31日の日程で中国へスキー用具を贈る取り組みをすすめています。初日からスキー板やスキー靴を持参する市民が次々と長野運動公園・陸上競技場を訪れ、ボランティアの長野市スキークラブのメンバーも熱心に整理に当たっています。

 責任者の高野守雄さんの話によれば5月28日現在、スキー板は2500台を超え、靴1100足、ストック1100対とコンテナ2台分に相当する用具が集まっているとのこと。この日も、6名のみなさんがスキー板をしっかり2箇所紐で結び井形に組んで積み上げていました。靴やストックもばらばらにならないように対にして整理して行くのは手間がかかり大変な作業ですが皆さん笑顔を交えて取り組まれていました。
 
 日中スキー交流が始まってから30年、スキーを贈り始めてから27年、すでに累計12.4万台のスキーが贈られています。日中スキー交流を支え続けてきた皆さんの手つきは手馴れたもので、スキーのえり分け結束を順調にこなしていました。スキーを車に積んで来場された方は、「息子がスキー好きで使っていたスキーを中国で生かして使っていただけたらうれしいです」と語っていました。現地を訪れた中国国際放送局日本語部の劉非さんは整理されたスキーの山とボランティアの皆さんの熱心な作業振りに感心し、感謝していました。

 集まったスキーは6月14日、スキー連盟傘下のスキークラブや日中友好協会メンバーによって積み込まれ、河北省と瀋陽体育学院宛発送される予定です。
(写真は長野市スキークラブの皆さんと北京放送局の劉非さん=右1)
 第48回県日中友好協会定期大会(5/21)
日中友好協会創立60周年記念事業を柱に10年度のとりくみ決定

 長野県日中友好協会は5月21日、長野市内のホテル国際21において第48回2010年度定期大会を開催しました。大会には県下各地区協会から代議員・役員・来賓ら175名が出席し、2009年度の活動報告と決算報告を承認した後、2010年度の活動方針、予算を決定し、井出会長以下役員を再選しました。日中友好協会創立60周年の記念行事を柱とした活動方針を決めるとともに、日中両国の相互信頼増進と組織財政の充実強化に取り組んで行くことを決めました。

   井出正一会長は「中国は昨年建国60周年を迎えた。貧しさに耐える社会主義から豊かさを求める社会主義へと大きく変貌を遂げ、今や世界経済の復興の牽引車の役割を果たしている。民族の誇りを持って60周年の祝賀パレードが開催された。日本ではすぐる大戦の反省の上に立って、友好協会が創立されて本年は60周年を迎える。先人の貢献に感謝し、友好を継続発展させていきたい。協会組織の若返りと財政基盤の強化は喫緊の課題となっている。全国からも注目されている協会として、皆さんとともに叡知を傾け努力して行きたい」とあいさつしました。

  活動方針では、友好協会創立60周年事業として記念シンポジウムの開催や中国雑技団公演、人民大会堂での祝賀式典への参加、中国高校生訪日団の受け入れ、緑化協力プロジェクトの継続、組織と財政の強化などが決定されました。役員改選では、井出会長はじめ主たる役員が再選されました。意見発表では長野ラジオ孔子学堂と満蒙開拓平和記念館準備会代表が参加協力を呼びかけました。

  続いて「日中友好協会創立60周年にあたり、内山完造先生や半田孝海先生ら多くの先達の歩んだ道のりを振り返りつつ、日中不再戦、平和友好の原点に立ち返り、世代友好・共同繁栄に向かって新しい機運を育んで行きましょう」との大会宣言を採択しました。最後に「友好協会創立60周年祝賀!日中共同声明と平和友好条約の原則と精神を踏まえ、相互信頼と友好協力を更に深めよう。団塊世代に参加を呼びかけ、組織を拡充しよう」とのスローガンが採択されました。

席上、退任役員表彰、20年以上在籍会員・10年以上在籍会員表彰が行われ井出会長より表彰状が贈られました。

   第2部の祝賀パーティーで井出会長は、各界来賓に対し日ごろの友好活動への協力に感謝した後、「戦後65周年、友好協会創立60周年にあたり日中両国が提携して行くことはきわめて重要。中国は建国60周年を経て発展を続けており世界不況からの脱出の期待が寄せられている。日中両国関係は餃子事件が解決に向かい近く温家宝総理が訪日されるなど好転してきていることは喜ばしい。協会は国民レベルの相互信頼増進のために民間の立場から努力を傾けたい。引き続きご支援後協力をお願いしたい」と述べました。

   久保田篤・観光部長(県知事代理)、倉田竜彦・県議会日中友好促進議員連盟会長、劉非・中国国際放送局日本語部代表、岡村重信・県経営者協会からご祝辞をいただき、田中功・県国際課長、羽田孜・篠原孝・下条みつ・北沢俊美・小坂憲次の各国会議員(代理)や村石正郎県議、塚田佐・元長野市長からも激励のスピーチをいただきました。

   来賓として、王昌勝・県華僑総会会長、小林一洋・県国際交流推進係長、周夢暁国際交流員、湯原正敏・長野市企画政策部長、菅原宗男・県中小企業団体中央会事務局長、木藤暢夫・県商工会議所連合会常務理事、藤巻益夫・県信用保証協会会長、赤羽正雄・信州大学国際交流センター長、大日方英雄・県森林組合連合会顧問らにも出席いただきました。加藤紘一(社)日中友好協会会長から祝賀メッセージをいただきました。また国会議員、県議会議員、市町村長、友好諸団体から多数の祝電・メッセージが寄せられました。

石家荘市からの友好の使者・レッサーパンダが人気者(5/9)

 長野市茶臼山動物園に「レッサーパンダの森」が完成し、長野市内外の子供たち、市民の人気を集めています。

 長野市と河北省石家荘市の友好都市提携を記念して1985年3月に動物交換をした折、石家荘市から贈られた1ツガイのレッサーパンダはその後元気に子宝に恵まれ、子供たちに愛されてきました。

 茶臼山動物園ではさまざまな工夫を凝らしてより自然に近いレッサーパンダを見てもらおうと「レッサーパンダの森」を作り、このほど公開しました。木登りの得意なレッサーパンダは、高い樹の上を軽快に動き回っていました。

 パンダをバックに子供の写真を撮るお父さん・お母さんも本当に楽しそうでした。連休明けの日曜日でしたが、園内は家族連れで大変にぎわっていました。テレビでも取り上げられ、全国的な話題になっています。元気に活躍してほしいですね。

≪資料≫長野市茶臼山動物園「レッサーパンダの部屋」から

レッサーパンダの部屋


茶臼山動物園のレッサーパンダは、長野市の友好都市である中華人民共和国・石家庄市からチンパンジーとの動物交換として、昭和60年3月19日オス1頭・メス1頭の計2頭が来園しました。
オスは誼誼(イーイ)、メスは花花(ホアホア)といい、来園時の推定年齢は、オスが5~6歳、メスは2~3歳でした。動物園では、一般から愛称を募集し、「イーイ」は「タケオ」、「ホアホア」は「ハナチャン」として親しまれてきましたが、イーイは平成2年10月9日、ホアホアは平成12年10月8日に亡くなりました。

ホアホアは、性格もおとなしく、のんびり屋、何事にも動じない肝っ玉かあさんでした。初めての出産もなんなくこなし、飼育係にパンダの子育てを教えてくれた優秀なお母さんパンダでした。平成12年10月に老衰で亡くなりましたが、当時は日本で一番長寿のパンダで長寿記録をもっていました。生涯10回の出産で15頭(オス6頭、メス9頭)の子供を産み、今でも全国各地の動物園でホアホアの血を受け継ぐパンダが生活しています。


2008年1月20日現在、8頭のレッサーパンダを飼育しています。
茶臼山動物園レッサーパンダの歴史を家系図で紹介しています。


レッサーパンダは、中国四川省、雲南省、ネパール、ミャンマーなどの標高2000~3000mの涼しい山林や竹林で木の上の生活をしています。気温は、夏で25℃以下、冬は0~10℃だといわれています。動物園でもエアコンを取り付け、特に夏は高温にならないよう気をつけています。
野生では、早朝や夕方に活動し、日中の暑いときは枝の上や木の洞の中で眠っているといわれています。動物園では、日中でも涼しければ採食したり歩き回ったりしています。
食べ物は、竹やササの葉、タケノコが大好きで、果実やたまに昆虫、鳥の卵、ヒナも食べます。動物園では、竹の葉を主食として与え、ほかにリンゴやペレット、牛乳などを与えています。


レッサーパンダの発情期は1月~3月の数日間で、5月~7月頃に木の洞の巣で、1~4頭(普通2頭)の子どもを出産します。動物園ではこの習性に合わせて、うす暗い部屋を用意し、中に巣箱を入れ出産に備えます。
子どもの体重は120g程度で生まれます。生まれてすぐは目も閉じており、ほとんど自力では動けません。20~25日で目が開きだんだん活発に動くようになります。体の色も始めは灰白色ですが、だんだん色が濃くなり、尾の輪や顔の模様が現れてきます。18ヵ月で体重5~6㎏に成長し成獣になります。寿命は15年程度です。

ジュニアダンススポーツ少年団38名が黒龍江省牡丹江で交流(4/28~5/5)

 ジュニアダンススポーツクラブ長野・北信指導員の羽田和弘さんに5月連休中に黒龍江省牡丹江市で開催された牡丹江舞踏学院創立10周年記念極東杯ダンス大会参加の様子を紹介していただきました。

 日中友好ダンス国際交流使節団(小林英夫団長、<小樽市ダンスうんどう塾主宰>一行38名)が4月28日~5月5日訪中し、黒龍江省牡丹江市で開催された牡丹江舞踏学院創立10周年記念極東杯ダンス大会に出場し団体戦で優勝、個人戦でも優秀な成績を収めました。また舞踏学院を訪問して交流を深め、子供たちはホームステイの体験もしました。県内からは長野・佐久・松本などから16名、そのほか群馬県や北海道小樽市 から22名が参加しました。

①牡丹江市文学芸術界連合会(馮主席)を表敬訪問。牡丹江市のダンスを核としてまちづくり、まちの発展を中国全土に広めていこうとする強い意志を感じられたので、小林団長より日本発信の3つのダンス (リズム体操、メレンゲ、アヤトリ)を牡丹江市から中国全土に発信することを提案しました。その技術の支援協力も確認、了承し、さらにダンスを通じた日中交流の更なる発展を約束しました。

②牡丹江市舞踏学院を訪問して、3つのダンス (リズム体操、メレンゲ、アヤトリ)を訪問団全員で披露、指導をいたしました。その後 学院を訪問中のロシアジュニア選手180名と舞踏学院生徒50名、日本ダンス交流使節団38名 全員で手をつなぎ、大きな輪をつくり踊りました。 偶然にも日、中、露の3か国のダンスを通じての国際交流が実現いたしました。踊り終わった後に日、中、露のジュニア選手、保護者、指導員全員から地下のマグマが噴出するぐらいのパワーで体育館が揺れる位の歓声と拍手があり、まさに興奮の坩堝と化しました。そこに居合わせた 全員がそう感じたことは間違いありません。その後自然に目頭に熱いものが押し寄せてきたの私だけではなかったようです。ダンスには人種、肌の色、国境がなく、たとえ言葉が通じなくともそこにいる全員が同時に同じ興奮を味わえるとても素晴らしいことに私たちは取り組んでいるのだと改めて認識いたしました。一人でも多くの子ども達にこの感動を体験して欲しいと思いました。

③ 5月1日~5月3日まで牡丹江市で開催の牡丹江舞踏学院創立10周年記念極東杯ダンス大会に出場し団体戦優勝、 個人戦も優秀な成績を収めました。朝8時から夜中までかかるハードスケジュール、並びに大会の進行表がころころ変わり、しかも言葉がわからないという環境の中で自分のコンデションを常に保ちつづけること、我慢をすること、あきらめないこと、自分たちにとって不利な条件を楽しめることマイナスをプラスに変えて楽しむ力を学びました。

④ 子供たちによる中国家庭にホームステイ体験では牡丹江市の一般家庭生活を体験してきました。食事、お風呂、トイレ、水など日本とは異なる文化を体験、不安のなかでも楽しい時間を過ごせたようです。

⑤ 中国の歴史と文化を体験する万里の長城 天安門 天壇公園を訪問、また日本と異なる中国食文化、生活文化を体験してまいりました。
中国の奥深さを感じるとともに、改めて日本という国が素晴らしい国であると同時に日本人としての喜びと誇りを感じました。プラス面もマイナス面も両方体感できたダンス交流でした。すべてが整っている日本で生活になれているとすごい環境の所に来てしまったと感じですが、日本での生活がぬるま湯につかっているようなものなのかもしれません。異文化を楽しむ心、すべてを受け入れてみることが大切なのかもしれません。また中国、中国人の底知れぬパワーを感じて参りました。

河北省農業研修生受入式、野辺山で6ヶ月あまり研修(4/23)

 河北省から農業研修生9名が4月15日南牧村野辺山に到着し、関係者や受け入れ農家の皆さんの出迎えを受けました。23日には、長野市のホテル・サンパルテ山王で受入式と歓迎会が行われました。

 受入式で県河北省農業研修生受入実施委員会の矢澤利夫会長は「安全安心の食の生産はもっとも大事なこと。皆さんは、農業技術員として研修を楽しめる心と体を作って、帰国後は立派な指導者になってほしい」とあいさつしました。

 受入れ農家を代表してあいさつした原寛さんは「野辺山の高原野菜は栽培技術レベルが高い。ともに安全、安心な野菜を作って行きたい。健康に気をつけて研修に励んでほしい」と話しました。

 研修生団長の許中利さんは「農家の先生の指導のもと日本の優れた農業技術や経営をしっかり学びたい」と日本語で力強くあいさつしました。受入式では、藤原一・県農村振興課長、福沢宏夫・県日中友好協会副会長らが歓迎のあいさつをおこない激励しました。研修生は10月下旬までの6ヶ月半南牧村の大規模野菜農家4軒で研修を行います。
第33回日中友好スキー交流会、120人が集い友好の輪(3/6~7)

 3月6・7日の両日、小谷村の白馬乗鞍温泉スキー場において中国留学生・大使館・帰国者らを招いて120人が参加し恒例の第33回日中スキー交流会が開かれました。

 あいにくの雨模様でしたが、開会式の後早速、9班に分かれてスキー教室。初心者も青年委員会メンバーなどの指導員のリードのもと汗だくになりながらスキーにチャレンジしました。だんだんとコツをつかみリフトに乗れるようになっていきました。2度目3度目で結構滑れる留学生もいました。特に大使館の葛廣彪参事官は中級コースを難なく滑る腕前で、颯爽とスキーを楽しんでいました。

 夜の交流会では、地元の同好会メンバーによる信州小谷太鼓や大北日中のコーラスサークルの歓迎の演奏が行われました。杯を交わし交流しながら班ごとの合唱披露や、スワロースキー提供のスキーグッズのジャンケン大会などもあり、大いに盛り上がりました。

 2日目のスキー教室では小雪の舞う中、斜面を滑り降りる姿が多くなりました。昼は女性委員会の皆さんが準備してくれたおにぎりと豚汁をおいしくいただき、閉会となりました。留学生の代表は「本当に楽しいスキー交流でした。良い思い出になりました」と語っていました。

 スワロースキーの丸山哲三会長や小谷村の相澤保副村長、大北日中の福島信行会長も交流会に出席し激励してくれました。
中国帰国者の体験に耳を傾け、餅つき春節交流会(2/21)

 長野県日中友好協会・中国帰国者交流センターと長野市日中友好協会は2月21日長野市内のホテル、サンパルテ山王にて中国帰国者から体験談を聞く「中国残留邦人への理解を深める県民の集い」を開きました。県内各地から170余名が参加し、残留婦人や残留孤児1世など帰国者の話に耳を傾け、続いて餅つきなど春節を祝ってにぎやかに交流しました。

 1941年(昭和16年)に両親やきょうだいとともに満州に渡った岩本くにをさん(77)=松川町=は、敗戦の悲惨な逃避行の中で家族を相次いで失い、「1人になり、死ぬことだけを考えていた」が、親切な中国人女性に助けられて現地で結婚し、96年に永住帰国。「ひとの国の土地を取り上げてまで何のために満州に行ったのか。もう二度と戦争をしてはいけない」と平和の大切さを切々と訴えました。残留孤児1世の池田充さん(59)=長野市=は、あの罪深い戦争を教訓に、日中両国が互いに仲むつまじく新しい時代を開いてほしいと語りました。92年に帰国した残留孤児2世の宮下多美子さん(62)=上田市=は、中国で医療に従事していたのでその経験を活かそうと努力したことを振り返り「はじめは日本語がわからず大変だったが、目的を持って勉強に励めば乗り越えられる」と話しました。また3世の配偶者の郝延波さん(27)=長野市=と朱振海さん(26)=駒ヶ根市=は、若者の視点から日本社会に溶け込んで前向きに生活している様子を紹介しました。

 第2部の春節交流会ではアトラクションとして三宅島太鼓の力強い演奏に続き、臼と杵を使って、帰国者の皆さんが次々と餅つきを体験しました。懇親会に入って、大正琴の生演奏をバックに会場のいたるところで交流が行なわれました。抽選会も行われくじを引き当てた人たちがたくさんの景品を受け取ってにっこり。上田や飯田、松本の日本語教室に通う帰国者の皆さんが「北国の春」や「ふるさと」「草原情歌」などを一生懸命歌い大きな拍手を受けました。中国の伝統的な楽しい踊りも披露されました。最後に中国の東北地方に伝わるヤンコー踊りを会場いっぱいににぎやかに踊りました。帰国者の皆さん本当に楽しそうに踊っていました。

 飯田下伊那、伊南、松本、上田、飯山、長野からおおぜいの帰国者や支援者が参加しました。井出正一県日中会長や青木一男県地域福祉課長、戸井田一成長野市保健福祉部次長、永原今朝男県開拓自興会会長、竹松亨信濃教育会事務局次長、西堀正司県日中帰国者交流センター所長らも出席し帰国者にエールを送り、交流しました。長野市日中女性委員会の皆さんは友好の黄色のハッピ姿で、交流会の企画進行盛り上げに大活躍でした。
第13期日中連続市民講座、第3回「中国の緑化事情と日中緑化協力」(2/20)

 長野県日中学術交流委員会主催の第13期日中関係を考える連続市民講座の第3回講座が、2月20日長野市生涯学習センターで開かれ、小山明・元信州大学講師が「中国の緑化事情と日中緑化協力」と題して講演しました。

 小山氏は2000年以降、日中緑化交流基金の助成をうけて長野県日中友好協会が河北省と協力して実施してきた石家荘市平山県と保定市易県での緑化協力プロジェクトに専門家の立場で現地調査を行ってきました。今回の講演はその実績を踏まえてのもので、①日中緑化交流事業の概要、②長野県日中友好協会が係わる事業について、③気候の比較、④土壌・植生、⑤植林樹種、⑥植林方法、⑦苗木生産、⑧保育監理、⑨問題点と課題についてのお話でした。

 ―平山県と易県の緑化協力地はいずれも太行山脈に属し、表土が少なく、年間降水量が500mm以下で7・8月集中して降るという厳しい環境にあり、旱魃とともに洪水にも悩まされている。地元政府も緑化10カ年計画などを策定し前向きに取り組みが行われている。コノテガシワ・ニセアカシア・火炬樹・油松・山杏など現地の気候に合った樹種を現地で苗木生産して地元農民の請負方式で実行している。課題としては活着率の向上や放牧禁止、保育ブロックの導入などがあげられる。―現地の写真を映写しながら丁寧に解説していただきました。あわせて北アフリカのモロッコでの植林経験などの紹介もあり、中国での緑化の特徴などと比較してよくわかりました。また出席者からの質問にも熱心に答えていただきました。
日中友好新春女性のつどい  開拓団の悲劇を学び、そして和やかに交流懇親会(2/10)

 長野県日中友好協会女性委員会は2月10日、長野市内のホテル信濃路で恒例の日中友好新春のつどいを開催しました。つどいには、県内各地から女性委員会メンバーら70名が参加し有意義な1日を過ごしました。

 村山ひとみ委員長は日頃の友好活動への参加協力に感謝を述べた後、昨年平山郁夫シルクロード美術館を訪ね美知子夫人から歓迎いただいたこと、青年委員会とともにスキー交流会や友好キャンプを楽しく実施できたことを報告し、本年は日中友好協会創立60周年にあたり先輩のみなさんの努力のあとを継いで友好の輪を広げて行きたいとあいさつしました。西堀正司県日中理事長や長野滞在中の中国国際放送局の劉非さんがお祝いのあいさつをしました。

 第1部の研修会では、黒台信濃村開拓団理事長の三井寛さんに「不思議と命長らえて・・・中国人の養子となって」と題して、小学5年生のとき迎えた敗戦、それからの言語を絶する極限状態の逃避行の生々しい体験をお話いただきました。全身を耳にして目に涙を浮かべながらメモをとりながらの1時間でした。戦争を憎み平和を強く望む、中国とは本当に仲良く付き合って行きたいとの思いがひしひしと伝わってきました。

 続いて、長野市出身のシンガーソングライターの清水まなぶさんに自作の「沈まぬ夕陽」を歌っていただきました。15歳で旧満州に渡り20歳敗戦、1年の逃避行の後日本に帰国した中島多鶴さんの半生を描いた「沈まぬ夕陽」を歌いきった清水さんの熱唱に感動の拍手が送られました。三井さんの体験談を聞き、若者の鋭い感性で開拓団の悲劇を描き子供たちにも伝えていこうと実践している清水さんの姿を見て、参加者の胸に熱い思いがこみ上げてきました。

 第2部の交流懇親会では山根敏郎県日中副会長が、2年前北京オリンピックの聖火リレーが長野にやってきたとき、女性委員会の皆さんが心をこめて紅白の饅頭を用意し市民、留学生にくばってあたたかく応援したことに触れ、日頃本当に素晴らしい活動を展開しているとエールを送りました。福沢宏夫副会長の音頭で乾杯し和やかに懇談交流しました。諏訪市日中の女性員会メンバーから御柱の木遣りが披露されたり、長野のメンバーからびんずる踊りが披露されたり、会場はにぎやかに盛り上がりました。最後に、全員で手をつなぎながら「ふるさと」を合唱しました。
長野ラジオ孔子学堂新年会(2/5)

 2010年の長野ラジオ孔子学堂の新年会が2月5日、長野市内のホテル信濃路で行われ、30人あまりの会員と教師が参加しました。新年会では会員と教師たちが中国語で「寒山寺」などの詞を朗読、「草原情歌」などを歌い、会場の雰囲気が盛り上がりました。

  挨拶に立った西堀正司理事長は「寅年の新年に、孔子学堂の事業を虎のような勢いで進展させよう」と期待を示しました。また長野滞在中の中国国際放送局の劉非さんも出席し交流を深めました。


この様子は、北京放送局のホームページに紹介されました
上田日中、帰国者新春餃子パーティー(2/4)

 2月4日、上田市室賀基幹集落センターで中国帰国者日本語教室新春餃子パーティーが開かれました。日頃、上田中国帰国者日本語教室で学んでいる帰国者の皆さんや友好協会、上田市、地元自治会役員など40名が参加しました

 帰国者の皆さんは慣れた手つきで次々と具を刻み麺を伸ばして皮を作り、見事に具を包み込みます。無駄のない手さばきに見とれているといつの間にか食べきれないほどの餃子が並べられていました。大鍋に湯を沸騰させ餃子を入れ亜麻色になって浮かびあがってくると水餃子の出来上がりです。次々と皿に盛り付け、懇親会場に運びます。熱い内に召し上がってくださいとすすめられ、乾杯して早速ほおばりました。「おいしい」「ハオチィ(好吃)」本当においしい本場の手作り水餃子でした。

 交流懇親会では、成沢捨也・上田日中友好協会会長が日頃高齢帰国者の皆さんが上田市やささら温泉のご配慮のもと頑張って日本語を学び、楽しく交流してきたことを振り返り、おいしい水餃子をいただきながら、交流を深めましょうとあいさつしました。帰国者を代表して白永安さんが、「皆さんの支援協力をいただき、楽しく日本語を学び暮らしています。今日は私たちの作った餃子をおなかいっぱい召し上がってください」と述べました。帰国者一人ひとりから日本語で自己紹介などあいさつがなされ拍手が送られました。会には、中国国際放送局の劉非さんも参加し、帰国者のみなさんと交流しました。
河北省梨栽培技術視察団が来県、関係者と交流(1/26)

 河北省農林科学院石家荘果樹研究所の王迎濤研究員を団長とする河北省梨栽培技術視察団一行が1月25~27日来県し、関係者と交流しました。

 一行は県内滞在中、県日中友好協会の受け入れで県農政部の萩原正明部長、JA長野中央会を表敬訪問しレクチャーを受けるとともに、県果樹試験場やJAながのの担当者のご案内をいただき豊野町の梨栽培農家を視察しました。関係者の皆さんと有意義な意見交換もでき所期の目的を達成することができたと大変喜んでいました。
第13期日中連続市民講座好評のうちに、第2回「現代中国と新儒教」(1/23)

 長野県日中学術交流委員会主催の第13期日中関係を考える連続市民講座が昨年12月から月1回開かれています。

 1月23日は長野市内のホテルで信州大学人文学部の早坂俊廣准教授が「現代中国と新儒教」と題して講演しました。陽明学誕生発展の経緯とその思想の柱、更に現代中国に一定の影響を与えていることなど興味深い内容が語られ、受講者から次々と質問が出されました。

 なお、次回は2月20日小山明・元信州大学講師が「中国の緑化事情と日中緑化協力」と題して講演される予定です。午後1:30~長野市生涯学習センターにて、資料代200円、ご参加ください。(申込みはTEL026-224-6517まで)
2010年日中友好協会創立60周年を迎えて、新春座談会・新年会開催(1/18)

 長野県日中友好協会は1月18日、170人が出席して恒例の日中友好新春座談会と新年会を長野市内のホテル・サンパルテ山王で開きました。新春座談会には会員120人が出席して新年の抱負を語り合いました。新年会には各界来賓50も加わり盛会裏に開催されました。

 日中友好新春座談会は、西堀理事長の司会で会は進められ、冒頭井出正一会長があいさつし「戦後65年を迎えるが日本は戦争の反省を踏まえこの間不戦を貫いてきたことは誇りに思っていい。100年までもこれを継続していきたい。昨年は新中国成立60周年の年だった。中国は貧しさに耐える社会主義から豊かさを求める社会主義へと舵を切り素晴らしい発展を遂げ国際的な影響力も増大している。一方、格差・環境・民族などの解決すべき課題も多い。国慶節前夜祭での温家宝総理の今後も100周年にむけて努力を続けなければならないという発言が思い出される。日中関係は政府間レベルで良好さを回復してきたことは喜ばしい。日中友好協会は本年創立60周年を迎える。先人の思いを胸に友好の発展に努めて行きたい」と述べました。

 続いて布施事務局長が理事会で決定された今年の主な交流計画を報告。「世界の流れが大きく変わり、名実ともにアジアの時代が訪れようとしている中で、アジアと世界の平和と繁栄を願って、日中の相互信頼・世代友好・共同繁栄に努める。日中友好協会創立60周年の記念事業に取り組む」ことをうたい、記念シンポジウムの開催や北京での60周年祝賀式典にあわせての友好訪中団の派遣のほか、河北省との経済交流の促進や太行山河北省易県での緑化活動、長野ラジオ孔子学堂を軸に中国語や中国文化の紹介普及などに取り組み、あわせて帰国者・留学生支援交流活動に力を入れるとしています。

 続いてディスカッションに入り、世界の中の日本と中国、日中関係の現状と課題、友好への提言、地区活動の紹介など活発に意見交換が行われました。中国の著しい発展・変化に伴い日中関係も新たな段階に入った中でどのように日中友好を進めて行くべきか、新会員を迎え組織を充実させて行くべきかなどが語られました。経済発展を続ける中国が高品質の製品を生み出す生産拠点に変化してきており(「中国の工場はかつての日本の工場」)市場としても年毎に拡大を続けていることなどが中国進出経験を踏まえて紹介されました。また友好都市との間で行政と協力して交流に取り組んでいる状況や女性委員会・青年委員会が友好スキーや友好キャンプ、会員交流活動などを通じて友好の輪を広げている様子が紹介されました。最後に井出会長が、各地で協会役員会員の皆さんが頑張って友好に努めていることに敬意を表し、新しい時代の日米・日中関係に思いをいたしながら、日中関係の発展相互信頼関係の増進に努めて行きたいと述べ、特にギョウザ事件などが前向きに解決されることを願い、今後の民主化の進展にも期待感を表明しました。

 新年会には、日頃、友好運動に協力いただいている各界来賓も多数出席いただきました。席上、井出正一会長は「日本と中国は今や世界の平和と繁栄に大きな責任がある国になっている。本年は日中友好協会創立60周年を迎える。日中関係は改善を見ているが、政府間だけでなく、民間の立場からも、その役を担い友好協力発展に努めて行きたい」とあいさつしました。

 田中功県国際課長、倉田竜彦県議会日中友好促進議員連盟会長、謝宏宇中国国際放送局東京支局長から祝辞をいただいた後、宮本経祥信濃教育会会長の音頭で乾杯しました。羽田孜代議士(代)、北沢俊美・若林正俊・吉田弘美参議院議員(代)、小坂憲次前代議士、服部宏昭・高橋宏・村石正郎・平野成基・西沢正隆・今井正子・太田昌孝・福島鶴子県議、劉非中国国際放送局日本語部副部長からも激励のスピーチをいただきました。あちこちで懇談交流が行なわれ会場は和やかな雰囲気に包まれました。岡村重信県経営者協会事務局長の音頭で日中友好の万歳を行い1年の活躍を誓って散会となりました。

 <年頭ごあいさつ> 
 
祝日中友好協会創立60周年、相互信頼、友好協力の年に
(2010.1/1)

                長野県日中友好協会会長 井出正一

 新年おめでとうございます。昨年のわが協会の諸々の事業にご協力下さった関係各位に改めて感謝を申し上げます。昨年中国は建国60周年を迎えました。私は秋天の北京で国慶節に参加する貴重な機会を得ました。厳しい世界情勢の中で、「貧しさに耐える社会主義」から「豊かさを求める社会主義=改革開放」に転じて30年、いまや世界経済不況からの脱出の牽引的役が期待されるようになった中国の歩みを改めて想起しながら、その発展躍進を物語る諸々のパレード、マスゲームの規模と華やかさに度肝を抜かれました。その一方で様々な解決しなければならない課題を意識して、温家宝首相が前夜人民大会堂で催された祝宴で、「次の節目は建国100周年だ」と指摘しつつ「我々の前にある道はまだ長く平坦でもない」と語っておられたのが心に残りました。

 わが国では戦後初めてともいうべき政権交代が実現しました。緊張と責任の伴う政治がよりよい方向への変化変革であって欲しいものです。幸い両国の関係は「戦略的互恵関係の推進」のもと、政府レベル・国民レベルでの友好協力再構築の流れは鮮明になってきております。日本の対外経済の比重からいっても、もはやアメリカ一極中心主義の世界ではなくなりました。新政権の打ち出した東アジア共同体構想によって日米関係がギクシャクしているようにみえますが、時代は大きく変化しています。「アジアの時代」にふさわしい日米関係の再構築が必要なのではないでしょうか。

 今年はまた日中友好協会創立60週年を迎えます。50周年の際と同様人民大会堂での大集会の開催もきまりました。日中友好のために井戸を掘った先輩方の熱い思いを引き継ぎつつ、アジアと世界の平和と繁栄に大きな影響と責任を担うに至った日中関係の更なる友好増進のために、今年も民間の立場からの役割を果たして参りましょう。

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