友好短信2009.1月~12月

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河北省経済代表団48名来県、河北省経済セミナー開かれる(12/17)

 長野県と友好提携している河北省の企業経営者や行政関係者ら計48名が12月17、18日、長野県を訪れました。一行は、河北省商務庁の高文志副庁長を団長とする省経済代表団8名と、石家荘市、唐山市、秦皇島市、保定市の各10名で、17日には、長野市内のホテル国際21で行われた河北省経済セミナーや懇親交流会に出席しました。

 セミナーには県内の企業経営者や県、県日中経済交流促進協議会、経済団体、行政関係者など約90人が参加しました。省の対外開放政策や各市の経済開発区の状況など現地の経済環境を映像や資料を交えて紹介しました。高団長は「世界的な不況の中だが、中国経済は高い経済成長率のもと、深圳、上海など臨海部から第3の経済成長地域として、河北省を含めた渤海湾沿岸部へ発展を続けている。特に河北省は、北京、天津を取り囲んでおり、この1省2市を含むエリアは渤海湾経済圏の中核を形成し、1.2億人の市場規模を有している」とアピール、企業進出などを呼びかけました。その後の交流でも河北省側の積極姿勢が目立ち、有意義な機会となりました。今後の両県省の経済交流活性化につながって行くことが期待されます。

 一行はこの日午前中、県や県経営者協会、県日中経済交流促進協議会などを表敬し、板倉敏和副知事や内藤武男協議会会長らと懇談しました。また18日には前田製作所やホクト・メディカルなどを視察しました。
平山郁夫先生のご冥福をお祈りいたします(12/4)

 私たちの敬愛する平山郁夫・日中友好協会名誉会長は12月2日脳梗塞のため急逝されました。享年79歳でした。

 11月25日に平山郁夫シルクロード美術館を訪れ、平山美知子夫人のあたたかい歓待をいただいたばかりの私たちにとって、大変残念であり平山夫人やお嬢さんの悲しみを思うと言葉になりません。謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心よりご冥福をお祈りいたします。

 井出正一会長は弔電を送り、「先生の日中友好に対する偉大な貢献に心から感謝しご冥福をお祈りいたします」と弔意を表しました。また信濃毎日新聞などの取材に対し、「日中間で文化遺産保護などに身を挺して活動されていた。あれほどの才能を失うことは本当に残念。日中関係が靖国問題などで揺れ動いていたときも、嫌がらせにも動ぜず日中友好に尽力された。被爆体験から平和への思いも強かったと思う。穏やかな人柄の中に芯があった方だった」と偲びました。

 平山先生と長野県の関係は深く、佐久市立近代美術館には先生の代表作「仏教伝来」(1959年)や「天山南路(夜)」(1960年)などがあり「平山郁夫展示室」が設けられています。また伊那市高遠の信州高遠美術館でも7回にわたり先生の個展が開かれてきました。

 1994年12月10日には信濃教育会館で平山先生を迎えて「日中友好講演会」が開かれ250人が先生の講演に聞き入りました。先生は日本と中国の文化交流の歴史を解説された後、「中国の著しい発展の中で、新しい友好のあり方が望まれています。精神的、文化的な交流が必要。日本の文化の源である中国に対する関心を寄せ、お互いを知り、異質の文化を理解して尊敬し合える間柄をつくって行きたい」と日中友好交流の展望を語りました。先生の提唱された文化赤十字の思いを語り伝えながら、真の相互尊重・相互理解=日中友好の努力を傾けていきたいと思います。
県日中女性委員会、平山郁夫シルクロード美術館を訪問交流深める(11/25)

 長野県日中友好協会女性委員会(村山ひとみ委員長)は恒例の秋の交流活動として、11月25日、平山郁夫シルクロード美術館(山梨県北杜市長坂町)を訪ねるバスツアーをおこないました。早朝7:30雨模様の長野駅を出発したバスが山梨県に入るころには空は晴れ、雲の上には富士山が雄姿を見せ、私たちを歓迎してくれました。
 
 西堀理事長の平山郁夫先生と美知子夫人の出会いと活躍の話をたっぷり聞きながら、定刻の10時には美術館に到着しました。話題の平山美知子夫人(美術館館長)が娘さんや美術館スタッフとともににこやかにあたたかく迎えてくれました。事前のレクチャーの成果でしょうか、初対面とは思えない懐かしい親しみを感じ、ご案内をいただきながら館内を参観しました。新館開館1周年記念展示としてガンダーラ--仏像のふるさと--特別展がおこなわれていました。ガンダーラ芸術の粋といってもいい素晴らしい仏像が目前に展示されているのです。仏陀立像、菩薩坐像、弥勒菩薩立像、仏陀誕生や仏伝図、そしてガンダーラの神々と人々が展示されており、その数は100を雄に超えていました。解説を全身耳にしながら聞きながら、目は仏像に釘づけ、2-3世紀のガンダーラ仏は激しい存在感を持って見る人をひきつけるのです。2階は平山郁夫画伯のシルクロードの世界が展開していました。ローマを目指すらくだに乗った隊商、10余の大型絵画は見る人をして幻想の世界にいざないます。時空を超えてともにローマを目指して旅してきました。美知子夫人を囲んで一緒に記念撮影、記念にといただいたカレンダーは平山画伯の素描が添付されたもので額に入れれば素晴らしいインテリアです。ため息混じりに美術館を後にしました。

 甲府市に移動してフルーツセンター見晴らし園で名物のほうとう鍋をおいしくいただき、続いてマンズワイン勝沼ワイナリーでワインの試飲、自分の舌を信じて土産のワインを購入しました。長野県出身の方がワインの歴史や製造過程などを詳しく紹介してくれたのがうれしかったです。「長野県のワインはこのところ金賞を獲得することが多く大変おいしくなりました。当社も小諸に工場があり優秀製品を送り出しています」。温暖化のせいで寒冷地のぶどうの質が注目されるようになってきているとのことでした。長野県産ワインに誇りを持とうとエール交換しながら工場を後にしました。帰りのバスの中では、ビールも出て語りあり歌あり交流に花を咲かせて楽しい友好の1日が過ぎました。
日中学術交流委員会総会(11/19)

 長野県日中学術交流委員会は11月19日、長野市のサンパルテ山王で定期総会を開き、小宮山淳会長の後任として、新会長に山沢清人・信州大学学長を選出しました。

 日中関係の重要性が増している中で更に学術交流の促進に努めるとともに、第13期日中連続市民講座を実施することなどを決めました。席上、参加大学・短大・団体の08年度の交流実績と09年度の計画などの資料が配布され紹介されました。
張成慶・参事官がJAりんご贈呈式に出席、講演(11/19)

 駐日中国大使館の張成慶参事官が11月19日、JA全農長野県本部と長野国際親善クラブ・長野県日中友好協会の招きで来長、JAビルで開かれたりんご贈呈式に出席しました。

 席上、張参事官は、「発展する経済交流と上海万博について」と題し講演しました。来年5月から半年間開かれる上海万博や現地で進むインフラ整備を説明し、中国経済発展の持続に自信を示しました。上海では万博開催を前に交通、情報通信網、商業施設などの整備が進み経済成長を加速させていると説明。中国政府が目標とする8%の経済成長率が10年にわたって持続することは十分可能と述べた上で、「近隣の日本の友好的協力を願っています。中国と協力すれば損はしないと責任を持って言いたい」と強調しました。
 
JA県本部では毎年11月22日を「いいふじ=りんごの日」として、長野五輪の際の「1校1国運動」で縁のあった各国大使館にりんごを寄贈してきており、本年は中国大使館はじめ30か国に10kg入り40ケースを贈りました。
第7次河北省総工会代表団、連合長野の招きで来県(11/18)

 連合長野(近藤光会長)は11月18日、友好提携している河北省から第7次河北省総工会代表団(趙忠才・副主席一行6名)を迎えて、長野市内のホテル国際21で歓迎会を開きました。歓迎会には、連合長野役員はじめ寺沢信行・県商工労働部労働雇用課長、西堀正司・県日中友好協会理事長ら34名が出席しました。

 近藤会長は「1995年交流がスタートして7回の訪中派遣など互いの友情を育んできた。世界金融危機の中で労組の役割は重い。新しい交流の形式を確認して今後も交流を進めて行きたい」とあいさつ。趙団長「このたびの訪問によって日本の社会状況や労組間の厚い友情に触れることができた。両国の安定した健康的な交流の発展に貢献していきたい。友誼が根を張り、枝葉を茂らし協力が発展していくことを希望したい。新しいページを切り開いていきましょう」と述べました。
中国スキー協会代表団、スキー関係者と交流(11/17)

 中国スキー協会の安林彬副秘書長と瀋陽体育学院の王葆衛コーチが11月17・18日長野県を訪問し、県スキー連盟や県日中友好協会などスキー関係者と交流しました。

 17日の歓迎会には児玉幹夫・県スキー連盟会長や丸山哲三・スワロースキー会長、西堀正司・県日中友好協会理事長らが出席しました。安氏は、かつて自分も白馬村でスキー訓練をおこなったことに触れ「中国のスキーが長野県の支援のもとでレベルアップが図られてきたことに深く感謝したい。バンクーバー冬季オリンピックではスノーボードやジャンプ、フリースタイルに力点を置き選手強化を図っている。メダルを目標に頑張って行きたい」と述べました。席上、故片桐匡・元県スキー連盟会長の「アジアのスキー振興」の理念にのっとり、今後とも日中のスキー関係者が連携して進んで行くことを確認しあいました。県スキー連盟の応援歌でエールを送り、最後には全員で肩を組んで「北国の春」を歌いました。

 一行は、これに先立ち白馬村を表敬訪問、窪田副村長やスキークラブ関係者と懇談し、先ごろまで中国サマージャンプ訓練隊が訓練していたオリンピックジャンプ台を視察しました。また翌日はMウエーブや善光寺などを参観しました。
第20回中国帰国者日本語弁論大会、感動の拍手に包まれる(11/8)

 第20回県中国帰国者日本語弁論大会(県や県日中友好協会など実行委員会主催)が11月8日長野市の信濃教育会館で開かれました。県内で暮らす帰国者やその家族9人が、帰国までの苦労や日本語習得に努力した体験を語りました。皆さんの発表はいずれも胸打たれる内容で、100名の参加者は静かに聞き入り感動の拍手を送っていました。

 県知事賞を受賞した長野市の池田愛子さん(26)は、帰国2世の夫(26)と結婚して昨年12月に来日。日本語を学ぶ中で、日本では高齢者になっても働き続ける人が多いことを知るなど、中国とは異なる文化に関心を深めたことを話しました。
 県日中友好協会長賞を受けた吉越美月さん(14)は08年3月に一家で帰国し阿智村に定住。4月に中学2年に編入したが言葉も歴史も教科内容も違う中で悩んだが、日本語教室に通いながら日本語をひらがなから学び半年後には学校に友達もできた。来年3月卒業するが阿智高校入学も決まった。感謝と努力あるのみです、と結びました。

 信濃教育会長賞を受けた長野市の陳梅さん(23)も帰国3世の夫(29)と結婚して07年10月に来日。当初は言葉が通じないなどで孤独だったが、派遣社員として働いた工場で周囲の人たちの優しさに触れ、前向きに仕事をする意欲がわいたと発表しました。
 県開拓自興会長賞を受けた飯山市の中村蓉子さん(61)は「安定した生活のために頑張った14年」と題して、95年81歳の母とともに帰国以来の苦労と努力の様子を語りました。
 努力賞を受賞した池田照美さん(48)は現在県日中帰国者交流センター長野教室に通って勉強しています。所沢センターの思い出や、現在身元引受人の茂木博ご夫妻のあたたかい配慮を受けながら日本語を学びいろいろな友好活動に参加している様子を発表しました。

 東御市の松沢盛子さん(77)は「私の歩んできた道」を振り返り、13歳で敗戦、悲惨な逃避行の末に現地の人に救われて生きながらえ18歳で結婚し6人の子供ができた。里帰りと父との再会別れがあり、81年に永住帰国した。さまざまな苦労があったが、現在は近所の皆さんが親切にしてくれるので幸せに暮らしている、と語りました。駒ヶ根からは朱振海さん(36)と小池向華さん(56)が、松本からは有田桂子さん(59)が出場し、それぞれ「味噌汁」「母と私」「ボランティアから学んだもの」と題して発表しました。

 青木一男・県地域福祉課長、井出正一・県日中友好協会会長、宮本経祥・信濃教育会会長、永原今朝男・県開拓自興会会長、吉原文典・元県帰国者採用企業連絡会会長らも出席し、帰国者の発表に耳を傾け、激励しました。
新中国建国60周年を記念して県日中友好の翼、中日友好協会や河北省長から熱烈歓迎(10/28~11/3)

井出正一・県日中友好協会会長を団長とする県日中友好協会訪中団と内藤武男・県日中経済交流促進協議会会長を団長とする県経済友好訪中団は10月28日から11月3日まで河北省人民対外友好協会などの招請で北京・河北省・山東省などを友好訪問しました。中華人民共和国建国60周年を記念して派遣されたこの団は北京では中日友好協会の井頓泉・常務副会長と人民大会堂で会見し歓迎宴会に出席、河北省では胡春華・省長らの熱烈歓迎を受けました。各地で友好を深め思い出深い訪中となりました。

 10月28日、一行は、成田空港からCA926便で出発、シートは満席でした。現地時間18:10新北京空港に到着しました。

 翌29日は北京オリンピックの鳥の巣などを見学した後、万里の長城と明の十三陵などを参観しました。10月は旅遊シーズンで内外の観光客でにぎわっていました。日本人観光客もひところと比べだいぶ増えてきた印象でした。交通網が整備され街は一段ときれいになっていましたが、車の増加が急でどこもかしこも車でいっぱいでした。

 夕方、天安門広場に面した人民大会堂を訪れ、中日友好協会の井頓泉・常務副会長や許金平副会長と会見し、歓迎宴に出席しました。井副会長は、「日中関係の発展は日中友好協会の友人の皆さんの努力と切り離せません。河北省との友好発展にも一貫して努力されてこられたことに敬意を表します。建国60周年を迎えた中国は大きな変化を遂げ、現在ゆとりある社会の建設に努力しています。友人の皆様の支持に感謝します。日中両国の戦略的互恵関係を推進するため民間交流を進め両国民の友好感情の増進に努めていきましょう」と述べました。井出会長も熱烈歓迎に感謝し、60周年を祝賀した後、「世界不況の中で中国の経済発展は世界経済を牽引している。アジアと世界の平和と繁栄のために日中の戦略的互恵関係発展目指して頑張りたい」とあいさつしました。団員は「ふるさと」と「北国の春」を歌い感謝の意を表し、楽しいひと時を過ごしました。素晴らしい広間で、素敵な料理をいただき、団員一同しっかり中日友好協会の皆さんと握手してお別れしました。
 
 30日は、いよいよ河北省友好協会の紀竑さんの案内で石家荘に向かいます。その距離約300km、近代史の舞台ともなった盧溝橋を右手に見ながら京石高速道路を進み、やがて河北省に入ります。バスのトラブルで1時間30分遅れで石家荘市に到着。懐かしい劉暁軍副市長がにこやかに出迎えてくれました。劉氏は市のハイテク技術開発区の主任でもあり、この8月までは省の外事弁公室副主任として活躍されていました。信州大学留学経験もあり、長野県の友人も多い方です。歓迎昼食会の後、開発区をご案内いただきました。18haから58haへと規模を拡大したという、その意欲的な発展計画に目を見張りました。劉氏によれば、開発区には2100社が進出しており、うち外国企業は日・伊・香港など110社、主な業種は医薬・化学・電子・新材料などといい、交通の便もますます整備されてきているといいます。天津の南に位置する黄驊港が拡張され石家荘-黄驊港間も高速道路で結ばれ、更に12年には北京-石家荘高速鉄道も運行される予定とのこと。井出会長は「成功裡に開発区が石家荘と河北省の経済発展の牽引役を果たしていかれるよう期待しています。私たちも関係方面に働きかけをしていきたい」とあいさつしました。内藤会長は同行団員を劉氏に紹介し、今後の交流取引などを語り合っていました。その後、河北医科大学教授が起業した製薬メーカーを参観しました。新型インフルエンザや新型肺炎にも有効と認定された漢方薬を開発し急速に業績を伸ばしているとのことです。お土産にそのカプセル薬を2パックずつ全員にいただきました。

 夜には、胡春華省長をはじめ河北省の要路の方々が、多忙な中、盛大な心のこもった宴会を催し歓迎していただきました。胡省長は「6月長野を訪問したときのことを鮮明に思い出します。駅頭での歓迎、行く先々での歓迎など大変お世話になりました。友好協会の皆様は長年にわたり、いかなる状況の中にあっても友好を進めてこられました。長野県と河北省の友好提携25周年にあたり村井知事と私が相互に訪問し25周年を祝賀しました。経済・文化・医学・スポーツ・青少年交流などを行ない成果をあげてきました。劉暁軍さんは信州大学で学びました。6月一緒に日本を訪問し帰国した後石家荘市の副市長になりました。近く衛生庁長も松本歯科大学との友好交流協定調印のため貴県を訪問します。中日両国は近隣で河北省は特に近い、両県省の友好親善を図って行きたい」とあいさつしました。胡省長は各テーブルをまわり各団員とも親しく杯を交わし歓迎の意を表しました。また「北国の春」を歌ってその心情を披露しました。6月長野でお会いして以来で大変懐かしく、胡省長の親愛の情あふれる歓迎の言葉、飾らない親しみやすさは全団員の心に深く刻まれました。

 31日、新京昆高速を北上し易県へ向かいました。(経済団はここで分かれて山東省に向かいました。) 2時間あまりで到着しました。易県の張良副県長や田林業局長ら関係者の出迎えを受け歓迎昼食会の後、早速日中緑化協力プロジェクトの地で記念植樹活動をおこないました。100本ほどの油松を林業局や地元農民の皆さんとともに記念植樹しました。長い柄のスコップを使って土をかぶせ樹を植えました。心地よい汗を流して、赤い横断幕をバックに記念撮影。日中緑化交流基金の支援を得て実施されているこの事業も4年目を迎えました。世界遺産の清西陵を有するこの一帯は平地ではかなり緑が多くなっていますが、太行山脈の東北端に位置する付近の山々は禿山が多く緑化は急務です。「易県の緑化事業・環境保護と旅遊事業が順調に発展して行くことを願っています。ささやかですが、今後とも緑化に協力していきたい」と井出会長は熱をこめて語りました。一行はこの後、秦の始皇帝暗殺に向かった荊軻を記念した塔と清の雍正帝の陵墓を参観し中国の古代・近代の歴史の舞台に思いを馳せました。別荘形式の望龍山荘の一角に宿泊し、県の林業局の皆さんと酒を酌み交わしながら易県の発展と緑化を願いました。

11月1日の朝目覚めて外に出ると、驚いたことに雪が降っていました。刈り込みの上は真っ白、この時期の雪は本当に珍しくて、案内の紀竑さんもびっくり。「中国を旅行するときは何事があっても、驚かない精神で旅すると楽しいですよ」などと冗談を飛ばしながら、バスで北上して行くと、雪はやまず降り続いていきます。承徳行きの高速道路が通行止めになったとの情報に、予定を急遽変更して、頥和園を参観し、廊坊へ向かうことになりました。雪の頥和園の景色は独特の風情がありました。冷え切った体をおいしいしゃぶしゃぶ料理が温めてくれました。

翌2日、廊坊市では王愛民市長がわざわざ北京から駆けつけていただき歓迎昼食会を催していただきました。廊坊市は北京と天津にはさまれた場所にあり、松本市と1995年に友好都市を結んでいます。発展企画センターや日系企業、アグリファームなど参観しましたが、地の利とタイミングを活かした急速な発展ぶりが深く印象に残ってます。北京で31日以来別行動を取ってきた経済友好訪中団の皆さんと再会、懐かしく握手。皆さんは孔子のふるさと曲阜と聖なる山・泰山を予定通り参観して北京に戻ってきました。

 中華人民共和国建国60周年を記念してのこのたびの訪問を通じて、幾多の苦難を乗り越え、今や燦然と世界の東方に輝き歩み続けている中国の姿に感銘を新たにしました。日中関係の着実な発展のために手を取り合って努力して行きたいとの思いを抱きながら、3日中国に別れを告げました。

長野ラジオ孔子学堂代表団 北京放送訪問(11/3)

 長野県北京放送を聞く会訪中団が11月3日、北京放送・中国国際放送局を訪れ、尹力副総編集長と会見しました。双方は、今後ラジオ孔子学堂発展のために、ともに努力していくことを確認しました。

 『長野ラジオ孔子学堂』学堂長で聞く会顧問の北沢久氏は、「今年は『長野北京放送聞く会』が29年目を迎え、長野ラジオ孔子学堂が2年目になる年。われわれは長年間北京放送と密接な関係を保ってきた。北京放送とともに、中国文化を伝え、両国の友好の促進に努めてきた」と述べた上で、「現在、長野孔子学堂の進展は順調だ。中国語を学習することで、より多くの日本人が中国を理解することができた。今後引き続き北京放送の支持の下で、さらなる進展を図っていきたい」と語りました。

 尹力副総編集長は代表団の訪問に歓迎の意を示した上で、「両国の友情は長く、文化交流も途絶えることがない。孔子学堂を通じてより多くの日本の方々が中国文化を理解できると思う。文化交流を通じて、両国の国民の理解を深めることを期待します」と述べました。(北京放送局日本語部・朱丹陽記)

新中国建国60周年講演と祝賀会、加藤紘一日中友好協会長が講演(10/25)

 長野県日中友好協会・県日中経済交流促進協議会・県日中学術交流委員会は10月25日、中華人民共和国成立60周年を記念し講演と祝賀のつどいを長野市内のホテル犀北館で開きました。約200名が出席し、加藤紘一・(社)日中友好協会会長が「激動する世界の中の日本と中国」と題して記念講演しました。

 内藤武男・県日中経済交流促進協議会会長の開会のあいさつに続き、井出正一・県日中友好協会会長が主催者を代表して「建国60周年を迎えた中国の発展は目覚しく、今や中国を抜きにして世界は語れなくなった。そのエネルギーと叡知に敬意を表したい。一方、格差や環境などの問題も大きい。日本も政権交代という激動を迎えている。宇都宮徳馬先生は「日中友好は最大の安全保障」と述べられた。日中関係がうまくいかないとアジアも世界も大変なことになる。国会議員の中でもっとも中国通といわれる加藤会長を迎えて講演をお聞きし民間団体として何をなすべきか考えていきたい」とあいさつしました。

 加藤会長はまず日中関係の現状に触れ「若者の間に嫌中感情があるが、ギョウザ事件など細かなところから1つ1つ解決して行くことが必要と思う。中国はこの60年間に貧しい社会主義国の状態からどんどん発展を続け、まもなくGDPで日本を追い抜き世界第2位となろうとしている。経済・軍事の伸びなど急激で日中関係もいろいろなところで考えていかなければならない」と述べました。

 また東アジア共同体構想などの動きに対して「中国の外交力は成熟している。米国抜きの経済構想を正面切って打ち立てるような手法を用いず、ASEAN(東南アジア諸国連合)などとの連携に前向きな態度をとっている」と指摘。「米国ともめないようにしながら、アジアの国をどうまとめて行くかが日中にとっての重要なテーマだ」としました。

 更に小泉政権のとき靖国問題が大きく浮上したが、「靖国神社の『遊就館』の展示は、アジアが列強の餌食になるのを阻止するため戦ったとの趣旨=反米が色濃く出ていて、極東裁判やサンフランシスコ講話条約なども否定する内容であり米国大使からも抗議を受け一部修正した。中国に対しては頼まれていないのに侵攻して1000万人もの中国の人々が犠牲となっている。村山談話のとおりであり、誠に遺憾なことだ」とのべ、独りよがりにならず、正しい歴史認識をもって世界と付き合って行くことの重要性を指摘しました。

 「東西冷戦が終わり、日本の政治状況も変化した中で政権交代がおこなわれたが、今後は、国民の将来の生活ビジョンと国家のビジョン=何を誇りとしていくかが問われてくる。ナショナリズムにも3つのタイプがあり①戦う=排他的ナショナリズム②競争するナショナリズム③誇りのナショナリズムがある。①はセンセーショナルで人々を扇動する上で効果的だが危ない。②はオリンピックなどで熱狂的に応援することでほほえましい。③は自分の国に誇りを持てることであり、もっとも大事だと思う。豊かな自然の前で平等で仲良く生きて行く、これが私の考える日本の誇りだと思う。中国の留学生の皆さんとの会合で中国の誇りは何であるか考えてくださいと言った。21世紀はアジアの時代といわれている。日本と中国がアジアのハーモニーを生み出すべく協力して行くことが大事で、そのために努力していきたい」と結びました。

 講演後に西堀正司・県日中友好協会理事長の司会で、加藤氏と井出会長が対談。加藤氏は中国の環境問題に触れ、「豊かになろうとしている中国は、環境対策に腰が重い。『日本も手伝うから一緒にやりましょう』と積極的に呼びかけていかないといけない」また鳩山政権の東アジア共同体構想に対しては「中国はまだ慎重にウォッチの段階でアメリカと対抗するような行動はとらないだろう。しかし、安倍政権や麻生政権時代には価値観を共有する国が手を結び中国を包囲するという色あいが強くにじんでいたが民主党政権は中国・アジア重視に見える」と述べました。井出会長は「日中両国政府は戦略的互恵関係を確認しているが、新政権になって日中関係が更に前進して行くことを願っている。友好協会も民間団体として努力して行きたい」と述べました。
 最後に、上條宏之・県日中学術交流委員会副会長が県短期大学の日中交流の様子を交えながら閉会のあいさつをしました。

 第2部の祝賀パーティーでは、望月雄内・県議会議長、篠原孝・衆院議員、若林正俊・参院議員、小坂憲次・前衆院議員、倉田竜彦・県議会日中友好議員連盟会長、村石正郎・西沢正隆・今井正子・小林東一郎・福島鶴子・諏訪光昭・牛山好子の各県議、柳田清二・佐久市長、王昌勝・県華僑総会会長、宮本経祥・信濃教育会会長、竹之内健次・部落解放同盟県連委員長、上條宏之・県短期大学学長、三浦義正・信州大学副学長、柳町政美・長野大学常任理事、県中小企業団体連合会、県商工会連合会、JA全農県本部など各界来賓の出席のもと加藤会長を囲んで和やかな交流が行なわれました。
河北省農業研修生研修終え修了式(10/22)

 河北省農業研修生(康勇団長一行10名)の修了式歓送会が10月22日、長野市内のホテル・サンパルテ山王において開かれました。矢澤利夫・同受入実施委員会会長(JA長野中央会専務)はじめ県農政部、県日中友好協会、八ヶ岳高原事業協同組合、受入農家ら関係者が出席しました。

 矢澤会長は研修生が4月5日以来6ヶ月半にわたって野辺山において野菜栽培の研修を熱心におこなったことをたたえ、「帰国後は研修成果を河北省農業の発展に役立てるとともに日中友好の架け橋になってほしい」と述べました。研修生に会長から修了証が、受入農家の皆さんに感謝状が授与されました。

 康勇団長は「農家の先生は農業技術、経営に熱心に取り組んでいて大変学ぶところが多かった。またJAが大きな役割を果たしていることもよくわかりました。帰国後はこの間の貴重な人生体験を活かして、仕事に友好に頑張りたい」とあいさつしました。歓送会の席上では、農家の皆さんとともに「北国の春」などを歌い親睦を深めました。
映画『嗚呼 満蒙開拓団』長野で上映
体験者の発表や清水まなぶさんの特別出演も(10/16)


 映画「「嗚呼 満蒙開拓団」の上映会が10月16日長野市の若里市民文化ホールにおいて開かれ、600人が観賞しました。満蒙開拓団の悲劇を描いた映画に観客は熱心に見入りました。「お国のため」と送り込まれた満州開拓団員は敗戦によって遺棄されました。体験者の語るその実態のむごさ悲惨さは想像を超えています。見る人の心に深く刻まれました。世代を越えて、若者から年配者まで満蒙開拓の悲劇を知って平和の大切さを語り継いでいきたいと決意を新たにしました。

 第1回上映後、体験者の滝澤博義さん(高社郷)と三井寛さん(黒台信濃村)のお二人から悲惨な逃避行などの様子をお話いただきました。また、シンガーソングライターとして活躍している長野市出身の清水まなぶさんも、先ごろ発表した満蒙開拓団の悲劇をうたった「沈まぬ夕陽」を披露してくれました。

 戦前、満蒙開拓団を全国一3万人あまりを送り出した長野県でしたが、うち半数の1万5千人が敗戦前後の混乱の中、悲惨な最期を遂げました。また現在県内には、中国残留孤児と婦人及びその家族4300人あまりの方が暮らしています。
 戦後64年を経過する中で、満蒙開拓団の悲劇も当事者の高齢化が進み風化していくことが懸念されています。体験者の取材を柱に満蒙開拓団の実態をドキュメンタリーとして描いたこの映画は封切り以来、多くの人々の注目を集めております。このたび関係者の努力により長野での上映が実現しました。県内ではすでに、松本(7/25/26)、飯田(10/10)などで上映され、12月6日には上田でも計画されています。

満蒙開拓団とこの映画について--演出/羽田澄子(はねだ すみこ)
 私は旧満州の一部と見られていた関東州の大連に生まれ、小学校も女学校も旅順。そして戦後引き揚げてきました。しかし、同じ満州でも最南端の都会に暮らしていた私は、戦後満州の奥地で起きていたことを知りませんでした。知ることになったのは1981年、「中国残留日本人孤児」の訪日調査がはじまり、さらに2002年に中国「残留孤児」国家賠償請求訴訟が始まったことがきっかけでした。裁判がどうなるかと見守っている間に、中国東北地区の方正(ほうまさ)県にある「方正地区日本人公墓」のことを偶然知ることになりました。
 方正地区には、ソ連の満州進駐、日本の敗戦によって、満州の奥地から多くの開拓民が避難してきて、ここで数千人もの人が亡くなっているのです。「この人たちの遺骨をお墓に」と願った、ある残留婦人の思いを受け止めたのは中国の周恩来総理でした。周恩来の指示によって、中国方正県政府が建設したのが「方正地区日本人公墓」なのです。「お国のため」と送り込まれた満州移民は敗戦によって、遺棄されたのも同然となりました。その体験者の多くはすでに亡くなっていますが、多くの方に取材し、日本の近現代史を振り返り、日中友好が大切であることを考えました。

満蒙開拓団とは/1931年の満州事変以後、当時の日本政府の国策によって、中国大陸の旧満州(現在の中国東北部)、内蒙古に入植させられた日本移民のこと。1945年の太平洋戦争敗戦までに送り込まれた開拓団員は約27万人と言われている。しかし、その内の約8万数千人が、ソ連参戦、日本の敗戦によって、帰国できずに亡くなっている。

映画の証言から/妹は最後に「お芋食べたーい、お芋食べたーい」と言っている間に連れて行かれた。
満州に行くときは、皆「国のため」と行ったのに、あんな遺骨を見ると残念で。
開拓団の人たちが、トラックの窓に手をかけて「乗せてってくれ」って、それを振り払って行っちゃうんだから。
 
中国語スピーチコンテスト19人が競う(9/23)

 第27回中国語スピーチコンテストの長野県大会が9月23日、長野市の信濃教育会館で開かれました。長野ラジオ孔子学堂中国語教室や公民館、高校などで中国語を学ぶ小学生や高校生、主婦、会社員ら計19人が参加し、日頃の学習の成果を披露しました。
 
 県日中友好協会ラジオ孔子学堂や県中国語を学ぶ会連絡会、県北京放送を聞く会などでつくる実行委員会が主催。習熟度に応じて入門、初級、中級の3部門で審査。入門の部は課題文を朗読し、初級、と中級の部は自作文を発表して発音の正確さや表現力などを競いました。中級の部の1位は来年1月に開かれる全国大会に出場します。

 初級の部で1位になった長野市後町小5年の大日方慶樹君は(11)は昨年、中国に1ヶ月間短期留学し、多くの人とであった経験を紹介。「1位になって本当にうれしい」と話しました。

 中級の部で1位になったのは高山村の会社員、藤沢淳一さん(33)。小布施町の現代中国美術館が開く中国語教室に週1回通っています。「中国語のCDを聴いたりDVDを見たりするのが好きなので、勉強するという意識はあまり無かった。全国大会に向け、頑張りたい」と話していました。
日中友好武術太極拳フェスティバル、1300人の表演(9/22)

 長野県武術太極拳連盟は9月22日、長野市のビッグハットで第22回県日中友好武術太極拳フェスティバルを開きました。県下各地から28の太極拳愛好グループ1300人が参加しました。

 開会式であいさつした古平幸司会長代理は「楽しく長く続けて行くことが大切。大いに交流し互いに技を磨いて、健康スポーツ競技スポーツ、武術にチャレンジしてほしい」とあいさつ。来賓としてあいさつした西堀正司県日中友好協会理事長も「おおぜいの皆さんに愛好されている太極拳は日中友好に大きく貢献している。日本一(世界一)の長寿県となった長野県の健康長寿にも更に貢献してほしい」と参加者を激励しました。

 午前9時にスタートしたフェスティバルは昼を挟んで午後4時まで熱気あふれる雰囲気の中でおこなわれ、130名を数えるグループから10数名のグループまで工夫を凝らした表演服に身を包み、簡化24式太極拳や精簡88式、32式太極剣、さらにスティックや扇を使った太極拳など日頃の練習成果を披露しました。中には椅子を使った高齢者向けの太極拳を披露するグループもあり注目を集めていました。

 参加者は、「こうした大舞台で仲間とそろって演武ができて最高にうれしいです。大いに励みになります」と語っていました。
河北省胡桃視察団がくるみの里など訪問(9/13~17)

 孫紅川河北徳勝農林科学技術有限公司総経理を団長とする河北省胡桃視察団一行5名が9月13日から17日来県、くるみの里として有名な東御市などを訪問し関係者と交流しました。

 一行は県内滞在中、萩原正明県農政部長やJA長野中央会を表敬訪問し、長野県農業の概況や農協の役割などについてレクチャーを受けるとともに、くるみの里として有名な東御市のJA信州うえだ東部営農センターとサンファームとうみ、県果樹試験場などを視察しました。

 小林洋一・JA東部営農センター長の紹介によると「日本のくるみ栽培は250haで240t、長野県内では180haで160t、全国の約7割を占めている。東御市では15hで15t、72年時点では207haも栽培されていた。現在では国内消費の大部分がアメリカや中国などからの輸入によっている。但し近年、くるみが再評価され健康と文化の角度から見直していこうという動きが出ており、『日本くるみ会議』を立ち上げてくるみの振興を合言葉に活動している。東御市ではこの10年来、毎年500株づつ優良新種の「清香」という苗木を植え付け作付面積を増やしている。市木をくるみとし、くるみ祭りを開催している。お菓子や民芸品として伝統プラス新規開発に取り組んでいる」とのこと。

 顧問の河北農業大学の郗栄庭名誉教授は、くるみの指導を受けた恩人として中国で知られている東御市出身の故清水直江氏のご子息や10年来の友人である須坂の荒井寿夫氏宅を訪問し旧交を温めました。また、善光寺や上山田温泉、野尻湖など長野の歴史や自然も満喫しました。

 一行は5日間の長野の日程を有意義に終え所期の目的を完全に達成することができたと大変喜んでいました

木曽に日中友好協会が設立、慰霊碑を守り交流を推進(9/6)

  「木曽日中友好協会」の設立総会が9月6日木曽町役場において25名の関係者が出席して開かれました。

 発起人を代表して田屋茂実さんが「日中戦争の従軍経験があるが、中国の皆さんに大変な損害と犠牲を与えたものとして、日中の平和と友好を願う気持ちは人一倍大きい。三岳の慰霊碑は中国から戦争中強制連行され殉難した182名の烈士をまつり、平和を誓うものとして守られてきた。地域の内外に、特に若い人たちにこの歴史を発信して行きたい。友好協会設立の呼びかけに、地元の幅広い皆さんが応えていただき感謝している」とあいさつしました。経過報告に続いて、規約が承認され、田中勝己会長(木曽町長)をはじめとした新役員が選出されました。また会費、事業計画、予算などが採択されました。

 田中会長は、「殉難慰霊碑のある木曽町として、この歴史を背負って友好協会会長をひきうけた。絶滅に近かった木曽馬の保存の取り組みと関連してDNAがきわめて似通っている内蒙古との馬の交流も行なっているので新しい時代に向かっての友好交流の活動も進めたい」などと抱負を述べました。

 県日中友好協会の井出正一会長は、28番目の地区協会の設立を祝し、関係者の努力をたたえるとともに「友好と平和のシンボルでもある慰霊碑を守りその意義を多くの人に知ってもらうために今後とも一層連携を深めて行きたい」とあいさつしました。

 懇談の中で、慰霊碑と不可分の関係にある旧満州開拓団犠牲者を中国側が葬ってくれた「方正地区日本人公墓」の支援活動などの話題も出て開拓団とかかわりの深い地域として、歴史を語り継ぎ日中の平和と友好を大切にしていこうとの思いを強くしました。
志賀高原で中国語夏期スクーリング(8/28~30)

 長野ラジオ孔子学堂は8月28日から30日、山ノ内町志賀高原の志賀観光ホテルにて第36回日中友好中国語夏期スクーリングを開きました。県の内外から26名が参加し、初級・中級・上級に分かれて、ベテラン講師の指導のもと熱心に学習しました。

 開講式には地元の竹節義孝町長や北京放送局東京支局の張国清支局長、県日中友好協会の西堀正司理事長も出席して歓迎と激励のあいさつをしました。北沢久学堂長は日頃の学習に更に磨きをかける良い機会であり真剣にかつ楽しく3日間を過ごしてほしいと述べました。

 参加者は3日間老師(ラオシ)の指導のもと、発音や文法、中国の伝統にちなんだ中国語の言い回しなど広く深みのある授業に打ち込んでいました。夜は日中両国の歌を披露しながらの交流会、人気の映画「レッド・クリフ(1)・(2)」の上映会、早朝のラジオ体操と太極拳、岩下隆先生の「漢語から借用した日本語」の講演、更に大蛇祭りの花火大会とミス志賀高原コンテストなども体験して、有意義な3日間を過ごしました。

 「予想以上の充実した内容で、来年は学習仲間を誘ってまた是非参加したい」とうれしいアンケートが寄せられました。
長野びんずる祭り『日中友好連』で参加(8/1)

 長野市日中友好協会は8月1日の第39回長野びんずる祭りに「日中友好連」を組んで参加しました。女性委員会・青年委員会のメンバーらとともに中国帰国者や留学生・研修生もそろいのハッピやTシャツを着て熱心に踊りました。

 1日雨模様だったこの日、夕方6時には雨も上がり、いよいよ提燈に火がともされ6時半踊りがスタート。1ー、2-、3-、4-、5-、6-、7-、8-。1、2、3、4、5、6、7、8。シャモジを両手に、調子の良い踊りが長野の中心街を埋め尽くしました。

 初めて参加した留学生や帰国者の皆さんも汗だくになりながら、コツをつかむと踊りに没頭して2時間、若さを発散させていました。

 途中差入れのビールやジュースで乾杯したり、日中友好の出し車をバックに記念撮影したり、楽しい交流ができました。
第19次中国留学生ホームステイ、30名の皆さんが来県(7/28~30)

 7月28~30日、(財)日中友好会館・後楽寮派遣の中国留学生30名を11地区で受け入れ、ホームステイや地区での歓迎交流がおこなわれました。日本の風俗習慣などに理解を深める良い機会と今年もおおぜいの皆さんが参加してくれました。

 28日長野駅頭では8名の中国留学生を長野市・岳北・信濃町・飯綱町などの日中友好協会のメンバーが出迎え、オリンピックエンブレムの前で歓迎対面式をおこないました。北島良一県日中副理事長はここ信州で思い出に残る楽しい3日間を過ごしてくださいと歓迎あいさつ。続いて、受け入れホスト家庭の皆さんの紹介がおこなわれ、留学生としっかり握手しました。東京大学で環境経済学を学んでいる紅光さん(内蒙古出身)が留学生を代表して、長野県の素晴らしい自然と日本の伝統文化を体験し皆さんとの友好を深めたいとあいさつしました。全員で記念撮影の後、各地区に出発していきました。

 留学生の皆さんは、上田、佐久臼田、松本、諏訪、茅野、伊那、飯田の各地でも2泊3日でホームステイや市町村長表敬、地域の視察参観などを体験しました。

 30日、再び長野駅で再会した留学生の皆さんは、ホスト家庭の皆さんとすっかり打ち解けた様子で、「長野のお父さんお母さん」と写真に納まっていました。「本当に有意義な3日間でした。これからもよろしくお願いします。再見(サイチェン)」名残を惜しみながら、お別れしました。

*中国留学生からの礼状
中国サマージャンプ訓練隊白馬ジャンプ台で訓練スタート(7/25)

 中国スキー協会派遣のサマージャンプ訓練隊8名が7月25日から2ヶ月余りの予定で来日し、26日から白馬村のオリンピックジャンプ台で訓練を始めました。一行は、朴雪峰・柴明発の両コーチに率いられた李洋(29)・田占東(26)・楊光(25)・孫建平(20)・邢晨輝(20)・公配林(21)の各選手でカナダのバンクーバーで開かれる冬季五輪を目指しています。7月27日には折から来県中の吉林省スキー協会訪日団の皆さんとともに歓迎会に出席し、関係者から激励されました。ほとんどの選手が吉林省出身で、長野県での訓練経験者も数名含まれています。朴コーチは、各選手の特徴と課題を紹介し、オリンピック出場と良い成績を目指して頑張りますと決意を語っていました。
吉林省スキー協会訪日団、スキー関係者と交流(7/27)

 李箐・吉林省スキー協会秘書長を団長とする吉林省スキー協会訪日団6人は7月26日から31日、長野県スキー連盟や県日中スキー交流委員会の招きで長野県を訪れました。27日には、スキー連盟や関係市町村、県日中友好協会代表ら40人余りが出席して歓迎会が開かれました。

 児玉幹夫・県日中スキー交流委員会会長(県スキー連盟会長)は一行の来訪を心より歓迎し、「今までの交流成果の上に、選手訓練隊や一般スキーヤーの相互派遣などを進めて行きたい」とあいさつ。李団長も「長野県と吉林省のスキー交流は長い。中国のスキーのレベルアップに多くの支援をいただいた。中国のスキー人口は年々増えており、技術を上げるために、今後とも交流を続けて行きたい」と述べました。

 一行は、県スキー連盟との間で来季のスキー合宿について協議し協定書に調印しました。また県教育委員会はじめ長野市、山ノ内町、飯山市、野沢温泉村、白馬村、小谷村、上田市を表敬訪問し、あわせて各地のスキー場やジャンプ台などを視察、関係者と交流しました。
第44回日中友好キャンプ、美ヶ原・桜清水コテージに80人が集う(7/25~26)

 第44回日中友好キャンプが、7月25・26日美ヶ原高原の山麓、標高1400mにある涼しい水源林の中にたたずむ桜清水コテージで開かれました。長野県日中友好協会青年委員会と女性委員会の主催で、中国留学生・河北省農業研修生・帰国者・一般合わせて80名が参加し楽しい2日間を過ごしました。

 今回は『ゆったりとスローライフをたのしみながら、森の静かなリゾートライフを満喫しよう』をコンセプトに、友好王国が建国され、参加者は5つの村に分かれ、班活動で岩魚つりやバーベキュー、カレー作りで食を確保したり、キャンプファイヤーでの踊り、コテージでの夜半までの語らいや早朝の凛とすみきった空気の中でのラジオ体操など、団体行動での楽しさを知りました。2日間、国や世代を越えて、相互理解と友好の絆を深めることができました。
胡春華・河北省長を迎え友好提携25周年を祝賀(6/18)

 長野県は、友好提携している河北省から胡春華省長を団長とする10名の代表団を迎え、6月18日、長野市内のホテル国際21で友好提携25周年祝賀式典並びに記念レセプションを開催しました。式典には村井仁知事をはじめ望月雄内県議会議長、張成慶中国大使館参事官、井出正一県日中友好協会会長、各界代表ら80名が出席しました。

 村井知事は、友好提携以来25年の交流成果を回顧し、特に青年の船や青少年交流、各分野の研修生受入などがおこなわれてきたことにふれ、両県省の交流の促進を図りたいと述べました。胡省長はあいさつで河北省がGDP全国6位の地位を占め、年毎に経済発展を遂げていることを紹介し、省と県双方の代表団が1年ごとに相手先を訪問することや、企業間や青少年同士の交流を深めることを提案しました。
 井出会長は、両県省の友好25周年を祝賀し、緑化協力や卓球交流に触れた後、今までの成果の上に、人と物と文化の行き来が更に拡大していくことが望まれているとし、河北省の友人とともに世代友好と共同繁栄のために民間の立場から力を尽くしたいと述べました。
 知事と省長は記念品を交換し、しっかりと握手、会場から大きな拍手が送られました。続いて交流の足跡を紹介するスライドが映し出されました。記念レセプションでは、乾杯の後、和やかな懇談交流が行なわれました。

 一行は、この日、長野駅に到着すると、県観光部長や友好協会会員らの出迎えを受け、花束贈呈など歓迎を受けました。県庁では200名の県庁職員が玄関に出迎え歓迎しました。知事と省長は昨年の河北省での会見から1年、再会を喜び親しく懇談し、両県省の交流促進を話し合いました。続いて、県庁北側の公園にシナノキを記念植樹しました。翌19日は搾乳機などを製造しているオリオン機械(株)を視察し、続いて善光寺を参観しました。胡省長は将来を嘱望されている若手指導者ですが、その謙虚な人柄と前向きな友好姿勢に接した多くの皆さんが感心していました。東京では崔天凱・中国大使や外務省の藪中事務次官などの歓迎を受け21日韓国経由で帰国しました。

写真/大:式典であいさつする胡春華省長、小:左から長野駅頭での歓迎、NHKで報道された知事との会見、記念植樹、記念品の交換、省長と歓談する井出会長
中国へスキー用具を発送(6/8)

 長野県日中スキー交流委員会・中国にスキー用具を贈る実行委員会(児玉幹夫会長)は6月8日、長野市運動公園陸上競技場に集約されていたスキー板2400台、スキー靴2000足、ストック500組などの用具を2台の大型トラックに積み込みました。8:30の開始時間には長野市スキークラブをはじめとした県スキー連盟傘下の各スキークラブの代表、日中友好協会メンバーら38名のボランティアが集まりました。

 太谷県スキー連盟専務が「中国とのスキー交流を進めてきた中でスキーを贈る取り組みは大事な柱となっている、けがの無いように作業してください」とあいさつ、2班に分かれて作業に入りました。スキーと靴がリレー方式で次々と手際よく積み込まれ、途中休みを挟んで10:30には無事終了しました。

 これらの様子は、テレビ各社や新聞社で紹介されました。積み込まれたスキー用具は、横浜港から、6月中旬大連と秦皇島港に向かいます。送り先は、瀋陽体育学院と河北省対外友好協会(張家口)です。昨年は1年休みましたが、この取り組みは1983年にスタートし、今回は26回目となります。累計でスキー板124,000台余りが送られています。
中国国際放送局訪日団を迎えて有意義な交流(6/1)

 長野県日中友好協会は2007年12月に中国国際放送局(北京放送局)との間に、長野ラジオ孔子学堂の共同開設に合意し、昨年4月から孔子学堂中国語講座をスタートさせています。国際放送局とは、長野県北京放送を聞く会を通じての長い交流の歴史もあり、相互訪問も盛んです。

 6月1~2日国際放送局第1アジアセンターの童拉格副センター長を団長とする国際放送局訪日団一行6名が来県しました。一行は長野ラジオ孔子学堂中国語教室を訪れ、孔子学堂や日中友好協会関係者から歓迎を受けました。教室の様子を視察し、今後の協力などについて懇談しました。一行は、歓迎交流会に出席し、井出正一会長や北沢久学堂長から熱烈な歓迎を受けました。人気アナウンサーの王小燕さんのリードもよろしく、歓迎宴はすごい盛り上がりとなりました。団長はじめ皆さんは、本当に楽しかった!と喜んでいました。

 一行は翌日、初夏の戸隠、野尻湖を遊覧し、善光寺を参観して、名残を惜しみながら長野を後にしました。
県日中女性委員会総会、飯山の斑尾高原に70人が集う(5/31~6/1)

 長野県日中友好協会女性委員会は5月31日、飯山市斑尾高原ホテルで70人が出席して第34回定期総会を開催しました。

 村山ひとみ委員長は地元飯山日中友好協会の行き届いた協力に感謝した後、「昨年度はオリンピック聖火リレーを紅白のまんじゅうを1000袋くばって応援し、また日中友好海水浴交流会やスキー交流会を青年委員会と協力して取り組むとともに、初の試みとして中国大使館訪問バスツアーを計画し有意義な交流ができた。新春女性のつどいでは中島多鶴さんの開拓団の悲惨な逃避行の話をお聞きして平和の大切さを実感した。日中友好や平和の思いを抱きながら日日友好にも力をいれともに力を合わせて友好活動を進めて行きたい」とあいさつしました。

 総会では08年度の活動報告や決算報告を承認した後、09年度の活動方針と予算が採択されました。友好キャンプやスキー交流会を通じて中国留学生・研修生・帰国者との交流を深めること、中国婦女連合会との交流、女性会員の拡大と相互の親睦を深める活動に取り組むことなどが盛られています。

 第2部では石田正人・飯山市長が「足で稼いで心でつなぐ」と題して講演し、JAでの豊富な体験にもとづいたエピソードを紹介し、地域のふれあいによって心を通わせることの大切さを話されました。また中国からの159人に上る女性の農業研修生が地域の農業の担い手として活躍しており、中にはお嫁さんとなって飯山市民になったケースもあることを披露し中国との交流を大切にしている状況も紹介していただきました。

 第3部の交流懇親会は各地区の歌や踊りの出し物が次々と繰り出され、大変和やかな、楽しい会となりました。長野県日中友好協会の井出正一会長ら来賓も女性委員会の日頃の活躍にエールを送っていました。

「満蒙開拓平和記念館」長野県阿智村に(5/30)

阿智村駒場の建設用地は1455平方メートル。「中国残留孤児」の肉親探しに尽力した故山本慈昭さんが住職を務めた長岳寺の下に位置する 長野県・飯田日中友好協会(河原進会長)が中心になって進めてきた「満蒙開拓平和記念館」事業準備会に下伊那郡阿智村が建設用地1455平方メートル(440坪)を無償貸与することが決まり、建設に向けた募金と展示資料の収集が本格化している。

 飯田日中は5月30日、09年度定期大会を開催、ことし秋にも基本設計に着手、2011年春の開館に向けた取り組みに全力を挙げることを決議、全国に支持と協力を呼びかける「大会スローガン」を提案・採択した。『思いはひとつ。歴史を語り継ぎ、平和と永遠の日中友好を!』
記事全文
(写真)阿智村駒場の建設用地は1455平方メートル。「中国残留孤児」の肉親探しに尽力した故山本慈昭さんが住職を務めた長岳寺の下に位置する。

県友好協会訪中団、河北で緑化そして三峡へ(5/22~29)

 長野県日中友好協会訪中団(山根敏郎団長)は5月22日から29日、河北省での緑化協力活動に参加し関係者との交流を深めた後、三峡を訪れ大きく変貌しつつある中国の今を体験して来ました。

 22日、一行は、新北京空港に到着、時節柄念入りな健康チェックを受け無事入国しました。長野県となじみの深い河北省友好協会の紀竑さんと張丹さんが出迎えてくれました。長野県と友好提携25周年を経過した河北省の石家荘では河北省外事弁公室主催の歓迎宴会がおこなわれ、王占明副主任はじめアジア処の梁国輝さんら懐かしい友人からあたたかい歓迎を受けました。古くからの友人も新しい友人も心おきなく友情を深めることができました。翌朝は、福原愛選手もかつて学んだことがあるという優秀な卓球選手を輩出している石家荘市六通卓球倶楽部を訪れました。8~28歳までの選手120人が所属し熱心な練習をしていました。昨年長野にやってきた張楠さんと王旭さんも練習していて再会でき感激しました。この倶楽部は1999年に不動産会社が投資して設立された民営企業が運営しているそうです。

 一行はその後、従来の北京ー石家荘を結ぶ高速より約25kmほど西側を走っている新しく開通したばかりの京昆高速を北上し易県へ向かいました。従来の半分以下の1時間30分ほどで到着しました。易県の張良副県長や田林業局長ら関係者の出迎えを受け歓迎昼食会の後、早速日中緑化協力プロジェクトの現地で植樹活動に参加しました。100本ほどのコノテガシワを林業局や地元農民の皆さんとともに記念植樹しました。長い柄のスコップを使って真剣に樹を植えました。水をくれ心地よい汗を流して、歓迎の赤い横断幕をバックに記念撮影。日中緑化交流基金の支援を得て実施されているこの事業も3年目を迎えています。世界遺産の清西陵を有するこの一帯は平地ではかなり緑が多くなっていますが、太行山脈の東北端に位置する付近の山々は禿山が多く緑化は急務です。「ささやかですが、今後とも緑化に協力していきたい」と山根団長は熱をこめて語りました。一行はこの後、清の光緒帝の陵墓・崇陵を参観し中国の近代現代の歴史の舞台に思いを馳せました。別荘地帯の一角に宿泊し、県の林業局の皆さんと酒を酌み交わしながら易県の発展と緑化を願いました。

 24日は北京から重慶に向け出発。いよいよ神州号に乗船して、三峡下りの旅が始まります。三峡ダムが完成し、水位が158m上昇した結果、三峡の景観はどのように変わったのか、130万人ともいわれる移住者はどんな暮らしをしているか。巨大な三峡ダムの姿はどんなだろう。興味は尽きない三峡の旅でした。豊都の鬼城、奉節の白帝城、巫山の小三峡などで途中下船して名所を参観しながら霧の立ち込める三峡の景色を眺めデジカメのシャッターを切りました。船上では歓迎パーティーあり、ファッションショーあり、太極拳講習ありと休むまもなく時間が過ぎていきます。丸二日間の三峡下りの最後は、3時間かけて158mを水上エレベーターで降りる最大のショーで締めくくられます。夜中まで全員がデッキに出てこの壮大なショーに見入りました。

 27日下船して、三峡ダムを参観しました。ダムは全長2309m、ダムの高さ185m、年間発電量847億kwとの説明を聞きました。周辺4省の電気需要を賄うことが出きるとのこと。また洪水防止の役割を担うとともに観光業や工業発展のセンターの役割を果たしています。移住を余儀なくされた人々が、かなりの部分観光業に従事しているそうです。長江は400kmに及ぶ水平の湖面のようになり黄色く濁っていたその水はだんだんと緑色がかってきれいに見えるようになっていました。「かつて長江には重慶・武漢・南京など3つの大橋しかかかっていなかったのに、今や40ほどの大橋がかっかています」宜昌から武漢を案内してくれた梁平方氏は三峡ダム建設を契機に長江流域が大きく変わっている様子を紹介してくれました。道すがら水没した三峡から移住した人々3000人が暮らす村を目にすることができました。土地と住宅と年金が支給されているとの説明にうなづきつつ、過酷な生活環境ではあってもあの雄大な景色が忘れられずふるさとに還りたがっているお年寄りがいると聞き、さもありなんと思いました。いろいろな思いを想起しながら私たちの三峡の旅は終わりに近づきました。

 第47回県日中友好協会定期大会(5/19)
新中国建国60周年記念事業を柱に09年度のとりくみ決定

   <相互信頼増進と組織財政の充実強化に力点>

 長野県日中友好協会は去る5月19日、長野市内のホテル国際21において第47回2009年度定期大会を開催しました。大会には県下各地区協会から代議員・役員・来賓ら約180名が出席し、2008年度の活動を総括し、2009年度の活動方針、予算を決定しました。中華人民共和国建国60周年や河北省との友好提携25周年(後半)にあたっての活動方針を決めるとともに、日中両国の相互信頼増進と組織財政の充実強化に取り組んで行くことを決めました。

   井出正一会長は「世界は金融危機に端を発し混迷を深めているが、平和友好条約30周年と河北省との友好25周年に当たった昨年、日中関係は両国首脳の相互交流が進められ戦略的互恵関係を確認して進んでいることは喜ばしい。県協会も困難はあったが、会員県民の皆さんの協力を得てオリンピック聖火リレー・四川大地震支援募金・友好の翼訪中団派遣・事務所移転・孔子学堂中国語講座・高齢帰国者日本語教室等諸事業に取り組み成果をあげることができた。本年は新中国建国60周年を迎える。種々の困難を抱えながらも13億人の中国の発展は目覚しいものがある。世界の工場から世界の市場にもなった中国に不況脱出の牽引車の役割が期待されている。政府間交流とともに民間交流の重要性を認識し、相互理解と交流を進めて行きたい」とあいさつしました。

  活動方針では、新中国建国60周年事業として記念シンポジウムの開催や中国高校生訪日団の受け入れ、河北省との友好提携25周年(後半)の記念事業として河北省長を迎えての記念行事への協力、緑化協力プロジェクトの継続、組織と財政の強化などが決定されました。

  意見発表では、飯田日中友好協会の河原進会長が、阿智村の協力を得て「満蒙開拓平和記念館」の建設地が決まり、実現に向けて準備が進んでいることを紹介し、募金協力に謝意を表しました。続いて、田屋茂実氏(木曽楢川日中)が強制連行殉難中国烈士慰霊祭の様子を報告し慰霊碑を日中不再戦・平和友好の象徴として地域ぐるみで語り継ぎ守って行くために地元木曽町に友好協会を設立する準備を進めていることを紹介しました。また村山ひとみ県女性委員長が青年委員会とともにスキー交流会などに取り組んできたことを紹介し各地区協会の支援協力に心から感謝しますとのべ、また大使館への訪問交流が有意義に行なわれたことなどを報告しました。

  続いて「日中不再戦、相互尊重と相互理解促進の原点に立ち返り、世代友好・共同繁栄に向かって新しい機運を育んで行きましょう」との大会宣言を採択しました。最後に「日中共同声明と平和友好条約の原則と精神を踏まえ、相互信頼と友好協力を更に深めよう。団塊世代に参加を呼びかけ、組織を拡充しよう」とのスローガンが採択されました。

席上、退任役員表彰、20年以上在籍会員・10年以上在籍会員表彰並びに「人民中国」拡大表彰が行われました。

   第2部の祝賀パーティーで井出会長は、各界来賓に対し四川大地震への700万円を超える義援金協力をはじめ日ごろの友好活動への協力に感謝した後、「世界が混迷を深めている中、日中両国が提携して行くことはきわめて重要。日中両国が様々な困難を乗り越え戦略的互恵関係にあることを認識して関係発展に努めて行くことを期待し、協会は国民レベルの相互信頼増進のために民間の立場から努力を傾けたい。引き続きご支援後協力をお願いしたい」と述べました。

   久保田篤・観光部長(県知事代理)、高橋宏県議会副議長、倉田竜彦県議会日中友好促進議員連盟会長からご祝辞をいただき、田中功県国際課長、羽田孜・小坂憲次・若林正俊・北沢俊美・吉田博美の各国会議員(代理)や森田恒雄・福島鶴子・太田昌孝・牛山好子・小林東一郎の各県議会議員からも激励のスピーチをいただきました。

   来賓として、松倉義明県国際交流推進係長、段秀珍国際交流員、王昌勝県華僑総会会長、丸山文昭長野市企画政策部長、栗原信行松本市広報政策部長、有賀正元松本市長、山口わか子元衆議院議員、成澤栄一元県議、近藤光連合長野会長、大矢栄一県中小企業団体中央会参与、淺川祐二県経営者協会、藤本人寿JA長野中央会地域農政部長、竹之内健次部落解放同盟県連合会委員長、野本光志松本歯科大学顧問、穂苅甲子男信州葫蘆島友の会会長らにも出席いただきました。また加藤紘一(社)日中友好協会会長、張成慶中国大使館友好交流部参事官から熱烈な祝賀メッセージをいただきました。また国会議員、県議会議員、市町村長、友好諸団体から多数の祝電・メッセージが寄せられました。

『人民中国』雑誌社代表団来県、講演と歓迎のつどい(4/20)

 徐耀庭・「人民中国」雑誌社社長を団長とする一行6人が、4月20日長野県日中友好協会の招きで長野市を訪れ、講演と歓迎のつどいに出席しました。

 徐団長は「中国の今を伝える『人民中国』」と題して講演し、「人民中国」の役割や編集などの状況を紹介するとともに、2008年の四川大地震や北京オリンピックなどを経て、変化を遂げる中国の現況を紹介しました。

 講演後、出席した40名の読者や友好協会会員などと意見交換が行われました。環境保護に対する取り組み状況や国民レベルの友好を育むため日本人スタッフ5名も活躍しており読みやすい雑誌つくりに心がけていること、読者会を作ったらどうかなど活発な意見が出されました。終了後、歓迎会が和やかに開催されました。

 一行はつどいに先立ち御開帳でにぎわう善光寺と中国とゆかりの深い東山魁夷館を参観しました。
河北省から農業研修生迎え、受入式(4/16)
 
 長野県と友好提携している河北省から農業研修生10名が4月11日南牧村野辺山に到着し、関係者や受け入れ農家の皆さんの出迎えを受けました。16日には、長野市のホテル・サンパルテ山王で受入式と歓迎会が行われました。

 受入式で県河北省農業研修生受入実施委員会の矢澤利夫会長は「今回受け入れる皆さんは、農業技術員だが研修を楽しめる心と体を作って、帰国後は立派な指導者になってほしい」とあいさつしました。

 受入れ農家を代表してあいさつした中嶋弘さんは「ともに安全、安心な野菜を作って行きたい。日本の生活に1日も早く慣れ、体に気をつけて研修に励んでほしい」と話しました。

 研修生団長の康勇さんは「日本の優れた農業技術や経営をしっかり学びたい」と力強くあいさつしました。研修生は10月下旬までの6ヶ月半南牧村の大規模野菜農家4軒で研修を行います。
吉林省モーグル訓練隊成果上げ帰国(4/8)

 吉林省モーグル訓練隊6名は4月8日白馬村での約1ヶ月の訓練を終えて長野市サンパルテ山王で開かれた県日中スキー交流委員会主催の歓送迎会に出席しました。

 児玉幹夫県スキー連盟会長はスキー交流委員会を代表して訓練隊の熱心な練習振りをたたえ歓迎の意を表しました。張冬生団長(吉林省体育局冬季運動管理センター科長)は「モーグル種目はスタートしたばかりですが、今回の訓練を通じて成果が上がりレベルアップができました。白馬村佐野坂スキー場の皆様はじめ県スキー連盟や友好協会、白馬村などの行き届いたご配慮のおかげです。吉林省と長野県とのスキー交流は30年の長きにわたります。今後と両省県のスキー交流を発展していきたいと思います。」とあいさつしました。

 一行は歓迎会に先立ち、県教育委員会を表敬訪問し、平澤武司教育次長から熱烈な歓迎を受けました。また御開帳でにぎわう善光寺を参観しました。長野での熱い思いを抱いて4月9日帰国しました。
長野市日中友好協会、創立30周年を祝う(3/15)

 長野市日中友好協会は3月15日、創立30周年記念式典を会員ら130名が出席してホテル信濃路で開いた。 

 式典に先立ち、中国大使館友好交流部の張成慶参事官の記念講演が行われた。張氏は「新中国建国60周年と日中関係の今後」と題して講演。昨年春の四川大地震への支援や長野で行われた北京オリンピック聖火リレーへの応援に感謝し、友好都市石家荘市との友好交流の成果をたたえた後、「国交正常化以降、政治や経済、文化、教育、民間での交流が、活発に行われ驚くほどの成果を両国にもたらした」と述べた。両国の発展には相互理解と信頼関係を深めることが必要とし、「両国の青少年が直接ふれあい交流する機会を増やしていくことが重要」とした。

 第2部の記念式典では、最初に花岡堅而初代会長や北村正市前会長をはじめとした物故者を偲び黙祷。内藤武男会長は「先人の活躍を受け継ぎ、歴史の教訓を踏まえて長期安定的な友好交流を促進していきたい」とあいさつした。北島良一理事長は発刊されたばかりの30周年記念誌『日中友好のあゆみ』を披露しながら、30年の歩みを振り返えり、1979年2月日中友好協会長野地区本部と同篠ノ井支部が合併して長野市協会が設立されて以降の経過を報告した。席上、故北村前会長と故神田忠亥前理事長に感謝状が贈られた。

 第3部の祝賀会は各界来賓を交えて行われ、和やかに交流懇談が行なわれた。鷲沢正一長野市長、井出正一県協会会長、小坂憲次代議士、太田順造県国際課長、三木正夫須坂市日中会長(須坂市長)、塚田佐前長野市長、岡田荘史市議会議長、加藤久雄長野商工会議所会頭らから激励の祝辞が寄せられた。また崔天凱中国大使のメッセージが張参事官によって披露された。
吉林省からモーグル訓練隊が白馬へ(3/12)

 吉林省スキー協会派遣のモーグル訓練隊6名が3月12日来日、来県し、県スキー連盟や県日中友好協会・白馬村関係者の出迎えを受けた。

 一行は張冬生・吉林省冬季運動管理センター科長を隊長にコーチ1名、選手4名。白馬村佐野坂スキー場並びに八方スキー場において4月9日まで約1ヶ月間訓練する予定。

 コーチの劉長城さん(47)は1980年のレークプラッシド冬季オリンピック初出場組の1人で野沢温泉スキー場で訓練してからアメリカにわたったことなど思い出深く語った。吉林省はサマージャンプ訓練隊を毎年派遣してきており、中国では黒龍江省と並んでスキー界をリードしている。
スノーボード、世界ジュニア選手権で中国選手活躍、協会メンバーも応援(3/7)

 スノーボードの世界ジュニア選手権大会が山ノ内町北志賀高原の高井富士スキー場で行われ、最終日の3月7日ハーフパイプ競技において、日本選手や外国選手とともに中国選手男女各4名が出場し、善戦した。中でも女子の蔡雪洞さんは42.2の高得点をマークし優勝した。

 同行した中国滑雪協会の安林彬副秘書長や王石安コーチ(瀋陽体育学院教授)によると、中国は、スキー競技の中でメダルに近い競技として、すでにメダルを獲得しているエアリアルなどとともにスノーボードに重点を置いているとのこと。「今回のメンバーはBグループ」という話だったので、急速に力をつけている様子が伺えた。

 この日、地元の中野日中友好協会の滝沢忠事務局長、小林敏事務局次長ら6名が中国旗と友好協会旗を持って応援に駆けつけ選手たちを激励交流した。布施正幸県日中事務局長も参加した。

 安副秘書長は懇談の中で、長年にわたる長野県とのスキー交流を振り返り、自身も白馬村八方スキー場で訓練したことを語りながら、スキー関係者に謝意を表した。また来シーズン、中国滑雪協会としてハーフパイプの訓練隊を長野県に派遣することも検討したいと述べ引き続き交流を深めて行くことを希望した。
河北省農業視察団が農産物の安全テーマに県内視察(3/3~5)

 長野県と友好提携している河北省から農業視察団(安沫平・省農業環境保護監測センター所長一行6名)が3月3日から5日長野県を訪れ、県農政部や県農協中央会を表敬訪問し、北沢省吾・県農村振興課長や矢澤利夫・県農協中央会専務らから県農業やJA組織について説明をうけるとともに安全な農産物生産などの仕組みを学んだ。農薬の適正使用や食品表示の適正化を指導し農薬使用の記録を義務づけるなど、食の安全に努めていることなどが紹介された。

 安団長も中国で3農政策を実施し農民の生活向上に取り組んでいること、JA組織を参考に農民合作社法が制定され規模の拡大などを目指そうとしていること、農産物品質安全法などにもとづき農産物の安全と環境保護が重視されるようになったことなどを紹介しこの方面での協力を望んでいると語った。

 一行は滞在中、アグリ長沼のイチゴ栽培やホクト(株)のきのこ栽培、卸売市場(長印)などを視察参観した。3日には井出正一県日中友好協会会長らが出席して歓迎会が行われ交流懇談した。
第32回日中スキー交流会SKI&FRIENDSHIP in 乗鞍高原(2/28~3/1)

 2月28日~3月1日の両日、北アルプスの乗鞍高原スキー場・休暇村において中国留学生・大使館・帰国者らを招いて80余名が参加し恒例の第32回日中スキー交流会が開かれました。2日間とも快晴で絶好のスキー日和となりました。

 開会式では地元の子供たちによる「竜神太鼓」の演奏が行われゲレンデに隣接した広場に響きわたりました。
 スキー教室では、10班に分かれ初心者も青年委員会メンバーなどの指導員のリードのもと汗だくになりながらだんだんとコツをつかみ直滑降からボーゲンにすすみリフトにチャレンジできるようになりました。

 夜の交流会では、おいしい料理に舌鼓を打ち、杯を交わし交流しながら班ごとの合唱披露や、スワロースキー提供の豪華スキーグッズの提供などもあり、大いに盛り上がりました。

 2日目は目に見える上達振りを見せ、斜面を気持ちよく滑り降りる姿が多くなりました。最後に女性委員会の皆さんが準備してくれたおにぎりと豚汁をいただき、閉会となりました。
 留学生代表であいさつした張利さん(信大繊維学部)は「本当に楽しい2日間でした。昨年聖火リレーや四川大地震のとき支援していただき感激しました。またスキー交流でこんなに親しく交流でき一生の思い出になりました」と語っていました。準備や運営に尽力した県日中青年委員会と女性委員会メンバーに感謝の拍手が送られました。

 今回のスキー交流会でも留学生や大使館の皆さんのスキー用具とウェアーをスワロースキーから提供していただきました。丸山哲三会長は、「私の会社も中国の大連でスキー製造とスキー場を経営していますが、スキーの楽しさを大使館や留学生の皆さんに味わってもらえれば幸いです」と語っていました。

真剣に、そして和やかに--日中友好新春女性のつどい(2/5)

 長野県日中友好協会女性委員会(村山ひとみ委員長)は2月5日長野市のホテル信濃路において2009年日中友好新春女性のつどいを開きました。

 村山委員長はあいさつの中で昨年1年間女性委員会が県協会とともに県内各地で多彩な行事を展開し成果をあげてきたことに触れ、特に11月には46名で中国大使館を友好訪問し有意義な交流ができたこと、4月の長野市でのオリンピック聖火リレー応援に参加できたこと、四川大地震カンパ活動・帰国者支援活動などを通じて日中友好に大きく貢献できたと述べ、「厳しい社会経済状況のなかでも元気に日中友好に頑張っていきましょう」と語りました。

 続いて『葫蘆島-旧満州からの引き揚げはこうして行われた(満蒙開拓の歴史から平和について考える)』と題して中島多鶴さん(泰阜村)の講演が行われました。一家とともに満州開拓団として旧満州大八浪に渡り6年目に敗戦、死の逃避行の後、葫蘆島からの奇跡的な帰国、そして帰国後は残留婦人や残留孤児たちの支援活動に取り組んだ重い体験を紹介しました。「あの戦争が無ければこのような悲劇は無かった」「命ある限り平和を守り日中友好に尽くしたい」しみじみとした語りに90人の参加者は深くうなずきながら聞き入りました。

 第2部の新春交流会は53人の出席のもと歌あり踊りありの楽しい和やかな交流会となりました。全員で「ふるさと」を斉唱し、平和と友好を誓い合いました。

*『沈まぬ夕陽-満蒙開拓の今を生きる中島多鶴』(信濃毎日新聞社 1500円)は中島多鶴さんの半生を紹介した本で、満州開拓団の歴史背景やその後たどった悲劇を知るのに大変参考となる本です。ご一読をお薦めします。

残留孤児ら 重い体験や夢を発表、春節も祝って交流
中国残留邦人への理解を深める県民の集い(2/1)

 「中国残留邦人への理解を深める長野県民の集い」が2月1日、長野市のサンパルテ山王で開催され、帰国者や一般市民ら360人が参加し、東京中国歌舞団による歌と演奏を堪能した後、帰国者の体験発表に耳を傾けた。第2部の春節交流会では餅つきや獅子舞などを楽しみながら交流した。

 第1部では主催者を代表して、最初に(財)中国残留孤児援護基金の中澤勝義常務理事が帰国者が困難を乗り越えて日本社会の一員として懸命に努力している状況を広く理解していただき国県自治体と地域住民一体となって帰国者の皆さんを支えて安心した老後を送っていただくよう理解を呼びかけました。また斎藤恭一中国孤児等対策室室長が大村秀章厚生労働副大臣からのメッセージを披露。

 地元協賛団体を代表して、長野県日中友好協会の井出正一会長が「戦前のあやまった国策の犠牲となった残留孤児や残留婦人の皆さんは敗戦時の悲惨な逃避行をはじめ言い知れぬ苦難を体験し、帰国後も言葉や習慣の違いという困難のなかで懸命に生きてこられた。全国一満州開拓団を送り出した長野県は、帰国者支援に力をいれ、帰国者の皆さんが安心して地域の一員として暮らしていけるよう官民協力して努力して行きたい」とあいさつした。

 続いて、日頃中国帰国者や養父母慰問活動に取り組んできた東京中国歌舞団の演奏会が行われた。中国民族楽器の演奏をバックに陽二蓮(ヤンアーレン)さんの軽やかな歌声に聞き入った。最後に全員で「大海阿故郷(海はふるさと)」と「ふるさと」を大合唱した。

 続いて、県内で暮らす残留婦人や残留孤児ら4人が、自らの体験や、将来の夢などを発表。参加者は真剣に聞き入り、深くうなずきながら拍手を送った。

 8歳のときに下伊那郡泰阜村から家族で満州に渡った中島千鶴さん(76)=飯田市=は、極限状態での逃避行の様子や望郷の念に駆られた中国での体験を話した。45年後の1985年にようやく帰国。「戦争をして困り、悲しむのは普通の国民。二度と戦争をしないでください」と強調。公民館で中国語の講師をするなど、地域と前向きにかかわるようになった近況を紹介した。

 残留孤児一世の石坂万寿美さん(65)=松本市=はこの数年間熱心に学習し身につけたしっかりした日本語で次のように発表した。2歳で敗戦、養父母は困難な中で自分を師範学校に出してくれ、教師になった。文化大革命の混乱を機に帰国の思いが強まり平成6年帰国。しかし言葉がわからず孤独と不安のなかで暮らした。5年前残留孤児訴訟に加わった。昨年支援法が成立し、ようやく1人の日本人として認められた思いがした。現在の私は、地元の支援グループ・ナルクと出会い、活発に料理・マレットゴルフ・ハイキングなどに参加し、四川大地震募金活動に参加したりNHKのど自慢にも出場した。元気で前向きに生きていこうと決意している。

 残留孤児二世の坂井太郎さん(34)=長野市=は帰国者自立研修センターで日本語を身につけた後、就職し、現在ではヘルパー2級の資格をとって活躍している様子を紹介した。スペシャルオリンピックスでのボランティアの体験などを活かして今後も社会のために貢献したいと語った。

 発表者で最も若い残留孤児三世の野村霞さん(20)=下伊那郡高森町=は9歳でおじいちゃんとともに日本にやってきたが小中学校では言葉がわからず友達ができなくていじめられたり授業についていくことができなくてつらい思いをしたが、卒業後は良い職場の仲間に助けられ定時制高校にも通い高校検定試験に合格し半年早く卒業できた。不況のため派遣会社は首になったが、新しい会社に就職できた。「通訳になって日中両国の懸け橋になりたい」と決意を語り、会場から盛んな拍手を浴びた。

 第2部の春節交流会は、長野市日中女性委員会のメンバーが日頃の帰国者支援活動の腕前を発揮して準備と運営に当たった。350人の会場移動が完了すると、まず青年委員会メンバーが用意した臼と杵で餅つき。昨年帰国したばかりの池田充さん夫妻も餅つきを体験して大喜びだった。宮沢信代女性委員長の開会あいさつ、西堀正司県日中理事長のあいさつに続いて青木一男県地域福祉課長の音頭で乾杯。立食パーティー方式で懇親交流が行なわれた。続いて、富竹神楽保存会の皆さんによる獅子舞、ワールドキャッツの子供たちによる軽快なダンス、琴伝流大正琴・やまなみの皆さんによる日中両国の歌の演奏が披露。友情出演の皆さんの熱演に拍手が送られた。豪華景品も当たるくじ引きには真剣な眼差し。続いて上田と松本の高齢帰国者日本語教室のメンバーが「さくら」や「ふるさと」を元気に歌うと大きな拍手が送られた。最後は中国の東北で盛んなヤンコー踊りを帰国者の皆さんのリードで踊った。会場は春節にふさわしい盛り上がりとなり、あっという間に2時間余りが過ぎ去った。最後に北沢久県日中帰国者留学生委員会委員長の音頭で帰国者の皆さんの活躍を祈念して万歳。つきたてのお餅をいただきながらお互いにエールをかわし帰途に着いた。

 今回の集いは厚生労働省の委託を受けた(財)中国残留孤児援護基金が全国3箇所(東京・長野・福岡)で計画した残留邦人への理解を深めるシンポジウム事業の一環。県日中友好協会が協賛した。

2009年友好スタート、新春座談会・新年会開催(1/19)

長野県日中友好協会は1月19日、170人が出席して恒例の日中友好新春座談会と新年会を長野市内のホテル信濃路で開きました。座談会には会員125人が出席して新年の抱負を語り合いました。新年会には各界来賓も加わり盛会裏に開催されました。

 座談会では、今年の主な交流計画も発表。世界的な不況という激動の中でこそ「日中関係の重要性を思い、世代友好と共同繁栄の願いを持って友好活動を」とうたい、青少年の相互交流や太行山河北省易県での緑化活動を進めるほか、2月1日には長野市で中国残留孤児援護基金とともに「中国残留邦人への理解を深める県民のつどい」を開く計画。また、中華人民共和国建国60周年を記念して10月に記念シンポジウムなど記念事業にとりくむとしています。

 続いてディスカッションに入り、世界の中の日本と中国、日中関係の現状と課題、友好への提言、地区活動の紹介など活発に意見交換が行われました。強制連行された中国人殉難者の慰霊祭に参加して平和の大切さを若い世代に伝えていくことの重要性を感じたことや、日本の教訓を活かして環境保護に協力していくことの重要性、身近な交流にも目をむけ相互信頼を育んでいきたいなどが語られました。

 新年会には、日頃、友好運動に協力いただいている各界来賓も多数出席いただきました。席上、井出正一会長は「世界で経済、政治が混迷し、展望が見えない中、日中関係は青少年や文化交流とともに、政府首脳の交流も活発になっている。日中関係の安定はアジアと世界の平和と繁栄に非常に大きな影響を及ぼす。これからも友好協会として民間交流の一翼を担い友好協力発展に努めて行きたい」とあいさつしました。

 太田順造県国際課長、篠原孝・小坂憲次・羽田孜の各代議士、若林正俊・北沢俊美・吉田博美の各参議院議員から祝辞をいただいた後、倉田竜彦県議会日中友好促進議員連盟会長の音頭で乾杯しました。あちこちで懇談交流が行なわれ会場は和やかな雰囲気に包まれました。佐々木治夫県医師会副会長の音頭で日中友好の万歳を行い1年の活躍を誓って散会となりました。

 その他の来賓としては、村石正郎・高橋宏・太田昌孝・今井正子・高島陽子・小林東一郎の各県議、経営者協会・中小企業団体中央会・県商工会連合会・信用保証協会や連合長野・県中立労連・県医師会・信濃教育会・部落解放同盟の代表などが出席しました。

<年頭ごあいさつ> (2009.1/1)

祝中華人民共和国60周年、相互信頼、友好協力の年に

                長野県日中友好協会 会長 井出 正一

 新年おめでとうございます。

 日中平和友好条約30周年、長野県と河北省との友好提携25周年だった昨年は、雑誌『人民中国』12月号が、四川大震災、北京オリンピック、メラミン粉ミルク事件、17期3中全会などを列挙したあと、中国にとって「喜怒哀楽の2008年」だったと回顧していますが、日中関係においても両国首脳による頻繁な接触、青少年・文化交流の増進によって「戦略的互恵関係の構築」が推進された意味のある年でありました。

 県協会では、チベット問題で揺れる聖火リレーを“静かに温かく”迎えることに尽力し、四川大地震義援金も会員はじめ県民の皆様のご協力により700万円余に達しました。5月には知事を団長に60余名の訪中団を河北省へ派遣、その他年初計画した諸事業を成功裏に実施することができました。地区協会はじめ関係各位のご協力に改めて感謝します。

 中国残留邦人への「新支援法」が施行された一方で、20年近く運営を委されてきた「中国帰国者自立研修センターが閉鎖されました。協会としてはこれからも出来る限りの応援はしていく積もりです。そんなわけで今までセンターと同居していた事務局も立ち退かねばならなくなったところ、たまたま破格の条件で格好の場所をお借りすることができ、4月に開設された「長野ラジオ孔子学堂」の教室の利用にも供しています。とはいうものの事務所移転費用捻出のため、カンパを御願いせざるをえないことご理解下さい。

 本年は新中国建国60周年になります。60年前、今日のような中国の姿・発展を想像できたでしょうか。幾多の困難を克服してきた中国国民の英智とエネルギーに敬意と祝意を表します。とはいえ、環境、格差、人権、食の安全など解決を要する問題も山積みしています。

 世界は多極化、激動の時代に入りました。日中関係の安定はアジアと世界の平和と繁栄に大きな影響を及ぼします。より一層の相互理解のための民間交流の役割の一端を、今年も力を合わせて果たしたいものです。

新日中共同声明の精神を守り発展させよう

                 長野県日中友好協会 理事長  西堀 正司

昨年一年間の会員、役員の皆様の御支援に感謝申し上げます。

 過ぐる2008年は、歴史的な一年でした。

 米国発の金融危機が世界経済に大きな影響を与えています。昨年十一月ワシントンに先進各国と中国をはじめ新興国が集まり、対策と今後の方針を討議しました。経済のグローバル化に伴い、米国の経済の失敗が、世界各国に蔓延してしまいました。

 この情況を改善して脱出するにはどのようにしたらよいのでしょうか?世界が注目したのは、中国の動向でした。なぜかというと改革、開放政策によって、外貨準備高や成長率が世界一になった中国の動きは、実績から注目されました。

 中国は今までの輸出を中心とする経済運営から、内需にシフトするといわれています。バランスのよい経済運営に切り換え、四兆元(約55兆円)という巨大な資金を投入し発展持続の世界同時不況対策を実行に移す事にしたのです。

華南地方の雪害、四川大地震、チベット騒乱、食品の安全問題等、大変な一年でした。そうした中で北京五輪は大成功をおさめました。

 今年は、中華人民共和国建国60周年の節目の年です。本年この建国60周年を世界にアピールする年として、名実共に内外政策にその努力を集中するでしょう。

 昨年五月に胡錦涛主席が来日し、日中関係の四つ目の重要な政治文書が共同声明として発表されました。日中両国の「戦略的互恵関係」の構築に大きな前進を勝ち取りました。民間団体としての我々も、この共同声明の精神と原則を守り発展させる為、組織を強化し、運動を発展させていくため、頑張りたいと思います。

 アジアの平和と世界の平和に貢献するという、日中友好協会の目的は、我々の信念と努力によって保証されるものです。ともに力をあわせて世代友好・共同繁栄のため努力しましょう。本年もよろしくお願いいたします。



  相互信頼、友好協力を深め、
    世代友好と共同繁栄を目指そう!


                  長野県日中友好協会 事務局長 布施 正幸

新年明けましておめでとうございます。日ごろ日中友好に対しご理解ご協力を賜り感謝申し上げます。

 昨年は日中平和友好条約30周年・河北省との友好提携25周年にあたりました。日中関係はギョウザ事件やチベット問題などが起き複雑な状況を呈しましたが、両国首脳の活発な相互訪問と「戦略的互恵関係の推進」の確認によって政府レベル・国民レベルでの友好協力再構築の流れが鮮明になってきました。

 県協会では、世界の注目が集まる中でオリンピック聖火リレーを成功させるために尽力し、引き続いて四川大地震義援金に取り組み日中友好が不変であることを県民に全国にアピールしました。

 記念事業として知事を団長とする県民の翼の河北省への派遣や中国高校生訪日団106名の受け入れ、「三国志」県内公演、中国強制連行殉難烈士慰霊祭、30周年記念講演と祝賀のつどい、日中友好中学生卓球交流大会など諸事業を関係各位のご協力をいただき成功裏に実施することができました。また、中国国際放送局と提携し、長野ラジオ孔子学堂中国語講座がスタートしました。これを機に現在の環境の良い事務所に移転しました。組織・財政問題など課題はたくさんありますが、貴重な歩みを刻んだ節目の年でありました。 

 世界はまさに激動の時代に入っていますが、日中関係の安定はアジアと世界の平和と繁栄に非常に大きな影響を及ぼすでしょう。この間の試練を乗り越えて相互信頼と戦略的互恵関係が前進して行くことが期待されます。私たちは、引き続き民間レベルでも様々な分野で交流を進め、世代友好・共同繁栄に向かって新しい機運を育んでいきたいと思います。特に青少年交流や環境保全などの分野での交流は両国の明日にとって重要でありましょう。

 皆様の新年のご多幸とご活躍をお祈り申し上げます。

2009年の年頭にあたって

      (社)日中友好協会会長 加藤紘一

 新年を迎え、会員の皆さまのご多幸を祈り、心からの慶びのあいさつを申し述べます。
 今年は中華人民共和国建国60周年にあたり、来年には日中友好協会創立60周年を迎えます。
 昨年7月、平山郁夫先生にご推挙いただき、総会の承認を得て第五代会長に就任いたしましたが、協会会長としての仕事が増えるに従い、新中国と歩みをともにして60年になんなんとする協会の歴史といま果たすべき社会的使命に思いを致し、大きな責任を感じます。全国の会員の皆さまとともに、栄えある伝統をいっそう輝かすためにも精一杯尽力してまいる所存です。
 いまなお記憶に新しいのですが、昨年の5月、四川大地震の時におこなわれた日本の緊急援助隊の救援活動をテレビで見、新聞で知った多くの中国の人々が、海外から真っ先に被災地に駆けつけた日本の救援チームの献身的に働く姿に敬意と感謝の気持ちを表してくださった。
 今度はそのことを日本人がネットやマスコミ報道で知って、それは悲惨な出来事がもたらした活動ではあったのですが、両国の国民が、あの時心と心を通わせあいました。おそらく日中間のこの30年間で、両国国民がいちばん近づいた瞬間だったのではないでしょうか。日本で暮らす中国人は60万人を超え、私たちの身近で庶民同士の交流が始まっています。お互いに、国も個々人も、苦しいところも分かり合い、真心こめて助け合える間柄にしていきましょう。それこそ民間交流に一貫して尽力してきた日中友好協会の務めなのですから。
 青少年交流もいっそうの高まりを迎えます。新中国60周年の年に若者の相互交流を力強く進め、協会の組織を挙げて後継者の育成に努めてまいりましょう。皆さまのご尽力をお願いし、あいさつの結びとさせていただきます。

友好短信2008年1月~12月