「満蒙開拓平和記念館」長野県阿智村に

阿智村駒場の建設用地は1455平方メートル。「中国残留孤児」の肉親探しに尽力した故山本慈昭さんが住職を務めた長岳寺の下に位置する

阿智村駒場の建設用地は1455平方メートル。
「中国残留孤児」の肉親探しに尽力した
故山本慈昭さんが住職を務めた
長岳寺の下に位置する

 長野県・飯田日中友好協会(河原進会長)が中心になって進めてきた「満蒙開拓平和記念館」事業準備会に下伊那郡阿智村が建設用地1455平方メートル(440坪)を無償貸与することが決まり、建設に向けた募金と展示資料の収集が本格化している。飯田日中は5月30日、09年度定期大会を開催、ことし秋にも基本設計に着手、2011年春の開館に向けた取り組みに全力を挙げることを決議、全国に支持と協力を呼びかける「大会スローガン」を提案・採択した。『思いはひとつ。歴史を語り継ぎ、平和と永遠の日中友好を!』

 寺沢秀文「満蒙開拓平和記念館」事業準備会事務局長(飯田日中副理事長)に阿智村の建設用地を案内してもらった。
 同村駒場。阿智川に面した緑豊かな谷あいの村有地で、中央自動車道「飯田山本」インターから車で5分という好立地だ。
 「満洲移民の教訓を伝え、日中両国の国民レベルの友好のためにも意義ある記念館、村を挙げて協力したい、と岡庭一雄村長が申し出てくださった。本当にありがたいことです」と寺沢さん。

飯田日中の定期大会で
 この朗報を得て飯田日中は5月30日に開いた09年度定期大会で、今年度活動方針に満蒙開拓平和記念館建設事業の本格的な推進を柱に、中国帰国者支援、戦争の悲惨さと平和の尊さを若い世代に伝える「満蒙開拓語り部の会」のボランティア養成などを盛り込み、全会一致で採択した。
 移民体験者の高齢化がすすみ、歴史が風化する現実を前に「いま残さなければ、父母の世代の体験は失われてしまう」との思いを寺沢さんら準備会の活動家たちは共有する。
 満蒙開拓移民27万人のうち長野県は最多の3万8000人、下伊那はその4分の1にあたる8400人を送り出し、多くの犠牲者を出した。その歴史を記録・保存・展示・研究し、平和・共生・友好の未来を創出するための拠点として記念館は建てられる。
 「地元周辺市町村の全首長に事業賛同者になっていただいた。全国の市町村にも協力を求める要請書を出しましたが、2011年春の開館を目指し、1億円を目標額に募金活動を推し進めたい。募金1口5000円以上は阿智村ふるさとづくり寄付金制度により税金控除対象になります。全国の協会会員の皆さんからご支援とアドバイスをいただければ」と河原進・事業準備会長(飯田日中会長)。

次代に伝えるのが務め
 伊那谷には満蒙開拓に送り出され帰れずに亡くなった同胞を慰霊する碑が各所に建てられている。案内してもらう道々、寺沢さんから寺沢家の歴史をうかがった。
 一家で満蒙開拓へ。荒地を開墾するものとばかり思っていたところ、与えられた土地は現地の中国人から奪ったものだった。何とか帰郷できて、今度は伊那の山野を開墾して、その苦労が身にしみ、中国の農民が開墾した土地を奪ったのが、どれほど卑劣なことだったかを父親は、帰郷後に生まれた寺沢さんに言い聞かせたという。
 「兄は満洲の地で死にました。父母から聞いた侵略と戦争の歴史を次代に伝えるのが私の務めだと思うと、どうしても平和記念館を建てたい。『満洲』、『開拓』といった言葉が欺瞞美化だと言って、それだけで満蒙開拓団の歴史を知りたがらない日本人がいますが、歴史を知らずには、平和のありがたさも日中友好の尊さも分からない。歴史を語り継ぎ、平和と永遠の日中友好を貫かなければなりません」(寺沢さん)。

ご寄付のお願い(郵便振替で)
【飯田日中友好協会】
 005107−59343
【長野県下伊那郡阿智村会計管理者】
 00520−8−960092
募金に関するお問い合わせは事業準備会
〒395−0303長野県下伊那郡阿智村駒場447−2
TEL・FAX0265−43−5580まで