友好短信07.1月12月

中国帰国者ら近況語り合う、帰国者年末交流会(12/2)
県中国帰国者自立研修センターは、12月2日、恒例の年末交流会を長野市内のホテル、サンパルテ山王で開催しました。帰国者家族や関係者60名が出席して、食事をしながら、近況を語り合うなど交流を深めました。席上、同センターで日本語を学んだ修了生がスピーチを披露。10年前に天津市から帰国した中村啓さん(64)は「この10年間仕事を続けながら、日本語を学ぶことを最優先に頑張った。今は孫に中国語を教え、孫からも日本語を教わっている」と話しました。13年前に瀋陽市から帰国した井沢紀代子さん(67)は「11月28日に成立した中国残留邦人に対する改正支援法はありがたい。清掃の仕事を辞め、来年からは日本語をさらに勉強したい」と話しました。
中国大使館などに県産ふじ贈呈、孫参事官が北京五輪紹介の講演(11/22)
JA全農長野は11月22日農協ビルにおいて「長野県りんごの日」にちなんで中国大使館はじめ21カ国在日大使館などへ長野県産サンふじりんご41ケースを贈りました。長野オリンピック「1校一国運動」の縁で長野滞在中の北京花家地実験小学校児童にもプレゼントしました。贈呈式で、竹内守雄JA全農県本部長は「おいしい長野県産のサンふじりんごでさらに交流が深まるように願っています」とあいさつ。中国大使館の孫美嬌参事官は「長野県のおいしいりんごをありがとうございます。中国のりんご生産量は多いがおいしいりんごを作るのは課題が多い。今後とも一層交流を深めたい」とお礼を述べました。贈呈に先立ち、孫参事官が「2008年北京五輪に向かって」と題して講演し、「2008年の北京オリンピックは、”緑の五輪、科学技術の五輪、人文の五輪”という理念で行われます。競技場建設をはじめ、聖火リレー、切符販売などの準備が進んでいます。一方で、都市交通の整備、自然環境の改善、食品の安全にも精力的に取り組んでいます」などと北京オリンピックの理念や準備状況を映像を交えて詳しく紹介しました。JAならびに長野県日中友好協会や長野国際親善クラブの関係者80名が参加しました。
中国の高校生80人が来県 長野南・飯田・小諸など3高校を訪問(11/15〜17)
 外務省の本年度「21世紀東アジア青少年大交流計画」の一環として中国高校生訪日団一行78人が11月15日から17日まで長野県を訪れました。西安・重慶・上海の高校生で編成されています。
 15日午前、長野新幹線で長野に到着した一行を長野県日中友好協会のメンバーが両国旗と歓迎の横断幕を持って温かく歓迎しました。長野市内のホテル犀北館で西堀正司県協会理事長が熱烈な歓迎のあいさつをおこなって一行を歓迎しました。つづいて板倉敏和副知事表敬と長野県の概況説明を国際課の担当者から受けました。板倉副知事は「流暢な」中国語で歓迎あいさつを行い、大きな拍手が起きました。午後は3グループに別れ、信濃毎日新聞社とSBC、みすずコーポレーションを参観した後、全員でアグリ長沼でりんご狩りを体験しました。企業での勤勉な働きぶりや農園主のりんごつくりにかける情熱に感心していました。富士りんごはおいしいと好評でした。16日は、3グループに別れ長野・飯田・小諸を訪れ、各地の市長や友好協会役員の歓迎を受けました。善光寺やオリンピック記念館、懐古園など観光名所を参観した後、長野南・飯田・小諸各高校を訪問し交流しました。
 飯田高校を訪ねた重慶市の高校生ら32人は英語の授業を見学した後、1年生約320人が出迎えて交流会を開き邦楽班が琴を演奏。外松宏規君が学校生活の様子を紹介。重慶市の高校生もピアノ演奏や中国画などを披露し、ケ雅竹さんが「気が合うと一度あっただけでも昔からの友人のようになれる。皆さんともそうなりたい」と中国語であいさつしました。その後の英語サークルメンバーとの交流では「家庭科や地理ではどういうことを習うのか」「クラブ活動はどのくらいあるのか」など質問を英語で盛んに発していました。また逆に日本の印象を尋ねられると「町がきれいで人々が礼儀正しく勤勉」と応えていました。重慶の高校生たちは、この日、牧野光朗飯田市長を訪問、川本喜八郎人形美術館の見学もし、夜は市内の一般家庭にホームステイして市民との交流を深めました。一行は12日に来日、長野のほか東京や大阪などを訪れ、21日帰国します。

(上左から)@歓迎あいさつをする板倉副知事ASBC参観Bりんご狩りC飯田高校での交流D長野南高校での交流E小諸高校での交流
中国国際放送局と提携して「長野孔子学堂」調印式

 長野県日中友好協会と中国国際放送局は、長野県北京放送を聞く会の長年にわたる交流を通じて培ってきた友好を基礎にして、11月7日中国語の普及や中国文化の紹介などを趣旨とする「長野県日中友好協会ラジオ孔子学堂」(略称:長野孔子学堂)を開設することに同意し、中国国際放送局の張富生・副局長一行を迎えて調印式を開きました。立命館大学・早稲田大学・愛知大学などで「孔子学院」が実施されていますが、民間友好団体を対象とした「孔子学堂」は国内では初めてとなります。
 式には中国国際放送局訪日団、友好協会役員、県北京放送を聞く会役員、長野中国語を学ぶ会役員ら約70人が出席しました。井出正一・県協会会長は、孔子学堂の趣旨を説明した後「活動を通じて、中国語や中国文化を学ぶ仲間が増えてほしい」とあいさつしました。張富生・副局長は「中国語の普及を通じて相互理解を促し友好発展のために、メディアとしての役割を果たしたい」と述べました。井出会長と張副局長が議定書に署名し、これを手にしっかりと握手を交わすと会場から大きな拍手が起こりました。続いて放送局側から長野県日中友好協会ラジオ孔子学堂の看板が県協会に贈られました。
 第2部祝賀会の席上、北沢久・長野中国語を学ぶ会会長は「32年の実績の上に長野孔子学堂という翼を得て中国語の普及と向上に努力し、日中友好の架け橋となって行きたい」と決意を語りました。
 県内では県北京放送を聞く会が25年前から活動をはじめ、同放送局と交流をしてきたことから、県日中友好協会との提携にいたりました。今後長野中国語を学ぶ会が開いている中国語講座を基礎にして中国語教材の提供や講師派遣などを受け、中国語学習のノウハウを導入し中国語の普及向上を図っていきたいと関係者は意気込んでいます。

<ごあいさつ>    長野県日中友好協会 会長  井 出 正一
 日中国交正常化35周年の記念すべきときに、長野県日中友好協会と中国国際放送局は、中国語の普及や中国文化の紹介などを趣旨とする「長野県日中友好協会ラジオ孔子学堂」(略称:長野孔子学堂)を開設することに同意し、中国国際放送局の張富生・副局長一行をお迎えして調印式を開催する運びとなりました。
中国語の普及組織として、中国が力を入れている「孔子学院」は立命館大学・早稲田大学・愛知大学などで実施されており、内外の注目を集めていますが、「孔子学堂」は民間友好中国語学習団体と提携して行われるもので日本では初の試みとなります。
昨秋、中国国際放送局(北京放送局)から長野県日中友好協会に「孔子学堂」開設のお話があり、県協会では中国語関係者と検討の結果、長野中国語を学ぶ会の活動を母体として、この提案をお受けし、長野県日中友好協会ラジオ孔子学堂を開設することになりました。長野県には北京放送を聞く会などの組織があり、長年にわたって北京放送局との交流を続けてきた経過があり、長野中国語を学ぶ会も30余年にわたって、中国語学習活動に取り組んできました。このことがこのたびの栄えあるご指名につながったものと思います。
孔子学堂においては、中国語教材をはじめ豊富なノウハウの提供や資金協力などが計画されています。このたびの調印を機に、今後県下の中国語の普及向上に大きな役割を果たしていくものと期待されます。また中国文化や中国事情をより深く理解するうえでも大切な役割を発揮できるものと存じます。
県をはじめ関係諸団体のご理解ご協力の下、長野孔子学堂を立派に運営していきたいと存じますので、格別なご支援をお願い申し上げます。

第11期日中関係を考える連続市民講座準備進む、11月23日スタート

第11期日中関係を考える連続市民講座が11月23日から毎月1回のペースで明年4月まで長野市生涯学習センター(ToiGo)で開催されます。主催は県日中学術交流委員会(県日中友好協会後援)参加費は毎回200円、6回受講者は800円。多数ご参加ください。
詳細はここ−−>日中関係を考える連続市民講座
緑化協力・遣隋使1400年記念・県協会訪中団交流深める(10/23〜29)

 長野県日中友好協会訪中団(山根敏郎団長)は10月23日から29日、北京・河北省・西安を友好訪問しました。北京空港には、長野県になじみの河北省の梁国輝・アジア処処長と紀コウさんらが出迎えてくれました。北京では中日友好協会の表敬、オリンピック施設の準備状況の視察、盧溝橋抗日戦争記念館参観を行いました。許金平・中日友好協会秘書長は日中関係の好転を喜びつつ、17回党大会の状況などを熱心に紹介してくれました。鳥の巣と呼ばれている北京オリンピックの開幕式会場も近くで見ると9万人あまりを収容できる風格を持った存在感のある建物でした。地下鉄などを増やして、激増する車対策がとられているそうですが、解決には思い切った対策が必要に見えました。盧溝橋では日中不再戦の思いを強くしました。
 河北省では易県の日中緑化プロジェクトの地で植樹活動に参加しました。50本ほどの油松を林業局や地元農民の皆さんとともに記念植樹しました。わざわざ、劉暁軍外事弁公室副主任も石家荘から駆けつけ、劉徳明県長主催の歓迎会が行われました。世界遺産の清西陵と「風蕭々として易水寒し 壮士ひとたび去って復還らず」の故事で有名な秦の始皇帝暗殺に向かった荊軻(けいか)ゆかりの塔も立つ歴史あるこの地の緑化にいささかなりとも貢献できればと皆一生懸命にスッコプで土をかけ、水をくれました。歓迎の赤い横断幕の下で、記念撮影をしました。石家荘までの道すがら、道路整備が急ピッチで進んでいる様子が良くわかりました。高速道路は、大型貨物や乗用車がこれまた急増しており、人・物・金の流れの動脈の役割も果たしています。途中立ち寄ったSAも大型トラックであふれていました。石家荘では長野県の高校生と交流している市外国語学校(43中学)を訪問しました。何の変哲もなかった中学・高校が優秀な開明的リーダーに恵まれて、今や1万名の児童・生徒を擁する幼・小・中・高一貫教育校として、石家荘でトップの学校となったこと、幼稚園から英語教育を行い、中学からは日本語とロシア語コースも設置されていること、日本語の生徒のレベルがかなり高かったこと、文化スポーツサークル活動が盛んで全人教育的な指導方針を貫いていることなどユニークな学校でした。隋代に起源を持つ隆興寺には20mを超える銅製の千手観音像がありその壮大な伽藍の大半は宋の太祖・趙匡胤が寄進して作られたもので歴史を今に伝えるすばらしい寺院です。河北省外事弁公室主催の歓迎宴会は和やかな温かい雰囲気で杯が進みました。古くからの友人も新しい友人も心おきなく友情を深めることができました。
 友人の皆さんの見送りを受けて、夜行列車に乗り込みました。ここからの案内役は省外事弁公室翻訳センターの劉梅海さんです。軟臥車(コンパートメントのグリーン寝台)に4人ずつおさまり、翌朝6時には西安に到着です。旅行社の魏麗さんの出迎えを受けてホテルで朝食、休憩の後、西安の参観が始まりました。三蔵法師ゆかりの大慈恩寺・大雁塔、そして西の城門さらに始皇帝陵を守る兵馬俑博物館を回りました。2000余年の時空を超えて始皇帝と荊軻の対面の場面をふと想像してしまいました。悠久の歴史の感触といったものが伝わってくる古都の秋をこの時節珍しい雨が降りました。風流心を流してしまうほど激しい雨でした。「謂城の朝雨軽塵を潤す客舎青々柳色新たなり」10月28日はさわやかな朝となりました。遣隋使1400周年の記念行事はかつての西安空港の跡地に建設が進む「大唐西市」の一角で行われました。真新しい鐘楼と鼓楼にはさまれた大ステージ後方に在りし日の「遣隋船」が再現されていました。日本からは村山富一・元総理(日中友好協会名誉顧問)や宮本大使はじめ友好協会メンバーら400名が参加し、中国側は、陝西省や中日友好協会、西安市の関係者ら500名あまりが参加しました。中日友好協会の井頓泉・常務副会長や許金平・秘書長にもお会いできました。往時をしのび友好を末永く発展させて行こうとの思いを強くしました。航海の安全祈る日本の神事、中国伝統の勇壮な踊りや少数民族の踊り、日中両国の獅子舞の競演、民族楽器の演奏と次々と出し物が披露されました。式典が終わり白い帽子の長野団が舞台をバックに記念撮影をしていると、茂木団員と清水副団長が西安テレビ局のインタビューを受けることになりました。「すばらしい歴史的な式典に参加できてうれしい。友好に努力したい」と語っていました。夜は、陝西省省長主催の歓迎宴会が盛大に開催されました。数多くの思い出を刻んだ友好の旅でした。
河北省から囲碁代表団、長野・松本で囲碁交流(10/19〜23)

日本棋院長野県本部と長野県日中友好協会の招きで河北省囲碁代表団が10月19日来日・来県し、同日長野市内のホテルで歓迎会が開かれました。2004年から続く相互訪問で、河北省代表団の来県は05年以来2度目。日本棋院長野県本部の役員選手や県日中友好協会関係者が出席し歓談し交流を深めました。山根敏郎・棋院県本部長は「両国は囲碁に親しみが深く、競技人口も多い。対局を通して一層有効を深めたい」とあいさつ。呉コウ・河北省代表団団長も「囲碁によってますます両国の関係が良好になると確信している」と述べました。代表団は、20・21日と長野・松本市内で囲碁対局交流を行ないました。

切実な訴えに涙、第18回中国帰国者日本語弁論大会(10/14)
 

 長野県中国帰国者自立研修センターは、10月14日信濃教育会館において、第18回中国帰国者日本語弁論大会を開きました。
 1世の部、2・3世の部、学生の部に別れ、計12人が出場しました。敗戦後の悲惨な逃避行の様子や祖国への思いを語った1世や言葉の面で苦労し子育てやリストラ、地域との付き合いなど困難な状況におかれている2世の現状を訴えた発表に会場は静まり返って聞き入っていました。また、言葉がわからず学校でのいじめや差別に絶望したがそれを乗り越え働きながら定時制高校に通い1級日本語検定合格に挑み通訳を目指したいとの野村霞さん(19)=高森町=の「私はがんばり続けます」の発表には感動の拍手が寄せられました。

 入賞者は、次の通りです。
 ◎県知事賞 野村霞(学生@)、◎県日中友好協会長賞 坂井馨(2・3世@)、◎信濃教育会長賞増田初子 (1世@)、◎県開拓自興会長賞 牧内春重(1世A)、◎県中国帰国者採用企業連絡会長賞 北原陽江(2・3世A)、◎県中国帰国者自立研修センター所長賞 米山紀佳(学生A)◎各部門3位 西山明子(1世)・中原綾美(2・3世)・赤羽香(学生)

 入賞した2人の発表を紹介します。

  <私は、頑張り続けます>       野村 霞

私は、九歳で日本に来ました。日本に来られたことがすごくうれしかったです。しかし、思ってもなかった残酷な現実が私を待っていたのです。学校でみんなと言葉が通じないので友達は一人も居なくて寂しい思いをしました。そこで私は日本語の勉強に励みました。親切で優しい先生のお陰でようやくスムーズに日本語を話せるようになりましたが、六年生になると授業にもついていけなくなってしまい悲しかったです。そんな中で日本語の先生と担任の先生が私を支えて守ってくれました。先生たちが居てくれたから私は中学校に進む事が出来ました。心から感謝しています。でも中学校の生活はますます辛くなりました。イジメや差別もされるようになり毎日の日々が地獄のようでした。助けてくれる人も無く親に心配させたくないから自分で耐え忍ぶしかなかったのです。私は恨みました。どうしてお祖父さんは、私をこんな苦しい所に連れてきたの。日本人は、まだ幼い私をどうして傷つけるの。私は日本の全てに反感を持ち、日本に来なきゃ良かったと思いました。日本から逃げ出したくなりました。急に中国がすごく懐かしくなり、中国の友達にも、会いたくなりました。中国で過ごした自由で楽しい日々を返してほしいと願いました。そんな苦しい日々を耐え続けてやっと中学を卒業することが出来ました。こんな辛い学校生活はもう嫌だから、高校に進学せず、就職することにしました。職場では、イジメや差別をされる事は無く、優しい人達ばかりでした。やっと笑うことができるようになり、友達も出来ました。その時、私は思いました。「恨み」の中で生きるより寛容の心で生きた方がよっぽど楽しい人生を送る事ができる。だから私はもう逃げたり、避けたりはしないようにしようと。二年遅れになりましたが、勇気を出して高校の定時制に入学しました。最初の時は、イジメや差別されたりしないかと心配しました。しかしお蔭さまで今は順調に勉強する事が出来ています。免許を取るまでの一年間、毎日放課後、夜遅くに迎えに来てくれた両親に感謝しています。私は今一生懸命勉強しています。少人数のクラスですが、いつもトップの成績をとる事ができました。私は今「通訳」になる夢を持っています。日中両国の為に、何か役に立ちたい。言葉で困っている人を助けてあげたいと思っています。そのためにもっと言葉の勉強をしなければいけないと思います。二ヶ月後の、日本語検定(一級)の合格をめざしています。簡単に叶えられない夢ですが、私にとって人生最大の目標ですから、諦めません。お祖父さんを恨んだりしてゴメンなさい。初は、確かに苦しくて辛かったけれど、でもこんな経験が有ったからこそ私は成長しました。せっかくの人生を無駄にしたくないのです。だからこの先色々の困難や失敗を恐れず私は頑張り続けます。

  <帰国者二世の現状>      北原 陽江

        私たちの親である、一世の帰国は遅かったため、多くの方がまだ日本の社会の事を勉強していないうちに、もうこの年齢になりました。いま、社会中に一生懸命頑張っている人はほとんど二世です。特殊な家庭で一世の面倒を見る、三世の教育、二世自身の色々事など、すべてが二世の肩に掛けられて、これが、今の二世の現状です。
 先ず、二世自身の事を見ると、一世たちと同じように年金を貰えない生活を繰り返さないようにしたいと思っています。しかし現在日本の教育を受けない状況の中で、いきなり社会に働きに行かなければならない状況が迫っています。私たちは言葉の壁を背負ったまま、色々な人間、色々な事にぶつかったりしました。また、時には立ち上がったり。まるで歩き始めたばかりの赤ちゃんでした。片言日本語の二世たちの仕事は、一番安い賃金にも関わらず、リストラでは最優先になっています。コミュニケーシュンを取れないので、周りが見えず、間違えたたり、誤解されたり、何処に居っても一人でした。
 50代以上の帰国者二世なら、いくら頑張っても、老後の年金生活は無理ですね。ですから私達がまだ若いうちに老後の生活をよく考えて、自分の生活が困らないように、子どもの生活にも迷惑を掛けないように、医療保険と厚生年金をきちんと払いましょう。一時の手取りは少ないけど、長い目で見ればそうした前向きの姿勢が最も大切と思います。
 私達の子どもは三世として、二世の生活を繰り返さないように、日本の子どもと同じような教育受けることができたら、将来社会において認められる可能性が私達より高いと思います。そう考えると二世が親として、子どもの教育を真剣に考えることが最も重要でかつ大変なことになります。また文化、教育、習慣、社会環境が中国と違うため、子育ては更に難しいと思います。子どもの躾、地域の行事、学校の活動、子どもの親間の付き合い、先生との意見交流等様々な所に、日本人の親なら、簡単にできる事が、私達にとって大変難しい事なのです。また、仕事のため、子どもの面倒が見られないということは日本の国の働くお母さんたちと共通の問題です。面倒不足の子どもは先生に迷惑をかけるので、先生も不満になる。または、外国人の親のせいで子どもがいじめられて、色目で差別され、親の心が子どもよりもっと辛いと言うこともあります。私が自分の息子一人の姿をみても、とても悲しかったです。子どもに「御免なさい」心の中で叫んでいます。遠いところみると、別の外国人の親が一人います。もしかして、私と同じ気持かと思います。
 勤労、誠実、楽観、真摯、前向きな二世たちは、社会中から見えない処の狭い隅で頑張って生きています。

国交正常化35周年を記念し講演と祝賀のつどい開く(9/30)

 長野県日中友好協会と県日中学術交流委員会・県日中経済交流促進協議会は9月30日、長野ホテル犀北館において、日中国交正常化35周年記念講演と祝賀のつどいを開きました。170名の会員、各界来賓らが出席して、日中国交正常化35周年にあたり、日中関係の課題と中国の行方等について、矢吹晋・横浜市立大学名誉教授の記念講演や講師を囲んでのパネルディスカッションを聞きながらともに考えました。また祝賀パーティーが日中関係の好転が期待される中、和やかに開催されました。

 第1部の記念講演では、内藤武男・県日中経済交流促進協議会会長の開会あいさつに続いて、井出正一会長が主催者を代表してあいさつし、日中国交正常化35周年にあたり、昨年の安部首相の訪中・温家宝首相の訪日そしてこのたびの福田内閣の誕生によって日中関係が、戦略的互恵関係を確認して明るい雰囲気の中で迎えられることに喜びの意を表しました。また、8月北京での卓球交歓大会や11月の中国高校生100名の受け入れ、長野孔子学堂の開設、帰国者支援活動の成果、飯田の「満蒙開拓平和記念館」建設の取り組み等を紹介し、今後とも有利な状況をいかして日中両国国民の相互信頼関係を回復するために努力していきたいと述べました。
 記念講演では、矢吹先生が「中国の現況と日中関係の今後」と題して講演しました。
 冒頭、福田政権誕生に対し、ケ小平来日時首相補佐官であった福田康夫氏の対中関係を前進させようとする意欲が大きいことを紹介し、安倍訪中と温家宝訪日で改善されたとはいえまだ溝が残っていた状況が改められていくことに期待すると述べました。
 続いて、35年前の田中訪中を回顧し、特に「ご迷惑をおかけした」とのあいさつのなかに、その後の日中間の誤解の種が蒔かれたことを詳しく紹介しました。−田中首相は「ご迷惑をおかけした」という言葉を日本人として強い反省の気持ちをこめて発言したが、中国語の「迷惑」の意味は極めて軽く周恩来総理から抗議を受けた。田中氏はこの際、日本ではこの言葉はきわめて重いものであることを強調し、最終的に中国側も同意した。(毛主席も会見の中でご迷惑の解釈は田中首相のほうがうまいそうですねといって「迷惑」の用例が載っている『楚辞集註』を贈った。ちなみにこのときの日本からの贈り物は東山魁夷画伯の「春暁」だった)、しかしこのことが日本側外交記録の中に抜け落ちており、周総理の抗議に対し「大筋において周総理の話はよく理解できる」との表現だけになってしまっている。このことが日中戦争に対する謝罪が不十分と言われ続けるきっかけともなっている。
 また、1978年の平和友好条約批准書の交換に際してのケ小平訪日は改革開放の路線の必要性をPRし先進日本のイメージを大きく転換する契機となった非常に大事なものだった。また、天皇との会見も行われた。天皇のほうから心情を語り、ケ小平は天皇に対して好印象を持ったといわれる。「両国には長い友好的な歴史があり、一時は不幸な出来事がありましたが、すでに過ぎ去りました」との発言にケ小平も「われわれもこの条約は深遠な意義を持っていると考えています。過去の出来事は、すでに過ぎ去りました。今後われわれは前向きの態度で両国の平和な関係を樹立しなければなりません」と応じている。この会見について宮内庁は、順序を逆にして発表し日本の新聞社もそのように報じた。また、6年後の入江日記に「長い間ご迷惑をかけました」と述べられたとの記述があるが、これは誤記である。一方、発言の順序を逆にすると、天皇の言葉の重みは減じてしまう。歴史的重要な場面でのやり取りは正確に伝えられていかなければならないということを、その後の両国関係の行き違い・誤解をみるにつけ痛感している。
 先生は続いて、10月15日から始まる17回党大会について最新情報の分析を交えわかりやすく解説されました。−胡錦濤体制が2期目に入り政治局常務委員メンバーも大きく入れ替わり自前の体制ができていくことになるが、新たに選出されるメンバーも人材の宝庫である共青団系統はじめ背後にそれぞれの利益グループが存在している。年齢制限やこの間の大臣ポストの順次入れ替えなどによって体制固めが図られてきている。胡錦濤指導部のキーワードである「和諧社会」(調和の取れた社会)の言葉は、一昨年の党中央委員会コミュニケでは6回だったのが昨年は54回となっており、胡錦濤氏の指導力が増していることをあらわしている。経済発展を持続させる上で、開発独裁型は効率は良いが腐敗も生じやすい。親民政治を標榜している中で、政治改革の課題もあり舵取りは大変だ。中国社会の矛盾は大きいが高度経済成長は長続きするだろう。
 続いて先生を囲んでのパネルディスカッションが行われました。信州大学学長の小宮山淳・県日中学術交流委員会会長をコーディネーターに、パネラーとして岡村重信・県経営者協会事務局長、相沢孝夫・相沢病院院長(松本日中会長)、西堀正司・県日中友好協会理事長が登壇して活発な議論を展開しました。岡村氏は県内企業が390件あまり中国に進出している現状を紹介し、経済発展の中で人件費や土地代の高騰、税の優遇の打ち切り、元高等の問題が表れており、また安全性についても問題が顕在化してきていることを指摘しました。相沢氏は看護研修生の受け入れなどを通じて、日中の考え方の違いを実感することがあるが話し合っていく中で分かり合える、あいまいな内容は誤解の元になるなどと述べました。西堀氏は、「日中友好は最大の安全保障」との宇都宮徳馬先生の言葉を紹介しながら、経済と文化は車の両輪であり、相互理尊重・相互理解そして相互利益の実現を図ることが重要だと述べました。
 これに対し矢吹氏は投資環境はこのところ経済発展につれて変化してきており、労働契約法に見られるように、今まで外資に有利だったのが労働者保護策に転換してきている。自社企業の特性を良くみて対応を考えていく必要がある。またきちんとした労働契約を弁護士を頼んで結ぶことが必要だ。元高基調は変わらないので輸出に頼っている企業には厳しいが、中国国内市場向けには有利だ。安全性の問題では農民の意識の問題があるが、間に入っている日本の商社がチェックしていくことで防げるのではないか。温家宝首相は社会問題を報道で取り上げるよう指示したが偽肉まん事件などが起きたりして曲折がある。報道の自由の問題もある。
 また、会場からも友好の原点について、心を通わせることの難しさが提起されましたが、パネラーからは、実際交流を持って相互理解を深める、思いと気持ちは言葉にしなければならない、光化学スモッグや黄砂など環境保全の分野での協力を大いに進めていくべきだ、などの意見が出されました。
 最後に矢吹氏は、長野県は満州開拓団などの歴史を踏まえ、腰をすえて日中友好を実践してこられた。今後も活躍に期待している。日中両国は相互依存関係にあるにもかかわらず、過去数年は「中国嫌い」と「日本嫌い」が表に出てきて空中戦をやっていた。こうした状況は終わるだろう。お互いに率直に意見を言い、誤解や間違いは早く直して付合って行きたいと述べました。矢吹先生はじめ、パネラーの皆さんに、会場から大きな拍手が送られ第2部が終了しました。
 第3部祝賀パーティーでは、宮本経祥・信濃教育会会長が開会を宣言、井出会長のあいさつに引き続き服部宏昭・県議会議長と近藤光・連合長野会長から祝辞をいただきました。倉田竜彦・県日中友好促進議員連盟会長の音頭で乾杯、会場は日ごろの活動の交流などが行われ盛り上がりました。小坂憲次・羽田孜代議士秘書、若林正俊・羽田雄一郎参議院議員秘書、村石正郎・今井正子県議から激励のスピーチをいただきました。女性委員会メンバーの合唱や、北島良一氏の堂に入った田中角栄節には満場の拍手でした。湯原康夫・県信用保証協会会長の音頭で日中友好万歳を高らかに三唱して会は終了しました。
長野で武術太極拳フェスティバル1300人が演武(9/30)

 県武術太極拳連盟(高波謙二会長)は、9月30日、長野市若里のビッグハットにおいて第20回県日中友好武術太極拳フェスティバルを開きました。県内から連盟傘下の約30団体1,300人が参加して日頃の練習の成果を発表しました。
 グループごとにそろいの衣装を着た参加者は音楽にあわせ手足を大きくゆったりと動かす太極拳や武術を披露。剣や色鮮やかな扇を手にして華やかに演武するグループもありました。発表を終えた参加者たちは、額に汗を浮かべ、笑顔を見せていました。
 連盟の徳嵩靖事務局長は「各自のペースで体を鍛えられるので、高齢化が進む中で愛好者が増えている。発表会の開催が、今後のそれぞれの活動意欲につながれば、うれしい」と話していました。
第25回中国語弁論大会(全日本中国語スピーチコンテスト長野県大会)開かれる(9/23)

 県日中友好協会・県中国語を学ぶ会連絡会・県北京放送を聞く会の主催による、第25回長野県中国語弁論大会が9月23日、信濃教育会館で行われました。入門の部や中級の部に11人が出場し、日ごろの学習の成果を競いました。中級の部で1位となった藤沢淳一さんは「同じひとつの世界、同じひとつの夢」と題し、友好と平和の大切さを訴えました。藤沢さんは明年1月13日の全国大会出場候補に推薦されました。入門の部では、藤田和子さんが身振りを交えて発表し1位となりました。今回は高校生の活躍が目立ちました。
そのほかの入賞者は次のとおり。(入門の部)2位/高橋舞、 3位/大久保香澄、努力賞/田中雅巳、敢闘賞/白濱菜月。
中国映画「幸せの絆」長野で上映、「涙がとまりませんでした」(9/14)

日中国交正常化35周年を記念して、日中友好中国映画祭が9月14日長野市勤労者女性会館「しなのき」で開かれました。長野市日中友好協会が主催したもので、500名の観客は少女と老人の絆が周りの心を動かしていく切なくも温かい命の物語に感動の涙を流していました。「常に感謝の気持ちを忘れない。健気な少女と貧しくとも心を満たす術を知っているおじいさんに心を打たれ、涙が止まりませんでした。心の洗濯ができる超感動作です」(小林綾子さん)前評判どおりのすばらしい映画でした。中国全土の観客を感動の涙の渦に巻き込んだ話題作で、数多くの賞を獲得。監督はウーラン・ターナさん。
松本で北京故宮博物院展がスタート(9/14)

北京故宮博物院展ー清朝末期の宮廷芸術と文化ーの開幕式が9月14日、松本城に面した松本市立博物館において開かれました。式には菅谷昭松本市長、小坂健介信濃毎日新聞社社長、相沢孝夫県日中友好協会副会長、李季・故宮博物院副院長らが出席し開幕を祝いました。テープカットの後、参列者は、館内を参観しました。西太后やラストエンペラー・宣統帝に焦点を当てて構成された展示は、「垂簾聴政の間」の復元はじめ衣装や宝飾品、暮らしぶりをしのばせる溥儀が愛用した自転車や眼鏡などゆかりの美術品や貴重な資料120点が展示されていて興味深い内容でありました。10月14日まで行われています。入場料1000円。(県日中友好協会後援)
河北省総工会代表団を迎え歓迎会(9/12)

連合長野(近藤光会長)と河北省総工会は1995年6月交流協定を締結し、相互訪問を行い友好を深めてきましたが、本年は9月10日から18日の日程で第6次河北省総工会代表団(梁玉分・省総工会経費審査委員会主任一行9名)を迎え交流を深めました。9月12日には近藤会長をはじめとした連合長野の三役、労働福祉事業団体代表、長野県日中友好協会代表らが出席して歓迎会が和やかに開催されました。近藤会長は昨年団長として河北省を訪問したときの温かい歓迎に謝意を表し、両労組間の友好関係がさらに深まるよう願っていると述べました。梁団長は、交流の積み重ねの中で、緑化協力や教育支援、経済技術交流などの協力に感謝するとともに、今後ともさらに連携を深めていきたいと述べました。一行は県内滞在中、連合長野三役と懇談したほか、村井知事を表敬、長野・飯田で企業視察や労働福祉事業団体との懇談などを行いました。
日中学術交流委員会07年度総会(9/3)

長野県日中学術交流委員会(小宮山淳会長)は9月3日、長野市のホテル・サンパルテ山王において2007年度総会を開きました。信州大学や長野大学など中国との学術協定や学術交流が進み、留学生受け入れなどの現状なども報告され、引き続き日中学術交流を促進していくことを決めました。また、会が主催してきた日中関係を考える連続市民講座も今年度11期目に入ることから、過去10年間の講座や、学術交流の状況を冊子にまとめることにしました。
中国帰国者楽しい老後を、1世ら上田で「日本語教室」(8/27)

 上田日中友好協会(成沢捨也会長)は8月27日、上田市の室賀温泉ささらの湯で高齢の中国帰国者一世と配偶者を対象に初の高齢帰国者向け日本語教室を開いた。上田市、東御市、坂城町から約20人が参加し、健康作り体操や日本語学習をした。地域に溶け込めるよう支援する目的で今後も継続的に開いていく。
 参加した1世は、残留孤児や残留婦人が中心で、主に六、七十代。1980−90年代に帰国した人が多い。自己紹介の後、保健師の指導で指先や体を動かす体操をして交流。さらに4、5人ずつのグループに分かれ、県帰国者自立研修センターの日本語講師の指導で日本語で日常会話をした。
 13歳で旧満州に渡り、89年に帰国した滝沢ケイ子さん(76)=坂城町=は「同じ経験のある人と友達になれる」と喜び、96年に残留孤児の夫と来日した女性(58)は「日本語を勉強するいい機会。楽しかった」と話していた。
 成沢会長は「まだ日本語が上手に話せない人もいるが、心を大きく持って、老後を楽しく生きていただきたい」とあいさつした。「日本語教室」は中国帰国者支援・交流センターから県協会に委託された事業の一環。
長野びんずる「日中友好連」で帰国者とともに踊る(8/4)

8月4日長野市で開かれた、長野びんずるに長野市日中友好協会は「日中友好連」を組んで参加しました。友好連には中国帰国者や友好協会会員など50名が参加し、びんずるのリズムに合わせてそろいのハッピ姿で楽しく踊りました。
日中友好都市小学生卓球交歓大会、北京で開催、長野県勢活躍(8/2〜4)

 日中友好都市小学生卓球交歓大会の開幕式が8月2日、北京市内の北京首鋼藍球中心で行われ、友好都市の代表選手がペアとなった日中混成58チームが元気に入場行進した。長野県内から参加した6チーム(長野県・河北省、長野市・石家荘市、須坂市・四平市、伊那市・北京通州区、松本市・廊坊市、上田市・寧波市)もそろいの黒のTシャツを着て元気に行進した。選手がプラカードに先導されて入場すると、会場から温かい拍手が起きた。加藤紘一・(社)日中友好協会顧問が日本側を代表してあいさつし、神戸と天津の代表が選手宣誓をおこなった。 午後はそろって初練習を行い、本番に向け汗を流した。
 3日は第1ステージ(予選リーグ)の試合が行われ、4日は午前準々決勝・準決勝、午後決勝戦が行われた。長野県内チームは、健闘し、県、松本市、須坂市、伊那市の各チームは決勝リーグに進出した。松本チームの3位を最高に、3チームが4位だった。5日は万里の長城や故宮の参観の後、夕方5時から人民大会堂において閉幕式が行われた。選手たちは真剣勝負を通して友情を育み、夏の北京で忘れられない思い出をつくって6日無事帰国した。
 なお長野県内各チームは7月29日(30日)から友好都市提携先を訪問し合同練習を行うとともに友好交流を深めた。

第17回中国留学生ホームステイ第1班20名が東北信地区へ(7/24〜26)
 東京の(財)日中友好会館・後楽寮で生活している中国留学生を2泊3日のホームステイで受け入れる交流が7月24日から26日の日程で行われました。長野・須坂・岳北・飯綱・上田・臼田の各地区ではホームステイのホスト家庭や協会役員の心のこもった歓迎交流が行われ、日ごろ日本の家庭生活に触れる機会のなかった留学生の皆さんは大感激。「長野の皆さんは本当に親切で良い思い出になりました」最後は、涙を流しながらの握手のお見送りでした。8月21〜23日には、第2班10名の受け入れが中南信地区で行われます。
第43回日中友好キャンプ、箕輪で交流(7/21〜22)

 第43回日中友好キャンプが7月21・22日の両日、上伊那郡箕輪町のながた自然公園キャンプ場にて開かれました。
 信州大学留学生、河北省農業研修生、友好協会会員、一般参加者など70名あまりが参加。1日目は伝言ゲーム、借り物競争などで楽しく交流、夕食はバーベキューで焼肉や焼きそばなどみなたくさん食べました。夕食後のキャンプファイヤーでは歌や踊り、花火などで盛り上がりました。2日目はオリエンテーリングを行いました。中国人参加者はオリエンテーリングは初めての人がほとんどでしたが、最初は戸惑いながらも皆楽しくポイントを発見していきました。
 お昼は流しソーメンで交流しました。流しソーメンも初めての人がほとんどでしたが、皆慣れた手つきでソーメンをすくい上げていました。
当日は、天気にも恵まれ、女性委員会・青年委員会のメンバーを中心に、参加者全員で喜びを分かち合えるすばらしい交流キャンプになりました。
河北省高校生訪日団歓迎会、各校で交流深める(7/12)
 河北省高校生訪日団10名が7月10日から17日まで来日・来県し中野西高、長野西高、皐月高、エクセラン高、飯田風越高、蘇南高校にて交流を深めました。滞在中は高校生や友好協会会員宅でホームステイを体験したりSBCや善光寺なども参観しました。15日の意見発表・交流会では高校生の皆さんから思い出深い交流体験が語られました。県友好協会は実行委員会のメンバーとして、県国際課に協力して、本事業の成功に努めました。12日には歓迎会を開きました。
(2名の先生をホームステイで受け入れた宮沢信代さんから寄せられた感想文を紹介します。)
 7月11日から15日までの5日間、河北省高校生訪日団に随行して来県された河北省石家荘外国語学校の女性教師2名をホームスティで受け入れました。長野の空気と自然に感動されて、「新鮮、新鮮」と連発され、また温泉には疲れが取れたと喜ばれました。
 高校を視察された際に、長野市と姉妹提携している米国の学生と一緒に書道の授業を受け、3カ国の国際交流が実現しました。最後の夜は先生方が中国料理と餃子を作ってくださり、私は日本料理とおやきを作り食文化の交流をしました。台風のテレビニュースを見て、環境の大切さを話し合いました。我が家の農作業も手伝っていただき野菜の収穫、販売と地産地消の安心安全等、農業の大切なことを体験されました。次回は子供とともに来たいと、再会を誓った有意義なホームステイでした。(長野市・宮沢信代)
南京大学から代表招き中国藤村文学賞授賞式−小諸市日中友好協会(7/12)

 小諸市と小諸市日中友好協会は7月12日ベルウィンこもろで第5回小諸市中国藤村文学賞授賞式を開いた。式には南京大学の張序余副校長を団長とする9名の代表も招かれ、芹沢勤小諸市長や佐々木治夫小諸市日中友好協会会長、西沢毅県日中友好協会副理事長ら関係者60名あまりが出席して有意義な式典となった。
 中国・南京大学の日本語を学ぶ学生を対象に島崎藤村作品の翻訳や感想文を募集し、本年が同賞の創設20周年と日中国交正常化35周年にあたることから入賞者の代表を招いて、初めて小諸市で開いたもの。
 藤村作品を中国語に訳す翻訳賞と日本語で書かれた作品を読んで感想文を書く愛読賞の2部門。今回は計68点の応募があり、同大日本語学科の教授らが審査し各6点計12点を選んだ。翻訳賞を受賞した6人が来日し、授賞式では芹沢勤市長から一人ずつ賞状と賞金、副賞が贈られた。1位は短編「追憶」を訳した研究生1年の郎叙さん(22)で「高校時代に藤村の作品にふれ、翻訳してみたいと思い、今回夢が一歩進んでうれしい。文学に国境は無く、千年経っても感銘を与えることができる」と謝辞を述べた。
 同賞は、藤村研究で来日していた南京大学の陳徳文氏(現・愛知文教大教授)が小諸市に要請し、1987年にスタート。98年の2回目から南京大生が対象となり、3年に1度開いている。
 受賞した6名の学生はいずれも全員初めての訪日であったので、島崎藤村を通して小諸市と南京大学との関係や、小諸の風土や習慣を知ってもらうためにホストファミリーとの交流に力点を置いた。そば打ちをはじめ茶道やお祭り、小諸高校文化祭などさまざまな体験をしていただいた。
飯田日中友好協会総会、「満州開拓平和記念館」実現へ募金活動(7/8)
 飯田日中友好協会(河原進会長)は7月8日、飯田地場産センターで約60人が参加して定期総会を開いた。飯田下伊那地方に2009年の会館を目指している「満蒙開拓平和記念館」実現に向け、募金活動の実施を決めた。またシベリア抑留の引き揚げ港だった京都府舞鶴市にある「舞鶴引揚記念館」の山田昌道館長や、NPO法人「舞鶴・引揚語りの会」の豊田信明理事長による基調講演もあり、建設の意義や運営面を考えあった。
 平和記念館は、旧満州開拓に関する歴史資料を展示し研究調査の拠点となるように建設する計画で、事業費は約4億円の見込み。そのうち2億円を目標に募金で充てようと、募金活動を始めることにした。
 基調講演で山田館長は「過去にどういうことがあったのか、末永く若い世代に伝わるように努力して行きたい。満州平和記念館も、そういう役割を果たしてほしい」と呼びかけた。
 講演を聞いた河原会長は「(記念館建設には)地域住民を動かす熱意が必要など、共感するところが多い。シベリアと満州の違いはあるが、平和希求の気持ちは一緒。今後も交流して行きたい」と話していた。
天空列車でチベットへ(7/10〜15)

7月10日から15日までの日程で「鉄道で行くチベットの旅・長野県日中友好協会訪中団」(団長/井出正一会長一行40人)がチベットを訪れた。青海省のゴルムドからラサまでは昨年7月開通した世界最高地点を通過するコースで今世界の注目を集めている。高山病と闘いながら「天空列車」の旅を満喫しつつラサを目指した。ラサでは世界遺産になっているポタラ宮はじめ、大昭寺、八角街、ノルブリンカ、チベット博物館などを訪れた。またチベット自治区政治協商会議副主席の洛桑江村氏と会見するとともに心のこもった歓迎を受けた。*詳細はここ。

友好都市小学生卓球交歓大会壮行会(7/7)
 日中国交正常化35周年を記念して8月に中国で開かれる「日中友好都市小学生卓球交歓大会」に県内から参加する小学生らの壮行会が7月7日長野市内のホテル・サンパルテ山王で開かれた。
 中国と友好都市提携している長野、松本、須坂、伊那、上田の5市と県の計6チームから小学生2人ずつ、計12人が出場。中国の小学生と混合チームを作り、交歓試合を行う。壮行会には、小学生と同行する各地の自治体、卓球連盟、日中友好協会関係者ら45人が出席。大沢正行・県卓球連盟理事長は「力を出し切って伸び伸びと試合をしてください」と励ました。
 小学1年から卓球を始めたという伊那市チームの小学5年中村詩穂さん(10)は「試合も勝ちたいけれど、友達もたくさん作ってきたい」と話していた。
 大会は日中国交正常化20周年から5年に1度開き、県内からはこれまで、中学生や高校生が参加している。
須坂市日中友好協会創立50周年を祝う(6/30)
 須坂市日中友好協会は6月30日、創立50周年の記念式典を須坂市の迎賓館で開いた。会員と駐日中国大使館の薛剣一等書記官、井出正一県日中友好協会会長ら来賓をあわせ130人が出席した。
 呉従勇・(財)日中友好会館中国代表常任理事(元中国外務省日本課長)が「最近の中国と今後の日中関係」と題し、「日中関係は3文書に基づいて発展させれば必ず順調に行く。背世代代の友好のたまには青少年交流が大事だ」などと講演した。
 三木正夫会長(須坂市長)は「自分は戦後生まれだが、教科書にないことを会員の皆さんに教わった。50年の歩みから更に新しい50年が始まる」と活動への意欲を示した。
 久保好政(3代)、永井順裕(5代)の両歴代会長に感謝状が渡された後、西堀正司理事長が協会の歩みを紹介。記念誌『五十年の歩み』も発行され、出席者に配られた。
 式典後のレセプションでは地元の須坂昇竜太鼓が披露され、おめでたい雰囲気の中で会員は友好絵の決意を新たにしていた。同日中は現在、会員数110人、四平市との交流をはじめ官民一体で活動している。
楽しく長野市帰国者激励交流会(6/24)
 長野市・長野市日中友好協会・長野市中国帰国者の会は6月24日(日)、長野市飯綱高原の「アゼリア飯綱」で長野市中国帰国者のつどいを開きました。帰国者120人と市日中の関係者など40人が参加し交流を深めました。三者連絡会の会長を務める北島良一市日中友好協会理事長と下条長野市福祉部長が帰国者の皆さんの、日ごろの自立の努力に敬意を表し、1日交流しゆっくりと楽しんでほしいと述べました。町田伍一郎市議や西堀正司県帰国者自立研修センター所長が来賓としてあいさつをしました。西堀所長は、日本政府の帰国者への年金満額支給の方針等援護施策の充実に触れ、高齢化している帰国者1世には幸せな老後を送っていただきたいと述べました。第2部は神田忠亥前県開拓自興会会長が満州開拓団の悲惨な歴史と残留孤児や残留婦人の生まれた経緯を話しました。第3部の懇親交流会では、関係者の協力でたくさんの景品が集まり、ビンゴゲームの当たり番号とにらめっこしながら楽しい時間をすごし、またカラオケのど自慢で盛り上がりました。最後に全員で「ふるさと」を合唱し、再会を楽しみに解散しました。
中国へスキー、5000台贈る(6/11)
中古スキーを中国で再活用してもらおうと、県日中スキー交流委員会は6月11日、県内各地から集まったスキー用具を長野市運動公園の陸上競技場の一角でコンテナに積み込んだ。
シーズン終了後に集まった用具はスキー板が約5000組、靴が約4000足、ストック3000組ほど。陸上競技場の脇に山と積まれ、県スキー連盟や友好協会のメンバーら55人が作業に汗を流した。
 大型コンテナ2台と小型コンテナ1台に整然と積み込んだ。6月中に、瀋陽体育学院や河北省に贈られる。スキー連盟に大谷陽一専務(56)は「交流を通じて中国スキーがレベルアップし、将来日本選手と競い合うようになれば、アジアのスキー振興につながっていく」と抱負を語った。
第32回県日中女性委員会総会開催
 6月3日、上田市菅平ホテルにおいて、第32回県日中女性委員会定期総会が開催されました。県下から地区女性委員会の代表及び井出県日中会長や母袋上田市長、成沢上田日中会長ら来賓も多数出席して、総勢70名の盛会となりました。総会では、村山ひとみ委員長が「12の地区協会に女性委員会があり400名の女性会員が活躍している。心を一つに力を合わせれば大きな仕事ができる。魅力ある楽しい会にしていきましょう」とあいさつしました。井出会長は日ごろの女性委員会の協力に感謝し、日中両国の戦略的互恵関係を強化するには民間交流が重要な役割を果たすことを強調し、一層の活躍に期待しました。2006年度の活動報告と決算報告が承認され、2007年度の活動方針と予算が採択されました。友好キャンプや友好スキー交流会、新春女性のつどいなどを通じて相互理解と友好を深めていくことを決めました。第2部では、母袋・上田市長が記念講演し新生上田市の意欲的な発展計画や中国寧波市などとの交流の状況を紹介しました。第3部の交流懇親会では上田の皆さんの「お福音頭」を皮切りに次々と出し物が出され賑やかな楽しい会となりました。
各地で地区友好協会の定期総会が開催
 定期総会のシーズンを迎え、各地区で友好協会の定期総会が次々と開催されています。国交正常化35周年の年にあたり、日中関係の好転の状況を生かして、友好交流を進めていく方針などが決定されています。地区総会の開催状況は下記の通りです。
 4/14飯綱町日中友好協会総会(田中博会長)、4/24伊那日中友好協会総会(小坂樫男会長)、4/27山ノ内町日中友好協会総会(竹内義孝会長)、4/27富士見町日中友好協会総会(矢嶋民雄会長)、5/19飯山市日中友好協会総会(清水重右エ門会長)、5/19千曲市日中友好協会総会(矢島久和会長)、5/22諏訪市日中友好協会総会(山田勝久会長)、5/25伊南日中友好協会総会(宮崎昌直会長)、5/26中野日中友好協会総会(青木一会長)、5/26松本日中友好協会総会(相沢孝夫会長)、6/4小諸市日中友好協会総会(佐々木治夫会長)、6/19小布施町日中友好協会総会(市村良三会長)。  また、5/27長野県北京放送を聞く会総会(北沢久会長)、6/3長野県日中友好協会女性委員会総会(村山ひとみ委員長)、6/10長野県日中友好協会青年委員会総会(永井毅委員長)、6/12長野県日中経済交流促進協議会総会(内藤武男会長)なども開かれました。

 第45回長野県協会定期大会を開催
  日中国交正常化35周年記念事業など採択

 

 長野県日中友好協会は去る5月17日、長野市内のホテル国際21において第45回2007年度定期大会を開催しました。大会には県下各地区協会から代議員・役員・来賓ら190名が出席し、2006年度の活動を総括し、2007年度の活動方針、予算を決定しました。
  井出正一会長は、「昨年10月の安倍首相の訪中と、本年4月の温家宝首相の来日により、戦略的互恵関係を確認した。日中関係は政冷経熱の状態から政温経熱へと変化したことは喜ばしい。昨年県協会創立50周年に際しては、長野県日中らしい記念事業ということで『虹の架け橋・長野県日中友好の歩みV』の編集発刊、「満州開拓を考える絵画展と語り部のつどい」などに取り組み成功裏に実施できた。役員会員の皆さんのご協力に感謝申し上げたい。国交正常化35周年の本年は日中文化スポーツ交流年と位置づけられており様々な記念事業が行われる。近く中国成都で開かれる第11回日中友好交流会議に私も参加することになっているが、2年前の長野で開かれた第10回会議は反日デモのさなかで重苦しい雰囲気の中で開かれた。議長として理性的な対応を呼びかけたことを思い出す。今年は有利な状況の中で35周年を迎えることができる。皆の力を合わせて好転した日中関係を本物にするため頑張りましょう」とあいさつしました。
 大会では日中国交正常化35周年の記念祝賀事業を柱に、友好都市小学生卓球交歓大会への参加、35周年記念講演と祝賀のつどいの開催、大規模な高校生交流事業の取り組み、「孔子学堂」の実現に向けての検討、中国留学生のホームステイ交流、河北省易県緑化協力プロジェクトの継続、河北省囲碁代表団の受入と囲碁交流への協力、帰国者援護施策の充実や留学生・研修生交流促進などを決めました。
 意見発表では、山ノ内町日中の高相美智子さんが、山ノ内町と北京市密雲県との友好提携の経緯と今後の交流計画を、飯田日中の寺沢秀文副理事長が「満蒙開拓平和記念館」建設について、更に長野県中国語を学ぶ会連絡会の岩下隆会長が孔子学堂と中国語の普及向上について紹介し、協力を呼びかけました。
 大会宣言では、「35周年にあたり新たなスタートをした日中関係のもと、ここ数年間の政冷を取り戻し活発な交流を進めましょう」と呼びかけました。また「日中共同声明と平和友好条約の原則と精神を踏まえ、相互信頼と友好協力を更に深めよう。団塊世代に参加を呼びかけ、組織を拡充しよう」とのスローガンが採択されました。

 第2部の祝賀パーティーで井出会長は、各界来賓に対し日ごろの友好活動への協力に感謝した後「安倍首相の訪中と温家宝首相の来日により、ここ数年冷え込んでいた日中関係が好転した。協会は民間の立場から相互の信頼関係を回復させる努力をし、本物にして行きたい。ご支援をいただき国交正常化35周年記念事業に取り組んで行きたい」と述べました。
 村井仁知事、胡勝才中国大使館参事官、森田恒雄・倉田竜彦・西澤正隆・柳田清二・木内均・今井正子・下澤順一郎・高島陽子・福島鶴子・太田昌孝の各県議会議員から激励のごあいさつをいただき、続いて近藤光連合長野会長の音頭で乾杯しました。会場ではいたるところで和やかな懇談が繰り広げられました。最後に太田順造県国際課長の音頭で協会の万歳の後、井出会長が来賓各位へのお返しの万歳をして終了しました。
 来賓として上記の皆さんのほか、大使館の王朝輝館員、小坂憲次・羽田孜両衆議院議員(秘書)、若林正俊・北沢俊美・吉田博美・羽田雄一郎各参議院議員(秘書)、平澤武司県教育次長、松倉義明県国際交流推進係長、蔡景海国際交流員、王昌勝県華僑総会会長、長野市総務部長、松本市広報国際課長、県経営者協会、県中小企業団体中央会、JA長野中央会、県中立労連、県スキー連盟、県卓球連盟、県鍼灸師会、信濃毎日新聞社、松本歯科大学、長野信用金庫、市薬剤師会代表らが出席され激励いただきました。

大会スローガン

*日中国交正常化35周年祝賀!
*日中共同声明と日中平和友好条約の原則と精神を踏まえ、相互信頼と友好協力を更に深めよう!
*河北省をはじめとした中国との交流を促進しよう!
*中国帰国者援護施策充実と中国留学生・研修生の支援交流を促進しよう!
*青年・女性の入会に努め、地区青年委員会と地区女性委員会を設立し、後継者を育成しよう!団塊世代に参加を呼びかけ、組織を拡充しよう!

大 会 宣 言

県民の皆さん
 長野県日中友好協会は本日、第45回2007年度定期大会を開催いたしました。
 日中関係は昨年10月の安倍首相の中国訪問と胡錦濤国家主席との首脳会談により、5年におよんだ「政冷経熱」と呼ばれた停滞と不信の悪循環に終止符がうたれ、4月には温家宝首相が来日し、戦略的互恵関係を深めていくことが再確認されました。両国首脳が相互に訪問し、会談を頻繁におこなう姿は、両国国民に前向きのシグナルを送り、好循環の連鎖をつくっていくことになるものと期待されます。
 昨年の中国との往復貿易額は2000億ドル余に達し対米貿易額を超えました。日中両国は国交正常化以来30余年の間に経済をはじめ各分野で相互依存関係を深め、お互いになくてはならない間柄となっています。両国における偏狭な民族主義の台頭を効果的に押さえ、日中関係を正常に発展させていく不断の努力が必要なことは、この5年間の教訓であります。
 県協会は創立以来県民の皆さんの友好の願いをバックに、ねばり強く50年の歩みを進めてきました。
 本年は日中国交正常化35周年の年です。政府間では日中文化スポーツ交流年としての位置づけがなされ、日中友好都市小学生卓球交歓大会や大規模な高校生交流をはじめ様々な記念事業が計画されています。新たなスタートをした日中関係のもと、ここ数年間の「政冷」を取り戻すべく活発な運動を進めましょう。友好を望む皆さんの協会への参加を呼びかけます。
 ともに、日中共同声明と日中平和友好条約の原則と精神のもと、具体的な交流を進め、日中両国の世々代々の友好と共同繁栄に努めて参りましょう。

 2007年5月17日
 第45回2007年度長野県日中友好協会定期大会

上田日中友好協会が中国帰国者激励交流会を開催

 上田日中友好協会は5月13日、上田市別所温泉「相染閣」において恒例の中国帰国者激励交流会を開催しました。上田市内と近郷の帰国者家族約100名が招かれ、温泉に入浴した後、友好協会会員ら50名と交流しながら楽しいひと時を過ごしました。
 成沢捨也・上田日中友好協会会長は「戦後62年をむかえたが、敗戦時の悲惨な逃避行は想像に絶するものがあったとお聞きしている。幸い皆さんは、養父母に育てられ無事成長されたが、帰国後も言葉や習慣の違いによるご苦労など厳しい環境の中で過ごしてこられた。帰国者の皆さんには是非、安心した老後を送ってほしいと心から願っている。政府の支援策もまもなくまとまると聞いているが援護施策の充実を要請したい。上田日中としては、市当局の支援のもと、この間、帰国者の共同霊園の整備にも力を入れてきた。日ごろのご苦労を癒し、今日はゆっくり楽しんでほしい」とあいさつしました。
 交流会には母袋創一上田市長や布施県日中友好協会事務局長らも出席して帰国者を激励しました。懇親会の中では、真田陣太鼓の皆さんが、真田武者のいでたちで和太鼓を演奏し、その迫力に大きな拍手が起きました。また日本舞踊のグループが友情出演し見事な演舞を披露してくれました。帰国者の皆さんも、太鼓の手ほどきを受けたり、一緒に踊ったり、ビンゴーゲームなどを楽しんだりしました。女性委員会のみなさんの手作りの豚汁も振舞われ好評でした。最後に藤原邦彦さん(64)が帰国者を代表して、しっかりした日本語で「大変楽しく過ごせました。皆さんのご好意に感謝し、私たち帰国者も地域の一員として頑張って行きたい」と述べました。
山ノ内町と北京市密雲県が友好の調印

山ノ内町は4月27日、2000年から交流している北京市密雲県と友好交流の覚書に調印しました。今後は、農業や観光面のほか、子供たちの交流などを積極的におこなう考えです。
 町の文化センターで開いた調印式には、8名の密雲県代表団と町関係者ら400名が出席しました。アトラクションでは、幼稚園児や小学生が鼓笛や合唱、ダンスなどを披露しました。続いて、竹内義孝町長と王孝東県長が覚書に調印。竹節町長は「相互の繁栄と信頼につなげ、末永い付き合いにしたい」とあいさつ。王県長は「調印は、これからの交流に意義がある」と述べました。県協会からは西堀正司理事長が出席して祝いました。
 密雲県は、北京市中心部から東北65キロの位置にあり、人口は約43万人。工業や農業、リゾート地として観光も盛んで、山ノ内町との共通点も多い県です。
交流は、長野県日中友好協会の紹介がきっかけでスタートし、これまでに民間を含め、町から4回密雲県を訪問しており、同県からも一度、町を訪れています。
吉林省からスキー視察に来県
 吉林省体育交流視察団(趙鋒佩・省体育局一行7名)が4月25日から27日来県し、県教育長や県スキー連盟、県日中友好協会関係者と交流するとともに、白馬村のスキー施設などを視察しました。25日の歓迎会には長野県側から佐藤俊平・矢口公勝県スキー連盟副会長や西堀正司県日中理事長ら21名が出席し、一行を熱烈に歓迎しました。出席者は県日中スキー交流訪中団などで顔なじみの皆さんと再会を喜んでいました。特に団の通訳を務める、朴雪鋒さんは吉林省滑雪協会副秘書長でジャンプのコーチとして、中国のジャンプチームを国際水準にレベルアップするため10数年来サマージャンプ訓練隊を率いて長野県を訪れている方で、皆さんの人気者でした。26日は、県スキー連盟役員と今後の両県省のスキー交流について話し合いました。また山口利幸・県教育長と会見し北京オリンピックなども話題となりました。白馬村では太田紘煕・村長と会見し、翌27日には、オリンピックジャンプ台と八方スキー場を視察しました。
河北省農業研修生受入式歓迎会開催
 河北省農業研修生一行8名が4月15日来日・来県しました。4月16日には、受入式が県やJA・日中友好協会・受入農家など関係者が出席して長野市内のホテル・サンパルテ山王にて開かれました。受入実施委員会会長の若林甫汎JA長野中央会専務は、「進んだ長野県の野菜栽培技術を研修し、河北省の農業発展に役立ててるとともに、両県省の友好発展に貢献してほしい」と述べました。宋志挙団長は「農家の先生の指導の下、一生懸命研修したい」と述べました。研修生は、5月7日まで、集合研修を受けた後、高原野菜の産地、南牧村で6ヶ月間野菜の栽培技術を研修を行うことになっています。
友好都市卓球交歓大会実行委員会設立会議が設立
4月13日長野市内のホテル・サンパルテ山王において日中友好都市小学生卓球交歓大会実行委員会設立会議が県教育委員会や関係自治体・卓球連盟・日中友好協会など関係者が出席して開催されました。本大会は 8月1〜6日北京市首鋼体育館にて開催。全国から100チーム前後、県内から県・河北省、長野市・石家庄市、須坂市・四平市、松本市・廊坊市、伊那市・北京通州区、上田市・寧波市がそれぞれ合同チームを組んで参加することとなっています。昨年12月に関係する行政・卓球・日中の関係者が準備会を開いており、予算が確定するのを待ってこのたび実行委員会を正式に設立したものです。日本側各チームの構成は選手男女各1名と行政・卓球・日中より各1名の5名(+応援)。各チームは大会に先立って各友好都市を訪問し、合同練習や、交流を深めることも検討しています。今後6月の初めまでに選手団を決定し準備を進めていくこととなっています。
温家宝首相歓迎レセプションと「中国無形文化遺産の夕べ」に県協会から井出会長ら8名が出席
 4月11日から13日にかけての温家宝首相の来日は、まさに氷を溶かす旅にふさわしいものとなりました。安倍首相と戦略的互恵関係を再確認したほか、国会での演説は格調高く心のこもった内容で友情を促進するにふさわしいものとなりました。天皇陛下との会見や政界・経済界との精力的な会談、ジョギング交流など日本の世論も好意的な反応を示しました。4月12日夜赤坂プリンスホテルで開催された日中関係7団体ほか主催の歓迎レセプションには長野県日中友好協会からも井出正一会長はじめ8名が出席しましたが、大変和やかな、友好的雰囲気の漂う会でありました。温首相のユーモアにとんだスピーチは出席者から大きな拍手が起こりました。「中国無形文化遺産の夕べ」(中国大使館主催)も日中文化スポーツ交流年の幕開けを飾るにふさわしいものとなりました。いずれの会にも安倍首相も同席しあいさつしました。5年間の「政冷」状態から脱し、国交正常化35周年の年が、相互信頼と相互協力発展の年となることを印象づけるものとなりました。
◇温家宝首相が来日 安倍首相と首脳会談
河北省から付双建副省長が来県、村井知事らの歓迎を受ける

 長野県と友好提携している河北省から付双建副省長を団長とする経済貿易代表団(一行8名)が4月5・6日の両日、長野県を友好訪問し、村井県知事はじめ関係者からあたたかい歓迎を受け交流を深めました。
 一行は6日、県庁で村井知事と懇談し、友好提携25周年を迎える来年、河北省を訪問するよう要請しました。村井知事は「是非訪問したい」と応えました。付副省長は河北省について「経済発展が期待され、日本の企業も大きな関心を持っている」と紹介。「来年は両県省の節目の年でもあり、是非知事に訪問していただきたい」と求めました。知事は「友好を更に深める記念イベントを開きたい。観光面での連携も大切にしたい」と述べました。
 代表団は、5日に長野県入りし、知事主催の歓迎会に出席したほか、6日は善光寺や蒲髢リなどを視察参観しました。歓迎会には井出正一県日中友好協会長や内藤武男県日中経済交流促進協議会長らも出席しました。また2次会で友好協会メンバーとなごやかにカラオケ交流を行い友情を深めました。

「お互いの立場を思いやる心が日中関係を前進させる」

2月に天台宗第256世座主に就任した
半田孝淳先生  「日本と中国」紙インタビューに答える 
天台座主、(社)日中友好協会顧問、長野県日中友好協会最高顧問

半田孝淳さん 天台座主、(社)日中友好協会顧問、長野県日中友好協会最高顧問 全国約3000の天台寺院の頂点。「片方が手を挙げればもう片方も手を挙げて戦争になる。穏やかな心で手を結び合わなければ」平和を説く声に89歳とは思えない力が漲る。
 30年前、長野県各界代表団の一員として初めて中国へ。以来、日中国交回復15周年訪中団や中国仏教界との交流などで訪中を重ねること20数回。画家の傅益瑤さんをはじめ中国各界に知己を持つ。中国仏教協会の故趙樸初会長とも親交が厚く、住職時代に上田市常楽寺の温泉に招いたことは懐かしい思い出だ。
 中国人殉難者の遺骨送還事業に携わった師父・孝海の「平和に尽くして生きろ」という言葉を胸に刻んだ。「日中交流は人と人とのふれあい。お互いの立場を思いやる心が日中関係を前進させる」
 実現に奔走した「比叡山宗教サミット」は今夏、20周年を迎える。中国をはじめ世界中の宗教代表者たちが比叡山延暦寺に集い、平和のメッセージを発する。「継続は力」「相手を理解するには直に合って対話を重ねること」が信念だ。
 座右の銘は悩みがあっても人には和やかな笑顔で話す意の「和顔愛語」。「来年はまた中国へ行きたい。行くこと自体が絆になる」

(はんだ こうじゅん)1917年、上田市生まれ。常楽寺住職、曼殊院門跡門主などを歴任。上田市では保護司を務めるなど社会活動に尽力。故パウロ2世と昵懇の間柄で、「世界宗教者平和の祈りの集い」に16回出席。核兵器廃絶を訴え続けている。温厚な「半田スマイル」で知られる。


国交正常化35周年・長野市日中友好協会が総会


 長野市日中友好協会(内藤武男会長)は4月1日、第29回定期総会をホテル信濃路で開き、2007年度の活動方針などを決めました。はじめに内藤会長が、「昨年は長野市と石家庄市との友好都市25周年を有意義に祝うことができた。本年は、温家宝首相の来日も予定されており、明るい雰囲気の中で国交正常化35周年を迎える。力を合わせて、県都長野市の協会としての役割を果たして行きたい」とあいさつしました。
 2006年度の活動報告・決算報告を承認した後、新年度の方針を採択しました。また任期途中で理事長を辞任した神田忠亥氏の後任に、北島良一氏を選出しました。(神田氏は副会長に就任。)
 新年度の方針では国交正常化35周年にあたり、友好都市小学生卓球交歓大会など全国本部や県協会が計画している友好交流事業に参加協力するほか、石家庄市との交流事業の充実や、中国映画祭等の開催、帰国者支援活動などにも引き続き力を入れて行くとしています。
 総会では、「歴史を鑑として未来志向の民間交流を市民ぐるみでとりくみ地域に定着を図る」などとする総会宣言を採択しました。
 第2部記念講演では、詩人「群れの会」代表の山岸重治氏が「私と日中友好活動」と題して話をしました。第3部祝賀パーティーでは大正琴の友情演奏をバックに懇親を深めました。

河北省へ農業専門家を派遣
、JAや食の安全を講義

 長野県日中友好協会は河北省政府農業庁の要請に応え、JA長野中央会の協力を得て、JA長野中央会農政広報部長・営農農政部長を歴任された大工原武市氏を3月26日から4月1日にかけて講師として派遣しました。大工原氏は河北省石家荘市、承徳市、廊坊市において、省ならびに各市の農業担当責任者180名ほどを対象として@日本の農業協同組合のしくみと役割A農産物の流通B食の安全などを講義しました。大工原氏は「農協組織や食の安全に対する関心が高く、出席者は熱心に講義に聞き入り、質問も次々と出された。両県省の農業技術交流に資することができたと思う」と語っていました。氏は2004年にJICAの要請でルーマニアにて農業指導を行ったこともあるベテランです。

大連市金州区農業視察団来県

 3月13〜15日大連市金州区農業視察団(団長/王岩区科学技術局局長一行7名)が長野県を訪れました。一行は滞在中、県農政部表敬レクチャーの後、JA長野中央会、県野菜花卉試験場、JAグリーン長野管内の施設栽培などを訪問視察しました。長野県農政部では小山勝幸参事兼農業技術課長から長野県農業の概況、JA長野中央会では矢沢利夫参事からJAの役割について説明を受け、更に野菜花卉試験場で視察研修しました。団員の皆さんは熱心に説明に耳を傾け学習していました。また善光寺や風林火山の史跡など長野県への印象を深めました。

 信濃町日中友好協会定期総会
 3月2日、信濃町日中友好協会(水沢博人会長)は、町総合会館で定期総会を開催し、30名が出席して新年度の活動方針を決めました。総会には松木重博町長や関塚腎一郎議長、布施県日中事務局長らも来賓として出席し、激励しました。水沢会長は、日中国交正常化35周年を迎えて日中関係が明るさを増す中、地域の特徴を生かした友好交流を進めて行きたいと述べました。女性委員会の活動が活発な協会で、この日も多数の女性会員が出席し活気ある新年のスタートを切りました。
 飯山市日中友好協会創立20周年記念講演会・祝賀会開催

 飯山市日中友好協会は2月24日飯山駅前びっくわんで、創立20周年記念講演会・祝賀会を開催しました。
 第1部講演会では、「日中国交正常化35周年を迎えて日中友好の思い出と今後の活動」と題して井出正一県日中友好協会会長が記念講演しました。
 第2部祝賀セレモニーでは、はじめに日中友好の歌「永遠の友情を」斉唱。清水重右エ門会長が創立20周年を祝い新たな出発の決意を述べました。宮本衡司県議、足立正則飯山市総務部長、村山ひとみ県日中女性委員長から祝辞の後、服部一郎理事長が20年のあゆみを振り返って報告を行いました。
 また、県日中創立50周年記念永年会員表彰を当協会の受賞者に井出会長から直接授与していただきました。
 第3部祝賀レセプションでは琴と尺八によるアトラクションがあり、上村力副会長の開宴のあいさつ、山崎一郎飯山市議会議長、小林仁飯山商工会議所会頭各氏の祝辞の後、岳北日中友好協会理事長富井喜義氏の乾杯の音頭で開宴し、20年の思いを語り合いました。(飯山日中)
中国大使館の孫美嬌参事官らをスキーに招待

 日ごろ交流でお世話になっている中国大使館友好交流部の孫美嬌参事官や喬倫二等書記官など5名を2月24・25日の両日、白馬八方スキー場にお招きしてスキーを楽しんでいただきました。
 丸山庄司・前全日本スキー連盟専務理事の丁寧な指導で、孫さんも大分滑れるようになりました。喬倫さんは2度目のスキーですが若さでどんどんマスター、二日目はゴンドラリフトで上まで上ってスキースクールの丸山副校長さんと一緒にふもとまで滑り降りるほど上達しました。
 民宿の夜の歓迎交流会では地元の志真秀明・大北日中友好協会会長や佐藤理事長、県協会の新井企画交流委員長や布施事務局長とともに楽しく友好談義に花を咲かせました。
第30回日中友好スキー交流会
Ski and Friendship in 竜王スキーパーク


 長野県日中友好協会青年委員会と女性委員会主催の第30回日中友好スキー交流会が2月17・18日、竜王スキーパークで開かれました。中国留学生・研修生・帰国者28名を招き、総勢80名が参加してスキー教室・交流会などがおこなわれました。
 1日目は、好天に恵まれ、スキー指導者の熱心な指導のもと初心者向けのコースを青年委員会のメンバーらと一緒に滑りました。真剣で楽しいスキー教室でした。初めてスキーを履く留学生もリフトに乗って積極的にゲレンデを転びながらも滑れるようになりました。アフタースキーは温泉につかって汗を流した後、夜の懇親交流会。女性委員会の謡曲と日本舞踊に始まり、豪華景品つきのじゃんけんゲーム、留学生の自慢の歌、全員参加の炭坑節や体全体を使っての踊りなど名司会のリードで大いに盛り上がりました。交流会には地元山ノ内町の中山茂樹町長や留学生にスキー用具を無償提供していただいたスワロースキー(株)の丸山哲三会長、西堀正司県日中理事長らも出席して激励してくれました。2日目は、小雪の舞う中でしたが、転ぶ回数もぐっと減り、胸に日中友好のゼッケンをつけスキーに熱中する留学生の姿が印象的でした。お昼は女性委員会の皆さんの手作りの豚汁とおにぎりを味わいました。閉会式では「先生の指導でスキーもうまくなり本当に楽しかったです」とは留学生代表の感謝のあいさつでした。中国の大晦日と春節にあたった2日間を楽しく有意義に過ごすことができました。


臼田日中・「春節をともに祝う会」開催


  中国のお正月「春節」をお祝いして、臼田日中友好協会(井出正一会長)は、2月11日、佐久市臼田の総合福祉センターあいとぴあにおいて、恒例の「春節をともに祝う会」を開きました。臼田日中友好協会の役員・会員、日本語教室の関係者、佐久在住の帰国者や中国からの花嫁さんら70名が参加しました。
 井出会長は、日中関係が好転してきている中で、帰国者の皆さんにとって良い一年になることを祈念しながら、政府の帰国者援護の特別措置を早急に実現するように訴えました。帰国者お手製のおいしい中国料理と水餃子をいただきながら交流会が和やかにおこなわれました。日本語教室で学ぶ皆さんで「故郷」、「北国の春」を合唱、頭を使ったクイズゲーム、みんなで楽しむビンゴゲーム、のど自慢など楽しい3時間でした。

2007年、日中友好新春女性のつどい


 長野県日中友好協会女性委員会(村山ひとみ委員長)は、2月5日ホテル信濃路において、恒例の「日中友好新春女性のつどい」を開きました。
 第1部として満州開拓団に加わり中国に残留、1994年に帰国した唐澤寿美さん(81)=下伊那郡高森町=を招き、約70人が体験談に聞き入りました。唐澤さんは「長春の収容所で発疹チフスにかかり収容所を出て、死の寸前中国の婦人に救われ一命を取り留めた」などと敗戦後の逃避行の体験を説明。また望郷の念に駆られながらも身元引き受け人がいないため帰国できなかった頃の辛さを語り、「このような悲惨な体験を繰り返さないためにも戦争は二度と起こしてはいけない」と訴えました。参加者は、平和と友好の大切さを心に刻むことができたと唐澤さんに心からの感謝の拍手を送りました。
 第2部の新春交流会では、芸達者な女性委員会の皆さんから踊りや歌が次々と披露され、またビンゴゲーム・ヤンコー踊りなど楽しい交流がおこなわれ一年の友好のエネルギーを大いに感じさせる楽しい会となりました。

中国帰国者招き旧正月「春節」祝う、長野で150人交流深める


 長野市日中友好協会女性委員会(西沢好江委員長)は2月4日、長野市の更北公民館で、中国の旧正月「春節」を祝う「新春もちつき大会」を開きました。中国帰国者やその家族、友好協会会員ら150人余が参加し賑やかにおこなわれました。
 帰国者の皆さんに日本の正月と中国の「春節」を楽しんでもらおうと始めて、今年は21回目。開宴前にはロビーで2つの臼で餅つきがおこなわれ、子供たちや青年たちは大張り切り。各テーブルの上には女性委員会メンバーが腕を振るった水餃子とお餅・おでんなどが所狭しと並び日中両方のやり方で春節を祝いました。
 長野市古里の子供たちが太鼓や獅子舞を披露すると、その迫力に大きな拍手がおこりました。また帰国者も和太鼓を一緒に演奏するなど交流もできました。女性同好グループのハワイヤンにも歓声が上がりました。BINGOゲームでは、多くの皆さんから寄せやれた景品が次々と配られました。最後に、中国のヤンコー踊りを踊って会場全体が「春節」ムード一色となりました。
 「餅つきや太鼓、獅子舞など大変楽しかった、と喜んでいただき苦労の甲斐がありました」とは女性委員長の感想でした。

満蒙開拓平和記念館を長野県飯田に

 飯田日中友好協会では昨年の第44回定期総会において、「満蒙開拓平和記念館」を飯田に設置することを決定し取り組みをスタートさせました。長野県日中友好協会のバックアップも得て、12月22日村井仁県知事に建設協力要望書を提出しました。また、本年1月25日の社団法人日中友好協会全国本部第14回通常総会では新年度の事業方針に組み入れていただきました。関係者一同精力的に実現に向けて活動を展開しています。

ここで飯田日中友好協会が作成した計画の概略をご紹介します。 

下の図は、旧開拓地の集落をイメージした記念館構想参考図です。
         
◆ いまだ全国何処にもない、「まんもう」の歴史資料を集め展示と学習をする「満蒙開拓平和記念館」。この「まんもう」の歴史を風化させることなく次世代に語り継いでいくことを願い、全国一の開拓団を送り出した飯田・下伊那の地方の小さな友好協会である「飯田日中友好協会」が、平和と共生のシンボルとして、「日本中に・アジアに・そして世界に向けて、平和を発信する拠点施設として活用する「満蒙開拓平和記念館」を建設しよう!、と立ち上がりました。
 この設置運動に全国のみなさんのご理解・ご声援・ご協力を心よりお願いいたします。

(参考) 飯田下伊那地方はかつて全国一の満蒙開拓団を送出しました。郡下の最も多い町村では全人口の20%もの(郡平均でも実に8%)満州移民が送出されていきました。全国平均では、人口比0.4%であるのに対して実に20倍もの送出率です。
 戦後60年の歳月が流れるなか、この地域では満蒙開拓体験者から聞き取り、語り継いでいく活動が地道に行われておりますが、一方で体験者も、歴史保存に努力されている関係者も高齢化しており、このままでは風化されてしまいます。
 この地方にとってひとつの「社会運動」でもあったといわれる「満蒙開拓移民」にかかわる資料保存とその開示は、今や焦眉の急を要する重要な問題であります。
「自らの歴史と取り組まない人は、自分がどこにいるかを理解できません。過去を否定する人は、過去を繰り返す危険を犯しているのです」(ワインゼッカー元ドイツ大統領)。かつての満蒙開拓移民の歴史にとっても、また飯田下伊那地方にとっても、満蒙開拓移民は過ぎ去った歴史的事柄として風化させてはならない現在もつづく問題であります。現在全国に満蒙開拓そのものに特化した資料館、記念館はありません。このことから、かつての満蒙開拓に関する研究や教育に関して広く社会で活用されることを目的に、この地域に全国規模の「満蒙開拓平和記念館」設置の運動を起こしていかなくてはならないと考えます
 地域のみなさんと一緒に、広く県・国にも働きかけてその実現に努力します。

 ◎満蒙開拓団送出数 
  (全国で一番多い飯田下伊那地域) 
     全    国   270、000人
     長  野  県    32、992人 (全国の12%)
     飯田・下伊那   8、389人 (長野県の25%)
  (全国ランキング)
    一位  長野県32,992人(全国の12.2%)  
    二位  山形県14,200人(全国の 5,3%)  
    三位  熊本県12,700人(  〃  4.7%)

上田日中友好協会が創立50周年の祝賀会


 上田日中友好協会は1月29日、高砂殿で創立50周年記念祝賀会を開きました。母袋上田市長や地元選出の羽田参議院議員、平野・島田・下村・高村の各県会議員、県協会の西堀理事長らの来賓はじめ関係者約70人が出席し、協会の歩みや、友好交流都市提携している上田市と中国寧波市の交流の歴史を振り返りました。
 成沢捨也会長は「首相が代わり、日中の関係は正常な姿になりつつある。創立50周年の節目を迎え、これからも両国の友好平和の前進のために全力を尽くしたい」とあいさつしました。
 同協会は、日中友好協会上小支部として1955年に活動を開始、翌年9月の県支部連合会の結成に当初から加わりました。95年に上田市と寧波市が友好交流都市を締結して以来、民間レベルの交流を担い、上田市から寧波市へは計21回、490人が訪問。寧波市からは計20回、137人が上田市を訪れています。


日中の民間交流さらにー県協会が恒例の新春座談会と新年会


 長野県日中友好協会は1月18日、恒例の日中友好新春座談会と新年会を長野市内のホテルサンパルテ山王で開きました。座談会には会員110名が出席して、日ごろの活動を踏まえた新年の抱負を語り合いました。
 新年会には各界来賓も加わり170人が出席しました。今年は日中国交正常化35周年とともに、両国が「日中文化スポーツ交流年」と位置づけており、8月の友好都市小学生卓球交流交歓大会など更なる交流推進を確認しました。
 井出正一会長は、昨年秋、安倍首相が就任直後に訪中したことを挙げ、「新しい関係の道に踏み出したことは喜ばしい。今後、両国首脳の頻繁な交流とともに、協会も民間交流を促進し、相互信頼を強化するために頑張りたい」と抱負を述べました。さらに、中国残留孤児が全国15地裁に提訴した国家賠償訴訟のうち東京地裁の判決が1月30日に出されることに触れ、「残留孤児は国策で生じたもので国の責任は重い。問題解決に安倍首相の決断を期待したい」と話しました。
 来賓で出席した中国大使館の喬倫・二等書記官は県協会が50年にわたって民間交流に努めてきたことを評価し、ハイレベルの交流とともに国民同士の交流を促進していくことの重要性を指摘し、日中文化スポーツ交流年を迎え協会の活躍に期待しました。さらに「日中間の往復貿易額は2000億ドルを突破し、4月には温家方宝総理の訪日も予定されている。中国は調和の取れた発展と世界を目標にしている。日本と手を携えて目指したい」と語りました。
 来賓を代表して小宮山英明・県国際課長、佐野功武県議会副議長、吉田博美・羽田雄一郎良参議院議員らが激励の祝辞を述べました。また小坂憲次・羽田孜代議士(代)、若林正俊・北沢俊美参議院議員(代)、小林実・県議会日中友好促進議員連盟会長をはじめ森田恒雄・村石正郎・倉田竜彦・柳田清二・宮沢敏文・竹内久幸・西沢正隆・島田基正・今井正子・高見沢敏光の各県議が出席し紹介されました。近藤光・連合長野会長の音頭で乾杯し懇親・懇談が和やかに繰り広げられました。
 そのほかの来賓として轟正満・長野市議会議長ら7名の市議会議員、宮本経祥・信濃教育会長、湯原康・県信用保証協会長、竹之内健次・部落解放同盟県連委員長、大矢栄一・県中小企業団体中央会参事、市川浩史・JA中央会考査役、池田良一・県鍼灸師会長らが出席しました。
 会では、飯田日中友好協会役員が、飯田下伊那地方で目指している「満蒙開拓平和記念館」建設への協力を呼びかけました。

河北省農林科学院視察研修団が来県


 長野県と友好提携している中国河北省の農林科学院の研究者ら9人が県内農業の視察に訪れ、1月9日県農政部を表敬訪問しました。減農薬・減化学肥料による栽培方法と農協組織の制度と農民サービスの事情を学ぶのが主な目的で、訪問団長の孫風国副所長は「経済発展に伴い、中国でも農産物の安全・安心の側面が重視されるようになった。日本の先進例を学んで帰りたい」とあいさつしました。一行は1月9日から15日までの県内滞在中、県果樹試験場やJA中央会での研修、市場参観、中野と須坂でのブドウとえのきの施設栽培、りんご栽培などを視察しました。担当者の説明にノートをとりながら熱心に耳を傾けていました。また白馬村のスキー場や須坂での小学生体験教室参観など長野県への印象を深めて帰りました。

<年頭所感>
日中国交正常化35周年を迎えて
県協会創立50周年の成果踏まえ、英智を結集して友好前進の年に!
     長野県日中友好協会会長  井出 正一

 明けましておめでとうございます。

 昨年は当協会創立50周年という節目の年でありました。長野県日中らしい記念事業をと、通常の活動に加えて、『虹の架け橋・長野県日中友好の歩みV』の発刊、「満洲開拓を考える絵画展と語り部のつどい」、50周年記念祝賀大会、内蒙古雑技団による「草原の蒼き狼たち」の県内公演、日中友好の翼訪中団の派遣と保定市易県での新規緑化協力と数多くの事業に取組みました。お蔭様で各地区協会、友好諸団体、協賛企業等々と大勢の皆様のご理解とご協力によって、いずれも成功裏に実施することができ、また各方面から祝意と激励を頂戴しました。改めて厚く御礼を申し上げる次第であります。と同時に先輩方の中国との平和・友好・共生を希う熱き思いを受け継いで次なる50年に向かっての決意を新たにしたところであります。

 さて、今年は日中国交正常化35周年になります。5年余り「政冷」の状況にあった両国首脳関係も、昨年10月の安倍新首相の就任直後の訪中、中国側の異例ともいえる厚遇のなかで「戦略的互恵関係の構築」を謳った「共同プレス発表」によって改善への一歩が大きく踏み出されたことは欣ばしい限りであります。昨年11月全国都道府県日中友好協会会長訪中団の一員として訪中、人民大会堂での曽慶紅国家副主席との会見の際、曽氏も日本側の野中広務名誉顧問も異口同音に1ヶ月前の両国首脳会談の結果に「ホッとした」と発言されたのが印象的でした。
 安倍首相のこれまでの言動、小泉内閣のアジア外交からは考えられない位大きく舵を切ったわけですが、北朝鮮の核実験への対処のタイミングも含めて、それほどに日中両国は相手なくしては存在できない関係にあることの証左でありましょう。

 35周年を迎えた今年は、中国側首相の訪日もありましょうし、人的経済的交流も一段と活発になりましょう。(社)日中友好協会としましても青少年の交流、相互理解の一環として日中友好都市小学生卓球交歓大会、高校生のホームステイを伴う相互交流を計画しておりますが、県日中としても全面的に協力をしたいと考えております。
 また組織の会員数の減少と高齢化、それに伴う財政基盤の弱体化の解決も急務です。こう考えますと今年も課題難題は山積みしておりますが、みんなで知恵と力を出し合って進んで参りましょう。


日中の友好信頼関係の発展をめざそう
             長野県日中友好協会理事長 西堀 正司

 新年おめでとうございます。
 昨年中は、日中友好事業の発展の為に御協力をいただき感謝申し上げます。県協会は創立50周年を記念する多くの記念行事をとりおこない会員の皆様とこの節目の年を祝賀しました。
 8月の「満洲開拓を考える絵画展と語り部のつどい」の開催を皮切りに、9月には50周年記念誌『虹の架け橋・長野県日中友好の歩みV』の発刊と祝賀大会の開催、10月には内蒙古雑技団公演と日中友好の翼の派遣などを成功裏に実施しました。 県民各界からの祝意もいただきながら今後の友好への強い決意を会員一同確認したところです。
 21世紀を日中友好を基礎にしてアジアの平和と世界の平和を保障していくという我々の意思は不動のものです。

 ここ数年間の「政冷経熱」の状況を一日も早く終わらせ本来の友好の道を進む事が出来るよう力を結集した一年でした。小泉内閣から安倍内閣へと変化する中で新首相は最初の外国訪問国として中国を選びました。これは日本の国益をふまえて我々の安全保障と極東の安全保障を考える中で当然の事であります。あまりにも国益を無視し、戦略性のない小泉内閣は退陣し、安倍新外交は、順調なスタートを切ったといえるでしょう。
 日中友好の道こそが日本の安全を保障するものです。その意味から今年は官民あげての友好運動が展開出来ると思います。

 さて、新しい年本年は、日中国交正常化35周年の節目の年です。
 我々の友人の国、中国は今秋党大会を5年ぶりに開催します。胡錦涛政権も二期目を迎えて更なる発展を計画しています。世界一の外貨準備高1兆ドルを達成してバランスのとれた高度経済成長を目ざしています。
 2008年の北京オリンピックと2010年の上海万博の開催で開放された中国を演出しようとしています。
 我々の運動もすばらしい状況に合わせて展開したいと考えます。日中友好の未来は双方の協力によって大きな発展が予想出来ると思います。
 本年日中友好都市小学生卓球交歓大会をはじめとする沢山の計画が進行中です。皆様の御協力のもとに成功裏に実行実現できますようお願いいたします。

 最後に年始にあたり皆様の御健康と御多幸をお祈りして新年のあいさつといたします。
 共に日中友好の発展を確信して頑張りましょう。

(社)日中友好協会会長 平山郁夫 新年のご挨拶
   
 (社)日中友好協会全国本部会長 平山 郁夫

 明けましておめでとうございます。
 ことしが良い年でありますよう、心から祈願しております。

 日中首脳会談が昨年まで5年間も開かれないという、異常が続きました。これを少しでも打開しようと、昨年3月には橋本龍太郎元首相をはじめとする日中友好7団体一行が訪中したことがあります。日中関係を改善しようと、橋本元首相は情熱を傾けましたが、残念ながら病魔に倒れました。
 日中関係は、経済交流面では、双方のどちらが退いても世界経済に悪い影響が出るといった状況です。しかし、日中関係は、政冷経熱といわれていたように、これも限界線上にありました。日中韓の行き詰まりには、米国も懸念を示し始めました。この状況は日中国交正常化以来の悪い環境であるといわれました。
 そこに新しく9月末に安倍晋三首相が選出されました。一般的には、日中関係は希望と不安が相半ばの雰囲気でした。マスコミの論調も同様な状勢と分析しておりました。

 その中を、安倍首相は突然、電撃的に訪中と訪韓を実現させました。思いもよらなかった行動に驚きましたが、訪中と訪韓は大きな成果を上げました。しかも、北朝鮮の核実験が突如として行われました。これに対し、天の声としての安倍首相の行動に高い政治的評価が与えられたようです。5年間の空白を埋めるような感じを国内外に与えたのではないでしょうか。
 訪中の実現に関しては、日中両国の水面下の努力が想像されますが、アジアにとっても良いタイミングであったと、ほっとした気持ちを持ったのは確かです。

 世界の平和のためにも、中国や韓国の首脳交流は必要です。これを機に、さらなる各方面の交流を持つことが求められています。
 とくに、次世代を担う若者の交流が求められています。中学、高校、大学と相互訪問を実施していますが、在るがままの日本の姿に、また中国の人々にお互いに接することが将来の日中関係に繋がると思います。
 新年にあたり、夢が実現するよう願っています。

中国帰国者援護充実に関する請願書を県議会が採択

 長野県議会(萩原清議長)は12月25日、本会議において長野県日中友好協会(井出 正一会長)から提出されていた「中国帰国者援護充実に関する請願書」を全会一致で採択しました。その全文は以下の通りです。

 中国帰国者援護充実に関する請願書>
 長野県は、戦前・戦中、国策に従い旧満州(中国東北地区)に全国最多の開拓団員約3万3千人を送り出し、内半数が敗戦後の混乱の中で犠牲となりました。県内には現在約270人の中国帰国者一世(残留孤児・残留婦人)をはじめ約4300人の帰国者が暮らしております。これは47都道府県の中で3番目に多いものです。帰国者援護施策の充実は、長野県民の等しく関心を寄せている事柄であります。

帰国者一世は高齢化に伴い、少ない年金や言葉・生活習慣の相違、健康不安など多くの困難を抱えております。また、二・三世についても就労が困難など地域社会からの孤立に起因する問題が指摘されています。

神戸地裁は12月1日の帰国者訴訟の判決で、国の責任を認める判決を下し、改めて国の帰国者支援対策強化の必要性を世に示しました。

2003年10月2日県議会では当協会が請願した「中国帰国者援護充実に関する請願書」を採択いただき、それを受けて長野県は2004年4月から帰国者一世への月3万円の支援金支給を実施し、帰国者から感謝されております。しかしこの問題は本来国の責任において実施すべきことであり、高齢化の著しい中、帰国者援護施策の一層の強化が強く望まれるところであります。

本年春には、与党中国残留邦人支援に関するプロジェクトチームによる月額13万円支給などを骨子とした「帰国者老齢給付金」制度の創設構想が報ぜられました。これに対し大きな期待が寄せられていますが、いまだ実現に至っておりません。 
  一方、国は、帰国5年を経過した帰国者支援のため日本語学習支援事業・相談事業・交流事業などをおこなうための拠点として、「帰国者支援・交流センター」を5か所設置しております。県内においては、今まで帰国者自立研修センターが帰国者の精神的よりどころとしての役割を果たしてきましたが、平成19年末をもって閉所の方針と伝えられております。県当局は厚生労働省社会援護局に自立研修センターの役割を引き継いでいくために、県内に「帰国者支援・交流センター」を開設されるよう要望されておられるそうですが、この実現が強く望まれるところであります。
  つきましては次の事項について国に対して働きかけられたく要望いたします。

1.帰国者一世世帯の高齢化に伴う老後保障の充実対策として「帰国者老齢給付金制度」をすみやかに実現していただきたい。

2.高齢化の著しい帰国者一世ならびに二・三世世帯に対して、引き続き地域での支援活動が必要であり、その拠点としての「中国帰国者支援・交流センター」を全国で3番目に多い帰国者が暮らす長野県に是非開設していただきたい。

帰国者援護の充実を知事・議会に要請

 12月12日、井出正一会長をはじめ県協会帰国者留学生委員会役員など12名が村井仁知事に面会し、中国帰国者援護の充実を国に働きかけるよう要望しました。帰国者一世は平均年齢も70歳を超え、高齢化に伴い、少ない年金や言葉・生活習慣の相違、健康不安など多くの困難を抱えています。長野県内では、2003年10月の県議会の請願書採択を受けて04年4月から月額3万円の支援金が支給され帰国者から感謝されていますが、国の責任において帰国者支援対策を強化すべきとの声は強く、12月1日の神戸地裁の判決は改めてその必要性を世に示しました。要望の内容は@与党プロジェクトチームが提言している「帰国者老齢給付金制度」の早期実施、A全国で3番目に多い4300人の帰国者が暮らす長野県に帰国者自立研修センターの後を継いで帰国者支援・交流センターを是非開設されるよう国に要望していただきたいというものです。知事は自らも幼い頃中国で過ごしたことがあることを紹介し、帰国者問題に深い関心を寄せているとのべ前向きに取り組んで行きたいと述べました。

2006.1-12