07.1月〜12月
中国帰国者ら近況語り合う、帰国者年末交流会(12/2)![]() |
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中国大使館などに県産ふじ贈呈、孫参事官が北京五輪紹介の講演(11/22) |
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中国の高校生80人が来県 長野南・飯田・小諸など3高校を訪問(11/15〜17)![]() 15日午前、長野新幹線で長野に到着した一行を長野県日中友好協会のメンバーが両国旗と歓迎の横断幕を持って温かく歓迎しました。長野市内のホテル犀北館で西堀正司県協会理事長が熱烈な歓迎のあいさつをおこなって一行を歓迎しました。つづいて板倉敏和副知事表敬と長野県の概況説明を国際課の担当者から受けました。板倉副知事は「流暢な」中国語で歓迎あいさつを行い、大きな拍手が起きました。午後は3グループに別れ、信濃毎日新聞社とSBC、みすずコーポレーションを参観した後、全員でアグリ長沼でりんご狩りを体験しました。企業での勤勉な働きぶりや農園主のりんごつくりにかける情熱に感心していました。富士りんごはおいしいと好評でした。16日は、3グループに別れ長野・飯田・小諸を訪れ、各地の市長や友好協会役員の歓迎を受けました。善光寺やオリンピック記念館、懐古園など観光名所を参観した後、長野南・飯田・小諸各高校を訪問し交流しました。 飯田高校を訪ねた重慶市の高校生ら32人は英語の授業を見学した後、1年生約320人が出迎えて交流会を開き邦楽班が琴を演奏。外松宏規君が学校生活の様子を紹介。重慶市の高校生もピアノ演奏や中国画などを披露し、ケ雅竹さんが「気が合うと一度あっただけでも昔からの友人のようになれる。皆さんともそうなりたい」と中国語であいさつしました。その後の英語サークルメンバーとの交流では「家庭科や地理ではどういうことを習うのか」「クラブ活動はどのくらいあるのか」など質問を英語で盛んに発していました。また逆に日本の印象を尋ねられると「町がきれいで人々が礼儀正しく勤勉」と応えていました。重慶の高校生たちは、この日、牧野光朗飯田市長を訪問、川本喜八郎人形美術館の見学もし、夜は市内の一般家庭にホームステイして市民との交流を深めました。一行は12日に来日、長野のほか東京や大阪などを訪れ、21日帰国します。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() (上左から)@歓迎あいさつをする板倉副知事ASBC参観Bりんご狩りC飯田高校での交流D長野南高校での交流E小諸高校での交流 |
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中国国際放送局と提携して「長野孔子学堂」調印式![]() ![]() 式には中国国際放送局訪日団、友好協会役員、県北京放送を聞く会役員、長野中国語を学ぶ会役員ら約70人が出席しました。井出正一・県協会会長は、孔子学堂の趣旨を説明した後「活動を通じて、中国語や中国文化を学ぶ仲間が増えてほしい」とあいさつしました。張富生・副局長は「中国語の普及を通じて相互理解を促し友好発展のために、メディアとしての役割を果たしたい」と述べました。井出会長と張副局長が議定書に署名し、これを手にしっかりと握手を交わすと会場から大きな拍手が起こりました。続いて放送局側から長野県日中友好協会ラジオ孔子学堂の看板が県協会に贈られました。 第2部祝賀会の席上、北沢久・長野中国語を学ぶ会会長は「32年の実績の上に長野孔子学堂という翼を得て中国語の普及と向上に努力し、日中友好の架け橋となって行きたい」と決意を語りました。 県内では県北京放送を聞く会が25年前から活動をはじめ、同放送局と交流をしてきたことから、県日中友好協会との提携にいたりました。今後長野中国語を学ぶ会が開いている中国語講座を基礎にして中国語教材の提供や講師派遣などを受け、中国語学習のノウハウを導入し中国語の普及向上を図っていきたいと関係者は意気込んでいます。 <ごあいさつ> 長野県日中友好協会 会長 井 出 正一 |
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第11期日中関係を考える連続市民講座準備進む、11月23日スタート 詳細はここ−−>日中関係を考える連続市民講座 |
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緑化協力・遣隋使1400年記念・県協会訪中団交流深める(10/23〜29) 長野県日中友好協会訪中団(山根敏郎団長)は10月23日から29日、北京・河北省・西安を友好訪問しました。北京空港には、長野県になじみの河北省の梁国輝・アジア処処長と紀コウさんらが出迎えてくれました。北京では中日友好協会の表敬、オリンピック施設の準備状況の視察、盧溝橋抗日戦争記念館参観を行いました。許金平・中日友好協会秘書長は日中関係の好転を喜びつつ、17回党大会の状況などを熱心に紹介してくれました。鳥の巣と呼ばれている北京オリンピックの開幕式会場も近くで見ると9万人あまりを収容できる風格を持った存在感のある建物でした。地下鉄などを増やして、激増する車対策がとられているそうですが、解決には思い切った対策が必要に見えました。盧溝橋では日中不再戦の思いを強くしました。 ![]() 友人の皆さんの見送りを受けて、夜行列車に乗り込みました。ここからの案内役は省外事弁公室翻訳センターの劉梅海さんです。軟臥車(コンパートメントのグリーン寝台)に4人ずつおさまり、翌朝6時には西安に到着です。旅行社の魏麗さんの出迎えを受けてホテルで朝食、休憩の後、西安の参観が始まりました。三蔵法師ゆかりの大慈恩寺・大雁塔、そして西の城門 ![]() ![]() |
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河北省から囲碁代表団、長野・松本で囲碁交流(10/19〜23) |
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切実な訴えに涙、第18回中国帰国者日本語弁論大会(10/14) 1世の部、2・3世の部、学生の部に別れ、計12人が出場しました。敗戦後の悲惨な逃避行の様子や祖国への思いを語った1世や言葉の面で苦労し子育てやリストラ、地域との付き合いなど困難な状況におかれている2世の現状を訴えた発表に会場は静まり返って聞き入っていました。また、言葉がわからず学校でのいじめや差別に絶望したがそれを乗り越え働きながら定時制高校に通い1級日本語検定合格に挑み通訳を目指したいとの野村霞さん(19)=高森町=の「私はがんばり続けます」の発表には感動の拍手が寄せられました。 入賞者は、次の通りです。 ◎県知事賞 野村霞(学生@)、◎県日中友好協会長賞 坂井馨(2・3世@)、◎信濃教育会長賞増田初子 (1世@)、◎県開拓自興会長賞 牧内春重(1世A)、◎県中国帰国者採用企業連絡会長賞 北原陽江(2・3世A)、◎県中国帰国者自立研修センター所長賞 米山紀佳(学生A)◎各部門3位 西山明子(1世)・中原綾美(2・3世)・赤羽香(学生) 入賞した2人の発表を紹介します。 <私は、頑張り続けます> 野村 霞 私は、九歳で日本に来ました。日本に来られたことがすごくうれしかったです。しかし、思ってもなかった残酷な現実が私を待っていたのです。学校でみんなと言葉が通じないので友達は一人も居なくて寂しい思いをしました。そこで私は日本語の勉強に励みました。親切で優しい先生のお陰でようやくスムーズに日本語を話せるようになりましたが、六年生になると授業にもついていけなくなってしまい悲しかったです。そんな中で日本語の先生と担任の先生が私を支えて守ってくれました。先生たちが居てくれたから私は中学校に進む事が出来ました。心から感謝しています。でも中学校の生活はますます辛くなりました。イジメや差別もされるようになり毎日の日々が地獄のようでした。助けてくれる人も無く親に心配させたくないから自分で耐え忍ぶしかなかったのです。私は恨みました。どうしてお祖父さんは、私をこんな苦しい所に連れてきたの。日本人は、まだ幼い私をどうして傷つけるの。私は日本の全てに反感を持ち、日本に来なきゃ良かったと思いました。日本から逃げ出したくなりました。急に中国がすごく懐かしくなり、中国の友達にも、会いたくなりました。中国で過ごした自由で楽しい日々を返してほしいと願いました。そんな苦しい日々を耐え続けてやっと中学を卒業することが出来ました。こんな辛い学校生活はもう嫌だから、高校に進学せず、就職することにしました。職場では、イジメや差別をされる事は無く、優しい人達ばかりでした。やっと笑うことができるようになり、友達も出来ました。その時、私は思いました。「恨み」の中で生きるより寛容の心で生きた方がよっぽど楽しい人生を送る事ができる。だから私はもう逃げたり、避けたりはしないようにしようと。二年遅れになりましたが、勇気を出して高校の定時制に入学しました。最初の時は、イジメや差別されたりしないかと心配しました。しかしお蔭さまで今は順調に勉強する事が出来ています。免許を取るまでの一年間、毎日放課後、夜遅くに迎えに来てくれた両親に感謝しています。私は今一生懸命勉強しています。少人数のクラスですが、いつもトップの成績をとる事ができました。私は今「通訳」になる夢を持っています。日中両国の為に、何か役に立ちたい。言葉で困っている人を助けてあげたいと思っています。そのためにもっと言葉の勉強をしなければいけないと思います。二ヶ月後の、日本語検定(一級)の合格をめざしています。簡単に叶えられない夢ですが、私にとって人生最大の目標ですから、諦めません。お祖父さんを恨んだりしてゴメンなさい。初は、確かに苦しくて辛かったけれど、でもこんな経験が有ったからこそ私は成長しました。せっかくの人生を無駄にしたくないのです。だからこの先色々の困難や失敗を恐れず私は頑張り続けます。 <帰国者二世の現状> 北原 陽江 私たちの親である、一世の帰国は遅かったため、多くの方がまだ日本の社会の事を勉強していないうちに、もうこの年齢になりました。いま、社会中に一生懸命頑張っている人はほとんど二世です。特殊な家庭で一世の面倒を見る、三世の教育、二世自身の色々事など、すべてが二世の肩に掛けられて、これが、今の二世の現状です。 |
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国交正常化35周年を記念し講演と祝賀のつどい開く(9/30)![]() 第1部の記念講演では、内藤武男・県日中経済交流促進協議会会長の開会あいさつに続いて、井出正一会長が主催者を代表してあいさつし、日中国交正常化35周年にあたり、昨年の安部首相の訪中・温家宝首相の訪日そしてこのたびの福田内閣の誕生によって日中関係が、戦略的互恵関係を確認して明るい雰囲気の中で迎えられることに喜びの意を表しました。また、8月北京での卓球交歓大会や11月の中国高校生100名の受け入れ、長野孔子学堂の開設、帰国者支援活動の成果、飯田の「満蒙開拓平和記念館」建設の取り組み等を紹介し、今後とも有利な状況をいかして日中両国国民の相互信頼関係を回復するために努力していきたいと述べました。 記念講演では、矢吹先生が「中国の現況と日中関係の今後」と題して講演しました。 冒頭、福田政権誕生に対し、ケ小平来日時首相補佐官であった福田康夫氏の対中関係を前進させようとする意欲が大きいことを紹介し、安倍訪中と温家宝訪日で改善されたとはいえまだ溝が残っていた状況が改められていくことに期待すると述べました。 続いて、35年前の田中訪中を回顧し、特に「ご迷惑をおかけした」とのあいさつのなかに、その後の日中間の誤解の種が蒔かれたことを詳しく紹介しました。−田中首相は「ご迷惑をおかけした」という言葉を日本人として強い反省の気持ちをこめて発言したが、中国語の「迷惑」の意味は極めて軽く周恩来総理から抗議を受けた。田中氏はこの際、日本ではこの言葉はきわめて重いものであることを強調し、 ![]() また、1978年の平和友好条約批准書の交換に際してのケ小平訪日は改革開放の路線の必要性をPRし先進日本のイメージを大きく転換する契機となった非常に大事なものだった。また、天皇との会見も行われた。天皇のほうから心情を語り、ケ小平は天皇に対して好印象を持ったといわれる。「両国には長い友好的な歴史があり、一時は不幸な出来事がありましたが、すでに過ぎ去りました」との発言にケ小平も「われわれもこの条約は深遠な意義を持っていると考えています。過去の出来事は、すでに過ぎ去りました。今後われわれは前向きの態度で両国の平和な関係を樹立しなければなりません」と応じている。この会見について宮内庁は、順序を逆にして発表し日本の新聞社もそのように報じた。また、6年後の入江日記に「長い間ご迷惑をかけました」と述べられたとの記述があるが、これは誤記である。一方、発言の順序を逆にすると、天皇の言葉の重みは減じてしまう。歴史的重要な場面でのやり取りは正確に伝えられていかなければならないということを、その後の両国関係の行き違い・誤解をみるにつけ痛感している。 先生は続いて、10月15日から始まる17回党大会について最新情報の分析を交えわかりやすく解説されました。−胡錦濤体制が2期目に入り政治局常務委員メンバーも大きく入れ替わり自前の体制ができていくことになるが、新たに選出されるメンバーも人材の宝庫である共青団系統はじめ背後にそれぞれの利益グループが存在している。年齢制限やこの間の大臣ポストの順次入れ替えなどによって体制固めが図られてきている。胡錦濤指導部のキーワードである「和諧社会」(調和の取れた社会)の言葉は、一昨年の党中央委員会コミュニケでは6回だったのが昨年は54回となっており、胡錦濤氏の指導力が増していることをあらわしている。経済発展を持続させる上で、開発独裁型は効率は良いが腐敗も生じやすい。親民政治を標榜している中で、政治改革の課題もあり舵取りは大変だ。中国社会の矛盾は大きいが高度経済成長は長続きするだろう。 これに対し矢吹氏は投資環境はこのところ経済発展につれて変化してきており、労働契約法に見られるように、今まで外資に有利だったのが労働者保護策に転換してきている。自社企業の特性を良くみて対応を考えていく必要がある。またきちんとした労働契約を弁護士を頼んで結ぶことが必要だ。元高基調は変わらないので輸出に頼っている企業には厳しいが、中国国内市場向けには有利だ。安全性の問題では農民の意識の問題があるが、間に入っている日本の商社がチェックしていくことで防げるのではないか。温家宝首相は社会問題を報道で取り上げるよう指示したが偽肉まん事件などが起きたりして曲折がある。報道の自由の問題もある。 また、会場からも友好の原点について、心を通わせることの難しさが提起されましたが、パネラーからは、実際交流を持って相互理解を深める、思いと気持ちは言葉にしなければならない、光化学スモッグや黄砂など環境保全の分野での協力を大いに進めていくべきだ、などの意見が出されました。 ![]() 第3部祝賀パーティーでは、宮本経祥・信濃教育会会長が開会を宣言、井出会長のあいさつに引き続き服部宏昭・県議会議長と近藤光・連合長野会長から祝辞をいただきました。倉田竜彦・県日中友好促進議員連盟会長の音頭で乾杯、会場は日ごろの活動の交流などが行われ盛り上がりました。小坂憲次・羽田孜代議士秘書、若林正俊・羽田雄一郎参議院議員秘書、村石正郎・今井正子県議から激励のスピーチをいただきました。女性委員会メンバーの合唱や、北島良一氏の堂に入った田中角栄節には満場の拍手でした。湯原康夫・県信用保証協会会長の音頭で日中友好万歳を高らかに三唱して会は終了しました。 |
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長野で武術太極拳フェスティバル1300人が演武(9/30)![]() グループごとにそろいの衣装を着た参加者は音楽にあわせ手足を大きくゆったりと動かす太極拳や武術を披露。剣や色鮮やかな扇を手にして華やかに演武するグループもありました。発表を終えた参加者たちは、額に汗を浮かべ、笑顔を見せていました。 連盟の徳嵩靖事務局長は「各自のペースで体を鍛えられるので、高齢化が進む中で愛好者が増えている。発表会の開催が、今後のそれぞれの活動意欲につながれば、うれしい」と話していました。 |
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第25回中国語弁論大会(全日本中国語スピーチコンテスト長野県大会)開かれる(9/23) そのほかの入賞者は次のとおり。(入門の部)2位/高橋舞、 3位/大久保香澄、努力賞/田中雅巳、敢闘賞/白濱菜月。 |
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中国映画「幸せの絆」長野で上映、「涙がとまりませんでした」(9/14)![]() |
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松本で北京故宮博物院展がスタート(9/14) |
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河北省総工会代表団を迎え歓迎会(9/12)![]() |
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日中学術交流委員会07年度総会(9/3)![]() |
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中国帰国者楽しい老後を、1世ら上田で「日本語教室」(8/27) 参加した1世は、残留孤児や残留婦人が中心で、主に六、七十代。1980−90年代に帰国した人が多い。自己紹介の後、保健師の指導で指先や体を動かす体操をして交流。さらに4、5人ずつのグループに分かれ、県帰国者自立研修センターの日本語講師の指導で日本語で日常会話をした。 13歳で旧満州に渡り、89年に帰国した滝沢ケイ子さん(76)=坂城町=は「同じ経験のある人と友達になれる」と喜び、96年に残留孤児の夫と来日した女性(58)は「日本語を勉強するいい機会。楽しかった」と話していた。 成沢会長は「まだ日本語が上手に話せない人もいるが、心を大きく持って、老後を楽しく生きていただきたい」とあいさつした。「日本語教室」は中国帰国者支援・交流センターから県協会に委託された事業の一環。 |
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長野びんずる「日中友好連」で帰国者とともに踊る(8/4) |
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日中友好都市小学生卓球交歓大会、北京で開催、長野県勢活躍(8/2〜4)
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第17回中国留学生ホームステイ第1班20名が東北信地区へ(7/24〜26) 東京の(財)日中友好会館・後楽寮で生活している中国留学生を2泊3日のホームステイで受け入れる交流が7月24日から26日の日程で行われました。長野・須坂・岳北・飯綱・上田・臼田の各地区ではホームステイのホスト家庭や協会役員の心のこもった歓迎交流が行われ、日ごろ日本の家庭生活に触れる機会のなかった留学生の皆さんは大感激。「長野の皆さんは本当に親切で良い思い出になりました」最後は、涙を流しながらの握手のお見送りでした。8月21〜23日には、第2班10名の受け入れが中南信地区で行われます。 |
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第43回日中友好キャンプ、箕輪で交流(7/21〜22)![]() 信州大学留学生、河北省農業研修生、友好協会会員、一般参加者など70名あまりが参加。1日目は伝言ゲーム、借り物競争などで楽しく交流、夕食はバーベキューで焼肉や焼きそばなどみなたくさん食べました。夕食後のキャンプファイヤーでは歌や踊り、花火などで盛り上がりました。2日目はオリエンテーリングを行いました。中国人参加者はオリエンテーリングは初めての人がほとんどでしたが、最初は戸惑いながらも皆楽しくポイントを発見していきました。 お昼は流しソーメンで交流しました。流しソーメンも初めての人がほとんどでしたが、皆慣れた手つきでソーメンをすくい上げていました。 当日は、天気にも恵まれ、女性委員会・青年委員会のメンバーを中心に、参加者全員で喜びを分かち合えるすばらしい交流キャンプになりました。 |
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河北省高校生訪日団歓迎会、各校で交流深める(7/12) 河北省高校生訪日団10名が7月10日から17日まで来日・来県し中野西高、長野西高、皐月高、エクセラン高、飯田風越高、蘇南高校にて交流を深めました。滞在中は高校生や友好協会会員宅でホームステイを体験したりSBCや善光寺なども参観しました。15日の意見発表・交流会では高校生の皆さんから思い出深い交流体験が語られました。県友好協会は実行委員会のメンバーとして、県国際課に協力して、本事業の成功に努めました。12日には歓迎会を開きました。 (2名の先生をホームステイで受け入れた宮沢信代さんから寄せられた感想文を紹介します。) 7月11日から15日までの5日間、河北省高校生訪日団に随行して来県された河北省石家荘外国語学校の女性教師2名をホームスティで受け入れました。長野の空気と自然に感動されて、「新鮮、新鮮」と連発され、また温泉には疲れが取れたと喜ばれました。 高校を視察された際に、長野市と姉妹提携している米国の学生と一緒に書道の授業を受け、3カ国の国際交流が実現しました。最後の夜は先生方が中国料理と餃子を作ってくださり、私は日本料理とおやきを作り食文化の交流をしました。台風のテレビニュースを見て、環境の大切さを話し合いました。我が家の農作業も手伝っていただき野菜の収穫、販売と地産地消の安心安全等、農業の大切なことを体験されました。次回は子供とともに来たいと、再会を誓った有意義なホームステイでした。(長野市・宮沢信代) |
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南京大学から代表招き中国藤村文学賞授賞式−小諸市日中友好協会(7/12) 小諸市と小諸市日中友好協会は7月12日ベルウィンこもろで第5回小諸市中国藤村文学賞授賞式を開いた。式には ![]() 中国・南京大学の日本語を学ぶ学生を対象に島崎藤村作品の翻訳や感想文を募集し、本年が同賞の創設20周年と日中国交正常化35周年にあたることから入賞者の代表を招いて、初めて小諸市で開いたもの。 藤村作品を中国語に訳す翻訳賞と日本語で書かれた作品を読んで感想文を書く愛読賞の2部門。今回は計68点の応募があり、同大日本語学科の教授らが審査し各6点計12点を選んだ。翻訳賞を受賞した6人が来日し、授賞式では芹沢勤市長から一人ずつ賞状と賞金、副賞が贈られた。1位は短編「追憶」を訳した研究生1年の郎叙さん(22)で「高校時代に藤村の作品にふれ、翻訳してみたいと思い、今回夢が一歩進んでうれしい。文学に国境は無く、千年経っても感銘を与えることができる」と謝辞を述べた。 同賞は、藤村研究で来日していた南京大学の陳徳文氏(現・愛知文教大教授)が小諸市に要請し、1987年にスタート。98年の2回目から南京大生が対象となり、3年に1度開いている。 受賞した6名の学生はいずれも全員初めての訪日であったので、島崎藤村を通して小諸市と南京大学との関係や、小諸の風土や習慣を知ってもらうためにホストファミリーとの交流に力点を置いた。そば打ちをはじめ茶道やお祭り、小諸高校文化祭などさまざまな体験をしていただいた。 |
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飯田日中友好協会総会、「満州開拓平和記念館」実現へ募金活動(7/8) 飯田日中友好協会(河原進会長)は7月8日、飯田地場産センターで約60人が参加して定期総会を開いた。飯田下伊那地方に2009年の会館を目指している「満蒙開拓平和記念館」実現に向け、募金活動の実施を決めた。またシベリア抑留の引き揚げ港だった京都府舞鶴市にある「舞鶴引揚記念館」の山田昌道館長や、NPO法人「舞鶴・引揚語りの会」の豊田信明理事長による基調講演もあり、建設の意義や運営面を考えあった。 平和記念館は、旧満州開拓に関する歴史資料を展示し研究調査の拠点となるように建設する計画で、事業費は約4億円の見込み。そのうち2億円を目標に募金で充てようと、募金活動を始めることにした。 基調講演で山田館長は「過去にどういうことがあったのか、末永く若い世代に伝わるように努力して行きたい。満州平和記念館も、そういう役割を果たしてほしい」と呼びかけた。 講演を聞いた河原会長は「(記念館建設には)地域住民を動かす熱意が必要など、共感するところが多い。シベリアと満州の違いはあるが、平和希求の気持ちは一緒。今後も交流して行きたい」と話していた。 |
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天空列車でチベットへ(7/10〜15)
7月10日から15日までの日程で「鉄道で行くチベットの旅・長野県日中友好協会訪中団」(団長/井出正一会長一行40人)がチベットを訪れた。青海省のゴルムドからラサまでは昨年7月開通した世界最高地点を通過するコースで今世界の注目を集めている。高山病と闘いながら「天空列車」の旅を満喫しつつラサを目指した。ラサでは世界遺産になっているポタラ宮はじめ、大昭寺、八角街、ノルブリンカ、チベット博物館などを訪れた。またチベット自治区政治協商会議副主席の洛桑江村氏と会見するとともに心のこもった歓迎を受けた。 |
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友好都市小学生卓球交歓大会壮行会(7/7) 中国と友好都市提携している長野、松本、須坂、伊那、上田の5市と県の計6チームから小学生2人ずつ、計12人が出場。中国の小学生と混合チームを作り、交歓試合を行う。壮行会には、小学生と同行する各地の自治体、卓球連盟、日中友好協会関係者ら45人が出席。大沢正行・県卓球連盟理事長は「力を出し切って伸び伸びと試合をしてください」と励ました。 小学1年から卓球を始めたという伊那市チームの小学5年中村詩穂さん(10)は「試合も勝ちたいけれど、友達もたくさん作ってきたい」と話していた。 大会は日中国交正常化20周年から5年に1度開き、県内からはこれまで、中学生や高校生が参加している。 |
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須坂市日中友好協会創立50周年を祝う(6/30) 呉従勇・(財)日中友好会館中国代表常任理事(元中国外務省日本課長)が「最近の中国と今後の日中関係」と題し、「日中関係は3文書に基づいて発展させれば必ず順調に行く。背世代代の友好のたまには青少年交流が大事だ」などと講演した。 三木正夫会長(須坂市長)は「自分は戦後生まれだが、教科書にないことを会員の皆さんに教わった。50年の歩みから更に新しい50年が始まる」と活動への意欲を示した。 久保好政(3代)、永井順裕(5代)の両歴代会長に感謝状が渡された後、西堀正司理事長が協会の歩みを紹介。記念誌『五十年の歩み』も発行され、出席者に配られた。 式典後のレセプションでは地元の須坂昇竜太鼓が披露され、おめでたい雰囲気の中で会員は友好絵の決意を新たにしていた。同日中は現在、会員数110人、四平市との交流をはじめ官民一体で活動している。 |
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楽しく長野市帰国者激励交流会(6/24) |
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中国へスキー、5000台贈る(6/11) シーズン終了後に集まった用具はスキー板が約5000組、靴が約4000足、ストック3000組ほど。陸上競技場の脇に山と積まれ、県スキー連盟や友好協会のメンバーら55人が作業に汗を流した。 大型コンテナ2台と小型コンテナ1台に整然と積み込んだ。6月中に、瀋陽体育学院や河北省に贈られる。スキー連盟に大谷陽一専務(56)は「交流を通じて中国スキーがレベルアップし、将来日本選手と競い合うようになれば、アジアのスキー振興につながっていく」と抱負を語った。 |
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第32回県日中女性委員会総会開催 6月3日、上田市菅平ホテルにおいて、第32回県日中女性委員会定期総会が開催されました。県下から地区女性委員会の代表及び井出県日中会長や母袋上田市長、成沢上田日中会長ら来賓も多数出席して、総勢70名の盛会となりました。総会では、村山ひとみ委員長が「12の地区協会に女性委員会があり400名の女性会員が活躍している。心を一つに力を合わせれば大きな仕事ができる。魅力ある楽しい会にしていきましょう」とあいさつしました。井出会長は日ごろの女性委員会の協力に感謝し、日中両国の戦略的互恵関係を強化するには民間交流が重要な役割を果たすことを強調し、一層の活躍に期待しました。2006年度の活動報告と決算報告が承認され、2007年度の活動方針と予算が採択されました。友好キャンプや友好スキー交流会、新春女性のつどいなどを通じて相互理解と友好を深めていくことを決めました。第2部では、母袋・上田市長が記念講演し新生上田市の意欲的な発展計画や中国寧波市などとの交流の状況を紹介しました。第3部の交流懇親会では上田の皆さんの「お福音頭」を皮切りに次々と出し物が出され賑やかな楽しい会となりました。 |
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各地で地区友好協会の定期総会が開催 定期総会のシーズンを迎え、各地区で友好協会の定期総会が次々と開催されています。国交正常化35周年の年にあたり、日中関係の好転の状況を生かして、友好交流を進めていく方針などが決定されています。地区総会の開催状況は下記の通りです。 4/14飯綱町日中友好協会総会(田中博会長)、4/24伊那日中友好協会総会(小坂樫男会長)、4/27山ノ内町日中友好協会総会(竹内義孝会長)、4/27富士見町日中友好協会総会(矢嶋民雄会長)、5/19飯山市日中友好協会総会(清水重右エ門会長)、5/19千曲市日中友好協会総会(矢島久和会長)、5/22諏訪市日中友好協会総会(山田勝久会長)、5/25伊南日中友好協会総会(宮崎昌直会長)、5/26中野日中友好協会総会(青木一会長)、5/26松本日中友好協会総会(相沢孝夫会長)、6/4小諸市日中友好協会総会(佐々木治夫会長)、6/19小布施町日中友好協会総会(市村良三会長)。 また、5/27長野県北京放送を聞く会総会(北沢久会長)、6/3長野県日中友好協会女性委員会総会(村山ひとみ委員長)、6/10長野県日中友好協会青年委員会総会(永井毅委員長)、6/12長野県日中経済交流促進協議会総会(内藤武男会長)なども開かれました。 |
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第45回長野県協会定期大会を開催 <大会スローガン> *日中国交正常化35周年祝賀! 県民の皆さん |
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上田日中友好協会が中国帰国者激励交流会を開催 成沢捨也・上田日中友好協会会長は「戦後62年をむかえたが、敗戦時の悲惨な逃避行は想像に絶するものがあったとお聞きしている。幸い皆さんは、養父母に育てられ無事成長されたが、帰国後も言葉や習慣の違いによるご苦労など厳しい環境の中で過ごしてこられた。帰国者の皆さんには是非、安心した老後を送ってほしいと心から願っている。政府の支援策もまもなくまとまると聞いているが援護施策の充実を要請したい。上田日中としては、市当局の支援のもと、この間、帰国者の共同霊園の整備にも力を入れてきた。日ごろのご苦労を癒し、今日はゆっくり楽しんでほしい」とあいさつしました。 交流会には母袋創一上田市長や布施県日中友好協会事務局長らも出席して帰国者を激励しました。懇親会の中では、真田陣太鼓の皆さんが、真田武者のいでたちで和太鼓を演奏し、その迫力に大きな拍手が起きました。また日本舞踊のグループが友情出演し見事な演舞を披露してくれました。帰国者の皆さんも、太鼓の手ほどきを受けたり、一緒に踊ったり、ビンゴーゲームなどを楽しんだりしました。女性委員会のみなさんの手作りの豚汁も振舞われ好評でした。最後に藤原邦彦さん(64)が帰国者を代表して、しっかりした日本語で「大変楽しく過ごせました。皆さんのご好意に感謝し、私たち帰国者も地域の一員として頑張って行きたい」と述べました。 |
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山ノ内町と北京市密雲県が友好の調印![]() 町の文化センターで開いた調印式には、8名の密雲県代表団と町関係者ら400名が出席しました。アトラクションでは、幼稚園児や小学生が鼓笛や合唱、ダンスなどを披露しました。続いて、竹内義孝町長と王孝東県長が覚書に調印。竹節町長は「相互の繁栄と信頼につなげ、末永い付き合いにしたい」とあいさつ。王県長は「調印は、これからの交流に意義がある」と述べました。県協会からは西堀正司理事長が出席して祝いました。 密雲県は、北京市中心部から東北65キロの位置にあり、人口は約43万人。工業や農業、リゾート地として観光も盛んで、山ノ内町との共通点も多い県です。 交流は、長野県日中友好協会の紹介がきっかけでスタートし、これまでに民間を含め、町から4回密雲県を訪問しており、同県からも一度、町を訪れています。 |
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吉林省からスキー視察に来県 |
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河北省農業研修生受入式歓迎会開催 |
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友好都市卓球交歓大会実行委員会設立会議が設立 4月13日長野市内のホテル・サンパルテ山王において日中友好都市小学生卓球交歓大会実行委員会設立会議が県教育委員会や関係自治体・卓球連盟・日中友好協会など関係者が出席して開催されました。本大会は 8月1〜6日北京市首鋼体育館にて開催。全国から100チーム前後、県内から県・河北省、長野市・石家庄市、須坂市・四平市、松本市・廊坊市、伊那市・北京通州区、上田市・寧波市がそれぞれ合同チームを組んで参加することとなっています。昨年12月に関係する行政・卓球・日中の関係者が準備会を開いており、予算が確定するのを待ってこのたび実行委員会を正式に設立したものです。日本側各チームの構成は選手男女各1名と行政・卓球・日中より各1名の5名(+応援)。各チームは大会に先立って各友好都市を訪問し、合同練習や、交流を深めることも検討しています。今後6月の初めまでに選手団を決定し準備を進めていくこととなっています。 |
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温家宝首相歓迎レセプションと「中国無形文化遺産の夕べ」に県協会から井出会長ら8名が出席![]() ◇温家宝首相が来日 安倍首相と首脳会談 |
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河北省から付双建副省長が来県、村井知事らの歓迎を受ける 長野県と友好提携している河北省から付双建副省長を団長とする経済貿易代表団(一行8名)が4月5・6日の両日、長野県を友好訪問し、村井県知事はじめ関係者からあたたかい歓迎を受け交流を深めました。 一行は6日、県庁で村井知事と懇談し、友好提携25周年を迎える来年、河北省を訪問するよう要請しました。村井知事は「是非訪問したい」と応えました。付副省長は河北省について「経済発展が期待され、日本の企業も大きな関心を持っている」と紹介。「来年は両県省の節目の年でもあり、是非知事に訪問していただきたい」と求めました。知事は「友好を更に深める記念イベントを開きたい。観光面での連携も大切にしたい」と述べました。 代表団は、5日に長野県入りし、知事主催の歓迎会に出席したほか、6日は善光寺や蒲髢リなどを視察参観しました。歓迎会には井出正一県日中友好協会長や内藤武男県日中経済交流促進協議会長らも出席しました。また2次会で友好協会メンバーとなごやかにカラオケ交流を行い友情を深めました。 |
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「お互いの立場を思いやる心が日中関係を前進させる」 2月に天台宗第256世座主に就任した
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国交正常化35周年・長野市日中友好協会が総会 長野市日中友好協会(内藤武男会長)は4月1日、第29回定期総会をホテル信濃路で開き、2007年度の活動方針など 2006年度の活動報告・決算報告を承認した後、新年度の方針を採択しました。また任期途中で理事長を辞任した神田忠亥氏の後任に、北島良一氏を選出しました。(神田氏は副会長に就任。) 新年度の方針では国交正常化35周年にあたり、友好都市小学生卓球交歓大会など全国本部や県協会が計画している友好交流事業に参加協力するほか、石家庄市との交流事業の充実や、中国映画祭等の開催、帰国者支援活動などにも引き続き力を入れて行くとしています。 総会では、「歴史を鑑として未来志向の民間交流を市民ぐるみでとりくみ地域に定着を図る」などとする総会宣言を採択しました。 第2部記念講演では、詩人「群れの会」代表の山岸重治氏が「私と日中友好活動」と題して話をしました。第3部祝賀パーティーでは大正琴の友情演奏をバックに懇親を深めました。 |
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河北省へ農業専門家を派遣、JAや食の安全を講義 ![]() |
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大連市金州区農業視察団来県 |
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信濃町日中友好協会定期総会 3月2日、信濃町日中友好協会(水沢博人会長)は、町総合会館で定期総会を開催し、30名が出席して新年度の活動方針を決めました。総会には松木重博町長や関塚腎一郎議長、布施県日中事務局長らも来賓として出席し、激励しました。水沢会長は、日中国交正常化35周年を迎えて日中関係が明るさを増す中、地域の特徴を生かした友好交流を進めて行きたいと述べました。女性委員会の活動が活発な協会で、この日も多数の女性会員が出席し活気ある新年のスタートを切りました。 |
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飯山市日中友好協会創立20周年記念講演会・祝賀会開催 第1部講演会では、「日中国交正常化35周年を迎えて日中友好の思い出と今後の活動」と題して井出正一県日中友好協会会長が記念講演しました。 第2部祝賀セレモニーでは、はじめに日中友好の歌「永遠の友情を」斉唱。清水重右エ門会長が創立20周年を祝い新たな出発の決意を述べました。宮本衡司県議、足立正則飯山市総務部長、村山ひとみ県日中女性委員長から祝辞の後、服部一郎理事長が20年のあゆみを振り返って報告を行いました。 また、県日中創立50周年記念永年会員表彰を当協会の受賞者に井出会長から直接授与していただきました。 第3部祝賀レセプションでは琴と尺八によるアトラクションがあり、上村力副会長の開宴のあいさつ、山崎一郎飯山市議会議長、小林仁飯山商工会議所会頭各氏の祝辞の後、岳北日中友好協会理事長富井喜義氏の乾杯の音頭で開宴し、20年の思いを語り合いました。(飯山日中) |
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中国大使館の孫美嬌参事官らをスキーに招待 日ごろ交流でお世話になっている中国大使館友好交流部の孫美嬌参事官や喬倫二等書記官など5名を2月24・25日の両日、白馬八方スキー場にお招きしてスキーを楽しんでいただきました。 丸山庄司・前全日本スキー連盟専務理事の丁寧な指導で、孫さんも大分滑れるようになりました。喬倫さんは2度目のスキーですが若さでどんどんマスター、二日目はゴンドラリフトで上まで上ってスキースクールの丸山副校長さんと一緒にふもとまで滑り降りるほど上達しました。 民宿の夜の歓迎交流会では地元の志真秀明・大北日中友好協会会長や佐藤理事長、県協会の新井企画交流委員長や布施事務局長とともに楽しく友好談義に花を咲かせました。 |
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第30回日中友好スキー交流会 Ski and Friendship in 竜王スキーパーク 長野県日中友好協会青年委員会と女性委員会主催の第30回日中友好スキー交流会が2月17・18日、竜王スキーパークで開かれました。中国留学生・研修生・帰国者28名を招き、総勢80名が参加してスキー教室・交流会などがおこなわれました。 1日目は、好天に恵まれ、スキー指導者の熱心な指導のもと初心者向けのコースを青年委員会のメンバーらと一緒に滑りました。真剣で楽しいスキー教室でした。初めてスキーを履く留学生もリフトに乗って積極的にゲレンデを転びながらも滑れるようになりました。アフタースキーは温泉につかって汗を流した後、夜の懇親交流会。女性委員会の謡曲と日本舞踊に始まり、豪華景品つきのじゃんけんゲーム、留学生の自慢の歌、全員参加の炭坑節や体全体を使っての踊りなど名司会のリードで大いに盛り上がりました。交流会には地元山ノ内町の中山茂樹町長や留学生にスキー用具を無償提供していただいたスワロースキー(株)の丸山哲三会長、西堀正司県日中理事長らも出席して激励してくれました。2日目は、小雪の舞う中でしたが、転ぶ回数もぐっと減り、胸に日中友好のゼッケンをつけスキーに熱中する留学生の姿が印象的でした。お昼は女性委員会の皆さんの手作りの豚汁とおにぎりを味わいました。閉会式では「先生の指導でスキーもうまくなり本当に楽しかったです」とは留学生代表の感謝のあいさつでした。中国の大晦日と春節にあたった2日間を楽しく有意義に過ごすことができました。 |
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臼田日中・「春節をともに祝う会」開催 中国のお正月「春節」をお祝いして、臼田日中友好協会(井出正一会長)は、2月11日、佐久市臼田の総合福祉センターあいとぴあにおいて、恒例の「春節をともに祝う会」を開きました。臼田日中友好協会の役員・会員、日本語教室の関係者、佐久在住の帰国者や中国からの花嫁さんら70名が参加しました。 井出会長は、日中関係が好転してきている中で、帰国者の皆さんにとって良い一年になることを祈念しながら、政府の帰国者援護の特別措置を早急に実現するように訴えました。帰国者お手製のおいしい中国料理と水餃子をいただきながら交流会が和やかにおこなわれました。日本語教室で学ぶ皆さんで「故郷」、「北国の春」を合唱、頭を使ったクイズゲーム、みんなで楽しむビンゴゲーム、のど自慢など楽しい3時間でした。 |
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2007年、日中友好新春女性のつどい 長野県日中友好協会女性委員会(村山ひとみ委員長)は、2月5日ホテル信濃路において、恒例の「日中友好新春女性のつどい」を開きました。 第1部として満州開拓団に加わり中国に残留、1994年に帰国した唐澤寿美さん(81)=下伊那郡高森町=を招き、約70人が体験談に聞き入りました。唐澤さんは「長春の収容所で発疹チフスにかかり収容所を出て、死の寸前中国の婦人に救われ一命を取り留めた」などと敗戦後の逃避行の体験を説明。また望郷の念に駆られながらも身元引き受け人がいないため帰国できなかった頃の辛さを語り、「このような悲惨な体験を繰り返さないためにも戦争は二度と起こしてはいけない」と訴えました。参加者は、平和と友好の大切さを心に刻むことができたと唐澤さんに心からの感謝の拍手を送りました。 第2部の新春交流会では、芸達者な女性委員会の皆さんから踊りや歌が次々と披露され、またビンゴゲーム・ヤンコー踊りなど楽しい交流がおこなわれ一年の友好のエネルギーを大いに感じさせる楽しい会となりました。 |
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中国帰国者招き旧正月「春節」祝う、長野で150人交流深める 帰国者の皆さんに日本の正月と中国の「春節」を楽しんでもらおうと始めて、今年は21回目。開宴前にはロビーで2つの臼で餅つきがおこなわれ、子供たちや青年たちは大張り切り。各テーブルの上には女性委員会メンバーが腕を振るった水餃子とお餅・おでんなどが所狭しと並び日中両方のやり方で春節を祝いました。 長野市古里の子供たちが太鼓や獅子舞を披露すると、その迫力に大きな拍手がおこりました。また帰国者も和太鼓を一緒に演奏するなど交流もできました。女性同好グループのハワイヤンにも歓声が上がりました。BINGOゲームでは、多くの皆さんから寄せやれた景品が次々と配られました。最後に、中国のヤンコー踊りを踊って会場全体が「春節」ムード一色となりました。 「餅つきや太鼓、獅子舞など大変楽しかった、と喜んでいただき苦労の甲斐がありました」とは女性委員長の感想でした。 |
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満蒙開拓平和記念館を長野県飯田に (参考) 飯田下伊那地方はかつて全国一の満蒙開拓団を送出しました。郡下の最も多い町村では全人口の20%もの(郡平均でも実に8%)満州移民が送出されていきました。全国平均では、人口比0.4%であるのに対して実に20倍もの送出率です。
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上田日中友好協会が創立50周年の祝賀会 成沢捨也会長は「首相が代わり、日中の関係は正常な姿になりつつある。創立50周年の節目を迎え、これからも両国の友好平和の前進のために全力を尽くしたい」とあいさつしました。 同協会は、日中友好協会上小支部として1955年に活動を開始、翌年9月の県支部連合会の結成に当初から加わりました。95年に上田市と寧波市が友好交流都市を締結して以来、民間レベルの交流を担い、上田市から寧波市へは計21回、490人が訪問。寧波市からは計20回、137人が上田市を訪れています。 |
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日中の民間交流さらにー県協会が恒例の新春座談会と新年会 長野県日中友好協会は1月18日、恒例の日中友好新春座談会と新年会を長野市内のホテルサンパルテ山王で開きました。座談会には会員110名が出席して、日ごろの活動を踏まえた新年の抱負を語り合いました。 井出正一会長は、昨年秋、安倍首相が就任直後に訪中したことを挙げ、「新しい関係の道に踏み出したことは喜ばしい。今後、両国首脳の頻繁な交流とともに、協会も民間交流を促進し、相互信頼を強化するために頑張りたい」と抱負を述べました。さらに、中国残留孤児が全国15地裁に提訴した国家賠償訴訟のうち東京地裁の判決が1月30日に出されることに触れ、「残留孤児は国策で生じたもので国の責任は重い。問題解決に安倍首相の決断を期待したい」と話しました。 来賓で出席した中国大使館の喬倫・二等書記官は県協会が50年にわたって民間交流に努めてきたことを評価し、ハイレベルの交流とともに国民同士の交流を促進していくことの重要性を指摘し、日中文化スポーツ交流年を迎え協会の活躍に期待しました。さらに「日中間の往復貿易額は2000億ドルを突破し、4月には温家方宝総理の訪日も予定されている。中国は調和の取れた発展と世界を目標にしている。日本と手を携えて目指したい」と語りました。 来賓を代表して小宮山英明・県国際課長、佐野功武県議会副議長、吉田博美・羽田雄一郎良参議院議員らが激励の祝辞を述べました。また小坂憲次・羽田孜代議士(代)、若林正俊・北沢俊美参議院議員(代)、小林実・県議会日中友好促進議員連盟会長をはじめ森田恒雄・村石正郎・倉田竜彦・柳田清二・宮沢敏文・竹内久幸・西沢正隆・島田基正・今井正子・高見沢敏光の各県議が出席し紹介されました。近藤光・連合長野会長の音頭で乾杯し懇親・懇談が和やかに繰り広げられました。 そのほかの来賓として轟正満・長野市議会議長ら7名の市議会議員、宮本経祥・信濃教育会長、湯原康・県信用保証協会長、竹之内健次・部落解放同盟県連委員長、大矢栄一・県中小企業団体中央会参事、市川浩史・JA中央会考査役、池田良一・県鍼灸師会長らが出席しました。 会では、飯田日中友好協会役員が、飯田下伊那地方で目指している「満蒙開拓平和記念館」建設への協力を呼びかけました。 |
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河北省農林科学院視察研修団が来県 長野県と友好提携している中国河北省の農林科学院の研究者ら9人が県内農業の視察に訪れ、1月9日県農政部を表敬訪問しました。減農薬・減化学肥料 |
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明けましておめでとうございます。 さて、今年は日中国交正常化35周年になります。5年余り「政冷」の状況にあった両国首脳関係も、昨年10月の安倍新首相の就任直後の訪中、中国側の異例ともいえる厚遇のなかで「戦略的互恵関係の構築」を謳った「共同プレス発表」によって改善への一歩が大きく踏み出されたことは欣ばしい限りであります。昨年11月全国都道府県日中友好協会会長訪中団の一員として訪中、人民大会堂での曽慶紅国家副主席との会見の際、曽氏も日本側の野中広務名誉顧問も異口同音に1ヶ月前の両国首脳会談の結果に「ホッとした」と発言されたのが印象的でした。 35周年を迎えた今年は、中国側首相の訪日もありましょうし、人的経済的交流も一段と活発になりましょう。(社)日中友好協会としましても青少年の交流、相互理解の一環として日中友好都市小学生卓球交歓大会、高校生のホームステイを伴う相互交流を計画しておりますが、県日中としても全面的に協力をしたいと考えております。 新年おめでとうございます。 ここ数年間の「政冷経熱」の状況を一日も早く終わらせ本来の友好の道を進む事が出来るよう力を結集した一年でした。小泉内閣から安倍内閣へと変化する中で新首相は最初の外国訪問国として中国を選びました。これは日本の国益をふまえて我々の安全保障と極東の安全保障を考える中で当然の事であります。あまりにも国益を無視し、戦略性のない小泉内閣は退陣し、安倍新外交は、順調なスタートを切ったといえるでしょう。 さて、新しい年本年は、日中国交正常化35周年の節目の年です。 最後に年始にあたり皆様の御健康と御多幸をお祈りして新年のあいさつといたします。 |
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ことしが良い年でありますよう、心から祈願しております。 日中首脳会談が昨年まで5年間も開かれないという、異常が続きました。これを少しでも打開しようと、昨年3月には橋本龍太郎元首相をはじめとする日中友好7団体一行が訪中したことがあります。日中関係を改善しようと、橋本元首相は情熱を傾けましたが、残念ながら病魔に倒れました。 日中関係は、経済交流面では、双方のどちらが退いても世界経済に悪い影響が出るといった状況です。しかし、日中関係は、政冷経熱といわれていたように、これも限界線上にありました。日中韓の行き詰まりには、米国も懸念を示し始めました。この状況は日中国交正常化以来の悪い環境であるといわれました。 そこに新しく9月末に安倍晋三首相が選出されました。一般的には、日中関係は希望と不安が相半ばの雰囲気でした。マスコミの論調も同様な状勢と分析しておりました。 その中を、安倍首相は突然、電撃的に訪中と訪韓を実現させました。思いもよらなかった行動に驚きましたが、訪中と訪韓は大きな成果を上げました。しかも、北朝鮮の核実験が突如として行われました。これに対し、天の声としての安倍首相の行動に高い政治的評価が与えられたようです。5年間の空白を埋めるような感じを国内外に与えたのではないでしょうか。 訪中の実現に関しては、日中両国の水面下の努力が想像されますが、アジアにとっても良いタイミングであったと、ほっとした気持ちを持ったのは確かです。 世界の平和のためにも、中国や韓国の首脳交流は必要です。これを機に、さらなる各方面の交流を持つことが求められています。 とくに、次世代を担う若者の交流が求められています。中学、高校、大学と相互訪問を実施していますが、在るがままの日本の姿に、また中国の人々にお互いに接することが将来の日中関係に繋がると思います。 新年にあたり、夢が実現するよう願っています。 |
中国帰国者援護充実に関する請願書を県議会が採択 長野県議会(萩原清議長)は12月25日、本会議において長野県日中友好協会(井出 正一会長)から提出されていた「中国帰国者援護充実に関する請願書」を全会一致で採択しました。その全文は以下の通りです。 帰国者一世は高齢化に伴い、少ない年金や言葉・生活習慣の相違、健康不安など多くの困難を抱えております。また、二・三世についても就労が困難など地域社会からの孤立に起因する問題が指摘されています。 神戸地裁は12月1日の帰国者訴訟の判決で、国の責任を認める判決を下し、改めて国の帰国者支援対策強化の必要性を世に示しました。 2003年10月2日県議会では当協会が請願した「中国帰国者援護充実に関する請願書」を採択いただき、それを受けて長野県は2004年4月から帰国者一世への月3万円の支援金支給を実施し、帰国者から感謝されております。しかしこの問題は本来国の責任において実施すべきことであり、高齢化の著しい中、帰国者援護施策の一層の強化が強く望まれるところであります。 本年春には、与党中国残留邦人支援に関するプロジェクトチームによる月額13万円支給などを骨子とした「帰国者老齢給付金」制度の創設構想が報ぜられました。これに対し大きな期待が寄せられていますが、いまだ実現に至っておりません。 2.高齢化の著しい帰国者一世ならびに二・三世世帯に対して、引き続き地域での支援活動が必要であり、その拠点としての「中国帰国者支援・交流センター」を全国で3番目に多い帰国者が暮らす長野県に是非開設していただきたい。 |
帰国者援護の充実を知事・議会に要請 12月12日、井出正一会長をはじめ県協会帰国者留学生委員会役員など12名が村井仁知事に面会し、中国帰国者援護の充実を国に働 |