天空列車でチベットへ
                           布施 正幸 (長野県日中友好協会事務局長)

7月10日から15日の日程で「鉄道で行くチベットの旅・長野県日中友好協会訪中団」(団長/井出正一会長一行40人)に同行して、チベットを訪れた。

昨年7月、青海省の西寧からチベットのラサまでの全区間が開通し、特にゴルムドからは世界最高地点を走る天空列車として注目を集めているコースだ。当団は、高地順応や切符の手配などの関係もあって、北京から丸2日間列車の中で過ごす大陸横断型の旅程を選択した。受け入れ案内は中日友好協会。全線随行していただいたのは東京の中国大使館友好交流部勤務のとき以来親しくお付き合いいただいている郭寧さんだった。北京空港に、国際旅行社の張さんとともににこやかな笑顔で出迎えていただいた。

北京西駅から21:30発のT27列車に乗り込む。軟臥車(グリーン寝台)はコンパートメント4人部屋(1車輌32人)、硬臥車はオープン式6人部屋(1車輌60人)いずれの車輌も満席であった。三分の二はやむなく硬臥車となり、1号車の1〜16番(各上中下)へ。トランクを棚や足元に押し込むと、比較的すっきりと3人がけの対面空間ができる。6号車のグリーン寝台はゆったりした空間でベット幅も広く快適だ。差額の8600円払い戻しでは、ちょっと割りに合わない感じだ、などと思いつつも、一昼夜あけて、窓の外を眺めながらワイワイがやがやとひざ突き合わせて会話を楽しんでいるうちに、わが根城に愛着がわいてくるから不思議だ。7号車は食堂車で44名の席があるのでちょうどわれわれのためにあつらえたようだ。朝飯は万頭、おかゆに漬物といった簡単な内容で、昼と夜は中華料理4品にご飯とスープといったところ。ビールも注文できる。

北京を出て西安翌朝8:36、更に蘭州15:06、西寧には18:14に到着。すでに9両編成の客車を牽引する機関車は各鉄路局ごとに接続替えが行われてきたが、ここからはディーゼル機関車。西寧は青海省の省都で海抜2800m。ここから先はいわゆる高地に入る。気圧調整のできる密閉型車両が威力を発揮することになる。酸素の吸入口がベットごとに取り付けられているのも頼もしい。青海湖のほとりを通過するのは夜中だが、若干の寝苦しさを感じるのは4000m級の高地に入ったサインのようだ。平地の8割の酸素濃度にもなれるころ、早朝ゴルムドにつく。1時間30分遅れで7:00、実質時差2時間にもなるこの場所も夜が明けていく。農耕地帯とは様変わりした車窓の景色に釘づけになる。機関車はここで最新鋭のディーゼル機関車が接続され名実ともに天空列車となる。ここからラサまでの1142kmを15時間かけて走る。トンネルを抜け崑崙山脈を縦断していくと、国家自然保護区に指定されているココシリがある。モンゴル語で美しい少女を意味するこの地は海抜4500m以上あり、総面積は4.5万km2で多くの河川が交錯して流れ独特な景観を作り出している。チベットカモシカや野生のヤク、チベットノロバ、ユキヒョウ、ヒグマなどの希少動物が生息しているという。線路が動物の行き来を妨げないように立体交差の獣道が一定の間隔で作られ、また線路に飛び込んでこないように延々と柵が施されている。草原というよりコケに覆われたなだらかな愛すべき風景が続く。列車は永久凍土地帯に入っているのだ。このようなところに鉄道を建設するのは多くの困難が伴ったという。高山病対策は言うにおよばず、盛り土や陸上大橋、熱棒処理といった工夫で永久凍土の問題を解決したという。風火山トンネル4905mを過ぎていくと、長江の源流であるトト河に差し掛かる。6621mのグラタンドンを主峰とするタングラ山脈からの流れだという。やがて、息苦しさを感じながら世界最高峰の列車の駅、タングラ駅を通過する。実に海抜5068m。峠を越した安堵感が団員のみんなの顔に浮かぶ。後は、アムド、ナチュを過ぎて、ラサを目指すのみだ。列車はいつの間にか1時間30分の遅れを取り戻し、ラサに定刻の20:58に到着した。まだ十分明るい。車内に設置されている電光掲示板の列車速度は平均で時速95kmであった。天空列車はたくましく役割を発揮していたのだ。

ラサの駅頭には、チベット族のガイドの色珍(セジュン)さんらが出迎えてくれた。チベット大学で日本語を学んだ明るい女性でてきぱきとした説明振りと行き届いた心配りは団員に好評だった。ここは富士山頂とほぼ同じ3650m、皆、ゆっくリズムで行きましょうと声を掛け合いながら、バス二台に乗り込む。平地の7割の酸素濃度しかないという。雲の上を歩くような感覚だ。

ラサの夜明けを待って、ラサの観光がスタートする。昨日の最高気温27度。今朝の温度は10度、ジャンバーを1枚余計に羽織ってちょうどいい。まずは、ポタラ宮参観に出発だ。世界遺産に登録されるにふさわしい威容を誇るこの建物は、ラサの中心の小高い丘の上に俊立している。かつて政治と宗教の中心であった。呼吸を整えながらゆっくりと上り坂をのっぼって行く。最初の建物群は白い宮殿と呼ばれ、ダライ・ラマ5世が築いたという政務を執るところだ。極彩色のチベット文様は強烈な印象を与える。さらに赤い宮殿と呼ばれる宗教の領域に足を踏み入れると、そこは、チッベット仏教の深遠さを象徴する世界で背筋をぞっくとさせる。ヤクのバターの灯明に照らし出される歴代ダライ・ラマを祀る仏塔や20万体を超える仏像、極彩色の曼荼羅は想像を絶する世界だ。侘び寂びの世界を連想させる日本の仏教とは趣を大きく異にする。息詰まる空間から抜け出し深呼吸しながら、外気を思い切り吸って下界を眺めた。吐蕃(トバン)王国建国以来唐朝、宋、元、明、清の歴代王朝とあるいは戦いあるいは交わり、臣属しながら自らの文化を育み守ってきたこの民族は今、変化の真っ只中に置かれている、中国全体がそうであるように。

ポタラ宮を降りて平地に戻ると、そこは巡礼のチベット族の人々と、観光客が入り乱れる現在のチベットがあった。街には自動車があふれている。チベット族の服装も思っていたより多様で、男女・老若・既婚と未婚・季節・地域差・おしゃれ度(現代化の波が押し寄せてのファッション性)などの要素が複雑に絡まり千差万別の状況になってきているようだ。五体投地の場面も見たが、服や体を傷つけないプロテクトをしていたりして、かつて映像で見た、徹底した信仰者の行為とは趣をことにしていた。チベット仏教の中心といわれる大昭寺(ジョカン寺)には唐の文成公主がソンツェン・ガンポ王に嫁いだとき持参した釈迦牟尼像が本尊として祀られていた。この寺を取り囲むように八角街(バルコル)がある。ここはラサ一番の繁華街で仏画や仏具、雑貨や食料品、民族服やじゅうたんなどを売る店が軒を連ね、人々でごった返していた。

この日チッベット自治区政治協商会議副主席のローサンジャンソン(洛桑江村)氏と会見し、続いて歓迎宴にお招きいただいた。(社)日中友好協会本部理事の佐藤洋一氏のご配慮によるもので、チベットの指導者のお話を直接お聞きすることのできる得がたい機会となった。氏は日本との交流の経過や同じ高地にすむ者同士の親しみを語った後、「チベットは前世紀の前半までは政教一致の農奴制の閉鎖社会であったが、50年来中央政府の指導のもと、チベット自治区として豊かになる道を歩んできた。チベットの伝統を発揮し地球上で最後の汚染されていないこの地を守り発展させて行きたい。ラサは高原の古城で1300年の歴史があり、古くて新しい都市といえる。友人にチベットの様子をお伝え願いたい。一衣帯水の中日両国は手を携えて行きましょう」などと語った。井出会長も、熱烈な歓迎に感謝した後、「チベットは桃源郷として遠い存在であったが、青蔵鉄道が開通しこの地を訪れることができた。歴史と現代が混在するチベットの姿に感銘を受けた。長野県にも是非お越しください」と語った。歓迎宴では、チッベット民謡と踊りなどで歓迎いただき、われわれも、「ふるさと」や「北国の春」「琵琶湖周航の歌」などを合唱してこれに応えた。「琵琶湖周航の歌」はローサン氏がかつて来日したときおぼえた愛唱歌とおききした。

 ラサ3日目は、ノルブリンカ(ダライラマの夏の離宮)とチッベット博物館を参観した。チベットの歩んだ歴史や風俗を知るのに大いに参考になった。

        (2007.7記)