2006.1月〜12月

<年頭所感>
 県協会創立50周年の年にあたって

           長野県日中友好協会会長 井出 正一

 新しい年をご健勝でお迎えになられたことをお慶び申し上げます。併せて昨年もそれぞれの立場で日中友好のために活動くださった皆様に心から敬意を表するとともに、当協会へのご協力に感謝申し上げます。

 戦後60周年という節目の年であった昨年ですが、こと日中関係、とくに政府間関係は、国交正常化以後最悪の状況でありました。

 その核心は小泉総理の「靖国参拝」にあるのは明らかですが、信念というより”○○につける薬はない”感すらします。田中明彦東大教授は『読売』(H17.11.26)の”論壇思潮”で「外交も民営化するつもり?」と題し、皮肉をまじえながら「日中関係や日韓関係の悪化を何とかしなければ、国民に不利益が生ずるのもまた事実である。首相が首脳レベルの外交ができず、外相がたいしたこともできないのであれば、国民自らが何とかするしか仕方がないのであろう」と、企業が全力を尽くして友好的な市場を維持する努力、大学や学術機関が優秀な留学生を招くなど学術交流を深化させる必要、友好都市などを結んでいる地方自治体の草の根レベルでの交流の進展を提言されています。

 その意味で、昨年4月長野市に、中国及び日本全国から400名の代表が集まり、私たち長野県日中友好協会も共催して開催された第10回日中友好交流会議は、ちょうど中国で「反日デモ」が発生していた最中でしたが、それだけに時宜に叶った意義深い交流の機会でありました。

 さて今年は、わが長野県日中友好協会が創立されて50周年を迎えます。過般の侵略戦争の反省を踏まえ、日中不再戦・平和友好の決意のもと、多くの先輩方が友好活動に参加し、細い険しい道を大きく拡げてきました。いまや全国でもっとも会員数の多い、活発な事業を展開しているわが協会であります。

 50年前といえば、『経済白書』が有名な「もはや戦後ではない」と宣言した年です。にもかかわらず日本政府は、新中国が成立して7年も経つのに国交を樹立するにいたっておりませんでした。友好促進の道の困難さは、現在の比ではなかったはずです。先輩諸氏の友好への熱き思いを受け継ぎ発展させていく責任と使命が私たちにはあります。

 諸々の記念事業が計画されておりますが、長野県日中らしい、そして次なる50年に向かってのステップとなるような事業に、みんなで力を合わせてしたいものです。(06.1/1)

友好信頼関係の再構築・発展を目指そう

長野県日中友好協会理事長 西堀 正司

 新年おめでとうございます。旧年中は役員会員の皆様、関係の皆様には何かとご支援をいただきました。心よりお礼申し上げます。

 昨年は戦後60年でした。第10回日中友好交流会議が4月長野市において開催され成功のうちに終わりました。会議には中国から宋健・中日友好協会会長、日本側は村山富市・協会名誉顧問(元総理)など日中双方から400名が参加し、厳しい日中の政治環境を解決して前進させるため民間団体として何ができるかを討論しました。

 日中関係は経済交流、文化交流が大きく発展している中で、小泉総理の5回にもなるA級戦犯合祀の靖国神社参拝の影響によって必要な政治対話や両国首脳交流も中断しています。「政冷経熱」から「政冷経冷」さえ予想させるような事態になりつつあります。日本国内の違憲判決や批判とともに、中国・韓国やアジア各国の不信もつのり、日本政府の外交は、ほとんど成果を上げることができず失敗に終わっています。

 歴史と伝統を持つわれわれの日中友好運動は、県協会創立50周年の節目を迎えます。全国組織が1950年に創立されて6年後の1956年に県協会組織が誕生しました。旧満州開拓団送出日本一という負の遺産を日中不再戦・平和友好の硬い決意のもとプラスに転換するために、戦中県内に強制連行された中国人殉難者の慰霊事業に取り組む中から、県民の期待を集めての出発でした。

 創立以来、協会は日中国交正常化を目指し民間友好運動を発展させてきました。紆余曲折はありましたが、そのつど日中友好を望む多くの県民の皆さんに支えられて、困難を克服し友好活動は継続され発展してきました。

 1972年日中国交正常化が実現し、新しい歴史の一頁が開かれました。更に78年日中平和友好条約の締結と同時期に中国も「改革開放」へと舵を切りました。中国はこれを機に大きく変化し、それは経済・文化・国民生活全般に及びました。日中関係も更に大きく発展する基盤ができました。

 県協会の運動も客観情勢の変化に合わせて「官民あげての友好運動」へと転換しました。新しい条件のもとで日中友好運動は生き生きとした発展の道を歩み、県民ぐるみ市町村ぐるみの運動へと発展しました。県民の翼、友好都市提携、青年の船、スキー交流、留学生ホームステイ、長野オリンピックに中国友人を招く取り組み、希望小学校や緑化協力など枚挙にいとまがありません。

現在の課題は、日中両国民間の友好信頼関係の再構築に努め新たな発展を目指すこと、および後継世代を養成して、日本にとって重要な意義を持つ日中友好事業をしっかりと続けられるようにしていくことです。戦前・戦中・戦後と様々な体験を持つ高・壮年会員の皆様の経験を若い会員に語り継ぐ事業は大切であり、新会員を拡大し、組織強化に結びつけたいと思っています。県協会創立50周年記念事業を成功させ、日中友好が発展できますよう皆様ともどもに頑張りたいと思います。(06.1/1)

 新年のご挨拶

              (社)日中友好協会会長 平山 郁夫

(社)日中友好協会会長
平山 郁夫
 新年明けましておめでとうございます。日中関係はすでに丸4年にわたり首脳訪問が実現せず、膠着した外交関係は出口を見いだせない状況です。私は昨年11月、協会代表団団長として全国政治協商会議の賈慶林主席と会談しました。賈主席は、このままでは現在の「政冷経熱」は「政冷経冷」になりかねないとの懸念を表明されましたが、私も同様の心配を持っています。

 しかし、そうした困難を乗り越えていこうとする民間交流の新しい動きも力強く胎動しています。戦後60年にあたった昨年9月、南京城壁保存修復協力の日中共同事業10周年記念行事が南京市で盛大に行われ、私も全国各地の230人の会員の皆さんと一緒に参加して、南京の地で両国の平和と友好を誓い合いました。

 さらに、私は12月に韓国のソウルを訪問しました。私のほかに、中国から劉徳有・元文化省次官と韓国から韓日文化交流会議の金容雲座長ら日中韓3カ国の代表者が集い、3国間の文化交流を通じて国民同士の相互理解を促進することを趣旨とする「日中韓文化交流フォーラム」を正式に発足させました。これは2000年におよぶ3国交流史上で初めてのことであり、この地域の平和と安定にも大きな意義のあることです。北東アジア地域に3国間文化交流のプラットフォームが誕生したことは、日中2国間の民間交流にも新しい息吹と活力をもたらすに違いありません。

 来年は日中国交正常化35周年、再来年は日中平和友好条約締結30周年と北京オリンピック開催、4年後の2010年には上海万博開催と、大きな節目の年やビッグイベントが続きます。先頃の訪中では、故・胡耀邦総書記の招待で1984年に行われた3000人の日中青年大交流を再び実現させようということも日中双方の間で話し合われました。(社)日中友好協会は将来に目を向けて、日中民間交流と両国関係の新たな前進をはかるために、各界各層の人々と協力して、具体的な準備を着実に進めていきたいと願っています。

 新年が皆さまにとり幸多い年でありますようお祈り申し上げます。(06.1/1)
河北省建設視察団来県(1/12〜15)

 長野県と友好提携している中国河北省から省建設視察団(焦計民・河北省建設庁副庁長一行4名)が1月12日から15日長野県を視察のため訪れた。
 諏訪市で山田勝文市長を表敬し、担当者と諏訪市日中友好協会役員らの案内で温泉市街地の整備状況を視察。長野市では、原悟志県土木部長を表敬懇談した後、長野市まちずくり推進課の丸山文昭課長から善光寺を中心にした中心市街地の変化の過程と現状・課題などの説明を受け、続いて再開発の現場を参観した。また白馬村のスキー場開発と道路網整備などの状況も視察した。一行は諏訪と長野で友好協会関係者の歓迎会に出席し友情を深めた。焦団長は有意義な視察ができたと大変喜んでいた。
日中友好新春座談会と新年会170名が参加して開催−県協会創立50周年に向けて友好発展を誓う(1/18)

 長野県日中友好協会は1月18日、恒例の日中友好新春座談会と新年会を長野市内のホテル・サンパルテ山王で開きました。
 新春座談会には、県内23地区協会代表ら120名が出席し、2006年の友好の抱負を語り合いました。新年会には中国大使館の蔡紅一等書記官はじめ各界来賓のご臨席をいただき、170名の出席のもと盛会裏に開催されました。小泉首相の靖国神社参拝で日中関係が悪化している中、9月に長野県日中友好協会は創立50周年を迎えます。出席者一同、「日中の友好関係を民間から再構築し友好関係を深めていこう」と気持ちを新たにしました。
 新春座談会では、靖国問題を解決し、相互信頼関係を築くことの大切さが熱心に議論され、具体的交流の抱負が語られました。
 新年会で、井出正一会長は「日中関係が良い方向に向かうよう草の根の交流が大切になる。50年前は日中国交正常化前で、協会創立にも苦労が多かったはず。当時の先輩方の思いを継いで友好促進に努めて行きたい」とあいさつしました。
 蔡一等書記官は小泉首相の靖国神社参拝や「中国脅威論」を批判し、「本年は日中関係にとってきわめて大切な年。経済や人的交流が良好でも、政治がギクシャクし続ければ影響は大きい。第2の国交正常化のような気概で進まねばと思う。民間団体に大きな期待がかかっている。長野県日中のの皆さんの活躍に期待します」とのべました。
 出席者は和やかに交流し、日中友好の大切さを再確認して、友好促進に向けて努力することを誓いあいました。また、青木弘県国際課長、小坂憲次(代)・羽田孜(代)両代議士、若林正俊(代)・吉田博美(代)・羽田雄一郎(代)各参議院議員、佐野功武・村石正郎・竹内久幸・今井正子・木内均各県議、中沢一坂城町長らから激励の祝辞をいただきました。来賓として、清水勇・山口わか子元代議士、塚田佐元長野市長・有賀正元松本市長・轟正満長野市議会議長、牛越充信濃教育会会長・春原直美県国際交流推進協会・待井重保県商工会連合会専務・岡村重信県経営者協会事務局長・増山清県中小企業団体連合会総務課長・西川勝県信用保証協会総務課長・岡沢賢朗全農県本部管理部長・高山浩一JA長野中央会営農農政部課長・竹澤昭彦連合長野事務局長・高橋康雄部落解放同盟県連副委員長・田中松本歯科大専務・穂苅甲子男信州ころ島友の会会長など関係友好団体、企業の代表などの出席をいただいたほか祝電が多数寄せられました。

 ◎県協会は50周年記念事業として、「友好の歩みV」の発刊、記念祝賀会と友好の翼の派遣、内蒙古雑技団県内公演、満蒙開拓団の絵画展と語り部の集いなどを予定しています。

「靖国」なぜ意地張る
岡谷市日中、野中広務氏招き講演会(1/21)

  「国益を害してまで、なぜ意地を張らなければいけないのか」。日中友好協会名誉顧問の野中広務氏は1月21日、岡谷市日中友好協会が市国際交流協会と共催で岡谷市内で開いた講演で、小泉首相の靖国神社参拝を批判した。
 昨年10月に中国東北部を訪れ、旧日本軍が遺棄した化学兵器で被害を受けた住民に会って「戦争の傷は癒えていない」と実感。「中国や韓国と勇ましく渡り合えば国民が拍手喝采すると錯覚している、歴史的な裏づけのない政治家が勢力を増している」と憂えた。
 当日は会場に入りきれないほどの盛況で、270名が、野中氏の熱弁に耳を傾けた。

「単騎、千里を走る」好評上映中!(1/28〜3/3)
日中友好協会で特別鑑賞券扱っています−

 中国映画界の巨匠、張芸謀監督の新作「単騎、千里を走る。」が、1月28日より日本全国公開中。主演は中国で最も名前を知られた日本人の一人、高倉健。世界遺産に指定されている雲南省麗江市の「麗江古城」と呼ばれる旧市街地の素朴な街並みを舞台に、高倉健の演じる主人公・高田は、長年疎遠になっていた息子の命が残りわずかだと知り、息子の悲願であった「三国志」の関羽にまつわる仮面劇「単騎、千里を走る。」の撮影を成し遂げようと、単身中国へ旅立ちます。かの地で多くの出会い、多くの想いに接するにつれ息子へのわだかまりが次第に溶け、そして男の誠実な想いが人々の心を動かしていくという、心温まる物語です。
 
長野県日中友好協会では本作の特別鑑賞券を取り扱っております。ぜひ劇場でこの名作をご覧ください。
期間:1月28日(土)より3月3日まで(予定)。長野県内では長野東宝中劇(026-234-2125)、松本エンギ座(0263-32-0396)、佐久Amシネマ(0267-66-1622)、岡谷スカラ座(0266-22-2773)にて上映。
そのほかでも上映される予定がありますので最寄の映画館にお問い合わせください。
料金:特別鑑賞券1,300円(当日一般1,800円) ※送料別途
申込方法:長野県日中友好協会まで、@ご氏名、A送付先住所、B電話番号、C枚数、の4項目をご連絡ください。ご注文受付後、鑑賞券と郵便振込用紙、映画チラシを郵送します。ご注文は電話(026−224−6517)fax(026−224−6518)、e-mailにて承ります。
問い合わせ・申込:長野県日中友好協会jcfan@mx1.avis.ne.jp
◎作品公式HP:http://www.tanki-senri.com/

◎千里走単騎(単騎、千里を走る)の魅力
◎日中友好映画の夕べで張芸謀監督の『単騎、千里を走る』(高倉健主演)が上映
王大使、奥田経団連会長が祝辞、信頼関係築く努力を求める

臼田日中・「春節をともに祝う会」開催(2/5)

  中国のお正月「春節」をお祝いして、臼田日中友好協会(井出正一会長)は、2月5日、佐久市臼田の総合福祉センターあいとぴあにおいて、恒例の「春節をともに祝う会」を開きました。
 臼田日中友好協会の役員・会員、日本語教室の関係者、佐久在住の帰国者や中国からの花嫁さんら120名が参加しました。帰国者お手製のおいしい中国料理と水餃子をいただきながら交流会。日本語教室の先生と生徒さんが準備に運営に大活躍。二胡の合奏、こんなに違う中国語と日本語クイズ、合唱、ビンゴゲーム、のど自慢、ヤンコー踊りなどなど楽しい3時間でした。

「春節」祝い、日中友好新春もちつき大会(2/5)

 長野市日中友好協会女性委員会は2月5日、長野市更北公民館で春節を祝う日中友好新春もちつき大会を開きました。中国帰国者やその家族、企業の中国人研修生など約100人が参加しました。
 帰国者らは初めにもちつきを体験。用意されたギョーザやおでんを味わいながら、ハワイアンダンスや三線(さんしん)の演奏を楽しみ、最後に全員で輪になって、中国のヤンコー踊りで賑やかに締めくくりました。来日して19年になる帰国2世の寺嶋伸一さん(59)は「毎年本当に楽しい」と笑顔で語りました。
 持ちつき大会は、女性委員会ができた20年前から続いています。西沢よしえ委員長は「帰国者との交流のいい機会になっている」と話していました。

2006年、日中友好新春女性のつどい(2/11)
 長野県日中友好協会女性委員会(清水えい子委員長)は、2月11日ホテル信濃路において、恒例の「日中友好新春女性のつどい」を開きました。第1部として満州開拓団に加わり中国に残留、1999年に帰国した相沢千代子さん=下伊那郡阿智村=を招き、約70人が体験を聞きました。相沢さんは「水たまりの泥水を飲んで生き延びた」などと敗戦後の逃避行の体験を説明。衰弱した子どもを母親たちが川に投げ捨てる悲劇を目撃したといい、「戦争は二度と起こしてはいけない」と涙ながらに訴えました。
 続いて各地から参加した中国からの8名の花嫁さんが紹介されました。三線の友情出演、ビンゴゲーム・ヤンコー踊りなど楽しい有意義な交流がおこなわれ盛り上がりました。 
 
中国帰国者の皆さん飯山雪祭りを見学、飯山市日中の皆さんと交流(2/12)
 飯山市の雪祭りにあわせて、飯山市日中では毎年中国帰国者を招待して交流会を開いています。2月12日、帰国者15名が招待されました。豪雪に見舞われている市内でしたが、見事な雪像に感心しながら参観した後、交流昼食会が和やかにもたれました。
 須坂市日中友好協会が新年会開催


 須坂市日中友好協会(三木正夫会長)は2月17日須坂市迎賓館で新年会を開きました。新年会には三木会長(市長)はじめ、村石・永井両県議ならびに県協会などの来賓と会の役員会員などが出席して和やかに交流が進みました
第29回日中友好スキー交流会
Ski and Friendship in 志賀高原・木戸池


 長野県日中友好協会青年委員会と女性委員会主催の第29回日中友好スキー交流会が2月18・19日、志賀高原・木戸池スキー場でおこなわれました。中国留学生41名を招き、総勢102名が参加してスキー教室・交流会など有意義な2日間を過ごしました。
 春スキーのような天候に恵まれ、スキー指導者の熱心な指導のもと初心者向けのコースを青年委員会のメンバーらと一緒にワイワイと楽しい歓声をあげながらのスキー教室でした。初めてスキーを履く留学生も1日目からリフトに乗って積極的にゲレンデを転びながらも滑れるようになりました。アフタースキーは温泉につかって汗を流した後、夜の懇親交流会では三味線の友情演奏に続いて、留学生の自慢の合唱、女性委員会のフラダンス、などなど名司会のリードで大いに盛り上がりました。交流会には地元山ノ内町の中山茂樹町長や留学生にスキー用具を無償提供していただいたスワロースキー(株)の丸山哲三会長、西堀正司県日中理事長らも出席して激励してくれました。2日目は、転ぶ回数もぐっと減り、胸に日中友好のゼッケンをつけスキーを楽しむ留学生の姿がゲレンデを覆いました。お昼は女性委員会の皆さんの手作りのきのこ汁とおにぎりを味わいました。閉会式では「本当に楽しかった。来年も是非参加したいです」とは留学生代表の感謝のあいさつでした。
高校教育に中国語を、県会議長と県教育長に陳情(3/3)

 大北日中友好協会と県日中友好協会は3月3日、萩原県会議長と丸山県教育長に会見し、高校教育に中国語を取り入れるよう陳情しました。陳情書の中で「長野県は久しく教育県と呼ばれてきましたが、今こそ名実ともに教育内容の充実改革を目指し、世界の大国となった隣国の中国語を高校教育に取り入れ、未来の信州人が世界で幅広く活躍できるよう尽力願うものです」とし「長野県の高校教育に順次、中国語を新設されたい」としています。当日は、森田恒雄県議とともに佐藤大北日中理事長・布施県日中事務局長らが参加しました。 
 県下ではすでに、須坂園芸・長野西・上田染谷丘・飯田楓越・下伊那農業・松川・塩尻志学館・南安曇農業・長野市立皐月など9高校が中国語を第2外国語として開講しています。350を越える県内企業が中国に進出して活躍しており、また8500人を越える中国籍の人々が県内に暮らす時代を迎えて、高校教育での中国語普及を通じて、青少年の友好・交流が大きく広まっていくことが期待されます。
上海市友好協会代表訪日団来県、友好を深める(3/13〜15)

 長野県とかかわりの深い上海市人民対外友好協会の代表団(団長/姚全福・常務副会長一行3名)が、3月13〜15日来県しました。一行は両県市の友好交流について県協会と協議したほか、長野オリンピック記念館や善光寺、白馬村のスキー施設などを参観しました。13日には県協会主催の歓迎会が犀北館ホテルでおこなわれました。席上、井出正一会長は「日中関係は経済の結びつきは史上最高で相互になくてはならない間柄となっているが、政治的には憂慮すべき事態になっている。「以民促官」「以経促政」「以文促情」といわれるように、民間交流を積極的に進めて、日中関係を好転させて行きたい」と述べ、中国の牽引車の役割を果たしている、上海の友好協会代表団を熱烈に歓迎しました。姚団長は、「一衣帯水の隣邦同士である中日両国が当面する困難を乗り越え協力提携して共同繁栄の道を進みましょう」と述べました。時間の経つのも忘れて交流歓談に花が咲きました。また14日訪れた雄大な白馬連峰とスキー場の眺めは、山と雪の珍しい上海の友人にひときわ深い印象を残したようでした。このたびの訪問には、長野県となじみの張雪娜・常務理事や周国栄理事も同行され旧交を温めることができました。

石家庄との友好25周年、県協会創立50周年に向けて
長野市日中友好協会定期大会を開催
(3/26)

 長野市日中友好協会(内藤武男会長)は3月26日、第28回定期総会を長野市内のホテル信濃路で開きました。会員ら約70人が出席。同市と中国・石家庄市との友好都市提携25周年を記念しての秋の訪中や長野県日中友好協会の創立50周年記念事業への参加などを決めました。
 会議では「日中両国の首脳交流が凍結状態となり、『政冷経熱』から『政冷経涼』の状態となっている。協会としては、歴史を鑑として、市民ぐるみでの民間交流に取り組み、地域に定着を図る」との総会宣言を採択しました。
 第2部の記念講演では井出正一・県日中友好協会会長が「私と中国・日本と中国」と題して講演しました。第3部の祝賀レセプションでは鷲沢正一長野市長が祝辞をのべ25周年記念事業への協力を呼びかけました。石家庄市からの3名の研修生も参加し、二胡の友情演奏をききながら和やかに歓談しました。

北京放送局から桜の便り(4/3)

中国国際放送局(北京放送局)日本語部から桜の便りが届きました。この桜は1996年5月に長野県北京放送を聞く会が北京放送局に寄贈し記念植樹したものです。満開の桜が本当にきれいですね!

(メッセージ)
長野県の友人の皆様:
寄贈してくださった桜は、今、咲き誇っています。今日の午前、撮った写真をお送りいたします。桜の花で目を楽しめることができ、とても感謝しております。
皆様のご健康とお幸せをお祈りいたします。

中国国際放送局日本語部 一同        (2006.4.3)


緑化協力・春の長野県日中友好協会訪中団

 恒例の緑化協力=春の県協会訪中団(山根敏郎団長)は4/9〜15石家荘・昆明・大理・麗江・上海の日程で、中国を友好訪問しました。河北省石家荘では平山県太行山の緑化協力の現地(西柏波)を訪れ、コノテガシワを現地の人々とともに記念植樹しました。また河北省人民対外友好協会主催の歓迎宴会がおこなわれ和やかな交流がおこなわれました。雲南省では昆明・石林・大理・麗江を訪れ、世界文化遺産や少数民族との出会いなど、有意義な友好の旅となりました。

石家荘市賛皇県の希望小学校の児童らが来長

 石家荘市賛皇県教育訪日団(蔵暁娜賛皇県副県長一行5名)が4/15〜21直富商事の木下社長(長野市日中副会長)の招きで来長しました。一昨年、木下社長が賛皇県の弧山村に希望小学校を贈呈したのが縁でこの度の訪問となりました。希望小学校からは郭立偉先生と于艶嬌ちゃん(12)、于瑞博くん(13)も同行し、鷲沢長野市長を表敬懇談したほか、芋井小学校の参観交流、直富商事のリサイクルシステムや市場などを視察しました。善光寺の桜も見れて大変喜んでいました。
長野市詩吟友好訪中団
 長野市詩吟訪中団(中村信団長)が4/14〜22西安・洛陽・鄭州・上海を訪問しました。各地で漢詩のふるさとを丹念にめぐり、詩吟交流をおこないました。一行は雄大な漢詩が生まれた舞台を満喫しました。
各地で相次いで定期総会が開催(4〜6月)

 4月〜6月は友好協会にとっても、定期総会シーズン。県協会の定期大会が5月24日に開催されたのを初め、各地区で次々と総会が開かれ、新年度の活動方針や事業計画が決定されています。
 松本日中友好協会定期総会(相沢孝夫会長・4月7日)、飯綱町日中友好協会総会(田中博会長・4月14日)、富士見町日中友好協会総会(矢嶋民雄会長・4月28日)、長野市日中友好協会青年委員会・女性委員会総会(5月13日)、諏訪市日中友好協会総会(山田勝文会長・5月15日)、山ノ内町日中友好協会総会(中山茂樹会長・5月17日)、須坂市日中友好協会青年委員会設立総会(5月20日)、中野日中友好協会総会(青木一会長・5月20日)、千曲市日中友好協会総会(矢島久和会長・5月20日)、安曇野豊科日中友好協会総会(小穴桓司会長・5月27日)、須坂市日中友好協会総会(三木正夫会長・5月27日)、飯山市日中友好協会総会(清水重右ヱ門会長・5月28日)、伊南日中友好協会総会(宮崎昌直会長・5月29日)、小諸市日中友好協会総会(佐々木治夫会長・6月9日)が開催され、更に、茅野市日中友好協会総会(小川哲男会長・6月22日)、小布施町日中友好協会総会(市村良三会長・6月23日)、大北日中友好協会総会(志真秀明会長・6月26日)と続きます。
第44回長野県日中友好協会定期大会--創立50周年記念事業など2006年度活動方針を決定(5月25日)

 長野県日中友好協会は5月25日松本市内のホテル・ブエナビスタで170人が出席して定期大会を開いた。創立50周年を迎える9月に、長野県と友好提携している中国河北省から対外友好協会関係者らを招いて祝賀大会を長野市で開くのをはじめ、50周年記念誌「虹の架け橋・長野県日中友好の歩みV」の発刊、内蒙古雑技団県内公演、県日中友好の翼訪中団の派遣、[満州開拓を考える絵画展と語り部のつどい」の開催などを決めた。
 井出正一会長は「日中間で政治的なギクシャクが続いている中で、友好協会が友好交流を続ける意味は大きい。先人の築いた友好の成果を受け継ぎ友好の後継世代を育成していきたい」とあいさつした。大会宣言で、「中国、アジアに対して前向きな平和外交を1日も早く取り戻し、21世紀の日本の進むべき正しい道を明らかにすべき」「先輩諸氏の友好の思いを受け継ぎ、13億の中国人民と1億2千万の日本国民が隣人として平和友好共生の思いを持って友好交流を進めていきたい」とした。第2部の祝賀パーティーでは中国大使館の胡勝才参事官、萩原清県議会議長、小宮山英明県国際チームリーダー、菅谷昭松本市長、近藤光連合長野会長はじめ国会議員(羽田孜・小坂憲次・下条みつ各衆議院議員代理及び若林正俊参議院議員代理)、本郷一彦・県会議員、経済団体代表、友好団体代表など各界の来賓が出席して激励していただいた。

河北省農業研修生48名が来県、野辺山・川上・小諸などで6ヶ月の研修スタート(5月26日)
長野県日中経済交流促進協議会定期総会開催(6月2日)
 長野県日中経済交流促進協議会は6月2日、長野市内のホテル犀北館で第30回定期総会を開いた。第27次経済界代表訪中団の派遣や経済ミッション・研修生受け入れなど2006年度の事業計画を決めた。
 内藤武男会長は「靖国参拝、歴史教科書、反日デモなど政治的な問題は多々あるが、日中間の経済交流はますます重要になる」とあいさつした。第2部ではフレックスジャパン(株)の矢島久和会長が「中国進出の現状と課題」と題して講演した。

長野県日中友好協会女性委員会定期総会、須坂で90名が参加して賑やかに開催(6月4日)
 長野県日中友好協会女性委員会は6月4日、須坂温泉古城荘で2006年度第31回定期総会を開きました。持ち回り総会と呼ばれる伝統の女性委員会総会には県下から90人の代表が熱心に参加しました。
 県協会創立50周年記念事業への協力参加、キャンプやスキー交流会の開催、留学生・帰国者・中国からの花嫁さん支援交流、地区女性委員会の設立推進など女性の友好の輪を広げていく方針を決めました。
 新役員として、村山ひとみ委員長・島津美智子事務局長などを選出しました。
 第2部では地元の三木正夫須坂市長(須坂市日中友好協会会長)が記念講演しました。
 第3部の恒例の交流懇親会では歌や踊りなどが次々と披露され来賓を巻き込んで会場全体が大いに盛り上がりました。
創立20周年記念・長野県武術太極拳連盟訪中団
長野県武術太極拳連盟は創立から20年を経過しました。これを記念して訪中団を派遣し本場中国の愛好者と交流し友好を深めるため訪中団を派遣。首都・北京での人民大会堂での歓迎交流会や古都・西安訪問。6/5〜6/9
中国へスキー用具を贈る取り組み54名でコンテナ積み込み作業(6/12)
長野県・県スキー連盟・県日中友好協会・白馬・野沢温泉・飯山・山ノ内・小谷・上田(菅平)・長野などで作る長野県日中スキー交流委員会・中国へスキー用具を贈る実行委員会は6月12日午前、長野市運動公園で集まったスキー用具をコンテナに積み込んだ。5月20日から31日の間にスキー板5000組やスキー靴2000足などが集約された。長野市スキークラブのメンバーが整理にあたってきた用具をこの日は県スキー連盟傘下の各地のスキークラブや友好協会メンバーら54人のボランティアが2台の大型コンテナにぎっしりと詰め込んだ。スノーボードやカービングスキーなども見受けられた。1983年から始まり、これまでにスキー板を11万2千組贈った。今年の分は瀋陽体育学院と双峰滑雪訓練基地に贈られる。

    葫蘆島日本人送還60周年記念式典に参加(6/25)

                                                   飯田日中友好協会副理事長 寺沢 秀文

  去る6月25日、遼寧省の葫蘆島市にて「葫蘆島百万人日本人居留民大送還60周年回顧と中日関係展望フォーラム」が開催されました。終戦後、開拓団員を始め多くの日本人が中国東北地方(旧満州)に取り残されましたが、その日本への引き揚げは終戦翌年の昭和21年(1946年)からで、その大半がこの葫蘆島市からであり、送還日本人総数は3年間で約105万人に及んだとされています。今回の記念行事には日本側から村山富市元首相(日中友好協会名誉顧問)を始め全国各地から約180人が参加。全国で最も多くの満蒙開拓団を送出した長野県からも、葫蘆島からの引揚者等による「信州葫蘆島友の会」(穂苅甲子男会長)の一行を始め、西堀正司当協会理事長ら須坂・飯山日中友好協会、また飯田・下伊那からは河原進飯田日中友好協会会長ら一行など約80人余りが参加しました。私も開拓団員であった母が葫蘆島から引き揚げていることから飯田日中の皆さん等と共に14名で参加しました。当日の式典は午前に記念式典とフォーラムが開催、日本側からは村山富市元首相、村岡久平全国日中理事長等、また中国側からは唐家?国務委員(前外相)、武大偉外務次官(前駐日大使)ら要人が挨拶、午後には「葫蘆島市平和公園」の起工式並びに記念植樹等、夜には歓迎レセプションが開催されました。実際の引揚港であった葫蘆島港は現在軍港でもあり、これを眺める場所へは団として御案内等頂けなかったのは残念ですが、今回の式典に対する葫蘆島市等中国側の力の入れ方は大変なものでした。60年前の引揚者の労苦に思いを馳せつつ、平和の尊さを改めて思い知った今回の葫蘆島訪問でした。

田中知事の台湾問題介入に反対し県協会が申し入れ(6/27)
 長野県日中友好協会は、6月27日昼、県庁に田中知事をたずね、田中知事の台湾問題介入に反対する申し入れをおこないました。申し入れには、井出会長・山根副会長・清水副会長はじめ12名の代表が参加しました。

 長野県友好協会は、かねてより、田中知事の訪台につき、日中関係を損なう恐れがあるので取りやめるよう申し入れてきましたが、知事は6月県会冒頭の提案説明の中で、6月10日から知事就任後実に4回目となる台湾訪問を取り上げ、台湾当局の外交部長や教育部長との会見などを多くの時間を割いて報告しました。県会提案説明の場で長野県の対外関係の柱のごとく取り上げたことに驚きと失望を感じております。長野県と中国との歴史的関係の深さと現在の深い経済的な結びつきを考えれば、県の代表者として「日中共同声明」の原則を破壊するかのごとき行動は現に慎まなければなりません。

 この件について長野県日中友好協会は、座視すべきでないと判断し、田中康夫知事ならびに萩原清県議会議長に、知事がこれ以上台湾問題に介入しないように、下記の内容の申し入れをおこないました。田中知事は、申し入れに対して、あいまいな返答しかおこないませんでしたので、中国と深いかかわりを持つ長野県の知事として、日中関係を破壊するような行動は現に慎むよう再度要請して退席しました。続いて、萩原清県会議長と小林実県議会日中友好促進議員連盟会長をたずね、知事への申し入れの経過を報告し、本件に対する協力・支援を要請しました。萩原議長は、「知事の訪台に対しては慎重にすべきだと議会としても申し入れている。知事がトップで行く必要は無いのではないかと私も思っている。中国との関係は大変深いし重要であり、知事の訪台は県民益にならない」と述べました。代表は引き続いて、県議会各派を回り、趣旨を説明し協力を要請しました。

         田中知事の台湾問題介入に反対する申し入れ(全文)

 田中知事は、6月県会定例会冒頭の提案説明の中で、6月10日から知事就任後実に4回目となる台湾訪問を取り上げ、台湾当局の外交部長や教育部長との会見などを多くの時間を割いて報告しました。2003年3月、2004年12月、2005年11月、そして今回の2006年6月と4度目の台湾公式訪問は真に異常であり、長野県を代表する立場にある知事として問題の多い行動と言わざるを得ません。私ども友好協会は、かねてより、知事の訪台につき、日中関係を損なう恐れがあるので取りやめるよう申し入れてきましたが、このたびは、県会提案説明の場で、長野県の対外関係の柱のごとく取り上げたことに驚きと失望を感じております。

田中知事は、1度目は李登輝氏や陳水扁氏との会談を吹聴し、協会はじめ日中友好を望む多くの県民から批判されました。にもかかわらずこれを無視して訪台を重ね「台湾当局者」との会談に執着してきました。このたび、県会の提案説明の中で、台湾当局者との会見成果として日本酒と農作物売り込み・チャーター便就航と観光客誘致・中高生交流推進などを誇らしげに語りました。その本当の狙いは何なのかわれわれは疑問を持たざるをえません。昨年の11月には「台湾の報道陣に対して台湾の都市との姉妹関係締結など、交流関係の構築にも強い意欲をしめした」(台湾の中央放送局ホームページ)というのです。「県民益」を掲げれば何をしても許されるわけではありません。台湾問題については、日中共同声明の原則(台湾問題は中国の内政問題とする約束)があります。田中知事の度重なる訪台と言動は、この原則を破壊するところまで踏み込もうとすることを意味します。

満州開拓団の歴史の悲劇を踏まえ、長野県は官民力を合わせて、戦後営々と日中友好のために努力をしてきました。これは県民の誇りです。現在中国へは長野県内企業が350件余進出し、対中輸出が3400億円(長野県の対外輸出の4分の1を占める)に上っており、上海と深センに県駐在員を置いています。又県内には4300名の中国帰国者が暮らし、留学生や研修生など8500余名の中国の人々が長期滞在し、日常的に友好団や視察団が訪れています。県が河北省と、長野市が石家荘市、須坂市が四平市、伊那市が北京通州区、松本市が廊坊市、上田市が寧波市、安曇野市が瀋陽五三郷、泰阜村が方正県と友好関係を結んで交流を深めています。長野県は中国とこのように深いかかわりを持っているのです。

このことを無視して、田中知事が、台湾との関係に異常に執着し、姉妹関係まで云々することは、決して県民益にならず、これを損うものです。台湾問題は、日中関係において敏感な政治問題であることは周知の事実です。現在、国レベルでは日中関係修復に向けて様々な努力が続けられています。こうした折、県を公式に代表する立場にある知事が日中友好を破壊することは許されないことです。田中知事は友好提携している河北省や東北地区との信義を守り、日中友好促進に力を入れるべきです。田中知事は台湾問題に、これ以上深入りすべきではありません。ここに強く申し入れます。

           2006年6月27日  長野県日中友好協会 会 長  井出 正一     

河北省から高校生訪日団(7/7〜17)

 友好提携している河北省から高校生訪日団一行9名が長野県の招きで7月7日から17日来日・来県しました。長野県内の中野西・上田染谷丘・軽井沢・諏訪実業・諏訪青陵・伊那北の各高校で、生徒宅などにホームステイしながら交流、高校生同士の交流を深めました。県協会も実行委員会のメンバーとして、県に協力して成功に努めました。7月8日には歓迎会が開かれました。西堀正司理事長や清水えい子副会長ら関係者が出席して、馬永江・石家庄外国語学校教務主任、趙秀雲・同日本語教師をホームステイホスト家庭の茂木博夫妻とともに歓迎しました。茂木夫妻は1週間ほどの交流で大きな友情が育ち、忘れがたい思い出になりましたと語っていました。
また中野日中友好協会の滝沢忠事務局長は中野西高校と交流した呂謡さん(高一日本語学習中)をホームステイで受入れ、土人形の絵付け体験や、祭りの準備参加などの交流を計画し大変喜んでいただいたそうです。
 なお、長野県高校生訪中団が7/29〜8/8、河北省の石家荘や北京を訪れ交流することとなっています。

吉林省延吉市政府訪日団が来県(7/17)

黄成民・延吉市副市長を団長とする延吉市政府訪日団一行7人が、7月7日来県し、県協会を表敬訪問しました。西堀理事長が歓迎のあいさつをし「延吉市は日本海を挟んで、長野県と一番近いところにあり、今後交流が深まっていくことを期待します」と述べました。黄団長は、「延辺朝鮮族自治州の州都として近年発展を遂げている延吉市への訪問、経済投資などを歓迎します。できれば、長野県内のしかるべき市と友好関係を結びたい」と述べました。また、8月29日から9月1日に開催される「2006延吉国際投資貿易商談会」への参加を呼びかけました。延吉市は人口42万人、中国・ロシア・北朝鮮国境が交わるところにあり、環日本海経済圏の視点から見て発展が期待されるところと見られています。長野県経済代表団や県スキー交流団、飯山市代表団などが、訪問したことがあります。

郭寧さんからのお見舞いの手紙(7/25)

−長野県と親しくお付き合いのあった、郭寧さん(中日友好協会勤務・元中国大使館友好交流部二等書記官)から大雨被害のお見舞いの手紙が届きましたので紹介します。

 暑中お見舞い申し上げます。
 連日テレビで長野県一帯が記録的な大雨の被害を受けているニュースを見てびっくりしまして、本当に心を痛めております。
今年は天候の不順もひどいもので、冬は大雪、夏は豪雨、本当に閉口しています。
  被害の状況も厳しく、範囲も広く、私がかつておじゃましてお世話になった所の名前が出て来るのは聞くに忍びません。皆さん大丈夫でしょうか、元気にがんばっていらっしゃいますでしょうかと只々心配しています。
 力になれなくて非常に残念に思いますが、一日も早く晴れるように、一日も早く家屋の復元ができるように、一日も早く元の生活に戻れるように心から願っております。
  郭寧より
  長野県の友達の皆さんへ  2006年7月25日

第16次中国留学生ホームステイ(第1班)20名が来県(7/25〜27)

7月25日から27日の3日間、東京の(財)日中友好会館所属の後楽寮で生活している中国留学生一行20名の皆さんが、長野県を訪れました。 長野駅頭で歓迎対面式がおこなわれました。西堀理事長が、「3日間楽しい思い出を作ってください」と熱烈歓迎のあいさつをしました。留学生を代表して、早稲田大学で勉学中の林峰さん(31)が「昨年来日以来、長野県を訪れホームステイ体験を強く希望していました。今度参加できて本当に嬉しいです」と感謝のあいさつをされました。受け入れのホスト家庭とそれぞれの留学生の対面紹介が終わると、飯山、山ノ内、中野、小布施、信濃町、須坂、千曲の各地に向かいました。留学生の皆さんは期間中、それぞれ、市長・町長表敬や歓迎交流会、地域の名所や施設参観、日本の家庭生活体験など有意義な3日間をすごしました。「本当に楽しい思い出ができました」と大変喜んでいました。
 満州開拓を考える絵画展と語り部のつどい開かれる(8/6)

 長野県日中友好協会創立50周年を記念して満州開拓を考える絵画展と語り部のつどいが8月6日、信濃教育会館において信濃教育会、県開拓自興会との共催で開催されました。

 まず絵画展のテープカットが、おこなわれ、主催者を代表して神田忠亥県開拓自興会会長が「三石忠勇さんの『受難の記録』絵画展は開拓団の悲惨な逃避行を克明に描いた貴重な記録であり、戦争の悲惨さと平和の尊さを次世代に伝える格好の教材になる」と語り、「当時の軍部は、主力を南下させ、その補充に開拓団や青少年義勇隊員を召集し、更にソ連参戦の情報は何も知らせず戦略地帯に逃げ込もうとする棄民戦略をとった。その結果犠牲を多くし悲惨な逃避行となった。批判をすれば非国民とされた戦時体制下の国民はお上の指示に従わざるをえなかった。多くの犠牲を強いて塗炭の苦しみにした責任は誰が取るのかといえば、軍国主義者たちであることは明白」と訴えました。合わせて「中国は軍の手先でもあった開拓団関係者に対し『あなた方も犠牲者だ、軍国主義分子と日本人民を区別し、友好対応する』と言ってくれた」と述べ、日中の平和友好と不再戦の決意を語りました。
 三石さんはあまりに悲惨な辛い体験を風化させること無く、多くの皆さんに知っていただくには、当時記録するすべも無い中で、絵として残そうと情熱を傾け制作に励んだ様子を紹介しました。会場に展示された51点の大作は見る人の心をつかんで離さない強烈なインパクトがありました。

 引き続いて、講堂において170名の参加のもと、体験者による語り部のつどいが開かれました。井出正一県日中友好協会会長は「長野県日中のスタートは、開拓団の歴史と切り離せない。関係者のご協力により協会50周年にふさわしい取り組みができた。思い出すのも辛い悲惨な開拓団について語り始めた皆さんの勇気に敬意を表し歴史を正しく認識する機会としたい」と述べました。
 牛越充信濃教育会会長は、戦中の青少年義勇軍派遣の歴史と戦後それを反省して、教育会が様々な努力をしてきたことにふれ、特に26次にわたって県教育者訪中団を派遣し開拓団犠牲者が葬られている方正県の日本人公墓をお参りし、平和の尊さを心に刻んできた取り組みなどを紹介しました。
 続いて、中島千鶴さん(74泰阜村出身)が中国残留婦人の名を背負ってとのテーマで、悲惨な逃避行のことや、現地に1人残って望郷の念に駆られたこと、永住帰国後も子どもたちが言葉や習慣の違いで不自由したことなど切々と語りました。
 また永原今朝男さん(76歳信濃町出身)は厳冬の収容所で多くの避難民が次々と倒れ亡くなって行く中で自身も九死に一生を得た極限の状態を語り、戦争を二度と繰り返してはならないと訴えました。2名の体験者の話に、参加者は水を打ったように耳を澄ませて聞き入っていました。その後西堀正司県日中理事長がコーディネーターをつとめて2人の体験発表者と小林澄男・信濃教育会館館長代理、寺沢秀文・飯田日中副理事長を交えてパネルディスカッションがおこなわれました。参加者の胸に深い思いを刻んだ意義深いつどいとなりました。
 三石忠勇『受難の記録』絵画展は8月12日(土)まで、信濃教育会館(長野市旭町)で開催されています。

新長野県知事、村井仁氏に祝電を送る

 長野県日中友好協会の井出正一会長は、8月7日、新たに長野県知事に当選した、村井仁氏に祝電を送り、当選を祝うとともに、「満州開拓団を一番多く送り出した歴史を持つ長野県として日中友好関係を大切に育てていただきたい」との期待を表明しました。村井氏は代議士当時から県協会顧問として、協会の活動に理解と協力をしていただいてきました。
 台湾問題で批判され、このたび落選した田中康夫氏と違って、河北省をはじめとした中国との友好に尽力いただけるとの期待が高まっています。電文は次のとおり。

「輝かしい当選おめでとうございます。長野県の明日のために、豊富な経験を活かしてのご活躍を祈念申し上げます。満州開拓団を一番多く送り出した歴史を持つ長野県として日中友好関係を大切に育てていただきたく期待しております。特に友好提携している河北省との友好発展にご尽力を期待しております。    長野県日中友好協会 会長 井出正一」

長野県日中友好協会創立50周年祝賀大会を開催

 長野県日中友好協会は9月8日、創立50周年記念祝賀大会をホテル国際21で開きました。県協会会員ならびに各界来賓ら約260名が出席し、日中国交正常化前から友好を築いてきた歴史をともに振り返りました。
 井出正一会長は「県協会は、幅広い分野で友好活動を展開してきた。戦争を知らない世代が多数を占める中、友好の井戸を掘った先輩の方々の思いを受け継ぎ、次の50年の新たな一歩を踏み出したい」とあいさつ。小泉首相の靖国神社参拝問題にも触れ、「政治の要路にある人たちに思慮ある言動が求められる」と述べました。
 長野県と友好提携している河北省からの訪問団も招かれて出席しました。信州大学人文学部大学院に留学経験のある劉暁軍・対外友好協会副会長(省外事弁公室副主任)は、希望小学校や太行山の緑化プロジェクト、SARS支援に対し感謝の意を表した後、「長野県で受け入れてくれた研修生や留学生が数多く活躍しており、友好にも貢献している」と述べました。
 村井仁県知事はじめ、孫美嬌大使館参事官、村岡久平全国理事長、鈴木重郎全国副会長、萩原清県会議長、小坂憲次・篠原孝・羽田孜各代議士、若林正俊・羽田雄一郎・北沢俊美・吉田博美各参議院議員、三木正夫須坂市長・遠山秀吉飯綱町長・山崎袈裟盛池田町長・佐々木定男佐久穂町長、小林実県議会日中友好議員連盟会長・倉田竜彦・佐野功武・森田恒雄・村石正郎・西沢正隆・高木蘭子・今井正子・牛山好子各県議、小宮山英明県国際課長・宮本正之県スポーツ課長、嶋田力男長野大学学長・上條宏之県短期大学学長・小林士朗長野女子短大学長、近藤光連合長野会長・牛越充信濃教育会会長・関安雄県経営者協会専務・小林一文県商工会議所常務・細野邦俊県商工会連合会専務・菅原宗男県中小企業団体中央会総務部長・湯原康県信用保証協会会長・小川和夫JA全農長野県本部副本部長ら100名もの各界来賓が多忙の中、激励に駆けつけていただきました。
 祝賀式典では物故者に対し黙祷をささげ、永年会員や関係団体への表彰がおこなわれました。また、西堀正司理事長が「50年の歩みを振り返って」と題し、歴代会長の業績を紹介しながら報告しました。この日に合わせて『虹の架け橋・長野県日中友好の歩みV』が出席者に配布されました。この50周年記念誌は、370ページに上るもので、グラビア、50年の概況に始まりこの10年間の具体的な活動紹介、70名に及ぶ皆さんの日ごろの友好活動や思いの寄稿、年表などが掲載されています。
 第2部の祝賀レセプションでは二胡や大正琴の友情演奏もおこなわれ、和やかな歓談が続きました。

吉林省サマージャンプ訓練隊が今年も白馬へ

 朴雪峰コーチをはじめとする吉林省サマージャンプ訓練隊一行12名が、9月16日白馬に到着し、翌日から早速白馬オリンピックジャンプ台で訓練を始めました。2ヶ月間あまり訓練に励むことになっています。吉林省チームは、毎年この時期に継続して白馬での訓練を続けてきており、中国内のジャンプ大会で首位を獲得するとともに、ワールドカップ出場権を有する選手も次々に生み出しています。本年は、若手後継者の育成を主眼とした編成となっているそうです。白馬で生活上の面倒を見ている大塚善弘さんは選手たちの熱心な練習振りに感心しながら、今年もエールを送っています。
第24回長野県中国語弁論大会
 9月23日(土)信濃教育会館において、第24回中国語スピーチコンテスト長野大会(中国語弁論大会)が開催されました。入門・初級・中級の各部門で11名が日ごろの成果を競いました。中級の部では、「最大の楽しみ」「太極拳と私」などのテーマで流暢な中国語の弁論発表となりました。
 各部門の1位は、入門の部1位細萱久美子さん、初級の部1位島田静香さん、中級の部1位首藤光子さんでした。首藤さんは来年1月の全国大会出場権を獲得しました。

長野市・石家荘友好都市締結25周年を記念して訪中
 長野市・石家荘友好都市締結25周年を記念して鷲沢正一長野市長を団長とする長野市民訪中団が9月24〜27日北京・石家荘を友好訪問し、祝賀歓迎交流がおこなわれました。長野市日中友好協会からも、内藤武男会長ら7名が参加しました。

第17回中国帰国者日本語弁論大会
 
 長野県中国帰国者自立研修センター主催の第17回帰国者日本語弁論大会が10月15日(日)信濃教育会館講堂において開催されました。弁論大会には、県下各地の代表14名が出場し、1世の部、2・3世の部、学生の部に分かれて弁論を競いました。戦時中の体験や、苦労して日本語を学んだ経験などが発表されると、応援聴講の皆さんから感動の拍手が贈られていました。3歳で来日した宮本敏江さん(18)=長野市=は「普段はけちな両親だと思っていたが、苦労して中国で生きてきた。今は家族をとても尊敬している」と述べました。浦野喜久美さん(84)=駒ヶ根市=は「戦争が無かったら孤児なんてものは無かった」と訴えました。
主な受賞者は次の通りです。
◎県知事賞 中島千鶴(飯田市)◎県日中友好協会長賞 宮本敏江◎信濃教育会長賞 馬場田正美(飯田市)
長野県東洋医学研究会創立30周年記念式典
 長野県東洋医学研究会は10月15日、ホテル国際21で創立30周年を記念して記念講演と記念式典を開催しました。合わせて、30周年を記念して友好訪中団を派遣し、9月20〜27日西安・敦煌・石家荘・北京の各地を訪問しました。
中国内蒙古雑技団公演県内5箇所で開催
 県協会創立50周年を記念しての中国内蒙古雑技団公演は、10/13松本市民芸術館、10/16飯田文化会館、10/17佐久市コスモホール、10/20長野県県民文化会館、11/2上田市民会館の5箇所で開催されました。
長野県日中友好協会・信越放送・開催地の日中友好協会の主催で地区ごとの実行委員会が組織され取り組まれました。ジンギス・ハーンの生涯をテーマとした映像が写し出される中、見事な雑技の技が次々と披露されると客席から大きな拍手と歓声が上がりました。
創立50周年を記念して長野県日中友好の翼訪中団を派遣

長野県日中友好協会は創立50周年を記念して10月23日から29日、井出正一会長を団長とする61名の長野県日中友好の翼訪中団を派遣し、友好提携している河北省や北京などを友好訪問しました。一行は保定市易県での緑化協力プロジェクトの除幕式参加を皮切りに、石家荘市での河北省政府主催の祝賀歓迎宴会、北京の人民大会堂での王效賢中日友好協会副会長との会見・祝賀歓迎宴に出席しました。各地で多くの友人から温かい歓迎を受け、50周年の祝意を寄せられました。

訪中団には、内藤武男・成沢捨也・山根敏郎県協会副会長、西堀正司理事長、服部一郎・池上一巳前副理事長、西沢毅副理事長、布施正幸事務局長ら長野・上田・飯山・諏訪・安曇野・茅野・臼田・信濃町らの協会員や経済界や囲碁交流の代表らが参加しました。

易県での緑化プロジェクトは日中緑化交流基金の助成550万円を受けて、今年度からスタートするもので、1年目は80haを予定しています。現地は、太行山脈の北東端付近、秦の始皇帝暗殺に向かった荊軻(ケイカ)の「風飄々として易水寒し」で有名なところで、清の西陵の区域で光緒帝の崇陵の近くでもあります。丸裸の山が多く、緑化への継続的な努力が必要とされています。除幕式には、代表団とともに河北省外事弁公室の劉暁軍副主任、易県の劉立明県長、保定市の張広崎副市長らが出席、「緑化プロジェクトの到来は生態環境の優れた県を建設しようとしている易県を大きく励ますことでしょう」と感謝の意を表しました。テープカットの後、現地の農民の皆さんとともに全団員がスコップを握って、山の斜面に松の樹100本を記念植樹しました。

石家荘では宋恩華省副省長と会見した後、祝賀歓迎宴が開かれました。席上宋副省長は長野県と河北省の友好交流の発展を振り返り、その中で長野県協会の果たしてきた役割を高く評価しました。井出会長は、感謝の意を表し、今後とも友好発展に努めたいと述べ、村井仁長野県知事からのメッセージを手渡しました。

北京では、人民大会堂で王效賢副会長の歓迎を受け、中日友好の第一線に立って活躍してきた王先生のお話をお聞きすることができました。「安倍総理の公式訪問と胡錦濤国家主席との会談を通じて、日中関係は政治的困難を克服する展望が開けました。歴史を忘れず未来に向かってともに発展することを確認しました。民をもって官を促すことは今までもこれからも大切だと思います。私たちは、水を飲むとき井戸を掘った人を忘れてはならないとの周恩来総理のことばを思い出します。歴史を鑑とするということの中には戦前だけでなく戦後友好に尽力された先輩たちの努力を語り継いでいくことも含まれます。」井出会長は、王先生の心温まる歓迎に感謝するとともに、「日本も中国も世界に影響力を持つ国となっているのでともに協力して進んでいけるよう努力したい」と述べました。祝賀歓迎宴では「北国の春」や「ふるさと」の歌も披露され、団員一同和やかな雰囲気の中で、思い出深い体験となりました。

一行は、その後4グループに別れ、黄山、寧波、連雲港、承徳などを訪問し交流を深めました。

河北省農業研修生半年の研修終えて帰国
 河北省農業研修生一行48名は、10月月31日、川上村中央公民館において修了式・歓送会に出席した。5ヶ月余りの研修を終えた研修生は、河北省農業研修生受入実施委員会の若林甫汎会長(JA中央会専務)や県日中友好協会の井出正一会長から修了証を授与され、安建輝団長は代表して、「長野県で学んだ農業技術と農家の先生の真剣な農業経営の姿勢を帰国後、活かし、河北省の農業発展と両省県の友好のために頑張りたい」と日本語であいさつした。一行は5月26日来日以来、川上・野辺山・小諸の高原野菜農家において野菜栽培技術を研修した。農家の皆さんとのお別れの場面では、別れを惜しんで涙を流す場面も見受けられた。11月1日成田空港から関係者の見送りを受け帰国した。
第10期日中関係を考える連続市民講座スタート
 

11月25日、第10期日中関係を考える連続市民講座がスタートしました。この日、県勤労者福祉センターでおこなわれた第1回目の講義に先立っての開校式で、佐々木とおる県日中学術交流委員会事務局長(長野大学教授)は、「日本にとって重要な隣国中国に関する多面的な理解を深めていくために、県内で活躍している大学・などの短大の先生方を講師に迎えて、第10期連続講座を計画した。10期を記念して記念誌の発行なども計画して行きたいので、受講生の皆さんからの寄稿もお願いしたい」と述べ、明年4月まで毎月1回開催される講義内容の概略を説明しました。
 第1回の講義は、満州シリーズで人気の高い長野大学助教授の塚瀬進先生の「20世紀における満州の社会変容」でした。40名の聴講生が熱心に聞き入りました。
JAりんご贈呈式に中国大使館から孫美嬌参事官ら来県
 長野県は、富士りんごの産地として全国的に有名ですが、JAでは長野オリンピックの際の「一校一国運動」(1つの学校が一つの国を応援する)にちなんで毎年この時期(11月22日をイイフジの語呂あわせでりんごの日としている)に関係各国(32か国)の大使館にりんごを寄贈しています。
 本年、長野県日中友好協会創立50周年にあたり、中国大使館に代表してりんご贈呈式に出席いただこうとのJA全農長野県本部の要請で11月29・30日中国大使館友好交流部の孫美嬌参事官・喬倫二等書記官が長野県を訪問しました。
 29日のJAビルでのりんご贈呈式ではJA全農県本部の竹内守雄本部長から富士りんごを5ケース贈呈され、孫参事官は「長野県のおいしいりんごを大使館職員でご馳走になります。おいしいりんごのイメージで長野県のPRになると思います」と感謝のことばを述べました。贈呈式には一校一国運動を提唱した長野国際親善クラブの小出博治会長や長野県日中友好協会の西堀正司理事長らが同席しました。
 一行はその後、りんごの産地である篠ノ井の共和農協を訪れ、共撰所などを参観するとともにりんご狩りを体験しました。
 翌日は、一校一国運動で中国と交流してきた松代の寺尾小学校を訪問しました。教頭先生はじめ先生方や児童の皆さんから心のこもった歓迎を受けました。体育館で小学1年生から3年生の皆さんとの歓迎交流会に出席し、剣玉や一輪車乗り、そうらん節ロックの踊り、全員合唱などの出し物を見ながら最後は児童の皆さんの輪の中に入ってじゃんけんゲームで楽しい一ときをすごしました。日ごろの文化スポーツ活動の様子が思い浮かんでくる工夫を凝らした歓迎出し物に感心していました。受験勉強に追われる中国の子供たちと比べゆとりが感ぜられてうらやましいですねと感想を述べておられました。その後、歴史の街・松代の参観などを体験し、麗しい思い出を持って帰京しました。
恒例の帰国者年末交流会和やかに開催、援護施策の充実に期待
 12月3日、ホテル・サンパルテ山王において恒例の第16回中国帰国者年末交流会が開催されました。県帰国者自立研修センターの主催で、センターの受講生や修了生ならびに県厚生課や日中友好協会、信濃教育会など関係者62名が出席し、楽しいひと時を過ごしました。西堀正司所長は日ごろの帰国者の労苦にエールを送るとともに、12月1日の神戸地裁の判決にふれ「帰国者一世の皆さんが安心して老後を過ごせる援護施策の充実が必要」と述べ、与党のプロジェクトチームが提言した月13万円の支給の早期実現や、長野県への帰国者支援交流センターの招致実現など4300名の帰国者が地域で安心して暮らしていける制度的充実を訴えました。県厚生課の小林厚課長補佐や井出正一県日中友好協会会長、油科淳太郎信濃教育会事務局次長らが来賓として励ましのあいさつをされました。
 石坂政敏さんと劉愛軍さんが受講生を代表して日本語学習の決意を語りました。帰国者一世の浦野喜久美さんが「私の半生を語る」と題して、中国残留のいきさつや生々しい体験を語りました。懇親会の席上、日本の歌、中国の歌が次々と披露されました。また3組の新婚カップルが紹介され大きな拍手が起こりました。帰国者採用企業連絡会の吉原文典会長より帰国者の家庭に記念品が贈られました。
河北省農林科学院の王慧軍院長一行来県、農業関係者と交流深める
 長野県農業視察ならびに研究機関との交流、農協制度の学習と関係者との交流を目的に河北省農林科学院訪日団(王慧軍院長一行5名)が12月4日から6日長野県を訪れました。
 12月5日、県農政部表敬とレクチャーでは白石芳久県農政部長らから親切な歓迎を受けました。席上、王院長は長野県で学んだ農業研修生が帰国後、中心的な幹部として活躍していることを紹介し、今後とも両省県の交流を一層深めたいと述べました。小山勝幸農業技術課長から長野県農業の概況説明を受けました。 
 JA長野中央会ではかつて農林科学院を訪れてことのある若林甫汎専務理事から暖かい歓迎を受け、高松春洋企画広報課長代理より、長野県農協の仕組みや直面している後継者対策など具体的な説明を受け、熱心に質問していました。
 一行は、県滞在中、県野菜花卉試験場・果樹試験場、JA須高・農家、長野地方卸売り市場などを視察し関係者との交流を深めました。
 中国では3農問題解決に力が注がれている中、農業専業経済合作法などが制定され農協を手本にした農村の近代化を進めようとしているそうです。また、食の安全・安心に留意した農産物の品質向上についての関心も高く、熱心にメモを取る姿が印象的でした。
河北省人大代表団が農林業視察のため来県、県会議長らの歓迎受ける
 河北省人大常務委員会の張軍凱処長一行7名が農林業視察のため12月10日から13日長野県を訪れました。11日には県庁で荻原清県会議長、白石芳久県農政部長、加藤英郎県林務部長らを表敬しそれぞれ懇談し、また担当者からレクチャーを受けました。白石農政部長との懇談では、農業用水の確保や農村の汚水処理の現状について質問し「河北省は水不足が大きな課題。勉強になります」と話しました。この日は県野菜花卉試験場も訪れ、環境に配慮した農業の説明を聞きました。歓迎会には井出正一会長や萩原議長、小林実県日中議連会長、白石農政部長ら関係者が出席して和やかに開かれました。翌日は、長野市内のりんご農家の小田切袈裟志さん宅を訪問して交流し、午後は塩尻市の県林業総合センターを視察しました。

35周年記念し小学生卓球大会
8月北京で、県内6チームも参加

 日中国交正常化35周年を記念し、8月1−6北京で「日中友好都市小学生卓球交歓大会」が開催される。長野県内からは県と長野・松本・上田・須坂・伊那の五市の6チームが参加する方向で準備が進められている。大会は、日本と中国で友好提携している都市同士の選手が合同チームを編成して他チームと友好交流試合をおこなうもので、今までも5年に一度、社会人・高校生・中学生と卓球を通じた交流を深めてきた。12月8日には準備会が開かれ、該当する自治体・卓球協会・日中友好協会の関係者21人が出席した。峯村威男県卓球連盟副会長、西堀正司県日中友好協会理事長らが「日中関係の扉を開いたのは、卓球だった。卓球を通じ平和を促進する大会にしたい」とあいさつし、実行委員会を作って取り組んでいくことを決めた。

帰国者援護の充実を知事・議会に要請

 12月12日、井出正一会長をはじめ県協会帰国者留学生委員会役員など12名が村井仁知事に面会し、中国帰国者援護の充実を国に働きかけるよう要望しました。帰国者一世は平均年齢も70歳を超え、高齢化に伴い、少ない年金や言葉・生活習慣の相違、健康不安など多くの困難を抱えています。長野県内では、2003年10月の県議会の請願書採択を受けて04年4月から月額3万円の支援金が支給され帰国者から感謝されていますが、国の責任において帰国者支援対策を強化すべきとの声は強く、12月1日の神戸地裁の判決は改めてその必要性を世に示しました。要望の内容は@与党プロジェクトチームが提言している「帰国者老齢給付金制度」の早期実施、A全国で3番目に多い4300人の帰国者が暮らす長野県に帰国者自立研修センターの後を継いで帰国者支援・交流センターを是非開設されるよう国に要望していただきたいというものです。知事は自らも幼い頃中国で過ごしたことがあることを紹介し、帰国者問題に深い関心を寄せているとのべ前向きに取り組んで行きたいと述べました。

中国帰国者援護充実に関する請願書を県議会が採択

 長野県議会(萩原清議長)は12月25日、本会議において長野県日中友好協会(井出 正一会長)から提出されていた「中国帰国者援護充実に関する請願書」を全会一致で採択しました。その全文は以下の通りです。

 中国帰国者援護充実に関する請願書>
 長野県は、戦前・戦中、国策に従い旧満州(中国東北地区)に全国最多の開拓団員約3万3千人を送り出し、内半数が敗戦後の混乱の中で犠牲となりました。県内には現在約270人の中国帰国者一世(残留孤児・残留婦人)をはじめ約4300人の帰国者が暮らしております。これは47都道府県の中で3番目に多いものです。帰国者援護施策の充実は、長野県民の等しく関心を寄せている事柄であります。

帰国者一世は高齢化に伴い、少ない年金や言葉・生活習慣の相違、健康不安など多くの困難を抱えております。また、二・三世についても就労が困難など地域社会からの孤立に起因する問題が指摘されています。

神戸地裁は12月1日の帰国者訴訟の判決で、国の責任を認める判決を下し、改めて国の帰国者支援対策強化の必要性を世に示しました。

2003年10月2日県議会では当協会が請願した「中国帰国者援護充実に関する請願書」を採択いただき、それを受けて長野県は2004年4月から帰国者一世への月3万円の支援金支給を実施し、帰国者から感謝されております。しかしこの問題は本来国の責任において実施すべきことであり、高齢化の著しい中、帰国者援護施策の一層の強化が強く望まれるところであります。

本年春には、与党中国残留邦人支援に関するプロジェクトチームによる月額13万円支給などを骨子とした「帰国者老齢給付金」制度の創設構想が報ぜられました。これに対し大きな期待が寄せられていますが、いまだ実現に至っておりません。 
  一方、国は、帰国5年を経過した帰国者支援のため日本語学習支援事業・相談事業・交流事業などをおこなうための拠点として、「帰国者支援・交流センター」を5か所設置しております。県内においては、今まで帰国者自立研修センターが帰国者の精神的よりどころとしての役割を果たしてきましたが、平成19年末をもって閉所の方針と伝えられております。県当局は厚生労働省社会援護局に自立研修センターの役割を引き継いでいくために、県内に「帰国者支援・交流センター」を開設されるよう要望されておられるそうですが、この実現が強く望まれるところであります。
  つきましては次の事項について国に対して働きかけられたく要望いたします。

1.帰国者一世世帯の高齢化に伴う老後保障の充実対策として「帰国者老齢給付金制度」をすみやかに実現していただきたい。

2.高齢化の著しい帰国者一世ならびに二・三世世帯に対して、引き続き地域での支援活動が必要であり、その拠点としての「中国帰国者支援・交流センター」を全国で3番目に多い帰国者が暮らす長野県に是非開設していただきたい。

2005年1月〜12月