激動する世界の中の日本と中国
    ―3つの逆転と中国の行方そして日中関係―

                             加藤千洋・同志社大学大学院教授

この文書は2010年12月3日、長野市において開催された「日中友好協会創立60周年記念・講演と祝賀のつどい」における加藤千洋先生の記念講演を元にしております。文責は編集部にあります。

日中友好協会創立60周年おめでとうございます。特に長野県の活動は全国でも突出して立派な活動を続けて来られたということは私も承知しております。幾多の困難な問題、難しい時期そういうものを一つ一つ乗り越えられて今日まで来た関係者の皆さんのご努力に対して改めて敬意を表したいと思います。今日は今この春から京都の同志社大学で水、木と授業をやっておりまして、今朝は京都で早起きしまして名古屋から中央線で長野の方にやって参りました。日本の自然というのはやっぱり豊かで穏やかで良いなあと感じながらやって参りました。しかし、その日本を取り巻くアジアや世界の現状は、なかなか激しい厳しいものが有りまして、あまり安閑としていられない状況と思います。

今日は「激動する世界の中の日本と中国」ということで前半は、何がどう激動しているのかという話と、そのあと激動の多分渦の中心にいるのが中国だと思うんですけれども、その中国と我々隣人として今後どうやって付き合って行ったら良いのかと、いうような話をさせて頂きたいと思っております。

先ず激動の世界ですけれども、これはなかなか大変な事になっていると思われる現象を、私なりに三つの逆転現象というまとめ方をしております。三つの逆転現象とは何かと言うと、アメリカと中国の逆転、日本と中国の逆転、三つ目が東と西の逆転と、無理やりまとめ上げております。

 一番目の米中逆転というのは、一つ象徴的な動きが有りました。2009年、自動車の発明国で長らく常に世界一の一大マーケットであったアメリカの販売量が、中国に追い抜かれてしまった。2008年のリーマンショック以来アメリカ経済が不調であるということも作用して、2008年から2009年これを比較すると、アメリカはマイナス21%、1030万台余りに留まりました。中国はその2008年から2009年を比較しますと、プラス42%、1300万台超と、大変な車が売れる一大マーケットになってしまった訳です。ちなみに今年1月から10月までは1473万台だそうです。多分2010年1年間で1700万台、これまで考えた事も無かったような大きな自動車マーケットが中国大陸に出現する状況になっています。アメリカが総合国力で中国に負けたという訳ではないし、ただ自動車の販売量だろうというふうに思っても良い訳ですけれども、自動車産業はアメリカ経済というかアメリカのいわば代名詞みたいなものでありますから、その最もアメリカを象徴する分野で中国がアメリカを追い越したという事は、経済は生き物でありますから、やはり大変な事態が起きたなと考えた方が良いんではないかなと考えております。

2番目の日中逆転、これは昨今のニュースで、さんざん耳にされていると思う訳ですけれども、中国のGDPが今年、2010年をもって日本を上回って、世界第2位の経済大国の座を、日本から取ると、こういう日中逆転がほぼ確実な情勢になってる訳です。これは、やはりある種感慨を覚える、構造的なやはり大変化なのかなと思う訳です。日本は1968年、当時西ドイツがアメリカに次いで世界第2位の経済大国だった訳ですけれども、1968年に、日本はその西ドイツに追いつき追い越してアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国という地位を獲得した訳です。以後42年間、その地位にあり、日本が国際社会で日本という存在を非常に分かり易いキャッチフレーズでアピールする時に使って来たのが我が国は世界第2位の経済大国だという、便利な言葉だった訳です。それが来年以降は使えなくなるという事はちょっとやっぱり不都合というふうに感じる訳です。

ただ冷静に考えれば、中国は人口に於いて日本の10倍の国です。国土に於いては26倍という大きな国です。その大きな国が日本より今までGDPが少なかったというのが異常な事態であって、ようやくこれで正常化の1歩が始まるというぐらいに考えれば、何ら日中逆転がGDPに於いて起きても、ようやく当たり前の状況にこれからなって行くんだというふうに、落ち着いて考えればそういう事でありますけれども、ただ年が明けてしばらく経って、世界銀行とか日本政府とか、国連とかそういう公的機関から公式のGDPの集計が発表されて、中国が日本を追い越して世界第2位の経済大国の座を奪ったというニュースが流れた時の日本の普通の国民の心理としては、やっぱりちょっとショックっていうか、しばし沈潜するような事が起きるんじゃないか、まあそれが妙な反動にならなければ良いなというふうに心配する訳です。

3つ目の東西逆転は時間を取ってお話を進めたいと思います。今我々はグローバル化の時代に生きていると言いますけれど、普通グローバル化が何時から明確な形で始まったかというと、大体、1989年、天安門事件も有りましたけれども、ベルリンの壁が崩れ、翌年にかけて、ソ連共産党が解体し、東西の壁が崩れた結果市場経済化が一気に広がり、併せてその時期情報技術革命所謂IT革命も一気に進んで、世界中の距離感、相互の関係がこれまでと激変するという状況が生まれて、大体大方の一致する意見としては、89年90年当たりからグローバル化が一気に広がって来たと、解釈されている訳です

 しかし、じっくり考えて見ると、人とか物とか情報の遠い距離のこの2点を移動する現象は、もう人類の歴史が始まって間もなくして始まったとも言える現象な訳です。私は今週の半分位京都で過ごしておりますけれども、この1年、平城京遷都1300年がなかなか人を集める大掛かりなプロジェクトで、賑やかにやっております。この奈良時代の天平文化は何かと考えると、その主要な部分はほとんどが大陸及び半島から渡って来た物なんですね。天平文化を担った人間ていう所に注目すると、同じく中国大陸から渡って来た人、或いは半島から渡って来た人、優秀な渡来人という人材が、この奈良の時代の天平の文化を花開かせたことになってる訳です。この1年正倉院は、大変な人気で、その御物を見ると、そこには驚く程遠方から来た物が御物としてある訳です。ペルシャの金貨とか中央アジアのまだ色を失ってない織物。その正倉院の御物を見ただけでも、あの1300年前の時代から人類は相当遠距離間の人や物の移動をやって来たんだっていうことが分かる訳です。

 時代を少し下ると、大体西暦1400年前後、京都に行ってから教えてもらった事ですが、その時代に、京都で今まで残っている流行語が生まれたそうです。それはどういう言葉かというと、三国一の花嫁という表現ですが、その三国一という表現が実は大体13世紀末の京都で生まれた流行語だというんですね。この三国というのは一つは日本、もう一つは当時の言葉で言えば唐、もう一つは天竺、インドと中国ですね。当時600年前の日本人の頭の中にも既にその世界というものが意識されてましたけれどもその世界は唐と天竺、中国とインドという身近なアジアの2つの文明国だった訳ですね。これはインドで生まれた仏教がヒマラヤ山脈を越えて、中国語に翻訳されて、日本に伝来したという事にも関連して、昔の日本人には世界イコール唐、天竺というような考え方が定着したのかなと思う訳です。

 問題は、その1400年という時代を地球をこう横に切って考えると、世界のGDPというのは一体どういう分布になっていたかという話です。これはアメリカの著名な経済学者クライドプレストウィッツの説を受け売りしているだけなんですが、その本が日本語でも東西逆転というそのものずばりの名前で翻訳されています。彼の本に拠るとその西暦1400年という段階で、今中国インドと呼べる地域が生み出していた富、その時代の全地球のGDPのどれぐらいの割合を占めていたかというと、実に75%、地球の富のGDPの4分の3を中国とインドで生み出していたというんですね。その1400年っていうのがみそでありまして、ヨーロッパがアメリカを「発見」したのが1492年ていうことですから、1400年ていう時点で横に切るとまだアメリカが地球には存在してなかった、経済活動もゼロというふうにカウントされた訳ですが、そういう時点だとはいえ、インドと中国、この二カ国だけで、地球の75%のGDPを生産してたというのは、ちょっと信じられないような気もします。しかもそのかなりの部分は中国なんですね。経済統計学という学問分野の研究がすごく進展してましてかなり昔の時代のGDP、ある地域のGDPというのもかなり精密に推計出来るようになって来て、その研究成果を借りると、中国はその後も時代が下ってもずーっと世界一の経済大国だったんですね。その中国が衰退する大きなきっかけになったのが1840年のアヘン戦争です。そのアヘン戦争のほんのちょっと前、1820年の段階で、中国のGDPは世界の33%を占めてたんですね。世界最大のGDPを誇る経済大国だったんですね。それが20年後に始まる2年間のアヘン戦争の結果、欧米列強の侵略を受けて、国力が吸い取られ、清朝政府の腐敗も有ったんでしょうけれども、秋の日のつるべ落としの如く国力を失って行きます。そして日本の年号でいうと明治10年代には、早くも9.3%ぐらいに縮んでしまうんですね。中華人民共和国が誕生したのが1949年。その3年後、1952年の段階では、ついに5.3%ぐらいになってしまう。そして政治運動が続きました。そして最後は10年間の文化大革命でしたけれども、文化大革命が終わった2年後ぐらいでしょうか、1978年、この時点でついに中国のGDPは世界の4.9%、大変小さい存在になってしまうんですね。

 この1978年というのはしかし今から考えるとやはり大事な1年だった訳です。78年の12月に中国共産党の第11期3中全会という歴史に残る共産党の中央委員会総会が有って、ここで文革から復活したケ小平が旗を振って、こんなことでは世界から落ちこぼれてしまうと、中国の独特の表現で言えば球籍を失うというんですね。地球上の戸籍、球籍を失ってしまうと、そういう危機感を煽って、これまでの政治第一の路線から、何よりも経済建設を最優先するという今日の改革開放政策へ180度の転換が行われました。これはケ小平のような政治家がいなければ出来ない荒業だろうと思います。今日までその路線が32年間続いて来ている訳です。その中で経済規模の拡大も徐々に始まって、2007年ぐらいに、9%を突破して恐らく今年2010年、後に正式な統計が発表されれば世界のGDPの10%台二ケタ台を回復するという、こういう大きい軌道をたどって、ようやく中国がまた再び世界で経済規模が10%台という二ケタ台に回復して来たというふうになる訳ですね。インドも先頃発表された経済成長率は、8%ですか、あまり中国の光が眩しいんでその後ろに隠れているインドの発展、我々はあまり意識しませんけれども、インドも猛烈な勢いで発展を続けております。

 つまり東西逆転というのは、世界経済の重心がずっと中国インドを始めとするアジアにあったものが、18世紀19世紀にかけての産業革命がイギリスで起こり、その結果の産業革命自身がアメリカヨーロッパで生産力を一気に高め、一方アジアは没落して経済の重点が東にあったものが西に移った。その西に移った重点が今また再びアジアへ東へ移って来ているという、これが言わんとする所の東西逆転現象になる訳です。アメリカなんかではパワーシフトとか、再びアジアへということで、リオリエント現象とかそんな名前で呼ばれている、地球上の地政学的変化、構造的変化が正に起きてる訳です。1位2位3位この順位はどうでも良いですけれども世界経済大国1位2位3位、アメリカ、中国、日本この3カ国がふと気が付けば、丁度、太平洋を囲む形で存在している。世界のトップスリーがそういう形で共存しているという、こういう世界になって来たということが益々はっきりと目に映り始めている訳です。アメリカのオバマ大統領はどうも最近バスケットをやって唇を切ったり、中間選挙で敗北したり、デビューした頃に比べて大分光が薄れて来ましたけれども、彼が昨年2月就任してから間もなくの時期に、私は合衆国始まって以来初の、アジア太平洋大統領であるというような事を演説の中で言った事をちょっと注目しました。彼はハワイで生まれて幼少期インドネシアで育ったことで正にアジア太平洋の申し子みたいな人ですけれども、だからそう言った訳では勿論ない訳です。先日横浜のAPECにオバマさんが来る前に先ずインドに行って、インドのシン首相の肩を抱いて、インドが国連安保理常任理事国になる日を心待ちにしてるというようなリップサービスをして、原子力関係の協力も更に推進を約束して、それからインドネシアに行って韓国に行って横浜に来ました。これは恐らくしばらくの間中東、アフガンあの辺の問題に忙殺されて目配りをしてなかったアジア、こんなことではいけないという反省に基づいてアジア復帰の外交を先ずやっとくという事なんでしょうけれども、アメリカの今後の21世紀半ばまでを眺めた場合、アメリカの国益というものが経済面でも政治面でもすぐれてアジア太平洋地域に存在する事を認識した上での、自分はアジア太平洋大統領だというふうに言ったんだろうと解釈するのが正しいんじゃないかと考える訳です。

 このように、米中逆転、日中逆転、東西逆転、この3つの逆転現象の何れも主役として係っているのが、中国ということになる訳です。この中国について我々は今後どういうふうに考え、どういうふうに付き合って行ったら良いんだろうか、どういうような車間距離をおいて隣人関係を結べば良いのかという大きな課題が、もう私達の目の前に有る訳です。恐らく今日この会場にお見えの皆さんもその中国に対しては様々な思いをお持ちだろうと思うんですけれども、あえて強引に、最大公約数の問題として3つ上げさせて頂いて、これからは3つの問題に沿って考えて行きたいと思います。

 その3つの問題というのは、1つはこの台頭する中国の経済発展は何時まで続くんだろうかと、ある日バブルが弾けてガクっと来て、中国全体がおかしくなってしまうんじゃないかという不安も抱えつつですね、皆さんこの今の中国の経済発展てのは一体どれぐらいあと続くんだろうか、という疑問を何方もお持ちではないかと思います。2番目は、経済が豊かになった中国は、政治面でも近代化するのか、言葉を変えれば中国の民主化ってのは有り得るのだろうかと、こういう疑問を持ってらっしゃる方も多分多かろうと思います。3つ目は、そういうまだまだ読み切れない不透明な中国はしかしやはり日本にとっては大変益々重要な国になる、そういう潮流の中で、私達はどうやってその中国と向き合えば良いのかと。この3つの話に沿って進んで行きたいと思います。

先ず1番目の中国経済の成長はいつまで続くのか。この問題でありますけれども、先々月、中国政府から中国の今年の第2四半期、7月から9月までの3ヶ月間の経済GDP成長率が発表され9.6%でした。この頃ずっと続いていた10%台の二桁成長率に比べると、二桁を割ったという所が注目すべきなのか、依然高い数字じゃないかと考えるべきなのか。私は後者のほうだと思うんですけれども、依然高い成長を続けています。世界銀行の2010年の経済見通しでも、10%ぐらいの成長を確保するだろうということが出ています。これは大変高い成長率だと思います。

 私は朝日新聞の北京特派員を2度務めまして、合わせると7年近くになります。その7年間、北京で中国の報道に携わって来た中で得た最大の教訓は、中国の事に関しては決して明日の事でも断定的に書くなと、これは先輩からも言われましたけれども私自身の教訓でも、つい筆が走って断定的に書いて翌日全然違う方向に転んでったりしますので、こうだろうと思うけれども条件が違えばこうなるかも知れないという、逃げを打っておけというのが先輩からのありがたい申し伝えで、私もついつい勇み足をしてしまって、失敗をした事が何回も有ります。そういう意味では、はっきりと断定はしたくないんですが、今日はその禁を破って言えば、中国の経済成長はあと10年は、平均7%ぐらいの成長を続ける潜在力をなお有してるというふうに私は考えています。勿論舗装された真っ直ぐな走り易い道ではないと思いますが、所々道路工事中であったり或いはちょっと迂回路が有ったり、そいう道のりになるでしょうけれども、少なくとも今後10年は、7%ぐらいの成長を続けて行く潜在力を持っていると考えています。

 やや悲観的に中国を見ている人達から、じゃその根拠を示せというふうに突っ込まれる訳ですが、私は経済の専門家ではありませんので、こういうデータとこういうデータでというご説明は出来ないんですけれども、そこは7年余り中国に駐在して中国を肌で実感して来たという曖昧な立場から多少こういう理由が有るんだという事を申せば、1番目、日本のような島国の単一市場で人口規模が1億2千万人ぐらい、そういう分かり易い中で暮らしているとつい中国も、あたかも一つの経済モデルで国一つが動いていると考えがちでありますけれども、私の観察から言うとやはり最低でも3つ、或いは4つぐらいの違う経済モデルで一つの国の中に並存して動いているんですね。それを分かり易い例で言えば、大変日本通の王毅大使という方がおられました。今は台湾関係のポストに転勤してますけれども、王毅さんは上海で暮らした経験が有る。上海の一番の目抜き通りの、例えば南京路とか匯海路、こういう所の一流デパートでしばらくヒット商品になった商品がやはり飽きられて売れなくなった場合にどうするか。これはブローカーが来て残りを全部引き取って、ちょっと内陸部の湖北省の武漢とか、湖南省の長沙とか河南省の鄭州とかそういう所のデパートに持って行けばまた一としきりヒット商品として売れる。でそこでも売れなくなったら今度は更にそれを担いで汽車に乗って蘭州だとか青海省の西寧だとか寧夏回族自治区の銀川だとか、そういう更に内陸部に持って行けばまたお客がいる。こういうふうに、やっぱり王毅さんの言い方だと中国経済の懐は深いんですと、奥行きが有るんです。まこういう構造になってるんで、例え不動産バブルの破裂が心配されてますけれども、例えばそういう問題が沿海部の大都市で起きたとしてもですね、その影響が一気に中国全体に広まって、酸素不足で酸欠でみんな倒れてしまうってなことにはにはならないという、まあそう言われてみるとそうかなという感じもするんです。要は一つの経済モデルでは動いてませんと、一つのマーケットだけではないんですということをもっと見て頂きたいと言うんです。そういう所は私も実感として有るように感じてます。

 それから10年後まで7%というふうに申し上げた10年後2020年、これは今中国で大変重要な年になっている訳です。中国共産党が今中国民に政権公約として分かり易く示している約束は、2000年の一人当たりGDPを2020年には4倍増にすると。多分これは達成される目標だと思うんですが、兎に角2020年10年後まではですね、中国共産党政権はですね、必死に何が何でもそのレベルまで中国の国民の生活水準を上げて、所謂小康水準、少し全国民が少し余裕の有る経済状況っていう状況に持って行くということを約束していて、多分この10年間は、何が何でもそういう目標達成のためにやって行くんだという決意を今の胡錦涛温家宝政権、或いは2年後の2012年に誕生する次期政権、その指導者達もその課題を引き継いでやって行くんだろうと思います。中国共産党の統治能力、所謂ガバナンス能力というのは客観的に見てもそれ程低い水準にあるとは思いません。そこそこの管理行政能力が有る政権だというふうに私は考えてますのでこの10年間猶必死で経済発展を安定的に続ける努力をですね、政権を挙げて取り組んで行くであろうと。それからまあ日本のこの破綻した政府の財政状況に比べると中国の国家財政はまだまだ余裕が有る状態というふうに外からも評価されてます。従ってバブルが弾けたなんていう場合にも、国家が財政投入して素早く対策を立てる事も多少出来ると思う訳です。

 それともう一つ、歴史の文脈から言えば、日本が1968年に世界第2位の経済大国になった時は、日本人自身も或いは外国の専門家も、日本の成長が更に続いてやがてアメリカに追いついてアメリカを追い越して世界一の経済大国になるというふうには誰も思わなかったと思います。ところが今年世界第2位の経済大国になる中国の経済発展というのは、世界的に見ればまだまだ続くと見る人が多数派だと思います。その結果その先にどういう事が起きるというと、いずれアメリカに追いつく時期が来るであろうと、こういうふうに思っている人も少なからずいると思います。更に追い抜いて行くかも知れないと。この辺が私は世界の中国を見る目の多数派の見方なのではないかと思います。これは経済学のやさしい定義ですけれども、年率7%成長を10年間続けると経済規模は倍になると。更に10年間7%を続けると倍になる、つまり4倍になると。こういうふうに言われてます。数学上そういうことになる訳です。中国のGDPは去年大体5兆ドルでした。日本は多分5兆1千億ドルぐらいでちょっと上回った訳です。それが今年逆転されるということですが、5兆ドルの中国経済が10年後には倍ですから10兆ドル。更に10年7%成長を続ければ20兆ドル規模の経済になる訳です。今アメリカ経済は約15兆ドル。アメリカも成長は続けるでしょうから20年後に仮に20兆ドルになれば20年後に正に米中経済規模が拮抗する段階になる訳です。これはあくまで机上の計算ですからその間に両国においてどういう事が起きるかこれは全く予測は不可能でありますから、その通りになる保障は全く無いんでありますけれど、仮にちょっと計算して行くと、そういう事が20年後って言うと、そんなに遠くの話ではないんですけれども、中国経済は世界一になる可能性が有る、ということは言えるんではないかなと思う訳です。

 つまり世界一という時代がずっと続いていた中国が自らの原因も有り、外圧外敵から侵略されたということもあり、経済規模が縮小していった、それがまた再び拡大して来た。将来少し楽観的に展望すると、それが再び世界一になる可能性を秘めているという100年、200年単位で起きている現象が今実は起きているのかも知れないと。そういう事で言えば、中国の台頭というのは20年30年で終わらずに、ひょっとしたら100年150年ぐらいのスパンで続いて行く現象なのかも知れない。そういうことで言えば多少曲折は覚悟しなければならないでしょうけれども、中国の国力の拡大という現象は、そう簡単には止まらないと考えるべきなのかも知れません。

 問題は、経済発展すれば中国が内に抱える様々な難しい問題が全て解決するかというと、そうではないという所が中国の泣き所で、これはもう大変な状況が有る訳です。私は一言で中国を言えって言った場合には、中国は複雑な国であるとか、中国は矛盾した国である、というふうに言うんです。全体的に見れば、マクロで見ればもう日の出の勢い、飛ぶ鳥を落とす勢いでありますけれども、国内を見れば、こんなことでよく胡錦涛さんも温家宝さんも政府の指導者として枕を高くして眠れるなというぐらい、難しい問題があっちにもこっちにも有る訳です。そういう複雑な面を持つ矛盾に満ちた国が中国な訳です。

時間の関係で、この問題一つ一つをお話しする訳にはいかないので、絞ってお話して行きたいと思いますが、様々な問題が有ります。改革開放以前から有って、それを引き継いで来たけれども、その対策を取らずに先送りして来た問題、或いは余りにも急ぎ過ぎた発展の結果新たに生じた歪みとゆがみ、この改革開放後生まれた問題。二つの山盛りの問題が有る訳です。例えば、GDPを兎に角大きくしようという発展モデルでやって来たために、エネルギーの不効率、或いは環境問題はいずれ解決すればいいというてことで、環境対策などにお金を使わずにやって来たつけ、そういうものが今一気に噴出しています。

 そういう問題意識で私は去年黄河にその典型例を見ようという取材を4回やりましたが、黄河の断流問題とか水質汚濁とか、水の取り過ぎとか、様々な問題が黄河に集中的に現れていますが、ミニ黄河の問題が中国の内陸河川にほとんどに有って、この木曽川の流れを見て参りましたけれどもああいう清流を持った大河というのは中国ではほとんど有りません。中小河川はもう昔私達が学生時代に見た、あのポコッポコッとメタンガスが底から湧き出して来るような真っ黒な水を湛えた中小河川、そういうものばかりです。大変な環境問題が起きてます。

 それからこの改革開放の歩みと同一歩調で出産制限計画生育運動、通称一人っ子政策をやって来たお陰で、今や一人っ子世代が4億人に達し、早くも日本を追いかけるように、少子高齢化の問題もひたひたと後ろから忍び寄っているというのが中国の現実です。それからオリンピックの年に噴き出した民族問題、これも抱えてます。或いは役人の腐敗汚職の問題。

 様々な問題が有りますけれども、中でも1番シンボリックな深刻な問題ということで言えば、格差の問題だいうふうに指摘されています。様々な格差が有るのは勿論ですが、3大格差という表現がされてまして、1つは地域間の発展格差です。沿海部の大都市と内陸部の都市の間の格差、地域間の発展格差、それから個人の個人と個人の間の収入格差、そして3つ目が都市と農村の格差ですね。外にも色々格差が有ると思うんですね。少数民族と漢民族の格差とかですね、様々な格差と思いますが、中国では前の3つが3つの大きな較差ということでメディアでもしきりに取り上げられている問題です。地域の発展格差ということで言えば日本でも何回も取り上げられている有名なデータが有りまして、上海は市民一人当たりのGDPが中国で一番高い地域でありまして既に1万ドルを越えてます。中国全体平均では2009年末の段階で3700ドルでしたけれども、上海はその3倍近い1万ドル以上のGDPが有ります。それに対して一番貧しい地域ということで上げられるのが、南内陸部少数民族がかなり沢山住んでいる地域でありますけど貴州省という所が有ります。ここの省民一人当たりのGDPと上海の市民の一人当たりのGDPを比較すると1対10ないし11という普通の国では考えられない、一つの国の中に二桁の格差が有る訳です。

 日本の場合ちなみにどうかというと、日本の47都道府県の県民所得っていうデータと比較すると、東京都が1番高く一番低いのが沖縄県です。1対2倍東京都民の所得の方が高いという、これはあくまで平均値統計ですから、実際県民の生活度、生活の質、或いは幸せ度ということで比べたら、恐らく沖縄県民の方が幸せだというふうに感じている人の方が多いんじゃないかと思いますが、それは別の話として、日本では最大1対2の格差に、これは普通の先進国では当たり前の水準ですけれども、中国では1対10以上の二桁の格差が出てると。都市住民と農村の収入格差ということで、中国では公式統計では大体1対3.3という数字が発表されています。都市住民の方が3.3倍な訳です。これでも結構差が有るなあって感じなんですが、所謂社会福祉の恩恵とかそういう要素も加えて考えると、実際は都市と農民の格差は1対6ないし7ぐらい有る。これも相当高い比率になっている訳です。そして農民というと中国の13億5、6千万人の人口の内、なお70%ぐらいが農村部に住んでいる人口ですから、それだけ差を付けられた農民が7割ぐらいの人口を占めるということは、やはり国全体を眺めるといびつな構造と言わざるを得ません。そして個人と個人の間の所得格差、これはもう公式統計が無い、これはなかなか捕捉出来ない。これをイメージとして言えば、この富士山のような高い三角形の山を考えた場合に、もう一握りの富裕層がですね、夏でも残雪が残る山上部分のほんの小さい所にいて、5合目を中心に、中間階層が中国でも育って参りましたけれども、その中産階層がいて、広い裾野部分に年収が一人当たりの年収が日本円で1万円に届くかどうかという貧困層がなお5千万人程度この富士山の広い裾野部分を形作っているという、すごいいびつなピラミッド構造になっている。中国の専門家達の話を聞くと、このまま何らかの対策を取らずに格差の拡大を放置すればいずれ、この彼らの表現を使うと握りの部分が有って両側に重りが有る、鉄アレイのような貧困層と富裕層が両極に分かれて、中間層が非常に細くなって脆い、何時崩れるか分からないような社会構造になってしまうと。これでは中南米等に見られた破綻国家と同じ事になってしまうという危機感を口にするんです。そういうような大変な状況が中国では生まれてると。

 こういう問題について政権の指導者たちは勿論承知している訳です。この間打ち出された対策で地域間の発展格差で言えば、80年台から本格化した西部大開発。中国語の表現で内陸部ってことですね。国家予算を重点的に配分して経済の底上げを図るため、道路とか空港とか鉄道という、インフラを優先的に整備して行くと、これは確かに行われて来てます。それから個人と個人の収入格差の不合理な広がりを何とか合理的な範囲に抑えようって事で、税制を一層整備して徴税業務を強化して、本来税金をたっぷり納めるべき人達が、中国の場合漏税盗税脱税してますので、そういう取るべき所からしっかり取る努力をして行こう、税制でならして行こう、これはそう簡単には効果が出ないと思いますけど一応そういう政策を打っている。農民の所得拡大という事では毎年春、全人大が開かれますけれども、そこで総理が政府活動報告をする中で、毎年強調しているのは所謂三農問題、農村・農民・農業、この三つの問題の解決に政府はここまで一生懸命取り組んで来ました、特に農民の所得をかさ上げするためにこれだけ色々優遇措置を取って来ました、農民の農業税も廃止しましたと。政府は農民対策を一生懸命やってますよとういう事をそこまで強調しなければいけない程やっぱり農民の問題、農業の問題が深刻であるという、裏返して考えればそういう事なんでしょうけれども、少しずつやるべき事はやっていると客観的にみて評価は出来ると思います。そういうことで格差是正に取り組んでいますけれども、何れの問題も一朝一夕には解決出来ない。

 この秋第17期第5回中央委員会全体会議が有ったんですが、ここで習近平さんがいよいよポスト胡錦涛の地位を固めたといわれる人事が有り、日本の新聞ではその人事問題を中心に報道されました。軍事委員会副主席になった訳です。その一方で、もう一つ注目すべきテーマは何だったかというと、来年から始まる第12次5ヵ年計画の経済運営の方針っていうものを討議して、決定した訳です。その結果がコミュニケの形で発表されましたが、そこで言われていた事は非常に妥当なことが言われているように思います。つまり今までの資源もエネルギーも、がぶ飲みで非常に不効率なGDP拡大主義ということでやって来たようなモデルはもう通用しない。或いは外資依存、対外依存度の高い経済構造は内需中心のものに変えて行かなければいけないんだと。この至極妥当な事が述べられていました。

 こういうふうに中国が徐々に政策調整をして行けば、非常に好ましい事ではないかなと思った訳ですが、もう一つそのコミュニケの最後の方に、小さく一行だけ、政治改革については積極且つ慎重に進めるという、たった一行だけ政治体制改革について言及されてるんです。これが2番目の問題に繋がって来る訳です。国民の一人当たりのGDPが3700ドルになった中国、豊かになったではないか、じゃあ経済に次いで政治面も近代化する条件が整って来たのか、もうその時期ではないかと、世界から見ればそういうふうに見られている訳です。実際アジアの近現代史を振り返ると様々な国で大体国民一人当たりのGDPが3000ドル4000ドルになると国民が、物申す国民になって、それまで政治参加を制限されていたけれども、今日より明日、私達よりも子供達の世代が良くなるということを政府が約束すれば、しばらく我慢してついて行くかと、いうことで大人しくしていた国民達がそれだけでは満足出来なくなって、政治的な権利を求めて声を上げ始め、或いは街に出てデモをし、或いは政権の座に座って来た独裁権力を振るって来た指導者の退陣を求めて拳を突き上げる、武器を手にするというような事例が各国で有りました。中国も3700ドルから4000ドルという段階になって、十分過去に起きた事例を参考にすれば、何か起きてもおかしくない状況になって来てる訳です。私の解答は中国でも政治的な変革はこれは絶対に有るというふうに考えています。ただその変革が、流血を伴わない平和的なソフトランディング出来るのかどうかって所が問題だと考えています。中国でも開発経済学の定理では経済発展が進み収入を増やした中間層が形成され、そのある厚みをもった中間層が形成されると、彼らの政治的要求が高まり、政治の民主化が実現するという、簡単に言えばそういう流れになるという事です。ただ中国は韓国のような小さな半島国家でもないし台湾のような小さな島でもないし、ましてやシンガポールのような都市国家でもない。簡単に過去のアジアで起きたそのような動きと比較するのはこれはどだい無理なのかなと思う訳です。また4000年5000年の長い歴史を引きずり、日本の26倍の国土に10倍の人口を抱えるっていう、何でもそのスケールが大きい国であるだけでなく、その結果教育の水準普及度、或いは民衆の法治観念の成熟度、或いは56の民族から成る多民族国家である、そういう様々な中国の固有の条件を加味すると、多分そう私達が考えてるような単純なコースをたどって中国の政治の変革が起きるってことは多分無いだろうなと、一筋縄ではないコースをたどって中国式の政治的な変革が起って行くんだろうなと考えざるを得ないんですが、これが何時起きるのか、そして隣人としては注目したい所はソフトランディングが可能なのかどうかって所は、私も全く見通しがつかない所でありますけれども、変革に向かって中国がそろりそろりと動いてることは間違い無いだろうと考えます。

 3つ目の問題は、そのような強みも弱みも併せ持ち、表と裏では全く印象が違うような複雑な様相を持つ中国と言う国と私達はどのように向き合って行ったら良いのかという問題であります。私達日本も先ほど少子高齢化という中国の話しをしましたが、それよりもはるかに進んだ少子高齢化社会に突入している訳です。中国はまだようやく都市部で高齢化社会、人口に占める65歳以上の人口がようやく7%を越えたぐらいの段階ですけど日本はもう21%を越えてる訳ですから超高齢社会ということになってます。そういう真綿で首を絞められるように国力が吸い取られて行くような構造的な問題の真っ只中にある日本としては、やはり中国のこのエネルギー、これを頂戴して活用して行く事は絶対に考えて行かなければいけないだろうと思います。特に経済的な面での交流の拡大活発化というのは、ぶれてはいけない基本中の基本だというふうに考える訳です。先程上海が一人当たりGDP1万ドルを越えたって言ってますけれども、外にももう沢山出て来ました。南の広州、北京、青島、大連、一人当たりGDPがこういった地域に住んでる人口を合わせると丁度今の日本の人口と同じ規模、1億2、3千万人になってる訳です。日本のマーケットと同じぐらいの規模の、相当収入を手にした人達が中国の沿海部を中心にして存在している訳です。そういう人達が求めるものは一般的な家電製品とか一般的な性能の物品ではなくて、やはり今私達が買いたいと思ってるような物と同じ物をそういう人達も消費者として今欲っしてる訳です。だからそういう所に狙いを付けて日本の企業が今どんどん進出して行く、ということはもう極自然の流れだろうと思います。

 今年の5月から10月まで上海でご承知の通り万博が開かれました。5月の万博の開幕から1週間後ぐらいの時でしたか、あのユニクロが、上海南京路に中国再進出と言って良いと思うんですが中国には既に進出してましたけれども、今回また大掛かりに進出するというユニクロの対中戦略で上海南京路にその進出の基幹店とも言える大きい店をを作りまして、そのオープンに合わせて、ファーストリテーリングの柳井会長兼社長が、記者会見しまして、我がユニクロは今後10年間に、正に2020年をターゲットにして、10年間に中国国内で1000店舗のネットワークを構築するという大風呂敷を広げました。ユニクロは現在国内で800店舗なんですけども日本国内よりも大規模な店舗網を中国で10年間で展開すると言いました。その会見の時に自動車販売業に於ける米中逆転を彼は挙げまして、これは自動車という物だけの話ではありませんと。中国市場ではこれからあらゆる消費材が爆発的に売れる段階に入ったというふうに私は認識していますと、そういうふうに述べたのが非常に印象に残りました。

 11月の始め、決算発表の記者会見で柳井さんは、こんな事も言いました。ユニクロの今全店舗で扱ってる商品の85%が中国国内で委託生産したものであると。この比率は余りにも高過ぎると思っていると。今後10年間でその率を85%から50%に出来るだけ近づけたいと。こういう発言をしました。尖閣事件でデモが起きてユニクの店も1店舗影響を受けてしばらく営業を停止したってことで、僅か1店舗ですので、それでたちまちそういう発言をしたとは思いません。でもやはり中国という市場は魅力的であると同時にやはりリスクを抱えてるってことを見れば、やはり何らかのリスクを回避する手立てを打つというのが普通の経営者が考えるべき当たり前のことだろうと思います。今回のデモの前2005年ですか、小泉政権下で難しい政治状況の中で中国の方で春の嵐と言われたやはり鍵括弧付き反日デモが吹き荒れたことが有りました。でその前は2003年の冬、サーズという新型肺炎の蔓延、これは中国政府が情報を統制したってことがこの病気を広げてしまった原因の一因だと思うんですけれども、何れにしてもその新型肺炎のお陰で部品の調達が出来ないということで日本の進出企業も操業を停止したりということに追い込まれて、その時以来チャイナプラスワンというようなことが語られるようになりました。中国はビジネスの主戦場で外せないけれども同時に、想定外のリスクも起こり得る、その衝撃を和らげるような手を打っておかなければいけないという考え方がチャイナプラスワン。分かり易く言えば中国で結構うまく行ったから第2工場も中国で作ろう内陸部で作ろうということではなくて、それを一つベトナムに持ってくとかバングラディッシュに持っていくとか、そういう発想です。今回の事件を契機にしてまたそのチャイナプラスワンなんてことが 言われてきました。秋の決算発表の会見で企業の経営者達が口々にそのようなことを言っていたのが印象に残ります。しかしやはり中国はリスクが有るからといって避けている訳にはいかない、それ程これからの日本にとっては重要なマーケット市場 生産拠点だろうと思います。その中国の経済成長がまだ続くというふうに仮定すれば、非常に大きな潜在力を秘めた中国という経済空間を、私企業ビジネスであればビジネスの発展の場として、或いは日本経済の再生の活力を得る場として、中国という魅力的な潜在力の有る空間を大いに使っていこうというふうに考えるのは国民益ということも含めた広い意味での国益というものに適う発想だと思う訳です。ただリスクが有るということも覚悟して我々はその日に備えを持ちつつ中国と向き合って行くということが先ず大事だろうと思う訳です。

 私は2回計7年余り中国に駐在し、その前に1年間、研修留学という形で中国の東北部の瀋陽の小さな大学に留学する機会を得まして、8年近く中国と付き合って来ました。その中で色々中国の人達、友人になったり知人も獲得しました。そういう中で中国側メディアの日本特派員とかですね、或いは日本を研究している中国シンクタンクの専門家とか、中国外務省の日本大使館総領事館経験者、そういう日本の事をよく知ってる人達と話し合う機会が有るんですけれども、そういう人達に、今年GDPで日本を追い越してすごいねと言っても、彼らは全然はしゃがないんですね、嬉しそうな顔もしません。そんなの当たり前じゃないですか日本より10倍も人口が多い国ですよ、今までがおかしかったんであって、というふうに非常に冷静なんですね。更に付け加えて彼らが言うのは、私達の本音として日本にはあと10年いや、15年20年、場合によっては25年追い着きませんよ、というふうに言うんですね。それはどういうことで?と質問すると、私達は80年代に日本に最初に来た時は日本の中でこのハードウエア、カラーテレビであり自動車でありカメラであり、そういう物ばっかり目が行ったと。すごいなあ欲しいなあ、帰国する時はあれを買っていこう、これを買っていこうという、まんな事ばっかり考えてたと。しかし中には2度目の東京特派員になった人もいるんですけれども、2度目に来た時は、もうハードには目が行きませんでしたと。今度私達が見たのはソフトの部分、日本のソフトウエアですよと。そこにやはり学ぶべき物が有るというふうに考えました、とこういうふうに言う訳です。じゃそのソフトウエア、ソフトの部分て何?と聞くと、それはきっとあなた方日本人がもう当たり前の事として気付いてない物ですよと。でそれは何?と訊くと、例えば、私は日本47都道府県全部歩きました、佐渡島だ何とか島だそういう離島にも行きましたと。そういう所で水道の蛇口が有る、そこで喉が渇いた捻る、ちゃんと安心した水が何処でも飲めるじゃないですか。新幹線だけじゃなくて地下鉄だってほぼダイヤ通りにきちっと管理運行されてるじゃないですか。何よりも街がきれいじゃないですか。公衆トイレに行けばきれいなトイレが使えるじゃないですか。治安が悪くなった悪くなったって皆さんおっしゃるけれどもこんな治安が良い国は世界でもまだ無いですよと。世界でもまだこういう都市は無いですよ。次々にこういうふうに言われる。総じて言えば彼らが口にするのは、彼らが羨ましいなと思ってるのは、或いは彼らが日本に追い着けないなと思ってるのは今挙げたような、日本社会の何ない日常条生活の中に有る、何気ないシステムであり、何気ない信頼に基づいた人間関係であり、社会の絆とか、そういうものなんですね。或いはきれいな空気清潔な街。そういう物が中国社会に本当に根付いて多くの中国人がそういうものを享受出来るような社会になるためには、10年なんか絶対無理ですよと、早くても25年、或いはもっとかかるかも知れないというのが彼らの答えなんですね。

 時間の関係で、一言でまとめたいと思いますが、中国の或いはその後ろから追いかけているインド、それからアセアンの国々も今非常に勢いが良いです。アジア経済これからどんどん発展して行くでしょう。インドや中国のような量的な拡大、GDPがどんどん大きくなっていく、これを日本が追いかけようと思っても或いはライバルとして同じような競争を挑んでもこれは勝てっこない訳ですもう。人口がどんどん減っていく、体力がどんどん減っていく、そんな日本がそんな競争を挑んでも意味が無い訳です。量的拡大競争は彼らにまかせる。我々はやはり今よその人から言われて、あ、そうか日本はそういう良い面が有るんだということをもっときちっと理解して、その日本の優れたアジアの国々からまだこうこう羨ましいという眼で見てもらえる部分に磨きをどんどん掛けて、それは省エネ技術であり、環境技術でありそういうものを含めて、アジアの国々から依然日本からああいうものが欲しい、ああいう協力をして欲しい、ああいう人材が欲しいと言われるような、非常に質の高い国、質的大国、世界第2位の経済大国というキャッチフレーズが使えなくなれば、日本はもう優れた、質的に大変優れた国であるというような、その辺をうまいキャッチフレーズにまとめ上げて、そういう国として中国にも向き合っていくアジアにも向き合っていく、世界にアピールしていく。そういうことを考えたら良いのではないかというふうに考えている所です。


  ≪加藤先生を囲んでのパネルディスカッション≫


 講演後に、加藤先生を囲んで西堀正司・県日中友好協会理事長の司会でパネルディスカッションが行われました。県日中学術交流委員会会長の山沢清人・信州大学学長は中国留学生が留学生全体の6割を占めており大学院生が多く、優秀な人材が多い、中国が日本に質の面で追いつくまでに25年と言う話があったが、裏返して言うと日本の質の高さを維持しなければならないという厳しい要求でもある。日本人として人間力を鍛えることが必要と思うと述べました。山根敏郎・県日中経済交流促進協議会副会長は昭和3年生まれの自分は小中学校時代を日中戦争・太平洋戦争の中で過ごし、軍国少年として育った。日本の敗戦で世は大きく変わり、隣国中国では国共内戦の後新中国が誕生した。贖罪意識もあり新中国の歩みに深い関心を寄せてきた。尖閣問題などが起き、困難もあるが、高度経済成長を続ける中国の行方に関心を持ち続け、後20年生きて中国や世界を見続けて行きたいと語りました。 西堀理事長は、中国では毛沢東・周恩来・ケ小平時代と比べて指導者のカリスマ性がなくなっている中で日中関係・対外関係の処理も大胆で柔軟な決断を下すことが難しいかもしれない。正三角形理論は理想だが、国民感情もありアメリカ一辺倒的な日本政府の対中政策となっている。しかし政治は細っているが経済関係は太い。尖閣問題も小異を残して大同の精神で処理してほしい。民間交流を拡大して尖閣問題が小異になるくらいの関係を目指すべきと述べました。


 尖閣問題、北朝鮮問題、中国の民主化と情報統制などについての質問に対して加藤先生から、率直な見解が示され、聴衆はうなずきながら耳を傾けました。


(尖閣問題について)
 尖閣問題については、日中双方どっちが勝ったという単純な問題じゃなくて、両者とも失敗したなあ、というのが私の感想です。日本側の対応というのはもう今更あれこれ言う必要も有りませんけれども、非常に一貫性が無い。そもそもの船長を逮捕した対応から始まって、突然釈放して、或いはビデオの取扱いにおいても非常に齟齬が出ているという、この辺はもう今更私がくどくど言う必要無いと思うんですけれども。中国側がやはり失敗したなと思う点だけを述べたいと思います。幾つか有るんですけれども、長い目で見たら中国側の失敗の方が大きかったのかな、というふうに思ってます。一つは、この問題をあっと言う間に民間交流の領域にまで広げてしまったのは、私はものすごい大きい失敗だったと思っています。

日中関係はご承知の通り国交正常化の前から、積み上げ方式っていうことで民間の志の有る人達が一歩一歩、石を積み上げて形作って来たものだと思います。民間交流これは日中関係に於いては宝物だと思います。そういうものに対していともあっさり一千人単位の若者の上海万博への招待を一時キャンセル、のちに復活しましたけれども、様々な交流がキャンセルされた、私も被害者の一人です。上海復旦大学で行われる国際シンポに招待状もらって、論文も一生懸命書いて提出して、さあ明後日から出発だと思っていたら、二日前の深夜キャンセルが入りました。どうしてこんなことまでやめる必要が有るのかという非常に戸惑いを感じました。多分長野県日中の古くからこの活動に取り組んで来られた方の中にもそういう疑問が有るんだと思いますね。そいう最も早くから日中関係を前進させようと取り組んで来た人達に与えた打撃は相当大きいものが有った。私の知り合いの一人はどうしてこういう時に中国に周恩来みたいな人がいないのかと嘆きを言いました。これは本当に大失敗だったと思います。

 もう一つは、あの小泉政権下の靖国問題でこじれて日中国交正常化以来最低レベルにまでなってしまった日中関係、その中でも政冷経熱だった訳です。政治は冷たくなっても経済は活発に動いているという、政治と経済の切り分けが出来ていた訳ですが、今回はこれは中国側は意図的ではないと弁明していますけれども全くタイミングから言っても狙い撃ちの如くレアアース禁輸ということで、経済の領域までこの政治の問題を広げてしまった。これも私は大失敗だったと思います。これは日本のビジネス関係者だけでなく大学生も含めて、こういう露骨な資源外交に対しての反発を一気に広げただけでなく、世界中に、中国というのはこれだけグローバル化して世界が助け合う時代に生きてるにもかかわらず、自分の有利さを最大に生かすためにこんな露骨なことまでやるのかという悪いイメージを広めてしまった。その結果レアアース問題では、日米欧その他の国々がもう一致団結するという結果を招いてしまった。

 それから3番目には、今国会で予算編成が行われていますけれども、尖閣諸島付近の海上警備には巡視船2隻態勢では足りないからもっと海上保安庁の装備を拡充せよとか、自衛隊の部隊を南西諸島に常時駐屯させろとか、そういう防衛省や国土交通省の予算要求が有って、かつてはきっと国会で慎重にやろという議論が出て、そんなに簡単に予算が付かないと思うんですけれども、今のこの情勢下ではもう簡単に予算が付いて、南西諸島に自衛隊が100人規模の部隊、与那国島ですか、そういう候補地まで上がってますがそんなことになっている。これは中国にとっても望まなかった風景だと思うんです。国土防衛という日本政府の国民の利益を守る国土を守るっていう意味ではこれはそういうこともやるべきことかも知れませんが、これは中国は必ずしもそんなことは望んでなかった問題を引き出してしまった、中国外交としては失敗だったと思います。

 ただ、嬉しいのは、中国のメディアの中の一番今日的なネット空間に、そういう中国側のやり方についてちょっと批判的な意見が今出てるんですね。これは私はすごく良い事だと思います。中国の主要メディア、例えば中国共産党中央機関紙「人民日報」とか新華社国営新華社通信とか中国のNHKみたいな存在である中央電視台CCTV、こういうメディアに対しては対外問題特に敏感な対日問題についての情報管理は徹底していますから、政府と違う意見が出ることはほとんど無い状況ですけれども、そのネット空間で中国の国民がナショナリズムに煽られてもっと日本を叩けといった声だけじゃなく、中国も少し反省した方が良いんではないかとか、中国もイメージを悪化させてしまって失敗したんではないかという声が出てるところにちょっと救いを感じる今日の状況です。

(北朝鮮問題について)
 先程話の中で申し上げた通り、中国は矛盾だらけの国だと思うんです。だからこちらを見てればこういう中国が見えて来るし、ちょっと角度を変えると違う中国が見えて来る。そういことでいえば北朝鮮政策についても、決して一本筋が通った対応をしている訳ではない訳です。ある時はこちらの顔、ある時はこちらの顔、或いはもっと百面相かも知れません。基本的にそういうものであると思います。北が核実験をやったり世界の常識に合わない事をやったり、今回のような砲撃で民間人まで死者が出るというような事をやったり、こういう事についてこれは厳しく対応すべきだという考えの人達も一方でいる訳です。強いて言えばそういう考えを代表してるのが、中国の外務省に当たる外交部だろうと思います。それに対してもうちょっと違う角度から、それはそうなんだけれども今北朝鮮のこの体制が崩壊したら大変な状況になる、大変な状況になるだけじゃなくて中長期的に見て中国が今後も安定した周辺環境を維持しつつ経済発展を持続させるためにも、非常に不利な状況が生まれる、今の北朝鮮体制に問題は有っても、当面適宜カンフル剤を打って支えて行こうというふうに考えるグループもいる訳です。それを代表するグループとして強いて言えば中国の北朝鮮外交では非常に重要な役割を担っている中国共産党の対外連絡部が有りますが、今度もその部長が平壌を近々訪問する予定でありますけれども、そういう外交チャンネルとは違うチャンネルも有る訳です。それから軍部。かつて50年代1950年から朝鮮戦争を一緒に戦って、共に血を流したっていう伝統的な関係を持っている軍部。そういうところもやっぱり北朝鮮の現体制を簡単に崩壊させるのは中国にとっても良くないと思ってるグループの一つですね。そういういろんなグループが絡み合ってる中でこの一二年その北朝鮮をやっぱり慎重に扱って、今の体制が必ずしも好ましいとは思わなくても、好ましいことばかりやってなくても、やっぱり今の体制を維持して行くのに側面から支援しなければいけないっていう勢力の考え方が勝ってるように思います。そうなればアメリカや日本や韓国が今回の問題でも、中国よ貴方しかこの止め役まとめ役はいないんだからもっと強い圧力を掛けてこの問題で北朝鮮にちゃんと謝罪させて正しい対応を取らせるように働けと、働きかけられても、はい分かりましたという訳にはなかなか行かないという。それを我々が見てると非常にもどかしい、なんでもっと中国は、極端な言葉を使えば、今の北朝鮮の非常に不合理な体制の息の根を止めるようなことを出来るんだからやらないのかというようなことまで考えちゃう人が出て来ると思うけれども、そこはそう簡単ではないと思います。中国は今胡錦涛・温家宝政権が至上命題としているのは兎に角国内情勢の安定を維持する、維穏(ウエイウエン)て言うですけれども、この二文字が今の中国政権の最大の政治課題。その下で引き続き経済をしっかりやっていくのが中国の今の何よりも優先すべき国家目標ですので、そういう観点からいくと北朝鮮が変に混乱することは良くも悪くも望まないというのが本音のところだろうと思います。

(民主化問題について)
 これも難しい。胡錦涛さんが何もやらずにあと2年の任期を終えようとしてると、私もそう思います。多分彼は政治体制改革面で何かこう刮目すべき第一歩を印す、置き土産としても何かやっていくという可能性としてはもう無いと思います。じゃ次の、今のところ習近平さんがトップリーダーになってその世代のリーダーで固めた中国の政権が出て来る。その政権でそのような動きが出るかというと、これも今そのような動きが出るだろうという予兆は、ほぼ無いですね。ですからそう中国の政治に変革が起きるってことは、いずれ起きざるを得ないと思うんですけれども、今手が届く距離にそういう変化が起きて来ることは、あまり見えて来ないですね。

 その一方でじゃあ何も無くて絶望的な状況なのかというと必ずしもまたそうではないと。情報統制システムは今も基本的に中国ではずっと続いていると思います。共産党を頂点とした情報管理システム、中国式情報秩序が今も有ると思います。しかしその一方で、やはりネット空間という管理しようと思っても管理出来ない情報空間が生まれたし、その知識人達の言論の範囲も、やっぱり一頃に比べれば勿論一定の枠内でありますけれども、かなり大っぴらに政権の批判、政治指導者の批判或いは政策の批判、これを公開の広い場でがんがんがんがん言いつのるってような状態ではありませんけれども一定の範囲内ではその言論の自由の幅もかなり広がって来たように思います。それから非常にきつく管理されたメディアの中にも、個人個人としては所謂ジャーナリスト魂に燃えて、これこそ国民が知りたがってる情報だからこれを報道するのが俺の務めだっていうようなそういう非常に意欲的な個々のジャーナリストが現れて来た、こういうのも目に付きます。そういう意味では、二歩前進三歩後退っていうような形かも知れませんけれども、中国でもそういう方面で摺り足での変化が、もう既に始まって久しいと。こういうものが何時かきっと支流が幾つか集まって大きな流れになってやがて大河になるような形で流れ始めるのかなと。江沢民さんに会った時にそういうことを質問したら彼の答え方がなかなかうまかったんでちょっと印象に残ってます。「あの長江の流れをご覧下さい。あちらで淀みこちらで枝分かれし、またそれが合流しっていう複雑な流れをしてますけれど長江の流れは一貫して西から東へついには海へ注ぐ、この流れを止めることは出来ません」と、そういう答えなんです。中国を見る場合は、やはり2000年、4000年、5000年の歴史広大な国土膨大な人口という、日本とは全然違う国情を抱えた国で、日本と同じようなプロセスを経て同じようなことになるというふうに考えずに、やっぱり中国には中国式の政治改革の道というものが有って、それがどういうふうに展開するかはなかなか我々の物差しでは計り切れないところが有ると思うんです。

(まとめにかえて) 
 さっき山沢先生から留学生教育はどうあるべきかという非常に重要な問題が提起されたんですが、青少年レベルでの、留学生教育或いは一時的な相互訪問そういう活動も含めて、これはものすごく大事だと思うんです。今中国人留学生と付き合って感じるのは、一様じゃないんですね彼らも。全く中国政府を代表したような、裃を着たようなことしか言わない留学生もいる一方で、せっかく日本に来て日本の大学で学んでいるんだから、この際今までのことはゼロにして新しくここからやってみたいというふうに思ってる人もいるし、将来就職を考えてやっぱりビジネスチャンスの多い本国に戻りたいんであまりここでは過激なことは言えないけれども、こそっとなら過激なことを言うわよという学生もいるし、或いはもう日本に留学したんだから日本の社会で就職して日本である程度自分を作って行きたいという学生もいるし、これはもう百家争鳴というか多様なんですね。ですから簡単にこういうふうに留学生に対応してけば良いというのもなかなか難しい。私もまだそういうことを始めて8ヶ月程ですのでどうぞ結論が出ないことをお許し下頂きたいんですが、一人一人丁寧に対応していくということかなと思います。幸い大学院教育ですので相手にする人数が限られているんで、これはもう一人一人個別に信頼関係を築いて、この人はこのようなことを考えているのか、この人は小中学校高校でこういうことを教えられて来たのかということを十分掴んだ上で、一人一人とじっくり付き合って行く。そこで誠意を持って対応していく、これが一番良いのかなと今現在では考えています。彼らは大体パーリンホー(80后)と言われる1980年代以後生まれの若者達なんですね。そうしますと、日本のメディアでよく言われてるように1990年代半ばぐらいから中国で熱心に始められた愛国主義教育というものをある程度洗礼を受けた世代です。私はその中国の愛国主義教育イコール反日教育というのには全然賛成しないんですが、愛国主義教育の一部がたまたま日本に対する歴史教育になるので、従って反日教育的な側面を持ってしまうのは、有ると思うんですけれども、そういう世代が今来てる訳です。そういう世代とじっくり話し合う中で、やっぱり彼らは、あっ違う見方が有るのかっていうことを、自分の頭の中を、相対化してくれるというか、もう一回考え直してくれるという、そういう意味で日本に留学に来る機会というのは彼らにとってもすごく大事だし、自分の目で見て自分の肌で接し、友達を作ってそういう中で、もう一回自分の本当の考えを見つけ出して行くというところに、真剣に取り組んでくれる学生がいたら、それは本当に素晴らしいことだと思うんです。だから、民間交流の中でも私は期待するのは青少年レベルの交流。それから中国の中間層の日本訪問観光。これで彼らが中国のメディアとか中国の官製情報で得てた日本のイメージを、多分かなりの人が少し修正してってくれると思うんですね。これは迂遠な方法かも知れませんが、やっぱり自分で来て自分で日本の社会のありのままを見てってもらうってことは、これは日中の相互理解に対しては、非常に大きな意味が有るのかなというふうに思っています。政治局面が厳しくなっても、今度こそ中国にも呼びかけて民間の交流を絶やさない。青少年交流をどんどんやる。観光客にもストップをかけずにどんどん日本に来てもらう。そういうことをやることが今後の日中関係ではすごく大事なことなんじゃないかなと思います。