友好短信2016.1~12

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 河北省張家口市代表が来県、白馬村などで冬季五輪の経験に学ぶ(12/20~22)

 河北省張家口市代表訪日団(李建拳張家口市人民代表大会常務委員会主任一行5名)が12月20日から3日間来県しました。張家口市は2022年北京冬季オリンピックのスキー競技開催が予定されており、1998年長野オリンピックを開催した長野県の経験を学び今後白馬村などとの交流を深めるため訪れたものです。

  20日夕方、長野に到着した一行は長野県日中スキー交流委員会主催の歓迎会に出席し、河野博明長野県スキー連盟副会長、西堀正司県日中友好協会理事長、大月良則長野県国際担当部長ら長野県のスキー関係者の温かい歓迎を受けました。 翌21日は白馬村下川正剛村長を表敬訪問、北沢禎二郎議会議長、福島信行元村長も同席し、張家口市崇礼区との友好都市締結や、北京冬季オリンピックの円滑な開催と成功の為、白馬村の長野オリンピック競技の実施経験について、張家口市側からは多くの質問が次々と出され、活発な意見交換が行われました。又、白馬高校は他県からのいわゆるスキー留学生も多く、オリンピック代表選手を多く輩出していることから、代表団の孫張家口市青少年冬季オリンピックスポーツ学校校長からは学校提携、選手育成の為の留学生受け入れ、コーチ派遣の要請もありました。

 現地視察として既にスキーシーズンが始まり賑やかな八方尾根スキーゲレンデ、全シーズン競技可能なジャンプ競技場を見学、白馬村松澤宏和スポーツ課長補佐から説明を受けました。競技運営は単に競技場整備のみならず、選手の事前練習やスキー用具の管理員の受け入れも伴い、オリンピック開催時にはジャンプ場の観客席の除雪についても多くの人員を要したそうです。又、村内には長野オリンピック開催時には各国のゲストハウスが設置され、今もジャンプ場に隣接する旧ノルウェーゲストハウスも車窓より見学し、一行は北京冬季オリンピック開催に向け大変、参考になったと話されました。

 午後は県庁に中島副知事を表敬訪問、張家口市代表団からは地元の葡萄を使用したワインが送られ、県からは額入りの飯田水引細工が贈呈されました。張家口は手工芸の切り紙が特産で、長野も葡萄栽培が盛んであることからお互いに共通点が多く、会談は終始、和やかに行われました。

 一行はその後善光寺を参観した後、友好協会会員の内田さん宅を訪問し、有意義な時間を過ごしました。       (戸澤記)  
     

 中国伝統芸術の夕べ長野公演好評でした(11/17)

 長野県日中友好協会創立60周年と長野市・石家庄市友好都市締結35周年を記念して中国伝統芸術の夕べ長野公演が11月17日、長野市芸術館で行われました。600人ほどの市民が来場し変面等中国の伝統芸術を楽しみました。

 華麗な舞を踊りながらの見事な書のステージに始まり、テノール歌唱と漢詩の詩吟、京劇「覇王別姫」の中の虞美人の剣舞、さらに中国民族楽器演奏は二胡・フルス・バーウー・擂琴・京胡など5種類の楽器によって5曲が演奏されました。そして注目を集めたのが18種類の面があっという間に変わる変面などバラエティーに富んだ2時間の舞台を楽しみました。

中国太陽芸術団団長の程波さんの軽妙な司会進行と出演者の見事な演技に大きな拍手が送られました。

 「変面を間近に見れて満足しました。わかりやすい解説と素晴らしい演技に感動しました」と語りながら帰って行く観客の皆さんを、スタッフも嬉しく見送りました。

 天皇・皇后両陛下がご来館(11/17)

                                              ( 満蒙開拓平和記念館 副館長 寺沢秀文)

 早いもので開館から4年目となる当記念館、皆様のご支援等により本年も順調に推移することが出来ました。

 11月7日には開館以来の来館者数が10万人を突破。そして、大変驚いたことに、「両陛下の強いご希望」により天皇・皇后両陛下が11月17日、当記念館にご来館されました。

 両陛下が軽井沢の大日向開拓等を時々訪問されていること等から「いつかあるいは」とも思っていたものの、まさか開館3年半のこんな早い時期にご来館頂けるとは思っていませんでした。両陛下におかれても「満蒙開拓」の史実を国民にも是非振り返って欲しいとの願いからのご来館であったと思います。

 当日は当方が館内のご案内をさせて頂き、記念館内で元開拓団員との懇談の場も設けて頂きました。両陛下からは「この歴史をこれからも語り継いでいってください」というお言葉がありました。

 国策として推進された満蒙開拓は、開拓団員らの大きな「被害」と共に、現地への「加害」等の側面もある「不都合な史実」としてこれまで余り振り返られることの少ない史実でしたが、今回の両陛下のご来館を励みとして、これからも満蒙開拓の史実を語り継ぐことにより、二度と悲しい犠牲者を出すことの無きよう、平和を発信し続けてまいりたいと思っています。

 満蒙開拓平和記念館を訪問、懇談交流会-人民中国読者会(11/12)

 県人民中国読者会は、11月12日定例読書会を阿智村で開催し、満蒙開拓平和記念館参観と記念館スタッフや飯田日中友好協会の皆さんとの交流会を行いました。長野方面や地元からの参加のほか、人民中国東京支局から于文支局長ら3名の参加もあり30名ほどの有意義な交流会となりました。

 残留孤児の父と言われる山本慈昭氏ゆかりの長岳寺を参観し、映画「望郷の鐘」の中に登場する鐘楼やゆかりの碑などを脳裏に刻みました。満蒙開拓平和記念館はこの寺のすぐ近くにあります。記念館では寺沢秀文専務理事(飯田日中副会長)が一行を歓迎した後、開館以来来館者が10万人を超えたことを紹介し、「記念館は開拓団の被害の面だけでなく、加害の側面にも光を当てて展示している。不都合な史実を含め開拓団の悲劇を語り継いでいくことが平和を守っていくことにつながると考えている。近く天皇皇后両陛下がお見えになられますが以前から満蒙開拓団の悲劇に関心をお持ちだったとお聞きしています。記念館にとっても関係者にとっても大きな励みになります」とあいさつしました。

 20分にまとめられたDVD「満蒙開拓の真実」で時代背景をおさらいした後、2グループに分かれて館内を参観しました。ボランティアの方も交代で展示説明にあたっており熱心に解説してくれました。満州事変を契機にソ満国境の備えもかねて開拓団が送り込まれることになった経過や日本の敗色が濃くなった昭和20年5月になっても開拓団を執拗に送り出そうとしていたこと、最後は開拓団に知らせることなく関東軍が撤退していたことなど、開拓団の悲劇の実態を知ることができました。

 参観後、記念館と平和友好碑の前で記念撮影をしました。平和友好碑は白い球に阿部知事の筆となる平和友好の文字が刻まれ、台座の部分には「前亊不忘、後事之師」と刻まれており、こちらは故森田恒雄前飯田日中会長の書です。戦後50年に際し、ハルビン市方正県日本人公募公園内に設置された友好モニュメントを模したもので、並んで立つ「慰霊」の碑と対となり、日中不再戦と平和友好を願って飯田日中友好協会が建立したものだそうです。

 会場を村の商工会館に移して交流会が行われました。8~9月に飯田日中友好協会が派遣した中国東北訪中報告を寺沢副会長と池田真理子事務局長からお聞きした後、交流座談会に移りました。記念館とともに開拓団の真実を学び伝える活動をしているピースラボの木村多喜子さんの活動紹介や勤労動員体験者の宮下昌司さんなどのお話もあり、参加者一同平和の大切さを実感した交流会となりました。
 長野市の帰国者、80人で安曇野バスツアー(10/30)
 
 長野市と市日中友好協会、市帰国者の会で構成される長野市中国帰国者三者連絡会の主催により平成28年度長野市帰国者のつどいが10月30日行われました。昨年の世界遺産冨岡製糸場参観に引き続き今年も要望に応えてのバスツアーで安曇野の大王わさび農場とガラス工房アートヒルズミュージアムなどを訪問しました。帰国者と友好協会役員、市生活支援課の皆さん等約80名が参加し、大型バス2台に分乗しての賑やかな見学交流会となりました。

 あたたかい日差しに恵まれたこの日、長野を8時前後に出発した2台のバスは松代PAで合流し、ここで開会式が行なわれました。

 長野市生活支援課の上田哲夫課長が「長野市は帰国者の会、日中友好協会とともに三者連絡会を設けて、帰国者の皆さんの生活支援事業に取り組んできましたが、その一環として毎年帰国者のつどいを開催しています。ここ数年はバスツアーで観光名所を訪れながら交流を深めてきました。今日1日楽しく交流を深めてください」とあいさつしました。

 続いて、三者連絡会会長の金子繁三長野市日中友好協会理事長は、「沢山の帰国者に参加いただき感謝します。一昨年の上越市水族博物館訪問、昨年の冨岡製糸場参観バスツアーに次いで今年は安曇野を訪問します。年配の方もいるので、無理しないで、楽しい1日を過ごしてください」とあいさつしました。

 布施正幸・県日中帰国者交流センター次長も「帰国者1世の皆さんが大勢の子や孫に囲まれて安心した老後を送れるよう地域の皆さんとともに頑張っていきたい。今年は開拓団送出のもとにもなった、満州事変から85周年にあたります。歴史を忘れず、平和を大切に守っていきたい。11月には天皇皇后両陛下が満蒙開拓平和記念館を訪問されるとの喜ばしいニュースが伝えられました。開拓団の悲劇に思いを致し平和を大切に考えておられる証と思います。日中両国の不再戦、平和友好を願う気持ちを強く持っている皆さんが今後とも元気に過ごし友好の懸け橋になっていただきたい」と述べました。

 バスは、順調に10時に大王わさび農場に到着すると、他の観光客とともに入場、わさび畑をバックに記念撮影の後、思い思いのルートで広いわさび畑を参観しました。

 説明によると、北アルプスからの湧水を利用した、日本最大規模のわさび園で、年間約120万人が訪れるそうです。もともとは雑草の生い茂る原野だったところを20年の歳月をかけ開墾完成させたもので、「大王」の名称は敷地内にある大王神社に由来します。この神社は民話に登場する八面大王の胴体が埋葬されているとされます。創設者の強い意志を支えるとともに、観光名所の柱にもなっているようでした。わさび田に引かれる湧水は一日12万トンで、水温は年間通して12℃。収穫は年間通して行われます。また、ここは黒澤明監督の映画『夢』のロケが行われたことでも知られ、水車小屋をバックに写真をパチリ。帰国者の皆さんも興味深げに参観していました。

 郊外の「ほりでーゆー四季の郷」で昼食の後、安曇野アートヒルズミュージアムを訪問しました。ガラス工房や様々なガラス工芸品が展示されていて、見ごたえのあるものでした。こちらも観光客でにぎわっていました。

 最後に安曇野スイス村でショッピングを楽しんだ後、閉会式を行い、柳沢春生帰国者の会会長が「来年もまた計画していきたいと思っているのでご高齢の一世の皆さんも元気で会いましょう」とあいさつ、2台のバスで家路につきました。

 一世の皆さんは70代半ば過ぎの方が多いですが、皆さん元気に2世3世4世に囲まれて楽しい一日だったと喜んでいました。
 中国のスキー訓練隊が飯山と小布施で合宿、歓迎会に出席(10/25・26)

<吉林省ジャンプ訓練隊歓迎会>
 9月14日より11月中旬までの2か月間、飯山市のジャンプ台で強化合宿を行なっている吉林省通化市ジャンプ訓練隊(劉化斌・李洋コーチ一行11名)の歓迎交流会が、県日中スキー交流委員会の主催で10月25日飯山市「びっくわん」において開かれました。河野博明県スキー連盟副会長、桑原良満飯山市教育部スポーツ推進室長、上村力飯山日中友好協会会長、布施正幸県日中友好協会事務局長ら関係者15名が出席し激励交流しました。

 訓練隊は12歳から20歳までの概ね10代のジャンプチームの選手で、衣食住を共に合宿生活をしながらジャンプ競技の向上と、平昌冬季オリンピック、北京冬季オリンピックの代表枠とメダル獲得を目指し、日々鍛錬の毎日です。若い選手たちは、練習の様子、日本の印象、機会があれば飯山の小中学生と交流したいなど、多くを積極的に語り、長野に対しても興味津々の様子でした。お刺身やいなり寿司、海苔巻きなど、和食も口に合い、益々、日本が好きになったと交流会は終始、笑顔のうち、満場の拍手で閉会しました。

 また、地元飯山日中友好協会による野菜、果物、駄菓子の差し入れ、宿舎を提供している小林潤子さんが毎日、親身になり家族同様に優しく対応してくれるとのこと。暖かい受け入れ態勢に深い感謝を表すコーチでありました。

<中国ビッグエアー訓練隊歓迎会>
 10月26日、ホテル信濃路において、中国瀋陽体育学院のビックエアー訓練隊(王葆衡コーチ一行20名)の歓迎交流会が県日中スキー交流委員会主催で盛大に開催されました。河野博明県スキー連盟副会長、小野沢弘夫県スポーツ課長、西堀正司県日中友好協会理事長、王秀閣中国国際放送局日本語部アナウンサーら16名が出席し激励交流しました。

 一行は10月20日から半月ほど小布施町の「小布施クエスト」で訓練中で長野県となじみの深い瀋陽体育学院の所属選手を中心にナショナルチーム養成メンバーで構成されています。ビックエアーはスノーボードの新種目で、次期冬季オリンピックから正式競技になり、中国代表選手が金メダルを狙える有望競技です。

 交流会では長野スキー界の重鎮、故片桐匡先生が「スキー競技は欧米人だけのものでなく、アジア人が実力をつけ、活躍してこそ、競技人口、競技技術の底上げにつながる」と語られていたことが紹介されるなど、往年の名選手、長野スキー連盟の先生方がスピーチされ、選手たちは怪我をしないことや、選手としての心構えなどを直接聞くことのできた貴重な機会となりました。大きな声で、スキーの応援歌、「ふるさと」、「北国の春」を歌い、選手たちを激励すると、選手たちも現代中国の歌を披露し、大いに盛り上がりました。

 ウィンタースポーツは競技の行われない夏季においても、鍛錬する大切な時期です。未来を担う、10代の若い選手たちは毎日、大北日中友好協会の大塚さんの強力サポートのもと、訓練に通い精進しています。選手の皆さんには実力十分を発揮するシーズンになりますように願ってやみません。

 長野市長、友好協会一行、友好35周年で石家庄訪問、熱烈歓迎受ける(10/17~18)

長野市と石家庄市の友好都市締結35周年を記念し、10月16日から21日、加藤久雄長野市長を団長とする小林義直市議会議長、近藤守教育長らの市友好訪中団(17名)と、山根敏郎長野市日中友好協会長を団長とする北村正博長野商工会議所会頭、北澤忠美日本伝統文化交流会会長らの市民友好訪中団(21名)が訪中しました。5月には邢国輝石家庄市長を団長とする友好代表訪日団一行16名が来長し、その余韻が冷めやらぬ中の訪中で、石家庄では再会を喜び合いながら熱烈歓迎を受けました。一行は記念レセプション、記念写真展、「友好都市桜園」の開園式等に出席し長野市と石家庄市の友好都市締結35周年をともに祝い末永い友好を誓いました。

 16日早朝JR長野駅コンコースにて出発式の後、新幹線で上京、羽田空港から一路北京へ向い、北京市内ホテルで一泊しました。

 2日目は、高速鉄道で石家庄市へ移動。石家庄市は1968年から河北省の省都となり、省都としての歴史は浅いが、人口は1千万人を超えていて、郊外には隋の時代からの歴史ある城壁や寺院があり、市としても観光資源として活用を図っているとのこと。千年古刹の隆興寺などの国宝級重要文化財をゆっくりと見学できました。

市内観光を楽しんだ後、ホテルの一室に展示された友好都市締結35周年記念写真展を参観。締結の初年度から35年間の交流の歴史を思い出させる写真パネルがビッシリと飾られ、両市の歴代市長、歴代日中友好協会長などの懐かしい写真などを見ることができました。特に、石家庄市から「人民友好使者栄誉証書」を授与されている木下雅裕直富商事㈱会長の希望小学校支援などの交流状況も大きく掲示されていて感慨を新たにしました。

夕刻、記念レセプションが100名余の出席のもと盛大に開催されました。邢国輝市長の歓迎のあいさつなどの式典後、石家庄市外国語学校の生徒児童たちによる武術、ダンス、琵琶の演奏などが披露され、訪中団員側も「北国の春」「信濃の国」「長野市市歌」を歌い宴を盛り上げました。毎年長野市へ来ていた語学研修生たち18名も同席し、壇上で「ふるさと」を合唱、思い出を語り、旧交を温めることができ二重の喜びでした。

 3日目は、広大な植物園を視察。園内に設けられた「友好都市桜園」の開園式が開催され、寿命が長いシダレザクラの苗木が両市の代表者によって植えられ、両市の末永い交流を願いました。

午後には、観光交流会議が開催され、両市の誘客連携を図るため、長野市からは長野市の水、イチゴジャム、りんごジュースなどの試飲試食をしてもらい、善光寺をはじめ、四季折々の名所、特にスキー場の魅力をスクリーンでPR。石家庄市からも数多くの名所旧跡の紹介がなされました。

4日目は、5月に柳町中学校と交流の覚書を交わした第2中学校を訪問し、8月に来日した16名の生徒たちの歓迎を受けながら、各学年とも1,000名を擁するというマンモス校の校舎内で、熱心に学ぶ書道教室授業などを見学しました。

昼食は送別会として盛大に開催していただき、14:00過ぎ邢国輝市長一行のお見送りをいただきながら石家庄市を後にし、高速鉄道で北京へ戻りました。

5日目は、7時半過ぎにホテルを出発、まず天壇公園へ行き、引き続いて万里の長城の遊覧に行きました。ロープウェイを利用して上まで登ることができました。国内外の観光客で大変な混雑振りでした。

夕食は北京名物の北京ダックに舌鼓を打ちながら、最後の夜を楽しみました。

最終日は、5:30ホテル発、バスの中で朝食、8時前に搭乗し、9時前のフライトで、予定どおり12:30羽田空港に到着、空港ロビーで無事の帰国を祝って一締めして、東京から新幹線で帰郷しました。       ( 2016.11.7. 吉岡 記 )

長野県日中友好協会創立60周年を盛大に祝賀、大使館や河北省代表も出席(10/12)

 県日中友好協会は10月12日、長野ホテル犀北館で創立60周年記念祝賀大会を開きました。阿部守一県知事、薛剣中国大使館公使参事官、河北省友好交流代表団、宇都宮徳一郎日中友好協会全国副会長はじめ各界来賓ら約250人が出席しました。

 日中国交正常化前から友好協会が友好を築いてきた歴史を振り返り、さらに交流を深めていく決意を新たにしました。出席者には、出来上がったばかりの60周年記念誌『虹の架け橋・長野県友好の歩みⅣ』が贈られました。

 第1部は冒頭、全員で、「永久の友情を」を斉唱。布施正幸事務局長の司会で進められ、山根敏郎副会長の開式のあいさつに続き、物故された先達の皆様に黙祷しました。

 主催者を代表して高波謙二会長があいさつし、創立以来の活動を振り返り多くの支援に感謝しました。そのうえで、「日中関係はこの10年、大きな変化と試練に直面した」と指摘。安定的な関係発展のために「両国間に経済交流や多くの友好都市があり、文化の共通性がある点に目を向け、民間交流を粘り強く進めたい」と述べ、「60周年は一人協会の喜びであるだけでなく、県民的に祝賀すべき慶事。井戸を掘った方々の思いを引き継ぎ、新たなる一歩を踏み出したい」と締めくくりました。会場から大きな拍手が寄せられました。

 来賓祝辞の中で阿部知事は「日中間には難しい問題があるからこそ、顔の見える交流が大切」と述べ、それを実践してきた長野県日中友好協会の活動を評価し感謝の意を表しました。薛剣公使参事官は程永華中日中国大使のメッセージを代読。程大使は「名実ともに中日友好の懸け橋となった。『民を持って官を促す』伝統を維持し、60周年をきっかけに両国友好に引き続き貢献してほしい」と期待を寄せました。協会全国本部を代表してあいさつした宇都宮副会長は「全国でいち早く友好運動を始め、日中国交回復の機運を盛り上げた。果たされてきた力を更に広げてほしい」と述べました。

  河北省から団を率いて出席された李軍省外事弁公室副主任は県協会が河北省との交流に力を入れともに手を携えて歩んできたことを紹介するとともに、2022年北京冬季五輪のスキー競技が河北省張家口市がで開かれることに触れ「中日両国の地域交流のモデルとして長野県と手を携え友好関係を築きたい」とあいさつしました。はるばる中国からお祝いに駆けつけていただいた一行に感謝の拍手がおくられました。

 式典では、西堀正司理事長が『虹の架け橋Ⅳ』を披露しながら、協会創立以来60年の歩みを報告しました。また、井出正一前会長(最高顧問)に長年の貢献に対し高波会長から感謝状が贈られたほか功労者表彰も行われ、協力団体、地区協会、永年会員などが表彰されました。上村力副会長の閉式のことばで厳粛かつ高揚した雰囲気の中、第1部記念式典が終了しました。

 第2部の祝賀レセプションは、汪成さんの二胡演奏で華やかな雰囲気の中スタートしました。石﨑琢哉青年委員長の司会で進められ、福沢宏夫副会長の開会あいさつの後、三木正夫副会長(県市長会会長)が主催者を代表してあいさつし、60周年を祝うとともに各界来賓の日ごろのあたたかいご支援に心からの謝意を表しました。

 村石正郎県日中友好議員連盟会長、濱田州博県日中学術交流委員会会長(信州大学学長)、河野博明県日中スキー交流委員会代表(県スキー連盟副会長)からご祝辞をいただき、中島恵理副知事の音頭で乾杯しました。国会議員秘書、県議会議員の皆様、県華僑総会の王昌勝会長、中国国際放送局東京支局の李軼剛支局長と王秀閣さん、瀋陽体育学院の王石安名誉教授等から激励の言葉をいただきました。

 あたたかい祝福の雰囲気に満ちた和やかな懇談交流の場となりました。塚田佐元長野市長の音頭で高らかに万歳三唱、宮沢信代女性委員長の閉会あいさつで祝賀大会の一日は終了となりました。

 祝賀会に出席いただいた来賓は前記のほか次の通りです。

 (河北省代表団)曹子洲省環境保護庁国際合作処長、裴雅鋒邢台市外事弁公室副主任、紀竑省外事弁公室亜非処調研員、(中国大使館)張亜洲書記官、劉大可瀋陽体育学院競技体育学校長、(石家庄市語学研修生)張旦・斉鴻飛・李子薇さん
 大月良則県国際担当部長、山本晋司県国際課長、李妮県国際交流員、北沢竜英公社日中友好協会広報部長
 小松裕・井出庸生・務台俊介衆議院議員(いずれも秘書)、吉田博美・杉尾秀哉参議院議員(いずれも秘書)、小坂憲次(代)・若林健太前参議院議員、小山峰男元参議院議員、荒井武志・小島康晴・清水純子・今井正子・諏訪光昭・堀場秀孝・高島陽子各県議、成沢栄一元県議
 樋口博長野市副市長、日臺正博木島平村長、月岡寿男飯山市副市長、太田文敏白馬村副村長、松澤忠明白馬村スポーツ課長、山田光美小谷村教育長
 野々村博美・小林秀子・佐藤久美子・寺沢さゆり・望月義寿・若林祥・小泉一真・勝山秀夫・滝沢真一・生出光各長野市議会議員
 島田力夫長野学園(長野大学)理事長、糸井重夫松本大学国際交流センター長、酒井康成松本歯科大学学事課係長、王秋菊清泉女子短大・孔子学堂講師、川村龍洲驥山館館長
 経済界等からは�犛山典生県経営者協会事務局長、井出康弘県中小企業団体中央会事務局長、中村英雄県商工会連合会専務理事、荒井英彦県信用保証協会会長、北村智JA長野中央会地域農政部長、湯本豊JA全農県本部管理部長、鮎沢甲一郎県農業会議参事
 小坂壮太郎信濃毎日新聞社長、土屋秀樹長野朝日放送社長、外山衆司長野放送社長、太谷克彦テレビ信州取締役、堤啓治信越放送専務、塚田俊之㈱みすずコーポレーション会長、北野貴裕北野建設㈱社長、木下雅裕直富商事㈱会長、矢島久和フレックスジャパン㈱会長、山崎利男㈱八十二銀行常務執行役員、千野貴文㈱旭電気商会社長、東條浩一アスザック㈱常務取締役、土屋龍一郎㈱Mウェーブ社長、石井一男元㈱八十二銀行副頭取、小川清久㈱鈴木総務課長、吉田章一㈱第一設計営業担当部長、間地政廣㈱二十一国際旅行社社長、(日本河北商会)葛欣㈱東林マテリアル社長、郭均成副会長、王暁恵理事長、辛赤邑理事・JCI社長
 山口正巳県中立労連事務局長、諏訪浩一県平和人権環境労組会議共同代表、安田政寛県鍼灸師会会長
 小林和彦県体育協会事務局長、峯村威男県卓球連盟顧問、太谷陽一県スキー連盟副会長、桜井啓司県武術太極拳連盟会長、小林和夫県スキー連盟専務、児玉幹夫県スキー連盟顧問、塩島澄博県スキー連盟顧問、河野政己県スキー連盟総務本部長、佐藤志郎県スキー連盟競技本部長、小林清伯長野市スキークラブ会長、田口功一白馬村スキークラブ副会長、小林健一長野市卓球協会理事長、小原秀元松本卓球連盟理事長、宮崎達夫須坂市卓球協会会長
 小林佑一郎県日中参与、木田健二郎県日中参与、有賀士郎県日中参与

(多くの各界来賓にご臨席いただきました。ありがとうございました。)

*写真(上)祝賀大会であいさつする高波謙二会長、(中)華やかでなごやかな雰囲気の祝賀レセプション、(下)阿部知事と会見する、河北省友好交流団(李軍省外事弁公室副主任一行)と薛剣中国大使館公使参事官。
創立60周年記念誌 『虹の架け橋Ⅳ』が完成しました(10/12)

 長野県日中友好協会創立60周年を記念して、『虹の架け橋-長野県日中友好の歩みⅣ』が完成しました。

 昨年来、60周年記念誌の発刊が決まり、数回の編集委員会が開催され、記念誌の構成が話し合われ、理事会の承認を得て編集作業がすすめられてきました。4巻目にあたる本巻は、創立30周年の際発行された第1巻、40周年の第2巻、50周年の第3巻を引き継ぐもので、主としてこの10年間、2006年から2016年の間の県協会の活動を取り上げています。併せて、80余名の皆様からご寄稿いただきました。友好活動の現場に身を置いて実感したこと、友好への思いをそれぞれのお立場で記していただいています。協会の活動をより立体的に把握していただけるのではないかと思います。

21世紀におけるIT機器の発展は目覚ましく、10年前のことも、昨日のことと同じようにデジタル情報として文書画像に記録されていることは、取り出しが可能で、鮮明に目にすることができます。県協会10年の歩みは、ホームページ「長野県日中友好協会のホームページにようこそ」から、いつでもだれでも取り出すことができます。デジタル情報として記録されたことは、それを消去しない限り新鮮な鮮度で目にすることができるのです。

しかし、落とし穴もあります。コンピューター依存症ともいわれる、いつでも取り出せるがゆえに記憶を機器に預けてしまいじっくりと反すうしその意味をかみしめ、自らの血肉化することができなくなる弊害も出てきます。またあまりに多くの情報が乱雑に飛び交い、真に必要で大切なものが埋もれてしまことも多くなっています。

 10年間の協会の活動を一冊の本に凝縮することは、もとより至難の業ですが、こうして紙面に定着させ、身近において親しめる形にする意味はやはり大きいと思います。冒頭のグラビア写真を見て、あの時の情景を思い出す、そしてともに汗を流した友の顔を思い出し、明日への勇気をみなぎらせることもできるのです。

 10年を振り返るとき日中関係は、まさに大波乱の時代でした。やっと靖国問題から脱し、「日中の戦略的互恵関係」が高らかに謳われた一時は、数年で終わり、やがて尖閣問題が暗い影を落としていきます。かつて日中関係を築いた有能な政治家はこの問題を実質棚上げし、後の世代の賢明な処理にゆだねました。パンドラの箱を開けてしまった中で両国関係は大変な困難に遭遇しました。両国民間の親しみの感情は大きな打撃を受けました。両国関係の重要性を理解する人は8割、でも親しみを感ずる人は2割、大変残念な数字です。中国の大きな躍進と日本社会の停滞の中で、日本と中国の立ち位置が激変し、中国脅威論ややっかみの感情も底辺にあると言われています。また日中関係は、日米関係と無縁では存在できません。日本は最大の貿易相手国であり、歴史文化の影響を強く受けてきた13億の隣人と可能な限りの英知を集め仲良く付き合っていきたいものです。両国の仲たがいで第三国が笑っている情景は放置できません。

 60年は、還暦であり、一巡した響きがありますが、私たちは新たなスタートに立って後継世代の養成や過去の教訓を生かした日中関係の安定的平和友好協力のために努めていきたいと思います。この本が、友好協会の友好実践が県民の共通の財産として受け継がれていく役割を果たしてくれるとすれば大変喜ばしい限りです。

 多忙な友好活動の合間を縫って、短期間で編集されたため、不十分なところが多々あると思いますがお許しください。

 最後に、ご寄稿いただいた皆様、協賛広告にご協力いただいた企業団体の皆様に感謝申し上げます。特に、臼田活版㈱の中澤道保会長には専門的立場から種々ご指導いただきました。グラビアページをカラーにと強く進めていただいたことも結果的によかったと感謝しております。吉岡弘海次長にはきめの細かい校正ご苦労様でした。多くの皆様のご協力をいただき、60周年記念誌を発刊できましたことを心より感謝申し上げます。

長野県日中友好協会創立60周年記念誌編集委員会 (布施正幸)  
 
 *『虹の懸け橋-長野県日中友好の歩みⅣ』は定価2000円(税・送料込)です。購入ご希望の方は、長野県日中友好協会事務局まで→TEL026-224-6517.

 唐家璇中日友好協会会長来県、中日友好を熱く語り交流(9/28~29)

 唐家璇(とうかせん)会長一行は9月28日、長野県を訪れ、阿部守一県知事と懇談したほか、長野県日中友好協会員との「日中友好懇談会」に出席して親しく懇談しました。程永華駐日大使も同行しました。

 阿部知事との懇談で、唐会長は「長野県は官民一体で中日友好関係の新しいイノベーションを起こしてくれた」と述べ、中国との長きにわたる交流を高く評価。「中日友好を官民挙げて実践してきた県であり、是非訪れ訪れ知事はじめ県民の皆さんに感謝の意を表したいと思った」と語りました。かつて中国大使館に勤務していたころ長野県を訪れてことも紹介しました。

 また、現在長野県が、2020年東京オリンピック・パラリンピックに出場する中国選手らを受け入れ交流する「ホストタウン」構想の準備を官民一体で進めていることについて唐会長は、「中国の関係部門に伝える」と協力の姿勢を示しました。

 知事との懇談に先立って、長野県日中友好協会主催の「日中友好懇談会」が開かれ、唐会長は協会役員会員と”日中談義”に花を咲かせました。テーマは、医療から政治、経済等有意義な議論が展開され、協会員との交流を楽しみながら、中日友好を熱く語る唐会長の姿が印象的でした。

 また夜の県と県日中共催の歓迎会には各界代表者が出席してなごやかな交流が行われました。袁敏道秘書長や程海波副秘書長は友人も多く出席者と親しく懇談していました。

 翌朝は、県議会議員会館前の広場で記念植樹が行われ、県産のしだれ桜が植えられました。唐会長、程大使、阿部知事、高波会長の4人がスコップを握り、土をかけました。しだれ桜は寿命が長いため、長野県と中国との末永い交流を願って選ばれました。
 
「日本人残留孤児と中国養父母展」と「満蒙開拓の歴史に学ぶつどい」を開催

 長野市日中友好協会は9月13日から18 日まで、長野市内もんぜんぷら座の市民ギャラリーで、満蒙開拓団や戦争終結の混乱で中国に残された日本人残留孤児と孤児を育てた中国養父母の絆や歴史を伝えるパネル展を開催しました。

 パネル26枚は、中国ハルピン市内「731部隊陳列館」に常設展示している「日本孤児中国養父母連絡会」が、「養父母展」日本国内開催のために作成し、満蒙開拓平和記念館に寄託した、写真を交えて日本語と中国語で紹介されたものです。

展示会は、満蒙開拓平和記念館が日本国内の開催を委嘱され、県日中友好協会創立60周年記念事業の一環として県内各地域の日中友好協会を中心に実施することとされたもので、長野市での6日間の展示期間中には、延べ171人が訪れ、それぞれのパネルを熱心に見入っていただきました。

 また、最終日の18日には、「満蒙開拓の歴史に学ぶつどい」を開催しました。中国残留孤児で1994年(平成6年)に帰国した石坂萬寿美さんは、幼い時に中国人の養父母に預けられて育てられ、寮生活を送った学生時代の冬の寒い時季に養母が作った綿入りの上着を養父が届けてくれたなど、養父母の愛情は言葉に表せないほどの深いものでしたとの思い出を語りました。

 また、篠ノ井西中学校教諭の飯島春光先生からは、祖父母が残留日本人の生徒たちに祖父母から経験を聞き取らせ、更にそれぞれに新聞を作った活動などを紹介し生徒たちには「自分のルーツを知り、そのことを隠さず堂々と生きてほしいと伝えている」などの報告がありました。それぞれのお話が、聴講者に感動を与えた有意義なつどいとなりました。

 

中国語スピーチコンテスト長野県大会、出場者が日頃の学習成果を披露(9/25

9月25日、長野県日中友好協会ラジオ孔子学堂の主催による第34回中国語スピーチコンテスト長野県大会が開催され、10代から80代までの幅広い年齢層の学習者が出場しました。

朗読部門には大学生の部8名と一般の部10名が参加、課題文の中国の物語を発表し発音や表現力を競いました。

 弁論部門には4名が出場、自作文で中国語による内容や表現力を競いました。日中友好を取り上げたり、日本にもゆかりの深い中国の文豪魯迅先生についてスピーチするなど多岐にわたるテーマを取り上げ、積極性がある本格的な弁論発表となりました。

弁論の部では教員の二木玲さんが一位となり、来年1月に東京で開かれる全国大会の出場権を獲得、二胡に向き合う真摯な姿勢や、二胡を通して知り合った中国人の先生との関わりなど、二胡を弾くことが人生の一部になったことを熱く語られました。

岩下隆審査委員長は朗読部門の出場者は、正確な発音を心がけていてよかった。中国語学習を初めてまだ数か月の出場者も実力を遺憾なく発揮したと称賛され、弁論部門では、スピーチコンテストの回数を重ねるごとに、年々レベルが向上していると、評価されていました。

 竹内勲長野ラジオ孔子学堂長、王秀閣中国国際放送局孔子学堂責任者、李妮県国際交流員等も出席し、中国語を学ぶ皆さんが日中両国の友好の懸け橋になっていただきたいと激励しました。会場には出場者の友人や中国語学習仲間なども応援に駆けつけ拍手を送っていました。

 入賞者は次のとおりです。
 弁論の部 一般部門 ①二木玲②藤澤淳一③大矢健一 
 朗読の部 大学生部門 ①清水 恵②佐藤 葵③辻 千尋
 朗読の部 一般部門 ①横川正秀②皆川 宏③千村美恵子

敢闘賞:清水 浩 努力賞:伊藤勝善 奨励賞:半田聖蘭

 『日本人残留孤児と中国養父母展』(9/13~18)
1945年夏、日本の敗戦を旧満州で迎えた人たちは、ソ連軍の侵攻の中で逃げまどい、飢えと寒さで極限状態に追い込まれ、中国東北三省だけでも3,000人を超える幼い子供たちが中国人養父母に託され命をつなぎました。戦後70年余、侵略の恨みを越え日本人残留孤児を育てた中国の養父母の深い愛情を多くの市民の皆様に知っていただければと思います。お誘い合わせてお出かけください。
  9月 13日(火) ~ 18日(日) 10:00 ~ 17:00
  もんぜんぷら座3F 市民ギャラリー
 
 * 『満蒙開拓の歴史を学ぶつどい』(今回の展示会に併せ最終日に開催)
  講演と体験発表

   ○基調講演:演 題 「平和教育は満蒙開拓なしには語れない」
             -中国に由来する生徒たちを励まし育てる歴史教育-
        :講 師 飯島春光氏(長野市篠ノ井西中学校 教諭)
   ○体験発表:演 題 「養父母の恩を忘れず生きていきます」
        :講 師 石坂萬寿美さん(帰国残留孤児:塩尻市在住)
 日時: 9月 18日(日) 13:30 ~ 15:00 (13:00開場)
 場所: もんぜんぷら座3F 304号室 *入場料はいずれも無料  

 主催: 長野市日中友好協会・長野県日中友好協会
       〒380-0936長野市中御所岡田町166‐1   TEL 026‐224‐6517
 後援: 中国黒竜江省ハルピン市・日本残留孤児養父母連絡会・満蒙開拓平和記念館
   * なお、今回の展示は中国黒龍江省ハルピン市で活動している「日本孤児中国養父母連絡会」の協力を得て、
  同市内で常設展示されているものの一部を満蒙開拓平和記念館が借り受け、長野県日中友好協会が県内を
巡回して展示する運びとなったもので、写真付きパネル26枚は、中国語と日本語で解説が掲載されています。
河北省から農林科学院視察団、水稲技術の交流(8/29~9/1)

 河北省農林科学院訪日団(呉新海・省農林科学院濱海研究所副所長一行5名)が8月29日から3日間、水稲栽培の視察と技術交流を目的に来県しました。

8月29長野に到着した一行は、早速JA長野中央会を表敬、雨宮勇会長や春日十三男専務から温かい歓迎を受け、担当者から農協の仕組みや事業について説明を受けました。更に昼食を取りながら親しく懇談しました。午後は北原富裕・県農政部長を表敬した後、長野県の農業につきレクチャーを受けました。

 夜の歓迎会には、高波謙二県日中友好協会長、北原県農政部長、久保田純司県農業試験場長、山本晋司県国際課長、北村智JA長野中央会地域農政部長、西堀正司県日中理事長らが出席してなごやかに懇談交流しました。高波会長が一行を歓迎し、長野県と河北省の深い交流に触れた後、「長野県は全国でも有名な農業県で、稲作方面でもブランド米を多く出荷している。お役に立てるところがあればうれしい。視察の成果が上がるよう祈ります」とあいさつ。呉団長は、熱烈な歓迎に感謝し「日本のお米は品質が高いことで有名。技術者と交流し作付状況を視察してすぐれた水稲技術を学び交流したい。河北省にもお出でいただき交流を深めていきたい」と述べました。

 一行は翌日、県農業試験場を訪問し水稲の品質向上のための品種改良や土壌改良、直播栽培などの説明を受け熱心に交流しました。3日目には米どころのJAあづみを訪問し、手塚裕雄常務理事はじめ担当者の歓迎説明を受けました。大型のコメ貯蔵施設カントリーエレベーターや稲作大規模農家の青柳氏の経営する圃場などを視察しました。自然の恵まれた安曇野の水田風景はみなさんに強い印象を与えたようでした。

 呉団長の話によると、河北省内の水田地域は省の東北部に位置する唐山市と秦皇島市で、栽培面積は約10万ha、ha当たりの収量は1万kgで主としてコシヒカリを栽培しているとのことです。またアルカリ土壌のため土壌改良が課題だそうです。

一行は短期間でありましたが、関係者の皆さんと有意義な交流もでき所期の目的を達成することができたと大変喜んで長野を離れました。

 第43回中国語夏期スクーリング、熱心に中国語を学ぶ(8/27~28)

 恒例の第43回中国語夏期スクーリングが8月27・29日の両日、長野ラジオ孔子学堂で開催されました。40名余の参加者は初級・中級・上級クラスに分かれ、中国人ベテラン教師の指導のもと2日間、中国語学習に励みました。

 開講式で安芸洋一・孔子学堂副学堂長は「中国語を学び、相互理解を深め、民間交流を進めていただきたい。2日間熱心に、楽しく学び交流し中国語のレベルアップをはかりましょう」とあいさつしました。来賓として西堀正司・県日中理事長や岩下隆・県中国語を学ぶ会連絡会会長らが参加者を激励しました。

 全体で王秀閣・中国国際放送局日本語部アナウンサーより発音のコツの指導を受けた後、クラス別授業に入りました。

 各クラスでは講師が事前に準備した教材を使って朗読・ヒアリング・文法・応用問答など熱心に学ぶ姿が見受けられました。初級クラスでは発音の基礎を学んだあと、文法などの解説を交え熱心に学んでいました。中級クラスでは中国語での質問に訪問した都市名を答えるなど実践的なやり取りをしていました。上級クラスでは魯迅の「故郷」をテキストに学習しました。

 河北省から見えた県国際交流員や石家庄市研修員を交えての交流授業では、中国語と日本語を交えての自己紹介や中国語との出会いなどを発表しました。研修員に対しては日本に来て感じたこと、専門や家族など次々に質問が飛び出し、有意義な交流授業となりました。

 夜の交流懇親会では中国の歌やじゃんけんゲーム、中国語クイズなどが次々に披露され、また中国語の出会いのスピーチなど和やかな交流懇親会となりました。2日目の朝はラジオ体操、太極拳で汗を流し、再び特訓が始まりました。

 受講生は、「皆さんの熱意に新たな刺激を受け、楽しく学習できた」、「発音や文法の基本が学べた」、「中国研修生を交えての交流授業も有意義だった」などの感想を聞くことができました。
 山ノ内町代表訪問団が友好都市密雲区を訪問(8/22~24)

 山ノ内町柳澤直樹副議長、山本良一副議長ら4名は、友好都市北京市密雲区からの招待を受け8/22~24の3日間同区を訪問しました。

23日密雲区政府へ赴いた表敬訪問ではまず、潘臨珠区長が昨年密雲区が県から区に昇格して以来初めて迎える来客として、訪問に対する最大級の感謝と歓迎の意をあいさつの中で述べられました。山ノ内町の柳澤副町長は密雲県から密雲区への昇格と潘区長と王玉江人民代表大会常務委員会主任の就任をお祝いする竹節町長からのメッセージを代読しました。来年は両都市の友好交流覚書調印から10周年目にあたり、山ノ内町へお越しいただきたいとのメッセージに対し、潘区長はまだ日本に行ったことがなくぜひ来日して温泉やスキーを体験してみたいとお話しされました。和やかなムードで行われた懇談では中国の発展過程における技術は日本に学んだところが大きく、また規模の違いはあるにせよ双方には似たところがあるので協力し合えるのではないかという展望のもとに、今後も末永く友好交流関係を続けていきたいというお互いの意思を確認しました。続いて友好交流覚書の項目の一つである図書の交換を実施し、記念品を相互に贈呈しました。

3日間の滞在中には密雲区内の福祉施設や幼稚園、観光農園、国内でも有数の観光地である古北水鎮司馬台長城等を見学しました。密雲区は北京市内から1時間程度の距離でありながら豊かな自然に恵まれ、密雲ダムを中心とした観光保全に取り組み、観光分野でも大きな業績を上げているそうです。広大な土地を利用したテーマパークや植物園がきれいに整備されており、平日にもかかわらず多くの観光客が訪れていました。全てにおいてスケールが大きく圧倒されました。

全ての日程を終え帰国の途に就きましたが、潘区長のあいさつの中にあった、「中国と日本はお隣同士であり続け引越しすることはできない」という言葉が印象に残りました。実際に会って言葉を交わし、ともに時間を過ごすことが人と人がつながりを持つうえでどれほど重要であるかが実感でき、意義のある訪問になりました。(三井里美記)

  石家庄から中学生訪日団、友好協会も歓迎会(8/22)

 河北省石家庄市の第2中学友好訪日団一行16名が、8月22日から24日友好都市の長野市を訪れました。長野市内のホテルメトロポリタン長野で長野市日中友好協会が開いた歓迎会には40名が出席しました。金子繁三理事長が、一行を歓迎し、「友好提携35周年をともに祝い、青少年の交流を盛んにして友好を深めましょう」とあいさつしました。訪日団団長の孟碩・市外事弁公室副主任はあたたかい歓迎に感謝した後、「35周年記念で多くの長野市民の皆さんが今秋10月、石家庄を訪問されることを熱烈歓迎します」と述べました。

 各テーブルでは筆談や片言の中国語で交流が進みました。生徒たちが日本の歌「さくら」や中国の歌「茉莉花」などを合唱で見事に披露すると大きな拍手。協会員も「北国の春」を歌って歓迎、さらに黄色の友好ハッピを生徒ともども羽織って炭坑節を踊り、交流は大きく盛り上がりました。生徒たちは、訪問の感想を「山の景色が素晴らしい」「町が美しい」「人々が親切」などと話していました。

 歓迎会に先立ち、一行は柳町中学で交流会に出席し、もんぜんぷら座で琴や尺八、三味線の演奏を聞くなどしました。さらに着付けてもらった浴衣姿で善光寺を参拝。翌日は中条中学を訪問し授業参観、戸隠神社を訪ねたりしました。
 中国国際放送局代表団を歓迎、新議定書に調印(8/19~21)

 中国国際放送局代表団(馬博輝副局長一行5名)が8月19日から21日来県し、長野県日中友好協会との間で長野ラジオ孔子学堂に関する新議定書の調印式に出席しました。また、滞在中、長野県、県日中友好協会、県北京放送を聞く会、長野ラジオ孔子学堂関係者から歓迎を受け交流しました。

 19日一行は長野駅頭で長野ラジオ孔子学堂関係者らにあたたかく迎えられ、ホテルメトロポリタン長野で開かれた歓迎会に出席しました。高波謙二県日中友好協会会長、大月良則県国際担当部長、上條宏之県短期大学学長、西堀正司県日中理事長、竹内勲長野ラジオ孔子学堂長、北沢久県北京放送を聞く会代表ら30人が出席しました。

 歓迎あいさつに立った高波会長は一行を、熱烈歓迎した後、2007年長野ラジオ孔子学堂雅スタートして以来の9年間を振り返り、国際放送局の支持と協力のもと、中国語講座の開講、中国文化の紹介、県短期大学との提携、中国語スピーチコンテスの実施などに取り組んできたことを紹介し、その成果の上に新議定書の調印式が行われることに感謝の意を表しました。さらに県日協会が本年創立60周年を迎えることを紹介し、「日中戦争の反省の上に立ち、先達の皆さんが日中不再戦、平和友好を願って県協会を1956年9月に設立し、以後県民の共感と支持を得ながら国交正常化実現と県民的友好協力推進に努めてきた。 また、30数年前に中国語を学ぶ会と長野県北京放送を聞く会を設立して中国語の普及向上と中国を知り知らせる活動に取り組んできた。先人の努力の後を振り返り、粘り強く友好交流に努めて行きたい」と述べました。また中国国際放送局が本年開局75周年を迎えることを祝し、両国民の相互理解促進の上で中国国際放送局の果たしている役割は大きなものがあり、特に近年インターネットを活用しての国際放送局の活躍は目覚ましいものがある。マスメディアの果たす社会的役割には大きなものがあり、中国国際放送局の一層のご発展とご活躍をお祈りいたします 」と述べました。

 大月良則県国際担当部長と北沢久県北京放送を聞く会顧問が歓迎のあいさつを行いました。

 馬副局長は、あたたかい歓迎に感謝し、長野県日中友好協会との間で長野ラジオ孔子学堂の設置に合意して8年余り成果を上げてきたことに触れて、関係者の尽力に感謝しました。県協会創立60周年を祝賀するとともに、開局75周年を迎えた国際放送局の活動を紹介し、インターネットを活用してより多くの日本のリスナーに愛される放送事業に取り組んでいきたいと述べました。
  
 上條県短期大学学長が乾杯のあいさつに立ち、国際放送局と協定を結び、客員講師を受入れ交流成果を上げてきた、今後とも中国国際放送局との相互交流を深めていきたいと述べ、一行の来県を歓迎して乾杯しました。ゆかりの深い皆さんから次々と歓迎スピーチや歌が披露されなごやかな交流懇親が続きました。

 一行は翌日、中島恵理県副知事を表敬し、昼食会に出席懇談し、今後とも長野県の魅力を紹介していきたいなどと述べました。

 午後、長野ラジオ孔子学堂において、新議定書の調印式が行われ、高波会長と馬副局長が議定書に調印ししっかりと握手しました。中国語の普及と中国文化の紹介、HSK(中国語検定試験)の実施、相互交流の促進に取り組んでいくことがうたわれています。記念撮影の後、引き続き、孔子学堂役員、中国語受講者などと親しく懇談交流しました。

 
 日中学術交流委員会2016年度総会を開催(8/8)

 長野県日中学術交流委員会は8月8日、長野市内のホテル信濃路において2016年度総会を開きました。引き続き日中学術交流を促進していくことを決めた他、信州大学や長野大学、県短期大学、上田女子短大など中国との学術協定や学術交流、留学生受け入れなどの現状なども報告されました。また、第20期日中関係を考える連続市民講座や長野県日中友好協会創立60周年記念事業に協力していくことが決定されました。

 濱田州博会長は、「日中関係は難しい問題を抱えているが、長野県は、民間レベルで中国と深い結びつきがあり交流も盛んだ。(出身の)信州大学繊維学部でも留学生受け入れなど交流が行われている。引き続き、民間学術交流に力を入れ中国との積極的な学術交流を継続していきたい。」と述べました。

 来賓として高波謙二県日中友好協会会長が日ごろの協力に対し感謝した後、日中関係の重要性と長野県と河北省の交流状況などに触れ、本年が県協会創立60周年にあたり引き続き平和友好に努めていきたいとのべ、「文化学術交流は両国の平和友好関係を持続発展させていく大切な役割を果たしてきた。一層のご活躍を祈ります」とあいさつしました。

 山本晋司県国際課長は、長野県が河北省はじめとした中国との交流に力を入れている様子を紹介し、学術交流は地味ではあるが日中関係を支える大切な役割を果たしていると述べ今後の活躍を期待しました。上條宏之県短期大学学長は「中国国際放送局や河北大学と友好関係があり、学生が訪問して交流する機会も増えている。いろいろな交流を重ねていきたい」とあいさつしました。

 総会では2015年度の事業報告・決算報告を承認した後、2016年度の事業方針・予算を採択しました。

 終了後、立石昌広県短期大学教授が、「中国の”新常態”」と題して講演しました。
 長野びんずる「日中友好連」で参加(8/6)

 第46回長野びんずる祭りが8月6日長野市の中心街でおこなわれ、長野市日中友好協会は「日中友好連」を組んで40人で参加しました。

 1万2千人の踊り手とともに長野中央通りかるかや山前交差点から昭和通りに向かい、方向転換して南に進みました。日中友好の提燈を先頭に、友好協会会員と帰国者、研修生などが黄色い友好法被をまとってシャモジを打ち鳴らしながら熱心に汗だくになりながら、元気いっぱい踊りました。

 河北省からの国際交流員の李妮さんや研修生の王暁攀さん、国際放送局の王秀閣さんも初めての体験で、「びんずる祭りを体験できて楽しかった。良い思い出になりました」と喜んでいました。
 中国留学生18人が信州で第26次ホームステイ(7/26~28)

 県日中友好協会は(公財)日中友好会館・後楽寮が派遣する中国留学生18人を7月26日から28日まで飯山・中野・長野・千曲・小諸・安曇野・大北・岡谷など8地区協会で受け入れました。2泊3日のホームステイで本年で26年目になります。

 26日長野駅に降り立った10名の留学生は、関係地区の皆さんの出迎えをうけました。長野オリンピック・エンブレムの前で、対面歓迎式を行い受入れホスト家庭の皆さんとお互いに紹介しあい全員で記念撮影した後、各地に出発して行きました。

 留学生の皆さんは、地区協会主催の歓迎交流会や市町村長表敬懇談、地域の名所や施設などの参観、ホスト家庭での語らいなど有意義な3日間を過ごし、楽しい思い出をいっぱいにして再び長野駅に集合しました。受入れホスト家庭の皆さんと名残を惜しんで新幹線に乗り込みました。
 

第51回日中友好キャンプ、友好王国in軽井沢湯川キャンプ場(7/16・17)

長野県日中友好協会青年委員会(石崎琢哉委員長)と女性委員会(宮沢信代委員長)は7月16・17日軽井沢湯川キャンプ場にて第51回日中友好キャンプを開催しました。留学生や国際放送局アナウンサー、国際交流員、研修員、友好協会会員メンバーなど70名が参加し、楽しい2日間を過ごしました。

 避暑地として有名な軽井沢の湯川キャンプ場は施設は年数を経過していますが軽井沢の雰囲気を残した風情がありました。中軽井沢駅から600mほどのロケーションで周囲は観光客でにぎわっていましたがキャンプ場は別世界でした。開会式で石崎青年委員長(国王)が、地元軽井沢日中友好協会のご配慮に感謝した後「51回目を迎えた友好キャンプを参加者が協力して友好交流の2日間とし楽しく盛り上げましょう」とあいさつしました。軽井沢町の柳沢宏副町長、県日中友好協会の西堀正司理事長、中国国際放送局孔子学堂責任者の王秀閣さん、県華僑総会の王昌勝会長、地元軽井沢日中友好協会の佐藤敬治会長からあいさつをいただきました。

 赤、青、黄、緑、桃色のバンダナを目印に5つの班に分かれて活動が始まりました。ボーイスカウトの皆さんに指導いただいて、テント張りとロープワーク、続いて夕食準備にかかります。炭火おこしに悪戦苦闘しながらも、焼肉バーベキューの準備が整ったところで乾杯!大勢で交流しながらの焼肉、焼きそばの味は格別。軽井沢日中から差し入れていただいた3種類6kgの肉も全部平らげていました。規制がありキャンプファイヤーができませんが替わりに、軽井沢の花火大会を鑑賞し、続いて星野温泉提供の温泉入浴ができました。これも軽井沢協会のご配慮の一環です。

 翌朝は6時起床。ラジオ体操で体をほぐした後、カレー作りに励みました。各班それぞれの味自慢のカレーをおいしく食べ、後片付けの後、流しソーメンの仕掛けづくりに挑戦しました。太い孟宗竹を半分に割りつなぎ合わせて6mの樋をつくりました。同時進行で、ニラせんべいづくりも行われ、懐かしい味を体験しました。さていよいよ流しソーメンタイムです。女性委員会の皆さんが手際良くゆであげたソーメンを流すと、子供も大人も歓声をあげて大喜びでした。堪能した後、スイカがふるまわれました。皆さん満足顔で「もう十分いただきました」。

 閉会式で、宮沢女性委員長(女王)は、「皆さんの協力で楽しい2日間となりました。準備(段取り)7分という言葉がありますが、キャンプを成功させるため、青年委員会、女性委員会のみなさんが大変ご苦労いただきました。感謝したいと思います。今回のキャンプで育まれた、日中友好を大切に今後に活かして行きましょう」とあいさつしました。留学生や県外参加者代表、県国際交流員の李妮さんは、「初めてのキャンプでしたが、本当に楽しいかったです。このような交流を通じて友好を深めていきたいです」と感想を述べていました。

 経済交流、民間交流を促進、日中経済交流促進協議会総会(6/20)

 長野県日中経済交流促進協議会は、6月20日、長野市内のホテル犀北館で第40回定期総会を開き新年度の事業方針、役員の再任などを決めました。

 総会で、夏目潔会長は、「日中関係は一昨年の両国首脳会談以来、好転が期待されたが、ギクシャクやざらつきもあって予断を許さないが、中国は日本にとって最大の貿易相手国であり、長野県経済にとっても重要な経済パートナーとなっている。観光客の増加は目を見張るものがある。今後とも民間交流、経済交流の促進に努めていきたい」とあいさつしました。

 松澤繁明・県産業戦略室室長は来賓祝辞の中で、長野県の景気動向に触れながら、中国は長野県にとってもっとも重要な貿易相手国であり上海に駐在員をおいていることなどを紹介し、協議会の活躍を激励しました。福沢宏夫・県日中友好協会副会長は日ごろの協力に感謝し、「経済交流や地方民間交流が政治的ギクシャクがあっても両国の平和友好関係を持続発展させていく役割を果たしてきた。協議会の一層の活躍を願う」とあいさつし、本年県日中友好協会創立60周年を迎えるにあたり支援協力を要請しました。ました。

 15年度の事業報告と決算を承認した後、河北省はじめとした中国との経済交流の促進、講演会やセミナーの開催、観光客誘致協力、北京冬季オリンピック支援交流協力、県日中60周年記念行事への協力などの16年度の事業計画・予算を決めました。また夏目会長をはじめとした役員を再任しました。

 総会終了後、「体験的中国事情と日中経済交流」をテーマに、西堀正司理事長がコーディネーター役を務め、パネラーに、浅川洋・元㈱高見沢専務・海外事業本部長と大口春夫・飯山中央市場㈱専務を迎えパネルディスカッションが行われました。

 両氏はこの20~30年間の中国の巨大な変化を、人民服からスーツへ、80年代暗かった町が明るくなりサービス業が増えたことなどをあげ、また90年代は合弁といったら資金と技術、販路すべてを日本側に頼る形だったが、現在の合弁は、資金と販路は中国側、技術を日本側に期待といった内容に変化している。またリーマンショックに対し中国は4兆元の財政出動を行い世界経済を救い中国も超高速経済発展となったが、結果とし現在いろいろなひずみが出てきている。中速度の経済発展に舵を切り、ソフトランディングを目指して全力投球している。鉄鋼やセメントの過剰生産の問題の処理もしている。WTO加盟以降労働コストは20倍にもなっており、山菜などの面で見ると加工レベルの低いものから、加工レベルの高い物への輸出へとシフトしてきている。中国の高度経済成長は終わり、売り手市場から買い手市場に変化してきている。不況が20年続いている日本の経営者とも話が通じるようになった。―――現場を体験した興味深い話が続きました。

 最後に、記念パーティーがおこなわれ交流懇親を深めました。
 県日中女性委員会、須坂で第41回定期総会開く(6/12)

 県日中友好協会女性委員会は6月12日、第41回定期総会を須坂温泉古城荘で開きました。恒例の持ち出し総会には地元須坂市をはじめ県内から女性委員会のメンバーや来賓など80名が参加する盛会となりました。新年度の活動方針を採択し、新役員を選出しました。

 島津美智子委員長は地元須坂市日中友好協会の協力に感謝した後、「県女性委員会は日中友好の先人の志に思いを致し、今まで積み上げてきた活動を基礎にして努力してきた。昨年度も日中友好キャンプ、スキー交流会、新潟領事館を訪問した研修バスツアー、新春女性のつどいなどに皆さんのご協力のもと取り組むことができた。県協会創立60周年、女性委員会設立41周年の本年も日中友好と平和のために何ができるか改めて考え、新たな一歩を踏み出していかねばならない」と述べ、中国人技能実習生の日本語指導に当たっている中で、実習生の一人が熊本地震の義援金に是非協力したいと支援を申し出たことを紹介し、「相手を思いやり行動に移すこと、これが友好の原点。国交正常化45年を迎えようとしているのにどうして国同士の関係は危ういのでしょうか。私たちは粘り強く友好の芽を育てていきましょう」とあいさつしました。

 高波謙二県日中友好協会会長、西堀正司県日中理事長、清水えい子女性委員会顧問、石崎琢哉県日中青年委員長らが日ごろの女性委員会の活躍に感謝し、エールを送りました。

 総会では15年度の活動報告や決算報告を承認した後、16年度の活動方針と予算が採択されました。先人の志に思いをいたし友好の促進に努めること、友好キャンプやスキー交流会を通じて中国留学生・研修生・帰国者との交流を深めること、女性会員の拡大と相互の親睦を深める活動に取り組むことなどが盛られています。役員改選では島津委員長の後任に宮沢信代さんを新委員長に選出しました。宮沢新委員長は島津委員長の労をねぎらった後、「今まで普通のおばさんの目線で友好に携わってきました。阿部県知事の中国との交流積極姿勢、熊本のくまモンを励ますパンダのぬいぐるみの姿を見て励まされた。戦後世代の一人として、次の世代にバトンタッチしていきたい。日中友好のために何ができるかともに考え追及していきましょう」と力強くあいさつしました。

 第2部では三木正夫・須坂市長(須坂市日中友好協会会長)が「健康長寿発信都市ー須坂JAPANと女性の活躍」」と題して記念講演しました。須坂市日中女性委員会の活躍をや四平市との交流の状況等を紹介し、中国との歴史的かかわりの深いことなどにふれ日中関係は好き嫌いだけで判断してはいけない、隣国同士仲良く付き合うべきと述べました。また健康長寿発信都市として女性が中心となり健康補導員、食生活改善、連合婦人会などの活動に力を入れ、100歳健康長寿を目指し、引きこもりをなくし外に出ること、世話好き活動に取り組んでいること。また小さいことから始めて充実拡大していくことに心がけていることなどアイデアマン市長さんの話は大好評でした。

 第3部の交流懇親会では地元の墨坂民謡会の皆さんがすばらしいの津軽三味線の演奏を披露したのをはじめ、上田の皆さんの指導で真田桜の大きな踊りの輪ができました。大変楽しい交流会となりました。最後に、来年の開催地の上田日中女性委員会に県女性委員会の旗が手渡されました。
    友好提携35周年を記念して石家庄市長一行が来長、友情深める(5/22~25)

 長野市・石家庄市友好都市締結35周年を記念して、長野市の招聘により邢国輝石家庄市長を団長とする友好代表訪日団一行が5月22日来日来長しました。

一行は市長以下、孟勝林政府秘書長、趙建林外事弁公室主任、趙俊芳旅行局局長、郎金国教育局局長の政府関係者はじめ、中学校校長、外国語学校長などの教育関係者、旅行会社社長など16名。長野駅に到着した一行を、長野市日中友好協会メンバーは加藤久雄長野市長とともに大きな歓迎の横断幕と日中両国の小旗を持ってにぎやかに出迎え歓迎しました。

23日には、10:00から長野市市民交流センターにおいて歓迎式典が行われ、長野市の博愛保育園園児54人が元気にサクラサクラを歌ったり、鈴やカスタネットを響かせて歓迎しました。その後、善光寺門前の仲見世通りや、松代地区の文武学校を視察。18:30から市内ホテルで開催された記念レセプションでは、市議会議員や長野市日中友好協会はじめ各種団体代表の皆さんと懇談交流を深めました。

24日には、教育交流会議、観光交流会議を開催し、教育と観光についての覚書を交わし連携強化を確認しました。教育交流会議では里山修学旅行や語学教師の相互派遣の充実、柳町中学校と石家庄市第2中学校の「友好交流校」の覚書を交わしました。

続く観光交流会議では、長野市のウィンタースポーツを楽しめるスキー場やエムウェーブを紹介し、石家庄市からは由緒ある寺や仏像、雄大な景勝地を紹介して、それぞれに双方の観光PRを充実させていくことを約束しました。

長野市日中友好協会主催の歓迎会は24日ホテル信濃路で90名が参加して盛大に開催されました。

会場入口で山根敏郎会長以下全員が拍手で迎え、記念撮影をした後、9テーブルに分かれて着席いただき歓迎会が始りました。

双方の出席者紹介の後、山根敏郎会長が「朋有 自遠方来 不亦楽平」(ともあり遠方より来る、また楽しからずや)と論語の言葉を引用して、邢国輝市長一行を心を込めて熱烈に歓迎するとともに、秋には加藤長野市長とともに石家庄市を訪問して、更なる友情を深めたいとあいさつ。邢市長からは「友好協会の友人の皆さんと会うことができ喜びに堪えない。短い3日間でしたが観光・教育交流会議、文化・企業視察など35周年にふさわしい友好協力推進の旅となり、観光、教育、経済交流の基礎ができた。両市の青少年交流と友好交流を今後とも重視ししていきたい。108人の研修生派遣、50回以上の中学生の相互派遣などを通して、相互理解に貢献し友好の架け橋として期待されている。友好協会の一貫した友好の尽力に感謝している。石家庄市に是非お出かけください。1000万石家庄市民は熱烈に歓迎します」と情熱のこもったあいさつをいただきました。続いて、記念品の交換が行われました。

引き続き、来賓の加藤久雄長野市長、小林義直長野市議会議長、西堀正司県日中友好協会理事長から歓迎の祝辞をいただき、当協会の塚田佐名誉顧問の声高らかな乾杯の音頭により懇談交流となりました。

交流会では、琴伝流大正琴10名のメンバーにより、「世界に一つだけの花」「おどるポンポコリン&さんぽ」「月亮代表我的心」などが演奏される中、会場のいたるところで、なごやかな交流が繰り広げられました。市協会女性委員会の皆さんも大正琴の伴奏で「北国の春」を合唱し、更に邢市長を誘って「大海啊故郷」(海はふるさと)を熱唱しました。盛り上がった雰囲気の中、黄色の友好ハッピと豆絞りハチマキ姿に変身して、加藤市長も加わり、「炭坑節」の踊りの輪が広がって交流を楽しみました。アッと言う間に終宴の時刻を迎え、岡田荘史長野市日中友好議員連盟会長に一締めをしていただき、代表団の皆様と握手をしながら別れを惜しみお送りしました。  (吉岡弘海 記)

 
 人民中国読者会、第6回総会を開催(5/21)

 県人民中国読者会は5月21日、県日中友好センターにおいて第6回2016年度定期総会を開きました。24名が出席し、昨年度の活動報告と決算報告を承認した後、2016年度の方針等を決定しました。

 福沢宏夫会長は「2011年の会設立から6年目を迎え、昨年からオープン参加制を導入して参加者の幅を広げ、隔月の読書会を行い、一定の成果を上げることができた。10月には王漢平副社長を迎えて意見交換の機会が持てた。今後も長野市以外にも全県に会のPRを進めていきたい。日中関係はだんだんと明るさも見えてきた。『人民中国』を通じて生の情報を得ながら中国への理解を深め、民間交流を進めていきたい」とあいさつしました。西堀正司県日中友好協会理事長が、読者会の活躍を称えるとともに本年県協会が創立60周年を迎えるに当たり記念誌発行などを予定していることを紹介、協力を要請しました。

 新年度の活動方針では過去5年間の実績の上に、定例読者会の開催、人民中国の普及拡大、会員同士の交流を3つの柱に中国理解と友好推進に資していくとしています。
 
 続いて、于文・人民中国東京支局長の「なんとなく」から抜け出して~正面から向き合えば」との講演を代読でお聞きしました。メディアなどの間接情報によってなんとなく嫌いと思うのではなく自分の目で確かめ正面から向き合えば相手の良さも見えてくる、なんとなくから抜け出そうとの内容に共感の拍手が送られました。内容は別掲→こちらの通りです。

 また東京支局スタッフの阿羅美奈子さんの「私の中国留学と青春」と題してのお話しも興味深い内容でした。同じくスタッフの後藤彩子さんからは熊本地震への義援金を呼びかけ、くまモンにパンダが好物のタケノコを届けている王衆一編集長作のイラストも紹介され、胸が熱くなりました。

 最後に、懇親交流会が行われ、和やかに交流しました。
 周恩来総理回顧展が長野で開催(5/17)

 中華人民共和国建国や日中国交正常化に貢献するなど世界平和と人類社会の発展に大きく寄与し日本でも敬愛されてきた周恩来元総理(1898~1976年)ゆかりの品から人物像等をたどる「周恩来総理記念回顧展」の開会式が5月17日長野市の北野カルチュラルセンターで開かれ、元総理のおいで、元国防大学政治部主任の周爾均氏ら日中の関係者約70人が出席しました。

 昨年11月の東京に続き、長野が2か所目となる巡回展。1998年に周総理生誕100年を記念して中国でテレビ番組が制作された際に収集された品で、周総理直筆の歴史文書や中国や日本をはじめ世界各国の著名人直筆の題字や書画、親族から提供された希少な実物資料など極めて価値の高い秘蔵品が展示されています。毛沢東主席に自らの健康状態を報告した書簡や、夫婦の8つの約束の書(互愛・互敬・互勉などの八互)、キッシンジャーが「100年の恩来、偉大なる政治家」と記した題字など周総理の人物を知るうえで貴重な資料を目にすることができます。

 開会式で、周氏は「この展示会で(周総理の)人格や生涯がわかる。日中関係発展に尽くした総理の思いを多くの日本の皆さんに知っていただき友好発展に役立つことができれば幸い」とあいさつしました。

 テープカットやレセプションには、周氏のほか、中島恵理・副知事、中国大使(代理/郭燕公使・欧陽一一等書記官)、中原邦之・外務省中国モンゴル第1課調整官、遠山清彦・衆議院総務委員長、久間章生・元防衛大臣、早乙女晃一・日中民間交流研究所長ならびに外山衆司・実行委員長(長野放送社長)、高波謙二・県日中友好協会会長、山浦愛幸・県経営者協会会長、北野貴裕・全日本スキー連盟会長らが出席。また高振普・元中央護衛局副局長(周総理の護衛)、周氏夫人の鄧在軍・中央電視台チーフディレクターらも参加して在りし日の周総理の思い出をお話しいただきました。

 回顧展は、5月22日まで行われます。開場時間は午前10時から5時で、入場料は1000円。主催は周恩来総理記念回顧展実行委員会(長野放送・県日中友好協会・中国国際文化交流中心・上海市対外文化交流協会・周恩来思想生平研究会)。
 県協会60周年記念事業と友好交流の再活性化を決定、県日中友好協会定期大会(5/12)

 長野県日中友好協会は5月12日、第54回2016年度定期大会を松本市内のホテルブエナビスタで開きました。県内各地から120人が出席して、県協会創立60周年に当たり、祝賀式典や記念誌の発行などの記念事業の取り組みを柱に、官民提携して日中交流の再活性化を図るなどの新年度の活動方針を決定し、あわせて、高波謙二会長をはじめとした役員を再選しました。第2部祝賀パーティーには中国大使館から汪婉参事官(大使夫人)も出席され激励をいただきました。

 石﨑琢哉・県青年委員長の司会で大会第1部がスタート。「永久の友情を」を県日中女性委員会のリードで全員で斉唱した後、相澤孝夫・副会長の開会あいさつに続いて、半田孝淳最高顧問や森田恒雄副会長をはじめとした物故された先輩の皆様に黙祷を捧げました。
 
 高波会長は、井出正一前会長からバトンタッチされてこの一年の役員会員の支援協力に感謝した後、「1956年に長野県協会が設立されてから本年60周年を迎える。半田孝海初代会長はじめとした先輩の皆様の並々ならぬ努力によって、協会は様々な困難を乗り越え、現在23の地区協会と2千人の会員を有する全国屈指の協会となった。満蒙開拓団を戦前日本一送り出し、半数の1万5千人が悲惨な最期を遂げた歴史の反省から、県内には日中不再戦・平和友好を願う県民的基盤が広く存在しており、その基礎の上に県協会は工夫を凝らし、県や各分野の団体と協力して友好交流実施団体を設立して交流を進めている。県日中学術交流委員会には県内の大学・短大が参加しており、県日中経済交流促進協議会には経済団体や企業が、県日中スキー交流委員会にはスキー連盟をはじめ県や7市町村が参加。また中国国際放送局と提携しての長野ラジオ孔子学堂中国語講座、県北京放送を聞く会、県人民中国読者会、さらに県女性委員会と県青年委員会の活動も注目を集めている。 日中関係は現在重要な局面を迎えているが、日本と中国は「和すればともに益となり、争えばともに傷つく」関係にあることは、自明の理。深い歴史的かかわりを持ち、また最大の貿易相手国でもある中国とは、文字通り、隣国同士仲良くしていきたい」と述べ、4月派遣の県友好訪中団が河北省政府・省対外友好協会の熱烈な歓迎を受けたことを報告し、「河北省での熱烈な歓迎と、県協会の成立60周年をともに祝っていただいた情景は忘れることができない。10月には河北省から代表団をお招きして県協会創立60周年記念式典を開催するので、熱烈に歓迎しともに喜びを分かち合いたい。 60周年は一人協会の喜びであるだけでなく、県民的に祝賀すべき慶事。60周年記念誌『虹の架け橋・長野県日中友好の歩み4巻』の編集は広く県民の共有財産としての県内友好運動の記録となるので皆様のご協力を切にお願いしたい 」と述べました。

 続いて、中島恵理副知事は、長年の県日中友好協会のご労苦に県として深く感謝申し上げたいと述べ、「友好協会の皆様のご尽力の積み重ねの上に長野県と河北省の友好提携も実現した。阿部知事も就任以来5回にわたり訪中し、河北省の張慶偉省長や程永華中国大使はじめ関係者との交流を通じて相互信頼関係を深め、医療、環境、冬季スポーツ、観光などの分野で交流推進を約束した。県日中友好協会の築いた基盤の上に長野県は全国のフロントランナーとしての役割を今後も果たしていきたい。2020年の冬季五輪(スキーは張家口市)の全面支援のため豊富な人材を有する長野県として協力していきたい。創立60周年を迎える県協会の一層の活躍を期待しています」とあたたかい激励をいただきました。

 議長に内川雅夫(大北)・池上喜美子(上田)の両氏、大会運営委員長に西田節夫・副理事長、役員選考委員長に中沢道保・副会長、大会書記に長澤保・山崎始の両氏、議事録署名人に蟻川寛・宮沢信代の両氏を選出して議事に入りました。

2015年度の活動報告(布施正幸事務局長)、決算報告(市川淳子会計理事代理)、会計監査報告(田近勝之監事)を承認した後、2016年度の活動方針(西堀正司理事長)、予算(桜井佐七財政委員長代理)を採択しました。また、役員改選では中沢役員選考委員長の選考委員会報告を了承し高波謙二会長らを選出しました。

本年度の活動方針では、県協会創立60周年記念事業を柱として、河北省友好協会代表団を招請して創立60周年記念式典の開催、『虹の架け橋-長野県日中友好の歩みⅣ』の発刊、記念県協会訪中団の派遣、緑化協力プロジェクトの推進、「残留孤児と中国養父母展」の県内巡回展、「周恩来総理記念回顧展」開催、」中国留学生ホームステイ受入れなどにとりくみ、これらの活動を通じて、友好交流の再活性化、日中の相互信頼回復に力を入れて行くことを決定しました。


 意見発表では藤沢淳一・県青年委員会事務局長が青年委員会からのアピールを、松原京子・県女性委員会事務局長が60周年記念県協会訪中団報告を行いました。続いて、「創立60周年を迎え、先達が長年にわたって築き上げた成果を守り、県民ぐるみの友好運動を展開し、地方と民間の交流を進め、日中関係の再構築に貢献していく。原点に返えり、日中不再戦・覇権反対・平和友好のために、あらゆる分野の心ある人々は連携して粘り強く歩んで行きましょう」との大会宣言(南雲典子・県女性委員会副委員長)と大会スローガン(清沢浩明・県青年委員会副委員長)が採択されました。

 清水可晴・副会長の閉会あいさつで第1部は終了しました。

 第2部の祝賀パーティーでは、来賓として出席された汪婉参事官(中国大使夫人)が、日ごろの県協会の友好活動を称え、創立60周年を迎えたことを祝賀するとともに、この間、長野県が協会のサポートを得て、地方交流を積極的に進めてきたことを高く評価しました。また日中関係については改善しつつあるが危うさもあるとし、安全保障分野で中国の台頭を抑える政策をとっていることなどをあげ、違いを拡大していくのではなく共同利益を拡大していくべきだと語りました。昨年500万近い中国人観光客が日本を訪れたことを指摘し、相互理解増進に役立っているので、日本からも大勢中国を訪問し中国の現実を肌で感じてほしいと述べ、民間交流の促進を訴えました。

 また、山本晋司県国際課長、坪田明男・松本副市長、濱田州博・信州大学学長、務台俊介(代)・井出庸生(代)衆議院議員、若林健太(代)参議院議員、倉田竜彦前県日中議連会長、今井正子県議、王昌勝県華僑総会会長、張玉霞・二等書記官、李妮県国際交流員(河北省)、酒井康成・松本歯科大学学事課係長、松沢忠明・白馬村スポーツ課長らから激励の祝辞をいただきました。

 会場ではなごやかな交流が行われました。女性委員会メンバーが、汪大使夫人とともに「北国の春」を日本語と中国語で、披露すると、大きな拍手がおこりました。

 来賓として、滝沢英一・県国際課課長補佐、犛山典生・県経営者協会事務局長、木藤暢夫・県商工会議所常務理事、馬場進一・県商工会連合会参事、田中良江・JA長野中央会地域農政部主任調査役、小松朝韻・小林佑一郎参与らも出席され激励いただきました。

 邢台市代表訪日団来県、千曲市・岡谷市と交流深める(4/12~15)

 龍興洲・市外事弁公室主任を団長とする邢台市代表訪日団一行6名が4月12日から15日長野県を訪問し中島恵理副知事、高波謙二県日中会長、千曲市の岡田昭雄市長、滝沢英雄市日中会長、岡谷市の今井竜五市長、海沼知久市日中会長らの熱い歓迎を受けました。秘書長としてなじみの裴雅鋒・外弁副主任も同行し旧交をあたためました。

 邢台市と長野県は、2012年度から始まった太行山内丘県緑化協力プロジェクトを通じて関係が深まりました。2014年には、邢台市訪日団が初めて長野県を訪れ、千曲市であんずの加工を通じた交流、岡谷市で自動車部品工場の視察等が行われました。昨年は千曲市の山口昌昭市日中理事長が市長のメッセージをもって邢台市巨鹿県を訪れ交流しています。本年4月8~9日には高波会長をはじめとした県協会訪中団25名が訪れ、歓迎を受けました。

 4月12日の県日中友好協会主催の歓迎交流会には、高波会長、大月良則県国際部長ら20名が出席して一行をあたたかく歓迎しました。4日目の再会で打ち解けた和やかな交流会となり、「北国の春」を一緒に歌いました。翌13日、県表敬の際は、大勢の県職員の皆さんに出迎えられ、中島恵理副知事から親しみのこもった歓迎をいただきました。龍主任は1998年に県日中が贈った希望小学校、4年目を迎えた日中緑化基金を活用した緑化協力プロジェクトなどの協力に感謝するとともに、千曲市や岡谷市との交流を強化していきたいので県のご支援をいただきたいとあいさつしました。続いて県経営者協会を訪問し水本専務ら役員と親しく懇談し今後も交流を進めていきたいと述べました。

 千曲市では岡田市長と親しく懇談したほか、森食品工業㈱、エムケー精工㈱、森川産業㈱の視察、市日中主催の歓迎会、茶道体験など有意義に過ごしました。岡谷市でも今井市長との懇談、㈱ダイヤ精機製作所の視察、市日中主催の歓迎会が行われ交流を深めました。

 

創立60周年記念・長野県日中友好訪中団、北京、河北訪問、60周年をともに祝賀(4/6~11)

長野県日中友好協会は県協会創立60周年を記念して4月6日から11日、高波謙二会長を団長とする長野県日中友好協会訪中団を派遣しました。訪中団には25名が参加し、北京、河北省の省都石家荘市や緑化協力地の邢台市の内丘県、そして西安を友好訪問しました。北京で中日友好協会を表敬訪問し、懐かしい皆さんと再会、60周年への祝意をいただき親しく懇談しました。河北省では省政府要人、省人民対外友好協会から60周年記念招待会に招かれるなど心のこもった歓迎を受けました。邢台市でも歓迎宴や内丘県での緑化協力記念植樹など思い出に残る友好の旅となりました。
 
 北京到着2日目、4月7日は天気も快晴で青空が広がっていました。天安門広場は大勢の観光客が記念撮影していました。故宮博物院は、中国国内観光客、欧米人観光客など大勢の観光客で込み合っていました。壮大な太和殿をバックに記念撮影。迷子にならないようにと声かけながら神武門にたどり着くまで直線的に歩いても約1時間30分を要しました。

 <中日友好協会を表敬>
 午後、中日友好協会を表敬訪問しました。宋敬武副会長や袁敏道秘書長、程海波副秘書長と1時間余り熱心に懇談しました。宋副会長は、一行の訪問を歓迎し長野県協会の60周年に祝賀の意を表し、「県協会は長期にわたって友好事業に傑出した積極的な貢献をされた。特に冬季スポーツ交流、緑化協力、希望小学校等の分野で大変多くのことをされたことを高く評価している。今後全国友好協会、中日友好協会は長野県日中友好協会とともに努力し中日友好事業を不断に発展させていきたいと願っている」とあいさつしました。 
 高波会長は温かい歓迎に感謝したのち、「県協会は創立60周年を迎えたが、長期にわたって官民一体となって民間交流を進め両国関係の発展に努めてきた。北京・張家口が2022年の冬季五輪に決まったことを喜ぶとともに、長野オリンピックの経験を活かして協力していきたい」と述べました。オフィスの前で、全員で記念写真を撮りました。

 中日友好協会を辞し、北京西駅に向かいました。高速鉄道の安全検査を終えて待合室で改札を待ちます。広い待合室は人々でいっぱいでした。G663次高速列車15:45発で北京を出発し河北省の省都石家荘に向かいました。17:04石家荘駅に到着。約300km1時間あまりの旅でした。河北省外事弁公室亜洲処の梁国輝処長や韓隷東さんらの出迎えを受け、再会を喜び合いました。

<河北省政府・省対外友好協会主催で盛大に成立60周年紀念招待会>
 河北省政府の会見ホールで、朱浩文・省人民政府秘書長を表敬しました。会見には劉暁軍・省外事弁公室主任(省友好協会会長)はじめ衛生・教育・環境・林業・冬季スポーツ部門の責任者らが同席しました。

 朱秘書長は訪中団一行の来訪に熱烈歓迎の意を表した後、「昨年1月張慶偉省長とともに長野県を訪問し友好協会の皆さんに歓迎を受け交流できたことは忘れがたい思い出。長野県日中友好協会は1956年成立以来、積極的に友好交流活動を行い両国の友好発展に貢献された。1983年河北省と長野県の友好県省締結に尽力し、以来両省県の経済社会発展に役立つ大量の卓越した効果的な仕事をされた。河北省政府を代表して感謝と熱烈なお祝いを申し上げたい。特に青少年交流においては、高波会長が責任者として長野県青年の船派遣を通じ6000名の長野県青年が河北省を訪れ友情をはぐくんだ。河北省も研修生など400名以上の青年を長野県に派遣した。劉暁軍主任も長野県での留学体験などゆかりが深い。貴会は両省県友好提携以来30数年にわたり重要な役割を果たしてこられた。小渕基金(日中緑化基金)を通じて1200haの緑化を実現した。またスキー用具の提供やスキー場の設計指導、希望小学校4校の寄贈等、多くの協力支援に対し感謝したい」と述べ、続いて河北省の状況を紹介され、「現在、チャレンジと調整の途中にあるが、2つのチャンスがある。北京・天津・河北省連携発展計画と2022年の北京冬季オリンピックでのスキー種目の張家口開催。県民の皆さんに紹介いただき、協力・交流を願いたい」と述べました。

 高波会長は、熱烈な歓迎に感謝した後、「友好県省締結以来、歴代関係者の努力で青少年・医学・農業・文化スポーツ・緑化協力プロジェクトなど、多方面にわたる交流を進めてきた。未来を担う青年の育成事業の信州青年洋上セミナーも20年近くにわたり6000人の青年が河北省を訪れ交流を深めた。私も毎年同行し政府関係者との会談で日中友好活動を進める中で大きな励みとなった。張省長先生は、昨年1月全国に先駆け長野県を訪問され、阿部知事との間で各分野での交流を進める覚書を締結して新しい時代の交流を推進していくことを約束された。私ども友好協会も官民協力してこのために努力してまいりたい。本年長野県日中友好協会は創立60周年を迎える。日中戦争の反省の上に日中の不再戦、平和友好を願って協会は設立された。私たちは、多くの先輩の志を受け継ぎ、多くの県民とともに日中の永遠の平和友好協力のためにたゆまず努力を傾けていきたいと決意している。10月には記念祝賀式典を予定しており、河北省友好協会代表団をお招きしたい。10数年ぶりに訪れた河北省は全く新しい都市に生まれ変わり、発展ぶりに目を見張った。河北省がさらに発展されますことを心よりお祈りしたい」とあいさつしました。席上、阿部知事から託された張省長への親書を宋秘書長に手渡しました。

 会見が終わって、歓迎宴会が行われました。会場の表面には、両国旗をあしらい「長野県日中友好協会成立60周年紀念招待会」と書かれた縦横4m×8mほどの大きな真っ赤な看板が飾られていました。早速、看板の前で記念撮影。団員一同、感動を抑えきれませんでした。祝賀歓迎の宴は華やいだ雰囲気に包まれ、乾杯が何度も繰り返されました。団員一同、感謝の気持ちを込めて、「北国の春」、「ふるさと」、「大海、啊故郷(海はふるさと)」を歌いました。西堀理事長は「友好の花は咲き誇る」を披露して喝采を浴びました。

 翌4月8日は梁先生らの案内で石家庄市外国語学校を参観しました。小60、中90、高30クラスのほか幼稚園(30クラス)など210クラスを有し、11000人が在籍する有名校です。園児から英語を学び、中学生になると第二外国語として日、ロ、独、仏、スペイン語等を学ぶ仕組みになっています。また14か国、34校と友好関係を結んでいるそうです。日本語を学んでいる高校3年生の皆さんが通訳しながら校内授業の様子を案内してくれました。幼稚園では遊戯と体験、小学校では趣味を生かして、中学では全面発展、高校では理想を追及することなど、全人教育を校風としている学校です。

 続いて、河北省環境保護監督測定センターを訪問しました。玄関に責任者と大勢の職員が並んで盛大に出迎えていただきました。土壌、水、大気、放射線などの測定を行い、企業などを監督指導する大事な役割を担っている機関です。昨年度から2名の職員が研修のため長野県に派遣され、6か月間、県環境保全研究所で学んでいます。付さん、賈さんと再会しました。

 昼は、劉暁軍・省外事弁公室主任・省友好協会会長主催の祝賀歓迎宴が開かれました。席上長野県日中友好協会成立60周年を祝って、おめでたい「五牛図」の素晴らしい横軸をいただきました。心のこもったご配慮に高波会長以下全団員が感動を禁じ得ませんでした。省友好協会秘書長の呂暁梅女史や石家庄外国語学校校長の裴紅霞女史、省農林科学院の孫風国先生も出席され、歓談しました。今後も密接に協力して友好交流を進めていきましょうと語り合いました。杯を重ね楽しく交流しました。別れを惜しみながら劉先生らとお別れして、梁先生、韓さん同行で邢台市に向かいました。

<邢台市でも歓迎、内丘県で緑化協力記念植樹>
 高速道路を2時間走り、石家庄市の南隣の邢台市に到着しました。IC出口で龍興洲・市外事弁公室主任や裴雅鋒・外弁副主任が出迎えてくれました。邢台市は720万人の人口を抱える大きな市で、3500年の歴史を有しており、「充実した産業、観光、文化都市」です。元代の著名な天文学者郭守敬の生誕の地でもあります。2012年から市内の内丘県で日中緑化協力プロジェクトが実施されています。一昨年から千曲市や岡谷市との交流が始まっています。
 最初に、市の中心部にある禅宗のお寺、開元寺を参観しました。再建されてほどない感じのお寺でしたが堂々たる威容を誇っており、1300年以上の歴史を持っているそうです。住職が案内してくれました。本堂の千手観音に旅の平安を祈ってお参りしました。

 邢台市表敬と歓迎宴会がホテルで開かれました。邱文双副市長は来訪を歓迎し、緑化協力に感謝し、長野県日中友好協会成立60周年に祝賀の意を表した後、市の概況を紹介しました。更に「協会が中日友好促進のために大変多くの貢献をされた。今後とも経済貿易、科学技術、農業、教育、文化等の分野で協力を深めていきたい」と述べました。山根敏郎・緑化団長が、熱烈な歓迎に感謝し、内丘県での緑化協力プロジェクトを成功させ、長野県と邢台市の交流を盛んにしていきたいとあいさつしました。その後和やかな歓迎宴となりました。

 4月9日は、内丘県に向かいました。現地には緑化計画を示す看板が立てられており、太行山脈に連なる丘陵地帯で赤土の乾操荒地を6年計画で緑化しようというものです。本年は4期目に入っています。100株ほどのコノテガシワを龍興洲・市外事弁公室主任や盧振江・副県長さんらと共に記念植樹しました。会場を県中心地のホテルに移して盧振江・副県長が歓迎の昼食会を開いてくれました。山根団長も熱烈歓迎に感謝し、緑化プロジェクトの成功と内丘県が大きく発展して行くことを祈りますとあいさつしました。

 一行はその後西安に向かいました。悠久の歴史を有する西安は、魅力にあふれた古都ですが、大きな変貌を遂げていました。玄宗皇帝と楊貴妃ロマンの地・華清池、秦の始皇帝兵馬俑博物館、大雁塔、碑林は何度訪れても新しい感動があります。西安でも心温まる歓迎宴を開いていただきました。

 4月11日、6日間の訪中はあっという間に終わり、帰国日となりました。日中関係は依然として複雑な問題を抱えておりますが、だからこそ、中国との相互訪問の機会を増やし国民同士の相互理解と相互信頼を深める努力を強めるべきだとの思いを抱きながら、私たちは、機上の人となりました。

 第39回日中スキー交流会、115人参加して熱く交流(2/27~28)

 長野県日中友好協会青年委員会(石﨑琢哉委員長)と同女性委員会(島津美智子委員長)の主催により、2月27、28日の両日、木島平村のパノラマランド木島平スキー場において、第39回日中スキー交流会が開かれました。好天に恵まれた中、中国留学生・中国大使館・帰国者の皆さんをはじめ115人が参加して熱気あふれるスキー交流会となりました。

 開会式では石﨑青年委員長、上村力飯山日中会長、西堀正司県日中理事長、瀧澤友パノラマランド木島平支配人が、あいさつ。「参加者が心を通わせ、ケガの無いよう日中友好の楽しいスキー教室、スキー交流会にしましょう」と呼びかけました。

 7班に分かれてスキーやスノーボードの教室がおこなわれました。絶好のスキー日和の中、初心者も何度も転びながらもマンツーマンの指導でだんだんとボーゲンのコツを覚え滑れるようになっていきました。スノーボード初挑戦の留学生もさすが若者、形になっていきました。

 夜の交流会では、石﨑青年委員長がスワロースキーや地元木島平村、飯山日中友好協会の協力のもと盛大にスキー交流会を開催できたことに感謝し、「中国留学生や大使館、帰国者の皆さんと懇親交流を通じて親睦を深め、民間同士の友好交流を進めていきたい」と述べました。

 内藤克彦木島平村副村長と、中国大使館の呉慶蘭一等書記官から祝辞をいただき、、長野県華僑総会の王昌勝会長の音頭で乾杯し、懇親会に入りました。

 女性委員会の優雅なフラダンスや、はるばる神奈川県から参加いただいたチャイ華の皆さんの歌、青年委員会の踊りなどが次々と披露され、賑やかな懇親交流会となりました。中国国際放送局孔子学堂の王秀閣さん、県国際交流員の董彤さん、中野市・飯山・長野・飯田の日中友好協会の役員も参加し交流しました。2次会はカラオケで元気な若者の歌声が響きわたり大いに盛り上がりました。

 2日目も好転に恵まれました。自信をもって滑り降りる姿が目立つようになりました。けが人もなく、無事スキー教室を終えて、昼は女性委員会の皆さんが心を込めて準備してくれた豚汁をおいしくいただきました。

 閉会式では、島津女性委員長が「長年にわたってスキー用具とウェアーを提供してくれたスワロースキーの故丸山会長さんの思いを継いで日中両国が平和で友好的な関係を続けていけるよう頑張りましょう」とあいさつすると共感の拍手がおこりました。裏方をつとめた女性委員会メンバーや青年委員会のメンバーにも感謝の拍手が送られました。参加者からは「最初は転んでばかりいたがスキーを滑れるようになり、本当に嬉しかったです。夜の懇親交流会も盛り上がって楽しかった。来年もまた是非参加したい」とのうれしい感想が聞かれました。

 (追伸)日中友好会館代表理事の鄭祥林先生や大使館友好交流部の曹力萍・宋淞夫妻は中級コースを無難にこなしていました。呉慶蘭一等書記官や榮蓉さんの頑張りを称えたいと思います。王秀閣さんや董彤さんもよく頑張って、ボーゲンで気持ちよく初級コースを滑れるようになりました。スキーの楽しさを実感できたとのことです。辛苦了!(シンクーラ)お疲れ様でした!

 帰国者への理解を深めるつどい・体験発表と春節交流会(2/14)

 長野県と県日中友好協会中国帰国者交流センターは2月14日、「第8回中国帰国者への理解を深める県民の集い」を長野市内のホテル犀北館で開きました。旧満州(現中国東北部)に渡り、敗戦時の混乱で取り残され中国養父母に助けられ育てられた帰国者(残留孤児)が体験を発表、あわせて満蒙開拓平和記念館の報告と教育現場での帰国子女への差別を克服した特別講演も行われ、230人余りが熱心に聞き入りました。第2部では東京中国歌舞団による民族楽器演奏を堪能し、第3部の春節交流会では餅つきやくじ引き抽選会、歌や踊りの披露、ヤンコー踊りなどを楽しみました。

 主催者を代表して田村浩志・県地域福祉課企画幹と高波謙二・県日中友好協会会長があいさつし、「長野県は全国一満州開拓団を送り出し多くの犠牲を出した。長野県には現在1300世帯4100人の中国帰国者の皆さんが暮らしている。2008年には新帰国者支援法が施行され、更に一昨年10月からは1世の配偶者支援の態勢ができた。帰国者1世の高齢化が進み、引きこもり防止や介護、2世の就労などの課題もある。開拓団の悲劇と帰国者支援問題は長野県と県民にとって忘れてならない歴史。帰国者の皆さんが、地域や県民の皆さんの理解を得て、平穏で幸せな生活を送ることができるように国、県、市町村、関係者が連携して支援活動に取り組んで行きたい。満蒙開拓平和記念館も一昨年春オープン以来、9万人近い参観者が訪れて全国的な関心を集めていてよろこばしい。本日は、帰国者一世の石坂万寿美さんの体験発表と満蒙開拓平和記念館報告、特別講演が予定されている。帰国者の皆さんの歩んだ歴史と現状への理解を深め、支援交流にともに励んでいきたい」と述べました。

 体験発表で石坂万寿美さん(72)=塩尻市=は、「家族で旧満州に渡りまもなく敗戦、父はシベリアに抑留され死亡、母とも死別した中で、現地の中国人に救われた。養母は病気の自分を1日に200回もおなかを撫でて看病してくれたり、鉄鍋を売って生活費や教育費を工面し育ててくれた」と体験を語り、私が現在あるは養父母のおかげですと話しました。

 特別報告として、飯田日中友好協会理事長の小林勝人さんが「満蒙開拓平和記念館」の活動を紹介し、ピースラボ講座や澤地久枝さんの講演会、中国養父母連絡会代表と養母を招いてのシンポジウム、養父母展の開催等を通じて、開拓団の悲劇を若い世代に伝える平和教育の基地としての役割を果たしていることを報告しました。また養父母展の県内巡回展示への協力を呼びかけました。

 特別講演として篠ノ井西中学教諭の飯島春光さんは「満州開拓団の歴史を20代で82.9%、30代で66.3%の人が知らない、帰国者がなぜ日本で生活し苦労しているかその理由も知らない現実がある」と指摘し、篠ノ井西中学で1990年代後半中国帰国生徒が急増する中で差別やいじめ問題が発生し荒れていた、それを克服するために、満州移民に焦点を当てた学年ぐるみの歴史、平和学習に取り組んだ経緯を紹介しました。「生徒たちは祖父母や曾祖父母の戦争体験の聞き取りと発表に取り組み、帰国生徒も新聞づくりを通して曾祖母の人生に迫った」「ひいおばあちゃんの話を取材した宏くんはひいおばちゃんが中国で殺されそうになったところを現地の中国人に救われ結婚し、帰国後現地に家族と自分の墓を建てたことを知った」「ひいおばちゃんの歴史を調べ、それを親にも知らせることができた」などの事例を紹介し、戦争をどう学び、どんな未来をつくっていくかが問われていると話しました。

 第2部の東京中国歌舞団の民族楽器演奏では、劉錦程団長の揚琴と汪成さんの二胡の演奏を楽しみました。会場は春節の華やかな雰囲気に包まれました。最後に「北国の春」と「大海啊、故郷(海はふるさと)」を歌いました。

 第3部の春節交流会では長野市日中女性委員会の皆さんが友好の黄色のハッピ姿で、交流会を進行し・盛り上げに大活躍でした。アトラクションとして臼と杵を使って、帰国者の皆さんが次々と餅つきを体験しました。抽選会も行われくじを引き当てた人たちが切絵のカレンダー、お米やリンゴなどの景品を受け取って喜んでいました。松本、飯田、上田、長野、伊南の日本語教室に通う帰国者の皆さんが次々と準備してきた出し物を披露しました。「信濃の国」「ふるさと」「花」「北国の春」などを堂々と歌い大きな拍手を受けました。上田教室の皆さんは、はっぴ姿に桜の枝をもって、「真田桜」の踊りを披露喝采を浴びました。二胡やフルース、横笛の演奏なども披露され、最後に中国の東北地方に伝わるヤンコー踊りを会場いっぱいににぎやかに踊りました。参加した帰国者の皆さんは「中国の春節を祝いながらみんなと集まれるこの会を毎年楽しみにしている」と語っていました。

 飯田下伊那、伊南、伊那、松本、佐久、上田、長野、飯山などからおおぜいの帰国者や支援者、市民のみなさんが参加しました。中沢洋子県地域福祉課長補佐兼自立支援援護係長、宮川あゆみ同係主査、小林佑一郎元中国帰国者定着促進センター所長、庭山透長野市生活支援課長、王秀閣中国国際放送局孔子学堂担当者、井出正一県日中最高顧問、清水可晴・中沢道保・福沢宏夫・清水えい子・村山ひとみ県日中副会長、西堀正司県日中帰国者交流センター所長、西沢毅県日中帰国者留学生委員長、池上一巳上田市日中会長、金子繁三長野市日中理事長、布施正幸帰国者交流センター次長らも出席し帰国者を激励し交流しました。
  日中友好新春女性のつどい、”中国茶を知り味わう”(2/5)

 長野県日中友好協会女性委員会(島津美智子委員長)は2月9日、長野市内のホテル信濃路において日中友好新春女性のつどいを開きました。飯山・須坂・長野・千曲・上田・佐久・松本・飯田など各地から50人が参加し、新年の研修と交流懇親会が行なわれました。

 島津委員長は昨年の県日中女性委員会設立40周年を振り返り、「日中友好にかけた先人の志に思いを致し、今まで積み上げてきた1つ1つの活動を大事にしようと努めてきた。千曲市での総会、木島平でのスキー交流会、上高地での友好キャンプ、新潟総領事館訪問、さらに中国大学生インターンシップ生の皆さんとの交流など心に残る活動ができた。戦争の悲惨さを体験した世代が少なくなりつつある今、日中友好のために何ができるか考え、新たな一歩を踏み出していきましょう」とあいさつしました。

 来賓として高波謙二県日中会長や清水えい子女性委員会顧問、来県中の紀竑さん(福岡領事)、王昌勝県華僑総会長、西堀正司理事長、董彤県国際交流員らが、「県日中は本年創立60周年を迎えますが、県日中の柱となって活躍されている女性委員会のパワーで、日中友好交流の再活性化を図り、平和と繁栄に重要な意義を持つ友好を前に進めていきましょう。女性委員会の新年の活躍に期待します」などと激励しました。

 第1部の研修会では、中国国際放送局長野孔子学堂の王秀閣さんが「中国茶あれこれ」と題して、お茶の歴史や、”チャ”も”ティー”もいずれも中国語の茶がもとになっていること、茶葉の発酵度合いによって緑茶、白茶、青茶、紅茶、黒茶など多様な茶があることなど興味深いお話をしていただきました。また普段味わえない貴重なお茶をふるまっていただきました。

 第2部の交流懇親会では、日本舞踊、真田桜、健康体操などが披露されました。会場のあちこちで和やかな交流が行われました。最後に全員で大きな輪を作り、「ふるさと」をうたいました。当面する2月の日中スキー交流会の成功を誓ってお開きとなりました。なお当日は女性委員会の皆さんが持ち寄った品々でバザーが行われ3万5千円余りの売り上げがあり、女性委員会の資金ができました。
 紀竑さん(福岡領事)白馬、長野を友好訪問(2/7~9)

 河北省外事弁公室の紀竑さん(福岡総領事館勤務)が2月7日から9日来県し、白馬でスキーを、長野で懐かしい友人と再会交流しました。4年間の日本勤務を近く終え、3月末帰国されるそうです。

 白馬村では、八方尾根スキー場でスキーに汗を流しました。対岳館の丸山庄司先生(元全日本スキー連盟専務理事)の熱心な指導により、2日目にはボーゲンからパラレル・クリシチャニアにレベルアップ、スキー場の最高地点近くからゆっくりと滑り降りれるようになりました。王昌勝県華僑総会会長も2日間しっかりサポートしていただきました。夕食会には友人の栗岩善昭さんや佐藤元村長も参加し、話が弾みました。下川正剛白馬村村長を表敬した際には、河北省からの白馬へのスキー客訪問などが話題となりました。長野に到着すると、高波謙二会長や福沢宏夫副会長ら訪中などでお世話になった皆さんが出迎え歓迎夕食会が開かれました。

 翌日は山本県国際課長らと懇談したのち、善光寺を参拝し、県女性委員会主催の日中友好新春女性のつどいに参加しました。紀竑さんファンが大勢いて旧交をあたためました。「4月の県日中友好協会訪中団が訪問する折には石家庄で再会できそうですね。お世話になりました」。紀竑さんと握手をして別れを惜しみ、みんなで見送りました。(布施)
 県日中友好協会新春座談会・新年会を開催-創立60周年、友好交流の再活性化へ(1/25)

 長野県日中友好協会は1月25日、140人が出席して恒例の日中友好新春座談会と新年会を長野市内のホテル信濃路で開きました。創立60周年を迎える長野県日中友好協会の活動を振り返りつつ、日中両国の友好交流の再活性化と信頼回復に向けた更なる取り組みの必要性を確認しあいました。阿部守一知事、中国大使館の沈建国参事官をはじめ国会議員や各界来賓も出席され盛会裏に開催されました。

 新春座談会では、山根敏郎副会長の開会の辞に続いて、高波謙二会長があいさつし、「長野県日中友好協会創立60周年の節目の年に当たり、先人の事績を振り返り、日中友好はアジアと世界の平和と繁栄に欠かすことができないとの信念をもって今年も進んでまいりたい。力を合わせ、友好交流の再活性化に努め、相互信頼を回復していきたい。 4月には60周年記念長野県日中友好の翼訪中団を派遣し、秋には河北省友好協会代表団をお招きして60周年記念式典を予定。あわせて『虹の架け橋・長野県日中友好の歩み(第4巻)』の発刊を計画しているので格別なご支援ご協力をお願いしたい。本日は新年の抱負をともに語り合い、有意義な会としていただきたい」と述べました。

 また、座談会にも出席された沈参事官は、長野県協会の日ごろの活躍に敬意を表した後、「今の中日関係は各分野の交流協力が回復しつつあるが、まだまだ不安定要素があり、引き続き細心の注意を払いながら、努力していく必要がある。しかし、大局から見ると、まさに歴史上初めて、中日国民の大交流の時代を迎えており、本格的に向き合い、触れ合う時代になった」と述べ、今後の中日関係を発展させるため3つの提言をされました。「 第1は、お互いのことを客観的に見ることが大事。日本も等身大の中国を見て取ってほしい。中国は平和発展を堅持し、日本を協力のパートナーとみなして、日本をライバル、ないし仮想敵国とみなすことはない。中国の指導者はさまざまな場で、中日関係の重要性を言及して来た。第2は、中日関係に自信を持つこと。40数年の蓄積はたいしたもので、相手に対して好感度を持たないとか言われるが、それは必ずしも両国国民感情の実態ではない。三国志や中華料理が好きな日本人は圧倒的に多くて、また、日本製品や日本の流行文化が好きな中国人もいっぱいいる。それこそ、中日関係の強固な基盤と思う。第3は、人と人とのつながりを重視した友好交流を通じて、中日関係の発展を促進すること。いま訪日中国人は年間500万人、まさに、国の交わりは、国民の親交にあり、大いに両国民の直接の接触を拡大していく必要がある。歴史的な国民大交流の時代に、必ずや、多くの若者が友好活動に参加してくると確信している。中国大使館も、私自身も引き続き頑張ります」とのあいさつに共感の拍手が送られました。

 布施正幸事務局長が第2回理事会(12/2)で決定された今年の主な事業計画を報告し、「長野県日中友好協会創立60周年の節目の年に当たり、歴史を顧み未来を展望し、日中の平和友好の大切さを内外にアピールする。地方民間交流事業を企画し、友好交流の再活性化と信頼関係の回復に努める。 *4月の長野県日中友好協会代表団の派遣 *10月の河北省人民対外友好協会代表団を招いての長野県日中友好協会創立60周年記念式典開催  *『虹の架け橋-長野県日中友好の歩みⅣ』の編集発刊  *中国残留孤児養父母展の県内巡回展 *太行山河北省内丘県での緑化協力プロジェクトの実施 *長野ラジオ孔子学堂のHSK中国語検定試験実施協力 *留学生ホームステイ受入れ などにとりくんでいきたい」と述べました。

 続いて西堀正司理事長の司会でディスカッションに入り、日中関係の現状と課題、地区活動や各分野の交流などについて活発に意見交換が行われました。

◎中国の積極的な対外外交に関心を持ってみている。中国が好きで仲良くしていきたいと願っている。 ◎南京大学と藤村文学賞を通じた交流を今後も進めていきたい。中国は文化の恩人であり大切に付き合っていきたい。◎両国民の信頼関係の低下が言われているが訪日観光客が500万人に近づいたことや爆買など明るい話題もある。 ◎諏訪の御柱祭が行われるが岡谷蚕糸博物館に中国から蚕などの資材を導入して中国人観光客誘致に知恵を絞っていきたい。邱国洪・次期中国大使は古い友人なので、歓迎したい。 ◎中国は人件費のアップを国指導で行い内需拡大を図っている。個人消費は伸びており、消費税17%関税20%の中国人が日本で買い物をしたいと思う背景がある。

◎帰国者を取り巻く状況も大きく変わってきている。温かいまなざしがほしい。いじめなどの問題にも関心を持ってほしい。 ◎解決には地域・学校・家庭での教育が大切と思う。 ◎県内在住の帰国者は4100人と言われるが1万人を超える関係者が暮らしている。医療通訳等を各市町村に置くなどの対策が必要。 ◎かつて協会として陳情したが自動車免許試験は中国語でも受けれるようになった。

◎世界人口73億人の53%の39億人がアジアに住んでおり、世界のGDP・77兆ドルのうち日中両国で16兆ドルを占めている。日中関係がぎくしゃくすると世界にもマイナスの影響が大きい。 ◎謙中・反中雑誌があふれていて中国を正しく理解する若者が少ない現状は大変残念だ。中国の若者も日本の現状を見てほしい。 ◎昨秋の丹羽宇一郎先生の講演を聞き「とにかくできることをやるんだ」と決意した。若い人に参加してもらうにはどうしたらいいか。友好訪中団に参加して入会してくれる人もいる。インターンシップ生との交流も有意義だった。 ◎日中両国民が直接触れ合って真剣に向き合うようになった。言論NPOの世論調査(2000人)は、謙中・反日90%といった数字を出しているが、実態と違っている。世論を誤った方向へ誘導する弊害があると思う。人の交流が飛躍的に拡大し、人と人の付き合いの接点が増えている。戦中世代の贖罪から友好というモチーフの中で、お互いに等身大の日本と中国を認識して付き合っていきたい。 ◎日本は敗戦以来70年、戦争しないでやってきた。平和を守っていきたい。冷静に考えれば、戦争をする相手はいない。 ◎右傾化が心配。マスコミの偏向も感じられる。脅威をあおっているが日中は運命共同体であることを認識すべきだ。

◎映画「望郷の鐘」の上映会に420名参加、好評だった。学校の先生方にも見てもらい、各学校でも上映して平和の大切さを学んでほしい。 ◎中国ジャンプ訓練隊の受け入れ協力などに取り組んできた。◎大学生インターンシップ生受け入れ事業を県の協力のもと5年取り組み300人近く受け入れた。観光やスポーツビジネスに貢献したい。違いを認識してできることからやっていき、お互いに必要とされる間柄となりたい。県が河北省と結んだ4つの協定(医療介護・スポーツ/スキー・環境・観光)推進に協力していきたい。 ◎創立時は開拓団関係者が多かった。若い人が動きにくいところがあった。日中はお互いを認め合って、できることから実行していきたい。諏訪にも大勢の中国人実習生・留学生がいるので交流し理解を深める機会を増やしていきたい。 ◎貴重な社会主義の文献贈呈を通じて交流があった。日中は唇と歯の関係にある。

◎満蒙開拓平和記念館の昨年の入館者は27000人だった(累計80000人超)。11~12月中国残留孤児養父母展を開催するとともに、養母を招いて「養父母を知るつどい」を開催した。養父母展の県内巡回展にご協力願いたい。体験者の発表などを合わせて取り組んでいただければ効果的と思う。子供たちに教え伝える機会としていただきたい。謙中・謙日は教育の問題でもある。近現代史を正しく子供たちに教えることが大切と思う。 ◎青年委員会と女性委員会の共催で日中スキー交流会を2月木島平スキー場で開催。ご参加とご協力をお願いしたい。 ◎女性委員会は新春女性のつどいを予定している。地区協会を基盤に活躍しているのでご支援ご協力をお願いしたい。

◎(まとめ)活発なご意見に感謝したい。現在は、世界のグローバル化が進むとともに地方ローカルが重視される時代となっている。グローカルという言葉も生まれている。平和な社会を維持していく上で、日中両国の平和友好は欠かすことができない。地域での交流活動に取り組み、友好を発展させていきたい。

 新年会には、日頃友好運動に協力いただいている各界来賓が多数出席いただきました。相澤孝夫副会長の開会あいさつに続き、高波会長は日ごろの協力に感謝し、「日中首脳会談により両国関係に明るさが見えてきた。本年は長野県日中友好協会創立60周年の節目の年に当たる。半田孝海初代会長はじめ先人の事績を振り返り、官民力を合わせ、友好交流の再活性化に努め、相互信頼を回復していきたいと決意している」とあいさつし、60周年記念事業への協力を要請しました。

 阿部県知事、沈参事官、務台俊介衆議院議員、村石正郎県日中友好促進議員連盟会長から激励の祝辞をいただき、濱田州博信州大学長の音頭で乾杯しました。阿部知事は、日ごろの友好協会の活動協力に謝意を表したのち、張慶偉河北省省長との間で結んだ医療介護・スキースポーツ・環境・観光などの分野での協力交流を深めていく決意を語りました。

 懇親会の中のスピーチで、小松裕・井出庸生両衆議院議員(代)、小坂憲次・若林健太両参議院議員(代)、太田昌孝・竹内久幸・今井正子・小林東一郎・高島陽子・清水純子各県議、王昌勝県華僑総会会長、河野博明県スキー連盟副会長、王秀閣中国国際放送局長野孔子学堂代表、董彤国際交流員などから激励をいただきました。女性委員会メンバーが沈参事官とともに壇上にのぼり「ふるさと」を披露し大きな拍手が送られました。親しく懇談交流が行なわれ会場は和やかな雰囲気に包まれました。山本晋司県国際課長の音頭で日中友好協会の万歳が行なわれ、中沢道保副会長の閉会あいさつで散会となりました。

 来賓として前記のほか岡田荘史長野市議会日中友好議員連盟会長、返町健長野市国際室長、岡村重信県経営者協会人材戦略拠点事務局長、井出康弘県中小企業団体中央会事務局長、木藤暢夫県商工会議所常務理事、中村英雄県商工会連合会専務理事諏訪浩一県平和人権環境労組会議共同代表、星沢重幸部落解放同盟県連委員長、井口弥寿彦信濃毎日新聞社総務局長、酒井康成松本歯科大学学事課係長、桜井啓司県武術太極拳連盟会長らのご臨席をいただきました。

年頭のごあいさつ-長野県日中友好協会創立60周年を迎えて

                                       
                                                長野県日中友好協会  会長 高波謙二

 

新年を迎え、日ごろの各位の献身的な日中友好のご尽力に心から敬意を表しご協力に感謝申し上げます。

日中関係は一昨年秋の両国首脳会談実現以降、地方民間交流はじめ、国レベルの青年学生交流も再開されてきています。多くの課題が残されていますが、両国政府と国民が英知をかたむけ、協力してアジアと世界の平和と繁栄に貢献していけるよう願っております。

戦後70年、日中友好協会創立65周年に当たり、この1年様々な活動に取り組む中で、日中不再戦、平和友好の大切さを県民にアピールしつつ歩んでまいりました。河北省の張慶偉省長を迎えての友好30年記念式典を皮切りに、映画「望郷の鐘」上映、緑化協力やスキー交流、中国留学生ホームステイ受け入れ、中国語の普及、帰国者支援活動、中国昆劇長野公演や丹羽宇一郎前中国大使の講演会、程永華大使を迎えての日中友好秋季セミナーなどにとりくみました。

程大使の「友好に対し自信を持ち国民交流を積極的に進めたい」とのお話や、丹羽先生の「日中両国は仲良く付き合っていく以外に道はない。まず一歩を踏み出すこと」という強い信念に感動しました。

本年は長野県日中友好協会創立60周年の節目の年に当たります。日中の平和友好協力の道こそ日本の歩むべき道であり平和と繁栄の道であります。力を合わせ、友好交流の再活性化に努め、相互信頼を回復していきたいと決意しております。4月には60周年記念県日中友好の翼訪中団を派遣します。秋には河北省友好協会代表団をお招きして60周年記念式典を開催します。『虹の架け橋-長野県日中友好の歩みⅣ』も発刊します。皆様の格別なご支援ご協力をお願い申し上げます。(2016.1.1)

 

<初春を迎えて>  協働して日中友好交流のフロントランナーとしての役割を
                                                
                                                  長野県知事 阿部 守一 

 皆様には、清々しい新年をお迎えのことと、心からお喜び申し上げます。
 
 長野県では、戦後70年の大きな節目の年であった昨年を、国際関係再構築年として位置付け、世界において長野県の果たすべき役割を検証するとともに、アジアの近隣諸国を中心とする友好関係の強化に努めて参りました。こうした中、昨年初早々、貴協会の格段の御支援と御協力のもとに、張慶偉省長を団長とする河北省代表団の来県が実現いたしました。ここに改めまして衷心よりお礼を申し上げます。

 御蔭様をもちまして、張省長との間で「冬季スポーツ」、「医療・介護」、そして「環境」の3分野において、交流を強化する覚書きを締結したほか、「観光」分野においても、河北省との間で観光交流を強化する覚書を締結することができました。

 年末には、私が河北省を訪れ、これらの覚書の進捗状況を張慶偉省長と確認するとともに、2022年の北京冬季オリンピック・パラリンピックの会場となる河北省に対して、全面的な協力と支援を約束して参りました。

 ここ数年にわたり、日中国家間の関係は決して良好とは言えない状況が続いて参りましたが、そのような厳しい環境にあって、長野県と河北省はこれまで、「日中地方間官民交流のお手本」のような固い絆を築き上げて参りました。これも、貴協会の多大なる御尽力の賜物であると心から感謝を申し上げる次第です。

 今後も日中友好交流のフロントランナーとしての役割を果たして参る所存でございます。引き続き、全国の日中地域間交流を牽引してこられた長野県日中好協会の皆様との協働をお願いいたしますとともに、新しい年が希望に満ちあふれ、実り多い良き年となりますよう心からお祈り申し上げます。(県日中友好友好協会名誉会長 16.1.1)
 
 

<新春メッセージ>相互信頼構築と国民感情の増進に努めましょう

                               中国大使館友好交流部参事官 汪 婉 

2016年の新年を迎え、謹んで新春のお祝いを申し上げます。

一昨年11月に達成された両国政府の四項目の原則的共通認識に基づき、両国各界のたゆまぬ努力により、困難な状況にあった中日関係は去る2015年、戦後70周年という節目の年にようやく改善の方向に転換し、各分野における交流と協力は回復されつつあります。この中、両国関係の改善のために、長野県各界はより一層結束し、地方レベルから大きなご貢献をなされ、欠かせない重要な役割を果たされたことは特筆に値するものであります。阿部守一知事と張慶偉河北省省長との相互訪問をはじめ、貴県と河北省は様々な分野において、活発な交流事業を実施され、中日両国地方交流のモデルと言っても過言ではありません。これに対し、高く評価し、感謝の意を申し上げます。

その一方、中日関係にはまだ不安定な要素が含まれており、両国相互信頼関係の構築と国民感情の増進には引き続き努力しなければなりません。中日友好の基盤は民間にあり、中日関係の前途は両国人民に委ねられています。新たなる一年に、長野県の皆様は「民を持って、官を促す」という両国間の優れた伝統を発揚し、中日関係の持続的改善と両国人民の世々代々にわたる友好のために引き続きご尽力、ご貢献されますよう期待しております。

長野県の益々のご発展と長野県民の益々のご幸福をお祈り申し上げます。(16.1.1)

故半田孝淳先生のご逝去を悼みご冥福をお祈り申し上げます(12/14)

 天台宗座主で長野県日中友好協会最高顧問の、半田孝淳先生が12月14日逝去されました。享年98歳でした。先生のご逝去を悼み心から哀悼の意を表しますとともに生前の日中友好のご貢献に感謝し謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 半田先生は、長野県日中友好協会初代会長半田孝海先生のご子息で、孝海先生の後をついで、日中友好に深い関心を寄せ、長野県日中友好協会副会長さらに最高顧問として、協会を導き私たち会員を励ましていただきました。ご自身も幾たびも中国を訪問され、中国仏教会の趙僕初会長はじめ佛教会の要路の方々との親交を温められてこられました。

 日本仏教界の重鎮のお立場になられてからも、大変親しみやすいお人柄で、親しく声をかけてくださり感慨深く先生の在りし日のお姿を思い浮かべております。

 1986年に県協会創立30周年の記念誌を編集するにあたり、半田先生から、父君の残された新聞大の大型スクラップ20冊ほどに整理されていた沢山の貴重な資料をご提供いただきました。おかげで1950年代、60年代当時の確かな記録が明らかとなり編集者一同半田会長のお人柄を改めて偲び、半田先生のご好意に深く感謝した次第です。

 2011年に常楽寺でお会いした時のことも忘れがたい思い出です。その時の様子を記した短文を紹介させていただき半田先生のご冥福をお祈りしたいと思います。(F)

半田孝淳先生から半田孝海初代会長の貴重な資料を提供いただく(2011年10月11日)

 長野県日中友好協会の初代会長の半田孝海先生(善光寺大勧進大僧正)が先頭に立って戦争中県内の平岡や木曽谷に強制連行されダム建設工事に従事させられ殉難された240名余の遺骨収集・慰霊・遺骨送還の事業に関係者とともに尽力されたことは友好協会会員のみならず多くの県民の知るところです。半田先生は1957年9月と1963年11月一部遺骨を携え訪中し周恩来総理とも会見しています。

 このほど、半田孝淳先生(半田初代会長のご子息で、比叡山延暦寺座主大僧正、県協会の最高顧問)から1957年5月半田孝海会長が、長野県中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会委員長として中国紅十字会宛に殉難烈士・呉栄海氏の遺骨に添えて送った手紙の写しをいただきました。

 天津市烈士陵園の中にある在日殉難烈士・労工紀念館のなかに実物の手紙は展示されていましたが、本年9月日中友好宗教者懇話会訪中団の一員として訪中された、中尊寺貫首の山田俊和・宗教者懇話会理事長がこれを写真に収め半田先生にお送りいただいたものでした。

 半田会長の精魂を傾けられた日中不再戦、平和友好の願いと実践の一端が、明年の日中国交正常化40周年を前にして私達の目の前に現れたことは、重要な啓示に思えます。半田孝淳先生もまた日本の仏教界の最高指導者のお立場にあって父君の思いを継いで日中の永久の友好平和の思いを熱く語られ私達を激励くださいました。心から感謝申し上げます。
 中国人養母ら招き阿智村でシンポジウム(12/12)

 満蒙開拓平和記念館(河原進館長)と飯田日中友好協会(清水可晴会長)は12月12日、阿智村中央公民館で中国残留孤児を育てた養母を招き「中国養父母を知るシンポジウム」を開きました。元残留孤児やその家族、支援者、市民ら約100人が参加し、養母と孤児の話に耳を傾けました。

 来日したのは、黒竜江省ハルビン市在住で残留孤児の日本人女児を育てた養母、李淑蘭さん(88)や中国に残る孤児や養父母の生活を支援している「ハルビン市日本孤児中国養父母聯誼会」の丁一平副会長ら7名。昨年6月、記念館代表が訪中した際に交流したのがきっかけで今回の招請が実現しました。

 丁副会長が1985年に設立された養父母聯誼会の活動を紹介したのち、李さんは記念館の三沢亜紀事務局長の質問に答える方式で、日本人孤児を育てることとなった経緯や思いを語りました。おかゆやマントウを売る店を営んでいた李さんは1945(昭和20)年秋、日本人女性からやせ細った女児を託されました。自身も養女として育てられた経験から「ほっておけない気持ちで預かった」。日本人の子を預かったことで非難も浴びたが「孤児なのだから誰かが面倒を見てあげなければかわいそう」と揺るがなかったと李さん。娘が81年実母がわかり日本に帰ることとなった際は「別れはつらかったが娘が実の母と会えると思うとうれしかった。自分は母が誰なのかいまだわからない」と述べました。

 中国の養父母に育てられた元残留孤児、多田清司さん(76)=飯田市=も登壇。「(収容所で父母を亡くした多田さんを)養父がおぶって自宅へ連れて帰り、養母がおもゆを作って一口一口たべさせてくれた。中国の養母(ママ)のおかげで生きながらえることができた」と話しました。

 東京から駆け付けた元残留孤児の中島幼八さん(73)は、花束とともに自身の体験をつづった書『この生あるは』(中国語版)を贈り、感謝の気持ちを表しました。中国残留孤児長野訴訟副団長を務めた石坂万寿美さん(72)=塩尻市=も「中国と養父母は私たちが生活し学ぶすべてを支援してくれた。健康で長生きされることを心から願っています」と語り、感謝の意を表しました。

 小林勝人・飯田日中友好協会理事長が日本側における残留孤児の受け入れ活動の概要を報告し、寺沢秀文・平和記念館副館長がシンポジウムのまとめを行いました。

 なお、平和記念館では「日本人残留孤児と中国養父母展」(ハルビン市日本孤児中国養父母聯誼会提供)を11月21日から12月26日にかけ開催しています。引き続き、県内各地区日中友好協会と共催で巡回展示を予定しています。
  ワールドフェスタin長野に長野市日中も参加(11/29)  

国際交流イベント「おぉ!地球人 ワールドフェスタ in 長野 2015」が11月29日長野市のもんぜんぷら座で開催されました。市民の国際感覚・国際理解の向上を目指し、今年で4回目となります。市内に活動拠点を置く団体等21の出展ブースと8つのステージ発表が行われ、多くの市民が訪れ、交流を楽しみました。

ステージ発表では、中国石家庄市からの3名の語学研修生(何瑛さん、王景澔さん、鄺天辰くん)が和服姿でそれぞれ一人ずつ「能」を舞い、3人一緒に三味線で「さくら」の曲を演奏し、更に一人ずつ研修中の思い出などを日本語で発表し視聴者の大きな拍手を浴びました。また、幸福龍さんほか敦煌二胡教室のみなさんによる二胡演奏も行われ、5曲目は長野市日中のメンバーもステージに上がり観客の皆さんと「ふるさと」を合唱しました。

幸運を招く赤い提灯や切り紙で飾り付けた長野市日中友好協会のブースには、協会の活動紹介展示のほか、「満蒙開拓団の悲劇を語り継ごう!」のコーナー、 中国茶のサービスコーナー、ミニ中国語教室を設けて来客者を迎えることとしました。激励に来場された山根会長、福澤副会長も黄色い日中友好のハッピ姿になり、ブース前で全員勢ぞろいの記念写真を撮り、定刻の11時いよいよ開会セレモニーで始まりました。

当協会ブースでは、王秀閣さん(中国国際放送局孔子学堂中国側責任者)のお手前による「黒茶」「白茶」「ジャスミン茶」など、中国茶のサービスが人気を呼び、それぞれの効能などを記したチラシを手に味わっていただきました。茶菓子の「ナツメ」「山査子」の提供も喜ばれました。また、応援に来てくれた県国際交流員(河北省から来県)の董彤さんと信州大学研究生の劉非さんによるミニ中国語コーナーにも多くの人が立ち寄っていただき好評でした。 満蒙開拓団の悲劇など綴った『活(いきる)』(宝興長野郷開拓団出身の大石文彦さん著)などの著書にも関心を寄せていただき、日中不再戦、平和友好をアピールすることもできました。

その他、アメリカ、ロシア、ベトナム、モンゴル、フィリピン、タイなど、それぞれのブースにも多くの皆さんの関心が集まっていました。

長野市国際室によれば、当日の来場者は688名で、長野市には11月現在、53ヶ国・地域の3491名の外国籍の方が暮らしています。国際交流の良い機会になったと喜ばれています。         (長野市日中友好協会 事務局長 吉岡 弘海)

 第19期日中関係を考える連続市民講座スタート(11/28)

第19期日中関係を考える連続市民講座が11月28日から始まりました。県内の大学と県日中友好協会などで作る県日中学術交流委員会主催で、毎月1回のペースで文化、歴史、経済関係などをテーマに計6回の講座が開かれます。第1回は長野大学の塚瀬進教授が「溥儀の生涯とその時代」と題してラストエンペラーの生きた激動の時代とその人を紹介しました。第2回は立石昌弘・県短期大学教授(中国経済)が「1930年代の中国と日本」と題して講演しました。

 開催趣旨は次のようです。
--日中両国は2000年の友好往来に裏打ちされた文化の共通性があります。一方、近代不幸な戦争を体験しています。国交正常化以来40数年を経過し、最大の貿易相手国となっています。ここ数年、政治的ギクシャクが続いてきましたが、日中関係は徐々に明るさを取り戻しつつあります。英知をかたむけ、平和と友好協力の道を歩む方途を探すことは両国国民にとって大切な課題です。中国を多面的に理解するため県内で活躍している大学・短大などの先生を講師に迎え第19期講座を計画しました。お誘いあってご参加ください。

詳細はこちら――>第19期日中関係を考える連続市民講座「中国の歴史・文化と日本」

11/28(土)「溥儀(ラストエンペラー)の生涯とその時代」、塚瀬進・長野大学教授
12/19(土)「1930年代の中国と日本」、立石昌弘・県短期大学教授(中国経済)
1/23(土)「中国茶あれこれ」、王秀閣・中国国際放送局日本語部アナウンサー・長野孔子学堂責任者
2/27(土)「中国近世小説の世界『杜騙新書』の話」、氏岡真士・信州大学人文学部准教授
3/19(土)「中国進出県内企業の現状」、兼村智也・松本大学教授
4/23(土)「宋代中国の都城と文化」、久保田和夫・長野高専教授
 県女性委員会バスツアー、新潟中国領事館を訪問交流(11/19)

 県日中女性委員会は11月19日、第8回秋の日中友好研修バスツアーを行いました。女性委員会メンバーら42名が参加して、新潟の中国領事館を訪問し、何平・総領事はじめ関係者から心のこもった歓迎を受けました。

 未明に南信のメンバーを乗せ、岡谷を出発したバスは松本、長野、須坂、中野、飯山と参加者を加えながら、新潟を目指しました。車中では西堀正司県日中理事長から最近の日中関係についてレクチャーを受け、さらに中国語の歌「大海啊、故郷」(海はふるさと)を練習し、自己紹介など交流しながら、11時過ぎには領事館に到着しました。

 何総領事は、心からの歓迎の意を表した後、「長野県の皆さんとの交流は今まであまり機会がありませんでしたが、隣県同士これを機会に交流を深めていきましょう。両国関係は複雑な問題も抱えていますが、女性のパワーを発揮していただき、民間・地方交流を活発にし友好協力を進めていきましょう」と述べました。 

 島津美智子女性委員長や西堀理事長らが訪問御礼のあいさつをし記念品交換が行われました。領事館の内部も案内していただき、領事館の皆さんの仕事ぶりも見せていただきました。現在の領事館は手狭なため、行く行くは新しい領事館に移ることになるそうです。国章の飾られた玄関前にて全員で記念撮影しました。

 続いて何総領事の特別の計らいで、市内の中華レストランに場所を移して歓迎昼食会がもたれました。美味しい中華料理や紹興酒をいただきながら領事館のスタッフの皆さんと交流懇親を深めることができました。感謝の意味を込めて、バスの中で練習してきた「大海啊、故郷」や「ふるさと」を一緒に歌いました。名残を惜しみながら長野での再会を約して会場を後にしました。

 一行はその後、新潟ふるさと村でショッピングを楽しみ、さらに越後一の宮と言われる弥彦神社で菊まつりを鑑賞し英気を養い帰途につきました。バスの中では、「領事館訪問など良い体験ができ楽しく勉強になりました」「来年も友達を誘って参加したい」などと感想が語られました。自慢のカラオケも披露され、長い道のりも短く感じられる有意義な研修バスツアーとなりました。
長野市の帰国者、世界遺産・富岡製糸場とこんにゃくパークを見学交流(10/25)
 
 長野市と市日中友好協会、市帰国者の会で構成される長野市中国帰国者三者連絡会の主催により平成27年度長野市帰国者のつどいが10月27日行われました。昨年の上越市水族博物館訪問に引き続き今年も要望に応えてのバスツアーで世界遺産冨岡製糸場とこんにゃくパークを訪問しました。帰国者65名と友好協会役員、市生活支援課の皆さんが参加し、市のバス2台に分乗しての80名の賑やかな見学交流会となりました。

 あたたかい日差しに恵まれたこの日、長野を8時前後に出発した2台のバスは松代PAで合流し、ここで開会式が行なわれました。

 三者連絡会副会長の柳沢春生・市帰国者の会会長は、「沢山の帰国者に参加いただき感謝します。年配の方もいるので、無理しないで、楽しい1日を過ごしてください」とあいさつしました。布施正幸・県日中帰国者交流センター次長も「帰国者1世の皆さんが大勢の子や孫に囲まれて安心した老後を送れるよう地域の皆さんとともに頑張っていきたい。日中両国の不再戦、平和友好を願う気持ちを誰よりも持っている皆さんが友好の懸け橋になっていただきたい」と述べました。

 バスは、予定通り11時に富岡製糸場に到着すると、参観者が門前列を成していて大盛況でした。木骨レンガ造の広大な建物がしっかり保存され、東置繭場跡には富岡製糸の歩みをわかりやすくパネル展示してありました。繰糸所は工場の心臓部だったところですが、28年前まで動いていた機械が整然とその場所に保存されていました。

 富岡製糸場は明治5年(1872)に日本初の官営の近代的大規模製糸工場としてスタートしました。以後民営払い下げとなり最終的に長野県とかかわりの深い片倉工業㈱が取得し昭和62年(1987)操業停止まで続いたもので、その後富岡市に寄贈され国指定重要文化財となりました。昨年念願かなって世界遺産に指定されました。帰国者の皆さんも興味深げに参観していました。

 市内の藤乃屋で昼食の後、群馬県の特産こんにゃくのテーマパーク「こんにゃくパーク」を訪問しました。大変大きな施設ですが、こちらも大勢の観光客でにぎわっていました。まず入口で記念撮影、そして工場を2階から案内コースに沿って参観しました。続いてこんにゃくのバイキング料理を味わい、最後に両手がふさがるほどのこんにゃく製品を買い込みショッピングを楽しみました。

 一世の皆さんは70代半ば過ぎの方が多いですが、皆さん元気に2世3世4世に囲まれて楽しい一日だったと喜んでいました。
人民中国雑誌社王漢平副社長一行迎え、意見交換と歓迎会(10/10)

 人民中国読者会は10月10日、県日中友好センターにおいて人民中国雑誌社王漢平副社長一行4名を迎えて、歓迎意見交換会を開きました。于文東京支局長と呉文欽特派員、王朝陽・本社政治経済班記者が同行しました。急なご案内でしたが、読者会メンバー20人が出席し熱心な意見交換を行いました。

 福沢宏夫会長は、歓迎のあいさつの中で、読書会の活動を紹介するとともに、人民中国がより読者から愛される雑誌になるよう編集部、東京支局の皆さんが努力していることに敬意を表しました。

 王副社長は、「2度目の長野訪問ですがあたたかい歓迎に感謝し、読者会の皆様にに親しみを感じております。雑誌を読者に愛される立派なものにすることが私たちの第1の使命です。いつも長野の皆さんにご支持いただき感謝しています。懇談会を機にいろいろな貴重な意見をお聞きしたい」と述べました。

 短時間でしたが、内容の濃い意見交換ができました。よりよい雑誌とするために改善すべき点を出して欲しいとの要請で、次々と要望が率直に出されました。

 「レベルが高く、内容が固い感じがして最後まで読み通すのが大変に思う。10代の中高生が読んでも理解できるような読みやすい雑誌の編集に心がけて欲しい」。具体的には、「ノーベル賞作家の短編小説を載せたらどうか。世界遺産の紹介や日中間の友好交流の紹介と言うことで長野県が紹介されていたが、継続して他県の交流も紹介していったら良いのではないか」。「中国の魅力的な歴史や格言、漢詩の紹介なども期待したい。医療介護、環境問題などにも興味を持っている。交流イベントや開発区、「爆買い」などの状況も取材紹介して欲しい」。また、「読者アンケートを編集に反映してほしい」など、アットいう間に1時間半が過ぎ、続いて交流懇親会となりました。「北国の春」や「我愛北京天安門」などの歌も飛び出し盛り上がりました。

丹羽宇一郎・前中国大使招き、日中友好協会創立65周年記念の講演会を開催(10/9)

 長野県日中友好協会・県日中経済交流促進協議会・県日中学術交流委員会は10月9日、戦後70年、日中友好協会創立65周年にあたり講演と記念のつどいを長野市内のホテル犀北館で開きました。講演会には、180名が出席。尖閣問題のさなか中国大使として厳しい日中関係の最前線にあって両国関係の破滅を避けるため全力を傾注された、丹羽宇一郎先生(日中友好協会全国会長)が、「戦後70年、中国の行方と日中関係の今後」と題して記念講演しました。その後、先生を囲んでパネルディスカッションがおこなわれました。「厳しい日中関係を打開し新たな扉を開くために」、ともに考え前向きに民間交流を進めていこうとする熱意あふれる有意義な1日となりました。

 夏目潔・県日中経済交流促進協議会会長の開会のあいさつに続き、高波謙二・県日中友好協会会長が主催者を代表して「日中友好協会は65年前、日中戦争の深い反省の上に、両国の不再戦、平和友好を誓って国民の期待を担って誕生した。全国でもっとも多くの満蒙開拓団を送り出した長野県は負の歴史を肝に銘じ教訓として友好関係を築く決意をした。粘り強く民間・地方の交流を続け、友好に資していきたい。大使在任中、中国全土を自分の目で視察され、政府高官はもとより、庶民の方とも交流を深め現場主義を貫かれた丹羽先生から得がたい体験に裏打ちされた貴重なお話をお聞きし、今後の糧としていきたい」とあいさつしました。

丹羽先生は冒頭、習近平主席とも大使在任中9回あったことがあり習氏が「日中は引越しのできない間柄で、仲良く付き合っていく以外に道はない」と言っていたことを紹介しました。「日中双方の世論調査では、嫌中や日本人が怖いなどの数字が8割を超えるなど、政府間だけでなく民間でも厳しい。交流の機会を増やし誤解を解いていく必要がある。同じ人間としてお互いに信頼しあったら日中間でも過去の歴史を乗り越えて偏見をなくしていくことができる」と強調し、日中間の全ての紛争を平和的手段で解決し、武力や武力による威嚇に訴えないと定めた1972年の日中共同声明に触れ、「声明の精神を両国が遵守するよう努力するべきだ」と訴えました。

 また9月の米中首脳会談に触れ日本人が大きくなった中国を理解すべきだと述べました。日本で余り報道されていないが、米中首脳会談では安全保障や経済連携などが広範に議論され、両国は2016年を「米中観光年」にすることで合意したことを紹介。さらに「オバマ大統領は2020年までに米国人学生100万人強に中国語を学ばせると宣言した。日本が尖閣問題でごちゃごちゃやっている間に、中国は日本を必要とせず米国と関係を深めるようになってしまう」と指摘しました。

 先生は、日本の戦争責任や、日中国交正常化のために先人が払った努力が忘れ去られつつあるとも懸念。「国交正常化移行の40年余りで10億ドルだった日中の貿易額が3300億ドルまでになったのは両国が平和だったからだ。戦争に近づくようなことはやるべきでない」と強調しました。

 最後に中国の習近平体制に触れ、「習氏は自信を持って国政にあたっており中国経済は崩壊しない。当面中国共産党の1党独裁体制以外ありえないが、21世紀半ばの建国100周年に向けた長期構想を持ちさまざまな課題を解決しようとしている。ちなみに2017年は習体制2期目になるが、日中国交正常化45周年にもなる。大使のとき40周年記念行事600件もが、中止になり本当に悔しかった。45周年は是非成功させたい」と講演を締めくくりました。

 講演後、丹羽先生を囲んで上條宏之・県日中学術交流委員会副会長(県短期大学学長)、山根敏郎・長野市日中友好協会会長をパネラーに、西堀正司・県日中理事長がコーディネーター役をつとめ、パネルディスカッションが行われました。

 県内各地から集まった聴衆は熱心に耳をかたむけ、時代の変化や国際環境の変化を踏まえ日中が真剣に向かい合い相手を理解し、両国関係を改善し、関係を深めていく必要性を心に刻みました。「まず一歩踏み出すこと」を信条とする先生の情熱に大いに刺激を受けたと感想を語っていました。

 第2部の祝賀パーティーでは、相澤孝夫・副会長(松本日中会長)の開会あいさつに続き、高波会長が「”隣人同士仲良く付き合っていきたい。その為にもてる力を発揮したい”との丹羽先生の信念に貫かれた講演に感動した。日中関係が徐々に明るさを取り戻しつつある中で、集いの成果を踏まえて民間交流を進めていきたい」と語りました。中島恵理県副知事、井出庸生代議士、若林健太参議院議員からの祝辞に続いて、村石正郎・県議会日中友好促進議員連盟会長の乾杯の音頭で懇親会に入りました。小松裕・代議士(代)、小坂憲次・参議院議員(代)、今井正子・高島陽子県会議員、朱丹陽・王秀閣・中国国際放送局長野孔子学堂担当、董彤・県国際交流員、王昌勝・県華僑総会会長、塚田佐・元長野市長らから祝辞をいただきました。また、小林勝人・飯田日中理事長から満蒙開拓平和記念館の現状報告がされました。また女性委員会メンバーなどから日本と中国の歌が披露され、和やかな交流がおこなわれました。

 岡本宜樹・日本銀行松本支店長、滝沢英一・県国際課課長補佐、銭坂丈夫・上田市秘書課、柳澤直樹・山ノ内町副町長、岡村重信・県経営者協会事務局長、西村昌二・県中小企業団体中央会参事、中村英雄・県商工会連合会専務理事、荒井英彦・県信用保証協会会長、奥村明子・ジェトロ長野所長、高木幸一郎・JA全農県本部長、北村智・JA長野中央会地域農政部長部長、後藤正幸・信濃教育会会長、嶋田力夫・長野学園理事長、手塚久雄・信州大学国際交流課長、井口弥寿彦・信濃毎日新聞社総務局長、小沢吉則・長野経済研究所調査部長、桜井啓司・県武術太極拳連盟会長、など各界来賓が出席しました。

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