友好短信2014.1~12

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映画「望郷の鐘」、信州から平和のメッセージ(12/6)

 「中国残留孤児の父」と呼ばれた故・山本慈照さんの半生を描いた映画「望郷の鐘-満蒙開拓団の落日」が完成し、12月6日から長野・松本・飯田市で先行上映されています。

長岳寺住職だった山本さんは1945年5月、旧満州に教員として渡り、8月の敗戦後、シベリアに抑留され1947年に帰国。妻と子供1人が逃避行中に死亡したことを知らされます。「日中友好手をつなぐ会」をつくり、中国残留孤児らの肉親探しや帰国に尽力しました。

この夏、ゆかりの阿智村のロケには多くの村民が出演し、子役の小学生たちも大活躍しました。

山田火砂子監督は「二度と戦争を起こしてはいけない。子どもたちに見てもらい、歴史の真実を知って欲しい」。原作者の和田登さんは「25年前に出版した時は話題にもならなかった。今回は時代への怒りから反響を呼んでいる」。作家の井出孫六さんは信濃毎日新聞の夕刊コラムに「国策という名の落とし穴」の一文を寄せました。

明年は敗戦から70周年。信州から発信された映画は、平和の“のろし”として全国に広がることでしょう。(松原京子)

☆12月6日長野ロキシーでの上映後に監督の山田火砂子さん、女優の磯村みどりさんが舞台あいさつを行いました。山田監督は東京大空襲など自身の戦争体験を話しつつ「他の作品を先延ばしにしてこの映画を作り上げた。満州での事実を今の教育に入れて欲しい。この作品で戦争は嫌だということを子供たちに伝えたい」と熱く語りました。磯村さんは「映画を観たら自分だけで納得せず、若い人や子供たちに伝えてほしい。それが私たちの役割だと思う」と力を込めました。また磯村さんは自身も気に入っているという中国人役・マーメイのセリフを披露。迫真の表現力に、会場は温かい拍手に包まれていました。
☆上映館:長野ロキシー(TEL026-232-3016)、飯田センゲキシネマ、飯田トキワ劇場、松本シネマライツ 
佐久で中国帰国者との交流会140人が集う(11/23)

 佐久日中友好協会は11月23日、佐久市内のホテル一萬里において佐久平中国帰国者との交流会を開きました。佐久平地域の帰国者家族や友好協会会員、市民ら140人が参加し、楽しい交流の1日を過ごしました。

 中沢道保佐久日中友好協会会長は、帰国者の皆さんが言葉と習慣の壁を乗り越え頑張って生活していることに敬意を表し、今日は1日楽しく交流してくださいと激励しました。布施正幸県日中事務局長は帰国者一世の配偶者への支援体制が今秋から整備されたことを紹介しながら一世の皆さんが幸せな老後を過ごすためにも二世の皆さん三世の皆さんが安心して働き元気に学校に通えることが不可欠で友好協会としても地域の皆さんとともに努力していきたいと述べました。

 帰国者を代表して1974年に第1陣で帰国した神津よしさん(86歳=佐久市)が年はとっても元気に生活している様子を紹介し、交流会を楽しみに参加させてもらったと語りました。

 来賓として、柳田清二佐久市長(代理/坂戸千代子社会福祉部長)、井出庸生衆議院議員、木内均衆議院議員(代理)、今井正子県議、桃井進県議、吉岡徹市議、朱丹陽・中国国際放送局長野孔子学堂代表らがそれぞれの立場から激励のあいさつをしました。上田、小諸、軽井沢の日中友好協会の役員も参加し交流しました。小林良清佐久保健福祉事務所長の音頭で乾杯し懇親交流会に入りました。ホテル一萬里の畠山社長も大日向村開拓団の生き残りで、自らの悲惨な逃避行の体験を話しました。今回の催しに際して、協力を惜しまず、おいしい料理を提供していただきました。

 久しぶりに再会した帰国者の皆さんは懐かしく語り合い交流していました。続いて、みんなで楽しむビンゴゲームです。山のように用意された景品は、友好協会会員のみなさんが協力して提供していただいたものです。続いて古崎グループによる軽音楽の演奏、中国語学習グループによる「故郷」「夜来香」の合唱が披露されました。更にカラオケにあわせてのど自慢の皆さんが日本の歌、中国の歌を披露しました。最後に全員で佐久出身の井出はくさんが作詞した郷土の歌「北国の春」を全員で合唱して終了となりました。

 参加した帰国者の皆さんは「大変楽しかった。今後も参加したい」と語っていました。佐久日中の花岡茂理事長は今後ともこのような交流機会を持って帰国者支援にとりくんでいきたいと語りました。
第18期日中関係を考える連続市民講座がスタート(11/22)

第18期日中関係を考える連続市民講座が11月22日から始まりました。長野県内の大学と県日中友好協会などで作る「県日中学術交流委員会」主催で以降、毎月一回のペースで文化・情報事情、歴史、経済関係などをテーマに計6回の講座が開かれます。

 開催趣旨には次のように述べられています。--日中両国は引越しのできない間柄にあり、悠久の往来の歴史と不幸な戦争を体験しています。また最大の貿易相手国でもあります。日中関係が雪解けを迎えかつての友好的な機運が回復するか大事な分かれ道に差し掛かっています。英知をかたむけ、困難を克服し、平和と友好協力の道を歩む方途を探すことは両国民にとって大切な課題です。現在、日本も中国も、アジア・世界も大きな変革期を迎えています。隣国中国に対する関心を喚起し理解を深めることは一層重要となっています。--

 第1回講座は長野大学の塚瀬進教授が「現代中国を理解するポイント」と題して話しました。中国は巨大かつ多様な国であることを踏まえ、経済・政治・歴史のトピックの中から、現代中国を理解することにつながるものを選んでわかりやすく解説しました。講演のあと質問や意見がたくさん出され、有意義な講座となりました。

県女性委員会バスツアー、中国大使館を表敬交流(11/19)

 県日中女性委員会は11月19日、第7回秋の日中友好研修バスツアーを行いました。女性委員会メンバーらが参加して、東京の中国大使館を訪問し、楊宇・参事官(広報部)より「最近の日中関係について」講演いただいた後、歓迎昼食会が行われ友好を深めました。

 この日、未明に飯山を出発したバスは長野・松本と高速道沿いに参加者を加えながら、東京を目指しました。車中では西堀正司県日中理事長から最近の日中関係についてのレクチャーに耳を傾け、さらに中国国際放送局長野孔子学堂の朱丹陽さんの指導で「大海啊、故郷」(海はふるさと)を発音から学習し最後はうまく歌えるようになりました。予定通り11時半には大使館に到着しました。飯田日中の皆さんや全国本部の佐藤洋一さんたちとも合流し、総勢66名となりました。

 楊参事官は、心からの歓迎の意を表した後、「世界にまれな交流の歴史を持つ隣国の間柄の日中両国はともに学びあう関係にあり、仲良くしていくことは両国の賢明な選択であり世界からも歓迎される。両国首脳の会談が持たれ両国関係改善に重要な一歩を踏み出した。今後は日中共同声明など4つの基本文書と先の4項目の合意を守り進むことが大切と思う。ともにウインウインをはかる立場から一部の問題があっても対話と平和的方法で解決していきたい。両国の交流と協力を推進し特に青少年交流を発展させていきたい。大使館として今後とも民間交流を積極的にサポートしていきたい」などと述べ、参加者に感銘を与えました。 

 島津美智子女性委員長が訪問御礼のあいさつをし記念品交換が行われました。意見交換の席では森田恒雄飯田日中会長、西堀正司理事長らが講演に感謝し友好推進の提案や意見を述べました。続いて歓迎昼食会がもたれ美味しい中華料理をいただきながら大使館のスタッフの皆さんと交流懇親を深めることができました。最後に感謝の意味を込めて、バスの中で練習してきた「大海啊、故郷」を一緒に歌いました。玄関前にて全員で記念撮影し名残を惜しみながら長野での再会を約して大使館を後にしました。友好交流部の王磊さんには特にお世話になりました。

 一行はその後、渋谷文化村ザ・ミュージアムでフランス絵画展「夢見るフランス絵画-印象派からエコールド・パリ へ-」を参観して更に英気を養い、帰路につきました。バスの中では自慢の歌が次々に飛び出し、盛り上がりました。初めて参加した方も「大変和やかで楽しく勉強になった1日でした」と感想を述べていました。
おお!地球人ワールドフェスタIN長野、市日中も参加、石家荘研修生など活躍(11/16)

 国際交流イベント「おお!地球人ワールドフェスタIN長野2014」が11月16日長野市のもんぜんぷら座で開かれました。市民の国際感覚を更に深める狙いで長野市国際室が各国際交流団体に参加を呼びかけたもので3回目となります。市内に活動拠点を置く団体や個人を中心に14の出展と9つのステージ発表が行われ、演奏や展示、料理の提供などを通じて各国の文化等を紹介しました。多くの市民が訪れ、交流を深めました。

 ステージ発表では中国石家荘市からの語学研修生も和服姿で研修体験発表を日本語で行い、更に練習してきた三味線演奏と能を披露して、来客の大きな拍手を浴びました。また敦煌二胡教室の演奏なども行われ、長野市日中のメンバーもステージにのぼり「ふるさと」を中国語と日本語で歌いました。

 展示コーナーでは、長野市日中友好協会がこのほど完成し12月に封切りとなる映画「望郷の鐘」の紹介と長野市日中友好協会の活動紹介展示を行い、「満蒙開拓団の悲劇を語り継ごう-日中不再戦・平和友好のために-」をアピールしました。黄色い日中友好のハッピ姿で中国茶のサービスや中国語ミニ講座も喜ばれました。また、帰国者の池田さんの作った本場の味の肉まんも好評でした。

 アメリカやロシア、モンゴル、韓国、フィリピン、タイ、ベトナムなどのブースも関心を集めていました。

 長野市国際室によると、長野市には11月現在、48カ国・地域の3445人の外国籍の方が暮らしています。国際交流の良い機会になったと喜ばれています。  
中国残留邦人支援の人生、中島多鶴さんを偲ぶ(11/11)

 中国中国残留婦人の帰国支援などに尽力し、11月7日89歳で逝去された中島多鶴さんの告別式と葬儀が11月11日阿南町のアイホールあなんで営まれました。

 地元泰阜村や飯田日中友好協会、満蒙開拓平和記念館など関係者が多数参列し、「満蒙開拓」という国策に翻弄されながら、帰国支援や悲惨な史実を語り継ぐ活動にとりくんだ中島さんを偲びました。

 満蒙開拓平和記念館の河原進館長は弔辞で、記念館設立に尽力した中島さんに感謝しながら、最も印象深い姿として「記念館の建設資金調達で県に助成を願い出たとき、長身の阿部知事に面と向かい切々と訴えた」ことを紹介、「それを節目に支援の輪が広がった。満蒙開拓の母、記念館の顔だった。中島さんの信念を深く胸に刻み、記念館の運営にまい進したい」と述べました。

 ◇中島さんは1940年に家族7人で旧満州に渡り、大八浪(ターパラン)(現黒龍江省佳木斯市樺南県)に入植。敗戦直後の逃避行中に妹4人を亡くした。奇跡的に翌年帰国できた中島さんは、悲惨な現実をつぶさに報告。泰阜村で保健師の活動をする一方、旧満州に残る人たちと手紙をやり取りし続けてきた。さらに残留邦人の帰国手続きから帰国後の生活支援に尽力した。その半生は『沈まぬ夕陽-満蒙開拓の今を生きる中島多鶴』(中繁彦著)に詳しい。満蒙開拓平和記念館設立にも尽力し、語り部としても活躍した。「(逃避行体験を)忘れたいと思ったことはない。死ぬまで覚えている。話すことは私の使命」と語っていた。10月28日の講演が最後になった。計9家族、38人の身元引受人となり、慣れない日本での生活を支えた。日中不再戦・平和友好の信念をもって飯田日中友好協会副会長としても活躍された。

阿部知事4年連続訪中 張河北省長と再会(10/28) 

 阿部守一知事は、1028日、北京の釣魚台国賓館において、全国知事会と中国人民対外友好協会及び中国日本友好協会との主催で開催された「第2回日中知事省長フォーラム」に出席しました。「地域経済交流・観光交流」「環境対策」のテーマについて、参加した省長及び知事等と具体的な発言や意見交換を行いました。

 また、李源潮国家副主席との会見のほか、中国人民対外友好協会の李小林会長や中国日本友好協会の唐家璇会長ともお会いし、顔の見える形で地方から日中の交流を進めて行くことの重要性を確認しました。

 また、フォーラムに参加した張慶偉河北省長とも様々な機会に懇談し、平成27年の早い時期に、省長を団長とする代表団が来県、長野市において知事との懇談及び歓迎レセプション、県内の冬季オリンピック開催地等の視察をする方向で今後調整することとなりました。

 これにより、平成2510月に石家荘市で意見交換した、冬季スポーツ、環境や医療などの分野の交流が具体的に進むこととなります。(土屋孝夫・県国際課担当係長)
中国太陽芸術団長野公演好評でした(10/21)

 中国建国65周年を記念して中国太陽芸術団長野公演が10月21日、長野ホクト文化ホールで行われました。800人ほどの市民が来場しました。

 中国紫禁城を舞台に雑技や京劇の立ち回り、変面、民族楽器演奏などを取り入れ、スリルとバラエティーに富んだ2時間の舞台を楽しみました。

中国歌劇舞劇院、北京京劇院、上海雑技団など中国を代表する芸術団体から来日したメンバーが中心に出演し、見事な演技に大きな拍手が送られました。

「わかりやすく素晴らしい演技に感動しました」と語りながら帰って行く観客の皆さんを、実行委員会スタッフも嬉しく見送りました。

 一衣帯水の隣国・中国とは歴史的にも経済的に切っても切れない間柄にあります。両国の関係が改善され、日中友好と日中文化交流が増進される一助となったと関係者一同確認しあいました。今回の取り組みは、日中友好協会とSBC信越放送が共催で行われました。

朱建榮氏招き中華人民共和国65周年記念の講演会を開催(10/2)

 長野県日中友好協会・県日中経済交流促進協議会・県日中学術交流委員会は10月2日、中華人民共和国建国65周年にあたり講演と記念のつどいを長野市内のホテル犀北館で開きました。講演会には、150名余が出席。中国研究の第一人者として活躍している朱建榮・東洋学園大学教授が、「建国65周年を迎えた中国と日中関係の今後」と題して記念講演しました。講演終了後、先生を囲んでパネルディスカッションと記念パーティーがおこなわれました。「建国以来の中国の歩みを振り返り中国理解を深めながら、いかに日中関係の危機を打開し、新たな友好関係を築いていくか」をともに考え危機を打開しようとする熱意あふれる有意義な1日となりました。

 夏目潔・県日中経済交流促進協議会会長の開会のあいさつに続き、井出正一・県日中友好協会会長が主催者を代表して「日中両国はアジアと世界の平和と繁栄に責任を持っている。両国関係は困難な状況が続いているが、切っても切れない間柄だ。粘り強く民間・地方の交流を続け、友好に資していきたい。朱先生から得がたい体験を踏まえて貴重なお話をお聞きし、改めて日中関係の重要性を認識する機会としたい」とあいさつしました。

朱先生は、冒頭自身の体験に触れ、個人が政治の波に飲み込まれることはあるが、研究者として動じないで専門分野を極めていきたいと述べた後、マクロ的に中国の歩みを振り返り表層より深層を見ていく必要性を強調しました。また日中関係については「近年の日中関係の冷え込みに、変化が見えてきた」と分析。理由として「中国では汚職撲滅など国内対策の取り組みに一定のめどが立ち、外交課題に取り組む余裕が出てきた。日本も、集団的自衛権の行使容認を閣議決定するまでは中国脅威論が必要だった」ことをあげました。更に「11月北京で開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)での日中首脳会談が実現すれば、中国国内での対日交流がかなり変わる」と展望しました。

 講演の要旨は以下のとおりです。

―(新中国誕生の意義と歩みに触れ)19世紀から20世紀にかけて中国を取り巻く世界の状況が大きく変化し、西洋列強による衝撃が、確立されていた中国の文明・体制に衝撃を与えた。列強の侵略に対応するため、ゆっくりとした民主主義近代化の道ではなく共産主義の道を選んだ。しかし、さまざまな要素の積み重ねの上に中国革命の成功はあった。現在、蒋介石の再評価や20~30年代の民族資本や新文化運動の果たした役割などが見直されてきており、また孔子など中国の歴史・文化・伝統を学んでもっと活用していこうとしている。毛沢東の時代と鄧小平の経済建設主体の時代も連続性あるものと捉え欠陥は改善していこうとしている。総括しながら、長期戦略を練り、科学技術開発の連続性等も重視しようとしている。習近平体制が何を目指そうとしているのか冷静に見ていく必要があろう。

 2050年に向けた中国の「新しい長征」が始まっている。鄧小平の3段階戦略と習近平の「中国の夢」は同じ目標と言える。2021年(建党100周年)に「全面的な小康社会(まずまずの生活ができる社会)実現」、2049年(建国100周年)に「富強・民主・文明・和諧」の社会主義現代化国家の実現を掲げている。東アジアの発展の道筋を見ると、まず①経済の民主化(市場ルール導入)、②社会の民主化、③政治体制の民主化の道をたどっている。現在は社会の民主化の時期であり、社会問題が集中的に表れる社会的大転換の時期にあたっている。中国はこの30年間に大きく変わった。85点以上でないと不合格という日本の基準から見ると落第に見えるかもしれないが、55点以上とったことは十分評価されて良い。

 日中関係の現状と展望―①APEC首脳会談は実現するか、②靖国神社参拝問題と島の問題この2つの阻害要因の克服は可能か、③今後の展望と経済交流の新しい可能性について。①についてはすでに触れた。②島問題の合意は難しいが事実上の棚上げは可能、周辺海域での不測事態の防止・行動ルールの構築が急務。「歴史」と「領土問題」は「出口論」で解決すべきで、「小異を残して大同を求める」原点に立つことが必要。③本格的改善を決める諸要素としては、中国国内の改革の要素、米中関係、国民同士の相互理解、「戦略的互恵関係」の再確認などがある。日中関係は「政冷」でも「経熱」は冷めていない。チャイナ+1は良いが、インドや東南アジアは中国に替わる受け皿にはならない。環境・農業・高齢化対策など中国の社会問題は逆に日本のチャンス。内陸部への進出と「安心・安全の保障」体制の構築が期待される。中国による対日投資の新しい可能性も出てきている。

 講演後、朱先生を囲んで上條宏之・県日中学術交流委員会副会長(県短期大学学長)、森田恒雄・飯田日中友好協会会長をパネラーに、西堀正司・県日中理事長がコーディネーター役をつとめ、パネルディスカッションが行われました。

 上條氏は「辛亥革命以前からの歴史は連続していると見る観点は啓発された。日本も戦前戦後の連続性をにも目をむけ、日清戦争以降の日中の近代史のかみ合わせをはかるべきだ」と述べました。森田氏は満蒙開拓平和記念館の建設運営に拘わっていることを紹介した上で開拓団の悲劇に触れ、「体験を風化させることなく、侵略への反省を忘れてはいけない」と述べました。
 
 朱先生は「中国が首相の靖国参拝に反対しているのは、国交正常化に際し戦争賠償を放棄したが、周恩来総理は中国人民を説得するとき日本人民と軍国主義者を区別し、A級戦犯に戦争の責任を押し付け、日本人民も日本軍国主義の被害者とした。歴史にとらわれないで進む政治的解決の知恵と言える。日本はこのとき日中戦争で中国人民に多大の損害を与えたことを深く反省すると表明した。8月方正の日本人公墓をたずねたが、この公墓は周総理の許可を得て建立されたもので、開拓団の人々も日本軍国主義の犠牲者だとしたものだ。一方中国としては国交正常化以降日本が中国の現代化のために多くの支援をしたことを忘れてはならない。1978年鄧小平は訪日の際、日本に学び中国現代化に前向きに努力するとした」などと述べ日中が和して協力していく必要性を強調しました。

 西堀理事長は最後に宇都宮徳馬先生の「日中友好は最大の安全保障」との言葉を紹介して日中友好のため一層努力しましょうと締めくくりました。

 県内各地から集まった聴衆は熱心に耳をかたむけ、歴史を踏まえ両国関係の改善、民間交流の継続と深化の必要性を心に刻みました。

 第2部の祝賀パーティーでは、井出会長のあいさつに続き、塚田佐・元長野市長、王昌勝・県華僑総会会長からの祝辞に続いて、鷲沢正一・前長野市長の乾杯の音頭で懇親会に入りました。国会議員(代理)、白建飛・県国際交流員らから祝辞をいただきました。また、この夏スキー・軽井沢・須坂・上田友好訪中団などで中国を訪問した様子を代表から報告しました。会場では友好の大切さを思い激励しあう姿が見受けられ、和やかな交流がおこなわれました。

 井出庸生・衆議院議員、小松裕・衆議院議員(代)、若林健太・参議院議員(代)、土屋孝夫・県国際課担当係長、小山富男・県国際化協会事務局長、住吉廣行・松本大学学長、浅川祐司・県経営者協会事務局、西村昌二・県中小企業団体中央会参事、細野邦俊・県商工会連合会専務理事(代)、荒井英彦・県信用保証協会会長、高木幸一郎・JA全農県本部長、中村重一・信濃毎日新聞社専務、酒井康成・松本歯科大学法人室留学生課係長補佐など各界来賓が出席しました。

現代中国の書画代表団を迎えて驥山館で書道絵画交流(9/28)

 現代中国書画代表団15人を迎えて9月28日、長野市の驥山館で書道絵画交流会が開かれました。

 この日早朝、驥山館に到着した一行は、川村龍洲館長や西堀正司・県日中友好協会理事長ら20名余の友好協会や孔子学堂メンバーらに拍手で迎えられました。川村驥山先生の事績を紹介した展示室を参観した一行は驥山先生の天才的な作品の多くに触れ感激して熱心に見入っていました。

 交流会では、川村氏が「1961年に中国作家代表団が当地を訪れ、驥山先生が歓迎交流した。ご縁があって今ここに皆さんをお迎えし文化交流ができることに感謝している。子々孫々につないでいきたい」と述べました。劉鉄宝氏は「驥山先生の作品を見て感激している。中国と日本は同じ漢字で結ばれていて書や篆刻、漢詩等共通の基礎がある。文化の交流を子々孫々につなげ、平和のために頑張っていきましょう」とあいさつしました。

 書道の交流では、最初に川村氏が「皆大歓喜」、劉氏が「長楽無極」と揮毫。続いて邢天安・中国国際放送局書画院前院長、唐天源・中国チベット美術家協会副主席等が次々に書や絵を披露しました。中国で中国画を長年学んできた女流画家の安藤美香さんや動書家の高坂朝子さんも絵や書を披露しました。一行は、2時間余りにわたり熱心に交流し親睦を深めました。

 その後東山魁夷館を訪問して、中国との交流に大きな足跡を残した東山芸術に触れました。唐招提寺の障壁画制作に傾けた努力のあとなども展示されていて感激していました。

 一行は、中国国際放送局の主催で9月27日から東京美術倶楽部にて開かれた「現代中国・国画展~写意画の巨匠―斉白石とその一門」と題する中国書画篆刻芸術展に合わせて来日し、開幕式に出席の後、長野を訪れたものです。
第27回日中友好武術太極拳フェスティバル、1260人が練習成果を発表(9/28)

 県武術太極拳連盟は9月28日、第27回県日中友好武術太極拳フェスティバルを長野市若里のビッグハットで開きました。全県から31団体・1260人余が参加し、日頃の練習の成果を発表しました。

 桜井啓司会長が日ごろの練習成果を発揮して有意義な交流フェスティバルにしてほしいと述べました。続いて、福沢宏夫県日中友好協会副会長が日ごろの日中友好への協力に感謝するとともに「太極拳は日本と中国をつなぐ友好の懸け橋。皆様の活躍に期待しています」と激励しました。中国国際放送局の朱丹陽さんも激励観戦に駆けつけ拍手を送りました。

 1260人が広い会場を埋め尽くしての簡化24式太極拳の全体演武に始まり、50組の演目が披露されました。8:50にスタートし全てが終了したのは16:00でした。十数人のグループから150人の大所帯までさまざまな団体が参加。それぞれ表演服にも工夫を凝らし、習熟度にあわせた太極拳や武術を披露しました。ポピュラーな入門太極拳、簡化24式太極拳をはじめ、太極剣・太極棍・太極扇・精簡88式など参加者は手足の先まで意識を集中させ、ゆっくりとした動きやすばやい動きの中にも緊張感が漂っていました。

 特別表演として2014年の全日本武術太極拳選手権大会出場者と3段位取得者による演武が行われ注目を集めていました。後半に入ると「祭り」「華の雑技団」「白雪姫」などと銘打ったエンターテインメント的な工夫を凝らした発表もあり大きな拍手が送られていました。朱丹陽さんは大勢の皆さんが楽しみながら健康のために太極拳に励んでいる姿に感激していました。

  武術太極拳は健康スポーツや競技スポーツとして人気があり、アジア大会の正式種目になっています。長野県内の愛好者は3千人にのぼっています。 
中国女子ジャンプ訓練隊、白馬で訓練(9/24~10/18)

 安林彬・中国スキー協会副秘書長を団長とする中国ナショナルチーム女子ジャンプ訓練隊の歓迎会が9月26日長野市内の犀北館ホテルにおいて開催されました。

 県日中スキー交流委員会を代表して矢口公勝・県スキー連盟会長が一行の来県を歓迎し、「両国関係は依然として厳しい状況が続いているが、長野県と中国とのスキー交流は30余年にわたる固い絆で結ばれている良きライバルとして訓練に励んでいただき、次期冬季五輪目指して頑張りましょう」と述べました。

 安団長は、「30余年にわたり長野県と県スキー連盟、県日中友好協会の皆様が中国スキーの発展に並々ならぬ支援をしていただき、おかげでレベルアップできたことに深く感謝している。白馬オリンピックジャンプ台で訓練しながら日本選手に学び、メダルを目指したい」と述べました。また、宿泊先や白馬村スキークラブに謝意を表しました。

 茅野繁巳・県スポーツ課長や横田孝穂・白馬村議長、西堀正司・県日中友好協会理事長や6月に中国スキー協会の招きで訪中した第33次県日中スキー交流代表団の河野博明団長ら関係者が出席して交流を深めました。

 一行は、歓迎会に先立ち加藤さゆり・県副知事を表敬しました。副知事は「30年来の日中スキー交流の伝統を活かし共に学びスキー技術の向上発展に努めていただきたい。またスキー技術にとどまらず、友好交流促進に貢献されるよう期待しています」と激励しました。訓練の様子や、ワールドカップ7位入賞などの成果が上がっていること、中国のスキー事情や2020年の東京オリンピックなども話題となり和やかに懇談が行われました。

 訓練隊は18~20歳の4選手とコーチら計8人。9月24日から10月18日まで白馬で訓練しています。中国の女子ジャンプ陣は2010年から毎年白馬村で合宿しています。

 一方、長野県スキー連盟はこの数年来、吉林省北大壺スキー場へ11月末から12月中旬まで白馬・中野・飯山・上田などの中高生を中心に選抜選手を派遣し早期トレーニングを実施し成果をあげています。
河北省台市から代表団来県、千曲市・岡谷市と交流を希望(9/23~24)

 河北省邢台市の代表団が9月23~24日長野県を訪れ、千曲や岡谷両市を訪問し、友好交流について意見交換したり関係企業などを参観しました。県や市、日中友好協会関係者から温かい歓迎を受けました。

 邢台市とは1998年の希望小学校贈呈や2012年から始まった内丘県での緑化協力事業など関係が深く、大阪市で開いた第14回日中友好交流会議への出席にあわせて県内を訪れたものです。

 代表団は邢台市外事弁公室副主任の裴雅鋒氏や同市巨鹿県副県長の秦中堂氏ら4人。23日の歓迎会で井出正一会長は一行の来訪を歓迎し内丘県での緑化協力プロジェクトが双方の協力で立派に進んでいることを評価、千曲市や岡谷市との交流を県協会としても応援したいと述べました。白鳥博昭・県国際課長は、国際交流員として邢台市の白建飛さんが活躍している様子を紹介し、今後交流が深まることを期待しました。

 裴団長は、白さんに対する配慮に感謝の意を表した後、「内丘県の緑化協力事業を必ず立派にやり遂げます。巨鹿県は杏の里として有名で、杏産業が盛んであり、日本一の杏の里として有名な千曲市と友好関係を望んでいます。また邢台市はエネルギー、冶金、機械製造、紡績、食品、医薬品、自動車部品加工産業などが盛んで岡谷市との友好関係を望んでいます。県や県日中のご支援をいただきたい」とあいさつしました。「北国の春」や「ふるさと」の歓迎の歌が披露されると、中国側からも自慢の喉が披露され大きな拍手を浴びました。

 一行は、24日には藤森靖夫・県県県民文化部長を表敬訪問した後、千曲市訪問しました。岡田昭雄・千曲市長は「杏」のご縁で友好交流を進めていくことに賛意を表し、邢台市を是非訪問したいと述べました。森食品では、杏を活用したさまざまな加工食品を製造している説明を受け、工場内を参観しました。その後高台に上り森の杏を一望、更にスケッチパークを散策しました。岡谷市では今井竜五市長を表敬、裴団長は「邢台は製造業の発展に力を入れている。岡谷の技術に学びたい」とあいさつ。今井市長は「邢台へ機会を見て訪問したい」と述べました。その後中国各地に工場があるTPRを訪問、エンジン部品の製造ラインを見学しました。また岡谷市日中友好協会主催の歓迎夕食会に出席し和やかに交流しました。

長野で23人が出場して中国語を競う(9/23)

9月23日、長野県日中友好協会ラジオ孔子学堂の主催による第32回長野県中国語スピーチコンテストが開かれ、23人が出場し朗読部門と弁論部門で競いました。

朗読部門は「大学生の部」と「一般の部」に分かれ、課題文の中国の物語を発表し発音や表現力をチェックされます。19歳の大学生から75歳の社会人まで15人が、中国語らしい発音やイントネーションに気をつけ、ふるって発表し、大接戦でした。

弁論部門は自作文で中国語による内容や表現力をチェックします。8人が出場し、テーマに日中友好を取り上げる方が多かったです。厳しさが続く両国関係の中でも、民間人同士の交流や絆を強める意欲が強く訴えられるなど、本格的な弁論発表となりました。

「弁論部門」で優勝した会社員の吉澤茜さん(36)は、中国人の友人とともに、地元への中国人観光客誘致に力を入れていることを通じて、両国民間レベルの友好の大切さに目覚め、今後の努力の方向を確認できたことを発表しました。

岩下隆審査委員長は「朗読部門の出場者は、中国語の学習期間が短いのに、正確な発音ができていた。また、弁論部門では、現在の両国関係を直視し、友好に努めていく意気込みを発表し、非常に良かった」と、評価していました。

 井出正一県日中友好協会会長や竹内勲長野ラジオ孔子学堂長、朱丹陽・中国国際放送局孔子学堂責任者等も出席し、中国語を学ぶ皆さんが日中両国の友好の懸け橋になっていただきたいと激励しました。会場には出場者の友人や中国語学習仲間、石家荘市語学研修生なども応援に駆けつけ拍手を送っていました。

 入賞者は次のとおりです。
 弁論の部 ①吉澤茜、②藤澤淳一、③外崎こなみ、敢闘賞:広直樹
 朗読学生の部 ①島田理咲、②柴草春香、③近藤亜衣子、奨励賞:藤巻千穂
 朗読一般の部 ①堀田恭子、②大矢健一、③渋谷多鶴子、努力賞:和田史子
 
 弁論の部1位の吉澤茜さんは昨年に引き続き、1月11日東京で開かれる全国大会に弁論一般の部に推薦されます。また隣接県枠で新潟から出場した、学生の佐藤満里鈴さんも弁論学生の部に推薦されました。

長野ラジオ孔子学堂 2回目のHSKを実施(9/14)

長野ラジオ孔子学堂は予定通り9月14日に2回目の中国語レベル試験(HSK)を実施しました。受験生が全員時間通りに入場し、試験を受けました。

試験は午前と午後に分けて行われ、受験生18人が1級、2級、4級、6級に参加しました。初めて実施した3月と比べて、今回は受験生数がやや増加しました。特に大学生数が増加し、学堂以外の中国語学習者が多数を占め、長野市外の受験生数が増加し、最上級の6級(2人)も初めて行われました。

 孔子学堂日本側責任者の布施正幸さんは「6級は難しかったという声がありましたが、今回初級の1級から上級の6級まで、幅広く実施できて、良かったと思います」と述べました。

 HSKの実施によって、孔子学堂中国語講座の学習者の増加やレベルアップに役立つとともに、その影響力も広がり、相乗効果を収めていると言えます。   (朱丹陽)

日中スキー交流に貢献、故丸山哲三会長お別れ会(9/11)
 
 (公益社団法人)日中友好協会参与、長野県日中友好協会副会長、丸山哲三スワロースキー会長のお別れ会が9月11日長野市のホテル国際21で開かれました。丸山氏は7月4日92歳で急逝されましたが、このたび社葬としてお別れ会がとりおこなわれ600名の関係者が参列し故人を偲びました。

 協会からは井出正一会長はじめ地元飯山日中友好協会役員、日中スキー交流会でお世話になった青年委員会、女性委員会メンバーら多数が出席しました。故人の日中友好の功績を偲び西堀正司理事長が弔辞を読み上げました。中国大使館からも弔電が寄せられました。

(弔辞抜粋)
 丸山哲三先生は経済人として、豪雪地飯山において、スキー製造業とスキーレンタル業発展に尽力されました。非常にユニークな方でしたが、その活力と見識は、多くの人の心を動かしました。地域の人々から愛され信頼され、飯山商工会議所の設立、更には新幹線駅誘致など地域の発展に貢献されたことは、周知の事柄です。

一方において、信念として強く平和を愛好した方でした。戦争末期に特攻隊の一員として訓練を受け、死を真近に見つめたことから平和の大切さを日ごろから力説されていました。その平和の核となるものは中国との平和友好であるとの信念を持っておられました。

先見性に富んだ先生は、早くから海外展開を行い、アメリカ、タイそして中国へと向かいました。先生は1994年には中国大連市普蘭店に大連スワロー有限公司を設立、中国で最初の近代的スキーの生産を開始しました。その後同市安波温泉にスキー場も開設し、誰もが楽しめる日本型のスキー場設備と運営は注目を集め、その後の中国でのスキー普及と発展に大きな影響を与えました。  

 丸山哲三先生は、長年にわたり、両国の民間交流を促進するために奔走され、努力し、日中友好のために重要な貢献をされました。1986年には飯山市日中友好協会の設立に尽力されました。官民あげての市民的基礎を持った友好協会発展の礎を築き、県協会の副会長としても、その力を発揮してさまざまな協力をいただきました。

㈱スワロースキー会長として、2000年には吉林省通化市に「飛燕龍滑雪希望小学校」を建設贈呈しました。スキーの盛んな通化の地に、社名にちなんだ小学校ができ地元の人々から大変喜ばれました。また、日中友好スキー交流会は県日中青年委員会と女性委員会が主催し、37回を数えますが、毎年百名以上の参加を得て実施されており、スキー用具は各自のサイズに合わせ準備いただき行き届いた指導をいただいてきましたことは、大使館や留学生、帰国者から感謝され本当にありがたいことと、心より感謝申し上げます。

本年2月志賀高原で開かれた交流会に参加された丸山先生は、日中両国が再び戦わず、平和の環境の中で友好的に協力を深めていくことを心から願って、涙ながらに感動的なあいさつをされました。青年・女性委員会や私たちは、先生の想いを胸に日中友好に努めていきたいと決意しております。(略)

石家荘市の中学生20名余が長野を友好訪問(8/27)

 長野市の友好都市、河北省の省都石家荘市の中学生ら23人が8月27日、長野市を訪れ、もんぜんぷら座でお茶や浴衣の着付けなど日本の伝統文化を体験したり、長野市日中友好協会の主催の歓迎会に出席するなど交流を深めました。

 訪問団は石家荘市第42中学校の1年生20人と教師らで24日に来日し、東京ディズニーランドなどを見学したのち、長野市入りしました。早速、市役所を表敬訪問し黒田和彦副市長を訪ね、記念品を交換した後、もんぜんぷら座に移動。国際交流コーナーで茶道や折り紙のほか、浴衣や振り袖の気付を体験しました。周羽嬋さん(13)は「着物は少しきついがとてもきれい。折り紙も面白く、帰国したら小さい子供たちに教えてあげたい」と話していました。

 訪問団はその後ホテルJALシティ長野で開かれた長野市日中友好協会主催の歓迎会に出席し、山根敏郎会長らの熱烈歓迎を受けました。歓迎会には友好協会員ら20名が出席したほか、長野市滞在中の石家荘市語学研修生3名も参加しました。

 山根会長は「朋友あり遠方より来る、また楽しからずや」と中国語で語り、「ともに友好を深めましょう」と呼びかけ大きな拍手を浴びました。団長の楊昱(よういく)副校長は「この度の訪問を通じて長野市への理解を深めることができました。友好の永遠なることを祈ります」とあいさつ。

 記念品交換の後の懇親交流では女性会員の友好ハッピを着ての炭坑節に石家荘市の中学生も踊りの輪に加わり会場は熱気につつまれました。続いて、訪問団側から、ギター伴奏つきで、北京オリンピックのテーマソング「あなたと私」や「小さなりんご」が披露され、その熱唱ぶりに惜しみない拍手が送られました。

 各テーブルでは筆談を交えての交流に花が咲きました。中国語の話せる会員が「海は故郷」を口ずさむとたちまち日中両国の大合唱になりました。あっという間に2時間が流れ、お別れの時が来てしまいました。「旅愁」のメロディーで中学生たちが歌ってくれた「送別」はいつまでも心に響きました。

 一行は29日まで長野市に滞在し、裾花中学校の生徒との交流や、直富商事参観など有意義な思い出を刻みました。

 石家荘市の訪問団が長野市を訪れるのは2011年度以来、3年ぶりのことでした。11月には長野市から中学生訪中団が派遣される予定です。
中国語夏期スクーリング、長野孔子学堂で開催(8/23~24)

 恒例の第41回中国語夏期スクーリングが8月23・24日の両日、長野ラジオ孔子学堂で開催されました。35名の参加者は初級・中級・上級クラスに分かれ、中国人ベテラン教師の指導のもと2日間、中国語学習に励みました。

 開講式で竹内勲・孔子学堂長は「日中関係は隣国ゆえに尖閣問題などギクシャクも生じているが、言葉は友好の架け橋。中国語を学び、相互理解を深め、民間交流を進めていきたい。貴重な機会を活かして、中国語のレベルアップをはかり、ともに学びあい友情を深めていただきたい」とあいさつしました。

 各クラスでは講師が事前に準備した教材を使ってヒアリング・文法・発音矯正など熱心に学ぶ姿が見受けられました。河北省から派遣されている研修員を交えての交流授業では、受講生が、中国語を駆使し自己紹介や中国語との出会いなどを発表しました。研修員に対しては日本に来て感じたこと、専門や家族など次々に質問が飛び出し、有意義な交流授業となりました。「中国古鎮」も上映され中国理解を深めました。夜の交流懇親会では本格的なマジックや二胡の演奏が披露され参加者から大好評でした。また、中国の歌、日本の歌が次々に披露され和やかな懇親会となりました。2日目の朝はラジオ体操、太極拳で汗を流し、再び特訓が始まりました。

 受講生は、同学の皆さんのレベルの高さに新たな刺激を受け、真剣な表情で学習し、また楽しく交流できたと喜んでいました。「断片的な知識が整理でき、なおざりになっていた発音の基礎が学べた」、「中国研修生を交えての交流授業と懇親会も有意義だった」、「繰り返し教えてもらえたので、理解しやすくて良かった」などの感想を聞くことができました。
日中学術交流委員会2014年度総会開催(8/8)

 長野県日中学術交流委員会(山沢清人会長)は8月8日、長野市内のホテル信濃路において2014年度総会を開きました。信州大学や長野大学、県短期大学、上田女子短大など中国との学術協定や学術交流、留学生受け入れなどの現状なども報告され、引き続き日中学術交流を促進していくことを決めました。また、第18期日中関係を考える連続市民講座や中華人民共和国建国65周年記念シンポジウムなどに取り組むことが決定されました。

 山沢会長は、「日中の協力、アジアとの協力が必要で、民間学術交流に力を入れることが大切と思う。各大学での教授間交流など、壁を少なくして交流を進めていきたい。信州大学としても、北京や上海に留学生による学友会が誕生した。中国との積極的な学術交流を継続していきたい」と述べました。

 来賓として土屋孝夫県国際課係長は「友好提携先の河北省から2名の研修員を受入れ、県からは3名の研修員を河北大学に派遣している。民間学術交流の特色を生かして日中間の交流を積極的にを進めていただきたい」とあいさつしました。 西堀正司県日中友好協会理事長は、「日中関係は尖閣問題や靖国参拝問題で大変厳しい状況が続いているが、11月の北京APECにむけて首脳会談の可能性が取りざたされるようになった。関係改善を期待したい。青少年交流や学術をはじめとした文化の交流を通じて、相互信頼関係を大切にしていくことは長い目で見て重要な意味を持つ。大学間交流など一層の発展を期待したい」と述べました。

 上條宏之県短期大学学長は「両国政府が困難を打開していくことを望む。国際放送局の朱丹陽先生に中国語の指導をお願いしているが、当学での中国語学習者は結構多く、河北大学への留学実績も増えている。若者をサポートして、交流を進めていきたい」とあいさつ。小池明上田女子短大学長は「政治家はバックグランドを背負っているので振り上げたこぶしをおろせないところがあるだろうが、市井の我々は違う。この人と関係を持たなければやっていけないとなれば、チャンネルを切らさないことが大事だ。大切な隣国中国とはいろいろなネットワークを生かして付き合って行きたい」と述べました。

 総会では2013年度の事業報告・決算報告を承認した後、2014年度の事業方針・予算を採択しました。

 終了後、朱丹陽さん(中国国際放送局長野孔子学堂中国側責任者)が「中国の大学事情」を講演しました。全国統一試験に900万人以上の受験生が受験したことなど新中国誕生から文革を経て現在に至る大学入試の変遷などをわかりやすく紹介いただきました。
長野びんずる「日中友好連」で参加(8/2)

 第44回長野びんずる祭りが8月2日長野市の中心街でおこなわれ、長野市日中友好協会は「日中友好連」を組んで40人で参加しました。

 1万2千人の踊り手とともに中央通りのもんぜんぷら座前から長野駅に向かって進みました。日中友好の提燈を先頭に、友好協会会員と帰国者、実習生などが黄色い友好法被をまとってシャモジを打ち鳴らしながら熱心に踊りました。

 汗だくになりながら、元気いっぱい、エネルギーを発散させて踊りました。

 「楽しかった。良い思い出になりました」と皆さんの感想でした。
映画「望郷の鐘」制作協力と上映活動(8/1)

「残留孤児の父」として多くの人々から慕われた「山本慈昭」さんの生涯を描いた映画「望郷の鐘」(山田火砂子監督)の制作が進んでいます。

この映画制作への協力体制として、地元阿智村を中心に『山本慈昭「望郷の鐘」制作を支援する会』(会長阿智村長)が5月に発足し、飯田日中友好協会及び満蒙開拓平和記念館もこの会の副会長として参加協力し、チケット販売、協賛金集め、上映計画等の活動を積極的に行っています。チケットはすでに飯田日中と記念館で2千3百余を販売していますが、今後も取り組みを続けていきます。(県協会はじめ県下の地区協会においても協力しています)

7月23日には山本慈昭役の俳優内藤剛志さんも参加して映画撮影安全祈願祭が行われ、24日からはいよいよ撮影が始まりました。完成は11月の予定で、12月から上映が始まります。
(飯田日中友好協会事務局長 池田真理子)

須坂市・四平市友好都市締結20周年を記念して訪中(7/28~31)

 長野県須坂市と中国吉林省四平市との友好都市締結20周年を記念し、須坂市親善訪問団が四平市を訪問した。これまで5年ごとに訪問し合い、毎回中学生も参加し、交流を進めてきた。

 今回は中学生が14人参加。三木正夫会長(=須坂市長)を総団長に、議長、教育委員長、校長と須坂市日中の西堀正司・植木新一両副会長、樽井悦郎理事長ら27人が参加。7月28日、瀋陽に着き中日友好協会の関立彤秘書長の出迎えを受け四平市へ向かった。

 四平市では、四平市人代主任の郭文培氏ら要人と会見、歓迎宴が盛大に催された。郭主任は「20年の交流は、友情を深め、両市の経済、文化、教育、スポーツなどの各分野での交流と協力、特に学生たちの交流を飛躍的に発展させた。」と述べた。三木会長は「中国建国65周年の記念の年に多くの中学生と訪問できたことに感謝したい。両市のこれまでの友好の絆を大切に継承し、より一層深めたい。」と応じた。

 一行は翌日、四平市第十七中学校を訪問。同校生徒のパフォーマンスや日本側からの歌の披露があり、綱引き、バスケットボールのスポーツ交流も体験し、参加した中学生は生涯の思い出に残るひと時を過ごすことができた。これまでにはない内容の濃い交流ができたように思う。

 最終日は市長以下、公式訪問団一行が中日友好協会の王秀雲副会長の招待を受け、同協会を訪問。王副会長の心温まるおもてなしに心から感謝申し上げたい。

 厳しい日中関係が続く中、訪問自体が危ぶまれたが、中日友好協会の全面的なご協力をいただき、実現にこぎ着けた今回の訪中であった。ご協力いただいた各方面の方々に厚く御礼申し上げたい。 (須坂市日中友好協会事務局長 山崎始)

「人民中国」東京支局長歓送迎会を開催(7/26)
 
 長野県「人民中国」読者会(福沢宏夫会長)は7月26日ホテル信濃路で25名が出席して第18回定例読者会を開催しました。東京支局からも3名が出席して交流を深めました。

 東京支局長として会発足以来、長野へ何度も足を運んでご指導いただいた賈秋雅支局長が近く本社に戻られることとなったため、その歓送会と後任の支局長の于文さん歓迎会をかねての交流会となりました。

 福沢会長は賈支局長の貢献を讃え、「帰国後も最新中国の紹介と日中友好の紙面づくりに活躍いただきたい。于新局長には引き続きご厚誼願いたい」とあいさつしました。記念品として、全員で寄せ書きした色紙と1998年長野オリンピック記念バッチセットを贈りました。

 賈支局長は足かけ8年の日本滞在を振り返り、「厳しい仕事が続いたが、帰国後も頑張りたい。長野に読者会が誕生し、この会に出席するのが楽しみになり10回以上出席し交流できた。会員の皆様に感謝したい」とあいさつしました。
 于新局長は「2度目の支局長勤務になるが、よろしくお願いしたい。中国では急速な都市化の進展に伴いいろいろな問題も起こっているが、中国の動きを『人民中国』によって日本の皆さんに伝えていきたい」と述べました。

 乾杯の後スピーチ、歌などが披露され、大いに盛り上がりました。
 
後楽寮の中国留学生25人が信州で第24次ホームステイ(7/23~25)

 県日中友好協会は(公財)日中友好会館・後楽寮が派遣する中国留学生25人を7月23日から25日まで2泊3日のホームステイで受け入れました。本年で24年目になります。飯山・中野・長野・千曲・小諸・佐久・大北・安曇野・富士見・伊南など10地区協会が協力しました。

 23日長野駅に降り立った11名の留学生は、山根敏郎県日中副会長や返町健長野市国際室長はじめ関係地区の皆さんの出迎えをうけました。長野オリンピック・エンブレムの前で、対面歓迎式を行い受入れホスト家庭の皆さんとお互いに紹介しあいました。東京大学で日中交流史を学んでいる楊建華さん(48歳)は、日本の習慣などを直接体験できるのを楽しみにしていますと語っていました。全員で記念撮影した後、各地に出発して行きました。

 留学生の皆さんは、地区協会主催の歓迎交流会や市町村長表敬懇談、地域の名所や施設などの参観、ホスト家庭での語らいなど有意義な3日間を過ごし、楽しい思い出をいっぱいにして再び長野駅に集合しました。受入れホスト家庭の皆さんと名残を惜しんで何度も握手し、一緒に写真に納まっている姿は、ほほえましいものです。

 日中友好会館は日中両国政府が共同で運営している公益財団法人で、後楽寮はその付属施設です。寮生の大半は中国の国費留学生。県協会では、ホームステイで受け入れると共に、女性委員会や地区協会が後楽寮を友好訪問し交流してきました。来県した留学生とは帰国後も文通や訪中時の再会など交流が続いています。
第38回日中経済交流促進協議会定期総会、引き続き経済交流を促進(6/24)

 長野県日中経済交流促進協議会は、6月24日、長野市内のホテル犀北館で第38回定期総会を開き新年度の事業方針などを決めました。

 総会で、夏目潔会長は、「日中関係は尖閣問題などで大変厳しい状況が続いているが、中国は日本にとって最大の貿易相手国であり、長野県経済にとっても重要な経済パートナーとなっている。大局的見地に立って、問題を解決し、経済交流の促進を図っていきたい」とあいさつしました。

 吉澤猛・県産業政策課長は来賓祝辞の中で、長野県の景気回復動向に触れながら、高い成長を続けるアジア、中国との連携の重要性を指摘し、協議会の活躍を激励しました。井出正一・県日中友好協会会長は両国関係が依然として厳しい状況にあることに触れ、「日中両国がいがみ合っている間に欧米に先を越される。政経分離方式で経済交流や民間交流を進め、つながりを大切にして相互信頼回復に努めていきたい。協議会の一層の活躍を願う」とあいさつしました。

 13年度の事業報告と決算を承認した後、河北省はじめとした中国との経済交流促進、講演会やセミナーの実施、観光客誘致協力などの14年度の事業計画・予算を決めました。また夏目会長はじめ役員を選出しました。

 総会終了後、西堀正司理事長(日中友好協会全国常務理事)が「日中関係と中国の経済動向」と題して講演し、建国65周年を迎える新中国の変遷や習近平体制の抱えている課題に触れた後、日中関係は政治分野は当面改善は難しいが経済分野は交流を強化していくべきで、中国経済の課題である、エコ社会、環境問題などの分野で日中協力を深めていきたい等と述べました。続いて、朱丹陽さん(中国国際放送局長野孔子学堂中国側責任者)が、「中国のソーシャルメディア事情」を映像を交えながら紹介しました。インターネット利用者が6億人、微博(ウェイポー=ブログ)利用者が4億人、微信(ウェイシン=ツイッター)利用者が5億人、特に携帯電話利用者の3分の1がスマートフォンを利用しており、その数4.19億人など中国社会が急速にソーシャルメディア社会に変貌している状況が理解できました。
県日中女性委員会総会、”日中友好を心から願って”(6/8~9)

 県日中友好協会女性委員会は6月8日、第39回定期総会を開きました。恒例の持ち出し総会は今年は湯田中温泉「水明館」でおこなわれ、県内から女性委員会のメンバーや来賓など80名が参加しました。

 島津美智子委員長は地元中野市日中友好協会の協力に感謝した後、「県女性委員会は秋のバスツアーで孫文と梅屋庄吉の事績を学び、新春女性のつどいでは和田登先生から『望郷の鐘』の主人公山本慈照さんの事績を学んだ。青年委員会と共催で友好キャンプ・友好スキー交流会にとりくんだ。日中関係は依然厳しい状況が続いているが、民間では、日中の若者が直接触れ合う努力をしている。日中両国指導者には日中友好を心から考えていただきたい。日中友好こそ平和への道との信念のもと頑張っていきたい」とあいさつしました。

 福沢宏夫県日中副会長、西堀正司県日中理事長、西村源県日中青年委員長らが日ごろの女性委員会の活躍に感謝し、エールを送りました。

 総会では13年度の活動報告や決算報告を承認した後、14年度の活動方針と予算が採択され、新役員が選出されました。友好キャンプやスキー交流会を通じて中国留学生・研修生・帰国者との交流を深めること、女性会員の拡大と相互の親睦を深める活動に取り組むことなどが盛られています。

 第2部では池田茂・中野市長(市日中友好協会会長)が「これからの国際交流、日中友好のあり方」と題して記念講演しました。横浜銀行総合研究所勤務時代に中国を研究テーマに東北やアモイ、上海などを幾度か訪れた体験を踏まえて、地理的歴史的な視点、文明の衝突(相互影響)などの角度から日中関係を広い視野から見ていくことの必要性をお話いただきました。エネルギー問題、環境問題は時間はかかるが相互依存・互恵関係の構築によってしか解決されない、礎になるのは同じ人間としての民間レベルでの真の文化交流と指摘されました。友人の日中カップル夫妻の体験的文化交流も紹介されて好評でした。
 続いて、おはなし玉手箱DonDon主宰の小野千恵子さんが、小林東一郎さんの和太鼓演奏をバックに高井の民話「黒姫」の悲恋物語を朗読披露しました。全員吸い込まれるように聞き入りました。

 第3部の交流懇親会では地元出身の中山晋平や高野辰之にちなんだ歌が披露されたのを皮切りに各地区から歌や踊りの出し物が次々と繰り出され、大変楽しい交流会となりました。最後に、来年の開催予定の千曲市日中女性委員会に県女性委員会の旗が手渡されました。

 翌6月9日には中野のバラ祭り、土人形資料館、中山晋平記念館、陣屋などを参観しました。参加者からは「大変有意義な2日間でした。女性同士の日中民間交流をこれからも進めていきたい」との感想が聞かれました。
緑化協力・県日中友好訪中団、北京、河北、上海友人と交流を深める(5/26~6/1)

緑化協力・河北上海の旅=長野県日中友好協会訪中団(山根敏郎団長)は、5月26日から6月1日、北京、河北省の省都石家荘市や緑化協力地の邢台市の内丘県、そして邯鄲、上海を訪問しました。各地で古くからの友人や新しい友人の熱烈歓迎を受けました。
 
 北京到着2日目、5月27日は天気も快晴で青空が広がっていました。この日の最高気温は40度だったことをホテルのテレビで知りました。天安門広場は大勢の観光客が記念撮影していました。国家博物館は数年前に歴史博物館と革命博物館が全面的に改装されたものですが、古代史と近現代史に分けての展示は変わりません。鑑真和上の日本渡航展示を写真に収めました。故宮博物院は、かつてないほどの観光客で込み合っていました。壮大な太和殿をバックに記念撮影。迷子にならないようにと声かけながら神武門にたどり着くまで直線的に歩いても約1時間30分を要しました。午後中日友好協会を表敬訪問しました。関立彤秘書長や程海波交流部長と1時間余り熱心に語り合いました。日中関係が大変厳しい中で、民間交流・地方交流を進めていくことの重要性を強調されていたことに、深く同意します。先輩の皆さんが築いてこられた友好の架け橋を、私たちの世代は守り引き継いでいく使命があります。微力ながら粘り強く頑張っていきたいと決意を新たにしました。旧イタリア大使館だったオフィスの前で、全員で記念写真を撮りました。

 中日友好協会を辞し、北京西駅に向かいました。高速鉄道の安全検査を終えて待合室で改札を待ちます。広い待合室も人々でいっぱいでした。老人世代を除くとほとんどの人々がスマートフォンを片手に操作していました。携帯電話は中国では過去の遺物となりつつあるようです。G525次高速列車17:14発で北京を出発し河北省の省都石家荘に向かいました。18:33石家荘駅に到着。約300km1時間19分の旅でした。なつかしい河北省外事弁公室亜洲処の梁国輝処長や韓隷東さんらの出迎えを受け、再会を喜び合いました。ホテルでは語学研修で石家荘市から長野市に来ていた4名の皆さんとも再会できました。

 翌日5月28日は韓さんらの案内で新楽市の河北美術学院を参観しました。規模が壮大で、大きな志を持った注目すべき美術大学でした。園内には中国風の関帝廟や孔子廟なども設置され学生たちの美的感覚を涵養する環境に心がけていました。また新築中の校舎は西洋風の城を模したものでした。環境芸術・動画(アニメ)・工業設計・服装・書法などの各学部があり、8000人ほどが学んでいると聞きました。夜は、王占明河北省外事弁公室副主任・省友好協会副会長主催の歓迎宴が開かれました。日中関係は依然として厳しい状況を脱していませんが、地方・民間同士は協力して友好交流を進めていきましょうと語り合いました。杯を重ね、共に「北国の春」や中国の歌「大海啊故郷(海はふるさと)」を歌い楽しく交流しました。

5月29日は任剛・亜洲処副処長と韓さんが同行で邢台市の内丘県に向かいました。県の入口で出迎え案内の車が待っていて、緑化協力プロジェクトの現地まで誘導してくれました。現地には緑化計画を示す看板が立てられており、太行山脈に連なる丘陵地帯で赤土の乾操荒地を3年計画、6年計画で緑化しようというものです。本年は2期目に入っています。40株ほどの刺槐(ニセアカシア)を龍興洲・市外事弁公室主任や盧振江・副県長さんらと共に記念植樹し、順調に生育するよう水もたっぷりくれました。会場を県中心地のホテルに移して宋華章常務副県長らが歓迎の昼食会を開いてくれました。山根団長も熱烈歓迎に感謝し、「緑化プロジェクトの成功と内丘県が大きく発展して行くことを祈ります。長野にも是非おいでください」」とあいさつしました。歓迎に感謝してみんなで北国の春を歌いました。

 一行はその後河北省南部の邯鄲に向かいました。邯鄲は「邯鄲一炊の夢」で日本にもよく知られた趙の都だったところです。秦の始皇帝が生まれた地でもあり、鄧小平が太行山中の渉県で抗日戦争を指導したところでもあります。古代から近現代に至る歴史を思いながら邯鄲の趙都賓館に到着すると、市外事弁公室の張暁中主任や薛梅安副主任、そして懐かしい潘書生さんが出迎えてくれました。潘書生さんは20余年にわたり長野県と邯鄲との交流に携わってきた方で、長野県に国際交流員として滞在した経験もあります。武安市との交流や、渉県への希望小学校贈呈等で橋渡し役を果たしていただきお世話になった方です。邯鄲でも心温まる歓迎宴を開いていただきました。

 5月30日はゆっくり邯鄲の市内参観です。20年ぶりの邯鄲はすっかり姿を変え大きく発展していました。叢台公園では退職者の皆さんが元気に楽しくダンスを踊っていました。一緒に踊りの輪に加わることができ楽しい思い出になりました。これからもっと交流が深まることを願い邯鄲の一層の発展を祈りながら、邯鄲空港を飛び立ちました。親切に案内していただいた、任さん・韓さん、そして潘さんとの握手のぬくもりを思い出しながら、上海に向かいました。1時間近く遅れてMU5658便は上海浦東空港に到着しました。

 5月31日、豫園と魯迅記念館、現在最高の森ビル等を参観しました。豫園は日本の浅草とよく言われますが、豫園周辺の繁華街は活気に満ちていました。豫園はコンパクトな面積の中に贅と工夫を凝らした庭園が魅力的でした。久しぶりに訪れた魯迅記念館は展示に変化は見られましたが、「横眉冷対千夫指、俯首甘為孺子之牛」(眉を横たえて冷ややかに千夫の指に対し、首を垂れて甘んじて孺子の牛とならん)と言った魯迅精神はしっかり展示されていました。内山書店の在りし日の姿が館内に再現され、内山完造と魯迅が改造社の社長とともに語り合う写真も展示されていました。内山先生は新中国誕生後、日中友好協会を創立した方で、全国を行脚して、日中両国民の友好を説かれました。「中国がどのような国になろうと、日本人民は中国人民と永遠に友好的に付き合っていかなければならない」けだし名言だと思います。2人の大先輩から力をいただいて記念館を後にしました。続いて浦東開発区の新たな観光名所になっている森ビルに向かいました。森ビルは高さ492m、展望台474mまで登れます。観光客が列を成して直行エレベータ前に並んでいました。今のところ完成ビルとしては1番高いそうですが、すでに近くに建設中の上海中心大厦(上海センター)に抜かれていました。本年完工予定で完成すると東京スカイツリーを抜くことになるそうです。対岸の黄浦江公園から見た浦東の風景は未来都市の様相を呈しており、一方振り向くとイギリス租界当時の重厚なヨーロッパ風の建物群が広がっています。公園は観光スポットになっており男女のアベックはじめ大勢の観光客でにぎわっていました。

 上海の友好協会と長野県日中友好協会は30余年の交流の歴史を持っています。本年2月忙しい日程を割いて上海市友好協会の汪小樹常務副会長一行が長野県を訪問されました。このたび折角の機会でありましたので表敬をお願いしましたら、望外にも歓迎昼食会に招待されることとなりました。あたたかい心遣いに、一同感激しました。長野訪問のときの思い出や、民間交流をお互いに協力して進めていくことを語り合いました。感謝の歌声が響いたのは言うまでもありません。しっかり握手し再会を約してお暇しました。上海は、引き続き素晴らしい発展の中にありました。私たちの憧れの地でもあります。中国の模範としてバランスの取れた一層素晴らしい都市となるよう願っています。

 6月1日、7日間の訪中はあっという間に終わり、帰国日となりました。日中関係が厳しいときだからこそ、中国との相互訪問の機会を増やし国民同士の相互理解と相互信頼を深める努力を強めるべきだとの思いを抱きながら、私たちは、機上の人となりました

県北京放送を聞く会第32回定期総会が開催(5/24)
 中国国際放送局(CRI)のリスナークラブである「長野県北京放送を聞く会」2014年度総会が5月24日、長野市で開催されました。

 総会では、今後2年間の発展計画など全ての議案が滞りなく審議され可決されました。

 西田節夫会長は、挨拶で、「日中の政治レベルでの見通しがつかないこの時期だからこそ」と民間交流とりわけ、顔の見える文化交流の重要性を力説しました。さらに、2年後の2016年は、CRI局内庭園に日本から持参した20本の「桜」を記念植樹して20周年、CRIが延安のヤオトンと呼ばれる洞窟から原清子女士の第一声を放送して75周年、また長野県北京放送を聞く会創立35周年、という記念すべき節目の年であり、その年に向けて時代に即した新たな活動計画を進めていく考えを示しました。また、インターネットを利用した聴視会員を増やすと共に、より手軽に中国文化を知り得る環境作りに向けCRI と提携していく事について、会員に理解を求めました。

 続いて、県国際課の白鳥博昭課長は、「県北京放送を聞く会」が長野県と河北省、更には日本と中国との交流において重要な役割を果たしていると強調した上で、昨年と一昨年に阿部知事がCRIを2度訪問した際の支援に対し、感謝の意を表しました。

 また、河北省から派遣されている白建飛・県国際交流員が、記念講演として、河北省刑台市の紹介や中国の現状等の話をしました。

 この総会には、ラジオ孔子学堂中国側責任者の朱丹陽氏、長野県日中友好協会の布施正幸事務局長、県国際課の土屋孝夫係長などの来賓や会員30余名が参加しました。

民間交流を粘り強く、第52回2014年度県協会定期大会(5/21)

 長野県日中友好協会は5月21日、第52回2014年度定期大会を長野市内のホテル国際21で開きました。県内各地から140人が出席して、尖閣諸島問題で悪化した日中関係の改善を目指して、民間交流・地方交流を地道に続けて行くことを柱に新年度の活動方針を決定し、新役員を選出しました。

 西村源・県青年委員長の司会で大会がスタート。「永久の友情を」を県日中女性委員会のリードで全員で斉唱した後、山根敏郎副会長の開会あいさつに続いて、物故された先輩の皆様に黙祷を捧げました。
 
 井出正一会長は、「日中関係は国交正常化以来最悪の状況かもしれないが、それ以前の先輩たちの苦労を考えれば、へこたれてはいられない。関係改善の方向に両国政府が動いてくれるよう民間の立場から声を大にし、平素の活動を地道に続けていきたい」とあいさつしました。

 続いて、阿部守一・県知事は、昨年秋、河北省を訪問し、張慶偉・河北省省長と環境・医療・スポーツなどの分野で前向きな協力を深めていくことを確認できたことを紹介し、「中国との関係発展は長野県の発展に不可欠。アジアと世界の平和にとって日中両国が手を携えて行くことは極めて重要だ。顔の見える関係づくりに全力で取り組んでいきたい」と述べました。

 議長に大塚善弘(大北)・南雲典子(上田)の両氏、大会運営委員長に北條一義・副理事長、役員選考委員長に中沢道保・副理事長、大会書記に長澤保・山崎始の両氏、議事録署名人に金子繁三・松原京子の両氏を選出して議事に入りました。

2013年度の活動報告(布施正幸事務局長)、決算報告(市川淳子会計理事)、会計監査報告(樽井悦郎監事)を承認した後、2014年度の活動方針(西堀正司理事長)、予算(桜井佐七財政委員長)を採択しました。また、役員改選では中沢役員選考委員長の選考委員会報告を了承し井出正一会長以下を選出しました。

本年度の活動方針では、中華人民共和国建国65周年記念事業、河北省との友好提携30周年の記念事業(後半)として、6月に緑化協力県協会訪中団派遣、7月に中国留学生ホームステイ受入れ、8月に河北省から卓球選手団を招いての日中友好中学生卓球交流大会開催、10月に中国雑技団公演、中国建国65周年記念シンポジウムと記念のつどい開催、11月の友好訪中団派遣などにとりくみ、これらの活動を通じて、粘り強く日中の相互信頼回復に力を入れて行くことを決定しました。

意見発表では満蒙開拓平和記念館報告(寺沢秀文・記念館専務理事)と県女性委員会の友好活動報告(島津美智子・県女性委員長)が行われました。続いて、「今こそ原点に返えり、日中不再戦・覇権反対・平和友好のために、あらゆる分野の心ある人々は連携してこの危機を乗り越えて行きましょう」との大会宣言(吉谷美和・県女性委員会副委員長)と大会スローガン(石崎琢哉・県青年委員会副委員長)が採択されました。

 河原進副会長の閉会あいさつで第1部は終了しました。

 第2部の祝賀パーティーには来賓として、中国大使館の王暁渡・公使、王麟・三等書記官はじめ藤森靖夫・県県民文化部長、白鳥博昭・県国際課長、篠原孝・務台俊介・井出庸生代議士(代)、吉田博美・北沢俊美・若林健太参議院議員(代)、荒井武志県議会議員、市川専一郎・長野市企画政策部長、窪田徳右衛門・白馬村副村長、王昌勝・県華僑総会会長、岡村重信・県経営者協会事務局長、木藤暢夫・県商工会議所連合会常務理事、児玉和哉・県商工会連合会チーフリーダー、倉石文人・県信用保証協会専務理事、成沢勝人・県スキー連盟専務理事、中村賢二・信濃毎日新聞総務部長、酒井康成・松本歯科大学留学生課補佐、桜井啓司・県武術太極拳連盟会長らが、出席され激励いただきました。

 王暁渡公使は、あいさつで昨年末の安倍晋三首相の靖国参拝に触れ、「両国の関係改善に深い障害を残した」とした一方、県日中友好協会の民間交流を評価。「問題を適切に処理し、友好を発展させるために積極的な役割を発揮して欲しい」と述べました。

にぎやかに長野ラジオ孔子学堂新入生歓迎会(5/12)

 長野ラジオ孔子学堂の第7期中国語講座が4月からスタートしましたが、5月12日、孔子学堂中国語教室において新入生歓迎会が開かれました。受講生や教師役員ら約30名が出席して和やかに行われました。

 西澤正夫・孔子学堂中国語を学ぶ会会長の開会あいさつに続いて、竹内勲・学堂長が歓迎のあいさつし、「中国語を熱心に学び日本と中国をつなぐ友好の架け橋となっていただきたい」と激励しました。受講生代表の茂木博さんの乾杯で懇親会に入りました。

 出席者の自己紹介では、皆さん頑張って中国語を交えて自分と中国語との出会いを紹介しました。講師を代表して王秋菊先生が中級生徒の皆さんの授業に臨む様子を紹介しながらレベルアップに向けやさしく厳しく指導していきたいと述べました。朱丹陽先生は、中国語らしい中国語の発音を目指して授業前特訓を希望者におこなうので、活用して欲しいと述べました。

 歓迎の余興が次々と披露されました。清水富美さんの本格的なマジックは大きな拍手浴びました。ギター演奏をバックにしての歌や漢詩朗読、雲南の紹介やベトナムの思い出、中級クラスの中国語の歌の披露、朱先生の中国語アラカルトなど次々と出し物が披露され、会場は大いに盛り上がりました。最後に出席者全員で中国語の歌を歌って歓迎会を終えました。
東京支局長迎えて第4回人民中国読者会総会を開催(5/10)

 県人民中国読者会は5月10日、県日中友好センターにおいて第4回2014年度定期総会を開きました。25名が出席し、昨年度の活動報告と決算報告を承認した後、2014年度の方針等を決定しました。

 福沢宏夫会長は「2011年の会設立から4年目を迎え、読者会も一定の形が出来上がり定着しつつあります。今後は長野市以外にも全県に会のPRを進めていきたい。日中関係は依然として厳しい状況が続いているが「人民中国」を通じて生の情報を得ながら民間交流を進めていきたい。賈秋雅支局長さんには発足以来ご支援いただき感謝申し上げたい」とあいさつしました。

 新年度の活動方針では過去3年間の実績の上に、定例読者会の開催、人民中国の普及拡大、会員同士の交流を3つの柱に日中友好に資していくことを掲げています。
 
 続いて賈秋雅支局長が「新四字熟語にみる最近の中国事情」と題して講演しました。
―ネット上で次々と新しい熟語が生まれ若者間で話題となっている。若者はつまらないことを拒否し面白いことを追及している。「十動然拒」(16万字を越えるラブレターに十分感動したが交際はノー)、「不明覚歴」(よくわからないがすごいと感ずる)、「社病我薬」(PM2.5など社会が病んでいるが、自分が薬を飲んで対処している)、「人艱不拆」(人生は厳しいものだから秘密にしておきたいこともある)等など。これにたいして、国語の先生や親たちは、本当の四字熟語ではない、美しくないとみている。しかし社会にあふれている現実がある。一部の新四字熟語は時間の試練を経て、伝統的な四字熟語の仲間入りをしていくことになるだろう。―
中国のインターネットの普及が6億人を越えている中での興味深いお話でした。

 最後に、懇親交流会が行われ、和やかに交流しました。
石家荘の賛皇県孤山村直富希望小学校から教師児童4名が長野へ(4/14~17)

 長野市と友好都市提携している石家荘市の賛皇県孤山村直富希望小学校の教師児童が4月14日から17日長野を訪れ、市内の小学校訪問など交流を深めました。一行は王凱江、張書敏両教師と曹氷然さん、于敏茹さん(6年生)の4名で希望小学校を寄贈した直富商事(株)の招きで来日したものです。

 4月14日新幹線で長野駅に到着した一行は木下雅裕・同社会長(長野市日中副会長)らの出迎えを受けました。長野はちょうど桜が見ごろを迎え、雪山をバックにした景色に一行は感激。夜の歓迎会で、布施県日中事務局長は、一行を歓迎するとともに、木下会長の長年にわたる希望小学校支援の取り組みを讃えました。王団長は熱烈な歓迎に感謝し、希望小学に学ぶ400名の児童たちの思いを託した感謝の健康長寿を祈る寄せ書きを木下会長に贈呈しました。

 一行は翌15日には、早朝長野卸売市場を参観し、直江津の海と上越水族館を訪れました。16日には長野市立七二会小学校を訪問しました。授業参観や縄跳びなどを通じて児童たちと交流しました。立派な校舎に今年の新入生は5名との紹介に驚いていました。直富商事の工場も参観し、リサイクル事業の大切さを理解できたと語っていました。

 17日、日中友好協会を表敬した時の一行の感想は、「自然がきれいで人々が親切であたたかい。長野は素晴らしい」でした。長野市国際室を表敬の後、東京に向かいましたが、長野の思い出は皆さんの胸に刻まれたことでしょう。
第7期長野ラジオ孔子学堂中国語講座がスタートしました(4/8~)

  長野ラジオ孔子学堂の第7期中国語講座がスタートしました。入門・初級・中級・上級(昼・夜)の各クラスに80名が受講を申しこみ、4月8日から逐次始まりました。中国語の講師はベテランの桜井純子さん、王秋菊さん、鄭頴さん、顧淑鳳さん、孫麗波さん、そして中国国際放送局日本語部の朱丹陽さんです。継続して学んでいるおなじみの方もいれば、新しい受講生もいます。会社員、自営、団体職員、主婦、退職された方、学生、高校生など立場はそれぞれですが皆さん熱心に学習に打ち込んでいます。

 4月8日(火)には入門講座(昼・夜の部)の開講式が行われ、受講生を前に桜井講師、朱丹陽講師が歓迎のあいさつをし激励しました。早速中国語の発音の特徴を説明した後、発生訓練などを行いました。皆さん真剣に口を大きく動かしながら先生の発音についていきます。壁には「歓迎新同学」(ようこそ新入生の皆さん)のポスターや四声や母音、子音表が張られています。

 9日(水)は昼・上級、夜・初級で鄭講師と顧講師が担当しています。新しいテキストを開きながら新鮮な気持ちで、新学期スタートです。昼の上級は、顔なじみの皆さんが多く中国語会話同好会といった雰囲気で会話を楽しんでいました。

 10日(木)は昼・初級、夜・上級で、孫講師と朱講師担当です。新入生も迎えて賑やかな雰囲気で始まりました。熱心で活発な授業風景です。

 11日(金)は昼・夜とも中級の部で王講師が担当しています。中国語の自己紹介、新入生も真剣な眼差しでした。中国語の歌も交えてほっと一息、再び真剣な声が響きました。

 孔子学堂中国側責任者でもある朱丹陽さんは、「中国語の発音の特徴をしっかり身につけて、中国語らしい発音に心がけ、またHSK中国語検定試験に挑むなど目的を持って学習すれば、必ず進歩できます」と語っていました。

 清水謙一事務局長は、「実務的に中国語を役立てようとする人も、また気楽に中国語会話を楽しもうとする人も、受け入れることのできる8教室を開設しています。授業に関心のある方は気楽に教室をのぞいてみてください。4~5月のうちは申込み受け付けます」と述べていました。5月12日には新入生歓迎夕食交流会を予定しています。

第19回県日中友好都市交流会議、「新たに地方交流を積み立てていこう」(3/18)

 3月18日、県日中友好センターにおいて第19回日中友好都市交流会議が開かれました。県国際課長と県日中友好協会会長の連名で呼びかけたもので、県、県協会はじめ6市1町から国際交流担当者と日中友好協会役員20名が出席してそれぞれの友好都市交流の現状を報告し、意見交換を行いました。

 県内では県及び5市3町1村(及び2市)が中国と友好都市・友好交流都市関係を締結し、(あるいは友好の覚書を交わし)交流が進められています。

 冒頭のあいさつで、白鳥博昭・県国際課長は「昨年は河北省との友好提携30周年の年に当たり、日中関係が厳しい中でも、阿部知事が訪中し張慶偉・河北省長と会見、今後の環境・医療・スポーツ交流などを進めていくことを話し合った。また、技術員研修生受け入れも実施できた。友好協会の新年会には汪婉・大使夫人も見え、先ごろは上海市友好協会代表団も来県して交流親睦を深めた。地方交流を、さまざまな機会を生かして進めていきたい。長野県としては、大学生のインターンシップ受入れにもとりくんでいるのでご協力を願いたい」と語りました。

 西堀正司・県協会理事長は日中関係の見通しにふれ、「昨年10月には周辺国大使会議が開かれ改善に努力する方向性が確認され明るい希望が見え始めていたが、暮れの安倍首相の靖国参拝によって暗礁に乗り上げてしまった。3月の全人代では原則と柔軟性をもって対応していく方針が確認されたようだ。先ごろ中日友好協会代表と懇談したが、全力で滞っている交流事業の後押しをしていくと約束してくれた。日中協会の野田会長なども政府への働きかけを行っていく意向で、外交政策における日本政府の柔軟性を期待したい」と述べました。

続いて報告が行われました。

―県では、昨年知事が訪中し河北省長と今後の両県省関係の交流推進を確認しあうことができた。新年度は河北省との青少年10名の相互受入、2名の研修員の受入れ、3名の研修員の派遣、国際交流員の招致、友好30周年記念の河北省友好代表団受入れと記念レセプション開催、卓球交流大会等を計画している。

―県協会では、昨年は、卓球大会が延期になったが、知事訪中に協力した。今後の両県省関係の交流推進を確認しあうことができたことは今後に繋がる大切な成果。また、戦中強制連行された殉難中国烈士慰霊祭の開催、村山元総理を講師に迎えての講演会などを開き、日中両国の平和友好のために地方交流・民間交流を継続していくことを誓った。満蒙開拓平和記念館が開館し2万5千人が参観した。歴史を顧みれば、日中両国の善隣友好は、極めて重要であり、地方の立場からも、日中の平和と友好の重要性に思いをいたし、交流を進め両国関係改善に寄与していきたい。本年、河北省からの中学生卓球選手団を招いての卓球交流大会や青少年交流、緑化協力訪中団派遣などを計画している。

―長野市では3名の語学研修生受け入れ各種行事を通じて市民と交流を深めた。新年度も語学研修生や中学生友好代表団受入れ、及び卓球交流大会開催を予定。須坂市では、四平市との友好都市締結20周年を記念し訪中団派遣と訪日団受入れ、及び卓球選手団受入れ交流大会を予定。松本市では、昨年5月中国大使夫妻を招いて講演会が行われた。山岳都市・健康都市の特徴を生かして官民一体で交流を進めている。卓球交流大会を予定。上田市では、昨年10月友好協会訪中団が寧波を友好訪問、本年は中学生派遣や卓球交流大会、日中友好交流展覧会を予定。山ノ内町では密雲県との図書の交換や南山スキー場と志賀高原横手山スキー場との交流が行なわれている。泰阜村では方正県への中学生派遣第三中学との交流を予定。坂城町では上海市嘉定区実験小学校との教育交流として小学生の派遣を予定。

 報告の後の意見交換では、中国からの観光客の回復、教育交流の具体的交流紹介、スキー場同士の提携交流、医療交流の活発化に伴う医療通訳体制などが話し合われたほか、県内に11,000人を越える中国籍の人が暮らす現状を踏まえ多文化共生の角度からもさまざまな問題に関心を向ける必要があることなども提起されました。

 最後に井出正一会長が「日中関係は厳しさが続いているが、多くの人は両国関係の大切さを理解している。春の来ない冬はない。交流を新たに積み立て良いところを伸ばしていきましょう」と述べ締めくくりました。

長野ラジオ孔子学堂、初のHSK中国語検定試験を実施(3/16)

 日本の長野ラジオ孔子学堂は16日、初のHSK中国語検定試験を実施しました。

 学堂の受講生のほか、長野県短期大学などの大学生や近隣の高校生、会社員、主婦など16人が、1級から4級の試験を受けました。全員がHSKに参加したのはこれが初めてです。うち2級を受験する人が8人と、最も多くなりました。

 HSKに参加したことについて、受験生の1人は「ヒヤリングは難しかったが、自分の中国語のレベルを確認できた。新しい目標をつくり、今後のレベルアップを図っていきたい」と話しました。

 孔子学堂の日本側責任者の布施正幸さんは「県内で中国語の普及と向上を図っていく上で、HSK検定試験は非常に積極的役割を果たしてくれると思います。その第一歩が踏み出せたことは喜ばしく、関係者の協力に感謝したい。今後も、より一層、発展に努めたい」と意欲を見せました。

 試験の実施にあたり、試験場の設置など、孔子学院本部試験センターが全力を挙げて協力しました。(朱丹陽)

第37回日中スキー交流会in志賀高原一の瀬スキー場、180人の熱気(3/15~16)

 長野県日中友好協会青年委員会(西村源委員長)と同女性委員会(島津美智子委員長)の主催により、3月15、16日の両日、山ノ内町志賀高原の一の瀬ファミリースキー場において、第37回日中スキー交流会が開かれました。中国留学生・帰国者・中国大使館の皆さんをはじめ180人が参加し盛大で熱気あふれる交流会となりました。

 開会式では島津委員長が、「大勢の参加者が心を通わせ、日中友好の楽しいスキー交流会にしましょう」とあいさつしました。

 日中友好のゼッケンをつけ16班に分かれて青年委員会などの指導員のリードのもと、スキーやスノーボードの教室がおこなわれました。絶好のスキー日和の中、初心者も何度も転びながらもだんだんとコツを覚え直滑降からボーゲンへと進み、多くの人がリフトに乗れるようになっていきました。5回以上のスキー体験のある、かなりのレベルの人もいました。留学生らの要望に応えてスノーボードの班も開設され40人ほどが参加しました。

 夜の交流会では、西村青年委員長が180名もの参加を得て盛大にスキー交流会を開催できたことに感謝し、「日中関係は現在困難な中にあるが、スキー交流会を通じて親睦を深め、民間同士の友好交流を進めていきたい」と述べました。

 西堀正司県日中理事長と、中国大使館の王麟三等書記官から祝辞をいただきました。スキー用具を提供していただいたスワロースキーの丸山哲三会長の音頭で乾杯し、懇親会に入りました。杯を交わしながら交流しました。

 女性委員会の優雅なフラダンスや信大留学生の歌、帰国者の創作ダンス、大使館の皆さんの歌などが次々と披露され、「うるわしの志賀高原」までとび出して大いに盛り上がりました。中国国際放送局の朱丹陽さん、長野県華僑総会の王昌勝会長、地元山ノ内町・中野市・飯山市の日中友好協会の役員も出席し激励交流しました。

 2日目も好転に恵まれました。自信をもって滑り降る姿が目立つようになりました。けが人もなく、無事スキー教室を終えて、昼は女性委員会の皆さんが心を込めて準備してくれたきのこ汁などをおいしくいただきました。

 閉会式では、裏方をつとめた女性委員会メンバーが登壇し参加者から感謝の拍手が送られました。留学生の代表が「楽しいスキー交流でした。友人の皆さんの友好の熱意を必ず友人知人に伝えたいと思います」と述べました。15人ほど参加した帰国者の皆さんも大変楽しかったと喜んでいました。

日中市民講座/上田女子短大・小池学長、中国との体験的付き合い方を語る(2/22)

 日中関係を考える連続市民講座(第4回)が2月22日県日中友好センターで開かれ、上田女子短大学長の小池明氏が「日本・中国・アメリカ-体験的付き合い方」と題して講演しました。小池氏は20年間の商社マン生活の中でアメリカ・ヨーロッパ・中国などの駐在経験があり、それぞれの国の国民性を学ぶ機会があったとしてその体験を生かした付き合い方・見方を話しました。また上田女子短大として、長野放送と北京電視台との協定により毎年2人ずつ北京から受け入れている様子も紹介しました。

 (以下中国・日中関係部分を中心に概略を紹介します。)

 日中関係が難しいとき専門家ではない素人の立場でどう見るか、アマチュアの考え方が意外と事態を動かしているのではないかと思い日ごろ考えていることをお話したい。マルチの国の付き合いの中で二国間関係を読み解くことが必要ではないかと思う。

 中国は共産党が統治しているが経済発展に伴い格差が拡大し、貧しくとも平等だった時代と大きく変わった。コントロールを強めるのか、民主化を進めるかの選択が迫られるだろうが、党の力量の強さから言えばそんなに急速な変化はないだろうと思う。

 団塊世代として日本の戦後復興・高度経済成長・安定成長の時代を生きてきたが、日本の歩んだ道を若い世代にどう伝えていくか大きな課題と思う。1970年代中ごろの中国の存在感は政治的な面が主で経済的に語られることはほとんどなかった。現在は、中国はGDP世界第2位の経済大国となった。中国のプレゼンスは世界の工場から世界の市場へと比重を高めている。日本人はリスクを避ける傾向が強いが、中国人はリスクに挑み世界的な投資を進めている。穀物やエネルギーを買いあさっており世界に与える影響は大きい。1兆3千億ドルの外貨を保有しており、これは脅しにも使えるが自分にも返ってくる。WTOの一員として秩序ある成熟したプレーヤーであることが期待されている。

 我々が中国との関係を良くしていくヒントは、お互いに相手の実情を知ること。中国の人々に日本社会を知ってもらうこと。そのためには政治・経済・文化・観光・若者など多様な付き合いが必要だ。

 日本は明治維新以降、脱亜論的考え方にたって中国やアジアに侵略進出していった。一方で中国に対し4000年の歴史・文明的先輩への敬意という両面があった。今、日中の逆転現象が起き、また戦勝国としての意識もある。マスメディアがそれぞれ民族主義を煽ることは危険でそうならないよう気をつける必要がある。自制を働かして冷静に付き合っていく、大人の知恵を持って対していくべきだ。冷戦時代にもLT貿易などいろいろな努力が払われていた。日本も「一党独裁」的な傾向が出てきていて心配の面があるが、日本の多様性が中国からも見えるようにしていく必要がある。尖閣問題や靖国問題を見ると、「匹夫の勇」ではなくて「やらざる勇気」が重要だと思う。

 日米同盟は中国と仲良くしていく上でも必要と思うが、日本に対するアメリカでの評判は歴史認識など厳しいものがある。中国はアメリカに多くの留学生を送り、高官の子弟も大勢行っている。日本も留学生やインターンシップ受入れなどもっと努力すべきだ。また日中関係を改善するには、環境面での協力はじめ共同の事業に取り組み双方が技術や知恵を出し合っていくことが大切と思う。
上海市の友好協会代表団を歓迎交流(2/21)

 長野県と関係の深い上海市人民対外友好協会の代表団が2月21日来県し、長野県や県日中友好協会関係者と懇談交流を深めました。日中関係が依然として厳しい中で、民間交流再開に向けて大切な団として注目されます。
 
 汪小澍上海市人民対外友好協会常務副会長を団長とする4人で、21日長野駅に到着した一行は駅頭で県や友好協会関係者の出迎えを受けにこやかに握手を交わし再会を喜んでいました。

 善光寺参観の後、一行は阿部守一県知事と会見懇談しました。昨秋の知事の上海訪問や県が駐在員を配置して中国進出企業の支援体制をとっていることなどを踏まえ、幅広く交流を進めていくことが話題となりました。その後、長野市のサンマリーンながのなどを視察しました。

 県協会主催の歓迎交流会には井出正一会長や白鳥博昭県国際課長らが出席して、和やかに開催されました。井出会長は、「日中関係は厳しさが続いているが春の来ない冬はない。民間交流・地方交流を進めて相互信頼関係の再構築に努めていきたい」と述べ一行を歓迎しました。

 汪団長は、「上海と長野県は長年にわたり訪中団の受入れや県の上海駐在事務所設置など関係が深く、古き友人が多い。更に新しい友人と出会い、交流の輪を広げていきたい。民をもって官を促し、文でもって政治を促していきたい。冬にあって春・秋を想うということわざがある。当面は慎重に、将来は明るく展望していきたい。隣国は引越しできないので仲良く付き合うほかはない。ともに協力して頑張りましょう」とあいさつしました。
 
 また白鳥課長や西堀正司理事長などが歓迎のスピーチを行いました。また上海駐在経験者も参加して、再会を喜び合いました。
 
 一行は、2/18~2/23来日。東京・群馬・長野・大阪を訪問し、各地で行政や友好協会などと交流。大阪では「魯迅と日本友人展」開幕式に出席しました。
春節にちなみ帰国者への理解を深めるつどい・体験発表と交流会(2/11)

 県と県日中友好協会は2月11日、「第6回中国帰国者への理解を深める県民の集い」を長野市内のホテル・サンパルテ山王で開きました。旧満州(現中国東北部)に渡り、敗戦時の混乱で取り残された中国残留孤児らが体験を発表、あわせて昨年4月開館した満蒙開拓平和記念館の報告も行われ、220人が聞き入りました。第2部では東京中国歌舞団による歌と民族楽器演奏を堪能し、第3部の春節交流会では餅つきやくじ引き抽選会、歌や踊りの披露、最後にヤンコー踊りを楽しみました。

 第1部では主催者を代表して小口由美・県地域福祉課長と井出正一・県日中友好協会会長(元厚生大臣)があいさつし、「長野県は全国一満州開拓団を送り出し多くの犠牲を出した。日中国交正常化以来、長野県に永住帰国した1世は約400名で、その家族合わせると4300人の中国帰国者の皆さんが県内で暮らしている。2008年には新帰国者支援法が施行され、更に本年秋からは1世の配偶者支援の態勢ができた。一方帰国者1世の高齢化が進み、引きこもり防止や介護、2世の就労などの課題もある。帰国者の皆さんが、地域や県民の皆さんの理解を得て、平穏で幸せな生活を送ることができるように国、県、市町村、関係者が連携して支援活動に取り組んで行きたい。満蒙開拓平和記念館も昨春オープン以来、2万5千人余りの参観者が訪れて全国的な関心を集めていてよろこばしい。日中関係は尖閣問題で引き続き大変厳しい状況にあるが、帰国者の皆さんには友好の架け橋としても活躍願いたい。春節にあたり楽しく交流し理解を深めましょう」と語りました。

 体験発表で岩本くにをさん(81)=下伊那郡松川町=は、「9歳のとき1941(昭和16)年に泰阜村開拓団の一員として家族と一緒に旧満州の大八浪に渡ったが、敗戦前後に両親、兄姉を相次いで亡くし、逃避行の末に妹とも生き別れてしまった。一時は死のうと思ったが親切な中国人に助けられた」と振り返えりました。その上で、「日本は戦争で多くの人の命を失い、中国はじめ世界の人々に取り返しのつかないことをした。もう二度と戦争をしてはいけない」と強調しました。

 石坂万寿美さん(70)=松本市=は、中国残留孤児にとって配偶者は養父母と同じように孤児を守ってくれた恩人であることを紹介し、「2008年施行された新援護法で生活が安定し幸せを感じている。しかし孤児がなくなった場合、残された配偶者が無年金になってしまう問題点があり、これを、解決するため国会に請願署名を提出する運動をおこした。県日中友好協会はじめ多くの県民の皆さんの協力をいただき全国10万人署名を達成でき、昨年末の国会で配偶者支援法が衆参両院を通過し成立した。心から感謝申し上げます」と語りました。

 池田愛子さん(30)=長野市=は、帰国者2世の妻の立場から発表しました。「来日以来言葉に苦労したが日本語教室で日常会話を学び生活にもなれ、子供も生まれた。子育てに一段落したら簿記と日本語1級検定にチャレンジし働きたいと思う」と前向きに生きていく決意を語りました。

 特別報告として、飯田日中友好協会事務局長の小林勝人さんが昨春阿智村に開館した「満蒙開拓平和記念館」について映像を使って説明。歴史展示や体験証言・山本慈照氏ゆかりの展示などが若い世代にも写真や資料・映像で実感できるよう工夫をこを凝らして展示されている。また記念館脇に「鎮魂の碑」とともに「平和友好の碑」が建てられ、その台座には、周恩来総理ゆかりの「前事不忘、後事之師」の文字が刻まれていることなどを紹介しました。地元の中学生らが平和学習で訪れている様子も紹介し「平和の尊さを長野から日本、そして世界へと伝えていきたい」と語りました。

 第2部の東京中国歌舞団の公演では、陽二蓮さんの歌の世界と劉錦程団長の揚琴、黄恬さんの中国笛の演奏を楽しみました。会場は春節の華やかな雰囲気に包まれました。最後に陽さんのリードで「北国の春」と「ふるさと」を歌いました。

 第3部の春節交流会では長野市日中女性委員会の皆さんが友好の黄色のハッピ姿で、交流会の進行・盛り上げに大活躍でした。アトラクションとして臼と杵を使って、帰国者の皆さんが次々と餅つきを体験しました。抽選会も行われくじを引き当てた人たちが景品を受け取って喜んでいました。飯田、長野、上田、松本、伊南、飯山の日本語教室に通う帰国者の皆さんが「北国の春」「富士山」「星影のワルツ」「ふるさと」などを一生懸命歌い大きな拍手を受けました。長野教室に通う皆さんは練習してきた踊りを披露し、また池田充さん作詞の「我愛你長野」を発表して大きな拍手を浴びていました。最後に中国の東北地方に伝わるヤンコー踊りを会場いっぱいににぎやかに踊りました。参加した帰国者の皆さんは「大変楽しい春節のつどいだった。来年も参加したい」と語っていました。

 飯田下伊那、伊南、松本、佐久、上田、千曲、長野、中野、飯山などからおおぜいの帰国者や支援者、市民のみなさんが参加しました。山田火砂子監督(山本慈照氏の生涯を描いた映画「望郷の鐘」の監督)、和田登『望郷の鐘』原作者、堀内千恵子県地域福祉課長、竹内正一同係長、北原昇長野市厚生課長、高橋康雄部落解放同盟県連副委員長、朱丹陽中国国際放送局孔子学堂担当者、張金霞県国際交流員、福沢宏夫・村山ひとみ県日中副会長、西堀正司県日中理事長、西沢毅県日中帰国者留学生委員長らも出席し帰国者を激励し交流しました。
日中友好新春女性のつどい、残留孤児の父・山本慈照氏の事績に学ぶ(2/6)

 長野県日中友好協会女性委員会(島津美智子委員長)は2月6日、長野市内のホテル信濃路において日中友好新春女性のつどいを開きました。飯田・諏訪・松本・上田・千曲・中野・飯山・須坂・長野など各地から60余人が参加し、新年の研修と交流懇親会が行なわれました。

 島津委員長は「日中関係の改善が見られないまま新年を迎えました。日本に在住している中国の人たちはどんな気持ちで新年を迎えたでしょうか。昨年来日した15歳の少女が日中関係を憂えているのを知って、胸を痛めた。丹羽前大使は日中関係改善のために日中両国のリーダーは何をすべきか、私たちは何をすべきか考え努力しなければならないと言っていた。さまざまな困難はあるが、今年も力を合わせ日中の平和友好に努めていきたい。3月の日中スキー交流会を成功させましょう」とあいさつしました。

 来賓として山根敏郎副会長や西堀正司理事長らが、女性委員会の日ごろの活躍に感謝した後、「女性のパワーと民間の総合力で閉塞状態を打破し、両国政府を動かし、友好を前に進めていきたい。女性委員会の新年の活躍に期待します」と激励しました。

 第1部の研修会では、児童文学者の和田登氏が「『望郷の鐘』を語る-満蒙開拓と山本慈照さんについて」と題して講演し、残留孤児の父と言われた山本さんの生い立ちや事績を紹介しました。厚生省と残留孤児の帰国について粘り強く掛け合い多くの孤児の永住帰国に道を開いた、その活力の源は「一隅を照らす-これ国の宝なり」の教えとの出会いであり、それを実践した生涯であったことをわかりやすく語りました。和田氏原作の『望郷の鐘』が山田火砂子監督により映画化に向けて準備が進められていることにも触れ、、映画製作への協力を呼びかけました。山田監督は「はだしのゲン」などの社会派監督として活躍されている方です。

 第2部の交流懇親会では、飯山、諏訪、長野、上田の皆さんなどが次々と歌や踊りを披露し盛り上がりました。当面する3月の日中スキー交流会の成功を誓ってお開きとなりました。なお当日は女性委員会の皆さんが持ち寄った品々でバザーを行いました。
朱丹陽さん親子を迎えて長野孔子学堂新年会(1/28)

 長野ラジオ孔子学堂は、1月28日ホテル信濃路において朱丹陽さん親子の歓迎会を兼ねて新年会を開催しました。孔子学堂中国語を学ぶ会メンバーや日中友好協会・北京放送を聞く会・県短期大学関係者など30名が出席して、賑やかに新年の交流を行ないました。

 竹内勲・学堂長は長野孔子学堂がスタートして今春7期目の中国語講座を迎えることに触れながら、初の試みとしてHSK中国語検定試験を3月・9月長野で実施する運びとなったことを紹介し、今年も中国語講座や夏期スクーリング・スピーチコンテストなどの充実を図っていきたいと述べました。また中国国際放送局から昨秋朱丹陽さんを迎え、各クラスの授業前に実践中国語会話レッスンを行いレベルアップに貢献していることに謝意を表し、このほど来日された息子の尹鐘寧さん(首都体育学院学生・スポーツメディア専攻)を歓迎しました。

 西堀正司県日中友好協会理事長は長野県スピーチコンテストで優勝した吉沢茜さんが1月の全国大会で3位入賞したことを紹介しながら、友好の架け橋の中国語の普及向上に力を入れ日中関係改善に貢献していただきたいと激励しました。

 朱丹陽さんは、歓迎に感謝した後、「今年、孔子学堂中国語講座を更に楽しく、有意義なものにしていきたい」と述べました。続いて、尹鐘寧さんが映像を使って首都体育学院の様子をわかりやすく紹介し好評でした。

 福澤宏夫県日中副会長の乾杯の後、懇親交流に入りました。県短期大学の立石昌広・張勇両教授、北沢久県北京放送を聞く会顧問、岩下隆県中国語を学ぶ会連絡会会長などから激励のスピーチをいただきました。続いて、「月亮代表我的心」など歌が披露され、また朱さん提供の午年にちなんだ馬の飾り物を景品としてジャンケン勝ち抜きゲームで盛り上がりました。

 中国語学ぶ会の先輩の大塚健三さんが一本締めをして新年の活躍を誓いました。

*ご覧ください→日本見聞録-白馬村スキー場訪問記(首都体育学院スポーツメディア学部 尹鐘寧)
民間の友好関係に全力! 新春座談会・新年会を開催(1/20)

 長野県日中友好協会は1月20日、130人が出席して恒例の日中友好新春座談会と新年会を長野市内のサンパルテ山王で開きました。新春座談会では「尖閣問題や安倍首相の靖国参拝で日中関係は大変な困難な状況にあるが、民間の友好交流を進め、大きく傷ついた日中関係の建て直しに尽力していく」との方針を確認し、活発に意見交換が行われました。厳しい日中関係が続く中で、民間の立場から、真剣に友好活動に取り組んでいる様子が紹介され、日中不再戦・平和友好の原点に返って友好活動にとりくんでいこうという決意が熱心に語られました。大使夫人の汪婉参事官も出席され、耳を傾けました。新年会には阿部守一知事をはじめ国会議員はじめ各界来賓も出席され盛会裏に開催されました。

 日中友好新春座談会は、西堀理事長の司会で進められ、冒頭,、風邪で欠席した井出正一会長に代わり山根敏郎副会長があいさつし、各地区での活躍に敬意を表した後「日中関係は安倍首相の靖国参拝により極めて困難な状況におかれているが、日中友好協会は民間団体として交流推進に努力し、日本の姿を知ってもらい日中関係を改善していく役割をはたしていきたい。皆さんの日ごろの思いを語り合っていただきたい」と述べました。また汪婉参事官が日中関係が困難な中で両国各界が苦しい中で一生懸命努力し改善の兆しが見え始めてきたときに安倍首相の靖国参拝がおき、極めて深刻な事態に再び陥ってしまったことは残念だ。昨秋の阿部知事の河北省訪問など民間地方交流として貴重なもので、厳しい中でも民間主導で頑張っていただきたい。長野県日中の活躍に期待したい。皆さんの生の声をお聞きしたい」とあいさつしました。

 続いて布施事務局長が第2回理事会(12/2)で決定された今年の主な事業計画を報告しました。「昨年困難な中で民間交流地方交流にとりくんできたその成果の上に、日中不再戦、相互信頼回復、顔の見える交流機会を増やし友好協力促進に努めていきたい。河北省の卓球選手を招いての中学生卓球交流大会や新中国建国65周年シンポジウム、太行山河北省内丘県での緑化協力プロジェクト実施、満蒙開拓平和記念館運営協力、長野ラジオ孔子学堂のHSK中国語検定試験実施協力、留学生ホームステイなどに力を入れて行く」としています。

 続いてディスカッションに入り、日中関係の現状と課題、地区活動の紹介など活発に意見交換が行われました。日中関係の現状については、尖閣問題と安倍首相の靖国参拝問題が取り上げられ、村山談話の精神を大切にしながら、日中不再戦・平和友好の決意が語られました。できるだけ交流機会を作り友好を望む両国の人々が連帯して、困難な状況下にあっても、草の根の民間・地方交流を進め両国民の相互信頼を回復していくことを確認しました。

 新年会には、日頃友好運動に協力いただいている各界来賓が多数出席いただきました。席上、井出正一会長に代わってあいさつに立った西堀正司理事長は日ごろの協力に感謝し、尖閣問題でゆれた昨年を振り返りながら、「日中関係は極めて厳しい状況にあるが、日中関係の困難を打開し以前のような友好関係を作るため、草の根運動で民間、地方の交流を進めたい。我々の意志を広くアピールし、1年過ぎてみたらよかったという年にしたい」とあいさつしました。

 阿部守一県知事、汪婉参事官、篠原孝・小松裕・務台俊介代議士から祝辞をいただき、倉田竜彦県日中友好促進議員連盟会長の音頭で乾杯しました。

 阿部守一知事は、昨年10月に河北省を訪問し張慶偉省長と会談したことを紹介し、「未来に向けて、友好交流を続けていきたい」と述べました。

 汪婉参事官は、流暢な日本語で、友好座談会に参加した感想を述べながら、長年の協会の活躍に敬意を表した後、「昨年は長野県など地方自治体で中日間の交流があり、12月に大使と岸田外相との会談では新しい年に関係改善に努力することを約束するなど関係回復の兆しがみられたのに、1週間後、安倍首相がA級戦犯合祀の靖国神社を参拝したことにより帳消しになってしまった。靖国参拝は中国だけでなく日本各界、国際社会から批判された。両国の利益に合致しないし、交流を望む多くの日本国民の気持ちに反している。今年は中日関係が大変困難な1年になると思うが、民間の友好関係はどんな障害があっても全力を挙げて進めていきたい。困難な時期こそ民間での相互理解、相互信頼関係を築くことが重要」と指摘しました。

 懇親会の中のスピーチで、小坂憲次・吉田博美・若林健太参院議員(代)、太田昌孝・竹内久幸県議、王昌勝県華僑総会会長、張金霞国際交流員などから激励をいただきました。親しく懇談交流が行なわれ会場は和やかな雰囲気に包まれました。久世良三県国際化協会理事長の音頭で日中友好協会の万歳が行なわれ1年の活躍を誓って散会となりました。

 来賓として王麟三等書記官、井出庸生衆議院議員、今井正子・小島康晴県議、白鳥博昭県国際課長、宮本経祥信濃教育会会長、島田力夫長野大学理事長、浅川祐司県経営者協会総務部長、木藤暢夫県商工会議所連合会常務理事、井出康弘県中小企業団体中央会事務局長、細野邦俊県商工会連合会専務理事、春日十三男JA長野中央会専務理事、浦野邦衛JA長野中央会地域農政部長、古川幸雄部落解放同盟県連書記長、酒井康成松本歯科大学法人室主任、桜井啓司県武術太極拳協会会長、成沢栄一元県議、小林義和長野市議会日中友好議員連盟副会長らのご臨席をいただきました。
HSKのご案内汉语水平考
3月と9月地元長野で受験できるようになりました。申込スタート!!

HSKは世界的規模で実施されている中国政府公認の中国語に関する最も権威のある試験です。他に日本では日本中国語検定協会で行っている試験(俗称中検)も有りますが、昨年度よりHSKの受験生数が中検よりも多くなっています。当長野ラジオ孔子学堂でも公式の試験会場として公認されましたので、2014年より年2回HSK試験を実施し、中国語を学ぶ長野県内の皆さんの便宜をはかりたいと考えています。

◎HSKのメリットは
1 中国語の実力、能力が客観的に把握できます。
2 中国語学習の目標にもなります。
3 キャリアアップ、就職活動に有利です。

◎長野では3月と9月の年2回実施を予定しています。
 2014年の試験日程と申込期間などは下記のとおりです

試験日

試験会場

申込期間

3月16日(日)

長野(長野ラジオ孔子学堂)

及び東京・愛知・京都・北海道など主要都市で実施

1月14日(火)~2月14日(金)

9月14日(日)

7月14日(月)~8月12日(火)

<試験時間>
1級(40分)、3級(90分)、5級(125分) 13:30~
2級(55分)、4級(105分)、6級(140分) 9:30~

◎各級のレベルと受験の語彙量
◇受験の目安・語彙量(1級と2級が初級、3級と4級が中級、5級と6級が高級です。)
1級は150語程度。あいさつ・自己紹介などができる。
2級は300語程度。簡単な会話ができる。
3級は600語程度。旅行での会話ができる。
4級は1200語程度。まとまった文章を理解できる。中国人と比較的流暢にコミュニケーションできる。
5級は2500語程度。中国語の映画やテレビの内容が理解できる。
6級は5000語以上。中国語による会話や文章で、自分の見解を流暢に表現できる。

◎受験級と受験料
◇孔子学堂の受講生と学生には割引があります。(1000円引)
◇又、孔子学堂ではHSK試験対策の補習等も企画しています。

   級

 受験料

  1級

  3500円

  2級

  4500円

  3級

  5000円

  4級

  6000円

  5級

  7500円

  6級

  8500円


奮ってご参加ご挑戦ください。詳細はこちら-->HSKのご案内(汉语水平考试

<年頭にあたって>日中不再戦、平和友好を誓い、本気で中国と付き合おう

長野県日中友好協会 会長 井出正一

新しい年が佳い年でありますよう、特に日中関係が改善される年でありますよう願います。新中国建国65周年の年頭にあたって所信の一端を申し述べます。

日中間の尖閣諸島をめぐる領土問題の対立は、解決の兆しも見られぬまま越年となりました。両国首脳が就任して1年になるのに1度の話し合いもなく、更に中国による突然の、続いて韓国の「防空識別圏」の設定という厄介な事態が生じております。2008年5月の福田康夫・胡錦涛両首脳の「共に努力して、東シナ海を平和・協力・友好の海にする」とうたった「戦略的互恵関係の包括的推進に関する共同声明」はどこへ行ってしまったのでしょうか。

 更にまた、年末にかけては案じていた、安倍首相の靖国参拝という事態が発生しました。戦後50年に際して出された村山談話の精神を踏襲するとした第1次安倍内閣の方針から、大きく舵を切ってこれを無視して暴走して行くとしたら、アジアや世界から理解は得られず、中国や韓国との溝を益々深め関係改善の糸口は遠のき、大きく国益を損なって行くことになってしまうでしょう。非常に危惧せざるを得ません。

尖閣問題の影響は私達の民間交流にも及ぶところとなりました。長野県と河北省の友好提携30周年記念事業の柱として計画されていた中学生卓球交流大会は中止となり、記念大訪中団の派遣も実施できませんでした。そんな中で10月下旬漸く実現した阿部知事と張慶偉河北省長との初会談が、今後の両県省関係の発展の足がかりとなってほしいものです。

そのような困難な中ではありましたが、県協会は地区協会や関係諸団体の協力のもとに日中友好の重要性を県民にアピールしました。特に満蒙開拓平和記念館は4月オープン以来県内外から大きな反響を呼びました。また強制連行中国人殉難者の慰霊祭、村山元総理を招いての記念講演などにとりくみました。いずれも日中不再戦と平和を改めて誓い、村山談話の精神を確認する貴重な機会となりました。合わせて、河北省邢台市内丘県での緑化協力、スキー交流訪中団の派遣と白馬での中国女子ジャンプ訓練隊の受入れ、中国人留学生のホームステイ、大使館や留学生・帰国者を招いての日中友好スキー交流会、日中友好キャンプなど可能な限り交流活動を進めて参りました。

日本と中国は地理的、歴史的、文化的、経済的に切っても切れない関係にありますし、アジアと世界の安定と繁栄にも大きな責任を有しています。とするならば私たちは好き嫌いではなく、本気で中国と付き合うべきであります。両国政府指導者に対しても、また両国民に対しても強く訴えていきたいと思います。

本年もこの姿勢・方針で臨もうではありませんか。

 2013年1~12月

 2012年1~12月
 2011年1~12月
 2010年1~12月
 2009年1~12月