日本見聞録-白馬村スキー場訪問記

                                      首都体育学院スポーツメディア学部 尹鐘寧

2014年の春節、私はこれまでのように、北京の自宅にこもらず、日本の畳で暖かいコタツを囲んでいました。CCTVのお正月番組・春晩に変わり、ぜんぜん聞き取れないテレビ番組に釘付けになっていました。そうです、はじめて日本で春節を迎えたのです。

日本に来て1週間経つと、なんとなく日本の姿が見えるような気がしました。

1月27日、長野県日中友好協会の布施事務局長に、白馬村に案内していただき、日本北アルプスの美しさを肌で感じました。車で山に向かうと、映像でしか見たことのなかった真っ白な雪山が目の前に現れました。だんだん近づくに連れて、山が大きくなり、日の光を受けた雪の反射も強くなってきました。眺めていると、なぜか窒息しそうになりました。そして生まれて初めて正真正銘の雪山に登りました。頂まではゴンドラリフトで登りましたが、見下ろすと、人々の住んでいる市や町や村はこんなに小さく見えるのかと、印象的でした。山々に囲まれている街だということもよく分かりました。それに、富士山もかすかに見えました。距離が眺望にこんなに変化をもたらすなんて意外でした。その感じを言葉で表そうしましたが、ままならず、思わず厚い積雪に身を投げました。すると、最初は綿花にでも飛びかかったような、ふわふわとした感じに対して、着地は力強い腕にでも受け取られたような感じがして奇妙でした。

透き通って広がる青空、見渡す限りの白雪、ところどころに見えるグレーの岩石。物寂しさと峻厳な表情とともに、絶妙なコントラストを見せています。麓で眺めているときも、頂に立ったときも、窒息感がありました。いったい何がそう感じさせたのでしょうか。美しさ?それとも怖さでしょうか。

クロスカントリーのスキー場白馬スノーハープにも案内していただきました。ちょうど国内試合が行われ、選手でにぎわっていました。白馬村は1998年の長野冬季五輪の滑降とクロスカントリーとジャンプ競技の会場だったことで世界的に名が知られています。先に登った雪山は白馬八方スキー場で、滑降競技がおこなわれたところだそうです。積雪の時期が長く、量が多く、雪がやわらかいとされ、五輪誘致の成功につながったと紹介されました。日本では、スキー愛好者の聖地と大型試合の会場とみなされています。

幸いなことに、試合の主催者から、種目や会場などについていろいろ説明していただきました。さらに、「機密」になる技術室にも案内され、タイムの計測機器やスタッフの仕事ぶりを見学できました。スキーのゴールラインは、ひざ下から有効だということを知り、スケート選手が陸上競技と異なって足を先に突き出してラスト・スパートをかけるわけがやっと分かりました。一方、試合や生中継を順調に進めるために、放送のスタッフが準備作業に没頭し、アナウンサーが隅っこで原稿を一生懸命下読みしています。現場見学は、スポーツメディアを学んでいる私にとって、大きな収穫でした。

さらに、このスキーの里・白馬村を愛し、建設に貢献している人たちにも触れることができました。雪山やスキー場を案内してくださった大北日中友好協会の福島会長と大塚理事長は、この白馬村に住んでいます。帰りがけに、大塚理事長の家に招待されました。アルバムを出して、中国の国家女子ジャンプチームの隊員や観光客と一緒にとった写真を見せてくれ、熱心に紹介してくれました。20数年にわたって中国ジャンプ訓練隊を受け入れ世話をしてきたそうです。娘さんはスキーの選手で、今行われている試合にも出場しています。息子さんは村の職員でスキーセンターで手伝っています。家族ぐるみでスキー事業に携わっています。福島会長は白馬村の元村長でした。サングラスをかけていたものの、経験豊富な雰囲気が伝わってきます。現役時代、この広いスキー場を建設したこと、オリンピックを立派に成功させたことなどを、自慢げに教えてくれました。スキー場をこんなに美しく、こんなに力強く、こんなに整然と建設したことを、誇りに思っているに違いありません。自慢することは当たり前です。この話を聞いて頭を下げるのは、私だけではないでしょう。 (2014.4)