友好短信2011.1~12月


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北京放送局開局70周年を記念し大正琴訪中団文芸の夕べにゲスト出演(11/29)

 12月3日は中国国際放送局開局70周年に当たりました。これを記念して開かれた11月29日の記念文芸の夕べ(聯歓晩会)に長野県琴伝流大正琴メンバーが出演しました。

 篠原重夫代表はじめ選ばれた奏者11名は長野ラジオ孔子学堂の竹内勲学堂長ら5名とともに11月26~30日訪中。連日の特訓、2日間のリハーサルも元気に乗り越え本番を待ちました。会場は「国家話劇院」観客は6百余名、張り詰めた緊張感を持ちながらいよいよ出番です。漢詩「友有り遠方より来たる又楽しからずや」が朗々と読まれる中を入場、「溜陽河」「北国の春」「世界に一つだけの花」を演奏し、拍手喝采を受けました。この様子は中国中央電視台CCTVにも収録放映されました。

 中国国際放送局より長野孔子学堂に派遣された劉非さんは2年間、中国語講師や県内各地での講演などで活躍し、この度の訪中にも同行し大変お骨折りいただきました。

(篠原重夫代表)~琴伝流大正琴の北京放送開局70周年聯歓晩会出演は長いこと忘れていた感動を思い起こさせてくれました。出演してこその陶酔感であり、日本から世界に向かって第一歩を踏み出したという貴重な自信でした。劉非さんの理解と励ましに心から感謝したい。翌日、北京放送局の副局長の尹力先生が慰労会を開いていただきました。「皆さんの演奏は素晴らしい感動を与えてくれた。一生懸命の演奏は芸術だった」とお褒めをいただきました。

 なお12月3日には70周年記念式典が人民大会堂にて行われ西堀正司県日中理事長(長野ラジオ孔子学堂理事長)、西田節夫県北京放送を聞く会会長らも出席してこれを祝いました。
友好30周年記念し石家荘市代表団が来長(11/26~28)

 長野市との友好都市締結30周年を記念して、河北省・石家家荘市の王大軍副市長一行8人が11月26日、長野市を訪れました。

 代表団はJR長野駅コンコーンスでの歓迎式典に出席。経済団体との懇談や企業、善光寺、茶臼山動物園などを見学。27日はホテル国際21で長野市日中友好協会が歓迎会を開きました。

 これまで石家荘市を20回以上訪問している山根敏郎会長は「訪問を重ねるたびに友好の気持ちが高まり、石家荘市は第2の故郷。その繁栄はわが喜びとなりました」とあいさつ。フラダンスや女性会員たちの中国語のコーラスが披露されました。

 これに対し王団長は「北京オリンピックの聖火リレーでは長野の皆様にお世話になりました。今後もあらゆる分野で交流を図りましょう」と述べました。

 1981年に友好都市になった石家荘市は人口約1000万人の大都市。長野市側は来年4月、訪中団を派遣する予定です。
第15期日中関係を考える連続市民講座スタート(11/27)

 日中関係を考える連続市民講座の第15期講座が11月27日スタートしました。

 第1回はおなじみの塚瀬進先生(長野大学教授)の満州シリーズで「満州国における経済統制と在来社会」の講義がおこなわれ、受講者は熱心にメモを取りながら聞き入っていました。

 第15期講座は明年4月までの予定で県日中友好センターで行われます。県内で活躍している大学・短大の先生が中国に係わるさまざまなテーマで講義します。受講料(資料代)1回200円です。

 お誘いあってご参加ください。主催は県日中学術交流委員会、後援は県日中友好協会です。詳細はこちら。
満蒙開拓平和記念館建設実現に向けて県が支援を約束(11/23)

 飯田日中が中心となって進めてきた満蒙開拓平和記念館建設はここへ来て大きな前進を見ました。県が南信州広域連合とともに建設に必要な差額を助成する予算処置を講ずることが明らかになりました。総事業費1億3千万円のうち、寄付金で集まったのは4千万円あまりにとどまっていましたが、関係者の高齢化が進む中、早期着工が期待されていました。来春の着工を目指していきたいと意気込んでいます。
県日中女性委員会秋のバスツアー、後楽寮訪問し留学生と交流(11/22)

県女性委員会は恒例の秋のバスツアーを実施し、11月22日39名が日中友好会館・後楽寮を訪問しました。未明に飯山を出発したバスは長野・松本・諏訪と県内を高速道沿いにお仲間を加えながら、後楽寮を目指しました。

 予定時間の11時を若干遅れて友好会館に到着。村上理事長や王理事、鈴木常勤参与をはじめ、中国留学生の寮委員会メンバーが出迎えていただき歓迎対面式が行われました。村上理事長が「20年余にわたり800名もの後楽寮の留学生が長野県にホームステイでお世話になってきました。東大・早稲田大などで学ぶ学生たちは、ほとんど大学と寮の生活なので、ホームステイで初めて日本の文化に触れることができます。皆さんのお越しを心より歓迎します」とあいさつ。和やかな懐かしい雰囲気で交流が始まりました。清朝時代に近代日本を範にしようと留学生派遣がスタートし留学生寮の役割を担って善隣会館が建設され、日中友好会館・後楽寮として引き継がれている歴史を鈴木さんから紹介いただいた後、寮委員会の活動の様子を留学生の代表からご紹介いただきました。

 続いて友好会館とその付属施設である後楽賓館、後楽寮、日中学院などを案内いただきました。会館創立に尽力いただいた廖承志先生と古井喜実先生の像の前で記念写真に納まりました。展示ホールや会議室、食堂レストラン等の施設を参観、後楽賓館のスイートルームからは隣接する小石川後楽園や東京ドームが眼下に見渡すことができロケーションの良さに感心しました。留学生の部屋は2人部屋で勉学しやすい作りになっていました。皆さん良く勉強されるそうです。参観が終わると歓迎昼食会が準備されていて留学生とともに食堂でいただきました。通常の食事内容に+アルファーとのことでしたが、とても美味しくて皆さんから好評でした。後楽寮の玄関で全員揃って記念撮影し、再会を約してお別れしました。

 鈴木さんには、お隣の小石川後楽園や中国文化センターの手配ご案内もしていただきました。後楽園は徳川光圀ゆかりの庭園で明末の有名な儒学者朱舜水との縁も深いとお聞きし親しみを覚えました。文化センターの絵画展「北京の街角」も興味深く鑑賞しました。昼食会や庭園の入場料を全て負担いただき感謝に耐えません。「中国留学生ホームステイで皆さんを歓迎しお返ししたい」帰りのバスの中での感想が聞かれました。

飯田で帰国者支援のシンポジウム(11/18)

 飯田日中は11月18日、飯田中国帰国者支援への理解を深めるためのシンポジウムを開催し、飯田下伊那地域に暮らす1240人あまりの帰国者が新支援法のもと幸せな老後を暮らせるようにしていくための課題は何かを話し合いました。

阿部知事が北京で観光PR(11/5~9)

11月5日から9日まで、阿部守一長野県知事が北京市を訪れ、長野県観光を中心としたトップセールス「長野県観光プロモーション」を実施しました。民間観光事業者・自治体首長ら50人が訪中。県日中友好協会からは、夏目潔副会長、西堀正司理事長が参加、中国政府機関との日程調整などに協力しました。

 県観光部国際課によると、「大きな成果を上げることができました」とのこと。観光プロモーションの概要は次のとおりです。
①長野県観光のPR/杜江国家旅游局副局長と懇談、現地旅行社との商談会の開催
②学習(修学)旅行誘致/鄭萼北京市教育員会副主任と懇談、北京市第80中学訪問
③県産品のPR/イトーヨーカ堂、イオン(ジャスコ)、丸紅北京訪問
④中国政府要人との会見/井頓泉中日友好協会副会長と人民大会堂で会見、肖天国家体育総局副局長・趙英剛中国滑雪協会副主席と会見

 「北京市における観光プロモーションは初の試みでしたが、知事が自ら北京市を訪問することで、中国からの観光客誘致が促進されるとともに、これまで貴協会と中国滑雪協会との間で築いてこられた、スキー交流が一段と深まり、また、長野県と北京市の学校間交流の扉が新たに開かれることが期待されます。長野県ではこれからも、このようなプロモーションを中国で展開して参りますので、今後とも貴協会のご支援を賜りたくお願いいたします」(長野県観光部国際課)

河北省農業実習生6.5か月の研修終え、修了式に出席(10/27)

 県と友好提携している中国河北省から県内に訪れている農業技能実習生の修了式が10月27日長野市内のホテルサンパルテ山王で開かれました。実習生の受入は今年で30年目。受入農家や出席した農業関係者は、実習生との交流や時代の変化を振り返っていました。

 受入は、県や県農協グループ、県日中友好協会などによる実施委員会(会長/小松正俊・JA長野中央会専務)の主催。友好の機運が高まった1982年に始まり、県内各地の農家が毎年約10人を受け入れてきました。友好提携は83年に締結。現在までに約300人が県内の農家で学んでいます。
近年は南佐久地方の高原野菜農家が主に受け入れています。

 本年度は、南牧村で高原野菜を作る4農家が計9人を受け入れました。いずれも現地の地方政府から推薦を受けた農業技術員。1人ずつ修了証を受け取り、劉孟龍さん(22)が9人を代表し「有名な高原野菜の産地で楽しく研修でき、良かった」と日本語であいさつしました。

 同省石家荘市の研究所で穀物の品種改良などに携わる劉さんは式の後、「機械化や品質確保の取り組みが勉強になった。故郷で生かしたい」。早くから受け入れてきた原寛さん(71)は「中国の農業も30年前と比べ技術水準が上がったが、まだまだ学ぶことがあると聞く。協力していきたい」と話していました。
北京市友好協会代表団が来訪、交流深める(10/25)

 張賽娜(チョウ・サイナ)副会長を団長とする北京市友好協会代表団一行3名が10月25~26日来県しました。県表敬、山ノ内町表敬と志賀高原遊覧、県日中友好協会との歓迎交流会、長野放送と上田女子短大訪問など関係者との交流を深めました。

 県では野池明登・観光部長の歓迎を受け、11月の阿部知事の北京市訪問や教育旅行での青少年受入れなどが話題となりました。部長は北京市から大勢の観光客が長野を訪問してくださいとPRしていました。山ノ内町では竹節義孝町長の出迎え歓迎を受け、近く友好提携している北京市密雲県を訪問すること、日本でも有名なスキーと温泉の町の魅力が紹介されました。庁舎入口には友好提携を記念して植えられたりんごが真っ赤な実をつけており、一緒に記念写真に納まりました。

 夜の歓迎交流会には、井出正一会長や塩沢荘吉・県芸術文化協会会長はじめ協会役員が出席し来年日中国交正常化40周年に向けての交流について語り合い大いに盛り上がりました。張団長は、「長野訪問は初めてですが、中国でお会いした友人とも再会でき、我が家に帰ったような親しみを感じます。これを契機に一層交流を深めていきたい」と語りました。同行した馬恵麗さんは、北京オリンピック聖火リレーで長野の皆さんに大変お世話になりましたと語り関係者との再会を喜んでいました。

 北京市友好協会は首都北京市の対外友好交流に大きな役割を発揮して来ました。県協会も訪中団派遣など大変お世話になり、長らく親しく友好的なお付き合いをしてきました。県内でも伊那市が北京市通州区と、山ノ内町が北京市密雲県と友好関係を持っています。また長野放送と上田女子短大が早くから友好交流をすすめてきました。
辛亥革命100周年講演と記念のつどい開催、宮本前大使が講演(10/24)

 長野県日中友好協会・県日中経済交流促進協議会・県日中学術交流委員会は10月24日、辛亥革命100周年にあたり講演と記念のつどいを長野市内のホテル犀北館で開きました。講演会には、180名が出席。前駐中国大使の宮本雄二先生が「これから、中国とどう付き合うか」と題して記念講演しました。講演終了後、先生を囲んでのパネルディスカッションと記念パーティーがおこなわれました。日中関係の未来を展望し友好の意義を再確認できた有意義な1日となりました。

 上条宏之・県日中学術交流委員会副会長の開会のあいさつに続き、井出正一・県日中友好協会会長が主催者を代表して「日中両国は、アジアと世界の平和と繁栄に責任を負っている。互いに多くの解決しなければならない課題を抱えており、互いに争ってはいられない。相互補完の関係にあることを自覚し、共存共栄、、共進が必要であり、そうできる。戦略的互恵関係をうたった共同声明は日中両国の進むべき道を示している。尖閣問題等を見ると両国関係はまだもろい面もある。民間交流の大切さを実感した。みんなで力を合わせて友好発展のために尽力したい。宮本前大使の貴重な体験をお話いただきこれから中国とどう付き合うかを考えていきたい」とあいさつしました。

 宮本先生はまず、「中国と良好な関係を築くことは国益に直結する。長野県日中友好協会が立派な活動をされ、友好に尽力されていることは心強い」と県協会を激励しました。続いて、辛亥革命にふれ、「辛亥革命は西欧列強に圧迫されるなかで、2千数百年続いた強固な封建社会の統治の仕組みを変えた国民革命であり、歴史上大きな意義を持つ。孫文を支援した明治の先覚者は心の通う同志的交友関係があった」と述べました。
 先生は「これから中国とどう付き合うか」に話を進め、①世界の基本的趨勢と日中関係、②中国の現状をどう見るか、③日中戦略的互恵関係の世界、を具体的事例を交え分かりやすく明快に語りました。

①世界の基本的趨勢と日中関係
 中国共産党の文献を読むと、必ず大きなところから入って細部にいたるという思考方法を貫いている。この思考方法を取り入れてまず世界の基本的趨勢を押さえておきたい。現在世界は曲がり角に来ている。アメリカ式資本主義がリーマンショックにより行き詰まり、市場の巨大化で活路を見出そうとしたEUも危機を迎えている。新興国もチャレンジを受けているが、世界経済の中の比重が高まった。中国・インド・ブラジルも経済のグローバル化・開かれた経済から利益を得た。従ってこれら新興国はこの仕組みを壊すことはしないだろう。修正は必要だが現在の仕組みから利益を得ているのでこれを尊重して行くだろう。技術革新・グローバル化・相互依存は益々進むだろう。一方、軍事安全保障面から見ると、相手に対する猜疑心、最悪の事態に備えるという基本的位置づけは変わらない。日中間に横たわるこの2つの矛盾を政治的にどう調整するか。隣国同士は仲が悪い。独仏は500年間戦争を続けようやく仲直りした。日中間は近いから仔細が分かってしまう。両国が仲悪くなったり対立したりする事例は事欠かない。不安定要因はあるが、大きな視点で日中関係を前進させていく必要がある。

②中国の現状をどう見るか
 中国は、中国共産党の(国民党の弾圧下で育まれた)秘密主義と社会の急速な変化、多様化によって分かりにくいところがある。改革開放政策は大きな成功を収めた。成功は新たな問題を生み出している。1つの踊り場に来ている。中国社会は大きく変質し、経済活動の飛躍的拡大、生活空間の拡大が進んだ。2008年には23%が大学に進み、インターネット人口は5億人に達し、市民が自分で判断できる状況となった。価値観が多様化し、幸福感が1人1人違ってきた。全員を満足させることはむずかしい。格差と腐敗の問題も深刻だ。科挙制度の伝統があった中国では地方知事を務めれば3代の富ができるといわれていた。鄧小平が江沢民に3つの提起をしたといわれている。1つは軍の掌握、2つは党の分裂を避ける、3つは腐敗・汚職は民の心が去る。これから分かるように腐敗の問題はかなり重視されている。
 中国はたくさんの問題を抱えているが中国は倒れない。次々と問題は起こるが問題の60~70%は解決してきた。中国共産党の統治能力が高いことを示している。たとえば不動産バブルに対しては今年だけで低所得者向けに1000万戸の公団住宅を作っている。更に3000万戸を計画している。中国に経済発展をもたらし、良くここまでやった、中国共産党を評価すべきと思う。しかし、問題は深刻化している。今社会の安定が強調されている。100人以上のデモが年間8万件おきているとの中国の公式発表がある。日本だったらたとえ10分の1であっても大変なことだ。判断基準が日本とは違う。

③日中戦略的互恵関係の世界
 日中がともに世界の中で大国となり影響力の強い国となった。歴史的に見ると、かつて中国は長く世界の大国であった。明治以降日本が勃興し、中国が没落した。現在、地球規模で見て、日中は世界のなかでGDP第2位と第3位の国となり、世界に対する責任は大変大きくなった。戦略的互恵関係にありけんかばかりしていることは許されない立場にある。毛沢東時代は世界に対して敵対的だった。改革開放の時代は世界の中に組み込んで行くことこそ必要だ。かつて天安門事件が起こったとき欧米は中国を非難したが、日本は改革開放勢力を支援した。日中両国は相互補完の関係にあり、よい経済協力関係をつくるのは日本の国益でもある。
 中国の発展に伴い中国は大国になったのだから、もっと自分の主張をしてもよいのではないかと思う人が増えている。アメリカはイラクに戦争を仕掛けた、アメリカに包囲されているという猜疑心がある。また歴史的な屈辱を忘れないという愛国主義教育は現在の指導部に跳ね返ってきて、柔軟な外交のかせになることもある。改革開放の道筋を指し示した鄧小平理論も腐敗に対処する具体的処方は残していない。時代の要請にあった中国独自の価値観を打ち立て世界に表明しなければならない。
 日中関係は経済分野における戦略的互恵関係と一方における軍事安全保障問題これをどのようにバランスをとりうまく処理して行くかが課題となっている。日本は平和国家として生まれ変わった。より多くの国民同士が接触して相互信頼を育むことが最も大切だと思う。交流を強化して、相互不信の状況を突破していかねばならない。軍事安全保障の専門家の観点から見ると米中はいずれ衝突するといい、経済の専門家は協力以外に道はないという。この両者のバランスが大切だ。安定した状況を作ること。軍事交流が大切で、軍事的透明性を高めることが必要だ。軍事安全保障の観点すなわち最悪の状況に備えるという、この世界に引き込まれている。軍人同士が相互訪問し率直に言い合うことが必要だ。

◎講演後に、宮本先生を囲んで西堀正司・県日中友好協会理事長の司会でパネルディスカッションが行われました。
 
 県日中学術交流委員会会長の山沢清人・信州大学学長は「信州大学に留学した人たちが中国へ帰国してから同窓会を作って北京で40人、上海でも30人が集まったといった話も聞く。日本の学生も中国に派遣していきたい。中国留学生の意識や意欲は高い。中国から学んでくることはたくさんある」と述べました。
 宮本先生も、「地方交流が日中関係を底ざさえしている。信大医学部の留学生が河北医科大学をリードしているという話を聞いた。これからの交流は科学技術重視だ。中国では大学の統合を数年前に行って巨大化している。地域連合を組んで地方交流をすすめていただきたい。留学生の相互交流は大変大切。留学生は国を代表することになる。留学生を大事にして返すこと。彼らは日中の架け橋になる。日本政府ももっと留学生交換事業を支援すべきだ。

 桜井佐七・県日中経済交流促進協議会理事は「中国が好きで、文革中から中国を訪問している。万博中国館の清明上河之図のコンピューターグラフィックも見に行った。大変素晴らしかった。新幹線に乗って西湖も訪問してかえったところで温州の高速鉄道事故処理問題が起こった。中国の軍事大国化や人権軽視の事故処理についてどう考えたらよいか」と語りました。
 宮本先生は「中国で基本となる価値観が揺らいでいる。根本的なところを打ち立てられていないところに欧米の物質主義的な新しいものがどんどん入ってきている。中国の人権・民主主義を考える場合、易姓革命の伝統がある国なので天命すなわち民の声に従ってやることだと思う。社会の格差については熾烈な論争があり左右から批判が起こっている。民衆の意識も高まっている。人民の人民による人民のための政治ということに尽きると思う。
軍事大国化についていうと航空母艦を大国は大国として持つべきという庶民の声もある。何のための軍事大国化か、まだ我々に明らかにしていない。この辺が問題と思う」と語りました。

 会場からも原発、アジア経済の一体化、アニメなどの日本文化などに対する中国での受けとめ方などの質問が出されました。「中国ではエネルギー効率がまだまだ悪い。経済成長が共産党の統治の正当性を保障している中で、原発は電力確保の上で必要としている。アジアの経済一体化については50%はアジア域内の貿易が占めている現実があり、今後もその傾向を強めて行くことになるだろう。外来文化への対応としては党が全てを手のひらの上でやらせようとするがこれはだんだん難しくなっている。知的財産権の保護の問題もある」などと答えました。
 
 第2部の祝賀パーティーでは、井出会長のあいさつに続き、村石正郎・県会議長、王昌勝・県華僑総会会から祝辞をいただいた後、若林健太・参議院議員の音頭で乾杯しました。また、今井正子・県議、劉非・北京放送局日本語部副部長らからスピーチをいただきました。会場では和やかな交流が行なわれました。最後に佐々木治夫・県医師会副会長の音頭で日中友好万歳で締めくくりました。小坂憲次・吉田博美・参議院議員(代)、塚田剛義・県信用保証協会常勤理事、和田明・県中小企業団体中央会総務部長、竹之内健次・部落解放同盟県連委員長、三浦義正・信州大学理事、鈴木隆・同、酒井康成・松本歯科大学法人室主任など各界来賓が出席されました。講演会には、浅井秋彦・県国際課長、小松正俊・JA長野中央会専務、埋橋茂人・JA全農県本部長、木藤暢夫・県商工会議所常務理事、高橋博久・県平和人権環境労組会議議長、小沢明・県国際交流推進協会事務局長らも出席されました。
*宮本先生の発言についての文責は編集部にあります。
中国ジャンプ訓練隊白馬で訓練(10/16~30)

 安林彬・中国スキー協会副秘書長を団長とする中国ナショナルチームジャンプ訓練隊一行14名と吉林省通化市コンバインドスキー訓練隊一行5名の歓迎会が10月18日長野市内のホテルサンパルテ山王において開催されました。

 県日中スキー交流委員会を代表して児玉幹夫・県スキー連盟会長が一行の来県を歓迎し、「アジアのスキー振興のために日中スキー関係者が協力して努力していきたい、訓練の成果を期待する」と述べました。安団長は、「1980年以降30余年にわたり長野県のスキー関係者が中国スキーの発展に並々ならぬ支援をしていただいたことに深く感謝したい」と述べ、ソチで開かれる冬季オリンピックに向け選手強化を素晴らしい白馬オリンピックジャンプ台で訓練できることに謝意を表しました。また女子のジャンプ選手の育成なども重点課題としていることが紹介されました。県スポーツ課や白馬村、県日中友好協会関係者らが出席して交流を深めました。

 一行は、歓迎会に先立ち県教育委員会を表敬しました。スキー交流の伝統を活かし今後裾野を広げて中国からのスキー観光客にもに大勢来ていただきたいとの知事のメッセージが渡されました。

 ナショナルチームは10月16日から30日まで白馬で訓練しました。また吉林省の通化市5名が9月23日~11月中旬、吉林市のコンバインドスキー訓練隊6名が10月26日から11月それぞれ白馬で訓練を行っています。
半田孝淳先生から半田孝海初代会長の貴重な資料を提供いただく(10/11)

 長野県日中友好協会の初代会長の半田孝海先生(善光寺大勧進大僧正)が先頭に立って、戦争中県内の平岡や木曽谷に強制連行されダム建設工事に従事させられ殉難された240名余の遺骨収集・慰霊・遺骨送還の事業に関係者とともに尽力されたことは、友好協会会員のみならず多くの県民の知るところです。半田先生は1957年9月と1963年11月一部遺骨を携え訪中し周恩来総理とも会見しています。

 このほど、半田孝淳先生(半田初代会長のご子息で、比叡山延暦寺座主大僧正、県協会の最高顧問)から1957年5月半田孝海会長が、長野県中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会委員長として中国紅十字会宛に殉難烈士・呉栄海氏の遺骨に添えて送った手紙の写しをいただきました。

 天津市烈士陵園の中にある在日殉難烈士・労工紀念館のなかに実物の手紙は展示されていましたが、本年9月日中友好宗教者懇話会訪中団の一員として訪中された、中尊寺貫首の山田俊和・宗教者懇話会理事長がこれを写真に収め半田先生にお送りいただいたものでした。

 半田会長の精魂を傾けられた日中不再戦、平和友好の願いと実践の一端が、明年の日中国交正常化40周年を前にして私達の目の前に現れたことは、重要な啓示に思えます。半田孝淳先生もまた日本の仏教界の最高指導者のお立場にあって、父君の思いを継いで日中の永久の友好平和の思いを熱く語られ私達を激励くださいました。心から感謝申し上げます。
松本日中創立30周年を祝う~受け継ぐ友好の精神(10/1)

 松本日中友好協会(相澤孝夫会長)は10月1日、松本市内のホテルブエナビスタで創立30周年の記念式典を開きました。90人が出席し、30年間の活動を振り返り節目の年を祝いました。
 来賓には張成慶・駐日中国大使館参事官、松本市と友好都市の河北省廊坊市の饒貴華・副市長らのほか、(社)日中友好協会の村岡久平理事長、長野県日中友好協会の井出正一会長らが出席しました。
 松本日中は1954年に誕生した日中友好協会松本支部が前身。中国との国交がなく、交流もなかった当時に12~13人での活動からはじめ、1981年に松本日中友好協会として新たなスタートを切りました。
 相澤会長は、山あり谷ありの30年の歩みを振り返り、「民間団体の特徴を生かして日中両国の絆を強める活動をしてきた。今後も新しい友好の歴史を書き加えて行きたい」とあいさつ。張参事官は「創立以来さまざまな中日友好の活動をし、相互理解のために大きな役割を果たしてきた。努力し続ければ友好協力の未来は美しいと確信している」と祝福しました。井出県日中会長は、昨年日中関係がギクシャクした中にも、全国の協会会員ら1000人以上の規模で訪中したことを紹介。設立時から今に続く日中友好の精神に触れ、松本日中の更なる活躍への期待を示しました。村岡理事長は新会旗を贈呈し、激励しました。席上、25年以上の継続会員や功労役員の表彰も行われました。また、協会の歩みや交流事業、各界からのメッセージなどを紹介した記念誌が配布されました。
第24回日中友好武術太極拳フェスティバル、1200人が発表(9/25)

 県武術太極拳連盟は9月25日、第24回県日中友好武術太極拳フェスティバルを長野市若里のビッグハットで開きました。県内30団体から約1200人が参加し、日々の練習の成果を発表しました。

 古平幸司会長のあいさつに続いて、西堀正司県日中友好協会理事長が太極拳の普及と発展のために一層の努力を望むとともに日中友好への協力をお願いし大震災以来の暗雲を吹き飛ばす意気込みで発表してほしいと激励しました。

 1200人が広い会場を埋め尽くしての簡化24式太極拳の全体演武は壮観な眺めでした。十数人のグループから200人を超える大所帯までさまざまな団体が参加。それぞれ習熟度にあわせた「型」を披露しました。参加者は手足の先まで意識を集中させ、ゆっくりとした動きの中にも緊張感が漂っていました。
 
 中国全国大学生武術選手権大会において蟷螂拳1位、双刀2位、長拳3位の実績を持つ楊紹斌氏を招き、最高峰の武術表演も行われ好評でした。

 9時からスタートした表演が全て終了したのは午後4時でした。応援の家族皆さんがビデオに収める姿も見受けられ会場は和気藹々とした雰囲気に満ちていました。
第29回長野県中国語スピーチコンテスト、16名が出場(9/23)

 第29回中国語スピーチコンテスト長野県大会が9月23日長野市の信濃教育会館で開かれました。

 主催者を代表して竹内勲・実行委員長(長野県日中友好協会ラジオ孔子学堂長)が「中国の発展とともに中国語は益々重要性を増している。本大会を契機に中国語学習の波が一段と広がって行くことを期待しています。日ごろの学習の成果を存分に活かしてほしい」とあいさつしました。来賓として、西堀正司県日中理事長と謝宏宇中国国際放送局東京支局長が出場者を激励しました。

 県内で中国語を学ぶ学生や主婦、会社員ら16人が出場し入門、初級、中級の3部門で表現力や発音の正確さを競いました。入門と初級の部は与えられた課題文、中級の部は自作文を発表しました。岩下隆審査委員長をはじめとした大学講師ら5人の審査員が厳正公平な審査を行いました。

 「ウサギと亀」の課題文に挑んだ伊那の北原佳世子さんや「のこぎりはいかに発明されたか」を取り上げた藤田和子さんは紙芝居やイラストなどを用意しながらの熱演で注目を集めました。

 中級の部で優勝した大日方慶樹君は中学1年生で昨年に続いての出場でした。「大地震が教えてくれたもの」と題し、世界の人々が思いやりの心を持って理解しあい協力してつらいことを乗り切っていける社会を創るために働きたいと訴えました。堂々とした発表に大きな拍手が寄せられました。来年1月に東京で開かれる全国大会への出場を決めた大日方君は、優勝を目指したいと意気込んでいました。

 入賞者は次の通りです。入門の部①和田由美子、②峰村好恵、③北原佳世子。初級の部①藤田和子。中級の部①大日方慶樹、②藤沢淳一。ほかに努力賞:岡村衣莉、敢闘賞:池田菜美紀、奨励賞:土屋沙也香。(敬称略)
于再清・IOC副会長が来県(8/31~9/1)

 国際オリンピック委員会(IOC)の于再清副会長(中国国家体育総局副局長)が8月31日、県日中スキー交流委員会(県日中友好協会・県スキー連盟など)の招きで来県し、県庁に加藤さゆり副知事を訪問しました。于副会長は長野県と中国のスキー交流に尽力するなど長野県と縁が深く、1998年の長野冬季五輪招致にも協力。「次は長野で冬季アジア大会の開催を考えてみては」との提案もされました。

 于副会長は都内で開かれた会議に出席するため来日し、村岡久平・(社)日中友好協会全国理事長の案内で、長くかかわりのある長野県に足を延ばしました。県日中スキー交流委員会が1981年から続ける中国からのスキー研修団受け入れ事業の橋渡しをされ、加藤副知事に「中国の選手のほとんどが長野でスキーやスケートの訓練をし、ナショナルチームの選手になった」と感謝の言葉を述べました。日本への留学経験もあり、日本語は堪能。長野県に多くの友人がおり、「長野のことなら何でも協力します」と語っていました。

 長野市内のホテル犀北館で開かれた歓迎交流会には、山口利幸・県教育長、井出正一・県日中友好協会会長、児玉幹夫・県スキー連盟会長、塚田佐・前長野市長、竹節義孝・山ノ内町長、堀内征治・長野市教育長、福島総一郎・白馬村教育長、原一樹・県スポーツ課長、町田曉世・県体育協会事務局長、西堀正司・県日中友好協会理事長ら古くからの友人が出席し、思い出や今後の日中スキー・スポーツ交流、オリンピック談義に花が咲きました。
第38回日中友好中国語夏期スクーリングが志賀高原で開催(8/26~28)

 恒例の日中友好中国語夏期スクーリングが8月26日から28日志賀高原で開催されました。涼しい快適な環境の中で、30名あまりの参加者は初級・中級・上級クラスに別れ、中国人ベテラン教師の指導のもと2泊3日の中国語徹底学習に励みました。

 開校式で竹内勲・孔子学堂長は「中国の発展とともに中国語の重要性が高まっている。言葉は友好と文化の架け橋。貴重な機会をフルに活かして中国語をより深くマスターし友好に実践に役立てていきましょう」とあいさつしました。

 各クラスでは教師の事前に準備した教材を使って発音・会話・文法・漢詩など熱心に学ぶ姿が見受けられました。夜の交流懇親会では日本の歌、中国の歌が次々に披露され盛り上がりました。朝はラジオ体操、太極拳に汗を流し、気持ちを入れ替えて再び特訓が始まりました。中国国際放送局東京支局の謝宏宇支局長も多忙の中駆けつけ激励していただきました。

 参加者は、日ごろの学習では体得できなかった発音や学習のコツなどが理解でき大変有意義だったと喜んでいました。また京都や群馬県など県外から参加していただいた方は、来年も是非参加したいと語っていました。


『人民中国』読者会が誕生(8/12)

 長野県『人民中国』読者会の設立総会が8月8月12日、『人民中国』愛読者ら30名が出席して長野市内のホテルサンパルテ山王で開かれました。呼びかけ人を代表して福沢宏夫氏(県日中友好協会副会長)が会設立の趣旨と経過に触れ、「定例読書会を核に中国理解を深め、『人民中国』の普及をはかり、友好に資して行きたい」とあいさつしました。規約や活動方針・予算を承認した後、新役員を選出しました。主な役員は次のとおりです。顧問/井出正一、名誉会長/山根敏郎、会長/福沢宏夫、副会長/西堀正司・北島良一、事務局長/峰村洋。

 人民中国雑誌社東京支局から賈秋雅支局長と單濤記者も参加いただき、賈支局長には「中国の今を伝える『人民中国』」と題して記念講演をしていただきました。懇親交流会では、打ち解けた有意義な交流ができました。峰村洋事務局長は「現在長野県内の購読者は数百人ですが、この輪を広めていきたい。第1回の定例読書会は9月12日午後1:30から県日中友好協会教室で7月号の中国共産党成立90周年をテーマに取り上げます。一般の方の参加も大歓迎です」と語っていました。

  『人民中国』は中国発行の日本語の月刊総合雑誌として、特集・ルポ・文芸読物・評論などグラビアを多く取り入れたわかりやすい文章で書かれ、人々に愛読されています。なお、読者会の年会費は1000円、定例読書会は参加費無料です。

日中学術交流委員会2011年度総会開催(8/10)

 長野県日中学術交流委員会(山沢清人会長)は8月10日、長野市のホテル・サンパルテ山王において2011年度総会を開きました。信州大学や長野大学、県短期大学、上田女子短大など中国との学術協定や学術交流、留学生受け入れなどの現状なども報告され、引き続き日中学術交流を促進していくことを決めました。また、第15期を迎える日中関係を考える連続市民講座や辛亥革命百周年記念日中関係を考えるシンポジウムなどに取り組むことが決定されました。

 山沢会長は、「3.11以降日本は国難を迎えている。労働力の減少などの現実にも向き合っていかなければならない。中国との連携協力は重要で、国家経営の視点など学ぶべき点も多い。留学生を引き受けるだけでなくこちらからも派遣し学ぶ必要性を感じている」と述べ、若い世代の人材の養成を日中学術交流の中で積極的にすすめていきたいとの意向を示しました。上条裕之県短大学長も「日本は歴史的な転換期を迎えている。中国は日本の前途にとって避けて通れない重要な隣人、中国との学生交流・研究者の交流などすすめていきたい」と述べました。

 総会終了後、長野滞在中の中国国際放送局日本語部副部長の劉非さんが「辛亥革命100周年-孫文と日本」と題して記念講演しました。孫文の活躍を支えた宮崎 滔天(みとうてん)や梅屋庄吉の事跡を詳しく紹介し出席者に感銘を与えました。
長野びんずる「日中友好連」60名で参加(8/6)

 第41回長野びんずる祭りが8月6日長野市の中心街でおこなわれ、長野市日中友好協会は「日中友好連」を組んで60人で参加、1万5千人の踊り手とともに中央通りを進みました。日中友好の提燈を先頭に、友好協会会員や帰国者、研修生などきいろの友好法被をまとってシャモジを打ち鳴らしながら熱心に踊りました。

 出し車の中国風の飾りは見物客の目を引き注目されていました。汗だくになりながらも、元気いっぱい、エネルギーを発散させて「本当に楽しかった」と皆さんの感想でした。


仙台の被災地を訪ねて(8/1~2)

 東日本大震災以来、一度は現地を訪れ、現地の人から話を聴き、被害の様子を目に焼き付けておきたい、そんな思いをもって義援金活動などに取り組んできたが、このほど、宮城県日中友好協会の本郷事務局長さんから再三声をかけていただき、8月1~2日ついに仙台市を訪問することができた。私のほか、長野市滞在中の中国国際放送局日本語部の劉非さん、長野ラジオ孔子学堂の安芸事務局長と茂木さんの4人は8月1日早朝6時30分長野を出発して車で仙台市に向かった。470キロの道のりを走破して宮城県日中の事務所にたどり着いたのは約束の午後2時より15分前だった。途中、新潟の三条市や阿賀野川の水害被害も目にした。また福島県を通過するときは、原発被害の悲惨さや恐ろしさを肌で感じながら、一時も早い事故終息を願わずにはおれなかった。

 宮城県日中の事務所は良く知られた青葉城ゆかりの青葉区の一角にあった。蘓武多四郎理事長、本郷祐子事務局長そして役員の武智さん、金井さんらが出迎えてくれた。事務所は狭いが活動的な親しみあふれる感じを受けた。定期総会直後の大変お忙しい中にもかかわらず、わざわざ参集され、貴重なお話をお聞かせくださった。揺れのものすごさ、余震の頻発、若林区や石巻市、女川町の被害の深刻さ、会員の中にもなくなった方がおられたり被災された方もいて、留学生と一緒に支援活動に参加したりといった、尋常ならざる3月11日以降の様子をお聞きした。1時間があっという間に過ぎた。河北日報が発行した記録集『巨大津波が襲った』を1冊ずついただいた。大写しになった被災直後の写真を見てテレビで釘付けになった画面がフラッシュバックしてくる。当方も長野県日中友好協会からのお見舞金と記念品をお渡しした。

 2台の車が用意されていて若林区荒浜にご案内いただいた。甚大な被害をこうむった若林区の被災地は悲しみに沈んでいた。住宅団地跡は土台だけが延々と残っていて、古代の遺跡にたたずんでいるような錯覚に襲われた。木造家屋はことごとく破壊され押し流され全く痕跡をとどめない。津波の猛威の爪あとはコンクリート製の家が傾いたまま隣のコンクリートの建物に押し付けられていたり、深くえぐられた土台、ぐしゃっと押しつぶされた車に見ることができる。防潮林の中空に壁がへばりついている様を観て津波の高さを想像することができた。遠く高速道路が見えたが、高速道路の内と外で運命が分かれたのだという。(1000年ほど前にもこの地を襲った津波の痕跡からみて高速道に多くの人の命が救われたという。)この地区だけでも200名を越える人々が亡くなったという。むき出しのコンクリートの土台の片隅に小さな生花が手向けられていた。例年海水浴でにぎわう浜辺は点在するゴミと誰もいない砂浜で静かに悲しみの波が打ち寄せていた。心から犠牲になられた方々のご冥福を祈り、また被災地の復興を願わずにはいられなかった。

 翌日松島を訪れた。点在する数多くの島が津波の勢いを弱め、被害が少なかったという。観光客の姿も散見され、少しほっとした。もちろん海沿いのみやげもの屋さんやホテルにも人の背丈ほどの津波が押し寄せ、厚いガラスを破壊したのだという。被害を受けたホテルは一階部分全面改装中であった。

宮城県日中の皆様には現地にご案内いただいただけでなく、思いもかけず、歓迎夕食会まで開いていただき友好のお仲間のあたたかさを実感させていただいた。また念願かない魯迅記念碑に花を手向けお参りできたことも良い記念になった。

 仙台はさすが100万都市、被災地区を除けば、杜の都に恥じない立派なたたずまいで伊達政宗にしても林子平にしても魯迅にしてもその地にしっかりと馴染んで私達を迎えてくれた。東北の要・仙台宮城の復興を確信しながら帰路についた。行く前は大変遠く感じられた470キロの道のりも、帰りは近くに感じられた。「本当にお世話になりました。皆様も長野にお越しください。長野にも素晴らしいところがたくさんありますのでご案内させていただきます」礼状を書きながら、お世話になった皆様や情景が脳裏に浮かんでくる。
(布施記)

東京の中国留学生20人が信州でホームステイ(7/26~28)

 県日中友好協会は毎年(財)日中友好会館・後楽寮が派遣する中国留学生を2泊3日のホームステイで受け入れています。今年は、大震災で2ヶ月ほど帰国していた留学生が多かったため講義やレポート提出に追われ参加者は20人でしたが、7月26日から28日まで14地区協会で受け入れました。

 26日長野駅に降り立った8名の留学生は、西堀理事長はじめ18名の皆さんの出迎えをうけました。長野オリンピックエンブレムの前で、対面式を行い受け入れホスト家庭の皆さんと握手しながらお互いに紹介しあいました。全員で記念撮影した後、各地に出発して行きました。市町村長さん表敬懇談、歓迎会、地域の名所や産業施設、ホスト家庭での語らいなど有意義な3日間を過ごし、再び長野駅に参集した皆さん本当にニコニコと打ち解けて楽しそうでした。

 長野滞在中の中国国際放送局日本語部の劉非さんに短い時間で留学生の皆さんに感想を聞いていただきました。

〇野沢温泉村にホームステイした早稲田大学の劉剛峰さんと東京大学の姜凱さんは二日間笹岡洋一様のおうちで美味しい日本料理を賞味し、暖かい温泉につかって、マレットゴルフを体験して楽しい時間を過ごしました。東京に戻る日には野沢温泉の「湯」文字のTシャツを着ており、「ホスト家庭の手厚いもてなしが忘れがたい」と感想を述べました。

〇上智大学に留学している慕小武さんは今回飯綱町の鈴木和彦様のおうちにホームステイしました。中国河南省の出身ですが日本料理に対しては全然抵抗なく美味しく食べたそうです。また、鈴木さん一家のご案内で北沢美術館や小林一茶記念館など文化のゆかりのあるところのほか、リンゴ園などの農場やスキー場も見学しました。「とても楽しい時間を過ごした」と言いました。

〇28才のヌルグリエリさんはウイグル族の女性で、今東京医科大に留学しています。今回は千曲市の島田孝子様のお宅でホームステイしました。彼女も日本料理が大好きで、「とても美味しい」と語りました。滞在した二日間、美術館や中野市のバラガーデンを楽しんでいました。「長野に来て本当に良かった」と感想を述べていました。

<日中友好会館だよりNO.267号に掲載された東京大学・東洋文化研究所留学生の那仁朝格図さんの感想文を紹介します。>

 2011年7月26日から28日まで、私と劉朝陽さんは長野県伊那市の小原茂幸先生のお宅へお邪魔してホームステイをしました。短い3日間でしたが、伊那の人々と美しい大自然が、私達にとって忘れられない、いい思い出になりました。
 26日の午後1時半に新宿駅からあずさ17号特急に乗って3時半ごろ岡谷駅に着きました。日中友好協会伊那地区本部の三澤一志局長が出迎えに来てくださいました。それから、車に乗って伊那市へ行き、途中三澤さんから地域の歴史、人物、山川などについていろいろ教えていただきました。三澤さんの話を聞いて、やさしくて、ユーモアにとんだ方だと分かりました。目に映るのは美しい自然と緑の世界。見渡す限りの稲田、高い山岳が霧の中で神様のように見えて、天竜川がくねくねと続き、太平洋へと流れ込んでいきます。この美しさに酔って、ここは人間仙境、「世外桃源」のように思いました。
 車で大体一時間くらいで伊那市に着きました。ホストファミリーの小原先生と母親の小原明石(83歳)さんが市役所の前で私達を待っていました。あいさつの後、市役所の会議室で白鳥孝市長に会いました。白鳥市長のお話によりますと、伊那市は長野県の南部に位置する伊那谷北部の市であり、平成18年(2006年)3月31日に、旧伊那市と高遠町及び長谷村が合併し、新たに伊那市となって、面積207.64km2、人口はおよそ7万人。東に南アルプス、西に中央アルプスがそびえる中、中央部を北から南に向かって天竜川が縦断して、南アルプスの塩見岳東峰(3052m)が一番高いそうです。特に高遠の桜と信州のお蕎麦は日本で一番有名で、伊那市は平成6年(1994年)11月22日に北京市通州区と友好都市を締結したことも分かりました。座談会の後、市長と写真をとり、地元のテレビ局のアナウンサーからインタビューをうけました。街に対するイメージはどう?とかいろいろ聞かれましたが、日本語がまだまだ不自由なものですから、言いたいことが充分表現できなかったのは、今回の訪問の唯一の残念なことでした。最後に、市長からイーナちゃんという可愛い伊那市のイメージキャラクターをプレゼントとしていただきました。
 市役所を後にして、日中友好協会伊那地区本部の小坂樫男・名誉会長(元市長)、竹松成就・理事長、有賀士郎・理事、北原正男・理事、三澤一志・事務局長、小原茂幸・事務局次長、小原明石さん、山崎大行・市企画情報課長さんたちと信州INAセミナーで歓迎会に参加して、いろいろ交流をしました。それから、6時ごろから懇親会でした。懇親会で皆歌を歌って楽しかったです。
 8時ごろ小原さんの奥さんの車に乗って、駒ヶ根市にあるお宅へ帰りました。おじいさん、おばあさん、小原先生と奥さんが4人で暮らしている家族です。二人の子供さんは松本と北海道の大学で勉強しています。小原先生は1953年生まれ、法政大学経済学部卒。伊那自動車研修所で合宿教習・宿泊・結婚式場等の立ち上げ運営に携わり、現在業務執行役員営業部長。日中友好協会事務局次長のほか、駒ヶ根市環境市民会議座長、「駒ヶ根花と緑と水の会」事務局長等を務め、地域活性化にも積極的に取り組んでいます。
 27日の朝おばあさんと奥さんの作った美味しい朝食を食べてから、雨の中で小原先生と中央アルプスの駒ケ岳(2967m)まで登りました。岳の上に雪があって、天に届くほどの大木、渓谷などたくさんありました。山を下りてから、天竜川に行きました。昼ご飯の後、小原先生は午後仕事があるので、その代わりに三澤先生が来て、寒天パパ工場、高遠城址公園、伊那市立高遠町歴史博物館、美和湖ダムなど伊那市のあちこちに案内してくださいました。市に戻ってから、小原先生の勤めている伊那自動車教習所を見学しました。午後5時ごろ小原先生のお宅に帰って、おじいさんご自身で作った野菜、花、池、家畜を観賞した後、小原先生と一緒に温泉へ行きました。温泉に入って、一日中の疲れが取れました。すごく気持ちよかったです。温泉に入ることは人間にとって、世の中でこの上ない幸せですね。
 夕食のとき、おばあさんと奥さんがたくさんの食べ物を作りました。おじいさんの小原秀拡(85歳)さんは元駒ヶ根郷土研究会の役員で地元の歴史・文化の研究で活躍して、功績が極めて顕著な方です。中国の文化と日中仏教交流史にとても趣味があって、「日本の文化の源は中国文化」と言われました。皆一緒に歌を歌って、踊りを踊って楽しい時間を過ごしました。小原先生の家族は皆優しくて、日中友好交流のために自分の愛を捧げています。
 28日の朝食の後、おじいさんの小原秀拡さんが自分で車を運転して、大雨の中で光前寺という千年歴史がある古いお寺を案内してくださいました。小原さんはこのお寺の専門家です。お寺と民間慣習についての論文も発表されたそうです。10時ごろ、小原先生の家に戻って、そこからご家族と別れました。雨の中で、母親の小原明石さんが涙を流し、車が見えなくなるまで見送りした姿にとても感動させられました。帰る途中、小原先生が、駒ヶ根養命酒工場、信州大学湖農学部の「食と緑の科学資料館」、仲仙寺、諏訪湖を案内してくださいました。午後3時半ごろ小原先生と別れて、電車に乗って東京に戻りました。夢見たいな3日間でした。
 短い3日間でしたが、日本の歴史と文化、人々の豊な生活、お客に対するあたたかい気持ちなどを充分感じられたと思います。中日の永遠の友情は民間交流にあります。私はその友情のために頑張ります。
 さようなら、神様の故郷、さようなら、イーナちゃん!


おんたけ山麓で日中友好キャンプ(7/17・18)

長野県日中友好協会青年委員会と女性委員会は7月17・18日木曽王滝村のおんたけ銀河村キャンプ場にて第46回日中友好キャンプを開催しました。留学生や帰国者、友好協会会員メンバーなど75名が参加し、楽しい2日間を過ごしました。

 開会式で「友好王国」の建国を宣言して、霊峰御嶽山の麓、標高2160mの田の原高原散策に向かいました。雄大な御嶽山の姿を仰ぎ見、かなたに木曽駒ケ岳を眺めての至福のひとときを過ごしました。

 高原散策の後は6つの班に分かれて、食事の準備。おなじみのバーベキュー、ビール片手に焼肉をほおばり大いに語り合いました。キャンプファイヤーを囲んでのフォークダンスやウララは中国の皆さんに好評でした。そして銀河キャンプ場ならではの観望会では星座語りや天体望遠鏡で土星を見るなど貴重な体験ができました。

 翌朝は7時起床、ラジオ体操、太極拳で体をほぐした後、カレー作りに励みました。各班それぞれの味自慢のカレーをおいしく食べ、滝めぐりに向かいました。険しい道を登って行くと新滝の豪快な景観が現れました。さらに山道を進み清滝に至りました。疲れも忘れ心身ともに清浄され活力が漲りました。

 この間女性委員会スタッフはご飯をこねて「五平もち」作りに励んでいました。全員戻ったところでスイカを頬張り、五平もちを美味しくいただきました。
 
閉会式で、留学生代表は、「今回初めてキャンプに参加しましたが、皆さんあたたかく本当に楽しかったです」と感謝していました。

日中の教育めぐり意見交換、両国の青年ら交流深める(7/2~5)

 県日中友好協会は7月3日、中国青年代表団の教育関係者と県内の高校教諭や大学生、青年会議所、友好協会メンバーなどが意見交換する交流座談会を長野市内のホテルメルパルク長野で開きました。日中の教育制度や教育事情などについて双方から活発に質問意見が出ました。

 中国青年代表団は304名が日本政府の青年の交流計画で6月29日から7月6日まで来日。経済、環境、教育、司法など8グループに分かれ、全国各地で交流しました。このうち慶応大、早稲田大、自由学園、青山こどもの城などを視察した教育関係者分団(小中学校教員ら35人)は2日から5日まで長野県を訪問し、交流会参加や県教育長表敬、みすずコーポレーション視察、志賀高原やMウェーブ、善光寺、茶臼山動物園参観などを体験しました。

 交流座談会では、日本側の40人が加わって6グループに別れて議論。中国側からは「長野県はなぜ教育県といわれたのか」「私立と公立の違いは」「学校以外での学習は」「中国にはまだ1千万人の非識字者がいるのに、日本は明治維新から程なく解決しているのはすごい」などの発言がありました。
 一方、日本側からは「都市部での大学進学率は80%以上と聞いたが、農村部では義務教育は実現できているのか」「日本では豊かさのなかで教育の目標を見つけにくくなっているが中国ではどうか」との質問も。中国側からは「授業料や教科書は数年前から無料化された。しかし一部貧しい農村の中には途中で学校に行くのをやめてしまう現実がある。経済発展でそうした子供をなくしたい」「日本人が教育を重視していると分かった。若い世代が世の中に貢献したいという気持ちも同じだと感じた」など、3時間近く熱い語り合いが行われました。

 終了後の歓迎懇親会では和やかに杯を上げながら懇親交流が進みました。長野県側から「北国の春」や「ふるさと」さらに中国の歌などが披露されると中国側からも民謡や京劇、カンフーなどが披露され会場は大いに盛り上がりました。お互いに握手し肩を抱き合いながらお別れしました。
 分団長の趙啞さん(35)=重慶市=は「長野は山紫水明で人々が親切で情熱的で大好きになりました」と嬉しい言葉を残してくれました。
第35回日中経済交流促進協議会定期総会(6/15)

 長野県日中経済交流促進協議会は、6月15日、長野市内のホテル犀北館で第35回定期総会を開きました。

 総会で、内藤武男会長は、連雲港市を訪れた印象に触れながら中国の際立った発展振りを紹介し「中国が世界経済の牽引車的な役割を果たしている。県内企業も450社が中国に進出しており中国との経済協力関係はますます重要性を増している」と述べ、また3月の大震災における日本人の落ち着いた対応や親切な振る舞いに中国の友人が感動していたことを紹介し、今後の信頼・協力の発展に期待しました。

 石原秀樹・県産業政策課長は来賓祝辞の中で「大震災によって経済的打撃を受け長野県にも影響が及んでいるが、中国との安定的な経済交流をすすめていきたい。長野県の対中貿易は2500億円にのぼり全体の1/4を占める。引き続き経済市場開拓等にも努めてまいりたい」と述べました。

 10年度の事業報告と決算を承認した後、11月の知事訪中にあわせての訪中団の派遣、視察団の受け入れ、河北省との経済交流促進など11年度の事業計画・予算を決めました。また役員補充として、会長代行に夏目潔氏、理事長に西堀正司氏を選出しました。

 総会終了後、日本国際貿易促進協会専務理事の片寄(かたよせ)浩紀氏が「中国の現状と日中経済交流の展望」と題し、記念講演を行いました。片寄氏は40年余りにのぼり中国との経済交流の最前線に立って活躍してきた経験にもとづき改革開放以後の中国の歩みと対外関係の発展、最近の中国の政治経済状況、日中経済交流の展望について具体的事例も交えながら分かりやすく紹介しました。

 「グローバル経済への積極参画を進めてきた結果、中国の命運は世界の命運とリンクしている。本年からの第12次5カ年計画では中国が今後市場経済の負の面を軽減できるかどうか、発展方式を転換し自主創新社会をつくろうとしていること等に注目していきたい。また北東アジア経済圏の一体化、日中韓投資保護協定や自由貿易協定(FTA)、ルールの共通化などが課題となってきている。そのためには、中国に社会信用体系の確立が必要であり、日本には受容性が必要」と述べました。

東北3県の日中友好協会と栄村に義援金を贈る(6/10)

 長野県日中友好協会では、大震災を受けて義援金に取り組みました。迅速さをモットーに、取り組んだところ、1ヶ月半余の間に160万円あまりが集約されました。328人、18団体からご協力をいただきました。早速5月31日岩手・宮城・福島の各県日中友好協会に各30万円送金しました。6月10日には栄村に出向き島田茂樹村長に県日中、飯山・岳北日中役員が直接義援金50万円を手渡しました。3県協会と栄村から大変感謝され礼状をいただきました。今後とも長い目で被災地の皆さんにエールを送っていきたいと思います。引き続きご協力のほどお願いします。なお、協力者氏名等詳細は追って県協会会報にてご報告させていただきますが、この中には、中国連雲港市の万聯能源集団から海を越えて寄せられた50万円も含まれています。(直富商事の木下社長に架け橋となっていただきました。ありがとうございました。)

≪宮城県日中友好協会からの礼状≫
 東北の山々も日増しに緑が色濃くなり、仙台市内も”杜の都”の名のとおり風薫る景観になってまいりました。木々も花々も震災の惨さに屈しない強さを見せて、私たちに「東北がんばれ!」とエールを送っているようです。震災の復興は予想以上に捗らず、今後何年かかるか予測できない状態です。いまだ仙台市内でさえブルーシートが目立っています。
 先日はお心づくしのお見舞いをいただき本当にありがとうございました。この震災では多くの方々の篤いご支援ありがたく身にしみて感じております。まだまだ立ち直るには日にちがかかることと思いますがどうぞ見守っていってくださいますようお願いいたします。
 地元紙「河北新報」が大震災記録の写真グラフを発行しました。工場の被災で紙の供給も不足し印刷がなかなかできない中での発行でした。今回の震災は千年に1度の災害とか・・・記録としてとめおかれますようお送りいたします。
 私ども宮城県日中友好協会会員にも犠牲になった方がありました。(気仙沼市本吉国際交流協会=本吉町日中友好協会3名)慰霊のためにも会員一同力を合わせて復興に邁進してまいります。
 視察にお出でになる予定もおありと伺いましたが、その節にはどうぞお声掛けください。ご案内させていただきます。
 お見舞いに深く感謝いたしますとともに、貴協会の益々のご発展と皆様方のご健康を祈念いたします。
  (6月7日 宮城県日中友好協会 会長/江幡武  理事長/蘇武多四郎  事務局長/本郷祐子)

≪福島県日中友好協会からの礼状≫
 3月11日の東日本大震災により、福島県内は地震、津波に加え、原発問題が大きく乗りかかり、さらにそれによる風評被害と未曾有の大被害となりました。当協会では、家を失い、家財を失い、仕事を失い大きな被害を受けた会員も多く、地区協会及び県協会の今後の活動に大きな影響を受けております。
 このたび長野県日中友好協会におかれましては、この大被害につき支援活動をおこされ、多くの皆様のご協力のもと、福島県日中友好協会に対し多大な義援金をお送りいただきました。ここに深甚なる御礼を申し上げます。
 お送りいただきました義援金は、当協会及び地区協会の今後の活動の大きな礎として活用させていただきます。
 長野県日中友好協会の皆様に心より御礼申し上げます。ありがとうございました。
  (6月7日 福島県日中友好協会 会長/高木厚保)

緑化協力・河北内蒙古の旅=県日中友好協会訪中団(6/7~12)
交流再始動へ、内蒙古では胡春華先生に再会

 大震災後初の協会訪中団派遣となる、緑化協力・河北内蒙古の旅=長野県日中友好協会訪中団(山根敏郎団長)は6月7日から12日、河北省での緑化協力活動に参加し関係者との交流を深めた後、内蒙古の区都フホホトを訪れました。フホホトでは、前河北省長の胡春華先生と再会でき熱烈歓迎をいただきました。望外の幸せで、先生のお人柄が心に響く大変思い出深い旅となりました。行く先々で大震災へのお見舞いと激励の言葉をいただき絆の深さを実感しました。

 6月7日、一行は、羽田国際空港から13時50分発のCA182便で中国に向かい、現地時間16時50分北京国際空港に到着しました。空港には河北省外事弁公室の紀竑さんが出迎えてくれました。さっそくバスで易県に向かいます。易県は、河北省保定市に属していて北京と石家荘とのほぼ中間に位置しています。高速道路の整備が進みスムースに現地入りすることができました。高速の下り口で易県政府の案内の車が出迎えてくれました。宿泊先の望龍山荘に到着したのは20時、張良副県長さん主催の歓迎夕食会は打ち解けたものとなりました。張副県長は東日本大震災へのお見舞いの意を表した後、「緑化協力もすでに40万株、280haとなりました。理想の夢の種をまく友人の皆さんを心から歓迎します」杯を重ね緑化の成功と易県の発展を何度も乾杯しました。

 6月8日早朝、山荘の周囲を気持ちよく散策。周囲は湖水を中心に年毎にリゾート開発が進んでいるようです。朝食後緑化協力地に向かい、油松50本を県林業局や地元農民の皆さんとともに記念植樹しました。中国式の長い柄のスコップを使って一生懸命に植え、最後に水をくれました。易県の日中緑化協力プロジェクトは5年目を迎えましたが、年々緑が豊かになって行く姿を見てうれしく思います。一行はこの後、2つに別れ、本隊は映画レッドクリフの撮影場所にもなった易水湖を遊覧しました。別働隊は光緒帝の陵墓崇陵と雍正帝の泰陵を参観しました。広大なスケールと歴史の追憶に浸りました。県城の中心地で全員集合、昼食会が行われ、林業局の皆さんがしゃぶしゃぶの料理でもてなしてくれました。

 いよいよ河北省の省都石家荘市に向かいます。西側の高速道路を通って順調に石家荘国際大厦ホテルに到着しました。高速道路や道路網の整備の進み具合には目を見張るものがあります。それに伴ってどんどん都市が広がっているのです。改装なった河北賓館で河北省外事弁公室主催の歓迎宴が開かれました。梁国輝アジア処処長はじめ、劉梅海・李国方・孫風国氏ら懐かしい顔ぶれが揃いました。大震災を乗り越え再会を果たし、友情を確認しあって乾杯しました。途中から楊全社外事弁公室主任も加わり何度も何度も杯を重ねました。2次会には劉暁軍石家荘副市長も参加して交流しました。山根団長は、7月の石家荘市長一行の長野市訪問を心からお待ちしていると伝言を託していました。長野市と石家荘市は今年友好都市提携30周年を迎えたのです。

 6月9日、石家荘市外国語学校を訪問しました。先生とともに日本語を学んでいる生徒さんの出迎えを受け、校内を案内していただきました。この学校の前身は都市近郊に位置する43中学でしたが、都市の拡大の機会をとらえ、校舎の新築と運営教学スタイルを一新して、幼稚園から高校までの一貫校に生まれ変わらせ、外国語は英語を主に中学からは第二外国語として日本語やドイツ語フランス語ロシア語などを学べるようになっています。また才能を多面的に伸ばす教育がおこなわれ、文化・音楽・スポーツなどの活動もさかんと聞きました。かわいい幼稚園児と握手したり、日本語を真剣に学んでいる教室を参観して交流したり、マンツーマンで案内してくれた日本語学生と会話をしたりして有意義な時間はあっという間に過ぎていきました。名残惜しみながら、石家荘空港に向かいました。

 11時50分発のCZ6603便に乗って内蒙古の首府フホホトへ。1時間足らずの飛行で早くも飛行機は機首をどんどん下げて空港に到着しました。楊楊外事弁公室礼賓処処長が外事弁公室スタッフや旅行社の高満泉さんとともに出迎えてくれました。空港から右手に陰山山脈をみて市の中心に向かいます。20年ぶりのフホホトはまったく様相を一変し高層ビルの林立する一大都市に変貌していました。旧市街には昔の面影が残っていましたが道路には自動車が行きかい活気に満ちた街並みが飛び込んできます。緑が思いのほか多いと感じました。高さん(モンゴル族)に先日の騒動についてのその後を聞くと、問題は解決されましたとのこと、胡春華書記のすばやい適切な対応が功を奏したのだろうと思いました。レストランでの食事の後、五塔寺を参観しました。清代にチベット仏教の慈灯寺の塔として建立されたもので磚(せん)と呼ばれる黒レンガ様の仏像レリーフとモンゴル語・チベット語・サンスクリット語の金剛教の経文は頂部に建つ5基の塔とともに貴重な歴史遺産だといいます。塔をバックに記念撮影して、寺院を後にしました。

 宿泊予定の海亮広場ホテルで着替えをして、内蒙古新城賓館の国賓楼に向かいました。胡春華先生(内蒙古党書記)にお会いするためです。前河北省省長のときからの誼で内蒙古にお出かけくださいと声をかけていただいていました。忙しい先生に実際お会いできるかどうかフホホトに着くまでは分かりませんでしたが、楊処長は空港で「胡書記は皆様とお会いし歓迎会も予定しています」と話されました。山根団長以下全員正装して、緊張しながらも心ときめかしながら会場に向かいました。TVカメラの光に照らされながら懐かしい胡先生が会場入口で一人ひとりと丁寧に握手しながらにこやかに出迎えてくれました。会見には、符太増・党秘書長、張守孝・外事弁公室主任(政府副秘書長)らも同席されました。

 会見の席上、胡先生は概略次のようなあいさつをされ私たちをあたたかく歓迎してくれました。

 --皆様のご来訪を心から歓迎します。大変親しく感じます。2009年河北省長として長野を訪問したとき皆様は長野駅頭での横断幕を掲げての熱烈歓迎に始まり、祝賀行事での交流歓迎、さらに長野県訪問を終えてからも成田空港を離れるまで真心のこもった歓迎案内をしてくれました。現在、内蒙古で仕事をしていますが、長野県の友人皆さんに深い感情を持っています。皆さんは河北省から見えましたが、内蒙古は河北省と比べて人口は少ないですが土地が広いです。年12%を越える経済成長を遂げており、この状態が続くと5年後にはGDPが2倍になります。内蒙古は内陸奥地では比較的発展しているところです。今後、日本と人事・経済・文化・環境など各方面で交流を深めていきたいと思っています。すでに環境保護の分野では日本の多くの友人が緑化協力植林活動に内蒙古においでになっています。宮本前大使や藪中外務省事務次官も訪問されました。山根会長先生も布施事務局長も数十年の長きにわたって日中友好に尽力されました。両国の友好発展のために困難な中にあっても一貫して尽力されてこられたた皆様の精神に深く敬意を表します。

 山根団長は胡先生がこのように親しく歓迎いただいたことに心から感謝したのち、内蒙古が舞台となったノモンハン事件などに触れ、歴史の反省の上に立って友好をすすめて行きたいと述べました。さらに内蒙古が豊富なエネルギー資源を有する重要な地域として発展していることを讃え、また多民族を抱える内蒙古にあって迅速適切な措置を取って民族融和を図っていることに敬意を表しました。四川大地震の災禍から3年にして見事に復興を遂げたことを賞賛し、日本の大震災にいち早く救援隊を送りさまざまな支援をしてくれたことに感謝しました。併せて長野県日中友好協会は小なりといえども友好に対し全国に大きな影響力をもっていることを紹介しました。

 これに対し胡先生は次のように述べました。

 --山根先生の誠実に歴史に向かう態度は賞賛に値します。歴史を忘れず教訓として、ともに明るい未来を目指して行きましょう。3月11日の大震災で被災された方々に心からお見舞い申し上げます。被災地の1日も早い復興を願っています。内蒙古は発展の潜在力を秘めています。34の民族が暮らす内蒙古にとって民族間の融和はきわめて大切です。長野県日中友好協会を通じて、今後さらに内蒙古と長野県の交流を深めていきたいと思います。内蒙古と河北省は隣接する親しい間柄ですから、河北省にお越しの際は内蒙古にもお出かけください。
 
 歓迎夕食会では、先生は一人ひとりと杯を合わせ、歓迎の意を表してくださいました。またモンゴルの素晴らしい歌曲の演奏・歌唱は団員の心に染み透りました。団員一同感謝の気持ちをこめて”長野県の歌”「北国の春」を合唱した際には、先生も一緒に歌っていただきました。胡先生のお人柄・心の深さ優しさを皆深く心に刻みました。忘れがたい一夜となりました。将来を期待されている胡先生とこのような再会を果たせたことは団員にとって生涯の思い出となりました。

 6月10日は陰山山脈を越えて大草原を訪れました。途中珍しく雨が降り、草原に貴重な雨をもたらしてくれたと喜ばれました。外事弁公室副主任もわざわざ同行してくださいました。昼食はモンゴル族の経営するゲルの中で馬頭琴の演奏とモンゴル民謡を聴きながら、歓迎のお酒をいただき羊の丸焼きを堪能しました。雨上がりの草原の空はさわやかでまた格別なものがありました。楽しい思い出を重ねながら、2泊したホテルを6月11日早朝後にし空港では楊楊先生らの見送りを受けて空路北京に向かいました。(略)

胡春华会见日本长野县日中友好协会代表团
2011-06-10 08:45:00  来源:内蒙古日报

[提要]  6月9日,自治区党委书记、人大常委会主任胡春华在呼和浩特新城宾馆会见日本长野县日中友好协会副会长山根敏郎一行。(记者 马建斌 摄)  6月9日下午,自治区党委书记、人大常委会主任胡春华在呼和浩特新城宾馆会见了由日本长野县日中友好协会副会长山根敏郎为团长的日本长野县日中友好协会代表团一行。

  6月9日,自治区党委书记、人大常委会主任胡春华在呼和浩特新城宾馆会见日本长野县日中友好協会副会长山根敏郎一行。图为胡春华向山根敏郎赠送青铜蒙古马。(记者 马建斌 摄)

  6月9日下午,自治区党委书记、人大常委会主任胡春华在呼和浩特新城宾馆会见了由日本长野县日中友好协会副会长山根敏郎为团长的日本长野县日中友好协会代表团一行。

  日本长野县日中友好协会作为日本民间友好团体,长期致力于日中民间友好交往,此次长野县日中友好协会代表团来华,将在北京市、河北省和我区进行考察访问。山根敏郎说,近年来,内蒙古的发展引人注目,为国家提供了重要的能源支持,对此我们感到十分钦佩,也相信内蒙古今后能取得更大的发展。长野县日中友好协会是一个非常有活力的组织,协会将加强与内蒙古的交流与合作,共同为推动中日两国友好交往作出新贡献。

  胡春华向代表团一行简要介绍了内蒙古经济社会发展情况。他说,长期以来,内蒙古和日本一直保持着友好的交流,在青少年交流、经贸合作、生态环境保护等领域都开展了广泛的交流。前不久日本遭受罕见的地震海啸灾难,我们感同身受,衷心祝愿日本人民能够早日重建家园。内蒙古非常重视和日本的友好交往,相信这次山根敏郎先生率团访问内蒙古,一定会为推动两地的合作交流起到积极作用,我们也欢迎更多的日本朋友来内蒙古参观访问。

  自治区党委常委、秘书长符太增参加会见。(首席记者 乔雪峰)

来源:内蒙古日报
女性の友好の輪を広げよう-県日中女性委員会松本で総会(6/5)

 県日中友好協会女性委員会は6月5日、第36回定期総会を開きました。恒例の持ち出し総会は今年は松本美ヶ原温泉の「ホテル翔峰」でおこなわれ、県下から女性委員会のメンバーや来賓など75名が参加しました。

 村山ひとみ委員長は地元松本日中友好協会の行き届いた協力に感謝した後、「東日本大震災の犠牲者、被災者の皆さんに心からお見舞い申し上げます。青年委員会と車の両輪で友好海キャンプやスキー交流会を実施、また秋には友好協会創立60周年祝賀訪中団に大勢の仲間が参加し友好の思いを深めました。さらに横浜山手中華学校訪問バスツアーを行いあたたかい歓迎をいただき有意義な交流ができました。日中関係に波風があっても日中友好や平和の大切さに思いをいたしながら日日友好にも力を入れともに力を合わせて友好活動を進めて行きましょう」とあいさつしました。

 総会では10年度の活動報告や決算報告を承認した後、11年度の活動方針と予算が採択されました。友好キャンプやスキー交流会を通じて中国留学生・研修生・帰国者との交流を深めること、女性会員の拡大と相互の親睦を深める活動に取り組むことなどが盛られています。

 第2部では松本日中友好協会会長の相澤孝夫・相澤病院院長が東日本大震災に際し、医療救護班として宮古や石巻など現地で活躍した状況を映像を交えて講演しました。被災地への思いを深めることのできた時宜を得たお話に感謝の拍手が送られました。

 第3部の交流懇親会では松本在住で活躍されている野田裕子さんの二胡の名演奏に始まり各地区の歌や踊りの出し物が次々と繰り出され、和やかな、楽しい会となりました。最後に、来年の開催予定の飯田日中女性委員会に県女性委員会の旗が手渡されました。

佐久日中友好協会と安曇野市日中友好協会が誕生(6/4・6/5)

 佐久日中友好協会の設立総会が6月4日佐久市野沢会館で開かれました。80人あまりが出席し経過報告のあと規約を決定し、役員を選出、事業計画と予算などを承認し140名余の会員参加のもとスタートを切りました。
 発起人を代表してあいさつに立った井出正一氏(旧臼田日中会長)は「臼田や望月浅科などが旧佐久市に合併して新しい佐久市が誕生して5年が経過し、この間臼田日中と、佐久市日中(休眠)が並存するかたちで歩んできたが、佐久市全体の再活性化を目指して佐久日中友好協会の設立準備が進められてきた。日中友好協会は新中国誕生のときから日中不再戦、平和友好を掲げて全国の心ある人々によって結成され種々の困難にめげず歩み続けてきた。現在は1万4千人の会員がおり、長野県内には1800人余の会員が参加している。両国は互いに戦略的互恵関係を確認し交流を深めている。中国とは好き嫌いではなく正面から向かい合い付き合っていかなければならない。佐久日中友好協会の設立を機に地域に根ざした友好交流をすすめて行きたい」と述べました。
 新役員として、会長に井出正一、会長代行に中沢道保、副会長に田島弘・荻原新七・宮森武久、理事長に花岡茂、事務局長に水間正久の各氏らを選びました。来賓として、柳田清二・佐久市長、西堀正司・県日中理事長、中澤兵衛・市会議長、今井まさ子・桃井進・両県議らが出席し祝辞を述べました。また総会に先立って満蒙開拓団の悲惨な逃避行を体験した中島多鶴さんが語り部として講演し平和の大切さを訴えました。

 安曇野市日中友好協会の設立総会が6月5日、安曇野市豊科公民館において40名あまりが出席して開かれました。安曇野市は2005年に豊科、穂高、明科、三郷、堀金の5町村が合併して誕生しましたが、これまでそれぞれの地区で各友好協会が活動してきました。数年来一本化に向けての話し合いが持たれ準備が進められてきました。
 準備委員会を代表して甕典昭氏(旧豊科日中会長)が経過を報告し、「今後組織を一本化し、あわせてそれぞれの持ち味を活かし日中友好の絆を継続して行きたい。国家間のギクシャクがあっても子々孫々の友好の意志は不動。地域の友好交流に努めて行きたい」と述べました。規約と事業計画を承認し新役員を選出しました。
 主な役員は次のとおり。会長/甕典昭、副会長/関原史人・猿田鉄則・有賀元彦・熊井秀夫、事務局長/坪田敏雄。
 来賓として、布施正幸・県日中事務局長、望月雄内・県議、穂苅甲子男・松本日中名誉会長(信州葫蘆島友の会会長)、福島信行・大北日中友好協会会長らが出席し祝辞を述べました。

 第49回県日中友好協会定期大会(5/25)
 大震災を乗り越え、日中友好推進を決定


 長野県日中友好協会は5月25日、長野市内のホテル国際21において第49回2011年度定期大会を開催しました。大会には県下各地区協会から代議員・役員・来賓ら170名が出席し、2010年度の活動報告と決算報告を承認した後、2011年度の活動方針、予算を決定しました。大震災義援金活動や辛亥革命100周年、満州事変80周年にちなんだ取り組みを柱とした活動方針を決めるとともに、日中両国の相互信頼回復と組織財政の充実強化に努めて行くことを決めました。

   井出正一会長はあいさつで大震災に際し、中国や世界から多くの支援が寄せられたことに感謝した後、「甚大な災害にもかかわらず節度ある振る舞いをする日本人をみて、世界が日本を見る目が変わった。被災地を取材した中国人記者が日本人の秩序を守る姿や忍耐強さに感銘を受けて反日感情が薄れ、中国人の日本に対するイメージが変わってきたという。1923年の関東大震災のときはデマが飛び交い多数の朝鮮人が虐殺され、これを機に日本は暗い侵略の道を突き進んで行くこととなった。今回の震災では中国の温家宝首相、韓国の李明博大統領が被災地を訪問され犠牲者を悼んでくださっている。変わったものだと思う。これを大切にしたい。昨年度の成果と教訓を活かし、日中の相互信頼回復を確かなものにし、明年の国交正常化40周年が実り多い年となるようともに努力して行きたい」と述べました。

  活動方針では、大震災義援金の取り組み、辛亥革命100周年、満州事変80周年に際し、歴史を回顧し、教訓を活かして日中の相互信頼回復に努めること、記念シンポジウムの開催や辛亥革命100周年記念展、満蒙開拓歴史パネル展の開催、中国青年代表団の受け入れ、緑化協力プロジェクトの継続、組織と財政の充実などが決定されました。役員補充では、阿部守一知事の名誉会長就任などを追認しました。意見発表では「四川大地震支援と東日本大震災」、「満蒙開拓平和記念館実現に向けて」が報告されました。

  続いて「満州事変80周年、辛亥革命100周年にあたりアジアと世界の平和繁栄を願って、日中の相互信頼回復・世代友好・共同繁栄に努めていきましょう」との大会宣言を採択しました。最後に「”がんばれ日本”中国はじめ諸外国からの友情と支援に感謝!歴史の教訓を活かし、日中共同声明と平和友好条約の原則を踏まえ、相互信頼と友好協力を更に深めよう。団塊世代に参加を呼びかけ、組織を拡充しよう」とのスローガンが採択されました。

席上、20年以上在籍会員と10年以上在籍会員表彰、終身名誉会員証授与が行われ井出会長より賞状が贈られました。

   第2部の祝賀パーティーで井出会長は、各界来賓に対し日ごろの友好活動への協力に感謝した後、「辛亥革命100周年歴史を回顧しながら友好発展に努めたい。今回の震災では中国の温家宝首相、韓国の李明博大統領が被災地を訪問され犠牲者を悼んでくださっている。関東大震災のときにデマが飛び交い朝鮮人虐殺が起きたのとは大きな違いだ。協会は国民レベルの日中相互信頼回復のために民間の立場から努力を傾けたい。引き続きご支援後協力をお願いしたい」と述べました。

   文徳盛・中国大使館参事官、野池明登・観光部長(県知事代理)、倉田竜彦・県議会日中友好促進議員連盟会長からご祝辞をいただき、浅井秋彦・県国際課長、小坂憲次・吉田博美・若林健太の各国会議員(代理)や太田昌孝県議からも激励のスピーチをいただきました。

 文参事官は、東日本大震災直後大船渡市に中国救助隊とともに入ったことなどに触れながら中国の政府・民間問わず日本支援の暖かい声があがったことを紹介しました。また第12次5ヵ年計画に入った中国が過去30年の発展を総括してこれからは内需・投資・貿易の順番に改め国民生活の向上に力を入れて行くことを決定したこと、年間500万人が行き来し、往復の貿易額が3000億ドルに達した日中両国がさらに省エネや環境問題などに協力して取り組んでいけば前途は明るいと述べ、長年にわたる友好協会の努力にエールを送りました。

   来賓として、呂新鋒・中国大使館三等書記官、劉非・中国国際放送局日本語部代表、王昌勝・県華僑総会会長、小林一洋・県国際交流推進係長、周夢暁国際交流員、森田恒雄・前県議、小林央・山ノ内町副町長、岡村重信・県経営者協会事務局長、北村保・県中小企業団体中央会広報室長、木藤暢夫・県商工会議所連合会常務理事、細野邦俊・県商工会連合会専務理事、塚田剛義・県信用保証協会常勤理事、中山千弘・連合長野事務局長、小池政和・県中立労連議長、高橋博久・県平和人権環境労組会議議長、西藤千代子・部落解放同盟県連副委員長、小坂壮太郎・信濃毎日新聞社社長、後藤正幸・信濃教育会専務理事、佐々木治夫・県医師会副会長、三浦義正・信州大学理事副学長、酒井康成・松本歯科大学邦人室主任、穂苅甲子男・信州葫蘆島友の会会長らにも出席いただきました。加藤紘一(社)日中友好協会会長から祝賀メッセージをいただきました。また国会議員、県議、市町村長、友好諸団体から多数の祝電・メッセージが寄せられました。

 なお、文参事官一行は翌日西堀正司県日中理事長らの案内で、長野県庁に阿部知事を表敬訪問し、親しく懇談しました。文参事官は東京大学留学経験があり、知事の2歳後輩に当たることなど会話が弾みました。知事は「長野県は安心できる環境であることを本国にPRしてほしい」と長野県産食品の輸入禁止処置の早期解除への協力を要請しました。「地震があってから中国も自分のことのように日本を応援してきた。引き続き協力して行きたい」と応じました。一行はその後、長野日本無線を視察し、勅使河原治常務らから歓迎案内をいただきました。

阿部知事、程中国大使と会見(5/16)

 阿部守一知事は、5月16日、東京の中国大使館を訪ね、程永華駐日中国大使と懇談しました。

 東日本大震災や原発事故を受けて県内を訪れる外国人観光客が減少している点について知事は、「受け入れ態勢をしっかり作って行くので、是非、大勢の方にお越しいただきたい」と協力を求めました。中国の小中学、高校生が県内を訪れて地元の子供たちと交流する教育交流にも触れ、「子供の将来に向けていい財産になっている」と述べました。

 県内を何度か訪問したことがあるという程大使は「交流の幅が広がっており、自然豊な長野県での青少年の交流は非常に有意義。お互いの利益になる交流、協力をしていきたい」と応じました。知事が長野県訪問を招請すると大使は機会を作って是非訪問したいと述べました。

 会見には、大使の古くからの友人である西堀正司県日中友好協会理事長も同席しました。

<この会見は、中国大使館のホームページでも紹介されました>

◎程永華駐日大使,阿部長野県知事と会見(2011/05/19)
 程永華駐日中国大使は5月16日、阿部守一長野県知事と会見した。
 阿部知事は、長野県は中国との友好往来を重視しており、昨年知事に選ばれた私も、これまでの基礎の上に、青少年交流を含む中国との交流、協力を一段と強化したいと考えていると表明した。また、長野県は観光資源が豊富で、冬季五輪を開催したこともあり、中国の皆さんにもっと多くおいでいただきたいと述べた。
 程大使は長野県が長期にわたって、対中交流・協力に努力してきたことを積極的に評価し、ますます頑張って、中日の戦略的互恵関係のたえざる発展に貢献するよう希望を表明した。
 会見には西堀正司長野県日中友好協会理事長、張成慶駐日大使館参事官が同席した。

県北京放送を聞く会30周年を祝う、曙光さんが記念講演(5/15)

 県北京放送を聞く会は5月15日市内のホテルサンルート長野東口で定期総会を開き、30余名が出席して設立30周年を祝いました。中国語講座の名講師として活躍された曙光さんが記念講演を行いました。

 西田節夫会長は、設立30周年を迎え、歴代会長はじめ先輩の皆さんが切り開いてきた電波を通じての友好交流を今後とも県日中友好協会はじめ関係者とともにすすめて行きたいとあいさつしました。

 県日中友好協会を代表して布施正幸事務局長が会の継続発展のために努力してきた先輩の熱意を受け継ぎ今後とも中国を知り知らせる活動に成果をあげていただきたいと激励しました。

 参加者の手元には出来上がったばかりのカラー刷りの会報記念特集号が配布されていました。12月に北京放送局(中国国際放送局)が開局70周年を迎えるのに併せて、代表団を派遣することや中国語夏期スクーリングやスピーチコンテストなどに取り組んで行くことを決めました。

 曙光先生は「なせばなる・・・何事も」と題して農村で1人娘として育った生い立ちや、工農兵出身の大学生として勉学に励んだこと、文革中も周恩来総理の配慮で日本語を学べる環境が保たれたこと、北京放送局に入局して、初の「国産」の日本語アナウンサーとして懸命に努力したこと、日本語の講義を陳真さんの後を継いで担当することになり、テキストの編集と講義に携わったこと、「教えることは教わることです」「努力すればできないことはない」先生の歩んできた半生を感動的にご紹介いただきました。また老いても充実した生活を送る為に健康と生きがいについて自身の実践を紹介いただき、最後に経穴(ツボ)健康体操を指導していただきました。 (写真/曙光さんから西田会長に30周年祝賀の書が贈られた)
長野市日中友好協会が第33回定期総会(5/14)

 長野市日中友好協会は5月14日長野市内のホテル信濃路にて2011年度の定期総会を開きました。総会には会員来賓ら70名が出席しました。

 山根敏郎会長は「長野市と石家荘市が友好提携して30周年を迎えた。30年前の中国は貧しかったが、その後経済発展を遂げ中国は大きく変わった。日中両国間には緊張関係が存在するが、両国は平和友好の道を歩むべきで協会は相互信頼と友好の大切さを市民にアピールし、30周年を大いに盛り上げて行きたい。四川大地震に見舞われ3年で見事復興した中国を手本に、わが国も決してひるまず前進して行きたい」とあいさつしました。

 来賓として、湯原政敏・長野市企画政策部長、西堀正司・県日中理事長、塚田佐・前長野市長らが祝辞を述べました。

 新年度の方針として石家荘市との友好都市提携30周年記念事業に取り組むこと、魅力ある協会作りに努めることなどを決定しました。

 元全日本スキー連盟専務理事で県スキー連盟顧問の丸山庄司氏が「長野県の中国とのスキー交流」と題して記念講演しました。1980年のレークプラッシドで開かれた冬季オリンピックに初参加することになった中国スキー選手団を野沢温泉スキー場に受入れ訓練したことがきっかけとなり以後30年にわたり、白馬、野沢、飯山、山ノ内、菅平などとのスキー交流がすすめられてきたこと、1983年からはスキー用具を中国に贈る取り組みを進め13万台のスキー板を送ってきたことなどを振り返り、中国の最新スキー事情を紹介、アジアのスキーの振興レベルアップに日中韓が協力して取り組んで行きたいと述べました。また、瀋陽体育学院客員教授に招聘されスキー技術の講演と講習を行った状況などを紹介しました。
中野市日中友好協会が定期総会、実習生が体験発表(5/13)

 中野市日中友好協会は5月13日中野市内のアップルシティーなかので37名が出席して第18回定期総会を開きました。

 小田切治世会長は、「東日本大震災で大きな被害をこうむったが四川大地震では中国も9万人の犠牲者が出ている。中国からの心のこもった見舞いや支援に感謝したい。友好の大切さを思い民間レベルでの交流をすすめて行きたい」とあいさつしました。来賓として、布施正幸・県日中事務局長、小林東一郎・県議、綿貫隆夫・名誉会長が祝辞を述べました。

 新年度の活動方針として、無錫市泥人博物館との交流、日本語教室やションション祭り、マレットゴルフ会などを通しての帰国者・実習生・花嫁との交流、満州開拓平和記念館建設協力などを決めました。

 総会終了後、市内のきのこ栽培企業で実習してきた劉艶さん、馬麗娜さん、孟可心さんが日本での3年間の体験を発表しました。彼女たちは実習する傍ら日本語教室に通い日本語検定2級に合格できた喜びや日本人に親切にしてもらったこと、友好行事に参加したことなどを流暢な日本語で発表しました。7月には3年の実習期間を終えて帰国するそうです。最後に和やかに懇親会が行われました。
河北省から農業技能実習生が来県、受入式歓迎会に出席(4/12)
 
 長野県と友好提携している河北省から農業技能実習生9名が4月10日来日来県し、12日長野市内のホテル犀北館において受入式歓迎会が行われました。

 受入実施委員会を代表して小松正俊会長(JA長野中央会専務)があいさつし、「大震災に際し中国のあたたかい支援に感謝申しあげたい。さまざまな情報が流れる中、不安もあったと思いますが、予定通り長野県に来ていただき熱烈に歓迎したい。長野県は安全ですから安心願いたい。河北省農業の発展のために受け入れ農家の優れた技術や経営を学び、日中友好の架け橋となっていただきたい」と述べました。中島賢生・県農政部農村振興課企画幹と西堀正司・県日中友好協会理事長が歓迎あいさつをしました。続いて小松会長より実習生1人1人に記念品が贈られました。

 受入農家を代表して中島修一氏(南牧村野辺山)が歓迎の意を表した後、今後6ヶ月半に渡って健康に留意し有意義な研修ができるよう共に頑張っていきたいと述べました。実習生を代表して劉孟龍団長が、農家の先生の指導のもと研修に励みますとあいさつしました。県国際交流員として河北省から派遣されている周夢暁さんに流暢な通訳をしていただきました。終了後歓迎会が和やかに行われました。
 
 一行は4月27日まで集合研修を受講した後、4軒の農家での6ヶ月間余の高原野菜の実習にはいります。
長野ラジオ孔子学堂第4期中国語講座スタート(4/5)

 長野県日中友好協会と中国国際放送局が提携して実施している長野ラジオ孔子学堂の第4期中国語講座が4月5日から順次スタートしました。入門・初級・中級・上級の昼と夜の講座が開かれています。ベテランの中国語講師の指導を受けて1年間の授業が続きます。

 入門の教室では桜井純子講師の指導のもと中国語独特の発音練習が行われ、初級の部では張淑華講師と顧淑鳳講師が「実用中国語(初級)」をテキストに、中級の部では王秋菊講師が「中国世界遺産めぐり」をテキストに授業を進めていました。上級は「時事中国語の教科書」をテキストに、鄭頴講師と劉非講師が指導しています。教室をのぞくと1教室10人前後で幅広い年齢層の皆さんが熱心に学んでいました。

 日中関係の好転に伴い、新規受講生が増加していると事務局の安芸洋一氏は語っています。1年間続けることは困難も伴いますが継続こそ力、目標を持って楽しみながら頑張ってほしいとエールを送っていました。

東日本大震災義援金にご協力を!

  3月11日に発生した東北関東大震災は、地震、津波、原発事故が重なりきわめて深刻な大災害となり、多くの尊い人命を奪い、おびただしい人々の生活基盤を破壊しました。被災された中には多くの友好の仲間・友人がおり、また中国留学生・実習生・華僑・帰国者の皆さんもおられます。また翌日には長野県北部地震が発生し、栄村を中心に大きな被害が出ました。協会支部作くりの話も出ていた矢先のことでありました。
 犠牲になられた皆様に心から哀悼の意を表し、被災された皆様にお見舞い申し上げます。県協会では全国本部の呼びかけに応え、岩手県、宮城県、福島県の日中友好協会と栄村への支援を柱として義援金に取り組むことといたしました。
  義援金は上記の県協会を通じて、被災されました会員と中国留学生・実習生等へのお見舞いといたします。栄村については隣接の飯山・岳北日中友好協会を通じてお届けいたします。皆様のご支援とご協力をお願い申し上げます。

  お振込み口座は下記のとおりです。協力者名簿にご記入の上、FAXか郵送でお送りください。5月15日を第1次集約日といたします。追って会報に協力者名を掲載させていただきます。

郵便振替口座:00530-5-11627「長野県日中友好協会」*通信欄に大震災義援金とご記入ください。

八十二銀行県庁内支店:(普通預金)262613「長野県日中友好協会」*協力者名簿をFAXなどで送付。

長野県日中友好協会  〒380-0936長野市中御所岡田町166-1  
TEL 026-224-6517   FAX 026-224-6518   E-mail:jcfan@mx1.avis.ne.jp

東日本大震災に中国から見舞いのメッセージ届く

 3月12日、中日友好協会・宋健会長より(社)日中友好協会あてお見舞いのメッセージが届きました。
「帰国東北地方で発生した大地震による甚大な被害の報に接し、私どもは大変心を痛めております。貴協会の会員の皆様に対し、また貴会を通じて、日本国民の皆様へ、お見舞いを申し上げるとともに、不幸にも罹災された方に対し心より哀悼の意を表しま
す。被災地の皆様がいち早く災害を克服し、復興されることをお祈り申し上げます。」

 3月12日、北京週報社の王剛毅社長から長野県日中友好協会井出正一会長あてお見舞いのメッセージが寄せられました。
「日本の東北地方で11日に巨大地震が起き、それによる大規模な津波などで大きな被害に見舞われたことを知り、大変驚いております。私は北京週報社を代表いたしまして被害者に深く同情の意とお見舞いの意を表すとともに、被災地の人々は元気を出して地震災害がもたらした損失を克服し、一日も早く正常復帰できるようお祈り申し上げます。皆様のご無事を、心よりお祈り申し上げます。」

 また、友好提携している河北省外事弁公室アジア処の梁国輝処長・紀竑女史、人民日報前東京支局長の孫東民氏、石家荘市外事弁公室の劉秋栓氏、河北省農林科学院孫風国氏、瀋陽体育学院王石安氏、広東省人民対外友好協会、上海市外事弁公室の郭盛麟氏などからも長野県北部地震に関連してお見舞いの電話やメールをいただきました。

 3月14日、中国国際放送局ラジオ孔子学院から長野県日中友好協会ラジオ孔子学堂あてお見舞いメッセージが寄せられました。
「貴国で3月11日にマグニチュード9.0の大地震が発生し、おびただしい死傷者が出、財産が失われたことを知り大変驚いております。ここに中国国際放送局ラジオ孔子学院を代表して謹んで皆様及び日本人民に心よりのお見舞いを申し上げます。遭難された方には沈痛なる哀悼の意を表します。中日両国は一衣帯水の隣邦であり、長野県の孔子学堂とわが放送局は多年にわたる古い友人です。私たちと皆様の心は相連なっています。ともに難関を乗り越えていきましょう。」

 3月13日の信濃毎日新聞は今回の大震災についての中国の反応について次のように報じています。

 東日本大震災から一夜明けた12日、すさまじい被災状況が刻一刻と明らかになり、世界に衝撃と驚きが広がっている。「100年に一度の地震と津波」「対岸の火事ではない」。地震多発国の中国や中南米諸国、多数の原発を国内に抱える米国などが高い関心を示す一方、日本にいる家族や留学生らの安否情報を求める声が上がった。

 「100年に一度の地震と津波に見舞われながら、日本は迅速に秩序を持って対応している。高度な災害対策を手本とすべきだ」(中国国営通信新華社)。2008年の四川大地震後も地震が相次ぐ中国のメディアは、日本政府と国民の対応を詳細に伝えている。

 新華社は「四川大地震で日本の救援隊が被災地に駆けつけ、一般市民や企業が次々と募金をしてくれたことは感動的な出来事だった」と指摘。「恩返しのため、支援の手を差し伸べるべきだ」と訴えた。

 一方、留学生ら約3万人の中国人が宮城県に滞在するなど多数の中国人が被災地にいると見られる。程永華駐日大使は中国メディアに「電話が通じないため、現地の中国人の状況が分からない」と語り大使館員を東北地方に派遣する方針を示した。(略)

程永華駐日中国大使が日本側に見舞い

 中国の程永華大使は12日午後、外務省で伴野豊副外相と会った。程大使は「昨日(11日)、日本の東北地方で強い地震が起き、多くの生命と財産が奪われたことに心を痛めている。温家宝総理は菅直人首相に、楊潔チ外交部長は松本剛明外相に、各々日本政府と日本国民への心からの見舞いの意を表すとともに、救援活動に必要な支援を提供する意向を表明した」と述べた。

 程大使は「在日本中国大使館は今回の震災を重視し、24時間体制で中断なく緊急対応を続けている。すでに被災地に緊急作業チームを派遣し、中国国民の安全の確認に全力を挙げている。中国国民の安全を確保するために、日本側の迅速かつ効果的な助力を希望する」と表明した。(人民網日本語版より)

中国国際救援隊が被災地へ

 中国国際救援隊が13日正午、東京に到着、早速自衛隊のヘリコプターで東北地方沿海の被災地へ向かいました。

 日本時間午後12時20分、15人からなる中国国際救援隊は羽田空港に到着し、日本側の関係者と駐日中国大使の出迎えを受けました。日本側は救援隊に感謝の意を表しました。

 救援隊の代表は、「日本は中国の一衣帯水の隣国で、今回の地震と津波によって、大きな被害を受けたことに深くお見舞いを申し上げる。困難を乗り越え、救援活動に全力を尽くしていきたい」と表明しました。
(中国国際放送局ホームページより)

満蒙開拓平和記念館建設へパネル展で支援の輪

 満蒙開拓に特化した平和記念館の建設準備が、ことし中の着工を目指して進んでいる。飯田日中友好協会などが中心となって組織した「満蒙開拓平和記念館事業準備会」(会長=河原進・飯田日中会長)が主体となって取り組み、(社)日中友好協会の2011年度活動計画にも、事業への支援が盛り込まれた。昨年夏、建設予定地がある長野県阿智村で「満蒙開拓歴史展」が開催されて以降、建設に向けた気運がより一層盛り上がり、10月には長野県議会の建設促進議員連盟が発足、阿部守一知事が国に要望書を提出するなど、行政などへの働きかけが実りつつある。準備会では、歴史展で使用したパネルを各地の協会に貸し出し、巡回展を開催してもらうなかで、さらに建設支援の輪を広げたいと期待を寄せている。

 記念館事業準備会は、2009年には準備会の活動を継続的に支援する会員制度を創設、昨年2月には一般社団法人を取得し、建設実現に向けて着実に前進してきた。
 昨年夏には、満蒙開拓について知ってもらおうと「満蒙開拓歴史展」を9日間にわたって開催、予想を上回る約1800人が来場した。会場では、集団移民や青少年義勇軍の体験者が自身の経験を証言し、多くの市民が耳を傾けた。また会場ロビーにパネルを展示して満蒙開拓の実像を伝えた。(詳細は本紙2010年9月25日号)
 当時、寺沢秀文・事業準備会事務局長は「国策で送り出した開拓移民であり、国や県にも支援を要請しているが実現していない。どう行政に関わってもらうかが今後の課題」と語っていたが、歴史展開催が大きな弾みとなって、長野県をはじめ行政の協力が得られるようになってきた。

■県議員連盟が発足
 昨年9月に準備会役員と会見した阿部守一知事は、「財政面などから厳しい面があるが、県として知事としても何ができるか考えたい」と述べて支援を約束。
 また、10月14日には待望の「『満蒙開拓平和記念館』建設促進議員連盟」(会長=森田恒雄県議)が県議55人の参加により発足、県・国に要望書を提出する際に、協力が期待できるようになった。 実際に12月には、県議員連盟と事業準備会の連名で阿部知事宛に要請書を提出し、建設への財政支援のほか、県として満蒙開拓に関する史実の記録・保存を強化するように訴えた。
 阿部知事は11月から今年1月にかけて、厚生労働省、外務省、文部科学省に県担当職員を順次派遣、厚生労働大臣ら各大臣宛の要望書を提出し、記念館建設を所管する国の窓口を明確にすることなどを求めた。これに対して各省では「対象となる支援・補助制度などが見あたらず、当面の支援は省単独としては困難」との回答を示している。

■パネル貸し出しへ
 一方、12月には満蒙開拓の歴史を広く市民に知ってもらい、記念館建設支援の輪を広げようと、県庁ロビーで夏の歴史展で使用したパネルの巡回展を開いた。展示したのは幅1.2メートル、高さ2.4メートルのパネル13枚で、27万人の農業移民を送り出した歴史的背景、「満州国」の実態などを、移民を呼びかける当時のポスターなどの資料を使いながら、わかりやすく説明している。
 準備会事務局次長の三沢亜紀さんは「記念館事業は今年度の着工を目指して行政への働きかけが正念場を迎えている。各地の協会でもパネル展の開催を通じて平和の尊さを若い世代に伝え、建設事業にご協力いただきたい」と話している。   問合せは準備会事務局TEL0265-43-5580まで  (「日本と中国」2011年3月25日号掲載)

高校での中国語の普及を知事に要望(3/3)

 長野県日中友好協会と大北日中友好協会は3月3日午前、県庁で阿部守一知事と会見し、第二外国語として中国語を県内高校で取り入れるよう要望しました。

 経済・観光などの面で中国との交流機会が飛躍的に増大している現状を踏まえ、現在11校にとどまっている高校での中国語学習導入を進めていただきたいとの要望に、阿部知事も中国語を大学時代第2外国語として学んだ経験を披露しながら、前向きに受け止め、県教育委員会に検討を提案したいと述べました。

 会見には福島信行大北日中会長(県日中副会長)、西堀正司県日中理事長、宮沢敏文・森田恒雄両県議、佐藤節子大北日中理事長、大塚善弘同事務局長、布施正幸県日中事務局長らが同席しました。           
中国唯一の「雪の拠点校」瀋陽体育学院(3/3寄稿)
             
 丸 山 庄 司(県スキー連盟顧問・瀋陽体育学院客員教授)

 ◎県スキー連盟顧問で元全日本スキー連盟専務理事の丸山庄司氏は瀋陽体育学院の招請に応じて2月9日から13日同学院を訪れ、日中スキー技術研究討論会で講演するとともに、同学院の白清塞スキー場において中国側スキーコーチに指導方法などを指導・交流しました。このほど、丸山氏から訪問記を寄稿いただいたのでここに紹介します。

 さる2月、中国瀋陽体育学院をたずねる機会を得たのでここに近況を報告する。

瀋陽体育学院は3年前に、瀋陽市内から郊外に場所を移し新築された。敷地は広大で約1km×2kmの矩形のなかにすべての施設がある。陸上競技とサッカーのグランド以外は、100mのトラックをはじめ、ほとんどが屋内施設、生徒数約1万人は全寮制。驚くほど広大なレストランや読書棟。もちろん1万人の宿泊棟は圧巻である。

そしてもうひとつは学校施設としてのスキー場を持っていることである。瀋陽体育学院から車で約30分の場所にスキー場がある。

600mのリフト1基、Tバーリフト2基、初心者用の動く歩道100M1基、一般用滑走コースのほかに、エアリアルジャンプ台と、スノーボート用のスーパーハーフパイプは国際スキー連盟公認の施設で、ワールドカップを開催できる規模である。降雪機8基、雪上車2台も完備されている。講堂や教室、屋内テニスコートなどのほか、宿泊棟は200名収容でき、VIP宿泊用6ルーム、その他レンタルスキー2400台、レストランも完備されているのに驚く。とはいえ、瀋陽体育学院は中国で唯一の「雪上のスポーツ種目の拠点校」に指定されている大学だと聞き、なるほどと一人うなずく。

このような完備されたスキー場だけに、一般にも開放されていてナイター施設も完備されている。人口800万人の瀋陽市や遠く大連市方面からも休日に利用しているという。

このような環境のなかで、ハードやソフトの両面での対応に選手強化も進み、在校生が長野やトリノの冬季オリンピックなどで、エアリアル種目でいくつものメタルを獲得しているのは周知のことである。またスノーボートの強化も着々と進み、近年はワールドカップに入賞する選手が輩出されてきている。以上が瀋陽体育学院の近況である。

私にとっては5日間の短い日程だったが素晴らしい交流だった。今後も長野県日中友好協会や(財)長野県スキー連盟と、スノースポーツを通じた交流を望んでいたことを伝え報告としたい。

第34回日中友好スキー交流会、菅平に100余人が集う(2/26~27)

 長野県日中友好協会青年委員会(高山浩一委員長)と同女性委員会(村山ひとみ委員長)の主催により、2月26、27日の両日、上田市菅平高原スキー場において、恒例の第34回日中スキー交流会が開かれました。交流会には中国留学生・帰国者らをはじめ108人が参加し有意義な交流となりました。

 快晴の青空の下、開会式の後早速、6班に分かれてスキー教室がおこなわれました。初心者も青年委員会メンバーなどの指導員のリードのもと汗だくになりながらスキーにチャレンジしました。最初は転んでばかりの初心者もだんだんとコツをつかみ直滑降からブレーキの体勢、ボーゲンへと進歩が見られるようになっていきました。スキーは2度目3度目でかなりの腕前の留学生もいました。今回初めてスノーボードの班も開設されました。

 夜の交流会では、地元の同好会メンバーによる青木村壁塗り音頭が披露され拍手喝采を浴びました。杯を交わし交流しながら班ごとの歌の発表や青年委員会メンバーのダイナミックな踊り、ジャンケン景品争奪戦などもあり、大いに盛り上がりました。

 2日目のスキー教室では全員がリフトに乗って、緩やかなコースを滑り降りれるようになりました。雪質も良く快適なスキー日和のなか昨日の苦労と打って変わってスキーの楽しさを味わっていました。昼は女性委員会の皆さんが準備してくれたおにぎりと豚汁をおいしくいただき、閉会となりました。留学生の代表は「本当に楽しいスキー交流でした。また参加したい」と語っていました。帰国者の池田慧子さん(5年生)は小学校の同級生小川博子さんとともに参加しましたが、パラレル・ボーゲンをマスターでき、楽しかったと喜んでいました。北京放送局の劉非さんも参加し、大勢の皆さんと交流を深めました。

 留学生や帰国者にスキー用具を提供いただいた㈱スワロースキーの丸山哲三会長代理の山田進取締役部長や上田市長代理の笠原茂正真田地域センター長、西堀正司県日中友好協会理事長、池上一巳上田日中友好協会副会長らも交流会に出席し激励してくれました。
日中友好都市提携の自治体関係者経験を交流(2/24)

 長野県国際課と県日中友好協会の共催で、第16回県日中友好都市交流会議が2月24日長野市内のホテル・サンパルテ山王で開かれました。県及び長野・須坂・伊那・松本・上田の各市と山ノ内町・泰阜村の担当者並びに関係する日中友好協会関係者が出席して、友好提携の経緯や交流事業、新年度の交流計画などを報告し、意見交換を行いました。
帰国者への理解を深めるつどい・体験発表と春節交流会(2/11)

 県と県日中友好協会は2月11日、「中国帰国者への理解を深める県民の集い」を長野市内のホテル・サンパルテ山王で開きました。旧満州(現中国東北部)に渡り、敗戦時の混乱で取り残された中国残留孤児や帰国者2世の4人が体験を発表、200人が聞き入りました。引き続き、第2部では京劇と変面のショーや二胡演奏を堪能し、第3部の春節交流会では餅つきを皮切りに大正琴の演奏、くじ引き抽選会、歌やヤンコー踊りを楽しみました。

 第1部では主催者を代表して吉川篤明・県地域福祉課長と井出正一・県日中友好協会会長があいさつし、「長野県は全国一満州開拓団を送り出し多くの犠牲を出した。現在4300人の中国帰国者の皆さんが県内に暮らしている。帰国者1世の高齢化が進み、生活習慣への対応や就労、教育などの課題もある。帰国者の皆さんが、言葉や習慣の壁などさまざまな困難を乗り越えてきたことに思いをいたし、地域や県民の皆さんの理解を得て、平穏で幸せな生活を送ることができるように国、県、市町村、関係者が連携して支援活動に取り組んで行きたい」と語りました。

 体験発表で井原澄子さん(74)=飯田市=は、1945年3月、当時8歳のとき家族8人で旧満州に渡ったが落ち着く間もなく、ソ連軍の侵攻に遭遇、約1ヶ月間山中を逃げ回った後、父はシベリヤに連行され、祖父や母とは死別、兄弟姉妹は現地の中国人家庭に引き取られその後結婚、1994年永住帰国するまで50年間異国で暮らし、その間「いつになったら日本人としての暮らしができるのか、祈るばかりだった」と話し、最後に、「悲劇を繰り返さないためにも日本と中国が平和であってほしい」と訴えました。
 残留孤児の蔵本芳恵さん(65)=長野市=は、「18年前に夫と息子3人で帰国し、日本語の壁や困難を乗り越え働いてきた。退職後は国の生活支援給付金を得て、安定した生活が送れるようになった。現在日本語を勉強し、家族も孫を含めて10人となり幸せに暮らしている。社会に恩返ししたい」と話しました。
 母親の出身地の駒ヶ根市で暮らす帰国2世の小池向華さん(57)は来日後に日本語を学び、就労や自動車免許を取得した苦労を振り返り「最初は生活のため仕方なく学んだが、今は日本語に興味がある」と語りました。
 小学5年生の池田慧子さん(11)は小学校で先生の指導を得ながら勉強に励んでいる様子を元気に発表しました。

 第2部の中国太陽芸術団の公演では、程波団長がかつてNHKのテレビドラマ「大地の子」に中国政府代表団の仰団長役で出演したことなどを紹介しながら、軽妙な司会で会場を沸かせました。京劇俳優の劉妍さんは煌びやかな衣装を身にまとい「覇王別姫」のなかの虞美人の剣舞を披露し会場の雰囲気を盛り上げました。二胡奏者の于雪源さんは中国と日本の名曲を演奏、アンコールに応えて「北国の春」の調べに乗ってテノール歌手でもある程波団長が歌いだすと会場は手拍子に包まれました。最後に劉妍さんが再び登場して秘伝といわれている「変面」を観客のすぐ目の前で披露、瞬間的に15の面に変わる高度な芸に拍手が鳴り止みませんでした。

 第3部の春節交流会ではアトラクションとして臼と杵を使って、帰国者の皆さんが次々と餅つきを体験しました。懇親会に入って、大正琴の生演奏をバックに会場のいたるところで交流が行なわれました。抽選会も行われくじを引き当てた人たちがたくさんの景品を受け取ってにっこり。長野、松本、上田、飯田や伊南の日本語教室に通う帰国者の皆さんが「北国の春」や「星影のワルツ」「故郷の空」などを一生懸命歌い大きな拍手を受けました。最後に中国の東北地方に伝わるヤンコー踊りを会場いっぱいににぎやかに踊りました。

 飯田下伊那、伊南、松本、上田、飯山、長野などからおおぜいの帰国者や支援者、市民のみなさんが参加しました。戸井田一成長野市保健福祉部長、西堀正司県日中帰国者交流センター所長、小林佑一郎元帰国者定着促進センター所長、長谷部孝長野市厚生課長、阿部智史県地域福祉課係長、北島良一長野市日中理事長、北沢久県日中帰国者留学生委員長らも出席し帰国者にエールを送り、交流しました。長野市日中女性委員会の皆さんは友好の黄色のハッピ姿で、交流会の進行・盛り上げに大活躍でした。

日中友好新春女性のつどい(2/9)

 県日中女性委員会(村山ひとみ委員長)は恒例の新春女性のつどいを開催し、周立民先生(須坂病院漢方内科医師)から「漢方医学における未病について」の講話を聴き健康への関心を深めた後、二胡や和太鼓の演奏を楽しみながら、新年の日中の相互信頼と友好を深める活動をすすめて行くことを確認し交流しました。
 
日中関係を考える連続市民講座③(1/29)

 信州大学人文学部の早坂俊廣准教授が「海を渡った日中の宗教人・知識人」と題して講義をおこないました。

 鑑真、栄西と道元、雪舟、隠元、朱舜水などの事跡を紹介しながら、最後に「彼らの超人的な努力がなければ、東アジアの国際交流のみならず、「日本の伝統思想」も成立し得なかった。人が伝えない限り、教えは海を越えない」と強調されました。
2011年日中信頼回復に全力、新春座談会・新年会開催(1/17)

 長野県日中友好協会は1月17日、140人が出席して恒例の日中友好新春座談会と新年会を長野市内のホテル・サンパルテ山王で開きました。新春座談会には会員100人が出席して新年の抱負を語り合いました。新年会には各界来賓40人も加わり盛会裏に開催されました。

 日中友好新春座談会は、西堀理事長の司会で進められ、冒頭井出正一会長があいさつし各地区での活躍に敬意を表した後「昨年は日中友好協会創立60周年にあたり10月には人民大会堂で1300人が参加して記念祝賀会が開かれ、席上日本側を代表してあいさつした。尖閣沖の漁船衝突問題を機に日中関係が一挙に冷え込んだことを見ても戦略的互恵関係がまだまだもろいものであることも実感した。困難な時期にあっても、友好に尽力した先輩の思いを引き継いで日中の相互信頼回復に努め、友好協力関係を発展させていくための友好交流活動の積み重ねが大切との思いを新たにした。同席の丹羽大使も日中関係は谷あり山ありだがもっとも大切な隣国として付き合っていかねばならないと言っていた。今年は辛亥革命100周年、中国共産党創設90周年、満州事変80周年、太平洋戦争70周年、サンフランシスコ講和60周年、中米関係正常化40周年と節目の年に当たる。今年5月には両国の友好協会関係者が出席して日中友好交流会議が中国貴州省で開かれることとなっている。民間レベルでの交流を深めていきたい」と述べました。

 続いて布施事務局長が12月の第2回理事会で決定された今年の主な交流計画を報告しました。「国際情勢は各国相互の力関係が大きく変化し、アジアの時代が訪れている。日中関係の不安定要因を克服し、戦略的互恵関係を前進させる知恵と努力が両国指導者・国民に求められている。辛亥革命100周年、満州事変80周年にあたり、歴史を回顧しこれを教訓として、日中両国の相互信頼回復、友好協力の発展に努めていきたい。知事を団長とした友好の翼訪中団の派遣実現のほか、辛亥革命100周年記念展示、満蒙開拓歴史展の巡回展示、河北省との経済交流の促進や太行山河北省易県での第5期緑化プロジェクト、長野ラジオ孔子学堂を軸に中国語や中国文化の紹介普及などに取り組み、あわせて帰国者・留学生支援交流活動に力を入れて行きたい」としています。

 続いてディスカッションに入り、世界の中の日本と中国、日中関係の現状と課題、友好への提言、地区活動の紹介など活発に意見交換が行われました。尖閣沖の漁船衝突事件以来日中関係が急速に冷え込み相互の不信感が増大している現状を打開し、相互信頼回復を図るために、どのように日中友好を進めて行くべきか、またいかに新会員を迎え組織を充実させて行くべきかなどが熱心に語られました。

◎2011年は世界中が変わり、世界も日本も日中友好も変わる。2010年代は「東風が西風を圧する」ことになるだろう。
◎昨年の尖閣問題で国民感情が悪化したが、日中間では対中貿易額が第一位、人的往来も500万人を越え、中国留学生9万人、日本からの留学生も2万人に達する。337組の友好都市関係があり、日本企業2万5千社あまりが中国に進出している。観光客も増加している。中国はさまざまな課題を抱えているが経済・政治・軍事大国として国際社会において存在を高めている。日中関係は困難な時期を迎えているが民間交流を進め民間大使として頑張っていきたい。
◎日本人のもつやさしさの文化は誇りだ。中国人との交流の際もそれを出していきたい。また若者との交流を重視していきたい。
◎中国に進出しているが、現地工場の責任者は中国人という方針を貫いている。人材を選ぶことがもっとも大切。経済発展を続ける中国はいまや市場として急成長しており、店舗のほかにネット販売も拡大している。
◎中国で長く勤務していた。抗日戦争のテレビドラマなどが流れていたが、日本人を好きなひとも多い。家族ぐるみの交流をしたこともあった。諏訪では女性委員会の力が大きい。

◎平和への思いを持って友好運動に取り組んできた。中国に短期留学したとき中国人家庭で親切にしていただいた。日中不再戦、平和友好であくまでやって行きたい。在日中国人や帰国者の皆さんが不安を感じるようなことがあってはいけない。千曲では会長の人柄を慕って入会する青年や賛助会員もあり、会員拡大に努めたい。
◎茅野では女性委員会を設立できた。友好協会が中国から信頼されているのは日中戦争に対する反省の気持ちを持って活動しているからで来日した中国人は日本人に親しみを感じて帰る。友好協会は政治とタイアップして進むことが必要。日本の現状を中国側に理解してもらうようきちんと発信して行くことが非常に大切だ思う。
◎今年は辛亥革命から100周年、孫文と日本の関係は大変深い。大勢の日本人が孫文を支援した。胡耀邦氏はかつて青年は祖国を守る気概をもつとともに他国の青年と国際主義の精神を持って付き合わなければならないと述べた。愛国主義だけでは国を誤り誤国主義になると。
◎日本の将来を考えるとき教育が重要な重みをもつと思う。飯山では育英基金を出して中国の貧しい農村の子供たちを支援している人が身近にいる。
◎言葉は友好の架け橋であり中国語の普及は大事だ。伊藤忠や三菱商事は中国語の習得を新入社員に課し、8年たってもマスターできないものは社を去れ、との方針を打ち出したとの記事が出ていた。
◎中国語を高校教育に取り入れるよう県教育委員会に要請し議会意見書も採択されているが、11校にとどまっており、引き続き努力が必要だ。
◎長野ラジオ孔子学堂で中国語教室を開講して3年目となる。尖閣問題などが起こると受講生数にも影響が現れるが中国語の学習の輪を広げて行きたい。

◎飯田では高校生交流が活発に行われた。受け入れとともにさらに訪中する機会も増やして交流を深めていきたい。
◎日中友好をすすめて行く上で、1会員が1人の友人を作り結びつきを深めることによって、民間友好の基盤をつくって行きたい。町村ごとに友好協会を作って草の根の運動を進めてほしい。政府が平和の道を外れないよう物申してほしい。
◎尖閣沖の衝突問題でギクシャクしているが、両国国民は仲良くしていきたい。県協会の文化展示室をオープンハウス的なものとして会の内外の人々がつどい語り合える場として活用してほしい。
◎飯田日中では満蒙開拓平和記念館建設も2度にわたり知事への協力要請を行い、県議会にも議員連盟が誕生した。県も同行いただき国の関係省庁への協力要請などを行い新年度中の着工に向け取り組んでいきたい。満蒙開拓歴史展開催なども実施していきたいので引き続きご協力を願いたい。
◎満州事変80周年にあたり、悲惨な結末をたどった満蒙開拓団の歴史を忘れず、過去の教訓から学ぶことが必要と思う。
◎留学生や高校生をホームステイで受け入れ将来を担う青年や子供たちに友好の経験を話している。

◎30年前に初訪中したときは北京も暗かったが、今中国の子供たちは日本の嵐などのCDに関心を持つなど大きく様変わりしている。小布施も高齢化などの問題を抱えているがお隣の協会と共同行動をとるなど進めて行きたい。
◎青年委員会と女性委員会は2月26・27日菅平でスキー交流会を計画している。尖閣問題などがあると若者に声をかけづらくなる。メリットがあるかに目が行ってしまう時勢だが、1つレベルを上げた平和を語り合える青年を探し入ってもらうことが重要と思う。ご協力をお願いしたい。
◎尖閣問題など国家間のトラブルに対し、それを解決する方法について、中国でも議論がなされたと聞く。ウイン・ウインの解決を目指すべきで、共通利益のパイを大きくする、小異を残して大同につく、この方向で日中関係を律して行くとの話を聞いた。
◎東北地区を重点に訪問して交流を深めている。ボランティア活動を不景気の中で継続することはなかなか難しいが、言行一致で中国友人から信頼を勝ち取っている。後継世代を育てるために親として息子を友好運動に参加できるように育てて行きたい。
◎10月友好協会60周年記念祝賀会に中野地区から13名が出席した。国内で友好関係を結んでいる市の皆さんと会場で交流できた。北京から無錫を訪問し泥人形博物館関係者と交流を深めた。女性委員会が中心となって帰国者や研修生と肉まんを作り交流会を持った。こうした交流を通じて会員を増やして行きたい。

◎最後に井出会長が、「多義にわたってのご発言ありがとうございました。皆さんのご意見を聞きながら、希望を持った。今年1年ともに頑張りましょう」と述べました。

 新年会には、日頃、友好運動に協力いただいている各界来賓も多数出席いただきました。席上、井出正一会長は日ごろの協力に感謝の意を表し、昨年10月の人民大会堂での友好協会60周年記念祝賀会での自身の代表発言を紹介した後「日中関係は昨年尖閣沖衝突事件を機に急激に冷え込んでしまったが、このようなときこそ民間の立場から、相互信頼回復と友好協力発展に努めて行きたい」とあいさつしました。

 久保田篤県観光部長、寺島義幸県会議長、倉田竜彦県日中友好促進議員連盟会長、近藤光連合長野会長から祝辞をいただき、塚田佐前長野市長の音頭で乾杯しました。篠原孝衆院議員(代)、北沢俊美・小坂憲次参院議員(代)、服部宏昭・森田恒夫・村石正郎・西沢正隆・今井正子・太田昌孝県議、劉非中国国際放送局日本語部副部長、周夢暁国際交流員、王昌勝県華僑総会会長、岡田荘史長野市会日中議連会長、町田伍一郎・赤木静江・田中清隆市議からもあたたかい激励のスピーチをいただきました。あちこちで懇談交流が行なわれ会場は和やかな雰囲気に包まれました。岡村重信県経営者協会事務局長の発案で細野邦俊県商工会連合会専務の音頭で日中友好の万歳を行い1年の活躍を誓って散会となりました。

 来賓として田中功県国際課長、窪田徳右衛門白馬村副村長宮本経祥信濃教育会会長、菅原宗男県中小企業団体中央会事務局長、木藤暢夫県商工会議所連合会常務理事、塚田剛義県瀋陽保障協会常勤理事、星沢重幸部落解放同盟県連副委員長、酒井康成松本歯科大学法人室主任らのご臨席をいただきました。
大日方君(長野市小6)が中国語全国大会で2位に(1/9)
 

 (社)日中友好協会全国本部主催の「第28回全日本中国語スピーチコンテスト全国大会」が1月9日、東京で開かれ、高校生・一般部門で長野県代表の長野市後町小学校6年の大日方慶樹君(12)が2位入賞(中国大使賞)を果たしました。核兵器廃絶を滑らかな中国語で訴え、高い評価を受けました。

 テーマは「我的理想」(僕の夢)。外交官になって、唯一の被爆国である日本がもっと主張して核兵器をなくす活動をしたい、と将来の目標についてスピーチ。1983年から開催されている大会で、小学生の入賞は初の快挙でした。

 大日方君が中国語を始めたのは小学1年生の時。現在は週2回ほどのペースで家庭教師に教わり、北京や上海などにも3回旅行し、日常会話をこなせるレベルに上達したそうです。

 全国大会には、昨年9月の県大会で優勝を果たして初めて出場。高校生・一般の部には9人が出場しました。「緊張したけど、スピーチの内容を完全に覚えてうまく発表できた」と笑顔で語りました。

 今は、3月にある中国語検定の2級取得が目標。「来年の全国大会にも挑戦して今度こそ1番を取りたい」と張り切っています。

 <年頭ごあいさつ>


歴史を回顧し日中相互理解・交流促進へ
 友好協会60周年記念集会に参加して

        長野県日中友好協会会長 井出 正一

 ご健勝にて新しい年をお迎えのこととお慶び申し上げます。昨年のわが協会の諸事業に賜りましたご支援ご協力に心より感謝します。

 昨年(社)日中友好協会は創立六〇周年を迎え、一〇月一五日秋天の北京・人民大会堂で全国各地から参集した一二〇〇名の仲間と、宋健中日友好協会会長はじめ中国の友人一〇〇余名の皆さんともども祝賀の大集会が盛大に開催されました。長野県からは一七五名の参加者数を数えました。

 また大会直前に加藤紘一会長が体調を崩されてしまい、急遽私が代役を仰せつかる破目にあいなりました。九月以来難しい日中関係の状況下でしたので、挨拶の内容・表現には可成り神経を使いました。(『日本と中国』20・11・5号に全容が掲載されています。)

 「政冷経熱」といわれた時代から「戦略的互恵関係の包括的推進」が唱われ、二〇〇八年六月にその象徴的柱ともいうべき東シナ海の排他的経済水域の線引き争いを、曽て鄧小平副首相が提唱した「棚上げ」を再確認したガス田の共同開発の合意が、昨年九月の尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突事件によって、一気に崩壊の危機に晒されてしまいました。閣僚級交流の停止、中国政府が招待した日本青年の上海万博受け入れの突然の延期、日本向けレアアースの輸出停滞や、日本人四人の「軍事管理区域侵入」容疑での拘束など経済や観光、民間交流にまで影響が出始めました。

 年頭初以来決定していたとはいえ、そんな状況下での北京・人民大会堂での行事であります。正直のところ内心いささか不安でもありましたが、その心配は杞憂に終りました。宋健会長以下中日友好協会の皆さんは心からの歓迎と祝意と、今日までの私たちの活動に対して敬意と謝意を表してくれました。宋会長は「中日友好関係の発展は依然として任重く、道遠しであり、目標を達成するため引き続き努力していかなければなりません」と挨拶を結ばれました。まさに同感であります。「戦略的互恵関係」がまだまだ如何に脆いものであるか、それだけにその構築をより確かなものにしなければならないこと、そのためには両国のより一層の相互理解と国民感情の改善を図る民間の諸交流活動、とくに青少年交流が必要であることを痛感した大集会でありました。

 今年は辛亥革命一〇〇年の年であります。一〇年刻みに「年表」を追ってみますと、中国共産党の創立(一九二一年)、満州事変(三一年)、太平洋戦争の始まり(四一年)、サンフランシスコ「単独講和」会議(五一年)等々日中近現代史に看過できない年が連なっています。両国の相互理解を深めるには歴史を学ぶことも重要です。先輩の皆さんが一つ一つの石を積み上げてこられた石垣に、私たちもさらに積み重ねていこうではありませんか。

友好短信

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