友好短信2012.1~12

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阿部知事訪中、日中青少年交流再開など働きかけ(12/18~22)

 阿部守一・長野県知事は12月18日から22日、北京・南京・上海など各地を訪問しました。18日には中日友好協会の井頓泉常務副会長と釣魚台迎賓館で会談しました。阿部知事は「中国から日本へおおぜいの方に来ていただきたい」と述べ、尖閣問題の影響で滞っている両国間の日中青少年交流再開や観光客往来などを働きかけました。井副会長は「中日関係の現状を憂慮しており、関係が改善することを期待している」とのべ知事の提案に賛意を表しました。

 また19日には、長野県が大学生のインターンシップを受け入れている北京連合大学観光学院で学長や学生らと懇談し、「今後も中国の優秀な若者を大勢受け入れたい」と述べました。8月から3ヶ月間、県庁の国際課でインターンシップを体験した同学院4年の呉丹さん(23)は「良い機会を与えてもらい感謝している。長野の食べ物、名所はどれもいい思い出。長野とのご縁を大切にしていきたい」と感激しながら話しました。阿部知事は、「長野県にとって観光は重要な産業。中国からの観光客が増えることも期待しているが、観光に携わる人材育成の点でも協力を深めたい」と述べ交流拡大に意欲を示しました。

 その後、20日に南京、21日には上海をを訪れ、長野柄の観光旅行や生徒らの教育旅行の誘致を旅行会社に要請しました。また上海では、県内から進出している企業の代表者と意見交換をしました。県日中友好協会から西堀正司理事長と西田節夫副理事長が同行しました。
「中国語で運転免許受験可能に」、県友好協会申し入れ(12/10)
 
 県日中友好協会は12月10日、県警察本部と県に対し、中国語で自動車運転免許の学科試験を受験できるよう要望しました。

 西堀正司理事長はじめ帰国者留学生委員会メンバー5人が「中国帰国者等1万1千人の中国籍の方が県内に暮らしており、就職や生活の面で不便を感じている中で、早期に条件を整え実施していただきたい」と要請したのに対し、大内明・県警交通部長が、「25年度中には、中国語とポルトガル語での受験が出来るようにしたい」と述べました。

 現在全国で日本語のほか英語で学科試験を受験でき、内15道府県で中国語受験が可能となっていますが、来年度中には25道府県で可能になる見通しとのことです。帰国者はじめ皆さんがこの機会を生かして免許取得にチャレンジしていただきたいと思います。

 要望書の要旨は下記の通りです。

国際化が進む中、長野県には約3万5千人の外国籍の方が暮らしており、そのうち中国籍の方は中国帰国者や日本人の配偶者をはじめ約1万1千人を占めております。
 長野県内では現在英語による運転免許取得の学科試験は実施されていますが、中国語やポルトガル語での学科試験は実施されておりません。
 日本語を十分取得できていない状態での学科試験合格は大変困難であり、公共交通網の少ない県内に住む皆さんが、自動車免許を取得できずにいるため生活に不便を感じており、また就職にも不利となっています。
 全国的にみますと、15道府県ですでに、中国語やポルトガル語で受験できるようになっています。
 こうした体制を整備されることは、日本の交通ルールやモラルを理解する機会を増やすことにつながり、県内の交通安全の向上にも極めて有効と思います。
 他県に比しても中国帰国者等の居住者の多い長野県で自動車運転免許学科試験の中国語での実施を是非実現いただきたくここに要望いたします。

「尖閣問題」を皮切りに第16期日中関係を考える連続市民講座がスタート(11/25)

日中関係を考える連続市民講座が11月25日から始まりました。長野県内の大学と県日中友好協会などで作る「県日中学術交流委員会」主催で毎年行われていますが今回で第16期目を迎えます。

 この講座は両国関係について様々な知識を得て忌憚なく議論し合い平和と繁栄の環境作りに寄与するものです。尖閣諸島をめぐって関係悪化の事態が引き起こされたこともあり、尖閣問題をとりあげた第一回目講座(講師/立石昌広・県短期大学教授)には多数の出席者を迎え、講演のあと質問や意見がたくさん出され、関心の深さが伺える講座となりました。

 以降、毎月一回のペースで中日両国への理解を深めるため、文化・情報事情、歴史、経済関係などをテーマに計6回の講座が開かれます。

県女性委員会バスツアー、中国王朝の秘宝展参観(11/21)

 県日中女性委員会は11月21日、第5回秋の日中友好バスツアーを実施しました。女性委員会メンバーら40名が参加して、上野の東京国立博物館平成館で開催されている中国王朝の秘宝展を参観しました。

 未明に飯山を出発したバスは長野・岡谷・諏訪と高速道沿いにお仲間を加えながら、東京を目指しました。車中では西堀県日中理事長から最近の日中関係についてのお話をお聞きしまじめに学習会。11時半にはバスはいつの間にか上野に到着となりました。

 国立博物館の秘宝展の看板の前で記念撮影の後、入場しました。会場内は程良い込み具合でしたが、イヤホンガイドの申し込み受付には長い列が出来ていました。案内パンフレットにうたわれていたように、夏から宋時代にわたる中国歴代の王朝の都・中心地域に焦点をあて、それぞれの地域の特質が凝縮された代表的な文物を対比しながら展示してあり、「多元的でダイナミックに展開してきた中国文化」の重厚さをよく表していると思いました。たとえば、中原に花開いた夏・殷(商)の文化に対し、四川の古代蜀の文化、さらに南朝と北朝といったように、2つの王朝が生み出す空間の広がりと文化や美の様式の違いなどがわかりやすく解説され興味深いものがありました。中国文明に対する新たな視点を提示された感動がありました。

 思い思いに展覧会場を一回りして時計を見ると1時を回っていました。敷地内のレストランは待ち人であふれていましたが何とか昼食を済ませ、アメ横に向かいました。上野動物園の前を通りながらパンダのリーリーとシンシンにあいさつしないのも残念と思い、ちょっと立ち寄ると平日でしたが、親子連れでにぎわっていました。かわいらしいしぐさで竹をむしゃむしゃ食べていました。来年は元気な赤ちゃんを期待してますよ。お客さんの合間をぬって写真をパチリ、いい表情で撮れました。

 アメ横は相変わらずの賑わいを見せていました。叩き売りのお兄さんの気合に負けてどうしても財布の紐がゆるくなります。バスに戻った皆さんの両手は買い物袋でしっかりふさがっていました。一行はその後、改装なった東京駅をバックに記念撮影して、帰路につきました。バスの中では自慢の歌が次々に飛び出し、盛り上がりました。楽しい有意義な1日となりました。
国際都市・軽井沢に日中友好協会が誕生-日中民間交流より深く(11/18)
 
 軽井沢プリンスホテルにおいて11月18日、軽井沢日中友好協会の設立総会が開かれました。総会には約90人が出席しました。

 発起人代表で北京大学日本研究センター名誉教授の佐藤敬治氏は、あいさつの中で「たまたま日中関係が冷え込んだ時期と重なってしまったが、日中関係は唇歯輔車(しんしほしゃ=唇と歯のような密接な様)の間柄であり、国際親善文化観光都市・軽井沢としても中国ゆかりの人や町民の皆さんに広く働きかけ組織を充実し、民間友好交流を進めていきたい。避暑地・軽井沢として、今後、世界遺産に登録されている清朝皇帝の避暑山荘がある河北省承徳市との交流なども考えていきたい」と述べました。

 4回にわたる設立準備会が開かれ、軽井沢・御代田の両町の11,000世帯に設立趣意書を配布したことなどの経過が報告された後、会則・役員・活動目標・予算などが原案通り承認されました。主な役員は、名誉会長/佐藤雅義、会長/佐藤敬治、監事/武谷紘之、事務局長/山岸征男、会計/佐藤えり。(敬称略)

 来賓として、藤巻進・軽井沢町長、大林義博・町議長、西堀正司・県日中友好協会理事長らが協会の発足を祝ってあいさつしました。

 第2部の記念講演では、中国大使館の文徳盛参事官が国交正常化に際して毛沢東主席や周恩来総理が中国人民に日本に対する戦争賠償を放棄して日中関係の未来を展望して行くことの大切さを説得したことなどを紹介し、現在困難があってもそれを乗り越え、中日関係を新しいレベルに発展させていきたいと述べ、参加者から共感の拍手がおくられました。

 第3部の記念懇親会はあたたかい熱気につつまれ、和やかな懇談が続きました。地元の県会議員や町会議員、近隣の友好協会代表、中国とゆかりのある帰国者や大日向開拓団関係者、経営者、文化人など多彩な顔ぶれでした。辛亥革命の孫文を支援した梅屋庄吉の曾孫で松本楼経営の小坂文乃さんも駆けつけていただき、かかわりの深い軽井沢に友好協会が出来たことを祝福していました。
「人民中国読者会」東京支局長招き講演と交流会(11/17)
 
 長野県人民中国読者会(福沢宏夫会長)は11月17日、長野市日中友好センター教室において、人民中国雑誌社東京支局の賈秋雅・支局長を招き、講演会と交流会を開きました。
長野市中国帰国者のつどい-楽しく温泉で交流(10/28)

 長野市や市日中友好協会などで構成される長野市中国帰国者三者連絡会は10月28日、長野市の松代温泉・松代荘で恒例の中国帰国者のつどいを開きました。帰国者や日中友好協会・長野市及び地域の区長・民生委員など関係者80人が出席しました。

 主催者を代表して三者連絡会会長の北島良一・市日中理事長が「日ごろ帰国者の皆さんが困難を乗り越えて活躍していることに敬意を表します。1日ゆっくりと交流し、くつろいでください」とあいさつしました。

 市議会日中友好議員連盟の小林義和、池田清、倉野立人の各副会長から励ましのあいさつをいただいた後、御園流しらゆり会(御園幸扇家元)の見事な日本舞踊を堪能しました。

 第2部懇親会では、帰国者を代表して柳沢春生・市帰国者の会会長が「市や日中友好協会、地域の皆さんの支援をいただき帰国者が安心して生活を送ることが出来、感謝しています。今後ともご支援をお願いします」とお礼の言葉を述べました。県日中帰国者交流センターの布施正幸次長が「40年前、田中首相と周恩来総理が握手を交わして日中の戦争状態に終止符を打ち国交正常化を実現したからこそ、残留邦人の皆さんが帰国できるようになった。日中両国は決して再び戦争してはならない。平和友好を誓って乾杯しましょう」と述べ乾杯、懇親に入りました。

 親しく懇談する姿がいたるところで見受けられました。カラオケを楽しんだ後、武田信玄ゆかりの温泉につかりました。
日中友好マレットゴルフ大会-帰国者や研修生と共に交流(10/13)

 長野市日中友好協会は10月13日、犀川第2運動場マレットゴルフコースで第10回日中友好マレットゴルフ大会を開きました。

 大会には石家荘市からの語学研修生や中国帰国者も参加し、ルール説明を受けた後、33人が6班に分かれて「熱戦」を繰り広げました。

 初体験の研修生にはベテランの会員が一生懸命指導。まさに「友好第一、試合第二」でほほえましい光景が見受けられました。スティックを大きな球の芯に当てるにはなかなかコツがいりますが、次第に慣れて、球の転がる勢いも良くなっていきます。コースは一見簡単に見えても、障害や曲がり角があったりで、OBに苦しむ姿も。まさに人生勉強ですねェー。

 2時間ほどで全員試合を終え、たくさん用意された賞と景品を受け取りました。お弁当を食べながら、試合の健闘を讃えあい反省しながらの楽しい交流会となりました。
中国ジャンプ訓練隊、今年も白馬で訓練(10/4~20)

 張鑫・中国スキー協会通訳を団長とする中国ナショナルチーム女子ジャンプ訓練隊の歓迎会が10月11日長野市内の犀北館ホテルにおいて開催されました。

 県日中スキー交流委員会を代表して矢口公勝・県スキー連盟会長が一行の来県を歓迎し、「両国関係がギクシャクしているこういう時だからこそスポーツ関係者同士が絆を強くしなければいけない。アジアのスキー振興のために日中スキー関係者が協力して努力していきたい。訓練の成果を期待する」と述べました。張団長は、「30余年にわたり長野県のスキー関係者が中国スキーの発展に並々ならぬ支援をしていただいたことに深く感謝し、今後ともこの関係を継続していきたい」と述べ、2014年ソチで開かれる冬季オリンピックに向け選手強化を素晴らしい白馬オリンピックジャンプ台で訓練できることに謝意を表しました。県スポーツ課や白馬村、県日中友好協会関係者らが出席して交流を深めました。荻原健司さん(県スキー連盟副会長)も出席して、一行の活躍にエールを送りました。

 一行は、歓迎会に先立ち加藤さゆり・県副知事を表敬しました。副知事は30年来のスキー交流の伝統を活かし共に学びスキー技術の向上発展に努めたい、訓練の成果を期待すると述べました。またスキーを愛好している自身の経験等も紹介しながら「女子ジャンプは驚き、すごい時代が来たなと思う」と語り、和やかに懇談、一行を激励しました。

 訓練隊は15~18歳の6選手とコーチら計12人。10月4日から20日まで白馬で訓練しました。中国の女子ジャンプ陣は2010年から毎年白馬村で合宿しています。
日中国交正常化40周年講演と祝賀のつどい開催、高原明生先生を講師に尖閣問題を考える(10/4)

 長野県日中友好協会・県日中経済交流促進協議会・県日中学術交流委員会は10月4日、日中国交正常化40周年にあたり講演と祝賀のつどいを長野市内のホテル犀北館で開きました。講演会には、170名が出席。新日中友好21世紀委員会日本側事務局長で東京大学大学院教授(現代中国政治)の高原明生先生が「国交正常化40周年と日中関係の課題」と題して記念講演しました。講演終了後、先生を囲んでのパネルディスカッションと祝賀パーティーがおこなわれました。尖閣問題で厳しい試練にさらされている日中関係の現状を冷静に見つめるとともに、今後の展望と友好の意義を再確認できた有意義な1日となりました。

 山根敏郎・県日中経済交流促進協議会副会長の開会のあいさつに続き、井出正一・県日中友好協会会長が主催者を代表して「国交正常化40周年にあたり尖閣をめぐる激しい対立が続き、この40年間最大の危機を迎えていることは誠に残念だ。日中両国は引越しのできない間柄にあり長い交流の歴史を持ち、経済における相互依存関係は極めて深い。日中は好き嫌いでなく正面から付き合っていかなくてはならない。民間交流の大切さも実感している。高原先生の貴重なお話をいただき、改めて日中関係の重要性を認識する機会としたい」とあいさつしました。

 高原先生は「本来なら40周年をともに祝うはずであったが、尖閣問題によって、大変厳しい状況に陥ってしまった。しかしそれで終わらせず、ピンチをチャンスに変えて行く機会としたい。どうすればこの難局を乗り越えていけるか。今だからこそできることがある。節目の年に当たり、40年を振り返って見る必要がある。日中関係史のなかから強靭性と脆弱性を抽出して見て行くことが必要だ」と述べ、1.日中関係の諸要因、2.過去40年の日中関係、3.日中関係の現状-戦略的互恵関係の強靭性と脆弱性、4.今後の課題と話を進めました。

1.日中関係を律する4つの要因として①国民の認識・感情②経済利益③国内政治④国際環境・主権・安全保障がある。

2.過去40年の日中関係は前半の20年と後半の20年に分けられる。1972年~92年は冷戦体制と日本の台頭の時代であり、92年から2012年はグローバル化と中国の台頭の時代といえる。このことを踏まえて、各要因を見ていきたい。
 ①国民の認識・感情にも大きな変化があった。前半はパンダやシルクロードなどのブームがあり、7~8割の日本国民が中国に親しみを持った。中国でも鄧小平の改革開放政策に乗って日本の文化も次々と紹介され日本に対する関心を高めた。後半は89年の六四事件、90年代の核実験・ミサイル演習、00年代の海上行動の活発化・反日デモ、さらに中国人犯罪やギョーザ事件報道などが国民意識に影響を与えるとともに、バブル崩壊後の日本人の自信喪失・中国への劣等感、世代交代による贖罪意識の薄れなどによって親しみを感ずる比率が下がった。中国においては、当初は日本が近代化のモデルであったが次第に欧米も中国に進出、日本の魅力が薄れ、また鄧小平後の愛国主義教育の強化により、被害者意識(反日意識)が再生産された。一方、近年は文化交流が盛んで日本のアニメやコスプレが中国の若者の関心を呼んでいる。観光客が増加しインターネットでの情報も多く入るようになった。(インターネットはネット右翼も多く悪影響もある)
 ②経済利益では、当初エネルギー資源への期待そして労働力更に市場への期待へと変化してきた。技術(生産)、資本への期待から技術(省エネ・環境保護)への期待に変化してきた。相互依存は増大したが日本にとって中国は第1の貿易相手国、中国にとって日本は第2の相手国であり相手の重要度は日本で向上、中国では低下した。しかし、日本なしでは無理でもある。
 ③国内政治の面から見ると日本では当初親台湾派の勢力が強かったが、80年代の改革開放に伴い、関係は緊密になった。2000年代に入ると小泉首相の靖国参拝に反発し、アジアサッカー事件、反日デモが起こり、それを受けて急速に嫌中感、対中脅威感が高まった。中国では、対日政策は敏感な政治問題であり、政権の安定度を測るリトマス試験紙でもある。90年代以降、国民統合と支配の正統性のためナショナリズムの重要性が上昇した。だが内政と外交の連動が強まっている現在、外交面では桎梏になっている。
 ④国際環境・主権・安全保障の面から見ると、中国にとって安全保障と主権は常に再優先課題だが、日本にとっては経済が最優先課題。ソ連の解体以後中国の関心は海へむけられるようになり、尖閣政策の変更(92年領海法で釣魚島を明記)が明らかとなり、日本は初めて潜在的脅威を感じるようになった。日本は冷戦後、日米同盟強化の道を選択、中国は日本の「普通の国化」(軍事大国化)を警戒するようになる。一方90年代後半からは、地域統合が競争と協力の契機になってきている。

3.日中関係の現状-戦略的互恵関係の強靭性と脆弱性
 ①日中関係の強靭性としてあげられるのはまず、経済相互依存関係の拡大深化だ。昨年の日中貿易は31.1兆円で日米貿易15.9兆円を圧倒している。また朝鮮半島の核危機、東シナ海問題、海賊やテロの脅威への対処など安全保障領域での協力の必要性も存在している。社会交流・文化交流の分野では強い基盤があり拡大深化している。
 ②日中関係の脆弱性としてあげられるのは、歴史・領土・安全保障問題等の相互不信、相手に対する消極的イメージがあり、更に将来の日中関係や東アジア秩序の不確実性、相互コンプレックス、ナショナリズムなどがあげられる。
 強靭性を強化し、脆弱性の解消を目指すべきだ。日中関係の強靭性の柱となっている経済・文化領域を攻撃することはおろかで許されない。

4.今後の課題
 ①尖閣問題の沈静化をはかる為、平穏で安定した状態へ復帰させる。「主権問題をパンドラの箱に戻す、神棚に上げる」こと。すなわち主権問題を棚上げにして解決する知恵を持たなければならない。2012年コンセンサスを作ること。すなわち主権に触れず72年以来の状態を維持し、海上行動原則に合意し、2008年の東シナ海の共同開発合意を実施推進すること。
 ②安保対話と防衛交流を促進し日米中の戦略的共存に向けて、3カ国協議を始動させ危機管理メカニズムを構築すること。
 ③排他的ナショナリズムを抑制すること。歴史をもって鑑とする。日本では近代史教育、中国では現代史教育の強化をはかるべきだと思う。日本が得た歴史的教訓を語るべきだ。
 ④「和諧社会」構築への協力。日中プラス韓、華人が協力して、「東アジア戦略的互恵基金」を創設できたら素晴らしい。
 ⑤国力がなければメッセージも届かないので日本のソフトパワーの強化をはかるべき。教育を重視し、科学技術を振興し、移民も積極的に受け入れる。またお互いに相手に関する情報の量・種類・質の増加と向上をはかる。外交センスなき民族は滅ぶといわれる。外交に関する情報を増やし、インテリジェンスを強化する。

◎講演後に、高原先生を囲んで西堀正司・県日中友好協会理事長の司会でパネルディスカッションが行われました。
 
 県日中学術交流委員会副会長の上條宏之・長野県短期大学学長は「河北大学や中国国際放送局と交流関係を持っている。客員研究員だった方から長野での体験や実感を周りの人に伝え友好を大切にしたいとの手紙が届き嬉しかった。石原発言に端を発して大変な事態になったが、尖閣問題は沖縄問題に深くかかわりを持っており、日本の近現代史を学ぶ必要がある。アメリカの責任も大きい」と述べました。
 
 河原進・満蒙開拓平和記念館準備会代表(飯田日中友好協会長)は「満蒙開拓平和記念館はようやく9月着工式を行うことができた。ご協力に感謝したい。歴史を風化させないために努力していきたい。領土問題の解決はなかなか難しいが、日系企業には300万人が働いており政治力がもっと前に出て解決してほしい。貿易をもっと増やせば、島の問題は小さくなるのではないか」と語りました。
 
 西堀理事長は尖閣問題の経緯を振り返った上で「日本軍国主義と日本人民を区別した周恩来総理の知恵に立ち返るべきだ」と語りました。

 高原先生は「韓国にも反日はあるが破壊活動はなかった。心が通い合う関係を築くのは侵略の歴史がある中で大変難しい問題だ。政治家に強い信念がないとやりきることができない。信念を持った政治家が必要とされる」と語りました。

 会場からもメディアのあり方や尖閣問題の解決法などの質問が出されました。高原先生は「メディアの取り上げ方にも問題がありそれに過剰反応して問題がこじれてしまった面もある。中国の実情を知り発言すべきであり、メディア人は特に慎重にすべきだと思う」などと答えました。

 第1部の締めくくりで島田力夫・長野大学理事長が「人と人との交流を通じて信頼を築いて行くことも教育の果たすべき役割だ。日中友好の大切さを心から願っている」と閉会あいさつをしました。
 
 第2部の祝賀パーティーでは、井出会長のあいさつに続き、村石正郎・県議会前議長、鄧徳花・中国国際放送局日本語部・長野ラジオ孔子学堂中国側責任者から祝辞をいただいた後、王昌勝・県華僑総会会長の音頭で乾杯しました。会場では困難な中にあっても友好の大切さを思い激励しあう姿が見受けられ、和やかな交流が行なわれました。女性委員会の皆さんが最近完成したばかりの『虹の架け橋-県女性委員会の歩みⅢ』を披露するとともに、「ふるさと」と「大海啊故郷」を歌い大きな拍手を受けました。最後に岡村重信・県経営者協会事務局長の音頭で日中友好万歳で締めくくりました。

 若林健太・参議院議員(代)、堀場秀孝・県議、白井千尋・県信用保証協会会長、木藤暢夫・県商工会議所常務理事、井出康弘・県中小企業団体中央会事務局長、細野邦俊・県商工会連合会専務理事、埋橋茂人・JA全農県本部長、須田孝徳・JA長野中央会総合役員室課長、西藤千代子・部落解放同盟県連委員長、川原一祐・松本歯科大学常務理事、曲渕文昭・㈱八十二銀行専務、穂苅甲子男・信州葫蘆島友の会会長など各界来賓が出席しました。講演会には、吉田博美・参議院議員(代)、小島康晴・県議、白鳥博昭・県国際課長、比田井正弘・県観光交流推進課長、岡田荘史・長野市日中議連会長、日台和子・長野市国際室長、高橋博久・県平和人権環境労組会議議長らも出席しました。

*高原先生の発言についての文責は編集部にあります。
第25回日中友好武術太極拳フェスティバル、1000人が練習成果を発表交流(9/30)

 県武術太極拳連盟は9月30日、第25回県日中友好武術太極拳フェスティバルを長野市若里のビッグハットで開きました。全県から27団体・1000人余が参加し、日々の練習の成果を発表しました。

 古平幸司会長が日ごろの練習成果を発揮して有意義な交流フェスティバルにしてほしいと述べました。続いて、布施正幸県日中友好協会事務局長が日ごろの日中友好への協力に感謝するとともに原点初心に返って日中友好に、太極拳の普及に力を尽くしていきましょうと激励しました。

 1000人が広い会場を埋め尽くしての簡化24式太極拳の全体演武は壮観な眺めでした。十数人のグループから200人の大所帯までさまざまな団体が参加。それぞれウェアーにも工夫を凝らし、習熟度にあわせた「型」を披露しました。ポピュラーな簡化24式太極拳をはじめ、精簡88式・太極剣・太極功夫扇・呉式など参加者は手足の先まで意識を集中させ、ゆっくりとした動きの中にも緊張感が漂っていました。
 
 特別表演として全日本武術太極拳選手権大会で優勝した吉永麻里子・中村春香先生を招き、42式太極剣・総合太極拳・対練の武術表演も行われ好評でした。

 9時からスタートした表演が全て終了したのは午後4時でした。応援の家族皆さんがビデオに収める姿も見受けられました。
第30回長野県中国語スピーチコンテスト、12名が出場(9/23)

 第30回中国語スピーチコンテスト長野県大会が9月23日長野市の信濃教育会館で開かれました。

 主催者を代表して竹内勲・実行委員長(長野県日中友好協会ラジオ孔子学堂長)が「中国の発展とともに中国語は益々重要性を増している。日中関係は困難な状況を迎えているが、言葉は友好と文化の懸け橋なので、相互理解と相互信頼回復のためにともに努めていきたい」とあいさつしました。来賓として、西堀正司県日中友好協会理事長は「今、日中関係は困難を抱えているが初心に帰って日中の平和友好の大切さを確認して再出発していきたい。中国語を学ぶ皆さんの活躍に期待したい」とあいさつしました。

 県内で中国語を学ぶ学生や会社員、主婦ら12人が出場し入門、初級、中級の3部門で表現力や発音の正確さや主張を競いました。入門と初級の部は与えられた課題文、中級の部は自作文を発表しました。岩下隆審査委員長をはじめとした大学講師ら5人の審査員が審査を行いました。

 「ウサギと亀」の課題文に挑んだ高校生の高橋加那さんは流暢な発音で高い評価を得ました。

 中級の部で優勝した大日方慶樹君は中学2年生で3年連続の出場でした。「僕にとっての日中関係」と題し、国交正常化40周年を迎えた日中関係は困難に直面しているが一衣帯水の両国の平和友好のために努力してきた多くの先達がおり、その覚悟を大切にしていきたいと訴えました。来年1月に東京で開かれる全国大会への出場を決めた大日方君は、優勝を目指したいと意気込んでいました。

 審査員にも加わっていただいた長野滞在中の中国国際放送局日本語部の鄧徳花さんが自身の日本語学習と中国語指導の体験を踏まえて講演し、「言葉は何よりも聞き手を意識することが大切であり、失敗を恐れず話しかけること」と学習者を励ましました。また国内だけでなく外国のことに関心を持ち相手のことも理解して行くことの必要性を訴えました。言葉を武器に友好関係を築いてほしいとの鄧さんの話に共感の拍手が送られました。

 入賞者は次の通りです。入門の部①高橋加那、②野口敦美、③下田佑美。初級の部①田中広樹。中級の部①大日方慶樹、②藤沢淳一、吉澤茜。ほかに努力賞:矢指本有華、敢闘賞:高橋郁佳、奨励賞:林涼子。(敬称略) 
「満蒙開拓平和記念館」起工式、来年4月開館へ(9/12)

 「満蒙開拓平和記念館」の起工式が、9月11日、同館事業準備会や飯田日中友好協会の役員や元開拓団員、飯田下伊那地方の市町村長ら70人が出席して下伊那郡阿智村の建設地で行われました。誤った国策の下に多くの犠牲者を出した「満蒙開拓団」の歴史が後世に語り継がれ平和の礎になるよう願いをこめました。会館は来年4月の予定。

 くわ入れなどに続いてあいさつした同準備会代表理事で飯田日中友好協会の河原進会長は「白紙の状態から皆さんの力でここまでこぎつけられた。(記念館が)遺産となるよう精進したい」と話しました。

 村有地約1450㎡を無償貸与した阿智村の岡庭一雄村長は「大勢の人が平和を考え、中国との友好が深まるような施設にしてほしい」。元開拓団員の中島多鶴さん(87)=泰阜村=は「「犠牲者のことを忘れてはならない。戦争の悲惨を後世に伝えるために、記念館が有効に使われてほしい」と語りました。

 記念館は木造平屋約440㎡。展示室に開拓団の資料や当時の写真を並べるほか、元開拓団員が体験を語るセミナールームや喫茶コーナーなども設ける計画です。

 このほか、県立歴史館が今年5月から7月まで開いた企画展にあわせ電子化した開拓団員ら3万3千人の名簿の寄贈も受けることになっています。
総事業費は約1億2千万円。同準備会が2007年から募っている寄付金約5千万円に加え、南信州広域連合と県からの補助金9千万円、林野庁からの交付金で、建設費並びに運営費を確保できるとしています。

 同準備会の三沢亜紀事務局長は「資料収集の呼びかけに、当時の貴重な手紙や写真などが少しずつですが寄せられています。どれも遺族の方々にとっては故人の「生きた証」。日中双方を含め犠牲になった多くの命と、戦後もこの歴史を背負い生きてこられた方々の思いを受けとめ、平和の尊さを全国に、世界に発信できる記念館にしていきたいと思います」と述べ、引き続いての協力を呼びかけています。

詳細は満蒙開拓平和記念館 建設準備会まで

県日中女性委員会『虹の架け橋Ⅲ』出版祝賀会(9/3)

 長野県日中友好協会女性委員会(島津美智子委員長)は9月3日、ホテル・チサングランド長野において、この10年間の友好活動の歩みを綴った『虹の架け橋Ⅲ~県女性委員会の歩み~』の出版祝賀会を開きました。女性委員会メンバーや来賓など53人が出席し、10年の数々の取り組みを振り返りながら出来上がったばかりの記念誌の完成を祝いました。

 あいさつに立った村山ひとみ前委員長は「皆様のご協力のもとようやく完成しました。10年をさかのっぼって色々やってきたなと感慨深い。先輩の後を引き継いで新たにバスツアーなどにも取り組み、おかげでお仲間も増えました」と感慨もひとしおの様子でした。松原京子編集委員長は21回にわたる会議を持ってきめ細かく編集を進めてきたことを報告しました。井出正一県日中会長はじめ来賓の皆さんは、日ごろの女性委員会の活躍に敬意を表し、立派な親しみやすい記念誌の発刊を祝って祝辞を述べました。

 記念誌の構成は、まず14ページにわたるカラー刷りグラビアのページがあり、見る人に分かりやすく女性委員会の多彩な活動を紹介しています。唐家璇・中日友好協会会長から寄せられた「国交民親 民交心知」の色紙も巻頭を飾りました。第1章は「友好活動の思い出」で10年間の主要な取り組みを紹介。第2章では「私と中国-原点から活動へ」と題して平和友好の思いを綴っています。第3章では「各地区の活動」を紹介、第4章の「資料編」では年表や役員、「女性委員会だより」などを収録しています。
紀竑さん来県、旧交温める(8/29~9/2)

紀竑さんは故内藤武男先生(県日中友好協会副会長・県日中経済交流促進協議会会長)のお別れ会に参列するため、8月29日はるばる福岡から長野においでになりました。在りし日の内藤先生を偲びながら、悲しみのお別れをしている姿を見ながら、紀竑さんの人柄を垣間見た思いがいたしました。きっと内藤先生も心から喜んでおられることと思います。

折角の長野訪問ということで、河北省外事弁公室勤務時代お世話になった友人が歓迎会に参集しました。33名の皆さんが集い旧交を温めました。話は尽きず、友情の花が開きました。4泊5日の長野県滞在中、30日には県庁に野池明登観光部長を表敬し懇談しました。中国からの観光客招致に力を入れていること、長野県の魅力、河北省との友好が来年30周年を迎えることなど話が弾みました。

その後、木曽路を訪ねました。木曽日中の横沢淳一理事長さんらに出迎えていただきました。木曽町三岳には戦争中に中国河北省などからこの地に強制連行されなくなられた180余名の烈士の慰霊碑が建てられています。平和を祈りながら碑に献花しました。さらに、木曽の名所寝覚の床や福島宿・関などをご案内いただきました。奈良井宿では木曽楢川日中の武井事務局長が歴史的町並み保存に力を入れてきた状況などを詳しく説明していただきました。紀竑さんは何度も長野県を訪問していますが木曽路は初めてで、是非訪問したいと思っていたそうです。

この日、白馬村八方にあるホテル対岳館に到着したのは午後6時を回っていました。福島信行・大北日中会長や丸山庄司先生、大塚善弘理事長が歓迎夕食会を開いてくれました。白馬八方の温泉は25年ほどの歴史だそうですが美人の湯として好評で肌がすべすべになります。翌31日は丸山先生の案内で八方のゴンドラリフトを乗り継いで唐松岳の中腹まで登り登山気分を味わいました。岩竹の百合園もさわやかでした。午後2時過ぎ、長野で茂木博・米子夫妻の出迎えを受け、ホームステイを体験してもらいました。緑化協力訪中で何回も紀竑さんの案内をいただいたご夫妻は、思い出話に花が咲いたそうです。

9月1日、最後の訪問地は飯山です。市役所で上村力会長と栗岩善昭理事が出迎えてくれました。栗岩さんは大の紀竑さんファンで熱心にご案内いただきました。歓迎昼食会には足立正則市長さんも顔を出していただいたそうです。夜はお猿の温泉で名高い渋温泉でくつろいでいただきました。別れの9月2日、栗岩さんの車で松本空港へ。お互いに顔の見える交流がとても大切だと実感した5日間でした。

今年も志賀高原で中国語夏期スクーリング(8/25~26)

 恒例の日中友好中国語夏期スクーリングが8月25日から26日志賀高原で開催されました。涼しい快適な環境の中で、20名あまりの参加者は入門・初級・中級・上級クラスに別れ、中国人ベテラン教師の指導のもと1泊2日で中国語学習に励みました。

 開校式で竹内勲・孔子学堂長は「中国の発展とともに中国語の重要性が高まっている。言葉は友好と文化の架け橋。この機会を活用して、中国語をより深くマスターし友好に実践に役立てていきましょう」とあいさつしました。

 各クラスでは教師が事前に準備した教材を使って発音・会話・文法・作文など熱心に学ぶ姿が見受けられました。夜の交流懇親会では日本の歌、中国の歌が次々に披露されました。朝はラジオ体操、太極拳に汗を流し、再び特訓が始まりました。

 参加者は、日ごろの学習では体得できなかった発音や学習のコツなどが理解できたと喜んでいました。また京都や大阪、群馬など県外から参加していただいた方は、来年も是非参加したいと語っていました。
日中の中学生卓球交流 正常化40周年記念 北京で開催(8/20)

 日中国交正常化40周年を記念して両国の中学生が混合チームを組んで試合をする「卓球交歓大会」が8月17日から20日まで北京オリンピックスポーツセンターで開かれました。日中両国の卓球協会や友好協会が主催で、卓球をきっかけに青少年同士の友情を深めるのが狙いです。

 卓球交歓大会は1990年、民間交流を通じた友好促進に向け開催され、国交正常化20周年の92年以降は5年ごとに実施されてきました。今年は尖閣諸島をめぐる問題で波紋が広がる中での開催となりましたが、大会関係者は、「こういう時だからこそ卓球で友好を盛り上げたい」と語りました。

 大会には選手やコーチら総勢1000人近くが参加。友好交流都市同士の中学生の男女4人がチームを組み、計83チームが友好親善試合を繰り広げました。

 県内からは長野県(河北省)と長野(石家荘)、須坂(四平)、伊那(北京通州)、松本(廊坊)、上田(寧波)の5市から2人ずつの計12人の中学生が参加。17日は開会式の後、日中混合の選手で練習しました。県チームの石沢一芳監督は「政治的な問題を超え、友好関係を深めていきたい」と話しました。飯田高陵中学2年の松澤紘希君(14)は「こちらの人は普通に接してくれ、嫌な思いはしていない、。最初は緊張したけれど点をとると互いに笑顔になれた」。佐久穂町佐久中学2年の日向梨緒さん(14)は「中国の選手は強いけれど、足を引っ張らないようにして精いっぱい頑張りたい」と話していました。

 5ブロックに分かれて行われた試合で長野市=石家荘市チームと松本市=廊坊市チームが優勝しました。他のチームの選手の皆さんもそれぞれの持ち味を活かして健闘し、試合と友好に成果をあげることができました。
日中学術交流委員会2012年度総会開催(8/6)

 長野県日中学術交流委員会(山沢清人会長)は8月6日、長野市内のホテル・サンパルテ山王において2012年度総会を開きました。信州大学や長野大学、県短期大学、上田女子短大、松本短大など中国との学術協定や学術交流、留学生受け入れなどの現状なども報告され、引き続き日中学術交流を促進していくことを決めました。また、第16期日中関係を考える連続市民講座や日中国交正常化40周年記念シンポジウムなどに取り組むことが決定されました。

 山沢会長は、「政府間のギクシャクがあっても民間同士の交流が大事で、長い目で見て付き合って行くことが必要だ。中国との積極的な学術交流が重要で若い研究者の交流が増えていることは喜ばしい」と述べ、若い世代の人材の養成を日中学術交流の中で積極的にすすめていきたいとの意向を示しました。井出正一県日中友好協会会長も「日中国交正常化から40周年、不惑の年を迎えている。日中相互の信頼関係が低下しているとの世論調査も出ているが長い目で見て8割は相互に相手を重要な国と認識している。大学間交流をはじめ日中関係を考える連続市民講座の開催など一層の活躍を期待したい」と述べました。

 総会終了後、長野滞在中の中国国際放送局日本語部の鄧徳花さんが「中国マスコミの新しい形態-微博”weibo"」と題して記念講演しました。ツイッターとフェイスブックの特徴を併せ持った中国のミニブログ”weibo”は3億人が活用し情報の相互交流を行なっているとのこと。オリンピックや北京の大洪水などさまざまな情報を皆がみなのために発信しているとの話などに出席者は新鮮な感銘を受けました。
長野びんずる「日中友好連」50名で参加(8/4)

 第42回長野びんずる祭りが8月4日長野市の中心街でおこなわれ、長野市日中友好協会は「日中友好連」を組んで50人で参加、1万2千人の踊り手とともに中央通りを進みました。日中友好の提燈を先頭に、友好協会会員や帰国者、実習生など黄色い友好法被をまとってシャモジを打ち鳴らしながら熱心に踊りました。

 汗だくになりながらも、元気いっぱい、エネルギーを発散させて「本当に楽しかった」と皆さんの感想でした。
北京での中学生卓球大会に向け研修・壮行会(7/30)

 日中国交正常化40周年を記念して、北京で8月17日から19日に開く「日中友好交流都市中学生卓球交歓大会」に県内から参加する中学生らの事前研修会と壮行会が7月30日、長野市内のホテル・サンパルテ山王で開かれました。県や5市および県卓球連盟、、県日中友好協会などの関係者ら52名が出席しました。

 大会には、中国と友好都市関係を結ぶ全国各地の83の自治体の中学生が参加。県内からは県および長野、松本、上田、須坂、伊那の5市から6チーム(選手2名、監督および役員)が参加します。

 事前研修会では、卓球大会の趣旨と概要、中国事情と訪中準備についての説明がされ、県連合団の役員が選ばれました。壮行会では、井出正一会長が日中国交正常化の扉を開いたピンポン外交を記念して5年ごとに開催されてきた友好都市卓球交歓大会の意義に触れ、友好交流を深め日ごろの練習成果を発揮してほしいなどと激励しました。長野県連合団の団長の原一樹・県スポーツ課長の決意表明に続いて、選手を代表して伊那市チームの2人があいさつ。同市東部中3年の御子柴誠也君(14)は「日中友好の懸け橋となれるように頑張りたい」。同3年の後藤幸乃さん(14)は「卓球王国と呼ばれている中国の選手のプレーを見て、技を盗んでこられるように頑張ります」と述べました。

 なお長野県の6チームは8月14日に出発し、それぞれの友好都市を2泊3日の予定で訪問、関係者と交流し合同練習などを行なって16日北京に集結することとなっています。
中国留学生30人が信州でホームステイ(7/25~27)

 県日中友好協会は(財)日中友好会館・後楽寮が派遣する中国留学生30人を7月25日から27日まで2泊3日のホームステイで受け入れました。飯山・中野・須坂・長野・千曲・小諸・佐久・大北・安曇野・富士見・伊南など11地区協会が協力しました。

 25日長野駅に降り立った14名の留学生は、西堀理事長はじめ18名の皆さんの出迎えをうけました。長野オリンピックエンブレムの前で、対面式を行い受け入れホスト家庭の皆さんと握手しながらお互いに紹介しあいました。全員で記念撮影した後、各地に出発して行きました。市町村長さん表敬懇談、歓迎会、地域の名所参観、ホスト家庭での語らいなど有意義な3日間を過ごしました。再び長野駅に参集した皆さんはすっかり打ち解けて名残を惜しんでいました。
満蒙開拓平和記念館着工へ

 いよいよ記念館建設へ動き出しました。7月までに造成工事をほぼ終え、8月中には本体工事着手、来春オープンの予定です。これまで県内日中会員ほか各方面の皆様方より絶大なご支援をいただいてまいりました。ここに着工のご報告ができますこと、改めて感謝申し上げます。

 資料収集の呼びかけに、当時の貴重な手紙や写真などが少しずつですが寄せられています。どれも遺族の方々にとっては故人の「生きた証」。日中双方を含め犠牲になった多くの命と、戦後もこの歴史を背負い生きてこられた方々の思いを受けとめ、平和の尊さを全国に、世界に発信できる記念館にしていきたいと思います。

 今後ともご指導ご支援賜りますようよろしくお願いいたします。(満蒙開拓平和記念館準備会事務局長・三沢亜紀)

*写真は工事の始まった建設予定地をバックに小林勝人・飯田日中事務局長と鄧徳花さん(6/10)

野尻湖畔で第47回日中友好キャンプ(7/21・22)

長野県日中友好協会青年委員会と女性委員会は7月21・22日信濃町野尻湖湖楽園キャンプ場にて第47回日中友好キャンプを開催しました。留学生や研修生、帰国者、友好協会会員メンバーなど98名が参加し、楽しい2日間を過ごしました。

 雨の中の開会式でしたが「友好王国」の建国を元気に宣言して、早速6つの班に分かれて班の旗を作りました。色鮮やかなひまわりや、パンダやナウマン象をあしらった旗などが完成し、この旗の下、各班一体となっての活動が始まります。開会式には、地元信濃町の松木重博町長さんも激励のあいさつに駆けつけてくれました。

 6つの班に分かれて、食事の準備。おなじみのバーベキュー、ビール片手に焼肉をほおばり大いに語り合いました。雨もいつの間にか上がり、キャンプファイヤーを囲んでのフォークダンスやヤンコー踊り、ウララで盛り上がりました。最後に花火を手に手に童心に返って大はしゃぎしました。

 翌朝は6時半起床、ラジオ体操で体をほぐした後、カレー作りに励みました。各班それぞれの味自慢のカレーをおいしく食べ、各班自慢の旗の品評会が行われました。ひまわりをデザインした黄色組が優勝、景品はなんと昼の流しソウメン最上流場所での賞味権です。昼が楽しみです。
 野尻湖といえばナウマン象です。町のご好意で博物館を参観しました。巨大なナウマン象が一行を歓迎してくれました。4万年前氷河期には日本は中国大陸と陸続きだったんだ、と記憶に刻み、野尻湖遊覧に向かいました。最も美しいといわれている湖畔風景を堪能しました。

 この間青年委員会と女性委員会スタッフは流しソーメンの準備に励んでいました。孟宗竹をうまく使って10メートルほどのコースが完成しました。全員戻ったところでスイカを頬張り、続いていよいよ流しソーメンです。旗の品評会の順番で上から並んで、スタート。下部にはソーメンが行きません。でも安心してください、だんだんと、位置を交替してみんな美味しいソーメンを味わうことができました。

 閉会式で、留学生代表は、「今回初めてキャンプに参加しましたが、皆さんあたたかく本当に楽しかったです」と感謝していました。

中国の教育者を迎えて『日中教育者交流シンポジウム』(7/21)

 松本市と友好提携している中国廊坊市や、当協会が親善交流している葫蘆島市の教育者と松本市内の小中学校教諭らによる「日中教育者交流シンポジウム」が7月21日、県松本勤労者福祉センターで行なわれ、互いの教育実情と課題を討論した。シンポジウムには、廊坊市、葫蘆島市教育訪問団合わせて12人と、松本市民ら約250人余が参加。日中の教職員6人がパネリストになった。

 前日に市内の姉妹提携している小中学校を授業参観した中国の教職員らは「松本の学校では統一、自由、調和という印象を受けた。個性豊かに育つ子どもたちの姿を感じた」と評価していた。特に少人数学習の授業には興味を持った様子であった。日本では子どもの体力低下が課題になり、「中国でも同じ、運動をさせ、どのような運動をしたか毎日記録させている」と紹介していた。

 シンポジウムは、今年の日中国交正常化40周年並びに日中国民交流友好年に合わせて当協会が、松本市、松本市教育委員会の賛同協力の基に企画し、実現したものである。ちなみにこの事業は、日本国外務省2012「日中国民交流友好年」実行委員会より認定行事として公認された。 (松本日中友好協会事務局長 藤沢光幸)

中国杭州雑技団が長野と佐久で公演、大好評でした(7/20・24)

 日中国交正常化40周年を記念して、長野と佐久で中国杭州雑技団公演がおこなわれました。

 長野公演は7月20日、長野ホクト文化会館で行われました。1000人ほどの市民が来場し、華やかでアクロバティックな舞台に見入りました。国際的な賞を獲得した超絶の離れ技とまばゆいばかりの華麗な演技があいまって見る人の心を揺さぶり感動を与えてくれました。世代を越えてファンタスティック・ドリームの世界に引き込まれ、ため息と、大きな拍手が起きていました。「素晴らしい演技で本当に感動しました」と感動を語りながら帰って行く観客の皆さんを、実行委員会スタッフも嬉しく見送りました。

 佐久公演は7月24日佐久コスモ文化ホールで行われ、800人ほどの市民が熱演に見入りました。開演に先立って、井出正一会長が公演を通じて日中文化交流と相互理解が深まるよう期待しますとあいさつしました。

 今回の取り組みは、日中友好協会とSBC信越放送が共催で行われました。テレビコマーシャルを見て申し込んできた方もおおぜいいました。
「原田泰治素朴画を訪ねて-中国金山農民画の世界」企画展始まる(6/30~9/6)

 6月30日から9月6日まで、諏訪市の原田泰治美術館で「原田泰治素朴画を訪ねて-中国金山農民画の世界」企画展が始まりました。

 開幕にあたりオープニングセレモニーが行われ、原田泰治さんがあいさつし、金山農民画との出会いやその魅力について紹介しました。来賓として、小島雅則・諏訪市教育長、布施正幸・県日中友好協会事務局長、岩波修一・諏訪市日中友好協会理事長らが出席し、国交正常化40周年にあたり、文化交流と相互理解促進に有意義な展示会であり、多くの人々に観賞していただきたいと祝辞を述べました。

 原田泰治さんによると、18年前中日友好協会の招きで中国上海郊外の金山区の農民画院を訪れた折に生まれた交流をきっかけに、原田泰治美術館での開催が実現しました。中国農村の素朴な暮らしをほのぼのと描いた心温まる中国農民画の秀作50点のコレクションの中から23点を展示しています。農村の日常生活や家畜とのふれあいなど、素朴なテーマを大胆な構図と鮮やかな色彩で描いています。現在金山農民画は上海市政府によって「非物質文化遺産」に認定され、国内外で「中国の優れた民間芸術」と高い評価を得ているそうです。

 会場を訪れたおおぜいの方は、原田泰治さんの画風と農民画の素朴な印象に共通点を見出し、うなずきながら作品に見入っていました。なお期間中2階展示室では「世界を描く原田泰治の歩んだ道」企画展も行われており、原田ファンにとって2つの企画展を一緒に鑑賞でき原田泰治さんの世界の広がりを体験できる貴重な機会となっています。
「人民中国」編集長招いて座談会(6/15)

 長野県「人民中国」読者会(福沢宏夫会長)は、北京から王衆一総編集長を迎え「王編集長を囲む座談会」を6月15日、長野ホテル犀北館で開きました。会員ら20余人が参加、和やかな中にも活発な意見交換が行われました。

 「人民中国」は北京で出版されている日本語の総合月刊誌。政治、経済、文化、観光および両国の往来など最新情報を伝えています。6月号では「国交正常化から-感動と知恵 40年の歩み」が特集されました。

 座談会では、今回の大型グラビア特集の感想をはじめ、高齢の読者も読みやすいように文字を大きくしてほしい、漫画を入れてはどうか、などの要望や意見も出されました。
 王編集長は「定期的に『読書会』を開いているのは長野県だけ。熱心な取り組みに感謝します」と話していました。

 なお、次回の読書会は7月28日(土)13:30~県日中友好センター教室で。テーマは「青少年が拓く中日友好新時代」(5月号特集)。読者会の年会費は1000円、定例読書会は参加費無料です。お誘いあってご参加ください。

友情育んだ、緑化協力・河北の旅(6/12~1)

緑化協力・河北の旅=長野県日中友好協会訪中団(茂木博団長)は、6月12日から17日、河北省の省都石家荘市や邢台市の内丘県、緑化協力地の保定市の易県、そして承徳市を訪問しました。各地で古くからの友人新しい友人に熱烈歓迎を受けました。特に河北省外事弁公室の梁国輝処長には日本から帰国早々休む暇もなく同行いただき、友情あふれる歓待をいただきました。新人の韓隷東さんにも全日程案内いただき大変お世話になりました。

6月12日は早朝長野を発って、羽田空港へ。13:50発のCA182便で北京に降りたったのは16:45。韓さんの出迎えを受け、バスで高速道路を石家荘に向かいました。涿州で夕食をとり、ホテルに着いたのは23:30をまわっていました。翌日は呂暁梅・省友好協会秘書長の案内で邢台市の内丘県に向かいました。緑化協力の次期予定地視察です。緑化プロジェクト予定地には緑化計画を示す看板が立てられており地元の皆様の熱意を感じました。太行山脈に連なる丘陵地帯で赤土の乾操荒地を3年計画6年計画で緑化しようという計画です。龍興洲・市外事弁公室主任や盧振江・副県長が歓迎の昼食会を開いてくれました。茂木団長も「私達も日中緑化基金の支援が得られるよう頑張りたい。実現できれば、今後現地を訪問することが多くなりますが、どうぞよろしく」とあいさつ。午後、中国漢方医の元祖といわれる春秋時代の人、扁鵲の廟と長寿百果荘園を訪問しました。村ごと観光農園といった所で白あんずをもいで食べました。邢台市も内丘県も発展の真只中にあって、その様子は心に残りました。夜は、河北省友好協会主催の歓迎宴が和やかに開かれました。

6月14日、次の目的地易県に向かいました。高速道路で約2時間、易県のインターを下りるとそこに梁国輝さんが易県の林業局の皆さんとともに出迎えてくれました。再会を喜び、昼食会の後、緑化プロジェクトの現地で油松50本を県林業局や地元農民の皆さんとともに記念植樹を行いました。表土があまり厚くないところなので結構気を入れてやらなければ土が固くうまくいきません。長い柄のシャベルで真剣に土をかぶせ、水を注いで元気に活着することを願いました。

趙春生・県長は夜の歓迎宴会のあいさつの中で、2006年緑化協力プロジェクト開始以来320haを造林し、山杏・ニセアカシア・コノテガシワなど40万株余りを植え生態系の改善に大きく貢献してきましたと述べ、日中緑化交流基金と長野県協会に感謝の意を表しました。易県には世界遺産の西陵があり、また日本でも有名な荊軻ゆかりの地です。高速道路も訪れるたびに整備が進み、北京などからの観光客もどんどん増えている様子をお聞きし嬉しく思いました。易県のますますのご発展を願って易県を後にしました。

途中、密雲県でしゃぶしゃぶ料理の昼食を済ませ、承徳に向かいました。交通網の整備がどんどん進み、承徳市へのアプローチがますます便利になり観光客の数もどんどん増えていると聞きました。

団員の高主さんはシルバーボランティアで承徳を何度も訪れ友人も多いのですが、ホテルに着くと肖振嶺・市外事弁公室副主任の案内で早速本団と分かれて隆化県へ向かいました。承徳市は皇帝の避暑山荘があったところだけあって、立体的な地形と豊かな緑に囲まれた素晴らしいところでした。故郷に帰ったような気持ちになりました。車で避暑山荘の中を一周してその雄大さに驚きました。さすが世界遺産の風格があります。康煕帝と乾隆帝がこよなく愛し、毎年半年間はここに滞在して政務を取ったことなどを聞きながら、往時に思いをめぐらしました。市外事弁公室の傅潤豊・主任が歓迎の宴を開いてくれました。避暑山荘の素晴らしさを讃えながら、「長野県にも全国的に有名な避暑地・軽井沢があり、政財界の著名人がここに別荘を持っています。天皇・皇后もよく来訪されます」などとさりげなく長野県をアピールしつつ、感謝の意をこめて”長野県の歌”「北国の春」を披露しました。

承徳市を後に北京に向かう途中、河北省と北京の境の灤平県に金山嶺長城があります。楊憲軍・副県長がわざわざ歓迎昼食会を開いて歓迎してくれました。金山嶺長城でのトレッキングも思い出深いものでした。年配者用にストックまで用意していただいたのには頭が下がりました。金山嶺長城は、雄大でかつ、作りが繊細なところがあり、大変印象深い長城でした。修復と交通網の整備が進み、トレッキングができる観光スポットとしてますます多くの人々をひきつけて行くと思います。周囲の山々は緑に覆われさわやかな風が吹き渡っていました。

中国へスキー積み込み作業(6/11)

 県スキー連盟や県日中友好協会などでつくる県日中スキー交流委員会は6月11日中国河北省に贈るため県内各地から集めたスキー用具を、長野市の長野運動公園でコンテナに積み込みました。東日本大震災などの影響で昨年は中止しており今年は2年ぶりの取り組み。長野市スキークラブをはじめとした県スキー連盟関係者、日中友好協会関係者ら20名が参加し汗を流しました。

 中国でのスキーの普及に役立ててもらおうと1983年に始めた取り組み。スキー500組、スキー靴400足などが集まりました。

 数年前からは県内のアルペン選手やクロスカントリーの選手が中国吉林省で強化合宿しており、同委員会の太谷陽一事務局長(県スキー連盟専務)は、「中国からのジャンプ訓練隊の受入れなどとともに、スキー交流は確実に深まっている」と語りました。
県日中女性委員会阿智・昼神で総会ー女性の友好の輪を広げよう(6/10)

 県日中友好協会女性委員会は6月10日、第37回定期総会を開きました。恒例の持ち出し総会は今年は下伊那郡阿智村の「昼神グランドホテル天心」でおこなわれ、県内から女性委員会のメンバーや来賓など70名余が参加しました。

 村山ひとみ委員長は地元飯田日中友好協会の行き届いた協力に感謝した後、「昨年は東日本大震災の苦難の中から何とか立ち上がろうと行動を起こしはじめた年でした。県日中の方針のもと友好の発展を願って活動してきました。青年委員会と車の両輪で友好キャンプやスキー交流会を実施、また『女性委員会の歩み-虹の架け橋Ⅲ』の編集を進めました。本年は国交正常化40周年にあたりさまざまな記念事業に取り組んでいきたいと思います。日中の平和友好を願い、日日友好にも力をいれ女性の友好の輪を広げていきましょう」とあいさつしました。

 総会では11年度の活動報告や決算報告を承認した後、12年度の活動方針と予算が採択されました。友好キャンプやスキー交流会を通じて中国留学生・研修生・帰国者との交流を深めること、女性会員の拡大と相互の親睦を深める活動に取り組むことなどが盛られています。役員改選では、村山委員長の勇退を受けて、新委員長に島津美智子さんが選出されました。村山さんには大きな花束が贈られ大きな拍手でその労をねぎらいました。島津新委員長は、村山委員長が実践された「まず日日友好から」を肝に銘じ、先輩の皆さんの熱き思いを胸に頑張りたいと決意を述べました。

 第2部では満蒙開拓平和記念館準備会事務局長の三沢亜紀さんが「満蒙開拓の歴史を受け継ぐ」と題して記念講演しました。広島出身の三沢さんは「平和教育の中で育ってきた。被害者としての受けとめであった。満蒙開拓団の送出と敗戦後の悲劇は加害者と被害者の両側面を有しており、自分にとって新鮮な驚きであり、この問題に真剣に取り組んでみたいと思うようになった」と語り、満蒙開拓の歴史を若い世代が受け継いで行くことの重要性を語りました。そして平和記念館の意義を多くの人々に受けとめてもらえるよう頑張りたいとのお話に感動の拍手が送られました。続いて記念館準備会が長野朝日放送とともに制作したDVD「満蒙開拓の真実/国策移民の実像と悲劇」を観賞しました。

 第3部の交流懇親会では飯田在住で活躍されている内蒙古出身の佐々木ハスゲレルさんのモンゴル民族音楽の名演奏に始まり各地区の歌や踊りの出し物が次々と繰り出され、和やかな、楽しい会となりました。最後に、来年の開催予定の長野市日中女性委員会に県女性委員会の旗が手渡されました。

 翌6月11日には信濃比叡・長岳寺(残留孤児の父といわれる山本慈照先生ゆかりの寺)を参観した後、満蒙開拓平和記念館予定地を見学、さらに水引工芸を参観しました。
第22回青年委員会総会-更なる活性化を目指して(6/3)

 県日中友好協会青年委員会(島崎公明委員長)は6月3日、松本市あがたの森文化会館において第22回定期総会を開きました。飯山、長野、須坂、上田、松本、諏訪、飯田など各地区から30名が参集しました。島崎委員長は「素晴らしい会だと確信している。大きな命題として日中友好を掲げ、会をメンバー全員で動かして行くことに力をいれ、若い人たちが誇りを持って入会する組織にしていきたい」と意気込みを語りました。

 本年度の活動方針として、①更なる活性化と事務局体制の充実・組織の強化、②友好キャンプや友好スキー交流会などを通じ留学生や実習生との友好交流の機会を増やし、青年委員会が一丸となって積極的に活動にとりくんで行くことなどを採択しました。

 第2部の記念講演では、「内モンゴルでの生活&ミニ会話」と題して、松本市丸の内ビジネス専門学校にお勤めの莎仁図雅(サラントヤ)先生をお招きしゲル(パオ)での生活の様子を聞いたり、モンゴル語での簡単なあいさつを習いました。

 第3部の懇親会では日ごろの思いを語り合い心いくまで交流しました。
第13回日中友好交流会議と貴州の旅(5/23~30)

第13回日中友好交流会議は5月24~25日貴州省の省都・貴陽で開かれました。会議には日中両国の友好協会から180名が参加しましたが、うち長野県日中友好協会からは井出正一会長はじめ14名が参加。民間交流促進のため中国側と熱心な議論を交わしました。

「天に3日の晴れ無し、地に3里の平地無し、民に3分の銀無し」と言われた貴州省は中国で最も貧しい省といわれてきたそうです。しかし、高速道路をはじめ交通網の整備が進み大きな転換期を迎えていました。

貴州省はなかなか魅力的なところでした。中国共産党が長征途上毛沢東の指導権を確立した遵義会議の旧蹟、茅台酒の故郷仁懐、そして雄大な貴州の自然を代表する安順の黄果樹の大瀑布、日本に稲作を伝えたといわれる苗族の一大集落西江苗寨などがあります。高床式入母屋作りの堂々たる木造の建物は、この民族の華麗な民族衣装とあいまって見る人の心をひき付けます。案内いただいた姚武強さんに幅広く深く貴州省の魅力を紹介していただいたことも幸いでした。またゆっくり訪ねたいところです。

帰国者の霊園整備、上田で開眼法要(5/20)

 上田市下室賀に10年前に造成された中国帰国者のための霊園で受入れ準備が整い埋葬希望者の申しこみ手続きが始まり5月20日に現地で開眼供養が行われました。霊園は2002年7月、上田日中友好協会が私有地の無償貸与を受けて完成させ、その後石材店から観音像も寄贈されるなど整備が進められてきましたが、今まで埋葬希望がなかったことから使われていませんでした。県内の帰国者向共同墓地は他に長野、松本、飯田にありますが、専用墓地として世帯ごとに区画が分かれているのは上田市だけ。

 霊園は約660平方㍍。4月に12世帯分の区画を整備しました。1区画は5平方㍍ほどで10世帯が申し込んでいます。供養には帰国者や上田日中友好協会の関係者ら40人余りが出席しました。

 中国残留孤児・邦人と呼ばれる帰国者の皆さんは、日本語が話せないことなどから地域に溶け込めなっかったり、経済的にも苦しかったため、墓をどう確保するかは切実な問題でした。

 同協会元会長の小山正俊さんは10年余り前、「せっかく日本に帰ってきたのに、死んだら行くところがない」と話す帰国者たちに会い「衝撃を受けたと」振り返りました。同協会から要望を受けた上田市は2001年10月、土採り場だった私有地を霊園用地として協会に無償貸与しました。

 帰国者たちが高齢に也2008年からは老齢基礎年金の満額支給によって経済状況が改善してきたことなどから、協会が改めて埋葬希望者を募集しました。

 霊園の使用は原則、同市内在住者で、用地整備費と20年分の管理費計9万円が必要。墓石の購入費などは自己負担。申し込んだ帰国者の井沢紀代子さん(73)は「これで安心して晩年を過ごせます」。申し込んだ坂井蓉子さん(74)の夫で中国人の白永安さん(76)は「ずっとお墓のことが心配だった。上田は第2の故郷」と話しました。
広域の飯山日中友好協会が誕生(5/19)

 飯山市日中と岳北日中2協会の合併設立総会が5月19日、飯山市で開催され飯山日中友好協会が誕生しました。両日中の会員ら34人が参加し、役員や活動方針などを審議決定しました。千曲川を挟んで、飯山市日中(89人)・岳北日中(木島平村と野沢温泉村27人)が約40年間にわたり、それぞれの活動を推進してきましたが、会員の高齢化と会員の減少などの事態に対応するため、昨年から合併準備会で協議し準備をすすめて来ました。

 役員選出では会長に上村力・元飯山市日中会長が、副会長に柳澤万寿雄・元岳北日中会長および服部一郎・元飯山市日中副会長が選出されました。上村会長はあいさつで、「日中友好活動は新しい時代に対応するため、近隣の村にも協会加盟を呼びかけて地域を一体化し組織を活性化していきましょう」と述べました。

 議事終了後、西堀正司・県日中友好協会理事長が「最近の日中関係・今後の友好運動」をテーマに記念講演。最後に設立祝賀会が行われました。

第50回県日中定期大会、国交正常化40周年事業取り組みを決定(5/17)

長野県日中友好協会は5月17日、第50回となる2012年度の定期大会を松本市内のホテル・ブエナビスタで開きました。県内各地から180人が出席して、日中国交正常化40周年の年にあたり、記念事業に取り組み民間交流を通じて両国の相互信頼を醸成し友好協力関係を深めて行くことを柱に新年度の活動方針を決定しました。

 島崎公明・県青年委員長の司会で大会がスタート。「永久の友情を」を県日中女性委員会のリードで全員で斉唱した後、河原進副会長の開会あいさつに続いて、物故された先輩の皆様に黙祷を捧げました。
 
 井出正一会長は、第50回定期大会を松本で開催できたことに感謝したあと、「昨年の大震災以来、日本も世界も、自然界・経済・政治等あらゆる面で、激動続きで全く先が見えない不透明な混沌たる時代に入った感がする。日中関係も国交正常化40周年という節目にも関わらず、歯車がかみ合わない状態が続いていることは、残念だ。大人の外交関係を築く必要を痛感する。日中友好の基本の日中共同声明には、お互いに覇権は求めないとうたっている。胡錦濤主席と福田元総理との「「戦略的互恵関係の包括的推進に関する日中共同声明」にも東シナ海を平和・協力・友好の海とする明記しており、これに沿って交渉を進めるべきだと思う。そんな中で民間の交流・友好運動はますます重要になっている。長野県日中友好協会は広範・多岐にわたる活動をすることができた。特に、懸案であった満蒙開拓平和記念館が、飯田日中のご尽力、大勢の皆様のご協力、県や市町村のご理解・ご支援で、いよいよ着工の運びとなったことは大変嬉しい。今後とも一層の応援をしなければならないと思う。この19日には、飯山市日中と岳北日中が合併して飯山日中が誕生する。スケールメリットを生かしつつ運営面の難しさを克服して、ぜひ活躍をしていただきたい。今日は、意義ある大会にしていただきたい」とあいさつしました。

 続いて、野池明登・県観光部長が阿部守一・県知事のメッセージを披露しました。阿部知事は、県協会が長きにわたる交流活動を通じて、日中両国の相互理解と友好の促進に尽力していることに敬意を表した後、東京において初めて開催された、日中省長知事フォーラムに参加したことを紹介、「本県が観光資源豊かで日本一の健康長寿県であることや、世界の青少年交流農村づくりを目指している等の取り組みを紹介し、中国の方々に大きな関心を持って聞いていただくことができた。日中国交正常化40周年の節目の年で、本県からも日中友好都市中学生卓球交歓大会に選手団派遣を予定しているほか、中国国務院の進める中国大学生インターンシップを、県でも約50名の受入れを予定している。中国との良好な関係構築のためには、相互に足を運び、顔の見える信頼関係をつくることが大切。私自身今年も中国を訪問し、関係強化に努めていきたい」と力強い決意を表明されました。

 議長に牛山好子(松本)・花岡茂(佐久)の両氏、大会運営委員長に西田節夫・副理事長、役員選考委員長に北條一義・副理事長、大会書記に安芸洋一・長澤保・山崎始の各氏を選出して議事に入りました。

2011年度の活動報告(布施正幸事務局長)、決算報告(市川淳子会計理事)、会計監査報告(平沢和雄監事)を承認した後、2012年度の活動方針(西堀正司理事長)、予算(桜井佐七財政委員長)を採択し、新役員を選出しました。

本年度の活動方針では、日中国交正常化40周年の記念事業を柱に日中相互信頼醸成に力を入れて行くこととし、7月に中国杭州雑技団公演、中国留学生ホームステイ、8月に友好都市中学生卓球交歓大会、10月に40周年記念シンポジウムと祝賀のつどいなどを決めました。役員改選では、井出会長をはじめ、主だった役員を再選しました。

意見発表では「県日中女性委員会の報告」(島津美智子・女性委員会事務局長)と「満蒙開拓平和記念館報告」(寺沢秀文・記念館準備会専務理事)が行われました。続いて、「日中国交正常化40周年を祝賀し、共同声明と平和友好条約、新日中共同声明の原則を踏まえ、相互信頼と平和友好協力を深める」との大会宣言(本郷ゆみ子・県女性委員会)と大会スローガン(西村源・県青年委員会事務局長)が採択されました。

 議事終了後、井出会長から、長年スキー交流会にスキー用具を提供されてきた㈱スワロースキー会長の丸山哲三氏と長野ラジオ孔子学堂初代学堂長の北沢久氏に感謝状が、また20年以上在籍会員などに表彰状が贈られました。成沢捨也副会長の閉会あいさつで第1部は終了しました。

第2部の祝賀パーティーには来賓として、中国大使館の周海成・公使参事官、王麟・三等書記官はじめ白鳥博昭・県国際課長、坪田明男・松本市副市長、中山千弘・連合長野会長、後藤正幸・信濃教育会会長、王昌勝・県華僑総会会長、羽田孜・代議士(代)、小坂憲次・吉田博美・若林健太参議院議員(代)、岡村重信・県経営者協会事務局長、木藤暢夫・県商工会議所連合会常務理事、増山清・県中小企業団体中央会中信事務所長、酒井伸章・県商工会連合会総務人事課長補佐、布野兼一・部落解放同盟県連書記次長らが、出席され激励いただきました。

周海成・公使参事官は長野県日中友好協会の活躍を讃えた後、「お互いに真心をもって向き合い中日友好の新時代を全面的に切り開いていきましょう。さまざまな課題はあるが、協調して乗り越え、友好を深めることが重要」とあいさつしました。

◎周海成・公使参事官からあいさつの原稿をいただきましたので、ここに紹介します。「お互いに真心を持って向き合い、中日友好の新しい時代を全面的に切り開こう」というタイトルが付けられていました。

まず、中華人民共和国駐日大使館を代表して、長野県日中友好協会第50回定期大会の開催に熱烈な祝賀の意を表します。長野県日中友好会は過去半世紀にわたる長い歳月、中日両国友好事業のために尽力し、大いに貢献しました。協会の50回定期大会にあたり、私は程永華大使を代表し、両国人民の友好事業に尽力してきた友人の皆様に深く敬意を表したいと思っております。

今年は中日国交正常化40周年にあたり、両国関係において、重要な一年といえましょう。40年来、両国の各分野における協力と交流は大きく発展しました。これらの成果は両国の各分野の先輩の方々のたゆまぬ努力の結果であります。1972年に国交正常化にした時、両国間の貿易額はわずか10億ドルでした。去年、両国間の貿易額は3400億ドルにも達し、前年より15%増えました。

5月13日、第5回中日韓首脳会合が北京で行われ、三か国の首脳は投資協定に署名すると同時に、年内に中日韓自由貿易協定(FTA)の交渉を開始することで合意しました。全方位のパートナーシップを構築していくために、三国の首脳は共同宣言を発表しています。宣言は、三か国関係を戦略的な視点で把握し、相互尊重、平等互恵、開放透明を基礎に、三か国間の相互信頼、全面的な協力、互恵関係を全面的に推進するとしています。また、三か国の首脳は三か国の政治における相互信頼、経済貿易における協力の強化、持続可能な発展の促進、社会・人的交流と国際問題や地域問題における協調にも合意しました。この宣言は東アジアの近代史上の一里塚であり、重大な意味を持っています。

中日のここ40年の関係の歴史を振り返ってみると、われわれは多くの任務を努力して完成しなくてはなりません。多くの困難を共に克服しなくてはなりません。また、方向性を示す原則を共に堅持しなくてはなりません。

まず、第一に両国は終始世代友好の大方向を堅持すべきです。第二に両国は終始お互いの国のことを正確に認識すべきです。相手の国の発展を正確に認識し、相手の国の事情を善意を持って理解し、相手の国が関心を持つ問題を大事に取り扱うこと。第三に両国は引き続き民間交流を強化することに力を入れます。国交正常化して以来、長野各界の皆様は両国の地域間の交流の促進や民間友好の強化などの諸分野で、先頭に立って、重要な役割を果たしています。これについて、われわれは高く評価しています。

皆様、人類の平和と友好のための事業は、子々孫々まで恩恵を及ぼす事業であり、人類に幸福を、国民に利益をもたらす事業です。永遠に最も偉大で崇高な事業であります。現在の世界経済情勢の動向は不透明であり、先進国の財政問題は悪化しつつあり、西アジアと北アフリカの地域情勢も不穏であり、そんな中、東アジア地域は発展の勢いを保っています。中日両国が引き続き協力のレベルをアップさせることは経済の安定的な成長と東北アジア地域の経済の一体化を促進し、東アジアの協力と発展に新しい活力と動力を注ぐ面で重要な役割を果たす一方、地域の平和、安定と繁栄を維持し、世界経済の復興と成長にも重大な意味を持っています。中国文化と日本文化が代表する東方の文明は人類に持続的な繁栄と安定、発展と調和、平和と幸せに貢献すべきです。手を携えて、中日両国の世世代代の友好と世界の平和、人類の美しい未来のために、共に努力しましょう!

中国国際放送局代表団、長野ラジオ孔子学堂5周年記念し来県(4/16~17)

 長野県日中友好協会ラジオ孔子学堂の招きで中国国際放送局代表団(尹力副編集長一行7人)が4月16・17日来県しました。16日一行は長野駅頭で長野ラジオ孔子学堂関係者にあたたかく迎えられ、早速歓迎会会場に向かいました。長野ホテル犀北館で開かれた歓迎会には、井出正一県日中友好協会会長、上條宏之県短期大学学長、西堀正司県日中理事長、竹内勲長野ラジオ孔子学堂長、西田節夫県北京放送を聞く会会長ら45人が出席しました。

 井出会長は学生時代第二外国語として中国語を学んだことを中国語で紹介し、一行を熱烈に歓迎し、2007年に国際放送局との間で長野ラジオ孔子学堂を設立し、中国語講座開講をはじめ中国語と中国文化普及にとりくんできた5年間を振り返り今後とも協力して友好の成果をあげていきたいあいさつしました。尹力団長は熱烈な歓迎に感謝し、「中日両国の民間交流は長い歴史を有し多くの人材を輩出してきた。70年前に北京放送局が誕生したときの放送は日本語で初代アナウンサーは前原京子さんで反戦を呼びかけたものだった。50年前井出先生は学生で中国語を学び日中友好に尽力された。40年前多くの皆さんの努力によって中日国交正常化が実現した。世界は激動しており、紛争も絶えないが、中日両民族は団結協力して世界の平和と発展に尽力していきたい。朝5時におきて夕方6時にはこうして皆さんとお会いしている。北京放送局も短波ラジオ放送を主とした時代から、今ではインターネットを通じたマルチメディア時代に移行し大きく変化発展を遂げている。若者の交流に役立っている。今後とも交流協力を深めていきたい」などと述べました。

 上條県短期大学学長が乾杯のあいさつに立ち、長野ラジオ孔子学堂を通じて北京放送局から客員研究員を受入れてきたが、今後とも中国国際放送局との相互交流を深めていきたいと述べ、一行の来県を歓迎して乾杯しました。
また昨年11月、北京放送局開局70周年記念文芸の夕べでゲスト出演した篠原重夫代表をはじめとした琴伝流大正琴の皆さん11名が「北国の春」や「世界に一つだけの花」などを披露して一行を歓迎しました。「北国の春」「大海啊故郷」「ふるさと」など歓迎の歌も次々と飛び出し和やかな交歓が続きました。

 一行は翌日、善光寺を参観した後、県短期大学、長野ラジオ孔子学堂、県などを訪問しました。県短期大学では、上條学長の熱烈歓迎を受け、「客員研究員等の協力に関する覚書」に調印しました。孔子学堂では、西堀理事長、竹内学堂長や受講生らのあたたかい歓迎を受け親しく懇談しました。県表敬では加藤さゆり副知事と会見し、国際放送局がマルチメディアとして6つの映像メディアを擁していることを紹介するとともに「長野県の自然や文化を紹介することにも興味を持っています」などと今後交流を深めていきたい意向も語られました。

 長野県となじみの深い、傅頴・日本語部長や謝宏宇・東京支局長も同行しており、旧交を温めました。
日中友好中学生卓球大会(8月北京)に向け、実行委員会が発足(4/16)

 日中国交正常化40周年を記念し北京で8月17~19日に開催される「日中友好交流都市中学生卓球交歓大会」に向け、県内の関係機関で作る実行委員会が4月16日発足しました。大会には中国と友好都市関係にある日本各地の自治体の中学生が参加します。県内からは長野、松本、上田、須坂、伊那の5市と県選出の男女計12人の中学生が友好関係にある都市の選手と合同チームを組み他の合同チームと対戦することになっています。県内の各チームは北京大会に先立って、河北省や石家荘市、廊坊市、寧波市、四平市、北京通州区などを訪問し、合同練習や交流を行なう予定です。自治体や卓球協会、日中友好協会関係者も同行することになっています。

 同日、長野市内のホテルで開いた設立会議には県と5市、卓球連盟、友好協会、信濃毎日新聞社などから26人が出席、規約や予算を承認しました。県卓球連盟の峯村威男副会長、県日中友好協会の西堀正司理事長、県スポーツ課の飯嶋政泰指導主事があいさつし、「国交正常化40周年という節目の事業。成功できるよう協力をいただき、8月を迎えたい」と述べました。

 卓球を通じた交流を目指す大会は5年ごとに、両国の児童生徒が集まって開かれてきました。2002年には中学生、07年には小学生が交流しました。
第5期中国語講座スタート、皆さん頑張ってます(4/10~)

 長野ラジオ孔子学堂の第5期中国語講座がスタートしました。入門・初級・中級・上級(昼・夜)の各クラスに80名が受講生を申しこみ、4月10日から逐次始まりました。中国語の老師(教師)はベテランの桜井純子さん、張淑華さん、王秋菊さん、鄭頴さん、顧淑鳳さん、そして国際放送局の鄧徳花さんです。継続して学んでいるおなじみの方もいれば、新しい受講生もいます。会社員、自営、団体職員、主婦、退職された方、学生など立場はそれぞれですが皆さん熱心に学習に打ち込んでいます。

 入門の皆さんはまずは発音。桜井老師の指導で繰り返し中国語の基本母音と子音、四声、ピンインと呼ばれるローマ字表記などを学びました。孔子学堂から贈られた発音教材なども使ってにぎやかな声が教室内に響いています。

 中級の王秋菊老師は『かたろう日中暮らしの文化』をテキストに中級を教えています。次々に指名して、緊張感も漂わせながら集中した授業で好評でした。張淑華老師は『標準中国語読解力UP編』をテキストに初級の授業です。受講生20人と最大のクラスになりましたが、手際よくにこやかに授業が進みます。

 鄧徳花さんは上級者相手に、『時事中国語の教科書』を使って、中国語で中国事情を紹介しながら授業を進めました。初体験でしたがなかなか好評でした。鄭頴老師、顧淑鳳老師も受講生のレベルにあわせての味のある指導で喜ばれています。
吉林省北大壺スキー場視察団来県、交流歓迎会開催(4/4)

 長野県日中スキー交流委員会・県スキー連盟(児玉幹夫・会長)は、4月4日長野ホテル犀北館において吉林省北大壺スキー場視察団(団長/成宝英・北大壺体育旅游経済開発区管理委員会主任)一行7人の歓迎交流会を開きました。県やスキー連盟や友好協会関係者20人が参加し、交流を深めました。

 児玉会長、原一樹県スポーツ課長、西堀正司県日中友好協会理事長、竹節義孝山ノ内町長らが、「冬季アジア大会などが開催され、県スキー選手の訓練地としてもお世話になっている北大壺からの友人の皆さんを心より歓迎します。今後ともスキーを通じての相互交流を深め友好を深めていきたい」などとあいさつしました。

 成宝英団長は行き届いた歓迎に感謝の意を表した後、北大壺地区を紹介をしました。「2003年に開発区が設立され、スポーツと観光の基地となっています。中でも中国国内のスキー選手の訓練基地として重きをなし、長野県選手のみなさんにも訓練に来ていただき互いの選手の交流もでき成果を挙げています。今回白馬、山ノ内などスキー場と温泉などを視察しよい勉強になりました。施設やサービスも行き届いていて感動しました。北大壺スキー場は若く経験不足のところもあります。皆さんの今までのご支援に感謝するとともに今後ともご指導ください」などとあいさつしました。

 長野県日中スキー交流代表団などで北大壺スキー場を訪れ、成団長と顔見知りの役員もいて、打ち解けた交流が行なわれました。将来的には冬季オリンピックを北大壺で開きたいとの情熱もあり、実現に向かって支援を約束しました。「北国の春」や「県スキー連盟応援歌」なども披露され交流会は大いに盛り上がりました。

 一行は4月2日~5日来県、白馬村や山ノ内町、長野市などを訪問し、スキー場視察や関係者と交流しました。歓迎会に先立ち、山口利幸県教育長を表敬し、懇談しました。山口教育長は、相互交流の成果を讃えるとともに、長野県には素晴らしいスキー場や温泉がたくさんあるので中国からおおぜいの皆さんスキーと温泉を楽しみに来てくださいと述べました。

 なお「北大壺スキー場」は昨年秋までは「北大湖スキー場」と呼ばれていましたが、清代のゆかりの名前に戻したとのことでした。
佐久で中国帰国者交流会開催(4/1)

 佐久日中友好協会は4月1日、佐久市内のホテル一萬里において佐久中国帰国者との交流会を開きました。佐久平地域の帰国者家族や友好協会会員、市民ら120人が参加し、楽しい交流の1日を過ごしました。

 井出正一佐久日中友好協会会長は、流暢な中国語で自己紹介した後、帰国者の皆さんが言葉と習慣の壁を乗り越え頑張って生活していることに敬意を表し、地域ぐるみの支援交流に努めていきたいと述べ、また日中友好の架け橋としても活躍されるよう激励しました。帰国者を代表して1974年に第1陣で帰国した神津よしさん(85歳=佐久市)が年はとっても元気に生活している様子を紹介し、交流会を楽しみに参加させてもらったと語りました。来賓として、柳田清二佐久市長、布施正幸県日中事務局長、鄧徳花・中国国際放送局長野ラジオ孔子学堂代表、今井正子県議、佐々木治夫小諸市日中会長らがそれぞれの立場から激励のあいさつをしました。片岡正夫佐久保険福祉事務所福祉課長の音頭で乾杯し懇親交流会に入りました。ホテル一萬里の畠山社長も悲惨な逃避行体験者で、今回の催しに際して、協力を惜しまず、おいしい料理を提供していただきました。

 久しぶりに再会したメンバーもおり懐かしく語り合っていました。続いていよいよお楽しみなぞなぞクイズ、みんなで楽しむビンゴゲーム、カラオケの時間です。山のように用意された景品は、友好協会会員のみなさんが協力して提供していただいたものです。「手紙」「娘」「汽車」・・日本語と中国語は意味が違います、分かりますか?元気に手を上げて答える様子に拍手が起こります。ビンゴゲームは相変わらずみんな熱くなります。景品を獲得して皆さん満足そうでした。最後に当たらなかった人にも景品が贈られ、役員に感謝の拍手が起きました。カラオケにあわせてのど自慢の皆さんが日本の歌、中国の歌を披露しました。最後に全員で佐久出身の井出はくさんが作詞した郷土の歌「北国の春」を全員で合唱して終了となりました。

 参加した帰国者の皆さんは「大変楽しかった。今後も参加したい」と語っていました。佐久日中の花岡茂理事長はこれを契機に臼田日中時代にとりくんでいた交流会や日本語教室を復活させとりくんでいきたいと語っていました。
栄村から礼状が届きました・長野県北部地震1周年を迎えて(3/12)

 あの東日本大震災の翌日未明、3月12日の長野県北部地震から1年がたちました。このほど『栄村からありがとう』と記された中学生の皆さんの絵手紙を添えて礼状が届きました。

 昨年県協会は会員に呼びかけて義援金活動にとりくみました。栄村では友好協会設立に向けての動きもあり、隣接する飯山日中・岳北日中の代表が島田茂樹村長さんに会員の真心を届けました。

 数々の困難を抱えながらも希望を持って復興にとりくむ決意が絵手紙から伝わってきます。写真は中学生の描いた絵手紙です。以下は礼状の抜粋です。今後とも栄村の皆さんにエールを送りながら1日も早い復興を祈りたいと思います。
 なお栄村国際絵手紙タイムカプセル館は中国蘇州市と共催で日中国交正常化40周年記念事業として『文字もじ交流展』(テーマ:感じでつながる ひろがる 新しい未来)を計画しており、6月には蘇州美術館で9月には栄村絵手紙タイムカプセル館で展示されることになっています。(5月10日締め切り)

 (礼状)「全国の皆様ありがとうございました。3月12日午前3時59分マグニチュード6.7、震度6強の地震男直撃を受け、春を待つ村は未曾有の災害を経験することになりました。発生直後から、警察 消防 全国の多くの自治体、大勢のボランティアなど各方面からご支援ご協力をいただきました。又全国各地から心温まる支援物資や義援金をたくさんいただき心から御礼を申し上げます。被害は家屋全壊33棟、大規模半壊21棟、半壊148棟一部損壊486棟と村内全世帯の93%に及びました。道路 農地 公共施設も多数被害を受けました。復旧に向けて全力で取り組んでいます。5年後の栄村の姿を見据え、以前よりすみ良い村を目指したいと思っています。今後とも栄村をよろしくご支援いただきますようお願い申し上げ御礼のごあいさつとさせていただきます。」
第35回日中友好スキー交流会in車山高原(3/10~11)

 長野県日中友好協会青年委員会(島崎公明委員長)と同女性委員会(村山ひとみ委員長)の主催により、3月10、11日の両日、茅野市車山高原スキー場において、恒例の第35回日中スキー交流会が開かれました。交流会には中国留学生・帰国者・中国大使館友好交流部の皆さんをはじめ80余人が参加し有意義な交流となりました。

 前夜からの大雪も上がりスキー場のコンディションも良好の中、開会式の後早速、6班に分かれてスキー教室がおこなわれました。初心者も青年委員会などの指導員のリードのもと汗だくになりながらスキーにチャレンジしました。初心者もだんだんとコツをつかみ直滑降からブレーキの体勢、ボーゲンへと進歩が見られるようになっていきました。スキーは2度目3度目でかなりの腕前の方もいました。スノーボードの班も開設されました。

 夜の交流会では、スキー用具を提供していただいたスワロースキーの丸山哲三会長も参加し、日中友好にかける思いを語りました。張向東一等書記官も日中国交正常化40周年にあたりさらに交流を深めようと呼びかけました。杯を交わし交流しながら班ごとの歌の発表や、ビンゴ・ゲーム、青年委員会メンバーのダイナミックな踊りなどもあり、大いに盛り上がりました。

 2日目のスキー教室ではほとんどの人がリフトに乗れるようになり、緩やかなコースを滑り降りれるようになりました。雪質も良く快適なスキー日和のなかスキーの楽しさを味わっていました。昼は女性委員会の皆さんが準備してくれたおにぎりと豚汁をおいしくいただきました。

 閉会式では、留学生を代表して、信州大学の李震さんが「本当に楽しいスキー交流でした。4年間の留学を終えてまもなく帰国しますが心温かく接していただき感謝します。友人の皆さんの友好の熱意を友人知人に伝えたいと思います」と語っていました。帰国者の池田照美さんや姜秀樹さんも家族連れで参加し楽しい2日間でした次回も参加したいと喜んでいました。大使館から参加された8名の皆さんもスキーを楽しみ交流を深めていただきました。中国国際放送局の鄧徳花さんも、初スキーを体験し大勢の皆さんと交流を深めました。

 柳平千代一茅野市長、王昌勝県華僑総会会長、丸茂伊一茅野市日中友好協会長、西堀正司県日中友好協会理事長、池上一巳上田日中友好協会副会長らも交流会に出席し激励してくれました。

第17回県日中友好都市交流会議、交流事業の意見交換(2/21)

 県国際課と県日中友好協会の共催で2月21日、第17回県日中友好都市交流会議が、長野市内のホテルサンパルテ山王で開かれました。県や長野・須坂・伊那・上田・松本の各市及び山ノ内町の友好交流担当者と各地区日中友好協会担当者が出席し、友好都市交流状況の報告や意見交換を行いました。

 冒頭、浅井秋彦・県国際課長は本年が日中国交正常化40周年に当たることから、両国政府も「日中国民交流友好年~新たな出会い、心の絆~」と位置づけており、さまざまな記念事業が計画されていること、特に地方間交流や観光交流、青少年交流、文化スポーツ交流など7つの重点が提起されていることが報告されました。井出正一・県日中会長は40周年を迎える日中関係がお互いなくてはならない深い関係にあるとともに微妙な関係でもあることに触れ、地方間交流や民間交流が政府間のギクシャクを補う大切な役割を果たしていることを指摘し、日中関係の扉を開いたピンポン外交を記念して8月北京で開かれる友好都市中学生卓球交歓大会の成功を呼びかけました。

 県内に技能実習生や留学生、帰国者の親族、花嫁など、1.2万人の中国籍の方が暮らしている現状や学習旅行や観光客増加に対する期待が語られました。県や自治体レベルで中国からの観光客誘致に積極的に取り組んでいる状況が紹介されました。
日中友好新春女性のつどい、にぎやかに新春交流(2/9)

 長野県日中友好協会女性委員会(村山ひとみ委員長)は2月9日、長野市内のホテル信濃路において恒例の日中友好新春女性のつどいを開きました。飯田・諏訪・茅野・松本・上田・千曲・中野・飯山・須坂・長野など各地から50人が参加し、にぎやかに華やかに新年の交流が行なわれました。

 村山委員長は昨年を振り返り、大震災の被災者の皆さんに改めて思いを寄せるとともに、交流と学習のバス旅行、スキー交流会と友好キャンプが皆さんの協力のもと成功裡に実施できたことに感謝し、国交正常化40周年の節目の年に当たり『虹の架け橋Ⅲ-県女性委員会の歩み』の6月完成を目指して鋭意とりくんでいることを報告しました。

 第1部の研修会では記念講演として、漢方医の薛叶祥先生が「私の一日(朝起きてから夜寝るまで)」と題して、身近にできる健康法を話していただき好評でした。第2部の交流懇親会では、諏訪のよいてこや上田の真田桜の踊り、日中両国の歌が披露され盛り上がりました。最後に全員で手をつないで「ふるさと」を合唱、当面する3月のスキー交流会の成功を誓ってお開きとなりました。今回女性委員会ではみんなで持ち寄った品々でバザーを行いました。売上の5万円あまりは貴重な活動資金にしたいと報告されました。
帰国者への理解を深めるつどい・体験発表と春節交流会(2/5)

 県と県日中友好協会は2月5日、「中国帰国者への理解を深める県民の集い」を長野市内のホテル・サンパルテ山王で開きました。旧満州(現中国東北部)に渡り、敗戦時の混乱で取り残された中国残留孤児ら3人が体験を発表、飯田日中友好協会が中心となってすすめている満蒙開拓平和記念館の報告も行われ、240人が聞き入りました。第2部では東京中国歌舞団による歌と民族楽器演奏を堪能し、第3部の春節交流会では餅つきや大正琴の演奏、くじ引き抽選会、歌やヤンコー踊りを楽しみました。

 第1部では主催者を代表して吉川篤明・県地域福祉課長と西堀正司・県日中友好協会理事長(中国帰国者交流センター所長)があいさつし、「長野県は全国一満州開拓団を送り出し多くの犠牲を出した。現在4000人以上の中国帰国者の皆さんが県内で暮らしている。帰国者1世の高齢化が進み、生活習慣への対応や就労、教育などの課題もある。帰国者の皆さんが、地域や県民の皆さんの理解を得て、平穏で幸せな生活を送ることができるように国、県、市町村、関係者が連携して支援活動に取り組んで行きたい。満蒙開拓平和記念館も実現に近づき、有意義な役割を期待したい。日中国交正常化40周年の年を迎えさまざまな記念事業が予定されている。帰国者の皆さんには友好の架け橋としても活躍願いたい。春節にあたり楽しく交流し理解を深めましょう」と語りました。

 体験発表で丹羽千文さん(78)=飯田市=は、1940年に家族と満州に渡ったが、45年8月のソ連軍の侵攻後の逃避行を地獄のようだったと振り返り、50年間を中国で過ごし、帰国時は「日本語をすっかり忘れていた」と語りました。今は子供や孫に囲まれて平穏に暮らしているといい、「二度と戦争を起こさず、平和であることをいつも願っている」と結びました。
 中島今朝代さん(77)=松本市=は逃避行と方正での厳しい越冬の様子、現地の中国人家庭に引き取られその後結婚、1990年帰国するまでの中国での暮らしを淡々と語りました。
 坂井馨さん(28)=長野市=は、2世と結婚し、2006年来日、「日本語の壁や困難を乗り越えてきた。出産後新しい職場で、周りの皆さんのあたたかい指導を受けながら前向きに頑張って行きたい」と話し、激励の拍手が送られました。
 特別報告として、飯田日中友好協会事務局長の小林勝人さんが今春着工が決まった「満蒙開拓平和記念館」の建設の意義と経過を報告しました。この記念館を、開拓団の悲劇を風化させることなく平和を語りついでいく拠点として立派に運営して行く決意を述べ、今後とも資料提供をはじめ協力支援をお願いしたいと訴えました。

 第2部の東京中国歌舞団の公演では、陽二蓮(ヤンアーレン)さんが「茉莉花」や「草原情歌」「早春賦」などを次々と披露。また劉錦程団長の揚琴と曹雪晶さんの二胡による、「賽馬」「柴竹調」「平湖秋月」の演奏が行われ、会場は春節の華やかな雰囲気に包まれました。陽さんのオリジナル曲「母の月」は情感あふれる曲でひときわ大きな拍手が起こりました。最後に会場一体となって「ふるさと」を熱唱しました。

 第3部の春節交流会ではアトラクションとして臼と杵を使って、帰国者の皆さんが次々と餅つきを体験しました。大正琴の生演奏をバックに会場のいたるところで交流が行なわれました。抽選会も行われくじを引き当てた人たちがたくさんの景品を受け取ってにっこり。松本、上田、長野、飯田、伊南の日本語教室に通う帰国者の皆さんが「海」「富士山」「四季の歌」「海はふるさと」や「ふるさと」「北国の春」「春が来た」などを一生懸命歌い大きな拍手を受けました。最後に中国の東北地方に伝わるヤンコー踊りを会場いっぱいににぎやかに踊りました。参加した帰国者の皆さんは「大変楽しかった。来年も是非参加したい」と語っていました。

 飯田下伊那、伊南、松本、上田、飯山、長野などからおおぜいの帰国者や支援者、市民のみなさんが参加しました。長谷部孝長野市厚生課長、篠原哲也県地域福祉課課長補佐、竹内正一県地域福祉課係長、小林佑一郎元帰国者定着促進センター所長、成沢捨也県日中副会長、福沢宏夫県日中副会長、北島良一長野市日中理事長らも出席し帰国者を激励し交流しました。長野市日中女性委員会の皆さんは友好の黄色のハッピ姿で、交流会の進行・盛り上げに大活躍でした。
日中国交正常化40周年スタート、新春座談会・新年会を開催(1/25)

 長野県日中友好協会は1月25日、150人が出席して恒例の日中友好新春座談会と新年会を長野市内のホテル・サンパルテ山王で開きました。新春座談会では日中国交正常化40周年の節目の年にあたり「友好協力発展の年とすべく、官民提携して友好活動を進める」との方針を確認し、活発に意見交換が行われました。新しい時代に即した友好活動をどのように進めて行くべきかなどが熱心に語られました。新年会には中国大使館から汪婉大使夫人をはじめ各界来賓も出席され盛会裏に開催されました。

 日中友好新春座談会は、西堀理事長の司会で進められ、冒頭井出正一会長があいさつし各地区での活躍に敬意を表した後「昨年は大震災をはじめEUの経済危機、国内政局の混迷などが続き、新たな展望を見出せない年だった。日中両国が安定した関係を保つことは世界情勢の中できわめて重要だ。本年は日中国交正常化40周年の節目の年、政府、民間交流一体となって、相互信頼を育み友好協力発展の年にしたい」と述べました。

 続いて布施事務局長が第2回理事会(11/29)で決定された今年の主な交流計画を報告しました。「日中国交正常化40周年にあたり、日中の相互信頼醸成、友好協力促進に努めていきたい。友好都市中学生卓球交歓大会や中国雑技団公演、男声合唱団ZENの中国公演・友好の翼訪中団の派遣、40周年記念シンポジウム、太行山河北省易県での第6期緑化プロジェクト、長野ラジオ孔子学堂を軸にした中国語や中国文化の紹介普及、あわせて飯田日中が中心に進めている満蒙開拓平和記念館建設開館協力、長野県への観光客誘致活動協力、帰国者・留学生支援交流活動などに力を入れて行く」としています。

 続いてディスカッションに入り、日中関係の現状と課題、地区活動の紹介など活発に意見交換が行われました。相互信頼の醸成を図るために、いかに新しい時代にあった活動を展開していくか、新会員を迎え組織を充実させて行くかなどが語られました。

 新年会には、日頃友好運動に協力いただいている各界来賓が多数出席いただきました。席上、井出正一会長は日ごろの協力に感謝し、多事多難な1年間を振り返りながら、「世界も大きく激動している中で日中関係の安定が大切であり、国交正常化40周年を迎え、『40にして惑わず』、友好協力発展に努めて行きたい」とあいさつしました。

 野池明登県観光部長、汪婉大使夫人、若林健太参議院議員、倉田竜彦県日中友好促進議員連盟会長から祝辞をいただき、竹内久幸県議会副議長の音頭で乾杯しました。
 春節のさなか、長野までお越しいただいた汪大使夫人は、流暢な日本語で、「辰年=龍の年の隆盛発展を祈ります。長野県協会は半世紀あまりにわたって両国関係が困難なときも平穏なときも一貫して県民の共感を得て絶えることなく交流を進めてきた。本年国交正常化40周年にあたり両国政府は『日中国民交流友好年~新たな出会い、心の絆~』をテーマに日中交流促進を呼びかけている。積極的な交流活動を通じて両国の国民感情が一層改善されるよう願っています」と述べました。
 篠原孝衆院議員(代)、北沢俊美・小坂憲次・吉田博美参院議員(代)、高橋宏・太田昌孝・今井正子県議、周夢暁国際交流員からも激励のスピーチをいただきました。あちこちで懇談交流が行なわれ会場は和やかな雰囲気に包まれました。県女性委員会メンバーは男声合唱団ZEN代表の塩沢荘吉氏(県芸術文化協会会長)の指揮で大使夫人とともに「北国の春」や「ふるさと」を合唱しました。会場から大きな拍手が起こりました。浅井秋彦県国際課長の音頭で大使夫人と日中友好の万歳を行い1年の活躍を誓って散会となりました。

 来賓として呂新鋒三等書記官、王昌勝県華僑総会会長、窪田徳右衛門白馬村副村長、成沢栄一元県議、宮本経祥信濃教育会会長、浅川祐司県経営者協会、北村保県中小企業団体中央会広報室長、木藤暢夫県商工会議所連合会常務理事、馬場進一県商工会連合会事務局長、矢島昌昭県信用保証協会総務副部長、高橋博久県平和人権環境労組会議議長、大日方英雄県森林組合連合会顧問、酒井康成松本歯科大学法人室主任、穂苅甲子男信州葫蘆島の会会長らのご臨席をいただきました。

<中国大使館のホームページに紹介されました>
驻日本大使夫人汪婉出席长野县日中友好协会新年会
                            2012/01/27

  1月25日农历大年初三,长野县日中友好协会在长野市举办日中友好新春座谈会及新年会,当地选出的国会议员、县政府代表、县议会议员、各团体负责人、长野县及下属各市町村的日中友协代表共130余人参加会议,中国驻日本大使夫人汪婉应邀出席新年会。

   长野县日中友协会长井出正一致辞说,与朋友们一起共庆农历新春感到非常高兴。去年日本经历了多重灾害,但长野县日中友协如期推进日中友好各项事业,也为日本的灾后重建贡献了力量。今年是日中邦交正常化40周年,中国有句古语:“四十不惑”,长野县日中友协将一如既往、坚定不移地推进日中民间友好,努力增进两国国民的相互理解和友好感情。

  长野县知事阿部守一代表、县观光部长野池明登表示,地震灾害发生后,感受到日本国民间的纽带,感受到日中两国之间的纽带。去年阿部知事成功访华,感受到中国经济发展的活力,认识到日中两国“战略互惠”的重要性。中国是日本重要的邻居,希望以邦交正常化40周年为契机,进一步加深交流,强化纽带。

  汪婉表示,长野县日中友协自1956年成立后,曾为推动日中邦交正常化做出过重要贡献。两国建交后,长野县日中友协在经济、农业、医学、文化、青少年等各领域全面推进对华友好交流,还创办了广播孔子学堂、向河北省农村捐赠希望小学、为四川大地震募捐等等。即使在中日关系遇到困难和波折时,长野县日中友协仍一贯坚持“草根交流”。现在,中日双方的人员往来从建交时的1万人次增加到前年的570万人次,预计今年将突破600万人次。这些成果的取得,也包含着长野县日中友协朋友们的不懈努力。今年是日中邦交正常化40周年,中日两国领导人和政府确定了“中日国民交流友好年”、“新的相遇、心的纽带”的主题,长野县日中友协为庆祝40周年也将举办友城互访、中学生乒乓球大赛、滑雪交流会、高中生交流等重要活动。希望中日关系在象征飞跃的龙年里得到进一步发展,两国国民感情得到进一步改善。

  新年会上,汪婉与长野县日中友好协会妇女委员会共唱《北国之春》、《故乡》等歌曲,将气氛推向高潮。

  近年来,长野县日中友协正视资金不足、会员老龄化等困难,转变思路和做法,努力向日本国民诠释新时期发展日中友好的必要性和重要性,呼吁当地各界抓住中国发展给日本带来的机遇,推动务实合作,通过日中友好活动为两国及国民带来“战略互惠”的双赢结果。长野县日中友协面向中小企业主、妇女、青年发展会员,积极开展各种活动,取得了成效。

<年頭ごあいさつ>

  
日中国交正常化40周年 友好協力前進の年に

長野県日中友好協会 会長 井出正一

 未曾有の自然災害に加えて、いつ収束するかも分からない原発事故。円高と株安、経済不・社会不安、政治の低迷。そんな多事多難な日本を取り巻く世界状況も格差拡大への反抗、アラブの独裁体制の揺らぎ、ヨーロッパの経済危機など激動と不安定な一年でした。

 そんな中にあってわが協会は、各地区協会や関係諸団体の皆さんとともに、諸々の恒例継続事業を恙なく実施することができました。

 さらに東日本(長野県北部を含む)大震災義援金募金、佐久・安曇野日中の拡大再構築、『人民中国』読者会の設立、阿部知事の北京での長野県観光アピール及び長野市と石家荘市との友好提携30周年記念事業への協力、北京放送局開局70周年記念大正琴訪中団の派遣など新たな事業も展開することができました。改めて賜りましたご支援ご協力に心より感謝申し上げます。

 とくにご報告したい朗報は、5年前から飯田日中友好協会を中心に進められてきた「満蒙開拓平和記念館」(昨年”満蒙開拓歴史パネル展“が県内10地区の協会で開催されました)が、地元14市町村の南信州広域連合と長野県の財政的支援を受けられることなり、今春着工できる見通しとなりました。これまでの準備会の皆さんのご労苦に敬意を表するとともに、私達も完成までにみんなでもう一押ししなくてはと思います。

 さて今年は世界の主要国のいくつかで指導者が交替します。中国は胡錦涛世代から習近平氏を中心とする第5世代へ、アメリカはオバマ大統領の折り返し点である再選なるか、ロシアはプーチンの再登板?等等。

 そして今年はご承知のように、日中国交正常化40周年になります。友好都市中学生卓球交歓大会はじめ別掲のような諸々の記念事業も計画されています。「40歳にして惑わず」という孔子の言葉がありますが、来し方を顧みつつ次なる50周年に向かって、私たちも惑うことなく民間の立場から両国(民)の相互理解に努めていこうではありませんか。

 2011年1~12月

 2010年1-12月
 2009年1-12月
 2008年1-12月
 2007年1-12月
 2006年1-12月