友好短信2013.1~12

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朱丹陽さんが中国語をキーワードに中国事情を紹介(12/14)

 県日中学術交流委員会主催の第17期日中関係を考える連続市民講座で中国国際放送局・長野ラジオ孔子学堂の朱丹陽さんが12月14日講演しました。演題は「中国語と現代中国事情」、ここ2、3年中国でよく使われ、世相を反映する13のキーワードを紹介しながら中国人のくらしや国内事情について解説しました。

 本来、地方で勢力のある富豪をさす「土豪」は、身の回りのものに金をかけ、見せびらかす人を皮肉る言葉として流行している-と説明。金色に塗装された車や携帯電話の画像もスライドで示し、「物価高や就職難などに悩んでいる人もいれば、金銭的に有り余る人もいるという格差への不満が表されている」と話しました。

 「延遅退休」(退職年齢を延ばす)が話題になっているのは日本と同じような高齢化が急ピッチで進んでいる事情があるとのこと。

 「戸籍制度改革」については、都市部と農村部に区別され他戸籍制度の下で、都市部に働きに出ても基本的な行政サービスが受けられない問題なども説明、改革の新しい動きが出るたびに高い関心が寄せられていると述べました。
 
 聴講者からは、庶民感覚が現れるキーワードを取り上げて解説してもらったので具体的な中国事情が理解できてよかったと大変好評でした。
北太壺通信:長野県アルペンスキー訓練隊が吉林省北太壺スキー場で訓練開始(12/2~15・22)

 長野県スキー連盟はこの数年来、吉林省北大壺スキー場へ長野県の選抜選手を派遣し早期トレーニングを実施し成果をあげています。今シーズンも11月末から12月中旬まで白馬・中野・飯山・上田などの中高生を中心に53名が参加しています。同行している県スキー連盟競技本部長の河野政己さんから報告が届きましたので紹介させていただきます。

◇本隊到着しトレーニングが、本日から開始しました。本年の北太壺スキー場はすでに2コースオープンしコンディションも良く先発で入っていたチーム白馬は練習も進みすでに本格的なものになっておりました。また、本日からの選手も天候も良く、良い初日となりました。このような条件下の中、中国のクラブチームもここ北太湖で練習することが増えてきました。我が県の選手たちは意欲に燃えて頑張っております。(12/2河野 政己)

◇長野県選手全員元気です。

 本日は日中友好に関する大変珍しい話題をお送りいたします。先月訪問の際に会議の中で北太壺側よりの依頼で日本の柔道を教えてほしいとの要望でした。すぐにその場で白馬平林織部コーチに連絡し白馬高の秋山先生にお願いしたところ快く引き受けて頂けました。現在北太壺では15名程の中国の生徒に毎日1時間半教えております。

 これも日中友好として大変な役割であると思っております。

 お陰様で我々長野県人は北太壺とは大変良い関係と自負いたしております。本当に秋山先生(競技副本部長)には頭が下がります。また、教わっている生徒(スキースクールの先生)も大変熱心で1時間半を過ぎても柔道の自主トレーニングを欠かせません。今後ますます友好が広がりそうです。ちなみにホテル内スキー場などですれ違う時は必ず止まり「お疲れ様です」と声をかけてくれます。「礼に始まり礼に終わると」日本の心まで伝えているようです。 (12/3河野 政己)

丹羽宇一郎前中国大使、長野で講演「日中交流の努力を!!」(11/30)

 長野市日中友好協会と憲法9条署名を進める会は丹羽宇一郎前駐中国大使を講師に迎え、11月30日、長野ホテル犀北館において講演会を開きました。「日中問題の本質と真実-日本と中国の真の友好発展のために」の演題で講演、200名余が出席し熱心に耳を傾けました。

丹羽氏は、日本と中国の真の友好発展のために何が必要なのか熱く語られ、「日本人も中国人も互いの国を知らず、知人も少ない」日本側に戦前の蔑視観を底流とした偏見が残っていること、中国側に日中戦争での被害者意識がトラウマになって消えていないことなどが背景にあり、これを克服して真の友好を実現するには、できるだけ多くの日本人が中国人と接し互いに等身大の理解をしていくことが必要だと力説されました。

 又昨年9月の尖閣諸島国有化以降、日中首脳会談が開かれていないことについて「国交が続いているのに話をしていない。こんなことはあってはならない」と指摘。日中国交正常化から40年以上が経過していることを踏まえ「両国首脳は歴史の重みを感じて一刻も早く大局に立ち、大人の解決をはかるべきだ]と注文しました。「日中の友好・発展のため尖閣問題の対立を“中断”し、青少年、地方自治体、経済の三つの交流を進めるよう努力しよう」との訴えには、会場から大きな拍手が寄せられました。

 ◇丹羽氏は、中国大使在任中、尖閣「国有化」問題に直面し、日中関係悪化を憂えて提言を行いましたが、当時の政府の受け入れるところとなりませんでした。結果として日中関係は極めて困難な状況に陥り今日にいたっていいます。当事者としての貴重な体験をお聞きすることができました。
第17期日中関係を考える連続市民講座がスタート(11/23)

第17期日中関係を考える連続市民講座が11月23日から始まりました。長野県内の大学と県日中友好協会などで作る「県日中学術交流委員会」主催で以降、毎月一回のペースで文化・情報事情、歴史、経済関係などをテーマに計6回の講座が開かれます。

 開催趣旨には次のように述べられています。--日中関係は尖閣問題を解決し得ないまま1年余りを経過しています。両国は引越しのできない間柄にあり、悠久の往来の歴史と不幸な戦争を体験しています。また最大の貿易相手国でもあります。英知をかたむけ、困難を克服し、平和と友好協力の道を歩む方途を探すべきです。現在、日本も中国も、アジア・世界も大きな変革期を迎えています。隣国中国に対する関心を喚起し理解を深めることは一層重要となっています。--

 第一回講座は長野大学の塚瀬進教授が「歴史的観点から見た日本人の考え方、中国人の考え方」と題して話しました。大陸国家、多民族国家中国と島国日本との状況は大きな違いがあることを、清朝を事例に取り上げました。国家と社会の関係、徴税システムの特徴、経済活動の面から両国の国家構造、社会構造の違いを解説しましたが、中国を深く理解して行く上で注目されるところです。講演のあと質問や意見がたくさん出され、有意義な講座となりました。

県女性委員会バスツアー、松本楼で「辛亥革命秘話、孫文と梅屋庄吉」の事績に学ぶ(11/21)

 県日中女性委員会は11月21日、第6回秋の日中友好研修バスツアーを行いました。女性委員会メンバーらが参加して、東京日比谷の松本楼を訪問し、同館副社長で梅屋庄吉のひ孫に当たる小坂文乃さんより「辛亥革命秘話、孫文と梅屋庄吉」をお聞きしました。講演会には中国大使夫人の汪婉参事官らも参加され、その後ゲスト出演で孔暁鑫さんの古箏の演奏が奏でられる中、和やかに交流昼食会がもたれました。

 松本楼は梅屋庄吉なじみの場所で、梅屋夫妻の仲立ちで孫文と宋慶齢がここで結婚披露宴を行ったことで有名。高村光太郎・夏目漱石・松本清張などの作品の舞台ともなり多くの要人が訪れており、2008年には福田康夫総理の案内で胡錦涛主席も会食しています。

 未明に飯山を出発したバスは長野・松本・諏訪と高速道沿いに参加者を加えながら、東京を目指しました。車中では西堀正司県日中理事長から最近の日中関係についてのレクチャーに耳を傾け、さらに中国国際放送局長野孔子学堂の朱丹陽さんの指導で「大海啊、故郷」(海はふるさと)を反復学習し最後はうまく歌えるようになりました。11時すぎには予定通り日比谷公園の松本楼に到着しました。井出正一会長や全国本部の佐藤洋一さん、東京都日中の永田英二理事長さんたちとも会場で合流、総勢51名となりました。

 松本楼での交流会では島津美智子委員長のあいさつに続いて、井出会長と汪婉参事官から激励のご挨拶をいただきました。小坂さんが語る曽祖父・梅屋庄吉のお話は実在の資料に裏付けられた、親しみのこもったもので、時空を越えて私たちも、共に孫文を支援し宋慶齢を間近に感じられるようでした。近代史の中で日本人が、辛亥革命に共鳴し孫文と深い信頼関係を結び、いまのお金に換算して1兆円もの支援を続けたことは、日中関係史上特質すべきことだと感動を覚えました。大アジア主義の原点を垣間見る思いがしました。お別れに小坂さんの著書にサインをしていただきました。

 一行はその後、江戸東京博物館で「明治のこころ-モースの見た庶民の暮らし」特別展を参観して、帰路につきました。バスの中では自慢の歌が次々に飛び出し、盛り上がりました。初めて参加した方も「大変和やかで楽しい1日でした」と感想を述べていました。
おお!地球人ワールドフェスタIN長野、市日中も参加、石家荘研修生など活躍(11/17)

 国際交流イベント「おお!地球人ワールドフェスタIN長野2013」が11月17日長野市のもんぜんぷら座で開かれました。1998年の長野オリンピック開催で高まった市民の国際感覚を更に深める狙いで長野市国際室が各国際交流団体に参加を呼びかけたものです。市内に活動拠点を置く団体や個人を中心に22の出展者がステージ発表や展示、料理の提供などを通じて各国の文化等を紹介しました。多くの市民が訪れ、交流を深めました。

 ステージ発表では内モンゴル自治区出身のリガスチントさん(53)がモンゴルの風景が映し出される前で伸びやかな馬頭琴の演奏を奏でました。また中国石家荘市からの語学研修生も和服姿で練習してきた三味線を披露、観客の大きな拍手を浴びました。

 展示コーナーでは、長野市日中友好協会が阿智村に4月にオープンした、満蒙開拓平和記念館にちなんで満蒙開拓の歴史を紹介するパネル展示を行いました。また、帰国者の池田さんの作った本場の味の肉まんも好評でした。

 アメリカやロシア、フィリピン、ベトナム、インドネシア、ブータンなどのブースも関心を集めていました。最後の打ち上げは昨年に続いて日中のヤンコー踊りで、会場を練り歩きました。

 長野市国際室によると、長野市には11月現在、48カ国・地域の3400人余りの外国籍の方が暮らしています。国際交流の良い機会になったと喜ばれています。   (写真)市日中女性委員会メンバーと加藤久雄市長

村山元総理長野で講演、両国関係の危機打開を訴える(11/12)

 長野県日中友好協会・県日中経済交流促進協議会・県日中学術交流委員会は11月12日、日中平和友好条約35周年にあたり講演と記念のつどいを長野市内のホテル犀北館で開きました。講演会には、200名余が出席。村山富市元総理が「村山談話を語る-日中関係の危機を打開し新たな友好関係を築くために」と題して記念講演しました。講演終了後、先生を囲んでパネルディスカッションと記念パーティーがおこなわれました。村山談話の歴史的意義を再認識し、尖閣問題で厳しい試練にさらされている日中関係の現状を冷静に見つめ、危機を打開しようとする熱意あふれる有意義な1日となりました。

 夏目潔・県日中経済交流促進協議会会長の開会のあいさつに続き、井出正一・県日中友好協会会長が主催者を代表して「日中関係はまだもろいものがあるが、切っても切れない間柄であり、粘り強く民間の交流を進めていきたい。日中は好き嫌いでなく正面から付き合っていかなくてはならない。村山談話の当事者である先生から貴重なお話をお聞きし、改めて日中関係の重要性を認識する機会としたい」とあいさつしました。阿部守一・県知事が先の訪中で河北省長と率直に今後の交流協力について話し合いができたことを紹介し、日中の民間交流、地方政府同士の交流の重要性を訴えました。

村山元総理は、アジアへの植民地支配と侵略を認め反省と謝罪を発表した「村山談話」(1995年)について、「戦後50周年の年に自分しかできない歴史的な役割だった」と当時の心情を明かし、アジアの一員として日本がアジアから信頼される国になる、そのためには戦争の反省、歴史を教訓として未来に向かって手を携えて進んで行く必要性を強調しました。その後の歴代内閣が村山談話を踏襲し、2008年の福田・胡錦濤会談では戦後の日本の平和的発展を中国側が初めて評価し「戦略的互恵関係」を築いて行く約束をしたことを振り返りました。

 尖閣問題については、両国政府間で実質的に棚上げにしていた領土問題が「国有化」によって両国関係に大きな困難をもたらした経緯を紹介した後、「無人島をめぐって第2第3の経済大国が争うべき愚はやめ、冷静に対応し話し合いにより平和的に解決すべきだ」と述べました。また最近の村山談話や河野談話を否定するかのような動きや憲法改正の動きに対して危惧を表明し、政治家は、ナショナリズムを刺激しあうのではなく、周辺諸国と仲良くして行くこと、アジア全体の平和と繁栄を考えるべきであり、そのためには日中が手を携え軸となって行くべきだと述べました。

講演後、村山元総理を囲んで井出正一・県日中友好協会会長、上條宏之・県日中学術交流委員会副会長、山根敏郎・県日中経済交流促進協議会副会長をパネラーに、西堀正司・県日中理事長がコーディネーター役をつとめ、パネルディスカッションが行われました。

 村山内閣で厚相を務めた井出会長は両国関係の打開を目指して「村山談話の精神を今こそ大事にしなければならない」と強調しました。上條氏は村山談話の意義を再確認した上で、未来志向の関係は歴史を踏まえて初めて出てくる。日中関係は厳しいが民間・若者・経済界・学術などいろいろな分野で交流を進め東アジア共同体の基礎を作って行くことが大事だと述べました。山根氏は中国は日本にとって大切な国であり、友好活動は困難があっても粘り強く進めたい、健康長寿の源でもあると述べました。

 村山元総理は総理在任中の心構えや、辞意を固めたときの心境、クリントン米大統領との会談ではアメリカの重圧を感じつつも主権国家の代表として意見を述べた体験などを紹介しました。また「杖るは信に如くは莫し」(よるはしんにしくはなし=信義に勝るものはない)との信条や長寿の健康法を語っていただきました。

 県内各地から集まった聴衆は熱心に耳をかたむけ、両国関係の改善、民間交流の継続と深化の必要性を心に刻みました。

 第2部の祝賀パーティーでは、立石昌広・県学術交流委員会事務局長の開会と井出会長のあいさつに続き、倉田竜彦・県日中友好促進議員連盟会長、村石正郎・県議会前議長、塚田佐・元長野市長、朱丹陽・中国国際放送局日本語部・長野ラジオ孔子学堂中国側責任者、張金霞・県国際交流員、王昌勝・県華僑総会会長、穂苅甲子男・信州葫蘆島友の会会長らから祝辞をいただきました。会場では友好の大切さを思い激励しあう姿が見受けられ、和やかな交流がおこなわれました。最後に小池明・上田女子短大学長の音頭で日中友好万歳で締めくくりました。

 吉田博美・参議院議員(代)、若林健太・参議院議員(代)、白鳥博昭・県国際課長、岡村重信・県経営者協会事務局長、木藤暢夫・県商工会議所常務理事、井出康弘・県中小企業団体中央会事務局長、細野邦俊・県商工会連合会専務理事、白井千尋・県信用保証協会会長、浦野邦衛・JA長野中央会地域農政部長、中山千弘・連合長野会長、古川幸雄・部落解放同盟県連書記長、安田政寛・県針灸師会会長、桜井啓司・県武術太極拳連盟会長、手塚久盛・信州大学国際交流課長、藤原一二・松商学園理事長、福沢務・松本短期大学学生部長、酒井康成・松本歯科大学法人室留学生課主任など各界来賓が出席しました。

阿部知事、河北省を友好訪問(10/27~11/1)

 阿部守一知事は中国河北省との友好提携30周年に合わせて10月27日から11月1日訪中しました。10月28日には同省石家荘市を訪れ、張慶偉省長と会見・懇談しました。また会談に先立って、秦博勇副省長他幹部と今後の交流事業について意見交換しました。双方は、30年の友好交流を基礎に、従来の観光や人的交流に加え、環境や医療、スキーなどの新しい分野で交流を進めて行くことで一致しました。

 張省長は「長野の環境施設に河北省から人を派遣して研修させることは可能か。河北省が進めているスキー産業開発に知恵を借りたい」などと提案。阿部知事は「環境や医療、スポーツなどで協力を推進して行くことを歓迎する」と応じました。

 スキー場開発では、河北省がW杯などの国際大会誘致を検討しているとし、冬季五輪やW杯開催経験のある長野県側に大会運営のノウハウなどで協力を求めました。阿部知事は会談で、県内への中国からのスキー客誘致などを念頭に「双方にメリットのある形でスキー振興に協力したい」と述べました。

 同行した野池明登県観光部長によれば、「河北省は隣接する北京市同様、大気汚染が深刻化しており、大気汚染問題について両県省が共同研究して行くことで合意、本年度内にも県環境保全研究所に河北省が派遣する環境問題の担当者を一定期間受け入れる」と述べました。双方は今後、具体的な成果につなげるために実務レベルで協議を続ける方針です。

 阿部知事は会談後、「日中関係は難しい局面が続いているが、河北省長と会見して親しく将来に向けた話し合いができた。これまでの友好交流を基礎にして、より具体的に新しい展開をしていくことで一致できた。地方政府間交流・民間交流の大切さを改めて実感した」と語りました。

 一行は、北京では28日午前、中国国際放送局を訪問し馬為公副総編集長と懇談、29日には中日友好協会を表敬し、王秀雲副会と懇談しました。長野県日中友好協会からは、西堀正司理事長及び、相澤孝夫副会長(相澤病院院長)、西田節夫副理事長(県北京放送を聞く会会長)が同行しました。

 阿部知事は、その後中部広域観光推進協議会のハイレベルミッションメンバーと合流し団長として、北京と上海の現地旅行社4社及び航空会社1社、上海市旅遊局などを訪問・懇談し、長野県はじめ中部北陸地域9県3市の観光PRを行いました。また北京で木寺昌人駐中国大使と面会し懇談しました。
 
中国国際放送局日本語部の朱丹陽さんが来県(10/12)

 長野ラジオ孔子学堂中国側責任者として朱丹陽さんが10月12日長野市に見えました。西堀正司理事長、竹内勲学堂長らが長野駅頭に出迎え、歓迎夕食会が行われました。歓迎会では和やかに話題が弾みました。

 朱さんは中国国際放送局日本語部において中国語講座やニュースの翻訳・デスクなどを担当し活躍してきました。著書に『北京てくてく』、『北京ワクワク』などがあります。朱さんは2年間の滞在予定で、孔子学堂で中国語講師を務めたり県短期大学(上條宏之学長)で客員研究員として活躍します。

 10月16日からは孔子学堂中国語講座の各クラスの受講生の皆さんとも交流を深めています。中国語教学指導のベテランの朱さんの活躍に期待が高まっています。朱さんは「中国語と中国文化の普及のために努力し、日中友好に貢献したい。気軽に声をかけてください」と語っています。



初めまして 長野
                   長野日中友好協会CRI孔子学堂 朱丹陽

10月12日、長野日中友好協会・CRI(北京放送)孔子学堂に赴任した朱丹陽です。長野は初めてなので、よろしくお願いします。

長野に初めて関心を持ったのは、15年前の1998年長野冬季オリンピックです。フィギュアスケートの鑑賞が大好きなので、中国の陳露選手の素敵な演技を、夢中になって観ていました。フリープログラムのときは、どきどき、はらはらしてテレビに釘づけになっていました。中国の名曲・バタフライのメロディに乗って、会場を舞う陳さんのスケーティング姿と、リングの真ん中に飾られた鮮やかな花の模様は、いまもありありと蘇ります。陳さんと一緒に涙を流したりしました。中国のフィギュアスケートが五輪で初のメダル獲得を果たすことができた長野。中国のスポーツにとって福をもたらす街ではないかと感心していました。でも、留学生活や帰国後の仕事などで、長野は遠い存在でした。

今年5月に、職場のCRI・北京放送・中国国際放送局の派遣で、長野日中友好協会CRI孔子学堂の仕事を始めるようになりました。5月に日本語部の責任者に、「長野孔子学堂へはいかが?」と聞かれたとき、何かの強い力にでも引かれたように、1秒も迷わずに引き受けました。長野冬季五輪から16年目に、大きな感動をくれた長野滞在ができるなんて、まるで夢を見ているようでした。

以来、長野はどんな街なのか、みなさんはどんな暮らしをしているのか、仕事は円滑に進むことできるかと、少し不安はありましたが想像を膨らませていました。出発までは、大連での一ヶ月研修、ビザの手続き、荷物の郵送などして、5ヶ月間かかりました。その間、日中友好協会の孔子学堂の責任者の布施さんをはじめとする関係者とメールでのやり取りを交わしながら、いままで触れることのないことを一日も無駄なくクリアしました。

12日12時ごろ、羽田空港に到着。日本は30年ぶりの残暑でまるで真夏日のようだと、迎えてくれた清水さんから言われました。長野までの新幹線に乗るため、電車を乗り換えたりしました。北京は朝晩がずいぶん冷えているので、ジャケット姿でしたので、その電車では汗をかきました。大きな荷物二つを引きながら、汗を拭いたりしてちょっとダサい姿でしたが、気分はいい感じでした。曇りになるとなんとなく落ち込み、太陽が見えると何があっても陽気になる私は、暑さよりぬくもりを感じたからです。「これは長野が暖かく迎えてくれる証だ」と、こっそり自分に言い聞かせました。

歓迎会は長野市を見下ろせる素敵なレストランで行われました。長野県日中友好協会の西堀理事長や竹内孔子学堂長をはじめ、長野短期大学の先生など、8人でした。同じ丹東で育った安芸さんがいてくれたこともあって、緊張がちの私は、珍しくリラックスして皆さんと話し合いました。皆さんの話を聞き取れない部分もいっぱいありましたが、楽しかったです。もちろん、今の両国の冷えた関係にも触れ、心配する声もありました。私は、「大丈夫。ぜんぜん心配いらない。両国の民間人がその影響に引きずられず、今までのとおり交流を続ければ、いつかよい日がやってくる」と、民間の力への確信を話しました。

少なくとも2年とされる任期の期間中、長野の中国語学習のニーズに応えながら、両国の民間交流の拡大の道を探っていきたいと思っています。民間の交流こそ、両国国民の心がふれあい、友好の絆が強くなるのではないかと、思っています。長野の皆さんと一緒に頑張っていきたいと思っています。どうぞ、応援してください。(2013.10.28)


満蒙開拓平和記念館脇に「平和友好の碑」建立(10/8)

 飯田日中友好協会は創立50年を記念して、阿智村駒場の満蒙開拓平和記念館に「平和友好の碑」を建立しました。正面に「平和友好」と刻み、これまでの友好運動を継承し、平和への思いを発信する意志を込めたものです。

 石碑は中国福建省産の花崗岩で、平和をイメージした直系90㌢の球体。大鹿村産の変成岩でできた高さ約85㌢の台座にすえられています。平和友好の文字は阿部守一知事に揮毫を依頼。台座正面には、過去の出来事を忘れず将来への戒めとする中国の格言「前事不忘・後事之師」と刻んだ石がはめ込まれています。

 石碑の横には、旧満州(中国東北部)で亡くなった開拓団関係者を悼む「鎮魂の碑」があります。記念館の館長も務める河原進会長は「『平和友好の碑』を平和を願うシンボルにしたい」と話しました。

 10月8日には、阿部知事も碑を訪れました。平和友好の碑の建立に際しては、県内各地区友好協会からも賛同の寄付金が寄せられました。

 *日本軍国主義の国策の犠牲となった開拓団犠牲者の魂は日中の不再戦・平和友好を切望しているに違いありません。ハルピン市郊外の方正県には、周恩来総理の支持のもと、1964年に建立された中国東北部で唯一の「方正地区日本人公墓」があります。「日本人民も中国人民と同じように日本軍国主義の犠牲者であった」との周総理の言葉は長く開拓団関係者の間に語り継がれてきました。この日本人公墓の一角に1995年に「和平友好」の記念モニュメントが設置されました。当時の吉村午良知事の揮毫で長野県民の中国側への感謝と日中不再戦・平和友好の誓いを込めたものでした。この度の平和友好の碑はこのモニュメントを模して作られています。1600㌔の山河と海を隔ててなお通い合う平和友好の熱い思いを刻んだものに他なりません。
第26回日中友好武術太極拳フェスティバル、1150人が練習成果を発表交流(9/29)

 県武術太極拳連盟は9月29日、第26回県日中友好武術太極拳フェスティバルを長野市若里のビッグハットで開きました。全県から27団体・1150人余が参加し、日々の練習の成果を発表しました。

 桜井啓司会長が日ごろの練習成果を発揮して有意義な交流フェスティバルにしてほしいと述べました。続いて、布施正幸県日中友好協会事務局長が日ごろの日中友好への協力に感謝するとともに「日本と中国の人と心をつなぐ太極拳の普及に力を尽くしていきましょう」と激励しました。

 1150人が広い会場を埋め尽くしての簡化24式太極拳の全体演武は壮観な眺めでした。十数人のグループから150人の大所帯までさまざまな団体が参加。それぞれウェアーにも工夫を凝らし、習熟度にあわせた「型」を披露しました。ポピュラーな簡化24式太極拳をはじめ、長拳・太極剣・太極棍・太極扇・呉式など参加者は手足の先まで意識を集中させ、ゆっくりとした動きすばやい動きの中にも緊張感が漂っていました。
 
 特別表演として2013年全日本武術太極拳選手権大会出場者によって3段の集団演武も行われ大きな拍手が送られました。

 長野県内で武術太極拳は健康スポーツとして、また競技スポーツとして人気があり、愛好者は3千人にのぼっています。
歴史見つめ平和への誓い-平岡ダム強制連行中国人殉難烈士慰霊法要(9/29)

 戦争末期中国から強制連行され天龍村の平岡ダム建設で亡くなった中国人殉難烈士の霊を慰める慰霊法要が9月29日、ダム近くの慰霊碑前で営まれました。飯田下伊那地域の市町村や、日中友好協会関係者、中国大使館員ら約80人が参列。県日中からは西堀正司理事長が出席しました。「史実を忘れず、戦争を二度と繰り返さないよう努める」とし、平和への誓いを新たにしました。

 天龍村と飯伊市町村、飯田日中友好協会が実行委員会を立ち上げ、慰霊碑を建立した1964年からほぼ5年に一度ずつ開いてきました。

 黙祷をささげた後、実行委員長の大平巌村長があいさつし、「強制労働で尊い命が失われた史実を永遠に忘れず、再び起こらぬように、この意志を受け継ぐよう努力していかなければならない」と強調しました。飯田日中友好協会の河原進会長は「歴史をしっかり受け止め、心を新たに友好活動を前進させたい」と決意を語りました。

 来賓として出席した中国大使館の孫永剛一等書記官は「戦争の教訓を汲み取り、平和を大切にしていきたい。中日関係は困難な状況におかれているが、両国は隣国であり、経済のパートナー。関係を正常に戻すことが共通の願い」と思いを語りました。

 地元自慶院の盛正賢住職の読経で参列者全員が焼香しました。40年にわたって慰霊碑周辺の清掃をしている平岡の野竹貞江さん(76)は「多くの方たちが戦争の犠牲になり、本当に気の毒。慰霊碑の存在と歴史をもっと多くの方に知ってもらいたい」と話していました。

 *平岡ダムは国策により、1940~52年に建設され、太平洋戦争末期には、国内の労働力不足を補うために3000人以上の外国人を従事させた。中国からの強制連行者は、河北省出身者を中心に884人、うち62人が飢えや病気、作業中の事故などにより死亡した。なお飯田日中友好協会では1993年河北省に強制連行生存者を訪ね4人の方から聞き取り調査を行った。戦後50周年の1995年には4人を平岡に招待した。阿智村の満蒙開拓平和記念館では、8月末から9月末までの1か月間この慰霊祭にあわせ「強制連行の歴史展」を開催し、来館者に日中不再戦、平和友好の尊さを訴えた。
中国女子ジャンプ訓練隊、白馬で訓練スタート(9/21~10/18)

 安林彬・中国スキー協会副秘書長を団長とする中国ナショナルチーム女子ジャンプ訓練隊の歓迎会が9月24日長野市内の犀北館ホテルにおいて開催されました。

 県日中スキー交流委員会を代表して矢口公勝・県スキー連盟会長が一行の来県を歓迎し、「両国関係は尖閣問題でギクシャクしているが1979年以降続いてきた長野県と中国とのスキー交流は固い絆で結ばれている。来年のソチ冬季五輪に向けて、良きライバルとして訓練に励でいただき、日中共にメダルを目指しましょう」と述べました。安団長は、「30余年にわたり長野県のスキー関係者が中国スキーの発展に並々ならぬ支援をしていただいたことに深く感謝している。中国女子ジャンプは4人の枠を持っているので、日本選手に学びレベルアップを図り、メダルを目指したい」と述べ、白馬オリンピックジャンプ台で訓練できることに謝意を表しました。茅野県スポーツ課長や太田白馬村長、西堀県日中友好協会理事長や6月に中国スキー協会の招きで訪中した第32次県日中スキー交流代表団メンバーら関係者が出席して交流を深めました。

 一行は、歓迎会に先立ち加藤さゆり・県副知事を表敬しました。副知事は30年来の日中スキー交流の伝統を活かし共に学びスキー技術の向上発展に努めていただきたい。皆さんの訓練の成果を期待しますと激励しました。年々盛んになってきている中国のスキー事情やソチ五輪への意気込みなどが話題となり和やかに懇談が行われました。

 訓練隊は17~19歳の4選手とコーチら計7人。9月21日から10月18日まで白馬で訓練の予定です。中国の女子ジャンプ陣は2010年から毎年白馬村で合宿しています。

 一方、長野県スキー連盟はこの数年来、吉林省北大壺スキー場へ長野県の選抜選手を派遣し早期トレーニングを実施し成果をあげています。
第31回長野県中国語スピーチコンテスト、9名が出場して開催(9/23)

 第31回中国語スピーチコンテスト長野県大会が9月23日長野市の信濃教育会館で開かれました。

 主催者を代表して竹内勲・実行委員長(長野県日中友好協会ラジオ孔子学堂長)が「日中関係は困難な状況にあるが、中国は避けて通れない重要な隣国。言葉は文化と情報のもとであり友好の橋を架けることができる。本大会を機に中国語学習や友好の輪がひろがって行くことを期待したい。日ごろの学習成果を発揮してください」とあいさつしました。来賓として、西堀正司県日中友好協会理事長は「今、日中関係は困難を抱えているが民間交流や地方の交流を粘りづよく進めて日中関係の改善を図っていきたい。中国語を学ぶ皆さんの活躍に期待したい」とあいさつしました。

 中国語を学ぶ大学生や高校生、会社員、主婦ら9人が出場し、朗読の部やスピーチの部で表現力や発音の正確さや主張を競いました。朗読の部は与えられた課題文、スピーチの部は自作文を発表しました。岩下隆審査委員長をはじめとした中国語講師ら5人の審査員が審査を行いました。

 初出場の長野西高校2年の前田惇超君(16)は難聴の老人が会話をわかったふりをする-との課題文を披露し朗読の部で1位に。「今度は自作の文で挑戦してみたい」と話しました。

 スピーチの部は白馬村を訪れる外国人に県内の食文化などを紹介する活動にとりくむ長野市松代町の会社員で長野孔子学堂で学ぶ吉澤茜さん(35)が1位になりました。吉澤さんは来年1月に都内で開かれる全国大会に推薦されました。同じく孔子学堂で学ぶ藤田和子さんは「中国語を学び京劇を観賞」との発表を行い、京劇の難しい節回しをみごとに披露し拍手を浴びました。4度目の出場となる藤沢淳一さんは「運命の旅」と題して中国旅行で恋人とめぐり合えた喜びを語りました。また新潟県から特別枠で参加した佐藤満里鈴さんは流暢な中国語で「私の見た北京精神」と題して留学体験を発表しました。

 入賞者は次の通りです。朗読の部①前田惇超、②小山奈保。スピーチの部①吉澤茜、②藤沢淳一。他に努力賞:松沢彩夏、奨励賞:早川和子。(敬称略) 
木曽で強制連行中国殉難烈士の慰霊祭、平和を誓う(9/20)

 太平洋戦争末期に中国から木曽谷に強制連行され、過酷な発電所建設工事で亡くなった殉難中国人182人の慰霊祭が9月20日、木曽町三岳の大島橋脇にある「中国人慰霊碑」の前で行われました。

 中国大使館の汪婉参事官(大使夫人)はじめ県地方事務所長、木曽の関係市町村長や木曽町三岳老人クラブの皆さん、県内の日中友好協会会員や勤労動員された旧制中学の関係者など約80人が出席しました。

 慰霊祭は日中平和友好条約35周年と長野県と河北省との友好県省締結30周年も記念して開催されました。主催者を代表して、県日中友好協会の井出正一会長と慰霊碑維持管理委員長の田中勝己木曽町長があいさつし殉難者を追悼し、平和を誓いました。

 井出会長は「日中関係は尖閣諸島を巡って険悪な状態にあるが、地道に民間交流を進め、友好的な日中の関係を作りたい」とあいさつしました。追悼のあいさつに立った汪参事官は「節目の年に戦争の教訓をくみとり、今の平和を大切にし、友好協力関係を大事にしていきましょう」と述べました。(写真)

 続いて木曽仏教会の4名の僧侶の読経のもと慰霊法要が行われ、参列者が一人一人菊の花を祭壇に手向け冥福を祈りました。

 第2部の慰霊斉事は三岳交流促進センターに場所を移して行われました。席上、原山茂夫さんが勤労動員された旧制中学時代の体験や慰霊碑建立の経緯を語り、布施正幸県日中友好協会事務局長が木曽谷中国人俘虜殉難烈士慰霊事業の歴史と慰霊碑建立の経過を報告しました。井出会長から慰霊碑の清掃管理を永年にわたり行い守ってきた三岳の老人クラブに感謝状が贈られました。

 慰霊祭には、大月洋一県木曽地方事務所長、栗谷徳也木曽郡町村会長(木祖村長)、小口利幸塩尻市長、田上正男上松町長、瀬戸普王滝村長、王麟三等書記官、村上淳県議会議員、鎌田好範木曽仏教会会長、手塚喜市木曽町議会議長、白村初比呂関西電力木曽電力システムセンター所長、桑原侃道木曽町自治協議会会長、渡邊俊雄木曽町老連三岳支部長はじめとした老人クラブ代表、、木曽・木曽楢川・長野・諏訪・松本・飯山の日中友好協会代表らも出席しました。

(資料)戦争末期、国内の労働力不足を補うために、中国の河北省などから、多数の若者が強制連行され水力発電所工事や炭鉱などで劣悪な条件下酷使された。県内の木曽川水系や天竜川の発電所建設工事現場にも2,130名あまりが連行され内240名あまりが悲惨な死を遂げた。県日中友好協会の初代会長半田孝海・善光寺大勧進大僧正はじめ先達の皆さんは戦後いち早く殉難者の遺骨収集慰霊事業に取り組んだ。1964年には天竜村平岡ダムの脇に、1983年には木曽町(三岳村)御岳発電所近くにそれぞれ中国殉難烈士慰霊碑が建立された。犠牲者名簿の中で出身地がはっきりしている死者のうち約7割が河北省出身であることから、木曽の慰霊碑は河北省との友好提携に先立って同年10月県民の浄財を集めて建立された。五周年ごとに慰霊祭が、協会はじめ地元市町村、仏教会、勤労動員された旧制中学生など多くの関係者が寄って営まれてきた。9/29には天龍村平岡の慰霊碑前でも慰霊祭が行われる。
中国語夏期スクーリング、長野孔子学堂3教室で開催(8/31~9/1)

 恒例の日中友好中国語夏期スクーリングが8月31日、9月1日の両日、長野ラジオ孔子学堂の3教室で開催されました。40名あまりの参加者は初級・中級・上級クラスに別れ、中国人ベテラン教師の指導のもと2日間、中国語学習に励みました。

 開講式で竹内勲・孔子学堂長は「日中関係は隣国ゆえに尖閣問題などギクシャクも生じているが、言葉は友好の架け橋。相互理解を深め、民間交流を進めていきたい。貴重な2日間を活して、中国語のレベルアップをはかり、実践に役立てていきましょう」とあいさつしました。

 各クラスでは講師が事前に準備した教材を使って会話・文法・作文など熱心に学ぶ姿が見受けられました。石家荘市から派遣されている語学研修生を交えての交流授業では、受講生が全員、中国語を駆使し自己紹介や中国語との出会いなどを発表しました。研修生に対しては日本に来て驚いたこと、中国での就職事情、若者の流行語など次々に質問が飛び出し、有意義な交流授業となりました。夜の交流懇親会では二胡の演奏や本格的なマジックが披露され参加者から大好評でした。また、中国の歌、日本の歌が次々に披露され和やかな懇親会となりました。2日目の朝はラジオ体操、太極拳で汗を流し、再び特訓が始まりました。

 受講生は、同学の皆さんのレベルの高さに新たな刺激を受け、真剣な表情で学習し、また楽しく交流できたと喜んでいました。群馬からはなじみの皆さんが遠路参加いただきありがとうございました。来年も是非参加したいと語っていました。
日中学術交流委員会2013年度総会開催(8/19)

 長野県日中学術交流委員会(山沢清人会長)は8月19日、長野市内のホテル・サンパルテ山王において2013年度総会を開きました。信州大学や長野大学、県短期大学、上田女子短大など中国との学術協定や学術交流、留学生受け入れなどの現状なども報告され、引き続き日中学術交流を促進していくことを決めました。また、第17期日中関係を考える連続市民講座や日中平和友好条約35周年記念シンポジウムなどに取り組むことが決定されました。

 山沢会長は、「政府間のギクシャクがあっても民間同士の交流が大事で、長い目で見て付き合って行くことが必要だ。留学生を取り巻く環境などにも関心をはらい、中国との積極的な学術交流を継続していきたい」と述べました。井出正一県日中友好協会会長は昨年国交正常化40周年に際し、北京で中学生卓球交歓大会が盛大にに開催されたことを紹介し、「日中関係は尖閣問題で大変厳しい状況が続いているが、青少年交流や学術をはじめとした文化の交流を通じて、相互信頼関係を大切にしていくことは長い目で見て極めて重要な意味を持つ。大学間交流など一層の発展を期待したい」と述べました。

 総会終了後、立石昌広・県短期大学教授が「中国社会の変容」と題して記念講演し大きく変化している中国の現状に対する理解を深めました。ました。
長野びんずる「日中友好連」で参加(8/3)

 第43回長野びんずる祭りが8月3日長野市の中心街でおこなわれ、長野市日中友好協会は「日中友好連」として40人で参加しました。1万3千人の踊り手とともに中央通りを進みました。日中友好の提燈を先頭に、友好協会会員や帰国者、実習生など黄色い友好法被をまとってシャモジを打ち鳴らしながら熱心に踊りました。

 汗だくになりながらも、元気いっぱい、エネルギーを発散させて「楽しかった」と皆さんの感想でした。
後楽寮の中国留学生23人が信州でホームステイ(7/24~26)

 県日中友好協会は(公財)日中友好会館・後楽寮が派遣する中国留学生23人を7月24日から26日まで2泊3日のホームステイで受け入れました。本年で23年目になります。山ノ内・小布施・飯綱・上田・軽井沢・松本・諏訪・茅野・岡谷・伊那・飯田など11地区協会が協力しました。

 24日長野駅に降り立った6名の留学生は、西堀理事長はじめ関係地区の皆さんの出迎えをうけました。長野オリンピック・エンブレムの前で、対面歓迎式を行い受入れホスト家庭の皆さんとお互いに紹介しあいました。早稲田大学で刑法を学んでいる李世陽さん(26歳)は東京にいると日本の家庭を訪問する機会がなく、日本の習慣などを直接体験できるのを楽しみにしていますと語っていました。全員で記念撮影した後、各地に出発して行きました。

 地区協会主催の歓迎交流会や市町村長表敬懇談、地域の名所や施設などの参観、ホスト家庭での語らいなど有意義な3日間を過ごすことになっています。

 日中友好会館は日中両国政府が共同で運営している公益財団法人で、後楽寮はその付属施設です。寮生の大半は中国の国費留学生。県協会では、ホームステイで受け入れると共に、女性委員会や地区協会が後楽寮を友好訪問し交流してきました。来県した留学生とは帰国後も文通や訪中時の再会など交流が続いています。
南京大学から6人招き、小諸で中国藤村文学賞授賞式(7/13)

 小諸市と小諸市日中友好協会(佐々木治夫会長)は7月12日、「第7回小諸市中国藤村文学賞」の授賞式を小諸市内で開きました。島崎藤村作品の中国語訳や感想文を寄せて入賞した中国の南京大学の学生12人のうち6人が来日出席し、賞状を受け取りました。

 同賞は南京大学の学生を対象に3年に1回実施。今回は中国語訳の「翻訳賞」に計63作品の応募があり、同大教員らが審査しました。授賞式は中国で行う予定でしたが、今年に入り中国で鳥インフルエンザが広がったため、小諸市での開催に変更となったものです。

 藤村が松尾芭蕉についての想いをつづった『芭蕉』を訳して翻訳賞の1位となった同大大学院1年の李雨萍さんは「翻訳家を目指している。授賞は大きな励みです」とあいさつ。『千曲川のスケッチ』の感想文で愛読賞を受けた大学院2年の杜威凡さんは「小諸では千曲川など原作の風景を見られます」と来日を喜んでいました。
第48回日中友好キャンプ、友好王国in佐久穂・駒出池キャンプ場(7/6・7)

長野県日中友好協会青年委員会(西村源委員長)と女性委員会(島津美智子委員長)は7月6・7日佐久穂町駒出池キャンプ場にて第48回日中友好キャンプを開催しました。留学生や、帰国者、国際交流員、友好協会会員メンバーなど90名が参加し、楽しい2日間を過ごしました。

 八ヶ岳山麓・八千穂高原の駒出池キャンプ場は白樺や唐松林の中の公園のような風情があって、バンガロウや施設も使いやすく整備されていました。開会式で「友好王国」の建国を元気に宣言しました。開会式には、井出正一県日中会長が激励のあいさつに駆けつけてくれました。佐々木定男町長さんからもりんごジュースの差し入れをしていただきました。

 5つの班に分かれて活動が開始されます。池から流れ出る清流で魚のつかみどりが行われました。40匹のニジマスを40人もの若者が裾をまくり上げて魚を追いかけました。多く魚を捕まえた班から夕食のバーベキューのプラス素材が優先的に選択できるのです。皆真剣な表情でした。中国の人はつかみ取りがうまい!最高は7匹の赤色班でした。ほっと一息、バームクーヘン作りと豚肉の燻製作りにプチチャレンジの後、食事の準備に移りました。炭火を真っ赤におこし、野菜を大きく切って下ごしらえ。乾杯の後、おなじみのバーベキューです。ビール片手に焼肉をほおばり大いに語り合いました。続いてキャンプファイヤーを囲んでのフォークダンスや、ウララで盛り上がりました。最後に花火を手に手に童心に返って大はしゃぎしました。さらに夜遅くまで、両国青年の語らいは続きました。

 翌朝は6時半起床。ラジオ体操で体をほぐした後、カレー作りに励みました。各班それぞれの味自慢のカレーをおいしく食べ、後片付けの後、高原のミニ運動会。スプーンでのボール運び、ペットボトル水運び競争、ダンボウルで作ったキャタピラ自走競争、仲良し風船運び、はてはパン食い競争と続きます。景品は昼の流しソウメン最上流での賞味権です。力を合わして頑張りました。結果桃色組優勝。昼が楽しみです。

 青年委員会と女性委員会スタッフが用意してくれた流しソーメン。孟宗竹をうまく使って10メートルほどのコースができていました。スイカを頬張りながら、皆さんの目は流しソーメンの仕掛けに釘づけです。順番で上から並んで、スタート。下部にはソーメンが行きません。でも安心してください、だんだんと、位置を交替してみんな美味しいソーメンを味わうことができました。最後に女性委員会の愛情のこもったおにぎりがふるまわれました。

 閉会式で、留学生代表は、「今回初めてキャンプに参加しましたが、よく計画してあって本当に楽しかったです。中国と日本はどんなことがあっても仲良くしていかねばならないと強く実感しました。帰国後友達に必ず話します」と感想を述べていました。

『人民中国』陳文戈社長 長野県の読者会と懇談(6/22)

 6月22日、『人民中国』訪日団一行が長野県を訪問し、同県日中友好協会の責任者や長野県『人民中国』読者会のメンバーらと懇談した。席上、『人民中国』雑誌社の陳文戈社長と長野県日中友好協会の井出正一会長がそれぞれあいさつした。

懇談会では、陳文戈社長が読者らと真剣に意見交換し、『人民中国』に対するアドバイスに耳を傾けた。数多くの古い読者は『人民中国』を数十年購読し、『人民中国』に深い愛情を持っている。読者らは、『人民中国』が中国を知る重要な窓口であり、中国事情の教科書だと述べた。また、今年、『人民中国』は創刊60周年を迎え、新しいスタートラインに立ったが、今後も現在の中国の状況をより多く、より深く報道することを期待すると語った。


 ホームページを通じて『人民中国』と出合った2人の読者も今回の懇談会に参加していた。陳社長は彼らに対し、感謝の意を表した。さらに、陳社長は人民中国インターネット版やiPad版の最新情報も紹介し、ニューメディアによって、読者らに多様な閲読方式を提供して行きたいと述べた。

(人民中国インターネット版 2013年6月24日) *写真左は記念品を交換する陳文戈社長(左)と福沢宏夫「人民中国」読者会会長

第37回日中経済交流促進協議会定期総会、夏目潔氏を第5代会長に(6/20)

 長野県日中経済交流促進協議会は、6月20日、長野市内のホテル犀北館で第37回定期総会を開き、昨年逝去された故内藤武男氏の後任に、夏目潔氏を第5代会長に選出しました。

 総会で、夏目潔会長代行は、多くの実績を残された故内藤会長を偲びながら、「日中関係は尖閣問題以降大変厳しい状況にあるが、中国は日本にとって最大の貿易相手国であり、県内企業の中国進出も600件を超えている。日中両国はいがみ合っているわけには行かない。大局的見地に立って、問題を解決し、日中経済交流の促進を図っていきたい」とあいさつしました。

 吉澤猛・県産業政策課長は来賓祝辞の中で、景気回復の期待に触れながら、高い成長を続けるアジア、中国との連携の重要性を指摘し、協議会の活躍を激励しました。井出正一・県日中友好協会会長は故内藤武男会長の業績を讃えた後、尖閣問題で両国関係が"政凍経冷”の状況にあることに触れ、「領土問題は両国指導者の対話によってしか解決できない。我々としては民間交流を進め、つながりを大切にして相互信頼回復に努めていきたい。本年河北省との友好提携30周年にあたり、長野県としても知事をはじめとした訪中団派遣を計画している。協議会の一層の活躍を願う」とあいさつしました。

 12年度の事業報告と決算を承認した後、10月の河北省との友好提携30周年を記念しての知事訪中にあわせた訪中団の派遣、視察団の受け入れ、河北省との経済交流促進など13年度の事業計画・予算を決めました。また故内藤会長の後任に夏目会長代行を会長に選出しました。

 総会終了後、兼村智也・松本大学教授(国際経営論)が「日中関係と日系企業への影響」と題し、記念講演を行いました。興味深い内容に熱心に耳を傾けました。(以下要点抜粋)

 兼村氏は長野県の対中輸出が輸出総額の1/4を占め、また海外進出先の7割が中国であることに触れた後、尖閣問題の影響を紹介しました。影響はもちろんあるが最終製品に直結する輸出向けビジネスの場合は影響が大きく、「安全・安心」にかかわるビジネスには影響は余り見られなかった。日系以外からの受注や、幅広い製品分野から受注がある場合なども影響が少なかった。

 中国ビジネスは転換期を迎えており、その最大の要因は賃金の上昇によるコスト高。輸出向けビジネスは困難となってきている。輸出拠点から内販拠点に転換し、幅広い製品分野から受注・日系以外から受注を進めることによって取り引き先の現地化・多国籍化を目指すべき。

 日系企業は2万社を超え、500万人以上の中国人を雇用している。労働コスト上昇に対しても日系企業は資本集約型(人手から自社製作の自動機による機械化)で対抗できる強みを持っている。(「中国工場の日本化」)。中国側の対応も生産性向上に寄与する日本的生産システムの受入れに積極的。また深刻な環境問題もあり中国のエコカー補助金導入では日本車HVが最大の受益者となっている。日本と中国では市場としてのすみわけができており、ゼロサムではなくプラスサムの関係にある。日本本国の企業はマザー工場化して行くだろう。 

第32次長野県日中スキー交流訪中団に参加して(6/13~21)

 6月13日から21日まで総勢6名にて、中国滑雪協会の招きで訪中し、北京、長白山、長春、瀋陽、大連を訪れ友好を深めてまいりました。我々一行はスキー交流団でありますので北京で滑雪協会を表敬し、万里の長城や故宮を参観した後、スキーの本場吉林省へ向かいました。長白山のスキー場と北大壷スキー場を視察し関係者から熱烈歓迎を受けました。特に県スキー連盟は北大壷スキー場と友好関係を結んでおり、毎年11月にシーズン前競技の合宿と大会に参加しています。FISの大会の運営指導も行っており継続的に友好関係が保たれています。

 現地での歓迎交流会は、いずれの料理も我々の口に合いおいしく食させてもらいました。都市部では巨大なビルが立ち並び、訪れるたびに中国の経済は発展しているように感じました。先方も希望しておりましたが、益々交流を深めスキーはもとより友好国として接していきたいと思います。(スキー訪中団団長・県スキー連盟常務理事 藤原 芳春)

県日中女性委員会総会、”友好こそ平和の道”長野で交流深める(6/9)

 県日中友好協会女性委員会は6月9日、第38回定期総会を開きました。恒例の持ち出し総会は今年は長野市松代ロイヤルホテルでおこなわれ、県内から女性委員会のメンバーや来賓など70名余が参加しました。

 島津美智子委員長は地元長野市日中友好協会の協力に感謝した後、「県日中の方針のもと友好の発展を願って活動してきた。青年委員会と車の両輪で友好キャンプやスキー交流会に取り組み、また『女性委員会の歩み-虹の架け橋Ⅲ』も発刊できた。県内には1万名以上の中国の皆さんが住んでいるが、仲良く友人として暮らしている。日中関係は依然厳しい状況が続いているが、日中友好こそ平和への道との信念のもと頑張っていきたい」とあいさつしました。

 井出正一県日中会長、野池明登県観光部長、西堀正司県日中理事長、西村源県日中青年委員長らが日ごろの女性委員会の活躍に感謝し、エールを送りました。

 総会では12年度の活動報告や決算報告を承認した後、13年度の活動方針と予算が採択されました。友好キャンプやスキー交流会を通じて中国留学生・研修生・帰国者との交流を深めること、女性会員の拡大と相互の親睦を深める活動に取り組むことなどが盛られています。

 第2部では岩下隆先生(元信州大学中国語講師)が「中国女性史の光と影」と題して記念講演しました。歴史に名を残した三大女傑や近代中国のリーダーの妻たちをエピソードを交えて紹介し封建社会から近現代にいたる女性史の光と影を解説していただきました。

 第3部の交流懇親会では各地区の歌や踊りの出し物が次々と繰り出され、和やかな、楽しい会となりました。最後に、来年の開催予定の中野市日中女性委員会に県女性委員会の旗が手渡されました。

 翌6月10日には松代の佐久間象山記念館・象山神社や大英寺(真田信之の妻小松姫の菩提寺)、池田満寿夫美術館を参観しました。
中国帰国者支援市町村担当者会議、満蒙開拓平和記念館参観認識深める(6/6)

 長野県中国帰国者支援連絡会(県・県日中・関係市町村)が主催して6月6日、2013年度の中国帰国者支援市町村担当者会議が阿智村で開かれました。日ごろ中国帰国者支援活動にとりくんでいる、市町村の担当者40名余りが出席しました。

 最初に今春オープンした満蒙開拓平和記念館を参観しました。軍国主義の誤った国策のもと満蒙開拓団が長野県から全国一の3万数千人が送り込まれ、敗戦時悲惨な逃避行の末、1万5千人がなくなったこと、その過程で多くの残留孤児や残留婦人が生まれたこと、それらの歴史的背景と、平和への願いがさまざまな資料や体験者の証言映像などで展示されています。寺沢秀文専務理事や三沢亜紀事務局長、小林勝人飯田日中事務局長らが熱心に説明してくれました。8年がかりで実現した記念館を、平和学習の場として多くの人に参観活用してほしいとの思いを強くしました。

 その後会場を阿智村公民館コミニティーホールに移して、中国帰国者介護福祉の会ニイハオノ樋口顕勇氏に帰国者介護の実践体験報告をしていただきました。
県日中青年委員会総会、バトンを引き継ぎ更なる活性化へ(6/2)

 県日中友好協会青年委員会は6月2日、長野市もんぜんぷら座において第23回定期総会を開きました。飯山、長野、須坂、上田、松本、諏訪、飯田など各地区から24名が参集しました。島崎公明委員長は「2年前委員長を引き受けて以来青年委員会の活性化に務めて来た。50歳となり、バトンタッチする。青年委員会の新しい一歩が始まることを期待する」とあいさつしました。

 井出正一県日中会長は「青年委員会の活躍を自他共に誇りに思う。日中関係は険悪な状態が続いているが、民間交流を地道に続けていきたい。『中国の赤い星』を著わしたエドガー・スノーが毛沢東と会見したとき、彼は世の中を動かすには若さ・無名・貧乏の3つが必要と語ったという。青年委員会のメンバーは正業で忙しく大変と思うが、ここでの活躍はきっと人生の歩みの中で役立つことと思う」と激励しました。

 本年度の活動方針として、①更なる活性化と事務局体制の充実・組織の強化、②友好キャンプや友好スキー交流会などを通じ留学生や実習生との友好交流の機会を増やし、青年委員会が一丸となって積極的に活動にとりくんで行くことなどを採択しました。役員改選では新委員長に西村源氏、副委員長に福島達也、柿崎順一、桜井貴司、竹内良紀の各氏、事務局長に五十嵐冬人氏などを選出しました。

 第2部の記念講演では、穂苅秀郎氏(元県日中青年委員長)が「青年活動を通じて得たこと」と題して信州青年洋上セミナーを契機に日中友好協会と青年委員会に出会った自らの体験を振り返りながら、「青年委員会に参加し多くの得るものがあった。大きな組織ではないので、順番で役が回ってくる。参加する側から仕掛ける側に回って体験をしてほしい。いい意味で責任プレッシャーを感じることは自分の成長の糧となる。新たな一歩を踏み出してほしい」と語り感銘を与えました。

 第3部の懇親会では日ごろの思いを語り合い心ゆくまで交流しました。
緑化協力・県日中友好訪中団、河北内丘県で記念植樹友好深める(5/23~29)

緑化協力・河北敦煌の旅=長野県日中友好協会訪中団(山根敏郎団長)は、5月23日から29日、河北省の省都石家荘市や緑化協力地の邢台市の内丘県、そして敦煌、北京を訪問しました。各地で古くからの友人新しい友人に熱烈歓迎を受けました。

5月23日は早朝長野を発って、羽田空港へ。13:50発のCA182便で北京に降りたったのは16:45。旅行社の孟さんの出迎えを受け、北京駅で高速鉄道G6709号に乗り込み、途中3つの駅に止まって1時間20分余りで21:28新石家荘駅に到着しました。新幹線あさまに似た車両で、乗り心地も上々でした。新石家荘駅は大理石を敷き詰めた豪華な駅舎でした。なつかしい河北省外事弁公室亜洲処の梁国輝処長らの出迎えを受け、再会を喜び合いました。

 翌日5月24日は梁処長・韓隷東・董彤さんらの案内で邢台市の内丘県に向かいました。県の入口で出迎え案内の車が3台待っていて、緑化協力プロジェクトの現地まで誘導してくれました。現地には緑化計画を示す看板が立てられており、太行山脈に連なる丘陵地帯で赤土の乾操荒地を3年計画6年計画で緑化しようというものです。50株ほどの油松を龍興洲・市外事弁公室主任や盧振江・副県長さんらと共に記念植樹し、順調に生育するよう水もたっぷりくれました。計画地を奥へ進んで行くと、水源用のため池や、次年度に向けての基盤整備などが進められていました。会場を県中心地のホテルに移して李暁波県長が歓迎の昼食会を開いてくれました。山根団長も熱烈歓迎に感謝し、日中民間交流の大切さを強調した後、「緑化プロジェクトの成功と内丘県が天の時と地の利を得て大きく発展して行くことを祈ります」」とあいさつ。午後村ごと観光農園といった長寿百果荘園を参観しました。

 夜は、楊全社河北省外事弁公室主任・省友好協会会長主催の歓迎宴が開かれました。日中関係は依然として厳しい状況を脱していませんが、地方・民間同士は協力して友好交流を進めていきましょうと語り合い、長野県と河北省の友好提携30周年を祝いました。県協会の立場から秋の中学生卓球交流大会や知事をはじめとする県民の翼訪中団派遣に協力を要請しました。杯を重ね、共に「北国の春」や中国の歌を歌い楽しく交流しました。

5月25日、石家荘市外国語学校を訪問しました。土曜日であったにも拘わらず、裴紅霞校長さんはじめ、先生方や日本語を学習している生徒さんたちが出迎え親切に学内を案内してくれました。外国語学校は、幼稚園、小学校、初級中学、高級中学を擁し、約1万人が学ぶスケールの大きな設備の整った有名校です。幼稚園から英語を学び始め、中学生になると第二外国語として、日本語やドイツ語・フランス語・ロシア語などを選択して学ぶようになっているそうです。ちなみに日本語のクラスは一学年10名とのこと。団員1人に2名の生徒が付き添って案内してくれました。熱心に日本語で話しかけいろいろと説明してくれました。実践的に会話の機会を持ち向上を図って行く方針のようでした。日本人の先生もいるそうです。小学生の学芸会?の練習風景や、英語の補習授業の様子、木工工作や書画の趣味のクラブの様子などを参観しました。この学校は学業だけでなく、文化スポーツ方面でも能力を伸ばす全人教育を基本方針に掲げていました。最後に生徒たちが日本の歌を歌って私達を歓迎してくれました。思い出深い半日となりました。また、庭の一角に桜の木を記念植樹したことも良い思い出となりました。

  お別れの昼食会には、梁さん他、長野県に馴染みの劉梅海さんや李国方さんも出席して思い出の話はつきませんでした。一行は、名残を惜しみながら石家荘駅を後に、北京に向かいました。高速鉄道で、帰りは1時間ほどでした。北京で中国国際放送局の劉非さんや鄧徳花さんの出迎えを受け、歓迎夕食会に出席した後、翌朝飛行機で敦煌に向かいました。

 砂漠の中のオアシス都市敦煌は、日本人にとってシルクロードの要衝として一度は訪れてみたい憧れの地です。敦煌がその後どのように変貌を遂げているか、想像をふくらましながら、CA1287便のタラップを降りていきました。

第51回県日中定期大会、”日中関係回復に向け、地道に努力”(5/14)

 長野県日中友好協会は5月14日、第51回2013年度定期大会を長野市内のホテル国際21で開きました。県内各地から150人が出席して、尖閣諸島問題で悪化した日中の改善を目指して日中平和友好条約35周年と河北省との友好提携30周年にあたり、記念事業に取り組み民間交流を地道に続けて行くことを柱に新年度の活動方針を決定しました。

 島崎公明・県青年委員長の司会で大会がスタート。「永久の友情を」を県日中女性委員会のリードで全員で斉唱した後、山根敏郎副会長の開会あいさつに続いて、物故された先輩の皆様に黙祷を捧げました。
 
 井出正一会長は、「領土問題の解決は難しく双方とも安定した政権基盤がないと難しく時間がかかる。こんなときだからこそ右往左往することなく安定した関係を築くために地道な努力をしていきたい。厳しい状況の中にあっても、この1年間、関係者の努力によって満蒙開拓平和記念館が開館できたこと、日中友好都市中学生卓球交歓大会で長野、松本の2チームがブロック優勝したこと、県協会の活動をリードしている女性委員会が「友好の歩みⅢ」を発刊したこと、軽井沢に日中友好協会が誕生したことは大いに評価されるべきだ。今年も平和友好条約35周年、河北省との友好30周年にあたり、さまざまな事業が計画されている。地道にゆっくりと歩んで行きたい。今日は、しっかりご審議いただき意義ある大会にしていただきたい」とあいさつしました。

 続いて、阿部守一・県知事は、来県した中国の程永華駐日大使との会談が11日に松本市で実現したことについて触れ、「友好協会が長い間、中国との信頼関係を築いているおかげ」と謝意を表した後、「中国との関係発展は長野県の発展に不可欠。アジアと世界の平和にとって日中両国が手を携えて行くことは極めて重要だ。顔の見える関係づくりに全力で取り組んでいきたい」と述べました。また河北省との友好30周年にあたり「友好交流にとって節目の年。未来志向での協力関係を確認したい」と述べ、秋の記念訪中に対し協会の協力を要請しました。また満蒙開拓平和記念館に触れ、「次世代に平和の熱意を引き継がねばならない、記念館の発展を心より期待する」とエールを送りました。

 議長に佐藤庄司(須坂)・池田真理子(飯田)の両氏、大会運営委員長に北島良一・副理事長、大会書記に長澤保・山崎始の両氏を選出して議事に入りました。

2012年度の活動報告(布施正幸事務局長)、決算報告(市川淳子会計理事)、会計監査報告(田近勝之監事)を承認した後、2013年度の活動方針(西堀正司理事長)、予算(市川淳子会計理事)を採択しました。また、一部役員の補充(西堀理事長)を提案了承しました。

本年度の活動方針では、日中平和友好条約35周年・河北省との友好提携30周年の記念事業として、5月に緑化協力県協会訪中団派遣、7月に中国留学生ホームステイ受入れ、9月に強制連行中国殉難烈士慰霊祭開催、10月に河北省から卓球選手団を招いての日中友好中学生卓球交流大会開催、河北省への知事をはじめとする県友好の翼訪中団派遣協力、11月に平和友好条約35周年記念講演と祝賀のつどい開催などにとりくみ、これらの活動を通じて、粘り強く日中の相互信頼回復に力を入れて行くことを決定しました。

意見発表では「満蒙開拓平和記念館開館報告」(河原進・記念館館長/飯田日中会長)が行われました。続いて、「日中不再戦・平和友好・覇権反対の原点に返って交流を再開し、記念事業を成功させましょう」との大会宣言(今水弥生・県女性委員会副委員長)と大会スローガン(西村源・県青年委員会事務局長)が採択されました。

 議事終了後、井出会長から、6年以上県協会役員勤務退任者、6年以上地区協会3役勤務退任者、20年以上在籍会員などに表彰状が贈られました。相澤孝夫副会長の閉会あいさつで第1部は終了しました。

第2部の祝賀パーティーには来賓として、中国大使館の周海成・公使参事官、王麟・三等書記官はじめ白鳥博昭・県国際課長、小松裕・井出庸生代議士(代)小坂憲次・若林健太参議院議員(代)、諏訪光昭・今井正子県議会議員、塚田佐・元長野市長、柳沢宏行・長野市企画政策部長、窪田徳右衛門・白馬村副村長、王昌勝・県華僑総会会長、嶋田力夫・長野大学理事長、岡村重信・県経営者協会事務局長、木藤暢夫・県商工会議所連合会常務理事、細野邦俊・県商工会連合会専務理事、浦野邦衛・JA長野中央会地域農政部長、高橋博久・県平和人権環境労組会議議長、古川幸雄・部落解放同盟県連書記長、成沢勝人・県スキー連盟専務理事、桜井啓司・県武術太極拳連盟会長、穂苅甲子男・信州葫蘆島友の会会長らが、出席され激励いただきました。

周海成・公使参事官は長野県日中友好協会の活躍を讃え、先の程大使の訪問歓迎に謝意を表した後、「中国はGDPの総量は大きいが、遅れた地域もあり1人あたりで見ると日本の10分の1に過ぎない。中国は世界各国との協力を必要としており、平和発展の道を歩むことは必然的な選択。現在日中関係は我々の望まない状況にあるが、両国の有識者の努力によって如何なる問題も必ず解決されると信じている。中日両国はアジアで重要な国であり、利益も緊密に共有している。両国の未来も双方の努力によって明るいものになると思っている」とあいさつしました。

”平和のシグナル”出し続ける、満蒙開拓平和記念館が阿智村で開館式(4/24)

 満蒙開拓団の歴史を語り継ぐ拠点として建設された「満蒙開拓平和記念館」が長野県下伊那郡阿智村に完成し、4月24日に開館式が行われました。建設にむけた事業準備会で会長を務めた河原進・記念館館長(飯田日中友好協会会長)はじめ関係者ら約150人が出席して共にオープンを喜びました。満蒙開拓に特化した記念館の開館は全国で初めてとなります。
 
 主催者あいさつに立った河原館長は、「満蒙移民の歴史を伝え、平和を求める舞台にやっと立つことができた。気持ちを引き締め、末永く堅実に運営していく」とあいさつ。

 来賓としてあいさつした阿部守一・長野県知事は「平和な社会や暮らしをしっかり守っていかないといけないとあらためて感じている」と述べました。また、記念館建設用地を無償貸与した阿智村の岡庭一雄村長は「記念館が、満蒙開拓の真実を伝えることのみならず、日中友好をはじめ新しい平和をつくる役割を果たすことを心から願っている」と述べました。このほか、本郷一彦・県議会議長、牧野光朗・南信州広域連合長も祝辞を述べ、(公社)日中友好協会及び長野県日中友好協会を代表してあいさつした西堀正司理事長(全国常務理事)は、「今日はゴールではなく出発。これから平和のシグナルを出し続けて行く記念館に、長野県だけでなく、全国各界各層の大勢の人に訪れてほしい」と期待しました。

 また開館式では、建設に携わった企業に感謝状が贈られたほか、元開拓団員の中島多鶴さん(87)が「満蒙開拓の歴史を後世に伝え残し、命ある限り平和を求めて歩み続けて行くことを誓います」と、平和の誓いを読み上げました。式の後、内覧会が行われました。報道関係者の姿も多く見られ、注目の大きさをうかがわせました。

 記念館は、2006年7月に飯田日中友好協会が定期大会で建設に向けた活動計画を採択したことに始まり、翌07年に事業準備会が発足しました。全国の約1400人からの寄付と、県や地元自治体などの公的補助を加えた総事業費1億2千万円で造られました。満蒙開拓の歴史を年代をたどって学ぶことができます。一般公開は25日から。午前9時半~午後4時半。入館料は一般500円、小中高生300円。火曜と第2、4水曜、年末年始は休館となっています。
第6期長野ラジオ孔子学堂中国語講座がスタートしました(4/9~)

 長野ラジオ孔子学堂の第6期中国語講座がスタートしました。入門・初級・中級・上級(昼・夜)の各クラスに70名が受講を申しこみ、4月9日から逐次始まりました。中国語の老師(教師)はベテランの桜井純子さん、張淑華さん、王秋菊さん、鄭頴さん、顧淑鳳さん、毛暁玲さんです。継続して学んでいるおなじみの方もいれば、新しい受講生もいます。会社員、自営、団体職員、主婦、退職された方、学生など立場はそれぞれですが皆さん熱心に学習に打ち込んでいます。

 入門の皆さんはテキスト『中国語のToBiRa』を使って、まずは発音。桜井老師の指導で繰り返し中国語の基本母音と子音、四声、ピンインと呼ばれるローマ字表記などを学んでいます。孔子学堂の発音教材なども使ってにぎやかな声が教室内に響きました。

 初級の張淑華老師は『We can中国語』をテキストに授業です。14人の受講生相手ににこやかに授業が進みます。顧淑鳳老師も『新・中国ってこんな国』をテキストに、受講生のレベルにあわせての味のある指導で喜ばれています。

 中級の王秋菊老師は『心に残る中国語』と『CCTVで学ぶ中国文化』をテキストに中級を教えています。次々に指名して、緊張感も漂わせながらの密度の濃い授業でした。皆真剣です。

 鄭頴老師と毛暁玲老師は上級者相手に、『時事中国語の教科書』2013年版を使って、中国語で中国事情を紹介しながら授業を進めました。”全て中国語”を原則に、中国語が飛び交う、上級クラスでした。

 「授業に関心のある方は気楽に教室をのぞいてみてください。4~5月のうちは申込み受け付けます」とは、担当者のお話でした。
”満蒙開拓団の歴史的教訓と『平和記念館』”、日中講座で講演(3/23)
 
 県日中学術交流委員会主催の第16期第5回日中関係を考える連続市民講座が3月23日県日中友好センターにおいて開かれ、満蒙開拓平和記念館準備会の寺沢秀文専務理事が、「満蒙開拓団の歴史的教訓と平和記念館」と題して講演しました。

 開拓団が旧満州に送り出された歴史的背景と、長野県がなぜ全国一の開拓団員送り出すに至ったのか、更に敗戦前後に、約半数の開拓団員が、関東軍や国に見捨てられる中で悲惨な最期を遂げたことなど、詳細な資料を元に話しました。また、「満蒙開拓平和記念館」建設の趣旨と経過を紹介し、全国で最も多くの開拓団を送り出した飯田下伊那に満蒙開拓に特化した記念館を建設し、戦争の悲惨さと平和の尊さを語り継ぐ拠点としていきたいと述べました。

 ―開拓団の歴史から私達が学ばなければならないことは多い。それは、不都合なことに目をつむろうとする社会はまた必ず同じことを繰り返す危険がある。開拓団は侵略の加担という側面を持ち、一部の人たちにとって振り返りたくないこと。しかし、「前事不忘、後事之師」(前事を忘れず、後世の教訓とする=周恩来が日中国交正常化の際引用)の言葉通り、歴史を教訓として、戦争・侵略などの不の遺産を、平和希求・友好交流という「正の財産」に置き換えて行くことこそが大事―寺沢さんの提起に深く考えさせられた講座でした。

 満蒙開拓平和記念館は、4月24日に開館記念式典が行われ、25日から一般公開がスタートします。満蒙開拓団の歴史を時代の流れに沿って展示、映像や写真などを多く用いて、若い世代にも理解しやすい工夫をしています。「語り部」の話や証言映像などを視聴できます。資料閲覧用の資料研究室や喫茶コーナーもあります。

 「多くの人に、中でも若い人に来館いただきたいですね」とのお話に、参加者の皆さんも友人を誘って是非参観したいと語っていました。
佐久でも中国帰国者等との春節交流会(2/24)

 佐久日中友好協会(井出正一会長)は2月24日、佐久市内のホテル一萬里ゴールデンセンチュリーにおいて佐久中国帰国者等との交流会を開催をしました。佐久地域に住む帰国者とその家族らと日中友好協会会員ら約140名が出席しました。

 冒頭のあいさつの中で、井出会長は「昨年は日中国交正常化40周年の記念すべき年であったが、尖閣諸島を巡る対立が生まれ残念なことに日中関係がぎくしゃくし心配している。国と国は対立しても民間での友好はしっかりしていかなくてはならない。日中両国民は冷静にこの現実を理解し解決に向けて行動していきたい。両国の文化を理解できる帰国者の皆さんが架け橋になって欲しい」と述べました。

 帰国者を代表して、金井徳義さんは「佐久でこのような交流の機会がたくさんもたれるようお願いしたい。私は、日中の友好が代々続くよう祈っています」と結ばれました。

 来賓のごあいさつで、柳田清二佐久市長が県議時代の訪中談を披露しながら「佐久平に住む中国帰国者や花嫁さん等との交流の窓口を大きく広げ協力していきたい」と話されました。また昨年暮れの総選挙で初当選された、木内均(自民)、井出庸生(みんな)両代議士が出席、両氏とも今後の日中関係の重要性を訴え、特に民間の信頼厚い友好協会に期待するというごあいさつがありました。

 佐久保険福祉事務所の小林一司所長の発声で乾杯し宴会に入りました。”日本語と中国語の頭を使ったクイズなぞなぞ”、”みんなで楽しむビンゴゲーム”、”飛び入り歓迎カラオケ大会”など次々と企画されていて賑やかに会場も盛り上がり、子供も大人も楽しみました。協会員や後援者から景品が多数寄せられ、特に押絵羽子板が目玉となり、あたった人は、喜びも倍化したようでした。フィナーレに全員で「北国の春」を合唱し、お開きとなりました。帰りにはホテルのご好意で温泉に無料入浴でき、ゆっくり温まり家路に着きました。
第36回日中友好スキー交流会in木島平(2/23~24)

 長野県日中友好協会青年委員会(島崎公明委員長)と同女性委員会(島津美智子委員長)の主催により、2月23、24日の両日、木島平村のパノラマランド木島平スキー場において、第36回日中スキー交流会が開かれました。交流会には中国留学生・帰国者・中国大使館の皆さんをはじめ150人が参加し盛大で有意義な交流となりました。

 開会式では島津委員長と西堀正司県日中理事長、上村力飯山日中会長が、「大勢の参加者が心を通わせ、日中友好の楽しいスキー交流会にしましょう」とあいさつしました。その後、8班に分かれて青年委員会などの指導員のリードのもと、スキー教室がおこなわれました。初心者の方もだんだんとコツをつかみ直滑降からボーゲンへと進み、リフトに乗れるようになっていきました。スキーは2度目3度目でかなりの腕前の方もいました。留学生の要望に応えてスノーボードの班も開設されました。

 夜の交流会では、島崎青年委員長が留学生や帰国者、大使館の皆さんをはじめ150名の参加を得て盛大にスキー交流会を開催できたことに感謝し、「日中関係は現在困難な中にあるが、ゆらぐことなく民間同士の友好交流を進めていきたい。参加の皆さんにはスキー交流の楽しい思い出と友人を作り、日中の架け橋となっていただきたい」と述べました。木島平村の芳川修二村長や飯山日中友好協会の柳沢万寿夫副会長、中国大使館の孫美嬌参事官から祝辞をいただきました。孫参事官は3度目となる参加で、「日中の政府関係が厳しい中辛い思いをお互いにしていますが、両国は互いに切っても切れない間柄で、留学生や帰国者は日本の皆さんと仲良く付き合っていて、まさに親戚のような関係です。長い目で見て両国は必ず友好関係を築いて行くことが出来ると確信しています」とあいさつし大きな拍手をあびました。スキー用具を提供していただいたスワロースキーの中島勝弘専務が丸山哲三会長の代理で乾杯の音頭をとり、懇親会に入りました。杯を交わし交流しながら、和太鼓の歓迎演奏や、ビンゴ・ゲーム、女性委員会の優雅なフラダンスなどもあり、大いに盛り上がりました。木島平子供太鼓は小学2年生から中学生までの編成で全国大会3度優勝のハイレベルの迫力ある演奏で、感動しました。

 2日目はあいにくの大雪でスキー教室は安全を優先して行われました。豪雪地帯の豪快な雪の降り方には留学生の皆さんもびっくりしていました。昼は女性委員会の皆さんが心を込めて準備してくれたおにぎりと豚汁をおいしくいただきました。

 閉会式では、裏方をつとめた女性委員会メンバーが登壇し参加者から感謝の拍手が送られました。留学生の代表と大使館の呂新峰さんが「楽しいスキー交流でした。友人の皆さんの友好の熱意を必ず友人知人に伝えたいと思います」と述べました。帰国者の池田充さん、姜秀樹さん、金田友幸さんも家族連れで参加し「楽しい2日間でした。次回も参加したいです」と喜んでいました。

 王昌勝県華僑総会会長、池上一巳上田日中友好協会会長、湯本秀司木島平観光社長らも参加し、参加者を激励しました。
帰国者への理解を深めるつどい・体験発表と春節交流会(2/17)

 県と県日中友好協会は2月17日、「第5回中国帰国者への理解を深める県民の集い」を長野市内のホテル・サンパルテ山王で開きました。旧満州(現中国東北部)に渡り、敗戦時の混乱で取り残された中国残留孤児ら2人が体験を発表、飯田日中友好協会が中心となってすすめている満蒙開拓平和記念館の報告も行われ、250人が聞き入りました。第2部では中国文化芸術センターによる雑技と民族楽器演奏を堪能し、第3部の春節交流会では餅つきや大正琴の演奏、くじ引き抽選会、歌やヤンコー踊りを楽しみました。

 第1部では主催者を代表して玉井邦彦・県地域福祉課長と井出正一・県日中友好協会会長(元厚生大臣)があいさつし、「長野県は全国一満州開拓団を送り出し多くの犠牲を出した。現在4300人の中国帰国者の皆さんが県内で暮らしている。帰国者1世の高齢化が進み、生活習慣への対応や2世の就労などの課題もある。帰国者の皆さんが、地域や県民の皆さんの理解を得て、平穏で幸せな生活を送ることができるように国、県、市町村、関係者が連携して支援活動に取り組んで行きたい。満蒙開拓平和記念館も今春オープンの運びとなり、有意義な役割を期待したい。日中関係は尖閣問題で大変厳しい状況にあるが、帰国者の皆さんには友好の架け橋としても活躍願いたい。春節にあたり楽しく交流し理解を深めましょう」と語りました。

 体験発表で馬淵保男さん(76)=北安曇郡松川村=は、「生後間もない1936(昭和11)年に現南木曽町から読書開拓団の一員として家族と黒龍江省の公心屯に渡ったが、9歳のとき45年8月のソ連軍の侵攻となり、(父はすでに現地徴兵されていた)逃避行の中で母や弟をなくし、姉と共に中国人に引き取られ生き延びた」と述べ、以後73年に帰国するまでの厳しい生活を振り返り、往時の様子をかみ締めるように淡々と語りました。最後に「残留孤児や残留婦人の皆さんは中国で亡くした親兄弟の分まで長生きしてください」と結びました。

 宮沢順子さん(73)=飯田市=は天龍村出身で41年に黒龍江省の大八浪に渡り、2000年に帰国。逃避行の際、「疲れきった母は、歩けなくなった5歳の私を道端において行こうとしたが、私が泣き叫んだため考え直したと聞いている」などと話し、「過去を振り返ってみて、戦争こそが私達に災難をもたらした。もう戦争は要りません。永遠の平和を心から願っています」と話しました。

 特別報告として、飯田日中友好協会事務局長の小林勝人さんが今春4月25日開館が決まった「満蒙開拓平和記念館」の報告紹介をしました。この記念館を、周恩来総理が言った様に「前事不忘、後事之師」として開拓団の悲劇・歴史の教訓を風化させることなく平和を語りついでいく拠点として立派に運営して行く決意を述べ、そのためにも大勢の皆さんに来館していただきたいと訴えました。(入館料500円9:30~4:30火曜休館)

 第2部の中国文化芸術センターの公演では、程波団長の軽快な司会で雑技と民族楽器の演奏を楽しみました。楊春紅さんが一輪車に乗ってお碗を次々と頭の上に載せる見事な技を披露すると大きな拍手が起こりました。また趙正達さんの少数民族の瓢箪と竹で作ったバーウーと呼ばれる縦笛や、二胡の演奏に聞きほれました。会場は春節の華やかな雰囲気に包まれました。

 第3部の春節交流会ではアトラクションとして臼と杵を使って、帰国者の皆さんが次々と餅つきを体験しました。大正琴の友情出演も会場を盛り上げてくれました。会場のここかしこで再会を喜び合う姿が見受けられました。抽選会も行われくじを引き当てた人たちがたくさんの景品を受け取って喜んでいました。上田、松本、長野、飯田の日本語教室に通う帰国者の皆さんが「北国の春」「信濃の国」「里の秋」「夜来香」や「さくら」などを一生懸命歌い大きな拍手を受けました。飯田の皆さんは鮮やかな舞台衣装に着替えて見事な踊りを披露、大好評でした。最後に中国の東北地方に伝わるヤンコー踊りを会場いっぱいににぎやかに踊りました。参加した帰国者の皆さんは「大変楽しかった。来年も是非参加したい」と語っていました。

 飯田下伊那、伊南、松本、上田、飯山、長野、千曲などからおおぜいの帰国者や支援者、市民のみなさんが参加しました。竹内善彦県地域福祉課企画幹、竹内正一県地域福祉課係長、北村俊英長野市厚生課係長、小林佑一郎元帰国者定着促進センター所長、福沢宏夫・清水えい子・村山ひとみ県日中副会長、西堀正司県日中理事長、西沢毅県日中帰国者留学生委員長、北島良一長野市日中理事長らも出席し帰国者を激励し交流しました。長野市日中女性委員会の皆さんは友好の黄色のハッピ姿で、交流会の進行・盛り上げに大活躍でした。

日中友好新春女性のつどい、平和友好の思い(2/7)

 長野県日中友好協会女性委員会(島津美智子委員長)は2月7日、長野市内のホテル信濃路において恒例の日中友好新春女性のつどいを開きました。飯田・諏訪・松本・上田・千曲・中野・飯山・須坂・長野など各地から50人が参加し、新年の交流会が行なわれました。

 島津委員長は尖閣問題で大変な困難に見舞われた昨年を振り返り、「日中両国のリーダーには知恵を出してもらい良好な友好関係を築いて行って欲しい。こうした困難な中でも、『虹の架け橋Ⅲ-県女性委員会の歩み』の発刊や、交流と学習のバスツアー、スキー交流会と友好キャンプが皆さんの協力のもと成功裡に実施できたことに感謝したい。友好こそ平和への道という信念を持って歩んでいきたい。元気よく2013年の活動をスタートさせていきましょう」とあいさつしました。

 来賓として出席した井出正一会長は、女性委員会の日ごろの活躍に感謝した後、「1月末の協会代表訪中団で村山顧問、加藤会長らと共に李源潮政治局員はじめ中国要人らと会見し、意見交換をしてきた。双方とも何とかしなければとの思いを持っている。村山談話が話題となったが、歴史を鑑として次世代に教訓を引き継いでいくことが大切だと思う。民間の立場で日中の相互信頼回復に取り組んでいきたい。女性委員会の新年の活躍に期待します」と激励しました。

 第1部の研修会では、坂田雪男氏(89)が「宝興長野郷開拓団~シベリア抑留を語る」と題して、昭和18年旧満州延寿県宝興にわたり、昭和20年5月徴兵、日本の敗戦によってシベリアに抑留された体験を語り、平和の大切さを訴え、出席者に感銘を与えました。

 第2部の交流懇親会では、村山ひとみ前委員長の黒田節に始まり、飯山、長野、上田の皆さんなどが次々と歌や踊りを披露し盛り上がりました。当面する2月23・24日の日中スキー交流会の成功を誓ってお開きとなりました。今回女性委員会ではみんなで持ち寄った品々でバザーを行いました。
満蒙開拓平和記念館、今春4月末オープンへ

満蒙開拓の歴史を伝える日本で唯一の施設「満蒙開拓平和記念館」がいよいよ今春4月末、阿智村にオープンします。これまで力強いご支援をいただいた日中友好協会はじめ関係者各位に心よりお礼申し上げます。建設までには紆余曲折ありましたが、日中双方に多くの悲劇を生んだこの歴史を絶対風化させてはならない、二度と繰り返してはならないという信念で進めてまいりました。ここまでの道のりが長かった分、様々な活動を通じて支援の輪が広がり、満蒙開拓の歴史への理解が深まったと考えております。

建設は順調に進んでおり、現在、中身の展示の設計・製作に追われております。難しいテーマを内包する満蒙開拓の歴史をどのように表現するか、若い世代にどう伝えていくか、知恵を絞っています。皆様をお迎えできる日を楽しみにしております。
             (満蒙開拓平和記念館事業準備会 三沢亜紀)

*4月24日開館記念式典、4月25日から一般公開スタート。 

日中不再戦・平和友好の誓い新たに、新春座談会・新年会を開催(1/17)

 長野県日中友好協会は1月17日、140人が出席して恒例の日中友好新春座談会と新年会を長野市内の犀北館ホテルで開きました。新春座談会では「尖閣問題で大きく傷ついた日中関係の建て直しに努め、日中平和友好条約35周年・河北省との30周年の記念行事にとりくむ」との方針を確認し、活発に意見交換が行われました。厳しい日中関係が続く中で、民間の立場から、真剣に交流に取り組んでいる様子が紹介され、日中不再戦・平和友好の原点に返って友好活動にとりくんでいこうという決意が熱心に語られました。新年会には阿部守一知事や中国大使館から湯本淵公使参事官をはじめ各界来賓も出席され盛会裏に開催されました。

 日中友好新春座談会は、西堀理事長の司会で進められ、冒頭井出正一会長があいさつし各地区での活躍に敬意を表した後「日中関係は極めて困難な状況におかれているが、こんなときこそ日中友好協会の果たす役割が大切。本年は日中平和友好条約35周年・河北省との30周年の年、秋には阿部知事をはじめとした県友好の翼訪中団派遣に協力して、冷え切った日中関係を解きほぐす役割をはたしていきたい。皆さんの日ごろの思いを語り合っていただきたい」と述べました。

 続いて布施事務局長が第2回理事会(11/27)で決定された今年の主な交流計画を報告しました。「尖閣問題で日中関係は大変な困難な状況を抜け出せないでいるが、大切な隣国同士、両国指導者と国民が英知を結集してこの困難を克服し、アジアと世界の平和と繁栄に貢献していかねばならない。日中平和友好条約35周年、河北省との友好30周年にあたり、日中不再戦、相互信頼回復、友好協力促進に努めていきたい。河北省の卓球選手を招いての中学生卓球交流大会や強制連行殉難中国人慰霊祭、35周年記念シンポジウムの開催、河北省への県友好の翼訪中団派遣、満蒙開拓平和記念館開館と運営協力、太行山河北省内丘県での第1期緑化プロジェクト実施などに力を入れて行く」としています。

 続いてディスカッションに入り、日中関係の現状と課題、地区活動の紹介など活発に意見交換が行われました。冒頭、昨年11月にスタートした軽井沢日中友好協会の佐藤敬治会長が紹介され、友好を進めて行く決意が語られました。日中関係の現状については、尖閣問題を契機とした日本国内の極端な右傾化の動きへの警戒や中国の軍事力増強への懸念、大国らしい矜持ある対応を望む意見が出され、日中不再戦の決意が語られました。また日中の往復の貿易額が日米の2倍にもなっている現状を冷静に認識し、友好を望む両国の人々が連帯して国交正常化以後40年の成果を守り、大同を育て、「島」の問題を小異としていくことが大切だなどの意見が出されました。各地区協会からは、日常的にさまざまな友好活動に取り組んでいる状況が紹介され、困難な状況下にあっても、どう前向きに活動を展開していくか、組織を充実させて行くかなどが語られました。

 新年会には、日頃友好運動に協力いただいている各界来賓が多数出席いただきました。席上、井出正一会長は日ごろの協力に感謝し、尖閣問題でゆれた昨年を振り返りながら、「日中関係は極めて厳しい状況にあるが、紛争を平和的な手段によって解決することをうたった平和友好条約の精神にのっとり話し合いで解決する以外にない。両国民相互の信頼関係は低下していて残念だが、しかし相手を重要と考えている人は80%を超えている。秋には知事をはじめとした大型訪中団も計画されている。民間、地方の交流を進め、相互信頼の回復と友好協力発展に努めて行きたい」とあいさつしました。

 阿部守一県知事、湯本淵公使参事官、寺島義幸代議士から祝辞をいただき、倉田竜彦県日中友好促進議員連盟会長の音頭で乾杯しました。

 遠路長野までお越しいただいた湯公使参事官は、流暢な日本語で、友好座談会に参加した感想を述べながら、長年の協会の活躍に敬意を表した後、「日中関係はユニークで、友好組織が隅々までいきわたっているのは世界的に例をみない。また利害関係が密接で、それだけに微妙な問題もあって時々波風が立つ。今困難に直面しているが、先人の知恵に学び先人を超えた努力が必要とされている。日中両国は相互依存の関係にあり、かけがえのない二国間関係。日本の対中貿易額は貿易総額の25%、中国の対日貿易額は10%を占めているが、一方で島の問題など諸問題を抱えている。中国は日本の右傾化に懸念を持ち、日本ではメディアの論調が中国脅威論やリスク論、崩壊論を流している。中国は平和発展の道を歩み覇権主義は取らない。また発展の中でさまざまな問題を抱えているが解決に努めている。経済発展を牽引するのはマーケット力・資金力・イノベーション力・ブランド力といわれる。日中両国の協力の分野は大きく、大局に立てば、島の問題は小さくなる。大局にたって困難を解決していくべき。民間と地方の交流活動を通じて両国の国民感情が改善されるよう願っています」と述べました。

 阿部知事は「日ごろの友好協会のご活躍ご協力に感謝したい。日中の信頼関係の構築は日中両国並びにアジアと世界の平和にとって不可欠。昨年12月訪中し中日友好協会要人はじめ国際放送局や旅行関係部門関係者と懇談してきた。本年も中国からの観光客や大学生のインターンシップ受入れにとりくんでいきたい。友好提携30周年にあたるので、河北省を訪問したいと考えている。ご参加ご協力をお願いしたい」と述べました。

 村石正郎・太田昌孝・竹内久幸・今井正子・堀場秀孝県議、張金霞国際交流員からも激励のスピーチをいただきました。あちこちで懇談交流が行なわれ会場は和やかな雰囲気に包まれました。野池明登県観光部長の音頭で日中友好の万歳を行い1年の活躍を誓って散会となりました。

 来賓として王麟三等書記官、王昌勝県華僑総会会長、北沢俊美・小坂憲次・羽田雄一郎・若林健太参院議員(代)、白鳥博昭県国際課長、窪田徳右衛門白馬村副村長、宮本経祥信濃教育会会長、島田力夫長野大学理事長、岩崎英樹県中小企業団体中央会連携支援部長、馬場進一県商工会連合会事務局長、浦野邦衛JA長野中央会地域農政部長、鈴木明治長野朝日放送専務、酒井康成松本歯科大学法人室主任、穂苅甲子男信州葫蘆島の会会長、成沢栄一元県議、三井経光長野市議会日中友好議員連盟会長、小林義和・小林秀子・野々村博美・佐藤久美子・中野清史長野市議らのご臨席をいただきました。

<年頭にあたって>日中平和友好条約35周年、平和友好の誓い新たに

長野県日中友好協会 会長 井出正一

 新しい年が佳い年でありますよう、特に日中関係にとってそうあって欲しいと思います。

 昨年は日中国交正常化40周年という記念すべき節目の年であったにも拘わらず「尖閣諸島問題」を巡る対立をきっかけに、両国関係は先人の努力が水泡に帰すのではないかと思われるような厳しい年となってしまいました。かつて次世代の英知に委ねる「棚上げ論」を唱えた鄧小平氏の期待にわれわれ世代は応えられておりません。

 一昨年の秋、尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突事件によって、日中関係がにわかに緊迫したさなかに人民大会堂で開催された日中友好協会創立60周年の大祝賀大会の席で、宋健中日友好協会会長が「中日友好関係の発展は依然として任重く、道遠しであり、目標を達成するため引き続き努力していかねばなりません」と言われたことが改めて思い出されます。「戦略的互恵関係」はまだまだ如何に脆いものであるか痛感されます。

 日中共同声明に、両国は「全ての紛争を平和的手段によって解決し、武力または武力による威嚇に訴えないことを確認する」と明記されている平和的手段とは、外交交渉であり、妥協点を見出すことであります。そのためには、双方の統治者が安定した政権基盤と国民の信頼の上にあらねばなりません。そうなるには残念ながら双方ともかなりの時間が必要に思えます。

 とするならば、私たちは日中関係の両国間、さらにアジアと世界の安定と平和にとっての重要性を再確認したうえで、右顧左眄することなく足元を固める運動に地道にとりくんで行くべきだと考えます。そういう意味では、昨年もわが協会は飯田日中を中心にした「満蒙開拓平和記念館」の起工、北京で開催された日中友好都市中学生卓球交歓大会への6チームの参加と2組のブロック優勝(長野市-石家荘市、松本市-廊坊市)、県女性委員会による『虹の架け橋』第3集の発行等々恒例事業のほかに盛りだくさんの意義ある事業、活動が展開されましたし、何よりの朗報はこの時期に新しく軽井沢日中友好協会が設立されたことです。それぞれ当事者の皆さんのご労苦と共に、関係各方面の皆様のご理解とご支援に感謝します。

 今年は日中平和友好条約35周年であるとともに、長野県と河北省の友好提携30周年になります。阿部知事を先頭に、我が協会も大訪中(応援)団を組織して、冷え切った日中関係を解きほぐす役割を果たしたいものです。

 2012年1~12月

 2011年1~12月
 2010年1~12月
 2009年1~12月