友好短信2015.1~12

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故半田孝淳先生のご逝去を悼みご冥福をお祈り申し上げます(12/14)

 天台宗座主で長野県日中友好協会最高顧問の、半田孝淳先生が12月14日逝去されました。享年98歳でした。先生のご逝去を悼み心から哀悼の意を表しますとともに生前の日中友好のご貢献に感謝し謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 半田先生は、長野県日中友好協会初代会長半田孝海先生のご子息で、孝海先生の後をついで、日中友好に深い関心を寄せ、長野県日中友好協会副会長さらに最高顧問として、協会を導き私たち会員を励ましていただきました。ご自身も幾たびも中国を訪問され、中国仏教会の趙僕初会長はじめ佛教会の要路の方々との親交を温められてこられました。

 日本仏教界の重鎮のお立場になられてからも、大変親しみやすいお人柄で、親しく声をかけてくださり感慨深く先生の在りし日のお姿を思い浮かべております。

 1986年に県協会創立30周年の記念誌を編集するにあたり、半田先生から、父君の残された新聞大の大型スクラップ20冊ほどに整理されていた沢山の貴重な資料をご提供いただきました。おかげで1950年代、60年代当時の確かな記録が明らかとなり編集者一同半田会長のお人柄を改めて偲び、半田先生のご好意に深く感謝した次第です。

 2011年に常楽寺でお会いした時のことも忘れがたい思い出です。その時の様子を記した短文を紹介させていただき半田先生のご冥福をお祈りしたいと思います。(F)

半田孝淳先生から半田孝海初代会長の貴重な資料を提供いただく(2011年10月11日)

 長野県日中友好協会の初代会長の半田孝海先生(善光寺大勧進大僧正)が先頭に立って戦争中県内の平岡や木曽谷に強制連行されダム建設工事に従事させられ殉難された240名余の遺骨収集・慰霊・遺骨送還の事業に関係者とともに尽力されたことは友好協会会員のみならず多くの県民の知るところです。半田先生は1957年9月と1963年11月一部遺骨を携え訪中し周恩来総理とも会見しています。

 このほど、半田孝淳先生(半田初代会長のご子息で、比叡山延暦寺座主大僧正、県協会の最高顧問)から1957年5月半田孝海会長が、長野県中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会委員長として中国紅十字会宛に殉難烈士・呉栄海氏の遺骨に添えて送った手紙の写しをいただきました。

 天津市烈士陵園の中にある在日殉難烈士・労工紀念館のなかに実物の手紙は展示されていましたが、本年9月日中友好宗教者懇話会訪中団の一員として訪中された、中尊寺貫首の山田俊和・宗教者懇話会理事長がこれを写真に収め半田先生にお送りいただいたものでした。

 半田会長の精魂を傾けられた日中不再戦、平和友好の願いと実践の一端が、明年の日中国交正常化40周年を前にして私達の目の前に現れたことは、重要な啓示に思えます。半田孝淳先生もまた日本の仏教界の最高指導者のお立場にあって父君の思いを継いで日中の永久の友好平和の思いを熱く語られ私達を激励くださいました。心から感謝申し上げます。
 中国人養母ら招き阿智村でシンポジウム(12/12)

 満蒙開拓平和記念館(河原進館長)と飯田日中友好協会(清水可晴会長)は12月12日、阿智村中央公民館で中国残留孤児を育てた養母を招き「中国養父母を知るシンポジウム」を開きました。元残留孤児やその家族、支援者、市民ら約100人が参加し、養母と孤児の話に耳を傾けました。

 来日したのは、黒竜江省ハルビン市在住で残留孤児の日本人女児を育てた養母、李淑蘭さん(88)や中国に残る孤児や養父母の生活を支援している「ハルビン市日本孤児中国養父母聯誼会」の丁一平副会長ら7名。昨年6月、記念館代表が訪中した際に交流したのがきっかけで今回の招請が実現しました。

 丁副会長が1985年に設立された養父母聯誼会の活動を紹介したのち、李さんは記念館の三沢亜紀事務局長の質問に答える方式で、日本人孤児を育てることとなった経緯や思いを語りました。おかゆやマントウを売る店を営んでいた李さんは1945(昭和20)年秋、日本人女性からやせ細った女児を託されました。自身も養女として育てられた経験から「ほっておけない気持ちで預かった」。日本人の子を預かったことで非難も浴びたが「孤児なのだから誰かが面倒を見てあげなければかわいそう」と揺るがなかったと李さん。娘が81年実母がわかり日本に帰ることとなった際は「別れはつらかったが娘が実の母と会えると思うとうれしかった。自分は母が誰なのかいまだわからない」と述べました。

 中国の養父母に育てられた元残留孤児、多田清司さん(76)=飯田市=も登壇。「(収容所で父母を亡くした多田さんを)養父がおぶって自宅へ連れて帰り、養母がおもゆを作って一口一口たべさせてくれた。中国の養母(ママ)のおかげで生きながらえることができた」と話しました。

 東京から駆け付けた元残留孤児の中島幼八さん(73)は、花束とともに自身の体験をつづった書『この生あるは』(中国語版)を贈り、感謝の気持ちを表しました。中国残留孤児長野訴訟副団長を務めた石坂万寿美さん(72)=塩尻市=も「中国と養父母は私たちが生活し学ぶすべてを支援してくれた。健康で長生きされることを心から願っています」と語り、感謝の意を表しました。

 小林勝人・飯田日中友好協会理事長が日本側における残留孤児の受け入れ活動の概要を報告し、寺沢秀文・平和記念館副館長がシンポジウムのまとめを行いました。

 なお、平和記念館では「日本人残留孤児と中国養父母展」(ハルビン市日本孤児中国養父母聯誼会提供)を11月21日から12月26日にかけ開催しています。引き続き、県内各地区日中友好協会と共催で巡回展示を予定しています。
  ワールドフェスタin長野に長野市日中も参加(11/29)  

国際交流イベント「おぉ!地球人 ワールドフェスタ in 長野 2015」が11月29日長野市のもんぜんぷら座で開催されました。市民の国際感覚・国際理解の向上を目指し、今年で4回目となります。市内に活動拠点を置く団体等21の出展ブースと8つのステージ発表が行われ、多くの市民が訪れ、交流を楽しみました。

ステージ発表では、中国石家庄市からの3名の語学研修生(何瑛さん、王景澔さん、鄺天辰くん)が和服姿でそれぞれ一人ずつ「能」を舞い、3人一緒に三味線で「さくら」の曲を演奏し、更に一人ずつ研修中の思い出などを日本語で発表し視聴者の大きな拍手を浴びました。また、幸福龍さんほか敦煌二胡教室のみなさんによる二胡演奏も行われ、5曲目は長野市日中のメンバーもステージに上がり観客の皆さんと「ふるさと」を合唱しました。

幸運を招く赤い提灯や切り紙で飾り付けた長野市日中友好協会のブースには、協会の活動紹介展示のほか、「満蒙開拓団の悲劇を語り継ごう!」のコーナー、 中国茶のサービスコーナー、ミニ中国語教室を設けて来客者を迎えることとしました。激励に来場された山根会長、福澤副会長も黄色い日中友好のハッピ姿になり、ブース前で全員勢ぞろいの記念写真を撮り、定刻の11時いよいよ開会セレモニーで始まりました。

当協会ブースでは、王秀閣さん(中国国際放送局孔子学堂中国側責任者)のお手前による「黒茶」「白茶」「ジャスミン茶」など、中国茶のサービスが人気を呼び、それぞれの効能などを記したチラシを手に味わっていただきました。茶菓子の「ナツメ」「山査子」の提供も喜ばれました。また、応援に来てくれた県国際交流員(河北省から来県)の董彤さんと信州大学研究生の劉非さんによるミニ中国語コーナーにも多くの人が立ち寄っていただき好評でした。 満蒙開拓団の悲劇など綴った『活(いきる)』(宝興長野郷開拓団出身の大石文彦さん著)などの著書にも関心を寄せていただき、日中不再戦、平和友好をアピールすることもできました。

その他、アメリカ、ロシア、ベトナム、モンゴル、フィリピン、タイなど、それぞれのブースにも多くの皆さんの関心が集まっていました。

長野市国際室によれば、当日の来場者は688名で、長野市には11月現在、53ヶ国・地域の3491名の外国籍の方が暮らしています。国際交流の良い機会になったと喜ばれています。         (長野市日中友好協会 事務局長 吉岡 弘海)

 第19期日中関係を考える連続市民講座スタート(11/28)

第19期日中関係を考える連続市民講座が11月28日から始まりました。県内の大学と県日中友好協会などで作る県日中学術交流委員会主催で、毎月1回のペースで文化、歴史、経済関係などをテーマに計6回の講座が開かれます。第1回は長野大学の塚瀬進教授が「溥儀の生涯とその時代」と題してラストエンペラーの生きた激動の時代とその人を紹介しました。第2回は立石昌弘・県短期大学教授(中国経済)が「1930年代の中国と日本」と題して講演しました。

 開催趣旨は次のようです。
--日中両国は2000年の友好往来に裏打ちされた文化の共通性があります。一方、近代不幸な戦争を体験しています。国交正常化以来40数年を経過し、最大の貿易相手国となっています。ここ数年、政治的ギクシャクが続いてきましたが、日中関係は徐々に明るさを取り戻しつつあります。英知をかたむけ、平和と友好協力の道を歩む方途を探すことは両国国民にとって大切な課題です。中国を多面的に理解するため県内で活躍している大学・短大などの先生を講師に迎え第19期講座を計画しました。お誘いあってご参加ください。

詳細はこちら――>第19期日中関係を考える連続市民講座「中国の歴史・文化と日本」

11/28(土)「溥儀(ラストエンペラー)の生涯とその時代」、塚瀬進・長野大学教授
12/19(土)「1930年代の中国と日本」、立石昌弘・県短期大学教授(中国経済)
1/23(土)「中国茶あれこれ」、王秀閣・中国国際放送局日本語部アナウンサー・長野孔子学堂責任者
2/27(土)「中国近世小説の世界『杜騙新書』の話」、氏岡真士・信州大学人文学部准教授
3/19(土)「中国進出県内企業の現状」、兼村智也・松本大学教授
4/23(土)「宋代中国の都城と文化」、久保田和夫・長野高専教授
 県女性委員会バスツアー、新潟中国領事館を訪問交流(11/19)

 県日中女性委員会は11月19日、第8回秋の日中友好研修バスツアーを行いました。女性委員会メンバーら42名が参加して、新潟の中国領事館を訪問し、何平・総領事はじめ関係者から心のこもった歓迎を受けました。

 未明に南信のメンバーを乗せ、岡谷を出発したバスは松本、長野、須坂、中野、飯山と参加者を加えながら、新潟を目指しました。車中では西堀正司県日中理事長から最近の日中関係についてレクチャーを受け、さらに中国語の歌「大海啊、故郷」(海はふるさと)を練習し、自己紹介など交流しながら、11時過ぎには領事館に到着しました。

 何総領事は、心からの歓迎の意を表した後、「長野県の皆さんとの交流は今まであまり機会がありませんでしたが、隣県同士これを機会に交流を深めていきましょう。両国関係は複雑な問題も抱えていますが、女性のパワーを発揮していただき、民間・地方交流を活発にし友好協力を進めていきましょう」と述べました。 

 島津美智子女性委員長や西堀理事長らが訪問御礼のあいさつをし記念品交換が行われました。領事館の内部も案内していただき、領事館の皆さんの仕事ぶりも見せていただきました。現在の領事館は手狭なため、行く行くは新しい領事館に移ることになるそうです。国章の飾られた玄関前にて全員で記念撮影しました。

 続いて何総領事の特別の計らいで、市内の中華レストランに場所を移して歓迎昼食会がもたれました。美味しい中華料理や紹興酒をいただきながら領事館のスタッフの皆さんと交流懇親を深めることができました。感謝の意味を込めて、バスの中で練習してきた「大海啊、故郷」や「ふるさと」を一緒に歌いました。名残を惜しみながら長野での再会を約して会場を後にしました。

 一行はその後、新潟ふるさと村でショッピングを楽しみ、さらに越後一の宮と言われる弥彦神社で菊まつりを鑑賞し英気を養い帰途につきました。バスの中では、「領事館訪問など良い体験ができ楽しく勉強になりました」「来年も友達を誘って参加したい」などと感想が語られました。自慢のカラオケも披露され、長い道のりも短く感じられる有意義な研修バスツアーとなりました。
長野市の帰国者、世界遺産・富岡製糸場とこんにゃくパークを見学交流(10/25)
 
 長野市と市日中友好協会、市帰国者の会で構成される長野市中国帰国者三者連絡会の主催により平成27年度長野市帰国者のつどいが10月27日行われました。昨年の上越市水族博物館訪問に引き続き今年も要望に応えてのバスツアーで世界遺産冨岡製糸場とこんにゃくパークを訪問しました。帰国者65名と友好協会役員、市生活支援課の皆さんが参加し、市のバス2台に分乗しての80名の賑やかな見学交流会となりました。

 あたたかい日差しに恵まれたこの日、長野を8時前後に出発した2台のバスは松代PAで合流し、ここで開会式が行なわれました。

 三者連絡会副会長の柳沢春生・市帰国者の会会長は、「沢山の帰国者に参加いただき感謝します。年配の方もいるので、無理しないで、楽しい1日を過ごしてください」とあいさつしました。布施正幸・県日中帰国者交流センター次長も「帰国者1世の皆さんが大勢の子や孫に囲まれて安心した老後を送れるよう地域の皆さんとともに頑張っていきたい。日中両国の不再戦、平和友好を願う気持ちを誰よりも持っている皆さんが友好の懸け橋になっていただきたい」と述べました。

 バスは、予定通り11時に富岡製糸場に到着すると、参観者が門前列を成していて大盛況でした。木骨レンガ造の広大な建物がしっかり保存され、東置繭場跡には富岡製糸の歩みをわかりやすくパネル展示してありました。繰糸所は工場の心臓部だったところですが、28年前まで動いていた機械が整然とその場所に保存されていました。

 富岡製糸場は明治5年(1872)に日本初の官営の近代的大規模製糸工場としてスタートしました。以後民営払い下げとなり最終的に長野県とかかわりの深い片倉工業㈱が取得し昭和62年(1987)操業停止まで続いたもので、その後富岡市に寄贈され国指定重要文化財となりました。昨年念願かなって世界遺産に指定されました。帰国者の皆さんも興味深げに参観していました。

 市内の藤乃屋で昼食の後、群馬県の特産こんにゃくのテーマパーク「こんにゃくパーク」を訪問しました。大変大きな施設ですが、こちらも大勢の観光客でにぎわっていました。まず入口で記念撮影、そして工場を2階から案内コースに沿って参観しました。続いてこんにゃくのバイキング料理を味わい、最後に両手がふさがるほどのこんにゃく製品を買い込みショッピングを楽しみました。

 一世の皆さんは70代半ば過ぎの方が多いですが、皆さん元気に2世3世4世に囲まれて楽しい一日だったと喜んでいました。
人民中国雑誌社王漢平副社長一行迎え、意見交換と歓迎会(10/10)

 人民中国読者会は10月10日、県日中友好センターにおいて人民中国雑誌社王漢平副社長一行4名を迎えて、歓迎意見交換会を開きました。于文東京支局長と呉文欽特派員、王朝陽・本社政治経済班記者が同行しました。急なご案内でしたが、読者会メンバー20人が出席し熱心な意見交換を行いました。

 福沢宏夫会長は、歓迎のあいさつの中で、読書会の活動を紹介するとともに、人民中国がより読者から愛される雑誌になるよう編集部、東京支局の皆さんが努力していることに敬意を表しました。

 王副社長は、「2度目の長野訪問ですがあたたかい歓迎に感謝し、読者会の皆様にに親しみを感じております。雑誌を読者に愛される立派なものにすることが私たちの第1の使命です。いつも長野の皆さんにご支持いただき感謝しています。懇談会を機にいろいろな貴重な意見をお聞きしたい」と述べました。

 短時間でしたが、内容の濃い意見交換ができました。よりよい雑誌とするために改善すべき点を出して欲しいとの要請で、次々と要望が率直に出されました。

 「レベルが高く、内容が固い感じがして最後まで読み通すのが大変に思う。10代の中高生が読んでも理解できるような読みやすい雑誌の編集に心がけて欲しい」。具体的には、「ノーベル賞作家の短編小説を載せたらどうか。世界遺産の紹介や日中間の友好交流の紹介と言うことで長野県が紹介されていたが、継続して他県の交流も紹介していったら良いのではないか」。「中国の魅力的な歴史や格言、漢詩の紹介なども期待したい。医療介護、環境問題などにも興味を持っている。交流イベントや開発区、「爆買い」などの状況も取材紹介して欲しい」。また、「読者アンケートを編集に反映してほしい」など、アットいう間に1時間半が過ぎ、続いて交流懇親会となりました。「北国の春」や「我愛北京天安門」などの歌も飛び出し盛り上がりました。

丹羽宇一郎・前中国大使招き、日中友好協会創立65周年記念の講演会を開催(10/9)

 長野県日中友好協会・県日中経済交流促進協議会・県日中学術交流委員会は10月9日、戦後70年、日中友好協会創立65周年にあたり講演と記念のつどいを長野市内のホテル犀北館で開きました。講演会には、180名が出席。尖閣問題のさなか中国大使として厳しい日中関係の最前線にあって両国関係の破滅を避けるため全力を傾注された、丹羽宇一郎先生(日中友好協会全国会長)が、「戦後70年、中国の行方と日中関係の今後」と題して記念講演しました。その後、先生を囲んでパネルディスカッションがおこなわれました。「厳しい日中関係を打開し新たな扉を開くために」、ともに考え前向きに民間交流を進めていこうとする熱意あふれる有意義な1日となりました。

 夏目潔・県日中経済交流促進協議会会長の開会のあいさつに続き、高波謙二・県日中友好協会会長が主催者を代表して「日中友好協会は65年前、日中戦争の深い反省の上に、両国の不再戦、平和友好を誓って国民の期待を担って誕生した。全国でもっとも多くの満蒙開拓団を送り出した長野県は負の歴史を肝に銘じ教訓として友好関係を築く決意をした。粘り強く民間・地方の交流を続け、友好に資していきたい。大使在任中、中国全土を自分の目で視察され、政府高官はもとより、庶民の方とも交流を深め現場主義を貫かれた丹羽先生から得がたい体験に裏打ちされた貴重なお話をお聞きし、今後の糧としていきたい」とあいさつしました。

丹羽先生は冒頭、習近平主席とも大使在任中9回あったことがあり習氏が「日中は引越しのできない間柄で、仲良く付き合っていく以外に道はない」と言っていたことを紹介しました。「日中双方の世論調査では、嫌中や日本人が怖いなどの数字が8割を超えるなど、政府間だけでなく民間でも厳しい。交流の機会を増やし誤解を解いていく必要がある。同じ人間としてお互いに信頼しあったら日中間でも過去の歴史を乗り越えて偏見をなくしていくことができる」と強調し、日中間の全ての紛争を平和的手段で解決し、武力や武力による威嚇に訴えないと定めた1972年の日中共同声明に触れ、「声明の精神を両国が遵守するよう努力するべきだ」と訴えました。

 また9月の米中首脳会談に触れ日本人が大きくなった中国を理解すべきだと述べました。日本で余り報道されていないが、米中首脳会談では安全保障や経済連携などが広範に議論され、両国は2016年を「米中観光年」にすることで合意したことを紹介。さらに「オバマ大統領は2020年までに米国人学生100万人強に中国語を学ばせると宣言した。日本が尖閣問題でごちゃごちゃやっている間に、中国は日本を必要とせず米国と関係を深めるようになってしまう」と指摘しました。

 先生は、日本の戦争責任や、日中国交正常化のために先人が払った努力が忘れ去られつつあるとも懸念。「国交正常化移行の40年余りで10億ドルだった日中の貿易額が3300億ドルまでになったのは両国が平和だったからだ。戦争に近づくようなことはやるべきでない」と強調しました。

 最後に中国の習近平体制に触れ、「習氏は自信を持って国政にあたっており中国経済は崩壊しない。当面中国共産党の1党独裁体制以外ありえないが、21世紀半ばの建国100周年に向けた長期構想を持ちさまざまな課題を解決しようとしている。ちなみに2017年は習体制2期目になるが、日中国交正常化45周年にもなる。大使のとき40周年記念行事600件もが、中止になり本当に悔しかった。45周年は是非成功させたい」と講演を締めくくりました。

 講演後、丹羽先生を囲んで上條宏之・県日中学術交流委員会副会長(県短期大学学長)、山根敏郎・長野市日中友好協会会長をパネラーに、西堀正司・県日中理事長がコーディネーター役をつとめ、パネルディスカッションが行われました。

 県内各地から集まった聴衆は熱心に耳をかたむけ、時代の変化や国際環境の変化を踏まえ日中が真剣に向かい合い相手を理解し、両国関係を改善し、関係を深めていく必要性を心に刻みました。「まず一歩踏み出すこと」を信条とする先生の情熱に大いに刺激を受けたと感想を語っていました。

 第2部の祝賀パーティーでは、相澤孝夫・副会長(松本日中会長)の開会あいさつに続き、高波会長が「”隣人同士仲良く付き合っていきたい。その為にもてる力を発揮したい”との丹羽先生の信念に貫かれた講演に感動した。日中関係が徐々に明るさを取り戻しつつある中で、集いの成果を踏まえて民間交流を進めていきたい」と語りました。中島恵理県副知事、井出庸生代議士、若林健太参議院議員からの祝辞に続いて、村石正郎・県議会日中友好促進議員連盟会長の乾杯の音頭で懇親会に入りました。小松裕・代議士(代)、小坂憲次・参議院議員(代)、今井正子・高島陽子県会議員、朱丹陽・王秀閣・中国国際放送局長野孔子学堂担当、董彤・県国際交流員、王昌勝・県華僑総会会長、塚田佐・元長野市長らから祝辞をいただきました。また、小林勝人・飯田日中理事長から満蒙開拓平和記念館の現状報告がされました。また女性委員会メンバーなどから日本と中国の歌が披露され、和やかな交流がおこなわれました。

 岡本宜樹・日本銀行松本支店長、滝沢英一・県国際課課長補佐、銭坂丈夫・上田市秘書課、柳澤直樹・山ノ内町副町長、岡村重信・県経営者協会事務局長、西村昌二・県中小企業団体中央会参事、中村英雄・県商工会連合会専務理事、荒井英彦・県信用保証協会会長、奥村明子・ジェトロ長野所長、高木幸一郎・JA全農県本部長、北村智・JA長野中央会地域農政部長部長、後藤正幸・信濃教育会会長、嶋田力夫・長野学園理事長、手塚久雄・信州大学国際交流課長、井口弥寿彦・信濃毎日新聞社総務局長、小沢吉則・長野経済研究所調査部長、桜井啓司・県武術太極拳連盟会長、など各界来賓が出席しました。

お世話になりました朱丹陽老師、ようこそ王秀閣さん、歓送迎夕食会(10/6)
 
 長野県日中友好協会ラジオ孔子学堂は10月6日、長野市内の油やで朱丹陽さんの歓送会と王秀閣さんの歓迎会を開きました。孔子学堂中国語講座の受講生の皆さんや日中友好協会の関係者50名が出席しました。
 
 朱丹陽さんは2013年10月来県以来、2年間にわたり、孔子学堂の中国側責任者として、孔子学堂中国語教室と県短期大学で活躍されました。中国国際放送局日本語部のアナウンサー出身の朱さんの中国語発音指導には定評がありました。皆さんの中国語の勉強の手助けをすると同時に、中国人の生活習慣や考え方などにも触れていただくという「一石数鳥」の「中国語講座」にしたいというのが朱老師(先生)の信条でした。

 「いろいろな人と知り合いけんかせずまわりの皆さんと仲良く付き合いができ大変楽しい2年間でした。スキー体験、女性委員会や高齢者の皆さんとの交流も良い思い出です。野沢菜やわさびの味も忘れられません。「北国の春」や「夕焼け小焼け」は長野の歌であることも知りました。年配の方が中国語を熱心に学ぶ姿が印象的でした。大変お世話になりました」。朱さんのあいさつに会場もシーンとなり、続いて大きな拍手につつまれました。
 
 王秀閣さんは北京第二外国語大学卒業で九州大学留学経験もあります。放送局では「お茶あれこれ」などを担当されていました。趣味は音楽とアウトドア、河南省安陽市出身です。王さんから皆さんへの一言:「外国語の勉強はボケ防止に効果があるといわれますが、異文化への好奇心とチャレンジ精神があったからこそ勉強しようと思ったのではないでしょうか。その好奇心とチャレンジ精神を大事にしたいと思います」。

 夕食会では、竹内勲・長野ラジオ孔子学堂長が主催者を代表してあいさつし、2年間にわたる朱さんの熱心な中国語指導に感謝し帰国後の活躍を祈りました。また後任の王さんの来県を歓迎し、活躍に期待しました。
 
 会には、高波謙二県日中友好協会会長、井出正一県日中最高顧問、山根敏郎・福沢宏夫・中沢道保同副会長、土屋孝夫・県国際課課長補佐、西堀正司同理事長、西田節夫県北京放送を聞く会会長、岩下隆・県中国語を学ぶ会会長らも参加し、感謝のと歓迎の言葉を述べました。また全参加者からお別れと歓迎のスピーチ、歌などが披露され、会場は和やかな雰囲気に満ち満ちていました。最後に、全員で思い出の記念撮影をしました。

中国語スピーチ県大会、26人が出場して中国語を競う(9/27)

9月27日、長野県日中友好協会ラジオ孔子学堂の主催による第33回長野県中国語スピーチコンテストが開かれ、26人が出場しました。

朗読部門には大学生4名と一般15名が参加、課題文の中国の物語を発表し発音や表現力を競いました。

 弁論部門には7名が出場、自作文で中国語による内容や表現力を競いました。テーマに日中友好を取り上げ、民間人同士の交流や絆を強める意欲が強く訴えられるなど、本格的な弁論発表となりました。

弁論の部では会社員の吉澤茜さん(37)が3連覇し、来年1月に東京で開かれる全国大会の出場権を得ました。中国人の友人とともに、地元への外国人観光客誘致に力を入れていることを紹介し、「信州を愛し、楽しんで案内することが観光客の喜びに繋がる大切さを学んだ」と発表しました。

岩下隆審査委員長は「朗読部門の出場者は、正確な発音に心がけていてよかった。弁論部門では、自身の体験を踏まえ、民間友好に努めている様子を発表され感動した」と、評価していました。

 竹内勲長野ラジオ孔子学堂長、朱丹陽・中国国際放送局孔子学堂責任者、董彤県国際交流員等も出席し、中国語を学ぶ皆さんが日中両国の友好の懸け橋になっていただきたいと激励しました。会場には出場者の友人や中国語学習仲間なども応援に駆けつけ拍手を送っていました。

 入賞者は次のとおりです。
 弁論の部 ①吉澤茜、②大矢健一、③藤澤淳一、敢闘賞:藤田和子
 朗読学生の部 ①藤縄智樹、②柴本瀬那
 朗読一般の部 ①和田由美子、②松澤彩夏、③平野淳二、努力賞:渋谷多鶴子、奨励賞:玉井圭子、特別賞:篠原重夫

第28回日中友好武術太極拳フェスティバル、ビッグハットで開催(9/27)

 長野県武術太極拳連盟は9月27日、「第28回長野県日中友好武術太極拳フェスティバル」を開催しました。好天に恵まれ爽やかな秋を感じながら、長野冬季オリンピック会場のひとつ、ビッグハットにて楽しい発表会を多くの会員が楽しみました。県各地域から、32団体、約1,250名が参加しました。

 長野県日中友好協会の福沢宏夫副会長から激励の祝辞を戴きました。桜井啓司会長の挨拶にも触れられていましたが、あと2回で第30回を迎えることになります。

 発表内容は、扇あり、剣あり、刀あり、ストーリ仕立ての演出があったり、様々な仮装が登場したりと、まさにフェスティバルらしく、皆さん、長年愛好する武術太極拳を色々な趣向で楽しんでいました。

 特別演武もあり、高位有段者の簡化24式太極拳の集団演武や2015年度全日本選手権大会長野県代表選手による競技用套路の表演も行われました。普及用長拳套路を演武する団体もほんの少し増えジュニア層への武術太極拳の広がりを期待させます。長野県内の愛好者は3千人近くいます。長寿武術太極拳の広がりを期待させます。(事務局長 瀧澤)

第2回日中友好秋季セミナー松本で開催、程永華大使講演(9/26~27)
 
 公益社団法人日中友好協会と駐日中国大使館は9月26・27日両日、松本市内のホテルブエナビスタで、第2回日中友好秋季セミナーを合同で開催しました。友好協会からは全国本部および長野県、東京都、茨城県、埼玉県、神奈川県、千葉県、石川県、福井県、宮城県、静岡県、愛知県、三重県1都11県の日中友好協会の代表および、中国大使館の程永華大使、阮湘平・范建民両公使級参事官、大使夫人の汪婉・参事官、沈建国参事官ら計120人が参加しました。長野県協会からは高波謙二会長、相澤孝夫・清水えい子副会長、西堀正司理事長ら役員など50余人が出席。長野県の阿部守一知事、松本市の菅谷昭松市長、坪田明男副市長、安曇野市の宮沢宗弘市長らも関連行事に出席しました。

    第1部は岡崎温・協会理事長の開会あいさつに続いて、程大使が講演しました。程大使は、日中両国が長期的に安定した関係になるためには、①友好に対して自信を持つこと、②国民交流を積極的に進めること、③客観的かつ理性的な相互認識を持つこと、④双方の共通利益を絶えず拡大することが重要だと提言。「2千年の交流の歴史がある両国には友好の道しかない」と強調しました。(詳細別紙参照)

 第2部は、2つのグループに分かれて意見交換会を行いました。協会員と大使館員が日中関係や交流の現場などで日ごろ感じていることを自由に述べ合いました。双方は両国の青少年や文化の交流を進め、友好事業の後継者を育成していくことが重要との考えを確認しました。

 第3部の懇親会では、高波会長が地元を代表してあいさつ。程大使の講演に感銘を受けたことに感謝し、大使館はじめ各都県協会皆さんの来訪を歓迎しました。また長野県日中友好協会が全国の先達とともに日中戦争の深い反省の上に協会を設立したこと、特に満蒙開拓団を最も多く送り出し多くの犠牲者を出した負の歴史があることに触れ、日中不再戦、平和友好が県民の願いであることを紹介し、国民同士の相互信頼関係を再構築するため民間交流を粘り強く進めていきたいと述べました。来賓として出席した阿部知事は、「一貫して日中関係が日本にとって最も重要な2国間関係の一つだと考えており、就任以来毎年代表団を率いて訪中している」と述べ、大使館の協力に謝意を表した後、北京の当期五輪開催決定を祝い、開催経験のある長野県として積極的に協力したいと述べました。

 27日は、上高地を松本日中の役員の案内で散策し親睦を深めました。

中国女子ジャンプ訓練隊、白馬で訓練(9/23~10/14)

 王建勛・中国スキー協会コーチを団長とする中国ナショナルチーム女子ジャンプ訓練隊の歓迎会が9月24日長野市内の犀北館ホテルにおいて開催されました。

 県日中スキー交流委員会を代表して矢口公勝・県スキー連盟会長が一行の来県を歓迎し、「2022年の冬季オリンピックが北京に決まり、特にスキー会場は長野県と友好提携している河北省の張家口市になった。お祝いしたい。長野県と中国とのスキー交流は30余年にわたる固い絆で結ばれている。良きライバルとして訓練に励んでいただき、北京冬季五輪でのメダル目指して頑張りましょう」と述べました。

 王団長は、「30余年にわたり長野県と県スキー連盟、県日中友好協会の皆様が中国スキーの発展に並々ならぬ支援をしていただき、おかげでレベルアップできたことに深く感謝している。白馬オリンピックジャンプ台で訓練しながら日本選手に学び、メダルを目指したい」と述べました。また、宿泊先や白馬村スキークラブに謝意を表しました。

 小野沢弘夫・県スポーツ課長や松本久志・小谷村長、荻原健司・県スキー連盟副会長ら関係者が出席して交流を深めました。

 一行は、歓迎会に先立ち阿部守一・県知事を表敬しました。知事は「冬季五輪招致成功をわがことのように喜んでいます」と述べ、一行を親しく歓迎しました。友好提携している河北省などを毎年訪問し顔の見える交流をしていることを紹介した後、「白馬での訓練の成果に期待するとともに、交流を通じて友好を深めて欲しい」と激励しました。王団長は「白馬の素晴らしい条件を生かして訓練を熱心に行いレベルアップをはかり、22年の北京冬季五輪で頑張りたい」と決意を語りました。
 訓練隊は18~21歳の5選手とコーチら計7人。9月23日から10月14日まで白馬で訓練しています。中国の女子ジャンプ陣は2010年から毎年白馬村で合宿しています。

 一方、長野県スキー連盟はこの数年来、吉林省北大壺スキー場へ11月末から12月中旬まで白馬・中野・飯山・上田などの中高生を中心に選抜選手を派遣し早期トレーニングを実施し成果をあげています。
中国昆劇長野公演、伝統芸術の舞台に感動(9/22)

 日中友好協会創立65周年を記念して、中国昆劇名作精選長野特別公演が9月22日、ホクト文化ホール(県民文化会館)において行われ、1000人近い市民が来場し昆劇のライブの舞台を楽しみました。

 第1部は現代昆曲の最高峰と称される珠玉の舞台「琵琶夢」。後漢末の美しき歴史的才女、蔡文姫の物語で日本にもなじみの深い王昭君も夢の中に登場するなど歴史に思いを馳せることができました。第2部の「牡丹亭」は昆劇の最高傑作とされ、雅やかな歌と舞踊で綴る永遠のラブストーリーです。かつて歌舞伎の坂東玉三郎さんが日中合同公演で主役を演じたこともありました。舞台の両袖に日本語字幕が設置され、観客は主人公の演じる世界に引き込まれていきました。終演のカーテンコールでは鳴り止まぬ大きな拍手につつまれました。

 中国北方昆曲劇院は600年余りの歴史を有する昆劇の伝統を受け継ぐために、58年前に設立された劇院で多くの優秀な伝統的演目を整理継承するとともに、歴史的題材と現代的な題材を応用しながら新作を発表し多くの優秀な人材を輩出してきました。

 今回の公演は、東京、横浜、長野の3箇所で実施されました。長野では、県日中友好協会、長野市日中友好協会、長野朝日放送の共催で、関係友好団体の幅広い協力を得て実現できました。高波謙二県日中友好協会会長は「文化の交流は政治のギクシャクを超えて相互理解を深めることができます。これを機に一層友好と文化交流の増進に努めたい」と語っていました。
第42回中国語夏期スクーリング、良く学び同学が有意義に交流(8/29~30)

 恒例の第42回中国語夏期スクーリングが8月29・30日の両日、長野ラジオ孔子学堂で開催されました。40名余の参加者は初級・中級・上級クラスに分かれ、中国人ベテラン教師の指導のもと2日間、中国語学習に励みました。

 開講式で竹内勲・孔子学堂長は「1974年に第1回北京放送中国語夏期スクーリングが善光寺の宿坊良性院で開かれて以降、長野では毎年スクーリングを開催してきた。スクーリングを契機に中国語を学ぶ会が誕生し、現在長野ラジオ孔子学堂として引き継がれている。中国語を使うために学ぶことが大切と思う。中国語を学び、相互理解を深め、民間交流を進めていただきたい。2日間ともに学びあい中国語のレベルアップをはかりましょう」とあいさつしました。来賓として西堀正司県日中理事長、岩下隆県中国語を学ぶ会連絡会会長が参加者を激励しました。

 全体で朱丹陽・中国国際放送局アナウンサーより発音の特訓事業を受けた後、クラス別授業に入りました。

 各クラスでは講師が事前に準備した教材を使って朗読・ヒアリング・文法・応用問答など熱心に学ぶ姿が見受けられました。初級クラスでは買い物やレストランでのメニュー注文などを実践形式でおこなう姿も見受けられました。中級クラスでは中国の公園風景や家庭問題などを取り上げ、上級クラスでは「長恨歌」の朗読も行われました。

 河北省や石家庄市研修員を交えての交流授業では、受講生が、中国語を駆使し自己紹介や中国語との出会いなどを発表しました。研修員に対しては日本に来て感じたこと、専門や家族など次々に質問が飛び出し、有意義な交流授業となりました。

 夜の交流懇親会では中国の歌や踊り、気功などが次々に披露され和やかな懇親会となりました。2日目の朝はラジオ体操、太極拳で汗を流し、再び特訓が始まりました。

 受講生は、同学の皆さんの熱意に新たな刺激を受け、また楽しく交流できたと喜んでいました。「発音の特訓でなおざりになっていた発音の基本が学べた」、「中国研修生を交えての交流授業も有意義だった」、「内容が豊富で刺激された」などの感想を聞くことができました。来年の再会を誓ってスクーリングは無事終了しました。
日中学術交流委員会2015年度総会を開催(8/10)

 長野県日中学術交流委員会は8月10日、長野市内の犀北館ホテルにおいて2015年度総会を開きました。引き続き日中学術交流を促進していくことを決めた他、信州大学や長野大学、県短期大学、上田女子短大など中国との学術協定や学術交流、留学生受け入れなどの現状なども報告されました。また、第19期日中関係を考える連続市民講座や戦後70年・日中友好協会創立65周年記念シンポジウムなどに取り組むことが決定されました。

 山沢清人会長は、「日中関係は政治的ギクシャクが続いたがだんだんと明るさが見えてきた。長野県は、民間レベルで中国と深い結びつきがある。引き続き、民間学術交流に力を入れることが大切と思う。中国との積極的な学術交流を継続していきたい」と述べました。

 来賓として高波謙二県日中友好協会会長が「文化学術交流は政治的ギクシャクがあっても両国の平和友好関係を持続発展させていく大切な役割を果たしてきた。一層のご活躍を祈ります」とあいさつしました。

 上條宏之県短期大学学長は「中国国際放送局や河北大学と友好関係があり、学生が訪問して交流する機会も増えている。いろいろな交流を重ねていきたい」とあいさつ。小池明上田女子短大学長は「日中間には政治レベルのギクシャクがあるが、いろいろな民間レベルの交流もある。草の根レベルの交流が大切。大切な隣国中国とはいろいろなネットワークを生かして付き合って行きたい」と述べました。

 総会では2014年度の事業報告・決算報告を承認した後、2015年度の事業方針・予算を採択しました。

 終了後、西堀正司県日中友好協会理事長(日中友好協会全国専務理事)が、「戦後70年・日中友好協会創立65周年、日中関係の現状と課題」と題して講演しました。

第50回日中友好キャンプ、友好王国in上高地・小梨平キャンプ場(8/8・9)

長野県日中友好協会青年委員会(石崎琢哉委員長)と女性委員会(島津美智子委員長)は8月8・9日上高地・小梨平キャンプ場にて第50回日中友好キャンプを開催しました。留学生や中国大使館の皆さん、国際交流員、友好協会会員メンバーなど60名余が参加し、楽しい2日間を過ごしました。

 北アルプス穂高連峰の麓、上高地・小梨平キャンプ場は清涼な梓川・河童橋の隣接地にあって参加者の心をときめかしてくれます。下界の気温は35度、ここは別天地で19度、大勢の登山客、観光客でにぎわっていました。開会式で石崎”国王”が、「友好王国」の建国を宣言し、「50回目を迎えた友好キャンプを参加者が協力して成功させましょう」とあいさつしました。松本市都市交流課の堀洋一課長、県日中友好協会の西堀正司理事長、中国大使館友好交流部の王磊三等書記官、県華僑総会の王昌勝会長、地元松本日中友好協会の藤沢光幸事務局長からあいさつをいただきました。

 赤、青、緑、黄色、白のバンダナを目印に5つの班に分かれて活動が開始されます。最初は、やはりこの素晴らしい大自然を体験しようと班毎に大正池目指して散策です。河童橋をわたりせせらぎの水の冷たさを体験し、日本アルプスを世界に紹介したイギリス人牧師ウォルター・ウエストン記念碑の前で写真に納まりました。時間の関係で田代池まで歩いて、Uターン、上高地帝国ホテルを眺めながらキャンプ地に戻りました。全員英気を養い、さていよいよ夕食準備にかかります。炭火おこしに悪戦苦闘しながらも、乾杯、焼肉バーベキューに舌包みを打ちました。国立公園の中でも規則が厳格なこの地はキャンプファイヤーができません。替わりに、コミュニティーセンターに場所を移して夜遅くまで、両国青年の語らいは続きました。

 翌朝は6時起床。ラジオ体操で体をほぐした後、カレー作りに励みました。各班それぞれの味自慢のカレーをおいしく食べ、後片付けの後、明神池コースの散策に出かけました。若者は元気です。女性委員会スタッフがこの間おにぎりなど軽い昼食を準備してくれ、一行が無事戻ったところで腹ごしらえです。「本当に上高地の自然は素晴らしい。一生の思い出です」と大使館の皆さんはじめ留学生たちは喜んでいました。

 閉会式で、島津”女王”は、「今日は長崎原爆の日、平和を願い、キャンプの中ではぐくまれた日中友好を大切に今後に活かして行きましょう」とあいさつしました。留学生、研修生代表や県国際交流員の董彤さんは、「今回初めてキャンプに参加しましたが、本当に楽しかったです。女性委員会や青年委員会の皆さんが活躍している姿に感銘を受けました。このような交流を通じて友好を深めていきたいです」と感想を述べていました。

中国昆劇(こんげき)がここ長野にやってきます(9/22)前売券好評発売中です!!

 日中友好協会創立65周年を記念して、中国昆劇名作精選長野特別公演が9月22日、県民文化会館において行われます。京劇に大きな影響を与えた現代昆曲の最高峰と称される珠玉の舞台「琵琶夢」は、美しき歴史的才女、蔡文姫の物語です。「牡丹亭」は至高の夢物語として語り継がれる昆劇の名作です。

 出演は中国北方昆曲劇院で昆劇界きっての著名な劇団です。中国の伝統芸術を
広く県民の皆さんに観賞していただき、日中友好と日中文化交流の増進に努めたいと思います。またとない機会に知人友人お誘いあってご鑑賞ください。主催は長野県日中友好協会、長野朝日放送(ABN)、長野市日中友好協会です。
日時:2015年9月22日(火・祝)午後1:30~  場所:ホクト文化ホール(県民文化会館)
前売券:大人3000円(当日券4000円)、中学生以下1000円(当日券2000円)
お問合せ:長野県日中友好協会TEL026-224-6517

長野びんずる「日中友好連」で参加(8/1)

 第45回長野びんずる祭りが8月1日長野市の中心街でおこなわれ、長野市日中友好協会は「日中友好連」を組んで50人で参加しました。

 1万2千人の踊り手とともに長野大通り南千歳町北交差点から長野駅に向かい、方向転換して昭和通へ進みました。日中友好の提燈を先頭に、友好協会会員と帰国者、実習生などが黄色い友好法被をまとってシャモジを打ち鳴らしながら熱心に踊りました。

 汗だくになりながら、元気いっぱい、エネルギーを発散させて踊りました。

 河北省からの国際交流員の董彤さんや研修生の付さん賈さん、国際放送局の朱丹陽さんも初めての体験で、「夏祭りを体験できて楽しかった。良い思い出になりました」と喜んでいました。
中国留学生23人が信州で第25次ホームステイ(7/22~24)

 県日中友好協会は(公財)日中友好会館・後楽寮が派遣する中国留学生23人を7月22日から24日まで小布施・須坂・信濃町・飯綱・上田・軽井沢・松本・諏訪・伊那・飯田など10地区協会で受け入れました。2泊3日のホームステイで本年で25年目になります。

 22日長野駅に降り立った8名の留学生は、関係地区の皆さんの出迎えをうけました。長野オリンピック・エンブレムの前で、対面歓迎式を行い受入れホスト家庭の皆さんとお互いに紹介しあい全員で記念撮影した後、各地に出発して行きました。

 留学生の皆さんは、地区協会主催の歓迎交流会や市町村長表敬懇談、地域の名所や施設などの参観、ホスト家庭での語らいなど有意義な3日間を過ごし、楽しい思い出をいっぱいにして再び長野駅に集合しました。受入れホスト家庭の皆さんと名残を惜しんで新幹線に乗り込みました。

 日中友好会館は日中両国政府が共同で運営している公益財団法人で、後楽寮はその付属施設です。寮生の大半は中国の国費留学生。県協会では、ホームステイで受け入れると共に、女性委員会や地区協会が後楽寮を友好訪問し交流してきました。来県した留学生とは帰国後も文通や訪中時の再会など交流が続いています。

森田恒雄・飯田日中会長の急逝を悼む(7/5)

 故森田恒雄・飯田日中会長の急逝を悼み謹んでご冥福をお祈りします。6月28日に事故でなくなられた森田さんは長野県会議員時代を含めると、実に30年間にわたり飯田日中友好協会の副会長、会長として日中友好運動に尽力されました。とりわけ満蒙開拓平和記念館設立には、多大な尽力をされました。

 亡くなる前日、信濃毎日新聞の読者投稿欄「建設標」に「国民は国に再びだまされぬよう」という一文を投稿されていました。7月1日に掲載されましたが平和を心から望んだ森田さんの遺言のような文章でした。

 7月5日飯田市で行われた森田さんの告別式・葬儀には1500名のゆかりの人たちが参列して、森田さんを偲びました。森田さんの思いを凝縮した一文をここに紹介しその思いを心に刻みたいと思います。(合掌)

国民は国に再びだまされぬよう
                               森田恒雄(元県議・飯田日中友好協会会長)

 映画「望郷の鐘」は満蒙開拓団の死の逃避行、戦争の悲惨さを伝え、「中国残留孤児の父」と呼ばれた山本慈昭さんの生涯を描いた映画です。山本さんを演じた内藤剛志さんが「国が国民をだますのも悪いが、だまされるのもいかん」と訴えた言葉が、今の安倍政権の政権運営と重なり、国民がまた、だまされそうになっていると思えてなりません。
 
 「不戦の誓い」をした憲法9条、国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は憲法を尊重し擁護する義務を負うとある99条も無視した言動を黙視しているわけにはいきません。NHKの籾井勝人会長が以前、政府の方針と違った報道はできないと受け取れることを述べ、最近は作家百田尚樹さんが沖縄の新聞2紙はつぶせなどと発言していることは、許してはならないと思います。
 
 県内の市町村議会で安保法案の廃案や慎重審議を求める意見書が可決されています。政府は民意を尊重すべきで、安保法案の撤回を強く求めます。そして阿智村の満蒙開拓平和記念館へ来て、残留孤児・婦人の悲痛な証言を聞いてもらいたいと思う昨今です。(2015・7.1信濃毎日新聞「建設標」より)

関係好転を活かし経済交流を促進、日中経済交流促進協議会総会(6/23)

 長野県日中経済交流促進協議会は、6月24日、長野市内のホテル犀北館で第39回定期総会を開き新年度の事業方針などを決めました。

 総会で、夏目潔会長は、「日中関係は昨秋の両国首脳会談以来、好転してきている。危うさもあるがしっかりしたものにしていきたい。中国は日本にとって最大の貿易相手国であり、長野県経済にとっても重要な経済パートナーとなっている。今後とも経済交流の促進を図っていきたい」とあいさつしました。

 内田雅啓・県産業政策課長は来賓祝辞の中で、長野県の景気動向に触れながら、中国は長野県にとってもっとも重要な貿易相手国であり上海に駐在員をおいていることなどを紹介し、協議会の活躍を激励しました。高波謙二・県日中友好協会会長は日ごろの協力に感謝し、1月には友好提携30周年を記念して張慶偉・河北省長が来県したことにふれ、「経済交流や地方民間交流が政治的ギクシャクがあっても両国の平和友好関係を持続発展させていく役割を果たしてきた。協議会の一層の活躍を願う」とあいさつしました。

 14年度の事業報告と決算を承認した後、河北省はじめとした中国との経済交流の促進、講演会やセミナーの開催、観光客誘致協力などの15年度の事業計画・予算を決めました。

 総会終了後、中国大使館の薛剣(せつけん)公使参事官が「中日関係の明るい未来を創るために何が求められているか」と題して講演しました。(概略下記参照)

--3年間「島」と歴史問題で厳しい状況が続いたが、ここに来て再び改善の軌道に戻り徐々に交流と協力が戻りつつある。リスクを抱えながら改善するプロセスが進んでいる。一方中日関係は構造的な問題が発生しやすい歴史的な転換期にある。新たな安定的な枠組みが出来上がるまで長い時間が必要だ。そのために双方が力を入れるべきことは、
 ①両国国民が両国関係の未来に対してマイナス思考からプラス思考へと転換していくこと(マスコミの責任も大きい)。
 ②国民大交流の新時代を創ること。交流を通じて相手の国に対する理解を深め相互信頼を醸成していく。現在、人的往来は500万人だが今後1000万ないし2000万人になってもおかしくない。
 ③ともに新たな発見をしていくこと。中国の巨大な変化、両国社会の「同質化」が急速に進んでいる。また古来から両国には共通の価値観がある。西洋文化の相対的退潮を考えれば東洋文化の復興をともに追及する価値がある。
 ④利益共有を拡大すること。(AIIBの由来と目的についても詳しく説明)
 ⑤危機管理メカニズムをしっかり構築し運用すること。安保交流と対話を通じて安保上の懸念を払拭し不測の事態を防止する必要がある。

 理路整然とした、わかりやすい講演は出席者に好評でした。最後に、記念パーティーがおこなわれ交流懇親を深めました。
県日中青年委員会総会、バトンを引き継ぎ拡充・活性化へ(6/14)

 県日中友好協会青年委員会は6月14日、県日中友好センターにおいて第25回定期総会を開きました。飯山、長野、須坂、上田、松本など各地区から23名が出席しました。西村源委員長は「この間厳しい日中関係が続いてきたが、昨秋首脳会談実現以来明かりが見えてきた。須坂や上田で青年委員会の再活性化の動きも見られる。2年前委員長を引き受けて今回バトンタッチするが、青年委員会の新しい発展を期待したい」とあいさつしました。

 来賓で出席した高波謙二県日中会長は信州青年洋上セミナーで1万人の青年を中国に派遣したことや、県日中青年委員会設立に携わったことに触れた後、「青少年交流を盛んにし、友人を多く作り、世代を継いでの友好を実現していこう。青年委員会の活躍に期待する」と激励しました。

 役員改選では新委員長に石崎琢哉氏、副委員長に桜井貴司、清沢浩明、馬場田正美、松澤博文、松尾卓、柿崎順一の各氏、事務局長に藤澤淳一氏などを選出しました。石崎新委員長は「皆さんの協力をいただいて、持てる力を精一杯発揮し青年委員会の組織と活動充実のために頑張っていきたい。近近の行事として8月の上高地で行われる第50回日中友好キャンプの成功を目指したい」と決意を語りました。

 本年度の活動方針として、①青年委員会の拡充・活性化と事務局体制の充実、②友好キャンプや友好スキー交流会などを通じ留学生や実習生との友好交流の機会を増やし、積極的に活動にとりくんで行くこと、③戦後70年、日中友好協会創立65周年にあたり日中不再戦、平和友好の重要性をアピールしていくことなどを採択しました。

 第2部の記念講演では、布施正幸・県日中事務局長が「私と中国 日中友好の歩み」と題して友好協会との出会い以降、40年余りに上る友好活動の歩みを時代背景やエピソードを交えながら紹介しました。

 第3部の懇親会では日ごろの思いを語り合い心ゆくまで交流しました。
県日中女性委員会総会、設立40周年を迎えて(6/7~8)

 県日中友好協会女性委員会は6月7日、第40回定期総会を開きました。恒例の持ち出し総会は今年は上山田温泉「圓山荘」でおこなわれ、県内から女性委員会のメンバーや来賓など70名が参加しました。

 島津美智子委員長は地元千曲市日中友好協会の協力に感謝した後、「県女性委員会は設立40周年を迎えた。その歩みをまとめた『虹の架け橋Ⅰ』は行動力とエネルギーを感じた。Ⅱは友好の広がりと深まりを、Ⅲは先人の志を受け継ぎ新たな発展を目指す決意を感じた。厳しい日中関係が続いたが、漸く好転の兆しが出てきた。国と国の関係はどうして紆余曲折を繰り返すのかとの思いがするが、5月の南京城壁修復20周年記念式典に参加、日中の学生たちの交流する姿に明るい光を見た思いがした。歴史を踏まえ未来を展望する新しい動きが生まれている。日中友好こそ平和への道との信念のもと頑張っていきたい」とあいさつしました。

 井出正一県日中最高顧問、荒井武志県議、西堀正司県日中理事長、清水えい子女性委員会顧問、石崎琢哉県日中青年委員会代表らが日ごろの女性委員会の活躍に感謝し、エールを送りました。

 総会では14年度の活動報告や決算報告を承認した後、15年度の活動方針と予算が採択されました。設立40周年にあたり先人の志に思いをいたし友好の促進に努めること、友好キャンプやスキー交流会を通じて中国留学生・研修生・帰国者との交流を深めること、女性会員の拡大と相互の親睦を深める活動に取り組むことなどが盛られています。

 第2部では岡田昭雄・千曲市長が「これからのインバウンド観光」と題して記念講演しました。観光立国、観光立市を目指す日本、千曲市の現状と課題を数字を挙げてわかりやすく紹介しました。このところ急激な伸びを示している中国人観光客などをさらに大勢受け入れていくために無料LANの整備などに力を入れていくことの必要性や、河北省邢台市やインドネシアのパルパル市などとの友好交流の状況も紹介し、好評でした。
 続いて、舞台女優の神田さち子さんが「忘れられない女性との出会い-”帰ってきたおばあさん”を演じ続けるわけ」と題して残留婦人との出会い以来19年間1人芝居をやってきたその熱き思いを語りました。

 第3部の交流懇親会では地元の二胡奏者の長谷川さんがすばらしい演奏を披露したのを皮切りに各地区から歌や踊りの出し物が次々と繰り出され、大変楽しい交流会となりました。最後に、来年の開催地の須坂市日中女性委員会に県女性委員会の旗が手渡されました。

 翌6月8日には荒砥城跡(戦国時代の遺跡)、杏の里スケッチパーク、森将軍塚などを巡り、木の花でランチ。参加者からは「大変有意義な2日間で楽しかった」との感想が聞かれました。
高波謙二氏を新会長に選出、井出会長は最高顧問に、県日中友好協会定期大会(5/25)

 長野県日中友好協会は5月25日、第53回2015年度定期大会を長野市内のホテル国際21で開きました。県内各地から150人が出席して、昨秋の両国首脳会談以降光のさしてきた日中関係の更なる改善を目指して、民間交流・地方交流を粘り強くに続けて行くことを柱に新年度の活動方針を決定し、あわせて、井出正一会長の退任に伴い、高波謙二副会長を第6代会長に選出しました。井出会長は協会最高顧問につきました。

 西村源・県青年委員長の司会で大会がスタート。「永久の友情を」を県日中女性委員会のリードで全員で斉唱した後、山根敏郎副会長の開会あいさつに続いて、物故された先輩の皆様に黙祷を捧げました。
 
 井出正一会長は、「昨年11月の両国首脳会談まで厳しい状況が続いた。そうした中でもこの1年県協会や地区協会の訪中派遣や満蒙開拓平和記念館、映画「望郷の鐘」の取り組みなど成果をあげることができた。1月には河北省長が来県され30周年を祝賀するとともに新たな覚書を調印した。南京城壁修復20周年記念事業や河北省での緑化協力訪中団派遣が行われた。ようやく交流に明るさが見えてきた。本年は戦後70年、日中友好協会創立65周年にあたる。戦後70年と言える国は、世界でもまれで、今後とも平和を守っていきたい。安倍晋三首相が夏に発表する戦後70年談話は、村山談話を踏まえた発展的なものになって欲しいが心配もある。みんなで関心を持って注視していきたい。日中友好発展のために熱心な討議をお願いしたい」と述べました。

 続いて、中島恵理副知事は、日ごろの協会の活動協力に感謝した後、阿部知事が就任以来4回にわたり訪中し、河北省の張慶偉省長はじめ中日友好協会や関係者との交流を通じて相互信頼関係を深めてきたこと、その結果として、張省長一行を長野に迎えて、30周年を祝い、席上冬季スポーツと医療・介護、環境の3分野で交流協力を推進する覚書に調印したことなどを紹介しました。今後とも友好協会とともに地方民間交流にとりくんでいきたいと述べ協会の活躍に対し激励いただきました。

 議長に長江忠司(飯田)・吉谷美和(中野)の両氏、大会運営委員長に金子繁三・副理事長、役員選考委員長に中沢道保・副会長、大会書記に長澤保・山崎始の両氏、議事録署名人に竹内勲・宮沢信代の両氏を選出して議事に入りました。

2014年度の活動報告(布施正幸事務局長)、決算報告(市川淳子会計理事)、会計監査報告(田近勝之監事)を承認した後、2015年度の活動方針(西堀正司理事長)、予算(桜井佐七財政委員長)を採択しました。また、役員補充では中沢役員選考委員長の選考委員会報告を了承し井出会長の後任に高波謙二氏を選出しました。

本年度の活動方針では、戦後70周年、日中友好協会創立65周年記念事業を柱として、南京城壁修復20周年記念事業への参加、緑化協力県協会訪中団派遣、中国留学生ホームステイ受入れ70周年記念シンポジウムと記念の集い開催、協会65周年記念写真展、11月の友好訪中団派遣などにとりくみ、これらの活動を通じて、友好交流の再活性化、日中の相互信頼回復に力を入れて行くことを決定しました。

会長の交代で第6代会長に選任された高波新会長は長野観光自動車社長、会長を歴任。ながのコミュニティ放送社長も務めました。現在は県交通安全協会会長。2001年度まで、県内青年が船上で生活しながら中国河北省などを訪れた県主催の「信州青年洋上セミナー」の実行委員会会長として、県と友好提携をしている河北省をたびたび訪問しています。高波会長は就任あいさつで、「内外とも諸課題は山積みだが、先人が築き上げた友好を大事にし、民間交流を充実して友好親善に邁進したい」と述べました。

 井出会長は2002年、元全国農協中央会会長の堀内巳次先生から会長を引き継ぎ、日中関係が難しい中で県協会を指導、帰国者支援や緑化協力などに実績を残しました。今後県協会最高顧問として引き続き、協会をご指導いただきます。退任あいさつで「優れたスタッフや会員に囲まれ、有意義な13年間だった。高波新会長さんは皆さんの期待に応えるべく力を発揮してくれると思う」と話しました。

 意見発表では戦後70周年を迎えて歴史を語り継ぎ平和を発信していきたいと満蒙開拓平和記念館の寺沢秀文専務理事が発言。続いて、「先達が長年にわたって築き上げた成果を守り県民ぐるみの友好運動を展開し地方と民間の交流を進め日中関係の再構築に貢献していく。原点に返えり、日中不再戦・覇権反対・平和友好のために、あらゆる分野の心ある人々は連携して粘り強く歩んで行きましょう」との大会宣言(若月幸子・県女性委員会)と大会スローガン(藤沢淳一・県青年委員会事務局長)が採択されました。

 森田恒雄副会長の閉会あいさつで第1部は終了しました。

 第2部の祝賀パーティーでは、来賓として出席した汪婉参事官(中国大使夫人)が、井出会長の長年の活躍に感謝し、高波新会長の活躍に期待を述べました。また、日中関係が首脳会談以後好転の兆しを見せていること、中でも1月河北省長一行が全国に先駆け来県し友好提携30周年を祝ったことは長野県協会が県とともに地方民間交流を積極的に進めてきたことの成果として高く評価していることを強調しました。さらに5月15日の南京城壁修復20周年に両国友好協会や大学生ら400人が集い歴史忘れず未来を開いていくことを誓ったこと、5月23日には日本から3000人が参加した中日友好交流大会の席上習近平国家主席があいさつのなかで民間交流、若い世代の交流を発展させ理解と信頼を深め友情を育んでいく必要性を訴えたことを紹介しました。

 また、青木弘県民文化部長、篠原孝・小松裕(代)・井出庸生(代)・務台俊介(代)衆議院議員、小坂憲次(代)・若林健太(代)、倉田竜彦県日中議連会長、村石正郎・太田昌孝・今井正子・高島陽子・清水純子県議、王昌勝県華僑総会会長、山本晋司県国際課長、董彤県国際交流員(河北省)から激励の祝辞をいただきました。

 来賓として、王磊・中国大使館三等書記官、滝沢英一・県国際課課長補佐、朱丹陽・中国国際放送局長野孔子学堂責任者、倉石義人・長野市秘書課長、太田文敏・白馬村副村長、後藤正幸・信濃教育会会長、岡村重信・県経営者協会事務局長、井出康弘・県中小企業団体中央会事務局長、宮下弘行・県商工会連合会管理チーフリーダー、荒井英彦・県信用保証協会会長、井口弥須彦・信濃毎日新聞総務部長、酒井康成・松本歯科大学留学生課補佐、桜井啓司・県武術太極拳連盟会長らが、出席され激励いただきました。
 

 山ノ内町、密雲県と交流促進へ覚書(5/13)

 山ノ内町は5月13日、2000年から友好交流を続けている北京市密雲県都交流促進を図る覚書を結びました。教育や農業のほか、公衆衛生などの分野でも連携を強化していきます。

 町役場で開いた調印式で竹節義孝町長と、密雲県人民政府の王穏東常務副県長が覚書に調印しました。覚書では、交流発展に向けて16年から18年に両県町の教師や学生の交流と協力を推進するほか、農業分野の知識や技術の交流強化を盛り込んでいます。公衆衛生や保健衛生の各分野での協力も確認しました。

 竹節町長は「医療福祉や農業、教育などの分野で協力態勢を構築するため、改めて互いに意志を確認する機会にしたい」と語りました。

 山ノ内町と密雲県は07年に友好交流を図る覚書を、08年には同じ趣旨の議定書をそれぞれ結んでいます。

 密雲県の一行6人は12~14日の日程で同町を訪問、幼稚園や特定健診、介護施設、農業関係関係施設等を視察、関係者と交流しました。幼稚園では両国旗の小旗を持った園児たちに「二ィハオ」と歓迎され感激、片付けなどの習慣に感心していました。また中国でも高齢化社会を迎えつつある中で介護制度に深い関心を寄せていました。雪を活用して野菜の鮮度を保つスノーパルも興味深げでした。
2015年緑化協力・南京城壁修復20周年記念訪中に参加して(5/12~16)

戦後70年・㈳日中友好協会65周年の節目を迎え、長野県日中友好協会も恒例の緑化協力事業に併せての南京城壁修復20周年記念事業に私も参加させていただきました。久しぶりの訪中でしたが、山根敏郎団長さん以下16名の皆さんとご一緒に、紀竑さんはじめ中国の皆様のお心遣いをいただき、楽しい旅となりました。

初日は、9:30名古屋の中部国際空港から青島経由で北京空港に14:20到着。空港には中国に帰国されていた紀竑さんが出迎えに来てくださり、北京市内から石家庄市まで同伴してご案内していただきました。

北京から石家庄市までは高速鉄道で1時間半、1等車乗車記念のお菓子のプレゼントに思わずニッコリ。夕刻からは河北省友好協会の熱烈歓迎を受けました。外事弁公室の楊全社主任さんやおなじみの梁国輝・亜洲処処長さんと楽しいひとときを過ごしました。

2日目、昨年千曲市へ視察に來日された邢台市人民政府外事弁公室の裴雅鋒副主任さんと今年の3月帰国された前長野県国際交流員の白建飛さんのガイドで、邢台市博物館にて発展ぶりを示す展示物に驚嘆したのち、バスにて巨鹿県を訪問。冷やされたスイカを頂戴してから、クコ、杏、スイカズラなどの広大な果樹園を視察。ゆっくりと昼食の接待を受け、再びバスにて邢台市内丘大行山の植樹会場へ向かい、暑い陽差しのもと植樹作業を終了して、中日友好記念林の看板をバックに記念撮影。

夕刻からは、邢台市人民政府の熱烈歓迎宴を開催していただきました。

3日目は、中国国内で流行の中年女性の「広場ダンス」にしばらく見入ったのち、訪中団仲間の斉藤憲さんのお勧めで、暦の元祖と呼ばれる中国の代表的天文・水利・数学の科学者「郭守敬」記念館を参観しました。複雑なものを簡潔化するのが「科学」、単純なものを複雑にするのが「芸術」だとか。

12:25 石家庄空港から南京へ向かい16:30着。夕食時間まで総面積3000haにも及ぶ広大な孫文の陵墓である「中山陵」を見学し、レストランでの夕食で疲れを癒しました。

4日目、いよいよ南京城壁修復20周年記念行事が9:00から行われました。会場の2階席まで溢れる400名余の出席者の中、両国友好協会・地元の江蘇省友好協会・中国の大学生・日本の大学生などの代表者が「歴史を忘れず、平和を守り、友好を深め、未来を創ろう」のスローガンのもと、それぞれメッセージを発し式典を閉じ、侵華日軍南京大虐殺遭難同胞の御霊に献花を行なった後、南京虐殺記念館内をゆっくりと説明を聞きながら見学し、痛ましい過去の出来事を反省しつつ合掌せざるを得ませんでした。

小雨の降る中、夕刻からのレセプションの前に、長江大橋や南京城壁も眺められる市内の高台「閲江楼」まで足を伸ばし、遠望を記念写真に収めました。

18:00からの記念レセプションは、式典会場と同じ場所に設営され、長野県のテーブル席には、以前に長野にも来られた人民中国雑誌社の皆さん3人も同席し胚を酌み交わし、アトラクションでは大学生たちの歌舞が続いたのち、長野県からは女性陣を中心に合唱で「大海啊故郷」(海はふるさと)を披露し、大きな拍手をいただいて会場が盛り上がり、参加者全員で日中友好推進を確認しあいました。

最終日は、早朝6:15にホテルを出発し、7:00発の高速鉄道で南京駅から上海へ1時間40分、バスの中から上海市内を眺めがら上海空港へ。12:10発の中国東方航空便で名古屋空港15:05着。16:00頃名古屋からタクシーに分乗して帰路につきました。お疲れ様でした。
(長野市日中友好協会 吉岡 尋子記)

石家庄市賛皇県孤山村直富希望小学校 第8回訪日団 来県(4/30)

河北省石家庄市にある直富希望小学校の第8回訪日団一行6人が4月27日来日し、28日に直富商事の本社・修理工場などを見学したのち、午後には、芋井小学校を訪問しました。同小の全児童20人と交流会を行い、好きな食べ物や課目、将来の夢などについて話したり、ゲームを楽しんだりしました。

希望小学校の子どもたちは「中国の小学校では、昼は家に戻り食事をして昼寝し、午後2時半から6時半まで学校で勉強する」と説明。同小1期生の郭安起君は「日本の大学に留学して、将来は直富商事のような会社を中国につくりたい」と話しました。一行は芋井小近くにあり、樹齢約1200年とされるエドヒガンザクラ「神代桜」も訪れました。同行した学区総校長の曹磊さんは「全校で440人いる希望小と比べると、芋井小は教師と児童が家族のような雰囲気の中で教育が行われており、素晴らしい」と話していました。

30日には日中友好協会を表敬訪問し、長野の感想について「車がブーブー鳴らさず静かに走っている。ゴミが落ちていなくてキレイ。日本の人たちは礼儀正しい」など、また、将来は「数学が好きだから教師になりたい」、「好きな英語を生かして海外留学し、作家になりたい」などの夢も話してくれました。

この希望小学校は、2004年9月、直富商事会長の木下雅裕氏が私費を寄付して設立。毎年、教師や子どもたちを日本へ招待しています。      

 長野市日中友好協会総会、関係改善推進の宣言を採択 (4/26)                

 長野市日中友好協会は4月26日、2015年度の定期総会をホテル信濃路で50人余りが出席して開催。戦後70年の節目に「日中友好の絆を世界平和のために、民間レベルでさらに推進する」との総会宣言を採択しました。中国人留学生等のホームスティ支援など、本年度の活動方針と事業計画も決めました。

 安倍晋三首相と習近平国家主席が22日インドネシアで首脳会談を行うなど、関係改善の兆しも見られる中、山根敏郎会長はあいさつで「日本では相変わらず嫌中感情があるが、発展を続ける中国と真剣に付き合っていく必要がある。緑化協力や諸交流を通じて中国民衆との交流を盛んにし、閉塞感を乗り越え、両国関係が前進する年にしたい」と強調しました。

 記念講演では日本語月刊誌を発刊する人民中国雑誌社東京支局の于文支局長(32)が「世代友好-知識と経験を若者の力に」と題して講演し、出席者に感銘を与えました。

 ―2度目の赴日だが10年前赴任したときと比べ嫌中・反中感情が蔓延しており対中報道も中国が世界を飲み込む得体の知れない怪物と言わんばかりとなっていて驚いた。誤解や嫌悪は無視よりはましだと思うが、日本人の対中情報がかなり偏った情報に縛られているように感じられる。一方、在日中国人や来日観光客がSNS(会員制交流サイト)で日本の魅力を紹介し、中国では若者の日本への関心が高まっているとして、「政治状況とは別に関係改善は進むだろう」と話しました。

 また中国青年の特徴として、意見をはっきり言う、夢を実現するために努力する、チームワークは下手、英語とインターネットやスマホがうまい、情報を次々と得ようとするなどを上げ、日中の若者世代が交流を進め互いの理解を深めて欲しいと期待しました。

白馬村と河北省のスキー場が業務提携-冬季五輪に協力へ(4/6)

 白馬村の白馬八方尾根スキー場を運営する八方尾根開発㈱(倉田保緒社長)、白馬観光開発㈱(高梨光社長)の2社と、河北省張家口市でスキー場を運営する密苑雲頂楽園が、4月6日、白馬東急ホテルで業務提携の調印式と祝賀会を開きました。調印式には関係者30人が出席し見守りました。

 河北省では2022年の北京とともに冬季五輪招致を目指しており、密苑雲頂楽園の林致華オーナーは「冬季五輪を是非開催したいので、協力してほしい」とあいさつ。2社の社長と下川正剛白馬村長はあいさつのなかで、冬季五輪招致の成功を期待するとともに、人材養成、観光客の相互訪問交流など幅広く協力していきたいと述べました。祝賀会では、花岡徹券国際観光推進室長、山本晋司県国際課長、布施正幸県日中友好協会事務局長、丸山仁也八方振興会理事長ら提携を祝しあいさつしました。

 八方尾根スキー場は、1998年の長野冬季五輪でアルペン競技などの会場になったところで、1981年から35年にわたって中国のアルペンスキーやジャンプの代表選手の研修・訓練に協力してきた歴史があります。また本年1月末には、張慶偉河北省省長や張家口市長らが白馬村を訪れ、スキー関係者と懇談、視察しており、このたび業務提携調印となりました。

 密苑雲頂楽園は北京から北西に250㌔離れた張家口市崇礼県にあり、北京冬季五輪開催にあたってはスキー競技の会場となる予定です。中国ではスキーが競技スポーツとしてだけでなくレジャーとしても年々普及が進み人気となっています。今後の交流が大いに期待されます。
第38回日中スキー交流会in木島平スキー場、打ち解けて友好交流(3/21~22)

 長野県日中友好協会青年委員会(西村源委員長)と同女性委員会(島津美智子委員長)の主催により、3月21、22日の両日、木島平村のパノラマランド木島平スキー場において、第38回日中スキー交流会が開かれました。好天に恵まれ春スキーの雰囲気の中、中国留学生・中国大使館の皆さんをはじめ70人余りが参加し打ち解けて熱気あふれる交流会となりました。

 開会式では島津委員長、西堀正司県日中理事長、上村力飯山日中会長が、「参加者が心を通わせ、日中友好の楽しいスキー交流会にしましょう」とあいさつしました。

 8班に分かれて指導員のリードのもと、スキーやスノーボードの教室がおこなわれました。絶好のスキー日和の中、初心者も何度も転びながらもマンツーマンの指導でだんだんとコツを覚え、全員がリフトに乗れるようになっていきました。5回以上のスキー体験のある、かなりのレベルの人もいました。スノーボードの班も開設されました。

 夜の交流会では、冒頭、長年にわたりスキー用具を提供していただき昨年逝去されたスワロースキーの故丸山哲三会長のご冥福を祈って黙祷をささげました。西村青年委員長が地元木島平村や、スワロースキー、飯山日中友好協会の協力のもと盛大にスキー交流会を開催できたことに感謝し、「中国留学生や大使館の皆さんとスキー交流会を通じて親睦を深め、民間同士の友好交流を進めていきたい」と述べました。

 日台正博木島平村長と、中国大使館の王磊三等書記官、長野県華僑総会の王昌勝会長から祝辞をいただきました。スワロースキーの山田進管理部長の音頭で乾杯し、懇親会に入りました。

 女性委員会の優雅なフラダンスや、はるばる神奈川県から参加いただいたチャイ華の皆さんの活動紹介、大使館の皆さんの歌、青年委員会の踊りなどが次々と披露され、和やかで賑やかな懇親交流会となりました。中国国際放送局孔子学堂の朱丹陽さん、中野市・飯山市の日中友好協会の役員も出席し激励交流しました。ホテル側の配慮もあり2次会もカラオケで大いに盛り上がりました。

 2日目も好転に恵まれました。自信をもって滑り降りる姿が目立つようになりました。けが人もなく、無事スキー教室を終えて、昼は女性委員会の皆さんが心を込めて準備してくれたきのこ汁をおいしくいただきました。

 閉会式では、裏方をつとめた女性委員会メンバーや青年委員会のメンバーに感謝の拍手が送られました。藤沢淳一青年委員会事務局長は「例年と比較すると、参加者の人数は半分程度でしたが、顔と名前の一致する中身の濃い交流ができました。参加者の皆さんからは、”楽しかった。また参加したい”との声を多くいただいたので、来年はより多くの方々に参加していただけるのではないかと期待しております」と語っていました。

帰国者への理解を深めるつどい・体験発表と春節交流会(2/22)

 県と県日中友好協会中国帰国者交流センターは2月22日、「第7回中国帰国者への理解を深める県民の集い」を長野市内のホテル犀北館で開きました。旧満州(現中国東北部)に渡り、敗戦時の混乱で取り残された体験を持つ帰国者らが体験を発表、あわせて満蒙開拓平和記念館の報告も行われ、250人余りが聞き入りました。第2部では東京中国歌舞団による歌と民族楽器演奏を堪能し、第3部の春節交流会では餅つきやくじ引き抽選会、歌や踊りの披露、ヤンコー踊りなどを楽しみました。

 第1部では主催者を代表して小口由美・県地域福祉課長と井出正一・県日中友好協会会長(元厚生大臣)があいさつし、「長野県は全国一満州開拓団を送り出し多くの犠牲を出した。日中国交正常化以来、長野県に永住帰国した1世は約400名で、その家族合わせると4200人の中国帰国者の皆さんが県内で暮らしている。2008年には新帰国者支援法が施行され、更に昨年10月からは1世の配偶者支援の態勢ができた。一方帰国者1世の高齢化が進み、引きこもり防止や介護、2世の就労などの課題もある。帰国者の皆さんが、地域や県民の皆さんの理解を得て、平穏で幸せな生活を送ることができるように国、県、市町村、関係者が連携して支援活動に取り組んで行きたい。満蒙開拓平和記念館も一昨年春オープン以来、5万5千人余りの参観者が訪れて全国的な関心を集めていてよろこばしい。尖閣問題で厳しい状況が続いてきた日中関係も昨年11月に3年ぶりに両国首脳会談が実現し明るさが見えてきた。帰国者の皆さんには平和の尊さを身にしみて感じておられる。友好の架け橋としても活躍願いたい。春節にあたり楽しく交流し理解を深めましょう」などと語りました。

 体験発表で大石文彦さん(73)=長野市=は、「3歳のとき終戦間近の1945(昭和20)年5月に宝興長野郷開拓団として家族と一緒に旧満州の延寿県宝興に渡った。戦争末期で廃業に追い込まれた長野市内の商工業者を無理やり説得して組織された開拓団だった。母が妊娠していたが強引に送り出されることとなった。慣れない農作業、落ち着くゆとりもなく敗戦、冷静な団長の判断で、逃避行での被害は最低限に抑えられたが、産声を上げた赤ちゃん(弟)は、冷たい雨に打たれて3日で死んでしまった。現地の人に助けられ自分は母とともにその後7年中国に滞在。さまざまな困難も体験したが1952年7月帰国できた」と振り返えりました。その上で、「日本は戦争で多くの人の命を失い、中国の人々に取り返しのつかないことをした。もうあんな悲劇を繰り返してはいけない」と強調しました。大石さんは自らの体験を『活(いきる)-戦中戦後中日でで活き抜いた少年の物語』(信毎書籍出版)としてこのほど出版しました。

 伊澤玲子さん(35)=上田市=は、帰国者2世の立場から「日本での出会い」と題して体験を語りました。「中国にいた小学生の頃、自分が日本人であることを恥ずかしいと感じていたが日本に来て日本人と接することで日本の悪いイメージが覆り日本人であることに自信を持てるようになった。お互いに悪い部分をクローズアップするのでなく自分の目で見て感じて互いの国を知ることが大事」と語りました。

 特別報告として、飯田日中友好協会理事長の小林勝人さんが一昨年春阿智村に開館した「満蒙開拓平和記念館」について映像を使って展示内容や参観者の動向など説明、これからも開拓団の悲劇を若い世代に伝える平和教育の基地としての役割を果たしていきたいと語りました。また昨年記念館スタッフが中国東北を訪問した際に、ハルピンで残留孤児養父母の会の責任者と出会い記念展示や活動を知ることができたことなどを紹介しました。

 第2部の東京中国歌舞団の公演では、陽二蓮さんの歌の世界と劉錦程団長の揚琴演奏を楽しみました。会場は春節の華やかな雰囲気に包まれました。最後に陽さんのリードで「北国の春」と「大海啊、故郷(海はふるさと)」を歌いました。

 第3部の春節交流会では長野市日中女性委員会の皆さんが友好の黄色のハッピ姿で、交流会を進行し・盛り上げに大活躍でした。アトラクションとして臼と杵を使って、帰国者の皆さんが次々と餅つきを体験しました。抽選会も行われくじを引き当てた人たちが羊のぬいぐるみや切絵のカレンダーなどの景品を受け取って喜んでいました。松本、飯田、上田、長野の日本語教室に通う帰国者の皆さんが「早春賦」「ふるさと」「ソーラン節」「長野賛歌」などを一生懸命歌い大きな拍手を受けました。最後に中国の東北地方に伝わるヤンコー踊りを会場いっぱいににぎやかに踊りました。参加した帰国者の皆さんは「中国の春節を祝いながらみんなと集まれるこの会を毎年楽しみにしている」と語っていました。

 飯田下伊那、伊南、松本、佐久、上田、千曲、長野、中野、飯山などからおおぜいの帰国者や支援者、市民のみなさんが参加しました。中澤敏正県地域福祉課長補佐、宮川あゆみ同係主査、小林佑一郎元中国帰国者定着促進センター所長、田中幸廣長野市厚生課長、朱丹陽中国国際放送局孔子学堂担当者、森田恒雄・中沢道保・福沢宏夫・清水えい子県日中副会長、西沢毅県日中帰国者留学生委員長、金子繁三長野市日中理事長、布施正幸帰国者交流センター次長らも出席し帰国者を激励し交流しました。


上田日中友好協会が創立60周年を祝う(2/8)

 上田日中友好協会は創立60周年を迎えて、2月8日上田市内のホテル「ささや」で関係者100名が出席し、記念祝賀会を開きました。席上発刊された記念誌『上田と中国の交流の歴史』が披露され、併せて寧波市との友好提携提携20周年も祝いました。

 池上一巳会長は「中国大使館や寧波市からも代表を迎えて盛大に60周年を祝えることをありがたく思う。厳しかった日中関係もやや春めいてきた。冬は必ず春になる。私たち庶民が『民をもって官を促す』友好協会の理念を高く掲げ、益々精進していきたい」とあいさつ。

 また茅野光昭記念誌編纂委員長は、「上田と中国の歴史を担ってきたのは上田日中友好協会の歴史そのもの。この歴史を後世に伝え『前事不忘、後事之師』としていきたい」と報告しました。

 母袋創一・上田市長、李偉・寧波市代表、井出正一・県日中会長、田培良・中国大使館参事官らが上田日中の功績を讃え、今後の活躍を祈って祝辞を述べました。

 同協会は1955年6月、日中友好協会上小支部として結成。また中国浙江省寧波市とは1995年に友好交流都市提携を調印し20年を迎えました。今までに市民訪中団、中学生のジュニア大使派遣、行政や経済団体との交流、さらに帰国者の日本語教室、帰国者霊園の開設、中国語講座の開催、会報の発行など日中友好促進に貢献してきました。昨年8月には上田創造館で「上田と中国交流歴史展」を開催し、広く市民に上田と中国の2千年にわたる交流の歴史を紹介し好評でした。
日中友好新春女性のつどい、”言葉でつながる日本と中国”(2/5)

 長野県日中友好協会女性委員会(島津美智子委員長)は2月5日、長野市内のホテル信濃路において日中友好新春女性のつどいを開きました。飯山・中野・須坂・長野・千曲・上田・佐久・松本・飯田など各地から50余人が参加し、新年の研修と交流懇親会が行なわれました。

 島津委員長は映画「望郷の鐘」や汪婉大使夫人を囲んでの女性懇談会での開拓団関係者の発言を紹介し2度と日中は戦争をしてはならないと述べ、「日中関係にはやや明るい兆しが見えてきたように思う。本年は長野県日中女性委員会設立40周年の節目の年。改めて日中友好にかけた先人の志に思いをいたし、友好の流れを滞らせることなく地道に活動を積み重ねてまいりましょう」とあいさつしました。

 来賓として山根敏郎副会長や清水えい子女性委員会顧問、西堀正司理事長西村源県青年委員長らが、女性委員会の日ごろの活躍に感謝した後、「天の半分を支える女性のパワーと民間の総合力で、平和と繁栄に重要な意義を持つ友好を前に進めていきたい。女性委員会の新年の活躍に期待します」と激励しました。

 第1部の研修会では、中国国際放送局長野孔子学堂の朱丹陽先生が「言葉でつながる日本と中国-ひつじ年と現代中国事情」と題してお話していただきました。旧年を追い払う爆竹の由来や赤が魔よけの意味を持つことなどや日本でもおなじみのひつじにちなんだ四文字熟語など興味深いお話をしていただきました。また昨年の中国十大ニュースの画像を交えての紹介もわかりやすく好評でした。

 第2部の交流懇親会では、ジャンケンゲームやフラダンス、「大海は故郷」の合唱、上田の踊りなどが次々と披露され盛り上がりました。最後に全員で大きな輪を作り、「ふるさと」をうたいました。当面する3月の日中スキー交流会の成功を誓ってお開きとなりました。なお当日は女性委員会の皆さんが持ち寄った品々でバザーを行いました。
河北省代表団、白馬などの五輪ノウハウを視察交流(1/27)
 
 張慶偉・河北省長一行は1月27日1998年の長野冬季オリンピックでスキーアルペン、ジャンプ、クロスカントリーなどの会場となった白馬村を視察しました。河北省張家口市は隣接する北京市と共催で2022年冬季オリンピックの招致活動をしています。大会運営や競技施設、大会開催後の施設利用や課題などについて、地元関係者から話を聞きました。

 代表団は、太田文敏白馬村副村長や矢口公勝県スキー連盟会長はじめ長野五輪開催に携わった白馬村の行政・スキー関係者20人と白馬八方文化会館で懇談。張省長は「冬季五輪を開いた豊富な経験がある白馬村などと交流し、冬季のスポーツ産業、冬の観光を盛んにしていきたい。冬季五輪の企画と運営の経験と終えてからどのようにその成果を活用しているかなど勉強したい」とあいさつ。

 長野五輪の前後12年間にわたり村政を担った福島信行元村長(大北日中友好協会会長)は、招致活動、計画、運営、宣伝などに携わった経験を振り返り、競技に関しては人材も豊富でFISからの評価も高かったことなどを紹介、知名度向上で「世界中からスキーヤーが訪れる場所になった」と説明。後利用としては一部競技施設の維持管理が負担になっていることにも触れました。長野五輪でアルペン競技委員長だった丸山仁也氏は、かつて2度にわたり張家口の崇礼県を訪れ、スキー場のコース設計などを助言したことなども紹介した後、競技前のコース整備や競技審判員等のスタッフの養成確保が大切だと述べました。

 代表団は懇談後、「白馬 山とスキーの総合博物館」を丸山庄司館長の案内で参観した後、白馬ジャンプ競技場と白馬スノーパーク(クロスカントリー競技場)を視察しました。代表団に同行した張家口市オリンピック招致委員会メンバー(侯亮・張家口市長ら5名)は、その後長野市内の選手村、開会式場、Mウエーブオリンピック記念館なども視察しました。
河北省省長一行を迎えて友好提携30周年を祝う(1/26)

 長野県と友好提携している河北省の代表団を長野に迎えて、1月26日友好提携30周年を記念する式典と歓迎会が長野市内のホテル国際21で開かれました。代表団一行20名と県、県議会、県日中友好協会、県経済団体、県スキー連盟関係者など110名が出席。阿部守一県知事と張慶偉省長が冬季スポーツと医療・介護、環境の3分野で交流協力を推進する覚書に調印しました。

 阿部知事は「日中両国の戦略的互恵関係の、地方交流のモデルケースになるよう最大限の努力をしたい」とあいさつ。張省長は同省張家口市が北京市と共催で2022年の冬季五輪を招致していることから、五輪を開催した県内市町村との連携を希望。覚書を交わし「関係者が手を携えて素晴らしい成果をあげていきたい」と述べました。

 また相沢病院(松本市)と河北省老年病医院、松本歯科大(塩尻市)と同省の衛生計画生育委員会がそれぞれ、職員や学生の派遣などで交流を深める協定を結びました。

 式典には来賓として汪婉参事官(大使夫人)、風間辰一県会議長、井出正一県日中友好協会会長が出席し、それぞれの立場から祝辞を述べました。汪参事官は長野県と河北省が長年にわたって交流を深め、地方交流のモデルケースになっていることを評価し、省長クラスとしては、本年初となる訪日の成功を祈りますと激励しました。井出会長は、一行の来県を心から歓迎し、30年来の両県省の交流成果を踏まえ、日中関係が厳しい中でも民間地方交流を進めてきたことを紹介し、「平和を大切にして両県省が次なる30年に向かって友好の絆を強めるため民間の立場からも頑張っていきたい」とあいさつしました。

 第2部の記念レセプションでは長野市男声合唱団ZENの皆さんが「北国の春」「信濃の国」「ふるさと」を見事なファーモニーで披露し、河北省の皆さんを歓迎しました。また日中友好協会女性委員会メンバーは黄色い友好ハッピをまとい張省長や汪参事官、阿部知事とともに「ふるさと」をうたいました。梁国輝さんなど懐かしい再会もあり、会場は大変和やかな華やかな盛り上がりを見せました。

 一行は翌27日、白馬村を訪問し、オリンピック開催にかかわった村、スキー連盟、大北日中友好協会関係者の歓迎を受け交流懇談しました。その後オリンピックジャンプ台やスノーパークなどを視察しました。

 ≪中国国際放送局日本語版のホームページにも紹介されました→長野県・河北省友好提携30周年記念レセプションが開催≫
戦後70年、友好協会創立65周年を友好再出発の年にー 新春座談会・新年会を開催(1/16)

 長野県日中友好協会は1月16日、120人が出席して恒例の日中友好新春座談会と新年会を長野市内のホテル信濃路で開きました。

 新春座談会では「11月北京で開かれたAPECを機に3年ぶりに両国首脳会談が実現し、再出発の基礎ができた。戦後70周年・日中友好協会創立65周年の節目の年に当たり、粘り強く日中の平和友好の大切さを内外にアピールし、友好交流の回復・発展と信頼関係の回復に努める」との方針を確認し、活発に意見交換が行われました。民間の立場から、真剣に友好活動に取り組んでいる様子などが紹介され、日中不再戦・平和友好の原点に返って友好活動にとりくんでいこうという決意が熱心に語られました。中国大使館友好交流部の孫永剛一等書記官と王磊三等書記官も出席され、耳を傾けました。新年会には加藤さゆり副知事をはじめ国会議員や各界来賓も出席され盛会裏に開催されました。

 日中友好新春座談会は、西堀正司理事長の司会で進められ、冒頭、昨年逝去された先輩役員会員に黙祷をささげました。

 井出正一会長があいさつし、各地区での活躍に敬意を表した後、「日中関係に明るさが見えてきた中で、不測の事態を避けるための海上連絡メカニズムの協議なども始まった。よい方向に進むことを期待したい。1月下旬には河北省から張慶偉省長一行が来県されることとなった。県とともに歓迎したい。満蒙開拓平和記念館も開館以来入場者が5万人を越えた。映画「望郷の鐘」が制作上映され大勢の方に観ていただいた。歴史の教訓を心に刻みたい。本年は戦後70年の節目の年に当たる。戦争に巻き込まれることなく70年やってきた。吉永小百合さんも非戦の継続を呼びかけておられた。平和の歩みを続けていきたい。本部の計画している南京城壁修復20周年記念事業に積極的に参加し、併せて第3次内丘県緑化プロジェクトにも多くの会員の皆さんとともに参加したい」」と述べました。

 また孫一等書記官が県日中女性委員会が大使館を訪問し交流したことや長野県と河北省との交流に大使館としてもエールを送り応援してきたことに触れ、長年県協会は多大な貢献をされたと評価し、「昨年11月の北京でのAPECの際に日中首脳会談が実現したことは重要な一歩。4項目の合意と首脳会談によって、戦後70年となる節目の年は、日中関係が明るい年になるよう頑張りたい」とあいさつしました。

 続いて布施正幸事務局長が第2回理事会(12/2)で決定された今年の主な事業計画を報告しました。「日中関係に明るさが見えてきた中で、戦後70年、協会創立65周年の記念事業を柱に友好信頼関係回復・協力促進に努めていきたい。河北省省長一行を迎えての記念歓迎行事への協力、70周年記念のシンポジウムの開催、南京城壁修復20周年記念事業への参加、太行山河北省内丘県での緑化協力プロジェクトの実施、満蒙開拓平和記念館運営への協力、長野ラジオ孔子学堂のHSK中国語検定試験実施協力、留学生ホームステイ受入れなどにとりくんでいきたい」と述べました。

 続いてディスカッションに入り、日中関係の現状と課題、地区活動や各分野の交流などについて活発に意見交換が行われました。

 日中関係の現状については、日中首脳会談を契機に好転を期待し日中不再戦・平和友好の決意が語られました。戦後70年に当たり、日本はあくまで平和の道を歩むべきで、日中関係がだめになったら日本の前途はないので、村山談話の精神を大切にし正しい歴史認識を持って長所を学びあい、具体的交流機会を多く作り、草の根の民間・地方交流を進め両国民の相互信頼を回復していくことを確認しました。

 また、中国語の普及に全県レベルの連絡会を復活させて取り組みたい、中国人観光客の受入れに自治体と協力して取り組む、地方都市同士の交流を通じての新たな友好都市提携実現を目指す、平和を望む友好活動を青年層にアピールして会員を拡大する、女性委員会活動への理解を得て女性の友好の輪を広げる、河北省への合弁企業進出計画が進んでおり理解を得たい、帰国者への理解を深めて地域で支援していきたい、満蒙開拓平和記念館の運営と語り部運動を通じて若者に平和の大切さをアピールしていきたい、映画「望郷の鐘」の上映会に取り組み日中不再戦・平和擁護を市民ににアピールしたい、大学生インターンシップや医療交流などを通じて長野県の良さを中国人に知ってもらうため協会はチャンネルの役割を果たして成果をあげていきたい、長野冬季オリンピックの経験を河北省に紹介していきたい、中国との交流の歴史を地域の人々に紹介し共有していきたいなど抱負を語り合いました。

 新年会には、日頃友好運動に協力いただいている各界来賓が多数出席いただきました。席上、井出正一会長は日ごろの協力に感謝し、「日中首脳会談により両国関係に明るさが見えてきた。1月26日からは河北省から張慶偉省長一行が来県される。県とともにあたたかく歓迎したい。戦後70年に当たり平和を大切にしていきたい」とあいさつしました。

 加藤さゆり副県知事、孫一等書記官、小松裕・井出庸生衆議院議員、若林健太・小坂憲次(代)参議院議員、竹内久幸・荒井武志県議から激励の祝辞をいただき、倉田竜彦県日中友好促進議員連盟会長の音頭で乾杯しました。

 加藤副県知事は、日ごろの友好協会の活動協力に謝意を表したのち、「近く河北省長一行を迎える。一昨年秋の阿部知事と張省長との会談で、新たな交流のスタートを約束した。長野オリンピックの経験を紹介し(2022年中国は北京冬季五輪に立候補しており、スキー種目を河北省張家口市で開く計画がある)、医療関係や環境方面の交流を深めていきたい」と述べました。

 懇親会の中のスピーチで、王昌勝県華僑総会会長、白建飛国際交流員、朱丹陽中国国際放送局長野孔子学堂代表などから激励をいただきました。親しく懇談交流が行なわれ会場は和やかな雰囲気に包まれました。白鳥博昭県国際課長の音頭で日中友好協会の万歳が行なわれ1年の活躍を誓って散会となりました。

 来賓として前記のほか王磊三等書記官、小山富男県国際化協会事務局長、塚田佐元長野市長、太田文敏白馬村副村長、﨤町健長野市国際室長、岡村重信県経営者協会事務局長、西村昌二県中小企業団体中央会参事、山﨑猛県商工会連合会管理チーフリーダー、村山智彦県平和人権環境労組会議共同代表、井口弥寿彦信濃毎日新聞社総務局長、楊静松本歯科大学歯学部講師らのご臨席をいただきました。
<年頭ごあいさつ> 戦後70周年、平和友好の誓い新たに   

 長野県日中友好協会会長 井出正一

 昨年は新中国建国65周年という節目の年であったにも拘わらず、日中関係は尖閣問題と靖国参拝=歴史認識をめぐって対立したまま凍りついた状態が秋まで続きました。政治分野にとどまらず経済・文化・民間交流や地方交流にも深刻な影響をもたらしました。アジアと世界の安定と繁栄に大きな責任を有する両国の対立は、周辺諸国だけでなく多くの国々に不安と危惧を抱かせています。

 斯様な状況下でしたが県協会は、地区協会や関係諸団体の協力のもと、こんな時こそ民間の活動が必要なのだと恒例の継続事業を中心に日中友好の大切さを県民にアピールしてまいりました。地区協会では6月に上田日中が寧波市、軽井沢日中が承徳市へ、7月には須坂市日中が中学生交流を中心に四平市へ、8月には石家荘市の中学生20名が長野市へ9月には邢台市の代表団が来長、千曲市・岡谷市を訪問するなど逆境にめげない交流ができたこと、さらに満蒙開拓平和記念館の参観も開館以来10月までに5万人を超えましたし、映画「望郷の鐘」も上映の運びとなりました。関係各位のご努力とご熱意に心から敬意を表します。

 11月北京で開催されたAPECを機に漸く両国首脳会談が3年ぶりに実現しました。明るい兆しが見えてきたと考えたいのですが、わずか30分足らずの会談であり、合意された内容は双方に都合よく解釈できる箇所もあり、ガラス細工のような脆さを有しています。不測の事態を予防すべく連絡メカニズムのチャンネルを多方面にわたって制定し、それを制度化しつつ戦略的互恵関係を再構築する必要があります。

 今年は戦後70周年、日中友好協会創立65周年を迎えます。「戦後70年」といえる国はアジアいや世界においてもそう多くはありません。大切にしていかねばなりません。本部の計画している南京城壁修復20周年記念事業に積極的に参加し、併せて第3次内丘県緑化プロジェクトにも多くの会員の皆さんと参加できたらと考えます。

 新春には河北省の張慶偉省長を団長とする代表団が来県されることが、11月の北京での第2回知事省長フォーラムの席で阿部知事に表明があったそうです。私たち県日中としても心から歓迎したいと思います。

 今年も力を合わせて頑張りましょう。

映画「望郷の鐘」、信州から平和のメッセージ(12/6)

 「中国残留孤児の父」と呼ばれた故・山本慈照さんの半生を描いた映画「望郷の鐘-満蒙開拓団の落日」が完成し、12月6日から長野・松本・飯田市で先行上映されています。

長岳寺住職だった山本さんは1945年5月、旧満州に教員として渡り、8月の敗戦後、シベリアに抑留され1947年に帰国。妻と子供1人が逃避行中に死亡したことを知らされます。「日中友好手をつなぐ会」をつくり、中国残留孤児らの肉親探しや帰国に尽力しました。

この夏、ゆかりの阿智村のロケには多くの村民が出演し、子役の小学生たちも大活躍しました。

山田火砂子監督は「二度と戦争を起こしてはいけない。子どもたちに見てもらい、歴史の真実を知って欲しい」。原作者の和田登さんは「25年前に出版した時は話題にもならなかった。今回は時代への怒りから反響を呼んでいる」。作家の井出孫六さんは信濃毎日新聞の夕刊コラムに「国策という名の落とし穴」の一文を寄せました。

明年は敗戦から70周年。信州から発信された映画は、平和の“のろし”として全国に広がることでしょう。(松原京子)

☆12月6日長野ロキシーでの上映後に監督の山田火砂子さん、女優の磯村みどりさんが舞台あいさつを行いました。山田監督は東京大空襲など自身の戦争体験を話しつつ「他の作品を先延ばしにしてこの映画を作り上げた。満州での事実を今の教育に入れて欲しい。この作品で戦争は嫌だということを子供たちに伝えたい」と熱く語りました。磯村さんは「映画を観たら自分だけで納得せず、若い人や子供たちに伝えてほしい。それが私たちの役割だと思う」と力を込めました。また磯村さんは自身も気に入っているという中国人役・マーメイのセリフを披露。迫真の表現力に、会場は温かい拍手に包まれていました。
☆上映館:長野ロキシー(TEL026-232-3016、飯田センゲキシネマ、飯田トキワ劇場、松本シネマライツ 
佐久で中国帰国者との交流会140人が集う(11/23)

 佐久日中友好協会は11月23日、佐久市内のホテル一萬里において佐久平中国帰国者との交流会を開きました。佐久平地域の帰国者家族や友好協会会員、市民ら140人が参加し、楽しい交流の1日を過ごしました。

 中沢道保佐久日中友好協会会長は、帰国者の皆さんが言葉と習慣の壁を乗り越え頑張って生活していることに敬意を表し、今日は1日楽しく交流してくださいと激励しました。布施正幸県日中事務局長は帰国者一世の配偶者への支援体制が今秋から整備されたことを紹介しながら一世の皆さんが幸せな老後を過ごすためにも二世の皆さん三世の皆さんが安心して働き元気に学校に通えることが不可欠で友好協会としても地域の皆さんとともに努力していきたいと述べました。

 帰国者を代表して1974年に第1陣で帰国した神津よしさん(86歳=佐久市)が年はとっても元気に生活している様子を紹介し、交流会を楽しみに参加させてもらったと語りました。

 来賓として、柳田清二佐久市長(代理/坂戸千代子社会福祉部長)、井出庸生衆議院議員、木内均衆議院議員(代理)、今井正子県議、桃井進県議、吉岡徹市議、朱丹陽・中国国際放送局長野孔子学堂代表らがそれぞれの立場から激励のあいさつをしました。上田、小諸、軽井沢の日中友好協会の役員も参加し交流しました。小林良清佐久保健福祉事務所長の音頭で乾杯し懇親交流会に入りました。ホテル一萬里の畠山社長も大日向村開拓団の生き残りで、自らの悲惨な逃避行の体験を話しました。今回の催しに際して、協力を惜しまず、おいしい料理を提供していただきました。

 久しぶりに再会した帰国者の皆さんは懐かしく語り合い交流していました。続いて、みんなで楽しむビンゴゲームです。山のように用意された景品は、友好協会会員のみなさんが協力して提供していただいたものです。続いて古崎グループによる軽音楽の演奏、中国語学習グループによる「故郷」「夜来香」の合唱が披露されました。更にカラオケにあわせてのど自慢の皆さんが日本の歌、中国の歌を披露しました。最後に全員で佐久出身の井出はくさんが作詞した郷土の歌「北国の春」を全員で合唱して終了となりました。

 参加した帰国者の皆さんは「大変楽しかった。今後も参加したい」と語っていました。佐久日中の花岡茂理事長は今後ともこのような交流機会を持って帰国者支援にとりくんでいきたいと語りました。
第18期日中関係を考える連続市民講座がスタート(11/22)

第18期日中関係を考える連続市民講座が11月22日から始まりました。長野県内の大学と県日中友好協会などで作る「県日中学術交流委員会」主催で以降、毎月一回のペースで文化・情報事情、歴史、経済関係などをテーマに計6回の講座が開かれます。

 開催趣旨には次のように述べられています。--日中両国は引越しのできない間柄にあり、悠久の往来の歴史と不幸な戦争を体験しています。また最大の貿易相手国でもあります。日中関係が雪解けを迎えかつての友好的な機運が回復するか大事な分かれ道に差し掛かっています。英知をかたむけ、困難を克服し、平和と友好協力の道を歩む方途を探すことは両国民にとって大切な課題です。現在、日本も中国も、アジア・世界も大きな変革期を迎えています。隣国中国に対する関心を喚起し理解を深めることは一層重要となっています。--

 第1回講座は長野大学の塚瀬進教授が「現代中国を理解するポイント」と題して話しました。中国は巨大かつ多様な国であることを踏まえ、経済・政治・歴史のトピックの中から、現代中国を理解することにつながるものを選んでわかりやすく解説しました。講演のあと質問や意見がたくさん出され、有意義な講座となりました。

県女性委員会バスツアー、中国大使館を表敬交流(11/19)

 県日中女性委員会は11月19日、第7回秋の日中友好研修バスツアーを行いました。女性委員会メンバーらが参加して、東京の中国大使館を訪問し、楊宇・参事官(広報部)より「最近の日中関係について」講演いただいた後、歓迎昼食会が行われ友好を深めました。

 この日、未明に飯山を出発したバスは長野・松本と高速道沿いに参加者を加えながら、東京を目指しました。車中では西堀正司県日中理事長から最近の日中関係についてのレクチャーに耳を傾け、さらに中国国際放送局長野孔子学堂の朱丹陽さんの指導で「大海啊、故郷」(海はふるさと)を発音から学習し最後はうまく歌えるようになりました。予定通り11時半には大使館に到着しました。飯田日中の皆さんや全国本部の佐藤洋一さんたちとも合流し、総勢66名となりました。

 楊参事官は、心からの歓迎の意を表した後、「世界にまれな交流の歴史を持つ隣国の間柄の日中両国はともに学びあう関係にあり、仲良くしていくことは両国の賢明な選択であり世界からも歓迎される。両国首脳の会談が持たれ両国関係改善に重要な一歩を踏み出した。今後は日中共同声明など4つの基本文書と先の4項目の合意を守り進むことが大切と思う。ともにウインウインをはかる立場から一部の問題があっても対話と平和的方法で解決していきたい。両国の交流と協力を推進し特に青少年交流を発展させていきたい。大使館として今後とも民間交流を積極的にサポートしていきたい」などと述べ、参加者に感銘を与えました。 

 島津美智子女性委員長が訪問御礼のあいさつをし記念品交換が行われました。意見交換の席では森田恒雄飯田日中会長、西堀正司理事長らが講演に感謝し友好推進の提案や意見を述べました。続いて歓迎昼食会がもたれ美味しい中華料理をいただきながら大使館のスタッフの皆さんと交流懇親を深めることができました。最後に感謝の意味を込めて、バスの中で練習してきた「大海啊、故郷」を一緒に歌いました。玄関前にて全員で記念撮影し名残を惜しみながら長野での再会を約して大使館を後にしました。友好交流部の王磊さんには特にお世話になりました。

 一行はその後、渋谷文化村ザ・ミュージアムでフランス絵画展「夢見るフランス絵画-印象派からエコールド・パリ へ-」を参観して更に英気を養い、帰路につきました。バスの中では自慢の歌が次々に飛び出し、盛り上がりました。初めて参加した方も「大変和やかで楽しく勉強になった1日でした」と感想を述べていました。
おお!地球人ワールドフェスタIN長野、市日中も参加、石家荘研修生など活躍(11/16)

 国際交流イベント「おお!地球人ワールドフェスタIN長野2014」が11月16日長野市のもんぜんぷら座で開かれました。市民の国際感覚を更に深める狙いで長野市国際室が各国際交流団体に参加を呼びかけたもので3回目となります。市内に活動拠点を置く団体や個人を中心に14の出展と9つのステージ発表が行われ、演奏や展示、料理の提供などを通じて各国の文化等を紹介しました。多くの市民が訪れ、交流を深めました。

 ステージ発表では中国石家荘市からの語学研修生も和服姿で研修体験発表を日本語で行い、更に練習してきた三味線演奏と能を披露して、来客の大きな拍手を浴びました。また敦煌二胡教室の演奏なども行われ、長野市日中のメンバーもステージにのぼり「ふるさと」を中国語と日本語で歌いました。

 展示コーナーでは、長野市日中友好協会がこのほど完成し12月に封切りとなる映画「望郷の鐘」の紹介と長野市日中友好協会の活動紹介展示を行い、「満蒙開拓団の悲劇を語り継ごう-日中不再戦・平和友好のために-」をアピールしました。黄色い日中友好のハッピ姿で中国茶のサービスや中国語ミニ講座も喜ばれました。また、帰国者の池田さんの作った本場の味の肉まんも好評でした。

 アメリカやロシア、モンゴル、韓国、フィリピン、タイ、ベトナムなどのブースも関心を集めていました。

 長野市国際室によると、長野市には11月現在、48カ国・地域の3445人の外国籍の方が暮らしています。国際交流の良い機会になったと喜ばれています。  
中国残留邦人支援の人生、中島多鶴さんを偲ぶ(11/11)

 中国中国残留婦人の帰国支援などに尽力し、11月7日89歳で逝去された中島多鶴さんの告別式と葬儀が11月11日阿南町のアイホールあなんで営まれました。

 地元泰阜村や飯田日中友好協会、満蒙開拓平和記念館など関係者が多数参列し、「満蒙開拓」という国策に翻弄されながら、帰国支援や悲惨な史実を語り継ぐ活動にとりくんだ中島さんを偲びました。

 満蒙開拓平和記念館の河原進館長は弔辞で、記念館設立に尽力した中島さんに感謝しながら、最も印象深い姿として「記念館の建設資金調達で県に助成を願い出たとき、長身の阿部知事に面と向かい切々と訴えた」ことを紹介、「それを節目に支援の輪が広がった。満蒙開拓の母、記念館の顔だった。中島さんの信念を深く胸に刻み、記念館の運営にまい進したい」と述べました。

 ◇中島さんは1940年に家族7人で旧満州に渡り、大八浪(ターパラン)(現黒龍江省佳木斯市樺南県)に入植。敗戦直後の逃避行中に妹4人を亡くした。奇跡的に翌年帰国できた中島さんは、悲惨な現実をつぶさに報告。泰阜村で保健師の活動をする一方、旧満州に残る人たちと手紙をやり取りし続けてきた。さらに残留邦人の帰国手続きから帰国後の生活支援に尽力した。その半生は『沈まぬ夕陽-満蒙開拓の今を生きる中島多鶴』(中繁彦著)に詳しい。満蒙開拓平和記念館設立にも尽力し、語り部としても活躍した。「(逃避行体験を)忘れたいと思ったことはない。死ぬまで覚えている。話すことは私の使命」と語っていた。10月28日の講演が最後になった。計9家族、38人の身元引受人となり、慣れない日本での生活を支えた。日中不再戦・平和友好の信念をもって飯田日中友好協会副会長としても活躍された。

阿部知事4年連続訪中 張河北省長と再会(10/28) 

 阿部守一知事は、10月28日、北京の釣魚台国賓館において、全国知事会と中国人民対外友好協会及び中国日本友好協会との主催で開催された「第2回日中知事省長フォーラム」に出席しました。「地域経済交流・観光交流」「環境対策」のテーマについて、参加した省長及び知事等と具体的な発言や意見交換を行いました。

 また、李源潮国家副主席との会見のほか、中国人民対外友好協会の李小林会長や中国日本友好協会の唐家璇会長ともお会いし、顔の見える形で地方から日中の交流を進めて行くことの重要性を確認しました。

 また、フォーラムに参加した張慶偉河北省長とも様々な機会に懇談し、平成27年の早い時期に、省長を団長とする代表団が来県、長野市において知事との懇談及び歓迎レセプション、県内の冬季オリンピック開催地等の視察をする方向で今後調整することとなりました。

 これにより、平成25年10月に石家荘市で意見交換した、冬季スポーツ、環境や医療などの分野の交流が具体的に進むこととなります。(土屋孝夫・県国際課担当係長)

中国太陽芸術団長野公演好評でした(10/21)

 中国建国65周年を記念して中国太陽芸術団長野公演が10月21日、長野ホクト文化ホールで行われました。800人ほどの市民が来場しました。

 中国紫禁城を舞台に雑技や京劇の立ち回り、変面、民族楽器演奏などを取り入れ、スリルとバラエティーに富んだ2時間の舞台を楽しみました。

中国歌劇舞劇院、北京京劇院、上海雑技団など中国を代表する芸術団体から来日したメンバーが中心に出演し、見事な演技に大きな拍手が送られました。

「わかりやすく素晴らしい演技に感動しました」と語りながら帰って行く観客の皆さんを、実行委員会スタッフも嬉しく見送りました。

 一衣帯水の隣国・中国とは歴史的にも経済的に切っても切れない間柄にあります。両国の関係が改善され、日中友好と日中文化交流が増進される一助となったと関係者一同確認しあいました。今回の取り組みは、日中友好協会とSBC信越放送が共催で行われました。

朱建榮氏招き中華人民共和国65周年記念の講演会を開催(10/2)

 長野県日中友好協会・県日中経済交流促進協議会・県日中学術交流委員会は10月2日、中華人民共和国建国65周年にあたり講演と記念のつどいを長野市内のホテル犀北館で開きました。講演会には、150名余が出席。中国研究の第一人者として活躍している朱建榮・東洋学園大学教授が、「建国65周年を迎えた中国と日中関係の今後」と題して記念講演しました。講演終了後、先生を囲んでパネルディスカッションと記念パーティーがおこなわれました。「建国以来の中国の歩みを振り返り中国理解を深めながら、いかに日中関係の危機を打開し、新たな友好関係を築いていくか」をともに考え危機を打開しようとする熱意あふれる有意義な1日となりました。

 夏目潔・県日中経済交流促進協議会会長の開会のあいさつに続き、井出正一・県日中友好協会会長が主催者を代表して「日中両国はアジアと世界の平和と繁栄に責任を持っている。両国関係は困難な状況が続いているが、切っても切れない間柄だ。粘り強く民間・地方の交流を続け、友好に資していきたい。朱先生から得がたい体験を踏まえて貴重なお話をお聞きし、改めて日中関係の重要性を認識する機会としたい」とあいさつしました。

朱先生は、冒頭自身の体験に触れ、個人が政治の波に飲み込まれることはあるが、研究者として動じないで専門分野を極めていきたいと述べた後、マクロ的に中国の歩みを振り返り表層より深層を見ていく必要性を強調しました。また日中関係については「近年の日中関係の冷え込みに、変化が見えてきた」と分析。理由として「中国では汚職撲滅など国内対策の取り組みに一定のめどが立ち、外交課題に取り組む余裕が出てきた。日本も、集団的自衛権の行使容認を閣議決定するまでは中国脅威論が必要だった」ことをあげました。更に「11月北京で開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)での日中首脳会談が実現すれば、中国国内での対日交流がかなり変わる」と展望しました。

 講演の要旨は以下のとおりです。

―(新中国誕生の意義と歩みに触れ)19世紀から20世紀にかけて中国を取り巻く世界の状況が大きく変化し、西洋列強による衝撃が、確立されていた中国の文明・体制に衝撃を与えた。列強の侵略に対応するため、ゆっくりとした民主主義近代化の道ではなく共産主義の道を選んだ。しかし、さまざまな要素の積み重ねの上に中国革命の成功はあった。現在、蒋介石の再評価や20~30年代の民族資本や新文化運動の果たした役割などが見直されてきており、また孔子など中国の歴史・文化・伝統を学んでもっと活用していこうとしている。毛沢東の時代と鄧小平の経済建設主体の時代も連続性あるものと捉え欠陥は改善していこうとしている。総括しながら、長期戦略を練り、科学技術開発の連続性等も重視しようとしている。習近平体制が何を目指そうとしているのか冷静に見ていく必要があろう。

 2050年に向けた中国の「新しい長征」が始まっている。鄧小平の3段階戦略と習近平の「中国の夢」は同じ目標と言える。2021年(建党100周年)に「全面的な小康社会(まずまずの生活ができる社会)実現」、2049年(建国100周年)に「富強・民主・文明・和諧」の社会主義現代化国家の実現を掲げている。東アジアの発展の道筋を見ると、まず①経済の民主化(市場ルール導入)、②社会の民主化、③政治体制の民主化の道をたどっている。現在は社会の民主化の時期であり、社会問題が集中的に表れる社会的大転換の時期にあたっている。中国はこの30年間に大きく変わった。85点以上でないと不合格という日本の基準から見ると落第に見えるかもしれないが、55点以上とったことは十分評価されて良い。

 日中関係の現状と展望―①APEC首脳会談は実現するか、②靖国神社参拝問題と島の問題この2つの阻害要因の克服は可能か、③今後の展望と経済交流の新しい可能性について。①についてはすでに触れた。②島問題の合意は難しいが事実上の棚上げは可能、周辺海域での不測事態の防止・行動ルールの構築が急務。「歴史」と「領土問題」は「出口論」で解決すべきで、「小異を残して大同を求める」原点に立つことが必要。③本格的改善を決める諸要素としては、中国国内の改革の要素、米中関係、国民同士の相互理解、「戦略的互恵関係」の再確認などがある。日中関係は「政冷」でも「経熱」は冷めていない。チャイナ+1は良いが、インドや東南アジアは中国に替わる受け皿にはならない。環境・農業・高齢化対策など中国の社会問題は逆に日本のチャンス。内陸部への進出と「安心・安全の保障」体制の構築が期待される。中国による対日投資の新しい可能性も出てきている。

 講演後、朱先生を囲んで上條宏之・県日中学術交流委員会副会長(県短期大学学長)、森田恒雄・飯田日中友好協会会長をパネラーに、西堀正司・県日中理事長がコーディネーター役をつとめ、パネルディスカッションが行われました。

 上條氏は「辛亥革命以前からの歴史は連続していると見る観点は啓発された。日本も戦前戦後の連続性をにも目をむけ、日清戦争以降の日中の近代史のかみ合わせをはかるべきだ」と述べました。森田氏は満蒙開拓平和記念館の建設運営に拘わっていることを紹介した上で開拓団の悲劇に触れ、「体験を風化させることなく、侵略への反省を忘れてはいけない」と述べました。
 
 朱先生は「中国が首相の靖国参拝に反対しているのは、国交正常化に際し戦争賠償を放棄したが、周恩来総理は中国人民を説得するとき日本人民と軍国主義者を区別し、A級戦犯に戦争の責任を押し付け、日本人民も日本軍国主義の被害者とした。歴史にとらわれないで進む政治的解決の知恵と言える。日本はこのとき日中戦争で中国人民に多大の損害を与えたことを深く反省すると表明した。8月方正の日本人公墓をたずねたが、この公墓は周総理の許可を得て建立されたもので、開拓団の人々も日本軍国主義の犠牲者だとしたものだ。一方中国としては国交正常化以降日本が中国の現代化のために多くの支援をしたことを忘れてはならない。1978年鄧小平は訪日の際、日本に学び中国現代化に前向きに努力するとした」などと述べ日中が和して協力していく必要性を強調しました。

 西堀理事長は最後に宇都宮徳馬先生の「日中友好は最大の安全保障」との言葉を紹介して日中友好のため一層努力しましょうと締めくくりました。

 県内各地から集まった聴衆は熱心に耳をかたむけ、歴史を踏まえ両国関係の改善、民間交流の継続と深化の必要性を心に刻みました。

 第2部の祝賀パーティーでは、井出会長のあいさつに続き、塚田佐・元長野市長、王昌勝・県華僑総会会長からの祝辞に続いて、鷲沢正一・前長野市長の乾杯の音頭で懇親会に入りました。国会議員(代理)、白建飛・県国際交流員らから祝辞をいただきました。また、この夏スキー・軽井沢・須坂・上田友好訪中団などで中国を訪問した様子を代表から報告しました。会場では友好の大切さを思い激励しあう姿が見受けられ、和やかな交流がおこなわれました。

 井出庸生・衆議院議員、小松裕・衆議院議員(代)、若林健太・参議院議員(代)、土屋孝夫・県国際課担当係長、小山富男・県国際化協会事務局長、住吉廣行・松本大学学長、浅川祐司・県経営者協会事務局、西村昌二・県中小企業団体中央会参事、細野邦俊・県商工会連合会専務理事(代)、荒井英彦・県信用保証協会会長、高木幸一郎・JA全農県本部長、中村重一・信濃毎日新聞社専務、酒井康成・松本歯科大学法人室留学生課係長補佐など各界来賓が出席しました。

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