友好短信2017.1~11

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泰阜村・方正県友好提携20周年記念式典と祝賀のつどい開かれる(11/16)

 泰阜村と方正県との友好交流20周年を祝う式典ならびに祝賀のつどいは、2017年11月16日、泰阜村の「あさぎり館」で松島貞治村長をはじめ、多数のご来賓、関係者の出席を得て盛大に開催された。

 式典は、「泰阜太鼓」の打ち鳴らす友好提携20周年の式典に相応しい響きのなかで開幕し、続いて「20年の歩みスライド」が上映され、帰国者をはじめ、参加者全員がこの20年を振り返った。

 これに続き、主催者の松島貞治村長から、「 帰国した開拓団員から”方正で助けられた”という話をたびたび聞いて参りました。これが友好提携の原点です」と20年前を振り返り、隣国と戦うような愚かなことをしない決意を改めて確認。「今後の友好交流の進め方について、地域同士が仲良く出来る方策を考えてきたが、なかなか上手くいかない。じゃあ何が出来るのか。皆さんから具体的に”泰阜と方正との友好交流”の提案を頂き、新たな気持ちで人と人との草の根の交流を地道に進めて行きたい」と提案を含めた挨拶があった。

 これに続いて出席のご来賓の挨拶があり、その中で、宮下一郎代議士からはメッセージを尾関秘書から伝えられ、高橋岑俊地元県議から、無欲の心の交流を。また、大月良則長野県国際担当部長から、長野県は中国と10か所に亘る都市や地域と活発な友好交流活動をしている、と現状報告。「過去の満蒙開拓の歴史に向き合う平和記念館の語り継ぎ活動を通して、今後の友好交流をしっかり進めてください」と挨拶。方正友好交流の会の大類善啓事務局長から、方正の「日本人公墓」に触れ、侵略加害の側である日本人の墓を建ててくれたことに驚いた、と前置きして、「周恩来の国際主義的精神に敬意を表したい」と述べ、羽田澄子監督制作の映画「嗚呼満蒙開拓団」にも触れ、「昨年の天皇、皇后両陛下の満蒙開拓平和記念館訪問実現など、今日の方正県との友好交流に繋がっている」と激励の挨拶をいただいた。

 また、長野県日中友好協会の布施正幸事務局長から、「泰阜村と方正県との友好提携は、一番深い因縁で結びついたもの。国レベルの友好交流は難しい面もあるが、人と人の交流では中国から年間640万人が、観光などで来日している。この人たちは日本の良いところに触れ感激して帰っている。このことからも、自信を持って”人と人の交流”を進めてください」と挨拶があった。

 又、方正県長からのメッセージを披露。続いて「方正県への想い」を中国から帰国された「池田純」さん、残留婦人の2世で長く中国で生活して帰国された「川島波子」さん、また第1回(1999 年7 月)の方正県第三中学校との交流事業に参加した「吉岡利貴」さんから、「一般人同士の草の根交流を若い感覚で促進したいと」話されるなど、三人のそれぞれの立場、体験からの話に感銘を受けたとの声を多く聞かれた。このあと、賑やかな出し物もあって、有意義な中に会は終了した。

  (小林勝人・飯田日中友好協会理事長)


「泰阜村」と「方正県」友好提携から20周年
~長野県「泰阜村」と黒竜江省ハルビン市「方正県」友好提携20年の歩み~

<友好提携の経過>

 方正県といえば「方正日本人公墓」のある日本人として忘れる事の出来ない、いや忘れてはならない加害と、被害の重い歴史を認識する大事な場所である。一方、泰阜村といえば、NHKの「忘れられた女たち」の放送を思い出す人が多いと思われるが、長野県の山村で、かつて多くの満蒙開拓団を送り出した村として思い出される山村である。

 この二つの地区を結びつけたのが、戦前中国東北部に分村移民として多くの開拓団員を送り出した「満洲泰阜分村開拓団」であった。この満洲泰阜分村開拓団の入植地は、現在の黒竜江省佳木斯市華南県大八浪郷である。ここに昭和14年2月11日入植式を行い、15年から家族招致を行った。最終的には1,144名(泰阜村以外の村を含む)が入植し、敗戦時を含め死亡者627人、不明44人を出した。(『長野県満州開拓史』より)

 特に、昭和20年8月9日のソ連侵攻により、閻家駅に終結するも列車に乗れず、徒歩による「いわゆる」死の逃避行を行い、20日余りかかって方正県に辿り着いた。しかしこの逃避行において多くの命を失いやっと辿り着いた収容所で、寒さと飢えで、又多くの命を失った。その結果、多くの残留孤児、残留婦人が発生し、方正県の方々に引き取られ、養父母に育てられたという。分村開拓団を送り出した「満洲泰阜分村開拓団」は敗戦時、過酷な逃避行を強いられたなか、逃げ延びた先の方正県で飢えや寒さから助けられた歴史的背景があった。

 特に国交回復の遅れた事情のなかで、祖国から見放された残留婦人、残留孤児を実の子と同じように、いやそれ以上に育ててくれた養父母の温かい「慈愛」に、感謝の気持ちが強く残っている。このため、助けてくれた方正地区の人々を友だちとして、更に自分達の第二の祖国、故郷としてお互いが尊重し、大切にしていくことが、あの時受けた恩を活かしてゆけるのではないかと考えたのである。

 こうした中、多くの村民の賛同を得て20年前の、1997年9月27日に方正県と友好交流の覚書が締結された。この時の訪中団一行は、松島貞治村長を団長として、林昌樹議長を副団長に議会から4名、大八浪会3名、泰阜南小学校清水重美校長、同校生徒牧野なおみさん、県日中桜井敬司交流部長、秘書長に村づくり主任の12名が、9月26日~30日の日程で訪中し、9月27日方正県の方正賓館において調印式が行われた。

 

日中国交正常化45周年を記念し知事を団長に友好の翼(10/29~11/2)
河北省と北京市を訪問、友好協力を深める

 日中国交正常化45周年を記念して阿部守一知事を団長に高波謙二県日中友好協会会長を副団長とする長野県日中友好の翼訪中団一行53名は10月29日から11月2日まで河北省石家庄市と北京を訪れて友好と親善を深めました。河北省では河北省許勤省長と会談し北京冬季オリンピックに向けての支援交流や来年両県省友好提携35周年に省長の来県招請やそれに合わせてチャーター便実現を目指すこと等、これからさらに一段と“実のある交流を進めることを確認しました。また北京では、中日友好協会の唐家璇会長と再会しあたたかい歓迎をうけたほか、中国人民対外友好協会の宋敬武副会長と会見、歓迎宴会に出席しました。また知事は北京市政府と2022年の北京冬季オリンピックにむけ冬季スポーツ分野での青少年交流に関する覚書を結びました。

 今回の訪中団には、阿部知事と知事部局(大月良則県国際担当部長他)はじめ、諏訪光昭県会副議長、濱田州博信州大学学長、相澤孝夫日本病院会会長(県日中副会長)、唐木一直南箕輪村長、平林明人松川村長、富井俊雄野沢温泉村長、山岸喜昭・高島陽子・小川修一各県議、武重正史JA長野中央会参事、県日中友好協会からは高波会長ほか山根敏郎副会長、西堀正司理事長ら役員会員、経済界関係者らが参加しました。

 長野県日中友好協会グループは高波会長以下33名で編成され、友好に努めるとともに、第19回党大会直後の中国を直に体験してきました。10月29日早朝羽田空港での結団式に参加し北京空港に向かいました。空港で中日友好協会の程海波副秘書長や張孝萍友好交流部長、董丹丹さん、呉虞さんらに迎えられ、さっそくこの日は高速鉄道で石家庄に向かいました。石家庄では日曜であったにもかかわらず許省長はじめ王暁東副省長、朱浩文省秘書長、劉暁軍省外事弁公室主任(省人民対外友好協会会長)、劉教民教育庁長、李石商務庁長、何江海体育局長、魏存計省国際貿易促進委員会会長、張鉄龍省農林科学院院長、蘇岩省冬季オリンピック弁公室副主任、李軍外事弁公室副主任など長野県とのかかわりの深い分野の責任者が顔をそろえ歓迎していただきました。新旧友人の皆さんとお会いすることができ、親しく交流できた感激の第1夜でした。省長・知事の友好協力を積極的に推し進めていきたいとの熱意溢れるあいさつに大きな拍手を送りました。また河北省が2022年の冬季オリンピックと先ごろ打ち出された「雄安新区」という2つの巨大国家プロジェクトの地元として、これを発展の一大チャンスととらえての意気込みが感じられました。

 翌10月30日は石家庄市第42中学を訪問しました。4千人の中学生と2千人の高校生が学ぶ学校で、国際交流にも力を入れ、留学生を受け入れたり海外に派遣したりしているそうです。タイやイタリアの留学生と中国の高校生による創作ダンスや孔子の伝統教育風景の劇などを演じて歓迎してくれました。その後、校庭をクラスごとに30分ほど連続行進する様子を見、授業を参観しました。中国の新しい風に触れたように思いました。昼は石家庄市の欒建英外事弁公室主任がしゃぶしゃぶの昼食会を催してくれました。山根敏郎長野市日中会長が一同を代表して感謝の言葉を述べました。
河北省への思いは尽きませんが、梁国輝処長や紀竑さん、董彤さんらの見送りを受けながら、1泊2日の短い滞在を終え、北京行きの高速鉄道に乗り、石家庄を後にしました。

 この日の夕、知事、高波会長らは唐家璇中日友好協会会長と釣魚台迎賓館で会見し、親しく懇談しました。唐会長は河北省との各分野の交流が成果を上げていることを評価するとともに、教育分野での協力拡大に期待感を示しました。

 10月31日、この日は万里の長城の居庸関を訪れ、多くの皆さん頑張って急な坂をものともせず登攀しました。中国の悠久な歴史を満喫しつつ記念写真に納まりました。居庸関の更に先には八達嶺の関所があり、歴代王朝が守りを固めてきました。緑化に力を入れてきた成果で周囲の山の緑がだいぶ増えてきたという印象も受けました。河北省との緑化協力プロジェクトに取り組んでいる協会としてもうれしい変化でした。

 午後は盧溝橋抗日戦争記念館を訪れました。本年はあの日中全面戦争勃発の発端となった盧溝橋事件(1937.7.7)から80周年にあたります。マルコポーロが当時の元の都、大都を訪れたとき、この盧溝橋を訪れ世界で一番美しい橋と『東方見聞録』に記したことは有名です。近代史の舞台として登場して以来、歴史を顧みる場所となりました。盧溝橋をカメラに収めて、歴史の風情を再現した街を通って記念館に入ります。入り口のロビーには中国人民の抗日戦争勝利の意思を表した軍民の像がずらりと並んでいます。「偉大な勝利、歴史的貢献」と題し、「中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利記念展」が行われていました。

 1936年に国共合作による抗日民族統一戦線が結成され、中国の抗日機運が高まる中、日本軍が無謀にも全面戦争に突き進んでいった時期の中国側の事情が展示されていました。毛沢東の『持久戦論』で論じられているように、当初圧倒的優勢を誇っていた日本軍はやがて広大な中国の各地で抵抗にあい戦線は膠着し泥沼状態に陥り、燃料確保のため南方進出を試み列強と衝突、局面の打開を図るため更に無謀な太平洋戦争にっ突入していくこととなりました。展示は8の部分に分かれ、1~3部は抗日統一戦線のもとでの全民族抗戦への発展、4部は日本軍の暴行、5~7部は反転抗戦、国際社会からの支援と偉大な勝利、8部は歴史を銘記し世界各国と手を携え恒久平和をなどとなっていました。目をそむけたくなる残虐シーンの展示もありましたが、最後の展示では、田中角栄首相と周恩来首相が共同声明を発表して日中国交正常化が実現し以後、歴代首脳が会見し友好を深めていく様子が展示されていました。平成天皇の「満州事変以来の歴史に思いを致し再び戦争の惨禍を繰り返してはならない」との言葉がよみがえってきました。団員一同、平和の大切さを思い起こし、記念館を後にしました。

 この日知事一行は午前中北京市政府を訪れ、陳吉寧代理市長と「冬季スポーツ分野での青少年交流に関する覚書」を結びました。その後駐中国日本大使館を訪れ、横井裕大使と会見懇談しました。また、自治体国際化協会の北京事務所開設20周年記念式典に出席し長野県と中国の交流の状況を紹介しました。

 11月1日は天安門広場と故宮博物院を参観しました。中国共産党の第19回大会が開かれた人民大会堂や天安門を写真に収めながら故宮見学に向かいました。故宮は人波みに埋まっていて、迷子にならないよう、声かけあって中軸の直線コースを進みました。太和門をくぐり抜け太和殿を目にした感動は皇帝権力はすごいの一言です。

 知事・会長一行は中国人民対外友好協会表敬に向かいました。宋敬武副会長との懇談では中国人大学生のインターンシップなどを巡って意見交換し将来に向けて、農業分野や理科分野の受入れ協力についても話し合っていきたいと述べました。
 
 会場を好苑建国酒店に移して、中国人民対外友好協会・中日友好協会主催の歓迎昼食会が全団員出席して開催されました。宋副会長が一行を熱烈に歓迎し、長野県と県日中友好協会が官民提携して、地方民間交流に成果を上げてきたことを称賛し、今後の一層の活躍を期待しますと述べました。阿部知事は心のこもった歓迎に感謝するとともに、2022年の北京冬季オリンピックに長野県として官民提携し様々な協力をしていきたいと述べました。高波会長の音頭で、長野県と中国との一層の協力発展を願って乾杯しました。中日友好協会の友人となごやかな懇談が交わされ思い出に残る昼食会となりました。

 午後は、頤和園を参観しました。西太后が海軍予算を流用して磨き上げたこの人工の湖と築山、一連の建築群は、世界遺産に登録されており人々でにぎわっていました。西太后の居室を見てから絵画に彩られた回廊を進み中心まで進んで一休み、面前に広がる昆明湖は人造の湖で深いところは11メートルあると聞きました。振り返ると萬寿山、これも築山で見事な楼閣が山頂に立っていました。後世の私たちがこうして歴史文物としてこれらの史跡を見ることができるのは絶大な皇帝権力のなせる業なのかもしれないと思い、ふと西太后の顔を思い浮かべました。

 11月2日早朝、3日間お世話になった長富宮飯店を離れ、北京空港に向かいました。張孝萍部長、董丹丹さん、呉虞さんの熱心な心遣いと案内に感謝しお別れしました。

 中国帰国者のつどい 伊那路をバスツアー(10/22)

長野市と市日中友好協会、市帰国者の会で構成される長野市中国帰国者三者連絡会の主催による平成29年度長野市帰国者のつどいが10月22日実施されました。

今年は久々の南信地域として駒ケ根市の養命酒駒ケ根工場と伊那市のかんてんぱぱガーデンを訪れました。

当日はあいにくの雨となりましたが、82名の参加者がバス2台に分乗しての賑やかな交流会となりました。

朝8時頃長野市を出発し、途中松代PAで2台のバスが合流してここで開会式を行う予定でしたが、激しい雨のため開会式は駒ケ根に着いてからとされました。

10時過ぎには養命酒の駒ケ根工場に到着し、早速開会式が行われました。まず長野市生活支援課の上田哲夫課長が「長野市は市日中友好協会や帰国者の会と連携して帰国者の生活支援に取り組んでおり、その一環として帰国者のつどいを毎年実施している。楽しい交流会となるようよろしくお願いしたい」とあいさつしました。

続いて三者連絡会の金子繁三理事長が「大勢の帰国者の皆さんに参加いただいてありがとうございます。今年は久々の南信地域ということで昨年の安曇野に引き続いて伊那路を訪れた。充実した1日となるようにしてほしい」とあいさつしました。

また、来賓として出席した布施正幸県日中帰国者交流センター次長が「センターで学んだ帰国者1世の方が2世3世の皆さんとともに元気に参加されとことは大変嬉しい。帰国者の皆さんが安心して幸せな生活が送れるよう、今後とも関係機関と連携して頑張っていきたい」と述べました。

開会式の後、工場の担当者からビデオによる全体の紹介をしていただき、また養命酒の試飲をした後、製造ラインの案内をしていただきましたが、とても興味深いものでした。

見学終了後はショッピングを楽しんでから、駒ケ根インター近くの「ビアンデさくら亭」に移動し、昼食をとりました。

午後は、伊那市のかんてんぱぱガーデンを訪れましたが、大勢の観光客の皆さんに交じって、ショッピングなどを楽しんだ後、バスに分乗して帰路につきました。

かんてんぱぱガーデンで行う予定だった閉会式は、雨が降り続いていたため行わず、途中バスの中で柳沢春生会長から「来年もまた元気で会いましょう」とのあいさつがありました。

あいにくの天候でしたが、参加者の皆さんは皆元気にこのつどいを大いに楽しまれた様子で、大変有意義な交流会となりました。

 河北省農林科学院さくらサイエンス研修団来県、県試験場、信大農学部、JAで研修交流深める(10/15~21)

中国河北省農林科学院の孫風国・対外合作処処長を団長とする中国河北省農林科学院研修訪日団一行16名がさくらサイエンス交流事業(国立研究開発法人科学技術振興機構のさくら科学技術交流計画)の一環として10月15日~21日来日・来県しました。

一行は滞在中、県農政部や県農業試験場、信州大学農学部、JA長野中央会やJAグリーンながの、果樹農家などを訪れ視察・研修しました。日本の農業技術研究の現状と展望について研修することが主たる目的です。

 10月16日、県農政部を訪れた一行は、北原富裕農政部長から温かい歓迎を受けました。続いて担当者から長野県農業の紹介が行われました。午後には、須坂市の県農業試験場で上杉壽和場長らの歓迎を受け米の栽培育種などの講義を受けました。夜の歓迎会では、高波謙二会長や県農政部長、JA、日中友好協会等関係者から歓迎され楽しい交流のひと時をすごしました。孫団長は11年前、研修生を率いて来県したことがあり、長野県とは大変なじみの深い方です。

  翌17日は伊那の信州大学農学部を訪れ、終日、熱心に研修しました。田中清信州大学副学長や藤田智之農学部長はじめ関係の先生方から歓迎を受けるとともに、農学部の圃場を視察参観した後、4名の先生から、最先端研究の紹介をいただきました。

 18日は塩尻の県野菜花き試験場で視察研修しました。吉沢栄治場長らの歓迎を受けた後水耕栽培や紫外線照射など農薬をセイブして病害虫への耐性を高める研究がトマトやイチゴ、トルコキキョウ等の花き栽培に活かされている圃場を見ながら、次々に質問が出され、担当者から熱心に説明していただきました。
 
 JA長野中央会では、春日十三男専務や武重正史参事など関係者から歓迎を受け、JAの理念仕組みと事業の紹介をしていただきました。翌日はJAグリーン長野を訪問し、自動化された選果場や果樹農家の圃場なども視察しました。

 河北省の農業技術の向上と普及の中心的役割を果たしている農林科学院の若手研究者が長野県に大勢お出でいただいたことは長野県にとっても光栄なことで、行く先々で、関係者から熱い歓迎を受けました。孫団長の話では、河北省農林科学院には傘下に12の研究所があり、それぞれの研究所から選抜された若手研究者のポープとの事でした。熱心にメモを取り、質問する姿が印象に残りました。

 

日中国交正常化45周年を記念し講演と祝賀のつどいを開催(10/3)

 長野県日中友好協会・県日中経済交流促進協議会・県日中学術交流委員会は10月3日、日中国交正常化45周年を記念して講演と祝賀のつどいを長野市内のホテル犀北館で開きました。講演会には、150名が出席。NHK解説委員で元中国総局長の加藤青延(はるのぶ)先生を講師に迎え「2期目を迎える習近平体制と日中関係の今後」と題して記念講演が行われました。終了後、先生を囲んでパネルディスカッションがおこなわれました。長年中国の状況を取材し続けてきた加藤先生ならではのお話で、中国の現状に対する認識を深め、今後の日中関係の在り方を考える良い機会となりました。

 高波謙二・県日中友好協会会長が主催者を代表して「今から45年前、両国の法的戦争状態に終止符が打たれ国交正常化が実現し両国は平和的友好的に付き合っていくことを誓った。以来両国は様々な曲折はあったが、人事経済文化各分野の交流を大きく飛躍させ中国は日本にとって最大の貿易相手国となり、人事往来も850万人を超えた。この5年来、尖閣問題や歴史認識問題によって政治的には厳しい状況にあったが、一帯一路への参加の機運もあり改善の流れが出てきた。安倍総理は、先ごろの程永華大使主催の祝賀会の席上両国の関係改善に力を入れることを表明し、首脳交流に意欲を見せた。是非、国交正常化45周年と来年の平和友好条約40周年を日中関係前進の契機としていただきたいと願う。中国は19回党大会を控え、習近平体制が2期目を迎える。加藤青延(はるのぶ)先生を講師に迎え、現代中国への理解を深めながら、どのように新時代に適応した日中関係を築いていくか、をともに考えたい」とあいさつしました。

 来賓として阿部守一知事があいさつし、創立60年を経過した長野県日中友好協会の歩みを称えた後、「私も就任以来、友好協会の皆様の築いてきた友好関係の基礎の上に6回にわたり中国訪問を訪問し、顔の見える関係を築いてきた。唐家璇先生からも官民連携しての日中友好のイノベーションと評価いただいた。友好協会と協力して今後も友好交流を進めていきたい。2020年の東京オリンピックに向けて中国を相手国とするホストタウン交流事業、2022年の北京冬季オリンピック(スキー競技は河北省張家口しで実施)を長野五輪の経験を活かして支援協力し友好交流を深める事業、10月の河北省・北京友好訪問事業の3つを柱として友好を深めていきたいと考えているので、皆様のご協力ご支援をお願いしたい」と述べました。席上、阿部知事から友好協会あての感謝状が高波会長に手渡されました。出席者から温かい拍手が送られる中、高波会長が感謝の意を述べました。

 加藤先生は講演の中で、「反腐敗」、「一帯一路」や「中国の夢」の実現を掲げ、権力基盤を強固にしつつある習近平体制がどのように確立されていったかを3段階に区分して分かりやすく解説されました。第19回党大会をまじかに控え、党規約や、指導部人事などに関心が高まる中、大変興味深いお話でした。日中関係の展望については、本年の国交正常化45周年と来年の平和友好条約40周年のタイミングを活かしながら関係改善の方向に進展していくだろうと予測しました。

 講演後、加藤先生を囲んで立石昌広・県日中学術交流委員会事務局長(県短期大学教授)、寺沢秀文・満蒙開拓平和記念館専務理事をパネラーに、西堀正司・県日中理事長がコーディネーター役をつとめ、パネルディスカッションが行われました。参加者は熱心に耳を傾けました。

 第2部の祝賀パーティーでは、県日中学術交流委員会会長の濱田州博・信大学長が主催者あいさつを行いました。小松裕代議士(県卓球連盟会長)、村石正郎県議会日中友好促進議員連盟会長の祝辞の後、中島恵理副知事の音頭で乾杯しなごやかに懇談交流しました。

 折から白馬村のオリンピックジャンプ台で訓練中の中国ナショナルチームジャンプ訓練隊(団長:張冬生・中国冬季運動管理中心幹部一行16名)も参加し、盛んな拍手が送られました。一行は県日中スキー交流委員会の受け入れで10月1日から18日まで訓練中で、この皆さんの中からオリンピック出場選手が選ばれるそうです。長野県と中国とのスキー交流は1979年から県や県スキー連盟、県日中友好協会、関係7市町村のご協力のもと続いてきました。2022年の北京冬季オリンピックのスキー競技は長野県と友好県省を結んでいる河北省の張家口市で開かれます。

 中国語スピーチコンテスト長野県大会、日頃の学習成果を披露(9/30

9月30日、長野県日中友好協会ラジオ孔子学堂の主催による第35回中国語スピーチコンテスト長野県大会が開催され、高校生から80代の中国語学習者までの幅広い年齢層28人が出場しました。

朗読部門には高校生部門5人、大学生部門7人と一般部門11人が参加、課題文の中国の物語を発表し発音や表現力を競いました。

 弁論部門には5人が出場、自作文で中国語による内容や表現力を競いました。留学生をホームステイで受け入れ交流した体験等のテーマを取り上げ、積極性がある本格的な弁論発表となりました。

弁論の部で優勝した県短大の2年生の鞍田夏実さん(21)は、昨年8月までの1年間、中国の河北大学に留学した経験を踏まえて発表しました。現地で同世代の親しい友人ができたことから、「過去の歴史を次の世代に伝えるとともに、日中の若い世代が新しいつながりをつくっていくことを大切にしたい」と訴えました。

岩下隆審査委員長は朗読部門の出場者は、正確な発音を心がけていてよかった。弁論部門では、スピーチコンテストの回数を重ねるごとに、年々レベルが向上していると、評価しました。

 竹内勲長野ラジオ孔子学堂長は主催者あいさつの中で、日ごろの学習の成果を発揮するよう激励し、中国文化の原点というべき中国語の学習の輪が一層広がるよう期待していますと述べました。西堀正司県日中友好協会理事長、李妮県国際交流員、王秀閣中国国際放送局孔子学堂責任者等も出席し、中国語を学ぶ皆さんが日中両国の友好の懸け橋になっていただきたいと激励しました。また朗読の部に出場した大月良則さん(県国際担当部長)は中国語を学び友人と直接交流できるすばらしさを語り、引き続き中国語を学び、来年は入賞を目指したいと述べました。会場には出場者の友人や中国語学習仲間なども応援に駆けつけ拍手を送っていました。

 入賞者は次のとおりです。。
 弁論の部 一般部門 ①鞍田夏実 ②清水岳美 ③藤澤淳一 (努力賞) 清水浩
 朗読の部 高校生部門 ①久保田拓樹 ②松林菜緒 ③赤塩涼 
 朗読の部 大学生部門 ①半田聖蘭 ②藤森杏莉 ③小林温実  (敢闘賞) 町田春風
 朗読の部 一般部門 ①高橋信一 ②伊藤勝善 ③西原優子  (奨励賞) 横川正秀

 弁論の部で優勝した鞍田さんは大学生の部で、2位の清水さんは一般の部で来年1月の全国大会に県代表として推薦されました。入賞者にはトロフィーや楯が、また出場者全員に記念品として中国語学習教材が贈られました。

 故堀内巳次先生お別れの会開かれる(9/25)

 長野県日中友好協会第4代会長を務められ全国農協中央会会長、日中友好協会全国本部副会長を歴任された、堀内巳次先生が8月12日肺炎のため逝去されました。葬儀はすでに近親者により行われましたが、9月25日お別れの会が、ふるさと安曇野市の安曇野スイス村サンモリッツで関係者600人が出席して営まれました。

 雨宮勇JA長野中央会会長が実行委員会を代表してあいさつし、JA活動を至誠一貫の信条をもって率先指導されたことを紹介し、故人の冥福を祈りました。続いて中家徹全中会長、後藤茂之代議士、宮沢宗弘安曇野市長、高波謙二県日中友好協会会長、茂木守元JA全中会長がそれぞれの立場から、堀内先生の業績を讃えお別れのことばを述べました。祭壇に参列者が菊の花を献花し故人の在りし日の姿を思い浮かべながら冥福を祈りました。日中友好協会関係者も高波会長はじめ井出正一最高顧問、山根敏郎・中沢道保・清水えい子副会長ら多数が参列しました。

 高波会長は、お別れのあいさつの中で、長野オリンピックに中国友人を200名招待し、また希望小学校や緑化協力などに力を入れた貢献に触れ、日中友好に促進に、情熱をもって取り組んでこられたことに深く感謝しました。また中日友好協会から寄せられたお悔やみのメセージも紹介しました。

お別れのことば

故堀内巳次先生のお別れに際し、謹んでお別れのことばを申し上げます。

堀内先生の本業でありました農協運動における業績は、地元農協組合長・県農協会長・全国農協中央会会長を歴任されたことがすべてを物語っています。「至誠一貫」を信条とし深い洞察力と実行力に裏打ちされた先生であったればこそのご活躍であったと存じます。

先生のライフワークとなった日中友好につきましては、自身の戦争体験から、日本と中国は再び戦火を交えることがあってはならず、子々孫々にわたり友好的に付き合っていかねばならないとの信念のもと、中国との友好促進に情熱をもって尽力されました。「戦争への反省ができれば日本人は大国民になれる」との先生のことばがよみがえります。

先生は1994年、花岡堅而先生(元日本医師会会長)の後を継いで、第4代長野県日中友好協会会長に就任されました。私は、信州青年洋上セミナー実行委員会の責任者を務めていた関係で、県友好協会の副会長の1人としてお仕えしました。先生は長年にわたって培った卓越した力量を発揮され、日中友好と友好協会の発展に尽くされました。私は公私にわたりご指導いただいたことが懐かしく思い出されます。

数多くの友好所事業を先頭に立って推進されましたが、特に3つの事業が印象に残っております。

ご功績の1つは長野冬季オリンピックに中国友人を招く取り組みです。3000名の協力者による実行委員会を組織し、3年間1日10円貯金を実施し3000万円の資金をつくり200人の中国友人を招きました。長野オリンピック招致に協力してくれた中国に応えることができ中国でも大きな反響を呼びました。

2つ目には、中国河北省に4つの希望小学校を贈呈しました。当時中国はまだ農村地帯では教育環境が整っていない貧しい地区もあり、貧困地区の子供たちを支援する希望プロジェクトが提唱されていました。堀内先生は先頭に立って寄付を呼びかけ、またオリンピック国際協力基金の協力も得て、4校の希望小学校を寄贈することができました。教育者であり、農村の発展を願っていた先生は深く喜んでいました。

3つ目には、2000年からスタートした日中緑化協力に力を尽くされました。1年目は寄付をを呼びかけスタートしましたが、引き続いて国の日中緑化協力基金の助成を受け、この事業は現在も継続されております。河北省の石家庄市、保定市、邢台市で実施され、地元の緑化推進計画を後押しする役割を果たしました。植林された累計本数は150万本あまりに達しています。「日中同天、緑化協力」のスローガンの通り、日本と中国の空はつながっており日中緑化協力は環境保全の上でも、重要なテーマであります。

堀内先生は、また日中友好協会全国本部の副会長として当時の平山郁夫会長を支え、南京城壁修復事業はじめ全国的な課題にも積極的に協力し日中友好に熱心の県として長野県の名を高らしめました。

2003年には、中日友好協会(現在の会長は元国務委員、外務大臣の唐家璇先生)から長野県人として初の「友好之使者」の称号を授与されました。

先生のご逝去に対し、中日友好協会から県協会長あてお悔やみの弔電をいただきましたのでここにご披露させていただきます。

--貴協会元会長・最高顧問堀内巳次先生のご訃報に接し、悲しみに耐えません。堀内先生は心から平和を愛し、長年にわたり、友好運動を繰り広げ、両国民の相互理解の促進、とりわけ長野県日中友好協会と中国との友好関係のためにご尽力されました。堀内先生のご逝去は、中日友好事業にとって尊敬される先輩が失われたこととなり、痛恨の極みでございます。心より堀内先生のご冥福をお祈り申し上げるとともに、ご遺族の皆様が気を落とさずに、ご自愛なさいますよう心からお祈りいたします。--

 本年は日中国交正常化45周年にあたります。日中関係は徐々に明るさを取り戻しつつあります。一衣帯水の隣国中国とは深い絆で結ばれており、両国国民は英知をしぼって仲良く付き合っていくほかありません。私どもは、先生の日中友好の志を受け継ぎ、日中不再戦、平和友好協力のために力を尽くしていきたいと決意しております。

先生のご冥福を心よりお祈り申し上げお別れのことばとさせていただきます。(合掌)   

 第30回日中友好太極拳フェスティバル開催(9/24)
  県武術太極拳連盟は、9月24日、第30回県日中友好太極拳フェスティバルを長野市若里のビックハットで開催しました。県下各地から27団体、1,150人が参加し、日頃の練習の成果を発表しました。

桜井啓司会長が「日頃の練習の成果を発揮して有意義なフェスティバルにしてほしい」とあいさつしたあと、来賓として県日中友好協会の山田隆事務局次長が「協会と武術太極拳連盟は誕生のときから協力しあって歩んできており、太極拳を通じて日中友好の架け橋になっている皆さんに敬意を表したい。フェスティバルの成功を祈ります」と述べました。長野孔子学堂中国側責任者で中国国際放送局の王秀閣さんも取材に駆け付け、熱心に観戦していました。

フェスティバルは、まず参加者全員が基本の型「簡化24式太極拳」を演舞して開幕。1,150人の参加者が広い会場を埋め尽くし、壮観そのものでした。そのあとグループごとにそろいの衣装を着た参加者が、音楽に合わせて技を披露しました。それぞれ衣装や道具、音楽などに工夫を凝らし、会場から大きな拍手が送られていました。

また今年は30回目を記念し、全日本武術太極拳選手権大会の県代表選手らによる演武もありました。

  河北省から北京冬季オリンピック交流訪日団が来県(9/23~25)

 蘇岩・河北省北京冬季オリンピック弁公室副主任を団長とする河北省冬季オリンピック協力交流訪日団一行6名が9月23日から25日にかけて来県しました。長野県内、白馬村や志賀高原のオリンピック会場を視察するとともに北京オリンピックの協力などについて県やスキー連盟など関係者と意見交換しました。一行は、韓国の平昌、北海道の札幌を訪れた後、長野県入りしたものです。それぞれのオリンピック開催地の経験を学び、相互の協力交流を深めることが目的でした。団の通訳として、長野県としてなじみの深い河北省外事弁公室の紀竑さんが同行されました。

 休日であったにも関わらず、白馬村では、松沢忠明白馬村課長や福島信行北アルプス日中友好協会会長(元白馬村村長)、太谷陽一白馬スキークラブ会長らが出迎えていただきました。懇談の中で、オリンピックの際の用地買収や環境保護、財源確保、専門人材育成、気象変化に対する対応などの苦労話が披露され、その経験を踏まえて、現在外国人が一番多く訪れるスキー場になったことが紹介されました。またオリンピックに向けて、2年前にスキークラブを作ったこと、アジア大会とワールドカップの経験を積みオリンピック本番を迎えたこと、村の行政との連携、スキーの専門家の育成、施設をコントロールする人材養成など国際大会のノウハウを次世代につないでいく努力を続けてきたことなどが次々と紹介されました。

 蘇岩団長は「白馬がスキーに最適なところというのがよくわかりました。ジャンプ台も選手が練習していて人気のあるところという印象を受けた。張家口は大会経験が不足しているが、2020年、21年にはフリースタイルのテスト試合などを行う予定。ナショナルチームの訓練隊受け入れなどご協力をお願いしたい」と述べました。

 ジャンプ台やスキー場の視察中も、質問がなされ、熱心な姿が印象的でした。

 続いて訪れた志賀高原では、大回転コースを眼下に見ながら山ノ内町の湯本義則総務課課長補佐らから説明いただきました。シーズン中の観光客が600万人で大会開催などは会場確保の上で難しく、多くないこと等を説明いただきました。

 5時からの歓迎交流会には高波謙二県日中会長、大月良則県国際担当部長、河野博明県スキー連盟副会長はじめ県や関係町村責任者、スキー連盟や日中友好協会関係者ら27人が出席しました。歓迎会に先立っての交流座談会では、大月部長が長野冬季オリンピックの経験を紹介し、蘇団長が北京冬季オリンピック、スキー競技の準備状況を紹介しました。

 蘇団長は、インフラ整備は年内に38箇所が完成する予定で、北京ー張家口の高速鉄道も2019年開通目指して建設が進んでいて完成すれば50分で移動できる。北京との共同開催だが、大会終了後ウインタースポーツ分野で名声を博せるようにしていきたい。白馬や志賀高原の後利用の経験が参考になった。大会に向けては、コーチと選手の育成が課題となっている。人材の養成では重点的にはスキーの盛んな東北地区に送って育成を進めようとしていることなどが紹介されました。また河北省の目標としている4つの重点は、①自国選手が金メダルを取る、②運営が成功裏に終わる、③後利用の問題の解決、④スキーの普及であることも紹介されました。

 歓迎会は、平昌、東京、北京とアジアでのオリンピックが続く中で、その成功のため協力していくこと、メダルを目指して良きライバルとして切磋琢磨していくことを確認し合いながら、大いに盛り上がりました。
 第44回中国語夏期スクーリング、熱心に中国語を学ぶ(8/26~27)

 第44回長野孔子学堂中国語夏期スクーリングが8月26・28日の両日、長野ラジオ孔子学堂で開催されました。50名近い参加者は初級・中級・上級クラスに分かれ、中国人ベテラン教師の指導のもと2日間、中国語学習に励みました。

 開講式で竹内勲・孔子学堂学堂長は「目標をもって、中国語を学ぶことが大切と思う。2日間楽しく学び交流し中国語のレベルアップをはかっていただきたい」とあいさつしました。来賓として西堀正司・県日中理事長や岩下隆・県中国語を学ぶ会連絡会会長らが参加者を激励しました。

 全体で王秀閣・中国国際放送局日本語部アナウンサーより発音の指導を受けた後、クラス別授業に入りました。

 各クラスでは講師が事前に準備した教材を使って会話・発音・文法・作文など熱心に学ぶ姿が見受けられました。

 初級クラスでは顧淑鳳先生の指導で「起きてから寝るまで」生活の中で使う中国語を学びながら、発音や文法を熱心に学んでいました。中級クラスでは王秋菊先生の指導で実践会話形式を取り入れ、互いに質問しあいながら文法・発音をチェックし理解を深めるとともに、魯迅の「藤野先生」や蘇軾の詞なども取り上げられていました。レベルの幅が広いクラスでしたが、まんべんなく指名され熱心に授業に参加していました。上級クラスでは孫麗波先生の指導で老舎の「微神」をテキストに学習、皆さんのレベルは高く流暢な中国語が飛び交っていました。

 河北省から見えた県国際交流員李妮さんや石家庄市語学研修生の馬丹さん孫琪さんを交えての交流授業では、中国語と日本語を交えての自己紹介や中国語との出会いなどを発表しました。研修生に対しては出身地の状況や、日本に来て感じたことなど質問が飛び出し、有意義な交流授業となりました。

 夜の交流懇親会では西沢正夫中国語を学ぶ会会長が歓迎のあいさつ。続いて李妮さんが自身の日本語学習体験を交え中国語学習のコツを紹介し参加者を激励しました。帰国者日本語教室の関亜菊さんが民族服姿で中国の民族楽器フルスと横笛の演奏すると大きな拍手が寄せられました。クラスごとの歌の出し物が披露され、参加者の中国語との出会いが次々と発表されました。最後にじゃんけんゲームが行われあっという間に2時間が過ぎました。和やかな交流懇親会となりました。2日目の朝はラジオ体操、荒井綏さんの指導で太極拳で汗を流し、再び特訓が始まりました。

 閉校式では、布施正幸県日中事務局長が「講師の先生と受講生の皆さんの熱意と協力によって内容の濃いスクーリングとなった。9月30日には中国語スピーチコンテストが行われるので参加を。日中友好のために中国語を学び中国の友人をつくり、ゆっくりでも休まず学び続けて行きましょう」とあいさつしました。受講生代表は、「皆さんの熱意に新たな刺激を受け、楽しく学習できた。若い時の意気込みがよみがえってきた」「厳しさの中にやさしさがあり有意義な2日間だった」「ゆっくりでも休まず続けることが大切だと思った」などの感想を聞くことができました。

 本年は東京オリンピック・パラリンピックホストタウン認定事業の一環として取り組まれました。
 長野びんずる「日中友好連」で参加(8/5)

 第47回長野びんずる祭りが8月5日長野市の中心街でおこなわれ、長野市日中友好協会は「日中友好連」を組んで50人で参加しました。

 1万2千人の踊り手とともに昭和通りから新田町交差点に向かいました。日中友好の提燈を先頭に、友好協会会員と帰国者、実習生などが黄色い友好法被をまとってシャモジを打ち鳴らしながら熱心に汗だくになりながら、踊りました。

 「びんずる祭りはストレス解消にもなり毎年楽しみにしています」と喜んでいました。
 日中国交正常化45周年記念・日中友好都市中学生卓球交歓大会、67チームが参加し北京で開催(8/1~8)

日中国交正常化45周年を記念し、日中両国の中学生による卓球交歓大会が8月1日より8日まで中国北京市において開催されました。この大会は卓球交歓大会を通じて、両国の友好都市間の交流と友好関係を構築し、スポーツ界の交流発展を促進するために行われており、5年ごとに開催されています。

県下からは6チームが参加し、県チームが河北省と、長野市が石家庄市と、松本市が廊坊市と、須坂市が四平市と、上田市が寧波市と、飯山市が深釧市福田区とそれぞれ友好都市で合同チームを組んで大会に出場しました。

最初の3日間(飯山市は相手の都合により後の3日間)はそれぞれの友好都市を訪問し友好を深めると同時に、日中双方の選手役員が合同練習を行ってお互い心を一つにして試合に臨みました。

1日目、長野市チームは友好都市の石家庄市に行き、ホテル内の宴会場において石家庄市外事弁公室の欒主任以下職員皆さんの熱烈歓迎を受け、双方の選手役員団が参加し、盛大な歓迎会をやっていただき感謝の念で一杯でありました。石家庄市の皆さんとは5月にも緑化事業で訪れた折にお会いしており会は大変に盛り上がり、緊密な交流ができ友好を一層深めることが出来ました。

2日目は、練習を行いました。隣の正定県にある卓球訓練基地に向かいました。国家の訓練基地となっており規模はものすごく大きく卓球台も40台ほど置かれていてびっくりしました。又、そこには併設して卓球の実験学校や卓球博物館も設置されています。練習は長野県チームと一緒に行いました。中国選手は体も大きく体格面、卓球の技術においてレベルはかなり高く感じられました。日中選手が和やかにしかも真剣に練習。言葉の違いを乗り越えて、本当に溶け込んだ交流ができ試合に臨む体制ができました。

3日目には高速鉄道にて北京に向かい、宿舎の北京会議センターに入りました。全国の選手役員が一堂に会して4日目からの大会に臨む準備をしました。

4日目は北京オリンピック記念体育館で、開幕式が行われ全国67チームの選手、役員並びに日中双方の来賓が出席し盛大に行われました。午後には練習を行い明日からの本番に備えて選手のみなさんは真剣な練習を行ないました。

5日目には、いよいよ試合が始まり、参加67チームが4つのブロックに分かれて予選が行われました。各ブロック4から5チームがリーグ戦で試合を行い、勝ち抜いた2チームが準々決勝に進むことになります。長野市チームは3戦し全勝したため第1位となり、第2位の東京都目黒区チームとともに準々決勝に進むことになりました。

6日目は、準々決勝と、準決勝、決勝が行われましたが、予選で敗れた約半数のチームは市内参観となりました。準々決勝と準決勝、決勝は4ブロクごとにトーナメント方式で行われました。

長野市・石家庄市チームは準々決勝では岐阜県・杭州市チームと当たり4勝1敗で勝ち、準決勝では福岡県・広州市チームと当たり3勝2敗で決勝戦に進むことができました。決勝戦では強豪の長崎県・上海市と当り2勝3敗で惜しくも敗退しましたが日中双方の選手はよく頑張ったと思います。健闘をたたえたいと思います。試合終了後表彰式が行われましたが、戦い終えて皆さんさわやかな友好大会にふさわしい和やかなムードの中で大会の幕を閉じることができました。

7日目は、全員で万里の長城を視察し雄大な景色と共に悠久の歴史の重みを感じながらに帰路につきました。夜は記念宴会が盛大に開催され、会場の中は熱気に溢れあちこちで友好を深め名残惜しそうな姿が見られ印象的でした。皆さん大変満足そうでした。

8日目は帰国。早朝ホテルをバスで出発し北京空港から帰国の途につきました。この8日間はハードスケジュールでしたが、天候に恵まれ何よりも事故や病気になる者もなく帰れたことは良かったと思っております。

最後に、今回の訪中に当たり、ご支援、応援いただきました自治体の皆様、卓球協会の皆様、日中友好協会の皆様、ご家族の皆様等関係の皆様方に心から感謝申し上げたいと思います。
(長野市日中友好協会理事長 金子繁三)

中国留学生29人が信州で第27次ホームステイ(7/25~27)

 県日中友好協会は(公財)日中友好会館・後楽寮が派遣する中国留学生29人を7月25日から27日まで信濃町・飯綱・小布施・須坂・上田・軽井沢・佐久・諏訪・岡谷・飯田など10地区協会で受け入れました。2泊3日のホームステイで本年で27年目になります。

 25日長野駅に降り立った9名の留学生は、関係地区の皆さんの出迎えをうけました。長野オリンピック・エンブレムの前で、対面歓迎式を行い受入れホスト家庭の皆さんとお互いに紹介しあい全員で記念撮影した後、各地に出発して行きました。

 留学生の皆さんは、地区協会主催の歓迎交流会や市町村長表敬懇談、地域の名所や施設などの参観、ホスト家庭での語らいなど有意義な3日間を過ごし、楽しい思い出をいっぱいにして再び長野駅に集合しました。受入れホスト家庭の皆さんと名残を惜しんで新幹線に乗り込みました。 
 

第52回日中友好キャンプ、友好王国in安曇野須砂渡キャンプ場(7/22・23)

長野県日中友好協会青年委員会(清澤浩明委員長)と女性委員会(宮沢信代委員長)は7月22・23日安曇野須砂渡キャンプ場にて第52回日中友好キャンプを開催しました。国際放送局アナウンサー、国際交流員、研修員、中国帰国者、友好協会会員メンバーなど60名が参加し、楽しい2日間を過ごしました。

 須砂渡キャンプ場は安曇野の常念岳の登り口にあり四季の郷などに隣接した立地で過ごしやすいキャンプ場です。

 開会式で宮沢信代委員長(女王)が、「52回目を迎えた友好キャンプを参加者が協力して友好交流の2日間とし楽しく盛り上げましょう」とあいさつしました。安曇野市の橋渡勝也教育長、県日中友好協会の西堀正司理事長、県華僑総会の王昌勝会長、安曇野市日中友好協会の中村治幸事務局長からあいさつをいただきました。

 赤、青、黄、桃、白色のバンダナを目印に5つの班に分かれて活動が始まりました。テント張りでねぐらを確保した後、隣接するマレットゴルフ場でマレットゴルフをを楽しみました。斜面を利用したコースに悪戦苦闘したり助けられたりしながら、楽しく交流しました。続いて夕食準備にかかります。炭火おこしに苦労しながらも、焼肉バーベキューの準備が整ったところで乾杯!大自然の中で大勢で交流しながらの焼肉、焼きそばの味は格別でした。夜のとばりが下りるころキャンプファイヤーが始まります。子供たちがたいまつで点火式、燃えろよ燃えろよ炎よ燃えろ~暗闇に真っ赤なファイヤーが立ち上り、ジェンカ、、マイムマイム、松本ボンボンと次々に踊りが続きました。最後は花火で締めくくり。コテージでは遅くまで語らいが続きました。また、四季の郷のご協力もいただき、温泉にも入ることができました。

 翌朝は6時起床。小雨模様の天気に青年委員会メンバーの活躍で、ブルーシートの雨よけテントが、次々に張られ、各班の活動スペースが確保されたところで、カレー作りに励みました。各班それぞれの味自慢のカレーをおいしく食べ、後片付けの後、流しソーメンの仕掛けづくり。太い孟宗竹を半分に割りつなぎ合わせて6mの樋をつくりました。同時進行で、焼きおにぎりづくりも行われ、懐かしい味を体験しました。さていよいよ流しソーメンタイムです。女性委員会の皆さんが手際良くゆであげたソーメンを流すと、子供も大人も歓声をあげて大喜び箸が出ます。充分堪能した後、羽田の甘いスイカがふるまわれました。

 閉会式で、清澤女性委員長(国王)は、「皆さんの協力で楽しい2日間となりました。今回のキャンプで育まれた、友情を大切に今後の活動に活かして行きましょう。来年はもっと多くの若い人の参加を実現しましょう」とあいさつしました。「初めてのキャンプでしたが、本当に楽しいかったです。また来年も参加したいです」と感想を述べていました。

 北京での日中友好都市中学生卓球大会に向け研修・壮行会(7/17)

 日中国交正常化45周年を記念して、北京で8月3日から8日に開く「日中友好交流都市中学生卓球交歓大会」に県内から参加する中学生らの事前研修会と壮行会が7月17日、長野市内のホテル信濃路で開かれました。県や5市および県卓球連盟、県日中友好協会などの関係者ら45名が出席しました。

 大会には、中国と友好都市関係を結ぶ全国各地の67の自治体の中学生が参加。県内からは県および長野、松本、上田、須坂、飯山の5市から6チーム(選手2名、監督および役員)が参加します。

 事前研修会では、卓球大会の趣旨と概要、中国事情と訪中準備についての説明がされ、県連合団の役員が選ばれました。

 壮行会では、内山充栄県教育委員会スポーツ課長が日中国交正常化の扉を開いたピンポン外交を記念して5年ごとに開催されてきた友好都市卓球交歓大会の意義に触れ、友好交流を深め日ごろの練習成果を発揮してほしいなどと激励しました。長野県連合団団長の西堀正司県日中友好協会理事長は「優秀な選手の皆さんとともに日中友好と試合に頑張って来たい」とあいさつ。続いて、12名の選手が紹介され一人一人から元気な決意が語られました。県選出チームの佐久市野沢中3年、竹内智一さん(14)は「目標は全勝。中国の強い選手からアドバイスももらいたい」。松本市チームの鎌田中3年、中村桃佳さん(14)は「日中関係には苦い過去があったけれど、これからは私たち世代が仲良くしていきたい」と抱負を語りました。

 なお長野県の6チームは8月1日に出発し、それぞれの友好都市を2泊3日の予定で訪問、関係者と交流し合同練習などを行なって3日北京に集結することとなっています。(飯山市チームは大会終了後友好都市を訪問することとなっています。)
 県日中女性委員会、上田で第42回定期総会開く(6/11)

 県日中友好協会女性委員会は6月11日、第41回定期総会を上田市のホテル祥園で開きました。恒例の持ち回り総会には地元上田市をはじめ県内から女性委員会のメンバーや来賓など60名が参加する盛会となりました。国交正常化45周年にあたり日中友好女性フォーラム、東京オリンピックホストタウン事業などを女性の立場から盛り上げていくことを決めました。母袋創一上田市長の記念講演や紙芝居もあり楽しい有意義な総会となりました。

 宮沢信代委員長は地元上田日中友好協会の協力に感謝した後、「県女性委員会は全国からも注目される活動を展開してきました。11月には日中女性フォーラムが中国婦女連代表を迎えて東京で開かれるが会議の後長野県を訪れる計画があり実行委員会を作り熱烈歓迎したい。中国を相手国とする東京オリンピックパラリンピックホストタウン事業にも、県日中、県国際課と協力していろいろな材料を考え各地区で取り組んでいきたい。平和のために大切な友好を進めていきましょう」とあいさつしました。

 高波謙二県日中友好協会会長、清水えい子女性委員会顧問、西堀正司県日中理事長、石崎琢哉県日中青年委員長らが日ごろの女性委員会の活躍に感謝し、エールを送りました。

 総会では16年度の活動報告や決算報告を承認した後、17年度の活動方針と予算が採択されました。

 第2部の記念講演では母袋創一上田市長が日中両国を取り巻く国際情勢を俯瞰したうえで、寧波市との友好交流や東京オリンピックホストタウンに名乗りを上げたこと、スポーツと文化の融合を目指していることなどを紹介し、真田丸で沸いた上田市のPRに先頭に立って活躍するお話に耳を傾けました。「映画出演8回」、歌手を夢見たこともあるとの自己紹介に親しみのこもった大きな拍手が沸きました。また女性グループの紙芝居「真田三代女人衆」も大好評でした。

 第3部の交流懇親会では母袋市長が「高校三年生」を披露すると、会場全体が唱和熱気にあふれました。上田の皆さんの指導で真田桜の大きな踊りの輪ができました。大変楽しい交流会となりました。最後に、来年の開催地の松本日中女性委員会に県女性委員会の旗がバトンタッチされました。
 

国交正常化45周年記念・長野県日中友好訪中団、北京、河北訪問(5/23~28)

長野県日中友好協会は日中国交正常化45周を記念して5月23日から28日、山根敏郎副会長を団長とする長野県日中友好協会訪中団を派遣しました。訪中団には15名が参加し、北京、河北省などを友好訪問し、熱烈歓迎を受け、思い出深い友好の旅となりました。

<中国国際放送局を訪問、インタビューを受ける>
 5月24日午前、中国国際放送局に到着すると、長野となじみの深い劉非さんと王小燕さんがにこやかに出迎えてくれました。お二人にご案内いただき、立派に成長した長野中国語学ぶ会が苗木を贈呈した友誼の桜をバックに記念撮影し、日本語部のオフィスを参観させていただきました。皆様の熱心な仕事ぶりを垣間見ることができました。続いて、王丹丹部長のあたたかい歓迎ごあいさつをいただきました。小燕さんのインタビューには皆さん緊張しながらも一生懸命答えていました。(CRIのホームページで団の貴局訪問の記事を見、ネットラジオでインタビューの番組を聞くことができます。立派に編集されていて、団員の皆さんも大喜びです。)

<中日友好協会の袁敏道秘書長と再会、歓迎昼食会>
 続いて中日友好協会を表敬訪問し、袁敏道秘書長と再会、昼食会のおもてなしをいただきました。長野訪問の思い出話しに花が咲き、日中友好のこれからについて語り合うことができました。袁秘書長は孫平化先生と長野県を訪問されて以来長野県との友情を大切にしていただいておられ、長野県にも大勢の友人がいます。昨年9月には、唐家璇会長とともに長野を訪問され、友好座談会や歓迎交流会に参加されました。国交正常化45周年にあたり日中友好都市中学生卓球交歓大会の成功や、秋の阿部知事を団長とする日中友好県民の翼派遣受け入れにご協力いただきたいとお願いしました。緑化協力と冬季オリンピック支援交流についても意見交換することができました。日中関係が厳しさの中に明るさも見えてきた中で、今後とも協力連携して地方民間交流を進めていきたいと固い握手をしてお別れしました。

<河北省で心温まる歓迎、山根会長が栄誉証書をいただく>
 北京西駅から15:23初の高速鉄道G521に乗って、河北省の省都石家庄市に向かいます。1時間25分余りで時間通り到着。河北省では省政府外事弁公室主任で、省人民対外友好協会会長の劉暁軍先生、省外弁アジアアフリカ処の梁国輝処長らから心のこもった歓迎を受けました。
 
 劉先生は、会見の中で、「昨年は、長野県日中友好協会の60周年をともに祝いました。河北省と長野県は友好提携以来大きな成果を収め人民対外友好協会から表彰されました。重要な成果は長野県日中友好協会の皆様の努力のたまものであり河北省人民は忘れません。易県での緑化協力の際は私も参加しよく覚えています。張家口で冬季オリンピックが開かれますが、スキー板の贈呈やスキー競技の開催にあたっての長野県の支援を忘れません。また多くの農業、工業、環境、医学などの研修生がお世話になり、私も松本の信大に留学中大変お世話になりました。先ごろ一帯一路国際協力サミットフォーラムが開かれ二階先生も参加されました。素晴らしいチャンスが訪れると思います。2022年の冬季オリンピックに対し、阿部知事は張慶偉省長に長野オリンピックの経験をもとに協力支援を約束されました。最近習近平主席は新たに「雄安新区」を建設する構想を発表しました。世界の一流レベルで建設される新区です。新区は河北省内に建設されるので、河北省にとって千載一隅のチャンスです。30年余りの交流の中でたくさんの成果をあげました。さらに多くの成果をあげられるよう希望しています」とあいさつされました。続いて劉先生から山根敏郎団長に長年の友好交流への貢献に対し栄誉証書を授与いただきました。
 山根団長は栄誉証書をいただいたことに感動し、「齢まもなく90歳になるが、これを励みに、生涯日中友好に尽くしたい」と述べあたたかい歓迎に謝意を表しました。2000年から緑化協力に励んできたことをこのような形で評価いただいたことは、本人も望外の喜びであり、県協会にとっても光栄なことでした。長年の友人の皆様と親しく交流でき良い思い出となりました。「北国の春」「ふるさと」「大海啊、故郷(海はふるさと)」をお礼に歌った団員と一緒に劉先生も加わっていただき歓迎会は大変盛り上がりました。
 また、翌日には、山根団長が長野市日中友好協会の会長ということで欒建英石家庄市の外事弁公室主任が歓迎宴を開催していただきました。昨年、石家庄市長さんや中学生訪日団、語学研修生を迎えて開かれた歓迎会の情景ががよみがえり、思い出深いものとなりました。

<内丘県で緑化協力>
 5月25日、韓隷東さんの案内で専用バスに乗り、高速道路で邢台市内丘県に向かいました。内丘県緑化協力地での記念植樹では、邢台市の馮智勇市外弁常務副主任や裴雅鋒市外弁副主任や県政府の皆さんが参加されて一緒に100本の側柏を植えました。活着と成長を祈ってたっぷりと水をくれました。近くのアンズ畑に案内され、熟したアンズをいただきました。王彪副県長主催の歓迎宴を催していただきました。内丘県での緑化協力は日中緑化交流基金の助成を得て実施されてきたもので、本年で5年目を迎えています。山根団長は、緑化協力の思いを語り、内丘県の発展を期待してあいさつしました。団員の山口昌昭千曲市日中友好協会理事長は裴さんたちの案内で友好交流を進めてきた巨鹿県を訪問しました。手厚い歓迎を受けたそうです。千曲市と巨鹿県の友好関係が前進していくことを願っております。

<張家口、冬季五輪スキー競技会場の整備進む>
 5月26日、石家庄市郊外の正定県にある石家庄国際空港から張家口に向かいました。12:15発のHU7123便で一時間ほどで張家口に到着。張家口市は人口約500万人河北省の西北、モンゴル高原から華北平原、北京に通じる要衝に位置しています。発展ぶりを随所で目にすることができました。特に、2022年の冬季オリンピックのスキー会場が同市崇礼区に決まって以降は一段と発展が加速しているとみられます。万里の長城の大境関を案内いただいた後、李宏副市長主催の歓迎会を開いていただきました。長野冬季オリンピックを開催した、長野県白馬などとの交流を深め、立派にオリンピックを成功させていきたいとあいさつ。昨年12月に来県された青少年オリンピック学校の校長さんとも今後の交流について意見交換することができました。
 5月27日には太舞滑雪場、万龍滑雪場などを参観させていただきました。太舞は新しいスキー場ですが準備が順調に進んでいる様子を実際に見ることができました。高速道路と崇礼区の中心市街地は一大変化を遂げています。数年後には高速鉄道も開通し北京とは1時間ほどで結ばれることになるそうです。オリンピックをチャンスとして、一大リゾート地を建設しているように見えました。

 一行は、孟祥龍さんの案内で高速道路を一路北京に向かいました。北京での最後の晩餐会には河北省外事弁公室の紀竑さんと国際放送局の劉非さんが同席してなごやかで有意義なひと時を過ごすことができました。

 長野県日中友好協会訪中団、CRIを訪問(5/24)

 中日国交正常化45周年記念・緑化協力「長野県日中友好協会訪中団」一行13人が24日、CRI日本語部(北京放送)を訪れました。一行は王丹丹部長の出迎えを受けたあと、部員との交流会に出席しました。

 今回訪問団の団長は長野市日中友好協会会長でもある、長野県日中友好協会の山根敏郎副会長(89歳)です。今回で72回目の中国訪問になる山根さんはCRIのインタビューに対し、「日中の友好交流は多くの縁の下の力持ちにより支えられている。中国にいて交流を支えている皆さんに惹かれて今年もやってきた。日本文化の骨格は中国によって育てられ、その恩義に対し応えなければいけない。生きている限り、日中友好のために働き、それを天国へのお土産にしたいと思う」と話しました。

 CRIと長野県の友好交流は長い歴史があります。CRIの庭には、1996年、長野県「中国語を学ぶ会」から新局舎落成記念に贈呈された桜の染井吉野が約20本植えられています。また、長野県日中友好協会との提携でラジオ孔子学堂も共同運営しています。


桜の木をバックに記念写真


CRI1階ロビーでの記念撮影


訪問団の布施正幸秘書長から最新資料集『虹の架け橋』を受け取る王丹丹部長

 なお、長野県日中友好協会は2000年から、毎年緑化協力の訪中団を派遣し、友好省県提携関係にある河北省を訪問しています。今回の団員は長野市日中友好協会、千曲市日中友好協会、飯山日中友好協会、飯田日中友好協会の関係者15人からなり、23日から28日にかけて北京、石家庄、内丘県、張家口などを訪問します。(王小燕、劉非)  * 中国国際放送局ホームページより

  国交正常化45周年記念事業と友好交流の再活性化を決定、県日中友好協会定期大会(5/15)

 長野県日中友好協会は5月15日、第55回2017年度定期大会を長野市内のホテル国際21で開きました。県内各地から145人が出席して、日中国交正常化45周年に当たり、8月に北京で開かれる「日中友好都市中学生卓球交歓大会」参加や中国を相手国とする東京五輪ホストタウン事業の取り組み、県民の翼派遣実現に向けての取り組みを柱に、官民提携して日中交流の再活性化を図るなどの新年度の活動方針を決定しました。第2部祝賀パーティーには中国大使館から郭燕公使も出席され激励をいただきました。

 石﨑琢哉・県青年委員長の司会で大会第1部がスタート。「永久の友情を」を県日中女性委員会のリードで全員で斉唱した後、山根敏郎・副会長の開会あいさつに続いて、成沢捨也副会長をはじめとした物故された先輩の皆様に黙祷を捧げました。
 
 高波会長は、「日中関係は領土問題、歴史認識問題など複雑な問題を抱えながら、一進一退を繰り返してきたが、徐々に明るさも見えてきた。中国人観光客は昨年約640万人に達し、また中国での対日感情の好転も見られ、地方民間交流の進展、国レベルの学生交流も頻度を増している。 昨年は長野県協会創立60周年にあたり、祝賀大会や記念誌発刊など一連の記念事業を皆様のご協力をいただき成功裡に行うことができた。更に唐家璇中日友好協会長の来県、天皇皇后両陛下の満蒙開拓平和記念館ご訪問は大きな喜びだった。 本年は中国を相手国とする東京オリンピック・パラリンピックホストタウン事業が具体的に始まり、各地区協会で大小さまざまな行事・イベントを実施していただき日中友好の発展につなげたい。8月には北京で日中友好都市中学生卓球交歓大会が県内からも6チームが参加して開かれ、秋には「日中友好県民の翼」の実現が期待される。交流なくして友好なしを合言葉に、日中国交正常化45周年の今年を飛躍の年にしたい 」と述べました。

 続いて、中島恵理副知事は、昨年の県協会60周年記念事業に触れ、長年の県日中友好協会のご労苦に県として深く感謝申し上げたいと述べ、「友好協会の皆様のご尽力の積み重ねの上に長野県と河北省の友好提携も実現した。阿部知事も就任以来6回にわたり訪中し、河北省長や程永華中国大使はじめ関係者との交流を通じて相互信頼関係を深め、医療、環境、冬季スポーツ、観光などの分野で交流をすすめてきた。昨年は唐家璇中日友好協会長に長野にお越しいただいた。県日中友好協会の築いた基盤の上に長野県は全国のフロントランナーとしての役割を今後も果たしていきたい。2020年の東京五輪ホストタウン事業を推進するとともに、2020年の冬季五輪(スキーは張家口市)の全面支援のため豊富な人材を有する長野県として協力していきたい。県協会の一層の活躍を期待しています」とあたたかい激励をいただきました。

 議長に斎藤憲(飯田)・松原京子(長野)の両氏、大会運営委員長に金子繁三・副理事長、大会書記に長澤保・山崎始の両氏、議事録署名人に茂木博・若月幸子の両氏を選出して議事に入りました。

2016年度の活動報告(布施正幸事務局長)、決算報告(市川淳子会計理事代理)、会計監査報告(小栁邦義監事)を承認した後、2017年度の活動方針(西堀正司理事長)、予算(竹内勲財政委員長)を採択しました。

本年度の活動方針では、日中国交正常化45周年記念の3大事業を柱として、県協会訪中団の派遣、緑化協力プロジェクトの推進、中国留学生ホームステイ受入れなどにとりくみ、これらの活動を通じて、友好交流の再活性化、日中の相互信頼回復に力を入れて行くことを決定しました。


 意見発表では宮沢信代・県女性委員長が東京五輪ホストタウン事業として水餃子作りと指導者養成講座の報告を行い、これら身近でできる取り組みを全県に広げていきましょうとよびかけました。また寺沢秀文・満蒙開拓平和記念館副館長が開館以来12万人が訪れ、昨年11月には天皇皇后両陛下が来館され関係者と懇談されたことなどを報告、今後とも満蒙開拓の悲劇を被害と加害の両面から紹介し平和を発信していきたいと述べました。

 続いて、「国交正常化45周年を迎え、日中共同声明の原点に返り、日中不再戦・覇権反対・平和友好のために、あらゆる分野の心ある人々は連携して粘り強く歩んで行きましょう」との大会宣言(田村薫・県女性委員会委員)と大会スローガン(西村源・県青年委員会顧問)が採択されました。

 清水可晴・副会長の閉会あいさつで第1部は終了しました。

 第2部の祝賀パーティーでは、来賓として出席された郭燕公使が、日ごろの県協会の友好活動を称えるとともに、この間、長野県が協会のサポートを得て、地方交流を積極的に進めてきたことを高く評価しました。また「中日関係についてはいくつかの複雑で敏感な問題が存在しているが、全体的には改善に向かっている。長野県日中友好協会が引き続き、両国の関係の一層の発展緒ために貢献されることを期待します」と述べました。

 また、小松裕・木内均・井出庸生(代)・務台俊介(代)衆議院議員、若林健太前参議院議員、村石正郎・県日中友好促進議員連盟会長、濱田州博・信州大学学長、足立正則・飯山市長、諏訪光昭・今井正子・埋橋茂人・堀場秀孝・荒井武志県議、王昌勝県華僑総会会長、大月良則・県国際担当部長らから激励のご祝辞をいただきました。

 会場ではなごやかな交流が行われました。

 来賓として、張天曄書記官、西澤奈緒樹・県国際課長、青木英明・県国際課課長補佐、、李妮県国際交流員(河北省)、戸谷昌秀・長野市国際室長、松沢忠明・白馬村スポーツ課長、犛山典生・県経営者協会事務局長、岡村重信・県経協プロフェッショナル人材戦略拠点事務局長、井出康弘・県中小企業団体中央会事務局長、中村英雄・県商工会連合会専務理事、岩﨑弘・県信用保証協会会長、西牧研治・JA長野中央会地域企画課管理役、中村賢二・信濃毎日新聞社総務局長、酒井康成・松本歯科大学学事室室長、星沢重幸・部落解放同盟県連委員長、河野博明・県スキー連盟副会長、桜井啓司・県武術太極拳連盟会長、小松朝韻・小林佑一郎・木田健二郎参与らも出席され激励いただきました。

 東京五輪ホストタウン指導者養成講座、餃子づくりと研修交流(4/27)

 4月27日長野市ふれあい福祉センターに於いて、「東京オリンピック・パラリンピックホストタウン指導者養成講座・餃子作り&研修が行われ県日中女性委員会メンバーはじめ59人で楽しく、美味しく、賑やかに昼のひとときを過ごすことが出来ました。

 早朝より、中国帰国者や中国人女性などが講師となり、水餃子と酸辣湯(スープ)、南瓜餅づくりに励みました。餃子の皮作りから指導。慣れた手つきで綿棒で皮を伸ばし、刻んだキャベツやニラ、エビを包みました。南瓜餅は県国際交流員の李妮さんが作り方を指導し、国際放送局孔子学堂の王秀閣さんも各調理台を回ってアドバイスしました。2時間余りにわたる奮闘によって、59人分の水餃子などが完成しました。テレビ局のカメラも入って調理室は熱気にあふれていました。

 隣接の会場に出来上がったばかりの水餃子や南瓜餅、酸辣湯を並べて、第2部の交流研修会が始まりました。宮沢信代県日中女性委員長のあいさつに続いて、早速おいしい本場仕込みの水餃子を味わいました。「美味しいー」「ハオチィー」と舌鼓をうち、1人当たり10数個ずつ作った水餃子もどんどんおなかの中に吸い込まれていきました。

 おなかも落ち着いたところで、高波謙二県日中友好協会会長(県ホストタウン実行委員会会長)が中国を相手国とする東京五輪ホストタウンに長野県が全国で唯一認められたことを紹介し、今回の取り組みがそのスタートを切ることになったと参加者を激励しました。

 続いて大月良則県国際担当部長より講演がおこなわれました。大月部長は、長野県が東京オリンピック・パラリンピックで中国を相手国とするホストタウンとなった経過と取り組みの意義をわかりやすく解説した後、「2020年の東京五輪更に、2022年の北京冬季五輪(スキー競技は長野県と友好提携している河北省の張家口市で開催)までを視野に入れ、中国とのスポーツ文化の交流を柱に更に民間交流と友好を深めていきたい」と述べました。

 東京オリンピック・パラリンピックホストタウン事業はいろいろな形でこれから実施されていきます。今度は、みなさんの市で、あなたの町で村で、開催されていきます。日中友好と東京オリンピック・パラリンピックを応援してください。

日中友好中学生卓球大会(8月北京)に向け、実行委員会が発足(4/17)

 日中国交正常化45周年を記念し北京で8月3~8日に開催される「日中友好交流都市中学生卓球交歓大会」に向け、県内の関係機関で作る実行委員会が4月17日発足しました。大会には中国と友好都市関係にある日本各地の自治体の中学生が参加します。県内からは長野、松本、上田、須坂、飯山の5市と県選出の男女計12人の中学生が友好関係にある都市の選手と合同チームを組み他の合同チームと対戦することになっています。県内の各チームは北京大会に先立って、河北省や石家荘市、廊坊市、寧波市、四平市、深圳市などを訪問し、合同練習や交流を行なう予定です。自治体や卓球協会、日中友好協会関係者も同行することになっています。

 同日、長野市内のホテル信濃路で開いた設立会議には県と5市、卓球連盟、友好協会、信濃毎日新聞社などから28人が出席、規約や予算、役員を承認しました。県スポーツ課の内山充栄課長、県卓球連盟の武井富美男理事長、県日中友好協会の西堀正司理事長、のがあいさつし、「交正常化45周年という節目の事業。日中関係の扉を開いた卓球交流を通じて友好を深めたい。全国と足並みをそろえて成功に向け取り組んで行きたい」と述べました。実行委員会の名誉会長に小松裕県卓球連盟会長、会長に高波謙二県日中友好協会会長が選出されました。

 日中友好都市卓球交歓大会は5年ごとに、開かれてきました。2002年には中学生、07年には小学生、12年には中学生が北京につどい交流しました。
  第22回県日中友好都市交流会議、「国交正常化45周年の年、地方交流を前へ」(3/9)

 3月9日、県日中友好センターにおいて第22回日中友好都市交流会議が開かれました。県国際担当部長と県日中友好協会会長の連名で呼びかけたもので、県、県協会及び7市2町から国際交流担当者と日中友好協会役員25名が出席してそれぞれの友好都市交流の現状を報告し、意見交換を行いました。

 冒頭のあいさつで、高波謙二・県日中友好協会会長は、日頃の日中友好促進に敬意を表し、県内では県及び6市3町1村が中国と友好都市或いは友好交流都市関係を締結し、様々な交流が進められていることに触れたのち、「両国関係は領土問題など困難な面もあるが、来日観光客の大幅な増加や青少年交流の再開など明るいニュースもある。一衣帯水の隣国として文化・経済はじめ360を超える友好都市関係など深い絆で結ばれている両国は仲良く付き合っていきたい。長野県でも河北省との交流はじめ、関係市町と連携しての中国を相手国とする東京オリンピック・パラリンピックホストタウン事業など全国に誇れる事業に取り組んでいる。本年は国交正常化から45周年の節目の年。記念事業として8月には北京で日中友好都市中学生卓球交歓大会が開催され、長野県からは県はじめ6チームが参加の予定。歴史を顧み、日中の平和と友好の重要性に思いをいたし、地方交流を進めていきたい」と語りました。

 また、大月良則・県国際担当部長は「今年は日中国交正常化45周年の節目の年。長野県に日中友好協会が1956年に設立され、1983年には長野県と河北省の友好県省締結が行われ各分野の交流が進められてきた。昨年12月、長野県は関係の市町村とともに中国を相手国とする東京五輪ホストタウンを申請し内閣府の承認を得た。2020年の東京五輪さらに、22年の北京冬季五輪まで展望して、スポーツ文化等幅広い交流事業を進めていきたい」と述べました。

 続いて報告が行われました。

―県では、昨年12月の知事の訪中、青少年派遣、研修員の受入れと派遣などが行われた。新年度は河北省との青少年10名の相互受入れ、2名の研修員の受入れ、3名の研修員の派遣、国際交流員の招致、ホストタウン交流事業、卓球交歓大会等を計画している。

―県協会では、昨年創立60周年にあたり記念祝賀大会や記念誌の発行など記念事業に取り組むとともに、中日友好協会の唐家璇会長の来県を県とともに歓迎した。本年、国交正常化45周年記念事業として緑化協力友好訪中団の派遣、友好都市中学生卓球交歓大会への参加、東京五輪ホストタウン交流事業の取り組み、北京冬季五輪(スキー競技)への協力などを計画している。

―長野市では昨年友好都市35周年記念にあたり石家庄市友好代表団16名の受け入れ歓迎、長野市友好代表団38名の派遣、語学研修生3名の受け入れ、中学生友好訪中団の相互派遣、都市整備と人民代表大会視察団の受け入れを行った。本年度も語学研修生や中学生友好訪問団受入れ、及び中学生卓球交歓大会参加を予定。◇須坂市では、ホストタウン交流事業の取り組み、中学生卓球交歓大会参加と四平市訪問を予定。◇松本市では、松本日中と大使館との交流などが行われ、本年は中学生卓球交歓大会を予定。◇上田市では、昨年、寧波市行政代表団受入れ、上田市ジュニア大使22名の派遣が行われた。本年は中学生卓球交歓大会参加や上田古戦場ハーフマラソンの寧波市参加者受け入れを予定。◇山ノ内町では昨年、密雲区への町代表団派遣と図書の交換が行なわれ、本年は友好交流覚書10周年記念式典を密雲区代表団を迎えて4月開催する予定。◇飯山市では、深圳市福田区ゲートボールチームが菜の花ゲートボール大会に参加、飯山からも訪問団を派遣。本年は中学生卓球交歓大会への参加、高橋まゆみ人形館の深圳での展示を予定。◇県国際化協会からは、多文化共生くらしのサポーター(中国語担当)の取り組みの状況が報告された。

 報告の後の意見交換では、中国からの観光客の増加と相互交流による理解促進の必要性や、ホストタウン交流、北京冬季五輪支援交流などが話し合われ、地方民間交流を盛んにすることを確認しあいました。

 最後に新年度から上海駐在員として派遣される予定の瀧澤俊県産業政策課主事が紹介されました。
 第40回日中スキー交流会、200人参加して熱く交流(2/25~26)

 長野県日中友好協会青年委員会(石﨑琢哉委員長)と同女性委員会(宮沢信代委員長)の主催により、2月25、26日の両日、木島平村のパノラマランド木島平スキー場において、第40回日中スキー交流会が開かれました。好天に恵まれた中、中国留学生・中国大使館・帰国者の皆さんをはじめ200人が参加して熱気あふれるスキー交流会となりました。

 開会式では石﨑青年委員長、上村力飯山日中会長、西堀正司県日中理事長が、あいさつ。「今回は今まで最大の200人が参加。参加者が心を通わせ、ケガの無いよう日中友好の楽しいスキー教室、スキー交流会にしましょう」と呼びかけました。

 12班に分かれてスキーやスノーボードの教室がおこなわれました。絶好のスキー日和の中、初心者も何度も転びながらもマンツーマンの指導でだんだんとボーゲンのコツを覚え滑れるようになっていきました。スノーボード初挑戦の留学生もさすが若者、形になっていきました。

 夜の交流会では、石﨑青年委員長がスワロースキー㈱や地元木島平村、飯山日中友好協会の協力のもと盛大にスキー交流会を開催できたことに感謝し、「中国留学生や大使館、帰国者の皆さんと懇親交流を通じて親睦を深め、民間同士の友好交流を進めていきましょう」と述べました。

 日臺正博木島平村長と、中国大使館の廖暁頴一等書記官から祝辞をいただき、長野県華僑総会の王昌勝会長の音頭で乾杯し、懇親会に入りました。
 女性委員会の優雅なフラダンスや、青年委員会の踊り、中国帰国者の皆さんの民族楽器演奏と歌、日本舞踊などが次々と披露され、賑やかな懇親交流会となりました。中国国際放送局孔子学堂の王秀閣さん、県国際交流員の李妮さん、飯山・中野・長野・上田・飯田の日中友好協会の役員も参加し交流しました。

 2日目も好転に恵まれました。自信をもって滑り降りる姿が目立つようになりました。スキー教室を終えて、昼は女性委員会の皆さんが心を込めて準備してくれたきのこ汁をおいしくいただきました。

 閉会式では、宮沢女性委員長が「今回のスキー交流会の思い出を大切に日中両国が平和で友好的な関係を続けていけるよう頑張りましょう」とあいさつすると共感の拍手がおこりました。参加者からは「スキーを滑れるようになり、本当に嬉しかったです。夜の懇親交流会も盛り上がって楽しかった。来年もまた参加したい」「友好協会に入会したい」とのうれしい感想が聞かれました。

 日中友好に貢献,、長野市が山根敏郎市協会長に感謝状(2/24)

 長野市は2月24日、市の国際交流を推進し、日中友好親善に貢献したとして、長野市日中友好協会長の山根敏郎さん(88)=長野市屋敷田=に感謝状を贈りました。河北省・石家荘市との友好都市締結35周年を記念した写真展も同日から3月2日まで、市役所第1庁舎1階の市民交流スペースで始まりました。

 協会は1979(昭和54)年設立で、会員は市内を中心に現在150人。山根さんは会長、副会長として、帰国した中国残留婦人・孤児や、中国からの留学生、研修生との交流に長年尽力し、石家荘市との交流事業や緑化協力事業も積極的に支援。市は「市の国際化推進に顕著な功績が認められる」として感謝状を贈ったものです。

 市役所で感謝状を渡した加藤久雄市長は「長年にわたりご活躍いただいた」と感謝。山根さんは取材に「私個人でなく協会が活発に交流していることに対する評価。市を活性化する一つの基礎になり、微力だが全力を挙げて今まで以上に励みたい」と話していました。

 写真展では両市のこれまでの交流の歴史を年表で振り返り、友好都市締結35周年記念で2016年度に相互に派遣した市長ら訪問団の交流風景を紹介。石家荘市の語学研修生が長野市にホームスティし、市日中友好協会の会員らとリンゴ狩りや芋掘り体験を楽しむ写真も紹介されています。
 飯山のスワロースキー 北京冬季五輪向け 中国スキーチームとスポンサー契約(2/16)
 
 スキー板製造のスワロースキー(飯山市)が2022年の北京冬季五輪に向け、開催国中国のフリースタイルスキーチームとスポンサー契約を結びました。同社の丸山哲社長が2月16日に中国スキー協会副主席で国家体育総局の任洪国氏と契約の覚書に調印しました。

 同社は、長野県日中友好協会が毎年開催している「日中友好スキー交流会」に対し、先代の故丸山哲三会長の時代から30余年にわたって用具とウェアを無償提供しており、中国大使館や中国留学生、帰国者の皆さんから感謝されています。また中国大連市(普蘭店)にスキー製造工場を構えて20年余りになります。

 契約書では、向こう5年間、選手12人に4セットずつ用具を毎年無償提供し、選手は国内や海外での大会に出場する際、同社の製品を使用し、関連するイベントやインタビューでも用具を掲げる、優秀な成績を収めた選手には報奨金を贈る、としています。

 中国では急速にスキーが冬のレジャースポーツとしても普及が進んでいますが、冬季五輪招致を契機に市場の急成長が見込まれています。丸山社長は「中国製のスキー板を提供することで選手の士気を高め、活躍してもらえるよう協力したい」と話しています。
 帰国者への理解を深めるつどい・体験発表と春節交流会(2/5)

 長野県と県日中友好協会中国帰国者交流センターは2月5日、「第9回中国帰国者への理解を深める県民の集い」を長野市内のホテル犀北館で開きました。中国東北部に渡り、敗戦時の混乱で取り残され中国養父母に助けられ育てられた帰国者(残留孤児)が体験を発表、あわせて満蒙開拓平和記念館の報告も行われ、240人余りが熱心に聞き入りました。第2部では東京中国歌舞団による中国の歌・日本の歌、民族楽器演奏を堪能し、第3部の春節交流会では餅つきやくじ引き抽選会、歌や踊りの披露、ヤンコー踊りなどを楽しみました。

 主催者を代表して中澤洋子・県地域福祉課課長補佐と高波謙二・県日中友好協会会長があいさつしました。高波会長は「長野県は全国一満州開拓団を送り出し多くの犠牲を出した。長野県には4100人の中国帰国者の皆さんが暮らしている。開拓団の悲劇と帰国者支援問題は長野県と県民にとって忘れてはならない歴史。昨年11月天皇皇后両陛下が満蒙開拓平和記念館を訪問され関係者と懇談されたことはたいへんよろこばしいことで国民の理解が進むと期待される。本日は残留孤児一世の皆さんの歩んだ歴史と現状への理解を深め、支援交流にともに励んでいきたい 。本年は、日中国交正常化45周年の記念の年。45年前、日本と中国は再び戦争せず、末永く仲良く付き合っていくことを約束した。県日中友好協会は長野県政府とともに、中国を相手国とする東京オリンピックホストタウン事業に取り組み、また2022年の北京冬季オリンピック支援交流に取り組む。日中友好の懸け橋として帰国者の皆さんもご協力いただきたい。新年のご活躍を祈ります」と述べました。

 体験発表で松本市の中村千生さん(74歳)は、「敗戦直前の昭和20年5月に3歳で内蒙古にわたり、敗戦後の逃避行の中で養父に助けられたが、母は7日目に死別した。養父は私が22歳の時亡くなったが日本に帰る手立てもなく、結婚し55歳まで働き続けた。56歳の時帰国、喬木村の定着センターで4か月勉強した後、松本に定着、長野の自立研修センターで8か月日本語の勉強をしたが、難しくて仕事にすぐ就くことはできなかった。2008年に1世の待遇が改善し生活も良くなって、地元のボランティアの皆さんと交流し有意義に過ごしている」と振り返りました。

 上田市の井澤紀代子さん(76歳)は、「4歳で中国東北部にわたり、敗戦後の逃避行の末に母と物乞いをして過ごした。その後養父に救われ幸せな少女時代を過ごしたが、進学や職場では差別に苦しみ、中でも結婚を約束した男性の親族に日本人だからと反対され、破談になったのが一番つらかった」と語りました。「53歳に家族とともに帰国して長野の自立研修センターで8か月日本語を勉強した後、就職し生活保護を受けることなく母を老人ホームに入れ娘を進学させた。職場で誤解されたり、家族の事故や自身の病気など、経済的精神的に追い込まれるなど、様々な苦しみがあったが、2008年の支援法によって生活が保障されるようになり、今は祖国で生活する喜びを感じている。月2回の上田日中友好協会の日本語教室に通い、また上田市と市日中のお陰で個人墓地を入手し、自分たちでお墓を立てることができた。残りの人生を元気で楽しく生きていきたい」と述べました。会場から、大きな拍手が寄せられました。

 特別報告として、「満蒙開拓平和記念館ボランティアグループ・ピースLaboの歩み」を代表の木村多喜子さんがおこない、満蒙開拓団の悲惨な歴史を語り継ぎ平和を紡いでいく大切さを話しました。

 第2部の東京中国歌舞団の歌と民族楽器演奏では、劉錦程さんの揚琴演奏をバックに陽二蓮さんの歌の世界(中国の歌・日本の歌)を楽しみました。会場は春節の華やかな雰囲気に包まれました。

 第3部の春節交流会では長野市日中女性委員会の皆さんが友好の黄色のハッピ姿で、交流会を進行し・盛り上げに大活躍。アトラクションとして臼と杵を使って、帰国者の皆さんが次々と餅つきを体験しました。抽選会も行われくじを引き当てた人たちが工芸品やお米などの景品を受け取って喜んでいました。飯田、松本、伊南、長野、上田の日本語教室に通う帰国者の皆さんが次々と準備してきた出し物を披露しました。飯田グループはおそろいの中国衣装を着て見事な踊りを披露、長野の皆さんは二胡やフルースの演奏なども披露。上田教室の皆さんは、はっぴ姿に桜の枝をもって、「真田桜」の踊りを披露しました。最後に中国の東北地方に伝わるヤンコー踊りを会場いっぱいににぎやかに踊りました。参加した帰国者の皆さんは「中国の春節を祝いながらみんなと集まれるこの会を毎年楽しみにしている」と語っていました。

 飯田下伊那、伊南、伊那、松本、佐久、上田、長野、飯山などからおおぜいの帰国者や支援者、市民のみなさんが参加しました。宮川あゆみ県地域福祉課主査、小林佑一郎元中国帰国者定着促進センター所長、塩入靖長野市生活支援課課長補佐、中沢道保・福沢宏夫・村山ひとみ・島津美智子県日中副会長、西堀正司県日中帰国者交流センター所長、西沢毅県日中帰国者留学生委員長、田中晃美上田市日中会長、金子繁三長野市日中理事長、宮沢信代県日中女性委委員長、布施正幸帰国者交流センター次長らも出席し帰国者を激励し交流しました。

 日中友好新春座談会と協会新年会を開催-国交正常化45周年を友好交流の再活性化の年に(1/16)

 長野県日中友好協会は1月16日、130人が出席して恒例の日中友好新春座談会と新年会を長野市内のホテル信濃路で開きました。昨年の県協会創立60周年記念事業の成果を踏まえつつ、日中国交正常化45周年を迎える今年は、両国の平和友好の重要性を内外にアピールし友好交流の再活性化に努めていくことを確認しました。中国大使館の汪婉参事官(大使夫人)、中島恵理副知事をはじめ国会議員や県議、経済界や労働界、大学など各界来賓も出席され盛会裏に開催されました。

 第1部の日中友好新春座談会では、高波謙二会長があいさつし、「長野県日中友好協会創立60周年にあたり記念事業を成功裏に実施することができた。特に秋の唐家璇中日友好協会会長の来県、天皇皇后両陛下の満蒙開拓平和記念館ご訪問は大きな喜び」と語り、「日中国交正常化45周年を契機に具体的交流を増やし、相互信頼を回復させていきたい。民間交流を粘り強く進め友好都市中学生卓球交歓大会や中国を相手国とした東京オリンピックホストタウンの取り組みなどの成功のため頑張って行きたい」と述べました。

 また、座談会にも出席された汪婉参事官は、長野県協会の日ごろの活躍に敬意を表し、次の4点を挙げて激励しました。①60年あまりにわたり、中日関係が困難な中にあっても、ぶれることなく活動してきたこと。②官民一体の交流に努め、民をもって官を促し、地方をもって国を促してきたこと。③県協会の協力のもと阿部知事は就任以来、5回中国を訪問された。日中関係が困難な中でも訪中され、河北省などとの交流を深めたこと。④長野県は新しい交流の形式を追求し、河北省との環境・医学・スポーツ・観光等の分野の交流進め、中国を相手国とする東京五輪ホストタウンに取り組むなど積極的な交流を進めていること。―――汪参事官の高い評価に満場の拍手が寄せられました。

 布施正幸事務局長が第2回理事会(11/29)で決定された今年の主な事業計画を報告し、「日中国交正常化45周年の節目の年に当たり、歴史を顧み未来を展望し、日中の平和友好の大切さを内外にアピールする。地方民間交流事業を企画し、友好交流の再活性化と信頼関係の回復に努める。 *5月の長野県日中友好協会代表団の派遣 *8月北京で開催される日中友好都市中学生卓球交歓大会に長野から6チームが参加 *中国を相手国とする東京五輪ホストタウン交流の取り組み *太行山河北省内丘県での第5期緑化協力プロジェクトの実施 *長野ラジオ孔子学堂のHSK中国語検定試験実施協力 *北京冬季五輪への協力 *留学生ホームステイ受入れ などにとりくんでいきたい」と述べました。

 また、大月良則県国際担当部長より東京五輪ホストタウンの取り組みについて説明が行われました。「一校一国運動をヒントに国は東京五輪ホストタウンの取り組みを進めているが、長野県として県・自治体・友好協会などが協力提携して、中国を相手国とするホストタウンを申請し認められた。中国選手団の受け入れをはじめスポーツ・文化交流を進めていきたい。この取り組みは東京五輪から北京冬季五輪とつながっていく構想でもあり息の長い取り組みとなるので友好協会のご協力をお願いしたい。具体的な取り組みとして8月のチャイナウイーク、公民館等での地域活動を計画し、大学も巻き込み学生にも参加を働きかけていきたい」と述べました。

 続いて西堀正司理事長の司会でディスカッションに入り、日中関係の現状と課題、地区活動や各分野の交流などについて活発に意見交換が行われました。

◎中国の取り上げている昨年の10大ニュースを見ると宇宙での重力波の発見や、杭州でのG20開催、人民元のSDR入り等とともに難民問題やポプリズムの台頭、英のEU離脱、東北アジアの緊張、気候変動に対するパリ協定の発効、トランプの当選などがあげられている。本年11月には19回党大会が予定されている。人事往来において中国から日本へは650万人が訪れ、一方日本からの訪中者は200万人、経済交流は中国は日本の第1の貿易相手国、日中関係の現状は厳しいが、一点突破全面展開を期待したい。

◎県青年委員会では県女性委員会と共催で2/25~26木島平で日中友好スキー交流会を予定しているのでご協力ご参加をお願いしたい。全国日中では全国の青年委員会の今年中の再建を目指して動き始めている。青年層の協会参加を進める上で、会合の開催日など考慮願いたい。

◎千曲市は河北省の邢台市と交流を進めてきた。今年は代表団を派遣したい。高齢化と日中関係の悪化で厳しい面もあるが、企業交流などを通じて協会への関心を持ってもらえると思う。帰国者餃子交流会は好評だった。長野や須坂の協会活動を参考にして組織と活動を強化していきたい。領土問題やマスコミ報道の影響で嫌中機運があるが、地道な活動を進めていきたい。

◎須坂では創立60周年祝賀会を行った。四平市との交流も途切れないように努めてきた。8月には友好都市卓球交歓大会と関連して四平市訪問団を派遣したい。女性委員会と青年委員会の活動を通じて友好の輪を広げていきたい。

◎長野市は昨年石家庄市との友好提携35周年を記念して38名の代表団を派遣した。盛大な歓迎記念式典が行われた。今まで長野で語学研修した皆さん18名も出迎えて歓迎してくれた。ホームステイでの交流などを通じての友情は意義深い。市日中議員連盟の協力参加もありがたい。

◎満蒙開拓平和記念館に昨年11月天皇皇后両陛下をお迎えした。両陛下の強い思いを感じた。入館者も3年半ほどで10万人を超えた。開拓団は加害者と被害者の両側面があるが、不都合な史実を含めて真実の歴史を伝え平和を発信していきたい。9月に中国東北(黒竜江省)の方正や宝清を訪問し有意義な交流ができた。中国養父母展も引き続き取り組んでいただきたい。ご支援ご協力をお願いしたい。

◎今日の「日経」によれば、IMFが購買力平価によるGDP比較を行った結果は、中国19兆ドル(13.7億人)、アメリカ18兆ドル(3.4億人)、EU19.23兆ドル(イギリスが抜けると16.52兆ドル/4.4億人)、ASEAN6.09兆ドル、日本4.8兆ドルという数字だった。中国の存在感が増していることを見ておく必要がある。

◎諏訪は御柱に明け暮れた一年だった。協会発足の際、開拓団関係者が多かったので高齢化による会員の減少が悩みだ。地域の中国人研修生を諏訪よいてこ祭りに浴衣を提供して招待したり、国際文化学院での日本語スピーチコンテストに協力したりしている。研修生は近年中国人の所得が増えた結果、ベトナム人が増え、中国人の比率が減っている。日中友好の原点に戻って勉強会などの地道な活動を進めていきたい。

◎女性委員会は2/9に飯島春光先生を講師に「満蒙開拓団の悲劇と平和教育」を話してもらう。身近なところから、底辺から友好を働きかけていきたい。ホームステイも奥さんや子供たちの理解と支えがあって可能となる。大学生のインターンシップ支援交流にも協力していきたい。

◎日本語を学ぶ中国の大学生を夏休みと春休みに100名余ホテルでのインターンシップ事業で受け入れ、松本、飯山、上田等で交流した。ホテル側も、送出しの学校側も青年交流に期待している。青年層の交流参加が重要と思っている。

◎大北は1市4村で構成される北アルプス広域連合の地で、60名ほどの会員でやっている。2022年北京冬季オリンピックのスキー競技が河北省の張家口市崇礼県で開かれるため、白馬村に代表団が見え友好提携の話も出ている。大北地区には宿泊施設が多いので、「友好会員の宿」などの方式も研究してもらいたい。

◎日中友好を地域振興と結び付けることは目的を持ったメリット論で前向きに検討したい。ホストタウンの取り組みなどとも連動させて地域おこしにつなげていきたい。

◎上田も会員の高齢化と減少の悩みは同じ。寧波市と友好交流都市を結び市と協力して交流を進めている。昨年は中学生ジュニア大使20名余の派遣を行った。帰国者日本語教室も10年以上続いている。温泉に入りながら日本語を学ぶ方式が好評。

◎飯山では恒例の1月飯山雪まつり、8月マレットゴルフ交流会のほか昨年は吉林省ジュニアジャンプ訓練隊受け入れ協力、深圳市の福田区との交流、本年8月の北京中学生卓球交歓大会参加準備に取り組んできた。マスコミ報道などの影響で厳しい面もあるが、訪中交流体験を通じて入会者が増えた。3月には訪中団派遣を計画している。

◎(汪参事官・感想)伝統的な友好活動がしっかり行われてきたことに感謝したい。会員の減少の問題をどう見るか。中国と日本は切っても切り離せない間柄で深く結びついており、あまり意識していないが、中国の要素は日本社会に深く浸透している。両国は互恵関係にある。にもかかわらず国交正常化以来国民感情は最低のレベルになっている。これをどう見たらよいか。研究してみたい。長野県は東京五輪ホストタウンに中国を相手国として名乗りを上げ県を挙げて取り組んでいる。嫌中感情が全国的にある中で、友好の基盤がしっかりしている証拠だと思う。皆さんの今後の活躍に期待したい。

◎(相澤副会長まとめ)各協会が工夫努力して取り組んでいることをすごいなと思った。会員の減少は日本の人口が減少している中で自然であり、増やす努力は必要だが、増えたら素晴らしいと考えるべきだ。
 中国との交流に何が大切なんだろうか。中国の若者はアニメを通じて日本に親近感を持つ人が増えている。マスコミの影響を嘆くだけでなく、中国側も日本人の関心を惹きつける工夫を考えてほしい。ホームステイも相互に派遣しあったらどうか。国と地方、県と地区、温度差があって混乱している。どう誰がこれを埋めていくのか、そのことが大切と思う。ともに智慧を出し合って進化していきましょう。

 座談会の2時間半は瞬く間に過ぎ、1年の活躍を誓って、第1部を終了しました。

 第2部の新年会には、日頃友好運動に協力いただいている各界来賓が多数出席いただきました。高波会長は日ごろの協力に感謝し、「日中国交正常化45周年にあたり、民間交流の重要性が増している。具体的な交流機会を増やし、ホストタウン事業を成功させたい」と決意を語りました。

 中島副県知事、汪参事官、篠原孝・小松裕・井出庸生・務台俊介(代)代議士、若林健太前参議院議員から祝辞をいただき、村石正郎県日中友好促進議員連盟会長の音頭で乾杯しました。中島副知事は、日ごろの友好協会の活動協力に謝意を表したのち、河北省との交流やホストタウン事業に力を入れていく決意を語りました。汪参事官は「両国関係は領土問題などの影響で、国交正常化以降最も困難な状況にあるが、民間地方レベルの交流が今後の両国発展の礎となる。長野県協会のご活躍を期待します。ともに頑張りましょう」と述べました。

 懇親会の中のスピーチで、竹内久幸・今井正子・小島康晴・太田昌孝・荒井武志・堀場秀孝・高島陽子・埋橋茂人の各県議、犛山典生県経営者協会事務局長、河野博明県スキー連盟副会長、北村智JA長野中央会部長、王秀閣中国国際放送局長野孔子学堂代表、李妮県国際交流員などから激励をいただきました。女性委員会メンバーが汪参事官とともに壇上にのぼり「ふるさと」を披露し大きな拍手が送られました。親しく懇談交流が行なわれ会場は和やかな雰囲気に包まれました。荒井英彦県信用保証協会会長の音頭で日中友好協会の万歳が行なわれ、西堀正司理事長の閉会あいさつで散会となりました。

 来賓として前記のほか潘林二等書記官、王昌勝県華僑総会会長、山本晋司県国際課長、戸谷昌秀長野市国際室長、田村英則山ノ内町係長、濱田州博信州大学学長、岡村重信県経営者協会プロフェッショナル人材戦略拠点事務局長、井出康弘県中小企業団体中央会事務局長、木藤暢夫県商工会議所常務理事、馬場進一県商工会連合会参事、中山千弘連合長野会長、下條弘道県平和人権環境労組会議共同代表、星沢重幸部落解放同盟県連委員長、中村賢二信濃毎日新聞社総務局長、酒井康成松本歯科大学学事課係長、小林佑一郎・小松朝韻・木田健二郎県日中参与らのご臨席をいただきました。
 

初春を迎えて

                       長野県知事 阿部 守一

明けましておめでとうございます。

 皆様には、清々しい新年をお迎えのことと、心からお喜び申し上げます。

また、高波会長、西堀理事長をはじめ、長野県日中友好協会の皆様方には、長野県と中国との友好交流に大変お力添えをいただいておりますことに、心より感謝申し上げます。

昨年は、日中友好交流の促進にとって大変意義深い、記念すべき年となりました。貴協会創立六十周、四月の訪中団の派遣、十月の記念式典、そして、記念誌「虹の架け橋-長野県日中友好の歩み(Ⅳ)」が発刊されましたことを、改めましてお祝い申し上げます。

さて、現下の日中両国家間の関係は改善しつつあるものの、依然として困難な状況が続いておりますが、そのような厳しい環境にあって、昨年九月には本県に、唐家璇中国日本友好協会長が貴協会の旧い友人を訪ねるために御来県をされました。その唐家璇会長からは、貴協会と長野県の官民を挙げての日中友好交流活動に対して、「日中友好交流のイノベーション」との賛辞を頂戴いたしました。

また、貴協会では、満蒙開拓団県出身者のために崇高な活動を展開されてこられました。満蒙開拓の歴史を後世に正しく伝え、「平和・共生・友好の未来」理念を世界に向けて発信すべく建設された満蒙開拓平和記念館に、昨年十一月、天皇皇后両陛下が訪問されたのは、貴協会創立六十周年を記念する象徴的な、誠に喜ばしい出来事でありました。

今年は日中国交正常化四十五周年の節目の年であり、県としても中国を相手国とするホストタウンプログラムの推進など、貴協会の皆様と益々連携を強めて「実践する日中友好活動」展開して参る所存でございますので、倍旧の御支援と御協力を賜りますようお願い申し上げます。

新しい年が希望に満ちあふれ、実り多い良き年となりますよう心からお祈り申し上げます

 

新春メセージ・中日関係の改善と発展のために

中華人民共和国駐日特命全権大使 程永華

 2017年の新年を迎え、謹んで新春のお祝いを申し上げます。

 去る2016年は長野県日中友好協会創立60周年という記念すべき年であり、県日中をはじめ、各界の友好人士の方々が長年にわたり、中国での緑化活動や希望小学校の寄贈、スキー交流など、幅広い分野で豊富多彩な交流活動が行われ、両国関係の改善と国民感情の増進につながるものとなりました。これを踏まえて、長野県と河北省も産業、文化、医療、教育など幅広い分野で協力事業を展開し、中国と日本の地方交流において先導的な役割が期待されています。

 中日両国は引越しのできない重要な隣国であり、長期にわたる健全かつ安定した中日関係の発展は両国と両国国民の利益に合致し、地域と世界の平和と安定に資するものであります。目下の中日関係は、まさに坂を上り谷を越え、進まなければ後退する正念場にあります。双方は4つの政治文書と4つの原則的共通認識を守り、両国関係の政治的基礎を揺るがさないようにすべきであります。民間の友好、地方の交流と協力は中日関係の優れた伝統であり、重要な構成部分でもあります。長野県日中友好協会の皆様におかれましては、今までの伝統を受け継ぎ、各分野で中国と深く実務協力を進め、中日関係の改善と発展のために更なる貢献をなされるよう心から期待しております。

 2017年は中日国交正常化45周年、2018年は「中日平和友好条約」調印40周年にあたり、両国関係は重要な節目を迎えます。中国大使館としても引き続き県各界の方々とともに、中日民間交流と両国地方交流を全力で支援し、安定かつ健全な両国関係のために弛まぬ努力を続けて参りたいと思います。

 最後に、長野県の益々のご発展と長野県民のご多幸をお祈り申し上げます。

 

日中国交正常化45周年を迎えて、交流の再活性化へ

                            長野県日中友好協会理事長 西堀正司

日ごろの日中友好のためのご活躍に心から感謝と御礼を申し上げます。

 昨年は長野県日中友好協会が創立60周年の節目の年として各種の記念行事を展開させていただきました。ご協力に対し謝意を申し上げる次第です。

 本年は、日本と中国の国交正常化45周年です。この間の両国交流は、人事・経済・文化など各分野で大きく発展し、両国をはじめ、アジアと世界の発展と平和に貢献しました。

 戦後史を振り返ると、第2次世界大戦直後から、東西冷戦がはじまりました。新中国が誕生しても米国に追随した当時の日本政府は中国封じ込め政策に加担しました。

 こうした中で日中国交回復を求める運動は、日中友好協会を中心に各界各層との連携協力により進められました。中国においても周恩来総理を中心にきめ細かい対日外交が進められました。1971年秋には米国のキッシンジャー氏が電撃的に訪中。国連への中国復帰が実現し、中国は常任理事国となりました。72年2月にはニクソン米大統領が訪中。それまで一貫して米国の中国封じ込め政策に従っていた佐藤内閣は倒れ田中内閣が発足。田中内閣は、日本国民世論をバックに訪中し、日中共同声明が発表され日中国交正常化が実現しました。こうして新しい歴史の一ページが開かれました。

 周恩来は、「古い友人も新しい友人も歓迎します」「水を飲むとき井戸を掘った人を忘れません」「日本の総理も自分も少々正常化に貢献しましたが、この成果は両国民のものです」と謙虚な行動指針を述べています。

 日中共同声明の原則と精神は不滅です。民間ボランティアを中心とする運動は永遠です。45周年を記念して、8月には友好都市卓球交歓大会が北京で開催されます。長野県からも6チームが参加します。国交正常化の意義を振り返り、日中両国国民の平和友好前進に力を尽くしてまいりましょう。

 

年頭のごあいさつ-日中国交正常化45周年、官民協働の具体的友好進めよう

                    長野県日中友好協会会長 高波謙二

 明けましておめでとうございます。

昨年は、県協会創立60周年にあたりました。おかげさまで記念式典の開催、記念誌『虹の架け橋—長野県日中友好の歩みⅣ』の発刊、記念訪中団の派遣等成功裏に実施することができました。皆様のご理解ご協力に心より感謝申し上げます。また唐家璇中日友好協会会長の来県、天皇皇后両陛下の満蒙開拓平和記念館ご視察は全国的にも話題となり、日中関係の重要さを示されましたことは大きな喜びでありました。

全国の日中友好協会、中国大使館、中日友好協会の当協会に対する信頼、期待は各懇談や協議の中で高く評価されていることは言葉や気持ちの中に表れており、これはひとえに会員各位の平素の活動が評価されており私の誇りでもあります。そして今や県との官民一体となっての実務協力・活動は全国の手本となっております。青年委員会の意欲ある活動推進、協会活動を底辺から支える女性委員会の地道な活動は単なるボランティア活動ではなく使命感を感じます。一方会員の高齢化と財政問題は地区協会ともども対応しなければならない緊急課題であり皆様の知恵とご協力を切にお願いしたいと存じます。

中国から訪日される皆さんや留学生は地元に友好協会が存在することは大きな安心感を持たれると聞き及んでいます。長野県には年間10万人の中国人観光客が来られますが、日本文化やおもてなしの心、サービス体験に関心が移ってきており、これらは長野県の得意とするところです。来県者は今後大幅に増えると思いますし、ホームステイ受け入れ会員の皆様は友好活動の要となっています。

日中関係は複雑な問題を抱えており、引き続き楽観は許されませんが、日中国交正常化45周年を契機に具体的交流を増やし、相互信頼を回復させていきたいものです。300を超える友好都市の交流、最も多い貿易取引、文化の共通性、他国に例を見ない民間友好運動の存在などに目を向け、自信を持って私たちは私たちにできる世代の責任を自覚しながら、民間交流を粘り強く進めていきたいと思います。友好都市中学生卓球交歓大会や中国を相手国とした東京オリンピックホストタウンの取り組みなどの成功のため頑張ってまいりましょう。

今年も皆様にとりまして平穏で健やかな年となりますよう祈念申し上げます。

 河北省張家口市代表が来県、白馬村などで冬季五輪の経験に学ぶ(12/20~22)

 河北省張家口市代表訪日団(李建拳張家口市人民代表大会常務委員会主任一行5名)が12月20日から3日間来県しました。張家口市は2022年北京冬季オリンピックのスキー競技開催が予定されており、1998年長野オリンピックを開催した長野県の経験を学び今後白馬村などとの交流を深めるため訪れたものです。

  20日夕方、長野に到着した一行は長野県日中スキー交流委員会主催の歓迎会に出席し、河野博明長野県スキー連盟副会長、西堀正司県日中友好協会理事長、大月良則長野県国際担当部長ら長野県のスキー関係者の温かい歓迎を受けました。 翌21日は白馬村下川正剛村長を表敬訪問、北沢禎二郎議会議長、福島信行元村長も同席し、張家口市崇礼区との友好都市締結や、北京冬季オリンピックの円滑な開催と成功の為、白馬村の長野オリンピック競技の実施経験について、張家口市側からは多くの質問が次々と出され、活発な意見交換が行われました。又、白馬高校は他県からのいわゆるスキー留学生も多く、オリンピック代表選手を多く輩出していることから、代表団の孫張家口市青少年冬季オリンピックスポーツ学校校長からは学校提携、選手育成の為の留学生受け入れ、コーチ派遣の要請もありました。

 現地視察として既にスキーシーズンが始まり賑やかな八方尾根スキーゲレンデ、全シーズン競技可能なジャンプ競技場を見学、白馬村松澤宏和スポーツ課長補佐から説明を受けました。競技運営は単に競技場整備のみならず、選手の事前練習やスキー用具の管理員の受け入れも伴い、オリンピック開催時にはジャンプ場の観客席の除雪についても多くの人員を要したそうです。又、村内には長野オリンピック開催時には各国のゲストハウスが設置され、今もジャンプ場に隣接する旧ノルウェーゲストハウスも車窓より見学し、一行は北京冬季オリンピック開催に向け大変、参考になったと話されました。

 午後は県庁に中島副知事を表敬訪問、張家口市代表団からは地元の葡萄を使用したワインが送られ、県からは額入りの飯田水引細工が贈呈されました。張家口は手工芸の切り紙が特産で、長野も葡萄栽培が盛んであることからお互いに共通点が多く、会談は終始、和やかに行われました。

 一行はその後善光寺を参観した後、友好協会会員の内田さん宅を訪問し、有意義な時間を過ごしました。       (戸澤記)       

 中国伝統芸術の夕べ長野公演好評でした(11/17)

 長野県日中友好協会創立60周年と長野市・石家庄市友好都市締結35周年を記念して中国伝統芸術の夕べ長野公演が11月17日、長野市芸術館で行われました。600人ほどの市民が来場し変面等中国の伝統芸術を楽しみました。

 華麗な舞を踊りながらの見事な書のステージに始まり、テノール歌唱と漢詩の詩吟、京劇「覇王別姫」の中の虞美人の剣舞、さらに中国民族楽器演奏は二胡・フルス・バーウー・擂琴・京胡など5種類の楽器によって5曲が演奏されました。そして注目を集めたのが18種類の面があっという間に変わる変面などバラエティーに富んだ2時間の舞台を楽しみました。

中国太陽芸術団団長の程波さんの軽妙な司会進行と出演者の見事な演技に大きな拍手が送られました。

 「変面を間近に見れて満足しました。わかりやすい解説と素晴らしい演技に感動しました」と語りながら帰って行く観客の皆さんを、スタッフも嬉しく見送りました。

 天皇・皇后両陛下がご来館(11/17)

                                              ( 満蒙開拓平和記念館 副館長 寺沢秀文)

 早いもので開館から4年目となる当記念館、皆様のご支援等により本年も順調に推移することが出来ました。

 11月7日には開館以来の来館者数が10万人を突破。そして、大変驚いたことに、「両陛下の強いご希望」により天皇・皇后両陛下が11月17日、当記念館にご来館されました。

 両陛下が軽井沢の大日向開拓等を時々訪問されていること等から「いつかあるいは」とも思っていたものの、まさか開館3年半のこんな早い時期にご来館頂けるとは思っていませんでした。両陛下におかれても「満蒙開拓」の史実を国民にも是非振り返って欲しいとの願いからのご来館であったと思います。

 当日は当方が館内のご案内をさせて頂き、記念館内で元開拓団員との懇談の場も設けて頂きました。両陛下からは「この歴史をこれからも語り継いでいってください」というお言葉がありました。

 国策として推進された満蒙開拓は、開拓団員らの大きな「被害」と共に、現地への「加害」等の側面もある「不都合な史実」としてこれまで余り振り返られることの少ない史実でしたが、今回の両陛下のご来館を励みとして、これからも満蒙開拓の史実を語り継ぐことにより、二度と悲しい犠牲者を出すことの無きよう、平和を発信し続けてまいりたいと思っています。

 満蒙開拓平和記念館を訪問、懇談交流会-人民中国読者会(11/12)

 県人民中国読者会は、11月12日定例読書会を阿智村で開催し、満蒙開拓平和記念館参観と記念館スタッフや飯田日中友好協会の皆さんとの交流会を行いました。長野方面や地元からの参加のほか、人民中国東京支局から于文支局長ら3名の参加もあり30名ほどの有意義な交流会となりました。

 残留孤児の父と言われる山本慈昭氏ゆかりの長岳寺を参観し、映画「望郷の鐘」の中に登場する鐘楼やゆかりの碑などを脳裏に刻みました。満蒙開拓平和記念館はこの寺のすぐ近くにあります。記念館では寺沢秀文専務理事(飯田日中副会長)が一行を歓迎した後、開館以来来館者が10万人を超えたことを紹介し、「記念館は開拓団の被害の面だけでなく、加害の側面にも光を当てて展示している。不都合な史実を含め開拓団の悲劇を語り継いでいくことが平和を守っていくことにつながると考えている。近く天皇皇后両陛下がお見えになられますが以前から満蒙開拓団の悲劇に関心をお持ちだったとお聞きしています。記念館にとっても関係者にとっても大きな励みになります」とあいさつしました。

 20分にまとめられたDVD「満蒙開拓の真実」で時代背景をおさらいした後、2グループに分かれて館内を参観しました。ボランティアの方も交代で展示説明にあたっており熱心に解説してくれました。満州事変を契機にソ満国境の備えもかねて開拓団が送り込まれることになった経過や日本の敗色が濃くなった昭和20年5月になっても開拓団を執拗に送り出そうとしていたこと、最後は開拓団に知らせることなく関東軍が撤退していたことなど、開拓団の悲劇の実態を知ることができました。

 参観後、記念館と平和友好碑の前で記念撮影をしました。平和友好碑は白い球に阿部知事の筆となる平和友好の文字が刻まれ、台座の部分には「前亊不忘、後事之師」と刻まれており、こちらは故森田恒雄前飯田日中会長の書です。戦後50年に際し、ハルビン市方正県日本人公募公園内に設置された友好モニュメントを模したもので、並んで立つ「慰霊」の碑と対となり、日中不再戦と平和友好を願って飯田日中友好協会が建立したものだそうです。

 会場を村の商工会館に移して交流会が行われました。8~9月に飯田日中友好協会が派遣した中国東北訪中報告を寺沢副会長と池田真理子事務局長からお聞きした後、交流座談会に移りました。記念館とともに開拓団の真実を学び伝える活動をしているピースラボの木村多喜子さんの活動紹介や勤労動員体験者の宮下昌司さんなどのお話もあり、参加者一同平和の大切さを実感した交流会となりました。


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