Reply #1 to Mr.K

K氏へのお返事(その1)


K氏の手紙98/2/20守の返事98/2/27
K氏の手紙98/3/5守の返事98/3/9
K氏の手紙98/3/17守の返事98/3/25
K氏の手紙98/5/21守の返事98/5/25
K氏の手紙98/5/29守の返事98/6/1
   
                               平成10年2月27日
 K 様

                               信州大学教育学部
                               守 一雄

前略

 2月20日付けのお手紙拝見いたしました。北大路書房から転送されてきましたので、 本日、拝受いたしました。

 ご質問の件、以下の2点と読みとりました。
(1)当事者である黒人(あるいはインド人)の判断を調べたかどうか。
(2)『チビクロサンボ』の問題性とそれとの連続性をどう考えるか。

 まず(1)についてですが、出版に際して、そうした調査は行っていません。なぜ、 行わなかったのかと言えば、『チビクロさんぽ』は黒人やインド人に関わる本ではない と考えているからです。この点は(2)と関わりますので、次もご覧下さい。なお、念 のために、発売1ヶ月半前に現物を全国のマスコミ、取次店などに配布の上、出版の是 非も含めて取材等に応じてきました。

 次に(2)に関してですが、社会学事典等にも述べられているように、差別の本質は 「社会制度」にあります。基本的人権に反するような社会制度が差別であります。  江戸時代における士農工商制度・アメリカ南北戦争以前の奴隷制度・インドのカース ト制度・つい最近までの南アフリカの人種隔離制度などが差別の典型です。

 もちろん、差別問題の程度の軽重は、制度の強さ(法律で定められた制度か社会慣習 か)・制度制定主体の規模(国レベルか・大会社か・私的社会集団か)・人権侵害の内 容(生存権・選挙権・財産権など基本的人権に大きく関わるものからアパートを借りら れるかどうかなどまで)などで連続的に変化します。しかし、一貫して残る本質は「差 別は社会制度の問題である」ということです。

 それでは、「制度ではない『チビクロサンボ』という絵本」がなぜ問題視されるので しょうか? 『チビクロサンボ』は黒人差別に「関わる本」だからであり、「差別を助 長する恐れ」があったり、「サンボという蔑称を含む」からだと言われてきました。し かし、最終的にこの本が問題とされたのは、最後の「サンボという蔑称を含む」からだ ということでした。(岩波書店も、この蔑称を理由に絶版にしました。)

 蔑称とは何でしょう?私は「タブー語」という表現に置き換えるべきだと考えます。 タブー語とは特定の社会において、非常に強い情緒的意味に汚染されているために、使 うことが忌避される言葉です。

 「情緒的意味」とは言葉の「辞書的な意味」と違って、その言葉が使用されてきた歴 史によって強い感情価を引き起こすものです。すべての言葉には「辞書的な意味」と「 情緒的な意味」とがあると言えます。(「辞書的な意味」は言葉の意味のうち、外国語 に翻訳が可能な部分と考えればいいと思います。)

 「情緒的意味」や「タブー語」は、使用者(集団)に特有ですから、歴史を共有しな い人にとっては、感覚的に理解することができません。たとえば、「おまんこ」という 言葉は「性的なタブー語」で東京地方で育った私にはきわめて強い情緒的意味を持ち、 なかなか人前では口にできません。しかし、同じタブー語でも関西方言の「おめこ」は かなり気楽に言えます。英語でcuntにすればほとんど何も感じません。

 差別に関わるタブー語の例として「朝鮮人」があります。私の世代(昭和26年生まれ )には、この言葉はタブー語で、Koreanという辞書的な意味の他に「彼らをバカにする 強い情緒的意味」が染み着いています。そこで、辞書的な意味だけでKoreanと言いたい ときに「朝鮮人」という言葉が使えません。「朝鮮の人たち」とか「朝鮮の方々」と言 い替えをせざるをえません。「オランダ人」=Dutchですが、「朝鮮人」=Koreanではな いのです。 「サンボ」という黒人差別の歴史に関わるタブー語は、その歴史を実体験 していない私たちには、cuntに情緒的な意味がないのと同様に、タブー感覚がありませ ん。しかし、この言葉を絵本に使うのは避けるべきなのです。

 説明がやや長くなりましたが、では『チビクロさんぽ』は問題がないのでしょうか?

 問題ないという論拠を以下に示します。

 タブー語には面白い性質があります。

a.タブー語は社会全体が忌避する言葉です。

 多くの人々は「サンボ」やそれを連想させる「さんぽ」が「黒人」に不快感を与える 可能性だけを心配しがちですが、「サンボ」という言葉に不快感を感じるのは黒人だけ でなく「白人も」なのです。私が「朝鮮人」という言葉が使いにくいのも、「この言葉 を使うと朝鮮の人たちが不快に思うかも知れない」という配慮からなのではなく、まさ に私自身がこの言葉を使うことで「自分の過去の過ちが思い出されて」不快なのです。 (Kさんの言葉で言えば、黒人やインド人だけが「当事者」なのではないということで す。)

b.タブー語は同じ辞書的意味を表す別の言葉に置き換えが可能です。

 「めくら」から「盲人」「視覚障害者」へ
 「朝鮮人」から「朝鮮の人たち」へ
 「おまんこ」から「女性の生殖器」へ

 しかし、置き換えたからといって、「連想されない」わけではありません。同じ、辞 書的意味を持つことに変わりはないんですから。それでも、こうした言い替えをすれば 、「同じ辞書的意味を持ちつつ、情緒的意味の違う言葉」が作れますから、タブー語で はなくなるのです。

c.音韻的な類似は(おそらく形態的な類似も)情緒的意味の類似に結びつかない。
(ここが「さんぽ」がタブー語「サンボ」と音韻的に類似していても問題とならないキ ーポイントです。)

 「おまんこ」から強い情緒的意味を感じる人でも、まったく同じ音を含む「五万個」 からは情緒的意味を感じません。もっと似たもの同士でも、情緒的意味は伝染しません 。たとえば、「朝鮮人」に言いにくさを感じる私も、「朝鮮人参」にはまったくタブー 感を持ちません。

 やや、長くなりましたので、まとめます。

 差別は社会制度である。
 差別の問題の重さから「差別に関わるタブー語」が生まれてくる。
 「サンボ」はそうしたタブー語であり、黒人差別の歴史を背負う欧米では使うことが 忌避される。(『チビクロサンボ』も忌避される。)
 しかし、タブー語は「言い替え」が可能であり、たとえ似た音であっても、タブー語 の本質である情緒的意味は伝染しない。

 ゆえに、タブー語「サンボ」を使っていない「チビクロさんぽ」は、どんなに「チビ クロサンボ」を連想させることがあったとしても、なんら問題はないのである。

 ご意見・ご感想などをいただけるとありがたく存じます。

 なお、差別の問題の解決には結局できるだけ多くの人々に差別について知ってもらい 、公開で議論を積み重ねることであると考えています。そこで、『チビクロさんぽ』出 版後に、いただいたご意見・ご質問には必ずお答えし、さらにその質問と回答とを私の ホームページ上で広く一般に公開してきています。Kさんからいただいたお手紙も、ご 住所・お名前を伏せたうえで、ホームページ上に公開させていただくつもりでおります 。ご趣旨を御理解のうえ、どうぞご了承下さいますようお願いいたします。

 私のホームページのアドレスは以下の通りです。
http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/hp-j.html

K氏からのお手紙(その1)へ戻る
K氏からのお手紙(その2)へ進む


さんぽQnadAへ戻る
守一雄ホームページへ戻る