K氏からのお手紙(その2)
1998年3月5日
守 一雄 様
K
早速のお返事ありがとうございました。ただ、残念ながらこちらの手紙の意図が充分
に理解していただけなかったようなので、あらためて説明を補足させていただき、再度
、質問させていただきたいと思います。
お手紙の中の「『チビクロさんぽ』は黒人やインド人に関わる本ではない」という趣
旨について、『チビクロさんぽ』は『ちびくろ・さんぽ』の差別的とされる部分を修正
して、できるだけ原作に忠実にしたがいながら、物語を書き換えた」と別紙資料中にあ
ります。「ちび黒サンボ」との連続性を先生ご自身で指摘されている通りです。にも関
わらず、『チビクロさんぽ』には黒人が出てこないから、当事者ではないという考え方
は適切ではないと思います。逆に、「黒人」あるいは「インド人」を「黒犬」に変えた
行為そのものに差別性を感じる人もいるかもしれませんが、この件について再考した上
で、お考えをお聞かせ下さい。
なお「(Kさんの言葉で言えば、黒人やインド人だけが「当事者」なのではない)」
ということに関して、前回の手紙にも記したように差別問題に関しては「加害」「被害
」関係で考える必要があると思います。はっきり言って,今回,差別被害を受けている
当事者は「黒人」「インド人」であるということです。逆に,差別加害者は読者である
日本人あるいは,日本の出版社などとなると思います。「発売1カ月前に現物を全国の
マスコミ,取次店などに配布の上,出版の是非も含めて取材など」を行ったようですが
,これらは販売によって利益を得ている加害当事者であるということになります。それ
だけで「差別表現は修正できてると結論できるのでしょうか。
「差別の本質は「社会制度」にあります」ということについてですが,社会制度に規定
されず,社会の中で習慣的に規定された差別も存在するということについて考える必要
があります。日本人には黒人を差別する法律や制度の制定について見られないと思いま
すが,現に「アパートを借りられない」「就職できない」などの差別があることが「日
本人の黒人観」という本にも記載されていました。そうした黒人イメージから起こる差
別実態と「ちび黒サンポ」が無関係であるかどうかが問題です。
また「タプー語は「言い換え」が可能であり,たとえ似た音であっても,タプー語の
本質である情緒的意味は伝染しない」ということに関して例示された「おまんこ」と「
五万個」の関係は,「ちび黒サンポ」と「チビクロさんぽ」の関係と同じであることを
証明しないといけないと思います。しかし,「チビクロさんぽ」を購入した多くが「ち
び黒サンポ」を読み,その問題性を理解されないまま,懐かしく思っている実態がある
ことは,お手紙に同封された資料によって明らかです。つまり「おまんこ」と「五万個
」はまったく無関係のものですが,「ちび黒サンポ」の意識的連続性の延長に「チビク
ロさんぽ」はあることは明らかです。
以上の2点に関して,前回の内容と重複する質問になりますがくり返させていただき
ます。
日本社会の中で「ちび黒さんぽ」に結びついた黒人差別・蔑視の意識が現在,払拭さ
れていると考えておられますか。
もし,現在も「ちび黒サンポ」と結びついた黒人差別・蔑視の意識が残っている中で
,「チビクロさんぽ」が発売されたならば,当然,改作である「チビクロさんぽ」は黒
人差別・蔑視感情と結びつくことは容易に予測できると思われます。
このことに注目する理由は,「チビクロさんぽ」の内容に差別があるかないかを問う
ことを問題にしているではなく,「チビクロさんぽ」という作品が社会的にどのような
背景を持ち,その背景ゆえに,どのような意識をもってとらえられるかが問題であると
いう視点からです。例えば「チビクロさんぽ」を購入する人の多くは,間違いなく,以
前「ちび黒サンボ」を読み,その黒人差別的内容の(あるいはインド人差別の)問題性
に気づくこともなく,その本に心躍らせている人々ばかりです。そして,「チビクロさ
んぽ」を購入することが意味するものは,「ちび黒サンボ」を肯定的にとらえ,そこに
隠された黒人差別意識の問題性を持ち続ける,あるいは強化させているあらわれそのも
のであると思われます。
日本でおこっている黒人差別の実態の内容とそれについてどのようにお考えをおきか
せください。また「ちび黒さんぽ」と黒人差別の関係であるということに関して,どの
ようにお考えでしょうか。
以上の内容についてあらためて,お手紙をいただければ幸いと思います。
守の返事(その1)へ戻る
守の返事(その2)へ進む
さんぽQnadAへ戻る
守一雄ホームページへ戻る