友好短信2019.1~12

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 W杯スピードスケート・長野大会  中国選手団へ熱い声援 (12/13~15)  2019

 12月13日から3日間、長野市オリンピック記念アリーナのエムウェーブで3年ぶりに開催されたワールドカップスピードスケート競技会・長野大会には、世界27カ国から228名の選手の参加のもと、コンマ何秒差を競う迫力あるレースが展開されました。

 日本を代表する小平奈緒さんや高木菜那・美帆姉妹の活躍で大会も盛り上がりを見せましたが、2年後に迫った北京冬季オリンピックが開催される中国からも男女合わせて29名もの選手のエントリーがありました。

 中国を相手国とするホストタウン事業を実施している長野県と長野市の日中友好協会ではこの機会に中国選手の応援をしようと関係者に呼びかけ、競技会場のリンクコーナーに応援席を設けて、小旗を振りながら「加油(ジャーヨ!=ガンバレ!)中国」の声援を送りながら、東京オリンピック後の北京冬季オリンピックの成功も祈念したところです。

 友好協会会員らが3日間にわたり延べ50名が応援に駆け付けました。中国帰国者交流センター日本語教室で学ぶ帰国者の皆さんも16名が参加し、熱心に声援を送っていました。皆でチームリーダーの張さんを囲んで記念写真に納まりました。
(長野・吉岡弘海 記)
   
 長野孔子学堂中国語教室年末交流会、訪中報告や中国語の体験を発表(12/7)

 長野ラジオ孔子学堂は12月7日ホテル信濃路において、中国語学習者ら40名が出席して年末交流会を開きました。9月の北京放送局訪問団の訪中報告や中国語学習体験発表などが行われ、続いて交流懇親会がなごやかに行われました。

 竹内勲学堂長は「長野ラジオ孔子学堂中国語講座は県日中友好協会と中国国際放送局が2007年に提携してスタートしたが、中国語を学ぶ会時代から数えると40数年になる」と振り返りつつ、「継続は力。友好の懸け橋としての中国語学習の輪を広げていきたい。今日は中国語学習者同士の交流を深めてください」とあいさつしました。

 訪中団に参加した伊藤iさんは中国国際放送局日本語部の皆さんからあたたかい歓迎を受け交流した状況や、故宮や万里の長城、世界園芸博覧会などを参観した様子を映像を交えて報告しました。

 中国語学習の体験発表では伊藤kさんや大矢さんらが発表しました。千里の道も一歩から、孔子学堂の老師から熱心に指導をいただき、HSK中国語検定で新たな目標をもって頑張ってきたこと、歳はとっても学び続ける意気込み、スピーチコンテストに出場してレベルアップにつながったこと、学生とともに中国でのインターンシップ体験をし交流を深めてきたことなど興味深い話に皆さん熱心に聞き入っていました。

 第2部の交流懇親会では西堀正司・孔子学堂理事長があいさつし、謝宏宇・国際放送局孔子学堂責任者の音頭で今後の中国語学習の普及と向上のために来年も頑張って行きましょうと乾杯しました。中国文化サロンで学んでいるメンバーが民族楽器フルスや、二胡の演奏を披露したり、お楽しみビンゴゲームで盛り上がり、なごやかな交流会となりました。
  河北省冬季オリンピック弁公室訪日団、人材養成協力を協議(11/27~29)

河北省から冬季オリンピック弁公室訪日団(呂国新弁公室副主任一行6名)が11月27~29日来県しました。河北省は現在張家口市崇礼区で開かれる2022年の北京冬季オリンピックのスキー競技大会の成功に向け、競技施設の整備や大会運営人材の養成、選手強化などに取り組んでいます。

 11月27日一行を迎えて、長野市の犀北館ホテルで歓迎会が開かれました。歓迎会には、花岡徹県国際担当部長、高波謙二県日中友好協会会長、太谷陽一県スキー連盟副会長、河野博明県スキー連盟顧問、西堀正司県日中副会長・会長代行、根橋幸夫県国際課長はじめ関係者23人が出席し、一行を歓迎しました。河北省外事弁公室アジアアフリカ処処長の梁国輝氏も同行され、大勢の友人に囲まれてあたたかい雰囲気に満ちた歓迎交流会となりました。県スキー連盟の応援歌を披露し、「フレーフレー、チャイナ」のエールで結ぶと大きな拍手が沸き起こりました。

 一行は翌日、白鳥亘県国際課課長補佐や布施正幸県日中理事長とともに白馬村を訪れ、太谷副会長(白馬村スキークラブ会長)をはじめスキークラブや白馬八方尾根スキー場関係者の案内でオリンピックジャンプ台や白馬スノーパーク(クロスカントリー競技場)を視察するとともに今後の交流について熱心に懇談しました。スキー競技大会運営やスキー場管理の人材を養成するための研修視察などについて要望が出され、これについて県スキー連盟(白馬スキークラブ・スキー場)、長野県、県日中スキー交流委員会、県日中友好協会が協力して対応していくこととなりました。また、河北省への指導者派遣なども進めていくこととなりました。

 第23期 日中関係を考える連続講座スタート、第1回は「令和・万葉歌人と漢文学」(11/23)

長野県日中学術交流委員会の主催で、11月23日長野県日中友好センター教室において第23期第1回講座が開かれました。講師は長野県立大学の谷口眞由実教授、演題は「”令和”と『文選』-万葉歌人と漢文学-」でした。

 谷口先生は唐詩が専門だそうですが、大宰府のトップ(大宰帥)の座にあった大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅で観梅の宴が催され、そのとき読まれた和歌を収めた万葉集巻5梅花の歌32首の序が原典となっていることやそれに影響を与えた王義之などについて詳細に解説しました。旅人は漢文学の造詣が深く、九州の地(体のよい追放)にあって、世俗を超越する心境から東晋の書家(将軍)王義之に心を寄せ、その『蘭亭集序』(曲水の宴での41人の詩集の序)や『文選』巻15・後漢の張衡『帰田賦』などを深く会得していたこと等を説明いただきました。万葉歌人と漢文学の深いつながりの中から「令和」が生まれたことを知り、悠久な日本と中国の文化交流の歴史を改めて理解することができました。

 なお、この日中関係を考える連続市民講座は中国を多面的に理解するために県内で活躍している大学・短大等の先生を講師に迎え開催されてきました。歴史的に深いかかわりを持ち、日本の最大の貿易相手国である中国は巨大な変化を遂げ、GDP第2位の経済大国となりました。14億人が住む隣国中国に対する関心を持ち理解を深めることは日本にとって一層重要となっています。

 明年4月まで、毎月1回、計6回の講座が予定されています。次回は12月21日、塚瀬進・長野大学教授が「満州で活動した日本人ー満州事変前を中心にー」と題して講演します。お誘い合ってご参加ください。
  河北省農業庁訪日団来県、りんご園など参観,(11/20~22)

 河北省農業庁訪日団(王国発・河北省農業農村庁長一行15名)が11月20日から22日長野県を訪問しました。一行は21日午前、JA会館を訪れ、県日中農業交流委員会会長の武重正史・JA長野中央会専務はじめ、県農政課佐藤源彦企画幹、県国際課の春原直美企画幹らから歓迎を受けました。席上10月の台風19号による被災話題となり、鋭意生活拠点の再建に取り組み、引き続いて果樹園など生産拠点の復旧に取り組んでいる様子を紹介するとともに、農業交流について意見交換しました。王団長からは甚大な被災に対し、お見舞いの言葉があり、今後とも農業技術や農産物の加工技術、人材交流などを進めていきたいとの要望が出されました。引き続いて担当者から長野県農業の概況及びJAの仕組みと役割などの紹介が行われました。農協組織の役割などに熱心な質問が行われました。

 一行は、この日午後、飯綱町の原山武文さんが経営するりんご農場を訪れ視察交流しました。原山さんは同町日中友好協会の会長で、中国の遼陽市にりんご栽培の技術指導に何度も訪れるなど交流しています。4haのりんご栽培をしていて、富士を中心とした収穫の真っ最中でした。10人近くの皆さんがもぎ取り作業をしていました。また町の農政課長さんや友好協会役員の皆さんも歓迎してくれ真っ赤に色づいたりんごのもぎ取り体験もして全員で記念写真に収まりました。河北省にも技術指導に来ていただきたいとの要請もありました。

 続いて山ノ内町の乳牛飼育・加工場を行っている山本宏之さんの飼育場・加工場を視察しました。小規模ですが乳製品の加工などを手掛けている様子を紹介いただきました。

 視察を終えてホテルへの帰路、千曲川沿いの被災地を通りましたが、生々しい災害の爪痕をが残っており、一行はじっと見入っていました。

 夜の歓迎会には武重・県交流委員会会長、高波謙二・県日中友好協会会長、草間康晴・県農政参事ら長野県側から関係者20名余りが出席しました。なじみの深い河北省外事弁公室の紀竑さんが同行されていてなごやかな懇親交流会となりました。席上王団長より団員の皆さんのお見舞いの志として、被災地への義援金10万円が高波会長に託されました。(この義援金は11/25高波会長が阿部守一知事を訪ね趣旨をお話しして復興に役立てていただくようお渡ししました。)

 一行は翌日、農産物加工の長野興農㈱長野工場を訪れ、竹中保義次長らの案内をいただきました。
 県高校生選手が吉林北山四季スキー場で合宿、河北省選手とも交流(11/12~17)

 長野県スキー連盟は県日中スキー交流委員会の2022年の北京冬季オリンピックに向けての支援交流の一環として、クロスカントリーの強化合宿を11月12日から17日の6日間、中国吉林省の北山四季クロスカントリースキー場のスキートンネルにおいて行いました。このスキートンネルは、かつて地下壕に使われていたものを利用して整備したもので、アップダウンのある1.2kmを周回する素晴らしいコースで通年利用できます。 

 合宿には長野県高校強化選手の男子4名、女子4名とコーチ陣ら11名が参加しました。一行は河北省バイアスロン強化選手とともに数日にわたり一緒にトレーニングを行い、お互いのテックニックの特徴の把握やスピードトレーニングをしながら、しっかりと交流も深め、今後のライバルとして刺激し合うことができました。

 中国ナショナルチームをはじめ各省の強化選手たちが北京オリンピックを目指し、国全体で施設管理・選手強化している方針には驚かされました。

 滞在先の松花湖プリンスホテルも快適でホテルの皆さんも我々選手に対しサービス精神で対応していただきました。

 国の政策としてスノースポーツ人口を3億人に増やすという国家プロジェクトは到底まねできることではありませんが、長野県選手が世界に羽ばたき活躍することで日本・長野を更に認知してもらうことはできます。まずは選手強化育成をしっかりと行い、選手のそれぞれの課題克服のためにしっかりと指導していきたいと思います。

 我々コーチ陣も良い経験をさせていただき充実した遠征となりました。(県スキー連盟強化委員長・祢津和利/ヘッドコーチ・川辺俊一郎)
 人民中国読者会、50回記念に陳文戈社長迎え記念講演と歓迎交流会(11/9)

 長野県「人民中国」読者会は11月9日、長野市の犀北館ホテルにて読者会開催50回を記念し、「人民中国」雑誌社の陳文戈社長一行をお迎えし、記念講演と歓迎交流会を開催しました。茂木博読者会会長はじめ会員ら20名が出席し陳先生の記念講演に耳を傾けた後、意見交換を行いました。歓迎交流会では、日ごろ愛読している「人民中国」の感想や様々な要望などが出され有意義で打ち解けた交流ができました。陳先生は2013年に次いで2度目の来県で、顔なじみも多く、あたたかい歓迎に故郷に帰ったようですと喜んでいただきました。

 主催者あいさつで茂木会長は、「読者会は2011年設立以来、隔月で例会を開催してきたが、この度、50回を迎え、会員は中国の最新事情を紹介する『人民中国』を愛読し多くのことを学んできた。陳先生をお迎えして50回を記念することができ大変うれしく思います」と述べました。同行した人民中国東京支局長の于文先生も、50回の会を祝し、毛沢東の言葉を引用して継続することの重要性を称えました。山根敏郎読者会顧問も長年の「人民中国」の愛読者として親しく一行を歓迎しました。

 陳先生は講演の中で、50回の記念を祝い、また先ごろの台風19号の被災者に対してお見舞いを述べた後、概略次のように話されました。

--民間交流は日中両国関係の基礎であり、「人民中国」は両国人民の友好交流と相互理解を進めることを編集の基本にしている。日ごろ皆さんから貴重な意見をお寄せいただき感謝している。

 11月の北京東京フォーラムの開催に協力したが、その際両国の世論調査結果が発表された。中国では日本に対する好感度がアップしているが日本人の中国に対する好感度はアップしていない。メディアの報道の仕方や空気汚染、人口差などの要素はあるが、訪日した中国人は昨年830余万人に達し、日本に対する好感度アップに貢献している。一方日本からの訪中者は260万人と横ばいで特に若者の訪中が少ないように思う。訪中した方の感想は違ったものになってくだろうし好感度もアップすると思う。是非大勢の方に訪中していただき中国の現実に触れていただきたい。

 人民中国社として雑誌の発行のほか、日本の多くの若者に中国の実情を知ってもらうためニューメディアにも力を入れている。またいろいろなイベント開催にも協力している。1つは2014年からパンダ杯中国語作文コンクール(「私と中国」)を共催している。述べ2000人の応募があり20人近い優秀者を招待しているが訪中した学生などの感想を聞くと行く前は両親が心配するケースもあったが、訪問してみて中国の食文化や案内してくれた中国人の優しさに触れ感激し良い印象を持つようになったと述べていた。もう1つは北京東京フォーラムの開催。両国の政治・経済・文化界のハイレベルの関係者が参加してかなり大きな影響を持つものとなっている。いずれも友好に貢献することを目的にしている。

 「国交わり、民親しむ。民交わりてその心を知る」と言われる。隣国は選ぶことはできないし、引越しもできない。けんかしたら共に傷つき、仲良くすればウインウインの関係になる。中国は建国70周年を迎えたがこの間の変化は巨大で、日本の皆さん特に若者に今の中国を知ってほしい。アメリカは自国第一主義、保護主義で他国を犠牲にしているが、自由貿易と協力によってウインウインの関係を築くのが主流であるべきだ。日中両国は2千年の交流の歴史がある。中国と日本は運命共同体であり両国人民の心が通じ合うことにより明るい未来を展望できると確信している。読者会は50回の節目を迎え新たな始まりを迎えた。今後の一層のご活躍を期待したい。--

 歓迎交流会では、西堀正司県日中友好協会副会長が歓迎お祝いのあいさつを述べ、布施正幸県日中理事長の音頭で乾杯の後なごやかな懇談交流が行われました。「北国の春」や「草原情歌」「ふるさと」「我愛北京天安門」などが次々と披露され、陳先生も一緒に歌う場面も見られ、大きな拍手がおくられました。
 被災地で災害ボランティアに参加、中国友人も汗流す(11/2・3)

 10月12日・13日の台風19号によって長野県内の千曲川流域は広範囲に洪水に襲われ上流から下流域に至る甚大な被害を受けました。13日には長野市、千曲市、飯山市の被災地を回ってみました。14日には上流の佐久地方を回りました。濁流と土砂の威力はすさまじく多くの家屋を押しつぶしたり床上浸水、床下浸水、背丈の倍近い高さに濁流が運んだごみがリンゴの木にかぶさっている光景はまさに廃墟でした。自然の猛威を前に肩を落とす人々の姿が目に焼き付きました。

 しかし、被災地の人々は日が経過していく中で、気を取り直して、家の中をかたずけ、前に進もうとしていました。ボランティアの呼びかけがおこなわれ、徐々に現地に向かう人々が増えてきました。本当にボランティアはありがたい、切なる声がテレビで紹介されていました。しかしまだ圧倒的に足りない、もっと参加してほしい、もっと応援してほしい――。 

 丹羽宇一郎会長の『死ぬほど読書』を読んでいたら、三国志の劉備の「悪、小なるをもって之を為すなかれ。善、小なるをもって之を為さざるなかれ」という言葉が出ていました。こだまの様に胸に残こりました。

 友人の謝宏宇さん(中国国際放送局から長野孔子学堂に派遣され長野市滞在中)と被災状況について話し合った中で、やはり現地に行ってボランティア活動に参加しようということになりました。3連休の11月2日、時間が取れたので、ボランティアに参加しました。(謝さんは3日に参加。)

 まず柳原総合市民センター脇に設置されている長野市北部災害ボランティアセンターで受け付けを済ませます。マスクとゴーグル、(軍手)が渡されます。(長靴と昼飯と飲み物は必ず持参する必要があります。)5人ずつのグループに分けられて、その中に経験のある人がいるとリーダーに指名されます。付箋2枚に名前と携帯番号を書き入れ2枚のA4用紙にそれぞれ付箋を各自1枚ずつ張ります。一方の用紙はセンター事務局の方に提出し、1枚は各グループリーダーが持つという簡単だが合理的な方法です。4グループほどが一緒にマイクロバスに乗り込んで被災地に向かいました。我々のグループはみな長野市の方でしたが1人は豊野の勤め先の工場が被災し機械類が全滅、工場のかたずけは終わったが、現在自宅待機となっているとのことでした。

 この日のボランティアは2300人、被災がひどかった地区に優先的に投入されたようで、長野市長沼津野に入りました。堤防が70mにわたって決壊した集落でした。長野市の施設である長沼公民館がボランティアセンターの津野サテライトになっていました。ここは決壊した堤防から100mほどのところにあって天井近くまで洪水が押し寄せたことがわかる建物でした。構造がしっかりしていたので鉄骨の柱と天井はしっかり残っていて、昼食時の休憩場所などにも使われていました。この建物の北側には農家の立派な入母屋造りの2階建ての建物が建っていましたが、1階は濁流に流され今は家財道具も畳も床もみんなはがされ周辺の納屋などはひん曲がって無残な姿をさらしていました。災害ごみとかき出された泥の量は半端ではありません。(写真参照) 南側には体育館があり、形はしっかり残っていますが、間にある民家は土台だけで上は姿かたちも残っていません。濁流が直接押し寄せ何件も持ち去っていったようでした。集落センター入口の近くに災害ごみの仮置き場があって雑然と積み重ねられた家電、戸棚あらゆるごみが目に飛び込んできました。(業者さんなどの車が入ってどんどん正規の集積場所に運んでいますが、次々にごみが出されて満杯状態が続いているといいます。)

 グループリーダーが室内に集められて、ボランティアに入る場所を指示されます。いよいよスコップなどを受け取り、現場に向かいます。入った先のYさん宅は果樹農家で2階建ての立派な構えのお宅でしたが、一階が背丈ほど浸水し土砂も流れ込んで大きな被害を受けたとのこと。すでに家財は運び出され床や土壁もはがされ、床下の泥もかき出され吹き抜け状態となっていて大分片付いているように一見見えましたが、よく見ると庭にうずたかく中から運び出された泥が積まれていました。犬走部分にも泥の山、庭の植木も泥に埋まり他所から流されてきたファンヒーターや屋根のトタンらしきもの、絡まり合った大小のごみくず、中には祭りの幟を掲げる長い柱まで、植木にのしかかっているありさまでした。15人ほどで、さっそく泥を土のう袋にスコップで詰め道路沿いのスペースに一輪車で運び出す作業に取りかかりました。慣れない手つきの人が多かったですが、みんな積極的に作業していました。中に東京から参加した若い男女がいました。スコップの疲れない扱い方を教えてやると「すごく楽です」と感謝されました。昼はサテライトに戻って、持参したおにぎりをほおばります。愛知県や鳥取県から参加した方と話ができました。大きな災害があると各地に出向き今回6度目といいます。頭が下がりますと話しました。休み時間を利用して、決壊した堤防と周辺を歩いてみました。堤防は仮修復がなされ2重構造で当面の憂いが無いような構造になっていました。堤防道路から津野の集落に入っていく標識が土手下に転がっていました。また土手下の公園の遊具が完全に水没した後をとどめていて3mほどの高さのところまでごみがまとわりついていました。付近の神社やお寺も大きな被害を受けたといいます。360度の風景を心に留め静かに深呼吸しました。

 現地に入っての活動は午前10:30に始まり、午後3:00まででしたが、庭の泥搬出がようやく一段落したところでした。復旧にはかなりの時間を要すると実感しました。Yさんは70代の年配の方で、大変感謝されました。家はリフォームか建て替えか思いを巡らせているようでした。差し入れのみかんをおいしくいただきました。Yさん宅を後にしサテライトに集まり、再びマイクロバスで柳原のセンターに戻ったのは4:15頃でした。皆さん疲れてはいましたが、被災地に思いを馳せながら家路につきました。この地区はまさに泥との闘いであり、泥水に浸かった家財ごみとの闘いだと実感しました。

 謝さんに連休明けに再会し話を伺うと、入った先は同じく津野で道路脇側溝の泥出し作業を行ったとのこと。これは一段と労力のいる作業です。中国の友人が慣れないスコップを手にして、汗を流してくれたことは本当に感謝の念を禁じ得ませんでした。ご苦労様でした。中国の方はよく四川大地震の際の日本の支援に感謝を述べ、東日本大震災の際には日本頑張れと様々な支援をしてくれました。日中両国の人々の友情を想起しながら友好を進めていきたいと強く思いました。

 広範囲にわたる今回の災害では引き続きボランティアの支援が必要ですが、国県地元市町村、特に国による強力な財政投下による、生活の拠点の整備支援、生業の再構築支援が必要だと痛感しています。みんなで声援を送るとともに、みんなで強く要請していきたいものです。地球温暖化の中で100年に一度と言われていた自然災害は今後多発していく可能性が高いと言われています。自分たちの身近なこととして考えていきたいと思います。(F)
  満蒙開拓平和記念館のセミナー棟が完成(10/19)

満蒙開拓団の悲惨な歴史を伝え、平和の尊さを語り継ぐ「満蒙開拓平和記念館」の新館セミナー棟が完成し、10月19日竣工式典が行われました。同館や行政、日中友好協会、地元関係者ら約50名が出席し竣工を祝うとともに、これまでの記念館の歩みを映像で振り返り歴史継承へ気持ちを新たにしました。

新館セミナー棟は、本館西側に増築された木造平屋建て建物で、床面積が約90坪。メインは、120人規模のセミナールーム、40人規模の映像ルームなどを備え、特に本館の一番の特徴である「光の回廊」を真っ直ぐに進むと、渡り廊下で今回のセミナー棟に一直線につながる構造となっています。設計者によるとこの「光の回廊」を象徴する館は、平和を祈る聖堂として記憶に残る空間を表しているとのこと。

満蒙開拓平和記念館は、2013年4月、全国で最も多くの開拓団を送出した長野県下伊那地区に全国で唯一の「満蒙開拓」に特化した記念館として誕生しました。日中双方を含め、多くの犠牲者を出した満蒙開拓の史実を通じて、戦争の悲惨さ、平和の尊さを学び、次世代に語り継ぐと共に国内外に向けた平和発信拠点としてスタート、以来様々な平和活動、友好活動に取り組み今までに17万人余りの来館者を受け入れています。

これまで会議室スペースが狭く修学旅行など大人数の受入れに支障をきたしていましたが、セミナー棟の完成によりスムーズな受け入れ体制が整いました。

式典で挨拶に立った寺沢秀文館長は、セミナー棟建設に関わったすべての人に感謝を述べ、「セミナー棟の完成が目的ではない。当館から何を発信するか、平和の種まきのスタートと考え歴史の中から未来に向け平和発信を語りつなげて行きたい」と力強くあいさつしました。また、来賓代表として、大月良則・県健康福祉部長は「国策で長野県から多くの満州開拓団を送り出した。その歴史を語りついでいく責任がある。この記念館は日中友好交流の拠点、平和活動の拠点、新たなスタート拠点であり、平和を次の世代に語り繋げていく大きな役割を果たしていけるよう行政も協力していきたい」と述べました。最後に松川高校ボランティア部長の大平一真さんより、「満蒙開拓の歴史を私たちが後世に伝え、平和の種まき、学びを通じてメッセンジャーとして心の目を磨いて取り組んでいきたい」と誓いの言葉を述べました。長野県日中友好協会から布施正幸理事長、中澤保範事務局長が出席し、関係者の労をねぎらい今後の発展に期待を述べ激励しました。

 台風19号、千曲川流域洪水被害に対するお見舞い(10/18)

 10月12・13日の台風19号により東日本各地が広範囲で被災し、92名が死亡・行方不明となりました。長野県内でも長野市、飯山市、須坂市、千曲市、上田市、東御市、佐久市、佐久穂町、小布施町など千曲川流域が甚大な洪水被害に見舞われました。全県で4名の死者・行方不明者を出し、床上、床下浸水による住宅被害が9066世帯にのぼりました。内訳は長野市5086世帯、千曲市2101世帯、飯山市613世帯、佐久市438世帯、須坂市318世帯他となっております。中でも長野市の浸水域は1500ha余りで、千曲川の堤防決壊により、穂保、豊野などの長野市東北部が、916ha、千曲川が越水した影響により篠ノ井地域が359ha、松代地域が156ha、若穂地域が80haと想定以上の被害状況となっています。

 今回の台風19号は、東北信地方の広い範囲で大量の雨をもたらし、県内アメダスの観測点で13日までの48時間の最大雨量は、南佐久郡北相木村で411.5ミリと観測史上最多を記録、上田市、佐久市、軽井沢町、高山村の観測地では、300ミリを超え、、軽井沢町を除き雨量は観測史上最多を更新し大きな被害につながったと見られています。

 犠牲になられた方に哀悼の意を表しますとともに被災された方に心からお見舞い申し上げます。日中友好協会会員の中にも被災された方がおられ、また親戚、知人の皆様の中にも被災された方がおられると聞いております。心からお見舞い申し上げますとともに、一日も早く平常な生活に戻られますよう願っております

 長野県の被災の状況は中国でも詳しく報ぜられており、中国の友人からも次々とお見舞いのメッセージをいただいております。河北省外事弁公室、中日友好協会、中国国際放送局、「人民中国」雑誌社、中国大使館、吉林省、日中友好会館後楽寮留学生など友人の皆さんのあたたかい励ましに感謝いたします。

  2019年10月18日 長野県日中友好協会  会長 高波謙二  役 職 員 一 同
     
 中華人民共和国建国70周年講演と祝賀のつどい、宮本元大使大いに語る(10/10)

 長野県日中友好協会・県日中経済交流促進協議会・県日中学術交流委員会は10月10日、中華人民共和国建国70周年を記念して講演と祝賀のつどいを長野市内のホテル犀北館で開きました。講演会には、130名が出席。元中国大使の宮本雄二先生(公益財団法人日中友好会館会長代行)を講師に迎え「平和で安定した日中関係を築くために」と題して記念講演が行われました。終了後、先生を囲んでパネルディスカッションがおこなわれました。長年外務省アジア局中国課に籍を置き3度にわたり中国駐在経験を持ち、2006年から10年まで特命全権大使を務めた宮本先生ならではのお話で、今後の日中関係の在り方を考える大変良い機会となりました。

 高波謙二・県日中友好協会会長が主催者を代表して、「本年、中華人民共和国建国70周年を迎えた。中国は急速な変化と発展を遂げ、国際社会における比重を高めており、日中の貿易額も対米貿易を大きく引き離して、往復33兆円を記録した。日中関係は21世紀に入って歴史認識問題、尖閣問題によって困難な状況が続いてきたが、昨年の両国首脳の相互訪問、首脳会談によって好転し、正常な軌道に戻った。このチャンスを活かし、長期的視点で安定した日中関係を築いていきたい。宮本雄二先生を講師に迎え、平和で安定した日中関係を築くためにはどうしたらよいかをともに考えたい」とあいさつしました。

 宮本先生は冒頭、長野県が(開拓団送出日本一の)歴史を踏まえ中国との関係を大切にし草の根から友好関係が出来上がってきたことにかねがね敬意を抱いてきたと述べ、大使在任中に方正の日本人公募を参拝したこと等も紹介したうえで、これから中国とどう付き合うかについてわかりやすく、深い洞察に富むお話をしていただきました。(概略下記参照)

 ――将来の日中関係を考える上で、なぜ日本が中国侵略に始まる対米戦争という過ちを犯したのか総括する必要がある。かつて日本は中国のナショナリズムを過少評価し、対中侵略を進め更に全く展望のない対米戦争まで突き進んでしまった。第1次世界大戦後の平和構築に向けた世界の大きな流れを見ることに失敗した。これから中国とどう付き合うかを考える上で、このことをしっかり押さえておく必要がある。

 中国の発展は目覚ましくGDPで今や日本の約3倍規模になっておりやがて米国を追い抜くだろうが、中国がダントツの1位になることはないだろう。世界は多極化の時代に入っており、中国は経済では自由貿易を、国際政治では常任理事国として国連憲章に基づく国際的なルールを支持している。その点で、大きな方向で中国と日本は一致している。そこを突破口に政治、経済の国際的枠組みを日中がともに支え、強化することを全面的に打ち出すべきだ。中国は変わり続けており、中国共産党の統治力や変わる力に注目すべきだ。今までこうだったという固定観念は捨てたほうが良い。日中は共通の言葉を持つに到った。

 日中関係を考える上で、中国人の対日観が急速に変わってきている。訪日観光客の増加やスマホなどを通じて日本に対する好感度がアップしてきている。両国の歴史認識問題については以前は大きな障害だったが世代交代が進み脇における時代になった。閣僚らによる靖国参拝など日本がきっかけを作らなければ問題は起こらないと思う。過去の歴史より、改革開放の実績と今後の中国の発展を自信をもって進んでいける状況が生まれ、対日観も客観性を持つようになった。

 米中関係が激化している。アメリカは自分に追いつき追い越そうとする国が出現するのは面白くない。かつてソ連、次に日本がバッシングの対象になった。経済、軍事・安全保障面で、アメリカは中国の台頭を押さえつけようとしている。軍事・安全保障面では軍人は最悪を想定して相手を過大評価し軍拡→戦争と進んでいってしまう傾向がある。中国人は考えている最中だが、冷静に考えれば中国を攻める国はない。軍事力に頼ることなく、自由貿易、国連強化などソフトパワーをもって、安全と尊厳を守ることが賢明であることは言うまでもない。日本は米中を衝突させない役割があり、貢献できるのではないか。

 日中関係は国民の信頼関係が低下していると言われるが、一番関係が悪化したときでも10%すなわち1200万人の日本人が中国が好きとの世論調査結果だった。国民同士の交流を通じて等身大の中国を理解することによって両国関係は安定する。号令一下右向け右という中国人はいない。中国人は「義」の価値観が一番強いように思う。中国人は道理が無ければ従わない。留学生に温かく接し、日中関係を大切にしたい。今後の日中関係を考えるとき、一番心配なのは日本の若い世代が中国との関係にあまり関心を持っていないこと。日本にとって中国の重要性は年々増している。中国とどう付き合うか、自分たちの問題として考えてほしい。――
 
 講演後、宮本先生を囲んで濱田州博信州大学学長をパネラーに、西堀正司・県日中理事長がコーディネーター役をつとめ、パネルディスカッションが行われました。参加者は熱心に耳を傾けました。

 第2部の祝賀パーティーでは、高波県日中会長、濱田県日中学術交流委員会会長のあいさつに続き、花岡徹県国際担当部長、太田昌孝(代)・井出庸生(代)衆議院議員、小松裕(県卓球連盟会長)・若林健太前国会議員の祝辞の後、犛山典生県経営者協会事務局長の音頭で乾杯しなごやかに懇談交流しました。また高橋要長野市商工観光部長、大月良則県健康福祉部長、、樋代章平八十二銀行常務執行役員、根橋幸夫県国際課長、岡村重信県プロフェッショナル人材戦略拠点事務局長、埋橋茂人県議(代)、李妮県国際交流員、娜日蘇長野市国際交流員、石家庄市研修員の魏薇・王瑶さんらからも祝辞をいただきました。また長野ラジオ孔子学堂のフルス教室のメンバーが日ごろの練習成果を発表し、研修生や女性会員らが「北国の春」や「ふるさと」などを披露し拍手を浴びました。王昌勝県華僑総会会長が締めのあいさつを行い、盛り上がりの中懇親会が終了しました。
 中国語スピーチコンテスト長野県大会、若者が活躍(10/5)

10月5日、長野県日中友好協会ラジオ孔子学堂の主催による第37回中国語スピーチコンテスト長野県大会が開催され、高校生、大学生から70代の中国語学習者までの24人が出場しました。高校生や大学生の参加活躍が注目されました。

朗読部門には高校生部門3人、大学生部門7人と一般部門9人が参加、それぞれの全国統一課題文を発表し発音や表現力を競いました。

 弁論部門には5人が出場、自作文で中国語による内容や表現力を競いました。中国旅行や中国赴任などを通じて、中国の皆さんと交流し中国と直に接する中で、中国の人々のあたたかさに触れ、中国が好きになったことなどを取り上げ、本格的な弁論発表となりました。

弁論の部では長野高専の学生、久保田拓樹さん(18)が優勝しました。久保田さんは中国にインターンシップで訪問した体験を語り、「訪中前は、マスコミ報道の影響もあり、中国が好きではなく乗り気がしなかったかったが、行ってみて中国の実情や親切に案内してくれる皆さんのあたたかさに触れ、大きく考えが変わった。中国語も熱心に学び仲良くしていきたい」と述べました。

 岩下隆審査委員長は講評の中で、審査の点数は僅差だったと述べるとともに、「正確な発音やイントネーション、区切りを意識することが、美しい中国語に必要。弁論の部では多様でハイレベルな内容だった。導入と展開など工夫して説得力を持たせることが大切」と、課題も提起し激励しました。

 竹内勲長野ラジオ孔子学堂長は冒頭の主催者あいさつの中で、勇気をもってチャレンジした出場者に敬意を表した後、中華人民共和国成立70周年の記念の年、日ごろの学習の成果を発揮するよう激励、中国語の学習を通じて相互理解を深め、民間交流を進めていくよう期待していますと述べました。西堀正司県日中友好協会副会長も日本にとって大事な隣国中国は建国70周年を迎え大きく変化発展している。中国語を学び現在の中国を理解し友好促進に貢献してほしいとあいさつしました。

 また、中国国際放送局長野ラジオ孔子学堂責任者の謝宏宇さんは審査員を務めるとともに、「中国語を学ぶコツ」と題して講演しました。真面目にコツコツと学ぶことと前置きして、①早口言葉、②中国の現実に合ったテキストを使う、中国の小1、小2のテキストなどもおすすめ、③たくさん暗記する、漢詩など、④現地の中国人と付き合って中国語をどんどん使う、⑤自信をもって、間違っても恥ずかしがらず話す、⑥そして大事なことは言葉を通して、中国社会を知ることと述べました。皆さんうなずきながら聞き入っていました。

 当日、会場には出場者の友人や中国語学習仲間なども応援に駆けつけ拍手を送っていました。

 入賞者は次のとおりです。
 弁論の部 一般・大学生部門 ①久保田拓樹 ②上條優子 ③関翔之輔 (敢闘賞)大矢健一 (奨励賞)高橋堅治
 朗読の部 高校生部門 ①浅田鈴音  ②森山舞南  ③松島実優
 朗読の部 大学生部門 ①和田萌夏  ②小栁瑠南  ③鈴木来夢  (努力賞)滝澤侑実 (奨励賞)祢津杏香 
 朗読の部 一般部門 ①伊藤育子 ②林清秀 ③山内志歩  (努力賞)伊藤勝善 (奨励賞)依田光枝

 入賞者にはトロフィーや楯が、また出場者全員に記念品として東京オリンピックパラリンピックのホストタウンのピンバッチが贈られました。弁論の部で優勝した久保田拓樹さんと朗読の各部門1位の皆さんは来年1月の全国大会に県代表として推薦されます。

 漢字文化と薬膳料理を学ぶ、東京五輪ホストタウン講座(9/29)

 長野県日中友好協会女性委員会は9月29日、漢字文化と薬膳料理を学ぶ会を長野市柳原交流センターで開きました。2020年東京五輪・パラリンピックのホストタウン事業の一環としての催しで中国の文化を学ぼうと企画したもので、会員や市民ら30人余りが参加しました。

 冒頭県国際課国際交流係の横山紗央里さんが県のホストタウン事業の取り組みをわかりやすく説明し、東京オリンピックに向けて中国との交流を進めている様子が紹介されました。東京オリンピック・パラリンピックまであと1年を切りました。中国を相手国とするホストタウンに長野県はじめ長野・須坂・上田・飯山の各市・下諏訪・山ノ内の両町が内閣府の許可を得て登録されていて様々な交流事業や、文化講演活動が行われています。明年は本番に合わせてパブリックビューイングやコミュニティライブサイトなどの取り組みも予定されています。

 続いて、書家で驥山館館長の川村龍洲先生が「改めて知る漢字の凄さ」と題して話し、漢字の成り立ちについて様々なエピソードを交えながら解説しました。

 川村先生は、家に女性がいて安らぐ様子から安が生まれ、右手と左手の象形文字から右と左の字が生まれ、書き順も異なることや、2人が背中合わせで反対方向を向く様から「北」という字ができたーなどと漢字の成り立ちを説明。「道」の語源について、古代中国では敵の土地を進む際に敵の大将の首を供えてから進むと支障がないという信仰があったと言います。また奈良時代に渡来した「菊」は音読みの「きく」以外に読みがないことにも驚かされました。「何気なく使っている漢字だが、字の元をたどるといろいろな知恵や発想が見えて面白い」と語りました。

 参加者はその後、国際中医薬膳指導員・薬膳アドバイザーの山岸美智子先生の指導で中国式「薬食同源」の考えに立った旬の食材を使っての薬膳料理作りに挑戦しました。血行促進の効用のある秋刀魚と梨のソース添え、美肌効果のあるクコと蓮根のすり流し汁、高血圧予防に役立つむかごのご飯、疲労回復・不眠解消のナツメとビワの薬膳茶など6種類の献立を4グループに分かれて取り組みました。山岸先生の指導よろしきを得て6品を効率よく完成させ皆さん楽しくおいしくいただきました。

 宮沢信代女性委員長は、今後ともこのような機会を作り、友好の輪を広げていきたいと語っていました。
  第32回日中友好武術太極拳フェスティバル開催(9/29)

 NPO法人長野県武術太極拳連盟は9月29日に「第32回長野県日中友好武術太極拳フェスティバル」を長野市ビッグハットにて開催しました。 当日は長野県全域から28団体、1,000名を超える愛好者が集い、互いに演武し交流を深めました。幅広い年齢層に愛される武術太極拳、シニアとジュニアが共に参加し楽しむことができました。

 開会式では、桜井啓司理事長が、「日頃の練習の成果を発揮して有意義なフェスティバルにしてほしい」とあいさつしました。来賓として県日中友好協会の布施正幸理事長は日ごろの友好活動への協力に感謝した後、「武術太極拳のふるさと中国は建国70周年をむかえ、日中関係も好転してきている。太極拳を通じて日中友好の架け橋になっている皆さんの一層の活躍を期待します」と述べました。

 今回は特別企画として「男性だけの簡化24式太極拳」が総勢130名により合わせ練習無しのぶっつけ本番で演武されました。毎年夏に行われる全日本武術太極拳選手権大会長野県代表選手による演武も見ごたえがありました。

 長野市の団体に運営スタッフとしてご尽力をいただき無事に終えました。この事業が 武術太極拳の普及、発展に寄与するよう、また、生涯スポーツ太極拳愛好者の良き目標の場となるよう今後も努力して参ります。 関係各位の皆様に深く感謝を申し上げます。(長野県連盟事務局 瀧澤克夫)

  河北省農林科学院から野菜視察団が来県(8/25~31)

中国河北省農林科学院の王玉海・経済作物研究所前所長を団長とする中国河北省農林科学院野菜視察研修団一行6名が8月25日から31日来日・来県しました。

一行は滞在中、県農政部やJA長野中央会・JA長野八ヶ岳野辺山支所、信州大学農学部、県野菜花き試験場などを視察・研修しました。JAの生産と流通に果たしている役割などに関心を寄せ、特に野辺山では全面白のマルチを施した栽培、予冷・保冷を施しての新鮮な野菜を効率よく出荷していくシステムなどに注目していました。

 8月26日、県農政部を訪れた一行は、山本智章部長から温かい歓迎を受けました。続いて佐藤源彦企画幹から長野県農業の紹介が行われました。その後、JA長野中央会を訪れ、新芝正秀・総合企画室長らの歓迎を受け、全国でもトップクラスの組織を誇る長野県農協の概況を説明いただきました。レタスやセロリなど生産量日本一であり農協組織が生産農家と一体となって出荷などに取り組んでいることに関心をもって質問していました。

 夜の歓迎会では、高波謙二県日中友好協会会長、伊藤洋人県農業技術課農政技監、草間康晴県農政参事、根橋幸夫県国際課長、新芝正秀JA中央会総合企画室長、小林文彦県農業会議専務理事、西堀正司県日中友好協会会長代行はじめ県日中農業交流委員会や日中友好協会関係者が出席し有意義な交流のひと時をすごしました。団には、長野県となじみの深い孫風国対外合作連絡処処長も同行されており大変和やかな歓迎交流の宴となりました。

 翌27日は野辺山を訪問し、JA長野八ヶ岳の宮澤尚農業部長から1300mの野辺山高原で栽培されている高原野菜の栽培と出荷について概況を紹介いただきました。白菜、レタス、サニーレタス、キャベツなどが昨年は2100万ケース栽培出荷されており、取り扱い額が288億円(野菜は253億円)に上ったそうです。続いて出荷場を見学、大規模な予冷施設3基がフル稼働していました。2トン積みの大型運搬トラクターが頻繁に行き来し、5°Cに予令・保冷されたケースが大型トラックに次々と積み込まれていました。トラックも5°C設定になっており、中でも暗いうちに収穫されたレタスはその日のうちに大都市の家庭の食卓に載るそうです。一行はその後、河北省から農業実習生を受け入れていた原寛さんと菊池宏さんのお宅を訪ねました。団長は35年ぶり、孫さんは10数年ぶりの感動的な再会でした。

 28日は伊那の信州大学農学部を訪れ、藤田智之農学部長はじめ関係の先生方から歓迎を受けるとともに、渡邊修教授からドローンを利用した農地観測について興味深い講義をしていただき、続いて農学部の圃場を参観しました。信州大学農学部は昨年12月河北省農林科学院と学術交流協定を締結しており、指導者の派遣や短期留学生の受け入れなどがおこなわれています。

 午後は塩尻の県野菜花き試験場を視察しました。豊嶋悟郎野菜部長らの歓迎を受けた後、トマトやトルコキキョウ、ケール栽培施設等を参観、担当者から熱心に説明していただきました。

 一行はその後上京し、東京でははイノベーション・ジャパン2019日中大学フォーラムに参加し、関係大学の農業展示を視察しました。

 第46回中国語夏期スクーリング、有意義に学習交流(8/24~25)

 8月24、25日、第46回中国語夏期スクーリングが42名参加し長野市の長野ラジオ孔子学堂教室で行われました。30名の受講生は入門、初級、中級、上級のクラスに分かれ、ベテラン講師の指導のもと、熱心に中国語学習に励みました。

 開講式で竹内勲長野ラジオ孔子学堂長が「第46回を迎えた夏期スクーリングが県内外から大勢参加して開くことができ感謝したい。2日間よく学びよく交流して成果を上げてください」と述べ、長野県日中友好協会の西堀正司会長代行が「日中関係が改善し交流が再活性化している中で中国語を学び交流に役立ててほしい」とあいさつ、長野県中国語を学ぶ会連絡会の岩下隆会長が、「不怕慢、就怕站(怖れるのは遅い事でなく、立ち止まってしまう事である)」という中国語を紹介しました。4名の講師が紹介され、顧淑鳳講師より、「講師と受講生が力を合わせて有意義で楽しい2日間にしましょう」とのあいさつがあり夏期スクーリングがスタートしました。

 入門クラスは発音に力を入れ、初級クラスは会話と発音を重視した学習内容、中級は体験発表を基に文法を再確認し、上級クラスは漢詩なども学び、初参加の学習者や学習年次のばらつきのある参加者も満足できる講座となりました。

 初の試みとして、中国の歌の交流カラオケ大会が行われ、はじめに範為為講師のリードでなじみの中国の歌をみんなで学習した後、それぞれ自慢の歌を披露しました。恒例の交流懇親会では布施正幸県友好協会理事長が「中国語は日中友好の懸け橋、両国民が平和的友好的に付き合っていく大きな力」と激励し、謝宏宇講師(中国国際放送局孔子学堂責任者)の音頭で乾杯しました。石家庄市語学研修生魏薇さん、王瑶さんの日本に来ての感想発表を皮切りに、参加者が次々と中国語との出会いなどを発表しました。長谷川宗利さんの指導する二胡グループの演奏や中国語の歌唱など和気あいあいとした雰囲気の中で大いに盛り上がりました。

2日目はラジオ体操と参加者荒井綏さんの指導で太極拳の一種「八段錦」で身体を動かし、英気を養って中国語の授業に入りました。最後の授業は、謝宏宇講師から最新の中国事情を聴きました。閉講式では、王秋菊講師の講評の後、各クラスの代表の感想発表が行われ、参加者に修了証が送られました。

 46回を重ねるる中国語夏期スクーリングは中国語を学ぶ者同士の情報交換や交流の場となりました。先生方の熱心な指導、熱気ある交流会、工夫を凝らした運営など参加者の皆さんに好評でした。

 満蒙開拓平和記念館セミナー棟9月竣工へ(8/1)

 阿智村の谷に響く槌音。いよいよ9月末にセミナー棟竣工を迎える予定です。

 皆様方には記念館本館建設から重ね重ね絶大なご支援をいただいており本当にありがとうございます。一般の皆様からのご寄付と合わせて、ご承知の通り、長野県をはじめ行政からの補助金も決まりました。これまでの取り組みの評価と今後への期待が含まれているものと受けとめ、身の引き締まる思いです。

満蒙開拓だけでなく、戦争をいかに次世代へ語り継ぐかが大きな課題となっています。広島の原爆資料館では展示がリニューアルされ、沖縄のひめゆり資料館も子ども向けに展示替えを検討中とのこと。当館としての取り組みのひとつが今回のセミナー棟建設です。若い世代と歴史を学び合う場、一緒に考えるフォーラムです。その先に、自分の生き方や社会のあり方に思いを致してほしいと思います。

 これからも多様な声に耳を傾け、血の通った記念館でありたいと思います。引き続きご支援ご指導いただけますようよろしくお願いいたします。     (記念館事務局長 三沢亜紀)

 中国体育総局の苟仲文局長来県、白馬で中国ノルディック複合訓練隊激励(7/23)
 
 中国国家体育総局の苟仲文局長(中国オリンピック委員会主席)一行10名が7月23日白馬村を訪れ、長野県や白馬村、県スキー連盟、県日中友好協会ら関係者の歓迎を受けました。

 東京オリンピック一年前イベントに出席するため来日した機会に、長野県を訪れたもので、歓迎昼食会出席の後、白馬村のオリンピックジャンプ台とスノーパークを訪れ、訓練中の中国ノルディック複合(ジャンプとクロスカントリー)ナショナルチーム訓練隊(李旭東隊長一行16名)を激励するとともに施設を視察しました。スキー関係者になじみの倪会忠国家体育総局冬季スポーツ管理中心主任(中国スキー協会主席)も同行しました。

 長野県と県日中スキー交流委員会の主催で開かれた、歓迎昼食会には長野県知事代理、白馬村長、スキー連盟や友好協会代表らが出席し、一行を歓迎するとともに交流を深めました。花岡徹県国際担当部長から阿部守一県知事の歓迎メッセージが手渡されたのち、県日中スキー交流委員会を代表して下川正剛白馬村長が中国スキー協会と長野県とのスキー交流に触れ、今後とも県や県日中、関係市町村の連携のもと北京冬季オリンピックに向けての支援交流に取り組んでいきたいと述べ一行を歓迎しました。

 苟局長はあたたかい歓迎に感謝し、「1980年以来長野県や県日中友好協会、県スキー連盟の友人の皆さんは多くのスキー機材を送り、訓練隊を受け入れ中国のスキー発展に大きな貢献をされた。この場を借りてお礼申し上げたい。中国の冬のスポーツの発展は長野の支援と切り離せない。冬季五輪の開催地である長野県から学び2022年の北京冬季五輪の成功を目指したい。スポーツを通じて文化やスポーツ産業でも交流を深めていけることを願っている」と応じました。
 
 高波謙二県日中会長も長野県が東京五輪に向けて中国を相手国としたホストタウン事業に取り組んでいることを紹介するとともに、引き続き22年の北京冬季五輪支援交流に取り組んでいきたいとあいさつし乾杯の音頭を取りました。

 一行はラージヒルのジャンプ台で訓練中の選手の見事な飛行に拍手を送りながら1人1人握手し激励しました。引き続いてスノーパークに移動しローラースキー(クロスカントリーの夏の練習法)で汗を流す選手に大きな声援を送りました。短時間でしたが関係者と交流の実を上げることができ感謝しますとの言葉を残し白馬を離れました。

 *長野県と、体育総局は2016年に冬季スポーツ分野の交流を強化するとの覚書を結んでおり、昨年9月には高志丹副局長が来県しています。8月には阿部知事が北京訪問の際、国家体育総局を訪問する予定です。
  第54回日中友好キャンプ、友好王国in戸隠キャンプ場(7/13・14)

長野県日中友好協会青年委員会(金井華恵委員長)と女性委員会(宮沢信代委員長)は7月13・14日長野市の戸隠キャンプ場にて第54回日中友好キャンプを開催しました。国際交流員、語学研修生、友好協会会員メンバーなど70名が参加し、楽しい2日間を過ごしました。

 戸隠キャンプ場はパワースポットとして年間を通じて大勢の観光客が訪れる戸隠神社奥社にほど近いところにあるキャンプ場で国立公園戸隠連山の麓に位置する大自然に包まれた施設の整ったキャンプ場です。

 開会式で金井委員長が、「54回目を迎えた友好キャンプを参加者が協力して楽しく盛り上げましょう」とあいさつしました。長野市の市村洋国際室長、県日中友好協会副会長で長野市日中理事長の金子繁三氏、県華僑総会の王昌勝会長からあいさつをいただきました。

 赤、青、黄、黒、緑のバンダナを目印に5つの班に分かれて活動が始まりました。まずは長野こども凧揚げ実行委員の黒井昭さんご夫妻らの指導で凧作り、思い思いの絵を描いて子供たちは大喜び、大人も真剣な表情で凧が完成すると凧揚げに興じました。続いて、魚のつかみ取り、声援が送られる中悪戦苦闘して30匹のニジマスをゲット。そしていよいよ、夕食準備にかかります。炭火おこしに苦労しながらも、焼肉バーベキューの準備が整ったところで乾杯!突然の雨に見舞われながらも屋根の下で運命共同体的雰囲気の中で交流しながらの焼肉、焼き魚、焼きそばの味は格別でした。夜のとばりが下りるころ雨も上がりキャンプファイヤーが始まります。暗闇に真っ赤なファイヤーが立ち上り、マイムマイム、松本ボンボンと次々に踊りが続きました。最後は花火で締めくくりました。コテージやキャビンでは遅くまで語らいが続きました。

 翌朝は6時起床。ラジオ体操に汗を流したあと、カレー作りに励みました。各班それぞれの自慢のカレーをおいしく食べ、後片付けの後、戸隠の散策へ。西瓜割りでは子供たちの健闘に拍手が沸きました。充分堪能した後、甘いスイカがふるまわれました。続いて楽しみにしていた流しソーメンです。仕掛けづくりは西村源氏持参の太い孟宗竹を半分に割りつなぎ合わせて7mの樋をつくりました。女性委員会の皆さんが手際良くソーメンを流すと、子供も大人も歓声をあげて大喜びでした。

 閉会式で、宮沢女性委員長が、「皆さんの協力で楽しい2日間となりました。今回のキャンプで育まれた、友情を大切に今後の活動に活かして行きましょう」とあいさつしました。石家庄市の語学研修生の皆さんも「初めてのキャンプでしたが、本当に楽しいかったです」と感想を述べていました。

 中国ノルディック複合訓練隊が白馬と飯山で合宿、歓迎会(7/12)

 長野県日中スキー交流委員会では、中国スキー協会の要請を受け、中国ノルディック複合スキー訓練隊を受け入れています。一行は北京冬季オリンピックに向けての強化選手で18名+24名が6月10日から7月31日及び7月10日から8月31日まで白馬ならびに飯山のジャンプ台などで合宿訓練を行っています。期間中訓練の成果を活かして記録会も行われます。

 7月12日には長野ホテル犀北館において歓迎会が行われました。訓練隊の李旭東隊長は「1980年以来長野県や県日中友好協会、県スキー連盟の友人の皆さんは多くのスキー機材を送り、訓練隊を受け入れ中国のスキー発展に大きな貢献をされた。中国の冬のスポーツの発展は長野の支援と切り離せない。ノルディック複合のチームは昨年から活動を開始したが、体格の共通点やジャンプ台の設備が整い、日本の専門コーチに加わっていただけるなどの条件があるので日本をパートナーとしていくこととした。冬季五輪の開催地である長野県から学び2022年の北京冬季五輪を目指したい」と述べました。太谷陽一県スキー連盟副会長、西堀正司会長代行はじめ関係者が一行を歓迎しなごやかな歓迎交流会となりました。

 当日歓迎会に先立って長野県庁を訪ね、原山隆一教育長を表敬し、激励を受けました。
 中華人民共和国建国70周年記念し、県協会訪中団、北京、河北を訪問(6/25~30)

長野県日中友好協会は中華人民共和国建国70周年を記念して6月25日から30日、西堀正司副会長・会長代行を団長とする長野県日中友好協会訪中団を派遣しました。訪中団は13名編成で、北京と河北省の石家庄・張家口を訪問しました。北京では中国人民対外友好協会の宋敬武副会長を表敬、友好交流について有意義な意見交換をおこなうとともに、歓迎宴でおもてなしをいただきました。開催中の北京世界園芸博覧会を参観できたことも良い思い出となりました。また河北省の省都、石家庄では、王立忠省外事弁公室主任(省友好協会会長)や梁国輝アジア・アフリカ処処長はじめ友人の皆さんから熱烈歓迎を受けました。王主任とは初対面でしたが、温かい歓迎をいただき、今後、冬季オリンピック支援交流はじめ、一層の友好協力を進めていくことを確認しました。またゆかりの深い河北省農林科学院を訪問し交流を深めました。張家口では冬季オリンピックの会場の一つ太舞スキー場を視察しました。高速鉄道の王子城駅に隣接しており、リゾートの中心施設はすでに完成していて大勢の観光客でにぎわっていました。高速鉄道は12月には完成し50分で北京とつながるそうです。

 6月25日未明長野を発ったメンバーは羽田空港に集結しJAL021便で北京に向かいました。北京空港ではおなじみの孟祥龍さんの出迎えを受け、北京市の中心部にある長富宮飯店に向かいました。空港高速も環状線も5車線道路にかかわらずぎっしり車で埋まっていて恒常的な渋滞が続いているそうです。巨大都市北京はますます磨きをかけて発展を続ける中国の首都にふさわしい姿に変貌をとげています。北京の中心にほど近い王府井(ワンフーチン)を散策し、その後おいしい中華料理を囲んで皆で乾杯しました。

 6月26日は、ホテルを7時に出発し、郊外の延慶区で開催中の北京世界園芸博覧会を参観しました。万里の長城の八達嶺を超えた嬀水河(キスイガ)のほとりに位置しており、その面積は503ha東京ディズニーランドの約10倍の面積を有する広大な規模で、5大陸から110の国と機関が参加出展しているそうです。私たちはカートを乗り継ぎながら、国際館、日本館、中国館などを参観しました。規模の大きさ、展示の多様さなど感銘を受けました。日本館はコンパクトでしたが日本庭園や華道の展示もあり、中でも長野県で開発されたトルコキキョウの新種が展示されていたのが目に留まりました。昼食の後、万里の長城を参観し、市の中心に位置する中日友好協会のオフィスに向かいました。車窓から印象に残ったのは、中国が国を挙げて緑化に力を入れてきた結果、長城をめぐる山々の緑が深みを増し大きく変化したことです。高速道路整備もどんどん進んでおり、中心部に近づくまでは車の流れは順調でした。
 
 中日友好協会のオフィスを訪ね、中国人民対外友好協会の宋敬武副会長を表敬しました。宋敬武副会長と西堀団長は旧知の間柄で、大いに友好の歴史を振り返りながら語り合いました。「日中関係は正常な発展軌道に戻りました。長野県日中の皆様は一貫して友好のために努力を継続されてきたことに感謝したい」と述べ一行を歓迎しました。ともに明るい展望が開けてきたことを喜び地方民間交流を発展させていくことを話し合いました。なじみの朱丹副秘書長や関勇先生も同席され私たちを歓迎してくれました。大きなボタンの絵をバックに先生を囲んで記念撮影しました。会見後、中国婦女会館に場所を移して歓迎宴が行われました。あたたかいご配慮に一同感激しました。

 27日北京西駅から石家庄へ高速鉄道で向かいました。速度計は297kmを指していました。ほとんど揺れはなく快適な車中でした。インフラ整備のスピードは目を見張るものがあります。

石家庄駅で河北省外事弁公室の梁国輝処長の出迎えを受け、王立忠主任(省人民対外友好協会会長)の歓迎昼食会に出席しました。王主任は今春から外事弁公室主任になられた方ですが、一行の来訪を歓迎し、「西堀副会長の会長代行、布施事務局長の理事長就任おめでとうございます。長野県友好協会は1983年友好提携以来一貫して両県省の友好交流に努め、各分野の研修生受け入れや、太行山緑化プロジェクト協力、サーズや地震災害時の支援、2022年の冬季オリンピック支援に取り組まれました。研修生は帰国後各分野で活躍しています。緑化協力は生態環境改善に役立ちました。2015年、当時の張慶偉省長とともに長野を訪問しましたが深く印象に残っています。中日関係がどんな困難があっても努力されてきたことに感謝します」とあたたかい言葉をいただきました。歓迎会には、省対外友好協会の呂暁梅秘書長や董彤さんも同席し親しく交流しました。梁処長には忙しい中、3日間にわたって河北省内をご案内いただき、行き届いたご配慮をいただきました。 
 午後は河北省農林科学院本部を訪問、張鉄龍院長や、なじみの孫風国対外合作処処長から歓迎いただきました。長野県農業試験場や信州大学農学部との交流もあり、農産物、果樹、畜産、遺伝子研究等を担当していて職員数約千名、内博士が290人という大規模な機関でした。

28日には早朝ホテルを発って空路、北京冬季五輪スキー競技の会場を有する張家口市を訪問しました。張家口市政府副秘書長で外弁主任の張治学先生が空港まで出迎えてくれました。海抜1500mの高原の都市で万里の長城の大境門を参観後、郭英副市長主催の歓迎会に出席しました。「長野五輪の経験に学び、素晴らしい冬季五輪ができるよう努力しています。これからも引き続き支援願いたい」とあいさつされました。午後は体育学部を有する総合大学の張家口学院を訪問しました。学生数1万3千人、教師6千人、冬季スポーツの訓練施設で学生が熱心に練習していました。

29日オリンピック開催地の崇礼区に向かいました。高速鉄道の王子城駅が急ピッチで建設中で、12月には完成予定、北京北駅と50分で結ばれるそうです。隣接してオリンピック会場となる太舞スキー場があり、ホテルをはじめとしたリゾート施設、スキー場は完成しており、大勢の余暇を楽しむ家族づれ観光客でにぎわっていました。李永太副総裁はバッハIOC会長も訪れたことや極東カップやアジアカップが開催されたこと、またリゾート地として夏20万人、冬20万人が訪れていることを紹介しました。その後、崇礼区の曹建偉副区長主催の歓迎昼食会に出席しました。曹氏は3月に長野を訪問した思い出を語り歓迎していただきました。一同、オリンピックの成功を祈りながら、陸路北京に向かいました。

  南京で小諸市中国藤村文学賞の受賞式(6/23~26)

 3年振りに小泉俊博小諸市長を団長として、15名で6月23日から26日、中国を訪問しました。今回の主な目的は、1998年に小諸市と南京大学との間で締結された「小諸市中国藤村文学賞契約書」を21年振りに改正してその調印式と第9回中国藤村文学賞受賞式を南京大学で行う事でした。

 6月24日、南京大学では、王振林副学長を先頭に、国際合作交流処と外国語学院日本語学科の学生の皆さんの盛大な出迎えを頂きました。盛大且厳粛の中で式典を終了することが出来ました。続いての授賞祝賀会も和やかな雰囲気で交流し友好を深めることができました。30年間の藤村文学交流の成果であり、「継続は力なり」を感じさせる貴重な経験をしました。江蘇省人民対外友好協会主催で、柏蘇寧会長をはじめ多数の協会幹部の先生方が出席して、心のこもった盛大な歓迎晩餐会を開催して頂きました。

4日間で、上海、蘇州、南京という狭い範囲の中国訪問ではありましたが、中国の変貌ぶりに、目を見張る思いでした。交流を重ねる中で、お互いの文化、芸術を尊重し、理解し、信頼して認め合う中で友好関係を続けて行くことが大切であり、特に、これからの若者達にとっては、絶対に必要であろうと思いました。(小諸市日中友好協会 会長 笹本常夫)

 梁林衝経済参事官招き、日中経済交流促進協議会総会(6/21)

 長野県日中経済交流促進協議会は、6月21日、長野市内のホテル犀北館で第43回定期総会を開き新年度の事業方針などを決めました。

 総会で、夏目潔会長は、「日中関係は昨年の両国首脳の相互訪問・首脳会談によって潮目が変わり大きく好転してきた。長野県は東京五輪に中国のホストタウンとなり、引き続いて2022年の北京冬季五輪に対しても支援交流を進めている。建国70周年を迎えた中国の変化には大きなものがあり、70周年の記念訪中団の派遣も考えたい。今後とも民間交流、経済交流の促進に努めていきたい」とあいさつしました。

 渡辺高秀・県産業労働参事兼産業政策課長は来賓祝辞の中で、長野県が中国での展示商談会など開催し成長著しい中国の活力をしっかり取り込んでいく努力していることを紹介し、協議会の活躍を激励しました。金子繁三・県日中友好協会副会長は日ごろの協力に感謝し、「経済交流や地方民間交流が両国の平和友好関係を持続発展させていく役割を果たしてきた。協議会の一層の活躍を願う」とあいさつしました。謝宏宇中国国際放送局長野孔子学堂責任者は「長野県から中国に400社もの企業が進出している。政治は夢、経済は基盤両国企業の協力合作がさらに進むことを期待している。孔子学堂としても中国語人材育成に協力していきたい」と述べました。

 2018年度の事業報告と決算を承認した後、河北省はじめとした中国との経済交流の促進、県経済界代表訪中団の派遣、講演会やセミナーの開催、観光客誘致協力、北京冬季オリンピック支援交流協力などの19年度の事業計画・予算を決めました。

 総会終了後、駐日中国大使館の梁林衝経済参事官が「建国70周年を迎えた中国と日中経済交流の課題」と題して記念講演しました。

 ◇「昨年来日中関係は好転しており、特に昨年5月李克強総理が来日した際、経済貿易覚書が交わされ第3国への日中提携しての経済協力が約束されている。本年は中国建国70周年、日中青少年交流推進年であり大阪20サミットも開催される。更に安定的に好転していくことになろう。中国は70年の間に著しい発展を遂げた。2018年のGDPは90兆元、1人当たりのGDPは64000元(約1万ドル)に達した。産業構造も第1次産業から第2次、第3次産業へと変化し特に1978年の改革開放以来の変化は世界的に見ても著しい。2017年のサービス産業比率は51.6%となっている。貧困人口は7.7億人から3千万人に減少した。」

 ◇アメリカとの貿易摩擦に触れ、「保護主義の台頭が戦後形成された自由貿易体制を壊す。グローバルな供給体制に計り知れない影響がもたらされる」と批判。中国経済については、ハイテク産業などで大型投資が続くと展望。政府の景気対策や旺盛な内需も背景に、「高速発展から、中高速な発展段階に入っている」とした。日中関係は「改善の軌道に乗っている」と説明。経済交流の重要性を訴え、「相互補完の関係を結びたい」と述べた。

 最後に、記念パーティーがおこなわれ交流懇親を深めました。中国滞在経験もある和田健治・日本銀行松本支店長も参加され経済交流や友好交流談議に花が咲きました。、
 中国帰国者支援の市町村担当者研修会で梓川高校生が開拓団の紙芝居上演(6/11)

 6月11日、松本市の松本勤労者福祉センターにおいて、毎年恒例の「中国残留邦人等援護に係る市町村の担当者研修会」が開かれました。研修会では梓川高校の生徒による満蒙開拓団に関する紙芝居と残留孤児一世(75歳、塩尻在住)の石坂万寿美さんによる「私の歩んだ道―私は今幸せです」の体験発表が行われました。

 梓川高校の紙芝居は平和教育の一環として生徒が松本市在住の中国帰国者から直接聞き取りをして、紙芝居にしたとのこと。内容は今の時代から時を超え、満蒙開拓で中国に渡り、終戦での逃避行、帰国との歴史をたどり、戦争の悲惨さと平和の尊さを描いた紙芝居で、高校生たちの平和に対する熱意が伝わってくる紙芝居でした。
 
 次に、石坂さんが、両親が開拓団員として中国に渡り、敗戦。3歳で母との逃避行、残留孤児として中国での生活、帰国までの自分の歩んだ道を発表しました。
 
 まさに、紙芝居の生き証人が会場に現れたようでした。出席の市町村担当者も、満蒙開拓の悲惨な歴史、孤児として中国で生きた人の生の声が聞けて、今後の帰国者行政に生かせる実りある会議だったのではないでしょうか。体験発表の石坂さんの紙芝居への感想は「日本の若い人たちが私たちのことを知り伝える活動をしてくれて本当にうれしい」とのことでした。  (帰国者交流センター講師 桜井純子)
 県日中女性委員会、飯田で第43回定期総会開く(6/9)

 県日中友好協会女性委員会は6月9日、第44回定期総会を飯田市のシルクホテルで開きました。恒例の持ち回り総会には地元飯田市をはじめ県内から女性委員会のメンバーや来賓など50名が参加しました。中華人民共和国成立70周年や全国女性委員会設立35周年にあたり東京五輪ホストタウン事業などを女性の立場から盛り上げていくことを決めました。

 宮沢信代委員長は地元飯田日中友好協会の協力に感謝した後、「5月に全国女性委員会設立35周年記念訪中団に参加したが、中国は大きく変化していた。中国婦女連との交流懇談会では未来志向の活動をどのように進めていけばよいかがテーマとなった。秋田での全国女性委員会総会にも参加し、ネットワークを活かした組織活動が重要で次世代に繋がる体制が緊急の課題であると感じた。2020年の東京オリンピック・パラリンピックホストタウン事業、インターシップ事業を柱として各地区で特色有る活動を行い、女性のパワーを発揮し恒久平和の継続に努めていきましょう」とあいさつしました。

 西堀正司県日中友好協会副会長、清水えい子女性委員会顧問、島津美智子前女性委員長らが日ごろの女性委員会の活躍に感謝し、エールを送りました。

 総会では18年度の活動報告や決算報告を承認した後、19年度の活動方針と予算が採択されました。

 第2部の記念講演では元県立歴史館学芸部長の青木隆幸先生が「果てしなく黄色い花咲く丘で-長野県の満州移民 喬木村を中心にー」と題して喬木村の満州移民、開拓団の実像をデーターをもとにして講演していただき「昭和18年の時点で満州移民政策を止めることができたのではないか。喬木村において帰還率は50%であった。もっともっと満州移民の歴史を知ることが平和につながることである」と結びました。

 第3部の懇親会がなごやかに行われ最後に次回当番地区の長野市に県女性委員会旗が手渡されました。
 2019年度県日中青年委員会総会開く(6/9)

  6月9日、飯田市シルクホテルにて、第29回長野県日中友好協会協会青年委員会の総会が行われ、この度新青年委員長に選任されました金井華恵(旧姓松本)です。宜しくお願い致します。

総会において今年度の活動方針を確認し、女性員会とともに夏の友好キャンプと冬の友好スキー交流会などに取り組んでいくこと、青年会員の拡大を図ることを決定しました。午後同ホテルで開かれた県女性委員会総会に出席し、協力して友好の輪を広げていく思いを強くしました。 (県日中青年委員長 金井華恵)

北京市トップ蔡奇書記来県、北京冬季五輪に向け施設視察・知事と会見(6/8)

2022年に北京冬季五輪が開かれる北京市のトップ、蔡奇・党書記(党政治局員)が6月8日来県し、長野市と白馬村を訪れ、長野冬季五輪の関連施設を視察しました。また阿部守一知事との会談では、長野五輪の経験と施設の後利用、8月の北京市訪問について熱心に意見交換が行われました。

 蔡書記は6月7日に五輪開催を控える東京都を訪問し関係者と交流,、その後長野県を訪れたもので、県内では長野市のMウェーブ、白馬村のオリンピックジャンプ台を視察しました。

 白馬村で蔡書記は、競技場の後利用の状況や施設管理で苦労する点などを質問。同行した阿部知事は、ジャンプ・複合競技のワールドカップを共同して東アジアで開催できれば、素晴らしいと提案すると、蔡書記も開催地になるために努力しましょうと応じました。

 長野市内でおこなわれた会談で、知事は、「蔡書記のご来訪をうれしく光栄に思う。青少年スポーツ交流は未来に向けて顔の見える人間関係をつくることになる。一昨年の北京訪問の際に北京市長との間で覚書を交わし、スキージュニア選手の受け入れなどが行われてきた。長野県は、中国を相手国とする東京五輪パラリンピックのホストタウンとなって中国選手を応援することとなっている。長野県は日中友好協会やスキー連盟などと一緒に友好交流に努めてきた。長い間スキー交流を通じて培ってきた信頼関係をバックに、北京冬季五輪の開かれる北京市、河北省との友好交流をさらに発展させていきたいのでご支援をお願いしたい」と述べ、8月に訪中することも紹介し、その訪問を通じて、友好交流を更に発展させること、長野県内から中国への農産物禁輸措置の解除や、県内への教育旅行・観光地への誘客などを目的としているのでご支援願いたいと述べました。

 蔡書記は、阿部知事に白馬まで出迎え案内いただいたことに感謝した後「今回の長野県訪問はハードスケジュールだったが疲れるだけの価値があった。長野は私たちにとって施設の後利用でも手本のような存在。北京がこれから何を目指せばいいのか参考になった。冬季オリンピック開催という共通点を持っている両地はスポーツを通じて友好を深めていきたい。中国のジャンプ訓練隊や教育旅行の受け入れなど感謝したい」と話しました。蔡書記はまたあいさつの中で長野駅到着の際、長年友好に努めてきた日中友好協会の役員会員の皆さんが大勢であたたかく歓迎してくれたことに感動したと述べ関係者に感謝しました。 会見に同席した高波謙二会長から県協会60周年記念誌などを蔡書記に贈呈しました。 

中華人民共和国建国70周年、日中青少年交流推進年の交流活性化を決定、県日中友好協会定期大会(5/13)

 長野県日中友好協会は5月13日、第57回2019年度定期大会を長野市内のホテル国際21で開きました。県内各地から138人が出席。本年は、中華人民共和国建国70周年、日中青少年交流推進年として中国の現状に関心を寄せお互いに等身大の理解を進め友好関係の発展、相互信頼関係の回復に向け官民提携して日中交流の活性化を図るなどの新年度の活動方針を決定しました。また、役員人事にあたり、西堀正司理事長が会長代行となり布施正幸事務局長が新理事長に、中澤保範氏を新事務局長に選任しました。あわせて新副会長に金子繁三、石井和男両氏が選任されました。阿部守一知事や中国大使館から梁林衝経済参事官も出席され激励をいただきました

 清澤浩明・県青年委員長の司会で大会第1部がスタート。「永遠の友情を」を県日中女性委員会のリードで全員で斉唱した後、山根敏郎・副会長の開会あいさつに続いて、物故された第5代会長で最高顧問の井出正一先生をはじめとした先輩の皆様に黙祷を捧げました。
 
 高波会長は、日ごろの会員の並々ならぬ使命感を持っての日中友好活動の尽力に敬意を表すとともに、本会が阿部知事をはじめとして官民協力して県民的友好運動への取り組み姿勢が中国でも高い評価を得ていると述べ、「日中関係は昨年の首脳会談により両国関係は大きく好転し政冷経熱の時代は終わり、困難な時期に終止符が打たれ、安定的な協力関係に進むことが期待されている。中華人民共和国建国70周年にあたり、巨大な変化を遂げている中国の現状に関心を寄せ、知り知らせる活動に力を入れていきたい。地方民間交流に力を入れ相互信頼回復に力を尽くして日中友好が世代を継いで引き継いで行けるよう心していきたい」と述べました。

 続いて、阿部知事は、官民協力して友好を進めてきた協会の協力に感謝の意を表した後、「2020年の東京五輪ホストタウン事業を推進するとともに、2022年の北京冬季五輪の全面支援のため豊富な人材を有する長野県として協力していきたい。国と国の友好関係は、人と人との信頼関係が基本であり、その基盤は青少年の友好交流。友好協会の一層のご協力をお願いするとともに活躍を期待している」とあたたかい激励をいただきました。

 議長に関谷明生(小布施町)・市瀬紀子(飯田)の両氏、大会運営委員長に金子繁三・副理事長、大会書記に長沢保・山崎始の両氏、議事録署名人に竹内勲・峰村洋の両氏を選出して議事に入りました。

2018年度の活動報告(布施正幸事務局長)、決算報告(吉岡弘海会計理事)、会計監査報告(田近勝之監事)を承認した後、2019年度の活動方針(西堀正司理事長)、予算(土屋博財政委員長)を採択しました。役員補充では、高波謙二会長が、理事会の論議を踏まえ、西堀正司理事長の会長代行、布施正幸事務局長の理事長、中澤保範氏の事務局長、あわせて新副会長に金子繁三、石井和男両氏の選任を提案し承認されました。

本年度の活動方針では、中華人民共和国建国70周年、日中青少年交流推進年として中国の現状に関心を寄せお互いに等身大の理解を進めるため県協会訪中団の派遣など交流機会を増やし、講演と祝賀のつどい開催、東京五輪ホストタウン事業の推進、2022年の北京冬季五輪の支援交流を県と協力して推進すること、中国留学生ホームステイ受入れなどにとりくみ、これらの活動を通じて、友好交流の活性化、日中の相互信頼回復に力を入れて行くことを決定しました。

 意見発表では寺沢秀文・満蒙開拓平和記念館館長が開館以来6年を経過し16万人が訪れ、今後若い世代が修学旅行などで記念館を訪れていただくためにセミナー棟を増築が進められていることを紹介し、協力を呼びかけました。

 続いて、「平和友好条約の原点に返り、歴史を顧み未来を展望し、日中不再戦・覇権反対・平和友好のために、ともに連携して努力しましょう」との大会宣言(牛山好子・県女性委員会副委員長)と大会スローガン(西村源・県青年委員会顧問)が採択されました。

 上村力・副会長の閉会あいさつで第1部は終了しました。

 第2部の祝賀パーティーでは、来賓として出席された梁林衝参事官が、日ごろの県協会の友好活動を称えた後、「日中関係は正常な軌道に戻った。中国は改革開放40年を経過し、経済の中速度の発展と構造改革を進め健全で持続的発展を目指している。国際協力を重視しともに協力し分かち合う方針のもと一帯一路などに取り組んでいる。日中間には省エネなど幅広い分野で協力ができる。建国70周年の今年は、日中友好事業にとって重要なチャンスの時。地方民間交流の更なる交流成果を期待したい」と述べました。

 また、花岡徹県国際担当部長、篠原孝・務台俊介衆議院議員・小松裕前衆議院議員、濱田州博信州大学学長(県日中学術交流委員会会長)から祝辞をいただき、中山千弘連合長野会長の音頭で乾杯しました。

 会場ではなごやかな交流が行われました。

 来賓として前記各氏のほか付博二等書記官、劉朝アタシュエ、謝宏宇中国国際放送局長野孔子学堂責任者、井出庸生(代)・太田昌孝(代)衆議院議員、羽田雄一郎参議院議員(代)、若林健太前国会議員(代)、村石正郎県議会日中議員連盟会長、小林東一郎・荒井武志・高島陽子・清水純子県議、倉田竜彦元県日中議連会長、根橋幸夫県国際課長、白鳥亘県国際課長補佐、王昌勝県華僑総会会長、高橋要長野市商工観光部長、藤本元太白馬村副村長、矢ケ崎裕雅松本歯科大学理事長(代・酒井康成学事室長及び中国研修医)、岡村重信県経営者協会プロフェッショナル人材戦略拠点事務局長、鈴木幸一県中小企業団体中央会参事、木藤暢夫県商工会議所連合会常務理事、馬場進一県商工会連合会参事役、石原秀樹県信用保証協会会長、山本喜一部落解放同盟県連委員長、桜井啓司NPO県武術太極拳連盟理事長、小林佑一郎・木田健二郎県日中参与らが出席しました。

  第9回2019年度人民中国読者会総会開かれる(5/11)

 長野県「人民中国」読者会総会が5月11日、県日中友好センターにおいて開催されました。茂木博会長は、「令和の時代を迎え、日中関係が好転してきており、読者会は現代中国を知り知らせる活動に更に力を入れていきたい」と述べ、人民中国の定例読者会を柱に学習と普及、日中友好推進に取り組んでいくことを呼びかけました。

 来賓として、于文人民中国東京支局長と張亮中国国際と書貿易集団公司東京連絡所所長、西堀正司県日中友好協会理事長が出席しました。于文支局長は「継続は力」と述べ会の活動を励ましました。

 2018年度の活動報告と決算報告を承認し、2019年度の活動方針、予算を採択し、茂木博会長(再選)はじめ新役員を選出しました。活動方針では、『人民中国』定例読者会開催を通して「会員同士の交流」「人民中国の普及拡大に取り組み中国理解と友好の推進に資していく」としています。あわせて隔月に読者会を開催していくこと、特に50回目を迎える11月9日には記念行事を開催すること等を決定しました。

第2部の記念対談の後なごやかに交流会がおこなわれました。
 長野市日中、創立40周年を祝う(4/21)

 長野市日中友好協会は4月21日、長野市内のホテル信濃路で会員来賓70余名が出席して市協会創立40周年祝賀式典を開催しました。

 物故された歴代会長や役員に黙祷をささげた後、山根敏郎会長が、友好協会が困難を乗り越え多くの市民の皆さんの支持を得て友好事業を進めてきたことを振り返り、今後とも日中の平和友好のために団結して頑張って行こうとよびかけました。

 高波謙二県日中会長はじめ長野市や議会代表、県国際課長から祝辞をいただいた後、長年希望小学校支援交流を進めてきた直富商事の木下雅裕相談役と長野オリンピックや石家庄市との交流に尽力された塚田佐元長野市長に感謝状が贈られました。

 金子繁三理事長が、完成したばかりの記念誌『創立40年記念日中友好の歩み』を披露しながら、長野市日中友好協会の40年の歩みを紹介しました。長野に友好協会の種がまかれたのは1950年代で県協会が1956年スタートするにあたっても重要な役割を果たしたこと、長野地区本部と篠ノ井支部が合併して1979年に現在の市協会となった経偉が紹介され、歴代会長の指導の下に、歴代市長の協力を得て友好都市石家庄市との交流などを柱に活発な友好活動を展開してきたことが報告されました。

 第1部の記念講演では中国大使館の楊宇・公使参事官が「新中国建国70周年と中日関係の展望」と題して講演し、大きく変化している中国の発展ぶりを紹介するとともに、昨年来日中関係が好転してきた中で、互恵関係を更に発展させていくために地方と民間交流をすすめ心の触れ合う交流、青少年交流などに力を入れていきましょうと述べ、出席者に感銘を与えました。

 また第3部の祝賀レセプションには加藤久雄長野市長も出席して、協会40周年を祝うとともに、今後の協会の活躍を願いエールを送りました。席上、長野市友好訪中団の交流などを記録したビデオ映像(宮下昌司氏撮影)が流されました。また中野清史夫妻のフルートとピアノ演奏、チャイムの皆さんによる大正琴の演奏などが披露され会場はお祝いムードに包まれました。
  第12期長野ラジオ孔子学堂中国語講座がスタート(4/4~5)

 長野ラジオ孔子学堂第12期中国語講座の開講式が4月4、5日行われました。本年度はおもてなし中国語講座(入門・初級)や日常会話中国語講座(初級・中級)、ステップアップ中国語Ⅰ・Ⅱ(中級・上級)のクラスを開設し、新規受講生募集に力を入れました。継続して学ぶ受講生と新入生が肩を並べてスタートを切りました。

 竹内勲学堂長や中国国際放送局の謝宏宇先生、長野県日中友好協会の布施正幸事務局長らが受講生を激励し、先生方の指導のもと中国語を粘りづよく、楽しく学んで下さいと述べました。

 クラスごとに王秋菊先生、顧淑鳳先生、謝宏宇先生、範為為先生、娜仁先生が紹介されました。

 戸井田靜男事務局長は、「中国からの観光客も増え中国語が身近に感じられる中で、おもてなし中国語など気軽に学んでほしい。夏期スクーリングやスピーチコンテスト、長野で受けられるHSK中国語検定なども孔子学堂として行っているので、貴重な機会を活かして下さい」と述べています。
 河北省農林科学院の若手研究者がさくらサイエンス交流事業の一環で来県、研修交流深める(2/25~3/3)

中国河北省農林科学院の孫風国・対外合作処処長を団長とする中国河北省農林科学院研修訪日団一行11名がさくらサイエンス交流事業(国立研究開発法人科学技術振興機構のさくら科学技術交流計画)の一環として2月25日~3月3日来日・来県しました。

一行は滞在中、県農政部や県農業試験場(果樹・農業・野菜花き)、信州大学農学部、JA長野中央会やJAながの、アグリ長沼、クリーンとよた㈱などを訪れ視察・研修しました。量を追い求める段階から質を追求する段階に入った中国農業の課題に沿って日本の農業技術研究の現状を研修することが主たる目的です。

 2月26日、県農政部を訪れた一行は、草間康晴県農業政策課課長から温かい歓迎を受けました。続いて小林企画幹から長野県農業の紹介が行われました。午後には、須坂市の県果樹試験場で小松宏光場長らの歓迎を受けリンゴやブドウを中心とした栽培技術の紹介を受け熱心な質問が相次ぎました。矮化栽培や温暖化を見越しての2度温度を上げて栽培しているハウス等の圃場を参観しました。また県農業試験場では中島賢生場長らの歓迎を受け米の栽培育種などの講義を受けました。

 夜の歓迎会では、春日十三男県日中農業交流委員会会長(JA長野中央会専務)や高波謙二県日中友好協会会長、伊藤洋人県農業技術課農政技監、日中友好協会等関係者から歓迎され有意義な交流のひと時をすごしました。孫団長は12年前、研修生を率いて来県したことがあり、2017年秋にもさくらサイエンス交流事業の一環で来県しており長野県とは大変なじみの深い方です。

 翌27日は塩尻の県野菜花き試験場で視察研修しました。矢ケ崎和弘場長らの歓迎を受けた後、水耕栽培施設や紫外線照射など農薬をセイブして病害虫への耐性を高める研究がシクラメンやアリストロメリア等の花き栽培に活かされている圃場を見ながら、次々に質問が出され、担当者から熱心に説明していただきました。

 28日は伊那の信州大学農学部を訪れ、終日、熱心に研修しました。藤田智之農学部長はじめ関係の先生方から歓迎を受けるとともに、農学部の圃場を視察参観した後、最先端研究の紹介をいただきました。信州大学農学部は昨年12月河北省農林科学院と学術交流協定を締結しており、今後とも指導者の派遣や短期留学生の受け入れなどが予定されているそうです。

 JA長野中央会では、春日十三男専務や高松春洋中央会総務企画部長などから歓迎を受け、JAの理念仕組みと事業の紹介をしていただきました。午後はJAながのを訪問し、傘下のアグリ長沼などの施設等を視察しました。イチゴの施設栽培では責任者の熱心な説明に興味深く耳を傾けました。最後の視察先は中野市のクリーンとよた㈱でした。勝山剛頼常務や栗岩善昭氏らの歓迎を受けました。栗岩氏は昨秋、河北省に建設される雄安新区の白洋淀の葦の堆肥化技術の協力で現地を訪問して孫団長とともに効果の実験をした間柄で、熱心に説明案内してくれました。

 河北省の農業技術の向上と普及の中心的役割を果たしている農林科学院の若手研究者が大勢来県されたことは長野県にとっても光栄なことで、行く先々で、関係者から熱い歓迎を受けました。孫団長の話では、河北省農林科学院には傘下に12の研究所があり、それぞれの研究所から選抜された若手研究者のポープとの事でした。熱心にメモを取り、質問する姿が印象に残りました。

 第42回日中友好スキー交流会、150人が楽しく交流(2/23~24)

 長野県日中友好協会青年委員会と同女性委員会の主催により、2月23、24日の両日、木島平村のパノラマランド木島平スキー場において、第42回日中スキー交流会が開かれました。好天に恵まれた中、中国留学生・中国大使館・帰国者・友好協会会員の皆さんをはじめ150人が参加して熱気あふれるスキー交流会となりました。

 開会式では石﨑琢哉直前青年委員長、上村力飯山日中会長、清水可晴飯田日中会長が、あいさつ。「大勢の参加をいただきました。参加者が心を通わせ、ケガの無いよう日中友好の楽しいスキー教室、スキー交流会にしましょう」と呼びかけました。

 10班に分かれてスキーやスノーボードの教室がおこなわれました。初心者もマンツーマンの指導でだんだんと直滑降さらにボーゲンのコツを覚え滑れるようになっていきました。

 夜の交流会では、宮沢信代女性委員長がスワロースキー㈱や地元木島平村、飯山日中友好協会の協力のもと盛大にスキー交流会を開催できたことに感謝し、「中国留学生や大使館、帰国者の皆さんと懇親交流を通じて親睦を深め、民間同士の友好交流を楽しく進めていきましょう」と述べました。


 日臺正博木島平村長と、中国大使館の呂新鋒二等書記官から祝辞をいただき、王昌勝県華僑総会会長の音頭で乾杯、懇親会に入りました。
 女性委員会メンバーによるフラダンスや、青年委員会のウララの踊り、子供たちによるポップダンス、中国や日本の歌などが披露され、賑やかな懇親交流会となりました。木島平村自慢の料理とお酒は好評でした。東京や神戸からの友人参加や飯山・中野・須坂・長野・上田・佐久・松本・飯田など県下全域から参加があり有意義な交流ができました。中国国際放送局長野ラジオ孔子学堂中国側責任者の謝宏宇先生も家族連れで参加し、参加者の皆さんと積極的に交流しました。

 2日目も好転に恵まれました。自信をもって滑り降りる姿が目立つようになりました。スキー教室を終えて、昼は女性委員会の皆さんが心を込めて準備してくれたきのこ入り豚汁をおいしくいただきました。

 青年委員会と女性委員会のメンバーはピンクと黄緑のジャンバーを羽織って2日間大活躍しました。また参加者からは「スキーを滑れるようになり、楽しい思い出になりました」 「来年もまた参加したい」とのうれしい感想が聞かれました。
  中国帰国者の体験発表と春節交流会(2/3)

 長野県と県日中友好協会中国帰国者交流センターは2月3日、「第11回中国帰国者への理解を深める県民の集い」を長野市内のホテル犀北館で開きました。帰国者1世、2世の体験報告と満蒙開拓平和記念館の報告が行われ、220人余りが熱心に聞き入りました。第2部では東京中国歌舞団による中国の民族楽器演奏と中国・日本の歌を堪能し、第3部の春節交流会では餅つきやくじ引き抽選会、日ごろ日本語教室などで練習してきた歌や踊りの披露、ヤンコー踊りなどを楽しみました。

 主催者を代表して大月良則県健康福祉部長と高波謙二・県日中友好協会会長があいさつしました。

 大月部長は、帰国者の皆さん言葉や生活習慣の困難を克服して努力されてきたことににエールを送った後、県として満蒙開拓平和記念館のセミナー棟増築に支援を決めたことを紹介し、開拓団のたどった悲惨な歴史を語り継いで、友好と平和を守っていくことの重要性を語りました。

 高波会長は「全国一満州開拓団を送り出し多くの犠牲を出した長野県には4000人余りの中国帰国者の皆さんが暮らしている。開拓団の悲劇と帰国者支援問題は長野県と県民にとって忘れてはならない歴史。本日は帰国者の皆さんの歩んだ歴史と現状への理解を深め、支援交流にともに励んでいきたい 。本年は、日中戦争終結から74年、中華人民共和国建国70周年の年。日中国交正常化に際し、日本と中国は再び戦争せず、末永く仲良く付き合っていくことを約束した。昨年の日中両国首脳の相互訪問を通じて日中関係は大きく好転した。県日中友好協会は長野県政府とともに、中国を相手国とする東京オリンピックホストタウン事業に取り組み、また2022年の北京冬季オリンピック支援交流に取り組む。日中友好の懸け橋として帰国者の皆さんもご協力いただきたい。新年のご活躍を祈ります」と述べました。

 続いて、日ごろ松本平で暮らしている中国帰国者支援に尽力されている「ナルク信州松本だいら」(守安威象代表)に大月部長より平成30年度知事表彰(福祉のまちづくり)が贈られました。

 体験発表で石坂万寿美さん(75)=塩尻市=は、「昭和18年に現地で生まれたが、逃避行の中、父はシベリアに抑留され死亡、私が重い病気にかかったので母は私を中国人に預けた。中国人の養父母は貧しいながらも初等師範学校まで上げてくれ、教師となった。養父母をみとった後帰国。言葉の壁があり夫を亡くしたあとは日本に帰ってきたことを後悔しましたが、平成20年に新支援法が成立し、生活も安定し、日本語教室やさまざまな活動に参加する中で視野も広くなり、喜びを感じるようになった。いまは本当に幸せです」と振り返りました。

 1998年母と帰国した帰国者2世の中村啓さん(74)=長野市=は、「帰国して21年」と題して帰国後の半生を語りました。帰国後就職したが、病気を機に退職、不安だったが生活保護を受けれるようになり、現在は日本語教室に通い地域の様々な活動に参加して安心して暮らしている。国や県、地域の皆さんの支えに心から感謝している」と語りました。

 特別報告として、「満蒙開拓平和記念館現況報告」を三沢亜紀記念館事務局長がおこない、中国を訪問し、残留孤児の女性を育てた中国人の養母に話を聞いた体験について、「娘にとっては祖国に帰ることができたので自分も幸せだと話していた。悲惨な歴史の中でも人間愛を垣間見ることができた。次の世代にも歴史をしっかり伝えていきたい」と話していました。また、平和発信の基地として、修学旅行の高校生などを受け入れることのできるように、記念館にセミナー棟を増築する取り組みに理解と協力を呼びかけました。

 
第2部は東京中国歌舞団による陽二蓮(ヤン・アーレン)さんの中国の歌・日本の歌、可晶さんの中国琵琶演奏、汪成さんの二胡演奏を堪能しました。

 第3部の春節交流会では長野市日中女性委員会の皆さんが友好の黄色のハッピ姿で、交流会を進行し・盛り上げに大活躍。アトラクションとして臼と杵を使って、帰国者の皆さんが餅つきを体験しました。抽選会も行われくじを引き当てた人たちが工芸品や中国の銘酒、お餅、お米などの景品を受け取って喜んでいました。

 長野、上田、松本の日本語教室に通う帰国者の皆さんが次々と準備してきた出し物を披露しました。長野教室の皆さんはおそろいの赤いセーター姿で登場し練習してきた「千曲川」を発表。上田教室の皆さんはハッピ姿に菅笠を手に山笠音頭を披露して会場を盛り上げました。長野ラジオ孔子学堂の皆さんはフルース(ひょうたん笛)の演奏を見事に披露。松本教室の皆さんは中国の東北地方に伝わる正調ヤンコー踊りを披露。ユーモラスな男女の掛け合いのしぐさに会場から歓声が上がりました。最後に、会場いっぱいにポピュラーなヤンコー踊りをにぎやかに踊りました。参加した帰国者の皆さんは「中国の春節を祝いながらみんなと集まれるこの会を毎年楽しみにしている」と語っていました。

 飯田下伊那、伊南、伊那、松本、佐久、上田、長野、飯山などからおおぜいの帰国者や支援者、市民のみなさんが参加しました。飛澤聡県地域福祉課課長補佐、本山聖一県地域福祉課主査、謝宏宇中国国際放送局長野孔子学堂中国側責任者、小林佑一郎元中国帰国者定着促進センター所長、岩渕泰和長野市生活支援課課長補佐、小坂秀人上田市福祉課長、上村力・中沢道保・村山ひとみ・島津美智子県日中副会長、西堀正司県日中帰国者交流センター所長、西沢毅県日中帰国者留学生委員長、、小林勝人飯田日中理事長、北沢吉三伊南日中事務局長、宮沢信代県日中女性委委員長、布施正幸帰国者交流センター次長らも出席し帰国者を激励し交流しました。

 河北省から冬季五輪競技役員訪問団が来県(1/28~2/1)

 河北省冬季オリンピック競技役員訪問団(紀竑河北省外事弁公室調研員、張家口市体育局副局長、市スキー協会長ら一行5名)が1月28日から2月1日、長野県北京冬季オリンピック支援会議(長野県・県スキー連盟等冬季競技団体・県日中友好協会・関係市町村等で組織)の招請で来県しました。

 29・30日は白馬村の関口久人生涯学習スポーツ課長や太谷陽一白馬スキークラブ会長らの案内で第97回全日本スキー選手権大会クロスカントリー競技大会を視察、大会運営の現場ではスタッフの説明に熱心に耳を傾けていました。また白馬47スキー場を訪れ、訓練中の河北省ハーフパイプ(スキーとスノーボード)チームのメンバーを激励しました。更に、白馬オリンピックジャンプ台や八方尾根スキー場などを視察しました。

 29日夜には歓迎会が開かれ、西沢奈緒樹国際課長や地元白馬村の下川正剛村長、県スキー連盟の河野博明顧問や太谷陽一副会長(白馬村スキークラブ会長)、丸山庄司顧問、日中友好協会から福島信行副会長(北アルプス日中会長)や布施正幸事務局長が出席し一行を温かく歓迎しました。西沢課長、下川村長、河野顧問は、1980年から継続されてきた日中スキー交流の歴史を紹介するとともに、「長野県と河北省が昨年友好提携35周年を迎え許勤省長が来県し、オリンピック支援交流を進めていくことを阿部知事との間で約束した。今後とも支援交流を深めていきたい」と歓迎。紀団長は2022年に向けて張家口のスキー競技施設などの準備が急速に進められていることを紹介するとともに運営や人材育成の面で長野冬季オリンピックの経験に学びたいと述べました。

 31日には飯山市のスワロースキー㈱や野沢温泉スキー場を視察しました。スワロースキーでは中島専務が大連に進出している状況や中国女子エアリアルナショナルチームのスポンサーとなっていることを紹介しました。野沢温泉スキー場では、河野顧問と、片桐野沢温泉㈱社長の案内でスキー場やスキー博物館を参観しました。またスキー体験もし、雄大なスキー場のすばらしさを味わっていました。

 夜には送別夕食会が、高波謙二会長や花岡徹県国際担当部長、西堀正司理事長らが出席して開かれなごやかな雰囲気の中で懇親交流が進みました。最後に紀竑さんを囲んで記念写真に納まりました。
 
 日中友好新春座談会・新年会開催(1/24)

 長野県日中友好協会は1月24日、120人が出席して恒例の日中友好新春座談会と新年会を長野市内のホテル信濃路で開きました。昨年、日中関係が大きく好転した中で、日中平和友好条約40周年、河北省との友好県省35周年記念事業の成果を踏まえつつ、本年中華人民共和国建国70周年の年に友好交流の活性化と相互信頼回復に努めていくことを確認しました。中国大使館の汪婉参事官(大使夫人)、阿部守一知事をはじめ国会議員や県議、経済界や大学関係者など各界来賓も出席し盛会裏に開催されました。

 第1部の日中友好新春座談会では、高波謙二会長があいさつし、「昨年は日中平和友好条約40周年、河北省との友好35周年にあたり、日中関係は首脳の相互訪問が実現し大きく改善した。県協会は記念事業を柱に様々な活動に取り組み、特に5月の許勤河北省長を迎えての友好県省35周年記念祝賀会、8月の河北省などから中学生卓球選手を招いての長野県日中友好都市中学生卓球交流大会、強制連行中国殉難烈士慰霊祭、中国を相手国とする東京五輪ホストタウンと北京冬季五輪支援事業などに取り組み成果を上げることができた。本年は中華人民共和国70周年にあたり、これを更なる好機として交流事業を活発化し日中関係の一層の改善を図っていきたい。 様々な交流事業が計画されているが、こうした取り組みを通じ、日中関係好転の中で新しい仲間を増やし、後継者を育てていきたい」と述べました。

 また、座談会にも出席された汪婉参事官は、「平和友好条約40周年にあたった昨年両国首脳会談が行われ正常な軌道に乗ったと理解している。長野県日中は困難な中でもぶれることなく友好に尽力された。感謝したい。阿部知事は就任以来毎年中国を訪れ、中国を相手国とする東京オリンピックホストタウンとなるなど先導的な活動をされている。資料にあるように各地区充実した活動をされた。安倍首相は競争から協調へと述べた。健全で安定した関係を築いていきたい。内閣世論調査で対中好感度が20%ということが気がかり。国民相互の信頼関係が大切だ。今後5年間で3万人の大学生の相互派遣を進めようとなった。年3000人それぞれ青少年を派遣することがうたわれた。今日は皆さんのご意見を拝聴させていただきたい」と述べました。

 また、花岡徹県国際担当部長より許勤河北省長からの要請に基づきおこなわれている北京冬季五輪への協力の取り組みについて説明が行われ、協力要請が行われました。

 布施正幸事務局長が第2回理事会(11/26)で決定された今年の主な事業計画を報告し、「日中関係好転のチャンスを活かし、友好交流の活性化と信頼関係の回復に努める。*長野県日中友好協会代表団の派遣 *講演と祝賀のつどい開催 *中国を相手国とする東京五輪ホストタウン交流の取り組み *北京冬季五輪への協力 *満蒙開拓平和記念館セミナー棟建設協力 *大変化を遂げている現代中国への理解を深める活動(訪中団の派遣や中国を知り知らせる活動) などにとりくんでいきたい」と述べました。

 続いて西堀正司理事長の司会でディスカッションに入り、日中関係の現状と課題、地区活動や各分野の交流などについて活発に意見交換が行われました。

 第2部の新年会には、日頃友好運動に協力いただいている各界来賓が多数出席いただきました。高波会長は日ごろの協力に感謝し、日中関係が大きく好転している中で、交流から友好が生まれ、平和になる。これからも官民提携して地道な活動を進めていきたい」とあいさつしました。

 阿部知事、汪婉参事官、篠原孝代議士をはじめとした井出庸生・太田昌孝・羽田雄一郎・杉尾秀哉各国会議員(代理)と若林健太氏、濱田州博信州大学学長から祝辞をいただき、村石正郎県日中友好促進議員連盟会長の音頭で乾杯しました。阿部知事は、日ごろの友好協会の活動協力に謝意を表したのち、「昨年許勤河北省長との間で2022年の冬季五輪の準備に協力していくことを約束した。スポーツの場を通して長野県と中国の関係がて更に深まるよう一緒に取り組みたい。またインターンシップで大学生をホテルなどで多く受け入れていただいているが人と人との温かい交流になるよう願う」と述べました。

 汪婉参事官は、「昨年両国首脳会談が実現し正常な軌道に戻った。長野県では官民一体となった交流が進められ、阿部知事は他県に先駆けて訪中、中国を相手国とするホストタウンとなり北京冬季五輪支援交流を進めている。李克強総理は再出航と述べ、安倍首相は競争から協調にと言った。中日関係はレベルアップするだろう。国際情勢は激動している。米中貿易戦争は米が仕掛けてきたのであって中国は望まない。中国は互いに協力のパートナーで互いに脅威とならないことを望んでいる。先ほど日中友好座談会に出席し友好協会の皆さんの声をお聞きした。地方レベルで両国民の相互理解と友好感情を着実に促進し、関係改善に多大な努力と貢献をされ、地方民間交流の模範となっている。日中関係が好転している中で一層の活躍に期待したい」と、激励いただきました。

 懇親会の中のスピーチで、高島陽子・埋橋茂人・荒井武志の各県議、謝宏宇中国国際放送局長野孔子学堂中国側責任者、王昌勝県華僑総会会長などから激励・報告をいただきました。女性委員会メンバーが汪参事官とともに壇上にのぼり「ふるさと」を披露し大きな拍手が送られました。親しく懇談交流が行なわれ会場は和やかな雰囲気に包まれました。花岡徹県国際担当部長の音頭で万歳が行なわれ、福島信行副会長の閉会あいさつで散会となりました。

 来賓として前記のほか劉文博二等書記官、西沢奈緒樹県国際課長、王昌勝県華僑総会会長、謝宏宇中国国際放送局長野孔子学堂中国側責任者、市村洋長野市国際室長、横山秋一白馬村副村長、松井英雄市会議員、高見澤一則県国際化協会事務局長、酒井康成松本歯科大学学事室長、渡辺義作県中小企業団体中央会連携支援部長、馬場進一県商工会連合会参事役、岩崎弘県信用保証協会会長、岡村重信県プロフェッショナル人材戦略拠点事務局長、古川幸雄部落解放同盟県連副委員長、小市昭夫信濃毎日新聞社総務局次長・社長室長、桜井啓司県武術太極拳連盟会長伊藤浩一日本旅行長野支店長、間地和正二十一国際旅行社代表、小林佑一郎・小松朝韻・木田健二郎県日中参与らのご臨席をいただきました。
 河北省ハーフパイプチーム白馬で訓練(1/8~31)

 河北省のハーフパイプ(スキー・スノーボード)チーム訓練隊が、1月7日から31日まで25日間にわたり、白馬47スキー場でハーフパイプの訓練を行いました。

 長野県は一昨年、2022年の北京オリンピック支援連絡会議(県、県スキー連盟等冬季競技団体、関係市町村、県日中友好協会等で構成)を設立し、河北省や北京市との冬季五輪分野での青少年交流を進めており、その一環で選手団10名を受け入れたものです。5人がスノーボード、4人がスキーの選手で団長兼コーチ1名という構成。最年少11歳から最年長17歳。白馬村の白馬47スキー場で熱心に訓練を行いました。また地元の中学生選手との合同練習や八方尾根スキー場や栂池スキー場などのゲレンデ体験、コンバインド大会ジャンプ競技の見学などもおこないました。

 1月8日には県や県スキー連盟、白馬村、県日中友好協会関係者らが出席して歓迎会が開かれました。席上、花岡徹・県国際担当部長、下川正剛・白馬村村長、太谷陽一・県スキー連盟副会長、福島信行・県日中友好協会副会長(北アルプス日中会長)が歓迎あいさつしました。花岡部長は「長野県は2022年の北京冬季五輪の成功を願い、1980年から継続されてきた日中スキー交流の成果の上に支援協力していきたい。河北省ハーフパイプチームの訓練隊の成果を期待したい」と述べました。

 孫志峰隊長は訓練隊を代表して、あたたかい歓迎に感謝するとともに、「9人の選手を連れて長野にきました。県や白馬村、スキー連盟や日中友好協会のご支援の下、優れた環境の中で25日間熱心に訓練し、北京冬季オリンピックに向けてレベルアップを図りたい」とあいさつしました。選手は、「中国のスキー場は人工雪が多く雪質が硬いが、日本はパウダースノーで軟らかい。素晴らしい環境に感動した」などと話しました。

 1月25日には、県庁を訪れ中島恵理副知事を表敬しました。中島副知事は「許勤河北省長から冬季五輪支援、青少年交流事業の一環として皆さんを迎えた。白馬でのハーフパイプの訓練はいかがですか。地元の中学生との交流なども計画されており白馬での滞在を楽しんでいただきたい。長野県を好きになって長野県の魅力を伝えて下さい。競技力を磨き冬季五輪での活躍を願います」と述べ一行を歓迎しました。孫隊長は「県や白馬村、スキー連盟や日中友好協会のご支援の下、熱心に訓練しています。貴重な機会を活かしてレベルアップを図りたい。帰国後は国内のハーフパイプ大会に参加します」とあいさつしました。

 



年頭祝辞-祝中華人民共和国建国70周年、友好交流前進の年に

長野県日中友好協会会長 高波謙二

  新年明けましておめでとうございます。日ごろの日中友好事業へのご理解ご協力に厚く感謝申し上げます。

昨年は日中平和友好条約40周年・河北省との友好35周年に当たりました。日中関係は5月の李克強中国首相の来日、10月の安倍首相の訪中が実現し、大きく好転しました。2012年以来続いた厳しい冬の時代に終止符が打たれ、協力協調を確認した意義は大きなものがあります。

長野県日中友好協会はこの一年、県はじめ地区協会や関係団体のご協力のもと様々な活動に取り組みました。特に5月の許勤河北省長を迎えての友好県省35周年記念祝賀会、8月の河北省などから中学生卓球選手を招いての長野県日中友好都市中学生卓球交流大会、8~10月の中国ジャンプ訓練隊の受入れ、強制連行中国殉難烈士慰霊祭、大型人形劇「三国志」長野公演、中国を相手国とする東京五輪ホストタウンと北京冬季五輪支援事業などに取り組み成果を上げることができました。満蒙開拓平和記念館の入場者もすでに15万人を超え、セミナー棟建設に向け協力を呼び掛けています。9月井出正一先生は帰らぬ人となられましたが、私たちは先生の生前のご活躍に感謝し、遺志を継いで努力していきたいと思います。

本年は中華人民共和国建国70周年の年に当たります。巨大な変化を遂げている中国の現状に関心を寄せ、相互に等身大の理解をすすめていきたいと思います。協会は70周年を祝賀する有意義な行事を計画するとともに、友好の翼訪中団はじめ友好訪中団の派遣を計画していきたいと思います。ともに関係好転のチャンスを活かし新しい友好の仲間を増やし後継者を育てていきましょう。友好を望む両国の有為の人々と連携し交流の活性化を図り、相互信頼を回復していきましょう。引き続きご支援ご協力をお願い申し上げます。

 

「雄安新区」で葦の堆肥化実験に協力(11/27~12/9)2018

         飯山日中友好協会 栗岩善昭

11月27日から12月9日まで、、私栗岩と、服部秀人氏の2人は河北省の招きで訪中し、雄安新区での葦の堆肥化実験に参加・協力しました。

河北省外事弁公室の紀竑さん(調研員)が中野市のクリーンとよた㈱(勝山正美社長)が製作・販売している発酵モミガラ堆肥「みゆきの堆肥」に着目したのがきっかけでした。2018年5月許勤河北省長来県の折、省長と阿部守一県知事との間で雄安新区協力が合意されていましたが、その合意に基づき、長野県日中友好協会から雄安新区のグリーン環境づくりに協力できる堆肥技術として河北省に紹介し、私たちが派遣されることとなりました。

2017年から中国政府は、習近平主席の肝いりで、中国の夢・千年の大計として雄安新区建設を本格的に進めています。その新区の中に白洋淀という湖があり、自然環境保全地域に位置付けられています。白洋淀の水質改善と葦の有効活用を図る目的で葦の堆肥化実験が計画されました。河北省農林科学院の孫風国対外合作処長も立ち会って行われた発酵モミガラ堆肥作りの方法を応用しての実験は見事に成功し、今後の計画進行に役立つことが確認されました。

今回の訪中に当り、長野県日中友好協会や飯山日中友好協会の上村力会長に多大なるご支援をいただきました。心よりお礼と感謝を申し上げます。

 信州大学農学部と河北省農林科学院が学術交流協定結ぶ(12/5)

 河北省農林科学院の張鉄龍院長一行5名が12月5日、信州大学農学部(藤田智之学部長)を訪れ、関係者の見守る中、学術交流協定に調印し協定書を交換しました。

 長野県と河北省とは1983年友好県省を締結以来、農業はじめ各分野の交流を進めてきましたが、昨年10月さくらサイエンス基金の支援で河北省農林科学院の若手研究者が農学部を訪問し、研修交流した縁で、本年9月には藤田学長、伴野潔教授が河北省側の招請を受け学院を訪問し講義を行いました。そうした経緯を踏まえてこのほど協定実現の運びとなりました。

 調印式では、冒頭藤田学部長と張院長が協定書に署名し、出席者に披露しました。

 続いて藤田学部長があいさつに立ち一行の来訪を歓迎したうえで、「河北省農林科学院は設立60周年を迎えられた。河北省は首都北京を取り巻く農業の盛んな省で野菜・果樹・穀物など有名な産地を有している。科学院の研究の成果と思う。協定を通じて今後の共同研究の発展につなげていきたい」と述べました。

 張院長は歓迎に感謝した後、「協定締結を嬉しく思う。協力して協定を実行に移し実り豊かな成果を期待したい。若手研究者の育成や信大での学位取得などを進めていきたい。家族の様に付き合っていきましょう」とあいさつしました。

 来賓として同席した、長野県日中友好協会の布施正幸事務局長は双方の橋渡し役として尽力された孫風国・学院対外合作処長の功績に触れながら、双方関係者の努力が実り、協定が実現したことに祝意を表した後、「平和友好条約40周年と長野県河北省友好県省35周年の節目の年に交流協定が実現したことは大変記念すべきこと。食は人類にとって最も大切な課題であり、人材交流や共同研究での成果を期待したい」とあいさつしました。

 一行は、農学部教員の研究紹介を聴講した後、昼食会、農場等の視察を行い歓迎懇親会に出席しました。翌日は伊那食品工業等を視察参観しました。
  北京冬季五輪組織委副主席ら来県、知事と協力を確認(11/30)

 2022年の北京冬季五輪に向け、大会組織委員会実行副主席の張建東・北京市副市長一行5名の訪問団が11月30日県庁を訪れ阿部守一知事を表敬懇談しました。一行は、冬季五輪を開催した長野県の経験を学び、交流を深める目的で来県、スキー分野で協力し合うことを確認しました。

 張副主席は、五輪などに向け競技団体の人材育成などが課題とし、「アドバイスやノウハウの提供をお願いしたい」と求めました。

 阿部知事は「スキー競技運営の専門家の派遣や県内での視察受け入れなどで協力していきたい」と述べました。また、「スキー関係企業の中国での展開への支援」と「県内スキー場に中国から多くの若者を受け入れたい」と観光誘客への期待も示しました。

 懇談には、県日中友好協会の高波謙二会長や県スキー連盟の太谷陽一副会長らも同席。民間の立場から、県と協力して北京冬季五輪を支援していきたいと述べました。

 訪問団は、同日、白馬村の八方尾根スキー場などを視察するとともに、知事や県日中スキー交流委員会(北野貴裕県スキー連盟会長/県や県スキー連盟・県日中友好協会・関係7市町村・スキーメーカー等で構成)関係者が出席して歓迎夕食会がなごやかにおこなわれました。
 県女性委員会バスツアー、中国大使館を表敬交流(11/8)

 県日中女性委員会は11月8日、第9回秋の日中友好研修バスツアーを行いました。女性委員会メンバーら44名が参加して、中国大使館を訪問し、汪婉参事官(大使夫人)や、邵宏偉一等書記官はじめ友好交流部の皆さんからあたたかい歓迎を受けました。席上汪参事官から「平和友好条約40周年をむかえた日中関係の現状と課題」について流暢な日本語でお話しいただきました。熱心な意見交換も行われ、美味しい中華料理で歓迎昼食会が行われ友好を深めました。

 この日、未明に飯山を出発したバスは小布施・長野・松本・諏訪と高速道沿いに参加者を加えながら、東京を目指しました。車中では西堀正司県日中理事長から最近の日中関係についてのレクチャーに耳を傾け、予定通り11時前には大使館に到着しました。

 汪参事官は、長野県日中友好協会が両国関係が厳しい時もぶれることなく友好に努力し、県ととも新しい交流の形態を生み出してきたこと等に触れ、高く評価しました。続いて「平和友好条約40周年にあたり、李克強首相の来日と安倍首相の訪中が実現し、両国のハイレベルの交流が勢いを持ち政治的共通認識を持つことができた。互いに脅威とならず、チャンスととらえ新時代を開いていくこと。実務協力を進めていくための多くの協定を調印し、人的往来の活発化、自由貿易の擁護などを確認した。今後とも深い交流の歴史を持つ隣国同士良い隣人としていくつかの問題を乗り越えていかねばならない。特に国民感情の改善は当面の大きな課題だと思う。民間交流・地方交流を積極的に進めてきた長野県日中友好協会の活躍に期待し、大使館として今後とも民間交流を積極的にサポートしていきたい」などと述べ、参加者に感銘を与えました。 

 宮沢信代女性委員長と西堀理事長が訪問御礼のあいさつをし記念品交換が行われました。宮沢委員長ができたばかりの「中国を相手国とする東京五輪ホストタウンの記念バッチ」を披露し汪参事官の胸につけると大きな拍手がおこりました。意見交換の席では両国の国民感情の改善がテーマになり「両国関係改善が進むこのチャンスを活かし国民感情の好転のためにお互いの国の現状をありのままに理解し(紹介し)、青少年の交流の機会を増やし関心を高めていくことが大切」、「女性は友好の母」などの意見が交わされました。続いて歓迎昼食会がもたれ美味しい中華料理をいただきながら友好交流部のスタッフの皆さんと交流懇親を深めることができました。最後に感謝の意味を込めて、バスの中で練習してきた「大海啊、故郷(海はふるさと)」を一緒に歌いました。玄関前にて全員で記念撮影し名残を惜しみながら長野での再会を約して大使館を後にしました。

 一行はその後、国会議事堂を訪れ、地元の太田昌孝代議士の紹介で議事堂内を詳細に案内いただきました。帰路のバスの中では自慢の歌が次々に飛び出し、盛り上がりました。初めて参加した方も「大変楽しく勉強になった1日でした」と感想を述べていました。
 中国帰国者のつどい 諏訪ガラスの里と霧ヶ峰バスツアー(10/28)  長野市と市日中友好協会、市帰国者の会で構成される長野市中国帰国者三者連絡会の主催による平成30年度長野市帰国者のつどい(バスツアー)が10月28日おこなわれました。今年は諏訪を訪れ、SUWAガラスの里や霧ヶ峰の自然を楽しみました。当日は90名の参加者がバス2台に分乗しての賑やかな交流会となりました。

朝7時頃長野市を出発し、途中松代PAで2台のバスが合流して開会式が行われました。まず長野市生活支援課の上田哲夫課長が「長野市は市日中友好協会や帰国者の会と連携して帰国者の生活支援に取り組んでおり、その一環として帰国者のつどいを毎年実施している。楽しい交流会となるようご協力をお願いしたい」とあいさつしました。続いて三者連絡会の金子繁三会長(市日中理事長)が「晴れ渡った秋空のもと、大勢の帰国者の皆さんに参加いただいた。安倍首相訪中も実現し日中関係も明るさを増している。充実した1日となるようにしてほしい」とあいさつしました。 また、来賓として参加した布施正幸県日中帰国者交流センター次長が「センターで学んでいる帰国者の皆さんはじめ大勢の皆さんが元気に参加され喜ばしい。三者連絡会の皆さんのご尽力に感謝したい。帰国者の皆さんが安心して幸せな生活が送れるよう、今後とも関係機関と連携して頑張っていきたい。日中関係が良くなっている中で両国の架け橋として帰国者の皆さんの活躍に期待したい」と述べました。

バスの中では、中国語の会話が飛び交い交流を深めていました。途中諏訪湖SAに立ち寄った後、第1目的地の諏訪湖畔のSUWAガラスの里に到着しました。1億円のクリスタルの大きな球が展示されていたり、様々なガラスの製品が展示販売されていて帰国者の皆さんもでショッピングを楽しんでいました。館内のレストランでバイキング形式のパン昼食を済ませ、周囲を散策。ちょうど湖畔をめぐるハーフマラソンをカメラに収め湖畔の秋を楽しみました。茅野市を経由してビーナスラインを進み、霧ヶ峰を目指しました。快晴のこの日霧ヶ峰から見渡す四方の山々は絶景でした。南方には八ヶ岳がくっきりと見え、そして富士山が目に飛び込んできます。何枚も写真に収めました。「幸せの鐘」を突き、グライダーの離陸と滑空風景をまじかに見ることができました。霧ヶ峰自然保護センターで霧ヶ峰の自然条件など詳しく解説いただきみんなで記念撮影しました。霧ヶ峰の霧が多い由来は、諏訪湖の上を渡る偏西風が湿気を含んだ状態で山にぶつかり霧を発生させるメカニズムだそうです。最後に柳沢春生市帰国者の会会長から「来年もまた元気で会いましょう」とのあいさつがありました。

参加したみなさんは秋の雄大な景色を存分に楽しまれた様子で、楽しく有意義な交流会となりました。

 木曽で強制連行中国殉難烈士の慰霊祭、平和を誓う(10/15)


 太平洋戦争末期に中国から木曽谷に強制連行され、過酷な発電所建設工事で亡くなった中国人182人の慰霊祭が10月15日、木曽町三岳の大島橋脇にある「中国人慰霊碑」の前で行われました。

 中国大使館の張亜強参事官はじめ県木曽地域振興局長、関西電力㈱木曽水力センター所長、木曽郡内の町村長や木曽町三岳の皆さん、県内の日中友好協会会員や勤労動員された旧制中学の関係者など80人が出席しました。

 慰霊祭は日中平和友好条約40周年と長野県と河北省との友好県省締結35周年を記念して開催されました。主催者を代表して、県日中友好協会の高波謙二会長と慰霊碑維持管理委員長の原久仁男木曽町長があいさつし殉難者を追悼し、平和を誓いました。追悼のあいさつに立った張参事官は「節目の年に戦争の教訓をくみとり、先輩たちが切り開いた友好関係が続くよう努力したい」と述べました。続いて木曽仏教会会長の小島宗徳大泉寺住職らによる慰霊法要が行われ、参列者が一人一人菊の花を祭壇に手向け冥福を祈りました。長野市滞在中の石家庄市語学研修生の王丹琳さんと邢雅林さんも往時をしのびながら手を合わせていました。

 第2部の慰霊斉事は三岳交流促進センターに場所を移して行われました。席上、西堀正司県日中友好協会理事長が特別報告を行い、戦後、強制連行殉難烈士の遺骨収集、慰霊事業が半田孝海善光寺大勧進大僧正らによって進められ、友好協会の設立につながったことや慰霊碑の題字を中国仏教会会長の趙樸初先生に揮ごういただいた経緯などを紹介し、また瀬戸普木曽郡町村会会長(王滝村長)は来賓の立場を離れて、導水管工事跡を見るにつけきわめて厳しいものであったことを実感したことなどを紹介しました。さらに池上一巳さんも勤労動員された旧制中学時代の体験を語りました。また高波会長から慰霊碑周辺の清掃管理を長年にわたり行い守ってきた三岳の老人クラブ支部長の上條靖男さんに感謝状が贈られました。

 慰霊祭に出席した、中国国際国際放送局長野ラジオ孔子学堂責任者の謝宏宇さんは、「慰霊碑が地域の皆さんに温かく守られ平和の願いを発信していることに感動しました」と語っていました。

(資料)戦争末期、国内の労働力不足を補うために、中国の河北省などから、多数の若者が強制連行され水力発電所工事や炭鉱などで劣悪な条件下酷使された。県内の木曽川水系や天竜川の発電所建設工事現場にも2,130名あまりが連行され内240名あまりが悲惨な死を遂げた。県日中友好協会の初代会長半田孝海・善光寺大勧進大僧正はじめ先達の皆さんは戦後いち早く殉難者の遺骨収集慰霊事業に取り組んだ。1964年には天竜村平岡ダムの脇に、1983年には木曽町(三岳村)御岳発電所近くにそれぞれ中国殉難烈士慰霊碑が建立された。犠牲者名簿の中で出身地がはっきりしている死者のうち約7割が河北省出身であることから、木曽の慰霊碑は河北省との友好提携に先立って同年10月県民の浄財を集めて建立された。五周年ごとに慰霊祭が、協会はじめ地元市町村、仏教会、勤労動員された旧制中学生など多くの関係者が寄って営まれてきた。9/22には天龍村平岡の慰霊碑前でも慰霊祭が行われました。
 大型人形劇「三国志」長野公演、熱気あふれる(10/12)

 日中平和友好条約締結40周年を記念して大型人形劇「三国志」総集編の長野公演が10月12日、長野市のホクト文化ホール(県民文化会館)で行われました。県日中友好協会と長野市日中友好協会、SBC信越放送が主催。1メートルを超える大型人形をたくみに操り、迫力ある演技で家族連れ800人を魅了しました。

 公演は2幕構成で、第1幕では、劉備玄徳が諸葛孔明を軍師として招いた「三顧の礼」から「赤壁の戦い」までを上演。第2幕は関羽が討ち取られる「甘露寺の変」から「出師の表」孔明の死までが脚本家ジェームス三木氏の見事なタッチの台本にそって展開されていました。

 人形美術家の川本喜八郎氏が製作した大型人形の躍動感ある動きを観客は真剣な表情で見入り、弁士の軽妙でユニークな語りに笑い声も起き物語にどんどんと引き込まれていきました。

 公演終了後、人形が観客席を回ると、身近に人形を見てその精巧な作りに感嘆の声が上がりました。希望者はバックステージツアーに参加、人形に触れたり、人形の繊細な動きの仕組みを説明され、感心しきりでした。ロビーでは孔明の人形と記念撮影、三国志ファンに取り囲まれ、熱気にあふれていました。
 中国語スピーチコンテスト長野県大会、日頃の学習成果を披露(9/30)

9月30日、長野県日中友好協会ラジオ孔子学堂の主催による第36回中国語スピーチコンテスト長野県大会が開催され、高校生から70代の中国語学習者までの22人が出場しました。

朗読部門には高校生部門2人、大学生部門8人と一般部門9人が参加、それぞれの全国統一課題文を発表し発音や表現力を競いました。

 弁論部門には3人が出場、自作文で中国語による内容や表現力を競いました。シルクロードの旅の思い出や中国語を活かして東京五輪の来日観光客を支援したいなどのテーマを取り上げ、本格的な弁論発表となりました。

弁論の部で長野高専の教員、大矢健一さん(55)が出場3回目で初優勝しました。大矢さんは、2014年に台湾に約3カ月滞在した際、中国語のラジオ番組を聞くようになり、帰国後もスマートフォンのアプリで中国のラジオ番組を聞きつづけたことで、中国の歌をいくつも知り、さらには中国語で弾き語りをするように。「歌うのが苦手だった私の人生を中国語の歌が変えてくれた」と述べました。

岩下隆審査委員長は朗読部門の出場者は、正確な発音を心がけていてよかった。弁論部門では、スピーチコンテストの回数を重ねるごとに、年々レベルが向上していると、評価しました。

 竹内勲長野ラジオ孔子学堂長は主催者あいさつの中で、勇気をもってチャレンジした出場者に敬意を表した後、日ごろの学習の成果を発揮するよう激励。中国文化の原点というべき中国語の学習の輪が一層広がるよう期待していますと述べました。会場には出場者の友人や中国語学習仲間なども応援に駆けつけ拍手を送っていました。

 入賞者は次のとおりです。
 弁論の部 一般部門 ①大矢健一 ②清水岳美  (敢闘賞) 清水浩
 朗読の部 高校生部門 ①北田満梨奈 ②赤塩涼
 朗読の部 大学生部門 ①櫻井爽人 ②竹前実南 ③古平弥愛  (奨励賞) 岸田早百合
 朗読の部 一般部門 ①西澤智子 ②朴梨香 ③千村美恵子  (努力賞) 小泉のり子

 弁論の部で優勝した大矢さんは来年1月の全国大会に県代表として推薦されました。入賞者にはトロフィーや楯が、また出場者全員に記念品として中国語学習教材が贈られました。

 第31回日中友好太極拳フェスティバル開催(9/23)


 県武術太極拳連盟は、9月23日、第31回県日中友好太極拳フェスティバルを長野市若里のビックハットで開催しました。県下各地から26団体、1,100人が参加し、日頃の練習の成果を発表しました。

桜井啓司理事長が長野県武術太極拳連盟が6月NPO法人として認可されたことを報告した後、「日頃の練習の成果を発揮して有意義なフェスティバルにしてほしい」とあいさつしました。来賓として県日中友好協会の布施正幸事務局長が日ごろの友好活動への協力に感謝した後、「太極拳を通じて日中友好の架け橋になっている皆さんに敬意を表したい。日中関係も改善の動きが加速しており、武術太極拳を通じて悠久な中国の心を会得している皆さんの一層の活躍を期待しています。フェスティバルの成功を祈ります」と述べました。

参加者1000人が「簡化24式太極拳」を演舞してフェスティバルが開幕。参加者が広い会場を埋め尽くしての演武は、壮観そのものでした。そのあとグループごとにそろいの衣装を着た参加者が、音楽に合わせて技を披露しました。剣や扇子を使っての演武、演劇を取り入れての表演、ジュニアの活躍等、様々な工夫がここらされていて、会場から大きな拍手が送られていました。

また、特別表演として、本年度全日本武術太極拳選手権大会に出場した長野県代表選手による演武や太極拳段位取得者による簡化24式太極拳の集団演武も披露されました。

 天竜平岡で強制連行中国殉難烈士の慰霊祭(9/22)

 戦争末期、下伊那郡天龍村の平岡ダム建設で、中国から強制連行され強制労働をさせられて亡くなった中国人の慰霊祭が9月22日、ダム近くの慰霊碑前で営まれました。飯田日中友好協会や飯田下伊那地方の市町村などでつくる実行委員会が主催。今年は日中平和友好条約40周年にあたり、約100人が日中不再戦と平和への思いを新たにしました。

 参列した中国大使館友好交流部の潘林二等書記官は「慰霊祭が長く続いていることに感謝したい」とあいさつ。5月の日中首脳会談に触れ「民間レベルでの交流を進める好機を迎えている。慰霊祭が歴史の悲劇を繰り返さず平和を守り、よりよい未来を切り開く新たなスタートになることを願っています」と述べました。

 法要は慰霊碑前の祭壇で営まれ、参列者全員で黙とうをささげた後、読経に合わせて一人ずつ焼香しました。今回は初めて地元の天竜中学校の生徒4人が参列。祭壇に白い花を供えました。2年の中島茉緒さんは「今日をきっかけに、平岡ダムや戦中の歴史を学んでいきたいと思った」と語りました。

 実行委員長の永嶺誠一天竜村村長は「ダムの恩恵に浴す村民にとって、永遠に忘れられない痛み。不幸な歴史を再び繰り返すことのないよう、より一層日中両国の平和友好に努力したい」と述べました。飯田日中友好協会の清水可晴会長は「若い人が平和への思いをつなぐ取り組みを支えたい」と話しました。西堀正司県日中友好協会理事長は「下伊那地方にはこの慰霊碑と、阿智村の満蒙開拓平和記念館があり、平和を語り継いでいく拠点となっている。平和友好のメッセージを発信し続けてほしい」と述べました。

 平岡ダムには中国人880人余が中国河北省などから強制連行され、過酷な条件下で酷使され、作業中の事故や栄養失調などで62人の死者行方不明者を出しました。

 なお10月15日には木曽町三岳において、慰霊法要と慰霊斉事が行われます。参列希望者は県日中友好協会まで(TEL026-224-6517)
 故井出正一先生を2500人が悼む(9/17)

 9月2日79歳で死去された井出正一先生(県日中友好協会第5代会長、元厚生大臣)の葬儀・告別式が佐久市武道館で開かれ県内外の政財界、日中友好協会はじめとした関係団体などから2500人超が参列し穏やかな遺影を前に別れを惜しみました。

 大島理森衆議院議長、阿部守一知事、藤原忠彦県町村会長、小泉俊博小諸市長らが弔詞、弔辞を読みました。斉事(灰寄せ)の席では田中秀征元経済企画庁長官、柳田清二佐久市長、松下雄一県酒販社長、高波謙二県日中友好協会会長、井出庸生衆議院議員らがお別れのことばを述べ故人の冥福を祈りました。喪主の長男太さんは「皆様にお世話になった父の人生は大変濃いものだったと思う」と感謝しました。葬儀には枝野幸男立憲民主党代表、玉木雄一郎国民民主党代表、小沢一郎自由党共同代表、鳩山由紀夫元首相、菅直人元首相、県選出の現元国会議員らも参列しました。

 大島議長は「井出一太郎先生以来の文人、哲人政治家で、信念をしっかり持たれていた方だった」と語り、阿部知事は「公の立場で考え行動する方で、県政や日中友好の面でもご支援ご活躍をいただいた」と感謝しました。秘書だった小泉小諸市長は「さきがけ的なものの考え方は、確実に国政、地方政治で芽を出し、成長をし続けている」と追悼し、ともにさきがけを結党した田中氏は「格別の重量感、安定感、責任感、信頼感を持ち、動いたら全力投球する人だった」と偲びました。秘書だった葬儀委員長の柳田佐久市長は中国残留孤児支援に力を注いだことを紹介し「国家、政府、政治家はたった一人の日本人も見過ごしてはならないことを教わった」と語りました。高波会長は「日中友好をライフワークとして取り組み日中関係が困難な時にあっても隣国中国との不再戦、平和友好を大切にして行動した方だった」と述べ友好の志を引き継いでいく決意を語りました。

 程永華駐日中国大使、中日友好協会、中国国際放送局、河北省人民対外友好協会、河北省農林科学院、邢台市等からも弔電が届きました。宇都宮徳一郎副会長が丹羽宇一郎会長の代理として参列しました。
 
(高波謙二会長のお別れのことば)

 故井出正一先生のお別れに際し、謹んでお別れのことばを申し上げます。

 井出先生の政治家としての業績は、厚生大臣や新党さきがけ党首を歴任されたことがすべてを物語っています。私は、井出先生とは古くからの知り合いで、青年会議所活動や1980年「信州青年の船」の下見を兼ねた訪中団でご一緒したこともありました。県友好協会会長を7期13年務められた間、私は副会長の1人としてお仕えし、誠実でリベラルを信条とし人々を魅了した先生の生前の姿が思い起こされます。

 先生のライフワークとなった日中友好につきましては、学生時代に中国語を学び、以来、新中国に関心を持ち続け、帰国者支援や、緑化協力等に実績を残され、中国との友好促進に情熱をもって尽力されました。日中関係が困難な時期にあっても、日本と中国の友好関係こそが、アジアそして世界の平和と繁栄につながるとの信念はゆるぎないものでした。

 先生は2002年、元全国農協中央会会長の堀内巳次先生の後を継いで、第5代長野県日中友好協会会長に就任されました。21世紀に入って、世界も日本も中国も大きく変化していく中で、不透明な時代を迎え、日中関係は様々な波に洗われ、試練の時を迎えておりました。

  先生は日中友好協会全国本部の副会長としても活躍し、当時の平山郁夫会長、加藤紘一会長を支え、日中関係の重要な節目にあたり力強いメッセージを発したことが思い出されます。2010年北京人民大会堂で開催された日中友好協会全国本部創立60周年記念祝賀大会で井出先生は、全国協会を代表してあいさつし、「還暦を迎えた協会は初心にかえり、両国の相互理解と国民感情の改善を図る諸交流を、会員一丸となって続けて参ります」と宣言されました。(写真) 宋健中日友好協会会長の祝辞とともに深く心に残るあいさつでした。

 また、中国残留邦人、帰国者支援の取り組みに力を注がれました。厚生大臣時代に帰国者援護法制化に道を開き、以来帰国者への理解を深めるつどいや、帰国者日本語教室に対し深い関心を寄せ励ましていただきました。

 また、日中緑化協力に力を尽くされました。国の日中緑化協力基金の助成を受け、長野県と友好提携している河北省太行山の緑化協力プロジェクトに取り組み、植林された累計本数は180万本あまりに達しています。

 先生は、また中国国際放送局との間で、長野ラジオ孔子学堂の協定を結び、中国語の普及向上や中国文化の普及に努められました。  

 本年は日中平和友好条約40周年にあたります。日中関係は困難な時期を脱し、明るさを取り戻し、両国首脳の相互訪問が実現する見通しが報じられています。一衣帯水の隣国中国とは深い絆で結ばれており、両国国民は仲良く付き合っていくほかありません。私どもは、先生の日中友好の志を受け継ぎ、日中不再戦、平和友好協力のために力を尽くしていきたいと決意しております。

 先生のご冥福を心よりお祈り申し上げお別れのことばとさせていただきます。(合掌)
 中国体育総局の高志丹副局長来県、知事と会見、白馬で中国ジャンプ訓練隊激励(9/10~11)
 
 中国国家体育総局の高志丹副局長一行4名が9月10日長野県を訪れ、阿部守一知事と会見するとともに県スキー連盟、県日中友好協会ら関係者の歓迎を受けました。翌11日は白馬村を訪れ訓練中の中国ジャンプ訓練隊と中国スキークロス訓練隊を激励しました。

 長野県と、体育総局は2016年に冬季スポーツ分野の交流を強化するとの覚書を結んでおり、知事と高副局長は会見の中で、交流を更に深めていく考えを強調しました。

 阿部知事は日中韓体育大臣会合に際して来日来県された高副局長を熱烈歓迎し、自身が就任以来毎年訪中し体育総局にも2回訪問しあたたかい歓迎を受けたことを紹介、「長野県と県日中友好協会、県スキー連盟、関係市町村によって構成された県日中スキー交流委員会により日中スキー交流が続けられてきた。長野冬季オリンピックは1998年開催されたが、22年北京冬季オリンピックが北京や河北省で開催されることとなり、我が事の様にうれしい。5月には許勤河北省長も来県され協力要請があった。日中スキー交流委員会や全日本スキー連盟、アジアスキー連盟の協力を得ながら中国とのスキー交流をすすめていきたい」とあいさつしました。

 高副局長は、あたたかい歓迎に感謝し、92年来県以来2度目の訪問であることを紹介し、「長野冬季オリンピックはサマランチ会長から素晴らしい大会と絶賛された。その素晴らしい経験は20年たっても輝いている。アジア・ウインタースポーツの発展に貢献された。1980年以来長野県や県日中友好協会、県スキー連盟の友人の皆さんは多くのスキー機材を送り、訓練隊を受け入れ中国のスキー発展に大きな貢献をされた。この場を借りてお礼申し上げたい。中国の冬のスポーツの発展は長野の支援と切り離せない。今後も更に広く深く交流していく潜在力があると思う。冬季五輪の開催地である長野県からの支援に期待し、スポーツを通じて文化やスポーツ産業でも交流を深めていけることを願っている」と応じました。

 また懇談の中で阿部知事は、中国が冬季スポーツ人口の増加に向け取り組んでいることに触れ、「スキーでの教育旅行で県内に来てもらえるようにしたい。県内にはウインタースポーツの関連企業が多く、中国での事業展開で支援をお願いしたい」と述べました。

 続いて長野県知事と県日中スキー交流委員会の共催で開かれた、歓迎会にはスキー連盟や友好協会、行政関係者、ウインタースポーツ関係者ら40名あまりが出席し、一行を歓迎するとともに交流を深めました。河野博明県スキー連盟副会長(交流委員会会長代理)は1980年中国が初めて参加したレークプラッシドの冬季五輪以来続けられてきた中国スキー協会と長野県とのスキー交流に触れ、今後とも県や県日中、関係市町村の連携のもと北京冬季オリンピックに向けての支援交流に取り組んでいきたいと述べ、高波謙二県日中会長も長野県が東京五輪に向けて中国を相手国としたホストタウン事業に取り組んでいることを紹介するとともに、引き続き22年の北京冬季五輪支援交流に取り組んでいきたいとあいさつしました。

 一行は11日、白馬村を訪れ、オリンピックジャンプ台を視察するとともに練習中の中国ジャンプ訓練隊メンバーを激励しました。また同じく佐野坂ウォータージャンプ台で練習中のスキークロス訓練隊一行を激励しました。

 長野でそり競技施設「スパイラル」を参観した後、トライアスロンチームの事前合宿の候補地の視察を兼ねて信濃町野尻湖などを訪れました。
     



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