趣味歴

私の趣味の共通点は、「物を作ること」、「工夫の余地があること」。
昔は、器用貧乏とも言われたが、お金がなくても工夫することはたくさんある。
プラモデル
昔は高くてなかなか買えなかった。大学に行き、連休中に小遣いで帆船のプラモデルを買って、一週間楽しんだ。元祖モデラーの独り?。
電子工作(真空管、トランジスタ、IC)
電子ブロックが買ってもらえず、安い方の学研マイキットを買ってもらい、遊んだが完成度が今ひとつで飽きた。その反動が・・・。
プログラム(機械語、Fortran、アセンブラ、VBA・・・)
最初のプログラムは、高校生の時に『プログラム電卓』でルート計算を組んだこと。少し前に、カシオミニが12,800円で発売され大ヒットした。新し物好きの母が購入した。
その後、高校でプログラム電卓がお披露目され、宿題で課題が出されたがルート課題をクリアしたのは私だけだった。今では誰も知ることのない思い出であるが、私は工学部への道を選ばなかった。
だが、文系の専攻でプログラムで実験を行い卒論研究をまとめることになるとは、その時は分からなかった。
ついでながら、仕事のために、ホームページ(ある意味プログラム)をコーディングし、データベースシステムを作ろうとは・・・。
革細工
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再び・・・
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精神障害者のデイケアで、手芸の先生が教えていたがはまってしまった。その時の私のメンバーへの口癖が「作品ではなく、製品を作ろう」だった。デイケアで作った作品が売れ、これだけがきっかけではないがやがては作業所に結びついた。
財布、免許入れ、システム手帳、バック・・・。さまざまな物を作った。今では東急ハンズにでも行かないと手に入らないのがさびしい。
籐細工

これもデイケアから始まる。当時、地元の手芸やに籐が置いてあったが、手芸屋自体が衰退し、その店はなくなった。革細工の原料もその店からの調達だったので・・・う、う、う、さびしい。
木工(もともと建築士になりたかった)
小学生時代は、自作の鉄砲で遊んだ(戦後世代である、念のため)。中学では、一番製図が早かった。建築士はどうかと親に言われた。
自作パソコン
もともとは、電子工作少年。その前は、何でも分解したい悪ガキ。
何台作ったのか聞かれても答えようのないのがこの趣味。だって、ケースはそのまま中身を変えたり、周辺機器を変えたりで自分でも分からなくなる。
ただ、確かなのは職場では本職よりもパソコンを直せる人で通っている。
家庭菜園
市で家庭菜園をあっせんしていたのでのってしまった。いろいろ作ったが、菜園の近所がうるさい。とうもろこしの無じょけつ栽培を試そうとしたら、これは取った方が良いとおせっかいの嵐に合った。
おもしろかったのは、『ハヤト瓜』。一本でものすごく実がなると聞いて試した。毎日カレンダーに記録したら、霜が降りるまでに220個を記録した。ハヤト瓜恐るべし。
つけもの
今でも瓜、野沢菜を漬ける自信はある。
それはさておき、野沢菜を漬けても余ってしまうことがある。真冬は良いが、春に向かって進む時期では酸っぱくなってしまう。それでどうするか・・・ 善光寺平周辺などではどうしているか・・・「おやき」という郷土料理があるので、その具として使うのが信州御習わし。
燻製
ビールのつまみには、安いホテルチーズを買ってきて少しあぶれば、これぞ珍味。その話はいずれまた。
趣味の裏側にある私のメッセージ
日本は、ものづくりの精神を忘れてはいけない。それについてはいずれまた。see you