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寺と遊歩道

遊歩道遊歩道 飯山市街には歩ける範囲に24の寺社があり、歩いて巡るのに便利な遊歩道が整備されています。寺から寺へと辿れば、時は静かに流れ、心がやすらぐことでしょう。
 各寺社にあるスタンプを押しながらスタンプオリエンテーリングという楽しみ方もあります。観光案内処または伝統産業会館で和紙スタンプ帳を販売しています。スタンプを10個以上集めたら「極楽浄土ハッピーパスポート」をプレゼント!

正受庵 しょうじゅあん/臨済宗

正受庵 正受庵は小高い丘の上に建つ庵で、正受老人こと道鏡慧端(どうきょう・えたん)が終生を過ごした禅道場です。
  道鏡慧端は松代藩主真田信之(幸村の兄)の子で、故あって飯山城で生まれ育ちます。若くして仏教に帰依し、江戸や東北各地の寺院で修行を積みました。やがて悟りを開き帰郷した道鏡慧端のために飯山城主松平忠倶が建立したのがこの庵で、道鏡慧端は師の至道無難から贈られた「正受」の扁額を飾って正受庵と名付けました。
正受庵 後に臨済宗中興の祖といわれる名僧、白隠慧鶴(はくいん・えかく)は、越後高田英厳寺で悟りを開いたとしていましたが、その慢心を危惧した慧端の弟子宗覚の勧めで正受庵を訪ねます。白隠が慧端の元を訪れると、慧端はその慢心を見抜き山門から登ってきた白隠を蹴落としたそうです。やがて白隠は慧端の厳しい指導の元で大悟を得て「駿河の国に過ぎたるものが二つあり 富士のお山と原の白隠」と称されるまでの僧となりました。
正受庵は現在も禅道場として愛されています。

歓喜山横山院 妙専寺 みょうせんじ/真宗大谷派

妙専寺愛宕町にある妙専寺(浄土真宗本願寺派)の分院で開祖は学永。昭和23年本堂は類焼で消失したが、昭和55年再建された。島木赤彦の弟子で歌人の土田耕平が大正12年にこの寺で病気療養していたことから、島木赤彦も幾度かこの寺を訪れたという。

松雲山唯称院 西念寺 さいねんじ/真宗大谷派

西念寺 親鸞聖人の高弟成然坊が下総国に開山した妙安寺より宗玄が分寺し、慶長元年(1596年)に松平忠頼により武蔵国松山(埼玉県東松山市)に西念寺を創立。その後松平氏の国替えに従って、各地を巡り飯山に移りました。

三枝山報恩院 光蓮寺 こうれんじ/浄土真宗本願寺派

光蓮寺 武田信玄の弟・典厩信繁の孫にあたる正善が、武田家滅亡時に信濃に身を隠し、更科に一宇を建立し、その後寛永年間に現在地へ移ったという。江戸時代に一世を風びした画僧・学僧で、詩人としても知られた武田雲室はこの寺の出身。

青龍山安養院 妙専寺 みょうせんじ/浄土真宗本願寺派

妙専寺 日本にスキーが伝わった際に越後高田でレルヒ少佐より一本杖スキーを習い、飯山地方に普及させたのがこの寺の第17世住職市川達譲(いちかわたつじょう)で、以来、飯山は長野県スキーの発祥の地となりました。

浄光山顕正院 称念寺 しょうねんじ/真宗大谷派

称念寺 開山は親鸞の弟子の宗諦(しゅうたい)。大正9年の冬、山門と鐘楼を残して焼失し、現在の本堂は、正倉院校倉式を模したもの。明治の南画家長井雲坪のゆかりの寺でもある。

松寿山正覚院 忠恩寺 ちゅうおんじ/浄土宗

忠恩寺 慶長6年(1601年)に関長門守が長野の長沼より飯山へ移った際に遷り、歴代飯山城主の菩提所となった。城主松平家ならびに本多家の墓所がある。本多廣孝が徳川家康公から拝領した黒本尊は護国殿に安置し秘仏で毎年8月15日のみの公開。

法光山林昌院 慶宗寺 けいそうじ/浄土宗

慶宗寺 元和6年(1620年)創建で、万治3年(1660年)に住持が高田の浄林寺三世となった縁故で浄林寺末寺となったが、後に享保17年(1732年)第八世単誉上人の代に知恩院直末となった。

大輪院 だいりんいん/真言宗豊山派

大輪院 6世紀に百済の王(大別王)が難波に大別王寺を建て経や仏像を伝えたが、当寺疫病が広まったのは仏教が原因とされて、寺は焼かれ仏像は池に投げ込まれた。大別王は逐われて逃げ、阿智に寺を建てた。後に泉親衡がこの寺を飯山に移したという。

倉科片雄山報恩院 西敬寺 さいきょうじ/真宗大谷派

西敬寺 親鸞の弟子だった釈善巧により、建長7年(1255年)倉科(現千曲市倉科)に建立された。その後中野市牛出、飯山町深沢と移り、寛文12年(1672年)に現在地に移った。所蔵の聖徳太子像(長野県宝)は、釈善巧が親鸞聖人の弟子となった記念に刻んでもらったと言われ、武田信玄の身代わりとなったとも伝えられている。

峯雲山慈月院 蓮證寺 れんしょうじ/浄土真宗本願寺派

蓮證寺 信長に破れて信州芋川(現在の飯綱町)に下った近江源氏の佐々木左衛門尉尚高が開いた寺と言われ、寛文7年(1661年)に飯山藩主・松平忠倶が飯山に移した。

西来寺 さいらいじ/真宗大谷派

 天保2年(1607年)の創建。もとは西敬寺の塔頭(たっちゅう:一山内の小寺院)であったといわれている。現在は幼稚園になっている。

安養山笠原院 真宗寺 しんしゅうじ/浄土真宗本願寺派

真宗寺 島崎藤村の「破壊」に登場する主人公瀬川丑松が下宿する蓮華寺はこの寺がモデルとされ、境内には「破戒」の第一章を刻んだ文学碑がある。

成田山 善覚寺 ぜんかくじ/真宗大谷派

善覚寺 初め長沼(現長野市大町)の西厳寺掛所と称したが、元禄14年善覚寺と改称した。慶長14年年頭拝賀の節、釈空心が堀丹後守に一万石加増の祝言を述べて気に入られ、上町裡に方一町の寺域を与えられたので、同17年寺を建立した。

方面山 本学寺 ほんがくじ/真宗大谷派

本学寺 新田義貞の子、貞重が父亡き後松代の本誓寺で宗信房となった際に、家臣の桐山忠道も出家し松代で本学寺を開基。天保11年正月、大火に会い焼失廃絶。明治になって現在地に移された。本堂向拝の彫刻は新潟県西頸城郡市振(現糸魚川市市振)の彫刻師北村正信の作。

飯山城趾

飯山城趾 東は千曲川、西は関田山地に挟まれ、越後との交通の要衝だった。
 飯山城は独立丘陵を削りならして構築した平山城で、地元豪族泉氏の居城で、のちに上杉謙信の属城となった。武田信玄の侵攻に備えて、上杉謙信が工夫した縄張りの元に、景勝が修築を加えた城郭で、上杉氏の信濃での拠点となった。
 上杉氏の会津移封後は、関・皆川・堀・佐久間・松平・永井・青山・本多の諸氏が交替で城主となった。

雪と寺の町公園

雪と寺の町公園 愛宕町の一角にある風情ある公園で、雪祭りの会場になる。

本町ぶらり広場

本町ぶらり広場 飯山市街の中心部にある公園広場で、ギャラリーや手作りアイスクリームショップ、土産物店などがある。

展示試作館・奥信濃

展示試作館・奥信濃純金極楽トイレ 寺めぐり遊歩道の途中にある伝統工芸品の展示スペース。ちょっと一休みにぴったり。金箔を貼った「純金極楽トイレ」も注目!

珍名トイレ

鉄舟の御安心処 展示試作館・奥信濃にある純金極楽トイレ以外にも飯山市内には「信玄の落とし処」「謙信の露払い処」「鉄舟の御安心処」「七福の雪隠堂」とおもしろい名前の付けられた公衆トイレが多数あり。





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