第3巻第3号             1997/8/1
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Kyoshinken Review, or Knowledge of Results

学問の発展は
互いに批判しあうことで
なされるものである。

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不定期発行・発行責任者:信州大学教育学部・ 守 一雄
kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp
http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/kr/krhp-j.html


目次


【『教心研』第45巻第2号掲載論文批評】

(その1)

山崎・平・中村・横山論文
アジアからの留学生の対日態度の形成がいかになされるかを質問紙調査とパス解析によって調べた研究であるが、最も基本的な部分に素朴な疑問がある。著者らは「エスニシティに関わる経験を通して対日態度が変化する」という因果モデルを想定しているが、対日態度として測定されているものは留学生ならば誰でも来日前に持っていて当然のものばかりである。「日本人とつきあいたい」「日本人の友達が欲しい」「自分の民族と日本人との架け橋になりたい」と思ったからこそ日本に来たのであろう。そうした態度が滞日中の経験で変化することは大いに考えられるが、それを調べるためにはパス解析(相関研究)ではなく、縦断的研究をすべきなのではないだろうか?
○森田・稲垣論文:
(次号掲載)
堀野・市川論文
高校3年生の英単語学習を題材に、学習動機と学習方略と学習成績との関連性を調べた研究。学習成績に影響するのは「学習内容間の関連づけをしようとする」などの体制化方略だけであり、そうした体制化方略を使う学習者は「学習自体が面白い」などの内容関与的動機を持っていることが明らかとなった。引用されていた守誠(私の親戚?)『英会話・やっぱり・単語』に倣って言えば、「勉強・やっぱり・内容重視」ということである。
○植松論文:
(次号掲載)
吉崎・内田論文
両耳分離聴テストを用いて、音韻情報の左半球優位性と情緒的情報の右半球優位性とが幼児期(4-6歳)でも見られるかどうかを調べた研究。4-5歳児18名、5-6歳児18名(男女半々、すべて右手利き)を用いた実験の結果、幼児でも音韻情報(3種類の名前の聞き取り)の左半球優位性と情緒的情報(「幸福」「悲しみ」「怒り」の聞き分け)の右半球優位性があることが確認された。半球優位性が4歳児においても見られることを確認したことだけで研究の意義は充分であると思うが、『教心研』論文としてはこの発見と教育との関わりを何か例示してもらいたかった。
○森永論文:
(次号掲載)
戸ヶ崎・坂野論文
小学校高学年児童を被験者にして質問紙調査によって「母親の養育態度(拒否傾向)」と「社会的スキル」と「学級での社会的地位」との関連を調べた研究。「母親の養育態度が拒否的でないこと」が「家庭や学校での社会的スキル」を向上させ、結果的に「社会的地位が高まる」というモデルが想定され、調査結果はこのモデルを支持するものであった。(社会的スキルを構成する因子の一つが「関係維持行動」と命名されているが、質問項目はすべてが反転項目であり、むしろそのまま「嫌われ行動」とした方がわかりやすい。あるいは、社会的スキルがないがために取ってしまうような行動なのであるから、因子とすること自体が無理なのかも知れない。その他、「探索的に支持される」という表現もあまり適切ではないと思う。)
○木内論文:
(次号掲載)
鹿毛・上淵・大家論文
教師が「児童の自律性を支援しよう」と考えているかどうかが児童の内発的動機づけや有能感、学校適応度、ひいては学力にまで影響するかどうかを、質問紙(対教師)と面接(対児童)により調べた[研究1]と自律性支援志向の高い教師と低い教師の授業分析を行った[研究2]とからなる。小学校1年生の20学級について調べた労作である。特に研究2の授業分析は、ビデオ録画して、書き起こし、発言ごとにその内容・機能を分析するという大変手間のかかる作業を伴うものである。しかし、著者自身もその問題点として挙げた3点の中の2つにあるように、「労が多い割には功が少ない」という印象を受けた。研究結果も「この方法でなければ明らかにされなかった」というようなものは得られていない。私の研究室の学生が卒論や修論でこうした研究をやりたいと言ってきても勧めないだろう。[鹿毛さんの反論(1997.8.25)]
○長尾論文:
(次号掲載)
河村・田上論文
【KRベスト論文賞】教師には「教師たる者こうあるべきだ」というような信念を強く持った人がいる。時には、そうした信念の持ちようが強迫的であったりする。この研究では、「そうした教師特有の強迫的信念を持った教師ほど実際の行動や態度も硬直的となり」、「そうした信念を持った教師が担任する学級の雰囲気や児童の学習意欲に悪影響を与える」ことを質問紙調査・自由記述調査・個別面接によって明らかにした。論文では、上述のような信念を「ビリーフ」と呼び、その測定のための尺度を「教師特有の指導行動を生むイラショナル・ビリーフ尺度」と命名している。尺度自体の内容は大変興味深く、研究結果が示すようにこの尺度で測られる特性が児童に与える影響も大きい。願わくは、もう少しシャレた命名がなされていればと思う。(「石頭教師尺度」というのはどうだろう?)導入部にあった不登校問題との関わりで、こうした「教師特有のビリーフの強迫性」が高い「石頭」教師が担任している学級では、実際に不登校児が多くなるのかどうかもぜひ調べてもらいたい。[河村さんからのハガキ(1997.8.31)受領]
○松井・村田論文:
(次号掲載)
藤井展望論文
前回の展望論文(藤井,1995)への批評でも指摘したことだが、「学校ストレスに関する研究の展望」の中に外国での最新の研究がまったく含まれていないのは展望論文として致命的な欠陥であると思う。引用文献の発行年を5年ごとに区切ってヒストグラムを描いてみると、日本文献の最頻値が1990年代であるのに対し、外国論文の最頻値は1965年代、1986年以降は皆無である。それでいて「日本の学校でのストレスについての研究展望であるから外国の研究は考慮しない」という方針があるわけでもないようだ。1990年代の現代の学校現場の問題を憂える記述(p.229)のわずか数行後に、Brown(1954)やAngelino et al(1956)が引用してあるのを見ると苦笑してしまう。学校ストレスが問題となるのは日本の学校だけではないはずである。まだ若い大学院生の著者には日本だけで通用するような研究ではなく、学校ストレスについての普遍的な研究を目指してもらいたい。