第3巻第4号             1997/9/1
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Kyoshinken Review, or Knowledge of Results

学問の発展は
互いに批判しあうことで
なされるものである。

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不定期発行・発行責任者:信州大学教育学部・ 守 一雄
kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp
http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/kr/krhp-j.html


目次


【『教心研』第45巻第2号掲載論文批評】

(その2)

○山崎・平・中村・横山論文:
(前号掲載)
森田・稲垣論文
小学校の算数の授業において児童たちに討論をさせる際に「複数の選択肢を教師が提示して、あらかじめどの選択肢が正しいと思うかを決めさせた上で討論を行う」場合と「自由に討論を行う」場合とを比較した研究。討論が盛り上がり稔りのあるものになるためには、明確な対立点をもつ複数の考えが提示される必要がある。そこで、選択肢を提示する場合の方が討論の白熱度においても結果としての学習成果においても優れているだろうという予想のもとに実験がなされたが、結果はむしろ逆であった。労作ではあるが、目的と結果が逆になった「失敗実験」のため記述がどうしてもギクシャクとして読みにくい論文となってしまった。
○堀野・市川論文:
(前号掲載)
植松論文
ナナフシがサソリに化けて小鳥に食べられないようにするとった擬態を教材にして、「恐いものに化ければ食べられない」というルールと、「ナナフシがサソリに化ける」という具体例とをどう関連づけて教えるのが最も有効であるかを、総数126名の幼児を対象に個別実験で調べた手間のかかった研究。東北大学の細谷純先生の流れをくむ研究であるが、この研究での仮説は陳腐で魅力がない。「同種の研究の教材を違えただけ」という感じが拭えない。麻柄さん工藤さんといった先輩たちの研究の域に達するにはもう一工夫欲しいところである。
○吉崎・内田論文:
(前号掲載)
森永論文
大学卒業後6〜8年目の女性900名に郵送法により「仕事に関する価値観」を尋ねた労作である。資料としての価値は高いと思うが、結果そのものは予想された範囲内のものであった。
○戸ヶ崎・坂野論文:
(前号掲載)
木内論文
女子大学生とその母親(43〜59歳)の99組を対象に「相互独立・相互協調的自己観」について調査した研究であるが、きわめて不思議な結果が得られている。第1に、学生とその母親との間にまったく相関が見られないこと(r=0.00)である。第2に、それでいて両者には有意差もない(t=-0.40)ことである。第1の結果から考えると、「相互独立・相互協調的自己観」は遺伝的な影響をほとんど受けず経験や環境だけから影響を受けるということになる。だとすれば、当然世代差がありそうだが、第2の結果のように世代差もまったくない。第3の不思議は、この論文の著者自身がこの結果を不思議と思っていないらしいことである。(指導をした市川さんと南風原さんも不思議とは思わなかったらしいことも不思議である。)
○鹿毛・上淵・大家論文:
(前号掲載)
「労多くして功少なし」というKRのコメントへのお返事(抜粋)
 「功」ということに関連して少なくとも3つのことが言えるのではないでしょうか。第1に、何となく自明であるととらえていたこと(「常識」)を実証的に確認し、明確化し、整理することも「功」ではないか。第2に、「労」と「功」の関係ですが、このような授業分析の手法を用いて明らかになることで、例えば、質問紙法などと異なったリアリティで「わかる」ということもあるのではないか。特に、教育実践と教育心理学との関連を考えた際、授業分析という手法は「労」は多くても有力な方法ではないかと思います。第3に、授業分析をすることで、分析者が学ぶという点です。私も授業分析をすることで、授業を見る見方が「深まった」かどうかはともかく、少なくとも変化したと感じています。以上のような別の「功」もあるのではと思うのですがいかがでしょう。(97/8/25 鹿毛雅治)(鹿毛さんのご意見の全文はWeb版に掲載してあります。)
長尾論文
標題の中に使われているchumというのは「前思春期における同性の親密な友人」のことだそうである。「へー、新しい発達心理学の概念が作られたんだ」と思って読み始めたが、特に重要な専門用語ではないようである。こうした特に意味があるわけでなく、またまだ広く定着しているわけでもない用語を標題に使うのはふさわしくないと思う。引用文献のリストでも標題にこの語を使っている研究者は一人もいない。
◎河村・田上論文:
【KRベスト論文賞】(前号掲載)
松井・村田論文
児童期から中学生までにしか対応していなかったHarter(1982)の有能感尺度を大学生まで使えるよう拡張した「青年用有能感調査尺度」を作成し、項目間構造の妥当性と、各尺度の信頼性を確認した研究(分析T)。また、偏相関分析によって、この尺度を構成する下位尺度が「学習領域」と「その他の生活領域」の2つに分けられ、それぞれが独立に別の下位尺度「全体的自己価値」と関連していることが明らかにされた(分析U)。
●藤井展望論文:
(前号掲載)

【「努力賞」論文は学会誌に掲載すべきでない】

 今回コメントした研究の多くは「労作ではあるが結果はありきたり」というものでした。別に今回だけが特別だったわけではなく、『教心研』に掲載されている論文の多くがこうしたタイプの論文です。「特に欠点があるわけではないし、何しろこれだけ努力をしたんだから、『努力賞』として掲載してやってもいいのではないか」と査読者も考えるのでしょう。しかし「努力賞」タイプの研究は学会誌に掲載すべきではないと思います。卒論や修論ではこうした「努力賞」タイプの研究も評価すべきかとは思いますが、博士論文や学会誌論文では「努力賞」ではダメです。その第1の理由は、研究は新しい発見・ブレイクスルーを目指して行うものであり、結果がすべてだということです。『教心研』が面白くないのも「努力賞」タイプの論文ばかりだからです。読んでも時間の無駄というような論文はどんなに努力の結晶であっても載せるべきではありません。第2の理由は、「努力賞」タイプの論文が多くなってくると、「とても面白い結果が得られているのに努力が足りない」という本末転倒の理由で掲載されない論文がでてくることです。教育者として「努力帰属」を推奨することは必要ですが、研究者としてまで「努力帰属」なのではなさけないとは思いませんか?読者の皆様のご意見ご反論をお待ちしております。