長尾博さん@活水女子大の反論(1997/9/22)

長尾博さん@活水女子大の反論(1997/9/22)

(手書きのお手紙を守がキー入力しました。入力ミスがありましたらご指摘下さい。)


拝啓

 時下、益々御健勝のことと存じます。
先日は、KRを御送り下さり有り難とうございました。斬新な試み、たのもしく思っております。私の論文までコメント賜り、有り難く思っております。反省、反論をしないのも研究の公共性がないと思い少し書かせていただきます。

私の立場:
本来は、臨床家であり、臨床論文が多く教心研はこれでまだ2本目です。教心研や心研に臨床的立場の論文を投稿することの難しさを理解していただきたく思いました。
反論、反省:
chumなど独自な用語でないので使うべきでない点...たしかにまだ一般にはこの語は普及しておらず、私のオリジナルな語でもありません(サリヴァンの用語)。
しかし、発達心理学では、何とこれをとらえるのでしょうか。これにふさわしい語は見当りません。ギャングエイジのギャングぐらいでしょうか。臨床用語を臨床領域にとどまらず、一般の心理学、発達心理学にも適用したかったのも研究のねらいです。もう一つ、この研究のオリジナルな点は、従来、縦断的研究を用いて発達を見ることが確かな方法でしたが、その努力の難しさから「展望法」と「回顧法」を用いて発達をみた点です。将来の日本の子ども対人関係を予測して、chumの重要さをあげた研究です。御理解下さい。
「努力賞」の点について:
研究上、オリジナルな仮説、方法がそう簡単にみつかるものでしょうか。私なりに研究は地味なつみ重ね、努力の成果ととらえています。仮り、斬新なオリジナルな仮説、方法が提示されたとしてもそれを討論化していくには、相当の成果のつみ重ね、いわゆる努力がいるととらえています。若い頃、他人の論文を見ておもしろくないととらえますが、その人の立場、それにいたる過程を聞くとそれなりの意味をもっています。努力の論文は価値があると思います。また、オリジナルな論文を学位論文にしたといても理論化までの作業は難しいのではないでしょうか。教心研の存在意義は、わが国にとっての教育心理学の現状と問題点を明らかにすることとして私はとらえています。オリジナル性を強く出すには、心研、発達心理研でよいのではないでしょうか。また、努力の成果からオリジナルなものが誕生することもあるということを経験で学ぶことが謙虚な研究者の姿勢と思います。一方、その分野で天才的な研究者も突然現れることもありますが・・・・(幻想)。

 以上、私の考えが甘いかもしれませんが、述べさせていただきました。私は時代を逆行する人間でワープロ、電子メイルなど時代の先をいく方法の技術をもっていません。臨床家ゆえの愚かな生き方かもしれません。手書きで述べさせていただきました。批判の批判、反省のまた反省があると思いますので今後ともよろしくお願い申し上げます。

                     敬具