鹿毛さん@慶応大の反論(1997/8/25)

鹿毛さんの反論(1997/8/25)

From: "鹿毛雅治"
To: kazmori@gipwc.shinshu-u.ac.jp
Subject: KR有り難うございました
Date: Mon, 25 Aug 1997 14:29:25 +0900
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守一雄様

 この度は、KRをご郵送下さり有り難うございました。また、私たちの論文のコ メントをKRに掲載して下さり、有り難うございました。

 確かに、「教育心理学研究」の論文そのものを対象にして、真剣に議論するとい う機会はほとんどなく、問題点の指摘などを含め、どのように論文が評価されてい るのかについて知りたいというのが執筆者の本心であるにも関わらず、反響がほと んどないので拍子抜けすることもしばしばです。その意味で、このKRはその貴重 な機会となると思います。ありがとうございます。

 せっかくですので、コメントを読んで感じたことを思いつくままに書いてみたい と思います。

 本論文では、カテゴリー分析とトピック抽出による授業分析を行いましたが、こ れについて「労が多い割には功が少ない」という印象を受けたとコメントされてい ます。確かに、労は多く、その割に結果は「やっぱりそうだろうな」という常識の 範囲を超える新たな発見の少ない結果ではあったと思います。その意味ではまさに 「労が多い割には功が少ない」感じです。

 ただ、そこで気になるのは「功」とは何かという点です。これは大きな話になる かもしれませんが、教育心理学の目的は何かということと関連していると考えます 。この論文の目的は(本文にももちろん書きましたが)平たく言えば、「学習者中 心」という教育界でよく言われる信念が実際にどのように教育実践に影響を及ぼす かを実証的に明らかにすることでした。何となく「学習者中心の教育」というとわ かったような気になり、耳当たりがよいのでこの種の言葉は流通するわけですが、 その実体は余りよくわかっていません。また、人によってイメージしている内容は 様々であったりします。そこで、このような研究を計画したわけです。

 「功」ということに関連して少なくとも3つのことが言えるのではないでしょう か。第1に、何となく自明であるととらえていたこと(「常識」)を実証的に確認 し、明確化し、整理することも「功」ではないか。第2に、「労」と「功」の関係 ですが、このような授業分析の手法を用いて明らかになることで、例えば、質問紙 法などと異なったリアリティで「わかる」ということもあるのではないか。特に、 教育実践と教育心理学との関連を考えた際、授業分析という手法は「労」は多くて も有力な方法ではないかと思います。(もちろん、授業分析の手法は多様であり、 1つにくくれるものではありませんし、カテゴリー分析の問題点については十分承 知しているつもりですが。)第3に、授業分析をすることで、分析者が学ぶという 点です。私も授業分析をすることで、授業を見る見方が「深まった」かどうかはと もかく、少なくとも変化したと感じています。以上のような別の「功」もあるので はと思うのですがいかがでしょう。ですから、授業分析をやりたいという学生には 勧めてみても良いのではとも思うのですが???

 「教育心理学論」については考えるところも多いのですが、また、別の機会にご 意見を伺えれば幸いです。

 急いで書いたので言葉が足りず、意味がとりづらい点もあるかもしれませんが、 お許し下さい。 また、以上は鹿毛個人の意見であり、他の連名執筆者は異なる意 見を持っているかもしれません。

 取り急ぎ御礼とご返事まで。

97/8/25   鹿毛 雅治