きつね物語 第1話

作 小林 ひろ 
構成 小林 茂 

プロローグ

 夜明けにしては明るすぎる。一匹のきつねが薮の中からむっくと顔をむけると、空の上にはまだ月が輝いているというのに南の方からは目をさす程のひかりが注がれていています。きつねのコンチは目を押さえました。

 そのころ山向こうの天神町では白い毛皮を寄せあうように丸まって、きつねたちが天を見上げ、星降る景色を見つめているところでした。
「お母さん、あれ、何?」
子供のきつねが母さんきつねのしっぽのなかから大きな瞳をのぞかせました。
「あれは、空飛ぶ石よ。地上に降りるまでめいいっぱい光るの」
そのとき山ではひゅんひゅん、流れ星が光のすじ糸を残して降っている中を、きつねのコンチはもっと良く見ようと谷の上まで出てきました。すると輝く星のひとつが速度をおとしてこちらに向かってくるではありませんか。
「まぶしい」
コンチは目をおおい、その場に、気を失いました。
町の白きつねはひときは大きな光が空を降りるのを見ておそろしさにいっそうみを寄せあいました。薄緑色の光のカーテンに山の稜線がくっっきりと浮かび上がり山の向こうがわがになにか落ちた様です。
じりじり、じりり。
かすかに聞こえる、空気を震わす、山響く音。        

場面一 【やまの坂道】

静かなしずかな‥‥(ハミング・フェイドアウト‥‥)

木々のあいだを、きれいな聞いた事のない音が近付いてきました。がさ。ひょいと顔を出したのはきつねでした。きつねは手にしているひもをふりまわしていますが、ひものさきには、ぽつぽつと穴の開いた石がついています。その穴から空気がぬけると幾つもの音が和音になり、ゆっくりと変調していくのです。きつねのコンチはこの笛石をおじいさんからもらいうけたときのことを思い出して、振り回す手に力が入りました。生まれた家を出て行く朝、呼び止められた時のことを思って。
「お前がもっと小さなころ、空から落ちて来た石だよ。これをもっていきなさい」

 きつねはピンと耳を立て遠くのエンジン音に耳をそばだてました。こんな山奥で人間の気配を感じるのはめったに無いことですので、音の方へ木の葉を踏み締めながら山道を下って行きました。しばらくすると薮のむこうから「あったよ、木のおもちゃって看板だ」
人間の子供の声です。ここまで子供が来るとは珍しい、この先の村にきたのか。きつねは意を得たようにもう一度耳をとがらすと、薮の中へ、しっぽをふさふささせて飛んで行きました。                 

場面二 【やまのおもちゃ屋】

(音楽がかすかに流れている。)

「お母さん、これ、買って。」              
「一つだけね」                      
あれにしようかこれもいいな、タカシが迷っているうちに、帰る時間になってしまいました。今日は妹の初誕生日のお祝を買いに来たのですから、おにいちゃんはしかたありません。なごり惜しく、お店の外からふり返ってみると、一匹のきつねが、おもちゃの中にコほンとすましてすわっており、おおきなくりくりした瞳をこちらに向けて、おいでおいでをしているではありませんか。お母さんは妹をチャイルドシートにのせていて気が尽きません。タカシは回れ右をしました。お店の中では、あのきつねが紙切れをくわえ、とがったあごを振り子のように揺らしていて、いかにもおとりといっているようでした。その時、「はーい」おもちゃ屋のおじさんがのそのそと中から出てくるようです。きつねは紙切れをぽとり、足もとにおくと、奥のおもちゃの中にとけ込んでゆきました。間をぬうように奥のほうにきえてゆきました。

場面三 【タカシの部屋】

「たしかに見た」
その日の晩、タカシはベッドのうえで昼間のことを考えていました。キツネがきえたあと拾って来た紙切れをそっと広げてみました。きつねのくわえていた紙には昼間見たおもちゃが印刷してあり、それはどうやらカタログでしたが、赤いインクで「きつね通信販売部」とスタンプしてあるのです。
「へえ、きつねの通信販売?」
タカシはがばっと起き上がりました。それからゆっくりとカタログに目を落とし、こんなふうに読み上げました。
ー−ーお宅様の電話ときつねの電線はこのようにつながっています。ので、通信販売にて、お求めいただけます。ーーーー
「電話をかければいいのかな。」
タカシは早速注文の電話をかけることにしました。ルルル::
何回かの呼び出し音の後ガチャ、「出た!きつねか」と思いきや、つーぷうーーー。すぐに切れてしましました。府に落ちない思いでもう一度カタログを読みなおしてみました。すると
ーーーきつきつむぐらきつむぐらー電線をつなぐ合い言葉はコンコンすっン!ーーー 
「そうか暗証番号か。」
今度は書いてあるように唱えてみました。それでも電話はガチャ、つーー。
「なんだ」
がっかりすると急に眠気がさし、タカシはそのままつっぷして眠ってしまったのです。
ルルルルル::::。眠い目をこすっていると電話の子機が緑の点滅で呼びだしているのが見えました。手を伸ばして電話にでようとしますと、
「こちらはきつね通信販売部。お電話どうもありがとう」
とひとりでにしゃべったのです。タカシは驚いて電話を見つめました。すると電話は
「こちらきつね通信販売部。」 
と繰りかえし
「御注文をどうぞ」 
タカシは慌ててカタログをひろげ、ほしかったものを次々と口にしました。すると
「恐れ入りますが御注文は一回一つにして下さい。」
と言うので、
「そ、それじゃ、ゴム鉄砲、二連発の」
と言い直しました。
プツ。つーつー。
うすぐらい子供部屋のふとんの上で、タカシは切れた電話を握  りしめながら、今のことが夢なのか現実なのか区別も付かない  ままぼんやりとカーテンの向こうをみつめていました。夜明けが 近いのかもしれないな。うっすらと明るくなってきた部屋の中で、タカシは、もう一回ふとんにもぐりこみました。

場面四 【きつね通信販売部事務所】

喧噪、電話の音。木の葉。、きつねたばこのけむり。ここはきつね通信販売部。まん中の大きな机から立ちのぼる白い煙りは部屋をしきっている灰色毛皮のボスきつねのもののようです。
たった今電話を切ったきつねのタミラは興奮冷めやらずといった表情で隣のデスクで新聞を広げて、かくれて足の爪切りをしているマートルの帽子の中に顔を突っ込むようにしてささやきました。 
「人間の子供からの注文だぜ」
「なぬ!」
のっぽのマートルは持っていた爪切りで人さし指にキズをつけてしまう程驚き、顔をあげました。
「何処の子だイ?」
「サクランボが丘さ。ひいおじいさんのころにはちょくちょくお届けにいっていたらしいが。」
「そうだってな、最近では人間さまからの注文なんて聞いた事がない。」
「世知辛いね。きつねがおもちゃ運んでくれるなんて信じる人間がいなくなったのさ」
マートルはハンカチで目尻をふきました。
「今の電話!」 
ボスキツネが大きな声を出したので、十数匹のきつねたちはぴたっと動きを止めました。タミラはひょいと机に飛び乗ると、
「人間の子供が注文してきたのさ」
と叫びました。大きなどよめきがおこり、きつねたちがてんでにしゃべりだしたので部屋のなかはおもちゃ箱をひっくり返したような騒ぎとなりました。
「よく電話がつながったな」
「でも、どうやっておもちゃを届けるの?、それに誰が行くの?」
「わたしは、だめよ。かみなりやまのヤギのかあさんが7つもあかちゃんを産んだの。お祝のお届けが殺到していて、忙しくて』
「あー、僕も遠慮しておくよ。僕は知っての通り気管支が弱くてね、コン、人間の里はずいぶんと煙たいそうじゃないか、悪いがごめんこうむるよ」
山のきつねにとって人間というものは恐ろしく、最近はめったに里の近くに行く事さえ無くなっていました。だいたいどうやってこの通信販売部に電話をつないだんだろうか。きつねたちは互いに首をかしげました。そのときです。
「僕が行く!」
勇ましい声が部屋の隅っこから聞こえてきました。それはコンチという名の新米のきつねでした。若くて好奇心旺盛、今もきらきらと目を輝かせています。人間の里ーそれは夕闇の山と山のあいだに、ちかちか光ッているところ。コンチは、「行って見たいものだいってみたいものだ」
と思っていたのです。
ボスきつねはだまって聞いていましたが
「その子供の家はどこかわかるか」
と、タミラに聞きました。
「もちろん。ナンバーディスプレイ機能が役にたったよ。何処からの電話線か分かってる。」
むしろ人間の里のほうが電話線はうまくはられていて、お届けは簡単なくらいでした。 
ボスきつねは、人間のさとのことを思ってキツネ葉巻きをくゆらせました。ずっと昔きつねが人間の子供におもちゃをとどけていたころのことを。古き良き時代の昔話であるが。
きつきつむぐらきつむぐら きつむぐら  

場面五 【人間の里】

コンチは風を切って山を下り、人間の里の入り口まで来ました。田んぼの向こうには四角い建物がならんでいます。コンチは嬉しくてわくわくしてきましたが、ボスの言った事を思い出して足を止めました。
「その子が、キツネ銭を持っているかが問題だな」
ボスきつねは地下の図書館からほこりのかぶった分厚い本を探し出し、コンチの前にひろげました。
「これは人間図鑑というものだ。これによると、人間の使っているお金はわれわれのキツネ銭と違う、とある。古い記述であるが、信用できよう。その子供から、人間のお金を受け取るな。必ずお前の知っているキツネ銭でもらうように」
よくよく言い含められたのでした。
なにしろお金さえあれば人間の里ほど愉快で若いキツネの心をひきつけるものは無いとボスは考えたのでした。

 町の入り口まで来た時コンチは人間の男の子に化けました。そして帽子をかぶると、もの珍しさににきょろきょろしながらウインドーを見てまわりました。白いひげの太ったおじさんが立っている店からはいいにおいが漂っていましたし、豆腐屋の前ではつい、足が止まりました。油揚げを揚げる匂いに、ぐーっと腹がなったのです。夕闇が近付いた町はどこの店にも、ぼわっと電灯が灯ってどこかそわそわしていました。
コンチは裏道ものそいてみたくなりました。細い路地の両脇には軒の低い店がひしめきあい、うっそうとした薮のなかを思わせました。

  (演歌 北の宿のメロディ ハミング)
なつかしいメロディーが、ドアーから漏れて聞こえてきました。コンチはその店の中をのぞいてみたくなりましたが、あたりはとっぷりとくれておりましたし、カバンの中のお届け物も気になりました。来た道をもどってタカシの家を探す事にしました。電話線を伝って行くとそれは本当に簡単でした。町から少し上ったところに「サクランボが丘団地入り口」の看板をみつけるとあとは電線を降りて歩いて行く事にしました。

場面六 【たかしの部屋】

もう、子供は寝ている時間でしたので、二階の子供部屋はぼんやり豆電球になっていました。
キツネ図書館の「人間図鑑」にはこう、ありました。
ーーー眠りには、レム睡眠とノンレム睡眠がある。レムからノンレムに移る時、ホールワールドに最も近付く。ホールワールドとハいのちだ。人間も虫も動物も、みな繋がる、そのときはキツネと人間も話が通じる。
「今だ」
コンチは細長いラッパを取り出すと、ぴゅー、しゅるると吹きました 

♪  きつむぐら きつきつむぐら 
歌えよおどれ  命のリズム  ♪

コンチの周りには不思議なメロディーが赤や青の音符となって見えてきました。音符の行列はラッパの音にのってふわりふわりと舞い上がり、子供部屋に入ってゆきました。そして眠っているたかしの頬をくすぐりました。タカシは気がつきましたが、もう一度目をこすりました。羽の生えた音符が飛ぶ中に一匹のキツネがラッパを吹いていたのです。たしかにここは自分の部屋で、ひろげたままの漢字練習帳も、消しゴムのけしかすも昨日のままでした。
キツネの目はくりくりと黒く輝き、人なつこい表情でタカシを誘っていました。タカシはキツネのステップに合わせておどっていました。
「なんて気持ちがいいんだろう」 
しゅるるーー、ぽっ。
ラッパが鳴り終わると、飛んでいた音符も床をすべってキツネの足もとに消えてしまいました。
静かな 夜でした。
ようこそ、キツネワールドへ!
「コホン、僕はキツネ通信販売部のコンチ。ご注文をお届けに来ました。」
ゴム鉄砲二連発をさし出しました。
「あ、ありがとう」
人間の言葉でお礼を言いました。キツネ語を知らないのにどうしてキツネと会話ができるのか、分かりませんでした。するとキツネは、
「僕らはおもちゃを届ける仕事をしているんだ。きのう、山のおもちゃ屋で、キツネを見たろう? あれはぼくらの仲間さ。ぼくらのすがたは子供にしかみえないらしいよ。」
タカシは目を丸くして聞いていました
「山の動物もおもちゃが欲しい時はぼくら通信販売部に頼むのさ。うさぎやふくろうは買い物にこれないからね。」
ぼーん、下の時計が鳴りました。
「そろそろ、帰るとするか。ところで、お勘定は1200コンです。キツネ銭でお願いします。」
タカシはきょとんとしました。
「キツネ銭って何?」
「え!キツネ銭、持って無いの?」  
キツネは血相をかえて言いました。タカシは慌てて
「ここに、二千円札があるよ」

新しいお札をだしてきました。
「だめだめ、キツネ銭でお願いします。」
優しい口調が一転して、譲らなくなり、タカシは困ってしましました。
人間図鑑によるとー人間の世界ではお代はキツネ銭でもらうこと。もらえないときはかわりのものを預かること。これを担保という。。
タカシは大好きなアーモンド入りのチョコレートをキツネにすすめてみました。キツネはこりこりと食べ、そのチョコがあんまり美味しかったので
「これでキツネ銭のかわりにしてもいいよ」
といいました。タカシはほっとしました。
「明日の朝になったらもっと渡すよ。今はこれだけ」
箱の中に残ったチョコレートを見せました。
「この二千円札を代わりに預けるってことにして。」 
コンチは人間のお金というものを手にしてみたくなりました。それにこの子は嘘をついたりしない、明日になればチョコで払ってくれるだろう、それまでのちょっとのあいだじゃないか。
「いいよ、そのお金の紙、あずかっておくよ、明日の朝に甘くてこりこりしたものと交換だ。キツネ銭のかわりにね」   
このとろけるほどおいしいものなら、通信販売部のキツネ達も喜んでキツネ銭のかわりにもらうだろうとコンチは思いました。

場面七 【夜の町】

   「やった、人間のお金があればあの店にも入れるぞ」
コンチは飛ぶように電線を伝いました。夜中の街はそりゃあ素敵でした。オリオン座が東の空に見え始め秋の星座が南の空を飾って、もう、真夜中だというのに何処の店にもネオンがきらめいて人気配がしていました。 
コンチはタカシの家に行く前に入ったあの通りに曲がろうとして足をとめました。心臓がどきん、ときん、鳴りました。横町の入り口には引き車の屋台がありました。赤いのれんのさがったおでんのゆげのむこうにいるのははなしに聞いていた臭いたぬきのようでした。
「たしかにくさいな」
コンチは大きなしっぽが出ない様、気をつけながら屋台の前をとおりすぎました。曾おばあさんから聞いた昔はなしを思い出していました。
ーーいいかい、コンチ、街のたぬきは恐ろしい。人間に化けているキツネの皮を剥いで売るのがやつらの商売。屋台の裏には毛皮のしっぽが揺れてるはずじゃ。山へ帰りたがってな‥‥‥‥

 (演歌 北酒場)♪ 北の〜酒場どうりには〜〜〜♪

   夢からさめるような音量で、あの店で聞いた音楽が聞こえ、コンチは我に帰りました。ギー、ばたん。ドアーが閉まりました。壁つたいに大きな音が響き、低いリズム音が耳もとで鳴りました。コンチが面喰らっていると白いワイシャツに黒のベストとズボンのボーイさんらしい男の人が「こっちへ、」と言うように手招きしました。細面の若いハンサムな人で、髪を金色に染め、長い睫毛に紫色のラメの入ったマスカラをしていました。人間の男の人はみんなこんなふうに目もとをひからせていものかとコンチはおもいました。外まで聞こえた音楽が今や大音響となって鳴り響くカラオケ屋のなかにいました。首をもたげて黒い瞳をきょろきょろさせました。ほっっぺたを赤くして目はとろんとした太った男の人と細っこい女の人が腕をからませてうたっていました。別の席ではさっきのボーイさんが緑色ののみものに赤いサクンボをうかべたグラスを渡していました。
「ぼくもなにか飲む?」
誰かが口をひらくたびにぷうんとお酒の匂いが鼻をさし、コンチは気がとおくなりそうでした。ミラーボールの光が反射して目もちかちかしてきました。そろそろ帰りたいと思ったころでした。

♪ きしゃの窓からハンケチふれば〜
牧場の乙女が花束投げる
 

聞いた事のある歌に誘われて、コンチはふらふらとステージへちかづきました。これはおじいさんがよく歌ってくれた人間の歌でした。コンチはなつかしさで一緒に歌い出しました。良い気分になって、ここが山で無い事、自分が化けてることも、そしてお届けものの途中であることも忘れてしまいました。手拍子に乗ってあっちへふらふらこっちへよろろ。すっかり酔っぱらい気分になっていました。ぐるぐるまわる天井と赤や青のネオンのあかり。コンチは勧められるままに強い香りの飲み物を手にしました。人間達の手拍子はいっそう盛り上がり、飲めや飲めやとはやしたてました。しけった匂いのたばこのけむりがのどの奥をさしました。コンチは咳き込み、手にしていた飲み物をいっきに飲み干しました。火のようにあついものがのどもとをすぎていき、コンチはそのままひっくり返ってしまいあとのことはなにも覚えていません。

場面八 【化けもどし玉】

  気が付くと人間達はソファーに沈み込むようにして眠っていました。ひんやりと、静かな夜明けの気配が壁の隙間から漂っていました。路地を牛乳屋がはしり、がちゃんとびんと当たる音が聞こえました。コンチは起き上がろうとしましたが、腰が立ちませんでした。外の空気を吸いたいと思ったのですが体がいうことをききません。それに、目のなかにはゆうべのネオンがぐるぐるまわって焼き付いています。
「目が回る」
やっとわずかな空気の流れをかぎとることができました。朝露を含んだしめった風が鼻をぬらすのをかんじたとき山キツネの感覚が目を覚しました。こっちへ行けば大丈夫。もうすこしでドアーに手が届くとき、みしっ、と大きな男の人が歩いてきました。ドアの側でぶかぶかのズボンのすそを長靴のなかに押し込んでいましたが、ふと手をとめました。コンチをじっとみています。
「はは。こいつは珍しいや、キツネだ。半分化けてるぜ。」
コンチは化けの皮がはがれていることに気付いていませんでした。他の人間達も起き出してきたようで、電気がついてあかるくなったのがコンチの見えない目にも感じられました。
「こちらへ!」
ぐいとひっぱったのは昨日のボーイさんでした。
「ここはぼくにまかせて」
細い手をにぎって裏口から路地へ逃げだしました。昨夜はボーイさんにみえましたが、朝の光の中で見るとまだ少年のようです。大通りにでればひとまず安心、そういってがらくただらけの入り組んだ細い道を抜けて行きました。そのがらくたをけちらすようにしてあとをつけているものがありました。黒い筋入りのまるっこいしっぽが、ふたりのあとをつけていました。
鋪装された大通りが見えたとき、ドワンと言う音にあっと息をのみました。丸い色の玉がはじけてもっくもくとけむがたちこめたのです。コンチはけむを吸って息苦しくなりました。
「おまえ、やっぱり。」
いつのまにか背丈の大きい、太ったたぬきが目の前にいてコンチをじろじろみおろしていました。
「臭いたぬきだ」
昨日の夜、ひき車の屋台でおでんのゆげのむこうからコンチを値踏みしていたのでした。
「つかまったらしっぽをとられる」
じりじりとあとずさりましたがゆきどまりです。ボーイさんはきびすを返すとさびた階段をあがりはじめました。今にも落ちそうなたてつけの階段をのぼりきったところは、あのカラオケ屋の屋上でした。
屋上は風が強く、コンチは寒さにふるえて毛をたてました。
コンチの左手はボーイさんにしっかりとにぎられていましたので。寒い寒いとおもいながら、左手だけは暖かいのです。洗濯物の陰に隠れていましたが、つぎつぎとたぬき達が階段をよじ上って近付いてr来る気配に背中の毛が逆立ちました。ふたりは隣の屋根へとびうつると屋根から屋根へと歓楽街の上を逃げだしました。しかし臭いたぬきの子分も負けていません。丸いしっぽはコンチたちを屋根の無いところまでもうすぐ追い詰めようとしていました。
コンチは一緒に走っているボーイさんを横目に見て本当におどろきました。走っているうちにコートはぬげ、赤いマフラーだけになっているのは真っ白なキツネだったのです。白キツネの横顔はシャガールの絵画のように、赤いシャドーのまぶたが白い毛皮に映えて、紫がかった睫毛が朝日できらきらしています。
「さあ、とんで!」
女キツネはコンチを振り返っていいました。2匹は手をつないだままムササビのように飛び、空中を舞いました。

場面九 【街の神社】

   ストン、2匹のキツネの足音が境内に響きました。コンチは白キツネについて神社のなかをあるいていました。
「 何処へ行くの?」
白い背中に問いかけました。
つと足を止め、振り返るとそれは見た事のない程美しい女キツネでした。
「ここはキツネのパワーゾーンなの、静かに。こうしているうちに力が戻ってくるわ」
コンチがぽかんとしていると
「あなた、何も知らずに街へ来たのね。」
白キツネは隣に座りました。
「さっき、煙り玉を投げられたでしょう?あれはね、キツネの化けもどし玉といって私たちの化けの皮を剥ぐ道具なの。わたしは用心してるから見やぶられなかったけれど、やつらには化けているキツネのしっぽが見えるのよ。化けもどし玉でキツネにもどしてからしっぽを取って屋台で売るの。さっきの煙りを少し吸い込んだらしいの。とってもくやしいけど。こうしてキツネの姿を見せちゃったわね。」
白キツネは石の御柱を指差して言いました。
「ここはただの街の神社。表向きはね。ホントはキツネのパワースペース。太陽の光があの御柱を照らす時、このお社のエネルギーは最高になるの。そのときまで待ちましょう。」
コンチはじっと聞いていましたが
「僕、コンチ。助けてくれてありがとう。山の通信販売のキツネさ」
といって女キツネを見ました。
「知ってるわ、木のおもちゃのお届けをするんでしょ。街に来たお仕事キツネさんにあうのは初めてよ。わたしはイナリー。」

場面十 【臭いたぬきの一族】

そのころ、ネオンの消えた街では疲れた空気が漂い、あの店の横町に、人陰はありませんでした。どこからかほこりにまみれた鋭い目のものたちが集まりだしていました。それは臭いたぬきの集結でした。街に住んでいるたぬきが臭いを嗅ぎ付け、集まってきたのです。

 ーーーーーー山のキツネの臭いがする、山から野生がやってきた。
それに白キツネのしっぽつきーーーー
とらえよ、それはそれは高級品。ーーーー

たぬきたちは引き車の屋台の前に集まると気味のわるいおたけびをあげ、またてんでの方向へ、コンチとイナリーをさがしてちらばっていきました。

場面十一 【白キツネのなかま】

そのころ神社では陽が昇り、御柱は徐々にひかりに包まれてきました。
「私の仲間よ」
白キツネたちの笑い声はさらさらと木霊するように境内をうめ尽くしました。

  ーーー白キツネは人と共に住み、大切にまつられてきたが、このごろお社はほっておかれあれ放題。でも、パワーは本物さ、柱が陽につつまれる時、光の輪を見よ。本能よ目覚めよ。キツネもタヌキも人間もみな繋がるところー命の和へ帰れーー

コンチは柱の周りが虹色に光ってくるのをみました。
しばらくすると光の輪はぐっと天に上がり、それからゆっくりとふりそそぎました。白キツネたちはそよそよと歌うようにわらいながら、ふさふさとしっぽをふりました。しっぽから虹のような光が飛び出し、それはとてもまぶしい光景でした。コンチも胸いっぱいに光を吸い込みました。すると、あたたかいものが体じゅうを巡ってとても気持ち良くなりました。石の柱が黄色から赤、藍色から紫色になった時、横ではイナリーが目を閉じて最後のパワーをとりいれていました。コンチも真似をして両手を広げました。
「さあ、準備はできたわ」
イナリーの声で目を開けるとさっきの光はきえて、境内の中を白キツネたちが、掃き浄めているところでした。しだいに白キツネの掃除する姿も薄くなり、コンチは目をこすりました。こすればこするほどキツネの姿は薄くなり、それはほうかぶりのおばさんと竹ほうきのほこりっぽい姿になっていました。あたりはもう白しらしい朝の風景でした。
「行きましょう」
イナリーは白いしっぽをふわりとさせて歩き出しました。
「そうだ、お届けの途中だった。」
コンチはやっと仕事のことを思い出しました。
2匹はつれだってタカシの家へ向かいました。
イナリーは竪琴の名手でもありました。イナリーが奏でれば、草木も花も楽しそうにゆれて、すてきな甘い香りをふりまきました。白いしっぽと茶色のしっぽはリズムをとりながら愉快に走りました。
「おかしいわね、山のきつねさんと一緒だなんて。わたしは街からでたことがないの。」
「一緒にこないか。」
イナリーとコンチはふと見つめあいました。
「ところでコンチ、どうしてタカシ君にもう一度あう必要があるの?おもちゃは届けたのに」
「この、お札さ。キツネ銭のかわりにあずかったのさ。二千円札を返してキツネ銭をもらわないと。」
「なんですって」
イナリーは驚いて言いました。

場面十二 【キツネ通信販売部の心配】

    「それにしても遅い」
ボスきつねは不安な面持ちで、葉巻をふかしました。
コンチの妹のテルバもまんじりともしないで夜明けを迎えました。
「お兄ちゃんはこんな大事なことを知っているのかしら」
ぺージを広げたままの改定版人間図鑑に目をおとしました。
ーーーたぬきの里は人間の里に続いている。
ひとつ 帽子をかぶったものには化けぬ様。しっぽが丸見えだ。
「ほかにもいろいろあるわ。これだけでもお兄ちゃんに知らせたい」
テルバはボスきつねを振り切って街の方へ走りだしました。 

場面十三 【命封じのまじない】

「人間のお金じゃない!」
イナリーは本当に驚いて、真顔になってコンチに言いました。
「このお札、命封じのまじないをしてあるの?」
「命封じ?」
イナリーは真っ青になりました。そしてコンチを見つめて言いました。
「人間のお札にはわたしたちキツネには、たぬきにだってきっと分からない力があるの。わたしたちは持っているとー命の力を失って行くの。まじないをしてエネルギーをまもらなければいけなかった‥‥でも、もう、おそいわ。」

  いつのまにか黒いたぬきの陰が点てんと見えてきていました。それは臭いたぬきの襲来でした。イナリーとコンチは電線を伝って走りましたが、行く手を大きな川が遮りました。千曲がりの川は名前のとうり曲がりくねり、なかなか向こう岸へ渡らせてくれません。赤い鉄橋が見えてきました

場面十四 【たぬきの襲撃】

「わたしたちのしっぽにおもいもよらない高値がついたのよ。あの鉄橋をわたるしかないわ。向こう岸についたら高い木にのぼって太陽に近付いてもう一度エネルギーをとりいれましょう、このお札のおかげで息がきれるわ、このままじゃとても走れない。」
2匹は急いで鉄橋をわたっていきましたが、たぬきたちももうすぐそこまで追い付いてきています。でも、命封じのまじないをしていない二千円札はキツネが思うより、ずっと恐ろしいものでした。息が苦しい、と思った時たぬきが投げたブリキの十字手裏剣のひとつがささり、イナリーの左足は真っ赤になりました。
それを見た臭いたぬきは遠くから雄叫びをあげました。
赤い模様の白キツネ、さぞかし高くうれるぞよ。
コンチは手裏剣を抜きイナリーを抱きかかえると鉄橋を渡り切り、四角いれんが色の建物の駐車場に出ました。駐車場の周りは高い木で囲まれていますのでその木に上ろう思いました。川の向こうには沢山の臭いたぬきがひしめいています。そして、一匹、また一匹、鉄橋を渡ってこちらへむかって来るのが見えました。
ピー、ピー、ピー、ピー、車のバック音でした。コンチが鉄橋のたぬきをみているうちに中型の保冷車がバックして、こんなに近くまできていたのです。鉄橋を渡ったたぬきがせまっていました。背中のイナリーははっぐったりとして、足は血でにじんでいます。
「イナリー」
コンチは心の中でさけびました。
君を山へ連れて行きたかった。コンチの脳裏には色付く木の葉の舞飛ぶ風景が浮かびました。次の瞬間かっと目を見開くと大股でバックしてくる保冷車をけり、高い木によじ登りました。そしてイナリーをこずえに横たえると木をかけおり、たぬきにむかっていきました。たぬきたちはすごむように肩を怒らせてコンチを取り囲みました。

そのときです。ピシ、ピシッ。なにかが当たる音がして、取り巻いたたぬきの一角がくずれ、ちりじりになっていきました。コンチが目をあけてみると人間の男の子ータカシが息をきらせて立っていました。
「これが、助けてくれたんだよ」
タカシは見覚えのあるゴム鉄砲2連発を持っていました。
「約束のチョコレートを買おうとコンビニにきたら、君が汚いたぬきの囲まれてるんだもの。」
タカシはアーモンド入りのチョコレートを袋から出してコンチにわたしました。そのとき、コンチはキズついたイナリーを思い出し、木の上を見あげました。こずえのイナリーをだきかかえるようにして降り、顔をのぞきこむと。
「わたしは大丈夫。木のうえにいるあいだに元気がもどってきたわ。」
心配するコンチを振り切るように足を引きずりながら動き出しました。
「怪我、してる」
タカシが手を伸ばすとビリッと静電気のような火花が散り、思わず手をひっこめました。さっきまでの友愛に満ちたイナリーはどこへいってしまったのか。そこにはまるで知らない女キツネがいました。
「街へもどるなら、おくるよ」
コンチの声が聞こえないみたいに歩き去ろうとしています。
コンチは後を追いたいと思いました。しかしキツネ銭のかわりの
チョコレートをもって山へもどらなければなりません。
「コンチ、僕も学校へ行く時間だ。楽しかった、さよなら。」
タカシはコンチから二千円札をうけとり、自転車をこぎだしました。さわやかな朝の風が吹き抜けました。

場面十五 【笛石】

いつのまにか白キツネの姿は遠く小さくなっていました。急に素っ気無い態度になったのはどうしてなのか、いたまれなくなったコンチは山とは反対の方角へイナリーを追ってかけだしました。
「イナリー」
コンチはイナリーの側まで来ると、いきなり傷口をなめたのです。
「山キツネはこうやって治すのさ」
戸惑うイナリーにおじいさんからもらった笛石を差し出しました。
「これ、良い音がするんだぜ。」
イナリーは言葉を飲み込み、ただ瞳を伏せました。笛石にはコンチのぬくもりが残っていました。

エピローグ

「おにいちゃーん」
山の道からテルバが走ってくるのが見えました。
兄と妹は木の葉をかさこそさせながら谷川沿いの獣道をのぼってゆき、しだいに小さな影になって行きました。
「なんて楽しかったんだろう。でも僕はここがいちばん好き」
コンチは樫の木の下でしっぽをまるめました。まぶたにイナリーの横顔が浮かび胸がきゅんとなりました。山は、もうすぐ、静かな夕暮れです。