第4巻第6号             1998/12/1
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Kyoshinken Review, or Knowledge of Results

学問の発展は
互いに批判しあうことで
なされるものである。

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不定期発行・発行責任者:信州大学教育学部・ 守 一雄
kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp
http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/kr/krhp-j.html


目次


【『教心研』第46巻第3号掲載論文批評】

(その2)

○伊藤裕子:
高校生のジェンダーをめぐる意識
(前号掲載)
◎豊田秀樹・村石幸正:
双生児と一般児による遺 伝因子分析 −Y・G性格検査への適用−
東大教育学部附属中学校高校に在籍した230組の双生児と1309人の一般児のYG性格検査データを遺伝的要因の影響度の推定という目的のために分析した研究。ていねいにわかりやすく書かれた好論文である。内容は、YG検査の12の下位尺度それぞれが遺伝的要因・共有環境要因・非共有環境要因によってどの程度影響を受けているかを推定した「分析1」と、12の下位尺度を「適応性因子」と「向性因子」の2因子にまとめ、これらの2因子への遺伝的影響・共有環境の影響・非共有環境の影響を推定した「分析2」からなる。「分析1」は、Ando(1993)の問題点を改良して再分析したものであるので、Ando(1993)の結果との比較もしてもらいたかった。YG検査が中学1年の時になされたことが明示されていないのはうっかりミスか。論文題もそうなっているように、双生児のデータだけでなく、一般児のデータをも組み合わせて用いた「分析2」がこの研究のミソであるらしい。これも一般児のデータを使わない場合との比較を示してくれると本研究の利点がよく理解できたと思う。以前この『KR』で議論したように、ACEモデルにおける「非共有環境」には「交互作用など未知の要因」や「誤差要因」が含まれていることは注記すべきではないだろうか。わかる人はわかるそうだが、多くの読者には誤解されやすいと思う。
◎田中美由紀・山崎瑞紀・柳井晴夫・鈴木規夫: 
個人の資質と大学の専門分野での適応に関する因 果モデルの検討
(前号掲載)
○上原泉:
再認が可能になる時期とエピソード報 告開始時期の関係 −縦断的調査による事例報告−
幼児7名について2歳ごろから4歳すぎまで縦断的に、顕在記憶の発達過程を調べた研究。顕在記憶の指標としては、「再認」と「エピソード報告」を用いた。「再認」は20枚のクレヨン画を使って「さっき見たのはどっち」「この絵はさっき見たか」という2種類の質問課題で調べた。「エピソード報告」は母親からの証言と母子インタビュー時の観察から特定した。研究の結果、再認は3−4歳で可能となり、エピソード報告はそれより早い2−3歳で観察されることがわかった。フロイト以来の「乳幼児健忘の謎」に迫る興味深い研究であるが、なにぶんデータが少ない。今後のデータの蓄積が期待される。
○小塩真司:
青年の自己愛傾向と自尊感情、友人 関係のあり方との関連
(前号掲載)
●中谷素之:
教室における児童の社会的責任目標 と学習行動、学業達成の関連
同じ著者の1996年の論文は「社会的責任目標→社会的責任行動→教師からの受容→教科学習への意欲→学業成績」というプロセスをパス解析によって確認した「KRベスト論文賞」だったのだが、今回の研究はいただけない。前回同様、「社会的責任目標」から出発して、今回は「学習行動」と「学業的援助希求(わからないときに友達などに助けを求めること)」とを介して「学習成績」へのパスを見いだすことが目標とされた。しかし、「学業的援助希求」は他の尺度と相関が見られず、また、「多重共線性の可能性がある」からという理由で、「社会的責任目標」と「学習行動」、「学習行動」と「学習成績」という2つの単回帰の連鎖によって当初の目標をこじつけることになってしまった。そもそもデータでは「社会的責任目標」と「学習成績」とに相関がまったくみられないのに、両者の関係を証明しようとしてもどだい無理な話ではないだろうか。
○相良順子: 幼児・児童のジェンダー間勢力の知 覚
(前号掲載)
◎冷水來生・冷水啓子:
日本手話の動作成分に内 在する意味について
 日本手話をまったく知らない人でも、その動作から意味がある程度推測できることを確認し(実験T)、手話を身体の部位ごとの動き成分に分解して、それぞれの成分と手話項目から受ける印象評定(SD尺度)との関連性を数量化T類で調べた(実験U)。さらに、実験Uで印象評定に大きく関わることが確認された身体動作を組み合わせた「人工手話」が仮説通りの印象を与えるかどうかを確認した(実験V)。実験の組み合わせも論理展開も優れた好論文だと思う。唯一、いったい何のためにこんな研究をしているんだろうという疑問を感じながら読んだ。そして、論文の最後に「手話の獲得が困難な重度の認知障害をもつ子どもたちにも習得しやすい手指サインの開発に役立つ」というような記述があって納得した。この部分を論文冒頭に持っていってもいいのではないだろうか。
●康智善:
刺激−反応間の概念的距離の次元から みた連想スタイルの分析 −非制限教示下における言語連想検査とロールシ ャッハ・テストの関連から−
(前号掲載)
●生月誠:
バイオフィードバック情報の不安制御 に及ぼす効果 −不安症状を持つ被験者を対象にして−
論文題からは「バイオフィードバック情報が不安制御に効果があった」という研究を思わせるが、結果は逆である。にもかかわらず、なぜこんな題をつけたのかというと、「不安制御ストラテジーを持った被験者なら、フィードバック情報を不安制御に役立てられるだろう」という仮説があったからである(論文では「仮説3」)。しかし、実験結果はこの仮説を検証できなかった。この仮説自体はおもしろいと思うし、正しいんじゃないかとも思うのだが、検証に失敗した研究を「あたかも仮説検証ができたかのような題」で論文にしちゃうのはほとんど詐欺に近い。著者およびこの論文の審査者に猛省をうながしたい。東京心理相談センターも信用をなくしますよ。
○小高恵:
青年期後期における青年の親への態 度・行動についての因子分析的研究
(前号掲載)
○廣瀬英子:
進路に関する自己効力研究の発展と 課題
「進路に関する自己効力感」についての内外の研究のレビュー論文。PsycINFOに記載の論文を中心にレビューしたものであるため、英語論文の網羅状況は問題ないと思われる。この『KR』で浦上(1996)冨安(1997)を紹介した際にも繰り返し指摘してきたことだが、self-efficacyを「自己効力」と訳すのはどうしても納得がいかない。意味から考えて「自己効力感」とすべきだと思うのである。そうは言っても、このレビューでもわかるように浦上氏と冨安氏が日本でのこの分野の中心的な研究者で、このお二人が「自己効力」という用語を使い続けるかぎり、端から苦情を言ってもどうしようもないのかもしれない。でも、昔は福島(1985)とか深田(1986)とかでは「感」がついていたんだけどなあ。とぼやきつつ冨安氏のホームページを見たら「進路決定自己効力感の研究をしています」と「感」付きで自己紹介をしていた。じゃ、論文でも「自己効力感」と書いてよ。