『KR』から岩男さんへの回答(その1)(1999/5/25)

『KR』から岩男さんへの回答(その1)(1999/5/25)

Date: Tue, 25 May 1999 08:51:31 +0900
To: iwao@kanto-gakuin.ac.jp
From: kazmori@gipwc.shinshu-u.ac.jp
Cc: kazmori

岩男さま:守@KRです。

回答遅くなりました。

 まずはじめに、「面白くもなんともない研究」という表現によって、感情を害され
たことに対し、お詫び申し上げます。それでも『KR』の趣旨を御理解下さって、そ
のまま感情的に反発するのではなく、冷静に反論をお送り下さったことに感謝します。

(1)この論文の面白さについて
 さて、それでも私が岩男さんの研究を面白くないと感じたことは事実ですし、岩男
さんからも

>1.探索的な研究である本論文の結果の「面白くも何ともない」
>という批判を,できれば学問の発展につながる形で説明してい
>ただきたい.

と、質問がありましたので、以下にその理由などをお答えしておきたいと思います。

 まず第一に、私がこの研究に面白味を感じなかった理由は、結局のところ研究手続
きにあると思います。一般論として「研究手続きに問題がある研究は面白くない」と
言えるのではないでしょうか。岩男さんは研究手続きへの批判は認めつつも、結果に
はご自身で満足しているようです。そして、次のように述べています。

>本研究は,そのような探索的な研究です.守先生のコメントで
>は,研究手続きのご批判は頂戴していますが,探索の結果その
>ものについては,「面白くも何ともない」という結論で,学問
>の発展につながる批判であるとは思えません.可能であれば,
>結論も含めてどう面白くないかをお教えいただけると大変うれ
>しいです.私自身としては,カテゴリに基づく帰納推論におい
>て,一般大学生と専門家でこのような違いが生じたことは,面
>白いとも思いますし,なぜこのような結果が生じたのか,これ
>はどのような意味を持つのか,考えたいと思っております.

 確かにこの研究で「文科系の大学生と専門家とで推論の仕方が違う」という研究結
果が得られたことは面白い結果なのかもしれません。しかし、この結果が面白いもの
であることを示すためには、文科系の大学生と専門家とがまったく同じ推論課題を与
えられたことが明示されていなければなりません。ところが、文科系の大学生での結
果は「岩男(1994)」となっているだけで、その具体的手続きはまったく明らかにされ
ていません。岩男(1994)がもうすでに公刊されたものならば、確認もできますが、未
公刊のものでは困ります。さらに、疑問に思うのは、付記によればこの論文は岩男さ
んの「修士論文の一部を加筆、修正したもの」で、比較されている岩男(1994)もまた
「修士論文」です。ということは、「修士論文の一部」と「修士論文」とで結果が異
なるから面白いと言っていることになるわけで、なぜ、こうした面白い結果の違いが
見られたことそのものを投稿論文にしなかったのでしょうか?

 実験2で、生物学専攻の大学院生だけでなく、数学や心理学の大学院生も生物学専
攻院生と同じような推論方法をとっていることが示されていることも、結果を面白く
なくしています。特別に生物学を専門にしていなくても「専門家」と同じ推論をする
のだったら、「専門家は推論方法が違う」という仮説がなんだかあやしい気がするか
らです。(しかも心理学も臨床心理学だそうだし・・・)
 細かいことですが、「どんな推論の仕方をするか」が研究の焦点になのに、Table
4の分類の手続きがずさんなのも気になります。「特に記述がない場合」を群2に分
類していますが、面談して内省報告をとるくらいのことはしてもらいたいものです。
(「都内国立大学大学院」って東大のことでしょ?面談するのが不可能とは思えない
のです。)

 実験2で「前提が1つ」と「前提が2つ」の課題を同じ被験者に課しているのに、
被験者内の比較がなされていないのも不満です。「前提が1つ」の時には群1に分類
された被験者が「前提が2つ」の時には群2に分類されるとか、その逆とかのケース
はなかったのでしょうか?

(2)論文の面白さの基準について
 岩男さんからは「KRでは何をもって面白い研究とするのか」という質問もいただ
きました。

>2.「おもしろい」「おもしろくない」などの主観的な表現で
>批評するからには,「査読基準」を公開していただきたい.

 これはちょっと困りました。私が面白いと感じる研究に対する明確な基準は明示で
きないと思います。岩男さんもおわかりのように、面白い面白くないは主観的な感覚
で、「何をもって人は面白いと感じるか」はそれ自体で心理学の研究テーマになると
思います。それでも、佐伯先生がちょうど私と同じくらいの年齢だった頃に、『教育
心理学年報』第26集(1987)に「教育心理学をおもしろくするには」という展望論文を
書いています。また、『認知科学の方法』(1986)の第1章にも「おもしろい研究をす
るには」という章があります。基本的には佐伯先生の書かれていることに賛同します
。私もいつかは「私の考える面白い論文の基準」というような論文を書いてみたいも
のです。
 面白い論文の基準が示せないとしても、他人の論文の面白さを評定してコメント述
べることは許されると思っています。この点に関しては、下記(3)もお読み下さい。

(3)明確な基準なしに「査読」をしていることについて
 岩男さんは、私の「査読基準」の明示を求めているわけですが、上記のような理由
で明示することはできません。それでも、以下の記述には少しばかり反論をしておき
ます。

>守先生は,個人の集合である教育心理学会の編集委員会に対し
>ても,長年にわたって,そのような「査読基準」の公開を強く
>求めてこられました.守先生個人であれば,そのような基準の
>公開は,集団がそのような基準を公開するよりも容易だと思い
>ます.正直に申し上げて,守先生の「査読結果」に「傷ついて
>いる」著者も少なくないと思いますので,先生の「査読基準」
>が明示されれば,そのような感情的な反発も持たずに済むと
>思います.

@私は教育心理学会の編集委員会に「査読基準」の公開は求めていません。私が求め
ているのは、査読者への質問や反論の機会を与えることです。『KR』では岩男さん
のメールにこうしてお答えしているように、論文著者からの質問に必ずお答えしてい
ます。
A『KR』でやっていることは批評であって、「査読」ではありません。編集委員会
の査読者は、その論文が学会誌に掲載されるか否かの決定に関わるもので、いわば「
論文の生死の判定者」です。しかし、『KR』の場合はそうした権力をまったく持ち
ません。私がどんな批評をしようと、掲載論文が掲載取り消しになることはありません。
B『KR』の批評に「傷ついている」著者は「査読基準」が明示されていないから傷
ついているのではないと思います。以前に、塘さんの論文(1998)への批評をめぐって
同様の議論がなされたことがありましたが、「論文を公刊するということは不特定多
数の読者から批評をされる覚悟がある」ということです。批評が間違っていると思え
ば反論すればいいのですし、批評が正しくて反論できないなら一時的に「傷ついた」
としても、その批評をヒントによりよい研究をすればいいのです。

 かなり長くなりましたので、今回はこの辺で。
 再反論をお待ちしています。

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守 一雄@380-8544信州大学教育学部教育科学講座(これだけで郵便が届きます。)
kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp 電話 026-238-4214(ダイヤルイン・留守電)
『DOHC』『KR』発行元     Fax 026-237-6131(直通)
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