第3巻第8号             1998/3/1
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Kyoshinken Review, or Knowledge of Results

学問の発展は
互いに批判しあうことで
なされるものである。

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不定期発行・発行責任者:信州大学教育学部・ 守 一雄
kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp
http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/kr/krhp-j.html


目次


【『教心研』第45巻第4号掲載論文批評】

(その2)

○古池若葉論文:
(前号掲載)
菅沼真樹論文
健康な60歳以上の老人男女106名について、「親しい人」および「知人」に対する自己開示の程度を調べた研究。「親しい人」に対する自己開示量の方が多く、老人に特有な「4つの(心身の健康・経済的基盤・社会的つながり・生きる目的)喪失経験」は開示されにくいという予想通りの結果が得られた。さらに、自尊感情との関連性を調べたところ、自尊感情得点の中位の群が自己開示量が一番多く、高位群・低位群では開示量が少ないという逆U字型の結果が得られた。図表の使い方も適切で読みやすい好論文だと思う。
●酒井・久野論文:
(前号掲載)
伊藤裕子論文
男子高校生と女子高校生とがどのような性差観を持ち、またそうした性差観がどのように形成されるのかについての研究。まず、性差観を測定するための尺度を作り(研究1)、次にこの尺度を中心に、性差観の形成に関わると思われる5つの要因と性差観によって生じる性役割態度や具体的性役割選択までの因果モデルを想定し検証を試みた(研究2)。その結果、男子校の高校生は性差観得点が共学男子高校生や成人男子よりも有意に高く、伝統的性役割観が強いことが明らかとなった。パス解析の結果、想定された因果モデルは大筋で確認されたが、男女でやや違いがあり、女子高校生では「運動能力を含む身体領域」の性差を早い時期から意識することが性差観に影響を与えること、また男子高校生では「共学か別学か」という要因が性差観に影響を与えることがわかった。スポンサー付きの研究だけあって、規模も内容も本格的である。研究結果が集約されている男女のパス・ダイアグラムは、ぜひ見比べてみたいものなのだが、裏表のページに印刷されていて見にくいのが難点である。
●岸 学論文
(前号掲載)
澤田忠幸論文
「幼児期における他者の見かけの感情の理解の発達」を4歳児・6歳児あわせて140名について、個別実験を行って調べた労作である。しかし、論文はとても読みにくい。研究の目的はわかるのだが、2つ行われた実験の結果が、目的とうまく整合するようにまとめられていないため、結局何を明らかにしようとして何が明らかになったのかがよくわからないのだ。感情理解の質問に対する回答を「嬉しい=3点、普通=2点、悲しい=1点」と得点化して分散分析にかけてしまうという分析方法も納得がいかない。明らかな「天井効果」や「床効果」が見られ、分散が0というセルがかなりあるのに分散分析を使ったり、せっかく3種類の質問をしているのに質問間の回答傾向の分析がなかったりするのである。結果がまったく図に示されないこともわかりにくさの原因となっている。表の書き方も悪い。4歳児と6歳児のデータを示すのに、4歳児が左の表と右の表が混在している。
◎住吉チカ論文:
(前号掲載)
小河原義朗論文
アジア系の外国人日本語初級学習者を対象に、どんな学習ストラテジーが発音能力の向上に有効であるかをパス解析によって調べた研究。研究結果は「自己評価型ストラテジー」が有効で、「目標依存型ストラテジー(教師や友人に依存する学習ストラテジー)」は負の影響があることを示したという。おいおい、ちょっと待ってくれと言いたい。統計の教科書に出てくるような典型的な「相関関係を因果関係と解釈してしまう間違い」ではないだろうか?論文著者は「学習方略が発音能力に影響する」という一方的な因果関係を当然のように仮定し、「発音能力の違いがストラテジー選択に影響を及ぼす」という逆方向の関係をまったく無視してしまっている。この研究結果は、「発音能力の低い者は自分で自分の発音の良し悪しが判断できないため教師や友人に評価してもらうという方略を用いざるをえず、ある程度発音能力が高くなると自分でも発音の良し悪しが評価できるようになる」というだけのことではないだろうか?
○久保信子論文:
(前号掲載)
西出・夏野論文
中学生とその両親267家族を被験者に用いて、「子どもの抑鬱感」と「家庭の健康度」との関係を共分散構造分析によって調べた研究である。主要な結果は3つである。@子どもが家庭を肯定的に評価しているほど抑鬱感は少なくなる(これは予想通り)。A父親が家庭をどう評価するかは子どもの抑鬱感に有意な影響力を持たない(「ううっ、お父さん寂しい!」)。B母親の肯定的な家庭評価は子どもの家庭評価を介するとプラスに働くが、そうでない場合にはむしろ子どもの抑鬱感を増加させる。この「母親のひとりよがり的な家庭評価はかえって子どもの抑鬱感を増加させるかもしれないこと」が明らかにされたことは大変興味深いことである。(論文とは関係ないことですが、「鬱」という漢字の適当な略字を誰か作ってくれませんか?)
●皆川 順論文:
(前号掲載)
田村隆宏論文
幼児における新奇語の意味習得に及ぼす周辺状況の影響を調べた研究で、Hall & Waxman(1993)では「自動車に乗っていた熊」(「自動車に乗っている」という状況+「熊」)が単に「熊」として解釈されるのに対し、この研究では「檻に入った象」が単なる「象」ではなく、「檻に入った象」として解釈されることを見いだした。田村はこの結果から、「事例にとって日常的な状況(檻と象)は事例と結びつきやすく、非日常的な状況(自動車と熊)は結びつきにくい」と結論している。本当にそうだろうか?私はむしろ逆であると思う。「檻と象」が日常的で「自動車と熊」が非日常的だとする田村の理解が間違っているのである。そもそも動物園では「象は檻には入っていない。」さらには、Hall & Waxman(1993)で「自動車に乗っていた熊」は「蝶ネクタイをして三角帽子をかぶった熊のぬいぐるみ」である。「おもちゃの自動車にぬいぐるみの熊さんが乗っている」方が「檻に象が入っている」よりも幼児にとってずっと日常的である。こうした研究ではどんな絵が使われたのが決定的に重要である。田村論文では、実験に使われた絵がまったく示されていないことも問題である。