第2巻第6号             1997/2/1
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Kyoshinken Review, or Knowledge of Results

学問の発展は
互いに批判しあうことで
なされるものである。

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不定期発行・発行責任者:信州大学教育学部・ 守 一雄
kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp
http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/kr/krhp-j.html


目次


【『教心研』第44巻第3号掲載論文批評】

(その2)

○田村論文:
(前号掲載)
藤本論文
いくつかのコップがあるのを見て「どんなコップが何個あるか」という事実を知ること(「同一性」の認知)と、それが「ある特定の視点からはどう見えているか」(「見え」)とは別の認知過程が関わる。この研究では幼稚園児において、同一性と見えの理解がどう発達するかを巧妙な実験によって明らかにした。年少児ではまず同一性が優先され、見えはほとんど考慮されない。年中児以降は同一性と見えとの両方に注目できるようになる。しかし、どちらか一方が重視されたエラーも起こる。年長児になると同一性と見えの統合がなされる。図やグラフも効果的に用いられ、読みやすくわかりやすい好論文である。
藤本@四天王寺国際仏教大学さんからコメントが届いています。(1997/2/7)
杉浦論文
「失敗の努力帰属がやればできるという気持ちにつながらないのはなぜか」について、小学校5・6年生を被験者に、原因帰属と期待との関係を学習目標と絡めて調べた研究。「失敗したのは努力が足りないからで、やればできることはわかっても、努力する気になれない」という「無力感」の存在が努力帰属と結果期待を分離していること、そうした無力感は学習の目的が成績を上げることにあるとする「成績目標」の場合に起きやすいことが示された。小学校高学年で既に「無力感」が生じていることは重大であると思う。目標−帰属−期待の3つが絡むため話が輻輳しがちであるが、「統制感」や「無気力感」を適宜わかりやすい表現で言い替えてくれているので読みやすい。惜しむらくは、2つのパス図が裏表ページに配置されていて見比べにくいこと。【杉浦さんからコメントが届いています。】
○藤野論文:
(前号掲載)
○鈴木論文:
(前号掲載)
○水間論文:
(前号掲載)
◎保坂論文:
(前号掲載)
前田論文
進路指導を精緻化するために定期テストが繰り返され成績の自己認知が安定化する。その結果、生徒は何度テストを受験しても成績はそれほど変わらないことを経験的に知ってしまう。だから、失敗に対して努力帰属はするのだが、「努力しても成績が上がるとは思えず努力する気になれない」ということになる。という中学生の現実の再確認がなされた研究。「学業成績の帰属に性差があるかもしれない」という部分の研究の発展に期待したい。Table2とTable3は不要では?代わりに一部でもいいから結果をわかりやすく図示してほしい。
◎栗山論文:
(前号掲載)
谷島・新井論文
「努力帰属をしても学習への動機づけにつながらない」という問題を、「クラスの動機づけ構造」という側面から解決しようとした研究。(先行研究の谷島・新井(1995)では、意義をよく理解できず、KRのコメントもおざなりだった。反省。)本論文では、前研究を進展させ、各教科ごとの能力認知(それぞれの教科にどれくらい自信をもっているか)と「クラスの動機づけ構造」との関連を見ている。前研究では「勉強してわかるようになることは楽しい」に代表される課題志向のクラスの雰囲気だけが各生徒の勉強への自信につながるという結果だったが、本研究では、理科や社会科の場合「クラスの活動に積極的に参加したい」というような参加志向が自信につながるという結果だった(英数国は前回同様)。その他「クラスの動機づけ構造」と自己調整学習方略との関連や、達成不安との関連についても調べるなど盛りだくさんであるが、「クラスの動機づけ構造」の意味が理解しにくく、結果的に論文もわかりにくい。谷島・新井(1995)を先に読んでおくと少しはわかる。
伊藤論文
「失敗の努力帰属がその後の動機づけにつながらない」問題を取り上げ、「自己統制学習」方略を鍵として解決しようとした研究。ただし、著者自身が「今後の課題」に述べているように、(1)学習方略がうまく捉えられなかったこと、(2)相関研究の限界などから、結局なんだかよくわからない研究となってしまった。
下山展望論文
ステューデント・アパシーについての内外の研究の展望である。時代の経過を追って概念の変遷を調べた研究Iとステューデント・アパシーをどんな障害と考えるかをまとめた研究IIからなる。研究Iで興味深いのは1970年代後半以降アメリカでの研究がほとんどなくなってしまったことである。Grason & Cauley(1989)という大学生の精神保健の包括的研究書にはStudent Apathyが項目や索引にも出てこないという。確かにPsycLITで検索しても90年代では下山氏をはじめ日本人研究者3名の論文しか出てこない。しかし、ERICで検索すると82年以降で26件ヒットし、ほとんどがアメリカの研究である。どうやら、(1)アメリカではStudent Apathyは心理学というよりも、教育学の問題と考えられていて、(2)大学生よりは中学生高校生の問題とされているようである。

【「学業成績・原因帰属・効力感」研究特集号に思う】

 本号では、奇しくも「学業成績と原因帰属」に関わる論文が4論文も掲載されていた。そこで勝手に「特集号」と呼ぶ。この問題は進路選択につながり(鈴木論文)、一部の生徒では学業不振を通して不登校へ(保坂論文)、あるいは自己嫌悪や非行へ(水間論文・藤野論文)、そしてうまく大学へ進学できた学生もアパシーに陥る可能性がある(下山論文)と考えていけば、本号のほとんどの論文が関連しあうことにもなる。そうした意味で重要なテーマであり、教育心理学的研究への期待も大きい分野であろう。しかし、本号の4論文は結局、いろいろな側面を測る質問紙を使って、成績と原因帰属と結果期待と動機づけと能力観と自己調整学習方略などとの相関関係を調べているにすぎない。伊藤論文の「今後の課題」にあるとおり、「実験や縦断的研究による検討が必要」である。この分野の優れた先行研究である樋口・鎌原・大塚論文(1983)を今回改めて読み直して見た。この論文でも最後に「今後、原因帰属様式に介入することにより、統制感、行動傾向、学業成績の変化を追うなどの試みを行うことが必要である。」と述べられている。それからもう10年以上が経過しているが、いまだに同じような研究ばかりである。教育場面へ実験的に介入することの難しさが改めて思い知らされる。【杉浦さんからコメントが届いています。】