テキストに見る指導の実際

ピアノ学習曲第1曲 − バイオリン指導曲をそのまま借用
B: 「楽しき農夫」 − 難しさのデパート

アノ指導曲集第1巻 第1曲「キラキラ星変奏曲」
楽譜を見る「キラキラ星変奏曲」第1頁
ピアノもバイオリンと同じ身体機能を使ってひく?
下に例示した楽譜は、才能教育ピアノテキストの第1曲である。ピアノ科に入学した子どもが最初に習う曲がこの「キラキラ星変奏曲」だ。これを見ると、いささかでも才能教育についてご存じの方は、「おや、どこかで見たような楽譜だ。」と思われたことだろう。そう、これはこの(A)に続く(B)(C)の変奏曲を含めて、バイオリンテキストの第1曲とまったく同じ曲なのである。(正確に言うと変奏Bは、バイオリンテキストでは8分音符のスタッカートになっているが、基本的なリズムは同じ)

この曲を見てまず感じることは、細くて小さな指、その弱々しい幼児の指で、このような連打をひくことはとても難しい、ということだ。とくに薬指と小指で連打をひくことは、至難だ。何故この曲が第1曲に選ばれたのか、幼児の指の太さ、骨格、腕や手や指先の運動神経などから考える限りは、合理的な理由を見つけることはできない。

ただ一つ説明のつきそうな理由を考えれば、バイオリン、ピアノ両テキストとも「鈴木鎮一バイオリン曲集」「鈴木鎮一ピアノ曲集」となっていて、ピアノテキストの方も鈴木氏自身が編著者になっていることだ。鈴木氏がピアノのことや、ピアノと幼児の運動生理の関係について、どの程度理解されていたか分からないが、鈴木氏が責任を持って編集したのなら、「バイオリンで最初に使ってうまくやってきた曲だから」ということで入れたのかもしれない。しかし、これではやらされる幼児がたまったものではない。バイオリンとピアノでは、使う筋肉あるいは運動系はとてつもなく違う。

もう一つ考えられるのは、鈴木氏がよく言われるように神がかり的になっていて、カリスマ的指導者のバイオリンテキストの象徴ともなった「キラキラ星変奏曲」を、ピアノテキストにも最初の曲として使うことが当然のような空気が、才能教育それ自体に充満していたのかもしれない。もしかしたらピアノ科のスタッフの中にも、この曲がピアノ学習の最初の曲としてはどうかと思った人がいたかもしれない。しかし、鈴木氏の存在があまりに大きいので、それに頼ってしまって、ピアノ科としてゼロから考えて指導体系全体を構築する、という労をとらなかった結果かもしれない。いずれにしても、これで苦労をさせられるのは、か弱い幼児だということは、しっかり踏まえておかなくてはならない


ちなみに、ピアノ教育がもっとも進んでいるといわれる旧ソ連の児童音楽学校の最初のピアノの指導は、ゆっくりしたテンポで一音一音をノン・レガートで長めのタッチで弾かせることから始めるようだ。(加藤一郎「ソヴィエトの児童音楽学校とピアノ教授システム」(「ムジカノーヴァ6月号/1973年」P57)(著者注:これに関してはもっと具体的な資料があるが、残念ながら現在紛失)


第1曲から指の拡張と指のポジション移動
第1小節目の2拍目から3拍目に1と4の指で5度の広がりをとるところがある。左は同じ音程を5と2の指で取るようになるが、始めてこの曲を弾く幼児には、ことに左手の指のアレンジは右手以上に難しいのではないかと思う。このような拡張のポジションは、基本配置で弾ける場合と比べて難しくなるので、基本配置になれた後で導入するのが普通だ。

さらに、2小節目の3、4拍から3小節目の頭にかけて、同じ指を使って1度低い音に移動するところがある。幼児にとって16分音符と8分音符が混ざったリズムを弾くだけでも難しいところに、このような指の移動を同時にすることは、これが最初の曲であることを考えると、とてつもなく難しい奏法になると思う。しかも、この場合右手の移動する指は4の指である。4の指は5本ある指の中ではもっとも弱い指とされている。このように4の指がもともと弱いところへ持ってきて、まだ一切の訓練をしていない幼児に、どうしていきなりこんな難しい曲を与えるのか、私にはその理由がまったく思いつかない。

この曲に限らず、才能教育のテキストでは、習う幼児の指の筋力や運動能力からみて、かなりの飛躍と思われる曲がたくさん使われている。幼い幼児であればあるほど、なだらかな坂道を登らせればいいものを、険しい坂道をジャンプしながら登坂するがごとき教程が組まれている。さらには幼児の手の大きさを無視して、標準的な手ばかりでなく大きな手を持った子どもにも、かなり広い間隔の音を取らせる曲が多々ある。

楽に声の出ない音域の音を歌わせれば、声を張り上げて歌うことを強いることになり、どんなに努力をしても気持ちよい声で歌うことはできない。ピアノといえどもそのことに変わりはない。「能力、能力」と能力を強調するあまりに、途中をスキップしてでも難しい曲を弾けるようにさせて、能力の棒グラフをどこまで高く登ったかで、成果を見せたい意図があるのかと疑いたくなる。でも、私は幼児には(幼児に限らないかもしれないが)「棒グラフ」で高さを競わせるより、「円グラフ」で多様性を味あわせる方が、子どもは豊かに育つと考える。

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