幼児の前に立ちはだかる高くて厚い壁
「楽しき農夫」

「楽しき」どころか、つらくきびしい農夫の仕事のような曲

この曲のどこが難しいのかは、説明するのが面倒になるほどだ。とにかく、ひくそばから全てが難しい。「難しさのデパート」といってもよいくらい。よくぞまあこんな難しい曲を、しかも習い始めて間もない、こんな早い段階においたものだ。ひけるようになるまでには、全ての幼児につらくきびしい農夫のような仕事が待っているといってよいだろう。

運よく何とかひけるようになったとしても、幼児の小さな手では、余裕を持っていくことは物理的に不可能。はたして楽しき農夫になるのは、習った生徒の何割になるのだろうか。常識的な予想をすれば、ほとんどいないのではないかと考えられる。それほど、この段階には相応しくない曲といっていいだろう。以下に、どこがどのように不適切なのかを説明するが、多忙のために時間が取れない。とりあえず第1段目(ということは繰り返し部分があるため半分は説明したことになるが)の解説でお許しいただきたい。

「楽しき農夫」(「鈴木鎮一ピアノ指導曲集 VOL.2」P13)
楽譜を見る「楽しき農夫」
どこがどのように難しいか
第1小節
および類似個所
左手 左手でひく1オクターブにわたる分散和音奏は、この曲で始めて経験するものである。小学校に入っても7度(オクターブより1音狭い)がやっと届く程度の手を持った子どもが多いのが現実。才能教育でこの段階にまで来る4、5歳児の場合は、1オクターブはおろか、7度でさえ届かない子が多いだろう。そんな小さな手で1オクターブにわたる分散和音をひくことは、きわめて難しい。そんな難しい形なのに、それを前もって幾つかの簡単な曲の中で練習することもなく、突然この曲で習わされる。

しかも左手でこの難しい分散和音をひくと同時に、右手で高さの移動する和音をひかなければならない。このように高さが変わる和音をひくことは、それだけでもこの段階ではかなり難しいことだ。それを左手の分散和音奏と共にひくことになると、それぞれの難しさを倍加することになり、幼児にとってはとてつもない高くて厚い壁が立ちはだかることになる。

その上左手の分散和音が上昇しきると、すぐに広げた小指を4拍目の裏で狭くしてFの音をとって、次の小節でさらに1オクターブにわたる分散和音をひかされる。今度の分散和音では3の指にフラットまでつける難しさが加わる。
をひいた直後、4拍目の裏で5の指を狭くして再び広い黒鍵を含んだ分散和音をひく。
右手 移動してひかなければならない和音奏は、習い始めの幼児にはたいへん難しいものである。しかも、前項で説明したとおり、ここでは同様に至難な左手分散和音と同時にひかなければならない。それにより、いっそう難しいものとなっている。
第2小節
および類似個所
左手 1、2拍で3212の指が広い分散和音をとるとき、ほとんどの幼児の弱い1の指は、外側へ突っ張っているものだ(3が黒鍵をとり、その分32が無理な格好で広げられるので、なおさらだ)。その1の指を反対方向の内側に曲げて、2の指の下をくぐらせてCの音をとるのは、たいへん難しい。このあたりにも、幼児の身体機能の発達について、あまり考慮が払われていない選曲態度を見ることができる。
第3小節
および類似個所
左手 前の小節の最後の拍で、2の指がAの音をとるようになっているが、この音から次のBの黒鍵を取ることは、2の指より短い1の指が、奥の方の黒鍵をとることになり、かなり不自然な指の配置を強いられることになる。

しかも、この直後にBGCというとても広い音域をとらされる。この広がり自体、小さな手の幼児にはたいへん難しい。その上、ここでは親指が黒鍵をとる関係上、小さな手では2の指の左側面が黒鍵に接触することになり、ますますひきにくくしている。これでは、十分な音を出せないばかりか、接触した音が小さめになったり、場合によっては、接触した音が混じって鳴ってしまうこともある。

さらに、2拍目の裏のBから3拍目の頭のAにかけて、1の指を滑らせてとるようになっている。同じ指を滑らせてレガートにとることは、かなり指がしっかりしてからでないとうまくできない。一般的にはずっと後になってから習う奏法だ。しかも、このころの幼児の親指は、指の付け根のところから内側に凹んでしまっている子がほとんど。そのような指では、いっそうこの奏法は難しいといってよい。
右手 ここにも右手には移動する和音奏がある。しかも、この小節では、属七の和音次に主和音と違う和音をひかなければならない。しかも、前項で解説した至難の分散和音、それも同じように属七から主和音へと変化する左手の分散和音をひきながらの、移動する和音奏である。Alas for a poor child!
第4小節
および類似個所
右手 跳躍する和音をとりやすくするためだろうが、最初の5度を31でとるようになっている。一般的にいって、小さな幼児の手で5度を31でとらせることは、普通は考えられない。すでに解説したように1の指の付け根が凹んでしまうほとんどの子どもにとって、5度の広がりを31で正確にひくことは、まず期待できない。

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