子どもを取り巻く音楽状況と「音階の曲集」


最近、「コンチェルトハウス」のホームページの藤田信路さんと、私の書いたテキスト「音階の曲集」に関してメールのやり取りがありました。その内容が、単に「音階の曲集」にとどまらず、今の子どもを取り巻く音楽環境にまで及び、その中にあって「音階の曲集」をどのように位置づけるかといった事柄にまで、話が及びました。

もちろん、私のテキストは、私自身がテキストとしてのある制約を設けて書いたものです。そのため、現代の多くの初級テキストに見られる音楽的な貧困さをこれで何とかしよう、といった大それた意図を持って書かれたものではありません。しかし、そのような制約の中にあっても、可能な限りバランスのとれた、しなやかな音楽の流れを考え、自然な美しさというものを大切にして書きました。その意味から、今日のような現状にあって、何らかの存在意義があるのではないかと思っています。

今回の藤田先生とのメールのやり取りでは、そのような事柄について、かなり踏み込んだ議論(ちょっと言葉が固くなりますが)をしました。しかし、メールのやり取りのままでは、私と藤田さんの個人的な話に終わってしまいます。そこで、藤田さんのご了解を得て、このようなことについて問題意識を持っておられる他の先生方にも、私たちの議論のやり取りを公開して、参考にしていただこうということになりました。

なお、メールの中での私的な会話や、今回のテーマに関係のない部分は割愛させていただきました。また、今回ホームページに公開するに当たって、藤田さんの了承を得て、若干加筆修正させていただいたことをお断りしておきます。

> 先生の「音階の曲集」も、熊谷の楽器屋さんで少し前に手に入れて、どのよ うに活用できる
>
検討中です。
> 内容は、大変合理的にまとめられていて、完成度の高い学習曲になっていると思いま した。

私の書いたテキストを手に入れられたようで、ありがとうございます。また、テキストとして積極的な評価をしてくださって、とてもうれしく思います。

> ただ、一般的に、日本人の楽曲は、敬遠されることが多いようなので、そのへんが難
> しい
ところです。
> 湯山昭さんや、三善晃さんの曲集でさえも、中々受け入れられにくい現実がありま す。
> 教える側は、これらの日本人作家による作品が、心の弧線に響く素晴らしい曲集だと
> 認識
していますが、現代の子どもたちには物足りないようです。

子どもたちの好きなように食べさせた結果は?
確かに、今の子どもの好む曲というのは(あるいは、回りにあふれている音楽は)、一昔前とはずいぶん違ってきたと思います。そんな音楽を毎日のように聞いている彼らには、私の作った曲や日本人の書いた曲は、あまりおいしそうには見えないのかもしれません。

でも、今の子どもたちには、今の子どもたちがおいしそうに感じるものを与えていればいいのだと考えるのは、短絡的な結論だと思います。それは、マクドナルドのハンバーガーや、ミスタードーナッツが好きだからといって、子どもに甘えてそんな食べ物を始終与えるようなものです。そうすれば子どもは喜ぶかもしれません。しかし、今の子どもたちの多くに見られるように、太ってばかりいて体力も持久力もない子どもたちを作ることになってしまうでしょう。

現代の子どもが最も夢中になるは、おそらくコンピュータゲームでしょう。しかし、この遊びは自分が作る遊びではなく、できているものを与えられてそれに興じる遊びです。画面の中で色々な空間に移動はするものの、自分自身はテレビ画面の前に座ったきりで、微塵とも動くことはありません。動くのは目の玉と指先だけです。また、コンピュータゲームには、子どもを仮想現実と現実の違いを分からなくしてしまう、恐ろしい側面も問題視されています。

このような食生活を送り、こんなタイプの遊びにばかり夢中になって育った現代の子どもたちは、「学級崩壊」という本を書いたある中学校の先生によれば(昨日の筑紫哲也さんのニュース23の番組)、苦労することはきらいで、とにかく手っ取り早く楽しめることを求める子どもになっているそうです。また、自己中心的で他人の気持ちを推し量ることができず、自分の殻を作って人との関わりを極端に恐れる子どもになっているとのことでした。その先生は、将来この子どもたちが大人になってからの社会のことを、ずいぶん心配されていました。

体を作る食事の大切さ
このように考えてくると、単に子どもが喜ぶからということで、子どもの好きなものを安易に子どもに与えてしまうことは、子どもの健全な体と精神の発達から見て、たいへん問題があるように思います。おいしく炊いたご飯やおみそ汁のような伝統的な食べ物のおいしさを教えてやることや、外に出て土に触れて遊ぶことの喜びを体験させることが、改めて大切になってきているのではないでしょうか。

この意味からいうと、私の「音階の曲集」やバイエルなどのテキストは、ご飯のような主食に当たると言えるかもしれませんね。もちろん、ご飯といえども、前述したようにおいしく炊かれたご飯でなければいけません。おいしいご飯やおにぎりであれば、他のどんな食べ物よりおいしく感じられることがあります。子どもたちもきっと好きになってくれるはずです。

そういえば、つい先日のNHKのラジオ番組で、アメリカからの現地通信員が、最近のアメリカの育児論の変化について報告していました。これまで多くの母親のバイブルになってきたスポック博士の育児論、子どものやりたいことをやりたいように育てる育児法が、結果として自己中心的で社会の一員であることが自覚できない子どもたちを作ってきたとして、厳しい批判にあっているとのことでした。そして、例えば「子どもたちにはしかられる権利があるのだ」といったような主張をする学者の意見が、多くの支持を集め始めているそうです。

音楽教育の世界においても、私たち教師がその道の専門家として、長年の勉強と経験をもとに、子どもたちを取り巻く環境を正しく見る目を持って、いいと思うものは自信を持って子どもたちに伝えていくこと。そのことが、このような世の中だからこそ大切なのではないでしょうか。藤田さんも次のように書いておられますね。

> でも、現状を少しでも、改善していく努力は大切だと思います。
> 何でも、継続することが、力となるのでしょう。

案ずるより生むが易し
ただ、このように厳しい面を書いてきましたが、「案ずるより生むが易し」ということわざがあるように、やってみるとそれほど難しいことではありませんよ。というより、もともと「音階の曲集」は、市販のテキストを使っていて行き詰まってしまうのを解決するために書いたものですから、むしろとてもレッスンがスムーズになり、子どもたちも楽しくピアノを習うことができます。

例えば、バイエルの80番、81番、82番とか、この辺の曲は普通なら急に難しくなって譜読みに手間取ったり、ちゃんとひけるまでに時間がかかったり、ひどいときはいつまでたってもひけなかったりしますね。しかし、「音階の曲集」を併用すると、「音階の曲集」のもっと分かりやすい曲で、同じ調の曲を何曲も学んで力をつけた後で、上記の曲に入ることができます。それにより、どの生徒もそれほどの難しさを感じることなく、ひくことができるようになります。

バイエルの難しい曲も簡単にひけるようになった
つい最近の例をあげると、小学校1年生の男の子ですが、88番、89番、80番(標準版の番号)の順で習ってきました。「音階の曲集」がないときなら、どれも譜読みに手間取った曲ですが、どの曲も一回目で正確に譜読みをしてきました。そして全て2回目のレッスンで見事にひいて終わることができました。

この子どものお母さんは、お世辞にも教育ママとはいえないタイプ。レッスンの時も「○○ちゃん、よく覚えていてね。ママは知らないからね。」などというほどの放任主義。この子自身も、体だけはかなり大きな子どもですが、頭の切れも動作もやや鈍い子どもです。例えば、「音階の曲集」の曲集のト長調、ニ長調のあたりをやっていたときは、「この曲は何調かな?」と聞いても、いっている意味が分からないようでした。

いろいろな調もよく分かるようになった
しかし、ホ長調まできたところで、58頁にあるホ長調の基本音階をやらせようとしたとき、「合格シール」の欄を見て、「先生、シール張って!」と頼むのですね。「合格シールは、ホ長調までの音階をすらすらと正しくひけるようになったときに、貼るためにあるんだよ。」と言って聞かせて、次のレッスンまでに、今まで習ったハ長調からホ長調までの音階をひけるように練習してくることを、宿題に出しました。

翌週、勉強してきたこれらの音階を、ハ長調から順を追ってひかせてみると、みな上手にひけていました。ハ長調から順を追ってひかせたからかなと思い、調カードを使ってランダムに質問してみると、瞬時に正しく答えることができるようになっていました。こんなことも「音階の曲集」の効用かと思っています。

ちょうど赤ちゃんが、初めのうちは這い這いしかできないでいるのに、ある日突然立ち上がることができるようになります。這い這いをしているうちに、立つための力が体の中に培われていくのですね。「音階の曲集」は同じくらいの程度の同じ調の曲がたくさん用意されているので、一定の間隔を置きながら何回も復習することができます。最初のうちは曖昧に理解していても、同じ原理のことを何回も学習しているうちに、少しずつ理解する力をつけていくことができるのではないかと思っています。

学習をスムースに進めるためのカリキュラム案
このようなレッスンを進めるためには、学習曲のカリキュラムが合理的な体系になっていなければいけません。参考までに私が使っている「バイエルとの併用カリキュラム案」をホームページに載せています。私はこのカリキュラムをもとに指導していますが、場合によってはそのときの事情に合わせて、若干曲の順序を変えるときもあります。

このカリキュラムに従って指導することは、正直言って面倒なところがあるかもしれません。しかし、前の男の子の例でも書いたとおり、このカリキュラムのおかげで、指導が大変楽になっています。先生方がちょっと辛抱してがんばることで、生徒はのびのびと勉強できるようになるのですから、このくらいの苦労は引き受けて欲しいと思っています。(前記指導カリキュラムをコピーして各生徒に渡した上で、次に習う曲を赤鉛筆で囲って指示してあげれば、その次に何を習うかはすぐ分かりますので、苦労することは全くなくなるでしょう。)

歌詞をつける試み
それから、沼津市のあるピアノの先生が、私のページを見てこのテキストの存在を知り、楽器店から購入してひいてみたとき、これらの曲には詩をつけることができるのではないかと、すぐに思われたそうです。そこで、先生の生徒たちに歌詞をつけることを試みられ、出来上がった歌詞を送って来られました。そのうちのいくつかをホームページに掲載していますので(「曲に詩をつける」)、それもご覧いただけたらと思います。

私は子どもたちのつけた詩のうち、とくに「あひるの行進」が気に入っています。このように詩をつけることで、これらの曲が自分の外から与えられたものでなく、自分自身が曲作りに参加し、自分の作品にもなってしまう効果があるのではないでしょうか。とてもうれしい試みだと思っています。

藤田さんも、私の作ったカリキュラム等を参考に、どうぞレッスンに活用していただきたいと思います。また、これをもとにもっと良い案が考えられるようでしたら、私の方でもお教えいただきたいと思います。

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