グローバー:ピアノ教本の研究



 グローバーの「ピアノ教本」は、同種の新しいアメリカのピアノテキストに見られるように、「総合学習」のコンセプトの傾向に沿って書かれたピアノテキストです。実際、このテキストは、新しく習う学習事項についての詳しい説明が用意されていたり、当初から和音の伴奏付けに重きを置いた曲を多数配置して、ハーモニーの学習にも力を入れるなど、バイエルのような古いタイプの教則本と比べると、かなり違った内容が盛られたテキストです。
 このような新しい理念の元に編集されたテキストですから、このテキストの指導事項の配列や、習熟のための練習曲の用意は、論理的で体系的に隙がなくできているのではないかと、誰もが期待するのではないかと思います。しかし、意外なことに、詳しく調べてみればみるほど、体系的な教材の配分に対する配慮が、大変欠如したテキストであることが分かってきました。
 また、和音の指導が重要視されているのはいいとしても、そのことがかえって問題を生んでいることも、指摘しておかなくてはならないと思います。少なくともこのテキストを使う先生方は、そのような欠点もあることをよく承知していて、そのような欠点の回避策も講じつつ、指導に当たってほしいと思います。
 このように意外な問題点を含んでいるグローバーのピアノ教本は、具体的にどんな点に問題があるのか、次に見ていきたいと思います。なお、ここでの考察は、特に音階の導入による新しい調の学習と、その音階がその後どのように活用されているかを、考察の重要な視点にしていますので、主としてVol.2のハ長調の音階のページ(P10)からVol.4までを、研究の対象にしています。
 また、この研究レポートの作成は、現在まだ進行中です。私の時間が取れ次第、もう少し加筆修正していく計画であることをお断りしておきます。
【参照】グローバー・ピアノ教本の指導体系のチャート


1.

調を理解させるための計画的配慮に欠ける

学習した調を定着させるための体系とは
 この項の考察にはいる前に、「新しく学習した調に習熟し定着させるための体系」とは、いったいどんなものか考えておきたいと思います。そのための体系はいくつか考えられると思いますが、私は以下のプロセスを提案したいと考えます。
  1. 新しい調の音階を学習した直後に、その調の習熟と定着のために、同じ調の曲を続けて数曲学習する。その際、音階学習直後の最初の曲には、調の構造の理解を促すために、音階の基本形(主音から主音の1オクターブ)を含む曲が用意されているのが望ましい。
  2. 主音以外の音から始まるスケールは、基本の音階を含む新しい調の曲を、少なくとも数曲学習した後に来ること。これにより、新しい調の学習に伴う生徒のストレスが大幅に軽減されるだけでなく、新しい調の学習の効率化が計れる。
  3. 次の新しい調の曲を学習する途中、または学習した後に、既習調を復習するための曲が、適当な間隔を持って用意されていること。
 以下の考察では、上に述べた観点に立って、「グローバー・ピアノ教本」が抱えている問題点を考えています。
1.1.音階から導入される調と、音階の学習もなく導入される調がある
 ハ長調、ト長調、ヘ長調、ニ長調の初めの4つの調のみ、音階の説明と音階の練習曲を使って、新しい調の導入をしています。しかし、イ短調、ニ短調、変ホ長調、イ長調に関しては、それらの調の音階からの導入の原則は、完全に破棄されています。このように編集方針に一貫性のないのは、このテキストの最大の欠陥の一つです。 また、変ホ長調の曲に関しては、その前に指導されているべき変ロ長調の指導が全く欠落しているという、理解に苦しむ編集になっています。
1.2. イ短調、ニ短調、変ホ長調、イ長調は突然導入される
 これらの調は、前項での説明の通り、音階を使った解説がないだけでなく、突然に導入され、しかもその調を定着させるための曲が続きません。変ホ長調の曲とイ長調の曲に関しては、その難しさとは裏腹に、それぞれたった1曲だけが突然挿入されています。
1.3.音階を含む曲は皆無に等しい
 ハ長調、ト長調、ヘ長調、ニ長調の初めの4つの調では、音階の説明から調を導入したということは、調を理解するための最初の第一歩として、音階の学習は不可欠だと、グローバーは考えたからだと思います。しかし、音階も曲中に生きた形で用いられて、始めて表情を持ち、音階の意味や大切さを身を持って体験することができます。それはちょうど、英語の基本文法や単語を習っても、それを実際の文章の中で何回も体験しないことには、本当にその基本文形や単語を使えるようにならないのと似ています。
 しかし、大変残念なことですが、このように音階が曲の中に音楽的な要素として取り入れられている曲は、第2巻でハ長調の音階が導入されてから第4巻の終了までに、ほんの数曲が用意されているだけにすぎません。
1.4.メロディーの音域が6度止まりの曲が多い
 音階が曲中に使われないことの間接的結果として、1オクターブに至る音階が学習されているにも関わらず、メロディーの音域が6度以内の曲が大半を占めます。しかし、これでは調としての姿を、いわば足の先からへそのあたりまでしか見れないのに等しいといえましょう。 音階は調としての姿を、足の先から頭の先まで、素直に順序立って見ることができる格好の学習材料であることを考えますと、せっかくの音階導入後の調の学習内容としては、中途半端に終わっているといわざるを得ません。
【参照】グローバー・ピアノ教本の指導体系チャート

2.

和音の連続や、分散和音の連続する曲が多い

 メロディーに音階を含む曲がほとんどない反面、和音を多用した曲が非常に多いのが、このテキストの特徴です。しかし、その結果、かえって以下のような問題が生じています。
1.1.一本の指でさえつぶれてしまう弱い指に、和音奏は至難
 小さい子どもの弱い指で和音をひいても、各音のバランスがとれず、濁ったひびきを作るだけになりやすいものです。しかも、一般には一層弱い左手でひく場合が多いので、この傾向はもっと顕著になります。
 このような弱い指の子どもに、一本一本の指作りができないうちから和音奏を導入すれば、一本の指作りはますます遅れることになります。一本ずつの指がしっかりして、始めて和音も上手くひけるようになることを考えますと、あまり早い時期の和音奏の導入は、どちらの面からも問題があることは確かだと思います。
1.1.1.諸外国では学習開始年齢が高い事情がある
 バスティンの著書「ピアノ指導を成功させるには」の「平均学習開始年齢」の章には「最初のピアノ指導は一般的に7才から11才の子どもたちが対象になる。」と書かれています。
 また、ウィーンの高名なピアノ教授ヨーゼフ・ディヒラーは、その著書「ピアノ演奏法の芸術的完成」の「教育課程」の章の中で「ここでは才能のある9才の子どもがピアノを習い始める場合とする。」として、ピアノ教育のカリキュラムを例示しています。
 このように、諸外国ではピアノを習う開始年齢が、日本の場合と比べて大変に遅いようです。このような事情が、かなり早い時期から和音を導入するシステムを可能とする背景にあるのかも知れません。(といっても、和音主体の指導システムは、ヨーロッパよりアメリカに顕著に見られる現象のようですが)
1.2.和音の転回形の連続演奏は難しい
 和音の転回形の連続を弾くことは、小さい子どもや、能力の劣る子どもには大変に難しい技術です。また、このように連続する転回形が上昇した後、何オクターブも離れた次の和音のポジションへ跳躍するような曲もありますが、その位置と和音を瞬時に把握することも、力の劣る子どもには、大変難しい課題だといえましょう。
1.3.かえってハーモニーのことを覚えにくくする
 前項の考察にもありますように、和音の演奏という点では、グローバーを初めとしたアメリカの新しいテキストは、幅の広い音域を分散させたり、転回形の連続を演奏させたり、かなり初期の段階からより高度な和音テクニックにまで踏み込んでいます。しかし、和声の勉強という観点からしますと、むしろバイエル的な和声づけのタイプの方が分かりやすく理解しやすいようです。ヤマハのグレード等の和声づけの試験などでも、基礎的なグレードの段階では、バイエル的な伴奏形によっているのも、その辺のことを物語っていると思います。
【参照】グローバー・ピアノ教本の指導体系チャート
3. 音楽的充実感の低い曲が多い
3.1.和音主体の曲は、定型化した陳腐な曲になりやすい
 和音を使っているからつまらない曲になるということはないと思います。しかし、単純な和音の繰り返しや、伴奏部に曲想を無視した1小節に一つの和音置き等の手法は、表現をパターン化し、単純で陳腐な曲にするおそれがあります。残念ながら、グローバーの曲には、このタイプの曲がたくさん含まれています。そのような音楽的に充足感の乏しい曲の体験しか持てないとしたら、そのテキストによる子どもの音楽学習は、大変貧弱なものになってしまいます。  「トランペット吹き」の分析:参照
3.2.順次進行や音階が作り出すカンタービレな表現が少ない
 前項に書いたこととちょうど裏腹の関係になりますが、これだけ難しい和音奏と、長い曲を用意しながら、素直な音楽の流れを作り出す音階を含んだ曲がないのは、このテキストの重大な欠陥と言っていいでしょう。順次進行する音形や音階が、人間の声が表現する最も自然なカンタービレな表情を出すことを考えますと、この部分が欠落しているテキストは、瑞々しさに欠ける乾いたタイプのテキストということができるかもしれません。
3.3.冗長な曲が多い
 このテキストには中途半端に短い曲が多い反面、単純なフレーズの繰り返しによる、起承転結のはっきりしない、だらだらと長く続くタイプの曲もかなりあります。このことは、和音の多用とは直接関係はありませんが、それによって作られた型にはまった音楽のセンスが、暗に影響を与えているのかもしれません。このようにしまりのない曲では、子どもの注意力はかえって散漫になってしまい、教育的効果を上げることは難しくなります。  「トランペット吹き」の分析:参照
【参照】グローバー・ピアノ教本の指導体系チャート
4. 現代曲は体系的教育に馴染まない
4.1.同時に多国語を学習するのと同じ混乱が生じやすい
 現代の子どもたちに現代的感覚に満ちた曲を与えることには、私も異論がありません。しかし、現代の曲を学習の対象として与えることには、この分野に特有の問題があることを理解し、その問題が回避できるようにしておかなくてはならないと思います。
 その問題とは、現代の音楽は「いわば100人の作曲家が、100の言語体系と100の表現様式で書くような音楽」だということです。このように多様な音組織や表現内容は、教育という「体系的に整理して指導する場」で教えるには、かなり難しい学習対象だといえます。すなわち、現代の色々な曲は、まだ知的理解力が低く、学習到達度も低いレベルの子どもたちに、体系化して教えることは、ほとんど不可能だということです。
 従って、むしろ問題になることは、現代曲の学習を強調するあまりに、体系的に学習できる部分、すなわち基礎的な調と和音の理解等までが、曖昧な理解に終わってしまう恐れがあるということです。
4.2.現代的な曲はベーシックな勉強の土台の上で
 そのことを考えますと、まず大切なことは、基礎的な調と和音の体系的学習をきちんと押さえておくこと。それを土台に読譜力やテクニックを確かなものにすることだと思います。それは、いつの時代でも基本は変わりませんし、それをいい加減にして、次のステップへ進むようなことをすれば、どれもこれもいい加減になってしまうということです。
 従って現代の曲の学習に関しては、そのような堅固な基礎を築く過程の中で、時折新しい感覚に慣れさせる、あるいは時に気分をがらりと変えてみるといった程度に指導する方がいいのではないかと思います。
 どちらにしても、ピアノの先生が教える大半の生徒は、普通の能力、あるいは能力のあまりない生徒たちです。そうであればなおさら、色々な言語を、一度に教えるようなことをすれば、どの言葉もまともに覚えられないのと同じ現象が起きることは、目に見えています。外国語の学習でもいわれることですが、「一つの外国語を完全にマスターすれば、他の新しい言語は、容易に修得できるようになる。」という原則は、音楽の学習の場合にも当てはまるのではないかと思います。
【参照】グローバー・ピアノ教本の指導体系チャート

ホームページ][コース案内][音階の曲集][テキスト研究