ψ(プシー、プスィ、プサイ)〜心理学雑感

行動科学としての心理学

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私は元々、理系の人間だと思う。そう言うと、それでは何で心理学って疑問に思うかもしれない。どうも、心理学=文系だと一般的には思われているらしい。

心理学は、『行動科学』である。生活体(人間や動物)の行動を理解するための科学である。科学である以上は、同じ条件であれば検証可能のであることや、論理的説明がつくことが条件である。なぜ、それを言うかというとこの世の中には『素人理論』に基づく心理学があふれているからである。

サイコロジー

冒頭のサイコロの写真はダじゃれではない・・・多少かけ言葉になっている点は無視していただきたい。このサイコロは統計学の象徴として掲載した。

現代心理学は他の科学と同様に統計学と密接な関係がある。統計学とは無縁そうな心理学(Psychology)がサイコロが象徴する統計学と密接な関係があるのは多分偶然であろう。「いや、偶然ではなく天の配剤である」と主張するとすでに「素人理論」に引っかかっていることになる。

因子分析に始まる多変量解析という統計手法は、知能研究の産物と言っても過言ではない。

「素人理論」とは・・・

科学としての心理学を知らず、自分の経験だけで世の中を解釈しようとして、「人間の心理は・・」と思いこむ人々の物ごとの捉え方なのである。

素人理論は「通俗心理学」「しろうと理論」と言われるものをとりあえずここではそう表現したものである。

素人理論1:血液型は性格を語るか?・・・No!

例として、『血液型性格診断』を取り上げよう。本音は『血液型性格占い』と言いたい。血液型が○型だから、性格は「どうのこうの」という理論である。 昔の日本陸軍でも研究されていたテーマである。しかし、例外が多く研究はとん挫しているが、未だに日常会話の中で、「あの人の血液型は□型だらこういう性格で・・・」というまやかしがまかり通っている。

相手を、相手がどうしようもない属性で決めつけることは、はっきり言って人権無視である。一種のいじめとも言える。

本当の研究対象は『血液型で性格が分かる』と考えている人々なのである。

素人理論2:迷惑な「心理テスト」

テレビのクイズ系の番組で、「これができたらIQいくつ」みたいなのをやっていたのを見たことがある。

ネットで「心理テスト」を検索してみると、質問があって選択肢のどれかを回答すると「あなたの性格は○○です。」とごていねいに判定してくれる。そればかりでなく、「こういう人は○×△で、◇◎□に注意したほうが良い」と生き方までご親切に教えてくれる。

人の性格は1つの質問で分かるほど単純なものではないし、人格検査、性格検査は生き方の指針、ましてや運命まで教えてくれるはずもない。MMPI検査で550項目、YG検査で120項目の質問に答えてやっと一定の性格傾向が統計的に評価できるのである。

ちょっとした質問を誰かに投げかけて、その答えによって相手の性格を言い当てる試みは、血液型を聞いて性格を言い当てようとする行為と根は同じではなかいと思う。

これは、いわゆる「通俗心理学」に属するものである。「これを選択する人の性格はこうである」といった、科学的、統計的根拠のない思いこみや個人の経験に基づいている。困ったことに、そういった『通俗的(トンデモ)心理テスト』を受けて、一部でも合っていると「このテストは良く当たる」って思いこむ人々がいる。また、テレビのバラエティ番組や安易な書籍がこのトンデモない状況を助長している。

相手のことを知るためには、意味のない先入観は避けて接したいものです。自分の感性で相手のことを知るのではなく、安易な方法に頼ろうとするのは今の風潮なのでしょうか。

なお、きちんとした情報を得るためには「心理検査」で検索するのが良いでしょう。

素人理論3:知能と知能検査

これまた、巷にあふれている『素人理論』がある。

  • 人種によって知能が違い、○○○人種は知能が高い。
  • ○○人は、低知能だ・・・。
  • ・・・

人種によって知能指数に違いがあるというのはある意味ナンセンスなのである。

知能指数は知能検査によって計られる。そもそもその知能検査自体が、その国の言葉とか、文化に合わせて作らざるを得ない。 例えば、あなたが普通の日本人であれば、タラクシアン語は話せないはずだ。そういうあなたに、タラクシアン語の知能検査を行ったらどうであろうか?・・・

おそらく、言語性IQは壊滅だろう。動作性IQは結構いけるかもしれないが、いずれにしろ総合IQは低くなる。

同じ英語を話す人々の集まりである米国ではどうであろうか。ある白人が、知能検査を作り行った結果は、白人>黒人だった。 これに反発した黒人研究者が作った知能検査を行った。結果は白人<黒人だった。

同じ国に居ても、その民族が引きずってきた文化は違う。それぞれの言語・文化に合わせた知能検査は、他の言語あるいは文化の人に行っても不利なのである。

もっと分かりやすく示そう。日本で知能検査はどう作られるか? まず、翻訳をする。さらに日本文化に合わせて問題を修正する。例えば、絵は日本的にしたり、新年の行事だったら、「お正月の行事に変える」。 さて、これからが本番である。新たに修正を行った検査を日本人の多くに実施して標準化するのである。 標準化と言うのは、平均を100にしたり、ばらつきをそろえるのである。こういう処理をそれぞれの国ごとにすると、米国の検査も、日本の検査も、東南アジアの国・アフリカの途上国の検査も平均が100となる検査になってしまう。

むしろ、研究すべきは人種や国によって知能指数が違うと考える人々の心理である。

素人理論4:発達障害考〜巷にあふれる発達障害〜

心理学の直轄領域ではないが、心理士(司)は関わりが深い。

ここではっきりさせておきたいのは、『発達障害』は、もともとは自閉症の支援から出てきた用語なのである。 それがいつの間にか、単なる知的障害までも『発達障害』という枠でとらえられるようになってきた。『広汎性発達障害』とう用語があるが、語連想的に使われ、本来の意味が違ってくる例である。

発達障害者支援法での定義

  • 自閉症
  • アスペルガー症候群
  • その他の広汎性発達障害
  • 学習障害
  • 注意欠陥多動症候群
  • その他これに類する脳機能障害

発達障害は、知的なレベルは様々である。一般的には、知的に高くなると発見が遅れる場合がある。中学・高校生で発達障害の確定診断をされた人もいる。30過ぎてという人もいる。

高機能広汎性発達障害という概念が出てきて、それまで自分のキャラに違和感、不適応感を持っていた人が診断を受けて「あ、やっぱりそうだった」と自己認識ができたという話がある。

ところが、この言葉が広まるにつれ、自称「発達障害」と言う人が増えてきた。その中にはもちろん「本物」も含まれるだろうが、そうでない人も・・・。

素人理論5:犯罪・非行問題

テレビで非行、犯罪などが起こると評論家が「○○が悪かった」とまことしやかに語る。専門家ならそれなりにこの場合は、何を原因とするかいくつかの可能性を示すが、いわゆるタレント評論家だと断定的な物言いを行い、それが視聴者受けするのである。

犯罪や非行の起こった原因を単純な理論で即時的に結論付けようとする。特に誰かの責任を追求するような言説が受けるらしい。「心の闇」「社会に対する反発」「経済の閉塞感がもたらす」も素人受けする用語である。

似たような犯罪、非行であっても、犯罪者、非行少年になる経過は様々なのである。

「しろうと理論(Lay Theories)」

lay:素人の、一般の、非専門家のという意味である。

「しろうと理論」は、自分の経験に基づき、心の中で暗黙のうちに持っている考え方である。一度、この考えを持つと、それに合ったものの見方しかせず、反証となる事実は無視するようになる。「○○占いは当たる」という考えを持つと、そうでない部分があっても無視するのである。

「しろうと理論」は、単純を好む。「人の性格は血液型で簡単に分かる」、「犯罪の原因は貧困である」などである。また、人の性質は「遺伝で決まる」vs「環境で決まる」など2つに分かれる傾向もある。

なお、「素人理論」、「しろうと理論」、「通俗心理学」の用語には何ら差別的、侮辱的な意味はない。我々が自分のことを知るための学術的用語ととらえてもらいたい。

なんせ、私自身が通俗的な人間で、心理検査の次に星占いを信じているという矛盾を抱えた人間だからである。


このぺえじ

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心『狸』学

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努努(ゆめゆめ)だまされるな!

我が家の玄関内には、信楽狸が置いてある。何故か昔から狸の置物に惹かれて、欲しくて、信楽旅行の際に自分へのお土産として購入した。

心理学の理の字をこれに変えたのは、狸と狐は人を騙すと言う故事があるが、人はむしろ自分自身に騙されているのじゃないかと思ったのがきっかけである。

「しろうと理論」もそうであるが、人はものごとをきちんととらえて行動している訳ではない。

どうして趣味のページに専門のページがあるか?それは別の機会に・・・