色々と批判のあるバイエルのことですので、その改編版が多くの会社から出版されています。しかし、はたしてそれにより、バイエルの持つそれら多くの問題点が改善されたのでしょうか。この研究では「新版こどものバイエル」(全音)を取り上げて、その点を詳しく見てみたいと思います。なお、この改編版は上・中・下の3巻に分冊されていますが、下巻の分析と整理だけでもたいへんな時間をとられたことと、私自身の作になる「音階の曲集」と対比させたいということもあって、今回は下巻のみ取り上げていますが、ご了解いただきたいと思います。

 また、この批判的小論文より先にこのテキストの指導体系の分析チャートを作ってありますので、そちらも参照しながらお読みになれば、より的確にまた具体的に、指摘している内容がご理解いただけると思います。

 ところで、この批判的バイエル改編版の研究を読まれると、私がバイエルを全面的に否定していると取られる向きがあるかもしれません。もちろん色々と問題があるのは事実ですし、それ故その問題をはっきりさせるために、このような研究もしたわけです。しかし、私はバイエルには、他のテキストにはない簡潔明快で生き生きとした曲がたくさんあり、その点は大いに評価をしています。現に私自身取捨選択した上で、現在でも多くのバイエルの曲を使っています。このことを、誤解を招かないために初めに申しておきます。

「新版こどものバイエル・下巻」(全音)の研究


1.バイエルとその改編版について

 バイエルの下巻には簡潔で生き生きとした曲が多数あるが、残念ながら体系的に学ぶテキストとしては、かなりずさんな内容のテキストになっている。おそらくバイエルがこの教則本を作った時代には、現在のように多くの子どもたちがピアノを習うことはそれほど一般的でなく、従って小さな子どもたちに分かりやすい入門書を書くといった仕事も、今のように盛んではなかっただろう。そのような時代背景の中で、指導内容を学びやすいように体系化するという教科書作成において最も大切な柱について、徹底的に研究するといった差し迫った必要性を、バイエル自身それほど感じることがなかったのではないか。そして、完成した自分のテキストを、体系的編集の視点から再検討してみることもせずに、そのまま世に送り出してしまったのではなかろうか。バイエルには、そのような不徹底さや矛盾がいたるところにある。

 バイエルが持つ教科書としてのこのような欠陥は、広く一般的に認識されてきたので、そのような欠陥をいくらかでも補おうと、楽譜出版社の多くが「改良版子どものバイエル」なるものを各種出版するようになった。このような改良版の教則本がこれほど出版されているのは、おそらくバイエルをおいて他にないだろう。しかし、元が元だけに、これをベースにいくら改良を加えても、なかなかいいものができないようだ。それどころか、版によってはかなり手を加えていながら、かえってそれが災いしてしまったようなものすらある。

 ここでは、その一つの例として、「新版こどものバイエル・下巻」(全音)を詳しく見ていくことにする。なお、この研究では私の書いた「音階の曲集」との対比を考慮して、バイエルのハ長調音階が導入されたところ(原書番号65番の直前)からを対象にしている。


2. 随所に現代的感覚で表現できる曲を盛り込んだ?

 この版の「はじめに」の中に、以下のようなことが書かれている場所がある。
「まだ子どもたちの頭脳や感覚が柔軟で、どの音がどのように進行すべきかどうかなどという概念にとらわれないうちにこそ、現代的な音楽の音のひびき・リズム・ハーモニーなどの感覚に触れされることは、子どもたちの音楽的成長にとってとても大切なことであることは申すまでもありません。これらの観点から、この「新版こどものバイエル」には、随所に、そのレベルでのメカニズムに沿って美しい音楽が現代的な感覚で表現することのできる挿入曲を盛り込みました。」
 しかし、一体このテキストのどこに、ここでいう〈現代的な感覚で表現することのできる挿入曲〉があるのだろうか。少なくとも私の感覚からは、現代的な曲と言えるほどの曲は見あたらない。またあったとしても、重要なことは、その曲が音楽的によく書かれているかどうかということだと思う。残念ながら、このテキストの挿入曲はその多くが音楽的な感興に乏しく、子どもの感性を磨くような挿入曲があまり用意されているようには思えない。これでは、子どもの音楽的感性を豊かにするどころか、これらの挿入曲があったおかげで、音楽嫌いを作ってしまうのではないかと心配になってくる。


3. 音階を含む練習曲が極端に少ない

 新しい調を学習するときは、まず最初にその調の音階を学習することが、最も分かりやすい方法だということは、バイエルを初めとしてほとんどの初級レベルのテキストが、新しい調の学習の冒頭に、音階の学習を持ってきていることからもよく分かる。それは、音階がそれぞれの調の音の構成を、最も分かりやすい形で示しているからだ。

 しかし、この音階が実際の練習曲の中にどのように活かされているかといった観点からこのテキストを見ると、別に用意した分析表を見ても分かるとおり、各調の音階練習をした後には、音階を含む学習曲や挿入曲は、あまり用意されていない。たまたま用意されている曲の場合も、例えば65番はこのレベルの曲としてはひきにくい上に、だらだらと音階ばかりが続く冗長な曲で、子どもたちにひきたい意欲をおこさせない。また、74番も同様に同じフレーズを単純に繰り返す冗長な曲で、簡潔明快なバイエルの良さが活かされていない曲だ。

 たまたま音階を含む音楽的に興味深い曲があった場合は、音階そのものがすでに応用的に用いられており、ある程度その調や音階の演奏に慣れてからひくことを期待しているようなレベルの曲だ。しかし、もし新しい調の音階を学習した直後に用意された最初の曲が、音階練習で学習したとおりの主音から主音への基本的な形の音階が使われていたとしたらどうだろう。どの子も譜読みの負担感や指使いの混乱もなく、入っていくことができはしないだろうか。(余談になるが、そのような考えの基に作ったテキストが、私の著作になる「音階の曲集」だ)そのようにして、その調や音階に慣れて自信を持った上で、より難しい応用的な練習曲へ進んで行くことが出来れば、どの生徒もスムースに次のレベルへ進むことができるだろう。残念ながらバイエルに限らず他のテキストも含めて、そのような配慮をもって編集されたテキストを見たことがない。

 しかし、音階も実際の楽曲の中で使われてこそ、始めて生きた表現にもなり、音階の音楽的な意味の重要性も理解できるようになるといえるだろう。そのことを考えると、バイエルの各練習曲の中において(他の同レベルのテキストも同様だが)音階が体系的に扱われていないことは、たいへん残念だ。

「指導体系分析チャート」参照


4. 新しい調の学習は数曲続けて習って終わり

 例えば、小さな子どもが、新しい漢字を覚えることを考えてみよう。一日目に同じ漢字を30回習ったからといって、その後何週間もその漢字を書く練習をしなければ、その字を覚えることは難しいだろう。そうではなく、例えば一日目はその漢字を頭に印象づけるために、少し多めに5回とか10回書くとして、その後は数日おきに一回に数個ずつ書く練習を繰り返した方が、その漢字をよく覚えていることができると思う。

 これを新しい調の学習に当てはめてみると、新しい調を習った直後は、その調の印象付けのために2曲か3曲を連続して学習する。そして、その後はそれまでに習った別の調の曲を3、4曲復習した後、再び2曲ほどの復習をする。このようにして一定の間隔を置いて何回も復習することができるようにカリキュラムが組まれていれば、子どもたちは次々習う新しい調を、しっかりと頭の中に定着することができるだろう。

 しかし、バイエルピアノ教本では、もともとこのような配慮は全くなされていない。バイエルの持つ欠点を少しでも改良しようとして編まれたと考えられるこの「新版こどものバイエル」であるが、この点は元のバイエル同様全く注意が向けられていない。これに関しては、別の頁に用意した「新版こどものバイエル・下巻(全音)の指導体系」のチャートも参照していただきたい。これを見ると一目瞭然であるが、例えば、ニ長調の例をあげると、74番(原書75番)と「夏の思い出」の2曲をひいた後は、ニ長調の曲は忘れられてしまったように出てこない。そこから13曲目に、ようやくニ長調の82番(原書80番)が出てくるが、そのころにはニ長調とはどんな音の構成であったか、全く忘れてしまっているのではないか。

 実はニ長調はまだいい方で、例えばイ長調の場合は、77番(原書79番)、78番(原書81番)の始めてのイ長調の曲を続けて2曲学習した後は、全くイ長調を学習することがなく、26曲目になってようやく第2回目の学習ができるにすぎない。しかも、このカバレフスキーの曲は、イ長調を十全に学習するための曲としては、決してふさわしい曲とは言えない。

 もともと、調別の学習曲の配列に関して、何らの配慮もなく編成された教則本であるから、このようなことは、上にあげたニ長調、イ長調に限ったことではなく、バイエルで学習するすべての調が、それらの調の合理的で計画的な学習の見地から見れば、このようにあまりにずさんな学習課程になっているのだ。

 前項で説明したように、バイエルの場合調による学習曲の編成は、たいへん合理性に欠けるだけでなく、調号が増えて難しい調になればなるほど、学習曲の数は大変少なくなっている。しかし、拙著「音階の曲集」と組み合わせて巧みに編成すると、どの調も適当な間隔をあけて何回も学習することができる。これにより学習した内容を忘れないうちに再三学習できるので、理解と記憶がいっそう堅固なものになる。

「音階の曲集」を使った学習カリキュラムを参照ください



5. いきなり挿入されたニ短調の曲1曲

 これまでに詳しく観察してきたように、このテキストには新しく学習した調の定着化のための配慮のあとが、ほとんど見られない。そのような編集方針に根を同じくしていると思うが、ニ短調の曲「お人形のかなしみ」は、他の調に用意されているような事前の音階練習の準備もなく、ニ短調とヘ長調の簡単な説明の後に、いきなりニ短調の学習曲として導入されている。しかも、この曲は開始5小節目にしてすでにイ長調という遠い調への転調をしている。ニ短調の音階の事前の学習もない後に、このような曲を1曲習っただけで、子どもたちはニ短調をしっかりと頭に入れることができるだろうか。


6. 調号の多い調ほど学習曲が極端に少ない

 別の分析表に見るとおり、バイエルの場合(多くのテキストもこの例にもれないが)調号が増えて難しくなるほど、学習する練習曲が極端に少なくなっている。例えばホ長調の音階練習の後、ホ長調の練習曲は79番(原書82番)のわずか1曲しか用意されていないし、変ロ長調の曲も1曲しか用意されていない。

 この「新版こどものバイエル」では、たまたまこの調の補助練習曲として「かわいいアンナ」という曲が用意されている。しかし、この曲は、第1、第2の各小節のスタッカートからスラーへの移行が大変ひきにくい。また、2小節目から3小節目に、2の指から同じ2の指へ4度も跳躍するようなところがある。3段目第1小節目の、スタッカート直後の同音連打をスラーで奏するひくにくさなど(小さな子どもがひくことを考えると)、ピアニスティックな観点からみて不自然なところ多い。教師として、子どもにひかせたいという意欲があまりわかない曲だ。どちらにしても、これら二つの曲でホ長調に習熟するのは、よほどできる子どもにも難しいことだろう。

 状況をさらに悪くすることは、このレベルで学習できるホ長調の楽曲が、他の曲集の中にもあまり用意されていないことだ。バイエルの下巻がある程度進むと、急に厚い壁に突き当たってしまう子どもが多いと聞くが、これでは無理もない。

「指導体系分析チャート」参照


7. 不自然なテクニック的と音楽的興味のそがれる挿入曲

 それにしてもこの「新版こどものバイエル」の挿入曲には、音楽的魅力に乏しく、テクニック的に見ても不自然で不器用なスタイルの曲が多い。前項でホ長調の挿入曲「かわいいアンナ」のピアニスティックな不自然さについて触れたが、ピアノの素人が選んだのではないかと思えるような挿入曲の選曲や、不器用な指使いの指定、あるいは音楽的に手際の悪い創作曲が大変に多い。

 「小鳥たちのメヌエット」(50頁)もそうだ。例えば9小節目からの左手の指使いは、一見単純で分かりやすく見えるが、しかしピアニスティックな指の運びから見ると、たいへん不自然でひきにくい。ひきにくいということは、腕から手首を介して指を動かす運動に、どうしてもぎこちなさが生じるということだ。ぎこちなさが生じるとすれば、それによりしなやかな音楽の流れを作ることが、大いに邪魔をされてしまう。そのような演奏を強いるような教材が、ピアノ指導のテキストとして適当だとは言えないだろう。このような指の運びや書法を見る限り、このテキストが本当にピアノの演奏技術や音楽のよく分かった人の手によって書かれたのだろうか、大変疑問に思う。


8. 短調の詳しい解説の後には、短くて単純な学習曲が1曲

 このテキストでは、52頁から6頁にもわたって長い短調の解説がついている。これほど詳しい解説は、他のテキストにも類を見ない。このような充実した解説を見れば、その後にそこで学んだ短調を、具体的な曲の中で学習するための練習曲が、それと見合っただけの量で用意されているのではないかと、誰もが期待すると思う。しかし、実際にはこの長い短調の解説の直後に用意されているイ短調の学習曲は、左右ともラからミまでの5度の範囲におさまる、たった8小節の「小さなメロディー」1曲だけ。その直後はハ長調の曲「山のこだま」に移ってしまう。このあまりのあっけなさには、正直度肝を抜かれる。一体直前の6頁にもなる短調の説明は、何のためだったのだろう。

 もしかしたら、57頁用意したイ短調の音階の曲を(原書91番の直前に用意されているイ短調の音階練習曲)イ短調の学習曲として用意したつもりかもしれない。しかし、バイエルはこの曲に番号をつけていないこと。番号のついた新しい調の最初の練習曲の直前には、バイエルは必ず番号が付加されていない音階の学習曲をおいていること(変ロ長調を除いて)。このイ短調の練習曲も、そのような各調の音階練習曲とほとんど同じようなスタイルで書かれていること。これらの事情を考えると、バイエルはこの曲を、イ短調の練習曲に入る前の、イ短調の音階を学習するための曲として用意したことは明らかだろう。これをイ短調の正式な練習曲と考えることはできないということだ。

8.1.唐突なカノンの解説と学習曲の挿入
8.1.1.「小さなメロディー」=耳障りな響きのする小曲

 先にも書いたが、左右の手とも5度の音域内で書かれた、たった8小節の短い曲である。第4小節目に起きる不自然な和声の衝突は、この曲がほとんど4分音符と2分音符だけで書かれたゆっくりしたテンポの曲であるだけに、ここをひいた子どもが受けるショックは、かなり大きいと思う。まさかとは思うが、これをもって、「はじめに」の解説で強調している「現代的な音の感覚」を学ばせようとしているのだろうか。

8.1.2.実はカノンの練習曲として挿入?

 前項の「小さなメロディー」は6頁にもわたる短調の解説の直後に用意されているものだから、誰しもバイエルの学習課程の順序に従って、この曲はイ短調を学習するために置かれているのだと期待するだろう。しかし、実際にはすでに触れているように、この曲をイ短調の学習曲としてみるには、あまりに貧弱で不満足な曲といわざるを得ない。

 そのような不備がおきてしまった事情の背景には、以下のようなことが関係しているのかもしれない。実はこの改編版では、長い短調の説明の後に、カノンの説明が突拍子もなく挿入されている。そしてその説明の直後に、この「小さなメロディー」が用意されているのだ。カノンと称するにはあまりにあっけない曲ではある。しかし、この「小さなメロディー」は、たまたま短調の説明後のイ短調の曲としておかれてはいるものの、どうやら直前のカノンの説明を学習するための曲としておかれているようだ。それかあらぬか、イ短調の学習曲としても見られないこともないこの曲の直後は、すでにイ短調から離れてハ長調のカノンの曲「山のこだま」へと移ってしまう。

8.1.3.カノンの学習が導入された背景

 この改編版を編集した人は、一体どんな意図があって、短調の説明の後にそのための学習曲を十分に用意もしないまま、突然カノンの学習を挿入したのであろうか。あえて詮索すると、この改編版では83番(原書60番)の曲を、イ短調の学習曲として分類したためか、この段階に移している。そして、たまたまこの83番(原書60番)がカノン的要素(完全なカノンではない)をもっていたために、編集者はここでカノンの説明をしておこうというアイディアを思いついたのかもしれない。しかし、そのアイディアに囚われすぎたために、直前で短調の音階の長い説明をしてきたことをすっかり失念してしまったのではないか。

 しかし、当のバイエル自身は、83番(原書60番)をもともとイ短調の学習曲としては考えていなかったのではないか。その証拠に、原書では音階練習をともなってのイ短調の学習は、原書60番よりかなり後の原書91番の直前に配置している。その直後にイ短調の原書91番、1曲おいて原書93番を用意している。そのような例は、56番、57番、61番にも見て取ることができる。バイエルは、これらの曲をト長調の正式な学習曲と考えていなかったようだ。

 この改編版でも、原書バイエルでも、イ短調の正式な学習段階(原書91番)までには、シャープ系はホ長調まで進み、フラット系もヘ長調まで進み、リズムもテクニックもかなり難しいところまで進んでいる。その後に導入されるイ短調の各練習曲は、当然のことながら16分音符も含んだ難しい曲になっている。

 しかし、「新版こどものバイエル」では、83番(原書60番)をイ短調の学習曲としてこの段階に配置し、それとの関連でカノンの導入曲「小さなメロディー」を入れたために、79番(原書82番)の難しいホ長調や、その他のいくつかの難しい曲を学習した後にしては、極端に易しい曲が連続しておかれる結果になっている。難しい練習曲から易しい曲へのこの落差の大きさは、教える方も習う方も、かなり戸惑い覚えるだろう。おそらく、このようなことは、左右の指を独立して動かさなくてはならないカノンの難しさを考慮してのことかもしれない。しかし、それにしてもリズム感に乏しいこれらの曲をひかされては、子どものピアノに対する興味は冷えてしまうのではないかと恐れる。ものは試しと、何人かの先生や子どもたちに、この「小さなメロディー」と「山のこだま」をひいてもらったが、誰一人として楽しいと感じたものはいなかったようだ。

8.2.「転調と移調」の学習曲として60番(原書番号)が適当?

 32頁の75番、33頁の76番には、すでに一時転調が出てくる。また、37頁のイ長調の78番では、中間部がすべてニ長調に転調していて、こちらの方が転調の学習曲としては、はるかにふさわしい曲と言えるだろう。さらに例をあげれば、40頁のホ長調の79番(原書82番)は中間部がすべてイ長調に転調。49頁のニ長調の82番(原書80番)は、中間部がすべてト長調に転調している。これらすべての曲は、転調についての説明がされている60頁の83番(原書60番)より、はるか前に習うようになっている。さらに付け加えると、この改編版の挿入曲「小鳥たちのメヌエット」(50頁)では、調はヘ長調に始まり、ハ長調、ニ短調、ト短調、そしてヘ長調へとめまぐるしく転調している。そのような曲が多数前の段階におかれているにもかかわらず、そこでの説明を避け、あえてこの段階で転調の説明をしたのはどのような事情からだろうか。

 その上、この83番(原書60番)の曲が転調の理解に適当な曲かといえば、それぞれの調が、主音から属音までの5つの音のみで構成されている曲なので、その調としての完全な姿を呈していない。その意味では、調としてやや曖昧な姿に止まっている二つの調の間での転調が行われたにすぎない。そのような曲を、転調の学習曲として取り上げたのは、あまり賢明とは言えないのではないか。

 また、それに限ったわけではないものの、転調は多くの場合、調号が増えたり減ったりして転調していく例が圧倒的に多い。同じ説明をするなら、そのようにもっと子どもたちが音楽の学習の中で出会う例を取り上げる方が、転調ということを理解させるのに役に立つのではないか。

 さらに奇妙なことは、ここで「転調と移調」の区別を説明しておきながら、移調に関しては具体的な楽譜を例として提示することをしていない。子どもの場合は、具体的な例があって始めて納得できることを考えると、これは少し片手落ちといえないだろうか。編集者がここで移調のことを理解させようと、本気で計画したのか疑問に思う。

 また、ここでの本題をはずれることになるかもしれないが、この83番(原書60番)は、バイエルがもともと配置した位置では、それなりに手応えのある生き生きとした学習曲であった。しかし、編集者の恣意でこの段階へもってこられると、このレベルで学習する曲としては、あまりに簡単で学習する張り合いのない曲になってしまっているは、まことに残念だ。

8.3.「暗い森の中で」=この超簡単曲は何のため?

 この曲は、ラからミまでの5度の範囲の音を、親指から小指まで12345と順を追ってユニゾンでひくだけのたった8小節の超簡単な曲。この曲の前では、すでにホ長調の79番(原書82番)などの難しい曲を学習していることを考えると、バイエル45番以前のレベルの曲をこの位置へおく意図が、全く理解できない。イ短調の学習曲として考えても、ラからミまでの音を並べただけの曲では、全く不十分と言うしかない。このような単純で面白味のない曲を家で練習しなければならない子どものことを考えると、なおのこと編集者の神経を疑ってしまう。


9.その他の挿入曲について

 ここでは、前項までの解説で言及していない,いくつかの挿入曲について考察してみる。

9.1.「夜明け」(63頁)と「星を見つけよう」(64頁)

 これら二つの曲は、全く同じパターンの繰り返しに終始する曲だ。もちろん「繰り返しだから悪い」と断定することはできないが、よほどうまく書かないと、単純な繰り返しから来るつまらなさが先に立ってしまう。その意味で、これら二つの曲がうまくできているかと言えば、大いに疑問になる。やはり、小さな子どものための曲は、起承転結がはっきりしていて変化に富む曲作りの方が、子どもたちの生き生きした興味をひくのではないか。

 このような曲の場合、もし繰り返しそのものに意味があるのなら、例えば「右手の543の指の訓練のための曲」あるいは「右手543を腕からの波を使ってひく練習」などと、その曲の学習のポイントを解説として付け加えた方がいいだろう。そうすれば、曲としての面白味には欠けても、生徒はこの曲には別の練習の意味があるのだと分かって、この曲の練習に集中しやすくなると思う。

9.2.「インベンション」(65頁)

 子どもたちはここに至るまで、右手の旋律を左手の和声的伴奏形が伴奏をするという形の、バイエル特有のスタイルの曲ばかりを勉強してきた。左手が右手と対等のメロディーをひくといった場合も、58頁から始まる数曲のカノン形式の簡単な曲や、「星を見つけよう」(64頁)のように、1小節分の同じ音型の繰り返しのような曲しか勉強してこなかった。左手にも独自のメロディーの動きがある難しい曲といったら、唯一の例外は不器用な指運びを強いられる「小鳥たちのメヌエット」くらいしかない。

 そのような経験しかさせられていないところへもってきて、いきなりこのような対位法の曲を学ばされても、多くの子どもは柔軟に対応できないだろう。しかも、例によっていくつかの箇所に唐突な指の運びが書かれている。また、それより何より、この曲をひいて音楽的な喜びを感じる子どもがいるのだろうか。もしいたとしたら、それはとても例外的な子どもだろう。少なくとも、私には少しも面白くない曲だ。指導者が面白くもない曲を、「楽しい曲だから、きっと気に入ると思うよ。」などと、心を偽って与えることなど、私にはできない。

9.3.「ミュゼット」(69頁)

 同じ対位法で書かれた曲であっても、バッハのこのメヌエットは前にあげた「インベンション」と違って、音楽的にたいへん素晴らしい曲だ。柔らかくのどかな感じがしながらも、伸びやかに動く旋律線の流れは、いかにも自然な感じがして無理がない。しかし、その自然なレガートの流れを表現するためには、しなやかな指や手首を持った子どもでないと、たいへん難しいと思う。その意味からは、子どもを選ぶ曲と言えるかもしれない。

 挿入曲はこの他にも多数あるが、それらすべてを取り上げればきりがないだろう。インターネットの頁としても限度を超えて長くなると思う。今回の報告では、とりあえずここまでとさせていただく。後日また時間が取れたら、この続きを加えることになるかもしれないが、どちらにしても、同じ編集者が作ったものだから、今回のところは、その他の挿入曲も同様の問題をはらんだ曲が多かったことだけを、報告させていただく。

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