寄稿の部屋

《ピアノの効用》(2)

夏目隆一
(長野市・外科医)
 何事も「為せば成る」で、私が60歳からピアノに挑戦したという珍事件は、友人・知人たちの間では、様々な反応があった。「歳を取ったら小難しいことになど改めて挑戦するなんて、実にばかげている。残された人生の貴重な時間の浪費だ。」とあきれかえる人々がいる。他方「君は実にすばらしいことを成し遂げた。」と絶賛し、驚異の目で見る友もありで、誉める者けなす者相半ばであった。

 しかし、当の本人である私にとっては、老境に足を踏み入れて、少しでも老化防止、ボケ防止に役立てばと、窮余の一策としてやりたかったことを楽しくやって来たので、全く悔いはない。その上「物忘れ」で悩んでいた頃とは嘘のように、最近は頭脳は冴えわたり、人生の歯車が順調に噛み合ってきたので、内心自信過剰気味なほど得意絶頂の思いである。

 しかし、脳天気男の面目躍如か「井の中の蛙、大海を知らず」で、世の中には私より一枚も二枚も役者がいるもので、にわかには信じがたい怪物みたいなおばあさんが、私の目前に忽然と現れた。このおばあさんとは、私の診療所に腰痛などで通院しているEさんという76歳のおばあさんのことだが、彼女は西田敏行さんのうたのタイトルではないが「もしもピアノが弾けたなら」が、娘時代からの憧れであり夢であったという。

 Eさんのお話を伺うと、彼女は生来大の音楽好きだったが、娘時代は「貧乏の子沢山」で家庭は経済的にも苦しく、とてもピアノどころではなかった。義務教育を無事すませて卒業し某会社に就職したが、20何歳で結婚すると、出産、育児、家事などに追い回され、好きなことを始める余裕はなかったそうだ。ようやく四人の子どもたちが成長し、結婚して一本立ちしたかと思ったら、50代、60代にかけては、入れ替わり立ち替わり息子や娘たちの孫の面倒を、一方的に押しつけられてしまった。そして、ようやくすべての家事や育児などから解放されたと思ったら、齢70歳に達していたのだそうだ。

 しかし、彼女はここで、娘時代からの50年来の夢であり宿願であったピアノ演奏に一念発起、挑戦することになった。当初は週2〜3回はピアノ教室へ通い詰め、家では孫たちが見向きもしなくなってホコリをかぶっていたピアノを開いて、一意専心暇さえあればピアノのレッスンに励んできた。

 何事も「好きこそものの上手なれ」だ。Eさんは依怙地なまでの執念で、毎日根気よく弾き続け、やがて4〜5年を経過する頃には、彼女の腕前はめきめきと上達し、昨今ではクラシックの名曲の他に、少女時代に盛んに愛唱していた中山晋平、古賀政男などの懐メロ名曲まで、自由奔放にピアノで弾いているのだそうだ。まるで多感で夢多かった青春時代に逆戻りしてしまったような心地で「毎日が楽しくて、楽しくて……」と喜色満面、興奮して語り、心浮き浮きバラ色の人生を満喫しているのだという。
(つづく)
(文責:夏目芳徳)

ピアノの効用(3)


 夏目隆一先生のお書きになった原文は、漢語の四文字熟語が多数使われていて、現代の若い世代の人たちには、少なからず読みにくい文章になっています。そこで、著者の了解を得て、世代を越えて多くの皆さんに気軽に読んでいただくことができるように、私が原文に若干の修正を加えさせていただきました。
夏目芳徳

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