寄稿の部屋

《ピアノの効用》(1)

夏目隆一
(長野市・外科医)
 音楽関係者によると、現在わが国の家庭には約600万台のピアノが普及しているが(5世帯に1台の割合)、そのうち今なお現役で毎日使用されているのは、僅かに100万台にすぎず、残りの約500万台は廊下の片隅に追いやられて、ホコリをかぶっているのが現状だといわれている。

 私の家のピアノもこの例にもれず、数年前までは子ども部屋の片隅に置かれたまま、家族の誰一人にも相手にされず休眠中で、ホコリをかぶっていた。私の娘たち3人が、小学生、中学生の頃までは、毎週ピアノ教室へ通ってレッスンをし、家へ帰っても3人で競い合ってピアノを弾いていたので、家の中は始終ピアノの快い音が途絶えたことはなかった。

 しかし、娘たちも年々成長し、高校生になって受験勉強に忙しくなると、一人抜け二人抜け、数年のうちにピアノを弾く者は誰一人としていなくなってしまった。それでも休日などには、特に音楽好きの長女だけが、気が向いたときにひくこともあったが、彼女らも大学生となって故郷を離れていくと、我が家ではピアノの弾き手が全くいなくなり、文字通りホコリをかぶった巨大ゴミ化していった。

 ところで数年前、私はひょんなことから作家、五木寛之氏の随想集「生きるヒント」を読んでいたら、その中で同氏は、「作家仲間も50歳を過ぎて物忘れがひどくなり、いい発想が浮かばなくなってきたら、ピアノを弾いて両手指を活発に動かすと、脳ミソに活力を与えてよい結果が得られる」といった趣旨のことを書いていた。

 振り返ってみると、私自身も50歳を過ぎた頃から老眼は悪化するし、健康優良児までになったほど虫歯ゼロだった歯はガタガタくるし、その上物忘れも多くなってきた。そのためか、原稿依頼などがあっても、つじつまが合わないマンネリ化したご粗末な雑文しか書けず、「とうとうオレの脳ミソにも限界が来たか!?」とせっぱ詰まった状況に追い込まれ、いささか意気消沈していた。そんな矢先に五木寛之氏の一文を読んで、「この辺でオレもピアノに挑戦してみるか!」と、生来の旺盛な好奇心から心機一転、齢60歳にしてそれを実行することになった。

 ちょうど私の決断と時を同じくして、バブル崩壊後各企業は不況期に入り、リストラなどで残業時間もなくなり、首都圏では夕方5時以後、暇を持てあました40代、50代の中高年サラリーマンの中には、ピアノやエレクトーンの教室へ通う人が多くなり、静かなブームになっているとマスコミで報じられていた。

 実を言うと、私も子供頃から大の音楽好きで、小学生の頃はハーモニカを吹いたり、木琴をたたいており、長じて高校時代の3年間はマンドリンクラブに所属し、本格的に音楽に取り組んでいた。そんなことから、ズブの素人に比べれば多少の音楽歴があるので、60歳を過ぎてピアノに挑戦するにあたり、楽譜の解読はさして苦にはならなかった。

 「何事も思い立ったらすぐ実践」といった生来の気の早さから、軽い気持ちで娘たちが使い古したバイエルや練習教本をお手本に猪突猛進、独学でピアノを習い始めた。

 しかし、いざやってみると、ピアノの技術は複雑で奥が深く、利き手である右手の指の方は何とか楽譜通りに動くのだが、左手指の方はなかなか思うように動いてくれないのだ。少し練習していると、バイエルやテンポの遅い曲は何とか弾けても、ちょっとテンポの速い曲を弾き出すと、左手指はどうしても尻込みしてうまく動かない。

 孤立無援の中で色々試行錯誤を繰り返しているうちに、まず左手指だけを練習し、ある程度メロディーを覚えてしまった段階で、右手を添えるようにして両手奏をしてみると、少しは弾けるようになった。とはいうものの肝心の左手の指は、いつの間にか右手の指と同じリズムの動きになってしまい、お手上げの状態になってしまった。

 しかし、根が音楽好きの私だったので、こんな失敗や挫折には少しもめげずに、初志貫徹とばかりに根気よくいこじなまでに、毎日毎日同じようなことを繰り返し弾き続けた。そして、1、2年を経過する頃、私のピアノに打ち込む強い情熱が、とうとうピアノに以心伝心通じたのか、あるいは神の助けか、ある日突然左右の手の指は、個別の運動を展開するようになっていた。目からウロコが落ちた思いで感慨無量であった。長い間の悪戦苦闘の末、ついに一つのことを成し遂げた感動は、何ものにも変えがたい大きなものであった。

 こうなってくると、私はピアノを弾くのがますます楽しみになってきて、勢いよく流れ始めた川のように、次々と新曲に挑戦していった。クラシックの名曲はもとより、テレビでおなじみのピアニスト羽田健太郎先生にならって、歌謡曲、映画音楽、ポピュラー、ニューミュージックに至るまで、気に入った名曲は何でも楽しんで弾いてみるといった調子である。

 齢60歳にしてピアノを習い始めて以来、すでに4,5年の歳月が流れた。最近では、よほどの難曲は別としても、楽譜を見れば、下手ながら大抵の曲は何とか弾けるようになってきた。今や古今東西の100曲に上る名曲が、レパートリーとなった。

 また、ピアノを弾くようになって以来、以前悩んでいた”物忘れ”の方も、いつの間にかどこかへ消えていってしまったようだ。また、長時間読書して疲れたり、原稿などを書いていて、いい発想が生まれずペンが進まなくなったときなどは、一休みしてピアノの前に座り、短い時で10分から30分くらい、長い時は約1時間、思いついた好きな名曲を無念無想で弾いてみるのだ。すると、たまったストレスや疲労も次第に消失していくから不思議だ。鈍化した脳ミソも活力を回復して、雑文用の斬新奇抜なアイデアまで浮かんできたり、さらに想像力まで増強させてくれる。正に一石二鳥どころか、三鳥四鳥もの効果があるといってもいいだろう。

 という次第で、老境に足を踏み入れた私の人生にとって、今やピアノは一心同体(ちょっと言い過ぎか?)、必要不可欠な生活必需品になってしまった。
(つづく)
(文責:夏目芳徳)

ピアノの効用(2)


 夏目隆一先生のお書きになった原文は、漢語の四文字熟語が多数使われていて、現代の若い世代の人たちには、少なからず読みにくい文章になっています。そこで、著者の了解を得て、世代を越えて多くの皆さんに気軽に読んでいただくことができるように、私が原文に若干の修正を加えさせていただきました。
夏目芳徳

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