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Espresso Diary


3月9日

「No」と言える東京 (続編) 前回はこちら

大阪は「お笑い」。東京の選挙では、「痛快さ」が求められるのだと思います。 青島幸男を知事にしたのも、痛快さを求める都民の気持ちだったのではないでしょうか。 無党派というより。かつて新自由クラブや日本新党へ吹いた風にも、似た感じがありました。

石原慎太郎が都知事選へ。そこに爽快感を感じ、票を投じる人も多そうです。 (その近著『国家なる幻影』ついては、こちら)。 世論調査では舛添要一の人気が高いけど、投票となると、どうかなあ。 「支持」と答えた20〜30代が、実際に選挙に行くかどうか。仮に、インターネットでクリックとなれば舛添が強いと思うけど。

今の人は知らないんじゃないの?「意地悪ばあさん」なんて。 前回の選挙では、そう言われました。けれど投票所に足を運ぶ人の世代は、やはり高かった。

これで明石さんは、もうボロボロでしょう。首相じきじきにお願いされちゃったし、退くに退けない。 頼みにしていた公明党は、自主投票へ。法務大臣を辞任に追い込んで、自民党とは距離を置いちゃった。

公明党は、なんだかなあ。コンパに行かないとか言い出す女の子チームみたいです。 「アタシの友達、みんなカワイイよ」、と面子が揃うのを匂わせておいて・・・。 男の顔ぶれが分ってきてから、じゃあ携帯で断る、みたいな行動。 「行く子は行くかもしれないけどね」。自主投票って、そういう感じ。 店も幹事も決めたのに。

森幹事長は、責任を問われると思います。明石票の少なさで。 深谷総務会長のくら替え立候補も、非難されそう。 大忙しの職場で、「自分の庭の手入れがしたいので、家にいったん帰ります」って言ってるようなものです。

石原慎太郎を担いでいるのは、平沼赳夫。自民党の反主流派。 選挙結果によっては、自民党の勢力地図も大きく変わるでしょう。 日本よ、国家たれ。そこに違和感を感じる層を鳩山陣営は、どう取り込めるのか。

もう政党の枠組みだけで選挙が動く時代ではなさそうです。 私は様々な市民グループと候補者との関係が見てみたい。 市民運動といえば反権力。もうそんな図式ばかりではないのですから。

3月8日

斉藤十一の新潮社

これは、スクープでしょう。今週のアエラ『現代の肖像』には斉藤十一(84)が登場。 新潮社の天皇と言われた人物ですが、その姿は長くベールに包まれていました。 "goo"で検索しても、その発言に触れたページはここくらい。 出版界には「おっ」と思った人も多いのではないでしょうか。 写真付きのインタヴュー記事なんて見たことありません。

直木三十五、山本五十六、西条八十。 男性の名前に数字を使うのが、流行した時代がありました。 十一という名前は、その名残り。いまの世で数字の名前の有名人といえば、将棋界の加藤一二三くらいでしょう。

「人間は誰でもひと皮むけば、金と女と名誉心が大好きな俗物。僕も狂的な俗物です。 実際にはダメだけど、今でも女は大好きだ。食い意地もきたない。『週刊新潮』ではそれをやりたかったし、 今でもやりたい」
これを読んで、私は「なるほど」と思いました。新潮社の特徴は、ここに原点があったんだ。

『週刊新潮』と言えば、何といっても「」。かぎ括弧です。 中吊り広告には見出しが並びますが、『週刊新潮』にはクセがある。 思わせぶりに「」を多用。「ひと皮むけば・・・」の皮が「」なのでしょうか。

そういえば『新潮社純文学書下ろし特別作品』というシリーズもありました。 あの固くて厚い箱に入った小説の数々。今では古書店でしか見かけませんが。 私は、あの装丁に、かえって俗物っぽさを感じたものです。純文学だから高級だ。他の出版とは違うんだ。 そんな雰囲気。あれも新潮社の厚い皮と考えれば、腑に落ちます。

日本の週刊誌の原形を作ったのは、扇谷正造。その基本的な構成は『週刊朝日』だけでなく、 他の雑誌にまで広がりました。新聞社の牙城だった週刊誌の世界に、後から割って入ったのが『週刊新潮』です。

売れたのは、ある航空機事故がきっかけだったとか。 出遅れた新潮社は、犠牲になった乗客の名簿を取り逃してしまう。 残っていたのは、キャンセルしてその飛行機に乗らなかった人の名簿だけ。 それで幸運にも難を逃れた人たちを記事にしてヒット。 側面からの取材。そんな『週刊新潮』の特徴は、このとき形作られたと言われています。

名物編集長も出し、まだ活力のある『週刊文春』。読者の若返りができる『週刊朝日』。 しかし、斉藤十一が長く君臨した『週刊新潮』では、名物編集長など出る幕がなく、 読者も高齢化したままです。

良くも悪しくも斉藤十一の個性そのもの。新潮社については、よくこう言われます。 どことなく雑誌づくりに屈折感が漂っているのは、なぜなのか。大きな出版社なのに。 私の長年の疑問は、アエラの記事を読んで氷解しました。

3月4日

『だんご3兄弟』を考える

「だんご3兄弟」がヒットだとか。私の年代になると、子供番組を見る人も多いみたい。 子供のいない私は、あまり見ませんが。

買っているのは「およげ!たいやきくん」で育った世代でしょう。 あの頃は、まだレコードの時代。街のレコード店で品切れになった光景を、良く覚えています。

「毎日毎日 ぼくらは鉄板の 上で焼かれて 嫌になっちゃうよ」。 今にして振り返れば、そこには管理社会に対する風刺も含まれていた気もします。 どこか悲しげな物語。1年で440万枚というセールス記録が破られたのは、ごく最近なんですね。

ヒットしたのは、1975年。オイル ショック後の世相を反映していたのかな。 当時、親だった人たちの支持もあったから、あれほどに売れたのかも。

そう思うのは、今回の「だんご3兄弟」のヒットから。 歌詞をみる限り「たいやきくん」ほどの社会性は感じられません。 それは、まるで血液型の会話のように無難です。いまの親の世代には、その方がいいのでしょう。

「たいやきくん」と「だんご3兄弟」に共通するのは、子供番組だけではありません。 甘い食べ物を擬人化してる。しかも、日本の何処にでも、ごくごく普通に見られるもの。 色恋がらみの歌ばかりなのが日本の音楽業界ですが、子供を思う親なら、そこは避けたいところでしょう。 食べ物をマスコット化しようとする企画は、これから食品業界に広がるかもしれません。

食べ物を擬人化してヒットしたのは、たまごっち。 こちらも社会現象になりました。発売となれば、長蛇の列。いろんなデマも流れました。 ジャスコ松本店では、デマを信じた親たちが数十人も並ぶという現象まで起こりました。 在庫は無いのに。

「たまごっち」にせよ、「だんご3兄弟」にせよ、私はコミュニケーション商品だと感じます。 そこで重要なのは、実用性ではなく話題性。買ったんだよ。持ってるよ。聴いてるよ。 そういう事実、というより、それをネタに人と会話をすることが大事になっているように見えます。 インターネットのあちこちで、たちまち話題になる現象が、それを物語っているのでは。

「だんご3兄弟」を私は買わないと思います。 今日、買ったのは、ジャン・ボードリヤールの本。『消費社会の神話と構造』。 そこに描かれているのは、戯れとしての消費です。

3月4日

臓器移植の報道

「コーヒーが無くなりそうなんで、取りに行きたいんですけど」。 看護婦さんから電話が入ったのは、日曜日。何やら急にご入用の様子です。 信州大学の各医局にはお得意様が多いので、いつもは平日に配達。そのための通行証もいただいています。

地元での呼び方は、信大(しんだい)。 松本50連隊の跡地にあるキャンパスには、ずいぶん建物も増えました。 そこへクルマも増えているので、駐車スペースは貴重。 朝には多くの患者さんで道も混みます。

テレビが臓器移植を映すのを見て、「あー、これだったのか」と納得した私。 しかし、なんだか大げさな報道にも思えました。 日本初の・・・という理由は分かるのですが。 ヘリコプターまで使って臓器を追跡する絵は、さながら「踊る大移植線」です。

いち早く絵を撮らなければ。関係者のコメントを取らなければ。 そんなワイドショー的な手法が、医療報道にまで持ち込まれた感じ。 生と死をめぐる問題には、むしろ地味な調査報道の手法がふさわしい気がします。

街では、マスコミに対する不満の声も出ています。 病院に行こうにも、クルマが混んでた。報道関係で、駐車場が塞がっている。 城下街の道路は、ただでさえ混みがちなのに。

総理大臣に対する取材には、ルールがあるといいます。 同じクルマに乗って話を聞く「ハコ乗り」は、おのずと人数が限られる。 だから、同乗して取材した記者は、同業の他社に後で内容を教えなければならない。 そんなルールだったと思います。

同じ時間帯に、同じ映像、同じニュース。 ならば「ハコ乗り」のような工夫もあっていいんじゃないかと思いました。 映像を共有化したり出来ないのかな。

今回の臓器移植では、患者のプライバシーも問題になっています。 医療報道では、地域の事情も汲み取る必要がありそう。 地元の報道関係にも、お得意さまが多いので、とても書きにくい事なのですが。

3月2日

地域振興券

今回は申請しませんでした。地域振興券の取り扱い。 しばらくは様子見というところです。

お店のアルバイトに、そう告げると、「何ですか?それ」という答え。 新聞は読まないし、ニュースも見ないみたい。 私の周囲では「そういうのがあったんだ」という反応も多く、郵送されてから知ったという人もいます。 新聞の政治欄とか国会のニュースは、あまり見られてないことが分かります。

「ありゃ、不公平だわ」。中高年のお客さんの中には、そう言う人も。 働いている人がもらえず、悠々自適の人がもらえたり。 消費税が始まったときの戸惑いとは、ちょっと質が違う感じです。 あのときは「不公平」という言葉までは聞かれませんでした。

「日本の元気は地域から」。 テレビのコマーシャルは言っていますが、私は地域に馴染まない部分もあると思います。 中高年の女性のお客さんは、公平さには敏感なもの。 ふだん顔なじみの店で買い物していると、出てしまうのではないでしょうか。 「あの人は貰えて、私は貰えなかったんだ」みたいな感じが、消費の現場に。

これはショッピングセンターを振興することになりそうです。 顔なじみでない場所の方が使いやすいから。松本市や長野市は商店も多いですが、 安曇村の乗鞍高原とかでは、どうするんでしょう。スーパーらしき商店など1軒しかありません。 信州にはコンビニの無い村もあります。山間部には、移動商店が人々の生活を支えている所も。

狭い村社会では、こんな事も起こるでしょう。 特定のごく僅かの商店に券が集まり、しかも村の人々がそれを知っている。 商業をやっている家には恩恵があり、農家や公務員の家には無い。 そんな不公平感もありそうです。

現代の地方は、クルマ社会。信州の自動車の保有率は、全国で2番めとか。 市町村の垣根を越えて買い物をするのが、中高年にとっても日常です。 そんな現実に、無理に区割りが入り込む形になっている気がします。

商品券を言い出したのは、大都市で強い公明党。 信州で商業を営む立場からすると、やや無理のある景気対策だなという印象です。 私が振興券のセールに熱心に取り組まないのは、そのせいかもしれません。

3月1日

私の「梅宮アンナ論」

これは、事実上の離婚だと思いました。 梅宮アンナと羽賀研二は、付き合いはじめてから、もう5年。いっしょに住んでて、親も認めざるを得なかった。 2人でヌード写真まで出している。あと無いのは、婚姻届けとウェディング ドレスくらい。 "JJ"と共に歩んだ梅宮アンナですが、"VERY"への道は遠かったということでしょうか。

歌や芝居を演るわけでもない梅宮アンナ。雑誌が活動の中心なのは身長が高くないから、という説もありました。 「手が届きそうなスーパーモデル」という雰囲気が人気の理由だったと思います。 パリコレのモデルは遠い存在ですが、梅宮アンナなら真似もできそう。 歌が上手かったり芝居ができては、かえって「わたしたちのアンナ」になれなかったと思います。

借金にまみれたカレシの存在も、むしろ現代っぽくて良かったのかな。 あの子、カワイくて、プラダもグッチも持っているんだけど、カレの金使いが荒くってさあ。 そういうカップルは実際にいるでしょう。 これが「神田うの」までいくと、交友関係が濃いというか玄人っぽくて遠くなってしまいます。 逆に"Olive"から出てきた「ともさかりえ」では、薄くて爽やか過ぎ。

彼との付き合いにウルサイお父さんの存在も、むしろ若い女性にはリアルだったかも。 家には、団塊の世代の父親がいる。

バタ臭いけど、バターじゃない。求めてられていたのは、そういうタイプだったのでしょう。 「梅宮」+「アンナ」という名前そのものが示しています。 かつて"JJ"の看板だった「賀来千賀子」では、あまりにも日本的すぎです。

アンナといえば、私はアンナミラーズを忘れることができません。 実際にありました。アンナをアンナミラーズで働かせてみるという企画の番組。 派手なイメージの「アンミラ」ですが、その経営主体は井村屋です。 特にオシャレなわけではないけれど、あんまんと肉まんで稼ぐ会社。 それは、まるで梅宮家の構図です。バックにいるお父さんが、惣菜やコロッケといった地道な食品で稼いでいる。

梅宮一家は、芸能人。けれど、代表作って何なのでしょう。今では二子山部屋の方が、よほど芸能界っぽいです。 そもそも、羽賀研二に芸があったのでしょうか? 松田聖子と別れた神田正輝、小柳ルミ子から離れた大澄賢也。 私の「羽賀研二」的イメージは、今やこの流れの中にあります。予備軍は、もちろん高知東急。

借金があること自体は、男性としての恥だとは思いません。 問題は、その額ではなく借金に対する「姿勢」なんだろうな。きっと。

芸能ネタを、というメールにお応えして、きょうは梅宮アンナについて思っていたことを書いてみました。







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