友好短信2025・1~2
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 日中友好春節コンサート、楽しみ感動の拍手(2/2)

 恒例となった長野県日中、長野市日中共催による日中友好春節コンサートが、2月2日(日)、長野市若里市民文化ホールで開催されました。 天気予報では大雪も予想されていましたが小雪の舞う程度の天候となり、午後1時の開場前から当日券を求める方が見えていました。

開演に先立ち行われた「中国帰国者への理解を深める県民のつどい」に参加された方を含め、400人近くの方の参加となり、午後2時から主催者を代表して金子繁三長野市日中副会長兼理事長のあいさつの後、中国の民族楽器などを使った演奏を楽しみました。

今回は二胡の高山賢人さん、古筝の王敏さんと娘の渡邉美姫さん、ピアノの高久史子さん、ドラムの山田和矢さんの5人の出演となりました。

最初に渡邉美姫さんの独奏で中国の「台風と戦う」からはじまり、「茉莉花」、「高山流水」など中国の伝統曲、ジブリの「風の通り道」などのアニメ曲、「昴」や「川の流れのように」など多くの方が知っている曲を高山賢人さんの軽快なトークをはさみながら次々に演奏して、たちまち2時間近くの時間が過ぎました。

予定した曲が全部終了すると、会場からは出演者が一度舞台から下がることもできないほどの大きな拍手となりました。アンコールにこたえて、演奏された中国の「賽馬」の軽快な演奏に会場は一層盛り上がり、続いて日本の「北国の春」は観客も一緒に歌いました。最後に長野県日中・長野市日中から花束の贈呈が行われ終演となりました。「楽しい演奏会で素晴らしかった」と語る観客の皆さんを出演者、スタッフは笑顔で見送りました。
(長野市日中事務局長 塩入靖)

 中国帰国者の体験発表&講演会、理解を深め、春節を楽しむ(2/2

 長野県と県日中友好協会中国帰国者交流センターは、2月2日、「第13回中国帰国者への理解を深める県民の集い」を長野市若里文化ホールで開きました。帰国者2世の三浦奈美さんの体験発表と満蒙開拓平和記念館館長の寺沢秀文さんの講演が行われ、70人が熱心に聞き入りました。残留孤児一世の父親とともに家族5名で帰国した2世の目から見たつらい体験などに胸が打たれるとともに、満蒙開拓団の送出された時代背景と敗戦後の悲惨な逃避行、養父母に助けられた残留孤児の皆さんが帰国実現してなお続いた様々な困難など体系的に理解を深めることができました。第2部では「日中友好春節コンサート」会場に移動して、二胡や古筝などの演奏を楽しく鑑賞しました。

 第1部の県民のつどいでは、主催者を代表して手塚靖彦・県健康福祉部地域福祉課長と西堀正司・県日中友好協会会長(県日中中国帰国者交流センター所長)があいさつしました。

 手塚課長は、春節に当たり「新年好(ハオ)!」とあいさつ。続いて「日中国交正常化以降、残留孤児の皆さん396世帯が帰国し、県下各地域において各市町村と支援団体の皆さんのご理解ご支援のもと、言葉や生活習慣の困難を克服して努力されてきた。開拓団のたどった歴史と現状を知り、帰国者の皆さんが穏やかで安心した生活を送っていただくようともに努力していきたい」と語りました

 西堀会長は、県帰国者自立研修センター所長として帰国者支援に携わってきたことに触れながら、「戦後80年、昭和でいうと100年を迎えたが、最初の20年間は1931年の満州事変などがあり不幸な戦争の時代だった。開拓団もそのような時代背景の中で送り出された。昭和20年(1945年)敗戦を迎え、以後日本は平和の道を歩み戦争のない時代が80年間続いてきた。特に1972年に日中国交正常化が実現し、日中関係は平和友好の道を歩んできた。日本と中国は再び戦争せず、末永く仲良く付き合っていきたい。本日は開拓団の歴史と帰国者の皆さんの歩んだ歴史と現状への理解を深め、支援交流にともに努めていきたい 。日中の懸け橋として帰国者の皆さんのご活躍を祈ります」と述べました。

 体験発表で三浦奈美さん(50歳)=坂城町/長野市=は、「私は7人兄弟の末子で、1987年、11歳の時、残留孤児の母と一緒に一家で帰国した。言葉がわからず、また経済的にも貧しく苦労したがつらいことも我慢して頑張った。父は町の工場で働き、兄や姉も20歳を過ぎていたので工場で働いた。小学校は、一学年下の5年生のクラスに入った。算数は得意だったが、国語、社会は特別クラスで勉強した。洋服も近所の人からいただいたものを着た。母は帰国後2年にして楽しい体験をすることもなく亡くなってしまった。父は今92歳、糖尿病を患っているが、昨年から週の半分は一緒に暮らしている。上田日中主催の帰国者日本語教室に通い、ここでは中国語で会話することができるので楽しみにしている。私は中国語の通訳とし帰国者の役に立ちたいと思って頑張っています」などと話しました。

 続いて、「満州開拓と中国残留日本人」と題して寺沢館長が講演されました。(下記参照)

<満蒙開拓平和記念館建設の発端> 両親が水曲柳開拓団(現吉林省舒蘭市)の団員だったので、関心を持った。飯田日中友好協会の帰国者支援活動に参加し、長野県が全国一多くの開拓団を送り出し、中でも飯田下伊那地区が長野県内で4分の1を占めていることを知った。(全国27万人、長野県33万人、飯田下伊那8400人)なぜ中国残留日本人に満蒙開拓団の子女が多いのか?そもそも満蒙開拓とはどのような歴史であったのか?調べようとしても「満蒙開拓」に特化した資料館などは全国どこにもなかった。多くの犠牲者や中国残留日本人を生み出した「満蒙開拓」の歴史について詳しくわかる資料館をつくるべきで、つくるのであれば全国最多の満蒙開拓団を送出した飯田下伊那につくるべきとの思いを固め、足掛け8年をかけて2013年全国初の「満蒙開拓平和記念館」を開館することができた。当初の予想に反して来館者は初年度3万人、今年12年目で24.6万人が来館していただいた。

<満蒙開拓の背景と実態について>「満蒙開拓」その背景は①満州の支配のために日本人の定住人口を増やす。②行く場所のない、農家の次男三男など日本国内の人減らし。③「ソ連」からの防衛(人間の防波堤)にあり、「満蒙開拓」は国策として、国、県、市町村、地域を挙げて強力に進められた。長野県は分村開拓団、青少年義勇軍など行政や信濃教育会、社会団体などが強力に取り組んだ。開拓の実態は、現地に行ってみるとすでに耕作地も家も用意されていた。(現地農民から強制的に安く買い上げた。)現地の人々にとって開拓団は「侵略者の手先」と受け取られ恨まれていた。これが敗戦時の悲劇となった。満蒙開拓には「被害」と「加害」の両面があった。

<ソ連軍の侵攻と開拓団の末路>昭和20年(1945年)8月9日、ソ連軍が「満州」に侵攻を開始した時、開拓団には若い男性は徴兵されほとんどいなかった。また関東軍も秘密裏に撤退していて、新京(長春)以北は放棄地域とされ開拓団は完全に取り残されていた。置き去りにされた女性・子供・老人ばかりの開拓団は悲惨な逃避行、集団自決、避難民収容所での厳しい越冬生活を強いられた。こうして約半数の開拓団員が亡くなった。「在外邦人は現地に留まり生き延びよ」というのが当時の日本政府の方針だった。在満日本人の引き上げが始まったのは翌年5月からだった。様々な事情の中で現地に残され、現地の中国人に育てられたのが「残留孤児」や「残留婦人」といわれる。

<開拓団員や残留日本人をめぐる戦後の苦難> 残留日本人は過酷な生活環境を送った人も多かった。中国養父母に助けられた当時13歳未満の日本人は「残留孤児」と呼ばれた。「中国養父母」の恩義は忘れてならないもの。日中国交正常化によって帰国が実現しても多くの苦難が待ち受けていた。戦後80年、今も肉親を捜す多くの孤児がいる。「残留孤児」の認定を受けられない「未認定残留孤児」もいる。また生きて日本に引き揚げた開拓団員も戦後開拓など苦難の道を歩んだ。

<悲劇を繰り返さないために> 「満蒙開拓」の悲劇は二度と繰り返してはならない。しかし、その歴史は、多くの人にとって「不都合な歴史」であったため、戦後ほとんど語られることはなかった。「不都合な事実に目をつぶるものは再び同じ過ちを繰り返す」。そうしないためには過去の歴史から学ぶことが大切。「満蒙開拓」は向き合いにくい歴史ではあるが、そこには明日の平和のための多くの教訓がある。(「前事不忘・後事之師」)。若い皆さんにも、満蒙開拓の史実から明日の平和を学んでほしい。そうしてこそ、アジアや世界の人々との付き合いの中で信頼と友好を実現できる。 (以上概略)

 2人の体験発表と講演に感謝の拍手を送り第1部は終了しました。

 続いて、「日中友好春節コンサート」会場に移動し、会場の皆さんと一緒に帰国者の皆さんも二胡や古筝の演奏を鑑賞し、楽しいひと時を過ごしました。春節コンサートは、長野県日中友好協会と長野市日中友好協会の共催で開かれました。

 第28期日中連続市民講座③「心にひびく漢詩を読むー紫式部に導かれて」(1/25)

 第28期第3回日中関係を考える連続市民講座が1月25日、日中友好センター教室において開かれ、中国文学専門で長野県立大学教授の谷口真由実先生が「心にひびく漢詩を読むー紫式部に導かれて」と題して講演しました。講座には25人が出席し熱心に聴講しました。

 谷口先生は、平安時代の紫式部が大きな影響を受けたとされる中国唐代の詩人白居易の「長恨歌」を中心として白居易の心にひびく作品を取り上げて解説いただきました。(下記参照)

先生は最後に、「平安時代の紫式部や清少納言は和漢両方の深い学識があった。その学識の重要な部分に中国の文学や歴史書、哲学書などがあったことを意識しながら、彼女たちの文学を読むことでさらに理解は深まり、感動を新たにすることができるのではないか」と締めくくられました。

【講演の概略】

1⃣ 紫式部について

 『源氏物語』の作者として名高い紫式部はどのような人物だったのか。生年978年(973年、970年説あり)、父藤原為時は『新古今集』などに詩がとられており、文章生(史記、漢書、後漢書、文選などを学び、詩賦の試験に合格した者)出身の漢学者で詩文に優れていた。(為時は地方官の受領どまりであったが、曾祖父兼輔は堤中納言と称され『古今集』などにもその詩が収められている。)母は早く亡くなったらしく、姉と弟がいた。紫式部はとても聡明で、漢学者の父が弟に漢籍を教えるのを傍らで聞いて、弟より先に覚えたといわれる。宮使えに出たとき中宮彰子に『白氏文集』の楽府を進講するほど漢籍に対する素養が深かった。彼女は漢籍によって得たものを『源氏物語』に十分生かし物語の文学性を高め得た。藤原宣孝と結婚し一女賢子が生まれるが、疫病によって宣孝は他界、その後この世を浮世と思うようになり、本来好きだった物語の創作に励み『源氏物語』が生まれたと考えられている。

2⃣ 紫式部と漢詩

① 紫式部『源氏物語』と白居易「長恨歌」

『源氏物語』の「桐壺」の巻は、桐壺帝の桐壺更衣への偏愛から更衣の死とそれを哀傷する物語だが「長恨歌」が広く引用されている。当時、玄宗皇帝が楊貴妃を偏愛し国の混乱を招き安禄山の乱で楊貴妃を失った史実を題材とした「長恨歌」はよく知られていた。とはいえ、中国の騒乱の凄惨さに比べれば王朝交代もなく天皇が脈々と治める日本は総じて安泰である。「長恨歌」を踏まえつつも、そこから離れた独自な世界が『源氏物語』だといえる。(高木和子『源氏物語を読む』参照)

② 白居易「長恨歌」

「長恨歌」の作者白居易(772~846)字は楽天、太原の人。盛唐時代の李白や杜甫の後、中唐時代の代表的詩人。地方官の家に生まれ、優秀な成績で進士に及第し翰林学士、皇帝を諫める左拾遺になるも、左遷と中央復帰を繰り返した。最後は刑部尚書に至る。平易な用語で分かりやすい詩を意識的に制作した。平易であるだけでなく巧みな表現と素晴らしい韻律を工夫した詩は、ひろく愛唱された。現存する詩はほぼ3000首に上り、自身でそれを諷喩詩(政治の風刺)、閑適詩(自然を楽しむ)、感傷詩(男女の愛を描く)、雑律詩(その他)に分け詩文集『白氏文集』(75巻)を編集し、我が国の平安文学に大きな影響を与えた。『和漢朗詠集』には白居易の詩が多数収められている。「長恨歌」は感傷詩に属する。

 ◇「長恨歌」は4つの段落に分かれる。

<第1段落> 「漢皇 色を重んじて傾国を思ふ」「春寒くして 浴を賜ふ華清の池」「三千の寵愛一身にあり」---ここでは漢皇(実は玄宗)と楊貴妃の出会いと二人の愛の日々が詠じられている。そして驪山宮で歓楽を尽くす中、突如、安禄山の反乱軍が大地を揺るがす戦太鼓を響かせて押し寄せ、栄華の夢は一瞬にして破られた。「漁陽の鼙鼓 地を動かして来り」の句は急転直下の場面転換を鮮烈に表している。

<第2段落> 都長安に賊軍が迫ったために、玄宗が蜀へと落ち延びるところから始まる。そして、馬嵬坡でこの反乱は楊一族が元凶と近衛兵に迫られ、楊貴妃は死を賜る。「六軍発せず 奈何ともする無く」「宛転たる蛾媚 馬前に死す」「君王 面を掩ひて救ひ得ず、 回看すれば血涙相和して流る」と描かれ、さらに続けて、蜀に到着後、玄宗の傷心の日々が描かれる。

<第3段落> 玄宗が上皇として都長安へ還御する途中、楊貴妃が落命した馬嵬坡に差し掛かり、悲しみに暮れる場面が描かれ、帰還後、最愛の楊貴妃を失った喪失感にさいなまれる様子が詠じられる。「馬嵬の坡下 泥土の中、玉顔を見ず むなしく死せし処」 「翡翠の衾 寒くして誰と与共にせん」

<第4段落> 傷心に沈む玄宗を見かねて、死者の魂を招くという道士が楊貴妃を尋ねる場面が描かれる。道士(方士)はあちこち探した後、仙山に楊貴妃を訪ねあてる。姿を現した仙女の太真(楊貴妃)は、現世の栄華を洗い流した清澄な存在として描かれ、玄宗と隔てられた悲しみに涙を流し、証拠の品を道士に預け、別れ際にかつて七夕の夜に玄宗と交わした二人の愛の誓いを伝える。「天に在りては 願わくは比翼の鳥となり、地にありては 願わくは連理の枝と為らん」 
「長恨歌」の最後は、「天は長く 地は久しきも 時有りて尽く、此の恨みは 綿々として絶ゆる期無からん」の二句で結ばれている。

3⃣ 紫式部、および同時代の人々に好まれた漢詩

 平安中期の宮廷社会の人々に愛された白居易の詩を見てみたい。

① 『源氏物語』須磨の巻で光源氏が流謫の身を悲しむ際に口ずさむのは、白居易の「八月十五夜、禁中に独り直し、月に対して元久を想う」詩である。この詩は白居易が翰林学士の職にあった時、親友元慎の身を思いやって作ったものである。元慎はこの年3月に江陵(湖北省)に左遷されていた。
② 中宮定子に仕えた清少納言の『枕草子』の“香炉峰の雪は簾を上げてみる”のエピソードが良く知られている。これは白居易の「香炉峰下、新たに山居を卜し、草堂初めて成り、偶たま東壁に題す」(『白氏文集』七律)を彼女が知っていたからできたパフォーマンスである。この詩は『和漢朗詠集】にも収められている。「遺愛寺の鐘は枕を欹けて聴き、香炉峰の雪は簾を撥ねて看る」「故郷は何ぞ独り長安にのみ在らんや」

 4⃣ 終わりに

平安時代の紫式部や清少納言は和漢両方の深い学識があった。それだけでなく、身の回りの事柄や、宮中の出来事、人々の様子などを子細に観察して物語や随筆に綴っているのは驚嘆するばかりである。その学識の重要な部分に中国の文学や歴史書、哲学書などがあったことを明確に意識しながら、彼女たちの文学を読むことでさらに理解は深まり、感動を新たにすることができるのではないか。
 

  2025日中友好新春座談会・新年会を開催(1/17)
--戦後80年、日中友好協会設立75周年を迎えて、友好推進を語り合う(1/17)


◇長野県日中友好協会は1月17日、長野市生涯学習センターで60余名が出席して日中友好新春座談会を開きました。世界的な激動、米中対立の激化、日中関係が様々な難しい課題を抱えつつも、昨年11月の日中首脳会談以降、訪中短期ビザの免除、ハイレベル対話の再会など明るい兆しが表れている中での会となりました。戦後80年、日中友好協会設立75周年の年を迎えて、交流を前向きに進め相互信頼回復に努めていくことなどを語り合いました。座談会に先立って問題提起も兼ねた講演も行われ有意義な会となりました。座談会終了後、会場をやま茶屋に移して新年会が行われました。今回は会員同士の交流懇談を主目的に開催されました。

◇会は大月良則理事長の司会で進められました。足立正則副会長の開会あいさつに続いて、西堀正司会長があいさつし、30年前の阪神淡路大震災の当日に当たり犠牲者を追悼した後、「日中関係は激しい米中対立の影響を受け、困難が続いてきたが、昨年11月には石破首相と習近平国家主席の会談が行われ戦略的互恵関係の全面的推進と、建設的安定的な関係構築を確認し合い、前向きな変化が表れてきている。本年は戦後80年、日中友好協会設立75周年にあたる。日中戦争の反省の上に友好協会は設立され、以来、多くの先達が参加して平和友好のボランティア活動が行われてきた。これを誇りとして、地方民間交流の再活性化に努めていきたい。本日は、日頃の取り組みの成果と悩み、新年の抱負など意見発表していただき思いを共有していきたい」とあいさつしました。来賓の稲玉稔・県国際交流推進課課長は、県と河北省の友好交流や日中青少年スキー交流などの取り組みに触れながら「日中関係好転の兆しが見えてきた中で、今後とも皆さんとともに地方交流を推進していきたい」と述べ新年の協会の活躍に期待しました。

◇座談会に先立って西堀会長が「戦後80年、日中友好協会設立75周年を迎えてー日中関係の課題」と題して講演しました。(概略下記)

==①世界は激動し、戦争、自然災害、経済的矛盾の激化などに直面している。今こそ歴史に学ぶことが重要と思う。人生100年時代といわれるが、日中友好をライフワークとして、日中の平和友好、関係発展のために努力していきたい。②激動の世界:まもなくトランプ政権2.0がスタートするが、その行方に世界は注目している。関税を振りかざしての貿易戦争を叫んでいるが、米中対立も一層激化するのか注視していきたい。中国は2013年以降、習近平政権が誕生し、諸矛盾を抱えながらも、一帯一路構想、2035年に向けて技術革新、2049年建国100周年に向けての強国建設などを掲げて進んでいる。③日中関係:昨年11月、石破・習近平会談が実現し、日中関係は好転してきた。訪中短期ビザの免除、ハイレベル交流などが実現してきている。中国との付き合いの中で首脳交流は大変重要な意味を持っている。国交正常化(田中―周恩来)、平和友好条約(福田―鄧小平)、その後の江沢民、胡錦涛の来日時には戦略的互恵関係の確認文書発表など重要な節目を作ってきた。第3次世界大戦が危惧されるような国際情勢だが、「日中友好は最大の安全保障」(宇都宮徳馬)との信念をもってアジアと世界の平和に貢献していきたい。④本年戦後80年を迎えた。日本はこの間、日中戦争、太平洋戦争の反省の上に立って戦後復興、平和と民主化を実現してきた。朝鮮戦争やベトナム戦争はあったが、基本的に日本は戦争しないでやってきた。1972年には日中国交正常化が実現した。国連の弱体化が言われているが、国連憲章、平和共存の5原則など守り抜いていきたい。今年は昭和100年だが、自分史と重ね合わせてこの間の歴史を回顧したいと思う。健康長寿に心がけ、世界の平和と繁栄のために日中友好に努めていきましょう。==

◇続いて、中澤保範事務局長が昨年の事業実施状況と、第2回理事会(11/26)で決定された本年の主な事業計画を報告しました。

「県協会は、この1年、一昨年来の交流再開の流れを受けて交流を推進し、具体的な友好活動再開に努めた。●1月には新年講演会・新年会を開催し、1・3月には北京市と河北省からアルペンスキー選手団を受け入れた。2月には帰国者春節交流会・春節コンサートを開催した。5月の県協会定期大会では西堀正司副会長を第7代会長に選出し新体制を整えた。7月には河北省囲碁代表団、中国伝媒大学代表団が来県交流した。また5年ぶりに中国留学生ホームステイが行われ22名の皆さんを迎えて交流を深めた。9月には中国伝媒大学設立70周年記念訪中団を派遣した。10月には大使館において長野県中国友好交流会が開催され有意義な交流が行われた。また建国75周年記念県協会訪中団を派遣し、中日友好協会や河北省との交流を深めた。広東省農業視察団や深圳市観光資源調査団を受け入れた。11月には宮本雄二元中国大使を講師に迎えて建国75周年記念講演と祝賀のつどいを開催した。青年・女性委員会は4年ぶり日中スキー交流会(2月)、日中友好キャンプ(7月)を開催した。また中国帰国者日本語教室や帰国者のつどい、長野ラジオ孔子学堂中国語教室・中国語スピーチコンテスト・HSK中国語検定、日中連続市民講座などを実施した。 ●本年は戦後80年、日中友好協会設立75周年の節目の年にあたる。日中友好都市中学生卓球交歓大会や河北省代表団歓迎協力、県友好訪中団、友好協会75周年記念講演と祝賀のつどい、河北省スキー選手団受け入れ、帰国者支援春節交流会、中国留学生ホームステイ、日中スキー交流会や友好キャンプ、長野ラジオ孔子学堂事業などに取り組んでいく計画なので、ご協力をお願いしたい」と述べました。

◇引き続いて地区活動報告と今後の取り組み・抱負が語られました。

 ◎各地区協会は、県協会の呼びかけにこたえ、中国留学生ホームステイ、日中友好スキー交流会・友好キャンプ、講演会、友好訪中団、大使館との交流会、日中友好都市中学生卓球大会準備、帰国者日本語教室などに協力参加するとともに、様々な地区協会主催事業に取り組んだ。

<飯山日中>:雪まつりかまくら祭交流会参加、県日中スキー交流会参加協力、丸山邦雄物語発行、開拓団殉難者慰霊参加、深圳との交流、留学生ホームステイ受け入れ、マレットゴルフ大会開催、会報毎月発行し会員との連携を密に心がける。準会員制度で新規拡大に努める。地域行事参加で交流進める。

<中野市日中>:日中スキー交流会参加、留学生ホームステイ受け入れ、水餃子作り交流会開催、県訪中団参加、二胡演奏会開催。ホームステイやスキー交流会参加した方との継続交流。

<小布施町日中>:町づくり交流部会餃子作り、中国農村青年代表団とのオンライン交流会、大使館友好交流会参加。中国との関係深い馬越陽子おぶせ記念美術館準備に協力していく。

<須坂市日中>:四平市との30周年記念行事は洪水のため中止となったが、春節を祝う会、中国・日本料理教室、餃子づくり講習会、アレンジフラワー講習会等開催。会報発行。女性委員会・青年委員会主導の活動を進め会員増を目指す。

<飯綱町日中>:留学生ホームステイ受け入れ、県訪中団参加。中国語講座開催、受講生増を図り交流を進めたい。

<長野市日中>:日中友好春節コンサート開催、石家荘市との交流、留学生ホームステイ受け入れ、マレットゴルフ大会、中国帰国者のつどい(バスツアー)開催、W杯スピードスケート大会応援、会報「友好」発行。交流やコンサートなどを通じて中国への関心を高め財政強化も図る。

<千曲市日中>:千曲万博参加、餃子つくり講習会、大使館との友好交流会参加、県訪中団参加、中国語講座開催、中国語スピーチコンテスト参加。引き続き邢台市との交流に取り組む。中国語講座受講生の増加を図り交流の輪を広げていく。

<上田市日中>:新春交流会開催、中国帰国者日本語教室と中国語教室(ニイハオ会)開催、寧波市との交流。上田日中設立70周年・寧波との友好30周年記念のつどい開催。交流会参加者に入会を働きかけ6名増。

<小諸日中>:小諸市日中設立35周年記念講演・祝賀会開催、留学生ホームステイ受け入れ、大使館との友好交流会参加、公民館活動に参加し友好活動写真展示、藤村文学交流を南京大学と続けている。市や市議の協力、近隣地区協会との連携を図りながら交流推進。

<軽井沢日中>:春節餃子パーティー開催、能登半島地震緊急支援チャリティコンサート、平和記念日コンサート協賛、日帰りバスツァー実施、中国人音楽家との交流、会員の平均年齢67.5歳で若い女性も多い。バスツァーなどを通じて交流の輪を広めたい。

<北アルプス日中>:留学生ホームステイ受け入れ、日中友好キャンプ(木崎湖)協力。中国からのスキー訓練隊の受け入れ再開などを期待している。

<松本日中>:松本日中40周年記念誌発行と記念式典開催、大使館訪問交流、中国語講座開講、岡山市日中友好協会との交流。岡山との交流や中国語講座受講生拡大を通じて若者会員増を図りたい。

<岡谷日中>:日中友好を語る会開催、中華料理を食べながら春節を祝う会など計画し魅力を若者に発信していきたい。

<諏訪市日中>:留学生ホームステイ受け入れ、中国留学生・会員新年会開催、友好協会のあり方を意見交換。日中関係が厳しいこと、双方の経済の立ち位置が変化してきている中で難しい課題が多いが工夫していきたい。

<伊那日中>:日中友好「歌声喫茶in伊那2024春」開催、新華社通信視察歓迎、伊那日中50周年記念「歌声喫茶in伊那」開催、中国語教室・餃子パーティー開催、伊那市・通州区友好30周年記念書簡交換。講演会開催や訪中団の派遣に取り組んでいきたい。

<飯田日中>:瀋陽・葫蘆島の旅訪中団派遣、中国帰国者日本語教室開催、帰国者2世3世との交流会開催、帰国者共同墓地の管理、満蒙開拓平和記念館運営協力。組織改正を行い、青年・女性委員会にかわり事業部を設置。

<満蒙開拓平和記念館>:飯田日中とともに、瀋陽・葫蘆島の旅訪中団派遣。一九四六展の作者王希奇夫妻とも再会し、105万人引き揚げの拠点葫蘆島を訪問した。記念館の運営を支える自治体パートナー制度には県及び16市、12町、18村、1広域連合の協力を得ている。引き続きご協力を願いたい。

<県女性委員会>:日中友好スキー交流会・日中友好キャンプ開催、大使館訪問交流、中国留学生インターンシップ事業協力。本年6月の全国日中友好協会女性委員会総会の長野開催にホスト役で対応するので協力願いたい。

<長野ラジオ孔子学堂>:中国語講座は本所で入門・初級・中級・上級で昼夜計8教室で開講、他松本・千曲教室がある。文化講座としてフルス・二胡・中国語歌・中国映画鑑賞を開講。HSK中国語検定を3・9月実施、中国語夏期スクーリングと中国語スピーチコンテスト(優勝者が全国大会で大学生の部2位)、迎新晩会など開催。提携相手の中国伝媒大学と代表団受け入れと派遣など交流を深めている。

◇布施正幸副会長がまとめとして、「皆さんのご協力で、有意義な座談会となった。難しい状況の中でも各地区で工夫を凝らし、友好に努力されていることが共有できた。高齢化に伴う会員の減少に苦労しながらも、新会員獲得働きかけの努力を続けていることなども報告された。戦後80周年、友好協会75周年に当たり、使命感を持ってアジアと世界の平和のために官民協力して地方民間交流を進めていきたい。日中関係が好転を見ている中で、交流を継続発展させ相互信頼回復に努力していきましょう」と述べました。

◇金子繁三副会長の閉会のあいさつで第1部が終了し、続いて第2部の新年会が行われ、和やかな雰囲気の中、懇親を深めました。福島信行副会長が新年の活躍を期して締めのあいさつを行い、会は終了しました。

 


 
2025年頭祝辞

  -戦後80年、友好協会設立75周年、日中不再戦、平和友好前進の年に

           長野県日中友好協会 会長 西堀正司

 明けましておめでとうございます。県民の皆様、会員の皆様 日頃の日中友好事業へのご協力、ご参加に感謝申し上げます。

 3年余りのコロナ禍を経て人事、文化、経済、スポーツ等各分野の交流再開が期待されています。昨年秋、石破首相と習近平国家主席のペルーでの会談によって日中関係改善に弾みがつきました。懸案であったビザ問題については、30日以内はビザ無しで訪中が出来るようになりました。

 さて、国際情勢は激動しております。米国も新大統領が選ばれ、その外交、内政はアメリカファーストであり、保護主義的だと言われています。又、ロシアの政策もウクライナに見られるような軍事力を行使する外交が目立っています。中東では、イスラエル、パレステナ、レバノン等戦乱が続いています。平和を守り維持する事の困難さであり、このままでは第3次世界大戦の危機さえ心配されています。このような客観的情況の中で私達はどのような立場で行動する必要があるのでしょうか?

 本年は我が国にとって日中戦争、第2次世界大戦に敗北し、戦後80周年の節目の年です。80周年の記念行事が日本でも世界でも数多く予定されています。

 過去を総括して未来を創るチャンスの時となると思います。今年1年、重要な議論、討論が活発に行なわれればいいと私は思っています。敗戦から立ち上がった日本国民は一致協力して国の再生・新しい国造りを行ってきました。新憲法制定、古い制度の改定、農地改革をはじめ経済改革、女性の進出や封建的な要素の改革、民主主義の前進等々80年間は大きな歴史を創ってきました。今から53年前に日中国交回復が実現。その時、ある識者は、ようやく戦後が終わったと発言しました。

 本年は、日本中国友好協会が設立されて75年になります。(長野県協会は設立69年)。厳しい東西冷戦の中でしたが、過去の日中戦争の反省の上に、日中不再戦の旗を高く掲げ、平和を守り日中国交回復を実現する為に各界友人とともに運動を続けました。1972年国交正常化が実現しました。以来53年が過ぎましたが、成果は両国と国民に大きな利益をもたらしました。

 世界情勢が混沌としている現状を私達は注意深く理解する必要があります。私は、日本と中国の友好関係は、アジアの平和にとって重要であり、世界情勢にも大きな影響を与えると考え、日中関係の良好な関係は日本の重要な政策の柱だと思っております。日中平和友好条約の原則と精神を守り、日中関係の一層の前進を計るため1年間全力で日中友好事業を進めていきましょう。地方民間交流を推進しましょう。若い世代に友好交流への参加を呼びかけましょう。

 
初春を迎えて  2025

長野県知事 阿部守一

 明けましておめでとうございます。

 皆様には、健やかに新春をお迎えのこととお慶び申し上げます。

 昨年は、前年に植えた交流の種が、年明けとともに芽吹き、花開いた年となりました。

 一昨年8月の中国訪問では、冬季スポーツや青少年の交流、経済面での交流の重要性について各地の要人と意見を交わしました。貴会をはじめ関係する皆様のご尽力もあり、1月には北京市から、3月には河北省からアルペンスキーのジュニア選手が野沢温泉村を訪れトレーニングを行い、関係者と交流を深めました。これを皮切りに、4月には河北省から河経済視察団、7月には囲碁交流団、10月・11月には農業視察団、12月には県内の大学との交流を希望する大学関係者の視察と、多くの方々が本県を訪れました。

 新たな取組として、10月には中国大使館との共催による長野県・中国友好交流会を全国に先駆けて開催しました。貴会をはじめ、県内関係者と在京の中国関係者約200名が顔の見える交流を行い、これまでの長野県と中国の交流を振り返りつつ、今後の展望について話し合い、長野県の食や観光の魅力を中国に発信する有意義な機会となりました。

 また、首都体育学院の大学生と県内大学生の相互訪問交流事業を、冬季五輪開催という共通性を持つ北京市と新たに実施したほか、貴会においても5年ぶりに中国留学生ホームステイ、日中友好キャンプなど数多くの交流が再開されました。

 昨年11月末には日本人に対する短期滞在ビザの免除措置が約4年半ぶりに再開され、これは日中間の交流にとって大きな追い風となります。本年も、西堀会長はじめ貴会と中国との友好の絆をさらに深めていけるよう、精一杯取り組んでまいりますので、関係する皆様のご支援とご協力を賜りますようお願い申し上げ、新年のご挨拶とさせていただきます。


新年のごあいさつ    2025

                       中華人民共和国駐日本国

                       特命全権大使  呉江浩

新年にあたり、長野県日中友好協会会員の方々に謹んでお祝い申し上げ、また長きにわたり中日民間友好の促進に大いに貢献されてきた各界のご友人の皆様に心より敬意と感謝を表します。

 過ぎ去った2024年を振り返り、双方の努力の下で、中日関係は全体的に積極的な勢いを保ち、改善と発展の重要な段階に差し掛かっています。先般、習近平国家主席は石破茂首相とリマで会談を行い、戦略的互恵関係の包括的推進という重要な共通認識を再確認し、新時代の要請にふさわしい建設的かつ安定した中日関係の構築を推進することで一致し、両国関係の発展に重要な政治的なリードを与えています。大変喜ばしいことに、中日各レベルの対話交流が著しく増えており、各分野の交流協力も着実に推進されております。これは貴協会を含む両国各界の共同努力の賜物であり、よりいっそう大切にし、守っていくべきです。

 新たな一年を見据え、我々は日本側と共に、中日の四つの政治文書で確立された諸原則を順守し、両国指導者の重要な共通認識を指針として、政治的相互信頼を引き続き増進させ、互恵協力を広げ、国民の友情を深め、矛盾と意見の食い違いをマネージし、両国関係の長期的で安定した発展を共に推進し、両国民により大きな福祉をもたらし、地域ひいては世界の平和、安定、発展のために更なる貢献をしていきたい所存でございます。

 中日友好の基盤は民間にあります。昨年、西堀正司会長のリーダーシップのもとで、貴協会が北京市と河北省を成功裏に訪問し、大使館と長野県共催の友好交流会を支持し、当館館員を招きスキー交流会と日中友好キャンプを実施し、一連の豊富多彩な活動を通じて民間友好の雰囲気がより一層高まりました。貴協会は今年で成立75周年という重要な一里塚を迎えます。ぜひ引き続き友好の伝統を発揚し、対中友好の最前線で活躍し、より多くの日本国民、とりわけ若い世代の方々が中国を理解し、さらに中日友好事業に身を投じるよう取り組んでいただき、両国民の相互理解を促し、中日関係の改善と発展に新たな原動力を注ぐよう願うばかりでございます。

 末筆ながら、友人の皆様のご健勝とご多幸を心からお祈り申し上げ、貴協会益々のご発展を祈念申し上げます。

 第28期第2回日中連続市民講座  「建国75周年の中国の今日―中国市民の生活と関心事」(12/21)  2024

 第28期第2日中関係を考える連続市民講座が12月21日、日中友好センター教室において開かれ、中国伝媒大学教授で長野ラジオ孔子学堂中国側代表の夏丹先生が「建国75周年の中国の今日―中国市民の生活と関心事」と題して講演しました。講座には30人が出席し熱心に聴講しました。

 夏先生は、はじめに、近代中国の歴史を振り返り、アヘン戦争以来の苦難の歴史を経て1949年ついに新中国が誕生したこと、そしてゼロからのスタートであった中国が紆余曲折を経ながら、1978年に鄧小平の改革開放路線に舵を切り、以来大きく発展変貌を遂げてきたことを紹介しました。経済の発展によって、80年代90年代に変化があらわれ、21世紀に入って人々の生活が大きく変化したことをそれぞれの段階で人々が欲した「三大器」(三種の神器)などの例を挙げてわかりやすく解説しました。また教育者の立場から、教育と就職システムの変化についても詳しく説明しました。人口減少と高齢化を迎えた中で高齢者の生活の様子、都市と農村の格差などについても体系的に映像を交えて解説しました。

 当日配布された資料は(1)中国経済の発展、(2)生活の変化、(3)教育と就職、(4)高齢者の生活、(5).科学技術、(6)経済発展がもたらした問題についてなどとなっており、現代中国を理解するうえで参考になると思われるので以下紹介したいと思います。

 こちらをクリック→建国75周年の中国の今日—中国市民の生活と関心事

 長野孔子学堂、「迎新晩会」(年末交流会)を開催(12/14)   2024

 長野ラジオ孔子学堂は1214日、ホテル信濃路において、49名が参加して、「迎新晩会」(年末交流会)を開きました。第1部では中国伝媒大学70周年記念式典訪問団報告と特別講演、第2部では交流懇親会が行われ、楽しく有意義な交流会となりました。

 はじめに、長野ラジオ孔子学堂を代表して、西堀正司学堂理事長(県日中会長)と中国側責任者の夏丹老師が2024年を振り返り、中国語を学びながら餃子粽交流会をはじめ様々な活動に取り組み、特に伝媒大学70周年記念式典参加訪問団12名を派遣し交流成果を収めたことなどを回顧し、新年を展望しながら楽しいひと時を過ごしましょうとあいさつしました。

 続いて、中国伝番大学70周年記念式典訪問団に参加した、長野教室の檀ノ原美月さんと松本教室の江島均さんが報告しました。檀ノ原さんは映像を使って、伝媒大学の様子や世界各国からも友人が参加して盛大に行われた70周年記念式典の様子を紹介し、特に印象に残ったこととして①状況に応じて自在に変化する対応②熱烈歓迎ぶり③おいしい中華料理④大きくて広い中国⑤EV車が多いことなどをあげました。江島さんは中国でも貴重とされている「白皮松」について興味深い話を紹介しました。

西堀会長は「我的故事(私の歩んだ道)」と題して自身が中国と北京放送を通じて出会い以後70年近くにわたって中国との友好交流に携わってきたことを紹介し出席者に感銘を与えました。

 1部の締めくくりにDVDで70周年記念式典出席と友好交流報告を鑑賞しました。 伝媒大学での式典で行われた「グローバルシンクタンクフォーラム」では、各国の代表者が集まる中、西堀会長が「文明対話フォーラム」でスピーチを行うなど大きな役割を果たしました。式典晩餐会は、数百名の方々が出席し盛大に行われました。

 第2部交流懇親会では孔子学堂文化講座の二胡教室で学ぶ皆さんによる二胡演奏発表とフルス(ひょうたん笛)演奏発表が行われました。漢詩の朗読発表、「剪紙(切り絵)」体験など盛りだくさんの内容でした。ビンゴゲーム、中国語歌曲カラオケも有りとにぎやかで楽しい交流会となりました。中国語の老師はじめ女性の皆さんがチャイナドレスを着て、会場は華やかな雰囲気に包まれていました。

  第28期日中関係を考える連続市民講座スタート(11/30) 2024

 第28期日中関係を考える連続市民講座が11月30日スタートしました。県内の大学や県日中友好協会などで作る県日中学術交流委員会主催で、毎月1回のペースで文化、歴史、経済関係などをテーマに明年3月まで計5回の講座が開かれます。第1回は長野大学の塚瀬進教授が、「日露戦争と満州」と題して講演しました。30名の受講者は熱心に聞き入りました。

 日露戦争の原因、経過について解説した後、この戦争に長野県民がどのようにかかわったのかを紹介しました。

1.日露戦争前の満州をめぐる状況
 1890年以降、ロシアが太平洋を目指して極東への東進政策を推し進める。1891年シベリア鉄道敷設開始、96年清朝から満州内を通る東清鉄道敷設権を得る。98年遼東半島の旅順・大連の租借権を獲得。一方日本は朝鮮を勢力圏にしようとしていた。
 1900年の義和団事件が起こる。欧米列強による中国への勢力拡大への反発→東清鉄道の破壊、ロシア人などへの襲撃→ロシア軍の侵攻→鎮圧後も満州に居座る→朝鮮を勢力圏としたい日本と対立激化。以上が日露戦争前の満州をめぐる状況だった。

2.日露戦争の経緯  1904年2月10日、日露開戦に至るが。その後の経緯は以下の通りであった。
①    3月 日軍第1軍が朝鮮に上陸し、5.1清国領に入り、5.3 旅順のロシア艦隊を閉じ込める閉塞作戦を実施しロシア艦隊の出入りを封じる。
②    5.5 日軍第2軍、ロシア艦隊の脅威がなくなったので、遼東半島に上陸し、8.30 遼陽への攻撃開始。9.4 遼陽占領(日軍=13万人:露軍=22万人)。
③    05年1.1 旅順の露軍降伏(日軍死傷者6万人)→3.1 奉天会戦始まる。3.10 日軍奉天占領(日軍25万動員、死傷者7万、露軍31万動員、死傷者6万)。
④    5.27 日本海海戦でバルチック艦隊壊滅、日海軍圧勝。
⑤    9.5 アメリカのポーツマスで日露講和条約
*ロシアでは05年1.9 圧政に反対する血の日曜日事件が起こって社会不安が広がっていて戦争どころではなかった。日本も戦争継続の余力がなく不可能だった。アメリカの仲介によって講和。国民は人的な被害と大増税に耐えて日露戦争を支えたが、賠償金が取れない講和条約に不満を爆発させ、日比谷公園で講和反対大会が開かれたが、暴動に発展した。

3.日露戦争下の状況
 現地にいたイギリス人宣教師『奉天30年』より:われわれの周囲には戦争が荒れ狂っていた。中国農民は自分たちの戦争でなかったが、被害は大きかった。
 どちらにも加担しなかったが、ロシアの軍政に飽きていたので日軍の進出で自由が回復されると期待した面もあった。
 日軍の従軍兵士の日誌より:マキの調達で、現地の中国人が抵抗し泣き崩れる様や戦闘において前線では見る間に死骸の山、友が即死する場面等が記されている。

4.日露戦争と長野県
 『軍事郵便は語る 戦場で綴られた日露戦争とその時代』(信濃毎日新聞社2021年刊)
  小県郡県村(現東御市)の母校の校長先生のもとに送られてきた550通余りの軍事郵便が残されていた。その中から2通を紹介。
  Kは、奉天会戦について「我が重砲兵も7、80名の死傷者を出したが敵は不意に退却したのであっけにとられました」と記し、Oは現地の清国人の悲惨な様子を書いている。(日清戦争後で清国人をさげすむ風潮が文面にも表れている。)
 『日露戦役忠勇列伝 長野県之部』
  長野県の死者総数は、2,328名に上り、その戦功(忠勇の様)が記されている。戦死者には、「功7級金鵄勲章、年金百円、勲八等白色桐葉章」が授けられているが、病死者には、年金等がないなど差がみられる。
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  明治維新後、富国強兵、欧米列強に伍してアジア侵出を進める出発点ともなった日露戦争の具体的な経緯と長野県とのかかわりを知る良い機会となりました。

 2024/25 ISU ワールドカップスピードスケート競技会・長野大会  中国チーム・選手へ熱い声援(11/22~25)  2024

 2024年11月22日から3日間 長野市オリンピック記念アリーナのエムウェーブにおいて 、5年振りに開催されたワールドカップスピードスケート競技会・長野大会には、世界26カ国からトップスターの多数が参加し、コンマ何秒差を競う迫力あるレースが展開されました。

 日本を代表する高木美帆さん吉田雪乃さんの活躍で大会も盛り上がりを見せ、中国からも男女合わせて19名の選手が参加しました。女子1500mで韓梅選手が2位に、男子1500mで寧忠岩選手が3位に入賞しました。

 長野県・長野市日中友好協会では、この機会に中国選手の応援をしようと関係者に呼びかけ、3日間に延べ27名の皆さんが競技会場の応援席から観戦し、中国チーム・選手に小旗を振りながら「加油(ジャーヨ!)(ガンバレ!)」の熱い声援を送り、日中友好の更なる推進を祈願しました。   (長野市日中友好協会 吉岡 弘海) 

  中華人民共和国建国75周年講演と祝賀のつどい、宮本元大使が記念講演(11/14)  2024

 長野県日中友好協会・県日中経済交流促進協議会・県日中学術交流委員会は11月14日、中華人民共和国建国75周年を記念して講演と祝賀のつどいを長野市内のホテル犀北館で開きました。講演会には、約100名が出席。元中国大使の宮本雄二先生(公益財団法人日中友好会館会長)を講師に迎え「新しい時代の新しい日中関係構築は可能か」と題して記念講演が行われました。終了後、先生を囲んでパネルディスカッションがおこなわれました。長年外務省アジア局中国課に籍を置き3度にわたる中国駐在経験を持ち、2006年から10年まで特命全権大使を務めた宮本先生ならではのお話で、建国75周年を迎えた中国の変化、日本と中国が置かれている国際環境、新しい時代の新しい日中関係のあるべき姿など今後の日中関係の在り方を考える大変良い機会となりました。

第1部の司会を大月良則・県日中友好協会理事長が務め、井出康弘・県中小企業団体中央会専務理事の開会あいさつに続いて、西堀正司・県日中友好協会会長が主催者を代表して、「本年、中華人民共和国建国75周年を迎えた。中国は急速な変化と発展を遂げ、国際社会において重きをなしている。日中国交正常化から52年を経過し、日中関係は様々な困難や課題に直面している。激動する世界にあって、日本も、米国も政権が変わり不確かな状況にある。宮本雄二先生を講師に迎え、平和で安定した日中関係を築くためにはどうしたらよいかをともに考えたい」とあいさつしました。布施正幸・県日中副会長が講師の宮本先生を紹介し、講演に入りました。

◇宮本雄二先生の講演「新しい時代の新しい日中関係構築は可能か」

 宮本先生は冒頭、長野県が歴史を踏まえ中国との関係を大切にし地方民間交流に力をいれ全国の模範的な交流活動を進めてきたことに敬意を表したいと述べ、激動する国際情勢の中で、これからどのように新しい日中関係を築いていくべきかについて、深い洞察に富むお話をしていただきました。(概略下記参照)

<はじめに>

私が当たり前と思っている中国の現状をお話しするとびっくりされることがある。日本の皆さんに中国の現状をお伝えすることが重要だと思うようになった。相手のことを理解しないとどのように付き合うのかがわからない。相手のことをとことん知ることは重要だ。経済も外交も同じだ。

<変わり続ける中国>

中国は中華人民共和国成立75周年を迎えた。この間紆余曲折はあったが大きなな成果を上げた。日本も支援したが、中国人自身が良くやった。過去の連続の中に今の中国がある。中国革命が成功し中華人民共和国が成立した。毛沢東の急進路線(文化大革命などの極左路線)は挫折し中国は混乱に陥ったが、鄧小平は改革開放路線で市場経済を導入し経済を大きく発展させた。しかし腐敗汚職などの問題も深刻化した。習近平は胡錦涛の解決できなかったこれらの問題にメスを入れ、党の指導体制の強化をはかり、「中国の夢」を実現しようとしている。世界大国となり国際社会の発言権も増大し3期目以降の長期政権体制を確立したように見えた。しかし現在、習近平路線が挑戦を受けている。ゼロコロナ政策は、コロナを抑え込んで経済への打撃を最小限に抑え成果を上げたとされたが、国民の信任を揺るがす事態を引き起こし、ゼロコロナ政策は突然終結した。さらに米国との対立も付け加わり経済の復活がうまくいかない。習近平の経済思想は「中国の特色ある社会主義市場経済」であり、中国的ガバナンス=すべて党が指導するということになるが、市場との対話は上手ではない。(胡錦涛時代までは、政治は経済に手を出さず市場原理に任せた。)習近平路線は曲がり角に立っており中国は現在少しずつ軌道修正しつつある。

この問題にメスを入れ、党の指導体制のタガをはめさらなる経済発展に導いた。GDP世界第2位となり国際社会の発言権も増大し3期目以降の長期政権体制を確立した。しかし現在、習近平路線が挑戦を受けている。ゼロコロナ政策は、コロナを抑え込んで経済への打撃を最小限に抑え成果を上げたとされたが、国民の信任を揺るがす事態を引き起こし、ゼロコロナ政策は突然終結した。さらに米国との対立があり経済の復活がうまくいかない。習近平の経済思想は「中国の特色ある社会主義市場経済」で中国的ガバナンス=すべて党が指導するということになるが、市場との対話ができていない。(胡錦涛は、経済に手を出さず市場原理に任せた。)習近平路線は曲がり角に立ち中国は現在軌道修正しつつある。

<世界を変えた中国の成功・発展と新たな問題>

 米国は中国を自分を超えることのできる初めての挑戦者ととらえられている。この点、民主党も共和党も変わらない。戦後の世界秩序をリードしてきた米国の相対的な力の低下が進み、習近平は鄧小平の韜光養晦(とうこうようかい)路線(才能を隠し時期を待つ)を放棄して、米国との対等の大国関係を目指している。トランプの米国は自国第一主義、世界への関与からの撤退を志向するが、米中関係の緊張は続く。米欧民主主義国の社会の劣化、グローバルサウス諸国の自信と自己認識の変化が進んでいる。中国は中国式歴史認識からくる過剰な自意識、すべてにおいて過剰に反応する。中国は自身ではそんな自覚はないが、東シナ海や南シナ海の島はもともと中国のものなのに、他国に占拠されていると思って行動しており、相手から見ると覇権主義だと映る。

<日中はどういう国際環境におかれているのか> 

日本と中国の発展を支えてきた戦後の国際秩序が動揺している。トランプの米国は、多国間主義からの離脱、保護主義(反自由貿易主義)など戦後の国際秩序(第3次世界大戦を防ぐための国際連合憲章、平等・平和、自由貿易等)を否定しようとしている。ヨーロッパも極右民族主義の台頭など一昔前のヨーロッパでなくなってきている。国連の一層の弱体化、ロシア、イスラエルの戦後国際秩序への正面からの挑戦、保護主義の台頭と世界のブロック経済化が進んでいる。歴史を振り返ると第1次世界大戦後の世界経済恐慌の後、経済のブロック化が進み、ナチスや日本の軍部などが台頭し、第2次大戦へ突き進んだ。1930年代の再来となるのか?弱肉強食の「ジャングルの掟」の時代に戻るのか!今分岐点に立っている。

世界の軍事衝突、特に米中の軍事衝突は世界の破滅につながる。

米中の軍事衝突の可能性はあるのか?中国は「1つの中国」の原則で台湾の独立は許さない。李登輝政権の時ミサイル演習を行い激しく反発した。クリントンは空母を派遣する一方「1つの中国」を守ると述べた。その後中国は米国と対抗するため軍備を増強し空母も所有しこれに対抗できるようになった。米国は州兵レベルでは台湾の軍隊の訓練を行っている。トランプは台湾支援を強化するだろう。米国が介入すれば日米安保条約によって日本も巻き込まれる。そうならないようにすることが日本の最重要課題だ。日中は関係が悪いときほど緊密な意思疎通を図る必要がある。最近、秋葉(国家安全保障局長)・王毅(外交部長)会談が行われた。最低限、信頼関係を保ち、意思疎通を図っていくことが重要。来年はハイレベルの日中対話が復活する。李強首相の来日、日本首相の訪中などが実現するだろう。石破政権は長続きしてほしいと思う。

トランプは米国第1主義で予測不能のところがあるが、米国憲法の規定によりトランプの3選はない。、4年間国際社会はこれに耐え教訓を活かすことが必要。米国の力は落ちており世界は米国の思い通りにならず相談せざるを得ない。ヨーロッパは極右、自国第1主義の台頭がみられる。日本は、相対的に見て安定した道を歩んでいる。

<新しい時代の新しい日中関係とは>

中国はどうか。中国は国連重視、国際法と自由貿易など現行の国際秩序を守ろうという立場だ。そうすると、日本と共通点がある。日中が手を結ばなければならないことになる。すなわち「戦後国際秩序の護持と発展」これは日中の「戦略的互恵関係」の意味するところでもある。日中両国は、同じ志を持った「同志国」を糾合し「戦後国際秩序の護持と発展」のために、努めなければならない。そのためにも安定した日中の平和、友好、協力関係を構築すべきである。日中は軍事安全保障、政治外交、経済、文化民間交流の各分野において必要かつ適切な対応をすべきである。日本の民間組織は、日本社会の対中認識の改善に最大限の努力をすべきだ。
 
◇宮本先生を囲んでパネルディスカッション

講演後、宮本先生を囲んで濱田州博諏訪東京理科大学長・前信州大学学長、足立正則飯山日中会長・前飯山市長をパネラーに、西堀正司・県日中会長がコーディネーター役をつとめ、パネルディスカッションが行われました。

濱田氏:中国と大学間交流をしているが、中国の大学は大きく変化している。信大留学したメンバーが留学生同窓会などを通じて交流しているケースもある。

足立氏:飯山市長の時、深圳市福田区と2000年以降、教育、卓球交流などを行ってきた。交流を通じて中国社会の状況変化を感じた。

西堀会長:河北省を訪問した際、長野県に留学し帰国後、河北省の行政、医学、農業などの分野で活躍している皆さんと懇談した。活躍ぶりに感心した。先ごろ広東省から農業と観光資源調査の団が来県した。交流に積極的だった。在日中国人は108万人に上る。大学卒業後の就職困難などの問題もあり、留学生も増加傾向にある。グローカル(グローバル+ローカル)の時代になり、国際交流においても地方が活躍する時代を迎えている。

 宮本先生:若い世代の失業率は高く、留学希望者も多い。日本としては中国人材の活躍を期待できる。(EV車の過剰生産問題と環境問題について)EV車は新規産業として一挙に多数が参加し、今でも100社位は残っている。激しい価格競争の事態となった。淘汰が進み、資本力の大きい企業が残っていくた。環境問題は大変難しいが、化石燃料依存から太陽光発電、風力発電、原子力発電などにシフトさせている。北京など青空が戻ってきた。(中国経済の現況、不動産バブル崩壊や失業問題について)統計だけでなく、現場感覚を大事にしている。政府の政策だけで判断するのでなく、経済人や街の人の声を聞いて判断している。不動産バブル崩壊への対処では世界の先例を研究している。政府は財政的に余力はあるがなかなか手を出さないできた。ここにきてテコ入れをしたようだ。企業家精神を尊重する方向に戻した。問題は、社会の雰囲気を変える結果を出せるかどうかだ。GDPは世界第2位、生産力製造業は第1位、人口は第2位、中国の活力は衰えていない。中国の人と物と金が日本に来る時代になった。(日中関係)90%弱が中国に好感が持てないという一方、6,7割が対中関係は重要だと考えている。このことを踏まえて、対中認識の改善に努めていくべきと思う。

参加者は熱心に耳を傾けました。平井利博・長野大学理事長が閉会のあいさつを行い、第1部を終了しました。

 第2部の祝賀パーティーは中沢保範・県日中事務局長が司会を務め、更科伸彦・県商工会議所連合会事務局長が開会あいさつ。西堀県日中会長のあいさつに続き、稲玉稔県国際担当部長、勝山秀夫県議の祝辞の後、川原一祐松本歯科大学長の音頭で乾杯し、なごやかに懇談交流しました。岡村重信前県経営者協会事務局長が締めのあいさつを行い、懇親会が終了しました。

  中国帰国者のつどい・秋のバスツァー  軽井沢白糸の滝と碓氷峠鉄道文化むら(11/10)   2024

 11月10日(日)好天の中、長野市中国帰国者三者連絡会(長野市、長野市中国帰国者の会、長野市日中友好協会)の主催で「長野市中国帰国者のつどい 碓氷峠鉄道文化むら等見学交流会」を行いました。

朝7時から観光バス2台が市内各地を巡回して乗車した86名(うち中国帰国者76名)が松代パーキングに集合して開会式を行いました。三者連絡会会長の金子繁三長野市日中副会長兼理事長、長野県帰国者交流センターを代表して布施正幸市日中副会長、三者連絡会副会長で中国帰国者の会会長の柳澤春生市日中副会長のあいさつの後、目的地へ出発しました。

軽井沢町の北、白糸の滝に向かう沿道はちょうど紅葉の盛りで、明るい日ざしの中到着しました。既に大勢の観光客で混雑する中、150mほどの坂道を上ると滝に到着します。浅間山に降った雨が6年かけて流れ出るという幅70mの滝の清流を見て、思い思いに写真撮影しました。大自然を満喫した後、バスに乗り込み群馬県に向かいました。

昼食は安中市の横川駅の南「おぎのやドライブイン」の碓氷峠名物「峠の釜めし」です。店内でおみやげも買って、近くの「碓氷峠鉄道文化むら」に向かいました。

1997年の新幹線開業前まで、軽井沢への急こう配に対応するため設けられていた横川運転区の跡に、碓氷峠で使われた車両のほか多くの鉄道車両が展示されています。ここで一同そろって記念撮影。
懐かしい「特急あさま」とも再会できました。鉄道資料館には大型の碓氷峠の鉄道ジオラマが展示されていて、精密さと雄大さに感銘を受けました。参観を終え、閉会式を行って一路帰途につき、それぞれ帰宅した頃は既に暗くなっていました。一年ぶりに懐かしい人たちが集まる楽しい旅となりました。 (長野市日中事務局長 塩入靖)

 新中国成立75周年記念、長野県日中友好訪中団派遣(10/15~20)  2024

 中華人民共和国成立75周年を記念して西堀正司県日中友好協会会長を団長とする長野県日中友好協会訪中団一行10名は10月15日から20日まで、北京市と河北省石家庄市、張家口市を訪れました。

北京市では、中国人民対外友好協会、中日友好協会を表敬訪問し、袁敏道副会長・秘書長の温かい歓迎を受け、親しく懇談しました。また、世界遺産の頤和園、北京動物園のパンダ参観もよき思い出となりました。

河北省では、王建峰省外事弁公室主任・省対外友好協会会長、劉暁軍省国際交流促進会らの温かい歓迎を受け、今後の交流について語り合いました。正定県の隆興寺は浄土宗の古刹で印象深く、塔元庄村は変化していく農村の姿を垣間見せてくれました。張家口市では陳冲市委秘書長主催の歓迎宴に続いて、22年冬季オリンピックが開催された崇礼区を案内され、国家スキージャンプセンターや張家口市氷雪運動学校(オリンピック時は選手村)を訪問し感慨を新たにしました。翌日のワイナリー参観も有意義なものとなりました。新旧友人の心のこもったご接待ご案内に感謝したいと思います。

 ◇友好を深めた北京、河北6日間の旅◇

 コロナ禍明け交流が再開されて2年目、落ち着いた雰囲気の中で、西堀会長新任のあいさつを兼ねての中国、北京市、河北省訪問6日間の旅でした。

10月15日午前10時、羽田空港第3ターミナルに集結した一行は、CA182便に搭乗して、北京首都国際空港に向かいました。旅行社の宋耀明さんに出迎えられました。中国人民対外友好協会設立70周年のお祝いのため北京滞在中の西堀会長とも合流し、空港近くのホテルで広東料理の夕食となりました。宿泊は長富宮飯店、ホテルニューオータニ経営のこのホテルは、日本の雰囲気を漂わせていました。

10月16日は中国人民対外友好協会・中日友好協会を表敬訪問しました。古くからの友人袁敏道副会長・秘書長や付博部長らに迎えていただき、打ち解けた懇談が行われました。

袁副会長:「皆様のご来訪を心より歓迎いたします。西堀先生の長野県日中友好協会会長ご就任おめでとうございます。長野県日中友好協会は設立以来60余年の長きにわたり、日中の平和友好に尽力されてこられました。昨年からコロナが明け交流が再開されました。河北省とは昨年友好県省40周年を迎えましたが、両省県の交流は全国の模範です。皆様の長年の友好のご尽力に感謝申し上げます。この度の河北省訪問が成果を上げられますようお祈りいたします。」

西堀団長:「新中国建国75周年おめでとうございます。日中友好協会も明年設立75周年を迎えます。中日友好協会の皆様と手を携えて友好前進を続けていきたいと思います。期せずしてこの度7代目会長に就任しましたが、ご協力をいただき責任を果たしていきたいと思います。日中関係発展のために今後共交流に力を入れていきたい。」

袁副会長:「1989年4月15日に長野を訪問し、西堀さんにようこそと出迎えていただいたことを鮮明に覚えている。胡耀邦さんが亡くなった直後でした。満開の桜を長野で初めて見ました。長野県日中の皆さんは友好活動に尽力されてこられた。長野冬季オリンピックの際もお招きいただいた。47都道府県の中で長野は先頭を走ってこられた。友好の基礎があり、西堀さんのような方がいて支えている。」

西堀団長:「中日友好協会との交流の思い出は尽きない。韓炳培さん賈慧萱さんとの交流も懐かしい。お互いに歳を取り、日中関係や交流手段もどんどん変化してきた。WeChatやアリペイ、新しい技術が登場し便利になった。この10月10日には、呉江浩大使の計らいで中国大使館において知事はじめ協会役員も参加して長野県・中国友好交流会が開かれた。河北省との交流やスキー交流、大学生高校生交流など有意義な交流がおこなわれた。明年の中学生卓球交歓大会などに取組んでいきたい。――――」話は尽きず、玄関前で記念撮影して、お暇しました。ここで、郭寧さんと再会できたのもうれしかったです。

 「東来順」で火鍋料理に舌鼓を打った後、世界遺産に登録されている頤和園を参観しました。「昆明湖」を掘り上げた土をもって人工の築山 万寿山をつくり中国各地の名園を模して造られた頤和園はまさに権力の象徴のような巨大な庭園・建造物でした。10月の国慶節連休直後にもかかわらず、全国各地からの観光客(年配者のツアー客が目立った)で園内は込み合っていました。回廊の中間地点から遊覧船に乗って対岸に向かいました。さわやかな湖畔の風に雄大な景観が映えました。

 続いて北京動物園にパンダを尋ねました。運よく筍と竹をセットにした食事の時間にあたり、4頭のパンダが宿舎から出てきました。私たちの目の前で、おいしそうに筍をむしゃぼるパンダは本当に愛らしい。パンダを何枚もカメラに収めて団員の皆さんも本当に満足そうでした。上野動物園のシンシンとリーリーが故郷の成都に帰って寂しい思いをしていたところだったので皆さん感無量でした。夕食は「北平盛世」レストランで北京ダックなど北京料理をおいしくいただきました。

 10月17日は、前夜、河北省から駆けつけていただいた紀竑さんの案内で、高速鉄道で石家荘に向かいます。北京西駅9時発のG93号に乗って10:01には石家荘駅到着です。電光掲示板には、時速350㎞と表示されていました。石家荘駅で董彤さんらの出迎えを受け、河北賓館に向かいました。

 王建峰省外事弁公室主任・省人民対外友好協会会長主催の歓迎昼食会が開かれました。王主任は一行を熱烈歓迎した後「先日、友好協会設立70周年の記念行事の時、西堀会長と雄安新区でお会いしましたので2度目の再会です。10月は美しい季節であり収穫の季節です。西堀会長には7代会長就任おめでとうございます。西堀会長は古い友人で河北省では超有名人でありお会いしたいと思っていました。長野県日中友好協会の皆様は長らく河北省の発展、両県省の友好発展のために貢献されてきました。昨年友好県省40周年の際は阿部知事とともに訪問され、友好継続発展を約束しました。また洪水被害に際し義援金をいただきました。ご支援に感謝申し上げます。中日友好協会の唐家璇会長は両省県の交流は地方交流のモデルケースと述べました。昨年は省長とともに洪水対応で留守にしておりましたので、会える機会を作りたいと願っておりました。3月に張家口市アルペンジュニア選手団が招待され長野県を訪問し歓迎を受けました。皆さんは明日冬季オリンピックが開かれた張家口市崇礼区を訪問します。明年5月の大阪万博の際、河北省代表団は大阪参観ののち、長野県を訪問する予定です。皆様と長野で再会しましょう。」

西堀団長:「歓迎に感謝します。数日前にお会いして、こうして今日また再会できました。1983年、長野県と河北省は友好県省を締結し、40年余りが経過した。友好協会は平和友好の理念のもと友好交流を進めてきた。戦中の不幸な時代の反省に立って1956年長野県日中友好協会が設立され以来、地方民間交流に取り組んできた。明年5月の大阪万博に際し長野県を省長さんに訪問していただきたい。青少年交流、スキー交流、8月には中学生卓球交流も予定されている。手を携えて可能な交流を積極的に進めましょう。」

王主任:「この度皆さんは、正定県と張家口市を訪問されますが、正定県は三国志に出てくる趙雲の出身地です。張家口市は古代文化発祥の地で農業と牧畜が盛んです。冬季オリンピックのご縁で長野県との友好都市も希望しています。」

布施秘書長:「ナウマンゾウの化石が張家口から出土したとお聞きしました。信濃町の野尻湖湖畔でもナウマンゾウの化石が出ます。古代、大陸と日本列島が陸続きだったころから行き来があったことを思うとロマンがあります。」

話題は尽きず長野での再会を約束してお暇し、正定県に向かいました。正定県城はもともと石家荘地区にあっては中心の地でした。(石家荘は石門と呼ばれていて、現在のように発展を遂げたのは、鉄道の分岐点ができ交通の要衝となったからといわれる。)習近平主席が若かりし頃、党書記として活躍していたことがあり、注目されています。

立派な城壁が再建され正定県は大きく風貌を変えました。まず隆興寺を参観しました。寺の起源は隋代にまでさかのぼりますが、主たる建造物と仏像などは宋代のものと言われます。浄土宗の極楽浄土図、宋の太祖趙匡胤が喜捨した巨大な銅製の千手観音立像など国宝級の宝物が安置されていて、参拝者を飽きさせません。紀さんが丁寧に通訳案内してくれました。

その後、塔元庄村を訪れました。全国からの視察団が訪れるモデル農村になっており、村の歴史や現状が分かりやすくパネル展示されていました。

石家荘市内に戻って、河北省国際交流促進会の劉暁軍会長の招待宴にお招きいただきました。劉会長は元省外事弁公室主任、石家荘市副市長、名古屋総領事などを歴任された方であり、信州大学に留学した経歴の持ち主でもある、私たちの古い友人です。国際交流促進会は誕生間もない組織だそうですが、豊富な体験を持つ劉先生がこうした交流組織で活躍されることを大変うれしく思いました。この宴席には呂暁梅省友好協会の前副会長も列席され楽しいひと時を過ごしました。

ホテルに戻ると、懐かしい旧友梁国輝さんをはじめ李国方・劉梅海・孫風国さんが迎えてくれました。シシカバブー(串焼き)を肴に乾杯を繰り返し、互いの健康を祝しました。定年退職後も、週2日のバトミントン、体験を活かしての活躍の様子をお聞きし、うれしく思いました。

10月18日、石家荘を後に張家口へ向かいました。山西省の太源・大同経由で張家口まで乗り換えなしに高速鉄道で向かいました。紀竑さんと董彤さんも同行していただき安心の旅です。

石家庄から太原まではノンストップで1時間余り、25分間の停車、ホームに出て思い思いに記念撮影。ここでスイッチバックで進行方向が反対になり、椅子の向きも変わります。右に太行山脈、左手に陝西省黄土高原を見ながら大同へ向かいます。車窓の景色に見とれながら、思い思いの懇談をしているうちに、列車はいつの間にか大同を過ぎて河北省張家口市の領域に入りました。12:49張家口駅に到着すると、市外事弁公室の李建鵬主任一行が出迎えてくれました。

張家口興垣維景国際大酒店で陳冲市党委秘書長の主催で歓迎昼食会が行われました。  

陳秘書長は、一行を熱烈歓迎した後、張家口で1998年の長野、2018年の平昌についで冬季オリンピックが開催されたことに触れ、両市の縁を強調しました。続いて張家口市が3,8万㎢、人口400万人を有し、中華民族の発祥の地であること、崇礼区を中心にオリンピックの郷として氷雪文化スポーツ、冬季と並んで夏季の観光にも力を入れていること、風力・太陽光・水素発電など70%をグリーンエネルギーで賄い雄安新区に電気を供給していること、テンセントやアリババ、バイトバンスなどのIT企業やボルボの自動車エンジン生産基地があることなどを紹介しました。西堀団長は、冬季オリンピックの成功を祝すとともに、今後ともスキー交流を柱に交流を深めていきたいと述べました。団員一人一人に各自の干支にちなんだ蔚県の剪紙(切り絵)の額をお土産にいただきました。蔚県の剪紙は中国の国家級無形文化遺産として有名です。皆さん感激していました。

この日の午後、バスで、市の中心から冬季オリンピックスキー競技開催地崇礼区へ向かいました。高速道路が山間を縫って気持ちよく通っていて、1時間15分で崇礼区国家スキージャンプセンターに着きました。山を背に、巨大なジャンプ台が建設されていて、その威容は圧巻です。ラージヒルとノーマルヒルのジャンプ台が併設され、スタート台の上に巨大な円盤様の銀色の建物が配置されていて、ここは展示室、会議室、レストランなどとして活用されています。全景が如意の形に見えるので「雪如意」と名付けられています。

続いて、オリンピック選手村であったところに案内されました。ここは現在張家口市氷雪運動学校として近隣の優秀人材を集めスキー選手の育成を進めています。施設を参観した後、李建鵬市外弁主任が交流会を主催し、郭志煒校長が歓迎のあいさつと学校の紹介をされました。郭校長は市体育局長、市政協副主席でもあります。

郭校長:「3月に張家口市アルペンスキージュニア選手団が長野を訪問し歓迎いただき感謝します。氷雪学校は雲頂、万龍スキー場にも近く、選手が宿泊もできる選手育成の学校です。スキーやロッククライミングなどの選手養成コースがあります。施設及びソフト面で優れたものを有しています。今後の双方の交流を提案したい。①トレーニングと試合の交流、②長野県ジュニア選手の訓練隊の受け入れ、③国際競技大会の合作、アルペン、ジャンプなどFISに共同で申請したらどうかと考えています。」

西堀団長:「施設を参観させていただき感謝します。双方は冬季オリンピックを成功させその成果を踏まえて協力を発展させていきたい。3月の張家口市アルペンジュニア選手団を受け入れましたが成果はいかがでしたか。友好協会としては、県や県スキー連盟とともに県日中スキー交流委員会を設立して中国とのスキー交流を進めてきた。今後共未来に向けて交流協力を発展させていきたい。スキー交流は成果を出すのに時間が必要。相互主義の原則で進むのが良いと思うが、経費の問題などがあるので、今後相談しながら関係者の協力のもと検討していきたい。」

郭校長:「3月ジュニア選手団がお世話になりました。成果を上げることができました。互恵関係で行うことについて、当学校は宿舎を提供することができます。雲頂スキー場は私営のため基本は自費となります。スノーボード。ハーフパイプ施設は、満杯で難しい。アルペン、クロスカントリー、ジャンプは受け入れやすい。今度のシーズン中にハーフパイプ、ジャンプ、アルペンのアジアカップを行う予定。中日韓3か国の試合も実現できればうれしい。」

劉康副校長:「3月のジュニア選手団はレベルアップが早かった。11名は河北省のジュニアチームに入れたし、その中でも上位に入っている。ハイレベルなコーチの指導の賜物と感謝している。」

今後とも連携を密にして交流していくことを約束して、学校を後にしました。

崇礼賓館では李建鵬市外弁主任が夕食会を開いてくれました。日中両国の歌も飛び出し和やかな交流夕食会となりました。

10月19日は、ワイナリーをご案内いただきました。利世G9国際荘園と国営の中国食糧長城桑干酒荘という2つの対照的なワイナリーを参観しました。張家口はワイン製造の歴史が長く、「長城ワイン」は広く知られています。驚いたのは長城ワインの規模が大きかったこと、そして利世G9国際荘園が世界的な有名ブランドワイナリーとして世界の有名ワイナリーと交流し活躍していたことです。質を追い求めるをモットーとしていて、中国の今を感じさせる企業でした。本部はヨーロッパの城を連想させる建物の中に置かれ、ホテル機能も有し、高級イメージが漂っていました。

李主任には張家口滞在中ずっと同行案内していただきました。長城桑干酒荘での昼食会でも「皆さんをご案内できうれしく思います。張家口と長野はスキーやワイン、観光さらにナウマンゾウの化石など関係が深いことを実感しました。友好都市提携も実現できれば素晴らしい。」とあいさつされました。

西堀団長も温かい行き届いた歓迎ご案内に感謝し、「交流は立ち止まることは許されません。スキー、青少年交流など未来に向けて双方知恵を絞って交流を進めていきましょう。今回の訪問を通じて新しい発見もありました。交流を通じて一層理解を深めて協力していきましょう。」と述べました。

李主任一行の見送りをいただいて、張家口駅と北京北駅の中間に位置する懐来駅からG2548次高速鉄道で北京に向かいました。

北京北駅には旅行社の李爽さんが出迎えてくれました。北京空港ラマダホテルでの最後の晩餐は紀竑さん董彤さんを交え旅の思い出を語り合い、感動のひと時でした。

10月20日早朝ホテルを出発し、北京首都空港へ。紀竑さん、董彤さん、李さんらのお見送りをいただきながら再会を約し、お別れの握手に力が入ります。搭乗手続きを済ませ、CA133便で羽田へ飛び立ちました。思いで深い6日間の友好の旅は無事終了しました。

  第42回中国語スピーチコンテスト長野県大会(10/13)   2024

 10月13日、長野県日中友好協会ラジオ孔子学堂の主催による第42回中国語スピーチコンテスト長野県大会が信濃教育会館講堂で開催され、高校生や大学生・一般社会人14人が出場しました。

朗読部門には高校生の部3人、一般の部3人が出場、それぞれ全国統一課題文を発表し発音や表現力、熟練度を競いました。

 スピーチ部門には大学生・一般の部に8人が出場し、自作文で内容や表現力を競いました。中国語学習を通じて感じた文化の違いや日本人と漢文の関係など様々なテーマで熱弁をふるいました。

スピーチ部門で優勝したのは、小林美月さん。「初めてを恐れない」をテーマに取り上げました。「高校生まで特段夢がなかったが、大学で中国語を学んで面白さにのめりこみ、南京への留学に挑戦。中国語を学ぶことで変わることができた」と振り返り、流暢な発表で好評価を得ました。2位の檀ノ原美月さんは「中国語学習を通して見えてきたこと」と題して、日本人はありがとうを何度も言うが、あるとき中国友人から、そんなに何度も謝々を言ったんでは価値が薄れると言われ、今まで気が付かなかったことを考えさせられたなどと発表しました。

 審査委員長の夏丹さんは講評の中で、出場者のチャレンジ精神をたたえた後、「ほとんどの方はピンイン、声調が上手にできていた。イントネーションが流暢でジェスチャーを交えて発表した方もいた。朗読部門の課題文は難しかったと思うが皆さんよく頑張った。スピーチ部門は内容や文法もよかった。中国語を学ぶ体験などを取り上げていて興味深く聞いた。課題として中国語は有気音と無気音のちがいに留意することが大切。また身につけた中国語をどんどん使って中国の友人を作ってほしい」と、述べ激励しました。

 布施正幸運営委員長は冒頭の主催者あいさつで「勇気をもってチャレンジされた出場者に感謝したい。中国語の学習を通じて中国の魅力を発見し、相互理解を深め、日中友好の輪が広がることを期待している」と述べました。

 入賞者は次のとおりです。
◇スピーチ部門 ①小林美月 ②檀ノ原美月 ③松本卓斗 (奨励賞)清水浩 (敢闘賞)岩田妮可・金井大和

◇朗読部門 高校生の部 ①小渕洋子 ②和田雪花 ③堀口瑞姫
◇朗読部門 一般の部 ①関崎朋子 ②宮沢一三 ③塚田道子

 入賞者には賞状と副賞が贈られました。成績優秀者は来年1月の全国大会に推薦されます。出場者全員に、参加賞が贈られました

 中国大使館で長野県・中国友好交流会を開催、友好を深める(10/10)   2024

 長野県と中国大使館の共催で、10月10日、午後6時から8時30分まで中国大使館で初の長野県・中国友好交流会が開かれました。この会は、長野県内の日中友好交流関係者と在京の中国関係者との交流を通じ、相互理解の促進等を図るとともに、長野県の魅力を中国に向けて発信する貴重な機会でもあります。

交流会には長野県側から阿部守一県知事、長野県日中友好協会、中国と友好関係を結ぶ市町村、中国の大学と学術協定を結ぶ大学関係者、中国とのスキー交流関係者、観光事業者等の長野県企業関係者、県内大学生ら60余名が参加し、中国側は、呉江浩駐日中国大使、経済貿易関係者、航空会社関係者、華僑華人企業・団体、文化観光関係企業・団体、中国人留学生など50名余が参加し盛大なものとなりました。

 第1部は大使館ホールにおいて行われ、冒頭呉大使と阿部知事があいさつしました。引き続いて「長野県と中国の友好交流の歩み、長野県の魅力プレゼンテーション」が行われました。第2部は会場を移して「立食懇親会」が行われました。ロビーには、長野県と中国の友好交流の歩みのパネルが展示されていました。

 呉大使は、阿部知事はじめ出席者を熱烈歓迎した後、「今回の友好交流会は、昨年5月長野県を訪問した際の阿部知事との約束。長野県は中日友好の活動を全国の先頭に立って行ってきた。阿部知事、山岸県会議長さんの民間友好への支持も強い。昨年8月の阿部知事の訪中はコロナ明け初の中国訪問された知事だった。今回の友好交流会はいろいろな工夫を凝らして行われている。普通の交流ではなく今後の交流につながるように、中国を代表する経済界や観光関係者に参加してもらっている。本日の交流イベントを通じて、今後の協力を進めていきたい。中国国内での日本紹介イベントを行うに際しては、まず長野県を思い浮かべてほしい。観光会社の大手も参加しているので今後の相互交流に役立つと思う。中日関係は友好発展の大事な時を迎えている。ラオスでの日中首脳会談では戦略的互恵関係を推進し、建設的かつ安定的な日中関係を築くことを確認した。関係改善の兆しが見える中で、一層友好発展に努めていきたい」とあいさつしました。

阿部知事は、呉大使の温かいおもてなしに感謝した後、「昨年河北省を友好県省40周年で訪中し、観光、スキー卓球、学生交流をはじめとした各分野の交流を今までの成果の上に立って今後も継続発展させていくことを約束した。中国大使館のご支援あってのことと思っている。未来に向けてより深い交流を進めていきたい。長野県は県日中友好協会はじめ官民協力しての交流に特徴がある。今後共、中国の皆さんとの積極的な交流を進めていきたい。日中両国の政府レベルの交流を支える地方民間交流、心の通う顔の見えるあたたかな交流、信頼関係増進のために先頭に立って尽力していきたい。長野県と中国との関係がより良くなっていくことを心から願っている」とあいさつしました。山岸喜昭県議会議長、羽田次郎参議院議員が来賓として祝辞を述べました。

中村徹県企画振興部長より長野県の概況説明、長野県と中国の友好交流の歩みが紹介され、続いて、加藤浩県観光スポーツ部長より長野県の観光紹介、山浦義晴営業局次長より郷土食、酒、味噌、果物などの紹介が行われました。

 続いて、河北省や雲南省との学生交流の報告が長野県立大学の柳沢奈々子さん、西尾美由さん、小林美月さん、長野大学の内藤武さんによって行われました。

  王家馴在日中国企業協会会長が中国側来賓を代表してあいさつし、「大使のおっしゃった様に、今後長野県を重視していきたい。長野県は豊かな自然、優れた人材を有している。白馬や野沢温泉などを訪れたことがあるが素晴らしかった。長野県の産業、観光など発展に貢献していきたい。北京オリンピックの聖火リレーの思い出もある。チャーター便も実現し観光旅行も進めたい。現地を訪問して相互に理解を深めていきましょう」と述べました。

 第2部の懇親会では、おいしい中華料理とともに長野県側からもワインや日本酒、旬の果物、おやきなどの郷土料理が準備されていて、好評でした。また西原さんのそば打ちパフォーマンスには大きな拍手が送られました。会場のここかしこで和やかな語らいが続きました。大使や知事の周りには参加者が次々と集まり記念撮影が行われました。予定時間は瞬く間に過ぎ、最後に締めのあいさつを布施正幸県日中友好協会副会長が行い閉会となりました。

 <長野県日中友好協会布施副会長のあいさつ>

本日は呉大使の格別なご配慮と温かいおもてなしに深く感謝申し上げます。また本日の友好交流会の円満な成功のためにご尽力いただきました皆様に感謝申し上げます。
 本年は中華人民共和国成立75周年にあたります。心から祝賀申し上げます。日中友好協会も明年、成立75周年を迎えます。友好協会は日中戦争に対する真摯な反省を踏まえて、日中不再戦、新生中国との平和友好を願い、東西冷戦の厳しい環境の中でしたが、国民の期待をバックに船出しました。長野県日中友好協会もこの願いを体現してスタートいたしました。
 長野県は戦前、満蒙開拓団の送出が全国一の3万3千人を占め、敗戦時の悲惨な逃避行の中でその半数がなくなりました。負の歴史の教訓から、中国との平和友好を願う社会的基盤が広く存在しています。ご覧いただきました展示資料や中村県企画振興部長の報告のように長野県は、阿部知事や歴代知事、県議会の支援の下、官民協力して、中国河北省との友好県省交流事業、中国とのスキー交流事業はじめ青少年交流、緑化協力、農業技術交流、経済交流、文化スポーツ交流、医学交流などに取組んできました。大使館のご支援もいただきながら有意義な成果を収めることができました。大学生の皆さんによる交流発表は友好の未来に期待が持てるものでした。
 今後とも、周恩来総理が大切にされていた「前事不忘、後事之師」の精神を胸に刻み、交流を継続発展させ、中国との相互信頼増進に努め、平和友好の道を粘り強く歩み続けていきたいと思います。引きつづきご支援ご指導のほどお願い申し上げます。
 最後に、大使はじめ大使館の諸先生方のご健勝ご活躍をお祈り申し上げ、閉会のごあいさつとさせていただきます。ありがとうございました。


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