建国75周年の中国の今日—中国市民の生活と関心事

                               2024.12.21  夏 丹

 皆様こんにちは!私は夏丹(シャタン)と申します。中国伝媒大学から参りました。本日は、中国の現状について皆様にお話しさせていただきます。本講演にご参加くださった皆様にお礼申し上げます。

◇中国と日本の古代の交流

 ご存じの通り、中国は歴史の長い国であり、古くから日本と交流を持ってきました。中国の古代文献によると、西暦57年に日本列島の使者が中国を訪れた記録があります。その後、1400年前の唐代には中日間の交流がさらに密接となり、約200年にわたり12回、総勢6000人以上の遣唐使が中国を訪れました。

 ◇近代中国の歴史と新中国の成立

 古代から中国は世界において重要な影響を持つ国でしたが、19世紀中頃(1840年のアヘン戦争)以降、西洋列強が中国に進出し始め、中国は戦争の時代に突入しました。同じ頃、1853年にはアメリカのペリー提督が黒船を率いて日本に来航しており、当時は中国と日本双方が外部からの圧力を受けていました。この時代から中国は急速に衰退し、貧困に陥りました。清朝末期から20世紀半ばまで約100年間中国は植民地・半ば植民地の苦難な時代でしたが、1949年、ついに新しい中国が誕生しました。

 1949年10月1日、毛沢東主席が天安門の城楼で「中華人民共和国の成立」を宣言しました。

 第一章、 中国経済の発展

 建国から75年、中国のすべてが大きく変わりました。ここでは、特に経済発展に焦点を当ててご紹介します。

 建国当初、中国は完全な農業国であり、目立った工業施設がほとんどありませんでした。当時、繊維産業を除いて、まともな工業製品もありませんでした。しかし、1956年にソ連の支援を受け、初めて自動車が製造されました。 経済が本格的に発展し始めたのは、1978年末に鄧小平が改革開放政策を提唱してからです。その少し前の1978年10月、鄧小平は日本を視察し、日本の近代化に学ぶ必要性を痛感しました。彼は日本の製鉄所(新日鉄)を視察し、中国も同様の製鉄所を建設することを提案しました。そしてその後、日本の支援を受け、上海に「宝山製鉄所」が建設されました。このプロジェクトは建国以来最大規模のものでした。 日本は中国の経済発展において非常に重要な役割を果たしました。
 統計によると、日本は中国への援助額が世界で最も多い国であり、その援助は中国の経済発展に大きな影響を与えました。中国国内の病院、鉄道、港湾、地下鉄、製鉄所の建設において、日本からの資金や技術援助が多く利用されました。
  
2001年に中国が世界貿易機関(WTO)に加盟したことで、経済発展はさらに加速し、その成長速度は1950年代から1970年代の日本に似ています。

◇中国経済の現状

 いくつかの数値から中国経済の成長速度が分かります:
 1986年:中国の国内総生産(GDP)は1兆元 。 2000年:10兆元を超える。2023年:126兆元を超える。  
 2010年以降、中国のGDPは日本を超え、世界第2位の経済規模となりました。ただし、一人当たりGDPではまだ世界69位であり、特に山間部など一部地域では貧困が残っています。

 また、中国の生産力が急速に向上したことで、多くの製品が国際市場に出回るようになり、対外貿易も大きく変化しました。2023年、中国の貿易総額は約6兆米ドルに達し、世界一位となりました。輸出だけでなく、輸入も活発に行われており、昨年の輸入総額は約2.56兆米ドルでした。

 ◇日本は中国の主要貿易相手国の一つ

 日本はアメリカ、韓国に次ぐ、中国の第3の貿易相手国です。2023年の日中間の貿易総額は3100億ドルを超えています。

◇貿易総額の推移

 2023年の約6兆ドルの貿易額と比較すると、1978年の中国の貿易総額はわずか206億ドルに過ぎませんでした。しかし、2013年以降、中国はアメリカを追い抜き、世界最大の貿易国となりました。

◇貿易構造の変化

 この数十年間、中国の対外貿易は金額の増加だけでなく、貿易構造にも大きな変化が見られます。40年前、中国は農産物、石油、石炭、繊維製品を大量に輸出し、これらの初級製品から得た外貨で機械設備を輸入していました。例えば、2005年当時、中国の商務部長官が「8億枚のシャツを輸出してようやくエアバス1機を購入できる」と語ったことがあります。しかし現在では、中国は大量の穀物、石油・天然ガスを輸入し、逆に自動車やコンピュータ、スマートフォンなどの機械・電子製品を輸出するようになりました。

◇中国の主な輸出品目

 現在、電子製品が中国の最大の輸出品目です。2023年には、スマートフォンの輸出額は1388億ドルに達し、2024年1月から10月の間で累計輸出台数は66200万台を超えました。また、2023年には中国は500万台以上の自動車を輸出し、日本を抜いて世界最大の自動車輸出国となりました。

◇中国の自動車産業の発展

 中国は1950年代にソ連の支援を受けて初めて自動車を製造しました。2000年以降、自動車生産量は急増し、2023年には生産・販売台数がそれぞれ3000万台に達し、15年連続で世界一となっています。今では多くの中国家庭が自家用車を所有しており、国慶節や春節などの大型連休には車で旅行する人が急増します。この時期、中国の高速道路では大渋滞が発生し、道路が数十キロにわたる「駐車場」と化すことがあります。その結果、人々は車を降りて体操やトランプを楽しむ光景が見られ、近隣の住民が飲み物や食べ物を販売することもあります。

◇中国の輸入品

 中国の輸出が急増する一方で、輸入も急激に増加しています。特にエネルギーや穀物の輸入額が最も多く、中国は現在、世界最大の原油輸入国となっています。穀物の輸入では、昨年は大豆だけで600億ドル、約1億トンを輸入しました。この数字を想像すると、大豆が山のように積み上がる光景を思い浮かべてしまいます。

◇世界の「工場」としての中国

 現在、中国は世界最大の製造業国家であり、最大の貿易国でもあります。「世界の工場」とも呼ばれ、ほぼあらゆる製品を製造する能力を持っています。さらに、多くの製品の生産量では世界一を誇っています。私はこれまでにヨーロッパ、アフリカ、アジア、アメリカなどを訪れましたが、どの国のスーパーマーケットにも中国製品が多数並んでいるのを見かけます。時には、外国で購入した商品が実は「中国製」だったということも少なくありません。

第二章、生活の変化

◇経済発展がもたらす生活の向上

 経済の発展やGDPの増加は、単なる数字上の成長に留まらず、国民の生活にも大きな変化をもたらしました。

 1. 1990年以前の生活:配給制の時代
 1990年以前の中国では、収入が低く物資も不足していたため、生活必需品は制限付きでしか購入できませんでした。当時、中国ではお金だけでは商品を買うことができず、政府が家族構成に応じて配布する「配給券」(商品券)が必要でした。例えば、米や小麦粉には「食糧券」、肉には「肉券」、衣類や自転車、石鹸、トイレットペーパー、洗剤、マッチなどの日用品にも専用の券が必要でした。
その時代、人々は大晦日や春節などの特別な日でない限り、肉を食べることは難しかったです。私自身もその時代を経験しましたが、今振り返るとまるで夢のようです。1989年1月から「肉券」制度は順次廃止され、北京では1993年に「食糧券」が廃止されました。

 2. 現代の生活:物資の充足
 現在、中国の商店には商品が豊富に揃い、外国製品も多く見られるようになりました。日本のスーパーマーケットのように、値引きセールを行う店舗も増えています。

◇「食」の変化 食糧供給の安定と健康志向

 食糧券や油券の廃止により、食糧供給の不安は解消されました。中国の食糧生産量は1978年の3億トンから1996年には5億トン、2023年には7億トン近くに増加しています(図7参照)。
 また、現在では「健康的な食事」が注目されています。例えば、かつて大米や小麦粉が不足していたために主食として食べられていたトウモロコシ粉は、現在では主に家畜の飼料として利用されています。しかし、健康食品として再び人気が高まり、高額で購入されることもあります。一方、以前は入手困難だった肉、特に脂肪分の多い部位は、現在では毎日でも食べられるようになりましたが、健康志向の高まりとともに控えられることも増えています。

◇「衣」の変化

<かつての衣服事情>
 30〜40年前、多くの家庭では一人が持つ衣服の数は少なく、一着を何年も着続けるのが普通でした。子どもが多い家庭では、兄の服を弟が着回し、破れた服を修繕してさらに使うことが一般的でした。新しい服を購入するには「布券」が必要で、布の供給量が限られていたため、服の数やデザイン、色も非常に限られていました。当時、若い女性ですら、青、緑、黒の3色の服しか持っていないことが普通でした。新しい服を手に入れるのは春節の時だけ、という家庭が多かったのです。

 <現代のファッション>
 現在では、街中に多種多様な服を取り扱う店舗が溢れ、若者を中心に個性豊かな服装が見られるようになりました(図7参照)。東京やパリで流行したファッションが、1週間後には北京や上海で見られることもあります。
 また、中国の大都市には多くの国際ブランドの直営店があり、人気ブランド「イッセイミヤケ」も例外ではありません。以前は中国の友人に頼まれて東京でこのブランドの服を購入することがありましたが、現在では北京に5〜6店舗があり、多くの商品が現地で購入可能になっています。

◇住居の変化

 中国人の住居面積はこの数十年で大きく拡大しました。以前、北京や上海のような都市では、住居は深刻な問題でした。一家4~5人、子供、両親、さらには祖父母までが、一つの部屋に住むことも珍しくありませんでした。その部屋にはトイレもキッチンもなく、子供が成長して結婚した場合でも、簡単な材料で小さな部屋を増築し、ベッド一つ置ける程度のスペースを確保するだけでした。
現在では、状況は一変し、都市の至るところで高層マンションが建設され、古い住宅はほとんど見られなくなりました。結婚した子供たちは親と同居することは少なく、ローンを組んで新しい家を購入するのが一般的です。農村部では、以前は藁や土を使った簡素な家が多く見られましたが、現在ではそのような住居はほとんどなくなりました。価格の面で都市部より有利なため、農村部の家は一般的に都市の住宅より広い傾向があります。

◇交通の変化

 近年、中国で特に顕著な変化が見られるのは交通分野です。中国は国土が広いため、交通は長年にわたって課題でした。以前、都市部では通勤や通学の際、バスが非常に混雑し、乗れないこともよくありました。一方、農村部では交通手段が乏しく、移動はさらに困難でした。
 現在、多くの中国の都市に地下鉄が整備され、バスも多くなり、移動が便利になっています。多くの家庭が自家用車を所有するようになり、都市部では自家用車で通勤する人が増えています。ただし、駐車場不足という問題も東京と同様に発生しています。
 長距離移動では、鉄道が引き続き重要な交通手段です。以前は列車の速度が遅く、たとえば北京から上海まで十数時間かかりました。しかし、2008年から中国では高速鉄道の建設が始まりました。日本の新幹線に比べてスタートは遅かったものの、非常に速いペースで発展し、2023年末には総延長4.5万キロに達し、世界最大の高速鉄道ネットワークが完成しました。現在では、北京から上海までの距離約1,200キロメートルをわずか4~5時間で移動できるようになっています。

◇結婚の「三種の神器」の変化

 中国人の生活スタイルの変化について語る際に、ここ数十年で中国人の結婚に関する興味深い変化を紹介します。
結婚は人生の中で最も重要なイベントの一つです。中国では結婚する際、「三種の神器」を揃えることが重要とされています。この「三種の神器」は時代によって異なり、それぞれの経済発展レベルを反映しています。この変化を通じて、中国の発展の過程を知ることができます。

<1950年代の「三種の神器」>
 1950年代の結婚は、親戚や近所の人々を招いて一緒に祝う程度のものでした。新婦は花轎(花嫁用の輿)に乗り、唢呐(中国の伝統的な楽器)を吹き、招待客にお菓子を配るのが結婚に欠かせない三つの要素でした。

<1960年代の「三種の神器」:36本の脚>
 1960年代になると、結婚には「36本の脚」を揃えることが必要でした。36本の脚とは、ベッド、タンス、五斗橱(衣装棚)、テーブル1つ、椅子4脚を合わせたものです。これらの家具が揃っていることが結婚の条件とされました。この時代の家具は多くが手作りで、木材を購入して知人に依頼するのが一般的でした。

<1970年代の「三種の神器」>
 1970年代には、「腕時計、自転車、ミシン」が結婚の三大器となりました。ミシンは衣服の補修や手作りに欠かせないものでした。当時、これらを揃えるには多額の費用が必要で、若い世代は結婚前に数年かけて貯金をしていました。

<1980年代の「三種の神器」>
 1980年代には、電化製品が普及し始め、「冷蔵庫、テレビ、洗濯機」が三種の器となりました。ただし、当時のテレビは白黒で、画面も9~12インチ程度の小型のものでした。この時代、日本製の家電(松下、東芝、ソニーなど)は最も人気がありました。

<1990年代の「三種の神器」>
 1990年代には生活水準が向上し、「パソコン、エアコン、バイク」が新たな「三種の神器」とされました。さらに、ビデオデッキも加えられることがありました。この時期、私自身も結婚しましたが、テレビ(21インチのソニー製カラーテレビ)、小型冷蔵庫、洗濯機などを揃えるのに必死に貯金をしました。

<2000年代以降の「三種の神器」>
 21世紀に入り、中国の経済発展が加速する中で、結婚の「三種の神器」は「家、車、現金(貯金)」という「三つの財産」になりました。特に「家」は最も重要視され、家を用意できない場合、結婚が延期されることもあります。

◇現代の問題:住宅価格の高騰

 現在、中国では住宅価格が非常に高騰しており、特に北京や上海などの都市では一平方メートル当たり数万元(数十万~百万円相当)にもなっています。このため、多くの若者が家を購入するために長年働き、購入後も住宅ローンの返済に追われる生活を送っています。これが「房奴(家の奴隷)」という言葉を生み出しました。若い夫婦は親からの金銭的支援を受けることも多く、家族間での財産分配を巡る争いも増えています。

第三章、教育と就職

 私は中国伝媒大学出身で、中国の教育発展に特に関心があります。ここでは、近年の中国における教育の発展と変化についてご紹介します。

◇新中国成立初期の状況

 新中国成立当初、中国の大学は非常に少なく、大学に進学できる学生も限られていました。その後、経済の発展に伴い、大学の数と学生数はゆっくりと増加しました。改革開放以降、中国は学校建設に多くの投資を行い、教育の発展は加速しました。

◇大学の増加と学生数の変化

 2000年には、中国の大学と学院の数は1041校でしたが、2024年には2868校にまで増加し、倍以上になりました。また、1999年から大学の入学枠拡大政策が始まり、入学者数も急増しました。
私が1985年に大学に通っていた頃、私の大学の学生数は約1500人でしたが、現在では1万8100人以上に増加しています。今年は私の母校の創立70周年記念で、多くの同窓生が世界各地から集まりました。校舎も新しく建てられ、キャンパスの景観が大きく変わり、ほとんど別の大学のようでした。

 中国の大学卒業生の数も急増しています。1980年の卒業生数は14.7万人、2000年には95万人、2010年には575.4万人、2024年には1179万人に達しました。この発展スピードは驚異的です。

◇教育環境の変化

 現在の中国の若者は、比較的簡単に大学に入学できる時代です。過去は大学進学が非常に難しく、「千軍万馬過独木橋」(無数の兵士が一本の丸木橋を渡るような狭き門)と表現されていました。当時、大学に入れる若者は「天之驕子」(優秀な人を称える中国語の成語)と呼ばれていました。現在では大学進学が一般的になり、特に都市部では高校卒業後に大学に進学しないことが珍しいとさえ思われています。

◇就職問題

 大学教育の普及により、多くの若者が大学で学ぶ機会を得ましたが、卒業生の急増に伴い、新たな課題が生まれました。それは、若者の就職問題です。毎年1000万人以上の卒業生がいますが、彼らの就職先を見つけることは大学や政府にとって大きな課題です。
2024年前3四半期の調査によると、中国全体の失業率は5.1%ですが、若者の失業率は15.3%に達しているとされています。この数字は公式のものではありませんが、参考として見ることができます。一方で、2024年9月時点の日本の失業率は2.4%です。
中国教育部は、「大学卒業生の就職促進計画」を実施し、大学に就職支援機関の設立を義務付け、企業との連携を強化しています。さらに、政府は税制優遇措置などを通じて、企業が大学卒業生を雇用するよう奨励しています。

◇就職の現状

 それでも、一部の大学卒業生は就職に苦労しています。最近の報道では、一部の卒業生が配達員や宅配便の仕事に就いているとされています。彼らは電動自転車で飲食店の料理や荷物を届ける仕事をしています。物理学や外国語、コンピュータを専攻した卒業生がこのような単純作業に就くことに対し、残念だと感じる人もいます。
そのため、一部の親たちは、子どもたちの卒業後の就職に不安を感じています。

◇教育の発展に伴う課題

1. 教育に対する重視と家庭への負担
 中国では古くから教育が非常に重視されており、1000年前の宋代には「万般皆下品、唯有読書高」という言葉が生まれました。この言葉は、学問や教育が最も尊敬されるべきことであると強調しています。
 現在、中国人の教育への関心はさらに高まり、教育は子どもや若者の将来を左右する重要な要素とされています。その結果、教育費用が各家庭の大きな支出部分を占めるようになりました。親たちは子どものために家庭教師を雇ったり、放課後に数学や英語の補習を受けさせたり、週末にはダンス、絵画、水泳などを習わせたりしています。これらは、まず試験に合格し、より良い中学や大学に進学することを目的としています。しかし、若い親たちはこれらに多くの時間とお金を費やさなければなりません。
 また、大都市では「学区房」という言葉があり、優れた学校の近くにある住宅が高額で取引されています。それでも、多くの親が子どもの将来のために購入を選びます。その結果、住宅ローンの負担が増え、「銀行のために働いている」と冗談を言う親も少なくありません。さらに、祖父母世代が経済的支援や送迎などで若い親を助け、孫を中心とした生活を送ることが一般的になっています。そのため、老後がより忙しく、苦労が増えるという状況も見られます。

2. 教育資源の不均衡これらの状況は、中国の教育資源の不均衡を反映しています。都市部と農村部、または地域ごとの経済発展の違いにより、教育の質に大きな差が生じています。例えば、北京や上海のような大都市では、学校の施設は整備されており、実験室や広い運動場、場合によってはプールもあります。教師も名門大学卒業や博士号を持つ優れた人材が多く、高校卒業生のほぼ100%が大学に進学します。
 一方、農村部や山間地域では、校舎が老朽化しており、簡素な机や椅子を使っている学校もあります。近年、中国政府はこうした地域の学校建設に力を入れていますが、未だに多くの学校が改善を必要としています。また、大学卒業生がこうした地域で働きたがらないため、教員不足も深刻で、教育の質に大きな差が見られます。
 同じ都市内でも学校ごとに教育の質が異なるため、親たちは子どもを最も良い学校に通わせようと競い合います。その結果、学区房の価格が高騰する一因にもなっています。

3. 教育への焦りと「試験中心教育」
 親たちは子どもの教育をめぐり、幼稚園の選択から大学進学まで常に不安を抱えています。「どの幼稚園が良いのか」「どの小学校に進学すればよいか」など、子どもが生まれた直後から教育の心配が始まります。このような状況は「教育の焦り」として社会問題化しています。
 教育専門家の中には、中国の教育を「試験中心教育」と呼ぶ人もいます。これは、学生が試験で良い成績を取ることだけを目的とし、創造力や社会性など、子どもの本来の素質を育てることを軽視している状況を指します。その結果、子どもたちは過重な宿題や補習に追われ、学ぶ楽しさを感じられず、小学生の段階でメガネをかける子どもも少なくありません。

4. 政府の取り組みと課題
 中国の教育部は、こうした問題を解決するため、数年前から「負担軽減(減負)」政策を打ち出し、子どもや親の学習負担を軽減しようとしています。しかし、教育資源の不均衡という根本的な課題が解決されていないため、この問題を克服するのは容易ではありません。

第四章、 高齢者の生活

 現在、中国も日本と同様に高齢化社会に突入しています。高齢者の生活はますます社会の注目を集めるようになっています。ここでは、このテーマについて紹介します。

1. 中国の高齢化の現状
 1950年から2022年の間に、中国の平均寿命は約44歳から78.3歳に延び、今後も少しずつ伸び続けると予想されています。一方、出生率は低下傾向にあり、2023年末の総人口は14億967万人で、前年末から208万人減少し、2年連続でマイナス成長となりました。また、2023年の出生数は902万人で、前年より54万人減少し、7年連続で減少しています。
 平均寿命の延長と出生数の減少が進む中、中国は急速に高齢化社会へと移行しています。2000年、中国の65歳以上の人口は総人口の7%に達し、国際基準で「高齢化社会」に入りました。2023年には65歳以上の高齢者が2.2億人に達し、総人口の15.4%を占めています。さらに2030年ごろには20%に達すると予測されています。一方で、2022年の日本では65歳以上の割合が29.9%と、中国よりもはるかに高い状況です。
 中国の高齢化には以下の特徴があります:
1)規模が大きい:世界の高齢者の約4人に1人が中国人です。
2)「未富先老(裕福になる前に老いる)」:多くの先進国は経済的に豊かになった後に高齢化を迎えますが、中国はまだ経済的に発展途上の段階で急速に高齢化社会に突入しています。このため、高齢化への対応は中国にとって大きな課題となっています。

2. 中国の高齢者の生活

(1)家族とのつながり
 中国の多くの高齢者は、孫の世話を手伝うことが一般的です。これは一種の家族内支援であり、高齢者自身も子どもや孫と一緒に暮らすことで孤独を避けられると感じています。

(2)独自のライフスタイル
 近年、中国の高齢者は新しいライフスタイルを取り入れるようになっています。たとえば、音楽やダンスが好きな人たちは、引退後に合唱団やダンスグループに参加し、専門の講師から学びながら活動しています。また、「広場ダンス」と呼ばれる活動も非常に人気で、毎朝や夜に公園や広場に集まり、音楽に合わせて踊ります。
 広場ダンスは健康維持や社交の場として高齢者にとって大きな意義がありますが、大音量の音楽が近隣住民の迷惑になるケースもあり、この問題については社会的な議論が続いています。

(3)老年大学と社会参加
 中国では高齢者の教育機関として「老年大学」が数多く設立されており、2023年には全国で7.6万校、受講者数は2,000万人を超えています。老年大学ではスマートフォンの使い方やAI技術、伝統的な書道や絵画など幅広い知識を学ぶことができます。また、学費が安いか無料であるため、多くの高齢者が利用しています。
 さらに、退職後も知識を活かして社会に貢献する「銀齢行動教師計画」といった活動も広がっています。この計画では退職した大学教授や中学校教師が、教育資源が不足している地域で教育支援を行っています。

 3. 高齢者生活の地域差

 都市部では、退職金や年金により比較的充実した生活が送れます。たとえば、配偶者や友人と一緒に国内旅行や海外旅行を楽しむ高齢者も多く、日本を訪れる中国の高齢者も少なくありません。
 一方、農村部では高齢者の生活は依然として厳しい状況にあります。特に経済的に発展していない地域では、老年大学や医療機関が少なく、若者が都市に移住することで高齢者が孤立するケースも多いです。この問題は社会的な関心を集めていますが、解決には時間がかかるとされています。

 4. 結論

中国は発展とともに高齢者の生活も変化しています。都市部と農村部での差異は依然として大きいですが、社会全体で高齢者を支援する取り組みが進められており、将来的にはさらに改善されていくと考えられます。

 第五章、 科学技術  

 次に、中国における科学技術の発展についてお話しします。この数年間、中国の科学技術は非常に速いスピードで発展しています。ここでは、いくつかの重要な成果を紹介します。

 1. 月の裏側からの土壌採取

 2024年6月25日、中国の宇宙船が月の裏側で土壌を採取し、約2キログラムのサンプルを地球に持ち帰ることに成功しました。これは人類史上初めて月の裏側から土壌を持ち帰った例です。
 2020年にも中国は月面の土壌サンプルを地球に持ち帰っていますが、今回の月の裏側での採取は技術的な難易度が非常に高いものでした。
 また、中国は2030年までに中国人の月面着陸を実現する計画を進めており、現在も準備が順調に進んでいます。21世紀に入り、中国は30回以上の有人宇宙飛行を成功させ、多くの宇宙飛行士が宇宙で活動しています。

 2. 火星探査

2021年には、中国の探査機が火星への着陸に成功しました。これにより中国は、アメリカに次いで2番目に火星への着陸を成功させた国となりました。

 3. 北斗衛星システム

2020年、中国は独自のグローバル衛星ナビゲーションシステム「北斗」を完成させました。このプロジェクトには20年以上が費やされ、一部の技術指標ではアメリカのGPSを超える性能を持っています。

◇電力  

 すべての発展の基盤には電力が必要です。改革開放以降、中国は電力事業への投資を大幅に増やし、電力供給が各分野の発展を支える柱となっています。

 1. 電力供給の進化

 私が若い頃、家では頻繁に停電がありました。当時は電力供給が十分でなく、需要が多い時期には停電が避けられませんでした。
 しかし、最近30~40年間、中国は多くの発電所を建設し、発電能力が大幅に向上しました。以前は石炭を主なエネルギー源としていましたが、現在は天然ガス、風力発電、太陽光発電、原子力発電の割合が増加しています。2023年には、中国の発電量が世界全体の31%を占め、アメリカの2倍以上となりました。

 2. 三峡ダムの貢献

 新たに建設された発電所の中でも、三峡ダムプロジェクトは世界最大規模の水力発電所です。このプロジェクトは約20年の歳月をかけて完成し、総設備容量は2250万キロワットに達します。
 この数字がどれほど大きいかを比較すると、東京電力柏崎刈羽原子力発電所の総設備容量は821万キロワットで、世界最大の原子力発電所です。それと比べても三峡ダムの規模が非常に大きいことがわかります。三峡ダムの建設には多くの議論がありました。一部の専門家は、巨大なプロジェクトが環境への悪影響や地震のリスクを引き起こす可能性を懸念していました。しかし、私たち一般市民としては、電力供給が安定し、長江の洪水が大幅に減少したという恩恵を実感しています。

 以下、省略可能)

もし時間が許せば、経済発展がもたらした問題についてもお話ししたいと思います。具体的には以下のような点です:

   1.環境汚染と生態系破壊
  2.所得格差と社会的不平等
  3.過重労働と健康問題
  4.高齢化と少子化

以上は、中国建国75周年を迎えた社会の変化の一部です。講座をお聞きいただきありがとうございました。