バスティン:ピアノ・ベイシックスの調学習プログラム


子どもたちが、学習内容に混乱を起こし進歩が停滞しがちになるのは、いろいろな調を学習するあたりからだと思います。そこでこの研究では、ピアノ・ベイシックスで新しい調が次々導入されるレベル2の、#系はニ長調から、♭系は変ロ長調からを調べています。#系ではロ長調以上、♭系では変イ長調以上の曲については、この段階でそれらの調の曲を学習する頻度が大変少ないことから、今回は研究の対象とはしていません。

また、この研究では、各学習曲に音階が含まれているかどうかも、チェックしています。それは、音階は、各調の音の構成を分かりやすく理解するための、とても基本的で大切な要素だと考えるからです。その意味から、この音階を学習曲の中で活用することは、大変学習効果が上がると考えます。

このレポートが、皆さんの指導を考える上での参考になれば、幸いです。

(ト長調とヘ長調の学習内容に関しては、大変興味深い相違があるので、いずれその違いを対照的に例示したいと考えています。) 


1.ニ長調、イ長調、ホ長調の学習プログラム
2.変ロ長調、変ホ長調の学習プログラム
3.ヘ長調導入後変ロ長調が導入されるまでの学習プログラム
4.イ短調、ニ短調、ホ短調の学習プログラム
5.この研究を通じての助言

《ニ長調、イ長調、ホ長調の学習プログラム》 

(研究対象はレベル2〜4のテキスト)

調 名 レベル 学習曲数 音階を含む曲 備    考
ニ長調導入 ピアノレ・ベル2 3曲  ゼロ   
ニ長調学習曲 パーフォーマンス2 4曲  ゼロ ニ長調の曲は多いものの、ニ長調を総合的に理解できる曲は少ない。
ピアノ・レベル3 2曲 1曲  
パーフォーマンス3 1曲 1曲  
ピアノ・レベル4 なし    
パーフォーマンス4 1曲 ゼロ 主音からの5度の範囲におさまる曲。
上記の表で分かるとおり、他の#系の曲に比べてニ長調の学習曲は多いものの、音階を含む学習曲は2巻から4巻にかけて2曲だけである。「パーフォーマンス2」には4曲ものニ長調の曲があるが、ニ長調を総合的に分かりやすく学習できるようなタイプの曲ではない。「パーフォーマンス4」まで進んで学習するニ長調の曲は、左右の手とも5度の範囲に収まってしまう簡単な曲で、ニ長調のトータルな学習を難しくしているように思う。

調 名 レベル 学習曲数 音階を含む曲 備    考
イ長調導入 ピアノ・レベル2 2曲+(1) 1曲  
イ長調学習曲 パーフォーマンス2 2曲 1曲 素顔のイ長調が見えにくい曲。
ピアノ・レベル3 なし    
パーフォーマンス3 なし    
ピアノ・レベル4 なし    
パーフォーマンス4 なし    
イ長調はレベル2で初めて導入された後、レベル3、レベル4ではピアノシリーズ及びパーフォーマンスシリーズとにも、イ長調は1曲も出てこない。従ってこれらのテキストだけでレッスンを受ける限り、学習者はレベル3以後イ長調の曲は習わないことになる。

調 名 レベル 学習曲数 音階を含む曲 備    考
ホ長調導入 ピアノ・レベル2 1曲+(2) ゼロ 括弧の2曲のうち1曲は、右手リズムは4分音符のみ。EからHまでの5度内のメロディー。左手は全音符和音、全8小節の非常に簡単な曲。残りの1曲は実質的にはEからGisまでの3度内のメロディーしかなく、両方ともホ長調の満足な学習内容に欠ける。
ホ長調学習曲 パーフォーマンス2 1曲 ゼロ 実質的に5度内で書かれた曲。ホ長調の全体的な理解を得ることは期待できない。
ピアノ・レベル3 なし    
パーフォーマンス3 1曲 ゼロ ほとんどの#の音が半音下げられている。
ピアノ・レベル4 なし    
パーフォーマンス4 なし    
 ホ長調もイ長調の事情と同じ問題を抱えている。レベル2でホ長調が導入されるが、その学習曲の数は少ないだけでなく、ほとんどが5度の範囲内で書かれた曲で、ホ長調を全体的に理解することは期待できない。また、レベル3、4では「パーフォーマンス3」に1曲だけホ長調の曲が用意されているが、この曲ではホ長調の#の音が、ほとんどナチュラル記号で半音下げられており、音としてはおもしろい効果があるものの、素直にホ長調の音構造を理解することは、難しくなっている。


《変ロ長調、変ホ長調の学習プログラム》

調 名 レベル 学習曲数 音階を含む曲 備    考
変ロ長調導入 ピアノ・レベル4 2曲 ゼロ  
変ロ長調学習曲 パーフォーマンス4 1曲 ゼロ これとは別に、変ロ長調の平行短調・ト短調の曲「ヘルナンドの隠れ家」が、正式な導入学習のプログラムがないのにおかれている。
バスティンの調学習システムは、各調の主和音の形態によって調をグループ分けし、そのグループごとに学習するようになっている。それにより、変ロ長調はそのグループのどれにも属さない例外的な調として、#系のロ長調とともに最後のレベル4で学習するようになっている。そのためベイシックスシリーズには、全部で3曲の変ロ長調の曲が用意されているだけである。また、それらのすべてに音階は含まれていない。

調 名 レベル 学習曲数 音階を含む曲 備    考
変ホ長調導入 ピアノ・レベル3 3曲 ゼロ  
変ホ長調学習曲 パーフォーマンス3 1曲 ゼロ 素顔の変ホ長調が見えにくい曲。
ピアノ・レベル4 なし    
パーフォーマンス4 なし    
バスティンのように、各調の主和音の形で調をグループ分けするシステムを知らない先生には、とても奇異に映るかもしれないが、バスティンのシステムでは、変ホ長調を変ロ長調より先に学習するようになっている。学習曲の数の上では変ロ長調より1曲多いものの、レベル3で初めて導入された後、レベル4では全く扱われていないのは、前に紹介している#系の例と全く同じである。音階を含む学習曲も用意されていない。


《ヘ長調導入後変ロ長調が導入されるまでの学習プログラム》 

ピアノ・レベル2
ト長調導入 26頁
ヘ長調導入 34頁
ニ長調導入 39頁
イ長調導入 44頁
ホ長調導入 48頁
ピアノ・レベル3
イ短調導入 6頁
ニ短調導入 16頁
変ニ長調導入 39頁
変イ長調導入 44頁
変ホ長調導入 48頁
ピアノ・レベル4
ホ短調導入 8頁
変ト長調導入 38頁
変ロ長調導入 42頁
ロ長調導入 46頁

#系の調は、ト長調、ニ長調、イ長調、ホ長調、ロ長調(ロ長調の指導の時期は離れているが)と、調号の増える順序で配列されている。

これに対し、♭系の調はまず♭一つのヘ長調を学習した後、突然♭5個の変ニ長調へ進み、そこから変イ長調、変ホ長調と♭が一つずつ少ない調へ進んだ後、また突然に♭6個の変ト長調の学習へと進み、最後になってようやく♭二つの変ロ長調を学習するようになっている。これは、バスティンの調学習プログラムが、主和音の形態によるグループ分けのシステムに基づいているからだ。

しかし、この段階で色々な作曲家の楽曲を学習するとき、変ト長調、変ニ長調、変イ長調の曲はほとんどないに等しい。それに対し変ロ長調、変ホ長調の曲は、比較的たくさんの曲がある。このように、主和音の形態による調のグループ分けシステムは、♭系の学習体系に関しては、実際の応用面で必ずしも効率的でない学習システムになっている。

また、このような♭系調の学習順序は、楽典の学習における整合性のとれた体系的な調配列の学習と矛盾する面があることを、注意しておく必要があるように思う。その結果として、例えばつぎのような不合理な学習プログラムが生じてしまう。

レベル3の38頁で、「フラットのつく順番」を学習するが、ここではB、Es、As、Des、Ges、Ces、Fesまで書く練習をするようになっている。しかし、♭7個目のFesの音まで書く練習であるのに、初めの二つ♭、すなわちBとEsまで書いても、この段階では生徒は変ロ長調のことは学習していないのだ。変ロ長調のことを知らないまま、♭を7個まで書く練習をするということには、学習の合理性や効率性から見て、どこか矛盾や無駄があるように感じる先生も多いだろう。




《イ短調、ニ短調、ホ短調の学習プログラム》

調 名 レベル 学習曲数 音階を含む曲 備    考
イ短調導入 ピアノ・レベル3 6曲 2曲 バスティンには旋律短音階を含む曲はない。  
イ短調学習曲 パーフォーマンス3 1曲 ゼロ
ピアノ・レベル4 2曲 ゼロ
パーフォーマンス4 なし    
面白いことにイ短調の曲は、レベル3での導入時に、他のどの調よりも多い6つの曲が用意されている。また音階を含む曲も2曲あるが、旋律短音階を含む曲はない。

調 名 レベル 学習曲数 音階を含む曲 備    考
ニ短調導入 ピアノ・レベル3 2曲 ゼロ    
ニ短調学習曲 パーフォーマンス3 2曲 1曲 和声短音階のみ。
ピアノ・レベル4 3曲 ゼロ  
パーフォーマンス4 なし    
ニ短調の曲も、他の調に比べれば比較的学習曲が多い。音階を含む曲は1曲あるが、和声短音階のみである。

調 名 レベル 学習曲数 音階を含む曲 備    考
ホ短調導入 ピアノ・レベル4 2曲 ゼロ 内1曲はホ短調が大変分かりにくい。   
ホ短調学習曲 パーフォーマンス4 1曲 1曲 和声短音階のみ。
比較的学習曲の多い短調も、レベル4になって導入されるホ短調は、全部で3曲のみである。音階を含む曲は1曲あるが、和声短音階のみである。

《この研究を通じての助言》

1. 新しい調が導入されたあとは、その調の全体像が素直によく飲み込めるように、各学習曲のカリキュラムが整備されていることが大切だと思います。しかし、バスティンのこのピアノテキストでは、調の音の構成を最も合理的に学習できる音階を活用した曲が、ほとんどありません。また、新しい調の導入直後の曲に、臨時記号が多用された曲がおかれていたりします。これでは、「調の全体像を分かりやすく単純な形でまず頭に入れる」という学習のステップから考えると、かえって調の素直な理解を阻害しているように思います。それから、片手の音域が5度の範囲にとどまった曲も結構あったりして、その調の全体像を学習できるような学習曲が、比較的少ないように思います。
  
2. 新しく習った調がしっかり定着するためには、その調をある程度学習したあと、一定の期間をおいて再度学習内容の復習と深化をはかることが大切です。この観点からバスティンのテキストを見てみると、新しい調が導入されてある程度の数の曲を学習した後は、後続する巻にはその調の曲は全く用意されていないか、あったとしてもきわめて限られた数の曲しかないカリキュラムになっています。その調の曲が用意されている場合も、調の全体が素直に理解できるような作り方で書かれていない場合が多く、このテキストを使って、普通の能力の子どもが調を素直に確実に身につけるのは、けっこう難しいのではないかと思います。
 
3. #系の調の指導プログラムと♭系の調の学習プログラムが、楽典的な合理性から見ると異なった原則の体系になってしまっているのには、ちょっと疑問を感じる先生も多いのではないかと思います。確かに、主和音の形態でグループ分けをするというバスティンの方法には、一定の合理性はあるものの、それは指でピアノをひくといった実用的な見地からの合理性で、いかにもアメリカ的です。

しかし、音楽の原理原則の点から見ると、かえって色々な点に矛盾が出てくるところがあります。そのようにお感じになる先生は、自分なりのカリキュラムを編成し直して、楽典の立場からの合理性に矛盾がないように指導する方が、問題が少なくてすむと思います。楽典的に整合性のとれた学習をする方が、生徒が上級へ進級したとき、それまでに学習したことが何の矛盾もなく、次の学習の土台になることができるでしょう。
 
4. バスティンのテキストは、多くの曲が今の子どもたちの感覚にマッチした曲であるところから、確かに現代の子どもには喜ばれるところはあると思います。しかし、「基本をしっかり身につけて、歌うという音楽で最も大切なことをていねいに学習し、自信を持って次のステップに進むことのできる力をつける」という指導のあり方から見ると、やや問題なしとしないところがあるように思います。教える先生方がその不足するところをよく知って、それを何かでもって補ってやる、といった配慮が必要ではないかと思います。

もちろんこれらのことはバスティンに限ったことではありません。ほかの多くのテキストにも見られることだと思います。とにかく、全ての点において完全なテキストはないということです。この研究の例を参考に、ぜひご自分の使っておられるテキストを子細に分析されてみることを、お薦めします。問題の所在がはっきりすれば、その問題に対する対処の仕方も工夫することができると思います。


実は、私の教室ではバスティンをメインテキストの一つとして使っています。といってもここで研究の対象とした新しい版のバスティン・ピアノベイシックスではなく、古い版のバスティン・ピアノレッスンの方ですが。私の教室で両版を1曲1曲ていねいに研究討議した結果、私の教室としては旧版の方が比較的よくできているという結論になったのです。

意外な結果かもしれませんが、それぞれの教室が主体的に研究して、独自の結論を出すことはいいことではないかと思っています。何でも新しいからいいに違いない。イラストが大きくなってカラーがたくさん使われているから、こちらの方が子どもが喜ぶはずだ、と単純に結論づけるのはどうでしょうか。1曲1曲子細に研究して自分たちの納得のいく結論を、先生方の責任で出すことが大切ではないでしょうか。

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