The English translation of this essay is here.

【第1回】

指導の半分を決める選曲


今でこそ少しは変化が見られるようになりましたが、何年か前までは一般にピアノ教室の発表会というと、たいてい同じような曲目が毎年のようにプログラムを飾っていたものでした。しかし、私は20数年前この仕事を始めたときから、自分のモットーとして、私の生徒たちのコンサート、”ピアノサロン”を企画するときは、毎回前回とは全く異なったプログラムを組むように心がけてきました。

そのような努力を払ってきたのは、私は生徒たちのコンサートに取り組む時、それが常に”新たな創造”でありたいと願ってきたからです。そのような姿勢を持って新しいコンサートに取り組むことで、一回一回のコンサートが出演する生徒たちにとって、いつも新鮮で意味のあるものになると考えたからです。

新しいコンサートの準備に入るとき、この”新たな創造”へのチャレンジは、”選曲”という仕事から始まります。ジュリアード音楽院の高名なピアノの教授、サッシャ・ゴロドニツキ氏が自分の教授法について、”誰にも合う靴というものはない”と言って、個々の生徒の個性や問題にあわせて、それぞれの指導法を考える大切さを指摘しています。私はこの言葉は選曲の際にも、大いに当てはまると思います。

生徒による手の大きさや柔らかさ、あるいは音の鳴り方や音楽的な感受性の違いは、想像以上のものがあります。それらの違いの中には、ある条件では優れて働くものが、別の条件下ではマイナスに働いてしまうといった場合もあります。このように複雑に絡み合う個々の生徒の条件を考慮して、その生徒の持ち味が最も高度に発揮できる曲を選ぶのが、”選曲”です。私がピアノサロンの準備をするとき、一人の生徒のための選曲に、ニ週間から三週間はかかってしまうのも、このような選曲の持つ重要性、また難しさから来ているといえましょう。

しかし、このようにして選択された曲が、生徒の持っている様々な事情や感受性に合致したものであるなら、その生徒はその作品の持つファンタジーを、より鮮やかに感動的に引き出すことができます。こうして初めて生徒たちは、自分が奏でる音楽とのより深い心の交流をすることができるようになれると、私は確信しています。

そして、このように最高の選曲がなされたとき、しばしば生徒たちは指導している私ですら思いもよらなかったような、絶妙な表現をするときがあります。こんな時は指導者としての私も、私の想像を超える生徒の素晴らしい表現に脱帽して、勉強させていただきます。正に”教えることは教わること”の瞬間です。

さて、このような可能性をもはらむ選曲を行うためには、指導する先生のレパートリーが限られていたのでは、とても対応できるものではありません。生徒の持てる可能性を最大限に発揮させることのできる選曲のためには、先生はそれだけ多様な曲目に通じていなくてはなりません。もちろん、それも単に知っているというレベルでは、個々の生徒の様々な可能性に合致した曲を、間違いなく選択することはできません。その意味では、大変難しいことではありますが、可能な限り広くしかも深く知っている必要があります。

そして、そのような知識を背景に、今度はそれぞれの生徒が持っている色々な個性や条件を、的確に把握する能力を持っていなければなりません。このようにしてなされるレベルの高い選曲は、それこそ教師としての熟練の技といってもいいでしょう。

私はここでコンサートの選曲を主に引き合いに出してお話ししてきましたが、普段のレッスンの選曲も、これとはやや違った要素を含みながらも、同様に選曲は大変重要な役割を担っていると思います。それぞれの学習段階と目的に合致した的確な選曲を行うことで、生徒たちの力をより着実に伸ばすことができます。

ピアノのレッスンというと、生徒を指導しているレッスンの現場が、まず念頭に浮かびます。しかし、これまでお話ししてきましたように、生徒の可能性を大きく左右する選曲、レッスンの正否の大半を決めてしまう選曲の重要性を考えるとき、実際のレッスンが始まる前の選曲の意味の重みを、改めて問い直したいと思います。そして、私たち教師は、より多くの多様な楽曲の知識を深め、個々の生徒の曲を的確に選ぶことのできる確かな目を養っていく努力を、常に積み重ねていくことを惜しんではならないと思います。

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