豊田@立教大さんのご回答(その5)(1997/3/10)

From: toyoda@rikkyo.ac.jp
Date: Mon, 10 Mar 1997 11:28:22 +0900
To: kazmori@gipwc.shinshu-u.ac.jp
Subject: 数理と実践
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豊田@立教社会です

安藤> ちなみに共分散構造分析を用いた分析を論文に発表する場合、いったい
安藤>どこまでの統計量や途中のモデル選択のプロセスを載せるべきなのか、迷
安藤>うところです。行動遺伝学の論文や文献を見ても、まだ書き方は統一され
安藤>ていません。拙論文での分析はあくまで補助的なものと位置づけていたの
安藤>で、これまでに見た論文の中の最低限のものに準じて書きました。

難しいですね.でも再分析可能なだけの情報(この場合は計算に利用した共分散 行列)を乗せておけば十分です.これは行動遺伝分析に限らず,「教育心理学研究」 に最近多い,パス解析でも同じことです.再分析可能な情報を論文に乗せると 投稿者の側にある種の緊張感が生じ文章が引き締まるような印象があります. 特にパス解析を使った教育心理学研究の論文は,「わざと載せないのでは?」 と思いたくなる論文も,現状では多いですね.再分析できるだけの情報があれば 審査者が不審に思ったときに,必要な情報を再現できます.詳しくは,次号「教育心 理学年報」(4月刊行)拙稿参照してください.

安藤> なおこれは豊田先生へご質問なのですが、@共分散構造分析で算出され
安藤>た分散の大きさに、記述統計量としての意味はないのか。単に記述統計量
安藤>を、たとえば aやcの大きさを知りたいという時に、共分散構造分析を使っ
安藤>てはいけないのか。

記述統計量という述語をどのような意味で使用しているのかよく分からないの で,答えをはずしてしまうかもしれませんが.....
素朴な遺伝率の計算式と異なって,最新の方法はデータの有する全情報(full information)をフル活用して,推定値を求めます.しかし標本数が少ない場合 にはデータの有する情報そのものが少ないので,もう一回データを取り直した ら,結果がガラリと変わる可能性が高いです.記述統計量として解釈するのは 構わないのですが,安定した知見は引き出せません.

安藤>A共分散構造分析では、model fittingに関する統計
安藤>量(chi^2やAIC)が算出されるわけですが、サンプル数が小さくても、それ
安藤>でfitしているのなら、とりあえずいいのではないか。

違います.サンプル数が小さく「ても」,ではなくて,サンプル数が小さい「から」 カイ2乗値が小さいのです,ニール&カードンの教科書のなかで標本数の大きなモデル の解を計算してみれば明らかですが,標本数が多い場合には確実に棄却されます. これは数理統計分野で,よく矛盾として指摘される有名な問題です.
詳しくは拙著「SASによる共分散構造分析p100,7.2.1」を参照してください.

安藤>実験的統制の精度や肝心の従属変数
安藤>となる指標の精度を犠牲にしてもです。それでも最大MZおよそ60組、DZ30
安藤>組弱でした(中1から高3までの学年をプールして。まだ論文にはなって
安藤>いませんが)。もちろん教育的な実験教室によらないただのアンケート調
安藤>査なら、もうちょっと簡単にサンプル数も増やせましょうが、やりたいの
安藤>はあくまでも「自分の手で教授学習場面を作る」ことなのです。この90
安藤>組の実験では、数学をグループ学習と個別学習で比較しました(こうした
安藤>試みが、ある意味で無謀だとは自分でもわかっていますが、バカができる
安藤>のも若いうち(?)。それに8日間、集中して双子ばかり100組近くと
安藤>接するのは、原体験としてものすごく大きなものでした。

数理的な指摘は「言うは易し,行うは難し」の典型例のようなものです.わたしが 行動遺伝学の理論の勉強をしてみようと思った直接の動機の1つは,安藤先生の研究 室に伺って,さまざまな双生児達の魅力的な写真をみせて頂き,そのエピソードを聞 いたことにあります.


以下,これまでの議論とは直接関係無い,研究実践に関する,私の放談を書きます.

私は教育心理学者です.教育心理学者として学校の先生と共同研究する こともありますし,シンクタンクの方と共同研究することもあります.学校の先生 と教育指導的な議論をする場合には完全にイニシアチブはその先生にあります. シンクタンクの方とデータ解析するときは,ハードもソフトも解析のスピード(手 際の良さ)もまったくかないません.

私の知人に,極真空手(寸止なし,実際なぐる)2段の人がいますが,彼は毎日練習 をしていて「1ヶ月練習休んだら1級のひとと組み手するのも恐い」といいます.同 様に,毎日,生徒と付き合っている先生や,データ解析を四六時中行っている人に, その分野で勝てるわけないのです.

最近「実践的な教育心理学」を標榜する人達が,現場に「ときどき」出てって先生 を指導したり,教育コンサルタントしたりする,研究スタイルが登場していますが ,「指導的発言」をするのは根本的に間違っています.現に,私の子供が通ってい る幼稚園にもときどき「教育研究者」が来て,父母である私たちや,幼稚園の先生 を「指導」してくれますが,ためになった話は有りません.その先生が帰ると,直ぐ にその先生への批判が始まります.所詮,研究者なんですから,毎日,子供を見て いる学校の先生を上回る良い話はできないのです.

それならば,何故,学校の先生やシンクタンクの方が,共同研究を申し出でくれるの かといえば,それは,その研究に必要で,かつ完全に私がイニシアチブをとれる領域 があるからです.もし,大学にいる研究者が,教育実践の指導をしたとすれば,組み 手のできない,楽譜の読めない評論家(実際いますけど)と同じになってしまいます.

唯一,自分の大学の講義は,他の専門の人より上手にしないと恥ずかしい, とは思いますが,,,,

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Hideki TOYODA Ph.D., Associate Professor, Department of Sociology
TEL +81-3-3985-2321 FAX +81-3-3985-2833, Rikkyo (St.Paul's) University
toyoda@rikkyo.ac.jp 3-34-1 Nishi-Ikebukuro Toshima-ku Tokyo 171 Japan
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