無藤隆@お茶大さんのご意見(その3)(1997/2/24)

Date: Mon, 24 Feb 1997 20:26:00 +0900
From: 無藤 隆
Subject: RE:non title
To: kazmori@gipwc.shinshu-u.ac.jp (MORI Kazuo)
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引用のことは誤解に過ぎませんから、もうよいかと思います。

遺伝の影響で言えば、実は、豊田さん、安藤さんと具体的にはあまり意見が違わないの です。問題は遺伝が教育に影響する(正確には教育的対処にです)ということの詳細な 意味にあります。あらゆる情報が有用だという意味ではもちろん遺伝的情報は重要なの は誰も反対しません。多少とも教育関係者の心構えを変えるという意味でも実は重要だ ろうと思います。ただ、私が言いたいことは次のことです。

1)遺伝が重要だとしても、遺伝的に不利だとされる人が学習できないのではない。
2)遺伝的情報から、また一般には、DISTAL な情報から(生育史等)から、教育的取 扱 いが一般的集団的に(ある種の特性の人にある種の扱いをするという意味で)変わるこ とは滅多にないだろう。(これは研究の進展で変わります。)

 ですから、たとえ、女性が遺伝的生得的に客観性が足りないとしても、そこから、教 育して客観性を獲得できないということにはただちにはならない。

 私がジェンセンや強制収容所に言及したのは、意図的です。安藤さんやその他の行動 遺伝学者を批判するのではなく、理想的平等論者 批判するためです。あなた方の言う平等的理想社会は実は極端な抑圧的社会だという自 由主義理念とそれが事実正しいのだと言っているのです。実際、学校が階級の再生産の 場だとは社会学者の批判するところで、その論拠の一つは、学校がもともと階級に対応 した学力差を縮めないということもあるのです。私はそれは無理だし、好ましくもない というふうに思うし、それが事実に基づいて比較的に平等で民主的な社会を作る方向だ と言いたいのです。遺伝的違いに目をつぶると平等になるわけではありません。

 もう一つ重要なことは、個人の決定に遺伝であろうと育ちであろうとその情報を用い るべきでないということです。統計的に1割だろうと8割だろうと、個人レベルの変動 を消しはしません。

 こう言ってしまうと、お二人とも賛成しそうで、つまりませんが、でも、私は遺伝論 に近い立場(本当に発達心理学の少数派ですよ)ですので、仕方ありません。でも、変 なところは遠慮なく批判して下さい。

 私の元の文章は一つの遺伝・発達・教育の関係の考え方の典型ではありますから。

                             無藤